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コロナ禍去年のこの日、旅した3日目。黒船ホテルをチェックアウト後、下田の町を観光することに。何しろ下調べは全くしていないので行き当たりバッタリ感である。「下田ってどんな場所?」と、聞かれたら「幕末に黒船に乗ったペリーが来たトコ?」くらいしか答えられないであろう三人がやって来たのが~ 下田開国博物館 「黒船来航の記念館」とも呼ばれ、日本開国の記念館として、幕末の日本と下田の様子を一堂に展示・解説。さらに、下田太鼓祭りの館、日本開国の歴史室や下田の生活歴史室がある。幕末開港の街下田の歴史に深く関わる黒船・ペリー、ハリス・唐人お吉、吉田松陰、プチャーチン、下田太鼓祭り、企画展など、貴重で興味深い資料を数多く展示。下田の歴史がココでわかる。(Yahoo!HP、下田市観光協会HPより抜粋) 下田太鼓祭り 歴史好きだったら視点はココではないであろうが・・・館内展示でちょいと圧巻だった。人がこんな巨大太鼓橋を担ぐなんて凄い!!どういう作りになってルンだろう??祭りの熱気がプンプン出ている江戸時代スタイルのディスプレイワイルドなちょんまげイケ面マネキンの顔に個性もあってかなり見所のあるコーナー(だった。私には)下田太鼓祭りとは?江戸時代第2代下田奉行・今村伝四郎正長が創始した祭りのスタイルで、元和元年(1615年)、大坂夏の陣に大勝した徳川軍が大坂城入城の際、徳川の威厳を示し、志気を鼓舞して堂々と入城した陣太鼓をまねたものとか。下田の総鎮守社で応神天皇を祭神とする下田八幡神社の例大祭。毎年8月14日・15日神輿・供奉道具・太鼓台が神社から氏子町内へと繰り出し、祭囃子と共に一日中通りを練り歩く下田八幡神社から稲生沢川、平滑川にかけての市街地が巡行エリア。榊(さかき)、四神、矛などの飾りをつけた御道具といわれる小神輿を全て綱でつなぎ、両側から若い衆が総出で押し上げ、その勢いで弧を描かせて「太鼓橋」を作る。14日は4回、15日は10回、町内各所にてこの太鼓橋がつくられるとか・・・ (ニッポン旅マガジンHPより抜粋)下田開国博物館の夏休みイベントで毎年開催されている様で『下田開国博物館写生大会めざせ!歴史画伯』なるものがある。館内の好きなところ、モノ、人物等、館内ものならナンでも描いて宜しい様。期間終了後に抽選し、選ばれた5名様には賞品をプレゼント~なんて催し。我が姪っ子も絵を描くのは達者な方で選んだ被写体は1体のちょんまげイケ面マネキン兄さんの顔。館内には多くの有名人がいる中で「この人の顔を描いたのは今迄にいないです、それに上手」と、受付女子に言われて、ちょいとテレ気味姪っ子だった。 日蓮宗 法順山了 仙 寺 1625年に創設、1854年3月、日米和親条約が締結され、下田が開港場となると、ここ了仙寺が上陸したペリー一行の応接所となった。同年5月、和親条約付録下田条約が了仙寺で調印され、米人休息所となったとか・・・(wクリックでフォト蔵にトンで元画像で読めるよ) 了仙寺は<ジャスミンの寺>としても有名了仙寺では50年ほど前からジャスミンの栽培を始め、 境内から参道にかけて約1,000株のアメリカジャスミン(匂蕃茉莉)が植えられる。ジャスミンと言ってもハゴロモジャスミンやマツリカ等モクセイ科ソケイ属のジャスミンとは異なりアメリカジャスミンはナス科の植物花は直径3cm程で、紫から白へ花色が変化し、盛りには株が花で覆われるほどになる。満開となる5月中旬から下旬には周囲が甘い香りに包まれる。了仙寺が植樹したことで伊豆半島に広まったとも言われ、開花時は境内にてアメリカジャスミンの苗販売(1株1,000円)もある。香りもあって花期が(4月~10月)長く楽しめる様で、うちのご近所でも満開のニオイバンマツリがあってそれはそれは素晴らしい。妹が欲しがっていたので、贈ってあげようとも思ったが樹木全体に神経毒があるっていうし、猫を多頭飼いしているし・・・少々悩む。普通に庭木にしている植物調べたっていくらでも毒性のあるものはあるが、まんまん万が一を考えて別のものをプレゼントした後日。 花言葉【浮気な人】【情熱】【熱心】【幸運】参道の傍らに風化して誰のものとも分かりにくい塚があった。形状が風変わりに見えたので、思わずカメラを向けるも手前の石に刻まれた文字には【お吉塚】とあった。「あ~、もしかして唐人お吉の?!」何処で聞きかじったのかは覚えていないが、時代劇が子供の頃から好きだったせいか時代劇の好きだった祖母から聞いたか、その辺りであろう。 お吉塚 後で調べてみれば墓はここではなく、菩提寺とされる宝福寺にある。宝福寺にはお吉の記念館から祭りまであって、お墓は寄進までされているという。この塚にはお吉さんの何が納められているのだろう?初代米国領事館であった玉泉寺や下田市のHPで見る限りでは私は書き換えられた方のお吉像を知っているだけだった様だ。実在した人物であるのにその生涯が、後世の人間の手によって脚色されてしまうのは当たり前の現実世界。フィクションの方を信じてしまうのは故人にナンだか悪い気もする。 平滑川(ひらなめがわ) 了仙寺から【ペリーロード】に出る。幕末に黒船でやってきたペリー提督が了仙寺で日米下田条約締結の為に行進した道。現在は、了仙寺から下田公園への約500m程をペリーロードと言う。平滑川をはさむ石畳の小道沿いにはなまこ壁や伊豆石造りの風情ある家並みが続き、石積みの護岸や川沿いの柳もこれまた時代を演出している。江戸末期から明治、大正あたりまでの建物が多いという。夏休みだから本来はこんなじゃないんだろうなと思うことは多々あったけれど。コロナ禍の昼ちょい前、ひと気が殆ど無く静かな時間が流れていた。ただ、川岸に住む蟹達は賑やかに動き回っていた様な・・・大正7年に建築されたなまこ壁と伊豆石を用いた建造物平成24年4月より来遊客の休憩、案内施設として一般公開するもコロナ禍で臨時休館中だった旧澤村邸。 旧澤村邸 パスタと雑貨の店 通りの中程にある築150年の石造りの洋館を手直しして営業している【ページワン】パスタとピザを食べさせてくれるお店とか。ココも休業中~目を惹いたのはレトロチックなタイルで飾った表の柱?! ペリーロード周辺及び海を目指して行けば面白そうな歴史的に興味深い場所は多々ありそうだが、観光最終日の本日、妹親子は群馬までの帰宅を控えているので喫茶店を見つけて一休みした後、帰路につくことに。