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『社会人のための読解力トレーニング』シリーズ3回目の更新です。それでは前回の問題をみてみましょう。 『社会人のための読解力トレーニング』 長い本だよね。これは主観です。それではこれを客観的な表現にするにはどうすればよいでしょう?というのが問題でした。正解は『社会人のための読解力トレーニング』って223ページなんだね。です。ここで重要な役割をするのが 数字数字を使うとかなり客観的になります。また説得力も増します。223ページというのは誰が見ても223ページです。これを長いと感じるか、短いと感じるかはそれぞれ異なりますから主観の問題になりますがどちらにせよ223ページという事実は誰が見ても変わりません。これが客観的ということなんですね。彼の身長は185センチだ。彼女は3回転半のスピンができるんだ。これは客観。彼はとてもでっかいの。彼女はすごい回転をするんだぜ。こうなるとかなり主観が混じってしまっているわけです。数字が混じると客観的になることが多い。客観性を増すためには数字をうまく使う。今回のポイントはここですよ。元ネタです。↓
2007年04月30日
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(夢のある話ではありません) おそらく2ちゃんねるあたりから流行りだした言葉だと思うけれど「中の人」という言葉がある。 中野に住んでいる人という意味ではなくて、これは戦隊モノや仮面ライダーシリーズ、ウルトラマンシリーズなどの特撮モノで、着ぐるみの中に入っている人(スーツアクターと呼ぶらしい)のことを指していう言葉のようだ。最近では用途が広がって、アニメなどで特定のキャラを演じている声優さんについても使うらしい。 単純明快で実に含蓄のある考えさせられる言葉だと思う。中の人 中の人 ナカノヒト 昨日息子の授業参観があったので、うちは今日が実質連休初日。(おとうさんはいつも連休なのだが 笑)ちょうど最寄のハウジングセンターで娘が好きなプリキュア5のショーがあるらしく、連れて行ってやることにした。 こんなときしかゆっくり寝られない配偶者をそのままにしておき、子供らに食事を食べさせ(といってもトーストだの、やきそばだのだから自慢にはならないのだが)服を着替えさせ連れて行く。連休ということでかなりの親子連れが脚を運んでいた。 「早めに来てよかった」と胸をなでおろし、列に加わり、ふと向こうを見るとなにやら数名の大学生風の男女がサークル活動のような。こんなところでサークル活動をするはずもなし、なんだろうと思って眺めていると、軽く飛んだり跳ねたり、終いには殺陣のようなことを。もはやこの段階でわからない人は少ない。そう、彼ら(彼女ら)はスーツアクターさんの面々で最後の打ち合わせをしていたのである。 幸い娘はそちらを見ていなかった。息子は軽く見ていたので声をかける。「あの人たち知ってるか」「うん 入ってる人でしょ」「そう 中の人たちだ ○○(娘の呼び名)には言うなよ」「うん 大丈夫」 ほっとしたのは女性が多かったこと。男性は一人か二人。そっか、さすがに心がけているなあと思わず感心。見えないとはいえプリキュアの中の人が男性ではねえ。 それにしてもやはり中の人を見てしまったのはいけなかった。ハウジングセンターという本来ショーを目的としたわけではない場所だったから、彼らのことを批判できない。おそらく普通の週末などだったら、まだお客さんが来ていない時間だったろうし。直前まで綿密に打ち合わせするのも好感が持てた。 それでも… 中の人が見えてしまったのは… このあたり徹底しているのは千葉県にある東京ネズミーランドだろう。先日たまたま見つけたブログに面白い話が載っていた。そこの着ぐるみに叩かれ、怒鳴られた人が、その旨を言うと、「当ランドの犬がご迷惑をおかけしました」という詫び状が来たという話だった。徹底の仕方が本末転倒というか、徹底する的を間違えているのではと思ってしまったのだが、そんな期に及んでもなおそう言い張る姿勢が、比類なき人気とブランド力をもたらしたのかもしれない。 実はこの「中の人」というテーマは他人事ではない。一部の人を除いて社会人というのは仕事を持っている。そこには公と私がある。いやそれどころか、私人間の関係でも建前と本音はある。もちろん「私」であり、「本音」の部分というのはそれぞれの人にとっての「中の人」なのだ。それをどこまで見せてしまうのか、見せないのかというのは重要な問題だと思う。 ぼくの場合も同じ。というかより重要性は大きいかもしれない。編集さんにもいろいろな方針があって「著者としてのぼくは「中の人」を見せてはいけない。受験生や親御さんたちを応援する側の人間が弱いところを見せてしまったら頼るに頼れなくなってしまうから。」という方もいらっしゃれば、「中の人を見せることで読者さんにも親近感をもっていただけるでしょうし、暴露系ではない裏話的なお話は読者サービスとして悪くないのでは。」という方もいらっしゃる。 ぼくの考えは未だ定まっていない。多分少し前までのようにブログの更新が数ヶ月に1回、それも決まって「ご無沙汰してます」からはじまる近況報告だった折は、中の人を見せてはいけないという考え方だったのだろう。それに対して更新が頻繁な昨今は中の人を見てもらうのも悪くないのかなと感じているのかもしれない。 なかのひとを見せるか見せないか、どのように見せるかというのはそれぞれの人によって考え方も違うだろうし、職種やスタンス、立場などによってどちらが善なのかも異なってこよう。 なかのひとが見えたほうがよい人間関係、見えないほうがよい人間関係仲のよい恋人同士だったカップルが夫婦になったときなどは一度話し合って置いたほうがよいことなのかもしれない。なかのひと ナカノヒト 中の人 Written By Takeshi Goto
2007年04月29日
