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桃から生まれた桃太郎・・・吉備団子と共に 有名な桃太郎は 岡山県の桃太郎私のお話は 歴史から消された 大阪の桃太郎のお話彼の 悲しみと憤り・・・大阪にも 桃から生まれた桃太郎がいた 勿論 岡山の桃太郎と同時期義侠心に厚い ナニワの桃太郎彼の義侠心は 岡山の桃太郎を凌ぐ程だったらしい・・・岡山の桃太郎が お婆さんに 吉備団子を持たさけて 出かけた頃大阪の桃太郎も お婆さんに たこ焼きを持たされ 鬼ヶ島を目指した大阪の桃太郎が 鬼ヶ島を目指して すぐの事たこ焼きの匂いにつられて 大阪の犬が やってきた大阪犬『 桃太郎さん たこ焼き おくれ !! 』大阪桃『 鬼ヶ島まで鬼退治に行くんやけど ついてくるなら やるで !! 』そう言うと 桃太郎は 犬に たこ焼きをあげた大阪犬『 なんやこれ タコが 入ってへんやん !! アカンでぇ こんなタコ焼き !! 帰るわ・・・ 』そう言うと 犬は 去ってしまった・・・桃太郎は 『 なんぼのもんじゃぁ~ !! 』 と言って気を取り直し 独り とぼとぼ 歩き始めたそれから 暫らくして 大阪のキジが やって来た大阪キジ『 桃太郎さん たこ焼き おくれ !! 』大阪桃『 鬼ヶ島まで 鬼退治に行くんやけど ついてくるなら やるで !! 』そう言うと 桃太郎は キジに たこ焼きをあげたでも 大阪のキジは たこ焼きを 口に入れると すぐに食い逃げして 飛んで行ってしまった・・・『 こらぁぁ~ 食い逃げすなぁぁ~ !! 』桃太郎の声が 空しく 響いた再び 桃太郎は とぼとぼ 歩き始めた小腹がすいた桃太郎は たこ焼きを1つ取り出して食べようとしたすると その様子を こっそりと 陰から伺っていた大阪のサルが桃太郎の手から たこ焼きを ひったくって 逃げていった『 こらぁ、待てぇぇぇ !! 』大阪の桃太郎は しばらく追いかけたが如何せん 大阪のサルは 手癖が悪く すばしこい大阪の桃太郎は 追いかけるのを諦めて 大阪南港に向かったすると・・・再び あの引ったくりサルが やって来て『 桃太郎さん たこ焼き おくれ !! 』大阪の桃太郎は ムカッァァ~となって『 も~、も~たろ~ !! 』そう怒鳴ると同時に 卒中をおこして倒れてしまった・・・ああ あわれ 大阪の桃太郎
2007年01月24日
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映画 『 ゲーム ( The Game ) 』監督 : デヴィッド・フィンチャー主演 : マイケル・ダグラスこの映画はジョン・ファウルズの小説 『 魔術師 ( The Magus ) 』をベースにして現代的に完全リニューアルしたのでは・・・??私は 絶対そうだと 疑っているけど・・・。いろいろ検索しても、(誰も興味がないのか)、該当記事がない。ジョン・ファウルズ( John Fowles )という作家の幾つかの小説は映画化されている。『 魔術師 』 『 コレクター 』 『 フランス軍中尉の女 』誰か 知っている人がいないかなぁ~ ???