途中、熱海にある來宮神社に立ち寄る。 來 宮 神 社 姪っ子の口から「ここ、パワースポットなんですよ」なんて言葉を聞く。『パワースポット』・・・初めて聞いたのは一昔程前だったか。当時の勤め先の友人が「箱根の九頭龍神社に行ってきた」から始まり「パワースポットって知ってる?彼と二人で行ってきたんだ~♪」と・・・この辺りで聞いた気がする。因みに新語・流行語を収録する『現代用語の基礎知識』に『パワースポット』が収録されたのは1986年。1990年代にマスメディアに流通、広く知れ渡り人々が使うようになったのは2000年代に入ってからだとか。來宮神社は、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏の「今、いくべき聖地」(マガジンハウス2009/12発売)でも紹介されたのを切欠に有名処のひとつになった様だ。今時の若者が年末年始以外で神社仏閣に参るのはそんな言葉にバックアップされた場所に限って好んで行くのだろうと無信心なオバサンは思うワケでパワーがあるのか、貰えるのかはともかく、木々に囲まれ素晴らしく整えられた美しいお社、境内である。最近も、1932年(昭和7年)不審火によって焼失したという來宮神社末社七社の社殿の再建工事が進められ2022年(令和4)年8月に復興完了という話。(確かにこの日も稲荷の赤い鳥居を並べてる最中だった)オープンカフェや各所ライトアップ、約70畳の御神札・御守授与所等充実した神参りが老若男女問わずできてしまう。(來宮神社HPより拝借) 弁財天オープンカフェ神社仏閣でハート型のストローなんて・・・リニューアルされる境内の中で、大いなる歴史を語り続けるのが御神木「大楠(おおくす)」樹齢2000年を超え、1933年に国の天然記念物にも指定その幹を一回りすると一年寿命が延びるという言い伝え(とりあえず1周してみたので、一年の延命は保てた今)太い根が地上に盛り上がり筋骨隆々たる巨大な姿に圧倒される。確かに來宮神社のパワーの源はココにあると誰でも思える主幹は3mで2分岐、向かって左側の幹は地上5m程で切断された様だが、1974年8月に襲来した台風で折れた痕だトカ。それでも右側の幹は地上5mで数本に分岐、元気旺盛!!である。幹周約24m、樹高約26m蒲生の大クス(鹿児島県姶良市)、武雄の大クス(佐賀県武雄市)と並んで「日本三大クス」と言われているそうな來宮神社の創建が710年(和銅3年)ということで当時既にこの楠は存在していたというのがスゴい話だ。樹木に語り部ができたらと思わずにはいられない。植物好きの私にとって今回の旅で一番の見所だった気がした。(妹親子に連れて来てくれて感謝!感謝!!)これにて2泊3日のぶらり旅話終了~
2022年08月25日
丁度1年前の旅を振り返り、思えばもうちょいと計画的であればこんな行ったり来たり車を走らせることも無かったんじゃなかろうかと考える。(稲取まで下ったのに翌日伊豆高原→修善寺→下田って)しかし、妹の乗るハイブリッドな車はガソリンが全く減らないそうで群馬から来て、伊豆半島行ったり来たりして帰宅したって給油していないってのが信じられないドライブ好きっていう妹は素晴らしく羨ましい車をお持ちだ。15万キロ到達間近の中古車を愛車とする私には夢の世界である。さて、姪っ子の希望もあって立ち寄ることになったのが伊豆高原に存在する 怪しい少年少女博物館 2003年9月にオープン以来、摩訶不思議な博物館として話題になっているらしいが、一度くらいは入館した様な気がして躊躇した。伊豆高原は大なり小なり多彩な美術館や博物館が存在し、私の巡った記憶があるのでは【伊豆高原アンティーク・ジュエリーミュージアム】【伊豆オルゴール館】【アトリエ・ロッキー万華鏡館】【創作人形館ミワドール】【ねこの博物館】等々・・・選りによってココか~とは思いつつも車中で待つのも退屈なので・・・平成生まれの姪には興味深いモノの数々だろうし、昭和生まれのオバン、オジンにはレトロ満載で人生を演出する為の小道具だったあれもこれが所狭しと置かれ、館内に漂うホコリ臭さも郷愁を誘う効果なのだろうか・・・ってなトコである。姪っ子は移動中も時折、「セーラちゃん」と呼ばれる人物のファンらしくしきりと「いないかなぁ、遇えないかなぁ♪」と言っていた。いったい何者なのだ???調べてみれば【ねこの博物館】【怪しい少年少女博物館】【まぼろし博覧会】は総合出版社のデータハウスの社長である鵜野義嗣氏がプロデュースすると共に「セーラちゃん」の名で自ら館長を勤めているそうだ。活躍の場は【まぼろし博覧会】の様でそこには立ち寄らなかった。B級スポットとしては日本最大級の声もあるらしい・・・ナルホド 続いて訪れたのは伊豆修善寺。ココは3度目になる。1度目は亡母、亡伯母を連れて伊豆一周の旅をした2004年10月台風22号がこの地を直撃した数日後で、1ヶ月以上前から計画していた事とはいえ観光で訪れていることに後ろめたさを感じたのを覚えている。2度目は元同僚と二人日帰りのバスツアーで訪れたのが2013年3月 修 禅 寺 地名は【修善寺】寺名は【修禅寺】以前ブログに書いておきながら忘れていた書き方の違い。初期には「桂谷山寺」と呼ばれており、鎌倉時代より「修善寺」と呼ばれていたが、鎌倉時代中期に曹洞宗に改宗し【善】を【禅】に変更したとの説(Wikipediaより抜粋)空海(弘法大師)が手に持つ独鈷杵で川中の岩を打ち砕き、霊泉を噴出させたという伝承が残る地。独鈷の湯(とっこのゆ)は伊豆最古の温泉ともいわれる。2004年の災害時、川沿いの旅館も店も濁流の被害を受け、独鈷の湯も跡形も無く崩れ去っていた。独鈷の湯は川中に突き出た形状により氾濫を引き起こす引きがねとなるとみられ2009年4月に19m下流の川幅の広い位置に移動した。以前は入浴できたそうだが、現在は足湯共に禁止。修善寺温泉のシンボルとしての存在継続中妹のリクエストでやってきたのがこの竹林の小径桂橋から滝下橋までの約400mの距離に、自然石で作り上げた石畳が続く。孟宗竹の林を保全・維持する兼、観光スポットこのあと北条政子により建立された指月殿、釈迦如来坐像、源頼家の墓等にスルー参り・・・私が鎌倉時代に興味を持ったのは高校時代にNHK大河の『草燃える』を見てからだった。今年は、NHK大河で『鎌倉殿の13人』を放映中だからゆかりのある修善寺はコロナ禍でも活気がありそうだ。留まった時間が一番長かったのが?!