全2068件 (2068件中 251-300件目)
< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 ... 42 >
レコードコレクターズ8月号、9月号で連続して日本のロックアルバムベスト100の企画あり。前者は60年代から79年まで、後者は80年から89年まで。9月号の方にあなたが選ぶ日本のロック/フォークベストアルバム10という募集フォームがあったのでそれに便乗してベストテンを作ってみる。10では収まらないので25までやってみる。しかも無理やり順位もつけてみる。90年代以降がないとまたちょっと物足りないと思うのはまだまだわたしが現役のリスナーということか。制約は1アーティストにつき、1枚ということ(ソロとバンドは別物扱い)で。このしばりは結構きついのです。第25位 「EXITENTIALIST A GO GO」 ザ・ビートニクス (87)第24位 「あやしい夜を待って」 井上陽水 (81)第23位 「東京ワッショイ」 遠藤賢司 (78)第22位 「FOR YOU」 山下達郎 (82)第21位 「センチメンタル通り」 はちみつぱい (73)第20位 「SOMEDAY」 佐野元春 (82)第19位 「ベリッシマ」 ピチカートファイブ (88) 第18位 「天然の美」 近田春夫 (79)第17位 「KYLYN」 渡辺香津美 (79)第16位 「カバーズ」 RCサクセション (88)第15位 「80のバラッド」 泉谷しげる (78)第14位 「SOLID STATE SURVIVOR」 YMO (79)第13位 「一触即発」 四人囃子 (74)第12位 「はらいそ」 細野晴臣 (78)第11位 「ROMANTIQUE」 大貫妙子 (80)第10位 「摩天楼のヒロイン」 南佳孝 (73)第9位 「悲しいほどお天気」 松任谷由実 (79)第8位 「愛していると云ってくれ」 中島みゆき (78)第7位 「A LONG VACATION」 大瀧詠一 (81)第6位 「音楽図鑑」 坂本龍一 (84)第5位 「パパ・ヘミングウエイ」 加藤和彦 (79)第4位 「マラッカ」 PANTA & HAL (79)第3位 「ごはんができたよ」 矢野顕子 (80)第2位 「DON'T TRUST OVER THIRTY」 ムーンライダーズ (86)第1位 「黒船」 サディスティック・ミカ・バンド (74)
2010/08/16
コメント(2)
■歴史的にはグラバーとの交渉が今回の大きなポイントだったと思うが、それと競うように大きく描かれたのがお元と龍馬の関係。薩長連合にアンダーラインを引かない日本史受験者はいないのと同じように、この長崎の芸姑の名前を知らない龍馬検定受検者はいないということか。■グラバーさんの日本語力がかなりのものだったことは推測できるが、当時の土佐弁にしろ薩摩弁にしろ、同じ日本人同士でも何を言っているのかわからないくらいに難しい言葉だったように思う。彼が独力でその交渉にあたったのか、優秀なブレインがそばにいたのか知らないが、よく意思の疎通が取れたものだと感心する。■その交渉の中心となったのが長次郎だったという描き方だったが、ふっかけるグラバーに対し、あのようなかけひき(その値段ならボイラーを新品にしろとか、この程度の設備だったら、このくらい値引きしろとか)がよくできたなという感想。留学経験のある伊藤、井上の存在と沢村の英語力も大きかったということかな。■隠密蒼井優はそんなこそこそした動きに対してひどく敏感である。要人が集まる場所にはたいていこの女がいて、嗅ぎつけた情報があれば、すぐに奉行所に報告する。すごく薄幸な匂いがするが、同情するなら金をくれと言われそうでちょっとこわい。ちなみに龍馬伝のオープニングの歌声は中島みゆき(うらみ・ます)に似ている。■イエスを漢字で書くと耶蘇(ヤソ)なんだそうだ。当時はキリスト教のことを耶蘇教と呼んだらしい。音だけ聞いた範囲では八十って何だって最初思った。そういうことだったのか。こんな国を抜け出したいと思う女がいて、この国を作り直したいという男がいる。そんな女がそんな男に惹かれるのも自然の成り行きということか。PS■キャストロールのトリを飾ったのは余貴美子。ここ数年の彼女の活躍ぶりはめざましい。「おくりびと」も「ディア・ドクター」も彼女なしではあれだけの成功は得られなかったと思う。このドラマの大浦慶もまた魅力的。もっと出番があってもいいのに。(本田博太郎もね)
2010/08/15
コメント(5)
■全盛期の倉本ドラマならばCMが入るタイミングさえもシナリオに指定するくらいそれを効果的に使っていたと思う。しかし、今回のこのドラマのそれによる中断の多さは著しく物語の進行を阻害したと言わざるを得ない。■元々は舞台劇として発想されたドラマゆえ、テレビ用に書きかえられたそれはエピソードの羅列に過ぎないという印象をえらく与えてしまったのではないか。たけしのパート終了、次、小栗、次、向井、次、長渕みたいなね。■倉本聰は40代の頃から、頑固爺宣言をしていて、年をとったら若い奴から嫌がられ疎まれる独善的な老人になるんだと言っていたものだ。そういう意味では説教臭さも責任転嫁も文明批判も思う存分できましたと納得できる出来上がりになったのではないか。靖国問題批判もマスコミ批判も堂々と書けてしまう強さは頑固爺ならでは。■堀北真希が八千草薫になるというテレビ的な見せ方は効果的だと思う。ベッドに横たわったままのしわくちゃな婆さんがその昔は小池栄子だったという見せ方も。肌なんかピチピチしてて、抱き締めれば髪の毛がプーンと良い香りで・・・そういう時代が誰にでもあったということ。■樋口了一の「手紙」はいかにも倉本先生が好きな歌だと思う。年老いた私を疎むことなかれ、私があなたに捧げた愛情を忘れてはならぬ。でもあの歌はあの場面ではなく、石坂浩二が家族にメールを打つ場面で使った方がより効果的だったように思う。■英霊たちのわだかまりは何もかも途中で投げ出さなければならなかった非達成感にあると思う。もしも、戦争など無くてあのまま彼女や家族と一緒に暮らすことができていたらと願う気持ちはよくわかる気がする。その幸せが未来永劫持続するものだという願望も含めて。■現代社会の荒廃を嘆く長渕のセリフに抗う生瀬のそれはあなた方の片想いかもしれないという言葉は印象に残る。現代人としては終始頭を下げて言われっぱなしでは何の感慨も得られない。■山田太一なら同じテーマでどんなドラマを描くだろうかと考えてみた。そういえば彼の作品に「終わりに見た街」という物語があった。やはりあの時代の兵隊たちが現代に迷い込んでしまうというタイムスリップものだったが、その後味は全く違った。■山田太一も倉本聰もほとんど同じ年代の創作者だが、あの時代の人たちが全て同じような問題意識を持っているとは限らないということだ。ならば受けとるこちら側だってひとつのドラマに同じ感想を持つことはありえないということだ。
2010/08/14
コメント(2)
■たとえばボール紙で日本地図を作って、それが人さし指の上に収まるように重心を見つけようとしたら、その場所は長野県あたりになるか、岐阜県あたりになるか。ではそこに行って日本の抱えている問題の核心などを訊ねてみたとしたら、気のきいた答えが返ってくるのだろうか。■南熱海市の中心に住んでいたのは胡散臭い占い師。オリエンテーリング、マークは数字かもしれない、順番は関係ない、現象に惑わされるな、オダジョーはだいたいわかったと言うが、この時点で彼ほど捜査資料を持たないわたしたちには今のところ事件の真相などしょぼしょぼの霧の中というより、闇の中といった方が近い。■それにしても脇役たちの珍名率がこれほど高いドラマはない。主役の星崎、北島はさておき、普通っぽい名前といったらレストラン・ボリュームの伊藤奈々子くらいで、残りの人たちの名前は一回聞いても覚えられないものばかりだ。坂善、拾坂、桂東、新宮寺、東雲、椹木、月代、萌黄、四十万、朱印、蛇川・・・。この中に数字に関係している名前は・・・あ、いるじゃないか。きっとそれぞれ何かしらの意味を持ってつけられたのだと思うが、その種明かしはまだまだ先なんだろう。■松尾スズキとか銀粉蝶とかふせえりとか、そんな小劇団っぽい香りのムンムンするこわく的な珍名さんたちをテレビというメディアで拝見できるのはとても楽しい。時代が時代ならそんな妖しい世界を味わうためには高いチケット買って日本の中心に出かけなければ彼らの芝居など見ることはできなかったのに。それを翌日仕事のない金曜深夜に寝っころがって見られる幸福。■ネズミ大将も車のルームミラーにうってつけのアイテムだが、藍染のイヌとウサギの人形もまたキモかわいくて欲しい。あれが乾燥機で回っている風景はシュールでおかしく不思議でうざい。それはこのドラマの印象とすごくダブる。動物ついでに萩原聖人が抱いていたネコの表情がかなりやばい。どんなオーディションがあっての人選(いや、猫選)だか知らないが、この猫を発見した時のスタッフの喜び様が想像できる。これで良いドラマになる。三木作品の配役の妙は人間だけにはとどまらないのだ。
2010/08/13
コメント(0)
■電車で隣の席に座った人がバドミントンの日本代表だったとしても気がつかないってことはあると思う。そりゃ、オグシオとかだったらわかるかもしれないけど、スエマエだったらわからない。うぬぼれと小雪さんの後ろの方に写っていた赤いジャージの人たちもひょっとしたらその世界での第一人者だったかもしれない。■○○コンビの可愛くない方を応援する、そんな男性心理は坂東先生に解説されなくてもよくわかる。たしかにわたしもウィンクではさえちゃんの方だったし、ジュンとネネではネネの方だった。(うーむ、これは微妙か)■ハギシリというコンビ名を宮藤さんが思いついたことから今回の物語の創作が始まったんだと思う。穴井さん、沢村さんときて、今回恋に落ちるのはサダメ君か教授。まあ、この展開ならば若い方を選んで、ついでにホームレス、おバカキャラを被らせようと。■わたしのまわりでもバドミントンのことをバトミントンと思っていた人は多数。女子のはくのはスカートではなくスコート、手に持つものはロケットではなくラケット、打つのはシャトルではなくシャトル。(同じではないかって、いえアクセントの問題です)ちなみにこのスポーツは屋外ですることはない。どういう理由であのような展開になったのか知らないが、炎天下での撮影ご苦労様でした。■あいかわらず良々の登場シーンに笑う。捜査会議でホワイトボードにセミヌードって何回書いたかわからないが、一回も判読できなかったし、そもそも誰もあの字は読めない。I AM I にも初出勤。うぬぼれ5(4か)を向こうにまわして現実(げんじ2)なるコンビを長瀬と組むのだが、彼らを糾弾するセリフ自体が早口すぎてわからない。■すっかりこの時点で見逃しても悔やまれないドラマという位置づけとなったが、毎回どんなネタがうぬぼれたちの話題になるのかは気になるところ。時々すごいホームランが見られるかもしれないという意外性もポイント。今回はなまはげのお面にやられました。
2010/08/12
コメント(0)
■冒頭のHRの無秩序さがリアル。先生が大事な話をしているのに誰も聞かない。それでも松たか子はあくまでも同じトーンで話を続ける。こういう場合、教師が生徒の騒々しさに負けじと大声を出しても逆効果だ。たとえそれが小声でも、彼らのアンテナは肝心な話はちゃんとキャッチする。■彼女が黒板のど真ん中に大きな字で命と書く。そのまっすぐ振り下ろされた最後の1画が爪と一緒に黒板をひっかく。そのすごく嫌な音がこの映画の後味かと言えば、そんなことはなく、わたしにとってはある種の爽快ささえも感じた。それはこの原作を初めて読んだ時の印象と同じだ。■原作の流れをほぼ踏襲して映画は進むが、より臨場感を与えるのは37人の選抜された本物の13歳たちが集まった1年B組のメンバーの表情とか言葉使いとか仕草とか、鳴りやまぬバイブの音や映し出されるメールの絵文字の猥雑さで、それを鮮やかに映像化した中島的センスは予想以上に効果的だった。■松たか子のそれから始まって岡田将生、木村佳乃、少年A、少年B、少女Aとそれぞれの告白は続く。それによって明らかになっていく事件の真相。ただしこの物語は真犯人を推理するものではなく(最初の15分でそれは特定される)、その動機を検証するものでもない。では何が明かされるのかと言えば、娘を殺された女教師がその恨みを晴らすために周到に仕掛けた数々の罠だ。■エンドロールが流れ終わって場内が明るくなっても、誰も席を立とうとしない。なんか打ちのめされた感が場内には漂っていた。あんなに徹底的にやり遂げなくても良いのに。少なくとも救いになるほのめかしぐらい残してくれても良かったのに。勧善懲悪ではなく、むしろ完全超悪。そんな中、わたしは一番最初にスキップしながら劇場を後にした。■スローで撮られた水しぶきとか、シャボン玉とか。生徒たちの瞬間の表情を切り取るカメラワークとか。反時計回りの時計のような小物のセンスとか。見事にはまってしまうレディオヘッドとか。パチンとかドッカーンっていう擬音とか。”なーんてね”なんてセリフを繰り返した脚本とか。この監督の映画を見るといつも連想してしまうのはキューブリックの作品群。下妻、松子ときて、今回も大満足。PS■告白ついでに書くと、今、町田康の「告白」を読んでいる。やっと400頁(だいたい半分)まできたが、読み終わるのがもったいない。本屋に行くと最近、この文庫が(約2年前に文庫化されたのに)結構積んであるが、それもこの告白の影響か。次はこっちの「告白」も是非中島監督に映画化してもらいたいものだ。
2010/08/11
コメント(4)
01. 最強のこれから(東京DUO MUSIC EXCHANGE)02. わかります (福岡Drum Logos) 03. えんえんととんでいく (広島 クラブクアトロ)04. RL (京都 磔礫)05. 音のない音 (東京 PARCO劇場)06. たびゆけばあたる (宮城 Zepp Sendai)07. ひとりカンタビレのテーマ (東京 SHIBUYA-AX)08. かたちごっこ (北海道 PENNY LANE 24)09. Room 503 (愛知 CLUB DIAMOND HALL) 10. 解体ショー (石川 EIGHT HALL)11. 暗黒の闇 (東京 乃木坂某所)■OTRLは奥田・民生・レコーディング・ライブ。ライブ・レコーディングではなく、レコーディング・ライブというところがポイント。このツアーでは奥田がひとりでドラム、ベース、Eギター、Aギター、ボーカル、コーラスというような順番でそれぞれのパートを録音していき、最終的に1曲を完成させるという過程を観客の前で披露するというものだったらしい。■初回付属のDVDにはAXで行われたコンサートの模様がダイジェスト版で収録されている。ギター片手に彼が何十曲も聞かせてくれるコンサート(ひとり股旅)も良いが、彼が全てのパートを演奏する1曲(M7)だけを聞かせてくれるこんなコンサート(ひとりカンタビレ)も良い。■それぞれの会場でその1曲ができあがる過程を目にした(耳にした)観客にとっては、ここに収録された楽曲の中でもその日、その場で完成したご当地ソング(?)に愛着を感じるのは当然だと思う。わたしの拍手もコーラスもできあがった曲の一部としてこうやってCDになっているんだからね。■もうこんな面倒くさいこと二度とやらないとDVDの中でも彼は言っているが、本来他人に見せるものではないこのようなレコーディング風景をLIVEという形で実現させてしまった(しかも、1回限りではなく全国ツアーですよ)勇気に歌と演奏に関する並々ならぬ彼の自信を感じる。■それではプロトゥースというソフトがあれば、誰でも奥田民生になれるかといえば、それはまた別の話で、彼の弾くギターの音のかっこ良さとか、(どれだけ彼の頭に埋蔵されているのかわからない)シンプルなんだけど実に魅力的なフレーズの数々は真似をしようと思ってもなかなかできるものではない。■誰にも真似できないと言えば、この11曲を聴いても彼の書く歌詞の発想とか展開が先の読めない純文学みたいで、やはり独特。このあたりの創作過程は(秘伝のタレの如く)LIVEでは証されることはなかったが、実はこの部分が曲の魅力の中核を為すのも事実。ただその事についていくらたとえば佐野元春が真摯に質問してもきっとはぐらかされてしまうと思う。
