◆韓国ごはん◆ 0
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数学はニガテだしキライでした。ここで告白しちゃうけど高校のとき基礎解析の教科書を「こんなのわかるか~!!」と破って投げたことや200点満点の試験で19点を取ったことがあります(ー ー;)でも「センター試験が私の人生で最後の数学よ!」と試験終わるなり数学の問題集参考書あっさり処分してやっと数学との縁は終わったと思ったのに数学専攻のパパと結婚し、数学の塾をやってるおかげで見るだけでもヘドが出そうなサインコサイン、何をやってるのか全く理解できなかった微分積分、ベクトルなんてのをまた見ることになってげっそり。長男とっちはパパの血は少しも混じってないのかと思われるほど、算数がさっぱり…いっつも学校から補習のお知らせを持ってくる。私だって小学校の算数までは一応理解してたよ。中学受験とかもしたぐらいだからさ。数日前のとっちの言葉にかなりの衝撃を受けてしまったのでここに記しておこうと思います。「お母さん、九九段って簡単だよね。」へ?「だってさ2段の1番最後2掛ける9、3段の1番最後3掛ける9って各段の最後を覚えたら自動的に9段はわかるじゃない?」えっ?それ今頃気づいたの??「うん、九九段始めて4年にして」…はい、彼は現在6年生。来年中学生になってもよいのでしょうか?という気持ちを抑えおお〜、それ自分で気づいたの?すごいねえと言ってあげたのだけれども…他にも分数と割り算の関係、分数を小数に(その反対も)、百分率(パーセント)なんてのもわかってらっしゃらないことが判明…内心これはヤバ過ぎる、数学はできなくても算数まではできてもらわないとと切実に思ったのでありました。このレベルになるとパパにはどうしてわからないかが理解できないレベルで、塾のお世話になるずーっと前の段階だと思われとりあえず私が忍耐力を持ってこの夏休み中に見てやるしかなさそうで…やはり私の人生からスッキリサッパリ算数数学と縁を切ることはできないようです。
2013.07.19
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先日奥さん仲間で集まったとき写真に写ったのだがあまりに老けて生活感にじみ出たような自分の姿に愕然としスタイルを変えようと一大決心をした。仕事が午後からになって午前中の時間が空いたのでふしぎはいつもどおり朝から預けて美容院に行った。いつも仕事上パンツばかりなのだけど最近ほとんど着てなかったセーターにスカート、ロングブーツといういでたちで普段はメガネなのだけれど美容院に行ってはずしてしまうと鏡に映ったのが自分かどうかもわからなくなるくらいのド近眼なのでこれまた久しぶりにコンタクトをして行った。パーマをかけてからも1年以上経ってて肩まであったワンレングス、面倒なのでいつも額丸出しのひっつめ頭だったのだけど最近子供たちと見てるドラマ「ドリームハイ」のペッキ(この人↓)みたいなスタイルにしてくださいと言ってばっさり切ってしまった。会う人みんな「若くなったね」とか「そっちのほうが似合う」とか結構好評。うっしっしさてさて気分よく仕事が終わってふしぎのお迎えに行くと...託児所の玄関で固まってしまったふしぎ。警戒心丸出しの顔には「オカアサンジャナイ。ダレ?」と書いてある。先生の袖をつかんで離さないいくら「お母さんだよ、ほらかばんも財布もお母さんのじゃない?」と言って見せても決して来ようとせず先生の腕に抱かれて口をへの字にまげて私と目も合わせようとしないのだ。先生からも「お母さんに行かないなんて... 教師生活、けっこうなるけどこんなことは初めてです」と言われ...仕方がないので家に電話してコンジュに託児所まで来るように言い数分後に姉コンジュと兄とっちの顔が見えてやっと顔がほころんだふしぎコンジュに抱っこされての帰宅となった。家の前のスーパーでお菓子を買ってあげたのだが私からは受け取ろうともせず手もつながない。服を着替えてメガネにかけかえても「アナタ ホントニ ボクノ オカアサンナノ??」という疑惑のまなざしで普段なら日に100回でも呼ぶであろう「オンマ」を結局その日は呼んでもくれず...ふしぎにとっては大変ショッキングな事件だったようでありました。「女の変身は無罪」という広告宣伝文句があったけれど母の変身は有罪だったかも。あ、次の日からはちゃんと母と認識してくれました本日の韓国語講座チュンギョッチョッ(衝撃的) :ショッキング
2011.02.11
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我が家の末っ子ふしぎ。別名「食神」食神(シクシン)というのはよく食べる人を指していうのだけれど我が家でこんなにもがつがつ食べる人は初めてで「まだ食べるの??もういいかげんにしてよ」ってくらい家にいるとしょっちゅう食べるものを探しているふしぎ。でも先週から高熱に始まり扁桃腺のはれ→嘔吐、せきで1週間ろくに飲めず食べられず体重も1キロが減ってしまい食べないので力が出ない→だっこorごろごろであんなにいつもにっこにこでごにょごにょ何か言ってる人が口から発する言葉は「んー」と泣き声だけ。日に100回くらいは言っていた「オンマ」さえ言わない。完全に別人...頭は熱でやられてしまい体は栄養失調じゃないかというくらいだったけれど1週間が過ぎ、少しずつ食欲をとりもどし食神復活の兆しが見えてきた言葉も戻ってきて最初に言った言葉は「にゃにゃ(=バナナ)」やっぱり食べ物...次が「オンマ」だったが数日ぶりに言われたので涙が出そうだったコンジュに言われて気がついたがふしぎの発する言葉のうち私たちが解読可能なものはほとんど食べることに関するものばかりだ。ぱーん(パン)がん(ごはん)ち(チーズ)にゃにゃ(バナナ)っこ(肉、魚)っかっか(おかしorサプリ)あっち(あつい)あっちゃ(つめたい)日本語、韓国語ごっちゃごちゃ...ま、ちゃんと意思を伝えてるのでよしとしよう。あと「おにぎり」は頭に両手を乗せる牛乳を飲みたい時は引き出しからストローを持ってくる冷蔵庫まで手を引っ張ってくるなど行動が先にでる^^我が家の食神よ!たくさん食べてどうか健康な子に育ってください。本日の韓国語講座食神(シクシン):たくさん食べる人
2010.11.27
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無事に1歳の誕生日を迎えたふしぎ。1年経っても髪の毛がぽやぽや。オランウータンのようでした^^こどもの日の記念に(?)髪を切りましたそれも見事に大胆に!マルコメくん!?頭を剃られてミニ少林寺なふしぎ。パパやねえたんにいたんと違って後頭部が絶壁ではありません。美しきナクチ(=タコ)ライン頭をしきりに触ります。引っ張る髪がない!!こちらでは生まれたときの髪は一度剃ってしまうときれいな髪がふさふさになると信じられていて髪の少ないふしぎは早くから剃ってしまえといわれていたのをまだ寒いからとのばしにのばしてこの日に至ったのです^^(とっちは生後100日過ぎてからでした。)コンジュはさすがに女の子だからやめてといって剃らなかったんですが今でも言われます。「あのとき剃らなかったから髪が細くて少ないんだ」と。とっちのときにこんなの↓を買っていたのですがまた役に立ちました。パパは軍隊時代床屋兵だったのでバリカンを使った軍人カットは得意^^とっちの床屋代もかなり浮いてもとはとれてるかな?髪の毛がなくなったふしぎにくしを与えてみました。あの...梳かす髪の毛はもう残念ながらありませんから。くしは無用の品となりました。これからは帽子が必需品です。でも大丈夫。コンジュがフリマで稼いだお金で帽子を買ってくれました。小坊主が家の中でうろうろしているので笑えます。本日の韓国語講座ッパッパギ ;坊主頭(の人)
2010.05.06
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来月末に誕生日を迎えるふしぎ。おとといまで半歩踏み出すのがやっとだったのによじ登ったソファーから落ちておでこと鼻をぶつけたショックでなのか昨日から突然10歩も歩き出したAmazing!!子育てなんてのはたまにこういうごほうびがあるからやっていけるんだよなあ。しかし昨日は夜まで興奮状態で普段なら10時には寝てくれるのに11時を過ぎてもおめめぱっちり。いつもより早く帰ってきたパパにコルンマ(あんよ)を披露して11時半におやすみになったのだった本日の韓国語講座コルンマ :よちよち歩き、あんよ