射的温泉場に来たらやりたくなるのもわからないではない。我が息子らも幼少期、温泉に行く度やっていたものだ。私なんて景品要らないから好きなだけパンパンやらせて欲しいクチだったけど。思えば、コルク銃買って家でやれば好きなだけできそうに思えるものの、日常から離れた場所で、しょ~うもない的外れなことをやるのも気分転換のひとつなんだろうなぁそしてこの日は妹が予約した・・・下田湾を一望できる全室オーシャンビューの宿 黒船ホテル幕末開港歴史の港・下田港を航行する黒船遊覧船「サスケハナ号」も眺めることができる。 この日海上保安庁のPM型(500トン型)巡視船に遭遇♪元群馬県民はこういった船を見てもワクワクしてしまうトコがある フロントで宿泊代千円プラスでランクアップの部屋をおススメされる。旅行気分もアップしているトコで、ホテルの方も商売上手である・・・で、即案内されたのが【露天岩風呂&檜内風呂】付きの部屋オバサン2人女子1人ちょいとテンション上がる、上がる♪のちほど3人で入浴を楽しんだのは言うまでもないコロナ禍ということで食事の提供の仕方が極力人との接触を避けた【お部屋でおこもり】黒船の玉手箱膳◆ルームデリバリーとなっていた。コロナ禍でなければ部屋への配膳若しくは御食事処で用意された会席ってな具合。朝はバイキング~♪だったのだろうと思いながらもこういう形でのホテルの食事も滅多に味わえないし、スライド式の重箱にビッシと入ったご馳走はまるでお正月気分にもなる。もちろんお味も美味美味夕食 posted by (C)くろすけcat朝食 posted by (C)くろすけcatで、朝食を済ませて3日目の朝向ったのは・・・
2022年08月24日
あれから一年経ってしまったのだな今だに続いているコロナの存在する生活。去年のあの時は、ブログに書くのを躊躇していたけれど一年経った今でも、新型コロナ感染症に感染する事無く無事に健在していることに感謝しつつ記憶のあるうちに妹、姪っ子との女三人旅の記録残しておこうと思う。 妹から去年6月、8月後半に夏休みが取れたのに、家族は仕事。だから姉よ、一緒にどこか出かけない?・・・なんて旨のラインが来る。7月には2度目のコロナワクチンの接種も済んだ。で、自動車の運転大好きな妹はハイブリットな車で遥々群馬から姪っ子と一緒にやって来たのは昼近く。(男ばかりの我が家系で唯独りの女子だけ休暇が取れた)で、とりあえず向ったのは・・・ 箱根ガラスの森美術館 箱根ガラスの森美術館は、仙石原にある日本初のヴェネチアン・グラス専門の美術館15〜19世紀にかけてヨーロッパ貴族の中で栄えたヴェネチアン・グラスと、現代のガラスアーティストたちの作品が展示されているのはもちろん、販売されるガラス作品も豊富にある。・・・記憶が確かなら社員旅行の時と、息子とモトカノと三人の時2回は来ているので今回3度目の来訪。(経営してた会社も、息子とモトカノの仲もガラスの如く砕け散ったけどね~) 白いムックみたいに見えてしまうモジャモジャ 500以上のガラスパーツで組み立てられている パラッツォ・ドゥカーレ・シャンデリアも定位置に健在♪1996年に「ヴェネチア市立ムラーノ・ガラス美術館」と姉妹提携を結んだ記念として2点制作されたものもう一つは「ヴェネチア市立ムラーノ・ガラス美術館」に展示いつ来ても庭園が綺麗に管理されているのが良い所。この時季屋外に、私にはビーズ細工の様にも線香花火にも見えてしまう大好きなタマアジサイが咲いていているし♪敷地内の遊歩道階段の下には、箱根の清流・早川 手根管症候群やバネ指、ブシャール結節とか手の病になってから大好きなビーズアクセサリー作りが手の痛みや痺れで出来なくなって6年近くなるだろうか・・・やっぱり館内に飾り彩られたガラス作品を見ると心踊ってしまう。 せっかくなので、記念撮影したのは鏡越しの姪っ子と花柄ブラウスの妹、ウン♪二人とも映えている~ 箱根、仙石原の秋の風物詩である“ススキ”をモチーフに花穂に約100粒のクリスタル・ガラスのついた草丈約1.5メートルのススキ300株 が庭園に飾られる。合計30,000 粒のクリスタルのキラメキが彩を添える。因みにこのクリスタルススキ、ミュージアム・ショップで本数限定販売されていた時税込1本¥31,500だった様だワオ今年の展示期間は2022年8月27日から11月23日までだそうだ。今年も準備進んでいるんだろうな何処をとっても長居してしまう場所である。 で、この日宿泊を決めていたのは全室オーシャンビューなこのお宿 稲取東海ホテル湯苑 2泊3日の旅で宿の予約は妹とお互い1軒担当ということで23日担当だった私。群馬県民憧れの海がオーシャンビューの宿にはしたけれど、旅行の計画の際、妹が電話口で懇願、念願、切願していたのが「金目鯛の煮付けが食べたい」ってことで。一番の問題は8月のまだくそ暑い最中金目鯛の旬て冬じゃなかったっけ???と思っていた私。金目鯛は深海魚なので年間を通して水揚げされるが旬は12~2月。 6~7月も脂がのり美味しく食べられるともある。はたしてどうなる8月今夜の夕食・・・あれに見えるはき、金目の刺身ではなかろうか♪伊勢海老らしき姿もあったりする中、妹が電話口で懇願、念願、切願していた「金目鯛の煮付けが食べたい!!」っていう要望がはたして予算を切った一人一泊13,200円で叶うものなのかかなり不安の要素ではあったが・・・安堵切り身を煮たのではなく、丸ごと煮つけられたその朱金輝く美しい煮姿がまさに本場感ある♪女性三人で取り分けるには申し分ない大きさ、仲居さんに取り分けて頂いた金目の煮付けは美味しく甘辛に炊けた絶品♪ 翌日の朝ごはん目の前に広がる海を見ながらの会食さて、これからの予定は群馬県民の趣くままに・・・
2022年08月23日