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(若干のネタバレを含みます。映画視聴時の面白さを損なわない程度だとは思っていますが、個人差があるでしょうから、既にこの映画ご存知で楽しみにしていらっしゃる方は以下はお読みにならない方がよいかもしれません。ぼくはとても面白くみさせていただきました。) 某サイトのオンライン試写会に当選。視聴期限が今夜23:59だったのを忘れていてギリギリ今夜22:00から視聴開始。ああ よかった 思い出して。 さてさて映画はというと最近元気な日本映画。出演は小栗旬(テレビ版見てないけど、テレビ版の花男で類役で人気だとか)、ユースケ・サンタマリア、小出恵介(塾高卒だって、優秀じゃん。嵐の桜井の先輩かア。え?のだめのマスミちゃんやってたの?)ドランクドラゴンの塚地(誰だ!俺に似てるって言うの)香川照之(アンフェアとかが印象的だったなあ)、一応他にも数名出ているんだけれど、もうほとんど彼らだけで進行していく。監督は佐藤祐市で原作脚本は古沢良太(ALWAYS 三丁目の夕日の人 あれもいい作品だったなあ) この面子ならそこそこ面白いだろうと期待はしてたんだけど。 いやあ面白かった。最近の映画ってファッションなのか、ポリシーなのか、やたら回想や時間軸の入れ替えが多くて、ややこしく、真剣に見入ってないと分からなくなってしまう作品が多いんだけど、これはそんなことなかった。オープニングから冗漫さのかけらもなく、テンポよく話は進む。 舞台はね、ほとんど一室。こういうとつまらなく聞こえちゃうかもしれないけれどアメリカ映画の傑作でよく舞台にもなる『十二人の怒れる男』やそのオマージュ作品『12人の優しい日本人』にも通ずるような、ストーリーの展開と脚本の面白さで決して退屈に感じる時間はない。『フォンブース』なんかもそうだったけど、脚本がいいとアクションやロケーションに頼らなくたって充分面白い映画が作れるんだなあと実感。 登場人物がそれぞれ予想もしない大きな過去を持っていて「え?この人物まで?」という驚きがいっぱい。 おまけにちゃんとどんでん返しがあって。さらにもひとつ仕掛けがあったり、さらにさらにもひとつびっくりがあったり、良質のミステリーにも仕上がっています。 ミステリイのジャンルに「ベッドディテクティブ」というのがあります。安楽椅子探偵モノといわれるジャンルですが、そういうジャンルがお好きな方にはよりお勧めです。 あの人の顔や声が聞けたのもよかった。いい話だったなあ。ラストは個人的に好みが分かれるかと思いますが、ラストなしでもお話成立しますので比較的多くの方が楽しめる作品だと思います。
2007年04月28日
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前回の問題。 『社会人のための読解力トレーニング』 長い本だよね。 さてこの表現が主観的なのか、はたまた客観的なのか。これが前回の問題でした。 正解は 主観(的) それでは簡単に理由を。 ある本を読んで「長い」と感じるか、「短い」と感じるかは人それぞれ。本を読みなれている人なら多少長くてもスイスイ読めてしまうだろうし、逆にテレビやDVDばかり見ている人にしてみれば、かなり薄めの文庫本でももう充分長いと感じることでしょう。さすがに単行本全数十巻にもおよぶ大作の場合は客観的にも長いといってよいかもしれませんけどね。 ちなみに長い小説と言えば『源氏物語』が有名ですね。あの時代にあれだけの作品が存在していたというのは日本の誇りでもあります。 西洋だとプルーストという人の『失われたときを求めて』という作品がよく知られています。これはねえ、とにかく長いですよ。フランスの作家 マルセル=プルーストの作品なのですがあまりの長さに数年前までは日本では一人の訳者による訳本が存在しなかったというほどです。ちなみにぼくはまだ読んでません。 中国だと『三国志演義』とかが長いですよね。曹操の魏、孫権の呉、劉備の蜀の三国の攻防を描いた作品。諸葛孔明で有名ですね。 時代小説だと山川荘八の『徳川家康』が長いですねえ。文庫本で全28巻だったかな。こちらは一生涯を描いているのでそういう分量になるわけで。ぼくは大学生の頃読みました。 さてさてそんなわけで『社会人のための読解力トレーニング』 長い本だよね。これは主観です。それでは次の問題。これを客観的な表現にするにはどうすればよいでしょう?ヒントはこちらで(もちろんここでも解説しますよ)社会人のための読解力トレーニング↓中学生 極端に国語が苦手な人へ↓中学受験 高校受験 大学受験現代文 何をどう読んだらよいかわからない人へ↓
2007年04月28日
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友達や家族など気心知れた人たちとの会話。これって名詞だけで成り立っちゃう。「明日?」「うん 明日」「神楽坂」「了解」またそんな名詞だけで会話が成立するのが素敵なところでそこに文句をはさむような野暮なことは言いやせん。 問題は不特定多数の人を対象にした文章だったりお話だったり公的な文章だったりお話である場合。そのときはいくらなんでも名詞だけの会話は無理でしょう。 そんなときに必要なのは何と言っても客観性。え? キャッカンって何?って?やかんの親戚かって?いえいえ、客観というのは主観の親戚。主観というのがその人その人各個人が抱く感情だとすると客観というのは誰が見ても同じ解釈が成立すること。たとえば『社会人のための読解力トレーニング』 本屋さんに並んでたね。これ 客観。だって本屋さんに本が並んでたというのが事実ならそれは誰が見ても並んでいるのだから。一方『社会人のための読解力トレーニング』 イマイチだよね。これ 主観。同じ本を読んでもどう感じるかは、人によって異なるから、ある人にとってはイマイチでも、ある人にとってはサイコーかもしれない。だから主観。もちろん逆もおんなじ。『社会人のための読解力トレーニング』 めちゃおもろかったわ。これも主観。その人にとっては面白かったかもしれないけれど、つまらないと感じる人がいても不思議ではない。だから主観。じゃあこれは?『社会人のための読解力トレーニング』 長い本だよね。 主観的? 客観的?社会人対象です。↓中学生 極端に国語が苦手な人へ↓中学受験 高校受験 大学受験現代文 何をどう読んだらよいかわからない人へ↓
2007年04月28日
