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最初はチラシに魅かれた。この色調とレイアウト。いい感じでしょう。主役のシャシを演じるシュリーデーヴィーが夢見る少女のような愛らしさ。幼い息子と二人、マイケルの真似をしてフーッと手を挙げる無邪気な様子が可愛い。これで母親役?!と驚くが、実は40代後半らしい。さすが美人の宝庫インド。恐るべし。仕事をエネルギッシュにこなすビジネスマンの夫と、思春期の娘に英語ができないことでからかわれる日々。得意の料理の腕をふるい、家族を愛してもいるが、敬意を払われない事に絶望していくシャシ。そんな彼女がニューヨークに向かい、姪の結婚式で行ったスピーチは英語で…。原題は『English Vinglish』…これを日本語のタイトルにするのは大変そう。『マダム・イン・ニューヨーク』も内容に添ったわかりやすい意訳。だけど、原題とそのチラシには敵わない気がする。ほら。「マダム」を前面に出した、女性の目を引く1枚目と、ガッツポーズで満面の笑みを浮かべる2枚目は、ずいぶん印象が違う。ずいぶん前になるけれど、アメリカの友人を訪ねて行った時のこと。搭乗手続きのため順番を守って並んでいたのに、やっと自分の番、と緊張しながら前に進んだら「列に並んで!」と繰り返され…。最初は途方に暮れたが、列に並んでいた、と何度言っても、目も見ず犬でも追う手振りで対応され、とまどいはやがて憤りに。幸い、同情してくれたのであろう隣の白人女性(ヨーロッパから家族旅行中のよう)が助け舟を出してくれて、その場はなんとかなったのだが。「彼女はちゃんと並んでいました」と言ってくれてるのに、「ホント?」と肩をあげるだけで謝罪の言葉もない。客に対してなんたる態度!「日本にはお客様は神様だ!って諺(?)がある!」と言える語力があったなら。だから、シャシが着いたばかりのニューヨークのコーヒーショップで英語でうまく注文できず、やや太めの黒人系女性(奇しくも私に対応した女性と外見も態度も似ている)の見下げた攻撃にさらされてパニックに陥った時、過去の自分が重なって他人事とは思えなかった。これまた趣向の違う3枚目をご覧いただきたい。舞台がニューヨークだから、というわけではないけれど、自由の女神新バージョンを感じさせるではありませんか。サリーの上にコートを颯爽とはおり、手に持つのはたいまつの代わりにコーヒー。コーヒーを注文できずパニックを起こした彼女の、いまや輝かしい戦利品。いくつかの試練を乗り越えて迎えた姪の結婚式。英語でスピーチする彼女の誇らしげな表情と、「家族を持ちなさい。家族だけはあなたを尊重し敬意を払って自信を与えてくれる」の言葉を耳にして、うつむく夫や娘の表情が対照的。彼女に自信を与えてくれたのは「愛され」「必要とされる」満足感。ここには書ききれない、あんなこんながあるのだが…それは作品を観ていただきたい。最後に1つ。英語で意思疎通を叶える努力をする一方で、本当に大事なことは、お互いに自国の言葉で(つまり相手に理解できない言葉で)伝え合い、それがなんとなく的確に伝わる妙も描いているのは偶然ではないはず。自尊心を支えるものは、なんだろう。
2014.09.29
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『天のしずく 辰巳芳子"いのちのスープ"』東北キャラバン公開初日を記念して、 河邑監督のトークショーが行われた。聞き手は在来野菜を紹介した『よみがえりのレシピ』の渡辺智史監督。 始めにお断りしておきたい。これから綴る感想は、トークショーの流れを時間軸に沿ってまとめたものでも、ましてや私の記憶と妄想が形になったもので、記録として正確なものでもない。その上でこの作品に感じた思いを受け取ってもらえたら、と思う。天のしずく冒頭、サトイモの葉(※1)に溜まった揺れる露を集めて墨をする(※2)幼い姉妹が登場する。その墨で少女が書くのびやかな「天」の文字。タイトルに続く鮮やかな導入だと思っていた。しかし「地にあった水が蒸気となって天に昇り、雨となってまた地に降り注ぐ。天と地が、水を間にやり取りをしている、呼吸している、その循環の中に人間もいる」という監督の言葉を聞き、そうかそういう意味だったか、と何度も深く頷いてしまった。天のしずく、恵みである水はまさに天から注がれた御露(おつゆ)として食卓に供されるのだと。※1 神から授かった天の水の受け皿とされていた※2 その墨で文字を書き、習字の上達を願う、中国由来の七夕の行事スープ教室物語は料理家辰巳芳子さんの、鎌倉にある自宅の庭から始まる。早春。陽があたっていてもまだ冷たい凛とした空気の張り詰めた感触まで伝わってくる。実際の撮影は2月にスタートしたそうだが、直後に3・11震災が起きた。聞き手の渡辺監督が問うたように、その後の映画作りに何か影響はなかったか。河邑監督の答えに代えて、震災後1回目のスープ教室(自宅で希望者が所狭しと集って行われていた。辰巳さんの料理はこの場面から始まる)で、彼女が語った言葉を記そう。「起きてしまったことを、もう無かったことにはできないと思うのよ」この日の教室のテーマは緊急時の食。「地獄炊きという言葉が意外に知られていないのね」気になってネットで調べてみてもこれという用語が見つからない。洗った米を水でなく熱湯で炊くと早く炊きあがるという事のようだ。食べることは生きること。偽の食では命が希薄になる、と監督は言う。不遇の時、有事の際、食べることは生き延びること。生き延びるには知恵が要る。食べるための知恵がつまり料理の知識なのだなぁ、と思う。命のリレーをするには、知恵もリレーしていかなければならないのに、そのバトンが今きちんと次世代へ渡されていない。だから辰巳さんは人生の仕上げを<1>学校給食で地産地消(食育)<2>医療と食、の大きな2つのテーマにかけているのだろう。スープの向こうにみえる実存的使命「辰巳さんは老子のような人です」水に映る月をすくってみろ、と禅問答のような難題を課す老子。「もの(私)を追っかけちゃダメよ」単なるドキュメンタリーフィルムではなく、と。レシピではなく、一杯のスープの向こうに見える存在。(余談だが、ジャパンタイムズで辰巳芳子さんを見開き2ページで紹介した記事のタイトルは「クッキング・グル(※3)」で老子に近い、とお話されていた)「スープに共通しているものはなんだと思いますか」突然壇上の監督から問いかけられて驚く。「水なんです」「水が命の源。胎児の時は80%あった水分が年を重ねるにつれて段々減っていく。水のある唯一の惑星、地球は祝福されている事を知って欲しい」「ヒト」が「人」になる、長い時間をかけて成熟した人間になる。「ヒト」と「人」の違いはなんだと思いますか、とまたも難題が降ってくる。老子思想は伝染するのだろうか。「二足歩行によってヒトは両手(前足)を自由に使えるようになった。二本の手が自由になる事によって、ヒトは人にしかできない、文化を創り継承する事が可能になったんです」辰巳さんの手は2つの大きな仕事をしているという。文章を書くこと、それから料理を作ること。作品の中で何度も大きく映し出される辰巳さんの手。この「手」が人の証し。※3 サンスクリット語で指導者、教師年を重ねてはじめてわかることがある美的センスは生来のものがあろうが、なんだろう、この透明なオーラは。問わず語りに監督が答えをくれた。「彼女の若さを支えているのは食事なんです。そして尽きない好奇心」辰巳さんの肌は艶めいて美しく、勲章として刻まれた皺の一つひとつも彫刻のように見えた。お洒落なアクセサリーや品のよい服の組み合わせもすべて普段の辰巳さんで、スタイリストなどはいないという。それほどに大切な食。自らが証し、という実践者。このサムライのような姿勢には頭が下がる。「じっとしていると死んでしまう回遊魚のように」彼女は行動する。ある時はハンセン病の島、長島へ。ハンセン病療養所・長島愛生園で親友を看取った宮崎かづゑさんの元へ。食べ物を受け付けなくなった親友のために、宮崎さんは辰巳さんの命のスープを作り届ける。お礼の手紙が縁となり、島を訪れた二人が、海を見下ろしながら抱き合い、静かに語る。「生きてきてよかった、とこの年になってわかりました。6年前だったらわからなかったと思います」という宮崎さんに辰巳さんが言う。「そうですね。80歳を過ぎてから見たり聞いたりする事は全然違いますね」渡辺監督にこの作品を撮ったきっかけを尋ねられた河邑監督はこう答えている。「年齢(誕生日で65歳を迎えられるそうである)に関係がありますね。ある年になって、自分の体のことがすごくわかるようになった。食べるもので具合が悪くなったり。」元々食べることには大いに関心があり、逆に好きなことを作品にすると甘えが出てしまうのでは、という躊躇いがあったという。NHKでドキュメンタリー番組を長く手がけたディレクターであった監督が、しかし、「テレビを長くやってきたからこそ、テレビでは限界があると感じ」六十歳をこえて監督デビューに踏み切ったのは、米寿を迎えてなお新しい道を求め続ける辰巳さんとの出会いが無関係ではないように思える。
2013.01.12
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備忘録です。なかなかUPできずにいる映画鑑賞記ですが、万一できたら映画のタイトルのところにリンクさせますので、クリックしてご覧ください。ロボジーマーガレット・サッチャー 鉄の女の涙(原題:The Iron Lady)宇宙兄弟マリリン7日間の恋(原題: My Week with Marilyn)一応の推定サラの鍵アーティスト
2012.07.01
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監督脚本: 三島有紀子主題歌 : 『ひとつだけ』 忌野清志郎 矢野顕子声の出演 : 大橋のぞみ モノローグの少女(…実は……)原田知世のエアリーな存在感と、珍しくも100%普通の人を演じる大泉洋の笑顔が、観る人を優しく包んでくれる映画「しあわせのパン」。ロケ地になった北海道洞爺湖町月浦の「cafeゴーシュ」(映画の中ではパンカフェ“マーニ”)の夏・秋・冬・春の物語は、季節の主役たちが湖のほとりでカフェを営む水縞夫妻と触れあいながら、切なく温かく紡がれていく。美味しい食べ物を全身で味わいながら。水縞りえ as 原田知世 【時をかける少女】は本当に時をかけた。ちょっぴりお団子鼻の少女が、笑顔はそのまま、洗練されたオトナの美少女に。生成りの白がなんてよく似合う……。「初恋の少年はマーニだった。」という図書館の記憶とともにゆるゆると始まる冒頭。『マーニ』は毎日自転車のかごに月を乗せて走る男の子。「まぶしいから太陽をとってしまって」、と頼むやせ細った月に、マーニはきっぱりと断ります。少年マーニと絵本の世界を追い続けて、やがて東京で働きながら「たいへん」と向かい合い、「たくさんのたいへん」を抱えた時、「水縞くんが言った。一緒に月浦で暮らそう」。そんな風にして月が美しい土地へやってきた二人は、静かに満ち足りた日々をカンパネラ(イタリア語で「仲間」)と過ごしています。さて、時間を巻き戻しましょう。マーニが大好きな月の願いを断ったのはなぜだったのか。絵本でも映画でも、こんなふうに語られています。「だって太陽をとったら君がいなくなっちゃうから」 (中略)「大切なのは君が、照らされていて君が、照らしているということなんだよ。」二人が焼きたてのパンを割って「はい」と分け合う様子が、とても自然です。「冬」の章で登場する、震災後も続けた銭湯をたたむ決意でやってきた老夫妻。「若い頃は明日は何ができるようになるかとそれが生きがいで生きてる。それが……歳をとるとできないことばかりが増えていくんだ。昨日までできてたことが今日はできなくなる!」と切なくむせぶ泣いた夫の目の前で、パン嫌いのはずの妻が、我を忘れてパンにかぶりつく。「明日もこのパンが食べたいですねぇ。」その姿に「人間ってのは死ぬまで進化するんだなぁ…」と希望を見出す老人の言葉も胸に沁み入りました。
2012.04.16
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監督/脚本: 南極料理人」の沖田修一 ロケ地 : 「栗沢村」=岐阜県恵那市・中津川市・瑞浪市・白川町・東白川村と、長野県の南木曽町体調不良につき、映画もほっこりまったりできるものがいいなぁ、とセレクト。日本のどこか、山間の小さな村で、息子とうまくいかないキコリと、スタッフとうまくやれない気弱な映画監督が出合う。キコリにとっては日常に飛び込んできた非日常。接点がなかったはずの二人が出合うことで、ゆるやかに周りがそして自分たちの生き様が変わっていく。ラストがその後の行方を暗示していていい感じ。ありがちな設定で、ワンパターンでも、こういうのは、いい。 役所広司as純朴なキコリ岸克彦60才 「……はい」 「……はい」 「……はい?」妻の三回忌を控え、家事に精を出す親父。弁当は手作り、洗濯物もぴんとのばしてあって意外にマメ。就活中の息子とは折り合い悪し。ロケ地の案内がきっかけで、いやいやながらも映画作りに協力するうち……ハマる。息子と同じ年頃、同じ名前の“使えない若いの”と交流するうち、自身も変わっていく。いやしかし、役所さん、ゾンビ姿がおみごと。 小栗旬 as 使えない若手監督 田辺幸一 「…すいません」 「…なんか…すいません」 「…すいません」「面白いですか?」「…あの……面白いですか?」「……ほんとに面白いですか?」終盤で父のことを語る場面になって初めて「山形の旅館の息子」だったとわかる。そんな旅館があるなら行ってみたいが。シナリオの裏表紙には大きく自分の名前、その前のページには「自分」と大書してジンクス(映画を撮り終えるまで甘いものを食べなければ無事終了)にたよらないと眩暈を起こしてしまうほどの小心者だった彼が「撮るの?撮らないの?」が口癖のカメラマンに「撮るに決まってるでしょう!」と怒鳴るまでの軌跡。小栗くん、どこがカッコイイのかと不思議だった。「クローズZERO」で納得したものの、それ以外ではやはりかっこよさがよくわからない。今回温泉シーンでは意外にも鍛えられた上半身に文字通り開眼。監督の椅子 「恥ずかしくて座れませんよ」と言った幸一に、勘違いした克彦は手製の椅子を持参する。「ヒノキだで。これなら恥ずかしくないやろ。」私がよくやる聞き間違いも、こんなだったらいいなー。「監督」と書かれた黄色い布がまるで鉢巻のようで、いかにも応援されてるみたい。さぞ嬉しかったろう。克彦が息子の浩一のために作った囲碁盤へ「浩一○才」と彫ってあったように、「幸一25才」と椅子に彫ってあるのがまた微笑ましい。タイトルの意味 キツツキ=きこり、雨=監督の意味かな、と想像したもののよくわからない。気になって検索してみたが「映画を最後まで観ればわかる」などと書いてあってそのくせ答えはなく、ますます気になる。さらに検索。なるほどと思ったのは「Movie Walker」への書き込みだった。『木こりはキツツキが 監督は雨が 悩ましい物なのでしょうか?』
2012.04.07
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今日は江口孫四郎役、宮尾俊太郎さんの舞台挨拶がある上映会。特別鑑賞券を買っておきながら今日まで観ることなくあたためてきてよかった満席で予約できない、と聞いていたので盛況なんだろうな、と覚悟して出かけたのに、何このまばらな空席は……。宮尾さんの挨拶が始まってもまだ点々と残る空間が気になる。せっかくいらしてくれたのに申し訳ないではないか……。映画は初出演という宮尾さん、インタビューの局アナから「所作が美しいと評判でしたが、バレエをしていらっしゃることが関係しているんでしょうか」と尋ねられ、『バレエをしているので、基本姿勢は足を外側に開くんですが、日本の時代劇は“すり足”が基本なんですよね。いつものクセが出ないよう気をつけたつもりでしたが、完成した作品を見たらガニ股になっていて…』とコメント。なるほど、挨拶後の上映で、冒頭の以登との出会いの場面、立ち去る足取りに思わず注目して納得。日本の伝統芸能は腰の高さを一定に保つ水平方向への移動だと思うが、つま先まで神経を使うバレエの影響か歩く時も上下移動に見える。さらに見所を聞かれて、『この映画には、すべての若い人たちが、今、忘れかけているような日本人としての生き様、美しい生き方や美しい情景が描かれているので、是非ご覧ください』と答えてくれた。合間のやり取りで、ロケ地に訪れて再び桜に迎えられた感想を求められ、『真田広之さんが、桜の花を見ていると、お前はこの一年きちんと生きてきたか、と問われているような気がする、とおっしゃっていたのも思い出しましたね。ああ、自分はきちんと生きていないな、と思いました』と軽いジョークで和ませてくれる場面も。画像は映画を観終えた後、帰宅する途中で見つけた桜を撮ったもの。いつもは通り過ぎていた、小さな公園の桜と、川沿いの桜並木にて。帰ってから原作の藤沢周平作品「花のあと」を読み、タイトルの意味がすとんと胸に落ちました。原作はわずか三十数ページ。宮尾さんも語っていたように、孫四郎の心中を描いた表現は一切出てこない。映画は台詞も含めて原作に忠実だったが、細かい設定の違いはあり、より感情移入しやすくなっていたように思う。私だけかもしれないが、「花のあと」というタイトルにこめられた想いは、ラストの設定と台詞がほんの少しだけ削られていたがために、映画ではいまひとつ不鮮明に感じた。映画の設定も好きなのだが、そしてだからこそのラストの違いを生んでいると思うのだが、同じ印象をお持ちの方には原作を読むことをお勧めしたい。
2010.04.29
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シャーロック・ホームズSHERLOCK HOLMES筋肉ムキムキのホームズ。ケンカ上等のワトソン。私のイメージでは知性派で、肉体労働には向かない二人だったのに、そろって素敵に武闘派。目からうろこがべりべり剥がれた感じだが、うん、こんな二人もいいかも。監督: ガイ・リッチー キャラクター創造: アーサー・コナン・ドイル 嫌味なくらいの推理力もいかんなく発揮していて、ワトソンがいなかったら「まともな」生活は送れないホームズは、イメージ通り。出演: ロバート・ダウニー・Jr as シャーロック・ホームズこ汚く奔放に無礼で高慢な、でも憎めない男、ホームズ。敵のブラックウッド卿に指摘されるように、無敵な強さと裏腹な脆さも魅力。ジュード・ロウ as ジョン・ワトソン ジュード・ロウが演じるからには、人の良い小人物的(勝手なイメージ)なワトソン君すら格好いい。偏屈な親友を捨てておけない気のよさはそのまま、でもこちらのワトソンはホームズに対して一歩も引いてないところが新鮮。レイチェル・マクアダムス as アイリーン・アドラー 役作りのメークとはいえ、パンダ状態が印象的なレイチェル。「スターリングラード」でジュード・ロウと共演したレイチェル・ワイズと重なったけど、彼女は『ラブリーボーン』では母親役を演じていて、年齢に開きがあるんだった!モリアーティ教授の正体がいまだ明かされないあたり、シリーズになる期待度大。エンディングの実写(三次元)から挿絵(二次元)になるしかけも面白い。元々小説が本家だから、原作ファンにも嬉しいサービスだろう。そういう私、ホームズ物は『まだらの紐』と『エジプト王の呪い』くらいしか読んだ記憶がない。図書室の隅にある、古い推理小説の本って、なんだか手に取ると呪われそうな気がして怖かったのだ。少なくとも小学生の私には。映画のような痛快時代劇?ならもっと気軽に手にしていただろうに。残念。こちらもちょっと気になる1冊。ホームズの著名な作品をもじっていそうなタイトルが。
2010.04.17
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監督: 富永まい アートディレクションもお見事 原作: 小川糸 『食堂かたつむり』 柴咲コウ … 主人公倫子。夢と恋と声を同時に失う三重苦に遭い おばあちゃんの魔法の糠漬け甕1つ持って故郷に帰る 余貴美子 … 倫子のおかん、ルリコ。 愛読書はきっと「ベルサイユのバラ」だったはず。うん! 志田未来 … ジュテーム・スープの魔法を一番に知った乙女 江波杏子 … 喪服を着続けるお妾さん。 この人が倫子の料理を食べてからの変貌は凄まじかった。日に一度の上映になってしまったこの映画の、開始時刻は17時30分。なぜまたハンパな時間に…と食事時には食べていたい私は思った。が、物語が進むにつれて納得。食べた人を幸せにするという食堂かたつむりの料理を味わうにはもってこいの腹ぺこ時なのだ。志田未来演じる片想いの女の子に出したカレースープはまだしも、“お妾さん”に元気をつけるために腕をふるった料理の数々はもう。 金柑のカクテル&林檎の糠漬け サムゲタン 牡蛎と、甘鯛のカルパッチョ カラスミリゾット 子羊のローストとキノコのソテー ため息だけではなく、おなかも鳴りそうに刺激された。 「おくりびと」で地味な事務員を演じた余貴美子が、一転して華やかにもほどがあるスナックのママを熱演。見かけは逆でも親娘だなあ、としみじみ思わせる要領の悪さと頑固一徹さ。占い師が自分の未来を予測できないように、食の魔法使いは自分自身を幸せにすることはできないんだろうか。そんなことを考えながら観ていたので、ラストシーンは嬉しかった。ペットの豚エルメスもあそこまで手厚くされれば本望だったろう。食べることは生きる糧。料理は、自分も含めて誰をも幸せにする。こんなふうに料理できたら、相手も自分も幸せだろう、とふと我を省みた美味しすぎる映画。
2010.02.27
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港座復活祭第4回上映会では「初恋のきた道」を観に行った私。今回のラインナップは10月23日(金)13:00~「天井桟敷の人々」 19:00~ 「ターザンの復讐」10月24日(土)13:00~「カルメン故郷に帰る」1 6:00~「三つ数えろ」 19:00~「雨月物語」さあ、私が観たのはどれでしょう。(1本だけ選ぶとしたら…)前回は狭い駐車場がすぐに満杯になるはず、と余裕を持って出かけたもののあっさり駐車できたのと、やはりご当地タイムというか田舎時間適用なのね、という読みが仇になり、今回はバタバタになってしまった。久々に「八月」でランチを食べるという野望も露と消え…。ここは、港座華やかなりし?頃のMy駐車場に停めるしかない。すぐ近くのおくりびとロケ地から右折するのだが、嬉しいことに観光客が撮影中でなかなか横切れない。ま、いいか。私も撮っちゃおう!NKエージェントの青い扉の上と、中にも電球の灯りがほのかに灯っているのだが残念。建物の中の灯りは画像では確認できない。さて。昼食のパンはキムラヤで買ったけど、飲み物がいる。さっきお店で買わなかったのは、ロケ地脇にある「NKエージェント」に一番近い自販機で買うぞ、と決めたから。はい。これがその自販機。寒いからね。とにかくあったかい飲み物がいい。買いました。しかしこのベンチ、今日観る上映作品に出てきそうな昭和の香り。どうやら道路を横断し、My駐車場へ。邪魔にならないよう、寄せて寄せて寄せて…。サイドの岩壁(画像ではわかりませんが、神社手前は両側がずっと積まれた岩で壁になっています)に、がっつりぶつけて泣かないようにまた寄せて。ああ、懐かしい。最終上映を観終えてから戻ってくる時なんて、木の葉のざわざわなる音にびくびくしながら車を目指したものだっけ。今日は明るいうちだから余裕♪いい感じに紅葉している境内。手も合わせずに通過してごめんなさい。ん?なかなか本題に入れないうちなんと画像の容量を超えてしまった模様。以下次号に乞うご期待!