藤沢から江ノ島に行くことに。長男、藤沢の町で所用があるとかで・・・付き合ってもいられない私と次男はのんびり江ノ電で向うことに。このまま終点の鎌倉駅まで行ってしまおうかとも考えたがコロナ禍だし、観光で来たわけじゃないし、疲れるしとりあえず長男が用事を終わらせて来るまでうろうろしてみることに・・・さて、江ノ島と言えば・・・元群馬県民の私はココが生まれて初めて来た海。小学校の修学旅行が江ノ島・鎌倉であった。海の無い、海が憧れの群馬県民が初めて海に来てやることと言ったらおそらく、多分、おおよそ、海の水がショッパイかどうか確かめることではないだろうか。(小学生の私は寄せては返す波に慌てつつ濡れた指先をペロリ舐めた記憶がある)そしてやってみたかったことは砂浜に落ちる貝殻を思う存分拾い集めることだった。(少ない自由時間が与えられ、夢中で集めた桜貝や巻貝は宝物になった)江ノ島より望む 2019年8月 posted by (C)くろすけcat上の画像のこんもりした山の木々に囲まれて見える五重の塔と白いとんがり帽子の様な仏舎利塔江ノ電江ノ島駅からたまたま歩いて行った方角に現れたのがこの寂光山龍口寺だった。20代の頃から気になりつつも1度も訪れたことが無かった場所に来てしまった。結局、途中で長男がこちらに到着したという連絡が来たので仏舎利塔まで辿り着くことはなかったのがちょいと残念ではある。寂光山_龍口寺 posted by (C)くろすけcat 龍口寺 五重塔 posted by (C)くろすけcat(1番目の画像)この海沿いを右方向に行けば鎌倉・逗子方面になるのだけれど、若い頃はよく通った場所でもある。20代の頃は夫の両親が経営する会社が一番バブリーな時期で逗子にマンションとクルーザーとジェットスキー、小型ヨットなんぞも所持していて海が好きだった夫は結婚する前から一級船舶免許まで取得していて長男が生まれたばかりの頃から何かにつけて家族、社員総出で訪れることが多かった。(あのボッコボコに泡立った夢の時代は、見事にすすがれて今じゃキレイさっぱりである)龍口寺 高台より望む posted by (C)くろすけcatコロナ禍で開催されることになった東京オリンピック藤沢市江の島では7月25日からセーリング競技が行われる様だ。東京2020大会・セーリング競技が江の島ヨットハーバーで開催されることを記念し、2020年1月25日に設置された「東京2020大会・セーリング競技開催記念モニュメント」 東京2020大会・セーリング競技開催記念モニュメント posted by (C)くろすけcatセーリングは1度だけ夫と結婚前に山中湖で経験したことがある。殆ど夫がディンギー(小型ヨット)を操作して、私は指示されたことしかしなかったし、水しぶきを上げて、船体を左右に傾けつつ風を切って走るディンギーに犬掻きで数メートルしか泳げない私には、終始ビビりものだった。バブル時代、釣り好きの社員を従えて家族共々太平洋の海原でクルーザーを操縦するのも夫だった。沖に出たクルーザーから、幼稚園生の息子に浮き輪を着けて平気で海に放り投げた夫に後々までも恨み言を言っていた長男。気持ちはわかる、私も伊豆の岩場で浮き輪を着けて落とされたことがある。で、その後のセリフは「大丈夫、何かあったら助けるから」って・・・そういう問題じゃない。駆け落ちした先で「海や船に関係する仕事がしたいから」ってクルーザーのセールスマンをやったこともあった。いっそのこと漁師にでもなった方が毎日船に乗れるんだから良かったんじゃなかろうか・・・2019年8月 江ノ島ヨットハーバーと海 posted by (C)くろすけcat
2021年05月09日
コロナ禍・・・何をするのも自粛ムードの中ではあるけれど1ヶ月程前だったか・・・思い立って息子二人を連れ、近場の海に行くことにした。夜勤明け日曜日の昼過ぎいつもの如く睡眠もろくにせず家を出る。(催し事や旅行前、普段しない行動があるとどういうわけか目がさえる)コドモジャ~ン小田急線藤沢駅で途中下車。行き当たりばったりで食事がとれる場所を探す。藤沢なんて滅多に来る町ではない。息子達を産んだ20代の頃だったら、姑が運転する車で逗子マリーナへ行く為に通りすがるだけの町であった。(当時、義父母が経営する会社名義でマンションを持っていた)イマハナイケドネー夫の大学時代の親友F氏が結婚して暮らしていたのが藤沢のマンションで一度お邪魔したことはある。奥様の手料理をご馳走になって、その時食した<大根おろし納豆>を気に入った私。以降、朝御飯にやたら登場する様になったのである。(何しろ結婚するまで「葱と青海苔と辛子」で食べる納豆しか知らなかったから感動ものだった)藤沢にお住まいだったそのF御夫妻に次にお会いしたのが藤沢から引越した先であった。「熱川でペンションを始めたので遊びに来ないか♪」とのお誘いで、我が家族四人と当時雇っていた若い社員を二人連れ伊豆まで出かけた。露天風呂とアライグマがいる高台にあるペンションで、覚えているのは、やはり奥様の手料理<サーモンのコーンマヨネーズ焼き>で、これまた気に入った私は自分のメニューに加えたのであった。(私の思い出は食い物でしか思い出せないのだろうなぁ)そんな些細な思い出しかない藤沢でたまたまみつけたこのお店。 そば 酒肴 鵠 庵 鵠庵 posted by (C)くろすけcatへぎ蕎麦は新潟県の郷土料理海老天磯おろし posted by (C)くろすけcat天ぷら盛り合せ posted by (C)くろすけcatへぎ蕎麦のへぎは「剥ぎ」を語源とし、剥ぎ板で作った四角い器のこと。新潟県の魚沼地方で古くから織物に使われていた海草の布海苔(フノリ)をつなぎに使った蕎麦は独特のコシの強さとツルツルした食感が特徴その冷やした蕎麦をひと口程度に丸め(=「手繰り」と呼ばれる)このへぎに「手繰り」で盛りつけされたものをへぎ蕎麦と言うそうだ。(実家の群馬でもこういう風な「手繰り」があったなぁと思い出す)そんな情報をハナから知っていれば、もうちょい楽しめたかもしれない昼食。たいがいアトで知って味や食感を思い出すのに苦労する私へぎそば posted by (C)くろすけcatふのりといえば・・・我が家は味噌汁でよく頂いた。磯の香りがする味噌汁は父子揃って好きな様であおさとふのりは好物だ。当時、ふのりの味噌汁の残りを翌日温めなおすとドロドロになり食するのをやめたことがあった。そもそもふのりは、煮溶かして糊としたものを漆喰、織物用糊料、洗髪・整髪剤などに広く利用されていたそうで、お湯に長時間つけると溶けて粘性が出るそうだ。健康にはめちゃくちゃ良さそうなのに、今じゃ全く口にしなくなった。血圧降下や血中コレステロールの低下等に良いらしい・・・今こそ必要なのになぁ~トホホ牛タン大好きな長男が頂いた牛タンのたたき・・・焼肉屋で食す薄っぺらなのしか見た記憶がない。見るからに美味そうな肉色牛タン posted by (C)くろすけcat蕎麦とセットで頼める前菜5品前菜5品盛り合せ posted by (C)くろすけcatお腹がふくれたアトに目指すのは・・・江ノ電江ノ島駅か竜宮城?!