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おととい?の江戸時代に続いて今日は鎌倉時代のお話。 1192 源頼朝 征夷大将軍に任命される。 イイクニ作ろう鎌倉幕府 なんて誰もが知ってるこの語呂合わせ。 このせいで鎌倉時代を源氏の時代ととらえてしまう人や生徒が多い。 実際は頼朝の在位はたった7年。 つまり彼が将軍として政治を行ったのは7年間に過ぎない。 その息子である頼家の在位はもっとひどくてわずか1年。 そして頼朝の息子で頼家の弟でもある三代将軍実朝(さねとも)の在位は 少し長くなって16年。 単純に合計しても30年にも満たない。 鎌倉幕府は1333年に滅亡したので141年ほど続いたことになる。 そうすると源氏の治世つまり源氏の将軍による政治が行われたのはわずか9分の1ほど。 残りは名前だけ、形だけの将軍を京から迎えて 将軍の補佐、つまり将軍を助けるという執権(しっけん)という地位に就く北条氏の時代 というわけ。 あらあら ちなみにこのときの形だけの将軍は(これは高校まで行かないと試験には出ない) 九条頼経(くじょうよりつね) 九条頼嗣(くじょうよりつぐ) 宗尊親王(むねたかしんのう) 惟康親王(これやすしんのう) 久明親王(ひさあきしんのう) 守邦親王(もりくにしんのう) の6名がいる。 彼らの多くは幼少時に将軍となったのだけれど、中には成長してから 自分より身分・位が下である北条氏の傀儡(かいらい あやつり人形のこと)となるのが 我慢できなくなって、自らが政治をやろうとして北条氏らに追放された人もいる。 最初の二人を摂家将軍(せっけしょうぐん)と呼んだりするんだけど これはこの二人は摂政・関白になることができる藤原氏の一族で この当時藤原氏はかなり分家(しんせきのこと)が増えていて 紛らわしいことなどもあって 近衛(このえ) 一条 九条 二条 鷹司(たかつかさ) などの家名を名乗った。 この二人、父と息子であるのだけれど、特に父親の頼経が鎌倉にもなれて 成長して政治に口を出すようになったのを北条氏に警戒されて 後に京都に追放されている。 その後皇族(天皇の一族)から将軍が迎えられるようになった。 これが皇族将軍。 この将軍たちも京都に送り返されたり、出家(しゅっけ 坊さんになること)させられたり 結構ひどいめにあっているんだよねえ。 さてようやく本題 最初にお話したように鎌倉時代というのは源氏の時代と思われがちだけれど 実際は北条氏の時代といっていい。 そうするとこの時代をざっとつかむには北条氏について知る必要がある。 覚えて欲しいのは3人+1人 まず北条氏が力を握る原因となったのが 頼朝の妻であり、頼家・実朝の生みの母親でもある北条政子 のちに尼将軍と呼ばれ(実際にそういう位があったわけではない) 御家人たちからの人気や信頼も集め政治にも力を持つ。 次にその弟 義時 彼の時代に 源氏がいなくなった今こそ うっとおしい幕府を滅ぼしてしまうチャンスと 京都の朝廷(天皇や貴族 公家の集まり)が武士たちに義時追討(義時を倒せ) の命令を出す。 これが幕府対朝廷 北条義時VS後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の 承久の乱(じょうきゅうのらん) 次に覚えて欲しいのは 義時の子 泰時(やすとき) 彼は武士のための法律を武士の手で完成させる。 これが 御成敗式目(ごせいばいしきもく)だ。 最後にモンゴル帝国のチンギスハンの孫、フビライハンが作った中国の王朝 元(げん)が 日本に攻めてきた出来事 文永弘安の役(ぶんえい こうあん の えき) いわゆる 元寇(げんこう)のときに幕府軍を率いて日本を守った執権 時宗(ときむね) ほんとうは大勢いるのだけれど 一応この3人+1人を覚えておけば、大体の大まかな流れもわかるし 中学受験、高校受験では十分だ。(高校の日本史になるとそうはいかないけど) 江戸時代に続いて鎌倉時代もマスター。 この際別の時代も見直してみようという人は ↓
2007年04月27日
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プレジデントFamily6月号最新・最強の学習メソッド20 で取り上げていただいたぼくの国語長文読解メソッド。 編集サン、ライターさんが見事にまとめてくださっておかげさまで好評のようですが、それでもやはり紙面の都合で語りきれなかったり、収録されなかった部分があります。ご質問 お一人ずつにお答えすることは残念ながら時間的に無理ですのでこの場で補足させていただきたいと思います。 ほんとうはぼくの著書を購入してくださった方だけにお教えしたいのですがプレジデントFamily誌の編集サン、ライターさん、カメラマンの方にはお世話になりましたので、ご恩に報いる意味もこめて。 読解問題で点が取れなかったり 取れるときとそうでないときの差が激しかったり 算数では得点できるのに国語(特に読解問題)ではからっきしになったり そういう子たちの多くは 客観的に読む ということができていない、 客観的に読む ということがどういうことかわかっていない 客観的に読む ということを習っていない のが原因だと思います。 だから 主観的に自分の思うままに読んでしまう。その結果、たまたま出題者の感性と自分の感性が近ければ得点が高くなったり問題に使われている文章の著者、筆者の考え方と自分の考え方に差がなければそこそこ点数がとれるのだけれどそうではないときには喰らってしまうと、そういうことなんですね。 では どうすれば客観的に読めるようになるかというと これがなかなか難しい。 国語の場合は算数のように記号が表すルールが明確に説明しやすいものではありません。日常的に日本語を使っているだけにかえって説明がしにくい。単純な概念ほど説明が難しいのと同じです。 そこで最善の方法は客観的な読解の指導ができる教師講師に学ぶことですがこれも地域的経済的時間的にある程度の制約があります。 そんなわけで独学するのはなかなか大変なのですがただお母さんやお父さんが一緒に学ぶことができるのなら方法はあります。 そのひとつが紹介されている「答え先写し法」なわけです。 問題集を利用して、その設問の答えを先に知ってしまいなぜそれが正解になるのか、その理由を答えることによるトレーニングです。これはリーズニング(理由付け)と呼ばれる手法で国語ではほとんど用いている人がいませんでしたが他の科目ではひそかに知られていたやりかたです。 それではどんな問題がよいのか。これについて誌面では紹介できませんでしたので補足しましょう。 ズバリ 選択問題です。 「筆者の主張と合致したものはどれか?」 とか 「作者がもっとも言いたかったことは?」 などの問題ですね。 これらをできるだけ解説が細かい問題集で学ぶのです。 さて次の問題として ではどんな問題集がいいのか? という疑問があります。 実は市販の問題集、なかなかよいものがそろってはいるのですが多くの問題を収録するためなどで、解説に関してはあまり細かくないものが多いようです。(大学受験向きだと開設が細かいものが主流になりつつあるのですが) そこでお勧めは手前味噌ではありますが、 『これ一冊で必ず国語読解力がつく本』 (宝島社) です。 そもそもこの本を書いたきっかけがその前に書いた『最強最後の学習法』で紹介した「ごとう式解答先埋め理由付け方式」を読んだ読者さんたちから、「実際にどの問題集をつかったらよいか」と質問を受け改めて見渡したところ、思った以上に解説が細かい問題集が存在しなかった、そこで、ええい、それなら自分で書いてしまおう、とそんな経緯があったんですね。 だから解説が非常に長く丁寧で細かく書かれています。読解力がある人にとってはややしつこくくどく感じるくらいに。でも読解力に不安がある子や、そうした子にどう説明してよいのかわからない親御さんたちには大好評でした。 過去問や市販の問題集で間に合うようならばもちろんそれでかまいません。 でも解説が細かいものをなかなかみつけられないならば是非一度本屋さんでお手にとってご覧ください。きっと納得していただけると思いますよ。