2007年01月23日
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『 The Raven (大鴉)』Edgar Allan Poe ( 翻訳 : 日夏 耿之介、 挿絵 : Gustave Dore )彼と逢えない日々詩を翻訳して欲しいと彼から頼まれた事がある。彼は日夏耿之介的な翻訳で詩を読みたかったらしい。当時小娘の私は、彼を喜ばそうと頑張った。でも、彼は『全然、雰囲気が伝わらない !! 』とか・・・。ファッションデザイナーの大先生がアトリエでアシスタントに言うみたいな台詞を私に言った。私は、『じゃあ、自分でやってよ !! 』と言って電話を切った。詩の翻訳は難しい。この件で、私は彼と初めての口論をした。ワンワン泣いた。
2007年01月21日
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『 Diva 』 Jean-Jacquues Beineix彼が帰国前の最後の夜、私達2人は、チュイルリー庭園 ~ コンコルド広場を歩いた。私は伯母さんのアパートに住んでいた。彼が私を伯母のアパートに送る時にそのコースを通っただけ・・・。私は、この時点では、『 Diva 』という映画を見ていなかった。彼が帰国してから約10日後、私は5日間のトルコ旅行に行き、パリに戻って、初めて『 Diva 』という映画を友達と一緒に見た。映画『 Diva 』の中でエリック・サティ の『 Gymnopedies (#3) 』が流れているシーンを見た時・・・、そう、あの晩の私達が歩いたコースチュイルリー庭園 ~ コンコルド広場を主人公とディーバが歩いている。抑えていたはずの、彼に対する想いが溢れ出して、胸が熱くなった。そして、どうしようもない程、彼への想いが込み上げてきた。映画『 Diva 』に関する事を記載した雑誌・本を買って、Wilhelmenia Wiggins Fernandez ( Diva役 )という歌手を知り、Alfredo Catalaniの『 La Wally 』( 第一幕アリア )を知り・・・、オペラや戯曲に関して、少しの知識を得て、2人で初めて入ったあのカフェの名は、戯曲名から・・・・。彼と話したくて、話したくてたまらなかった。今でもその時の事を覚えている。
2007年01月20日
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『 テレビの海をクルージング 』(加藤和彦・安井かずみ) ( アルバムタイトル 「あの頃、マリー・ローランサン」 ) シャイヨ宮で行われたパリコレは、無事に終了した。ショーの後の打ち上げパーティーは、とても楽しかった。でも、パリコレが終われば、彼は日本に帰国する。彼がパリに来るのは、半年後。その夜、打ち上げパーティーを終えて・・・、私はホテルの彼の部屋にいた。今でも、はっきりと覚えている。ホテルのテレビは、カリブ海クルーズを放送していた。私は、ソファーに座ってテレビを眺めながら、彼のリードを待っていた。彼は、部屋の照明を落として・・・、ふいに歌い出した。灯り消して、テレビつければ、船の旅は、もう始まっていた。僕は白いタキシードで・・・、キミはフィルハーモニーの指揮者の恋人で・・・、気取っている。いい男が近づいて来たら、君は気をつけて、奴はジゴロ。デッキチェアーでまどろむ真珠のネックレスは、暇を持て余している未亡人。テレビの海を見つめてる都会の片隅で、今、君は目を潤ませて、「 いつか、 きっとよ、 行きましょう 」 と体すり寄せて、見慣れたソファで愛を囁く。「何、それっ ?! 」って思った。でも、彼が歌い終えて私の隣に腰掛けるのを笑いを堪えて待っていた。テレビの海を見つめてる都会の片隅で、今、君は目を潤ませて、「 いつか、 きっとよ、 行きましょう 」 と体すり寄せて、見慣れたソファで愛を囁く・・・。 今もこのフレーズが大好き
2007年01月19日
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独身を続けていた友人(男)が、ついに結婚を決めた。来月、フィリピン・マニラで挙式する。20才年下の花嫁。花嫁はフィリピン国籍で、11人兄弟の下から2番目。結婚に必要な書類を揃えるのに、とても苦労したらしい。2人の会話は、英語に限定される。(以下、友人の事をNと表記する。)Nは、海とサーフィンが好き。好奇心旺盛で、とってもユーモラスな人だった。Nは彼の友人で、彼の会社がパリコレをする時に、アメリカから応援・手伝いでパリにやって来る。仕事の合間には、ファッションモデルを口説いていた。(笑)Nは、魅力的な男性だった。私はパリで彼にNを紹介された。当時のNは、『Naked Lunch』William S. Burroughsや『Up Above the World』Paul Bowlesが好きだった。それで、Nは、モロッコに興味津々だった。Nは、年2回のパリコレが終わると、いつも北アフリカを旅行して、アメリカに帰って行った。