2010/08/10
コメント(0)
■他人の誕生日を覚えているのが得意だった。父も母も兄弟が多かったので叔父さんや叔母さんにあたる人が10人以上いた。今日は誰だれの誕生日だよねって突然言うと、良く覚えていてくれたねって結構喜ばれたものだ。ま、もちろんそんな記憶力も過去の話で、今では自分の誕生日だってうっかり忘れてしまうことがあるんだけどね。■角田光代さんも誕生日にはうるさいらしい。(三谷幸喜もきっとそうだ)1年365日、どんな日もきっと誰かの誕生日であるわけで、雨が降ろうが、雪が降ろうが、真夏日になろうが、祝福される人は世界中規模で言えば何百万人もいるんだろうな。■日記形式のドキュメンタリータッチでひとりの女性の出産までの日々を書き綴ったフィクション。ベースとして作者自身の実体験があるのだろうと思っていたが、角田さんにはそんな経験は無いということ。架空のわたしと架空の夫と架空の両親、でもこの主人公のマキさんには彼女自身の姿が投影されていると思う。まるでこの作家が書くエッセイを読んでいるような感触もある。■もちろん子どもを産む女性が妊娠中ずっとずっと幸せの絶頂にいるとは思わないけど、このマキちゃんも10カ月の間に色んなことを考える。ちょっと頼りないさんちゃんという夫が健気で良い。気の強い彼女に精いっぱい気をつかい、トイレに立てこもられても我慢我慢。4月×日 性交した ベランダに出て煙草を吸う あ、流れ星、と思うのと、子どもができたかもと思うのと、ほぼ同時だった■予定日はジミー・ペイジ。ロック母と並ぶナイスなタイトル。予定日はシド・ビシャス、予定日はカート・コバーンだったら、黒い角田節全開の全く違った小説になっていただろう。そういう意味ではジミー・ペイジという人選はこの小説の後味にちょうど良い。調べてみたら1日早くてもデビッド・ボウイ。この時期に子どもを産む予定の人はモチベーション上がるだろうな。■ちなみにわたしも予定日はちょうどその頃だったらしい。ただし誕生日はパティ・スミスまたはジュリアン・ムーア。女性に生まれていたらもうちょっと違った人生だったかもしれないね。ところでこのマキちゃんとさんちゃんのベイビーは無事ジミー・ペイジと同じ誕生日になれたかどうかは是非ご自分の目で確認あれ。角田さん自身の挿画もあり、素敵な小説でした。
2010/08/09
コメント(6)
■狙われた龍馬。1人目の刺客は新選組の近藤勇。お龍目当てにひとりで寺田屋に通う近藤という設定も奇抜と言えば奇抜なのだが、彼女を守るため、さしで近藤に対して行った龍馬も龍馬だ。彼女にしてみれば、これでまた彼に対するときめき度がさらに上昇したことは確か。■6年前の大河では桂、近藤、龍馬は江戸にいた時からのまぶだちみたいに描かれていたわけだが、史実としては近藤と龍馬はこの時点でも面識すらなかったということでいいのかな。主役でなくなった近藤や彼の仲間には人を緊張させる殺伐とした雰囲気が滲み出ている。原田泰造は篤姫の大久保役よりもこちらの方が俄然良い。■2人目の刺客は、なんと江戸から出てきた千葉重太郎。妹が不憫というよりも彼自身が龍馬に対し、妙な恋心を捨て切れていないという見え方もした。「坂本君、坂本君じゃないか」渡辺いっけいだからこそ漂う哀愁みたいなものを感じる。近藤撃退時の凛々しさも含めてこのエピソードは巧いと思う。■歴史が動く大きな場面の間に入るこういうヒューマンなやりとりのひとつひとつの方が後で振り返った時、そのドラマの印象として強く残る。実際その時代を生きていた人たちも死に際で思い出すのは節目節目でのそういう色んな人たちとのやりとりなんじゃないかと思う。■オリジナルの原作本を読んでいないのでよくわからないが、この大河では龍馬暗殺の張本人は誰という立場で描くのだろう。この時点では見廻り組も登場してこないし、それをほのめかす材料もほとんど与えられていない。ここにもやはり独自の解釈が表れるのだろうか。このままでは彼に殺意を抱くのは広末や貫地谷といった女性ばかりにも見えてしまうぞ。
2010/08/08
コメント(2)
■地元に駐屯地がある。土日になると白い制服を着た彼や彼女がバスに乗って街に出かけ無印とかユニクロとか本屋とかCDショップで買い物をする。私服になる機会なんかあるのかな、本を読んだり音楽を聴いたりする時間なんかあるのかな、そう思ってしまうのはあの目立ちすぎる制服のせいだ。オフの時でも制服を着て外出しなければならない彼や彼女に同情しきり。■わたしの彼は自衛官。そんな友人を知らなかったわけではない。骨太で正義感があって逞しそうな彼。でもその逆はあんまりわたしの周りにはいなかった。おれの彼女は自衛官。ガード堅そう、腹筋も堅そう、まして父親が日本国みたいなイメージでちょっと怖い。■そんな偏見を払拭する6つの短編。「海の底」「空の中」で活躍した彼や彼女の再登場が嬉しい。有川さん独特の人物造型はその気のきいたセリフ回しによるところが大きいと思う。彼女の小説を読むとまず思い浮かべるのが実写化したそれではなく、アニメ化したそれであるというのはわたしだけの感想ではないと思う。■潜水艦とか飛行機とか密閉された空間の中で職務に就かなければならない彼らの不自由さを思う。宇宙飛行士もそうだが、船内、機内で複数の人間が生活していく中で排便の問題はけっこうシビアなものだと思う。実は有川作品の特徴は胸キュンばかりではなく、そういう日常的に起こりうる鬱陶しいことから目を背けないところにもあると思う。■わたしの同級生に潜水艦護衛船の艦長をしている男性がいる。高校時代は頭脳警察が好きで、ふっざっけるんじゃねーよ♪なんてやたら世間に対して牙をむいていた彼だが、今ではすっかり丸くなった模様。彼の乗り組む船にもまた20代の若い女性がいて、彼は彼女の事をまるで自分の娘のようにも思っているらしい。ここにもやはり疑似家族がいる。いつかクジラの彼女と呼ばれる日が来るまで、仮のお父さんは元気でいようと思っているらしい。
2010/08/07
コメント(0)
■この世界観はロールプレーニングゲームに似ている。主な場所は南熱海警察署、永遠の森学園、南熱海総合病院、南熱海市役所、旅館南海荘、南熱海天然劇場、NPO空と海と虹の会、ボリュームという名のレストラン、そして陶芸クラブレプス。それぞれの場所に行って、そこにいる色んな人に話しかけると、少しずつ少しずつ様々な情報が引き出されることになる。なるほどなるほど、なんか繋がってきましたよ。でも「だいたいわかりました」というにはまだヒントが足りない。■そんな見方をするのならば、このドラマは録画して何度も何度も見直さなければならない。ほのめかされる色んな情報は一度見ただけでは全て了解できるものではない。それは小ネタ(人引きの矢印とか)だけではなくて、細部にわたる様々なメッセージ(スクールバスのナンバーとか)をかなり多く含んでいる。■田中哲司の(シャワーキャップをとった)髪形もまたリンチ風。バスの屋根の上に乗って登場とは主役級の扱いだ。鑑識と言えば光石研のイメージが残るが、彼の方はおそらく例の東京の大事件の方に係わって手が回らないんだろう。■こわく的という漢字は知っているがわたしのワープロでは変換できない。何かを誘っている感じはあの陶芸教室の女子たちの手つきからムンムンしている。三木聡という人はそういうムード作りにとても長けているように思える。少女たちの制服、見世物小屋の妖気、グロテスクなものと未成熟なものと朽ち果ててしまったようなもの、そんなものたちが混ざり合った雰囲気は”こわく”もあり、魅惑的でもある。■オダジョーが車の中で連絡をとっているモトコさんって誰?そもそも彼と栗山さんが外されてしまったという東京の事件って何?葉巻を吸っていたのはどこの偉い人なの?なんで天然劇場では時間が速く流れるの?(バスストップはわたしの持ち歌のひとつだが、)蛇川老人はどこへ消えたの?桂東さんが次にオダジョーに仕掛けるいたずらは何?東雲(わお、一発変換!)さんの言った『ライン』って何?■時効警察を見る時のような、されるがままのまったりと弛緩した気分とは異なり、けっこう脳内をフル回転させながら見落としのないように緊張して観る金曜深夜のドラマ。作り手はきっと最終話からさかのぼって第1話を書きあげたのだと思う。ということはわたしたちはこれからこの事件の始まりを観ることになるのだ。なんてもったいつけた感想を骨抜きにしてしまうようなホワーンとした結末を望む。
2010/08/06
コメント(3)
■どちらかと言えば甘党というより辛党なのだが、あのトゥッティフルッティというものは食べてみたい。でも、うちの地元ではそれがメニューにある店を知らない。スカーフねじりバカみたいなパティシエのいる店もわたしの行きつけにはない。■Bar I Am I でのやりとりの善し悪しがわたしのこのドラマに対する興味の中心にあるのだが、今回はかなりの場面がこの店の中で行われ、テンポも見せ場も上出来の部類だった。3人の人妻の中に原史奈が入っていたことも好印象の原因のひとつだ。■その店の中でうぬぼれに長い長い身の上話をする今回のヒロイン役は薬師丸ひろ子。やくしまるといえば、相対性理論に行っちゃう世代にとって、この女優がいかに日本映画界に貢献したのかについては、それこそ長い長い話が必要になる。場所が場所なら森下愛子だって一緒に相槌うって焼うどんとか注文する側にたってもいい女優なのだ。■意表を突いたのは例の見せ場で彼女がうぬぼれの右手の方を選んだところで、それをされてしまった彼が何を根拠に受け入れまいとするかがポイントだったわけだが、自分を選んだことで笑顔の魅力が失せてしまうのは嫌だという論法はかなり無理やりな気もする。それだけ彼の彼女に対する夢中度が今までのヒロインに対するものに比べ、薄かったようにも思える。ま、毎週やけどするような恋をするのも大変だよな。■例の告白シーンをサダメくんと一緒にガンミしている小松さんの表情が面白かった。平成の江戸むらさきといっても、わからないかもしれないが、あののほほんとした顔はそれだけで非緊張感を煽る働きをする。それにしても、日本の大俳優に「おっぱいでけぇ」を連呼させる宮藤脚本って。PS■私的薬師丸作品印象度ナンバーワンは「翔んだカップル」。彼女の役柄がというわけではなく、あの映画全体に漂う切なさみたいなものにすごく弱い。
2010/08/06
コメント(0)
■トイストーリーが好きだ。2が出たのが99年ということだから10年ちょっとのブランク。字幕版は数えるほどしかなく、吹き替え、しかも3Dだ。わたしの場合、メガネ・オン・メガネになってしまい、ちょっとどうかと思っていたが、上映中みんながわたしのことを見ているわけではないので、勇気を出して映画館へ行った。■アンディ(おもちゃの持ち主)も17才、大学へ行くために実家を出ていくことになる。残されたおもちゃたちはそれぞれ身の振り方を迫られることになる。A:アンディに連れていってもらえる。 B:屋根裏部屋にしまわれる。 C:ゴミとして捨てられる。ここにも仕分けがある。ちなみにアンディの母親役は蓮舫ではない。■さよならなんて言わせない。でも大学生になっておもちゃ遊びを趣味にする少年はかなり特殊だ。よって彼とおもちゃたちとの決別は必然。さよならしたくないのはウッディやバズやジェシィーたち、おもちゃ同士の方だ。■クライマックス近く、ゴミ焼却場のシーンで彼らが手と手をつなぎ、祈るように結末を迎えようとする時、わたしはなぜだか日本代表のパラグアイ戦のPKでの決着を想い浮かべた。長谷部はウッディだった。本田はバズだった。そして川島はエイリアンになり損ねた。■Virginity を試される映画だと思う。そこをつかれるとぐうの音も出ない。Pureness を失くした者にとって揺さぶられる展開が随所にある。こんな映画、子供に見せるにはもったいない。家族で見てみんな泣いたとしても、出てくる涙の質は親の方ほど内容が濃い。■かなりの完成度を示した作品のパート2、パート3がこれほどその高いハードルをクリアした例は珍しいのではないか。もちろん前作、前前作のストーリーを踏まえてこその魅力がこの作品に表れていたことは疑いもない。■それにしても冒頭から思考する隙も与えず、たたみこむように引き込まれてしまうのは3Dメガネのせいなんかではなく、練りに練られた脚本のせいだ。時事ネタ、楽屋オチ、流行り言葉など何も使わずに、普遍的なテーマだけで攻め続けてしまう姿勢。■トイストーリー見ないで死ねるかよ、って伊坂幸太郎がどこかで書いていたけど、それについては全く同感。4だって実現不可能ということはないが、ここらあたりで止めといた方がその神話性は永遠になるのではないか。フルCGで描かれた彼らは永遠かもしれないけど、トム・ハンクスだって、所ジョージだって加齢には勝てない。PS■3Dメガネの後始末に困っている。ちょっとサングラスの代わりにかけて外を歩いてみたのだが、紫外線も避けられないばかりか、物も良く見えない。ただゴミ箱に捨てようととすると、助けてくれってそいつが喋っているような気がしてついついそのままにしている。
2010/08/05
コメント(4)
■このタイトルをもじって「鳩山、首相やめるってよ」という見出しをつけた週刊誌の中吊りには笑った。そこに漂う対象に対する距離感。「ふーん」「そうなんだ」それはちっとも私のせいなんかじゃない。■そう、桐島が部活をやめるのは誰のせいでもなく、彼自身が決めたことだ。それによってバレー部はちょっと弱くなるかもしれないけど、彼女にしてみれば練習が終わるまで彼を遅くまでマックで待っている必要もなくなり、ラッキーかもしれない。■バレー部、ブラバン、映画部、ソフト部、野球部(幽霊部員だけど)と語り手が交換しながら、高校生活が活写される。ただしそこで描かれるのは、彼らがどんな記録を残したかという目に見える成績ではなく、外からはうかがい知れない内面描写の方だ。■生々しい高校生活と言っても、いつも語り手になるのは「下」に属する文化部の方で、いくらそれが見事に当を得た表現であっても、クラスの中心となる「上」の方から見ると、文章なんかで、ましてや小説なんかで語られるこのスクールライフという実態は言い訳がましい別世界なのではないかという気がする。そんなこといいからここで勝負しようぜ。■巧いのは5人5様の心の中を誰に肩入れするわけでもなく、ほぼ均等に描ききったところと、主役と思われる桐島君を最初から最後まで一切登場させなかった点だ。■桐島的敗北感、桐島的苦悩、桐島的決断、顔は見せなくても、この桐島的なるものは、おそらく誰もが共有できる学校生活特有のあれだ。いつ自分が桐島になるか、誰もがみんな心の隅では準備しているし、そうなることに畏れも為していない。場合によっては桐島的優越感だって持つことができるかもしれない。■君たちには無限の可能性があります。いわば真っ白いキャンバスと同じです。たしかに日本全国、どんな学校の校長も終業式では同じ事を言う。絵の具は全部自分持ちです。きれいな道具は高いし、安いものではうまく描けません。そして君たちが何を描いても当方は一切責任を持ちません。でもそこまで言う管理職はいない。PS■部活加入率がこれだけ高い高校はそれほど多くはないと思う。平均的な高校生はこのタイトル程度では振り向いてはくれない。「桐島、学校やめたってよ」それでも「え、ガチで?」くらいの反応なんじゃないかなぁ。
2010/08/04
コメント(2)
