最後の書き込みの後、右目が見えづらくなり受診すると白内障になっていました。手術まで半年待ちという状態でしたのでパソコンを開くこともなく活字も読まず介護と家事の毎日でした。
2012年、更に待たされ7月に手術、目が疲れやすくなったためパソコンを開くこともなくなり、今日に
至ってしまいました。
その間、夫はというと2012年の冬、食事性低血圧で意識消失、ベッドに運び数分後意識は戻りましたが何度も同じようなことが起こり飲み物以外は普通食でしたが主治医に相談して胃ろう造設となりました。
2013年4月、ケアマネが変わり訪問看護事業所が変わって1週間もしない間に肺炎で緊急入院、救急車で
救命センターに運ばれ、担当医から気管切開を人工呼吸器とセットで勧められました。
それは以前から本人の希望でした。多系統萎縮症の症状の一つの睡眠時無呼吸症候群からくる呼吸停止が
昼寝も含め睡眠時に起きていたので医師のご心配もよくわかっていました。
でも当時の私の体調は今までで1番ひどい状態で、この夫の肺炎の少し前にメニエール病を発症しめまい
による嘔吐を繰り返していて自分のことだけで精一杯でした。
私が吸引や呼吸器の勉強、カニューレのつけかたの練習に行けず私がこのままでは24時間在宅他人介護
が無理であれば、本人が全く望まない施設や病院での生活になってしまいます。夫が入院して3か月になろうとした時、夜間のヘルパーさんが決まり昼間も多くの時間を訪問看護師さんやヘルパーさんでカバーしてくださると聞いてからメニエール病の症状がおさまり、病院に在宅介護のための吸引の練習などに行けるようになり、現在に至っています。
夫は呼吸器装着後のイメージを「伝の心」を使いこなして自由に会話出来てなどと思っていたようでした。でも実際は不随運動で上手く文字が打てず、現在の意思確認もエア文字盤で行おうとしてもこちらの根気と努力が足りず、難しくなっています。最後は簡単な質問に瞬きでの応答、こちらの推測での話に夫が反応しての笑顔や瞬きです。先日、「呼吸器を付けたこと後悔することある?」と尋ねたところしっかりと瞬きで返していました。
口から食事することなく24時間365日、一人になる自由もなく聞きたくない話題と音、匂い、選べない人の中に身を置いているわけで、ケアプランをケアマネが作るときに本人の希望として「一人になりたい」と言ってきたのも全くもってうなずける話です。
つづきはまた書きます。
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