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大きな地震に遭遇しましたが、我が家は全員無事です。心配してメールやメッセージくれた皆さん、ありがとうございます。今日の15時頃に電気が復旧したのでやっと連絡できるようになりました。取り急ぎご連絡まで。
March 13, 2011
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食器棚から落下した、中川ワニ珈琲のコーヒー缶。3年前のGWにCINQ plusで購入したお気に入りです。丈夫な缶だけど、あちこちへこんでしまいました。今日はお昼頃、スーパーやホームセンターへ出掛けてきました。混んでくると入場制限されこともあるけど、さほど並ばずに買えました。1回の買い物で1家庭10点までとか15点までとか制限はあるし、並んでいないものもあるけど、震災直後に比べたら全然平気です。トイレットペーパーを買ってる方をよく見かけました。断水は解消されつつあるせいか、飲料水のペットボトルは山積み。飲料水の不足している地域に回して欲しいものです。ガソリンや灯油は緊急車両や災害復興車両、それに孤立している被災地などへ最優先で供給して欲しい。一般家庭にはまだ無理だと思って、並んで買うのは諦めてます。* * * * *3月12日、震災2日目。朝玄関ポストを覗くと、新聞が届いていました。阪神大震災の時、神戸の新聞社が京都の新聞社の協力で震災翌日に新聞を発行したというドキュメンタリードラマを見たことがあったので、もしかしたら・・と思っていたのです。今回の朝刊も、緊急時新聞製作相互支援協定を締結している新潟日報社の全面協力で作製したとのこと。被災後初めて見た画像・・・ショックでした。11月に保育園の同じクラスの子たちと芋煮会&BBQをした場所が、水没しているのです。市内でも、沿岸地域で数百人の死者が出たとのこと。前日の大津波は、自分の想像をはるかに超えたものでした。。。朝は運よく町内会の炊き出しに遭遇出来、わかめごはんを食べることができました。後ろにも並んでいる方がいたので、2人分貰って4人で半分こ。昨日はろくに食べていない子どもたちに「好きなだけ食べていいよ」と渡すと、「はい、お母さんの分」と息子は半分残してくれました。娘はおかずがないからか震災のショックからか、あまり食が進まないようでした。上司から職場の片付けをするので9時頃に出勤するようにと言われていたので、自転車で出勤。職場のすぐ近くのところまで来ると、車両通行止になっていました。ここまで来たのに行けない?職場も水浸し??と焦ったけど、交通整理の方に聞いたらこの道路が災害復興車両のみ通行の交通規制をしているだけで、別の道を通れば行けるとのこと。別ルートで職場にたどり着き、黙々と片付けをしていると、何も連絡してなかったのにプロパンガス会社の方が「遅くなりました~!」とやってきて、点検をしてくれました。「これは大丈夫ですね。使えます。」と言われ、職場のライフラインがひとつ復旧。水道は最初から断水してませんでした。旦那と交代で出勤するため、お昼まで片付けをして帰宅。昼ご飯には、食べてみたら大丈夫そうだったので、前日の朝に作った筑前煮を食べました。冷たいけど、美味しかった。近くのスーパーで15時から店頭販売をするというので、子どもたちを連れて1時間前から並びました。隣のドラッグストアでも店頭販売をしていて、息子がそっちに並びたいというので、息子にはドラッグストアの行列に並んでもらいました。スーパーで販売したものはペットボトル飲料・スナック菓子・カップ麺・果物の4種類のみ。1種類につき1人5点まで買い物できるとのこと。店内は危険なので、大きなカートを沢山並べてその中から品物を取り、最後に会計をするという流れ作業方式。娘の分も買いものできますよ~と言われ、2人分のかごを貰いました。果物は数が少なくなっていたので1人1個にして、全部で2人で24点買いました。買い物をしたあと、娘が「買い放題だったね~」などと言うので可笑しかったです。ドラッグストアの行列は進みが遅かったので、スーパーで買い物をしたあと、息子と合流。FNNのTVが行列の様子を取材していました。この日の晩ご飯は炊き出しには間に合わなかったので、残っていた食パン(2枚を4人で半分こ)とサラダやカニかまなどで済ませました。電気が使えないのでファンヒーターも使えず、温かいものが食べたくて仕方なかったです。