■たしか小学校高学年だったと思うが、祖母を背負っていて、いきなり力任せにストンと落としたことがある。「痛いなぁ、ひどいなぁ」なんて半分笑った顔で言っていた祖母のその時の痛みは今想像すると相当なものだったと思う。同じ頃、通っていた小学校の下級生に(理由は忘れたが)、何人かでふざけて石を投げつけたことがあった。その晩、家にその下級生の母親から連絡が入ったそうだ。「おたくの子がうちの子をいじめたそうです」■その他にもその時々のノリ(陳腐だが、そうとしか言いようがない)で誰かに対してとんでもないことをしてしまった記憶はいくつかある。それが暴力にあたり、被害を受けた人にとっては思い出したくもない心の傷になってしまうという想像力はその時点でほとんど無かったと言える。力がない、むしろひ弱であるという自覚さえ持っていた者が時と場合によっては暴力を振るう側にまわることもある。そんな風に感じたのはずいぶん後になってからのことだ。■大学→体育会系運動部→合コン、ここまでの流れならまだよくある話だ。しかし、その飲み会のあとで、血気盛んな男たちはひとりの女性に対し乱暴をはたらいてしまう。婦女暴行罪、執行猶予はついたが大学は辞めさせられ、予想もしなかった人生が始まる。若気の至り、ただのノリ、相手も嫌でない様子、いくらそんなこと言ったって、力を振るったのは当然彼らの方だ。■そんな加害者の人生と被害者の人生がある日一瞬交錯する。その日から彼は彼女に何を伝え、償おうとするのか。罰を受けた者(加害者)も、罪を受けた者(被害者)もどちらも幸福になれないことがわかっていたら、その男を一生許さないために一緒に暮らし始めるという女の決断は虚構を超えた現実でもありえる話だろうか。■作家はおそらくテレビのニュースや新聞の三面記事から様々な発想をするんだと思う。この作品でもどこかで聞いたことのあるような複数の話を元にして作家が妄想したストーリーが見てとれる。ただその次々と細部が露わになっていくような語り方、描き方はたとえそれが救いのない話であろうとも吉田修一の魅力であるとわたしは感じる。今回も結局ノンストップで読んでしまった。■「さよなら渓谷」はどうやって発音すればいいのだろうか。文字通り、「さよなら、渓谷での暮らし」という意味でいいのか。それとも「さよなら渓谷」という名の架空の地名として描いてみたのか。(「おはよう広場」とか「おやすみ海岸」とかさ) もしも後者ならば夏期休暇でもとって,その場所を訪れてみたいところだが、カバーの写真にはモザイクがかかっており、地域を特定することは困難だ。
2010/08/03
コメント(2)
■伊坂の小説はそのほとんどを発売時に単行本で読んでいる。その後、文庫されたそれを買い直したのは「重力ピエロ」と「アヒルと鴨」。そしてこの「砂漠」が3作目にあたる。別に巻末の解説が読みたいというわけではなく(立ち読みで済ませられるもの)、持ち歩いたり、寝転がったりしながら、もう一度その話に浸りたいと思わせる魅力がこの3作にはある。もちろん「ゴールデン・スランバー」も文庫化されたら再読すると思う。■最初に読んでから4年半くらい経っていたので、細部の記憶は多少薄らいでいた。春夏秋冬という4つの章の時間経過のトリックも今回はある程度頭に入れながら、彼らの大学生活を文字通り追体験した。今回もまた西嶋くんのうざったさは抜群だが、残りの4人(鳩麦さんを入れれば5人か)の性格とか行動にも目を配る余裕はあった。■そうそう初読の時、わからなかった鳩麦さんのセリフ、「東堂さんってやっぱり記憶力いいわけ?」っていう言葉の意味も4年経って理解できた。あの時はまだ、大西巨人の「神聖喜劇」のことなんか知らなかったもんね。ただ消耗しているだけの4年半と本人が思っている割りには身につけた知識も少しはあるということは救いなのかな。そうか、大学1年の時、これを読んだ人はもう卒業しているってことか。■東堂さんも、南さんも、西嶋君も、北村君も、鳥井君もこの物語の中では大学時代に封じ込まれてしまっているわけだけど、もしも生身の人間と同じように彼らも年をとることができたとすれば、今頃は砂漠のどのあたりを歩いているんだろうか。きっとほとんどの者があんな時代もあったと回想モードでその時代を懐かしんでいることと思うが、西嶋にだけは(サンテグジュペリのように)パイロットにでもなって、世界中の砂漠の上を飛び回っていて欲しいと思う。■この小説をドラマ化するのなら、けっこう朝の連続小説枠が似合うと思う。毎日15分、5人が集まってガヤガヤ何かを言っている。ちょっとした出来事があるたびに、誰かが誰かのことを心配したり助けたりする。ちょっとどうかと思われるエピソードもあるが、インパクトの大小にかかわらず起こった出来事はちっとも熱っぽくなく均等に語られる。ボウリング対決しかり、超能力対決しかり、プレジデントマンしかり。明日は誰にどんな事件が起きるのか、または起きないのか。そして鳥井役にはぜひとも向井理君を。ゲゲゲの女房を見るたびそんなことを思ってしまう。PS■単行本の表紙にドンびきした人も今回の文庫版なら気軽に手に取れるでしょう。あのインパクトは強烈で、いまだに「砂漠」の登場人物のひとり(誰かは敢えて言わないが)はわたしの頭の中ではあの顔だ。
2010/08/02
コメント(0)
■亀山社中というネーミングが彼らが目指していた集団を表す名称として相応しいものだったかどうか、それはまだほとんどの者にはピンとこなかったのではないか。商いはあっても経営学などまだ無い時代に、商人以外の者が商売をすることに対するハードルは我々の想像以上に高いものだったと思われ。だって会社という概念自体、なかなか理解することは難しかったのではないか。■バンドとかグループとかの出現にはまだまだ遠い幕末の若者たちに気のきいた名前をつけろと言うのも酷な話だが、亀山社中と名づけるセンスは悪くはないと思う。もしもわたしもあの中にいたならこんな名前を提案する。長崎坂道青年団、脱藩武士独身商会、日本洗濯会・・・。あ、ちょっとみんな汚らしいから指黒(UBIQULO)なんてどうだ。どれも日本独立党や船乗り侍よりは良いでしょう。■陸奥君は少しばかり僻みっぽい性格のようだ。まわりはみんな土佐脱藩だしね。物怖じせず話が上手いという設定だが、公家さんたちの方が毎日退屈でうんざりしていたんだと思うよ。そんな相手に対してすべらない話をするのは大して難易度は高くはなかったのではないか。話の巧さだけとったら、大泉長次郎の方が面白そうだと思うけど。■薩長連合前夜。犬猿の仲であるふたつの藩が連帯することのメリットはそれぞれの足りないもの(人的にも、物質的にも)を補い合う関係が保証されてこそだと思う。まだその具体は示されることなく、対幕府というイデオロギーだけで結びつこうとすることは桂にとっても西郷にとっても賭けみたいな話だ。今後龍馬がどうやって彼らを説得していくのか、できれば(ドラマの中の人たちだけでなく)わたしたちにも納得のいく説明をお願いしたいものだ。
2010/08/01
コメント(4)
■佐野元春のTHE SONGWRITERS セカンドシーズンの3人目のゲストは鈴木慶一。ミスチル・桜井氏、アジカン・後藤氏ときて、この人選はずいぶんと意外だった。次の4人目はくるり・岸田氏だし。■佐野元春に指パッチンされながらリーディングされるライダーズの1曲は何になるんだろうと興味深々だった。初期作品ならば「髭と口紅とバルコニー」、80年代ならば「鬼火」、「夢が見れる機械が欲しい」、「G.o.a.P」、「マニアの受難」、90年代以降ならば「現代の晩年」、「夜のBoutique」」「愛はただ乱調にある」、近年ならば「You & Us 」、「本当におしまいの歌」あたりがいいんじゃないか、なんて勝手に想像して楽しみにしていた。■そして佐野氏がとりあげたのは「オー何テユー事ナンダロウ」。六つの骸となり 塩漬けのギターケースのように 頭を並べるよりも頭蓋骨のような この船を砕いて 航海を諦める 手もある今聴こえる音が ぼくたちを腹一杯に することはけっしてない六つの火花となり 硫黄のような 声を吐き続けよう 世界へ演奏なし、メロディなしで、ただ文字のみが浮かび上がる粒子の荒い画面をバックに、彼によって読まれたこの詩は文字通り歌詞と言うよりも前衛詩に近い。実は個人的には鈴木慶一作品の中でもかなりすごい歌詞だと思っていたものなのでひょっとしたらという期待はあった曲だ。■この番組では佐野元春が各ゲストに対して大いなるリスペクトを表し、その作品群を事前にかなり綿密に検証している様子が見てとれるが、今回もまた40年近い音楽活動を続ける鈴木慶一というミュージシャンに対する真摯なやりとりが素晴らしかった。独特の「あぁ」という合いの手も最近では愛の手のように聞こえてくる。良い番組だと思う。■テレビでこれだけ自作を語る慶一氏は珍しい。良質なインタビューアーがいれば雄弁なインタビューイーが生まれる。慶一氏の69年にあたる年がわたしの場合、76年だった。それまで洋楽志向が強かった少年の耳はその年たくさんのジャパニーズ・ロックの洗礼を受けたわけだ。もちろんそのひとつが火の玉ボーイだった。■ライダーズの独自性はオーソドックスからちょっとはみ出した部分にある。あの音楽なにか変ねって思う時、その「変」にあたる要素はカッコいいものとカッコわるいものに分けられると思うんだけど、ライダーズのそれが一貫して前者にあたると感じられるのはわたしが慶一氏の映画とか文学とか服飾とかの趣味性に全幅の信頼をおいてしまったところから来ていると思う。■詩作の独自性を問われた時に他の音楽に比べ湿気が薄いことを志しているというような意味の発言があったと思う。言われてみればその乾いた感じもまた彼らの音楽の大きな魅力のひとつだと思う。湿り気を含むことでヘビーにさせるのではなく、対象から少し距離を置いた地点で愛さえも俯瞰するスタンス。そんなクールガイでい続けることが簡単なことではないと実感する年齢になって、ますますこのバンドに対する愛情が強くなってきたように思う。
2010/07/31
コメント(0)
■朝起きて、家(寮)の前で死んでいるとしたらどんな動物が良いか。そんな女生徒たちの会話で始まるドラマはほとんどない。そんな話に一緒に考えて「鶴」なんて答えてしまうオトナはもう最初から世間的にはダメな感じがしないか。もうすでにその時点で運転手もまたあちら側の人間なんだとわかってしまう。かく言うわたしもまた、「てん」なんかどうだろうと本気で考えてしまう方なので、どちらかといえばこのドラマに捕まれてしまう方の部類なんだと思う。■深い霧の中から1台のスクールバスが現れ、サティのグノシェンヌ第1番が流れてくる。そんな映像と音楽がもたらす気分が冒頭のやりとりによってより抽象化される。そこに死んでいる(ように見える)老人を転がしておくあたり、オープニングのつかみとしてはずいぶん贅沢で魅力的なシーンに見えた。■ナレーターは由紀さおりから伊武雅刀に代わり、オダジョーの役職もヒラの刑事から広域捜査官なるエリートに格上げされた。相棒もまた麻生久美子から栗山GOGO千明に代わり、かつて同僚ないし上司だったギャグのパッサーやストライカーもそれぞれ別の役職を得て顔を出す。■前回との一番の違いは1話完結ものではなくなっているという点。わたしは最後までこの話、60分で決着がつくものだと信じて疑わなかった。だから海から例のバスが引っ張り上げられるシーンでキャストロールが流れ始めると唖然としてしまった。でもよく考えると、謎も伏線も動機も何も、明かされても解かれてもいなかった。正直言ってそんな大がかりなミステリーを期待してこのドラマを待ち望んでいたのではなかったわけだ。■南熱海警察署員の制服が良い。永遠の森学園の壁に飾ってあったゴーギャンが良い。アメリカンなレストランで食べていたパンが(スイスのパンみたく)美味しそうで良い。ましてウエイトレスが小島聖で良い。ともあれ金曜夜の少路勇介はバーテンになったり、警察官になったり大変そうだ。背中で腕を組むオダジョーのえらそうな姿勢を真似していたら少し背筋が伸びた気がする。■どこか見世物小屋的な脇役たちの人選も、靄がかかったようなどこでもない場所のような設定も、美少女たちの謎のクラブも、今後どのように回収されていくのかわからないが、DVD化されたこのドラマの棚の横にはツイン・ピークスが並んでいるという事態は容易に想像できる。でもわたしはそんなリンチな世界観なんかよりも、ポンポン飛び交う彼らのギャグのやりとりの方により期待してしまうクチなのである。
2010/07/31
コメント(2)
■関東と関西で地元率というのはどれくらい違うかわからないけど、関東在住者としては、北関東の地元率って結構高いんじゃないかと想像する。高崎とか下妻とか宇都宮って、住んだことはないけど、ジャスコとかヨーカドー周辺にたまっている感じがするのは偏見かしら。■戸田恵梨香をどう使うかってことを考えた結果のヤンキーだと思う。先にヤンキーがあって、戸田恵梨香を選択したという発想ではないと思う。野ブタでの優等生よりもこっちのGSOのイメージがこの子にはよく似合う。カレシ(カタカナ、カタカナ)から黒くしろと言われればすぐ染めちゃう感じの茶髪という表現はすごい描写力だと思う。■そんな戸田さんに夢中になっちゃうのが要潤じゃなくて穴井貴一の方だったのも意表を突く。まあ、今回もふたりでハヤシライス食べに行く話になったら、視聴者からヘイヘイヘイとツッコミが来るだろうしな。しかも彼スイーツ職人だし。■うぬぼれの妄想内での学園ドラマが好きだ。ああいう中では長瀬はいつも決まってああいうタイプだ。オレはオレだから。だからなんだ?と言われようがああいうタイプなんだからしょうがない。それにしても、いくつになっても腰パンが似合いそうだっていうのもなんだかなぁと思う。■地元の先輩の伊達さんの「夏・・・」ってセリフは宮藤さんしか思いつかない。台本を読んでいて引っかかるセリフが必ずしもドラマの中で映えるとは限らないけど、聞き逃すには実にもったいないシーンでした。でも、こういう場面は絶対現場の方が面白がっていると思う。■今回、個人的に注目したのは西田敏行VS荒川良々。おそらくドラマ内で顔を合わせたのは初めてだったのではないかと思うが、良々が先輩に向かってかなり力んで挑んでいく様子が面白かった。長瀬君には悪いが、もう少しふたりの長い対決シーンがあっても良かったんじゃないか。
2010/07/30
コメント(0)
■枡野さんは歌人である。黙ってると格闘系の人のように見える。背も高いし、髪も短い。そういう人はあまり物事に拘泥しないように見える。男らしく、好きなものは好き、ダメなものはダメ、きっとものわかりもよく、いつまでもダラダラと色んなものを引きずって歩いたりしない。■必ずしも格闘系の顔をしている男が全て悩みなき男とは限らない。いつまでも去ってしまった者に思いをはせたり、未練がましく追いかけたりすることだってある。顔で性格を決めつけることはできない。あの穂村弘だって黙っていれば短歌読みにはきっと見えない。■本書はフィクションという形をとりながら実は枡野氏自身(小説ではAV監督という設定だが)を主人公にした自伝的小説でもあり、1年を12章に分けて、物語が進行しながらそれぞれ1冊の本の紹介を兼ねるという書評小説でもある。もちろんそこで取り上げられている小説は松尾スズキとか銀色夏生とか内田春菊などの本物の作品。■さらに冒頭と終盤には愛について、夢についてと題された氏の短歌がそれぞれ30首配置され、自身の長いあとがきあり、穂村弘、長嶋有の特別寄稿あり、巻末では解説として町山智浩の文章も新たに読める。内田かずひろ氏によるほのぼの挿画も含めて、250ページちょっとの中に様々なアプローチが詰まったお徳用の文庫と言える。■しかし、その内容は枡野氏自身の結婚生活の終焉と離婚調停をめぐる彼の(元)妻との闘いの記録に終始される。もちろん、登場人物は主人公のAV監督と脚本家の妻という(仮の)設定とはなっているが、この小説の中で彼らの間で起こっている出来事はほとんどが枡野氏自身の身の上話が元になっているようだ。■結婚失格というタイトルからして太宰の人間失格を思わせるものだが、ずいぶん前にNHK・BSで「人間失格裁判」なる法廷劇を見たことがある。あの小説の主人公大場葉蔵が被告席に着いて、作中のいろんなエピソードに対してそれは有罪か無罪かを陪審員に扮したゲストが裁定するという面白い番組だったが、そのゲストのひとりに枡野氏がいた。■常識的に考えて、これはやっぱ、葉蔵が悪いでしょと他の全員が主張する場面においても、ひとりだけ彼のかたを持ったのはほとんどこの長身の歌人だった。■この小説でも穂村、長嶋、町山という客観的視点がなかったら、悪いのは絶対元妻の方で彼には落ち度なんか何にもないじゃないか、子供にも会わせない、行方も教えない、養育費も請求するというのは人間として失格なんじゃないのってついつい彼の側から見た世界に傾きがちになってしまうかもしれない。■彼が世間から少しだけ浮いて見えるように感じるのは、そんな多角的なこの小説に(彼自身に)与えられた検証のせいだ。(妻の側からの反論は一切なく)男側からだけ綴られたこの小説を読みながら感じられる違和感は彼らの分析によっていくらか解消される。もしも「結婚失格裁判」なるものが実現したとしたら、陪審員町山氏の指摘は裁判長の心象をぐっどつかんでしまうのではないかと思う。
