江戸東京ぶらり旅

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歌舞伎座<東銀座>

歌舞伎ことはじめ


 我が原宿の表参道,そして新宿歌舞伎町を闊歩する若い方々の中には「アリャナンダ」と思わず後ずさりしたくなるような,異様なファッションの人がいますね。自由奔放を通り越して,超過激,理性ではとてもついて行けないのでございます。

 こんなチャラチャラした格好の人々,人生を斜に構えたような,身なりや言動の風変わりな人が「 かぶき者 」です。「傾く」と書いて「かぶく」,「ふざける」とか「やりたい放題のことをする」といった意味です。この歌と踊りと演技(者),「かぶく人たちのミュージカル」が歌舞伎です。

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=銀座にある歌舞伎発祥の地碑=


 江戸時代にこのチャラチャラしたかぶき者になったのは,お金と暇のある町人の師弟たち。現代の高校生の応援団のような格好をしたり,自分なりのお化粧をしたり,と様々な個性の表し方をしましたが,一つだけ彼らや彼女らに共通したものがあります。豪華絢爛な衣装や型にはまった格好はヤボ,新品の着物でも新品に見えないように,床屋に行ったばかりなのに,そうは見えないように。でも,「ほら,この裏地見てごらん。最高の布地に著名な絵師の描いた柄。お金はすっごくかかっているのよ」といった屈折した美意識。勿論こんなこと他人には自慢して口に出しませんが,見る人には分かる。分かる人だけ分かればいい。
 このような贅沢な遊びに飽きたら,仕事に精を出す。これが当時のかぶき者でした。現代のかぶき者にはこうした美意識はないでしょうね。個性といっても他人の真似事,他の人がどう見るかということをいつも意識している。だから哲学も思想もない。

 ところで,歌舞伎ですが,今から400年前,家康が江戸に幕府を開いた頃ですが,京都の五条河原や北野神社境内などで,出雲大社の巫女であるという阿国(おくに)という女性が,男装して遊里で遊ぶ様子を踊りを交えて演じたのだそうですね。「 阿国歌舞伎 」と言われるものです。その後,遊女による「遊女歌舞伎」が盛んになりますが,幕府の政策で遊女の活動を廓(くるわ)に制限してからは,若衆と呼ばれる美少年を見せる歌舞伎が盛んとなりました。ところが,これを愛好した武士たちが,なにかと問題を起こしたので禁止されてしまいます。それで,成人男性のみで演じる形の「野郎(やろう)歌舞伎」が登場,女役を男が演じる今日の形が定着したというのでございます。

歌舞伎座2.JPG歌舞伎座1.JPG

=東銀座の歌舞伎座=     =一幕見席の入口=


 歌舞伎は馴染みのない人には取っつきにくいのですが,それにちょっと値段も高くて・・・と関心は持ちにくいのですが,それなら一幕だけ,いいとこだけ鑑賞しようという手もあります。 歌舞伎座 には「 一幕見席 」というのがあり,演目開始の1時間前に並ぶと,その部分だけ(1時間程度の鑑賞)楽しむこともできます。こいつは面白そうと,めぼしをつけ,その前にチケットを買うために並ぶのです。一日中,良い席で鑑賞となると素人には,どんなストーリーなのか分からず,途中で飽きて来るかも知れません。でも一幕だけなら,仮に飽きてもちょっとの時間と1000円程度のお金。歌舞伎事始めには良いかもしれませんよ。

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