2010.03.06
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Jは主人の姉の娘だ。ソウルに住む義姉の仕事の都合で光州に住む義母がJを育てることになり生後4ヶ月のころから2歳近くまでコンジュやとっちとは兄弟のように育った。義母もいたとはいえ年子で3人、交代で風邪ひいたりで病院に行かない月はないくらいだったし、ご飯もどうやって食べていたのか思い出せない。でも3人仲良く育った。ソウルの親元に帰ってからも自分の両親や弟よりもコンジュやとっちといるほうがいいらしくしょっちゅう泊まりにきたが自分の家を恋しがるわけでもなくある時からはもう私のほうでもJは里子にやった次女だと思うことにした。コンジュが日本から帰る前日の土曜日の午後、友達家族と泊りがけで遊びに出かけるだといってこちらのほうに来ていた義姉家族が我が家に立ち寄った。ラーメンを食べたりWiiをしたりして3時間ほどを過ごし、明日コンジュが帰ってくるのだから明日コンジュの顔見てからソウルに帰れば?というのをもうすぐ旧正月でまたすぐ会えるからと言って発った。今日は朝8時前から電話。「ウェスンモ(おばさん)、コンジュ姉さん起きた?」とJの声。うん、なんで?「代わって」どうやら学校から帰ったら同じ時間にオンラインゲームをしようという約束をするためだったらしい。誰が思っただろうか、これが最後に聞くJの声になろうとは...夕方5時過ぎに主人からの電話でJが交通事故にあった。容態がかなりよくないので今からソウルに行くからという。まもなく義母からも今ソウルに向かっているという電話。午後9時過ぎもうJを送り出さないといけないって、という声にならない主人からの電話。義兄が代わり気丈な声でJが心で聞くのでなんか言ってやってください、と。旧正月まであと10日...コンジュに会えるのを楽しみにしていたJは別れの挨拶もなく逝ってしまった。
2010.02.04
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昨日、娘コンジュが日本滞在を終えて帰ってきた。こちらの長い冬休みの間、日本の小学校に通うため3週間、祖父母の家に1人で滞在。1年生のときからこの時期日本で学校に通って今年で4年目。もう学校のほうでもお友達のほうでも当然来るものと思っているし、コンジュも1人ででも絶対行きたいというし、もちろんとっちも行きたがったのだが日本にいると必ず悪くなる鼻炎と咳...それと実家の負担も考えて今回はコンジュ一人を送ることにした。キッズサポート(=子ども一人で乗る場合、係員が到着地の迎えの人に手渡すまでついてくれる)を利用したので大人の正規料金をとられたのは少々痛かったが。いつもは住民票を移して転入という形で行っていたので親がついていかない今回はどうしようかと思ったのだが、問い合わせるとこれは市役所の学務課にパスポートと祖父母との同居証明というのを提出することで解決。釜山の空港で見送った私たちを一度振り返っただけで係員について行ってしまったコンジュ。しっかり者の娘が誇らしくもある一方で私に似たのかあっさり淡白なのがちょっぴりさみしくもあり....さすがに到着した晩は寝付かれなかった様子で夜11時に電話してきたりもしたけれど学校が始まると1日が忙しく過ぎていくようで電話をかけてこない日もあり。学校は帰宅が4時近くになるのに5時過ぎまでお友達と一緒に遊んだり宿題したり...お友達がやっているお稽古事(三味線、ダンスetc..)についていったらしく自分も一緒に習いたいといったり週末には法事があって鹿児島まで行ったりじいじがお友達と一緒にスケートや山に連れて行ってくれたり買い物や外食にでかけたりとなかなか充実してたいくつはしなかったらしい。学校は1学年2,3クラスしかない小規模校で校長先生も近所のおいちゃん(ごめんなさい..)みたいにフレンドリーだし、始業式では全校生徒の前で転入生紹介をされるのでもう全校生徒にも名前と顔は知られてるし、娘を見ただけで「あにょはせよ」といってくる上級生の子もいるくらい。先生もクラスも去年からの持ち上がりだしそういう年頃なのか、お友達と結構密なお付き合いをするようになって、去年まではお友達が遊ぼうと呼びに来るのを待っていたのが今回は自分から遊びに行ったりもしたらしい。勉強のほうはといえば3年生の去年からはもう読めない漢字もあって今年は漢字テストは免除してもらったということ。まあ、勉強ついていくことまでは期待してないし...最終日の前日はお別れ会をしてくれてみんなでフルーツポンチをつくったり、けいどろをして遊んだり例のごとくクラスのみんなからお手紙やらシールやらをもらってきた。(こちらからは韓服を着たキャラクターのついたカード、それから クラスのみんなの名前をそれぞれハングルで書いた名刺を作ってあげた)最終日はちょうど体験学習の日と重なって川下りと伝統工芸館で和紙づくりという貴重な体験をしてきた。帰る前日も先生といきもの係のみんなで金魚を買いに行ったりとまあ、最後まで忙しい、忙しい。そんなこんなでコンジュの日本での3週間は過ぎた。パパととっちが空港まで迎えに行き、私は家で出迎えたのだが、おかえりと抱くとコンジュはそれまでがまんしていたものがはじけたように泣き出した。3週間、やっぱり一人でいるには長すぎたね。でもがんばった。ふしぎはこんなに長い間ねえたんがいなかったにもかかわらずちゃんと覚えていましたやさしくだっこしたり遊んでくれるねえたんにもうにっこにこ。ねえたんがいない間、たいくつしているにいたんに虐げられ、おかあしゃんのあとを離れずついて回るしかなかった3週間...母はもう大変でしたよ。見えなくなると泣かれるしべったりくっつかれては何にもできないし。1日1日がもうぐったりで寝かせつけながら一緒に寝入ってしまいパパが帰ってきたのも気づかず寝てしまう始末...姉弟3人がそろってやっぱりなんだか落ち着いてふしぎの泣き声を聞くこともあまりなく笑い声が増えて久々に今日は平穏な日を過ごした。久しぶりに1つの部屋で並んで寝ている3人の寝息を聞きながら母は口の両端が上がるのを感じるのでありました。
2010.02.01
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我が家の末っ子ふしぎ、もうすぐ8ヶ月。上の子たちには韓国語を使っても基本的にふしぎには日本語で話しかけている。そのせいかコンジュととっちもふしぎには日本語で話す。上2人は私のことを「オンマ(韓国語でママの意)」と呼ぶ。日本語で日本のじいじばあばに話すときは「ママが~」と言っているが日本語で話していても私を呼ぶときはオンマと呼ぶ。でもやっぱり「お母さん」とか「母さん」と呼ばれるのにあこがれて今まで何度かお母さんと呼ぶように言ったのだがやっぱりオンマのまま...最後の望み(?)とふしぎには生まれたときから「はいは~い、お母さん今行きますよ~」という具合に「お母さん」を洗脳している。おかげでコンジュはふしぎのことで私を呼ぶときは「おかあさ~ん」と呼ぶようになったでも考えてみるとお母さんって長いし、ふしぎが呼べるようになるのはいつのことやら...オンマのほうが断然いいやすい。パパが聞く。「日本では小さいときお父さん、お母さんのことなんて呼ばせるの?」パパ、ママだろうね。「いやそれって外国語でしょ?昔はなんて呼んだの?」えーっ?....知らない。おとう、おかあかな?「それを赤ちゃんに言わせるのは難しくない?」う~ん、確かに父母をあらわす語は他の言語でもパ、マがつく言葉が多いかも。パパ、ママ、韓国語ではアッパ、オンマ赤ちゃんの喃語って世界共通?さて、7ヶ月に入ってからはいろんな音を発するようになったふしぎ。意味をわかって言ってるのではないと承知しているけれど...あっぱ、あっぱ、あっぱと言ってはパパを大喜びさせていたけれどそれは2日も続かなかった...そして最近のブームはおっか、おっか...もしかしてそれはおかあさんのことなんですか?とふしぎに聞いてしまいました。だとしたら赤ちゃん言葉で「お母さん=おっかあ」はありですね!?でもこのまま「おっか」と呼ばれるとしたら?ちょっとビミョウ...