2010/07/29
コメント(0)
1 「その街のこども」 -エンディングテーマ-2 歩く-「その街のこども」 -挿入曲-3 未来は今- NHK「未来は今 10years old, 14years after」 -テーマ曲デモ -4 Dust in the wind 1 -「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」 -挿入曲-5 Dust in the wind 2 -「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」 -挿入曲-6 私達の望むものは -「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」 -エンディングテーマ -■ボリューム0ということはこれから先に本編が続々とリリースされるということか。映画、ドラマの音楽(音響)担当という仕事をさせたら、この人ほど期待を裏切らないアーティストも少ないのではないか。■このミニアルバムはM1,M2が今年1月NHKで放映された「その街のこども」から、M3がやはり昨年NHKで発表された「未来は今」から、そしてM4からM6は6月に封切られた松田翔太主演の「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」からピックアップされたもの。■特に「その街のこども」というドラマは森山未来と佐藤江梨子が神戸の街を歩くだけの話なのだが、ふたりの後ろ姿とか横顔とか夜から朝に変わるその街の風景にかぶさった大友良英の音楽がひどく印象に残っていた。■最初はドラマを装飾する効果音のように聞こえていた音楽が、いつのまにか映像よりも前に浮きあがって聞こえるようになり、ドラマの方が音楽に寄り添って進んでいっているような感覚にさえなった。M2はその典型的な楽曲だったのだが、あらためてこうやって音楽だけに耳をすませてみても、夜の神戸と彼と彼女の歩く姿が目に浮かぶ。■”つんざく”でも”切り裂く”でもないのだけど、エレキにしろ、アコースティックにしろ、なにかしらある種の空気感を伴って鳴っているギターの音が強烈に迫ってくる。録音が良いのだろうな。なんか自分のステレオが一段格上げされたような音の響き方が心地良い。■エンディングで 阿部芙蓉美という歌手の歌を初めて聞いた時、ゾクッとなったのはドラマの感動のせいだけではなかった。このCDでは最初にいきなり流れだすのが彼女のあの声なので、その都度飛びあがらずにはいられない。■大友氏と彼女の親密度がどの程度のものかわからないが、M6でも彼女は岡林の「私達の望むものは」を歌う。わたしの望むことはぜひともこのシンガーの歌をひとりでも多くの人に聞いてもらいたいということだ。わたしもあのドラマの放映後、すぐに彼女のソロアルバム「ブルーズ」を注文したクチだ。
2010/07/28
コメント(0)
■いくつになっても、他人からどう思われているのか気になる。それは自分のことじゃなくても、自分の国についても同じことが言える。終わったばかりのワールドカップで世界は日本のサッカーをどう見たか。■筆者、木崎氏はスペイン、オランダ、ドイツ、ブラジル、フランス、イタリアのなどの新聞、雑誌などで日本代表の試合がどのように報じられたのかについて紹介することにより、日本サッカーの現状と課題について言及する。閉幕から1か月足らずでよくもまあ、これだけまとめてくれました。■日本国内の報道は全てカメルーン戦が終わってから変わり始めた。準備試合での散々な結果に予選リーグ突破など到底果たせないだろうという空気の中で、初戦の勝ち点3ゲットはそんな悲観論を一掃させる。■何度もリプレイされた松井の左足→大久保のつぶれ→本田のゴールというシーンは日本人にとってはしてやったりの感激場面なのだが、実はその得点シーン以外にこのゲームの見どころはほとんどなかったという事実を声高に伝える国内の報道はほとんどなかった。■わたし自身もちょっと興奮して試合後FIFAの公式ページをのぞいてみたらその書き込みの中に boring boredom という言葉を見つけ、そうだよな、喜んでいるのは日本人だけなんだよなと少し醒めた気分になったことを覚えている。■サッカー中継の方法も各国によって様々なやり方があり、ドイツなどはサッカー専属のアナウンサーがひとりで90分実況を行うらしい。解説者の出る幕は試合開始前と終了後でそこではかなりシビアな批判ないし指摘が行われるという。一緒に興奮して決して否定的なニュアンスを伝えないこの国の中継スタイルは一種独特のものなのかもしれない。文化の違いももちろんだが、もっと大きいのはサッカーが占めるウエイトとその歴史の違いなんだろうな。■ひとりひとりの運動量とその連動性は評価するが、なにしろ攻撃的ではなくてつまらない。そんな日本の評価を一変させたのが唯一デンマーク戦だった。ファンタスティックなFKは2本も決めるは、アクロバティックなラストパスからとどめの3点目が入るはと最も点が入ったこの試合は各国とも驚きと賞賛でアナウンサーは実況し、専門誌も好意的だったようだ。いわく「日本は良いプレーをしている まるでブラジルのようだ」 「日本は この日サッカーの国になった」■そんな好評価も決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦では地に落ちる。「退屈でひどいひどいひどい試合内容だった」実際今大会のワーストマッチという声も聞こえたこの我慢大会のようなサッカーを駒野君の悲惨な1日みたいに伝えたのは日本の中継だけだったのではないか。試合後、本田圭佑は次のように言っていたそうだ。「日本人でもパラグアイ人でもなければ見ていない試合だった。見たくなるような選手はピッチにひとりもいなかった。それがすべてです。」と。■パブリックイメージとして日本のサッカーとはこういうものだ、ということを世界に(良い意味でも悪い意味でも)示したのが今大会だったならば、今後、代表はどこに向かって走っていけばいいのか。俊敏で運動量豊富で連動性が優れている。そんなオシムがスイス戦で見せたような攻撃的なサッカーは過去の遺物と化し、相手の長所を潰し、ひたすら耐えてワンチャンスをものにする。やっている選手でさえ、見たいと思わないようなサッカーをこの国の本来のスタイルですと胸を張ることはなかなかできない。■ただ2010年の日本サッカーは世界でこういう戦いをしたということは動かしようもない事実。これから先はそれを踏襲しようとするのではなく、いかにそれを打ち破ろうとするのかが課題。サッカーにおける監督の存在の重要さがまだあまり身に沁みていないわたしたちの国はその考えを一変させてくれるようなかたくなな新監督の登場を期待する。ドゥンガがやったらこんなチーム、ビエルサだったらこんなチーム、指揮官次第でこんなにサッカーって変わるんだ、4年後そんな感想が持てることを期待して。
2010/07/27
コメント(0)
01.新世紀のラブソング 02.マジックディスク 03.双子葉 04.さよならロストジェネレイション 05.迷子犬と雨のビート 06.青空と黒い猫 07.架空生物のブルース 08.ラストダンスは悲しみを乗せて 09.マイクロフォン 10.ライジングサン 11.イエス12.橙13.ソラニン ■佐野元春の THE SONGWRITER で見た後藤君はとてもロックをする人には見えなかった。どちらかといえばロックを聞く人、それを批評する人のようだった。ヘッドフォンはするけど、ギターを持って歌うようなパワーとか気概みたいなものはちょっと感じられない。■アジカンの初期作品群にはずいぶんお世話になった。ギター2本にベースとドラム、それが何を歌っているのかはともかく、ロックバンドかくあるべきというようなかっこいいギターフレーズと骨太リズム隊の爆音が身体も頭も揺らしてくれたことは事実だ。■そんなバンドの楽曲のほとんどを手がけているのがギターとボーカルの後藤正文。彼の書く詞は全て縦書き。そしてメジャーデビューから一貫して英語を意識的に排除し、日本語のみの詩作にこだわる。■佐野元春がテキストに選んだのがこの新作からの「さよならロストジェネレイション」。従来のようなソリッドなギターが奏でるイントロは省略して、言葉が前面に押し出されたまるで語りのようなボーカルスタイル。ちょうど四半世紀くらい前に佐野氏自身が取り入れたスタイルに似ていなくもない。■わたしはこの曲を含めてM1,M7の3曲がこのアルバムのお気に入りである。初期作品に比べてボキャブラリーが激増し、歌詞の中に入れられない言葉の制約みたいなものがなんだかとても薄くなっているように感じる。■反面それが饒舌であることも確かで、なにもそこまでひとつの作品に意志や物語や心象風景を詰め込まなくてもいいのではないかと思わせるぎゅうぎゅう詰め感もないわけではない。ひょうひょうとすっとぼけていられる井上陽水とか奥田民生の作風とは真逆の几帳面さが滲みでているとでも言えば良いのか。■ゼロ年代が終わって10年代が始まったわけだが、その10年の幕開けに際し、後藤氏自身として、そしてバンドとしての決意表明みたいな作品がこれなのではないかと思う。なんとなくゼロ年代に生まれ落ちたバンドとしてのアイデンティティの希薄さを何か自分の色で塗りつけてみたいと思ったのがこの作品の生まれ出る動機だったのではないか。
2010/07/26
コメント(4)
■龍馬が薩長連合を思いついたのは長崎で商人たちが卓を囲んで麻雀をしているのを見たことに端を発する。それぞれが私腹を肥やすことに夢中でありながら、仲良く並んで座ってゲームに興じる様子からあの犬猿の薩摩と長州を結び付けるという発想を得たという解釈は強引といえば強引。■わたしが劇作家ならそこで麻雀を覚えた龍馬が高杉、西郷、桂と卓を囲み、ひたすらひとつの上がり手を目指して牌を打つという描き方をする。その上がり手とはもちろんピンフ。麻雀役の中でも最も単純でなおかつ安いその上がり手は漢字で書けば平和という文字を充てる。■龍馬たち脱藩組が本当に長崎に留まるためにカステイラ作りに本腰を入れ、それで商いをしようとしたのかわからないが、ひとつのプロジェクトとしてイケメンたちの手作りによる洋風菓子の販売はプロデュース次第では爆発的なヒット商品になった可能性もある。スイーツ男子たちの原型はすでに150年前に存在していたのだ。■桐谷健太登場。裸になって古傷のひとつひとつを誇らしげに喧伝する様子は原田左之助を思い出させる。彼にもそんな歴史があったように、高杉にも伊藤にも井上にもたくさんの経験があった。当時の若者の渡航歴の多さも意外ではあるが、彼らが見たものは諸外国の先進性と属国になった国の哀れさ。憂国史観から革命が始まるのはいつの時代も一緒ということか。
2010/07/25
コメント(6)
01:風のブランコ02:アイツは俺を知っている03:Both Sides Now04:嘆きの淵にある時も05:ただいまの歌06:Beautiful Dreamer07:旅の宿 08:恋愛宣言09:死んだ男の残したものは10:温泉に行こう 11:Going Home12:わたしたちの明日 13:あなたと歌おう■矢野顕子と森山良子、ふたりのヴェテラン・シンガー・ソング・ライター(VSSW)がタッグを組んだ時、たとえば岡林と拓郎がそれに挑んだとしても、決して負けない力強さを感じてしまう。それは子供を育てて、何万回も晩御飯を作り、なおかつ現役のミュージシャンで居続けている女性の貫録みたいなものが全編に溢れているからである。■テーマはフォークソング。ざわわざわわもこの広い野原いっぱいも入ってはいないが、エバーグリーンという語感は歌い手の年齢に左右されることはないということを実証するかのような13曲。岡林のM4も拓郎のM7も女性に歌われることによって、普遍性が際だつように聞こえるのは新たな発見。とりわけジャジーかつボサノバ風の『旅の宿』の名曲感はひとしお。■恥ずかしいことなんか何もないふたりなのではないか。いやふたりだから何でもできるのかもしれない。『孫悟空のように雲に乗り、アラジンのように空を飛ぶ。白雪姫のようにめざめ、海賊と恋をする。 (M1) 』 こんな歌詞を歌うには10代や20代や30代の女性では役不足のようにも感じてしまう。■かと思うと、『白いメシに玉子ぶっかけてしょうゆひとたれ それにたくあん2切れと出がらしのぬるい茶でもありゃ オレの人生カンペキさ (M2) 』 とくる。この落差あふれる人生観が冒頭の2曲に整然と並んで何の違和感も与えないのはどちらも地に足のついた女性から発散される実感としてのつぶやきであるところから来ているのではないか。そして3曲目がジョニ・ミッチェルの『青春の光と影』だなんてちょっと出来すぎの感もある。■そんな序盤の2曲と終盤の2曲が秀逸。矢野のM12にはただいまもごはんができたよもまたあおねも何度も何度も経験してきた人生的な強度が詰まっているし、森山のM13には甘いも辛いも酸っぱいも全て愛おしいと感じられるような全方位的な食感(触感)が詰まっている。■子供の頃、まだわたしの家の近所には沼があって、そこで遊んでいるとたまにあのにょろにょろしたやもりに遭遇することがあった。それはあまり可愛らしいものとは思えなかったのだが、一人前の女性たちは突然それを見かけたとしても、女の子のようにキャーなんて悲鳴をあげることなんかないんだろうな。きっとしっぽなんかつまんで、おいしそうねなんて言っちゃうのかもね。
2010/07/24
コメント(0)
■声が良い。そう言われた方はたしかに悪い気はしない。わたしもよくそう言われるけれど、それを着信音にしてもらったり、その声でメッセージを頻繁に吹き込むことはない。「あと五分でお風呂に入れます。」そんな自分の声が家じゅうに響いてしまうのはなんだかちょっとあれだ。■前回、蒼井優の声が好きと書いたが、たしかに樋口可南子の声も素敵だ。きっと白い犬が出てくるに違いない(ひょっとしたら木村多江も!)と思って見ていた今回だが、彼女が抱いていたのは犬ではなくてうさぎちゃんだった。■樋口可南子の代表作といえば、何になるだろうか。映画では「ときめきに死す」、テレビドラマでは「早春スケッチブック」というところだろうか。個人的には彼女の若い頃はどうも、麻生久美子とイメージがダブる。最近では「篤姫」の母親役の印象が強いな。ま、一番強烈なインパクトは「Water Fruits」だろうな。ともあれ、ダーリン夫人なんだよな。■SでもMでもなく、Uです。最後の長瀬のセリフのUはうぬぼれの頭文字には違いないが、I Am U と書けば「わたしはあなただ」という第2文型の悪い見本例文となる。言われた方にしてみればそれこそ、うぬぼれるのもいい加減にしろと言いたくなるようなセリフで、まだ I AM I の方が罪がないように思える。■第3話あたりになると定型をぶち壊し始める宮藤脚本だが、このドラマにおいては前2回のパターンを踏襲して流れを裏切ることはなかった。欲を言えば、ドラマ内ドラマと本編のリンクの切れ味がいまひとつ。むしろ梅雀さんで続けた方が面白さは増量していたかもしれない。サダメ君もまた、死体役のバリエーションで芸域は広げられたかもしれないね。