2021年05月09日
朝の9時から午後5時過ぎまで長男の試験が終えるのを待っていたものの全く本人からの連絡が入らない。試験は4時には終わっているはずなのに仕方なくこちらから電話を入れてみたら・・・「あぁ、ゴメン!今〇〇ちゃんとサイゼリアで回答速報見てるんだ。 横浜(駅)?!あぁ、行ってて大丈夫だよ♪アトから行くから」試験を受ける前からの打ち合わせで試験が終わったら一年間の山篭りの疲れを癒そうという話だった。ただ、試験の出来具合によっては気落ちしてそんな気分じゃなくなるなんてこともあるかもしれないから・・・とか言ってたモノで、親であってもタダの傍観者としては(家に帰るんじゃなく横浜に行けだって?!もしかして、もしかしたら長男のヤツ良い出来だったの~♪)なんて想像もしてしまう。とりあえずひとり横浜駅に向かう。しかし、ここでも待ちくたびれることに。 長男、試験会場で東京の司法書士予備校に通っていた時の友人に逢った。司法試験の勉強もしていた長男故に、その友人からの質問も予備校講師以上に答えられるので、通学していない今年はメールのやり取りになりいつの間にかメル友にまでなってしまった。そんな友人と試験会場で出逢ったものだからお互いテストの答え合わせが始まってしまったのである。 時間潰しするっても、ショッピングするのは嫌いだし、食べたいものはドコにあるのか分からないし、昼間さんざん歩いたからもう足は使いたくないし、だいいち横浜はドコ見てもカップルばっかりで~仕方なく、目に付いたパンケーキが美味そうだったので時間潰しと足休めに入店してみた。 リコッタチーズパンケーキ ベルギーチョコアイスと焼きバナナパンケーキとホットケーキの違いがなんだかよく分からないが何年か前横浜を訪れた時、山下公園の前で列を作って待っている人らがいて、「何待ち?」と見れば「今はやりのパンケーキ」だった。山の様に盛られた生クリームに薄いホットケーキが下敷きされてたのを見た記憶がある様な・・・あれから数年、パンケーキなんて食べた覚えが無い。同じ横浜のパンケーキでも様子の違うこのパンケーキはリコッタチーズとクリームチーズを入れてふわっとろ感と素材の味を楽しむパンケーキらしい。バナナ好きの私には興味深い、焼きバナナが添えてある。熱加工したバナナを滅多に口にしたことが無かったので挑戦してみてもいいかなと、思ったのだった。しかし・・・双方口にしつつ段々不機嫌になる自分がいる。やはり、バナナは熱加工はいかん、パンケーキはふわ感あってもとろ感はいらん、チーズが入っているからか、ボリューム感があって食べ切れん、残しちゃいかんと思いつつ、もうひと分張りを諦めて店を出る。 で、まだ長男から連絡も無いので午後8時を回った辺りで 万 葉 の 湯 長男との最終的待ち合わせ場所予定だったのはみなとみらいにある万葉倶楽部だった。熱海温泉と湯河原温泉から毎日タンクローリーで運ばれてきた源泉で露天風呂、ひのき風呂、大浴場、寝湯など様々楽しめ、サウナ、岩盤浴もある。日帰りなら2,500円、ごろ寝で良ければ深夜料金1,800円を払えば翌朝の9時まではOK、それ以降は1時間190円ずつプラスになる。 展望足湯庭園からの眺めは最高で、いつも来て良かったと思える。最初からココで待っていれば疲れないで済んだのかなぁ。でも一日温泉にいるのもねぇ・・・ 長男、9時半過ぎてやっと到着。一風呂浴びて結果報告が聞けた。司法書士試験は採点方法が特殊で面倒そうで長男に何回か説明を受けていてもイマイチ把握できないお馬鹿な母だ。司法書士試験には基準点というのがある。マークシートに記された午前と午後の択一試験でこの基準点を越えていないと午後の記述試験は採点すらして貰えないという。<午前の部の試験>択一出題問題数 35問中◎ 憲法(3問)◎ 民法(20問)◎ 刑法(3問)◎ 商法(9問) <午後の部の試験>択一出題問題数 35問中◎ 不動産登記法(16問)◎ 商業登記法(8問)◎ 供託法・司法書士法(4問)◎ 民事訴訟法・民事執行法・民事保全法(7問) <午後の部の試験>記述出題問題数 2問中◎ 不動産登記法記述式(1問)◎ 商業登記法記述式(1問)長男、今回は択一試験で会社法、商法9問商業登記法8問全問正解したことに驚喜していた。司法試験受験時は不得意だった会社法が司法書士試験を始めてから好きになった。長男は嫌いなものを自分のものにするのは得意だったりする。択一試験は午前は自己最高点、午後は択一そこそこの記述は商業登記まずまずの不動産登記あれあれだったようだ。 おそらく今年は長男の司法書士受験始まって以来の年になることは間違いない。
2017年07月03日
東急東横線白楽駅を前にしばし悩むが沿線沿いに渋谷方向に歩いたら何かあるかな?と、よせばいいのにヘンな好奇心を優先することにした私。テレビなんぞでやっている『〇〇散歩』とか『〇〇〇途中下車の旅』とか(ぶらぶらふらっと移動しただけで、あ~んなに都合の良い場所に来れる筈ないでしょ~きっとスタッフが下調べしているに決まってるじゃん)とか思ってる人間のひとりではある。願わくば下調べ無しでも暇つぶしできる場所を我に与え給えと思う。300m程歩くと左手に緑の一角が見える。もしや?!と足が急く。 「おおっ!み、水だッ」 干上がった頭の皿に潤いが戻った気分になる。(河童じゃないから皿はないけど、高校時代はあだ名は『カッパちゃん』だった) 白 幡 池 公 園 横浜というと目立った街中に行くことばかりで、足も目も向けることがない横浜の住宅街の中に何気なく存在し、心地良く水に触れ合い、自然と親しめる公園があるなんて素晴らしい。それも地域住民によって整備・管理され、過ごし易い公園となっている。 先ず目に入るのが釣り人の姿。私も小学生の頃は釣り好きの伯父伯母に連れられて沼や湖、釣堀なんぞに連れて行かれたものだ。