2009.12.23
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ぼくがうまれてから100日目の今日は大好きなねえたんの誕生日でもあります。おとうしゃんとおかあしゃんが出会った最初の日でもあるそうです。ねえたんの好きなアイスクリームケーキでいっしょにお祝いしました。大きいろうそくはねえたんの小さいろうそくはぼくのです。それから100日を前にして寝返りができるようになっちゃいましたごろんってできるとうれしくて笑顔になっちゃいます。にいたん、ねえたんが本も読んでくれます。ぼくはねえたん、にいたんよりなんでもできるようになるのが早いし2人とはぜんぜん違うそうです。髪の毛が薄いので「1回刈ったの?」とか写真に写ると頭がぴかぴか光るので「じいちゃんにそっくりね」とかよだれがいっぱいでるのでハンカチやおふとんを「よだれで洗濯してるの?」とか言われます。今は夏休みでおとうしゃん、ねえたん、にいたんは忙しくてなかなかみんながそろう時間がないけれどみんなの声が聞こえてぼくとお話したりあそんだりしてくれる家族みんなそろっている時間が一番大好きです。
2009.08.07
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なんでもやりたがりのコンジュ。今回は水泳...おととしに一度通ったことがあったけれど1ヶ月でやめた。初めてだったので基礎クラスに入ったのだけど20人ほどを1人の先生が教えてる。女の先生だったのだが外からお母さんたちが見てる間は笑顔で教えてるのだけど私は見てしまった。お母さんたちがいなくなったあと神経質にどなったり子どもの頭をぐいと水の中に押し込んでるのを...とにかく人数が多すぎだし、先生に対する不信感、水に対する恐怖心だけが残って何も進歩がなかった1ヶ月だった。なのに2年経って少々度胸もついたのか泳げるお友達に触発されてか水泳に通いたいという。一番の仲良しのお友達が個人レッスンを受けているのだけど同じ時間に一緒に教えてもらえるというのだ。ほほう、個人レッスンなんかもしてもらえるのね。まあ、本人がやる気なのだし、私としても水泳はできておいてほしいしお友達と一緒のほうが頑張れるだろうとOKして申し込みにはパパに行ってもらった。普通の講習は週3回で1ヶ月3万ウォン。講習のない日も自由に練習することができる。パパは3万ウォンを払って申し込みをしてきた。ところが...後で先生から電話がかかってきて「あのー、ご存知ないかと思ってお電話したんですが 個人レッスンなので12回で20万ウォンがプラスになります。 あとで口座に振り込んでください」と。なんでパパが行ったときに言わないんだ20万ウォンは痛すぎる...パパに話して出してもらうことにしてまあ、1ヶ月頑張ってみなさいということになった。でも...あと2回のレッスンが残った今、クロール、平泳ぎ、背泳ぎを習ってもう少しでバタフライに入るというのだ!それは進度が速すぎませんか!?何メートル泳げるとかいうのは関係なく泳法だけ習っているらしいのだけどまあ、なんとこんなところでもスピード詰め込み教育!?子どものころスイミングスクールに6年も通っていた私には信じられないことで日本みたいに緻密にこつこつというのはありえないこの国だけれども...これがここのやり方。ここの習い事何でも最初に型を叩き込んでエスカレーター式に段階をかけあがっていくゲームのレベルクリアってな感覚。英語ならphonics、クリア→中学レベル文法、クリア。試験○級、TOEIC○点クリア。PCなら基礎、クリア→インターネット、クリア。資格取ってPCクリア...芸術系にいたってもピアノだったらバイエル、クリア。次はチェルニー、クリア。チェルニー40番まででピアノクリア。バイオリンだとスズキの何巻クリア...大人の習い事も生活の潤いを求めて趣味でなが~く、というよりは短期間で集中的にどこまでできるようにしたいだとか短期間で資格取って自分で教えられるようにして収入につなげようだとか結果が伴わなければいけない。どこまでやったかがわかるようなシステムは目標も立てやすく分かりやすくてよいのかもしれない。でもどんなものでも「ここまでやったら終わり!」っていうのはないんだと思うんだけど...ここでは多くの人がそういう感覚。コンジュが水を怖がらなくなってわずか1ヶ月で長く泳ぐことはできなくても3つの泳法を習って私はできるという自信につながったことだけでも20万ウォンの価値はあったのかもしれない。
2009.07.05
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ふしぎが生まれて50日が過ぎました。まだそれしか経ってないの!?って感じ。もう半年くらい経ったような...このちっちゃい人がいるのが当たり前でお腹の中に入ってたなんてもう遠い昔のよう...3人目子育て大変でしょう?なんていわれるけれど今のところは理由が分からずぐずったりなんてこともないし最近は夜に4,5時間続けて寝てくれることもあるし母乳だけで満足してくれないことだけを除けば面倒はない。上2人はほかの手伝いはしようとしないけれど赤ちゃんのお世話に関するお手伝いは嫌がらずにやってくれるので楽チン。おむつも替えてくれるしミルクも2人で争うようにあげたがる。泣けばだっこだってしてくれるし、お風呂も手伝ってくれる。自分たちの部屋に連れて行って一緒に横になってみたり話しかけたり、さわってみたり...コンジュにとってふしぎは新しいおもちゃかペットのようなものだし、とっちには観察、実験の対象...といったところ!?パパはというと上2人は日本で生まれて新生児期を一緒に過ごしたことがないので初めてこんなちっちゃいうちから見てられるのが目新しくうれしいらしい。もうメロメロで抱いたら離さない。仕事に行くのもぎりぎりに出て行くし、少しでも時間が空くと帰ってくる...最近は動くものを目で追うようになったりにこーっとわらったり話しかけると「くー」とか「あっく~ん」って声を出して答えてくれるので一層家族みんなの人気の的でもともと寡黙なとっち家だけれどもふしぎのおかげで会話も増えたし、笑いも増えた。洗濯物が大量にでるけれどこの洗濯物を干したりたたんだりするたびにああ、家族が増えたんだなーとほんわかいい気分になる。妊娠がわかったときは育てられるのかなあとか、かわいいって思えるのかなあとかちょっぴり迷いや不安もあったけどすやすや寝てるとことか笑ってるのを見ると文句なくかわいいし、ずーっと見ていたいくらい。ほんとに生まれてきてくれてよかったなあと思える今...