2010/07/23
コメント(0)
■マイルスの同タイトルの曲を聞きながら、最終話を読んでみたのだが、必ずしもその曲調がこの小説世界を補強するものには聞こえなかった。コルトレーンのラッシュライフもしかり。思うにこの作家のネーミングセンスはメロディよりもタイトルの語感に重きが置かれているのではないか。曲の味わいで言うならむしろ、ビートルズの「ブラックバード」の方がイメージとしてはしっくりくるような気がする。■太宰の未完の小説「グッドバイ」を元に発想された連作集らしい。副読本の方にその全文が掲載されており、久しぶりに再読したわけだが、ずいぶんとその筋を忘れてしまっていて、へぇ、こんなに面白い小説だったかと改めて感心してしまった。■「あれも嘘だったわけね」二股ならぬ五股をかけていた星野青年は5人の女性からそんな風に言われる。それぞれの別れ方を味わう短編集なのだが、むしろその出会い方の魅力的な嘘の方にずっと惹かれる。■千葉という名の死神が各話で登場人物の死を吟味したのが「死神の精度」なら、この連作集に登場する死神チックな女主人公は身長180センチ、体重も180キロの繭美というモンスター。マイ辞書を持ち歩き、常識・定型・常套句、その他諸々の良識ある言葉たちをそこから塗りつぶして消していくこの悪魔みたいな(死者じゃない)使者と星野君との掛け合いが回を進めるごとに読みどころとなる。そう、煎じつめれば結局、出会いと別れのラブストーリーと言える。■ゆうびん小説という形式で第1話から第5話まで各回50人の読者のために書かれた小説だという。こうして連作集となって読んでみれば、辻褄が合う時間軸も、その回だけ送られてきた小説を読んだ読者はどんな物語としてこの話を受け取ったのだろうか。■5人の女性たちは誰もがちょっといそうと、ちょっといそうもないの絶妙の中間にいる。わたしは第3話の如月ユミが好き。星野君の嘘で最も好きなのは乗っていた車を警察官に奪われてしまったというフレンチ・コネクションみたいな話。たしかにあの後、車をとられた運転手は情けなく道路をさまようことになるんだろうが、そんな人今までわたしの周りには現れたことがない。■考えてみれば、伊坂作品の大部分は逃げる人と追いかける人のドラマ。この話もまた理不尽な理由で追いつめられる人間の話だ。でもそれがいつの間にか逃がす人のドラマに変容してしまうのがこの作家の一筋縄にはいかない部分。終わり方なんかまるで映画のように切れが良い。
2010/07/19
コメント(0)
■日本人以外の人を初めて目の前で見たとしても、あんなにジロジロ見つめてはいけない。いくらイナカから出てきたばかりであっても、指さして口を開けてばかりいては失礼にあたる。当時の学生が修学旅行で長崎にやってきたとしたら、担任の教師からそんな事前学習の機会を与えられていたに違いない。■これがシェイクハンドぜよ!教科書で習った英語を実際に使ってみることは大いに有意義なことである。ナイスチュミーチュだって、握手して相手を見つめながら発音すれば国際人になった気にもなってしまうではないか。それがどこか土佐弁にニーチュだとしても、エゲレス人に通じれば英語に聞こえるわけだ。■第3部は長崎から始まった。この新天地の色彩豊かな異国情緒は第2部のモノクロの牢獄シーンを払拭し、新たな物語の始まりのウキウキした気分を煽る煽る。外国人に物怖じしない青年たちはまだこの時点で本物の外国の強さを実感してはいなかったからだろう。まるで対等のように彼らとやりあう元海軍操練所の諸君を見てそんな感想を持った。■ビジネスという言葉の奥の深さは物語が進めばもっともっと実感できるようになると思うが、龍馬たちが行おうとしていたのはただ金銭をめぐる商売だけではない。そこには”仕事”という意味も”取引”という意味もまして”役割・本分”という意味も含まれており、まさにこれからの龍馬の業績を全て網羅する言葉でもあるのだ。■ますます魅力的な新たな登場人物たちが嬉しい。蒼井優の芸子姿はフラガールの幕末版のように美しかった。本田博太郎の胡散臭さは初登場にして存在感ずっしり。そしてグラバー役のティムさんの演技の達者なこと。日本語と英語の切り替えの巧みさが裏の顔、表の顔を瞬時に垣間見せて見事。■待ってました、伊勢谷晋作!わたしの中では主役交代を思わせる彼の登場。自分の事を”僕”と呼んでなおかつ男くさいのはなぜか。あんな狭い部屋の中でいがみあう薩摩と長州の血気盛んな若者たちを見て、積年の遺恨というものの根深さと短絡さを想う。長州は日本から独立することにした。もしもそのまま彼らの思惑が成就していれば、現在の日本地図の山口県の所だけCHOSHUという名の外国になっていたということだろうか。■ともあれ、交渉人龍馬の活躍を描く第3部。自分自身、この長崎における龍馬の行動は知らないことが多い。薩長同盟はもちろんだが、グラバーとの関係、亀山社中、海援隊結成など今後のビジネスマン龍馬を楽しみたい。
2010/07/18
コメント(4)
■ヘイ↑ヘイ↑ヘイ↑。わたしも毎晩 I Am I に行って5人のうぬぼれさんたちと一緒に両手広げてワイワイやりたいクチだが、残念ながらヒマもお金も土地艦もない。まあ、その代わりに金曜夜に大幅に脱力して彼らの自慢話を寝っころがりながらパジャマで見られる幸せを噛みしめている。■第2話目にして定型というか、テンプレートが定着してきた感じでウキウキしながら見ていた。序盤のバーでの5人の話のテンポが相変わらずバカバカしくも軽やかで良い。図書館司書をめぐるトークのはじけ具合が見事。なんかタランティーノのレザボアのオープニングのようにも聞こえるこういう無駄話が大好きだ。要潤が東野圭吾をずいぶんと持ち上げていたのが笑える。■初回には登場しなかった森下愛子がそこにいるのがミソ。毎回彼女がこのバーに現れるのかどうかは知らないが、筆談ホステスならぬ筆談ママという設定がばかばかしい。前回は余命2,3か月の花嫁で笑いをとった宮藤さんだが、元ネタの深刻さをこうも軽々と吹っ飛ばしていいものかと、ヒヤヒヤしているのはこちら側だけかもしれない。■一週間も金曜日、しかもその午後くらいになると自然と背中が丸くなる。そんなお疲れのサラリーマン相手にテモミンなる指圧マッサージ専門店があるらしいということは知っていたが、実際に行ったことはない。癒されたいと願うなら、そんなオトナのつぼを刺激してくれるサービスはどんなに心地良いものか想像してみる。■しかもそこに現れるのが蒼井優みたいな女の子だったら、常連になってしまうかもしれない。宮崎あおいちゃんでも良い。菅野美穂でも良い。真木よう子でも良い。って妄想は止まらないではないか。■蒼井優の指(というか握力)というのが今回のツボだったわけだが、この女優の魅力の半分は声の良さにある。鉄コン筋クリートでのシロを演じた声優としての仕事は有名だが、今回も目をつぶって彼女の声だけ聴いていてもある意味癒されると思う。ましてその声で耳元で囁かれながら背中を揉んでもらうなんて長瀬でなくても夢中になってしまうこと間違いなし。■クライマックスは崖。船越が出てきそうなおあつらえ向きなロケーションに白い長瀬がはじけ過ぎ。本当はあのイヤホンでパルプフィクションのテーマでも聞いていたのではないかと思ってしまうのは彼が一瞬トラボルタに見えたからかもしれない。なんか、サブリミナルにタランティーの入ってないか、このドラマ。■磯山Pの役者界での影響力がどのくらいのものかよくは知らないが、中村梅雀があんな役で登場するのも嬉しい。橋本じゅんの登場はこれから先も続くのか、興味は尽きない。そして生田斗真の汚しっぷりも笑える。彼のしたい役が死体役だったのかはともかく、殻を脱ぎ捨てるという意味では今回の仕事は大いにアリだと思う。
2010/07/17
コメント(4)
■ワールドカップを振り返るベストゴール編。例によって勝手にベストテンを作ってみました。一緒に思い出に浸りましょう。第10位 ランドン・ドノバン (アメリカ vs スロベニア)右サイドを駆けあがってフリーになり、中の味方を探すうちにほとんどゴールの至近距離まで到達。目の前には相手GKのみ。角度がないところはマイコンのゴールと一緒だが、このアメリカの闘将はキーパーの頭の上を狙って思いっきり右足を振りぬいた。ずいぶん長いことサッカーの試合を見てきたが、キーパーが避けてしまったこんなシュートは見たことがない。アメリカのグループリーグ突破、スロベニアの陥落はこのゴールから始まった。第9位 ジオバンニ・ファン・ブロンク・ホルスト (オランダ vs ウルグアイ)オランダ選手の名前をスラスラ言えるようになったら、あなたも一人前のサッカーファンだ。中でも難易度が高いのがこのゲームキャプテンのフルネーム。今大会終了後に代表引退を決意した彼のメモリアルゴールは意表をついた左足の超長距離弾。ゴール前ならネズミ一匹通さないウルグアイディフェンスが唖然として見送った40メートル。こんなシュート二度と打てない、二度と見れない。第8位 アサモア・ギャン (ガーナ vs アメリカ)背番号3番って普通はディフェンスがつける番号なのだが、この掟破りのフォワードの真骨頂が存分に発揮されたのがこのゴール。身体能力にかけてはアフリカ勢に引けを取らないアメリカディフェンスをぶっちぎって左足を振りぬいた強靭な下半身は90分以上走り続けた選手のそれとはとても思えない。ギャンと言えばPKという印象はこのゴールを思い出すたび帳消しにされる。第7位 ロビーニョ (ブラジル vs オランダ)開始10分、ちょうどセンターサークル付近からフェリペ・メロが送ったフィードが計ったようにディフェンスの間をくぐり抜けたロビーニョの足元に。そのボールをトラップも何もせずにただ右足で振りぬいたロビーニョのシュートがオランダゴールに刺さる。たった一本のスルーパスがまるで延長コードのようにゴールに吸い込まれる軌跡は奇跡的に美しかった。この時点でブラジルの敗退を誰も予想できなかったに違いない。第6位 アンドレス・イニエスタ (スペイン vs チリ)相手陣内右サイドでイニエスタがボールをかっさらう。すかさずフェルナンド・トーレスから壁パスをもらい、ゴール正面に移動する。すぐさま左サイドで待つビジャへボールを渡す。中央にわずかばかり空いたスペースに走り込む。ビジャからもらったパスをここしかないというゴール右隅に流し込む。このスペインのパス回しは前回大会のアルゼンチンのカンピアッソのゴールを思い出させてくれた。どちらもシュートと言うよりもゴールへのラストパスのイメージだ。第5位 本田圭佑 (日本vs デンマーク)隣りに俊輔がいたとしても、今の彼なら彼に譲らず蹴っていただろう。クリスティアーノ・ロナウドみたいに助走の儀式も定着すれば、スタジアムに固唾を呑ませることもこれからは可能かもしれない。美しい軌道、あわてるGK、何度見てもうっとりするようなゴール。第4位 遠藤保仁 (日本vs デンマーク)13分前の本田のゴールがあってこその一発だったが、日本人以外の誰もがまさか彼が蹴るとは思ってもいなかっただろう。壁は甘く、GKも先ほどのゴールの軌道が頭から離れていない。そんなアドバンテージを差し引いても、これまた美しくなおかつ優越感すら味わうことができたゴール。蹴った後すぐに走りだし飛びあがったヤットの会心のガッツポーズがまた何度見ても良い。第3位 カルロス・テベス (アルゼンチン vs メキシコ)1点目はそりゃオフサイドだったかもしれないが、このゴールに誰も文句を言う人はいない。シュートのスピード・破壊力を測定した資料がFIFAの公式記録に載っていないのは残念だが、おそらくこのシュートの初速度と終速度はほとんど変わらなかったのではないか。まるでメッシが絡んでいない得点という意味でも今大会アルゼンチン異色のゴール。マラドーナはテベスにこそ一番濃密なキッスをしてあげるべきだと思う。第2位 マイコン (ブラジル vs 北朝鮮)今大会の右サイドバックといえばマイコン。強靭な体力と滲み出る迫力があり、なおかつ華麗な足技さえも併せ持つ。このゴールは全速力でサイドを駆けあがり、チラッと中を見るという目のフェイントを一瞬入れてから、ほとんど角度のないゴールに突き刺した。この技と力が一体となったバズーカゴールは誰も止められないと思う。第1位 ディエゴ・フォルラン (ウルグアイ vs ドイツ)この人にMVPを与えたFIFAの計らいに殊勲賞をあげたい。5得点とも甲乙つけがたいスーパーゴールが並ぶが、あえて1本を選ぶとすれば、3位決定戦でのこのゴール。右からのクロスに対して止まりながら叩きつけた右足ボレー。一歩も動けないGKのまいったという表情も含めて最も絵になるゴールだったかもしれない。
2010/07/13
コメント(2)
■サッカーに夢中になったきっかけは今から40年近く前に三菱ダイヤモンドサッカー枠で70年メキシコ大会をテレビで初めて見たことだ。当時はもちろん録画で、一週間に試合の前半を、その次の週に後半をといった形式で一年くらいかけて見せてくれたんだったと思う。■そして4年後の西ドイツ大会、決勝戦が初めてリアルタイムで放送された。対戦カードは西ドイツ対オランダ。その時のオランダチームのヨハン・クライフを中心とした攻撃サッカーに魅せられて自分のサッカー熱は本格的になった。■決勝戦こそ本来の終始パスをつないで相手を圧倒するようなあの国本来のプレイは西ドイツに寸断されてしまったけれど、それもこれも含めてサッカーってつまらないと面白いが紙一重のところで繋がっていて奥が深いスポーツだと感じたものだ。■それ以来わたしの中でのオランダのイメージは結果はともあれ、面白いサッカーを見せてくれるチームの筆頭だったわけだが、今大会でおよそ30年ぶりに決勝に進んだこのチームは内容はともあれ、結果を残すというミッションを背負ったオレンジになっていたことがすごく逆説的で面白かった。■まして彼らが相対したスペインのサッカーはまるであの頃のオランダの様な敵にボールを触らせることなく前線から中盤からパスがポンポンつながって終始試合の主導権を握るスタイルになっていることも皮肉と言えば皮肉。■アイドル、クライフは現役を引退した後、バルセロナの監督となり、このスペインの原型を作った。美しく魅せる攻撃的なサッカー、それを21世紀に引き継いだのはオランダではなくスペインの方だった。■さすがに大会に入って7試合目ということで、両チームとも疲労の色は隠しきれず、らしくないミスも目立ち、身体は動かないけど気持ちは高まっているという状態がファウルの多さとなって表れた決勝戦。ただしタレントの多さということになるとスペインの方にいくらか分があるように見えた。■途中から入ったナヴァスとセスクが効いていた。かたや右サイドで鋭角的な折り返しをゴール前に供給し、かたや中央に陣取ってシャビやイニエスタと共にまるでピンボールのように回るボールの出し手になったり貰い手になったりした。■結局最後の点に絡んだセスクの活躍を見て、日本代表の中村憲剛を連想してしまった。パラグアイ戦、もしももう少し早く彼をピッチに送っていたら、120分以内で相手にとどめをさすことができたのではないか。そして同じ散るならこのスペイン相手にどれだけやれるかをわたしたちに見せて欲しかったものだ。なんて、そんな言ってもせん無きことを頭にめぐらすこの1週間かそこらだ。■なんであんなゴールが決まるのか、なんであのシュートが入らないのか、なんであんなボールを止められるのか、なんであんなパスが出せるのか、それを裁く人間の目の錯覚も含めて、予想だにしないあれやこれやがこの大会でもあちらこちらに散乱していた。サッカーの醍醐味は予測不能なプレイに対する見る側の反射神経にある。そして二度と同じプレイが再生されない一回性の印象度にある。■いやはや、また今年も堪能させてもらいました。まして最後に残った2チームがあの国とあの国だったという奇跡。こんな興奮、4年に一度くらいがちょうど良い。4年後ブラジルでまた同じような感動を味わえることを期待して。