蚊取り線香の香りをぷ~~んと漂よわせ、日除けの傘の下で釣り糸を垂れている。いったい何が釣れるのであろう?目に入るのは巨大な鯉ばかりだが、盗み聞くとヘラブナを釣っている様である。お子様連れはザリガニ、川エビ、小魚なぞを池の脇を流れる小さな川で網を振る。 【花言葉】清純な心スイレン 【花言葉】清浄 スイレンこの時季、池の睡蓮が美しくハンゲショウの白さも涼しさを感じる。 【花言葉】内に秘めた情熱ハンゲショウ カルガモきょうだい カルガモ一家が気持ちよく泳ぎ回り、亀が水面から顔を出す。口ばしが真っ赤で口先黄色が目立つバンなる黒い鳥もいる。 亀とバン 鯉にパン屑を与える近隣のお方。立て札には『鳩』に餌を与えない様にとの看板が見られるも鯉のおこぼれが来ることを期待した輩が様子を伺っていたりする。またそのおこぼれをムクドリやスズメらが草むらの中から探し当て食す。そんな光景をボケ~っと見ていた。 おこぼれ待ち 公園奥の、水際に一番近いベンチに座ると池全体が大よそ眺められる。バックから日傘を出す。本日曇り空でも昼を過ぎるとチラホラ出てくる日差しもキツいスズメの水浴びする姿がやたら羨ましい。微妙に人間慣れもしているのか私の目前1m程しか離れていない水辺で平気で戯れる。スズメを見るとちょいと涙する。息子が拾ってきた子スズメが、手乗りスズメになるまでに成長し慣れて可愛くて可愛くて。なのに、ちょっとした不手際で死なせてしまった思い出がある。 時刻は2時になろうかという時間。ベンチで日傘を差したまま転寝するのもいささか疲れる。私が見ている間に釣れた魚は1匹だった気がするし、今日はアタリが悪そうだ。そろそろ白楽駅まで戻っておこう・・・それでも試験が終わるまでにはまだまだ。マックは相変わらず混んでるし、高台に上ってみる。横浜はどうしてこうも坂が多いのだろう?長男達が暮らしていた二俣川も坂だらけだったなぁ もし、試験の出来具合で気分が落ち込んでなかったら横浜の温泉場にでも泊まって疲れを取ってから帰ろうか、なんて話も出ていたのだけれど、どのような出来だったのか想像するのが怖い。恐る恐る電話したのは5時も回ったあたりだった。
2017年07月02日
9時前に長男と別れ、はていかがしたものか?と、悩む。司法試験会場となった神奈川大学横浜キャンパスは横浜市神奈川区六角橋にある。横浜駅から東急東横線で三駅目の白楽で下車した辺りなので横浜まで戻ればいくらでも暇つぶしの場所はあるだろうがどう~も人ごみが苦手な私はお町に行くのを拒んでしまう。日曜日なら尚更遠慮したい。この辺りには面白いものはないのだろうか?観光気分では来ていないので下調べもしていない。いつもの習性で手近かな所で済まそうと、とりあえずは花の写真でも撮りながら白楽の駅を目指して進むが早速、来た道すら分からなくなる・・・もう迷子かい(道すがら、道ではなく花ばかりに目をやっていた・・・ 迷子になった原因はそれかもしれん) 【花言葉】信頼 (フクシア)そういえば、一昨年神奈川大学で司法書士試験を受験し終えた長男が、大学を出た坂の濡れたマンホールの蓋の上で滑って転び、同じ会場をアトにしていたと思われる親爺に「大丈夫?!そんなにショックだったんかい?」と同情丸出しの顔をされ、駅に帰れずちょこっと迷子になったという話を思い出す。この日、「駅に行くにも迷子、人生にも迷子」とぼやいていた長男だった。 【花言葉】信じあう心 (ルリトウワタ)とりあえず・・・高台に見える神奈川大学の建物とは反対方向に歩けば駅はあるはずだから慌てることはないだろうとぷらぷら歩く 【花言葉】変わらぬ信頼 (ヒメフウロソウ)普段から仏はあっても神はイマイチの私(困った時だけ仏様に神様をプラスして頼み事をする傾向アリ)「もしぶらぶらして神社仏閣でもあったら神頼みしておくよ」「俺は神じゃなく自分を信じてるけどね~」なんて長男と言ってたら・・・ 【花言葉】忍耐(マツバボタン)公園かと思いきや神社にあたった・・・それも裏から鳥居をくぐったのは帰りしな。とりあえず、神頼み 杉山大神 「合格させてやって下さい」なんて高望みするほどお賽銭も入れなかったので「長男に有利な問題が出題されます様に 応援だけしてやって下さい」 六角橋商店街で、2時間程歩き回って六角橋商店街に辿り着く。朝からむんむん暑い本日、マックや喫茶店はないものかと見れば六角橋のマックは道路まではみ出した列ができている。 六角橋商店街 直射日光を浴びなくてもすみそうな商店街の仲見世を歩いてみる。昭和の匂いがぷんぷんする。 六角橋商店街歩いている途中で休めそうな公園を見つけたので 最近食べたかった肉屋が販売するコロッケを2個とオリジンでおにぎりとお茶を購入し、食す。 肉屋のコロッケサクサクでホクッとして素材の味があって美味いけどソースなしだとナンだかもの足りない。(あ~ぁ、藤岡のコロッケならソースが無くても美味いのになぁ)なんて公園のベンチで独りぼやく。だいぶ、実家にも帰っていない。両親亡き後は、妹が子供3人と実家を守ってくれている。(電話一年くらいかけてないかもなぁ・・・実家には5年は帰ってないかもなぁ)それにしても試験終了時間まであと5時間以上もある・・・白楽の駅前で横浜駅に行こうかどうしようか悩むのだった。 白楽駅
2017年07月02日