2009.10.24
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米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」ロケ地(主人公の初仕事?納棺の仔細をビデオ録りする場面)で一躍有名になった港座は、私のメモリアル映画館。6月にめでたく復活を遂げ、その名もずばり「港座復活祭」上映会を毎月実施。3回目になった先月の上映作品は「おくりびと」。残念ながらお盆の接待で行けなかったが、映画のロケ地でその映画を観る…旨みのある企画ですよね。今回はすっかり世界的女優になったチャン・ツィイーのデビュー作「初恋のきた道」が上映される。これは観たい!階段を上って2階が映画館。下の駐車場の狭さは、勝手知ったる港座。10台も停められないスペースが無くならないうちに、と早目に出たら30分も前に着いてしまった。…と、劇場前の階段下に人生の盛りを迎えている人や迎えつつあると思われる、つまりは同世代かな~と思われる人々が何人か、おしくら饅頭するの?状態に集まっている。中に飛び抜けて大きい、軽部アナを脱力させたような顔が…あれは、そう!私の知人ではないか。そうそう、スタッフなんだよね。手を振って懸念の駐車場のことを尋ねてみたら、あっさりまだ下の駐車場に停められるという。帰りは出るのに苦心する(狭いし鍵型だから)だろうな、と思いつつ突っ込む。いや、何度もハンドルを切り返して友人に誘導してもらって出たあの日々を思い出して、いっそ懐かしい。普段からは考えられない愛想のよさで中に案内してもらう。壁には懐かしい当時のパンフレットや映画案内が掲示されていた。物持ちのいい方っているもんだなぁ。私もやたらと取って置く派だったが、整理能力がない事を思い知ってからは定期的に捨てているので、当然当時のものはない。古い雑誌や漫画本もボランティアスタッフの手で準備されていて、自由に手に取れるようになっていた。もう1つ、コーヒー好きにはポイントが高いおまけが。酒田市内の老舗のコーヒー店「ケルン」のコーヒーが200円で飲めます。いつかこのお店の「アイリッシュコーヒー」も飲んでみたい。映画を見るともれなくサービスチケットをもらえます港座周辺は飲み処が多いので飲兵衛の方には嬉しいおまけ町興しもかねて心と想いを合わせた復活劇だったんだなぁ…とあらためてしみじみとした夜でした。
2009.09.26
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庄内町文化創造館通称「響ホール」へ出発。 今日は“響・映画村2009「山形が舞台の映画祭」”があるのです。 午前9時30分上映開始で09:30~11:40 「おくりびと」12:30~14:20 「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」15:00~17:00 「たそがれ清兵衛」の豪華三本立て。何度でも観たい「おくりびと」&「たそがれ清兵衛」に、いつか観たいと思っていた「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」(略して“ぼくちゅう”だと知ったのは本日ただいま。ピカチュウを思い浮かべたのは私だけではないと信じたい)のラインナップ。 思わぬ新型インフルエンザの流行で「閉ざされた空間に丸一日」過ごす影響を考え迷ったが、ここはマスクを装着しクリア。(眼鏡者なので、耳にかかるマスクの紐が長時間にわたると頭痛の元になることも。結構思い切りが必要なのです、私の場合。) 1本目から早々に音声の不調で聞き取れず、ばかりか「雑音で頭が痛くなる」と席を立ってしまった観客もいたのですが、調整中(実は調整後も低音部の音が割れ、クリアな音質になったのはようやく3本目)じっと我慢の子になり“やっぱり観てよかった"と思える夢の三本立てを堪能しました。1つひとつの感想は後日紹介……できたら、いい、と思います(^^;) 他にもいくつか用意されていたイベントの中で、興味深い話が聞けたのは幕間のトークショー。YBC芳賀アナウンサーと「ぼく駐」原作者ママチャリさんの30分弱の短いお話でしたが、原作者ならではのナマ情報がてんこ盛り。 「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」はそもそもブログで毎日1話ずつ更新中の小説が映画化されたもの。普通本になると、元もとのブログは閉鎖されてしまう。そりゃそうだ。その方が本の売れ行きがよくなるわけだし。しかしここでママチャリさんはごねた。ごねた結果、それでもいい、と条件を飲んだ小学館から「ぼくちゅうシリーズ」が発行され、ブログは今日も更新されています。 ブログにアクセスすると「駐在さん」が山形県警(なんと庄内町が合併になる前の余目町に勤めていたかも?!庄内勤務であった事は間違いないそうだ)であるとわかるのですが、映画の方は、脚本家の方が栃木県出身だったため、栃木県警になっているのだとか。映画のラストでもナレーションが流れるのですけど、2作目3作目を意識して『700日戦争』のうち108日目までを描いている設定。配給元がこけて実現せず、現在ドラマや映画で別のオファーがあるらしい。次作は「絶対(ロケを)山形に引っ張ってきますから」とママチャリさんが約束してくれてたので、山形ロケの傑作がまた1つ増えそう。楽しみだな~ そうそう、映画では1979年の出来事になっているけれど、実は1975年の出来事だそうです。当時中学生で原作の半分は実話…って事は、う~ん、何を隠そう、私の時代とほぼリアルタイム?ママチャリさんは当時S鷹町の中学生で吹奏楽部。当時三強といわれた米沢2中、そしてどうしても勝てなかった余目中と渡り合うため、大会当日かな、トランペットのマウスに辛子を塗るぐらいはやってやろうかと控え室に忍び込もうとした事もあったそうです。未遂に終わったのは番をしていた一年生の女子がものすごく可愛い子だったからだそうで……。いやぁ…作品を地で行く生活でしたね。ん?逆か。実際の日々を元に作品を綴ったのでしたっけ。 トークショーの後、短い時間でしたがサイン会もありました。1冊目は甥っ子あて、2冊目は私あてにサインをしてくれました。ママチャリさん、ありがとう。
2009.09.20
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三川町文化交流館(通称アトク先生の館)は映画「おくりびと」のロケ地。美人な留男君や、ルーズソックスを履いてみるのが夢だったというお婆ちゃんの納棺シーンを撮影した所。ポスターにも使われています。この館は……なんていうんだろう……住んでいた人の温もりを感じるし、手入れのよさが、今も大切にされている幸せな空気を漂わせているような気がします。お庭は野草園になっていますが、こちらは残念ながらあまり手が入っていない様子。池まで数歩の、こじんまりとした落ち着きのある庭なんですけど。贅沢にも訪問者は私だけでしたので、お庭を眺めながら読書も楽しんじゃいました。館の奥は田んぼが続いています。朝晩は肌寒く感じるくらいになりました。田んぼの稲も実り時。遠くにお山も見えました。
2009.09.14
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『サブウェイ123 激突』THE TAKING OF PELHAM 123監督: トニー・スコット 原作: ジョン・ゴーディ 脚本: ブライアン・ヘルゲランド 出演デンゼル・ワシントン ウォルター・ガーバー 地下鉄運行指令室に左遷されたばかりに、人生のジェットコースターに乗った男。役作りのためか、かなり増量。彼自身はあまり牛乳が好きでないのかも。ジョン・トラヴォルタ ライダー 悪人をやらせたら天下一品。二枚目ではない甘い顔が、底冷えのする絶対悪に効果大。サタデーナイト・フィーバーのフロアのキングがこうなるなんて、一体誰が予想しただろう。ジョン・タートゥーロ カモネッティ警部補 犯人から苔にされてもめげないプロの交渉人。役柄、嫌なヤツになるか、印象が薄くなりそうだが、どうしてなかなか鮮烈な印象。ジェームズ・ガンドルフィーニ ニューヨーク市長 清濁合わせ持つってのは、政治家として必要条件なのだろうとは思うのだけど。イイ女には騙されそうだから気をつけて欲しい。1974年の『サブウェイ・パニック』をトニー・スコット監督がリメイク。この作品を観ていないので比較は出来ないが、役柄や雰囲気もかなり異なっているらしい。(前回の主人公は少なくとも指令係ではない)犯罪者たちに選ばれたのはニューヨーカー500万人の足、地下鉄。「ペラム123号」が乗っ取られ、19人の乗客を人質に、市長に対して1000万ドルを要求。制限時間1時間。カウントダウンは始まる。「あと59分!」1分遅れるごとに1人ずつ殺すという殺人予告付。なぜか犯罪グループのリーダー、ライダーに交渉係に指名されてしまうガーバーは指令係。普通の夫、普通の父親、普通の職員。しかしある容疑がかかっていた…。主役級2人の掛け合いはさすがに見事。脇役もスパイスが適度に効いていて、ドラマにリアリティを添えている。テンポもいい。大事件の割りに犯罪計画が甘いのはちょっと残念。案外さらりとした結末で、ライダーの「孤独」(とラストの対峙場面で口にしたと思うのだけど…)が特に解説されていない分、「頭も性格もキレる男」としか映らないので、ガーバーへの最後の問いかけの意味が消化不良気味。ストレートに「カソリック」だから、と考えていいのかな。「空挺隊」そして最終的な解決に銃が使われる事をアメリカ的、と流していいのか気にかかる。市長の「約束」も。自分自身を清廉潔白とは思っていないし、大岡裁判だってすかっとするのは、ルール通りに白黒ばかり大切にしているわけじゃないからなのは、わかっているつもりだけど。映画自体も日常の風景で幕を引いているのに、最後の彼の笑顔ほどには満ち足りない気分。
2009.09.11
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原作: 小林多喜二 監督 脚本: SABU 出演: 松田龍平 不思議と人を魅了する新庄 最後に写真で明かされる彼の実家の表札に注目 西島秀俊 「これは戦争だぁっ」「日本男児たるものぉっ」が口癖の鬼監督浅川… なんだけど甘い風貌が仇になったか久しぶりに書く映画の感想として取り上げるにはどうかな…と正直迷った。「2週間限定上映」と松田龍平に釣られて観に行ったものの、映画というよりは劇、のような。小林多喜二が書いた、プロレタリア文学の記念碑のようなこの作品を、私はまだ読んでいない。ただなんとなく「蟹」が暗くて狭い場所に押し込められて強制労働させられる人々を比喩したものかと想像していた。ストレートに蟹を捕まえて煮揚げては缶詰処理する工場のような船のことだったんだな、と知った時にはちょっと意表をつかれたと感じたくらい。原作ではどうかわからないが、場面設定が船の上だから、背景に大きな変化はない。息詰まるような切なさや苦悩に通じるものであれば、それもまた効果的といえるが、若い世代中心で同じ年頃の人間が多かったせいか、イケメンが多くリアリティに欠けたせいか、冒頭で書いたように、まるで劇…どちらかと言えば学芸会のように感じてしまった。若手を起用して垢抜けた「蟹工船」に仕立て上げようという意欲があったのだろうと思うが、残念ながら成功したとは思えない。現代とあまりにもかけ離れたこの労働風景がどこから来ているのか、時代背景の説明がもう少し欲しかった。これではいきなり切り取られた想像上の空間か、と首を傾げてしまう。う~ん、そういう意味では漫画にも近いものがあるか。松田龍平目当ての私としては、松田優作そっくりの声のトーン、語り口に、DNAの素敵な贈り物と心をときめかせていたので、そういう収穫はあったのだけど。高良健吾くんはなかなかに整った美男子なので、別の作品でまた会いたいものだ。
2009.09.08
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世界に誇るアカデミー賞第81回受賞式(2009年2月22日)で、みごと外国語映画賞に輝いた「おくりびと」。そのロケ地になったのが山形県庄内地方と上山市。今日は主人公大悟が鳥海山を背景にチェロをひいた月光川河川公園を通った。橋を渡ってその向こう。椅子がそのまま固定されて残っている。もう少し近づいてみよう。今日は曇りで鳥海山が見えないのが残念。下から見上げるとこんな具合。石の色がいい感じ。晴れた日も爽やかだが曇りの日も雲に勢いがあってまたいい。周囲を見渡してみる。緑が濃く、精気に満ちているが、映画の中ではまだ早春だっただろうか。大悟が美香に石文を渡すシーンはこのあたりで撮られたのかどうか。水量が豊富でよくわからない。 橋の向こう側から、あらためて向かいを眺めるとこんな風。 ちょっと寂しいので誰かに腰掛けてもらおう。うん。いいな。落ち着く。今日は道に迷ったおかげでいろんな場所を訪れることが出来た。ラッキー
2009.07.11
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監督脚本: リチャード・ラグラヴェネーズ 原作: セシリア・アハーン 『P.S.アイラヴユー』いつも君のそばにいる、と囁いていた夫が突然逝ってしまう。呆然とひきこもるホリーの元に、もういない夫からの手紙が届いた。1通、そしてまた1通。まるで今も見守っているように正確に。ヒラリー・スワンク as 19歳で結婚した元アート専攻のアメリカ人妻 ホリー スワンクは美人じゃない。でもなんとなくチャーミングなのだ。いかにもアメリカ人女優らしい魅力。ジェラルド・バトラー as 超セクシーで陽気な元バンドマン、アイルランド人夫 ジェリーここまで妻&その行動パターンを理解している男って、アメリカには多いんだろうか。トレビアン!いやでも、少ないから映画がヒットするんだろうなぁ、女性に。リサ・クドロー as シングル・非ゲイ・職あり・セクシーが理想の デニース ジーナ・ガーション as 頼もしいしっかり者の同僚 ビッグママ シャロン キャシー・ベイツ as 一人で娘二人を育てあげたホリーの母 パトリシア ホリーを支える家族や親友たちが温かい。悲しみにくれるホリーに共感しながらも、こんないい人たちが、当たり前にいると思うなよ!とはっぱをかけたくなるくらい。台詞は結構辛らつなのにね。キャシー・ベイツが秀逸。冒頭の激しい口喧嘩とその後のLOVELOVEはお決まりのパターンだが、二人の掛合いはお見事。登場人物の基本設定をコンパクトに伝えて無駄がないし、何よりジェリー(役名も同じだ)の愛すべき人柄と底抜けなセクシー度がたまらない。ブラボー。もういないはずの夫から届く10通の手紙が、ホリーへの呼びかけと同時に思い出を綴っていく(時系列がアットランダムなのもまたいい)手法も観客をつかむ。世の中こんなに甘くない、と思う心を押しのけて、涙があふれてきてしまった。私はジェリーのような男性を追いかけ途上なので、ひたすら感激してしまったが、この映画、既婚者と独身では受け止め方が違うかもしれない。今回脚本も手がけたリチャード監督は、『マディソン郡の橋(1995)』の脚本も書いている。ジェリーが企画したアイルランドへの旅で、ホリーにロマンス心を思い出させたウィリアム(ジェフリー・ディーン・モーガン)が、漂流中のボートからホリーたち三人を救助してくれた夜。彼がシャワーを浴びている水音や影に気をとられてホリーがドキドキする場面が出てくる。『マディソン郡の橋』にも似たような場面が登場するが、年齢や設定が異なるせいもあってか、クリント・イーストウッドとメリル・ストリープの身がよじれるような切なさとは違ったコミカルな演出になっていた。ターゲット層が違うのだろう。そう言えば、ホリーのファッションも見ごたえがある。若い(と思っている)女性にはアタリの映画だろう。ええい!ジェリーの魅力との素敵なW攻撃に素直にノックアウトされて、純愛モードに浸ってしまえ。
2008.11.24
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監督 脚本: 犬童一心 原作: 大島弓子 『グーグーだって猫である』 音楽: 細野晴臣 13年間お互いの人生を見つけあってきた最愛の猫サバが締め切りの日の朝、静かに息を引き取る。少女の姿で「さようなら」の言葉を残して。グーグーと名付けられた子猫との出会いをきっかけに人生が再び動きだす。小泉今日子 as ベートーベン頭の人気漫画家 小島麻子 キョンキョンがいいトーンで演じてくれている。もう、この声がなんともいい感じ。原作者大島弓子独特の浮遊感を、リアルな悲しみや切なさを添えて体現している。加瀬亮 as 原作には出てこない麻子の恋の相手 青自 満月の夜、ナイフを持って夫の相手の元へ駆ける母親(注)。麻子が描いた漫画の一場面に、離婚した母の姿を重ね「横顔がさ、怖くて、でも綺麗なんだよね」とコメントする一風変わった男。 注:『夢虫・未草』(ゆめむし・ひつじぐさ)。主人公の少女の父親には好きな女性 ができて、ある朝突然の離婚宣言。相手は同級生の男の子(しかも悪ガキ)で。上野樹里 as 「21世紀(と天才漫画家麻子の血脈)を守る会」の 実質的な会長にして麻子先生命のアシスタント ナオミ 高校時代、ASUKAに掲載された「四月怪談」に号泣して漫画家を志したお元気ナイーヴ娘。森三中と吉祥寺で大人気のメンチカツを頬張る姿に、ちょっと「のだめ」がのぞいてる?こちらも原作にはない役らしい。林直次郎 as ナオミの恋人でミュージシャンの卵 マモル初出演の「檸檬のころ」では真面目なのにどこかコミカルな軽音楽部の高校生役でいい味を出していた平川地一丁目・弟の2作品目。目元がね、「よっ!直次郎!」と声をかけたくなる歌舞伎調で凛々しい。漫画を愛して愛されていた(気がする)青春時代、大島弓子作品は、萩尾望都作品と並んで私のバイブル。原画やコンテが登場するので、私は懐しさで胸がいっぱいになってしまった。食べる時間ももどかしく、浸っていたあの頃(でも食べた)。漫画が人生の全部と思えたのに、読まずに過ごす日が増えてしまっている今の自分を、急に不思議に思う。こんな日が来るなんて。私はいつどこで、何と交換してきたんだろう。他人を見るように今の自分をいぶかしく思いながら、意識はあの頃へ飛んでいく。猫好きな人と同世代の漫画少女(?)にはたまらないかも。「あんたの漫画は悲しいな」(でも元気が出る)と青自が言う。両大作家に共通するのは、哀調や郷愁を帯びた透明感だと思うが、大島女史の場合は、段々とエア感を増していった気がする。幽かな温度と色のある空気、天国と地上の中間に漂流する意識体。その分、死神にも近かったのだろう。麻子が青自と並んで寝転んで「あ、空を見下ろしてる」と微笑むシーンがある。彼女にとってこの世界はそんな風に見えているんだろうな。ひたすら漫画が好きで、「みんなが幸せになれる」漫画を描きたい、と夢見ていた中学二年の麻子。居酒屋で酔っ払った青自(実は酔っ払ったふりをしてパンツまで脱いじゃう作戦発動中)をとりあえず連れ帰り、パンツ一丁で大の字になって寝る(そんなわけで狸寝入りだったわけだが)彼にため息をつきながら、グーグーに向かって「みんなって誰だよ。ねぇ」と語りかける麻子。病室に案内する大ファンだとはしゃぐ看護婦に、「私の作品はそれほど私を幸せにしてくれません」と訴える麻子。猫は人間の3倍の早さで生きるという。3倍の早さで生き抜いたパートナー、サバを見送り、長い喪があけて麻子が描いた作品は『8月に生まれる子供』。18才の大学生びわ子が、ある夏急速に老化するという病気になってしまう話。老化のプログラムは生来仕組まれているのか、癌のように突然変異するものなのか。私はまだこの作品を読んでいないので、大島弓子がどんなラストを用意しているのか楽しみでたまらない。「大島弓子セレクションセブンストーリーズ」(角川書店)は、映画で取り上げられた7作品が収められている夢のような作品集。早速注文。「二番目に飼われる猫は幸せだ。死んだ猫の分まで可愛がられる。」麻子の独白。想いは足し算なんだなぁ。死によって、引き算されることがない。可憐な少女姿で登場するサバだが、作品中ではちょっと気難しそうな背高男。作品にはない登場人物や設定でも、大島弓子作品の熱烈なファンである監督が、原作を大切にしたまま三次元世界へ転写してくれている。