2009.06.23
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4月29日我が家に新しい家族がやってきました。 photo by コンジュ3.57キロ、元気な男の子です。愛称は「フシギちゃん」「不思議だなあ」って顔してるので^^みなさんよろしく!
2009.05.10
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去年あたりからオーディオを買い換えを考えていました。今あるのは義姉が使っていたのを私たちの結婚のときにもらったものですからかれこれ15年以上になるものです。Sonyなのでそれなりに音も機能も不満足ではないのですがテープとCDだし、場所もとるしで時代の流れには全然ついていけてないけれどiPodとやらは便利そうだし、これは携帯できるだけでなくスピーカーにつなげても使えるらしいとわかってからiPodとBOSEのスピーカーなんぞを考えていたのです。↓こんなのですところがうちのパパ曰く、こういうデジタルの音よりアナログの音のほうが脳波だかなんだかにいいのだとか....胎教にも。ということで我が家にやってきたのはまずはこれ↓はい、蓄音機です。あの....いくらアナログとはいえ、時代に逆らいすぎていませんか?第一うちにレコードなんぞ1枚もありません。これは大人の科学 プレミアム蓄音機 学研【2P16Mar09】【SALE0321A】という自分で組み立てて作るものです。ゼンマイ式で、針も竹なので一曲聴くたびに竹の針を切ってやらないといけないというのが面倒だしけっして音がよいとはいえませんが自分で作ったという満足感と風流だし復古主義というかロマンを感じられます。そして私の誕生日プレゼントにとパパがこんなものを買ってくれました。それから中古のLPレコードです。勢いで一度は捨てた音楽でしたが(この日の日記参照)翌日にはこれらが来てしまい、あっけなく再び我が家に音楽が戻ってきてしまいました...寝室に設置され、ソファーもここに移動してミニ音楽鑑賞室と化しました。心地よい音楽を聴きながら眠りにつくこともできて、とっても快適です。
2009.04.06
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やる気満々なんでもやりたがりの娘コンジュとは対照的にわが息子とっちは欲がない。学校で給食食べてきても12時38分きっかりに帰ってきて、友達と遊びに行くわけでもなくずーっと家にいる2年生。面倒なのでせめてお姉ちゃんが習い事に行く日くらいは一緒に何か習いにでも出て行ってほしいのだけど彼は今のままがいいらしい。そんなとっちを見かねて義母が「男の子なんだし、こんな消極的じゃいけない。 テコンドーをやらせないと」と近くの道場に行って、時間帯やら月謝やら聞いてきて「明日からハルモニ(おばあちゃん)と一緒にテコンドー行こうね。 ハラボジ(おじいちゃん)がね 段位が上がるたびにプレゼントも買ってくれるって。」とっちの意志とは全く無関係にことはすすめられ...1年生のときもやっぱり何か運動はしといたほうがいいだろうとパパと一緒に剣道場に行ってみたことがあったけれどひかれるものがなかったらしい。行かないという。まあ、パパに似て何かをさせられることを嫌がるとっちのことだし、別にテコンドーじゃなくても3年生からボーイスカウトの募集があると聞いてから日本でじいじと魚釣りに行ったり山に行ったり金槌と釘でとんかんやってるのを楽しんでたとっちはそういうののほうを面白がるんじゃないかなあと思ってもうちょっと待ってみるつもりでいたけれどでも親のいうことは聞かんでもハルモニのいうことは聞くかもなと一旦義母に任せることにした。そして当日。2時にテコンドー道場に連れて行くととっちが帰ってくる前からというか午前中から我が家に来て模様替えやら掃除やら洗濯やらがちゃがちゃ始められ飲んで明け方帰ってきたにもかかわらずWBCを見たいがために無理やり起きてきてTVの前に座ってるグロッキーなパパにやれあれを動かせとかこれをああしろとかいう義母。私がやらないからやってくださってるのはわかるしいつものことだからと思おうとしたけれどたんすの上の埃を掃除するといってプラスチックの衣装ケースの上にのぼって割られたころから限界に達していたが先日もコンジュの習い事のことでいろいろ言われたことピアノはチェルニー40番までやらないといけないとか(去年30番まででやめてしまっている。 音楽は楽しくなければ続かないし、本人がやる気がないのに ここまでやらないといけないとかいうのは必要?)英語は毎日通う学院に行かないと、とか(毎日行ったり来たりするのは嫌がるから 今は学習誌で勉強しているのだし 2,30万ウォン毎月何年間も払って英語学院に通わせるくらいなら その分を貯金して1,2年留学させるほうがいいと思ってる私はアホ?)やらとっちのことにしてもとっちがプレゼント買ってくれると言われても行きたくないと泣くのに無理やり道場に連れて行こうとすることとか(スイスは戦争をしない国なのだとどこかで聞いて以来 行きたい国はスイスだと答えるほど平和主義の彼が 格闘技とか武道に興味を持つとはとうてい思えない)彼が作るレゴやプラモデル、工作なんかも「こんなのやってもどうにもならないよ。全部捨てちゃいな。 とっちアッパ(パパのこと)も小さいころ こんなの好きで科学者かなんかになるかと思ったのに 何にもならなかった」などということとか(何かをやったら必ず結果となってでないといけないんでしょうかね? たかが子どもの遊びじゃない?彼からそれをとったら何をやれと? 日本のじじばばはこういう手先の器用さとか集中力とか 観察力を評価してくれている...)挙句の果てに埃がするからギターはベランダか物入れに風呂敷きなりビニールなりかけて置くようにとかそんなことまで指示されたしまいには私の中に積もり積もったものはついに爆発し言った一言。「ギターはもう捨てますから!」玄関に放り投げた。それが導火線となってパパが義母に「もううちに来ないで。」とどなってからはもう修羅場。パパの態度とそれが私が原因なのがわかった義母は怒って帰ってしまい結局とっちは道場に行かずに済んだ。わかっている。義母は極度のキレイ好きだし待てない性格だし、何でもちゃちゃっと動かないと気がすまない。それに何でもやってあげたい人なのだ。コンジュもとっちもかわいい孫だし一人でここに嫁に来た私を家族と思ってのことなのだ。でも私にはそれが重過ぎる。自分のことは自分で、人に迷惑をかけるなと育てられてきたのに...それにいろいろ指示されるのは嫌いだ。以前も家事については私がぐうたらで後回し後回しにするけれど自分でやれるし、やれることはやるからと言ったはずだし仕事をしていたときなら、うちの家のことまでしてもらってありがたいと思ってやってもらうけれど今は一日中家にいるのだし時間は十分ある。習い事にしてもしばらくパパの収入だけで生活しなければいけないうえ出産費用やら小さい人にかかる費用だとか今年から放課後授業の援助がでなくなったこととか考えると、これ以上習い事に充てることはできないことは話したはずだ。いつも義姉の子達の教育の話がでるたびに私の意見は言ってきた。子どもたちの教育にしたって私なりの考えがある。