年に一度の司法書士試験が明日に迫る。去年は東京の早稲田大学の会場を選び、今年もそのつもりで願書を出すのを<会場待ち>していた長男であったけれど年々減少を続ける司法書士試験受験者は、今年も引き続き減少傾向にあり、出願者数が昨年度よりも1,529人減という。で、最終申し込み受験者の会場となっていた早稲田大学はとうとう試験会場ではなくなってしまい、長男としては<早稲田でなければ東京まで行く意味が無い>と、いうことで仕方なく選んだのが。。。神奈川大学横浜キャンパスだった。とりあえず神奈川県民なんだからハナから近い横浜で受験すればいい話なのだろうが、高校時代からお付き合いしていた彼女が通っていた大学だったこともあり、過去のあれやこれやが思い起こされたりもするらしくなんとなぁ~く拒否したい場所だった様だ。神奈川大学横浜キャンパスは、横浜市神奈川区六角橋に存在する。司法書士試験の集合時間が9時ということで日曜日とはいえお山から向かうのもけっこう大変なので土曜の本日横浜に宿泊することにした。勿論、私も毎年恒例、金魚の〇〇の如く長男と同行することに。いい年こいた男が母親同伴~?!なんてお笑いになる方々もおいでだろうが年に一度しか行われないこの試験、テストの結果次第では長男がどんな行動を取るかとやや心配になってしまうのだけれど、そんな虚弱な精神の持ち主でないのは理解している。ホントの理由は長男の試験に託けてたまには有給休暇とって私がココじゃないどこかに行ってみたいと思っただけの話・・・かなだからって横浜までやって来て、昼時に長男と行き着くトコは・・・ラーメン屋だったりするもっといくらでも美味で、ラーメンじゃない何かが食べられる場所があるはずなのに故川島なお美さんが「血がワインでできてる」とか語ってた様に長男は「俺の血はラーメンスープでできてるんだ」なんて最近言う。わかった、わかった試験の前日だから好きなもの食べて下さいな。それがキミの英気になるのなら毎週食べてるラーメンを横浜に来てまでも食べたって、母はおつき合い致しますって 煮干中華そば 790円 長~~いメンマと手打ち麺、生姜トッピングで何故か葱じゃなくミツバに濃ゆい煮干ダシ 維新商店昼にラーメンを食してから早々に横浜駅よりジョイナス地下街徒歩5分のコチラのホテルにチェックイン ホテル横浜キャメロットジャパン 夜勤明けで一睡もしていなかった私と、前日5時間睡眠しかできなかった長男は昼間からホテルのベッドで爆睡・・・気がついたらショッピングすらできない時間になっていたのだった
2017年07月01日
長男の早稲田大学での国家試験が終了するまでのあと3時間程、都電に揺られつつ、路線図を眺めれば雑司ヶ谷が目に留まる・・・ そうだ霊園、行こう(JR東海のキャンペーン風に~)何年か前に流行っていた言葉に墓マイラー(歴史上の人物や著名人の墓におもむきお参りする人のこと)なんていうのがあった。私は墓マイラーではないが、墓地に行くのは嫌いではない。だっていつか自分が行くべき場所だ。(しかし、私は墓は要らない派だったりする)都会の墓地には誰かしら有名な御方の墓地がある。死後どんな場所に住まわれているのか、単なる好奇心だけでの通りすがりで行くのみだ。(しかし、ちゃんと手を合わせてご挨拶はする。当然)雑司ヶ谷の駅を降りれば霊園は目の前にある。 雑司ヶ谷霊園 青山霊園・谷中霊園・多摩霊園・染井霊園・ナド等雑司ヶ谷霊園もそうだけど、都内には大きな霊園がいくつもある。以前谷中霊園を訪ねたこともあった。 有名人、著名人の墓地が案内板にしっかり記されていたりする。 しかしねぇ、涼しさを求めて墓地に来るなら昼よりは夜だろうと、内心思いつつ。本日の暑さと、ヒールのある靴では区画整理されこれだけの有名人が揃ってはいても探し歩くのは厄介、億劫というものだ。で、駅から手っ取り早く一番近くて直ぐ発見できたのはこのお方の墓だった。 小泉八雲の墓 私は小学生の頃から怪談話が大好きで、四谷怪談・番町皿屋敷・牡丹灯篭とか雑誌やテレビで見聞きした怖い話を友達5~6人集めては階段に座り込んでさも怖そうに語ってあげるのを楽しんでいた。夏休みともなれば日本テレビの『あなたの知らない世界』とか夢中だった。中学・高校と進んでもやっぱり死後の世界やら怖い話はやめられない止まらない。そんな折、出逢ったのが小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の本だった。ろくろ首、雪女、むじな(のっぺらぼう)だの幼い頃から知り得た話は小泉八雲の集めた世界から現れたものだったのか~とか改めて知った。思わず、手を合わせて『破られた約束』、『幽霊滝の伝説』なんて記憶に残る物語を思い出してみる。お墓にふらっと来たら10代の頃の仲良しに偶然逢ったくらいの喜びがあった。 泉鏡花の墓お名前は存じ上げております、『高野聖』が代表作なのも、拝読してはいないけど・・・ 大川橋蔵の墓水曜夜8時フジテレビで放映された連続テレビ時代劇『銭形平次』は大好きだった。物心ついたときから祖母と一緒に見ていた。寛永通宝が無いから、5円玉投げて遊んだりしたし、妹と風呂に入って舟木一夫 の『銭形平次』を歌うとか初恋の男性がちょいとばかり大川橋蔵に似てたりした。やはり墓に参るのは夏ではなく秋が良いわな、季節的には。いつまでも夏場の墓に居ると、汗や体温、二酸化炭素に反応して蚊がやって来るのだ。おかげで3ヶ所刺されてエラく不機嫌になっていた。何やら生き物の気配も感じたので辺りを見ればハシブトガラスが墓石の上から「何しに来たんだ、俺ッチのショバに来るなら供物くらい持って来いや」とでも言いたげにガンをとばしてきた。我が住む山のカラスよりナリが大きいのでちょいとビビる。 結局、このお三方だけの墓に参ったのみでさっさと都電乗り場に戻る。まだ2時間ある・・・どうしたかって?実は早稲田に戻ってはみたものの、せっかくの一日券だし、外はまだまだ暑いし、電車の中は冷房きいてるし、ひと気もそれほど無いから静かだし、もう1往復してみようかと思い立ち、三ノ輪橋行きに再び乗り込んだのだった。ところが、ところが、このあと何処にも下車することなくほぼ昼寝状態。気持ち良く暑さしのいでバク睡してしまったのである。気がつけば、長男の試験が終わる時間待ち合わせの時間にギリギリセーフで間に合ったのだった。これにて時間潰しの早稲田界隈~荒川線終了御粗末!