2008.11.23
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監督: 西谷弘 製作: 亀山千広 脚本: 福田靖原作: 東野圭吾 『容疑者Xの献身』 主題歌: KOH+ 『最愛』 福山雅治 as L・O・V・E あいらぶガリレオ♪ご存知天才物理学者 湯川学なんてスタイリッシュなコート姿。雪山仕度までもが素敵。「お前はいいな。いつまでも若々しくて」容姿なんか気にしないはずの石神ならずとも、同級生でしかも同性なら云いたくなるのがわかる。 柴咲コウ as 今回は正直あまり出番がない内海薫 警察現場はまだまだ女性に厳しい・・・・・・そんな描写は今回のテーマに必要だったのかな、はて北村一輝 as 草薙俊平 相変わらず濃いなぁ。内海同様今回は出番が・・・・・・あ、あった、存在理由が。松雪泰子 as 美人(ここがポイント)の弁当屋店長 一人娘と石神の隣の部屋に引っ越してきた 花岡靖子「フラガール」に較べると出番が多い割りに地味な役所なんだけど、巧い。流石だ。母親として、女として、健気に生きながらも、人間臭く、感謝と疑惑の間を行きつ戻りつする心の揺れを好演。堤真一 as 天才物理学者湯川が認める、帝都大学同級生の天才数学者 石神哲哉原作を読んで私が思い浮かべたのは秋葉系のオタク。「ダルマの石神」との異名をとってたっていうんだから。よかった。堤真一で。わざわざ映画館に来てお金払ってダルマなんか見たくないって。今回の私は実に素直に感情移入して感動できた。本を手にする、おそらくはファンである読者に伝わればそれでいい、という媒体から、エンターテイメントとして誰にでもわかりやすいストーリー展開が求められる映画、という媒体に変わることで、度の過ぎた「献身」が観客の拒否反応につながらないような雰囲気作りとなっているのも大きなポイントだろう。しかし男は顔!の私にとって、これは偏に、猫背で老け顔のキーマン石神役を、堤真一が演じてくれたからに他ならない。随分前にベストセラーになった柴門ふみの『恋愛論』、天邪鬼な私はブームが過ぎてから斜め読みしたのだが、「女は頭でなく肌で考える=生理的嫌悪が最優先」という件で、譲れない部分に個人差はあるのだが(例えば眉毛のない男はどうしても許せない)、女にとって外見は非常に意味がある、うんぬんの記述に深く深~く共感していた私だから、ブオトコ(「醜男」では文字面のインパクトが強すぎる!)がいかに献身しようと、きしょい(我ながら酷い)としか思わず涙は出ない。あげく献身される側に同情したりして、テーマの逸脱もはなはだしい事態になりかねないのだ。冴えない風貌を全力で演じる堤さんに感謝を捧げる。クライマックス間近、天井の染みを眺めながら石神が思い描く4色問題。「隣同士は同じ色に染まってはいけない」の一言は、単に物理的な「隣同士」に限らず、彼がさっぱりとした表情で呟くからこそ奥深く響く。石神の通勤路に暮らすホームレスの生活に触れて「時計を捨てて初めて時間に敏感になる、ふむ、実に面白い」と漏らした湯川の言葉を、石神はどんな想いで聞いていたんだろう。
2008.10.05
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監督脚本: 中島哲也 CG 増尾隆幸 主題歌: 木村カエラ 『memories』 原作: 後藤ひろひと (舞台『MIDSUMMER CAROL ガマ王子vsザリガニ魔人』) 役所広司 as大貫(ガマ王子) カエルにはうるさい私が「ガマじゃないし・・・・・・アマガエルじゃん!」なんて突っ込みも浮かばないほど夢中で観た。一代で富を築いた『クソジジイ』大貫の、寝巻きにガウン姿はまさにリア王。いや、原作の内容をまったく知らないがこの筋と『ミッドサマーキャロル』のタイトルからして、『クリスマス・キャロル』の主人公、守銭奴のスクルージ?役所広司、天晴れ。アヤカ・ウィルソン as パコ 天使降臨。この愛らしさが逆説的に、ファンタジーを現実味のあるドラマにしてくれている。そろいも揃って癖のある大人たちがそろって守りたくなる少女は、うん、これくらい無垢な美少女でないと。國村隼 as木之元(ガマ姫) この人にオカマ役を振った監督って偉い。目にも胸にも焼きついて離れない。妻夫木聡 as 室町(ザリガニ魔人) どこに出ていたのかと思ったが・・・・・・まさかのまさかだったなぁ。ヤラレタ。山内圭哉 as龍門寺(ミズスマシ君) 「体から出たもの」は○○を悼む記念のペンダントとして今も胸に輝く?のだろう。土屋アンナ asタマ子(メダカちゃん) この人はもうね、不良娘をやるために生まれてきたようなお人。阿部サダヲ as堀米(ヤゴ) うっかり手を置くと「ピンポーン」が鳴りそうでドキドキ。最後のオチにもビックリ。加瀬亮 as浩一(アメンボ家来) 変わった風貌だけど癒し系。雨のシーンを一人真面目に考えてるトコなんて、ぐぅ~っ。小池栄子 as雅美(沼エビの魔女) 誰だこの巨乳。コワさが松雪泰子を思わせるが、胸であっさり判定負け(勝ち?)。劇団ひとり as滝田(サカナ) 一人まともなキャラ。消防士魂が人ひとりを救って、劇の演出も救った。いいぞ!上川隆也 as浅野(タニシ) ピーターパンがダメだからシンデレラって、脈絡がわからん・・・・・・。カエル好き=カエラー必見。主題歌を歌うのも木村カエラ(ミイラ少女のような扮装で物語にも登場した歌姫)という、どこまでも芸が細かい、カエル好きのためのカエル映画・・・・・・なわけはなくて。笑いも涙も1冊に詰まった大人のためのファンタジー。観終えてみると、大人も子どもも一緒に笑って泣ける映画ではないかと思う。笑いのツボや泣き所が多少ずれてたっていい。(実際親子連れや中高生の女の子同士が多かったが、子どもたちの笑いは微妙にずれていたし、同時に笑っても可笑しさの理由が違っていたはず)色の魔術師として著名なチャン・イーモウ監督(北京オリンピックの開会式・閉会式の演出も担当)を髣髴とさせるこのカラフルなビジョン、どこかで観たような。デ・ジャヴュ?いやいや、あの『嫌われ松子の一生』を撮った中島哲也監督作品だった。なるほど。コミカルでテンポがいいのは本来の持ち味だろうが、場面の切り替えや台詞回しが芝居がかっているような、と感じたのも当然で元は舞台作品だったんだなぁ。もっとも『松子』の時も原作は小説で、ハンパでなく悲惨な主人公の転落人生を、星・花・小鳥がきらやかに舞い踊り星の粉が飛ぶCGやミュージカルシーン仕立てで演出していたから、この監督の作風自体が舞台を感じさせる手法なのかもしれない。飽きさせないストーリー展開、仕込んだサプライズもお見事。 大貫 「私は弱くなってしまったんだろうか。」 医師浅野 「弱いのがいけないんですか?」 大貫 「泣いたことがないから涙の止め方がわからない。教えてくれ。」 医師浅野 「いっぱい泣けば止まりますよ。簡単です。」人間なんて、が口癖の掘米がタニシの扮装をして池から飛び出してきた時の、医師浅野とのやり取りも絶妙。 「バカにつける薬なんか・・・・・・(ないですよね)」 「薬はないですけど、療法だったら色々。 とりあえず人間だって気づいてくれれば殻をやぶれますよ。 そもそも人間には殻はありませんから。」登場人物たちは、それぞれが傷を抱えている。病院だから医師も看護婦もいるが、傷口がぱっくり開いた時、癒しているのは患者同士。医師たちはその手助けをするに過ぎない。閉ざされた空間の中での不思議な連帯感。絵本のページを分け合った人たちはその後どんな人生を生きたんだろう。
2008.10.03
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『幸せの1ページ』 NIM'S ISLAND 監督 脚本: マーク・レヴィン 原作: ウェンディー・オルー 『秘密の島のニム』(あすなろ書房刊) アビゲイル・ブレスリン as 思考も肢体も輝くばかりに健康的な ニム・ルソージョディ・フォスター as 世界を股にかける冒険家の生みの親は 潔癖症のひきこもり作家アレクサンドラ・ローバージェラルド・バトラー オペラ座の怪人が、今回は世界一有名な(小説上の)冒険家アレックス・ローバーと、海図にない火山島に住む科学者ジャック・ルソーの一人二役。ガラガラ声の荒くれ者になりきって楽しそう。なんてストレートでわかりやすい!ジョディが「やっと息子たちにも見せられる映画に出ることができた」と語ったのもわかる。京極夏彦の百鬼夜行シリーズを読んでいたところだったので、独特の湿り気や理屈っぽさ(それはそれで実に蠱惑的でどうにもとまらないのだけど)が払拭されて、まるで憑き物が落ちたように爽やか。心がほっこりするのは、ジョディ・フォスターやジェラルド・バトラーという私の好きな俳優がそろって出演しているからだけではないだろう。ニム役の少女アビゲイルがなんて愛くるしい。おやすみなさいの儀式をはじめ父との深い絆と愛情、ペリカンのガリレオやアシカのセルキー・トカゲのフレディーとの固い友情にも胸がはずむ。(海亀とトカゲがじゃれ合うのは知らなかった)つねに「強い女」のイメージがつきまとうジョディが、対人恐怖症の作家役でアパートから一歩も外に出られない、という役柄を自ら強く希望して演じたのは正解。それだけでパロディのような可笑しみがある。『300』でマッチョかつストイックな王を演じた(をもじってか海で叫ぶシーンがどうも『300』の場面に重なる)ジェラルドの甘い父親っぷり、あのがらがら声がいい。「海洋学者のくせに」ミクロン単位の微生物には愛情たっぷりでも、ニムの友だちの動物達にはいまひとつ関心がない様子がさらりと紹介されているのも、一面を伝えて楽しいエピソード。アニメーションやCG(ラストのエンドロールに注目)も違和感のない使い方で○。ああ、いい心の洗濯になった。それにしても邦題を「幸せの1ページ」としたのはどういう趣向だろう。最後の最後にモノローグで語られるニムの言葉からとったのはわかるが、チラシにしても日本版はずいぶんとジョディ中心だ。知名度の高い大女優だから当然の扱いかとは思うが、原作と同じNIM'S ISLANDというシンプルなタイトルでもよかったんじゃないだろうか。どうも女性向けと解釈されて(「幸せの1ページ」に子どもは食いつかないだろう)一番観て欲しかった子どもたちが観る機会を無駄に奪ってしまったような気がして、なんだかとってももったいない。
2008.10.02
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『ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発』 The Monster X Strikes Back/Attack the G8 Summit 監督 : 河崎実 加藤夏希 as スタイリッシュすぎる東スポ記者 隅田川すみれ 加藤和樹 as イケメンすぎるカメラマン 戸山三平ザ・ニュースペーパー三人衆は・・・・・・ 松下アキラ as 元首相大泉純三郎 福本ヒデ as 伊部三蔵首相 渡部又兵衛 as 福田総理かと思いきや ナゾの村人 ビートたけし as あまりにもファンキーな守り神 タケ魔人 特別出演: ニュースのコメンテーターとして言いたい放題の みうらじゅん リリー・フランキー そして・・・・・・これが遺作になった 故水野晴郎氏は、名台詞をもじって「ギララって本当にいいもんですね」と語っていたように思うのだが、あまりに弱々しくなってしまった風貌にショックを受け、実は聞き逃してしまった。CGを使わない郷愁の特撮映像が、色調も含めレトロでいい。なんて知ったかぶりをしてみたが、その昔特撮物に燃(萌?)えなかった私はタイトルを見て、「なんで逆襲?ってことは前作もあるの?」と素朴に疑問を持ったことを正直に告白する。『宇宙大怪獣ギララ』は、ゴジラ(東宝)・ガメラ(大映)に代表される怪獣映画全盛期、松竹が一本だけ作った怪獣映画だとか。およそ40年もの時間を経て今回「逆襲」に及んだ模様。もっともヒロインのすみれの脳裏にフラッシュバックした映像から推理すると、ギララとタケ魔人は歴史の節目で攻防を続けてきたようだから、今回が正式な逆襲なのかどうかは不明である。(松竹映画じゃないし。Byギララ2008製作委員会=松竹+衛星劇場+ウェッジホールディングス+リバートップ+トルネード・フィルム+デフスターレコーズ+ファミマ・ドット・コム・・・・・・だそうだ。なんて長い・・・・・・。)それにしても。美男美女(特に加藤夏希の身も世もない信者?っぷりがスゴイ)が『ネチコマネチコマ♪』(繰り返して口ずさんでみよう)と、ビキニラインを強調する例のポーズで踊りまくる様子は、可笑しいを通り越して鬼気迫る感じすらしてくる。ラストのタケ魔人の高笑いにいたっては懐かしすぎて涙が出そう。ビートたけしのモニュメント映画といってもよさそうな。ザ・ニュースペーパーによる歴代総理のワハハな脚色に加えて各国首脳のありそうな言動が笑える。フランスのソルコジ大統領の決め台詞、あまりに下ネタだが、バカ受けだったので紹介させて欲しい。『僕のエッフェル塔は凱旋門(君)をくぐりたくて抑えきれなくなっている』・・・・・・爆笑!三丁目の夕日さながら、夕焼けを背景に踊るギララのシーンがなぜか一番好き。少年少女合唱団による歌声が夕空に澄み渡る。『童は見ぃたぁり♪野中のギラーラっ♪』最後のギラーラっが、微妙に字余りでほのかに可笑しい。なんとこの夏の終わり、第21回ヴェネツィア国際映画祭で上映されちゃったそう。ポスターがメチャかっこいい(なんだかスターウォーズのようにも見えてくる)気がする私は西洋かぶれだろうか。
2008.10.01
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王妃の紋章 CURSE OF THE GOLDEN FLOWER 満城尽帯黄金甲 監督/脚本: チャン・イーモウ 「HERO」「LOVERS」で溢れる色彩と映像の魔術を見せてくれた監督の、これまた豪華絢爛絵巻。唐が滅亡してから各地で王が名乗りを上げた五大十国時代。群雄割拠、というよりは分裂・混乱期だろうか。この時代の王はみな軍人出身だったらしいから、日本でいう下克上の時代だろう。この作品の王も「元は一介の軍人」だったみたいだし。キンキラキンな装飾は、成り上がり者の見栄だけじゃなくて、とにかく権威をこれでもかっと見せ付けないことには「俺だって」という輩がいつ現れるかわからない、不安な時代の様相を反映しているのかも。王 チョウ・ユンファ 優しい微笑も鎧代わり “黄金の一族”の頂点王妃 コン・リー 憂い顔がここまで似合うなんて。ブラボー。さすが大女優。長男 祥(シャン)王子 リィウ・イエ 男は優しいだけじゃ生きていけない次男 傑(ジエ)王子 ジェイ・チョウ 一番まともそうで実は深刻なマザコンだろうか三男 成(チョン)王子 チン・ジュンジエ 可愛い顔してババンバ~ン 子どもは独占欲が強くて拗ねるもの蒋嬋 リー・マン 可愛い顔してババンバ~ン (こちらは胸が) 幕開け、恋占いのデイジーのように1枚ずつ散り重なる花びらの質感に思わず見とれてしまったが、今となってみればあれは菊の花びらだったのか。いやあ、とにかく圧巻。さすが白髪三千丈(km換算でざっと10キロ近い長さって・・・)の国。元祖「寄せてあげる」ブラかと思われるコスチュームも印象的。この時代JARO(ご存知、誇大広告などを監視する「日本広告審査機構」)はなかったしなあ。ここまで絢爛だともはや感動。オリンピック宣伝映画でもあったかしら。初めてタイトルを目にした時、かれこれ30年近く連載中の超大作『王家の紋章』(最新巻は第53巻)を思い浮かべたのは私だけかな。
2008.06.28
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監督: 樋口真嗣 脚色: 中島かずき時は戦国時代。国境を接する早川、秋月、山名の三国は危ういバランスを保っていたが、天下取りの野心に燃える山名が小国の秋月を急襲。ほどなく陥落させてしまう。生き残ったただ一人の世継ぎ雪姫と、秋月の隠し財宝を血眼で探すが・・・・・・。黒澤明版は『スターウォーズ』の下地になり、登場人物のキャラクターを模して、レイア姫や&R2-D2が誕生している。さて今回のリメイク版は。 時代劇初挑戦!ジャニーズの王子様“嵐”の松本潤 as 二枚目で目端の利く山の民 武蔵今回の脚本・キャストで大幅に変わっていたのがこの人物。二階級特進の荒業。「スラムダンク」「バガボンド」を生んだ漫画家井上雄彦氏が手がけたポスターでは、主人公の武蔵(たけぞう)が冒頭で入れられた牢獄の格子から外を窺う姿を、野性味たっぷりに表現。「花より男子」のセレブ王子がワイルドに変身♪と手放しで喜べるファンには嬉しいキャストか。美形の出演に文句はないが、私は枯れた味わいが好きだから・・・・・・。 長澤まさみ as 秋月家唯一の生き残り雪姫落城後お家再興を果たすためとはいえ、忠義の者たちを犠牲にしてまでも落ち延びねばならない辛さに心を痛める、正義感に溢れた凛々しい姫君。しかしその罪悪感と重圧を、姫の替え玉に妹を差し出した忠臣に当り散らすとは、お姫様はやはり世間知らず。ピュアな無鉄砲さが魅力なんだけどね。下々の暮らしや貧しさに触れて、よき君主となるべく成長するストーリーは定番だが、目力のある演技に好感が持てる。 阿部寛 as 忠義者の鑑、秋月の勇猛な侍大将 真壁六郎太三船敏郎が演じた雪姫の守役を気迫をこめて好演。こちらも目力十分。 これに洒脱な雰囲気が加われば。惜しい。 椎名桔平 as 冷酷非情なブラックジャック 鷹山刑部 キッペイ君は嬉々として色物な役どころを演じているように見えるなー。 黒沢明監督作品を50年ぶりにリメイク。オリジナルではおとぼけ弥次喜多コンビだったらしい(この名作を私はまだ観ていない)百姓、太平(千秋実)と又七(藤原釜足)は、今回「酒、女、メシ」が口癖の新八と、やけに二枚目で頭の回る砂金堀りの武蔵、の両極端に化ける、というか分離。この武蔵、二枚目だけにオリジナル版の主人公、真壁六郎太を押しのけリメイク版の主人公に格上げされているのだ。しかしなあ。ラストをかえてとことん恋愛物にするならともかく、変に色恋を絡めたせいで話が軽くなり、中途半端になってしまった印象がある。大体、忠臣六郎太が我が身も家族も捨てて守ろうとする主君の姫相手に、いかに武士道を解さない平民とはいえ、いやそんな時代だからこそ、あっさりため口で「俺と逃げよう」なんぞと誘えるものだろうか。好みで言えば『里見八犬伝』で薬師丸ひろ子演じる静姫を守り抜き、無言で見送る八犬士の一人、真田広之のあの切なげな大アップには到底及ばない。・・・・・・古風な女ね、私。キーワード『裏切り御免』は、黒沢版とはまったく異なる使い方で違う人物が口にしている。計3回登場するこの言葉を2回口にするのは雪姫。「裏切り御免、か・・・・」最後に呟いた時の口調・表情がいい。このへんは脚本がうまいなあ。唐突に、『セーラー服と機関銃』の名台詞「カ・イ・カ・ン・・・・」思い出した。そう言えばTVドラマ版は長澤まさみが演じたのだっけ。あれ?でも確かドラマ版ではあの名台詞がカットされていて話題になったような?それはともかく、ああ、オリジナルが観たい。