でも、Nは、急にアメリカを離れ、アジアを旅し始めた。当時のNは、法に触れる物を嗜好していた。William S. Burroughs(の小説の登場人物)のように・・・。そして、南アジア諸国を放浪した後、放浪先は東南アジア諸国になった。Nは徐々に変わっていった。その変わり方が(特に彼は)心配だった。Nは、「俗に言う社会」との折り合いが掴めなくなっていた。彼には度々、Nの母親から相談の電話があった。勿論、誰よりもN自身が深く悩み苦しんでいた。私は何もしてあげられなかった。でも、フィリピンの海は、Nの心を癒した。そしてついに、Nは、フィリピンの海で離れたくない相手を見いだしたらしい。婚前交渉もなく、プラトニックなまま、2人は来月(2月)挙式する。17日にNからの電話を切った後、いろいろな事を回想した。涙がでてきた。Nは大切な友人だと改めて自覚した。
2007年01月18日
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窗外的麻雀在電線桿上多嘴(ni)説這一句很有夏天的感覚手中的鉛筆在紙上來來回回我用幾行字形容(ni)是我的誰秋刀魚的滋味猫跟(ni)都想了解初戀的香味就這(yang)被我們尋回那温暖的陽光像剛摘的鮮(he)草莓(ni)説(ni)捨不得吃掉這一種感覚雨下整夜我的愛溢出就像雨水院子落葉跟我的思念厚厚一疊幾句是非也無法將我的熱情冷却(ni)出現在我詩的毎一頁雨下整夜我的愛溢出就像雨水窗台蝴蝶像詩裡紛飛的美麗章節我接著寫把永遠愛(ni)寫進詩的結尾(ni)是我唯一想要的了解雨下整夜我的愛溢出就像雨水院子落葉跟我的思念厚厚一疊幾句是非也無法將我的熱情冷却(ni)出現在我詩的毎一頁 那飽滿的稻穗幸福了這個季節而(ni)的臉頬像田裡熟透的蕃茄(ni)突然對我説七里香的名字很美我此刻却只想親吻(ni)倔強的嘴雨下整夜我的愛溢出就像雨水院子落葉跟我的思念厚厚一疊幾句是非也無法將我的熱情冷却(ni)出現在我詩的毎一頁雨下整夜我的愛溢出就像雨水窗台蝴蝶像詩裡紛飛的美麗章節我接著寫把永遠愛(ni)寫進詩的結尾(ni)是我唯一想要的了解『蘭の吐息』さんへのスペシャルサービスよ !!でも、どうしても入力できない字だけは、ピンイン入力しちゃたけど・・・、許してね。また次の小休止の時は、小剛の歌にするわね。楽しみにしててね。
2007年01月17日
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『 Il Nome della Rosa ( 薔薇の名前 ) 』Umberto Eco ( ウンベルト・エーコ )薔薇の名前(上)薔薇の名前(下)「 Secretum finis Africae... 」 ( 『 薔薇の名前 』 の 謎解き キーワード。 )誰が言い出したのかは、覚えていないけど、アトリエ内スタッフの中だけで、この言葉が流行っていた。カフェのコーヒーをひとくち飲んで、「 Secretum finis Africae... 」 ( う~ん、美味しいのゼスチャー付きで )補正を終えたショーサンプルのチェックをお願いすると、「 Secretum finis Africae !! 」 ( ウンウンと頷きながら、手で Good ! の合図付き )もうなんでもかんでも「 Secretum finis Africae !! 」パリコレが近づいて緊迫していた。緊迫し過ぎて、ビンビンに張りつめた糸が、プッって切れたんだと思う。 (笑)人の 1/3 の 速度で 釦付けを終えた彼も 調子に乗って、( 思いっきりカタカナで )「 セェクレトゥム・フィニ・アーフリカェ !! 」たまたま それを見ていたデザイナーの大先生が、「 のん気な君は、『 アフリカの果て 』 にでも飛んで行きなさい!! 」その日の仕事が終わって、彼が呟いた。「 アフリカの果てって、どこなんだろう..... 」そう、この日にちょっとした出来事が、この先、私と彼をアフリカへといざなう事になった。「 Secretum finis Africae... 」薔薇の名前 特別版(期間限定)(DVD) ◆20%OFF!
2007年01月16日
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『 Lunes de fiel ( 苦い月 ) 』 Pascal Brucknerロマン・ポランスキーで映画化されて、『 苦い月 』は、日本では『 赤い航路 』なんてタイトルになっちゃった。パリコレが迫ってくると、デザイナーは、とてもナーバスになるらしい。●衣装のボタンをすべて違う釦に変更●モデル変更→フィッティングのやり直し●その他いろいろ彼は釦付けが苦手だった。遅くて、なんか穢い。彼が1着分を終える時間で、私は3着仕上げた。(笑)その事で彼は、みんなからからかわれていた。夜遅くまで、衣装(ショーサンプル)の修正・補正作業が続いた。その結果、ショーに関係するスタッフと少しずつ団結し合い、ファミリー感覚も強くなった。私達は、毎晩、ショーのスタッフの中の同じメンバーで食事した。 (毎晩ご馳走して頂いた。)