2007年04月26日
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江戸時代というのはとてもややこしい。というのも政治の中心になる一族がひとつではないからだ。ぱっとイメージするのは「江戸時代? 徳川でしょ」というところなのだろうけれど実はそうではない。徳川の将軍には代々病弱な将軍が多く、また幼いうちに将軍に即位したことも多々あった。そのために将軍はお飾りで実権つまり実際に政治の中心となったのはその時々の大老とか老中とかいう役職に就いた人たちだったりする。そんなわけでややこしいのが江戸時代なのだけれどここでまず政治の流れを覚えてしまうための呪文を公開しよう。これはぼくが二十年以上前に考えた呪文だけれどなかなか効果的で、歴史が苦手で苦しんだ子達を続々有名中学に合格させてしまった脅威の呪文だ。それではいきます。いえやす いえみつ つな あらいよしむね たぬま てんめいききんさだのぶ てんぽう おお みずのぺりー なおすけ よしのぶほうかん何度も繰り返して欲しい。ゴロがいいからすんなり頭に入るはず。それではそれぞれを簡単に解説しよう。いえやす いえみつ つな あらい家康 家光 綱 新井初代将軍 家康 三代将軍 家光 五代将軍 綱吉 六代七代将軍の下で政治を行った 新井白石これが最初の一行だ。次の一行よしむね たぬま てんめいききんこれは吉宗 田沼 天明ききん八代将軍 享保の改革で有名な 吉宗 九代十代将軍の下で政治を行った わいろで有名な田沼意次そして 天明のききん これが二行目三行目はさだのぶ てんぽう おお みずの十一代将軍の下で寛政の改革を行った 松平定信 天保のききん そして ききんに対して民衆を救う政治を行えない幕府に反旗をひるがえした 大塩平八郎の乱十二代将軍の下で 江戸時代三大改革の最後の一つ 天保の改革を実施した 水野忠邦これが三行目そして最後がぺりー なおすけ よしのぶ ほうかんペリーは幕府を揺るがした1853年のペリーの来航、なおすけは天皇を中心とする朝廷の意見を無視して外国と不平等条約を結んでしまった 井伊直弼よしのぶ は 最後の将軍 十五代 徳川慶喜 そして ほうかん は その慶喜が政治の権利を天皇に返上したという 大政奉還 だ。これで江戸時代の流れはOK少なくとも中学受験 高校受験に関してはここまでで充分だ。さらに細かく知りたかったり詳しい流れをおさえたかったら『読むだけですっきり頭に入る日本史』や『見るだけですっきりわかる日本史』をみてみてくださいね。
2007年04月25日
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現在執筆活動を中心に生計を立てている私ですが、元々のライフワークは日本全国授業ライヴというものでした。そのためにGTPという団体を設立したのですが当時の趣旨はこんなものだった。歌っているとき、踊っているとき、楽器を弾いているとき、俺達はたのしい。そしてそれを見事にやっているやつらもかっこいい。彼らは賞賛を浴び、子供の憧れとなり、名誉と収益を手に入れ、子供達は、それをみてますます彼らにのめりこむ。野球やってるとき、サッカーやってるとき、テニスやってるとき、俺達はHAPPYそしてそれを激しく競っている連中もSMARTやつらは喝采を浴び、涙を誘い、憧憬と生きがいをその手につかみ、少年少女は、その姿に自分の未来を描く。振り返って、学問はどうか?勉強(勉めて強いる)という言葉に代表されるように、そこにはかっこよさのかけらも、たのしさの結晶も何一つない。知的好奇心を満足させることは、人間の本能に訴える欲求の一つであり、動物の本能と一線を画すまさに、俺達を人たらしめている重要な要素なのに。塾で見る子供達の生き生きとした顔。しかし、それらがマスコミで巷で語られることはない。ゆえに、いま受験真っ只中にいる連中を除いては、それがドラマになることもなく、たのしまれることもなく、せつなさにさえなりえない。俺は語る。学問はかっこいいのだ。俺ハ歌ウ。学問ヲ楽シムタメニ。象牙の塔に閉じこもったじじいどもが、学問が育てた一方の代表ならば、俺のようなやつもまた学問が世に送り込んだ一方の雄である。俺はこの活動を通して、子供達と体験する。学問のかっこよさを。学問の楽しさを。学問で流す爽快な汗を。ひるがえって今の俺著書の一冊もなかったあの頃と比べるとよほど極端に小さいか田舎にある本屋さん以外ではたいてい著書は置いていただいている。都心部の大きな書店ではある程度は平積みしてもらっている。出版してもらえるかどうか分からない原稿をヒッシで書くなんてもはやできない。オファーもらって初版の予定部数聞いて重い身体をひきずってキーボードに指を乗せる。ライヴ あまりやってない。一ヶ月に1本程度はやらせていただいているけれど敷居を高く感じられてしまうのかそのようにしてしまっているのかパブリシティへの露出が足りないのかかつてメジャーからの出版がなかった頃に比べ確実に本数は減った。このあたりで再び立ち上がりたい。ライフワークであり夢だった日本全国授業ライヴツアーの実施。日常に追われ締め切りに追われそれはそれでなんら締め切りのない生活に比べればしあわせなのかもしれないけれどここを忘れないようにしたい。かつてポールマッカートニーは言った。Back To The Egg と。原点に戻れ。
2007年04月24日