2008.05.30
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監督/脚本: 三木聡 原作: 藤田宜永 オダギリジョー as 借金84万円に苦しむ大学8年生 竹村文哉監督とは「時効警察」コンビ。幼い頃に両親に捨てられ、育ての父親は逮捕されて拘束中、と借金取りへの言い訳にしても嘘にしか思えない、ホントの過去を持つ男。飄々として限りなく根無し草な主人公をオダギリジョーが好演。元女子高生のアイドル 三浦友和 as 謎の多い強面の借金取り 福原 八方塞りの文哉に、借金をチャラにする、ある方法を提案する。福原の東京散歩に気が済むまでつきあうこと。あからさまに怪しい旅の目的地も目的も告げられないまま、選択肢のない文哉は律儀に待ち合わせ場所吉祥寺に向かう。途中明らかになる最終目的地は霞ヶ関。妻を殺してしまったから自首をするのだというが・・・・・・。“シャバで食う最後の飯はカレーがいい、ラーメンは未練が残りすぎる”という台詞が何気なく説得力を持つ男。話の流れで途中からは、文哉の仮の父親役を演じる。果たしてその正体は。最近の三浦友和のいぶし銀の魅力ときたら。いいねえ。元なんてったってアイドル 小泉今日子 as スナック「時効」のママ 麻紀子姪っ子のマヨラーふふみ(吉高由里子)には結婚して子どももいることになっているので、彼女が訪ねてきた日から、福原と文哉を巻き込んだ家族ごっこが始まる。カレーにはチャツネ(文哉がお使いを頼まれる)、のこだわり派。この家がまた、卓袱台が現役だった頃の家そのまま。なんて懐かしい台所。 岩松了&ふせえり&松重豊 as 福原の妻の同僚たち 国松&仙台&友部 噂好きの三馬鹿トリオの趣きで、コメディ部門担当。物語を別の側面から同時進行させ、サスペンスと笑いを添えている。「岸部一徳に会うといいことがある」という都市伝説?をあげて喜ぶ姿もおかしい。オダギリジョーと三浦友和が案内役の超豪華東京の下町散歩。過去訪れた私ヴァージョンは、池袋の人生横丁(立ち飲み焼酎の店で食べた一品、東京風?ゴーヤーチャンプルーは美味しかった)、谷根千(やねせん)散歩(定番の鯛焼きがぱりっと旨い)そして日暮里駅前の今は無き「駄菓子問屋街」(取り壊し前に行けてよかった。しかし最近一部復活したらしい)あたりか。オダギリジョーが思い出横丁の「正確時計店」(アブドラ肉店なんてのもあった)の前で、『こういう(小さな)街の時計屋ってどうやって暮らしてるのか心配にならない?』と福原に尋ねるくだりが好き。その後に続く時計屋の親父と福原のあわや乱闘シーンも。そう。○○店じゃなく、○○屋、なんだよね。泥臭いけど、生活の香りや温もりがあるのは。個性溢れる役者陣で、ちょいと洗練された泥臭さに浸れる映画。サスペンスというより肩の力を抜いて楽しめるロードムービー。『男はつらいよ 寅次郎物語』『幸福の黄色いハンカチ』とはまた一味違って軽妙な、21世紀風昭和の憧憬付き。
2008.05.16
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オール・アバウト・マイ・マザー TODO SOBRE MI MADRE (1998 スペイン) ALL ABOUT MY MOTHER 監督 脚本: ペドロ・アルモドバル 撮影: アフォンソ・ビアト ~カメラの視点が面白い 音楽: アルベルト・イグレシアス セシリア・ロス(女優) as マヌエラ息子エステバンを身ごもったのをきっかけに、“オッパイのある男性優位主義者”(彼女の言う通り、夫としては最低。バイセクシュアルのニューハーフ)の元を去り、臓器移植コーディネーターの道を歩むが、大切な息子を突然の事故で失ってしまう(しかも彼の心臓を移植することを承諾しなければならなかった)。傷心のまま職場と住み慣れたマドリードを去り、息子の死を告げるために夫を捜す旅をする。かつて女優としての夢を追ったバルセロナへ。マリサ・パレデス(女優) as ウマ・ロッホレズビアン。マヌエラの息子が交通事故に遭ったのは大女優ウマ(大の煙草好きで芸名も“ウマ<煙>”からだそう)のサインを求めて、遠ざかる車を土砂降りの中追い続けたからだった。その彼女の付き人として働くことになったのも不思議な縁。ペネロペ・クルス(女優) as シスター・ロサ献身的なシスターが、なぜマヌエラの、あのしょーもない元夫の子どもを妊娠したのか。おまけにエイズに感染させられるおまけまでついて。つくづく男女?の仲はわからない。ロサにとっては救済行為だったろうか。彼女は姉のように慕うマヌエラに、もう一人のエステバンと希望とを与える。清楚なペネロペの澄んだ瞳が魅力的。アントニア・サン・ファン(女優) as アグラード マヌエラの昔の演劇仲間。この陽気なニューハーフは、男だとばかり思っていた!うっそー。“楽しませる”という、自身の名前の意味を語りながら幕前で語る場面、自嘲的ながら世間の荒波を乗り越えてきたすがすがしさと明るさがある。しかし、女優だったとは。やられた。フェルナンド・フェルナン・ゴメス(男優) as ロサの父痴呆症で愛犬と散歩するのが日課。妙に印象に残る役者さんだった。続く『トーク・トゥ・ハー』、故郷ラ・マンチャに戻って撮った『ボルベール 帰郷』と合わせて「女性賛歌三部作」と称される第一作目。監督がゲイであることを考えると、この「女性賛歌」にもより深い味わいがあるような。そもそも女であることって何だろう。主人公のマヌエラの言葉を思い出す。「(次に夫が戻ってきた時、彼の胸にはオッパイがあった。でもなんとかなると思ったの。他の部分はそのままだったから。)女は淋しさから抜け出すためならどんな事でも受け入れるわ」しかし、彼女は妊娠していると知った時、夫から逃げた。母性がそうさせたのだろうが、もう「一人じゃなくなった」から。愛する息子を失くし、一人になった時、彼女が夫を捜したのは大きすぎる喪失感を埋めようと思ったからではないだろう。母親としての最後の義務を果たすために。そしてそれから?息子の死を受け止めるために。実際彼女はすべて受容する。辛い旅が、彼女を囲む女たちとの交わりで、再生の旅につながったのは嬉しい。いろんな生き方がある、と彼女に気づかせ、道を示してくれただろうから。
2008.05.15
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※ネタバレ注意 監督 脚本: コーエン兄弟 原作: 「血と暴力の国」(コーマック・マッカーシー) ハビエル・バルデム as 一目で正気じゃないとわかる殺し屋 アントン・シガー柏原芳恵かっ!と突っ込みたくなるような髪型からして異形。白くて大きすぎる鼻と天然の隈取に感情のない顔、で無敵に不気味。愛用の武器○○銃も、本来の使用目的を大きく逸脱しているが・・・・・・彼独自の「ルール」に則れば正しい使用法なのだろうと思うと、非常な冷酷さに震えがくる。任務遂行に必要な殺し以外はコインの表裏で相手を殺すかどうか決める男。 「単なる世間話」の存在を認めない、論理(ロンリー)ウルフ。ジョシュ・ブローリン as 逃げる男 ルウェリン・モス 妻によれば「いつも一人で戦う」「誰からも負けない」男。アメリカ・メキシコ双方の組織の麻薬取引で、撃ち合いの結果残された大金を持ち逃げすることを決めた割には、大きなリスクを負っても発見当時唯一生きていた男に末期の水を差し入れよう、と現場に向かうような温情を持つベトナム帰還兵。ジョシュはデビュー作『リトル・ロマンス』(1979年)が最高だったダイアン・レインの再婚相手だったんだなー。トミー・リー・ジョーンズ as 「最近の犯罪はわからない」と嘆く ベル保安官登場回数は少ないが、この物語の語り手でおそらくは主人公でもある彼の呟きが、あるいはそのまま原題 『NO COUNTRY FOR OLD MEN(一つの訳として:善良な老人の住める国はもはやない)』 になったか(原作の邦題は『血と暴力の国』)。諺ではないようだけど、慣用句として解釈しても面白そう。日本語でいうと、女三界(さんがい)に家なし、じゃなくて老兵は去るのみ?いや、コレ、正確には日本人の言葉じゃなくて、米国人マッカーサー引退時のスピーチの一節。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away.)」 人間、現役から引退する時の引き際を計るのは難しいものらしい。特にベルのように代々保安官を勤めているような家系では。始まりは1980年代アメリカのテキサス──メキシコ国境に近い砂漠。狩りをしていて偶然死体の山と大金を発見したモスは、命を狙われることを知りながらも、その金を奪って緊迫の逃亡劇を始める。冷酷無比な殺し屋シガー(シュガーではない、シガー、と本人ではないが強調するあたり、『赤毛のアン』で“ANNでは恐ろしく不愉快だけど、ANNEにすると見違えて上品”だから“名前の最後にeを綴って”Anneにしてくれと乞うエピソードを思い出した。この場合はシュガー(砂糖)なんてそんな甘い男じゃない、という思いをこめてだろうが、シガーのこだわりはベクトルが違うだけでアン以上だ)と、そのシガーとモスを追う2番目の殺し屋(青い瞳で対照的に陽気なカーソン)がアメリカ側の追っ手。これにメキシコ側の追っ手が絡み、めまぐるしく展開するので混乱しないよう注意。「金を渡せば女房を見逃してやる。でないとふたりとも死ぬことになる(お前は最初から助からない)。これが最良の取引だ」。というシガーの申し出を破って逃げたモス。シガーのルールを適用すると、「女房を殺す、とモスに約束した」ことになる。既に金を手に入れていても『約束』にこだわってカーラを訪れるシガー。コインの裏表で決めようと譲歩する彼に、カーラは言い放つ。「私は決して言わない。」初めての反応だったろうがこれもまたルール違反だったようだ。(玄関から出た彼は靴裏を気にしている)どこまでも己のルールに忠実で交通ルールも守った彼が、信号無視の車に突っ込まれるラストも唸らせるオチ。観客はどうしても目が離せないサスペンスの方に気をとられるので、原題を知らないとテーマが伝わりにくいかもしれないのが難点。
2008.05.14
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監督/脚本:三谷幸喜 田中直樹 as 家でも職場でも立場が弱そうな放送作家 飯島直介情にも雰囲気にも流されやすい気弱な特撮オタクかと思いきや、びしっと一言決める場面も。物語が停滞しそうな場面で、しかも意外な人物の一言だったから、ほほう、と身を乗り出してしまった。風見鶏タイプに見えて心底幸せそうなのは、腹に(いい意味での)一物を持ってるからなんだなあ。義父の長一郎(娘にもそう呼ばれている)が大好きで、最初は反発しあっていた柳沢と長一郎が、互いを理解し合い心を開きそうな展開になった途端、嫉妬に駆られて嵐の中飛び出してみたり、努力?虚しく歓談する二人に仲間はずれになった格好でひざを抱えて涙に暮れてみたり。いやー笑った。唐沢寿明 as こだわりのデザイナー 柳沢英寿飯島夫婦に(というより「カッコイイ」家にしたい大学の先輩民子に)見込まれ、インテリアデザイナーとしてのセンスを自由に使って理想の家を、と頼まれて設計を引き受けたものの、現場を預かる実働部隊、長一郎の老兵チームから頑固な抵抗にあう。もはや投げやりになって飲みに行ったバーで真田広之演じるバーテンダーが、カクテルの出来にこだわり(ちょい役だけど超はまり役)、客の戸田恵子がそれでいいと言っても「自分の問題ですから」とできたカクテルを何度も捨ててしまうのに周りの客がしらける様子を見て、(おそらくは自分の姿を重ね)はっと気づく・・・・・・シーンだと思うのだけど、なんでその後がペンキぶちまけにつながるのかわかるようでわからない・・・・・・。とりあえず、「誰のための(カクテル、家)」という視点は何事においても大事だよねー。「みんな」のものになったらそれはそれで素晴らしいことだけど。田中邦衛 as 昔気質な大工の棟梁 岩田長一郎「家は頑丈なのが一番」と譲らない民子の父、棟梁の長一郎はアメリカかぶれに見える柳沢に辛辣。「センセーはよ、家に関しちゃド素人で何もわかっちゃいないんだよぉ」とあの独特の節回しでけなし、反目しあう。柳沢が、昔は銭湯やどこの家でも使われていた「竹割りタイル(図参照。これはタイルの1/6サイズのモザイク様)」を玄関のタイルに指定したことで、実はただの新しいもの好きではなく、古くても「いい物」にこだわる似た者同志ではないのかと心を開く。頑固なくせに娘にはからきし弱い不器用な父がぴったり。 八木亜希子 as 飯島民子(長一郎の次女・直介の妻)ちゃきちゃきの現代っ子で、昔気質の父には遠慮なく反発してきたに違いない。そんな父のことを慕う夫・直介に呆れながらも嬉しいんだろうな。岩田家では、直介という新しい登場人物が風を起こしたのだろうと思う。思うに、このありがちな娘役を、嫌味にならずさらりとした共感を誘う演技で最後まで淡々と(直介に比べて波や山場はそうないのだから)つなぐのは、芸達者だから?三谷幸喜監督の妻、小林聡美の雰囲気が濃厚に出ているような気もする(役柄も放送作家の妻だし・・・・・・でも夫役の直介は神経質な三谷監督とは重ならない)。 楽しい映画だ。若い夫婦が家を建てる、シンプルなはずの出来事が、周りを巻き込む大騒動に。建築現場の裏話も交えて、「みんなのいえ」が無事完成するまでの小さな歴史をドラマ仕立てで味わえる。我が家は諸々の事情で「建てねばならぬ」と建てた家だから、義理と苦労ばかりがのしかかって、家作りを楽しむ余裕がなかった。この作品を見てから建てていたら、「いえ」はいろんな人たちの夢と努力の結晶なんだ、と一緒に達成感を味わえたんだろうか。惜しい。野際陽子が風水かぶれの(そしてなぜかフィリピンバーを営む)母親役で出演したり、香取慎吾が地鎮祭の神主になり妙な格好で祝詞を唱えてみたり。そうそうたるメンバーがちょい役で、流れ星のごとく現れては消える贅沢な煌きの中に、明石家さんま(メールボーイ)までがいた。このあたりがTVドラマの脚本家による監督作品、な感じ。登場する面々も参加を楽しんでいるようなノリで劇場型なのも、この監督だからか。
2008.05.13
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監督: ロブ・ライナー 『スタンド・バイ・ミー』 (1986)はこの人の作品だった・・・・・・ ジャック・ニコルソン as 10億ドル長者 エドワードブルドックの百面相大会があったら優勝間違いなし、のこの多彩な表情。毒舌でワンマンな大金持ちが、最後に成し遂げた「棺おけリスト」(原題の「THE BUCKET LIST」は、棺おけに入る前に自分がやりたいことを綴ったリスト)の項目に注目。 モーガン・フリーマン as 博識な車修理工 カーター夢は歴史の教授だったが、恋人が妊娠し大学を中退。家族を養うために働き続けた四十数年間。妻を愛しているが、いつからだろう、手をつないでいた頃の気持ちがわからなくなってしまった、と問わず語りにつぶやく彼は、死を目前にした時、「家に戻って、家族の皆から覗き込まれて、笑顔を作る」道は選ばなかった。ほんの数ヶ月前までは見知らぬ他人が、共有するものによっては家族より大切な存在になることもある。愛ゆえに傍にいて庇護しようとする妻の元を離れ、同士と最期の時を「生きる」自由を選んだ。夢にむかって行動し、帰った彼を「夫に戻ってくれた」と妻は言う。夢を追い続けてこそ男か。両雄並び立つ。ガンで死期を宣告された同室の患者二人が、違いすぎるこれまでの人生の溝を超え、固い絆で結ばれる・・・・・・。ストーリー自体はありがちで、キャストを間違えばステレオタイプのメロドラマになりかねない。そこをベテラン二人が、自然な掛け合いで魅せてくれる。先日何十年ぶりかで床屋に行き顔そりをしてもらった。驚くほどに化粧水の浸透率が違う。ファンデーションもノリノリ(直後はね)。あの感動に匹敵する、肌にぴったりのナチュラル感。ドライすぎず、ベタすぎないバランスがいい。とはいえ時に相手の領域に踏み込んで(ベタに)諍いになったりするのだが、そこがまた人間臭くていい。良識的なカーターは、死ぬ前にやってみたいことをこう綴る。「見ず知らずの他人に優しくする」「絶景を見て感動する」一方エドワードは。「世界一の美女にキスをする」「ライオン狩りをする」(これは後に削除)「タトゥーを入れる」などなど夢を実現させる世界一周旅行に出かけた二人。ピラミッドの頂点からの風景は確かに死ぬ前に一度眺めてみたい壮大さ。火葬がいいか土葬か、と語り合う場面がある。肉の焼き方や卵の調理法まで細かく希望を聞くアメリカだから、いろんなバリエーションがあるのだろうか。私なら?(できればエドワードのように5月のよく晴れた日に)火葬にして、お骨は先祖代々(といっても父母の代から)の墓へ。一部は守りたい人(現時点では甥っ子たち)の傍にいたいかな。可愛い小さな有田焼の蓋つきの壺にでも入れて隅っこに置いてもらえたら言うことなしかも。最後は大気に溶けたい。冒頭、「エドワードは5月に逝った」とカーターのナレーションで始めるあたり、演出もうまい。数あるリストの項目のうち、上から2番目の「見ず知らずの他人に優しくする」を叶えてリストに線を引いたのは誰が、どんな場面で、なのかを考えると、天国の入り口で投げかけられる2つの質問の答えと合わせて、気持ちのよい収束感を味わえる。
2008.05.12
