江戸東京ぶらり旅

江戸東京ぶらり旅

江戸の処刑場<南千住>

東京の処刑場・小塚原<南千住>



 東京メトロ日比谷線の南千住駅で降りるのもいいのですが,たまには東京に残る唯一の路面電車,都電荒川線に揺られて終点の三ノ輪橋駅で降りるのも楽しいですよ。駅を降りるとそこは商店街,まずは腹ごしらえといきましょう。

都電荒川線1.JPG


 さて,ここから日光街道を歩いて南千住駅へ,JRの線路脇にある回向院へ直行します。両国にも勧進相撲発祥の地とも言える回向院がありますが,南千住の回向院も規模は小さいものの,なかなかのお寺。このあたりは「小塚原」と呼ばれていたところ,品川の「鈴ヶ森」とともに江戸のお仕置き場(刑場)のあったところでございます。実はこの千住の回向院,両国の回向院の別院なのですね。このお寺には橋本左内や吉田松陰,鼠小僧も眠っていますよ。橋本さんと吉田さん,安政の大獄という井伊直弼さんの強行手段で首をはねられたのでしたね。

回向院2.JPG


 小塚原と鈴が森が刑場に選ばれた理由ですが,どちらも江戸への入口に位置する場所。千住も品川も宿場町で,たくさんの人々が往来したため,見せしめ効果抜群。「江戸で悪事をはたらくとこんな風にさらし首になるぞ」と,徳川幕府は警告したのですね。

回向院4.JPG


 この刑場にある有名人が訪れたことがあります。前野良沢さん,杉田玄白さん,中川淳庵さん一行です。もちろん人体解剖(腑分け)を見に来たのであります。そとのき持参してきた本が『ターヘル・アナトミア』(良沢と玄白が所有していた)。実物と寸分違わぬ図がこの本にあったので,「良沢君,こりゃすごいぜ! 是非翻訳して出版しようや,中川君も手伝ってくれよ」ということになったらしいのです。もともとはドイツ人の医師クルムスさんが書いたもの。これがオランダ語などに翻訳されたのですね。『蘭学事始』と『解体新書』により『ターヘル・アナトミア』という書名が広く知られるようになりましたが,辞書もない,単語もほとんど知らないという状況での翻訳でした。それでできたのが『解体新書』,1774年の刊行です。ドイツ語の原著名はAnatomische Tabellenで,なんで「ターヘル」になったのか疑問。

小塚原刑場史 蘭学事始 解体新書新装版



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