自分が受けてきた教育とか立場や状況を考えると一般的な韓国人と同じやり方が絶対で最高だとは思えないしこの国のお母さんたちのように小さいころからあれこれお膳立てしてやり収入はすべてに優先して膨大な教育費に注ぎこむよりは自主的にやりたいことやるべきことを見つけていけるようにしてやりたいと思っている。そのためにはこちらが辛抱強く待ってやることも見守るという態度も必要らしいということも最近やっとわかってきた。英語、英語というけれど言葉は道具でしかないのは私が十分承知だ。むしろ趣味の延長で続けてきた音楽というアイテムを持っていたからこそやっとここでも好きなことが楽しくやれるようになったのだし、大金は稼げないけれどそれなりに満足できる精神状態を保ってきた。でももうなんだかどうでもよくなって自暴自棄。義母が帰った後、パパと子どもたちに「私は音楽を全部捨てる。ギターもバイオリンもピアノも 全部売っぱらって習い事させてあげるから。 言われたとおりの習い事をしてちょうだい。 毎日埃ひとつない家にするために埃のしそうなものは全部捨てて。」と言いはなち家中すべての楽譜、CD、本棚の上のとっちの作品やらピアノの上の写真やらをすべて大きな箱にぶちこみ、ギターの先生に「ギター売りたいので誰かほしい方いたらお願いします」と電話をいれ、そしてパパには「これからは教育費大変だからもっと稼いできて。 それから両親を失望させないような仕事だけしてちょうだい。」と吐き捨てた。 ひとしきり大声で泣いてコップと皿を割り一晩寝て起きたら多少落ち着いて翌日ちゃんと義母には謝って和解した...
2009.03.29
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娘コンジュのいろいろやりたい気持ちにはほとほとため息がでるばかりだが今度は英才教育院の試験を受けたいと言い出した。英才教育院というのは市の教育委員会や大学などで特に優れた才能を持つ子たちを集めその英才性や創意性を伸ばすための教育を行う......というのが目的の機関のはずだが今では毎年あちこちで募集があり年齢も低年齢化していてこの教育院に入るための塾の講座ができたり塾の宣伝にも「英才教育院○名合格!」なんてのを謳い文句にしていたり私教育の過熱をあおり、学生が減り続ける大学の新たな収入源を増やす目的としか思えない。パパに聞いても「まあ、形式上やってるだけだね」という答え。わがコンジュ様、数学(算数)で受けたいとおおせになる。しかし彼女が好きなのは単なる計算問題ででも実は割り算の筆算でさえときどきあやしい...学校の教科書にそった問題集でもちょっとひねった問題だともう無理だし。いくら父親が数学塾の先生だといってもとてもじゃないが数学の素質があるとは思えない。父親について特別勉強しているわけでもなく毎日のように友達と遊びまわって、家ではほおっておくとテレビの前に2時間でも3時間でも座っている...勉強もしていない、どんな問題がでるかも知らない状態で万が一合格したとしても毎週土曜日に2時間ほど行われる授業、毎週出される課題、PCをつかった遠隔補習、送り迎えなら往復1時間、バスなら乗り換えで往復2時間弱、月謝、交通費、 etc...でもとりあえず彼女のやる気は尊重してやらないといけないだろうし...パパに相談すると「受けさせたら?」というので受験することはOKしてパパに頼んで問題を持ってきてもらうことに。3年生までの内容で解ける問題のはずだから私にも解けるんじゃないかと挑戦してみたけれど結果は10問中2問正解たとえばこんな問題 「130以下の自然数のうち5で割ってあまりが1になる数は全部でいくつですか」 「次のような規則で50個の数字を並べたとき、数字5はいくつありますか。」 1,1,2,1,2,3,1,2,3,4,1... 「次の足し算の式であ、い、うがそれぞれ異なる数のとき この式を満たす3桁の数‘あいう’の中で最も大きい数はいくつですか。」 あ い う + う い あ -------------------- 1 2 7 1あとは積み木をつんだものを上、横から見た図があって積み木は最大(または最小)いくつ必要ですか、という問題とか...皆さんも頭の体操にどうぞ^^試しに解いてみたコンジュには問題の意味を理解できないのものもあり自力で解けたのは2問...ヤッパリ ワタシノ ムスメダワ...試験当日は難しかった~と憔悴しきった様子で帰ってきたけれど当たり前です...しかも努力をしない状態で合格してもらっても彼女にとってよくありません。なんでも簡単にできるという認識を植えつけてしまうのではと。それをわからせるための受験料2万ウォン...はあ...母の本音としては4年生の今の時期、勉強に入れ込むより他にすることがあるような気がするのだけどねえ。なんとかそうならないようにしたくてもこうやってだんだんこの国の異常なほどに過熱する教育の波に乗っちゃうのかな。まあ、そのチャレンジ精神を認めてあげようと無理矢理プラス思考。結果がでてからのコンジュの反応はいかに!?
2009.03.17
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4年生に上がったわが娘コンジュ。学期始めにはクラスから6人を選ぶ学級委員選挙がある。2年生のときから立候補しているが言葉数も少なく内気でおとなしいコンジュは毎回落選。というか学級委員の母親たちは自動的にクラス役員(=お世話係)になるのでそういう面倒は避けたい私が落選するようこっそり強く念じていたのだが...どうせまた落ちるから...といいながらも懲りずにまた立候補すると言って学級選挙の前日、立候補演説と小道具(?)を準備しているコンジュ。小道具とは画用紙に「私が委員になったらこんなクラスにします」というのを書いたものを割り箸につけたプラカードのようなもの。それからとっちに折らせたよく飛ぶ紙ひこうき。「皆さんの1票を私に!」と言いながら飛ばすのだそう...そのアイディアにも感心&びっくりだけどそんなパフォーマンスまでしないといけないわけ?(まあ、去年もあめやお菓子のワイロを配って当選した子もいたらしいし..)たかが小学生の学級委員選挙でしょ?でもなぜにそこまでして学級委員ごときになりたいのか?学級委員って何するの?と聞くと先生がいないとき代わりに電話とったり~ちゃんとまじめにしてない子を注意したり~....そんなこと....ま、何事も経験だからね。選挙当日、学校の公衆電話からコレクトコールで電話してくるコンジュ「おんま、私、学級委員になったよ!」そう、よかったね~11人の立候補者の中、2番目に多い得票数で当選したらしく念願かなって、3度目の正直!?そして次の日にはこんなものまでもらってきた。任命状。こういう類の賞状やらをやたらと濫発してくれる学校。あんまりたくさんあるとありがたみがないのでは?実はこれがほしかったのか??数日後「今日ね、Fオンニ(私の知り合いの娘)が生徒会の副会長 立候補演説したよ!」知ってる子が出てるということに心動かされたらしい。来年は生徒会副会長立候補すると言っている...このままの勢いでいくと将来国会議員にでもなりたいと言い出すのでは!?とりあえず自分から積極的に何かをやろうという態度は認めて評価してやろうと思います。とどまるところを知らないコンジュの欲望はまだまだ続く....