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監督/脚本: セルゲイ・ボドロフ 浅野忠信 as テムジン(チンギス・ハーン)母方の祖父はネイティブ・アメリカン。なるほど!どこか不思議な浮遊感というか温度差は、そんな出自にも由来しているんだろうか。全編モンゴル語、しかも突然の台本総入れ替えにも耐えたその情熱、静かに熱い男。歴史上の人物としては大帝国を作り上げた強い男のイメージが強いが、「モンゴル」では徹底して優しく情に溢れている。モンゴル人ではない浅野の起用は、彼の風貌と合わせて「当たり」。スン・ホンレイ as テムジンの盟友(アンダ)ジャムカ少年時代にテムジンの命を救った恩人であり、杯を交わした義兄弟であり、最強のライバル。互いに器を認め合ったベストフレンズなのだが。スン・ホンレイの熱演は印象的。浅野演じる「柔」のテムジンと対照的な「剛」の者、ジャムカ。どこかエキセントリックな雰囲気さえ魅力。織田信長みたい。どちらかと言えば「遊牧民の王」の器を感じるのは(風貌と性格はともかく)この人なんだけど。信長も天下統一は果たせなかったしねえ。もともと瀕死のテムジンを助けたのはこのジャムカなんだし、その後の立場の有利・不利も考えず誓いを結び、力になり続けた割には報われない男。均衡が崩れ始めたのは、ちょうどテムジンの妻ボルテを奪還したあたりから。やっぱり友より女かしら。男の友情には憧れがあるんだけど・・・・・・。 as テムジンの妻ボルテモンゴル出身(一重で切れ長の目は美人の条件らしい)の女優。映画初出演とはびっくり!肝の据わった演技がおみごと。存在感があります。テムジンを逃がして宿敵メルキト族に捕らえられたものの、彼が奪還に訪れた時には、夫の寝首を掻いて待っていたというツワモノ。その後も一途にテムジンを支えるが・・・・・・一般的な道徳観で見ちゃダメなんだろうな。(テムジン以外の男はだしにされ放題。)外国語映画賞にノミネートされたのはそんなトコも含めてかなあ。 「ひとつの鍋で二つの羊の頭は料理できないわ」新婚の身で攫われ、ようやくテムジンの手に取り返された夜明け、ボルテは床の中でささやく。モンゴルに強い頭領は2人もいらない、と。兵もない夫に力を貸してくれたのは、もう一つの羊の頭だったから、強くて優しい、と思っていた彼女がそれだけではない、と気づかされた瞬間。よくここまで尽くせる、と思うほどの献身だが、彼女を見ていると自らの運命を男任せにしない強さと意志を感じる。この作品、時間もお金もかかっただろうと思われる大人数の戦闘シーンも登場するが、撮影自体は淡々としていて気負ったところやてらいがない。一番の見ものは主要人物三人の絡みと三者三様の生き方ではないかと思える。ボルテがいなかったら、テムジンのモンゴル統一もなく、むしろジャムカ(が義兄弟の契りを交わした時から言い続けたように)の右腕になっていそうだ。テムジンもボルテもジャムカも、たぶん史実とは微妙に違う。今回の人物作りはうまくできていて記憶に残る。
2008.05.01
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監督/脚本: 松岡錠司 原作: 立川志の輔 小林薫 as みたま文化会館飯塚主任「悪い悪いって口ではすぐ謝るくせに全然悪いなんて思ってないのよ」と離婚まで秒読み状態の妻に酷評される、なんちゃって公務員。大晦日、コンサート会場として2つのママさんコーラスの予約をダブル・ブッキングしてしまった彼は、なんとかなるさ主義でのらりくらりの対応をするが、「自分に足りなかったのはギョーザだ」と呟き、事態収拾に奔走するまでに至る。ダメ男がオトコになるまでのドタバタ。安田成美 as 五十嵐純子創立1周年で初のコンサートを企画した、ママさんコーラス「みたま町コーラスガールズ」のリーダーにして指揮者。夢多き夫(現在は落語家を目指しつつタクシーを運転)に嘆きもせず、彼女似の息子と一家を支える新型肝っ玉母さん。おっとりしているが度胸は抜群で、人助けのための軽犯罪には寛容(笑)「あたし警備員さんには強いんです」の言葉通りあっさり陥落。しかし・・・・・・元音楽教師にしてあの指揮、どうなんだろ。由紀さおり as 松尾みすず創立○十周年の伝統を誇る「みたまレディースコーラス」のリーダー。町長婦人を含むハイソな奥様方の集団を率いるが、さすがやり手社長。人を見る目と決断力がある。姉・安田祥子もしっかりコーラスに参加している。「ティアララルンっ♪ティアララルンっ♪ティアララティアララティアララルンっ♪」のトルコ行進曲は二人のデュエット以外の大人数で聞いたのは初めてだが、歌えるものなんだなあ。挑戦してみたい!竹田の子守唄、赤とんぼ、とフルコーラスで聞きたくなる名曲が続く。晦日のコンサートといえば定番の第九、「歓喜の歌」もおみごと。 浅田美代子 as 飯塚さえ子飯塚主任の女房。夫にとことん腹を立てていた彼女が最後に。「あなたも人の役に立てるのね。」筒井道隆演じる客に「こちらはあなたのご主人で?」と聞かれ「そう見えます?」「そうとしか見えないです。」とやり取りした後の、すがすがしい表情が○。無事年越しそばを食べたろう。根岸季衣 as 塚田真由美 みたま町コーラスガールズの副リーダー。30歳にしてニートの息子を養うためミニスカ姿で働く骨太なお母さん。大晦日。小説や小噺、映画でもさまざまな人間の悲喜劇が交錯する一日。飯塚にとっても人生の総決算日になる。ホステスに入れ込み、店では一人カラオケで同じ曲を熱唱。あげく妻や娘とは別居状態で、ついたあだ名が『ロンリーチャップリン』。そんな男を目覚めさせたのは、「暇つぶし」だと思っていたコーラスにかけるメンバーの熱意と、会館御用達の食堂から出前ミスのお詫びとして届けられたギョーザ。食堂を営む夫が倒れ、朝は病院、昼はラーメン作り、夜はミシンの前に座る女将。娘が止めても「行くと忙しいのは自分だけじゃないってわかるから」とコーラスの練習を続けている、と聞かされガツンとこたえる。 「ギョーザ、おいしいですね。気持ちがこもってますね。」 「ギョーザか。このギョーザがなかったのか、俺たちには。」その女将を出演させるためにリフォームの代打に立ったものの、洋裁の基礎も知らない飯塚が「普通切るだけじゃなくまつり縫いとかするでしょう」とぼやく客に「祭縫い?なんだその陽気な縫い方は」と答えるシーン。何気ないけどよかった。余計な間が多かったスローテンポな飯塚主任が、打てば響くようにテンポよく回転しだしたことが、会話にも透けて見えるようで。あまりにもうまく行き過ぎの感はあるが、ほら、大晦日だし。いろんな事を水に流して新たな出発をするには最高の日だから。
2008.04.19
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「ポストマン」 監督: 今井和久 製作総指揮: 長嶋一茂 脚本: 鴨義信 長嶋一茂 as 海江田龍兵ながしま かずしげ 1966年1月26日生まれの42歳。1988年ヤクルトスワローズに入団。1993年に読売ジャイアンツに移籍し3年後に退団。父は偉大な背番号3番、ミスターこと長嶋茂雄。一番気になるのは、あのミスターと親子の「会話」は成立していたのか、なんだが。のびやかに育てられた幸せな長男坊、に見える。決して器用ではないが誠実で、愚直に近いひたむきな愛を家族にも、仕事にも、周囲の人間にも平らにそそぐ役柄は、まんま彼の個性に思える。演じる、というより素に近かったのでは。『さんまのSUPERからくりTV』のレギュラーとしては最近控えめな感じで少々物足りない。オトナになっちゃったのかなあ。北乃きい as 海江田あゆみチイサナkeiのモノガタリというブログを公開中。撮影裏オフショットを紹介してます。はじける笑顔が可愛い!作品では愛する母親を亡くし進路の決定を控え、レトロで頑固な父親に反抗する思春期の少女役だったので、暗い顔が多かったんだよね。健気な弟君にちと厳しいんじゃないの?と言いたくなるくらいに拗ねてたし。でもこの頃ってみんなこんな風に何かに腹を立てて斜めに見てたよねって、そんな共感もそこはかとなく。原沙知絵 as塚原奈桜子あゆみの副担任から担任の不在で仮担任になり進路相談も行う。全力投球なんてまっぴら、という今の若者(こういう言い方に寄る年波を感じるのよねえ)代表タイプだったが、龍兵の人柄に触れるうち・・・・・・という役を自然に演じている。なんていうか。すっごくいい!のではないのだけど、心あたたまる映画。海辺の町を描く映像が明るく美しい。何度か登場する列車(房総半島のいすみ鉄道。赤字路線で廃止も検討されているとか。残って欲しい)も情緒的。かつて愛する妻と自分を結んだ手紙。幸せを届けてくれた郵便配達人に自分もなりたい、大切な手紙を大切な誰かに間違いなく届けたい、と信念を持って日々を送る時代遅れな父親。「食事は家族みんなでするべき。家族は一緒に住むべき。」というのは長嶋家の家訓だったのか、一茂本人の理想の反映か。これじゃあ娘も窮屈だろう、と思いながらも懐かしむ自分がいる。我が家の父の権威が崩れたのは、思えばダイニングテーブルが台所に到着してからのような気がする。ちゃぶ台を囲み、父は胡坐、母や私は正座で食事をしていた頃、こっそり足を崩しながら盗み見る父には、まだ威厳が(少しは)あった。しかし洋椅子の上に決まり悪そうに胡坐をかく父の姿を見てからは、砂の城が崩壊する勢いで消えた。生活の洋式化が思わぬ悲喜劇を生んだものだ。それにしても。ラストシーンのあの感動の場面で、晴れやかに揺れる菜の花が、なぜあからさまに造花なのだ!(造花だよね?)これだけは許しがたい。せっかく綺麗な映像なのに。
2008.04.18
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監督 脚本: 筧昌也 原作: 伊坂幸太郎 『死神の精度』主題歌: 藤木一恵 『Sunny Day』金城武 as千葉 死神は傘をさしてやってくる・・・・・わけではないのだけど、彼が人間世界に来ている間はいつも雨。だからこそラストシーンが印象的でもあるのだが。可笑し味とクールな優しさを、甘いマスクの金城武が好演。人外な存在って二枚目が演じた方がそれらしいかも。あるいはフランケンシュタイン級の人外魔境の人物。小西真奈美 as藤木一恵 「普通のOL」を演じるために小西真奈美が女優としては驚きの試みを実践?!何かと思えば「すっぴん」で出たそうな。それだけ色白でお肌ツルツルならノーメイクで十分だろうに。何が驚きなんだか。「普通のおばさん」にケンカ売ってるんじゃないだろうね?しかし役名で歌手デビューした彼女の歌声は、なかなかにいい。光石研 as藤田敏之 徹底してシブい原作の藤田とはひと味違ったどこかコミカルな藤田もよかった。派手なキスマークには笑った。あり得ないでしょーくらいの大きさ。相手の女、何者だ。石田卓也 as阿久津伸二藤田を慕うチンピラに「蝉しぐれ」の少年が今や青年になって挑戦。やさぐれ度がいまひとつだが、その甘さゆえに、というキャストなら納得か。体の線までハングリーでないのは役作り?生い立ちとその後にも要注目。奥田恵梨華 as竹子どこかで・・・・・と思ったらNHK「サラリーマンNEO」にレギュラー出演中。お手伝いロボット役もよかった。それが家電になるような未来なのに、レトロな床屋さんが職場で、道具もレトロ仕立てなところが面白い。富司純子 as 最終話に登場する床屋のおかみさん 竹子の雇い主でもある老婦人。千葉に変わった願い事をするその理由は。天地真理じゃないけど正直どうしたら☆が○になるのか。(ああ、ここんとこ、ポイントなので言えないっ)多少の違和感は否めないものの、富士純子LOVEだからよし。黒い犬 as ディア 死神千葉のマネージャー兼お目付け役?言葉を解するが喋らない設定だったのは映像効果上○。雨の中の演技も厭わず、さりげなくも確かな存在感。助演女優賞をあげたいくらい。原作でも冒頭に登場する藤木一恵が、映画では特に丁寧に描かれている。原作を読んでいない人にもわかりやすいし、最後に気持ちよくストーリーが終結する心地よさを味わえるだろう。この爽快感は伊坂幸太郎の、青春小説にも似たミステリの読後感に通じるものがあるなあ。そう言えば原作を読んだ時の感想があるはず。探してみた。伊坂幸太郎だ-。爽やかな節回し。死神はそれぞれ人間界で役目(1週間かけて調査し、死亡「可」の判定をする)につく時は地名を名前にするという。伊坂 幸太郎は1971年、千葉県生まれ。主人公(は死を宣告される人々の方?)の死神が「千葉」なのはそのせいか。1 死神の精度2 死神と藤田3 吹雪に死神4 恋愛で死神5 旅路を死神6 死神対老女計6編。最後に鮮やかにピ-スがはまって終演。でもこれ、続編が見たいなあ。ここでやめとくのが正解なんだろうけど。好きなのは「死神と藤田」と「吹雪に死神」かな。吹雪の洋館に集まった人々が次々と…ってこれ綾辻行人か誰かの作品にありそう。っていうかお約束の設定?ラストがズルイのかいいオチなのか・・・・・・「生ける屍の死」(山口雅也)も本格ミステリと言われてるようだからアリなのかな。人間が発明したもので最悪なのが「混雑」で最高なのが「ミュ-ジック」だそうだ。死神は例外なくミュ-ジックが好きでCD売り場で何時間も視聴しているのはかなりの確立で「仲間」らしい。人間観察には共感できるところが多いし笑えた。「あんたたちホモかい?」と聞かれて「こいつはホモ・サピエンスだが」「俺は違う」と大真面目に答える千葉。読みたい本がたくさんあるから調査はまだ御免被りたいけど、こんな死神、ちょっと会ってみたい気がする。生身の男でいないかしら。こんなタイプ。 (2006年3月)映画は3話から5話を割愛している。死神にもいろんなタイプがいることは、映画に登場する同僚の言葉からもわかる。千葉がどんな死神であるかは、やはり原作を読んでもらいたい気持ちが働くが、二時間枠の映画の中で、どうピックアップし紡ぐか、監督兼脚本を担当した筧昌也の、練りに練った結果だろう。先に書いたように、だから焦点が絞られ、より人間ドラマに近いのだと思う。観客は感情移入しやすいはずだ。そう言えば筧監督、土曜ドラマ『ロス:タイム:ライフ』も手がけている。死の瞬間主人公の前に、突如サッカーの審判団が現れ、それまでの人生の中でのロスタイムが掲示板に映し出されるというサッカー熱を敏感に捉えた発想、ロスタイム分の限定付きで人生のやり直しができる、というあのドラマ。あの審判団もまた死神の存在に近い。「死神の精度」では、不慮の死を迎える人間の前だけに現れ、「実行」か「見送り」かを判断するのが死神。『ロス:タイム:ライフ』もそうだったろうか?(2話くらいしか見ていない。「死」は確定している要素だったので「見送り」はなかったと思うが。)千葉が「対象」にさりげなく投げかける質問は・・・・・・ 『死ぬことについてどう思う?』
2008.04.17
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監督: 中村義洋 原作: 海堂尊 『チーム・バチスタの栄光』脚本: 斉藤ひろし 竹内結子as田口公子東城大学医学部付属病院神経内科学教室講師、不定愁訴外来(通称『愚痴外来』の愛称グッチーこと中年の主人公・田口公平は、若い女医・田口公子に置換されている。竹内結子はよく感じを出している(彼女だから観たいと思ったし)が、探偵役にしては少々ウェット。女性版ならではの味かもしれないが、ガリレオこと福山雅治版も観てみたいなあ。阿部寛 as 白鳥圭輔厚生労働省大臣官房秘書課付技官・医療過誤死関連中立的第三者機関設置推進準備室室長(長い!)。通称ロジカル・モンスター、またの名を火喰い鳥。他人の迷惑を顧みない第一人者。田口の第一印象は「ゴキブリ」。吉川晃司 as桐生恭一臓器統御外科助教授。チーム・バチスタの頂点に輝く星。アメリカ帰りのカリスマ性溢れるヒーロー。驚異の成功率から度重なる手術の失敗に疑問を持ち、自ら監視を望む。動物に例えると、鷲。うん、孤高。カッコイイ!池内博之 as鳴海涼 基礎病理学教室助教授、病理医。桐生の義弟。桐生同様期待される執刀医だったが・・・・・・。動物に例えると、コヨーテ。顔立ちや、きかん坊でたぶん甘えん坊なトコは好みなんだけど。玉山鉄二 as酒井利樹 臓器統御外科助手、バチスタ第二助手。田口とは同期なのかタメ口。動物に例えると、スピッツ!うんうん。井川遥 as大友直美 手術室看護師主任。後輩の星野響子の後任としてチーム・バチスタに参加。動物に例えると、巻き貝。田口浩正 as羽場貴之 臨床工学技士。人工心肺のスペシャリスト。チーム最年長。動物に例えると、カメレオン。佐野史郎 as垣谷雄次臓器統御外科講師、医局長、『チーム・バチスタ』第一助手。胸部大動脈瘤バイパス手術の専門家。動物に例えると、モグラ。田中直樹 as氷室貢一郎 麻酔科講師、バチスタ麻酔科医。動物に例えると、白ヤギ。 でもこの白ヤギさんたら♪お手紙書いても読まないタイプ。 國村隼 as高階権太 東城大学医学部付属病院院長。田口にバチスタ・スキャンダルの調査を命じる。名前で呼ぶのはご法度。野際陽子 as藤原看護師 不定愁訴外来看護師、というより主。影の実力者である彼女の影響力と権力は測り知れない。 以前原作を読んだ時の感想を引っ張り出してみた。『このミステリーがすごい!』大賞受賞作。医療過誤(って医療ミスとどう違うのかなあ)か殺人か。不定愁訴外来(通称愚痴外来)担当で上昇志向皆無の万年講師田口先生と、厚生労働省の肩書きの長い役人かつエイリアンの白鳥(名前のイメージは美しいだけに・・・)の異色コンビがグロリアス・セブンと賞賛される心臓外科手術スタッフ、チーム・バチスタにまとわりつく死の謎を追う。 作者は現役医師らしい。なるほど専門語もぽんぽんと飛び出す。典型的文系の私が投げ出さず読み通す事ができたのは、医療現場の裏事情のリアリティと、しだいにノリがよくなるコミカルな田口先生の語りによるところが大きいかも。正直前半は少し気だるかった。嫌いな文章ではない。どちらかといえば好きだがどうもテンポがいま一つ。と思っていたら後半いきなり現れた迷(この場合は迷惑の迷、かも)探偵、浪花の商人が論理で完全武装したような白鳥の登場で一気に活気づいた。事件の流れも文章のノリも。田口に割り振られたと思われた探偵役をなぜ途中交代する?と不思議に思ったが、白鳥の品性のかけらもない熱弁に頭に来たり感心したりですっかり感情移入してしまい、いつのまにやらぐいと引き寄せられている。犯行の手口としては密室完全犯罪を匂わせた割にはあっけない種明かしで若干物足りない。だがそこにたどりつくまでのチーム・バチスタの内情暴露と、登場人物のカルテ作成は十分楽しめたし下地になってる。重いテーマを救うような春のラストシーン。私はほっとして受け止めたけれど、これをどう受け止めるかで筆力への評価も微妙に変わりそう。作者は1961年、千葉県生まれ。この作品がデビュー。今後の作品でどう出るか。楽しみ。 (チーム・バチスタの栄光 海堂尊/著 2006年9月3日の感想) 監督は大好きな作家、伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」を映画化した中村義洋。残念ながらまだ観ていないのだが、『チーム・バチスタの栄光』を観た印象では、原作の味をうまく出してくれているのではないかと思う。怪人でありながら解決への道をつける厚生労働省のキレモノ、白鳥(そういう人物がお役人であるところがまた面白い)をどう演じ、位置づけるのか、が眼目かと思っていたが、うん。ほぼ原作のイメージ通りだろうか。しかし、白鳥のムカつくような怒涛の論調及び田口センセイへの講義解釈は、時間制限もあってか描ききれていない恨みが残る。ハンプティ・ダンプティの外見のはずが、阿部寛ではあまりにスマートすぎる嫌いもあったか。徹底してオヤジな見かけの方が、原作には忠実だろうが、映像化にあたっては観客向けの制限もあるだろうから、やむを得ないかも。原作にはない、映像ならではの描写もある。カリスマ医師桐生の哀しい秘密(この絡みをもっと描いてくれていたら、と思うのだけど2時間枠では無理か・・・・・)に田口センセイが気付くきっかけにもなっているのでお見逃しなく。ラストシーンの桜に変わったのが、冒頭とラストの草野球シーンだろうか。原作の雰囲気を残しつつ、読んでいない観客にもわかりやすく軽妙なアレンジを加えているのはさすが。率直に言えば夢中になるほどの出来ではなかったが、次の監督作品が見たい、という気にさせる。
