今日の写真:「Blue In Green/蓼科高原」
161108-DSC_0674-3d
NIKON D610, AF-S NIKKOR 28-300mm f-3.5-5.6G ED VR
---
風の音が聞こえる。しかし実際には風などほとんど吹いていないことを知っている。この音は私のこころの中、意識の中で吹く風の音なのだ。
これは秋の風の音だろうか、冬の風の音だろうか、それとも春の風の音だろうか。夏の風でないことだけはわかる。
セミ時雨が聞こえる。あるいは単なるセミの声なのだろうか。夏では無いのにセミの音を聴く。
すべては睡眠の深海から覚醒の水面へと向かう私の意識の中のできごとだ。ここではどんなことでも起こりうるのだ。
ふっと音が消える…すべての音がまるで水が吸い取り紙で吸い取られたように消えてしまう。
世界は終わってしまったのだろうか。
まあ、世界が終わろうとどうしようと私はかまわない、世界とは「私の世界」のことだからだ。
運が良ければ誰かの心の中にわたしは生き続けるのだ。それを除けば私の世界が終わろうがどうしようがほとんど誰も気づかないだろう。
べつに拗ねて(すねて)いるわけではない。たまたまそのことに気づいてしまっただけなのだ。私の死とは「私の世界の終わり」にすぎないのだということに。
「世界の終わり」とはそのようなことであって、それ以外のなにものでもない。
雨が降り、陽が射し、風が吹き、雲が流れる。
それと同じことが繰り返されているだけなのだ。
個人は消えてしまっても、世界は終わらないし、生き残ったものたちは死者を悼む。
そして死者のことを忘れることは無く、生者のなかに死者は新たないのちを得て生き続ける。
なんとすばらしいことなのだろう。
わたしたちが語るこの世界はそのように出来ている。
※過去記事(アーカイヴ)より再掲載。
from 蓼科高原ペンション・サンセット
PR
Calendar
Keyword Search