2010/07/12
コメント(2)
■山南敬介の切腹を目の当たりにした近藤勇と土方歳三が人目もはばからずグズグズ泣きをしたように、わたしもまた武市半平太の壮絶な最期を見ながらテレビの前で号泣してしまった。介錯の刀を「待ちや!」と一喝して自ら作法に則り腹を切り裂く鬼の形相に大森南朋のこの役に対する並々ならぬ執念を見た。■そんな夕飯時の茶の間には不似合いな壮絶なシーンにかぶせて妻・冨への哀切な最後の手紙がはさまる。生まれ変わったらずっと一緒にいよう。春には桜を見に行き、夏には海に行き、秋には山に行き、冬には温泉に行き・・・。もしもあなたがたが倦怠期にさしかかった夫婦だったら、こんな夫婦愛のかけらでもいいから煎じて飲んでみてはいかがか。■忠誠心というものについて考えてみた。殿様のために、幕府のために、帝のために。たとえ自分の主義主張がそれに反するものだったとしても、その国に、その藩に、その土地に生まれたからには、ほんの少しでも上に立つ者のお役に立たねばならない。■彼らに「死になさい」と言われれば、それはそれで名誉と思い、喜んで腹を切るという自尊心。それは侍の社会がやがてまもなく終息した後も、この国の精神の奥底に依然として残ったままで、今から70年前まで続いた。■その理不尽さを全否定する気持に変わりはないが、あそこで武市が見せた武士のたたずまいとか、その言葉遣いの美しさとか、礼儀に則った立ち振る舞いに強く惹かれる。特に牢番・小市慢太郎に対する凛とした別れの挨拶には涙腺が緩んだ。■そんな自己犠牲やら、武士道精神やら、様々な伝統で塗り込められた社会構造を一変させてしまいたいと願うのが坂本龍馬。日本を洗濯するという表現はまさに今夜あたりはタイムリーな表現なのだが、こびりついた垢が悪性のものか良性のものかを見抜く選択(洗濯)眼もまた大事だ。■今年の大河、全体を4部構成に分け、主人公の成長を表現する方法をとっているのだが、これはずいぶんと物語にメリハリをつけていると思う。第1部から第2部、第2部から第3部と段階を踏んで、龍馬もその周辺の人物たちも変化していくという見せ方はのんべんだらりと進行していく話に比べてかなり効果的だと思う。■第3部の予告編を見て、高杉晋作役の伊勢谷友介のかっこよさに見とれる。白洲次郎の好演の印象はまだ強いが、同じディレクター、同じカメラで早くもNHKに再登場。あの散切り頭のかっこよさは何?龍馬とはソウルメイトということだが、わたしはきっと彼にずっと見とれると思う。できれば第3部以降は晋作伝に変更してもらってもいっこうに構わない。
2010/07/11
コメント(6)
■宮藤さんはビートたけしの「刑事ヨロシク」が大好きだったと色んなところで発言している。彼にしてみれば満を持して世に出すことになったのがこの新作だったと思う。構想7年、役者も揃った。脚本だけでなく、演出も引き受けてしまった第1回。■IWGPから10年、TBSで磯山Pで長瀬主演で第1回目のゲストが加藤あい。そんな出来すぎだろうと思えるドラマを見逃してはならない。偶然にもワールドカップの休息日にもあたり、こちらも満を持しての鑑賞。そんな感傷を抱きながら鑑賞する官九郎ファンはサッカーファンに比べればたいした数ではないかもしれない。■長瀬演じる元敏腕刑事は通称「うぬぼれ」。ひらがなで書くと「おとぼけ」と語感がかぶるが、自惚れと漢字で書くとナルシストと英訳したくなる。役名は最後まで明かされず(でもチラッと映った婚姻届の最初の文字は「小」だったと思う)、西田敏行の父親にも名前で呼んでもらえない有様だが、そのうち長瀬の顔を見ればうぬぼれの四文字が頭をよぎるようになってしまうのだろう。かつて彼を「マコト」とか「虎」とかすぐ呼べてしまったように。■作りとしてはオダジョーの「時効警察」とよく似た展開。毎回登場するゲストな容疑者に一目惚れをしてしまい、彼女(中には男も出てくるらしいが)に結婚を迫る。誰にも言いませんカードの代わりには婚姻届と逮捕状。■「僕と結婚してください。さもなくばあなたを逮捕します。」この「さもなくば」という語感に従来の宮藤調から外れる多少の違和感を感じるのだが、それがこの作家と長瀬の年齢を重ねたゆえの変化なのだろう。「じゃなかったら」ではだめだし、「つーか」では意味が通らない。「あー、めんどくせー」と投げやりになるほど30男の語彙は貧弱じゃない。■I am I という名前のバーをうぬぼれと訳せるかどうかは知らないが、そこの常連客の顔ぶれもナイス。心理学者坂東教授のメール返信に関する恋愛成就的中率は大変参考になった。返信時間と顔文字の数がポイントね、その数式はともかく、気持ちの部分はかなり的を得た指摘だと思う。 ■キャスティング的には長瀬の相棒に荒川良々を起用してくれたのが嬉しい。冴木優という役名がこんなに意表を突く配役はない。今回のチャームポイントはセキュリティーシステムを解除できずにパスを長瀬とふたりでかざすやりとり。刑事部屋での”麦茶ハリー!”は今後定番になっていくのだろう。ともあれ毎回彼を見られる楽しみは大きい。■次回のヒロインは蒼井優。彼女にキックを食らうシーンはあるのかどうかわからないが、宮藤脚本ならではの彼女の可愛さを期待。番宣によれば、戸田恵梨香、小泉今日子、薬師丸ひろこ、樋口可南子、三田佳子なども今後登場とのこと。まったくこの作家の射程距離は予告不能。月末からはテレ朝で三木聡+オダジョーの「熱海の捜査官」も始まり、毎週金曜が楽しみでござる。
2010/07/09
コメント(2)
■レーヴ監督の着ていた青いセーターが欲しくてユニクロとか無印とか行ってみたけど、日本は夏だ。実はカシミア製でウン万もするやつだそうだが、彼もまた験を担いでイングランド戦以降ずっとあれを洗っていなかったそうだ。そんなジンクスなんて気にしないで、毎試合、色んな格好してベンチに座ってくれた方が興味深かったとお嘆きの女性たちも多かったと思うが、勝負の世界は意外と繊細なものなのよ。■何かにすがると言えば世界的に有名になったドイツの水族館のタコのバウル君もえらい迷惑だっただろう。たまたまスペインの国旗の方に行っちゃったばっかりに敗戦の原因はお前だとばかりあやうく寿司ネタだか、パエリアの具だかにされてしまうところだった。きっと便乗するよ日本でも。ハチローとか名前つけられて、日の丸の入った鉢巻とか頭に巻かれちゃうと思うね。■ドイツにとって痛手だったのはミューラーの不在だった。この国にとって、そういう名前の13番がいるといなのとでは威圧感が違う。彼の出ない試合を見るとあらためて彼の推進力があってのこれまでの攻撃力だったのかなんて思えてしまう。■スペインのボール支配率は特に前半は圧倒的だった。パス回しの本数もさることながらそのスピードとタッチの正確さは3チャンネルのスポーツ教室を見ているみたいだった。フェルナンドトレスの代わりに入ったペドロがずいぶんとフィットしていたように思う。そう、もうほとんどがバルセロナ、足りないのはアルゼンチンの10番くらいだ。■初戦のスイス・ショックはもうほとんど払拭された感がある。なりふり構わずスイスのようになることはドイツにはできない。つまらないと言われ続けていたサッカーをこの二つの大会で塗り替えつつあった過程の中で後戻りなんかすることはできやしないじゃないか。■前半イニエスタからの高速センタリングをドフリーで外してしまったプジョルは後半にかけていた。今度こそ思い切りよく枠に押し込もう。そしておあつらえ向きのシャビのコーナーキックが彼の頭の上にやってくる。■そのゴールシーンの場面の写真を見ると、勢いづいた彼のたて髪は風にそよぎ、まるで7、3分けのひとのような顔に写っている。これでは普通の伊達男の顔だ。そうかあの長髪にはそんな普通顔を隠す意図もあったのか。なるほど長髪で挑発していたわけか。■例のタコのバウル君によると優勝予想はオランダではなく、スペインだそうだ。その国旗の下にどんな美味しそうな餌が隠されていたか知らないが、本能的に彼もまたパエリアになんかなりたくなかったのかもしれない。■ともあれ、オランダとスペインの決勝なんてこれから先にも見られる保証なんか何もない。この時点でもうわたしはこの南アフリカ大会を観戦できた幸せを噛みしめている。たとえそれがどんなつまらない試合になろうとも、この二つのチームの争う姿を見られるだけで満足だ。ましてそのどちらかが優勝することになるなんて。オランダが好きでよかった。スペインが好きでよかった。
2010/07/07
コメント(2)
■ウルグアイの中でもひときわ目を引くのが背番号10のフォルラン。この人の目が鋭くて良い。たしか映画「マルタの鷹」の原題はマルティーズ・ファルコンだったと思うが、このフォルランの顔を見ていると鷹の横顔を連想させる。ファルコンとフォルラン、ちょっと似ていてどちらもかっこいい。■日本の黄金世代がナイジェリアの世界大会で準優勝した時、たしか準決勝で当たったのがこのウルグアイだったのではないか。そのチームにこのフォルランは入っていたのではないかと思う。高原、小野、稲本、本山、小笠原、そして遠藤、みんな坊主で監督はトルシエだった。■南米予選第5位で通過したこのチームはコスタリカとのプレーオフの末に今大会32チームのうち、32番目に出場権を獲得したチームでもあった。前評判もそんなに高くはなく、わたしもグループAの中でも最もリーグ突破の可能性の少ないチームだと見当をつけていた。■先入観だけで予想するのは自分の悪い癖だが、今大会のウルグアイの戦いを見て、素直に謝りたいと思った。名将タバレスによって率いられたこのチームは決して華麗というわけではないが、手ごわさとしぶとさと勝負強さを併せ持った好チームだった。■ファンブロンクホルストとフォルランのそれぞれ意外性たっぷりの中距離弾で1対1で前半を折り返した時、オランダ贔屓のわたしには何となく嫌な予感があった。このままウルグアイが守備を固めカウンター一発で勝負を決めてしまいそうなそんな気配がムンムンしていた。■もしも神の手小僧がこの試合にも出場していたら、その可能性はもっともっと高まっていたのかもしれない。でも彼はこの試合を実現した代償に、ベンチにさえ入れずにいた。オランダリーグの得点王がそのオランダ相手にピッチに立てないという皮肉。■非欧州開催大会では南米チームが優勝する。その権利を一手に引き受けたウルグアイだったが、スナイデル、ロッベンの得点によってその伝統はこの南アフリカでついえてしまった。ベスト8に4つ残った南米各国もここで全てが敗れ去った。■なかでも成長著しい若手が力を発揮したウルグアイ。次回ブラジル大会でその雪辱をと誰もが思うところだが、このチームが必ずしも4年後に本大会に出場できるという保証はない。常連アルゼンチン、火の玉チリ、紅白幕パラグアイ、そしてコロンビア、ペルー、エクアドル、ボリビア。そんな熾烈な予選を通過することはひょっとしたら本大会のグループリーグを勝ち上がることより難しいことかもしれない。だからこそ、目に焼き付けておきたいのがフォルランの右足と左足だ。現時点で4得点、データでは3位決定戦に出場したチームの中から得点王が出る確率は高い。
2010/07/06
コメント(2)
■ピエール瀧のシーィがあんまり長いので笑った。わたしも周囲が騒々しい時、そういう身振りやら口ぶりをするのが年中だが、あんなに長いシィーッはできない。さすがはミュージシャン、肺活量が違う。■そんな瀧さんの計らいで土佐に舞い戻った龍馬だが、あの大芝居、果たして武市&以蔵救済になんらかのメリットがあったのかどうか。次週、第2部完了の予告編にもあったように半平太は白装束だし、以蔵はもはや虫の息。この期に及んで自らが東洋暗殺の真犯人なりという大嘘に何の効果があるのかどうかわからない。■龍馬伝なる物語ゆえ、この人を偉人に見せる様々な創作が許されている状況の中で、実際にこんな行動をとって見せることは弥太郎ではないが、なんてすごい男だと思わせてしまう展開だと思う。もしもわたしが小学校2年生くらいの少年だったら、坂本龍馬ってやっぱすごいって憧れてしまうかもしれないし、まして女子だったら尚更だと思う。■でも、もうすでに男子でも、まして女子でもないわたしにはこのエピソードは余分であって龍馬の甘さを露呈した物語に過ぎない。あんな事されて後藤象次郎が黙っているわけはないじゃないか。ますます武市にも以蔵にも風当たりが強くなるばかりではないか。■最近気になるのが実際の登場人物たちの実年齢とそれを演じる役者たちの年齢の差だ。あの頃、龍馬は30になるかならないか。それを取り巻く若者たちもほとんどが20代後半だったのではないか。■たとえば海軍操練所が廃校になって取り残された訓練生たちが途方に暮れる様子を30代から40代の役者が演じるという違和感。彼らにはもっと悩ましい初々しさがあったはずだし、もっと血気盛んな理不尽な怒りがあったのではないか。■「新選組!」が史実とほとんど変わらぬ年齢の役者を充てたのに対し、この龍馬伝では少しばかり若い俳優が少ない感じがする。厚みがないという批難を回避した配役だったのかもしれないが、実際当時の日本を動かそうとしていたのは人生経験のない向こうみずな若者たちばかりだったのではないか。それゆえ、私怨もすれ違いも色んなところに渦巻いていたのではないか。■政治はオトナがするもの、国を動かすのは人生経験を積んだ者。それは戦後の話であって、幕末のあの頃には二十歳そこそこの若造たちが真剣になって国の行く末を案じていた。だから悲劇も数多く起こり、それゆえ劇的な物語も数多く噴出した。危なっかしいから面白かった。経験がないから新鮮だった。そのおかげで原型ができたのが今の世の中なんだ。
2010/07/04
コメント(2)
■今大会の出場国の中でどの国のユニフォームを一番着てみたいかと言われれば、わたしならイングランドのホワイトジャージだろう。シンプルだけど漂う気品。そしてさりげなくお洒落。彫の深いわたしの顔(写真を載せられないのが残念だが)にはぴったりだと思う。■その他にはウルグアイの水色、イタリアの青、ニュージーランドの純白、そして日本のブルーもお気に入りだ。スロベニアのグリーンも悪くない。■そんな中でパラグアイのユニフォームを見ると卒業式とか入学式を思い出してしまうのはなぜだ。そうか、紅白幕だ。めでたい。でも落ち着かない。めでたい人たちがボールに向かって集まってくるのはなんか変だ。ま、そんな話はともあれ、試合の話だ。■パラグアイにとってスペインは日本よりも闘いやすい相手だったと思う。あんまりボールを保持する時間を与えられてもこの国のペースにはなりにくい。ポゼッションが多い相手の方がカウンターを仕掛けやすい。本当にこれが同じ国かと思うほど、立ちあがりのパラグアイは生き生きと攻撃的に見えた。■逆にスペインはこういうしぶとい南米型スタイルは苦手だ。いくらパスをつないでも最後の砦は堅牢だ。だてに紅白幕じゃない。視線を上げればパラグアイの式次第が見えてきそうだ。いわく、試合開始、守備命、我慢我慢、ハーフタイム、守備重視、堅守速攻、試合終了、みたいな。■そんな式次第にまんまとハマったかたちで後半半ば。このゲームの最大の山場がやってくる。スペイン陣内でパラグアイ選手が倒されPK。キッカーはカルドソ、日本とのPK戦で5人目に蹴った人だ。あの時も川島の動きを見きって難なくベスト8を決めるゴールを奪ったPK職人。ただ今回の相手はあのカシージャス。眼が狼。そんな野性味あふれる顔に動揺したのか、蹴ったボールは彼の懐にすっぽり。■そしてそのワンプレイ後に今度はスペインのビジャがパラグアイゴール前で倒されPK。蹴るのはシャビ・アロンソ。なんなくゴールと思われたが、味方の飛び出しが早すぎやり直し。再び蹴ったボールはキーパー、ビジャールがはじき出しスコアレスのまま。このあたりは式次第いや、シナリオの無いサッカーの面白さを堪能。■結局、83分にビジャが決めた1点を守りスペインが突破したわけだが、パラグアイの強さは満喫できた。もしも仮にこの試合、パラグアイではなく日本がスペインと対戦していたらどんな結果になっていただろうか夢想する。サスペンドの遠藤の代わりには憲剛が、長友の代わりには今野が入って、いや阿部と並べて稲本も使ってガチガチの4バック、2ボランチだったか。■想像は止まらないが、現実は90分もあれば決着する。ともあれパラグアイはスペインをあわてさせ、もう少しで勝つかもしれないという試合をした。そんなパラグアイに引き分けた日本はスペインと互角の勝負をする資格だけはある。その決着は4年後にとっておこうではないか。でもその時、ユニフォームはそのままでいい。縦じまになんかしないで欲しい。