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めずらしくSMAP×SMAPなんぞをみてしまった。沢田研二が出ると予告があったから。「そっか またテレビ出始めたのか」と少しだけうれしくなって見たのだけれど。 太ったのは知っていた。彼自身太りやすい体質だと公言していたし。テレビにあまり出ないようになってからも気に留めていたし。でもなあ でもなんだ。まるでコメントがはさめないっていうのはさすがにさみしかった。一緒に出ていた藤山直美は確かに藤山寛美の娘だし、朝ドラ主役張ってたばかりの大物だ。でもね、それでも芸歴がちがうはず。それにあのジュリーだよ。楽曲のかっこよさやファッションはもちろん、その本音の混じったようなコメントで場を沸かせていたあのジュリーだよ。 話すのはほとんど藤山直美ばかり。彼女は京都在住であると言っていたけれど沢田研二だって京都出身でしょ。でも彼はそこにひっかけてコメントしようともしない。 一番最近彼をじっくり見たのは(もちろんテレビで)ドラマの『最悪』だった。ご存知の方はご存知だと思うけれど、奥田英朗の傑作小説のドラマ化。善良な零細工場(これは<こうじょう>じゃなくて<こうば>と読んで欲しい)を経営していた人物が、銀行強盗になってしまうというストーリー。このどうしようもないまさに「最悪」なシチュエーションに見舞われた主役をものの見事に演じていた。いや正確に言うと、はまってしまっていたのだ。 その数年前彼は同じように犯罪者の役を演じていた。『太陽を手に入れた男』 こちらは原爆の製造に成功した男がローリングストーンズのコンサートを実施しろなどの要求を政府にするというもの。これもはまっていた。けれど同じ犯罪者でもまったくちがうタイプの犯罪者だったのだけれど。 シングルが常連だったチャートに入らなくなったのは『背中まで45分』くらいからだろうか。あれも名曲だったのだけれどポップではなかった。『そして君は途方に暮れる』でのちに大ヒットを飛ばす大沢誉志幸作曲の『晴れのちBLUEBOY』もなんだかノリが空回りしていたような記憶がある。『どん底』はちょっとだけ当たったのかな。『AMAPOLA』はヒットしなかったけど、『ワンスアポンアタイムインアメリカ』の日本版の予告編のバックで流れていたような。『灰とダイヤモンド』あたりまではかろうじてチャートに名前は出ていたような。その後シングルヒットはないと思う。 再婚のせいだとか、独立のせいだとか、いろいろ原因は考えられるだろう。でも彼曰く「もう自分の好きな音楽をやりたい」ということだったのだからそれはそれでいいのかもしれない。事実「卑怯者」とかはシングルカットされなかったけれど名曲だった。 それに調べてみると舞台では活躍しているようだ。それならそれでいいのかもしれない。もはや売れるということに関しては十二分に経験しつくした彼のことだからそれはそれで幸せなのかもしれない。 それでも一抹のさみしさを感じてしまったのは確か。考えてみればあの頃ティーンエイジャーだった自分が不惑とは名ばかりの40歳になってしまったのだから、ジュリーが丸っこくなってもそれは仕方のないことかもしれない。 それでもさみしい。
2007年04月23日
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前々から思っていたことがある。芸人というのはなぜ売れてくるとつまらなくなるのだろうと。普通売れている芸人というのは面白いはずである。いやしくも芸人なのだから、面白い「→だから」売れる売れている「→なぜ」面白いからの文章式が成立しているのが自然である。ところがこれがなぜか逆なのだ。ほとんどの芸人が逆だ。いやそんなことはないだろうと思う人はためしに売れている芸人の過去の売れていない頃のビデオなどを見てみるといい(といってもそう簡単には探せないか)少なくとも笑うことができるのはビデオの方だと思う。ネタ自体が面白いのはきっとビデオのほうだ。そう、実は今言ったことに答えのヒントがある。ネタ自体が…無名の芸人、笑ってもらおうと思ったらネタ自体が面白くなければならない。着眼点、リズム、発想、表現の仕方、オリジナリティ、あるある度、なんでもいいけれどとにかくネタそのものが勝負、ネタ以外の部分で笑いをとろうと思ってもなかなかできない。(まれにルックスで笑いを取る芸人もいるが)ところがある程度売れてくるとネタが面白くなくても笑ってもらえるようになる。心理学で言うところの「親近効果」ではないけれど人は親近感を持った人の発言は好意的に受け止める。これを実験するのも簡単で高校生などが多く乗っている電車に乗り合わせるとかサラリーマンや大学生の団体が集まる居酒屋に行けばいい。横から聞いてると面白くもなんともない話でまあよく笑うこと。もちろん元ネタをしっているかどうかのちがいもあるけれどそれ以上に知っている人の発言かどうか、好意を持っている人の発言かどうかこれが大きく意味を成しているのである。実際には芸人と知り合いでもなんでもない。でもテレビなどで何度も顔を見ているうちに知り合いのように錯覚してしまう。中には「コイツも前は売れてなくて苦労してたんだよね」なんてしんみり同情してしまったり、自分が目をつけていたことに満足したり。一度として相談にのったことなどないはずなのになんだか芸人から「俺 このままでいいんですかね」なんて相談されたような感覚すら。こうなると少々ネタがつまらなくても笑ってもらえる。会場 ライブだともっと極端。顔が売れている人が出てくるとそれだけで湧く。たかだかここへ来るまでの話を芸人がするだけでみんなニコニコして聞いている。かつて吉本興業のえらいさんがうちにとって一番怖いのはジャニーズだと言っていたことがあるが名言だと思う。本質をよく知っている。そうなんだよね、好意的な感情を抱いている人の発言だとつまらなくても面白いんだよねえ。そんなわけで芸人も売れてくるとネタで勝負する必要がなくなる。この段階では「顔」「親近感」で勝負できるようになる。というかここへの切り替えをうまく行った芸人だけが生き残れると言ってもいい。バラエティで言うと若手にネタやらせておいて自分たちはネタやらないで司会したりつっこんでいるだけの大御所、中堅芸人彼らのようにならないと続かないのだ。だってね ネタなんて限りがあるもの。旬もある。才能は使えば使うだけ枯れていく。もちろんそうならないように栄養を補っていけばいいのだけれどその速度のバランスがね、売れると崩れるんだよね。だからネタで勝負から顔で勝負に切り替えることに成功した芸人だけがブラウン管(いまは液晶か)に居座ることになり、それができなかった芸人は劇場周りをすることになる。さて実はこのあとさらに段階があって、顔で勝負できるようになった芸人が次に目指すのは文化人的なスタンス。すなわち権威。でもまあここまででくたびれたから今日はこれくらいで。でも実はこれって著者の世界も同じ。顔で勝負できるまで才能が続くか。顔で勝負できるようになる前に才能が枯れ果ててしまえばそこで終わり。ああ いとしの ブレイク