March 19, 2011
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震災で割れてしまった薔薇の植木。新芽が出ていました。春ももうすぐですね。今日はホットプレートがあったら・・・とケーズデンキへ行ってみたら、カセットコンロが売っていました。それに、単1電池も。IHクッキングヒーター・電気コンロ・1L以上の湯沸かしポットなどは売り切れでした。大きな余震に備えてひと家族にひとりずつ店員が付き添っての案内になるため、行列はできてたけど進みは早かったです。我が家の調理に使える電化製品は、オープンレンジの他は↓だったので、カセットコンロが買えたのは嬉しいです^^ カフェケトルがあって本当助かりました。身体を洗うには3回くらい沸かさないといけないけど、これがなかったらカップ麺も食べられなかったです^^;昨日は、父が救援物資を持って駆け付けてくれました。高速が使えないので山形経由で。子どもを思う父の気持ち・・・本当ありがたいです。キャベツ二玉とか量がいっぱいだったので、近所に住む先輩におすそ分けしました。朝市へ行ってきたという先輩からはお肉をいただきました。震災後、職場の人とも分けっこして過ごしてます。姉も、自宅にあった電気鍋を定型外郵便で送ってくれたそうです。いつ届くか分からないと言われたそうですが、その気持ちが嬉しいです。* * * * *3月13日、震災3日目。朝食は集会所の炊き出しでバナナ・クラッカー・味噌汁を食べることができました。出来るだけ多くの方に行き渡るようにと味噌汁は器の3分の1くらいの量だったけど、久しぶりに食べる温かい食べ物だったので、とても美味しかったです。娘の顔が赤いな・・と思って、熱を測ってみると38度8分。昨日もたまに咳き込んでたけど、元気いっぱいだったので疲れが出たのかな?と思ってました。娘は熱性けいれんを2度起こしているので、38度5分以上の発熱には要注意なのです。新聞情報によると、同じ区内で2箇所軽症者の診療を受け付けている病院があったので、自転車に娘を乗せて出掛けました。でも、2箇所とも子どもは診察できないと断られ、隣の区の急患センターへ。インフルエンザでは?と思ったけど、検査するならもう少し時間が経ってからの方がいいと言われ、炎症を抑える薬と高熱の時に使う解熱剤を処方されました。会計時に、月曜から診療を再開する小児科情報も教えて貰いました。11日の朝にフル充電していた私も携帯も、いよいよバッテリー切れに。旦那の携帯は震災当日にバッテリー切れしてたので、外部との連絡手段がなくなりました。停電がいつ復旧するか分からないので、動ける休日のうちに出来ることはしておこうと、銀行の非常払を利用することに。近くの支店ではやってないので、取扱いをしている支店まで自転車で出掛けました。帰り道にあるお店でたこ焼きを販売していて、並んでるのが2~30人。このくらいなら30分も待てば大丈夫そうだし、たこ焼きを買っていったら子どもたちもテンション上がるだろうなぁと思って行列に並びました。・・・が、個数制限をしてなかったので思ったより時間が掛かり、1時間くらい並びました。待っている間に、市内中心部は停電が解消されているので、この辺も夕方には復旧するだろうという話を聞いて、元気が出てきました。たこ焼きを買って自宅近くまで来ると、行く時には動いていなかった信号が動いている!そして、自販機でジュースを買ってる人も!嬉しくなって私も思わず自販機でHOTの飲み物を買いましたが、出てきたお茶は常温。出てきてから、電気がついてすぐに温かくなる訳がないって気付きました(苦笑)。隣の地区は復旧したのに、帰宅時にはまだ復旧していなかった我が家の電気。帰宅して少しすると復旧しました。電気の復旧と共に水道も出るように。断水してない地区だったけど、マンションの貯水タンクから水を供給するのに電気が必要なので、水が出なかっただけなのでした。近くの公園では水が出ていたのでそこへ水汲みに行っていて、「公園は災害時にも水が出るようになってるんだな~」と感心してたけど、そうではなかったようです。