2009.03.10
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子どもたちは先週末から春休みに入ってしまい、1日3食おやつ+パパの弁当、夜食となんだか1日中食べることばかりに振り回されてる今日この頃..日本語教師の仕事も1月から休みに入り、必ず出て行かないといけないことといえば週1回のギターのレッスンも今月まででほとんど家でのんびり(というかだらだら)メリハリのない生活をしていて自分から何か用事を作ったり誰かに電話するのが苦手で出かけるところもなく何か習い事にでも行こうかと思うのだけどこの時期やれるものもなく特にやりたいことがあるわけでもなくでも出産へのタイムリミットは刻々と近づいていてつのってくる不安とか焦りとかだんだん重くなってくる体、動きも鈍くなってきてどうも頭の働きも鈍くなって判断力も鈍ってるらしい車の運転中、交差点で青信号で出発しようとしたら後ろから追い越してきた車が突然右折するものだからライトを派手に割られる...ただでさえ私の精神衛生的にもよろしくない状況なのにまたパパの過度心配症が発症したらしく一人で外出するな、運転するな、レッスンはどうして年末でやめなかったのか、家でゆっくりしてろ、etc....「毎日うつうつとしながら 家のことだけしてろっていうの?」と久々に感情的になってぼろぼろと泣いてしまうもまたそんなことを言う...と一言残して席を立つ。だいたい日本語の仕事も初めはぎりぎりまで続けるつもりでいたのをあまりにパパがいろいろいうので12月までにしたのだ。それは学院にも早くから言ってあったことだしパパにも言っておいたことだった。それなのに、12月1週目のこと。朝受講登録する人もいるので月初めの1週間は朝7時から待機しておかなかればいけないのは承知のはずなのにある日いきなり学院にやってきて院長に怒鳴り込み。授業もないのに早朝から出勤させて妊婦をこき使ってどういうことだ?今日限りで仕事をやめさせろ、などといったらしい。自分も学院経営者でありながらそんなむちゃくちゃなことをいうのか。腹が立つやら、恥ずかしいやら、院長や他の先生たちに申し訳ないやら...その後数日間冷戦突入...分かってます。すべては私とお腹の中のちっちゃい人を心配してのことでしょう。優しさなのでしょう。でもそれは私には束縛、制限としかうけとれないんです。何か食べたいものはない?何かほしいものはない?といつも気を使って声をかけてくれていること感謝してます。でも食べたいものを食べて欲しいものを手に入れて得られる一時的な満足感で満たされたいのではないんです。(特に食欲や物欲もない)生活費、もっとあげるから。と言ってくれること言ってくれるだけでほんとでもうそでもありがたいです。でもお金だけの問題じゃないんです。私が外にでて働きたいのは。子どもたちを朝送り出し、午後から出勤する夫のために食事を並べてあげ、深夜帰ってくる夫を迎える妻。そうあるのが理想です。でもその妻がいつもいらいらと子どもたちに当り散らしてるのと一般的な生活スタイルや家族のスタイルと異なっていても生き生きとしているのとどちらがよいのか...これでは産後の仕事復帰もかなうのやら...
2009.02.18
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夏休み期間中「多文化家庭キャンプ」と称した国際家庭の子供たちを集めて行われるプログラムに参加しているわが子たち。毎日9時から12時半まで普段通っている学校ではなくうちからは車で15分ほどの学校で韓国伝統の遊びやらマジックやらを教えてくれたり家族新聞だとか名刺を作ってみたり簡単な料理やカルメ焼きなんかもつくってみたりアイススケートや焼き物体験など校外学習にも連れて行ってくれるしおやつまで出してくれる。費用は一切無料自分たちの学校での課外授業の関係でうちの子供たちは月水金だけ参加しているけれど行けない日をとても残念がるほど楽しいらしい。朝はパパが車で送っていき帰りは私が迎えに行っていたのだけどコンジュは市バスで通ってきている子たちの首から提げてるバスカードがうらやましい様子。 小学生用の交通カード(地下鉄・バス兼用) ↓ 帰りだけでも自分たちだけでバスで帰ってきてみる?と聞くと何でもやってみたいコンジュは2つ返事でOKでも不安はいっぱい。こっちのバスはとても安全とは言えないしバスにほとんど乗せたことないし乗り換えないといけないし番号もたくさんあるしもし途中で事故とかあったら...大丈夫かなあ..超心配性のパパはとんでもないと反対でも私は幼稚園の年長のときは友達と市バスに乗って20分ほどの幼稚園に通っていたし1年生のときは40分ほどかかる隣の市のスイミングまでバスで通っていた。(帰りは迎えに来てくれたけど..)人が多くて降りられなかったりバスの中でお金を落として運転手さんに泣いて話したことを今でも覚えているつくづくうちの母はほんとに度胸のある人だなあと思う。幼稚園生をひとりで市バスに乗せるなんて私だったら絶対できない^^自立心を育てるためだったんだろうけど結構勇気がいったと思われる。そんな人の娘だが国も時代も事情も違うから私も母と同じように、とはいかない。でも子供たちを信じてあえてやらせてみることにした。インターネットで路線を確認して乗るバスの番号をメモさせて前日に一緒にリハーサルをした。バスを待ちながら乗るバスの番号を確認し乗ってからはカードをどこにあてどこに座って何が見えたらどこで「降ります」のブザーを押すか降りたらそこで何番に乗り換えるのか。停留所の表示を見てあと何分後にバスがくるかそうして見慣れた景色(家の近所)になるとブザーを押して降りる...自分ひとりで乗るときには何でもなかったことも初めて子供たちだけ乗ると考えるとどれも一大事のように思える。~どきどきの当日~私は子供たちより早く出かけるのでちゃんとバスカードとバスの番号書いたメモ持ってでたかなあとか気になりながら授業もなんだか調子がでない。子供たちの学校が終わる時間にパパから電話があり子供たちに自分の携帯を持たせた、終わる時間なのに電話はなかったかと。乗るバスが来るのを逃さないようにと神経を集中させているだろうときに電話するのもどうかな?何か問題があれば電話してくるでしょ..ちゃんと信じてがまん、がまん。会議中だったしマナーモードにしていたしで電話がきたのも何回か気づかずにいたようで着信あり。電話してみるとバスがなかなかこなくて今やっと乗ったところだという。よくやった。第一段階クリア会議が終わってもうそろそろ着いたころかと電話してみると今、公園(家のすぐ横)の前。もう降りるから。おお、ちゃんと乗り換えられたのね。急いで家に向かう。家に着くともう2人は帰っていて凍らしておいたヤクルトを食べている。ああ、よくぞ帰ってきてくれた私には2人がなんだかすごい冒険をしてきたようなもしくは無人島から生還してきたような気分でいるのに当の本人たちはあっけらか~んおもしろかった~今度からも自分たちで帰れるよ、ですと。またひとつできることが増えました。そしてまたひとまわり大きくなりました。コンジュがしっかりもののお姉ちゃんになってくれてよかった。そして兄弟がいてよかったなあとしみじみ。ぐんと成長したようでうれしさ半分、誇らしさ半分チャランスロウン ウリ エギドゥル... (自慢のうちの子たち..)親ばかです...今日の韓国語講座 チャラン :(名詞)自慢 チャランスロップタ :(形容詞)誇らしい