2007年04月23日
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世代的にQUEENは好きだったりする。I Was Born To Love Youをゲイバーで歌ったときはゲイに絶賛を浴びた。アマチュアとは言え、元々シンガーなのだから、特に不思議はない。キムタクのドラマで挿入歌になったらしく、それ以降は「はいはい 見てたのね」みたいに思われるのが癪で封印している。(だいたいフレディのソロだったはずなのにクイーン名義になってしまっているのがどうも)(ついでながら ぶっちゃけ という言葉も多用していたのだが これも封印せざるを得なくなってしまった。なんだかなあ。) ちなみに初めての出会いはかの有名な「マカロニほうれん荘」の中で喫茶店でカッコイイ兄ちゃんが「リクエストお願いします。クイーンの華麗なるレース あったらお願いします」と。当時小5の私は「ほお リクエストができる喫茶店があるんだ」「クイーン? 華麗なるレース? なんだかかっこいいタイトルじゃないか」と飛びついた次第。それまでの洋楽歴はベイシティローラーズにアラベスク、母親の影響でカーペンターズにニールセダカと微々たるものだった私は結構衝撃を受けたのだった。 それ以来クイーンは好きである。 さて昨日、ヤフー動画なんぞを眺めていたら、クイーンのビデオクリップがあった。Don’t Stop Me NowとBicycle RaceDon’t Stop Me Nowはもうとんでもなく好きなので早速視聴。いつの間にか息子と娘も眺めている。かつて彼らをKISSファンに仕立てそこなった私は「これはチャンス」とばかりに立て続けにBicycle Raceも。すると するとだ。なんと裸の女性たちが競技場で自転車にまたがっているシーンがでてきたではないか。こ これはまずいっ。しかし 遅かった。「とうちゃん えっち!」「おとうさん えっち!」え え ええええっえ えっちなのは私じゃなくてこのプロモの作成者ではないのか。もっとも確かにクイーンの楽曲の歌詞はかなりきわどいというか、そのものズバリだったりもするのだが。(なんせDon’t Stop Me Nowときたら I’m a Sexmachine なんて歌詞があるからなあ。)そんなわけで私は子供たちからえっちだということにされてしまった。とほほである。 その日の夕方。めずらしく息子と娘が飛びついてきたのでだっこの状態でぐるぐる回転するという私にしては荒業であるアトラクションを行った。 私と子供たちの間では、こういう技には名前がつけられる。「ヒコーキ ブーン」だとか「東京タワー」だとか この荒業を気に入った娘が早速命名した。「おとうさん ○。○ やって」おいおい 大きい声でそんなことを。私はあわてふためきこの技の名前を「ぐるぐる」と命名し以後は「ぐるぐる やって」出ないと受け付けないことにした。まったくひやひやものである。
2007年04月22日
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ぼくは自分の過去の文章を保存していない。これは著述、文筆を生業としている者にとってはかなり致命的なことであると思う。かつて親しくしていただいた塾経営者であり、その筋では有名なブロガーのM氏はブログはもとより掲示板などに発表した文章もすべてジャンル別に保存なさっていたようだ。そして自分自身の発表の媒体が変わるごとにきちんとそれを移動する。面白い文章と言うのは旬が続くもので、そうした彼の文章は発表後数年たち社会情勢が変わっても充分に読みうるものであった。 翻ってぼく。以前、サイトの創設から管理、その他すべて引き受けてくださったGさんという方がいらっしゃって、ほとんどすべての原稿の管理は彼に一任していた。その後Gさんから袂を分かちたい旨の連絡を頂戴し、その後は知人のテツ氏にそのまま管理をお願いし、データも直接テツ氏に移管していただいた。その後もテツ氏の元にそれらはあるのだが、テツ氏は非常にご多忙になって一サイトの管理などなかなかお願いしにくくなった。彼のご好意で現在も管理は続けてくださっているのだが、過去の文章を引っ張り出してくるなどと言うことはとてもお願いできる作業ではない。 またかなり長い間、旧型のウインドウズ98搭載のVAIOを使っていたのだが、何度かトラブルに見舞われ、ここ数年は結構頻繁に機種を変えている。その際、旧PCにある文書ファイルは一応外付けHDに移管しているのだが、この量が半端ではなく、またファイル名もわからなくなり、どの文書がどこにあるのか、探せないことはないが、かなりの時間を要してしまうこととなってしまった。そんなわけで現在使っているPCにはここ最近の文書ファイルしか入ってないのが実情で、極端な話、単行本の決定稿も版元サン頼りであったりする。 さてさてそんなぼくだが、久々に過去の自分の文章を読む機会があった。検索をしていて、過去のサイトのキャッシュがひっかかったのである。エッセイ、塾論、政治論、などが見つかったのだが、これが結構面白い。それはそうだろう、なんせ怖いものなしで書いていたのだから。家族とかは別にして失うものなどありゃしない。お世話になっている版元サンもなければ、メディアに親しくさせていただいている人もいない。メジャーデビュー前だから、イメージ等を気にする必要もなく、むしろマイナーの習いとして、過激であることがそのまま特徴であり、話題になり、人気につながるというところもあるので、もう言いたい放題である。 サイトでも掲示板でもブログでもそうなのだが、知っている人が読んでいればいるほどものは書きにくくなる。編集サンが読んでいると知れば、やはり愚痴は書きにくいし(って結構書いてるじゃん!)版元サンがご覧になってるとすればやはり書けないことも出てくる。(ってその割には好き放題語ってるように見えるが)イメージがあまり悪くなることも書けないし、これからどんな方から執筆や講演のご依頼をいただくかもわからず、極力人やもののことを悪く言うのは避けざるを得なくなる。 そんな状態で書いたものはやはり表向きのもので、表向きであるがゆえに(このブログは別にして)それは完成度が高かったり、丁寧に作られていたりするけれど一方で危うい魅力に乏しくなってしまうのもまた事実なのである。 さてそんなわけで、せっかく発掘した文章たちに日の目を見せようかと現在思案の最中。でもなあ編集しないでそのまま載せたら結構怖いよなあ。 笑面白さの質がまるで違う。見せるために書いたものと魅せるために書いたもの。商品にするために書いたものとただただ思いを聞いて欲しくて書いたもの。 エッセイを刊行できるのは何らかの分野で極端に著名になったものだけの特権だろう。そのときまで封印するか、いやそのときになったら尚表には出せなくなるか。