2008.04.13
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監督: 小泉徳宏 脚本: 西田征史原作: 蓬莱竜太 (舞台『五十嵐伝~五十嵐ハ燃エテイルカ~』より) 佐藤隆太 as マリリン仮面 五十嵐良一 法学部のホープで現役で司法試験(一次)を合格した風呂屋の息子五十嵐。彼は男手一つで育ててくれた父の自慢だった。事故に遭うまでは。扮装はカエル男爵なのにリングネームはマリリン仮面ってのはなんでだ。向井理 as レッドタイフーン 奥寺千尋 いやー好みのタイプ(顔が)。へなちょこな第○代チャンピオン姿も愛しい。弱小プロレス部のモットー「安全第一」を頑ななまでに守り通そうとするキャプテンに同情票1。西田征史 as ボラギノール日野 日野徹 ファイターよりも運動量の激しい熱血レフェリ-。しかしその駄洒落はさぶい。俗っぽさがね、なんともいい。川岡大次郎 as ドロップキック佐田 強面の先代チャンピオンが実は彼女の言いなりで、リングからあっさり身を引いちゃうのに未練たらたら、な感じもナイス。好きだな、こういうヒト。中谷竜 as 玉子王子 新沼雅人 超しょぼい仮面の持ち主。小椋毅 as デビルドクロ 大久保俊也悪役には優しくて可愛いオトコが多いよね。久保麻衣子 as コケティッシュ谷 谷絵津子そしてオンナにも。あの張り手?はマジで痛そうだったなあ・・・・・・。瀬川亮 as シーラカンズ 金村琢己プロレス界の悪いキムタクって感じで。不機嫌な時の口の動きなんてまんまホリ演じるキムタク。泉谷しげる as 父 五十嵐恒雄 トンビがタカを産んだ、の喜びを押さえきれないタイプなだけに、息子の「今」から一番目をそらしてしまった父親の悲哀。仲里依紗 as 妹 五十嵐茜 健気な妹だ、うん。サエコ as マネージャー 朝岡麻子 主要人物の一人なんだけど。あの舌足らずな喋り方だけはどうにも我慢ならん。主人公の五十嵐は雨の日の自転車事故(事故現場に車も見当たらない。一体どんな状況で・・・・・・本人がささやかな事故、と語っていたように思うけど、その結果が全然ささやかでなかったあたり皮肉)で、いったん眠ると起きた時には前日にあったことを全て忘れてしまうという脳の障害を負ってしまう。自慢の息子から、腫れ物のように扱われる役立たずの自分に転落し、生きる意味がない、と思いつめていたある日、学祭で出合ったのが学生プロレスだった。ウィキペディア(Wikipedia)によれば「ガチンコ」は、大相撲において真剣勝負を意味する隠語である。稽古場で力士が激しく当たり合うとき、「ガチン!」という音がするところからきている。また力道山以降、大相撲の慣習・文化が多数取り入れられた日本のプロレス界においても、同様の意味で用いられる。なのだそうだ。学生プロレスは「ガチンコ」ではない、と五十嵐が知ったのは入部の日。基本的な技の練習はあるが、リングでは脚本にしたがって演じる、もはや芸人に近い。だからこそ段取りが重要なのだが、五十嵐には憶えられない。段取りを忘れ、100%ガチンコでぶつかって、倒れても倒れても立ち上がる五十嵐の根性が、大人気となってブレイク。このあたり、「あしたのジョー」を彷彿と・・・・・・させないか、別に。カエル男爵だし。でもまあ、だから「ガチ☆ボーイ」なんだなあ、と納得。学生チャンピオンで、本格派にしてビジュアル系?のシ-ラカンズは五十嵐本人には事実を伏せて、わざと勝たせて最後まで進ませ、自分たちが圧勝することで力を誇示しようと策略する。しかし・・・・・・。「正義は必ず勝つ」わけではない世の中を知ってしまった擦れた大人の私、世の中ここまで甘くない、とどこかで思わないでもないのだけれど、それより先に感情(涙)が溢れてしまう。佐藤隆太の演技が抜群だと手放しで賞賛する気はないが(いや、熱演してます。感じますがちょっぴり粘着質)やっぱり気持ちよく泣きたい、浄化されたい、と思ってしまうんだなあ。インスタントカメラと備忘録を駆使し、いじましいほどの努力をして記憶を補っても、朝には空っぽの自分がいる。若さゆえに悲痛。それでもプロレスの練習でできたあざや痛みは、自分が生きている証、体が昨日の自分を憶えていてくれる。そう語る五十嵐の言葉が痛い。記憶の連続が、日々の積み重ねであり、生の軌跡なんだ、とあらためて思う。自分の記憶に残らなくても、他の人間の記憶に残ればいい、とキャプテン奥寺が銭湯に入りながら告げる場面で。唐突に思い浮かべた。これまで参列したいくつかの葬儀。存在が消えても、それは肉体の消滅。本当に「消える」のは生きている人間のすべての記憶から抜け落ちた時。私はあとどのくらい「生きて」いられるんだろうなあ。自伝を書く気もエネルギーもないから、せめて一番若い肉親、甥っ子たちの記憶に残る思い出作りにいそしもうか。
2008.03.31
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『詐欺師には、人を騙し金銭を巻き上げる白鷺(シロサギ)、 異性を餌とし、心と体を弄ぶ赤鷺(アカサギ)、 人を喰らわず白鷺と赤鷺のみを喰らう黒鷺(クロサギ)がいる。 父親がシロサギに嵌められて起こした無理心中で唯一生き残った黒崎は、 この世のシロサギを喰い尽すため、家族を破滅させた詐欺の計画を立てた 張本人であるフィクサーから情報を買うクロサギとなった。 これは、シロサギをひたすら憎み、侮蔑し、ただシロサギのみ喰らうことを 生涯の目的とする男の、復讐の物語である・・・』 コミックのストーリー紹介より山下智久 as 黒崎 職業「クロサギ」。山下君、不思議な透明感のある青年ですねえ。大地真央 as さくら銀座のNO.1。しかしその過去には・・・・・・。大地真央は大地真央だなあ。発声も宝塚。山崎努 as桂木敏夫 詐欺師の大元締め。黒崎の情報提供者だが、仇でもある役どころ。 竹中直人as石垣徹 チンケな贈答詐欺のシロサギと思いきやその正体は。笑福亭鶴瓶 as綿貫 オセロ好きのおせっかいなオッサンじゃなかったのねえ。堀北真希 as吉川氷柱法学部に在籍する正義感の強い少女。今回は出番少なし。杉田かおる(友情出演)いやあ。さすが迫力あります。オープニングで登場するサギの影絵が面白い。シェークスピア劇に凝っている桂木が引用する「人間は動き回る影にすぎない」と合わせ技で有効。小田島氏訳の『人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ』<マクベス>の方が詩的だが、作品にあわせてわかりやすく訳したのかな。ん?待てよ・・・・・・「消えろ、消えろ、つかの間の灯火、人生は歩いている影にすぎぬ」<ヴィーナスとアドニス> からの引用なのだろうか。黒崎とチャンバラを演じている劇はシーザーとブルータスのようだし、よくわからん。3/15の『チューボーですよ!』でゲスト出演していた山P。お題の「牛肉レタスチャーハン」を手際よく作る姿が印象的だった。レタスを入れてからもほとんど炒めず食感を残す技ありのプレイ。巨匠、堺正章を上回る出来栄えでマチャアキをうろたえさせていた。TV版をチラリと見て気になっていたのだが、映画版でお近付きになれた(?)のは嬉しい。クールな役柄とは違う現代っ子の素顔がまた楽しい。顔は似ていないのに雰囲気がなんとなく中一になった甥っ子を思わせるなあ。今度「抱いてセニョリータ」を歌わせてみるか。
2008.03.16
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エリザベス :ゴールデン・エイジ ELIZABETH: THE GOLDEN AGE監督: シェカール・カプール 脚本: ウィリアム・ニコルソン 衣装デザイン: アレクサンドラ・バーン ケイト・ブランシェット as エリザベス女王1世美人過ぎずどこかコケティッシュなケイトが、孤高の女王エリザべスを好演。王者の風格を纏いながらも、人間臭い弱さや惑いに思い悩む姿がチャーミング。シェイクスピアは彼女の時代の人間だが、物語には書かなかったのかしら。クライヴ・オーウェン as 海賊ウォルター・ローリー ぎょろ目はあまり好きじゃなくて。野生的な雰囲気はよく出ていたけどね。女王に新大陸の「ヴァージニア(ヴァージンの地)」を進呈。アビー・コーニッシュ as 侍女ベスもう一人のエリザベス。女王のお気に入りで「私の代理冒険者」と可愛がった彼女が、最後まで女王を理解し敬愛したから今回の話が美しくまとまったような。力によらず、女王その人に従った一人。ジェフリー・ラッシュ as フランシス・ウォルシンガム エリザベスの秘密警察長官。独断的なところはあっても、メアリー・スチュワートによる執拗な女王暗殺計画を、独自の諜報活動で何度も未然に防いだが、エリザベスの方は史実でも公然と彼を罵って(映画の中では「女房のところへお帰り!」)あまり報われた感がない(同じく作品中、妻は「働きすぎよ!女王に過労だと言ってやって」とぼやくが彼は無視)。イングランドは彼の築きあげた諜報活動網をそっくり受け継いだ(MI6の基?)というのに、遺族に残されたのは僅かな金品と、莫大な借金だったというから哀れ。それを思うと、臨終の場面で「私は心からあなたにお仕えしました」「わかっている」という短いやり取りが感慨深い。女帝と呼ばれる人物は何人かいるけれど、「ヴァージン・クイーン」はエリザベス1世ただ一人だろう。(現在のヴァージン・ロードと同じくらい意味のない称号に思えるが・・・・・・。彼女はイングランドと結婚した、と言っているからそういう意味では尊称か。)旧教カトリックの国々に囲まれながら、産声をあげたばかりのプロテスタントの女王として、ひ弱なイングランドを支え、全盛期を招いた女性の生涯は波乱万丈。好色な父ヘンリー8世と、彼の2番目の妻となった王妃アン・ブーリン(最初の王妃キャサリンの侍女)の間に生まれる。この結婚のため、つまりはキャサリンとの離婚を教皇が認めなかったという理由でイングランド国教会を作っちゃった父親は、その後ジェーン・シーモア(アンの侍女!)にあっさり心変わりをしたあげく、無実の罪でアンをロンドン塔で斬首刑にしてしまう。娘エリザベスは私生児扱いで、一時はロンドン塔に幽閉、と冷遇され続けたが、王位継承者が次々と失脚し、ついに女王の位がまわってくる。このあたり家康を思わせるが、実際のところどうだったんだろう。自分の命を狙い続けたメアリー・スチュワートの処刑を拒み続けたのは慎重派ゆえだろうか。「女王(メアリーはスコットランド女王)を殺す者は自らもまた殺される」という強迫観念に苛まれたから、という設定になっているようだが。映画を見ながら、思い出した漫画がある。「エースをねらえ!」の作者山本鈴美香の未完の大作「7つの黄金郷(エルドラド)」。今回の『エリザベス:ゴールデン・エイジ』のまさにその時代、背にインカの黄金郷への道しるべを暗号にして刺青されたイングランドの双子の貴族(海賊の総領でもある一族の父を持ち、キャプテンドレークは彼らの育ての親)のかたわれが主人公。当時のヨーロッパの情勢が描かれ、女王エリザベスも当然登場する。この双子が初めて女王に謁見した時の印象は・・・・・・ 「・・・・おおクイーン!! なんという威厳 なんという気品 そしてなんというやさしさ 国の母よ 欧州第一の女性よ!!」幾多の危難を乗り越え、何度目かの女王暗殺未遂に、二人を従え馬を走らせる彼らの父の心の叫びは・・・・・・ 「旧教国にくらべ 人もたらぬ 船もたらぬ 武器もたらぬ あるは英国魂のみ! その精神力であのドーバーを死守せねばならぬ!! それができねば あと数年で英国はほろびさる!! 国家百年の計、なるか!ならぬか!!」そして英国北部(1569年に起こった北部の反乱は女王生命を危うくさせた)に暴動が再び起きた時の女王と双子の母(王族の美姫)の会話では・・・・・・ 「宗教の名をかたって英国がふたつにさかれる(注:カトリックとプロテスタントの争い)不幸のないようにと、必死の私の心も解さずまた北部が!!おお神よ!!」 「全英国(イングランド)が陛下を愛しております! (略)けれども北部民は自分たちが陛下に愛されていないと誤解しているのでございます。 (略)子である民が母の愛に乾いてすさむ姿に どうかお腹立ちなされませぬよう」心を静めた女王は苦渋の表情で独白する。まだ、愛し方がたらぬか、と。恋もした、真剣に結婚を考えた相手もいた・・・が、英国を思って涙をのんであきらめた!私はいっさいを英国にささげてきた!!なのに、まだ愛し方がたらぬのか!!と。映画の冒頭で、今だ頑強に抵抗する旧教カトリックの民を処罰するようウォルシンガムに進言されたエリザベスはこう答える。「私は私の民を、行いで罰しても信念で罰することはしない。」エリザベスという個人を描きながら、その生涯を左右した歴史背景をどう取り入れるかは匙加減が微妙なところ。今回の作品では、安定期に入りつつある女王の、それ故の孤独とそれを克服していく様を、まさに熟成するゴールデン・エイジの果肉を味わうように楽しめた。七変化の衣装と髪型も見もの。
2008.03.12
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「テラビシアにかける橋 BRIDGE TO TERABITHIA」 監督: ガボア・クスポ 脚本: ジェフ・ストックウェル原作: キャサリン・パターソン 『テラビシアにかける橋』 音楽: アーロン・ジグマン ~なんだか心地よい音楽だった~ ジョシュ・ハッチャーソン as ジェス・アーロンズズックを買う余裕もないほど貧しい家庭の長男は、姉二人と妹二人にはさまれ、人生を諦観している若年寄のようにも見える。姉のお古の靴を与えられ、ピンクのラインを親の目を盗み黒のマジックで必死に塗る様子が切ない。アンナソフィア・ロブ as レスリー・バーク チャーリーとチョコレート工場の鼻高々バイオレットがこんなにキュートな女の子に化けるなんて。親二人が作家だけあってユニークな個性の持ち主。つねにオープンだが周りは彼女になかなか心を開いてくれない。ジェスとは似て非なる対照的な女の子。両親は作品を書き終えた後の壁塗りが趣味?「夕焼けが射し込んだら見ものよ!」と黄金色に壁を塗るお母さん、只者じゃないなあ。ファッションも独創的で絵になる。ベイリー・マディソン as メイベル (ジェスの妹)物語はこの子がジェスの通う小学校に入学する朝から始まる。頭に被っているのは王冠。最後まで観ると納得。おしゃまなお姫様。ロバート・パトリック as ジェスの父生活を支えるため休日も働く父。女の子には甘いが、ジェスには厳しく思えただろう。父親ってこんなものかも。男の子は同志に思えてつい頼っちゃうのかも。走り競べがあるのにぼろぼろのズックしかないのを知って「新しいのを買ってやれ」と声をかけるが、妻にそっと「そんな余裕はないの」と言われた時、情けなかっただろうな。甘えるのが下手な息子と甘えさせる余裕がない父親。不器用な父子の微妙な距離が、時を迎え、確かな絆に変わるのが感動的。観ました。「テラビシアにかける橋」。宣伝を見るとファンタジーの色濃い作品かな、と思ったが先入観なく観るのがいいかもしれない。児童文学である原作にたぶん忠実なのだろう(読んでいない)。家でも学校でも、どちらかといえば目立たず(姉には変わり者と呼ばれ)、得意の絵も隠れて描いているような少年が、駆けっこがダントツに早い転校生(おまけに隣に越してきた女の子なのだ)と出会い、心を開くのをきっかけに、二人の空想の王国テラビシアと現実の世界をクロスオーバーさせる。ファンタジーというよりは少年の成長の物語。隣家の女の子・転校生・隠れ家・王国・憧れの先生。美味しいキ-ワ-ドがてんこ盛りだ。貧しさと赤ん坊の世話に追われ、なかなかジェスに手をかけられない彼の両親と、仕事優先で一人娘とゆっくり過ごす時間がないレスリーの両親。「変わり者」の二人を結びつけたのは、孤独の匂いと同志の香りかもしれない。鮮やかな印象を残して消えてしまうレスリーは、だからこそ彼の中ではある小さな痛みとともに永遠となる。彼女が文章を、彼が絵をかくのが上手なのはその後の人生に大きく影響しただろう。Leave your heart wide open ~閉じていた心が開いた時、彼の世界はどんどん広がっていった。王国の住人たちも無数に増え続けるだろう。
2008.02.28
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「アメリカン・ギャングスター AMERICAN GANGSTER」 監督: リドリー・スコット 脚本: スティーヴン・ザイリアン ラッセル・クロウ as リッチー・ロバーツ ニュージャージー州の刑事。賄賂が大手を振って行き来する当時の警察で正義を貫いた男。正義と貞操の観念は一致しないものなのかしら。英雄色を好む、を地でいってるリッチーの、女へのだらしなさと情の深さの同居はなんだか憎めない。が、ダンナにはしたくないタイプ。いい友人ってのがベストな距離だろう。離婚訴訟中の妻が「いっそ賄賂を受け取ってでも貞淑でこそいて欲しかった」と叫び、その言葉で目が覚めたように決断するシーン。印象的だった。デンゼル・ワシントン as フランク・ルーカス黒人マフィア(と誰も彼をそう呼ばなかったが)のボス、バンピー・ジョンソンを父のように慕い、運転手として15年以上も仕えていた男が、バンピー亡き後彼の遺志を継ぎ、バンピーでさえもなし得なかった白人世界の頂点に立つ。伝説の麻薬王フランク。弟たちに「商売で一番大事なのは誠実であることだ」と講義するスーツ姿を見る限り、ビジネスマンにしか見えない彼は、細心の注意で警察に正体をつかませない。リッチーと違って女性には丁重で品もある。が、管理がいきすぎ、やっぱりダンナにはしたくないタイプ。う~ん、親戚の頼れるおじさんあたりがいいとこかな?ジョシュ・ブローリンas トルーポ刑事当時実際いたのだろう、世俗の垢にまみれた悪徳刑事役。家庭ではいいお父さん、いい夫だったりしたんだろうな。この人がいたからリッチー、そしてフランクへの感情移入がすんなりと。1960年代後半~70年代にかけてのニューヨーク、ハーレム地区。警察と裏社会でそれぞれの信念にしたがって誠実に生きる男たちがいた。性格も行動も立場も、好対照の彼らに共通したのはただ一点。賄賂が飛び交い、麻薬が蔓延し澱む街に自らの「理想」を実現しようとしたこと。2大オスカー俳優デンゼル・ワシントンとラッセル・クロウが共演しているが、個性がケンカせずいい調和をかもし出している。二人とも派手な立ち回りがない分、安定感があり落ち着いて観ていられる。2時間半に及ぶ長さが気にならない。しかし自分の夢に誠実な男は、女を幸せにすることはないかもね、としみじみ。