2010/07/03
コメント(0)
■ドイツが先制すれば面白い試合になると思っていた。だって今大会のアルゼンチンは追い詰められたゲームが皆無だったから。途方に暮れるマラドーナをどこか見たいと思っていたし、拮抗した試合展開で彼がどんな手を打ってくるのかとても興味があった。■そんな願いは前半3分に早々とやってきた。セットプレイからのミューラーのヘッド。一歩も動けなかったキーパーの反射神経を責めるよりキックの精度と若きストライカーの得点感覚を褒めようじゃないか。■劣勢になったアルゼンチンを見るのが好きだ。彼らならいくらでも時間をかけてボールを回せることを知っている。彼らならいくらでもわざとプレイを切ったり、引っかけられてもいない足をひきずったりできることを知っている。でもそんな余興を見せる余裕もなく、がむしゃらに相手に迫っていくアルゼンチンこそわたしが見たいアルゼンチンだ。■後半15分くらいまでのこの試合は今大会の中でも指折りのベストゲームだった。ボールがピッチの外に出ない。ドイツ攻めました。ゴールまで行きました。アルゼンチン攻め返しました。ゴールまで行きました。そして今度はドイツ。次から次へと攻守が変わる目まぐるしい展開にできればこのゲーム、終わらないでずっとずっと続いていて欲しいと何回も思った。■予選リーグでセルビアに負けた時、今回のドイツはひょっとしたら予選も勝ち上がれないかもしれないと思った。今考えればあれが負のピークだったかもしれない。イングランドに4対1、アルゼンチンに4対0。この勢いはスペインでもひょっとしたら止められないかもしれない。■この試合、特に目を引いたのがシュバインシュタイガー。もはやこの国のメンバーの中では若手というより中堅の選手となった彼だが、この日の活躍はまさにMVP。守ってはメッシに仕事をさせず、攻めてはほとんど全ての点に絡んだ。■ドイツの得点のたびに大写しになったメルケル首相に(レッドカードをもらった)ユーロの時にはお小言をもらったそうだが、そんなアドバイスが効いてか、プレイぶりもオトナの貫録が漲っていた。自分で狙えるレンジもいくつかあったが、より確実な味方を活かすパスが効いた。■バラック欠場でわたしの優勝予想からは遠のいていたドイツだが、ここ2試合の充実ぶりは見事。彼の穴をすっかり埋めてしまったエジルというゲームメイカーの柔軟さや右サイドを切り崩すラームの仕事師ぶりや結局最後はそこにいるクローゼの嗅覚。ちょっとどうかと思うくらいの盤石さだ。■さて、交代枠をひとり余して宿敵に大敗してしまったアルゼンチン。実は最後のひとりの交代枠はマラドーナ自らのために取っておいたものだった。それが果たされなかった理由は彼の体型に合うユニフォームが間に合わなかった事と彼の耳につけたピアスが一日やそこらでは抜けなかったことにある。そしてなにより彼がつけたかった背番号10はもうすでに誰もがそれが相応しいと認める選手の背中につけられてしまっていたからである。
2010/07/03
コメント(0)
■たとえば、目の前に急にボールが飛んできた時、いくらサッカー選手であっても手が出てしまうものなのか。毎日毎日ボールを足や胸や頭でコントロールする習慣を植えつけられていても、反射的に出てしまうのが手だということはそれが人間がやるスポーツである以上やむをえないことなのだろうか。■睡魔と闘いながら決着だけは見届けようと120分間。その最後の最後にこのゲーム最大の山場は訪れた。延長後半ロスタイム。ウルグアイゴールに迫ったガーナはゴール前の浮き球をここぞとばかりシュート。一度目はものすごい反射神経で足で食い止めたスアレスだったが、2度目の跳ね返りについ手が出てしまいハンドの反則でレッドカード。もちろん相手にPKが与えられた。■ビデオで見ると何も手を出さなくても頭で跳ね返すことだってできたボールに見えたが、2001年宇宙の旅でも証明されたように直立歩行をして進化した人類はより確実に手を使うのだ。いやスアレスが類人猿に見えたなんて一言も言ってない。■キッカーはもちろんギャン。この背番号3のストライカーはこれまでにPKを2本決めているガーナの大黒柱。この残り時間ゼロのキックで史上初のアフリカ勢ベスト4進出が決まることをほとんど全ての観客が疑いもしなかったと思う。■失意のスアレスも退場となってロッカーへ引き上げる途中で悲嘆に暮れていた。次のワールドカップはもうないな。この大会が終わったらバレーボールチームに転向しよう。そんなことを彼が考えていたかどうかは誰も知らない。■ところがどっこい、ギャンのキックはバーにはじかれネットを揺らすことはなかった。振り返ってそれを知ったスアレスはまるで猿のように飛び跳ねて喜んだ。僕のブロックがウルグアイを救った。僕の右手がゲームを終わらせなかった。■PK戦に持ち込まれたゲームは先蹴りのウルグアイが勝利。気丈にもギャンは第1キッカーとしてもう一度与えられたチャンスを今度は確実に決めた。ただあの時決めていればこんなに何人もが重圧を受けてボールをセットしてキックしてなんていう心臓に悪いゲームを続けなくて済んだ。■もしもPKに手を使って投げても良いというルールが加わったら、足で蹴るより手で投げた方が確実に相手の裏をかけるという選手も出てくるのではないか。時々足は思いもしない方向にボールを蹴ってしまうことがある。その点、手は自由だ。たいてい思った所にボールを投げることができる。それは手の方が足よりも脳に近いことに起因しているのではないか。なんてことを思ってしまうくらい足を使うサッカーは微妙。でも、だからわたしはこのスポーツに夢中だ。
2010/07/02
コメント(0)
■前半が終わったところで、今大会のブラジルはこの10年の最強チームじゃないかと思った。先制点のあの無駄のない美しい流れを見て、まるで天使が降りてきてそこじゃなければ打てないパスを送り、もうひとりの天使がトラップもドリブルも省いたところでただまっすぐに相手のゴール目がけてひと蹴りすれば点なんか簡単に入るのさと言っているかのようなロビーニョのゴールだった。■そして30分あたりにも、ロビーニョが超絶個人技でライン際をかけあがり、そのボールがカカに渡り、彼もまたそこしかないというゴール右隅を狙ってインサイドでカーブをかけたシュートを放つ。普通だったら、あそこで2点目が入って王者の貫録の試合運びとなるところだったが、オランダのキーパー、ステケレンブルフがでっかい身体を投げ出して奇跡的なセーブ。このプレイが後半のオランダの希望につながったと言っても過言ではない。■威圧感という意味では今回のオランダよりもむしろブラジルの方がガタイもでかいし、顔面の迫力もいつになく鋭い。今回のドゥンガの選考基準がそういう武闘派顔だったかどうかは知らないが、アフリカ相手でも場合によっては泣かすことだってできそうな11人が集まった。(まあ、一応カカは除こう)■守備的、守備的と言われる割には、サイドからの攻め上がり(特に右サイドのマイコン)は迫力満点だし、前線の3人は個で打開できる技術も知恵も体力も持ち合わせたスーパーなアスリートたちだ。そんな王国に死角なんか無いと思っていた。■しかし、前半は蛇と蛙に例えれば蛙の方だったオランダが後半に入ると持ち前のパスワークと展開力を存分に発揮することになる。直接2点に絡んだのはスナイデルだが、道で会ったこの人は小柄なおにいさんのように見えるが、ピッチで会ったこの人はおそらくえらくいかついマッチョなおじさんに豹変する。振り向けば蛙、振り向けばスナイデル。■「どーにかなるさ」と蛙に言われちゃしょうがないが、開き直ったオランダの猛攻は王国の焦りを誘い、ディフェンスとキーパーの連携を乱し、相手の選手にやらなくてもいい一蹴りまで食らわせ、10人での戦いを余儀なくされる。スナイデル、ファン・ペルシー、そして復活したロッベンの活躍ぶりはもちろん、このオレンジ軍団に独特のアクセントをつける選手がいる。それは背番号7のカイトだ。■ロッベンの走り方も異色なら、このカイトのボールの持ち方もまた独特。取れそうで取れない。若干ガニ股で運動神経が良さそうにはとても見えないのだが、そのリーチの長さと切り返しはこのチームのタメをずいぶんと演出する。決勝点となった2点目はコーナーキックをカイトが頭でちょっとすらし後ろの味方にボールを送って果たしたもの。そう、振り向けばスナイデル。坊主頭をペンペンやってカメラの前でおどける様はとても大黒柱には見えない。■ドゥンガの悔しさは想像を絶する。規律は植えつけたはず。選手も理解していたはず。でも焦りはコントロールできなかった。なぜなら威圧感などなんにも感じられない相手に簡単に点を取られたことに選手たちは我慢できなかったからだ。なにくそなにくそと思うえば思うほど組織は崩れ個に依存する。こんなはずじゃなかった。でも蛙にやられちゃしょうがない。
2010/07/02
コメント(0)
■かなり空席が目立ったプレトリアのスタジアムだったが、日本の茶の間における空席率はほとんどゼロに近かったのではないか。メディアの煽りを受けてこのところの過熱報道ぶりはカメルーン戦以前のしらけたムードを考えれば想像を絶するものがあった。■思い出すのは8年前の仙台スタジアム。自国開催で予選リーグを突破し、指揮官自ら後はボーナスと公言したトルコ戦の気持ちが追いつけないまま試合終了のホイッスルを聞いたあの釈然としない余韻が忘れられなかった。■いつの間にか終わってしまった戦い。そこから先は行ってはならない未開のジャングルでもあるまいに、誰もがまだ行ってはならない場所なのだとその高みをただ眺めるだけだった場所。■8年たって、ホームのアドバンテージも、もうなんにもない遠い国でその場所に進んだ時、ああいう虚脱感だけは味わいたくはないと思っていた。だから今回は15分たったところで、30分たったところで、前半が終わったところで、60分たったところで、あと15分のところで、という具合に何度も何度も気持ちを高ぶらせたり、落ち着けたりして見ていた。■90分終わって、スコアレス。延長に入って相手がゴールに迫るたびに、コーナーキックを奪われるたびに、まるで自分が中澤闘莉王になったように、画面の前で相手の選手に張り付いてみたり、フリーの選手をケアしてみたりしていた。そうすることで届く想いももしかしたらあるのかもしれないと思いながらね。■そしてPK戦になった時、今度は川島になったり、遠藤になったり、長谷部になったりしながら、あっちに飛んでみたり、右隅を狙って思い切りボールを蹴っ飛ばしてみたりしていた。■重圧ということを考えた時、もしも自分だったら120分間全力で集中して走り回った後で、さらにスポットライトを浴びながら、あんな広い荒野みたいな芝生の上で何億という人たちの視線を背中に受けて狙った所にボールを蹴ることなんか絶対できないと思った。午前2時のたった一人のリビングのテレビの前でだって冷や汗だくだく流れちゃうのだから。■だからね、堪能したと言ってあげたい。ほんの少しだけど重圧も共有したと言ってあげたい。そのうえでお疲れ様と声をかけてあげたい。まだまだ発展途上で、だからいくらか物足りなくて、それゆえ向上する部分はたくさんあって。■そんなチームを少し醒めた目で見ていたわたしたちがこの日の夜は彼らと一体になって闘っているような気持ちになっていたということは8年前と大きく違う。パラグアイの5人目のキッカーがボールに向かっていく時、わたしもまた彼らと一緒にひざまずいて川島に向かって祈っていた。もちろん右肩は駒野の背中を支えながらね。■オシムのあとを岡田さんが引き継いだ時、わたしは関白宣言を引き合いに出してこのチームの未来を託した。彼らが目指した日本化されたサッカーはずいぶんと違った形でここでひとつの終焉を迎えた。完成されたそのスタイルは愚直で誠実で勤勉な精神によって支えられたものだった。■たとえそれが多少退屈なものであっても、勝つために考えられるほとんどの事をこの監督は考え抜いた結果だと思う。オシムさんもまたわたしたち日本人と同じように安堵だか悔しさだかわからないような溜息を今頃どこかでついていることだろう。でもそれが落胆でないことは絶対に確かなことだろうと思う。
2010/06/30
コメント(4)
■今大会最高の発見はチリ代表だった。最初から最後まで攻めて攻めて攻めまくる。そんな潔く、小気味よく、溌剌としたチームを作ったビエルサの手腕にも拍手。本当は岡ちゃんもこんなチームを作りたかったんだと思う。■体格だって日本代表のそれに比べてもそんなにかわりばえしない。突出したスター・プレイヤーがいるわけではないし、ワールドカップの常連というほどではない。それでも彼らの見せてくれたスタイルはまずはブロックづくりからという負けないサッカーが基本路線となった今大会の中でも異色。負けないサッカーよりも勝ちたいサッカー、堅実な試合運びよりも見ていて楽しいサッカー。■毎試合監督ウォッチングも楽しいサッカー観戦なのだが、このビエルサは始終怖い顔してベンチの前でしゃがみこんでピッチに目を光らせる。その独特な風貌もたとえばマラドーナに比べれば、ぐっと戦術家然としており、ちょっと近寄りがたいオーラがある。岡田監督の後任にこの人が指揮することになったとしたら、一体どんな選手を選びどんなチームが出来上がるのだろう、なんて夢想する。■この日のブラジル戦も試合開始のホイッスルが吹かれた瞬間から攻撃のスイッチは開きっぱなし。そんなホットなチリ相手に王国がどんな試合運びを見せるのかが興味深々だった。■いやはや、今回のブラジルは強い。グループリーグを終えて、次第にテンションも(コンディションも)あがってきたのだろうが、チリの攻撃を正面から受け止め、跳ね返しては逆襲につなげる様子はまさに横綱相撲。■従来のセレソンのちょっと柔軟でこずるい(すばしっこい)感じとは一線を画して、大きいし堅い。実際180センチを超える選手が半数近くを占め、高い壁を作り、セットプレイ時には相手よりも早くボールを触る。そんな武骨なイレブンの代表格が右サイドのマイコン。緻密そうな名前からは想像もつかないくらい野性味あふれる突破と強烈なキック力で対面する相手を粉砕。ファビアーノにしても、ルシオにしても、柔らかさよりも強さの印象が強い。■予選で互いの特徴を刷り込み済みとはいえブラジルの巧者ぶりが目立った対戦。チリを指標に西の横綱と比べて見てもブラジルの優位ぶりが見てとれた。このまま突っ走るかカナリア軍団。ともあれ、好調オランダとの次戦が優勝への試金石となることは間違いない。
2010/06/29
コメント(0)