2007年04月21日
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新刊ラッシュ+インタビュー、コメント掲載本ラッシュで大事な告知が遅れてしまいました。 はじめての純粋社会人対象の単行本です。『社会人のための読解力トレーニング』 ぼくの本というのはこれまでメインの読者層が受験生の親御さん、でもって社会人の方がご覧になっても入門書として楽しめる、そういうスタンスのものが多かったのですが、今回は版元さんもビジネス書のこう書房さんアンジェラアキか、はたまたジョンレノンかという編集サンが(マジ似てるんだって)『これ一冊で必ず国語読解力がつく本』を読んでくださったそうで「これに書いてあることはそのまま社会人もマスターすべき内容ですよ。 社会人向けに書きましょう」とオファーをくださいました。当初は文体を変えて、問題差し替えて何とかなるかなと思ったのですが例によってやりはじめたら焼き直しでは満足できず数ヶ月費やして250枚近くを書き下ろしたのでありました。比喩や例も子供対象から社会人やビジネスマン対象にことごとく変えてあります。もちろんオリジナルの問題文も。だって「問題文までオリジナルっていうのははじめてみました。これが売りですから 今回もそれでお願いします」と。説明の文も苦労しましたがこの問題文の作成には骨が折れました。どうせなら問題文自体が単独でもエッセイや説明文として社会人やビジネスマンの皆さんに役に立つものにしようと。読んで面白いものにしようと。ですから書く前にかなりインプットの作業をして臨みました。装丁もなかなかいい感じの一冊です。内容の一部がサイトで紹介されていますので興味お持ちいただいたら是非ご覧ください。楽天ブックスでも広告でてるらしいですがこっちのほうがわかりやすいと思います。こう書房さんサイトhttp://www.kou-shobo.co.jp/books/index.php?action=detail&id=701未公認?サイトhttp://free.txt-nifty.com/free/2007/04/6_2f34.html
2007年04月19日
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まだ手元に見本誌が届いてないので、もう少し先なのかなと思っていたのですが今日の新聞に広告が出ていたんで(ちなみに1面下段にはぼくの単行本の広告も出ていた)書店へ行ってみると、おおっ並んでいるじゃありませんか。さすがにこの手の雑誌の中ではナンバーワンだけあって地方の小さな書店でもバーンと平積み。早速手にとってペラペラとページを繰って。ありましたありました。というわけでプレジデントファミリー 2007年6月号そうなんです。別に隠していたわけじゃないけれど教員養成セミナーの取材を受けた直後にオファーいただいていて3月のアタマだったと思うのですが、取材していただきました。全国の名教師が家庭に捧げる!最新・最強の学習メソッド20って どこかで聞いたようなフレーズ 笑で 表紙にその特集名がズドーンと書いてあるんだけどそのすぐ下にある読解に「……」法というのがぼくのメソッドです。宮本算数教室の宮本哲也先生やテレビでお顔だけは存じていた国語作文教育研究所所長の宮川俊彦先生など錚々たる顔ぶれとともにご紹介いただいています。(これを見ると、そろそろ都心もしくはターミナルで教室開かなきゃいけないのかなあと 思ってしまう。でも経営やりはじめると著作に手が回らなくなっちゃうからなあ。)ぼくがどんな顔してるのかご存じない方は是非ご覧ください。こんな顔してこんな格好してやってます。
2007年04月17日
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4月13日発売の「別冊宝島 施行60年! ビジュアル日本国憲法」に2本原稿掲載されています。 これはいつ書いたんだっけ?確か3月だと思います。同じ宝島社からもうすぐ発売になるビジュアル版日本の歴史の原稿を書き終え、(そんな仕事してたんか? ハイ してました)校正の件で編集さんと打ち合わせしたのが2月(3月かもしれない)その折に「そうそう ごとうさん 憲法書ける?」と。書けるも何もあたしゃ憲法一応専門だってばよ。まあ一つのカテゴリーに縛られたくないから専門家になる道からは降りたけどね。(実は博士前記過程に進学はしたのだ)それに、憲法についてはオレ去年の春に企画出したじゃん。学参+社会人のための入門書みたいな感じで。すっかり忘れられている。カナシイ。 笑何でも憲法に関する別冊宝島を編集されているらしくでもってその中で某大物政治家にインタビューする予定が流れてしまいその代役という大役を仰せつかった次第。 例によって宝島さんの仕事の納期は半端じゃなくて(というか きっとこの納期 オレ限定なんだろうなあ 編集部内でもオレの執筆の速さは驚愕を呼んだらしいし)やはりというか例のごとくというかしんどい時期だったのだけれどテーマがテーマだけに結構スイスイ書けてしまった。苦労したのは最初だけ。どういうスタンスで書いたらいいかで迷ったから。いろいろなスタンスで書いてみて(ここでいうスタンスというのは政治的な信条ではなくて、どちらかというと文章のスタイルという意味)「とにかく面白いの書いてみてください、学術論文的にする必要はないです」と言われていたので、その中で最もくだけたものを送った。「さすがに書き直しかなあ」と覚悟していたのだけれど「いいじゃないですか、問題ないですよ」とおっしゃっていただいて採用。前にもここでお話したことがあるけれど校正の折に楽しいのはどんな活字、ページデザインで組まれてくるかということなんだけれど今回は、はじめての別冊宝島ということでそのあたりもわくわく。実際来たものを見てみるとおお いつもの無味乾燥な単行本装丁とちがってオシャレじゃないか、ちょっとうれしいぞ。 と。少し前に届いた見本も実はぼくが著者である単行本とともに届いたのだけれど単行本そっちのけで眺めたりしてなんだか不思議な感覚だった。そっか 考えてみれば別冊宝島だもんナア。80’sBoyと呼ばれ現在齢四十にして大学生時代を80年代後半に送った私はまさに別冊宝島世代。