公園とマンションを何度も往復して、やっとお風呂に4分の1くらい水を貯めた旦那は、水道が出るようになって脱力してました^^;区役所や避難所など公共性の高い建物がある地区から優先して電気を復旧させてるそうで、この地区は早く復旧した方でした。早速携帯を充電して炊飯器をセットし、固定電話も使えるようになったので実家へ連絡。・・・が、実家の方の電話回線がダウンしていて、両方の実家の電話が繋がりませんでした。夕方に復旧して連絡が取れたけど、義父母は携帯を持ってないので固定電話が復旧するまで連絡できず、心配していました。震災後、初めて見たTV。自分の行ったことのある場所が跡形もない無残な惨状になっていて、しばらく見ていたけど、気持ちが沈んでどうしようもないので、TVは消して早めに寝ました。いただいたコメント、とても嬉しく温かい気持ちになって読ませていただいてます。お時間は掛かりますが、ゆっくりお返事させてください。
March 20, 2011
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すっかりご無沙汰しておりましたインスタを始めてからは、そちらがメインのようになってしまい、ブログは4か月ぶりの更新です(^-^;今回の楽天スーパーSALE。相変わらずゆる~く参加しております。1店舗目:爽快ドラッグ愛用品のマジックソープ944ml。シトラスオレンジが気に入ってます2店舗目:まるはちマートこれも愛用品の歯磨き粉。メール便送料無料。3店舗目:アヤハディオ ネットショッピング我が家のイエロージャンガリアンハムスター、きなこ。かなりのおてんば娘で、ゲージがあちこち傷んできたので、大きめのゲージを買うことに。姉の家でこれのピンクを使っているので、使い勝手は確認済みです。GWに姉の家へ行った時、きなこも連れて行ったのですが、姉のうちのほとんど動かない大人しいハムスターに比べ、きなこはかなり活発で、落ち着きがなかったです(^-^;・・・今回のマラソンは、この3店舗で終了。* * * * *すっかりご無沙汰してしまったので、ここ数か月の近況など。息子の受験は無事終わり、第一志望の高校へ合格しました。4月から自転車通学をしてます。受験が終わったらスマホを買う約束だったので、息子と娘(後で契約するのが面倒なので、一緒に申し込み)にスマホを買いました。息子はXperia、娘はiphone。 息子のスマホケースは↑のスケッチブック、娘はリラックマを使ってます♪・・・スマホの使い方に関しては親子で衝突することも多く、頭の痛い問題となってますが・・・><よろしければ応援クリックお願いします♪
June 19, 2017
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ひとつ前の日記には、沢山のコメントありがとうございます。個別にお返事できなくてゴメンナサイ。我が家は都市ガスなので復旧には少なくとも1ヶ月は掛かるようですが、水道・電気・電話は復旧してます。カセットコンロはないし食材も少ないので食べられるものは限られるけど、家族が無事で、家で過ごせるだけで充分幸せです。起きてしまったことは元に戻せません。現実を受け入れ、前を向いて歩いていかないと。震災の日のこと、そのあとのこと。記録として残しておきたいと思います。* * * * *地震は、仕事中に発生しました。揺れ始めは何度か遭遇している震度4~5程度の強さだったので、2日前のようにすぐおさまると思っていました。が、揺れはどんどん強くなりしかも全くおさまる気配はなく。5分くらいは揺れが続いたように感じました。実際は何分だったのか・・?揺れがおさまったあとの職場内はめちゃくちゃでした。鉄庫や棚は倒れ、端末機は飛び出して電源は落ち、書類は散乱。古い建物なのでガラスは割れ、内壁も外壁もあちこちはがれ落ちていました。休憩室で食事中だった上司は、すぐに部屋から出たので無事だったけど、ロッカーは倒れ、電子レンジやTVは飛び、その場にいたらどうなっていたか・・・という惨状でした。どこから手をつけていいものか途方にくれる中、まずは割れたガラスの撤去が先かな、と片付け始めると、何度も揺れが。