蓼科高原日記

蓼科高原日記

2010.01.13
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カテゴリ: 想うんだけど



ペンション・サンセット隣のスキー場: ピラタス蓼科スノーリゾート の雪景色。全コース滑走可能です。

写真クリックで拡大します。


書きたいことはいろいろあるのだけれど、何を書いたらいいのやら。最近眠りが浅いので耳栓をして無理矢理眠るようにしている。

そうしたら、これまであまり観なかったような、じつに奇妙きてれつな夢、怪奇な夢(と言っても途中で夢だとわかる)、全然知らないひとが出てくるという訳のわからない夢・・・じつに様々な夢を見るようになった。

もちろん、いわゆる「既知夢」と言うのも昔からの習慣としてよく観る。連続ドラマみたいに、夢の途中で目が醒めても、また別の日につじつまのあった世界とストーリーのつづきを見ることができる。そこはデジャヴ(既視感)に満ちたお馴染みの夢の中だけに存在する「現実世界」だ。

不思議だ。

しかしこれらすべては我々の脳がつくりだす仮想現実と言えるのかも知れない。そもそもわれわれが「現実」とよぶこの世界だって、あらゆる感覚と記憶とによって整合性を壊さぬように脳が全力を尽くして構築したリアリティーあふれる世界なのだ。

この現実世界には我々が見たいものだけが存在し、見たくないもの興味を引かないものは存在しないものとしてフィルタリングされている。そのプロセスは我々の意識レベルには報告されないから、なにかのきっかけがない限り、そのことにはまったく気づかない。

私の大学の卒業論文はそのことを多少でも証明したいと企図されたものだった。タイトルは「我々はいかにしてものを認識するか・・・実験心理学的認識論の試み」というものだった。担当教授にこの話をしたときには目を丸くされたけれど、快く指導を引き受けて下さった。

詳細は別の機会に譲るけれど、実験結果から証明できたのは「われわれは見ようと意識しないものは見ない」ということだった。先に書いたように「見たいものしか見えていない、そのほかにいかにたくさんのものがあっても、それを存在しないものとしてしまっている」ということだ。

このあたりの構造はいまどきのTwitterのTL(タイムライン)では自分がフォローしたひとのツイートしか見えないという仕組みとよく似ているような気がする。

膨大な実験データと解析データおよびレポート用紙たった7枚の論文本文だった。それまでの卒論の最短記録が10枚だったので、それの挑戦したのだ、おばかだねー。でもさいわい(お情けで?)最高点「A+」をいただいてめでたく卒業できたのだった。

それが本格的に私が「認識論」に足を踏み入れ現在に至るマルクメール(里程標)といえると思う。ついわけのわからないことを書いてしまうのはそれが原因ですね、たぶん。

私はただ単純に自分のこの世界を知りたいだけなのです。言葉を変えるならば、「いま ここに ある」ことの奇跡をもっと知りたいのです。



今日の朝の雪景色を載せますね。もっと見たい方はこちらを見てくださいね。↓

http://twitpic.com/photos/tateshina_radio



☆たてしなラヂヲ☆


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★★★


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Last updated  2010.01.14 02:08:48
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