2008.02.23
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監 督:中田秀夫 原作:大場つぐみ 脚 本:小林弘利 主題歌:レニー・クラヴィッツ 『アイル・ビー・ウェイティング』 松山ケンイチ as Lう~ん。いい。松山ケンイチのL。公式サイトで使われている略称が「松ケン」(Wikipedia)だってのには笑ったけど。初の連続ドラマ主演作『セクシーボイスアンドロボ』では、相方の七色の声を操る少女・ニコを『SAYURI』でチャン・ツィイーの少女時代を演じた大後寿々花が演じるというので一粒で二度美味しい企画だ!と飛びついたものの、はまりきれなかった私。今回は堪能した。「甘いものは脳にいいんです」とお菓子をおでん刺しにする所業も、コーヒーが溢れ出そうな砂糖の投げ入れも、ゾンビダンスのようなパソのキータッチも、L座りも健在。普通ならドン引きしそうなメイクと行動パターンにここまで魅かれるって不思議だなあ。声のトーンまで最高!ボイスメッセージを聞いてはっとした。Lの声音って優しい。福田麻由子 as二階堂真希「女王の教室」の進藤ひかる役が印象に残る。暗い役のイメージが強かったがいい顔をして笑うんだなあ。子役二人が光っててLとうまく調和してる。ある意味ピーターパンのようなLにとって、ウェンディと弟のような存在だったろうか。見た目が異形であっても、“ネバーランド”よりこの世界を愛していただろうに、Lは。むしろ『シザーハンズ』のエドワードに近い?福田響志 as BOYウィルス兵器を試用されたタイの密林の町の生き残り。数学の天才でFからの贈り物。小さいながらも存在感のある演技で感心感心。久條希美子 as工藤夕貴 気合十分。 FBIの駿河 as南原清隆 ・・・・・・なんで?『DEATH NOTE』のスピンオフ企画がもはや本編をしのぐ勢い。「子守は初めてですが、苦手なようです」「確かに苦手分野ですが・・・・・・」と言いつつ、不器用に(淡々と懸命に)接するLの姿が微笑ましい。「ワタリ、この世界でもう少し生きてみたくなりました」。初めて見せる笑顔とともにこぼれる一言。しかしこの言葉が発せられた時、彼に残されていた時間を思うと、とても、切ない。もっとLが観たい。観たいったら観たい。四の五の言わずに魅せてくれ。Lファン必読!ロールエンドが終わるまで席を立たないこと。最後に終幕のメッセージと掛詞(?)でLの本名が出ます。コードネームには意味があった。ランダムじゃなかったんだなあ。Lの大ファンという写真家蜷川実花の撮りおろしで、ビジュアルキャラブック『L FILE No.15』が発売されているらしい。「うっとりな写真ばかりですので、ぜひご覧になってくださいね」って蜷川、どんだけ好きなんだ。
2008.02.21
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監 督:中田秀夫 原作:大場つぐみ 脚 本:小林弘利 主題歌:レニー・クラヴィッツ 『アイル・ビー・ウェイティング』 松山ケンイチ as Lう~ん。いい。松山ケンイチのL。公式サイトで使われている略称が「松ケン」(Wikipedia)だってのには笑ったけど。初の連続ドラマ主演作『セクシーボイスアンドロボ』では、相方の七色の声を操る少女・ニコを『SAYURI』でチャン・ツィイーの少女時代を演じた大後寿々花が演じるというので一粒で二度美味しい企画だ!と飛びついたものの、はまりきれなかった私。今回は堪能した。「甘いものは脳にいいんです」とお菓子をおでん刺しにする所業も、コーヒーが溢れ出そうな砂糖の投げ入れも、ゾンビダンスのようなパソのキータッチも、L座りも健在。普通ならドン引きしそうなメイクと行動パターンにここまで魅かれるって不思議だなあ。声のトーンまで最高!ボイスメッセージを聞いてはっとした。Lの声音って優しい。福田麻由子 as二階堂真希「女王の教室」の進藤ひかる役が印象に残る。暗い役のイメージが強かったがいい顔をして笑うんだなあ。子役二人が光っててLとうまく調和してる。ある意味ピーターパンのようなLにとって、ウェンディと弟のような存在だったろうか。見た目が異形であっても、“ネバーランド”よりこの世界を愛していただろうに、Lは。むしろ『シザーハンズ』のエドワードに近い?福田響志 as BOYウィルス兵器を試用されたタイの密林の町の生き残り。数学の天才でFからの贈り物。小さいながらも存在感のある演技で感心感心。久條希美子 as工藤夕貴 気合十分。『DEATH NOTE』のスピンオフ企画がもはや本編をしのぐ勢い。「子守は初めてですが、苦手なようです」「確かに苦手分野ですが・・・・・・」と言いつつ、不器用に(淡々と懸命に)接するLの姿が微笑ましい。「ワタリ、この世界でもう少し生きてみたくなりました」。初めて見せる笑顔とともにこぼれる一言。しかしこの言葉が発せられた時、彼に残されていた時間を思うと、とても、切ない。もっとLが観たい。観たいったら観たい。四の五の言わずに魅せてくれ。今回のキャストはなかなかだと思ったのだが、ただ一つ、FBIの駿河役がなんでまた南原清隆(ナンチャン)なのか、わからない。纏っている空気が明らかに違うのに。なぜ?Lの大ファンという写真家蜷川実花の撮りおろしで、ビジュアルキャラブック『L FILE No.15』が発売されているらしい。「うっとりな写真ばかりですので、ぜひご覧になってくださいね」って蜷川、どんだけ好きなんだ。
2008.02.21
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公開中の『L~change the WorLd』に行く前に『DEATH NOTE デスノ-ト』を観た時の感想を読み返してみよう、と思いつく。 DEATH NOTE デスノ-ト 前編 監督: 金子修介 原作: 大場つぐみ 『DEATH NOTE』(週刊少年ジャンプ連載) 藤原竜也.................... 夜神月 (やがみ らいと)松山ケンイチ................ L(エル)/竜崎 (ならRだろうって)素顔の彼は・・・・ 瀬戸朝香.................... 南空ナオミ 香椎由宇.................... 秋野詩織 細川茂樹.................... FBI捜査官レイ 中原丈雄.................... 松原 顔田顔彦.................... 渋井丸拓男 皆川猿時.................... 忍田奇一郎 満島ひかり.................. 夜神粧裕 五大路子.................... 夜神幸子 藤村俊二.................... ワタリ 鹿賀丈史..................... 夜神総一郎 将来は父同様警視庁で第一線の活躍を目指すエリート大学生、夜神月はある日、警視庁の部外秘の記録をハッカ-する事で入手し、法による正義に限界と幻滅を感じ、無力感にさいなまれる。そんな時、彼は偶然一冊のノートを拾う。「拾った時からお前のものだ」という前の持ち主は死神。『DEATH NOTE』と書かれたそのノートに名前を書かれた人間は死ぬ、という記述通りに、犯罪者は次々と死んでいった。ノートが本物であることを確信した夜神月は、自らの手で犯罪者を裁くことを決意し、救世主キラとして大衆の指示を受けるようになる。やがて犯罪者の不審死が連続殺人だと指摘する謎の探偵L(エル)が警察に協力を申し出、インターポールも事件解決に乗り出すのだが・・・。 ベ-ルを脱いで姿を現したかと思いきや、やたらな甘党で礼儀のなってないオタッキ-なLが印象的。「自分と同じ幼稚で自己顕示欲が強い」キラ(月)との対決は今後が見物。夜神月役の藤原竜也が肩に力の入った演技で好対照だが、優等生ライトの正義感ゆえの歪みを演じているのだとしたら鼻につき具合がお見事。この二人、かけはまったく違うが同病相憐れむ式の近親憎悪じゃないかと思えるくらい根っこは同じな気がする。正直CGの方は拍子抜けしたが、漫画だからなあ、と思えば現実から浮遊した感じが微妙にいいかも。よくわからん。デスノ-ト自体は小道具として目新しいものではないが、原作が大ヒットしたからにはやはり独自の魅力があるのだろう。二人の対決が素直に気になる。 2006年7月30日 記なんだか微妙な感想。しかも後編の感想がない。松山ケンイチのLは期待通りに面白いと思うんだけどな。さて。
2008.02.20
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「シルク SILK」監督: フランソワ・ジラール 原作: アレッサンドロ・バリッコ 『絹』(白水社刊) 脚本: フランソワ・ジラール 音楽: 坂本龍一 マイケル・ピット as エルヴェどこかで見たと思ったら「ヴィレッジ」(2004)で主役のアイヴィー(ブライス・ダラス・ハワード)を森に残して村へ引き返してしまう男二人の片割れだったのか。名前と顔の記憶がままならない私だから、その時に見た顔の記憶かどうかはいまひとつはっきりしないが。演技の評価は割れそう。言葉が少なく、女性二人に食われそうだったものの、表情が少年から男に変わっていった印象はあるのだけど。この人はロケ地になった「サカタ」に来たんだっけ? キーラ・ナイトレイ as エレーヌ雰囲気が似てるあの女優、誰だっけ?!悶々としたあげく思い出したウィノナ・ライダー。「エイリアン4」の後どうしているのだろう。それはさておき、ナイトレイ。ナタリー・ポートマン演じるアミダラ女王の影武者役から若干20歳にしてアカデミー主演女優賞にノミネート(「プライドと偏見」・・・・・好き)された実力と存在感はさすが。芦名星 as十兵衛の妻?「男なら絶対キーラ・ナイトレイを選ぶだろう、普通!」というコメントが多いようだが、彼女のオリエンタルな魅力も「女」としては捨てがたかったなあ。「ナイトレイの純愛」に目がくらむのか、世の男たちは。但し、主の命かエルヴェに女性をあてがって歓待するシーンで涙を見せるのはいただけない。凛としてあくまでも自信に溢れ妖艶に微笑んでいればいいのだよね。世界の果てまで足を向けさせる謎めく美女としては。役所広司 as原十兵衛密輸に潤う隠れ里の長。今回は特にオ-ラなし。中谷美紀 asマダム・ブランシュ原作ではどんなふうに描かれてたんだろう。キーパ-ソンの割りに出番は少ないし、役柄も難しかっただろう。とりあえず英語は役所さんよりずっと巧いと思う。坂本龍一の音楽が静謐。いろんな意味で寡黙な映画だ。世界の果て、日本までの旅もあっさりしていて過酷な道中は描かれない。当時鎖国状態だった日本に蜜入国するのだから、それなりに苦労の跡は見えるものの。それがテーマでない以上、ストーリーに支障はない。しかし、全体に台詞も少なく時代背景の詳しい描写もない一見淡々とした撮り方が、ここにも端的に出ているように思える。冒頭の温泉シーン(なんと芦名は朝から日が沈むまでずっとお湯に浸かりっぱなしで倒れてしまったらしい)は幻想的だったが、エレーヌの愛に応えて造られた庭園こそ、圧倒的に美しい幻想の庭であって欲しかった。純愛に例えられる百合が夢のように咲き乱れる姿こそ彼女を偲ぶ追憶の庭であり得たのに。エレーヌが可愛がり庭を託す少年は誕生の直前父が失踪してしまった。何も語らなくなり、その理由さえ告げず姿を消したという父親の沈黙を、エルヴェの告白を聞いた彼はどう理解しただろう。語れない何かを抱えて人は生き、死んでいく。初めから終わりまでこの作品自体が一人の男の告解(仏教にはない文化だ・・・・・・)なのだと思えば、寡黙であることにも観客向けの描写が少ないのも納得がいくか。
2008.02.15
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陰日向に咲く監督: 平川雄一朗 原作: 劇団ひとり 『陰日向に咲く』 脚本: 金子ありさ 主題歌: ケツメイシ 『出会いのかけら』 岡田准一 asシンヤ こんなに気弱なのにギャンブル(パチンコ)好き。百均の「私の出産ノート」が家計簿代わり。アイスとホットを間違えて買った缶コーヒー代の出費まで書いているのに、昨日も今日も明日も変わらない日々。優しさと弱さが同分量、の悲しさ。オレオレ詐欺を強要されて・・・・・・。三浦友和 asリュウタロウホームレス生活を始めたエリートサラリーマン。だが携帯は捨てられない。敬愛するカリスマホ-ムレス、モ-ゼに「お前にぴったりだ」、と渡される餞別代りのダンボ-ルには『こわれもの』の表示。三丁目の医師役といい、鳥インフルエンザの脅威を扱ったNHKスペシャル副院長役といい、 最近芸の奥行きが増したなあ。宮崎あおい as鳴子・寿子自分の母親の奇天烈な人生と選択に、ここまで理解と同情を示せる娘って 伊藤淳史 as雷太才能も運も押しの強さもない男の終着駅は西田敏行 asモーゼYシャツってこういう着こなしができるんだ。これならパンツのゴムも不要だ、うん。平山あや asみゃーこ25歳の崖っぷちアキバ系アイドル、みゃーこことドロ子さんに「ふりむキッス」塚本高史 asゆうすけ初恋の彼女以外、ほんとに恋したことがないからアキバの店長なのか・・・・・・。明らかにオタク三人組の中では異色なのだが緒川たまき asジュピター 舞台では「ノーモアウォー」の掛け声も勇ましくにこちゃんマークの傘をさして踊る人気ストリッパー。声がいいんだなあ。あの染み入るように透明な、幸薄い感じが。陰日向。「日」をはさんで真ん中からそれぞれ左右に読めば「日陰」と「日向」は隣り合わせなんだな、なんてことをポスタ-を眺めながら思う。オープニングで登場する人々の物語が、最後にどう結ばれるんだろう、とワクワクしながら見た。暴風雨に飛ばされる黄色い傘が、縁をたぐるように人々をなぞる。台風の勢いに押されるようにして一気に交錯する物語の行方。最後にその傘を手にする人物は。日向で咲く花もあれば日陰で育つ花もある。負け組・勝ち組に分けたくなるのが世の常だけど、日向か日陰か、立っている場所が優劣を決めるんじゃなく、今そこにいることを納得できる自分でいるかどうかじゃないんだろうか。陽は日陰にも差す。真の闇ではないのだ。明るさに目を慣らしながら踏み出すタイミングを間違わなければいい。
2008.01.27
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ブレイブ ワン THE BRAVE ONE 監督: ニール・ジョーダン 脚本: ロデリック・テイラー 音楽: ダリオ・マリアネッリ ジョディ・フォスター asエリカ・ベインベッドシ-ンでの愛撫と、瀕死の彼女に手当てを施す病院スタッフの応急処置を二重写しで映す絡みのシ-ンが、そう切なくないのは、ジョディが艶っぽくないのが原因だろうか。結婚直前の熱愛ぶりなのに。でもそんなジョディが私は好き。テレンス・ハワード asショーン・マーサー刑事親しい者が犯罪に手を染めたら逮捕できるか、を問い続け、YESと言える刑事でありたい、と自らを戒めてきた彼の最終選択は。さて。ナヴィーン・アンドリュース asデイビッド・キルマーニ ジョディ演じるエリカの婚約者。失礼ながら「美しいモノト-ンの一対だなあ」と感服。こんなにガタイがよくても仁義の無い悪漢には勝てないってことだよなあ。人間性の「境界」を超えた悪意の存在に、丸腰の正義は勝てないんだろうか。メアリー・スティーンバージェン asキャロル 出番は少ないけど渋い。いかにもニュ-ヨ-クのキャリアウ-マン、な感じ。「ギルバート・グレイプ」にも出ていたらしけど、なんの役だろう。まさかあの巨大な母上ではあるまいし・・・・・・。ニッキー・カット asビタール刑事 この人も名脇役っぽい・・・・あちこちで見ているような気がするけど、はてな。“brave”(勇敢な、勇気のある)なのは誰だったんだろう。ニューヨークで『街を歩く』というラジオ番組のDJを務めるエリカ。婚約者デイビッドと結婚準備に追われるある日の散歩中に、いかれた若者3人組(襲撃の様子を携帯のムービーに撮り送信)に襲われ恋人は撲殺。自らも瀕死の重傷を負う。恐怖におびえアパートから出ることもできない日々。命を守るために手にした拳銃が、意図しなかった処刑人の道へ彼女を誘うことになる。 復讐は正義か?果たしてそれは許されるのか?映画の中で出される答えは、銃のない社会に生きる日本人にはわかりにくい。偏見を恐れず言わせてもらえばいかにもアメリカ(正義はどのようにしても行われなければならない、とするアメリカ)的なのだ。しかも銃という「力」なしに行われない正義。エリカの葛藤と変貌をジョディが熱演しているものの、払拭しきれないきな臭さと戸惑いがざらつく。“brave”(勇敢な、勇気のある)ってどういう意味だろう。
2008.01.25
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ボーン・アルティメイタム THE BOURNE ULTIMATUM 監督: ポール・グリーングラス 原作: ロバート・ラドラム 「最後の暗殺者」 原案/脚本: トニー・ギルロイ 音楽: ジョン・パウエル マット・デイモン asジェイソン・ボーン 今回も凛々しい。特撮全盛の昨今、清々しささえ覚える肉弾戦がまた。ジュリア・スタイルズ asニッキー・パーソンズ1作目での恋人役マリ-も決して美人ではなかったが続編(がありそうなエンディングで気をもたせている)にまた登場しそうな彼女も決して美人ではないと思う。いやしかし、観ているうちに美人に思えてくる「スパイダーマン」のヒロイン、キルスティン・ダンストの例もある。あなどれない。アルティメイタムの意味も知らずに観に行った。最後通告ってことだったのか。全3部作からなるロバート・ラドラムの原作“ジェイソン・ボーン”シリーズ完結・・・・・・のはずなのだが。「ロード・オブ・ザ・リング」では騎士エオメル、「リディック」では哀愁漂う司令官(悪役)を演じたが今回は殺し屋役で登場。最近あちこちで観ている、と気になりながらなかなか思い出せなかった。甘いマスクで非情な殺し屋。なかなか女性にアピ-ルするわね、これは。・・・・とここまで書いて下書きのまま忘れていました。はは(^^;) でもまあこれが真実かなあ、と。私にとっては主役のマットよりカ-ル・ア-バンが気になる存在だったので。それにしても「オペラ座の怪人」に出ていた怪人役ジェラルド・バトラーと王子様(ラウル)役パトリック・ウィルソンはいい男ですねえ。特にパトリックは私好み。映画ではそうでもなかったんですがHPで惚れ惚れ。なんとミュ-ジック版の「フル・モンティ」(男版ストリッパ-の物語?映画も面白かったのよね)に出演していた。ああ一度ナマで拝んでみたい。(注:このナマは本人に会いたい、という以上の深い意味はありません) この気がないにもほどがある感想は、前作『ボーン・スプレマシー』を見た私が2005年3月8日に書いていた感想。肝心の主役、マットについては一言もふれていない(あ、一言出てるか)。映画公開を控えて秋にテレビ放映された『ボーン・アイデンティティー』は、一度映画館で観ているのにもかかわらず夢中で観たのに。『気になる存在』と書きつつ「カ-ル・ア-バン」って誰だっけ状態の私は記憶力に不安を感じるお年頃。今回は逃亡から追撃に転じたボーンが目まぐるしく移動してテンポの早い展開。幕開けはロシア。パリ、ロンドン、マドリッド。タンジールでの異国情緒溢れる街並みをいかしたバトルも見応えがあるが、ロンドンのウォータールー駅での頭脳戦もお見事!溢れる人・人・人の中、一手二手と先を読み携帯で指示を出すボーンは憎いまでにクール。舞台は悲劇の始まりニューヨークへ。過去との対峙、そして記憶が甦った彼とCIA大物との最終決戦。ラストシーン。思えば彼の人生の転機は水に関わっている。海に落ちて過去を忘れ、すべてを思い出した今、新しい人生の鼓動が水中から生まれる。優しくて哀しいスパイに今度こそ幸あれ。