あの頃は今と版形もちがってもう少し小さくて分厚くて紙質も悪くて文字ばかりだったけれど活字になりにくかったテーマを次々に活字にして議論になりにくかったテーマを続々と議論の題材にした別冊宝島はまさにサブカルを学問のカテゴリーに引き上げた貢献者であった。正直今のスタイルになってからはあまり別冊宝島買ってないのだけれど。それでも「あの」別冊宝島に原稿が載って名前が出ると言うのはたまらなくうれしかったのであった。ちなみに編集さんには笑われた。だってね、単行本は増刷すれば印税が入る。別冊宝島のようなムック本は原稿料をいただいたらそれで終わり。単行本はピンでの勝負ムック本はオムニバス普通だったら単行本の方が喜ぶべきものらしい。それでもライターになるより先に著者になってしまった私としてはなんというか やっぱり新鮮でうれしかったのだなあ。そんなわけで別冊宝島 1421(イヨっ にいちゃん!)施行60年! ビジュアル日本国憲法書店でご覧になられたら笑ってやってください。(買う買わないは皆さんの自由だけど ぼくのところだけ立ち読みされてしまうと ブログに変なこと書くからだと叱られてしまうので ご勘弁のほどを)
2007年04月16日
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大河ドラマ「風林火山」人気を集めやすい戦国モノしかもこれまた人気キャラの武田信玄前回の「巧妙が辻」が夫婦モノで久々の本格歴史モノそんなこんなでなかなか評判がよろしい様子。中井貴一の「武田信玄」からもう19年。それほどたったと感じないのが四十を越えたせつなさなのだが、とにもかくにも評判がよいのは何よりのこと。ちなみに当時南野洋子が演じた湖衣姫は今回は由布姫となるのだけれどこれは信玄の妻となり武田勝頼の母となる諏訪頼重の娘、諏訪御料人の実名が不詳であることから。「武田信玄」の原作は新田次郎(言うまでもなく『国家の品格』の藤原正彦の父)そして今回の「風林火山」の原作は井上靖でありそれぞれが異なる名前をつけているため。さてようやく本題に入る。このドラマ、原作は武田家仕官直前からはじまるのだが、ドラマではそのかなり前から物語が始まった。ようやく最近原作のスタート地点にたどり着いたわけである。もちろん風林火山の面白くなるのはこれからで天才軍師「山本勘助」(実在かどうかはこの際問わない)の権謀術数をもってする軍略戦略の数々、マキャベリズムやランカスター戦略にも通じるものがある孫子の兵法の実践これこそが最大の山場であろう。でもねぼくは実はそれ以前の部分で充分に納得した。というか、やるじゃんNHKと。それは仕官の難しさ、もっと言ってしまえば企業側が定めた適齢期を過ぎてしまった実力者の仕官が如何に困難か、それを見事に描ききったところこれは手放しで褒め称えたい。伝説の大軍師ともあろうものがたかだか仕官で(つまり就職で)あれだけ苦労している。逆に言えば天才軍師だろうがなんだろうがその腕を振るえる職場を与えられない限りポストを与えられない限りしょせんは机上の空論をつむぐしかなくその才は人のために発揮されることもなく下手をすると鬱屈とした「俺を認めてくれ」光線のむなしい乱射にとどまるのみなのである。(こんなことを思うのはぼくだけかと思ったら 先ごろ某巨匠作家も同じことを考えていらっしゃったことを知り 安堵している)そう、就職というのはこの国において才能を発揮するための絶対不可欠な通過儀礼なのである。もちろん中にはその通過儀礼なくして才を発揮できる人もいる。しかしそこには多大な回り道があり人生の浪費があり痛烈な葛藤がある。勘助は軍師である。つまりマネージメントが専門で現業を得意としているわけではない。にもかかわらず彼は仕官に際し、剣術の力量を試される。兵法と剣術は似て非なるもの。それでもできないとはいえない。このあたりもぼくは身をもって体験しているからよくわかる。「自分は営業ではなく企画が得意なんです」なんて言ったところでどうにもならないのである。はじめから管理職になど就ける訳もなく(まあ国家一種は別だが)あの田中康夫などはモービル石油就職後、ガソリンスタンドで実地をやらされ退職したのも有名な話。普通はどんな職種を希望しようと営業からやらされる。現業を経験させられる。ある程度の現業能力がなければ管理能力などふるう機会を与えられないのである。中途採用でありこれまで大企業に属していたわけではないのだから彼らが満足するような意味での実績などあるわけがない。にもかかわらず実績を問われる。これもよく描かれていた。そうなのだ、ぼくの場合も同じだった。これから著者デビューするのに著書があろうはずがない。売上実績なんてあるわけがない。にもかかわらず編集エージェントも版元もこぞって実績を問うたものだ。まあぼくの場合会社を経営していたから採用する側の気持ちもよくわかる。新卒ならいざ知らずある程度の年齢で業界未経験の者に教育を施し機会を与える余裕など一部の企業以外では不可能だろう。必然的に中途採用は前職での経験がすべてになる。やらされている仕事が嫌だからといって退職して転職を目指しても企業が求めるものはその人の前職での経験なのだからどうにもならない。かつてぼくの家に居候していた高校の同級生はコンピュータがらみの仕事が嫌で退職しまったくちがう業界であるコンビニ業界へ転職しかしそこで与えられた仕事はプログラムの開発。彼は結局そこもやめ、公務員に転じた。新参者へのイジメももちろん日常茶飯事。特に日本ではどこまで年功序列がくずれようが年長者あるいは先輩には敬語を使わねばならないというような風潮があるためにどうしたって年長者、先輩と新参者の間に実力や待遇でのネジレが生ずれば問題になるに決まっている。そういった21世紀の転職市場にもそのまま通用するような風景が描かれていたのは意外であったし、また面白かった。(まあ今の人間が作っているのだからそうなるのかもしれないが)ぼく自身はある意味奇跡的にそこを乗り越え今の位置まではとりあえずたどり着いた。それでも成功者にありがちな(ぼくは自分が成功者だとはまだ思っていないしまだそこまではたどり着いていない)「大丈夫 自分の才能を信じてやりたいことへ突き進めば 結果は後からついてくる」なんて無責任な発言は絶対にしない。コネがない以上学歴はつけておくに越したことはない。そして学歴は職歴とペアになってはじめて効果を発揮する。才能がものを言うのはそこから先のことである。これは貴重な人生のうち十数年を才の浪費と嘆きに費やしてしまったからこそいえる肉迫であり、若者たちへの助言である。
2007年04月16日
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