■アメリカ戦でクリントン元大統領とにこやかに観戦していたと思ったら、このドイツ戦にも映っていたミック・ジャガー。きっと専用機か何かで南アフリカを縦断したに違いないが、このロックンローラーがアメリカにとってもイングランドにとっても疫病神であったとは。彼曰く、It's Only Football, But I Like It.ってところだろう。■そんなカリスマのせいかどうかはともかく、この日のイングランドにはツキがなかったことも確かだ。ランパードのループが認められなかった不運は66年のハーストのゴールのしっぺ返しだったのかもしれないが、あれで火のついた闘志が却ってドイツのカウンターの餌食となったのだからかなり罪深いミスジャッジだったと言える。■結局ファーディナントの負傷欠場が最後までセンターの安定感を欠いた原因だが、面白いように彼らの裏をすり抜けたドイツの速さと巧さには舌を巻く。中でも8番エジルの速攻時のここぞという時の瞬発力と、遅攻時の人を食ったようなパスさばきが小憎らしいほど。それに反応する13番ミューラーの体格に似合わない足技の巧さにも唸った。21世紀型13番ミューラーは爆撃機というよりは速射砲に近い。■そもそもベスト16でこのカードが実現してしまった遠因は初戦のアメリカ戦でのGKグリーンのファンブルに端を発しているのだが、アルジェリア相手に1点も取れなかった第2戦も今となっては悔やまれるところだ。グループCを1位で抜けていれば今頃スコッチ片手にウルグアイ対策でもしていた頃だろうに。■まあそれでも、こうやって記憶に残る試合を実現してくれただけでもサッカーファンとしては満足しなければならいだろう。こんなゲーム、なかなか見られる機会なんかない。ましてスコアは4対1。あんなにドイツのボール回しに子供扱いされるイングランドなんか滅多に見られたものじゃない。■トーナメントに入り、わたしの予想もことごとくはずれ続けている。しばらくトトは自粛だな。アメリカ●、イングランド●の原因はやっぱりミック・ジャガーにある。ミュージシャンはスタジオに行きなさい。そして歌いなさい。悪魔を憐れむ歌でもサティスファクションでも無情の世界でも今夜は何でも似合うと思う。PS拝啓ミック・ジャガー様 パラグアイの応援席に空きがあります。どうかいらしてくれますように。
2010/06/28
コメント(0)
■「会ってみるか、西郷に」と勝先生に言われて会ってしまえる龍馬って一体・・・。勝の一番弟子というだけでこれほどの待遇を得られるものなのか。この時点で坂本龍馬は何を成し遂げたというわけでもなく、一介の脱藩浪人に過ぎないと思うのだが、この扱いは謎だ。■西郷さんはたいてい足を引きずって初登場する。例の政変で銃弾が擦れ飛んだということだが、この人、それまでに(心身ともに)傷の数なら誰にも負けないくらい数奇な運命を歩んできているわけだ。そんな修羅場を乗り越えた迫力とギョロっとした大きな目、そして百キロを超えるという体躯から初対面の人間ならきっと呑まれてしまうようなオーラが出ていたんだと思う。■そんな豪傑を目の当たりにして、最初に切りだす話題が好きな女性のタイプとはさすが福山、趣味と実益を兼ねて意表を突いてくる。実際西郷さんは肉づきのいい女性が好みだったらしいが、「篤姫」の小澤くんは幾島には恋心を持っているようには見えなかったぞ。■「篤姫」といえば、今回やはり初登場の小松帯刀、ドラマが違えば役者も違う。小松といえば優男という視聴者の印象が覆されるのも時間の問題か。龍馬と彼の縁の深さから言えばまだ何回も滝藤くんの登場は考えられる。彼と西郷の薩摩言葉のやりとりは字幕が欲しかったところ。そうか「ぼっけもん」って薩摩弁だったんだ。■毒饅頭悲話にはそそられるのだが、弥太郎の隠し場所には疑問が残る。蟹江敬三はもちろん、家族の誰かに見つかったらそれは必ず食べられてしまったろうし、万が一、最愛の妻や娘が誤ってそれを食べてしまう危険性だってゼロじゃないだろう。まだまだ思慮が足りないこの時点の岩崎弥太郎。■牢屋番の小市慢太郎が良い。まだ生きていられます。何の言葉を交わさずとも武市の想い、そして視聴者の想いを察し、その悲しみの総量を丸ごと引き受けるようなたたずまいが素敵だと思う。■どんな理由で今回拷問シーンがなかったのかは知らないが、もはや岡田以蔵には正気が消えうせている。カットバックされる無邪気だった頃の彼の表情を見るにつけ、どこがこの運命の転機だったのかなんて考える。それは武市半平太にしても同じことで、そもそも身分制度なんてものが無かったらなんてところまでさかのぼってしまうのはわたしの悪い癖だ。PS■海軍操練所のロケ地は地元の浜辺に違いない。たくさんのロケバスが駐車場にとまり、たくさんのエキストラの人たちが弁当を食べる。福山くんが残した鮭の切り身を必死で探している何人かの女性。この海は大河ドラマ御用達。鎌倉時代の元寇の嵐も、戦国時代の落ち武者たちの最後も、幕末の若者の熱狂もこの同じ海が等しく見つめる。そう考えると役者顔負けじゃないか、この海ってやつは。
2010/06/27
コメント(0)
■予選リーグが終わった。いよいよ今晩から決勝トーナメントが始まる。最初の試合が始まる前に、今後の展開の予想を。というか、もはや予想というよりは希望に近い。まさか日本が16強に残るとは。しかもあんなに良い勝ち方で。というわけで冷静なというよりも熱い期待を踏まえつつ、ファイナルまでの組み合わせを占おう。1回戦ウルグアイ vs 韓国 (○韓国 1-1 ●ウルグアイ) PK戦で決着 一緒にBEST8行きましょうアメリカ vs ガーナ (○アメリカ 2-0 ●ガーナ) アメリカにとってはドイツ大会の雪辱をメキシコ vs アルゼンチン (○アルゼンチン 2-1 ●メキシコ) メッシに挑むドスサントス、接戦期待イングランド vs ドイツ (○イングランド 1-0 ●ドイツ) 早すぎる強豪対決、ルーニー決勝点オランダ vs スロバキア (○オランダ 3-0 ●スロバキア) ロッベン復活、攻撃力全開ブラジル vs チリ (○ブラジル 2-2 ●チリ) PK戦まで行って欲しい 実はもっと見たいチリ日本 vs パラグアイ (○日本 1-0 ●パラグアイ) 世紀の番狂わせ もちろん予想ではなく期待ポルトガル vs スペイン (○スペイン 2-1 ●ポルトガル) これを機に上昇気流に乗るスペイン準々決勝韓国 vs アメリカ (○アメリカ 1-0 ●韓国) アメリカにとってはこれまた日韓大会の雪辱をオランダ vs ブラジル (○ブラジル 3-2 ●オランダ) オランダといえどもこの相性の悪さには・・・アルゼンチン vs イングランド (○アルゼンチン 1-0 ●イングランド) イングランドここまでか日本 vs スペイン (○スペイン 4-1 ●日本) この試合が実現してくれるだけでOK準決勝アメリカ vs ブラジル (○ブラジル 2-0 ●アメリカ) アメリカの底しれぬ体力もブラジルの技術にはアルゼンチン vs スペイン (○スペイン 2-1 ●アルゼンチン) 90分で決着はつくのか3位決定戦アメリカ vs アルゼンチン (○アルゼンチン 3-0 ●アメリカ) マラドーナ、選手として途中出場^^ 決勝ブラジル vs スペイン (○スペイン 1-0 ●ブラジル) 得点王はビジャ、MVPはメッシ
2010/06/26
コメント(0)
■本田君の1点目が入った時、完全に目がさめた。あれがあったからこそ、遠藤の2点目が生まれた。やっと入ったわけだが、やっとこさの得点ではなかった。2本とも今大会の中でもベストに近いゴールだった。■本田君があんなにポストプレイが上手だったとは知らなかった。彼に入ったボールはことごとく収まり、陣形の立て直しを図る時間を作ったし、もちろん攻めの起点にもなった。■100メートル走なら負けるかもしれないが、400メートルリレーなら勝てるかもしれない。岡ちゃん、なかなかの名言だと思う。たしかにこのチーム、突出したスターはいないが、誰が出ても与えられた役割をこなせる組織力が備わっていると思う。■予想は完全にはずれ、思いもかけない期待まで抱ける展開になった。もう寝る時間はない。夢だとしても今日一日はきっと醒めない。
2010/06/25
コメント(4)
■スイスのジャイアントキリングですっかり面白くなったグループH、この第2ラウンドもヒッツフェルトvsビエルサという名将対決という興味も含んで見逃せない絶好のカードとなった。■堅守スイスに超攻撃的チリ。かたやワールドカップ連続無失点記録を更新するかという勢いのチーム、かたや自陣で守備を固める戦略が大流行の今大会で全員攻撃を標榜するアウトサイダー。本命スペインの猛攻さえも跳ね返し続けたスイスに、ホンジュラス相手に最後の1分まで攻め続けたチリ。■ただスイスのスペイン戦での達成感が多少の満腹感をはらんでいたことも事実。後半途中で10人になってしまった時点でチリの目まぐるしい波状攻撃に耐えきることは時間の問題でもあった。■今大会最も輝いているのは今のところかのメッシとこのチリのサンチェスだろう。この21歳のMFは右サイドでボールを持つとものすごい切り返しと鋭いシュートで相手のゴールに牙をむく。メッシのドリブルが波間を漂うかの如きサーファーのような優雅さならば、サンチェスのそれは荒波に真っ向から立ち向かって鋭角的なカーブを描くジェットスキーのようだ。■第2ラウンドを終了してH組の勝ち点はチリが6、スイスが3、スペインが3。最終戦でスペインがチリに勝ち、スイスもホンジュラスに勝てば勝ち点6で3チームが並ぶ。結果次第ではスペインがグループリーグ敗退という可能性も現実味を帯びてきた。ただ個人的にはチリのサッカーもスペインのサッカーもグループリーグで見収めということにはならないで欲しい。■組み合わせの関係でこのグループの2位になるとおそらくG組の1位ブラジルとトーナメントの初戦でぶつかる。当初の予想ではスペインはそれも見越して第3戦のプランを考えるのではないかと思っていたが、そんな余裕なんて今はない。むしろブラジルの方がポルトガルとの3戦目にかけひきをするのではないか。ひょっとしたら彼らもスペインよりもチリと当たりたくないと思っているかもしれない。PS■それにしてもチリvsスペインがスカパーでしか見られないというのはなんとも残念。特にグループリーグ最終戦の中継が手薄なのはファンとしては納得がいかない。そりゃ、通常の大会では消化試合も出る可能性があったけど、今大会はここが決戦というグループばかり。ああ、悔しい。■もうひとつ、FIFAに望むのはせめてグループリーグと決勝トーナメントの間に1日くらい休息を。さすがに10日連続くらいになると疲労困憊。昨日はとうとう睡魔に負けてしまった。いろんな事情があることは分かるが、地球の裏側の観戦者にもやさしい配慮をお願いしたい。
2010/06/23
コメント(0)
■やれやれ。フランス人のレフェリー、ステファン・ルロイ氏はこの試合のホイッスルを吹くことが決まった日からずっと憂鬱だった。■ワールドカップの大舞台、審判人生でもこんな晴れがましい舞台はない。でもさ、よりによってなんでこんな全世界が注目するカードに当たるかな。かたや優勝候補の最右翼ブラジル、かたやアフリカン・サッカーの注目株コートジボアール。できればもう少し地味な対戦を裁かせて欲しかったのに。スロバキア対ニュージーランドとか、スロベニア対アルジェリアとか、カメルーン対日本とかね。■選手が入場する際に先頭切って歩いて行くのも嫌だ。歩きながら試合球を主審が取る儀式があるでしょ。あれでボールを落としたらどうしようって前の日から眠れなかった。キャプテンを集めてコイントスをする時だって、あのコインをキャッチできなかったらどうしようと思ってずいぶん練習したよ。だってドログバに見つめられたら手だって滑ってしまうかもしれないもんな。■前半は割と落ち着いて裁けたと思う。コートジボアールの選手はフランス語がわかるし、意思の疎通は問題ない。ブラジルもゆったりとボールを持ってくれたので判断に迷うようなジャッジはあまりなかった。先制点はルイス・ファビアーノ。これも文句の無いゴールだった。我ながら会心のジャッジだ、前半。■後半に入ると、どうも様子が代わってきた。コートジボアールの選手たちの目の色が変わってきたし、それに伴ってブラジルのパス回しも前半とは打って変わって目まぐるしいスピードでボールが動く。■ゴールキーパーからのロングボールをペナルティ付近で受けたルイス・ファビアーノのボールキープ。屈強なディフェンダーに囲まれてリフティングしてボールを取られない。ついうっかりそのプレイに見とれてしまった。あ、ゴールだ。え、入っちゃった。私の位置からはあれがハンドには見えなかった。でもあいつ手はブンブン振り回していたな。戻ってくるルイスに訊いたら手なんか使っていないって言ってた。じゃ、ゴールだ。2対0だ。■その点を境にコートジボアールは急激に荒っぽくなった。明らかに苛立っているし、プレイも乱暴になっている。嫌な予感がする。ここは威厳を持って笛を吹かなきゃ。左サイドをカカが崩してエラーノに絶妙のパス。あとは流し込むだけ。3対0だ。■左サイドから上がったボールをドログバがほぼフリーでヘッド。私の位置からはオフサイドに見えたが副審の旗はあがらない。じゃ、ゴールだ。3対1だ。コートジボアール陣地でカカと誰かがやり合っている。あ、倒れた。見ていなかったけれど、アフリカ痛そうだ。副審に訊いてみよう。え、見てない。でも引っ込みがつかない。主審は私だ。イエローだ。あ、カカ2枚目だ。たしかにイケメンだがそういう意味ではない。レッドカードだ。ああ、やっちゃった。■そんなこんなで散々な試合に当たってしまったもんだ。ドログバは怖いし、ドゥンガはさっきからずっと私を睨んで怒っているし、エリクソンは紳士のふりしてきっと私のことを査定でもしているに違いない。今、手帳にCって書いた。いいよ、勝手にしてくれよ。■この後、ステファン・ルロイ氏が今大会で笛を再び吹くことができるのかは今のところ誰にもわからない。
2010/06/21
コメント(0)
■昨年の紅白のゲストに草刈民代が出た時、大河の1回限りの出演でこの扱いはないだろうとちょっと不思議に思っていたのだが、こういう使い方だったのか。実の母と寺田屋のお登勢の二役。この役もまた戸田恵子の生き生きとした好演の印象が強いので慣れるのには時間がかかりそうだ。この人にはいまだダンスの先生の映画のイメージが強いからね。■ま、どんな女優が演じたとしても、実際のお登勢さんがどんな女性だったのかがわからない限り、似ているも似ていないのも我々が抱くイメージの範疇の話であって、要はドラマの中でこの女性がどれだけ物語に説得力を与えてくれるかを味わうしかないのだ。■にしても、初めて会ったその日からいくら母親と瓜二つだったとしても母上と呼ばせてくれだの、龍馬と呼んでくれだの、この男の純真無垢さは空気の読めないマザコン男と紙一重。少年の心もいいが、30にもなった男がそれを売り物にしたらいかんぜよ。それは誰かがビシッと言ってやらねば。■それでも女性は龍馬が好きだ。難攻不落と思われたかのSP女優までもが、彼の至れり尽くせりにとうとう陥落。さりげない一言とか、気遣う表情とか、口説きのテクニックとして参考になる場面も盛りだくさんだが、わたしにはもはやそんな実践の場などない。■海のことを「ウーミッ」と言わせてお龍の笑顔を作りだす技はこの脚本のオリジナルだと思うが、チーズなど食べたことのないあの時代の人々のことを考えれば、多少無理やりだけど目くじらを立てるほどではない。口元を緩めるためにはどんな言葉が適当か、福田靖氏は様々リストアップした結果がああなったということだろうか。最近では山田太一氏は佐藤浩市に「テキーラ」って言わせてたぞ。でもテキーラもまたこの時代飲んでいたのは佐久間象山くらいなものか。■酒のみといえば、山内容堂公はもはや物語からひとり離脱して虚構の世界の方に足を踏み入れている。前回の茶の湯の世界から千鳥足、くわがた、極楽浄土。デカダンスなんて言葉が認知されていた世界ならともかく、彼の空疎を理解できた者が周囲にいたとは思えない。■藩では依然として口を割らない以蔵に対してなおも拷問は続く。半平太が弥太郎に託した毒まんじゅう。本当に彼を楽にしてあげたいと願っての差し入れなのか、それとも半平太自身が楽になりたいと思ってのことなのか。後者と考えるのが普通だろうが、ここのところの大森南朋の芝居を見ていると前者のようにも見えてしまう。■蛤御門の変。長州の没落。焼け野原となった京の町。歴代大河の中でもそのシーンの迫力はかなり高いと思う。久坂自刃。やべきょうすけ見収め。このキャスティングは結構インパクトが大きかった。桂小五郎はまたしても逃走。今回も龍馬にすぐに見つけられていた。絶対コロンとかつけてる、この人。海軍操練所閉校。次週いよいよ西郷登場。
2010/06/20
コメント(2)
全2068件 (2068件中 251-300件目)