2008.01.24
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スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 SWEENEY TODD:THE DEMON BARBER OF FLEET STREETティム・バートンas監督ジョニー・デップとの名コンビは6作目だそう。初のタッグとなった『シザーハンズ』はよかったなあ。切なく甘い雪が降る終幕はトレビアン。 ジョニー・デップ as スウィーニー・トッド今回は「ナイ-ヴ」(字幕では「うぶ」)な愛妻家が、生きる糧だった妻を亡くして(娘への執着度合いは比較すると薄いような・・・・・・)殺人鬼に変貌していく天才理髪師を熱演。冒頭、すっぴんの趣きすらあるベンジャミンから、隈取よろしく悪の申し子のようなトッドへの変貌ぶりはお見事。メイクさんにも拍手!ヘレナ・ボナム=カーター as ミセス・ラベットトッドに2階を提供した、1階のパイ屋の主は「うぶ」なトッドに 『ほの字』だった未亡人。彼女の激マズパイが劇的に美味しくなったのには深くて単純な理由がある。カモは天(上)から降ってくるのだ。アラン・リックマン as ターピン判事ハリー・ポッターのスネイプ先生が悪徳判事役。なかなかいい声。書斎のシーンではエロえろぶりを遺憾なく発揮している。ハリポタからはもう一人、ロンのペットの鼠「スキャバーズ」に化けていた悪役も登場。こちらは掛け持ちで撮影したのかと驚くほどクリソツな風貌と性格。ジェイミー・キャンベル・バウアー asアンソニー・ホープ唯一爽やかな風を感じさせるこのマドロスは、トッドの娘ジョアンナに一目惚れ。濃い面々が登場する中ではオアシスのようなカップルだが、トッドが気の毒になるくらい、能天気な世間知らずに見えるのは、ジョニ-贔屓のオバサンだけだろうか。王子ブーム真っ最中の日本ではブレイクしそうな王子様系。ジョニーを含めたほとんど全員が歌い手ではない、という役者を揃えて贈るホラー・ミュージカル。それでも学芸会になっていないのは流石。どちらかと言えばミュ-ジカルは苦手な私でも、異様なメイクと時代背景が強烈なせいか(英国に実在したと言われる理髪師にして殺人鬼がモデル)、妙な表現だがむしろ違和感がない。19世紀のロンドン。フリート街で美しい妻、生まれたばかりの娘と幸せに暮らすベンジャミン・バーカーは腕のいい床屋。だがある日突然、妻に横恋慕した好色なターピン判事に捕らえられ、無実の罪で海の彼方へ流刑にされてしまう。十数年後、“スウィーニー・トッド”と名を変えロンドンの街に戻ってきた彼は、愛してやまない妻が判事の罠にはまり悲嘆の末自殺し、娘はその判事の養女となり幽閉されている、という事実を知らされ、復讐に生きることを宣言する。彼が復讐の鬼から殺人鬼になったのはなぜか・・・・・・。 オープニングから引き込まれるティム・バートンらしい映像。今回はチョコレ-ト工場ならぬミンチ工場だから、モノクロな背景の中生き物のように踊る真紅の血が、スト-リ-を暗示して印象に残る。景気よく散る人工的な血しぶきは『座頭市』(北野武監督)を思い出させた。この作品、恋愛物として観ると、作中の人物評価が複雑だ。たとえばミセス・ラベット。清濁あわせ持つ悪のマドンナ。「うぶ」なベンジャミンも、別人のように変貌したトッドも両方まるごと愛した彼女こそ、本人が叫ぶように「(トッドを)幸せにできる」女性だったかもしれないのに。恋女房が生きていたとして、彼を受け入れられたかどうか。あるいはトッドは愛する妻ごと「昔の自分」を取り戻したかったのか。人生ってないものねだりの連続。幸せな余韻に包まれる映画ではないので、好みは分かれるかも。
2008.01.21
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ALWAYS 続・三丁目の夕日 監督: 山崎貴 脚本: 山崎貴 古沢良太 原作: 西岸良平 『三丁目の夕日』 主題歌: BUMP OF CHICKEN 『花の名』 堤真一 as鈴木則文 相変わらずちゃぶ台をひっくり返しそうな勢いが最高(実際にはひっくり返さないところに、家族やものを大切にする時代の温かみを感じる)。愛する「鈴木オ-ト」に絡むと怒髪天をつく生き様を、可笑しくもリスペクト。そこまで一直線な愛を、仕事や会社に抱ける人間は現在稀少種。 薬師丸ひろ子 as鈴木トモエ こういうお母さんを演じられる女優になると、セ-ラ-服で機関銃を撃ちまくった頃に誰が想像しただろう。女子高生から女学生への変容。 堀北真希 as星野六子 (むつこ)大企業のOLになれるつもりで集団就職の仲間たちと上京した前作、下町の工場なのを見てふて腐れた六ちゃんも、すっかり鈴木オ-トの家族。新入りのお嬢に「六ちゃんは従業員じゃないのよ。家族なの」とトモエが言うと『うんうんうん!』と皆(本人を含む)が一斉に首を振るシーンにその浸透ぶりを見た。 吉岡秀隆 as茶川竜之介まったくタイプじゃないが、今回は気にならずに観ることができた。私の中で彼はもう『茶川竜之介』。 三浦友和 as宅間史郎「やきとり踊り」で子どもをおびき寄せて“ぶっとい”注射をする、と恐れられている「悪魔」こと宅間医師。前作でたぬきに化かされ、亡き妻と娘に会う事ができた彼は、夢よもう一度、と好物の焼き鳥をもって狸の住処に通っているのだ。「おうい、出てこいよぉ。焼き鳥、好きだろう?」と串を振る彼に「本官も狸に会ったらすぐに化けて出るように伝えておきます」と真顔で言う巡査がいた時代・・・・・・。昭和30年代のおもちゃ箱のような趣があるこのシリ-ズ、今回も街並みや風物(この頃ってシーツがなかった?!布団にそのまま寝るのがどうにも気になる)でしっかり楽しませてくれる。冒頭のゴジラのシ-ンで度肝を抜かれるが、今回はこういう仕掛けもありなんだな、と予感させる。タケシのように首をぐるりと巡らせる動作は、ゴジラ独特のものか茶目っ気なのか。ひょっとしてタケシの方がパクリ?少女漫画専門だった私はこういう方面に疎いのだ。仕掛けの1つでもある「蛍」。夕焼けの温もりについ忘れそうになるが、この時代は戦後の復興期。戦争の影が残っていることにあらためて気付かされる。堤真一が感じる生き残ったことへの罪悪感は、元特攻隊員に限らず、当時誰の胸にも安堵とともに漠然とあったのだろう。福士誠治演じる『家族っていいですよ』が口癖の戦友と飲み交わす一夜は、『幸せでいていい』ことを己に許すために必要な、限りなく現実に近いファンタジ-だったと思えてくる。 幸せな時代にも光と影はあった。当り前の事なのに忘れている。物価がどんどんあがり米の代金にまわすために給食費を払えずお昼を抜く子ども、その子どもに「みんなと同じように気にせず食べていいのよ」と語りかける教師。「お金よりも大切なものがある!」と叫ぶ茶川の言葉が代表するように、今回は善悪の境目がよりはっきりと描かれる。それでも胸が熱くなってしまうのは、完全な悪役など存在せず、相手を思うからこその行きつ戻りつや、本気の涙や、怒りがあるから。
2008.01.16
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監督: 山崎貴 原作: 西岸良平 『三丁目の夕日』(小学館ビッグコミックオリジナル連載) 出演:吉岡秀隆 .......茶川竜之介 堤真一 ......................鈴木則文 小雪 Koyuki ...........石崎ヒロミ 堀北真希 ..................星野六子 三浦友和 ...................宅間史郎 もたいまさこ .............大田キン 薬師丸ひろ子.......... 鈴木トモエ 須賀健太................. 古行淳之介 小清水一揮............. 鈴木一平 益岡徹 .....................劇場支配人 西岸良平の『三丁目の夕日』をまだ読んでいない。その分気楽に観る事ができたかな。私が生まれるちょっと前の東京。文化の伝達度に差があった当時を考えるとほぼリアルタイム?(笑)昭和30年代の東京下町をかなりこだわってリアルに再現してるなあ。堤真一が演じる自動車修理「工場」鈴木オートの頑固一徹親父が見ていて気持ちいい。この頃の親父は卓袱台をひっくり返していたんだろうな。我家の卓袱台はひっくり返されることなく小学校高学年の頃だったかにテ-ブルセットにかわり、それと同時に父の権威は落ちた。食事の時は正座しろ、という小言にやだやだと思いながらも威厳を感じていたのだけど、あぐらをかいて座っていた父が食卓テ-ブルの洋椅子になってからきちんと腰掛けられず、あぐらのまま椅子に乗っかっていたのが、なんとも興ざめでヘンテコに見えたから。思春期の娘が父親に幻滅するのに大きな理由はいらないものだ。鈴木オ-トの向かい、駄菓子屋の店主で小説家の茶川竜之介と、居酒屋の若い女主人ヒロミ(小雪がまたいい感じで演じている)のやり取りで泣けたのは、見えない結婚指輪のくだり。吉岡秀隆って私の美意識には添わない男なので贔屓目無しで見ていたけれど、ここはちょっとぐっと来た。でも私のいち押しは、複雑な家庭環境に逆らうでもなく逍遥と受け止めている少年・淳之介。典型的なガキ大将の一平と好対照でやっぱり泣けた。ラストの夕日に浮かび上がる東京タワ-は圧巻で妙に郷愁を誘う。東京タワ-を見に行きたい。ほとんど衝動的に思ったのは映画の力。そう言えば最後に見たのはいつだっけ? 2005年12月3日記 現在の私からのコメント 連休中に観に行く続編に備えて以前の感想を読み返してみた。 子どもの頃の私事まで書いているところをみると、思う存分郷愁に浸ったんだろうな。 1950年代、三種の神器と呼ばれた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫はこんな風に登場したのか、と感心した。 最後の東京タワ-の夕景は印象的だった。 その後、映画『東京タワ-』でも感動して、一気に私的人気急上昇。 ・・・・・・にもかかわらず今だ訪れていないのを思い起こして意味もなく焦る。 エッフェル塔と東京タワ-を融合・デザインした手ぬぐい、これはちょっと素敵だ。
2008.01.11
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ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記 NATIONAL TREASURE: BOOK OF SECRETS監督: ジョン・タートルトーブ 脚本: コーマック&マリアンヌ・ウィバーリー ニコラス・ケイジ as ベン・ゲイツう~ん。タイプじゃないのに(どっちかと言えば捨てられた子犬を装った女好き、なイメ-ジ)なんとなく観てしまうなあ。そこが魅力?ダイアン・クルーガー asアビゲイルワシントンの国立公文書館の責任者。第二作目にありがちな展開で、ベンとは疎遠になっている。家具分割制度が適用されたってことは彼らは結婚してたのかな。さて。彼女がご執心のテ-ブルの行方は?ジョン・ヴォイト asパトリック・ゲイツ暗号解析の第一人者。しかし今回一人では解読できず二度と会いたくない天敵を訪れることに。怯え方が可笑しい。エド・ハリス asウィルキンソン 軍服に映えるブル-アイが素敵な彼も、今回はずいぶんと老けた印象。花の色はうつりにけりな。ヘレン・ミレン as エミリー・アップルトン博士ベンの母親。姓が違うということは別居じゃなくて離婚だったんだろうなあ。息子には甘いが元夫には手厳しい。テキ-ラの罪深さを嘆くこと数回。少数民族や古代言語が専門。ジャスティン・バーサ asライリー・プールレギュラ-なのに地味な役どころ。「ボクが残るよ」の場面では実際不憫なくらい哀れ。 今回は宝探しのミステリ-より人間関係が中心なんだろうか。彼女と別居するようになったって何があったんだ?とジャスティンに聞かれて答えるベン。「話す時に、“じゃあ(So, )”ばっかりつくようになった」「“じゃあ(So, )”あなたは私の事はどうでもいいのね」「“じゃあ(So, )”あなたは私がどう思っていようと構わないのね」とか。(注:完全な文章を思い出せないのであくまでも例文)ラストシ-ン。彼女はベンに嬉しい提案をする。しかし目を伏せて首を振るベンは・・・・・・。「最初に“じゃあ(So, )”がつくのは怒っている時の口癖だ」「そういう時もあるし、そうじゃない時もあるわ」 「暗号の解読と同じよ」「あなたは得意でしょう。“じゃあ”見分けられるわね」エド・ハリスへの思い入れのせいか、どうも中途半端な役どころだったように思えて不満。ク-ルな悪役をきりりとこなす彼を起用しながらどういう脚本だ?悪役が悪役として機能してこそ全体が面白くなるんじゃないかあっ。今年の一本目だというのに。どうしてくれよう・・・・・・さあ、二本目だ! 蛇足:今回紹介したかった画像『ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記』はアフィリエットになかったので、1つ前の旧作の画像。商業用のブログでなければHPで見つけた画像を自由に楽しめるようにならないかなあ。約束事と言われればそれまでだけど、Webで情報収集するのも個人の楽しみの1つ。せっかくの利点が生かせないのはやはり残念。
2008.01.05
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昨日の地方新聞の折込でこの土日に『街かど映画館』なる催しがあることを知る。12/1~2 酒田市民会館「希望ホール」小ホールで、開場午後1時 開演午後1時30分12/1は無声映画「眠るパリ」と「キートンのセブンチャンス」を地元出身の活動弁士、佐々木亜希子さんの語りで。12/2は名作映画「恐怖の報酬」と「カサブランカ」の二本立てで。活動弁士による無声映画は観たいみたい、と思いながら過去2回チャンスを逃している。前日に舞い込んだ、これぞ神の啓示。行かねばなるまい。自由席だから一応開場時間には到着するように行こうか・・・・・・などと余裕をかましている場合ではなかった。受付に並んだ時点で当日券は販売打ち切り。なんとか入場できてよかったよかった。『眠るパリ』 ルネ・クレール監督 (1923年仏)眠るってこういう意味だったのか。叙情的な意味合いかと思い込んでた。マッドサイエンティストの博士が開発したレ-ザ-をあびてすべての時間が止まったパリの街。動いているのはその時刻、パリの上空にいた飛行機の乗客たちとエッフェル塔の管理人だけ。“Bcause we were in the air!"なんだそれ!と思ったが、その後当の博士がエッフェル塔の上までレ-ザ-を照射するには・・・・・・なんぞと計算に没頭するあたりで納得。SF映画の走りとなる作品のようだが、SFXなどない時代のこと、なんだかのんびりしていていい。エッフェル塔が出てくるあたり、いかにもフランスっぽくてそこもいい。欧米では音楽のみで観賞したという無声映画。日本では活動弁士付なので字幕は買い取った時の英語のまま。日本だけの文化なんだろうか。いいよね、弁士付き。15分の休憩。隣室の小部屋には酒田の古い映画館にあったポスタ-やちらしなどが展示されていた。楽しいのが広告欄。時代を映す鏡。昔集めたミニチラシを捨ててしまったのが急に惜しくなる。後半上映された『キートンのセブンチャンス』バスター・キートン監督(1925年米)は最高に面白かった。 「セブンチャンス」は某サロンに入った主人公を演じるキ-トンが、共同経営者の友人に「君の知っているご婦人は何人だ?」と聞かれて7名の名前を挙げたからなのだが・・・・・その訳は作品を観て納得していただきたい。いやいや。実に楽しい。教会にキ-トンの花嫁候補が象の群れのごとく殺到するシ-ンでは「フィガロの結婚」、その後追い回されるシ-ンでは過激になるにつれ「剣の舞」にBGMが変化。この頃は映画音楽はまだなくて、既製の音楽を上手に使っていたんだなあ。上映前に佐々木さんが語った「今観ても斬新」の意味がよくわかる。床屋でのマネキンのコメディ(首だけすっぽり取れちゃう)も可笑しいし、彼を結婚詐欺だと勘違いして追いかけ回しているうち、「殺すつもりじゃなかったの。ちょうど(クレ-ン車から彼を落っことしたところへ)列車が来て・・・・・」と涙にくれるところへ、ちゃっかり生き延びたキ-トンが絶妙のタイミングで登場。とたんに「待ちなさい!生かしちゃおかないわよっ!」と追い始める女たち。彼を追いかけて路上電車に乗り込んだのに、大勢が一気に詰めかけたため「アンタは邪魔よっ」と肝心のキ-トンは降ろされてしまう。この日の観客層は私の大先輩格の方が多かった。お孫さんを連れて前でご覧になっていた方もいたのだが、この男の子、大きな岩がごろごろと果てしなく落ちてくるのをかわして逃げるキ-トンの姿に「痛で痛で(いでいで=イタイイタイ)」「早ぇ早ぇ(はえはえ=早い早い)」を連発し大喜びなのである。あまりに気持ちよく笑うので後ろで聞いている私たちも可笑しさに拍車がかかる。(実際このあたりはクライマックスで面白さも頂点)弁士の佐々木さんも終了の挨拶で「前の方にも弁士がいらして」と笑ってコメントしたくらい。お仕事としては想定外だったと思うが、上映中も「痛いね、痛いよ-」と合いの手を入れて上手に対応してくださっていた。プロだなあ。主催者からの挨拶では3月にも企画があり、来年度からは毎月1回の定例にしたい考えらしい。ラインナップを早く知りたいものだ。明日の上映は『恐怖の報酬』と『カサブランカ』。『恐怖の報酬』を観たかったのだが、なんと明日は完売で当日券は今からないそうだ。残念。帰りは今日のお礼に、主催者の意図を汲んで街かどを散歩。のんびりできなかったし、夕暮れの早いこの時期、もう暗くなり始めていたので早めに退散してしまったが、路上で撮った写真を紹介。会場に続く道すがら。咲き始めた山茶花。向こうに見えるは山居倉庫。古い家の敷地にあった育ちすぎた木。それでも切らずに残してあるのが嬉しい。確か東京の下町でこんな光景を見たような・・・・・。
2007.12.01
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