メンバーは、フランス2人と、アメリカ人1人、日本人4人 (勿論、日本人の中に私と彼が・・・)ある夜の食事中、彼がフランス人スタッフ(A)に、「パスカル・ブルックナーという作家は、どういう人?」フランス人スタッフ(A)が「流行の事象・キーワードを上手く加味するエンターテイメント作家だと思う。」彼は、「・・・。」(A) 「なぜ? パスカル・ブルックナーの本、何か読んだ?」彼 「『Lunes de fiel』。1冊だけ・・・。」(A) 「質問した理由がわかったよ。(笑) 彼は変態ではないよ。」彼 「だとしたら、すごい力量を持った作家なんだね・・・。 読んでて、吐きそうになった。 少なくとも3回以上、完読を放棄しそうになったよ。」(A) 「(笑) わかるよ。特に、排泄物のくだりだろう ! 」彼 「うん・・・。あっ、ゴメン。今はマズイよね、食事中だった!! 」私 「えっ、なに ?? 」私以外 「(苦笑)」私は、彼やスタッフの人の会話に全くついていけない事が度々あった。私が一番若いから知識が浅く足りない事は仕方なかったけど、ジャンルの幅が無い事を痛感する事が度々あった。釦付けがメチャクチャ下手で、みんなの足を引っ張ってる彼だけど、やっぱりパリコレまでするブランドの人達は、どこかちょっと違うんだなぁって、乙女心は感心した。
2007年01月15日
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『 Le Livre Blanc (白書) 』 Jean Cocteau ( ジャン・コクトー )それは 彼がパリの本屋で探していた本。彼が購入したのは ジャン・コクトーのデッサン画集。とってもエグイやつ。彼は、「 凄い本を見つけた!! 」と言って興奮していた。ジャン・ジュネ『 ブレストの乱暴者 』の挿絵として描かれたデッサンらしい。男の人のあの部分とか、男同士のSEXが、凄くグロテスクに描かれていて・・・。そのデッサン画に目を輝かせた彼に、私はちょっぴり失望。私の小さな失望感を、彼は嫌悪感と思ったみたい。彼は、「 僕はホモじゃないよ !! 」とか「 この本は日本じゃ出版できる訳ないでしょう。だから貴重なんだ。」 ( 確かに、1994年以前には日本では入手不可だった。 )私の気を惹こうと、ああだ・こうだと彼は釈明を続けた。私「 大丈夫よ、私、ホモの人に偏見もってないから・・・」彼「 ち、違うよ、ホントに・・・。この本に価値があるんだ。」私「 ホモの人にとっては、特別な価値があるんでしょ?! 」彼「 違うよ。ジャン・コクトーのファンにとって価値があるんだよ。」そんなやりとりをしながら、私達2人はサンジェルマン・デ・プレまで歩いた後、「ここでお茶しようよ。」と彼が指差したカフェに入った。Aux Deux Magots : サルトルとボーボワールがよく行ったカフェらしい2人で初めて一緒に入ったカフェ。「 何にする? 僕はカプチーノ。」「 私も同じの・・・。 ギャルソン! 」「 待って、僕に言わせて! ドゥ・カプチーノ・シィルブプレ ・・・ 」彼は、(思いっきり、カタカナで)オーダーを伝えた後、私を見て、にっこり微笑んだ。 ( 僕だって、このぐらい喋れるよ!! )でも、ギャルソンが持って来たのは、紅茶の入ったポットと2つのティーカップ。 ( ドゥ・カップ・ティー )落ち込んだ彼が、すごく可愛いと感じた。そう感じたのは、この時すでに、彼に恋していたからだと思う。
2007年01月14日
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彼と出逢ったのは、もう10年以上前。PARIS。私は、伯母と共にパリで暮していた。 ( 私は伯母に育ててもらった・・・。)Turkey旅行のお金を工面しようとアルバイト先を探していた。PARISには僅かな知り合いしかいなかったけど、その知り合いから、『日本のメンズ・ファッションデザイナーが、ファッションショーをする為にPARISに来る。2週間ぐらいの期間、彼らの雑用をしてみないか?』曖昧だけど、そんな感じ・・・。雑用と聞いていたけど、モデル達の衣装合わせの手伝いとか、その衣装の補正(裾上げ、袖丈出し・詰め、ボタン付け直し・・・。針と糸、アイロンあて(プレス直し?)・・・、つまり、お針子さん。彼は、日本(東京)から来たメンバーの1人。ファッションデザイナーのアシスタントで、パタンナーもしていた。彼は、メンバーの中では、一番下っ端。他のメンバーと比較して、黙々と仕事を進めていた。私より年上だったけど、シャイな感じで、可愛かった。日本から来たメンバーの中に1人だけ女性(広報担当)がいて、彼女から、照明器具(電気スタンド)を3~4台、急いで買って来て欲しいと言われ・・・。女の子1人じゃ持ち帰るのが大変だから、一番下っ端の彼が一緒に行って持ち運ぶ事になった。彼と2人で、(たしか、雨の中)・・・。彼との始まりは、その時からだった
2007年01月13日
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