2008.08.13
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わが娘コンジュ(小2)の習い事大公開。ピアノ(個人レッスン週2回)国・算の学習誌(1週間分の教材をもって週1回先生が家に来て指導してくれる)英語(↑のような学習誌+ネイティブ電話会話週1回)コンピューター(学校の課外授業週3回)バレエ(同じく学校の課外授業週3回)バレエは担任の先生からなぜか特別に授業料免除の特権(?)をいただいて受講してるのでいいとしてとにかく習い事代は半端じゃなくてとっちの幼稚園費を超えているしかも毎日のようにスケジュールが入ってて先生たちが入れ代わり立ち代り家に来るのでかなり負担に思ってるのは母だけで本人はそれでもどれもやめられないという。この人の欲は尽きることがないそれどころか合間をぬって友達とも遊んでるのだからわが娘ながら感心してしまう。こうやって韓国人は要領のよさを習得していくのだろうか...だいたい2年生なのに学校が給食食べてすぐ終わり1時には帰ってきてしまうのがまず問題。いったい午後の時間をどう過ごせというのだ!?日本の学童保育のようなものもなく共働き家庭の子は習い事のはしごで午後の時間を過ごすしかない。家計における私教育費比率世界第1位の国、韓国...しかも韓国の習い事、週1回とかいうのはあまりなくてピアノやテコンドーだったら毎日、英語や水泳は週3回とかとにかくこつこつ長く続けるというよりはこの段階が終わったから次はこれ!!みたいなステージクリア型なのでこんなタイトなスケジュールになってしまうのかもしれない。母としてはピアノと国語(私が指導できないから)とバレエくらいまでで勘弁してほしいのだが課外授業のおかげで家に帰ってくるのが2,3時になるから親としてはラクではあるしパパは本人がやりたいというならやらせろというし、コンジュはどれもおもしろいからやめたくないというし...まあ、友人の娘も2年生まで同じくらい習い事をやってたけど3年になったらいくつかやめたいと言い出したというから今は何でもやってみたい時期なのかもしれないとあきらめ来年に期待することにする。1月から1ヶ月半ほど日本の学校に通うことにしているので今月いっぱいでお休みしますといったところ学習誌の先生は冬休み期間中は次の学年の準備期間で大切なので教材だけでも送りましょうか?といってきたけれど日本の学校に行ったらそんな余裕は少しもありませんと断った。そこまでして勉強させろと!?いや、たぶんさせるよな、韓国人の母だったら...とりあえず冬休み中に習い事のリストラをして3年生への対策をたてなければいけない。子供の習い事のマネージメントも母の役目。
2007.12.21
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ひさびさの通訳のお仕事。展示会の通訳3日間。午前10時から午後6時まで。仕事場は目の前だし(徒歩5分)、3時間くらいなら子供たちだけでも留守番できるだろうと義母にも来てもらわないことにした。(キムジャン*で忙しい義母に頼むのも気がひけて..)*キムジャン:越冬用大量キムチを漬ける一大イベント子供たちだけでこんなに長く留守番させるのは初めてなので少々不安はあるけれどもう電話もできるし、お友達もいるし、仕事場も近いしなんとか大丈夫でしょう... 初日帰宅後玄関を開けると駆け寄ってきた子供たちから抱擁&チューの大歓迎を受ける。こんなに歓迎されたことは今までなかった気がする。2日目とっちが帰って来たときコンジュは友達の家に遊びに行っていて不在で「おねえちゃんがいない..」と泣きそうな声で電話してくるという小ハプニングがあったけれど(1人では留守番できないとっち..)「コンピューター(ゲーム)してていいよ」の一言で何とかクリア。そして帰宅後。初日と同じく大歓迎を受ける。玄関から見えるリビングがきれいに片付けられている(いつもぐちゃぐちゃ、片付けることを知らない人たち...)「オンマー、これ食べて。私たちが作ったの」 ↓ミニおにぎりと温かいお茶。テレビを見ていたら出てきたので作ってみたというおにぎりはほんの一杯分残っていたご飯に酢やら塩やら砂糖やらふりかけやらごま油やら探してきて入れて混ぜビニール手袋をして丸めたらしい。お茶はコンジュが電気ポットでお湯を沸かしていれたという。(とっちが帰ってきたらお湯を沸かしてココア入れてあげてね、と 言ってコンジュに使い方を教えておいた。)母はしそうになるのをこらえながらありがたくいただいた。これ以上においしいものがあるだろうか?これ以上に感動的なものがあるだろうか?いつも怒ってばかりで未熟なこんな母親のもとでここまで育ってくれたことに感謝。思いやりの気持を子供たちに気づかされ..ごちゃごちゃ言わなくとも(言わないほうが?)実はきちんとやれるのだと子供たちの能力を信じていなかった自分の言動を反省...今度生まれ変わったら子供はいらないと思ってたけど撤回しようと思う。結果がすぐにでてこないけれど思わぬところで現れる成長のあかし。なかなか子育てというのもやりがいのある仕事なのかもしれない。本日の韓国語講座ポラム : 甲斐ポラミ イッタ/オプタ : 甲斐がある/ない
2007.11.30
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って3,4歳くらいまであると本で読んだことがあったけれど突然とっちが言うのです。「僕、オンマ(ママ)のお腹の中にいたときのこと 思い出したよ」どんなだったの?「僕は女の子に生まれようと思ってたんだけど 女の子だと大きくなって赤ちゃんを産むとき でてこなかったらお腹を切らないといけないでしょ。 それは嫌だから男の子に生まれたの」ぷぷっそれは思い出したというよりどこかで聞いた話なんでしょう?でも覚えた知識をして論理的に考えることができたのではなまる。コンジュも5歳くらいのときこんなことを言ったなあ。「コンジュはオンマのお腹の中で ちーちゃいとっちと ちん○んで遊んでたんだけど お腹から出るときとっちにあげてきちゃったの」ぷぷぷっ君たちは双子だったのかい?ま、確かにコンジュは最初男の子だと言われたけど..コンジュがお腹の中に置いてきたものを拾ってつけて出てきたのがとっちだったわけね。子供って考えることがおもしろいわね。でもほんとに鳥肌が立つほどこわかったのはコンジュが3歳か4歳の頃「コンジュがオンマのお腹の中にいるとき アッパはいなかったでしょう? アッパ(パパ)の声がしなかったもの」と言われたとき。妊娠8ヶ月近くまで日本と韓国で別居生活をしていた私たち。確かにアッパの声はしなかったはず。離れて暮らしていたことをコンジュに話したことはなかったし..背筋がぞぞぞー胎児のときの記憶...皆さんは信じますか?