この状況ではバスも電車も不通なので、子どもたちのお迎えをどうしようかと旦那の勤務先に連絡してみるも繋がらず。1時間近く経ってやっと旦那から携帯に連絡が入り、車で行ける旦那がお迎えに行くことになりました。・・・その直後くらいでしょうか。「大津波警報が出ています。今すぐに高台へ避難してください」とヘリコプターが飛んできました。どこまでも続く平地なので、高台といってもどこへ??と同僚と話していたら、近所の方から「小学校だ!」と教えられ、近くの小学校の3階へ避難しました。避難して少しすると、今度は「3階も危ないので4階へ移動してください」と言われ、4階への移動を開始するも「4階はもういっぱいなので3階にいてください」との指示が。ストレッチャーに乗せられた高齢者の方もいて、大変そうでした。避難する時に職場から持ってきたラジオを聴きながら3階にいましたが、ベランダから外をみると数百メートル先の田んぼが水浸しになっているのが見えました。あとから知ったのですが、東部自動車道が防波堤となって津波の勢いが抑えられたため、私の勤務している地域までは津波がこなかったそうなのです。津波で多くの方が亡くなった地域に勤めていた同僚は、地震の揺れがおさまってからすぐに貴重品も何も持たず上司の車に乗って逃げたため無事でしたが、勤務先の建物や自分の車は流されてしまったそうです。少し時間が経ってから避難した方は、道路が渋滞して先へ進めなくなり、津波にのまれてしまったと聞きました・・・。津波の心配がなくなったのを見計らって職場へ戻り、必要最低限の片付けをし、職場の自転車を借りて帰宅。大きな交差点以外は信号が止まっているため、道路は大渋滞でした。地下鉄沿線では歩いて帰宅する人もいっぱい。転勤前の勤務先付近では、道路や歩道に陥没している箇所がいくつもあって、危険でした。真っ暗な中、開いているスーパーやコンビニには行列が。今後のことを考えたら並んで何か買っておくべき?と思ったけど、旦那の携帯が繋がらず、子どもたちの安否が分からないので真っ直ぐ帰宅しました。自宅マンションへ着くと、駐車場に停めた車の中に旦那と娘がいました。「息子は?」と聞くと、「どこにいるかわからないんだ」。「学校じゃないの?」と慌てて学校まで自転車を飛ばして行くと、避難所となった小学校の体育館に明かりが。でも避難してきた親子ばかりで息子は見当たらない。体育館と校舎の渡り廊下から真っ暗な学校の中を覗くと、丁度先生をしている友人が通りかかったので、「うちの息子知らない?」と聞くと、「いるよ~」と言われ、安心しました。(旦那は明かりが付いていた体育館だけ探して、いないと思ってしまったらしい・・・)真っ暗な校舎の中に引き渡しを待つ子どもたちが先生と一緒にいて、息子は最後の5人くらいでした。息子を連れて駐車場へ戻ると、「じしんこわいからくるまにいる~」と言い張る娘。車中泊はエコノミークラス症候群の心配があるので、「お布団の部屋は大きい家具がないから、大丈夫だよ」と何とか娘を説得して家に連れて行き、何かあってもすぐ逃げられるようにとパジャマに着替えずそのまま寝ることにしました。11日は残業の予定だったので、朝用意していた筑前煮や炊飯器のスイッチを入れるだけの状態にしていた米もあったけど、電気もガスも使えないので食べられず、前日買ったミスドのドーナッツを晩ご飯にしました。自転車のライトとして使っていた無印の懐中電灯にもなるライトと、以前楽天で購入していたアロマキャンドルが役立ちました。 同じものではないけど、缶入りや蓋つきタイプの方が保管も火の始末も楽だと思います。食器棚が観音開きタイプだったので、激しい揺れで扉が開いてしまったらしく、食器は4分の1くらい落下して壊れていました。眠れそうにないのでキャンドルの薄暗い灯りの中、ひとりで黙々と壊れた食器を片付けました。息子が作ったお皿やカレルチャペック20周年のアルファベットティーウェアなど、買い替えの出来ない食器も壊れていました。食器を片付けてから布団に入ったけど、余震が何度もあって熟睡できず。ラジオは持ってないので地震の状況の全く分からないまま、不安な夜を過ごしました。
March 18, 2011
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