2006.12.13
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来た!!って感じでしたよ。こんなに早いとは思わなかったけど...数学大嫌い数字苦手の私に似ず数字に強いわが娘コンジュ。どこで見たのか知ったのか「オンマ(ママ)とアッパ(パパ)が結婚したの1999年でしょ?」うん、そうだよ。「4月だっけ?5月だっけ?」5月。「じゃ、コンジュは結婚からたった3ヶ月で生まれたの? 赤ちゃんは10ヶ月してから生まれるのに...」......あなたの出生の秘密にもう気づいてしまったのね。大きくなってこの質問がでたらどうする?とパパとずーっと前から話してたけど1年生でもうこの質問がでるとは予想すらしてなかったよ..実はできちゃった結婚の私たち。父の手術、入院やらなんやらで妊娠8ヶ月での結婚式→入籍だった。あのね、じいじが病気で手術して入院してたから結婚式できなくて遅くなっちゃったんだよ。といちおう前から考えていた答えを返してみる。これでさらにつっこまれたらなんと答えよう??「ふ~ん」コンジュの中では結婚イコール結婚式なのでこれで解決したよう。ほっ。ま、最近はお腹の中の子もホンス(婚需--結婚準備品)の1つだとかいうし...コンジュが真の真実を知るのはいつ!?
2006.12.05
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数日前のできごと。とっちの幼稚園で「父親参観」があった。初めは不参加にしておいたパパだったけれどとっちが当然パパはくるものだと思っているのを知ってなんとか時間を空けて参加することになった。幼稚園に「参加できることになりました」と電話したのだけど、そのとき先生が「お母さんもお姉ちゃんも一緒に来られていいですよ」とのことだった。そして父親参観 前日...幼稚園から帰って来たとっちは開口一番「先生が明日オンマとお姉ちゃんは来たらだめだって パパと2人だけで手つないでおいでだって」という。内心「先生は来ていいって言ってたぞ」と思いながら「あら、そう。じゃ、オンマとお姉ちゃんは2人で おいしいものでも食べに行こうっと」と言っておいた。ちょっと複雑そうな顔のとっち。当日は朝は幼稚園に行かずに午後6時半にパパと一緒に登園ということになっていたが..朝から「まだ夕方じゃない?」をしつこいくらい繰り返していた。普段、パパはとっちが幼稚園に行く時間には寝ているし幼稚園から帰ってくる前に出勤してしまって夜は12時過ぎに帰ってくるのでとっちと顔をあわせることはほとんどない。パパと一緒にいられるということがそれだけ待ち遠しく、うれしかったらしい。幼稚園では一緒に工作をしたり、英語の授業を受けたり晩ご飯もいっしょにおいなりさんを作って食べたらしい。帰って来たとっちは一緒に作った工作を自慢げに見せたり、少々興奮気味だった。パパが一言「コンジュの去年の担任の先生が(コンジュも去年までとっちと同じ幼稚園だった) 『どうしてコンジュは来なかったの?とっちにお姉ちゃんも一緒に おいでって言っておいたのに』って言ってたよ」ばれてしまったとっちのうそ...「あら、そう」と、とりあえず知らんふりしておいた。次の日の午後...お絵かきして遊んでいたとっちとコンジュ。突然とっちがぽつんと言った。 「お姉ちゃんも来てっていえばよかった... お姉ちゃん来ちゃだめっていうのはうそだったのに...」とっち、良心の呵責に耐えかねて自白。君にもそんな気持が持てるのね。
2006.11.02
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毎朝子供たち(小学生、幼稚園生)を起こすときから私のイライラは始まる。言いたくなくても言ってしまう小言も毎回同じ。1 何度声をかけてもゆすっても起きない.. 「起きなさーい!!遅刻するよーっ」2 着替えに時間がかかりすぎる&着るものでひと悶着... 「さっさとしなさーい」3 朝ごはんはだらだらと。そして汚く残されるごはん.. 大きなため息4 食べたらすぐに歯磨きせずにうろうろ、顔はいつ洗うんだ? 「毎日言われてもわかんないのっ」8:20 小学生を送り出し、8:30 幼稚園生をバスに乗せて朝の戦争は終わる。毎朝繰り返されるこの光景。ついに堪忍袋の緒が切れた。起きたのはいいけど着替えようともしないこの人たち。食パンにジャムをつけて、コップにはちみつと水を入れテーブルに置き「もう何にも言わないから勝手にしなさい」7:55 私はドアをばたんと閉めて、部屋に入った。8:15 ドアをノックする音出てみると支度は全部終わって小学生はでかけるようだ。小学生がでていったあと食卓の椅子にじっと座って手に持った紙切れをちらちら見ながら台所にあるデジタル時計をみつめる幼稚園生。その紙切れ↓時計が読めない幼稚園生に小学生は「時計がこれになったら行くんだよ」と書いて渡したらしい。時計の読めない幼稚園生は10分も前から8:25になるのを逃すまいと時計をじっと見つめていたのだった...弟が時計が読めないのに先に学校に行かねばならない姉の小さな心遣い..
2006.05.31
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とっちが幼稚園で作ってきました。これ↓親の日(韓国では父の日、母の日一緒になっている)のプレゼントだそうで...クーポンもいっしょについてました。「愛をたっぷり込めてチューしてあげます」「10分間マッサージしてあげます」「不平を言わずにおつかいに行きます」「世界で一番おいしいラーメン作ってあげます」←幼稚園児にどうやってつくれというのだ?などなど..ちゃんと手を洗って作ったのかちょっと疑わしいけど...おいしくいただきました。おいしいおいしいと言って食べたところ大きくなったら姉と一緒に食堂をして父と母はタダで食べさせてくれるそうです。ありがとね。将来に期待します。
2006.05.08
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わが息子とっちは私のストーカーだった..のではないかと思っている。前世では私のことをストーキングしていたのに現世で同じ家に暮らしているのがうれしくてたまらないのだろう。私は嫌なのにしつこく髪や頬を触ってくるし寝るときまで追いかけてくる。 パパと私が仲良くしてるのを見ると泣いて引き離そうとする。 寝ていてもパパと私がラブラブしてると必ず起きてきて邪魔をする。この人は実は4歳の着ぐるみを着ている大人かもしれないと何でも知ってるくせに知らないふりをしているのではないかと思ってしまうこともあってちょっとぞくっとすることもある。とっちの名セリフ&怪しい行動の数々(の一部)「オンマ(ママ)、好きだから死なないで。」or「好きだから捨てないで。」→私は先に死んだらしい。私のほっぺたを触ったりチューしたりしながら「好き~」→「そんなに触りたかったの?」髪の毛を触ったり、においをかいだりしながら「髪切らないでね。パーマもしちゃだめよね。染めるだけにしてね。」→ストレートヘアフェチ。幼稚園に1人で行くとき玄関を出ながら「1人で寂しいって泣いちゃだめよね。たいくつだって遠くに行っちゃだめよね」→「君が行ってくれるとほっとするんだけど..」そして今日言われた決定的な一言...私に抱きついて耳元で言った。「ネガ サランハンダヌンゴ アルジ?(僕が好きだってこと知ってるよね?)」ぞぞぞーーーっついに正体を現したか....
2006.04.28
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