2016年07月07日
長男が早稲田大学で国家試験受験のまっ最中、暇つぶしに乗り込んだ荒川線の路面電車で終点三ノ輪橋まで来たものの見知らぬ土地に来て、無計画だから何処行きゃいいかわかんないし、外は暑いし、とりあえず車内からは出なきゃだし、なので渋々おもてに出る。やっぱ 「暑!!」あとでニュースを聞けば『東京は今年初の猛暑日』だったそうで半ば嫌々歩き出しふと見れば我が田舎を思い出す様な板塀に松山容子さんのボンカレーとか(子供の頃時代劇大好きで『めくらのお市』見てたなぁ・・・)崑ちゃんが嬉しくても美味しくても眼鏡を落としてるオロナミンCのホーロー看板が昭和の匂いをプンプン漂わせている。 涼を求めてこれまた昭和くさいパン屋の脇を入るとこれまた昭和くさいケーキ屋?喫茶店?【シャルロット】の店名。それよりも何よりも目に入ったのがセロテープでガラスに貼り付けた『6月4日よりケーキを全品¥200で販売します』の文字値段までレトロ価格だったりする。 値段に誘われて200円ケーキがどんなお味なのか食してみたくなり、店内に入ると人の良さそうな初老のご店主らしき人物が接客に現れる。家に持って帰れるものならサバラン・プリンアラモード・モンブランも食してみたかったところだけれど、何故か気取ってフランボワーズとホットレモンティーのみ注文。暑い日に冷たい飲み物をがぶ飲みできないオバサンなのである。 長年営んでいる年季を感じる店内昼時のランチタイム時、店主が独りハリキって店内を動き回る。客層に若者の姿は無く、ご近所のオジサン、オバサンぽい姿が2~3組。昭和生まれのお客限定かいな?とか思いつつ含み笑いしている自分。 ナッツが入った生地に甘さも控え目の生クリームに鮮度の良いベリー3種と鮮やかな赤のベリーソース200円でいいの?ってくらいなかなか普通に美味いフランボワーズだ 紅茶に添えられたレモンの分厚いのを見て再び笑いが込み上げた 20~30分このあとどうしたものかと考えていると馴染みの客と店主の会話が聞こえてきた。「いやぁ~外はもの凄く暑いよ、俺ぁこれから浅草まで行かなきゃなんだ」「歩いて行くなんて大変だよ、熱中症に気をつけないとさ」(そっかぁ、浅草まで近いんだ・・・歩いて行けるなんて。ちょいとスカイツリーまで行ってみてもいいかな)とか思いつく。 一息ついてこの店の表に出てみる。こんな看板最近見ないなぁとか思いつつ、日傘を広げてスカイツリーの見え隠れする方向に数百メートル歩いてみるもさっきのお客の話じゃないが「歩いて浅草まで」なんてオバサンの日干しが出来上がるってもんで。足は元来た三ノ輪橋の都電乗り場に向っている。画像には残さなかったが、三ノ輪橋を下車した所は下町を楽しむには絶好な場所のようで、レトロ感満載な場所が多く、【ジョイフル三ノ輪】なんて商店街もある。こちらも数百メートル歩いたのだが、どうも何処かで見た覚えのある商店街に思えた。(あ~、昔好きで見ていた『3年B組金八先生』に出てきた商店街に似てるんだ、荒川区だしなぁ~)なんて思っていたら実際調べてみれば、ロケ地だったらしく当時は【三の輪銀座商店街】と名付けられていたものが【ジョイフル三ノ輪】と今時名前?!に改名された様だ。東京の喧騒さが苦手で人ごみ嫌いの私には楽しめそうな場所かもしれない。機会があったらまた訪れてみたい。 てな塩梅でそそくさと都電に乗り込む。やっと12時も過ぎたトコ。長男の試験が終わるのが午後4時だというから。げ~~~まだ3時間以上もあるなんて、暇つぶしも楽じゃない。せめて涼しさ求めて次なる場所に行ったのは・・・ <涼しさ求めて雑司ヶ谷霊園>につづく
2016年07月06日
ふと思いついたそういえば、早稲田からちんちん電車に乗れたんだっけ♪今時の人ならスマホなんてものを頼りに都電乗り場なんて見つけて貰えるのだろうが、アナログな私は未だに文庫版の東京地図をバックにしのばせている。人前で見るのは少々恥ずかしくもあるが気にしない、気にしない。大隈講堂脇の道から新目白通りに出て左に折れ200m程歩くと都電早稲田停留場がある。 運賃は一回の乗車で大人170円(12歳・中学生以上)・子供90円早稲田(始発)から乗車してドコで降りても(飯田橋=終点)170円だなんてすごい太っ腹だこと我が山のバスなんて始発から終点の駅まで荒川線の4倍近くかかるっていうのに荒川線ご利用のお人は幸せだなぁ~とか思ったり。 東京都交通局早稲田自動車営業所入口入って左奥が窓口すぐ近くにある交通局で都電1日券を販売している。大人一日乗り降り自由で400円・子供200円こんなお得な乗り物、他所ではなかなかないんじゃないだろうか 都電一日乗車券スクラッチになってて、窓口の人が削ってくれる前から乗って料金を運賃箱へ入れる。降りる場合はボタンを押して、後ろから降りる、バスと同じ様だ。 現在、都電で運行されているのは三ノ輪橋~早稲田間を走る荒川線のみ(都内を走る路面電車は都電荒川線と東急世田谷線のみただし世田谷線は全線が新設軌道で併用軌道はない)昭和18年(1943年)の最盛期には41系統の都電が走り、一日平均193万人が利用したという。あの都電が東京の中を縦横に走っていたとは信じられない(とりあえず生まれていなかったもんね~)で、荒川線が現存できた理由というのが◎路線の大部分が専用軌道(専用軌道部10・5km、併用軌道部1・7km)◎代替バスを運行できる道路がない◎沿線住民等の強い存続要望があったからなんだそうだ 新宿区の早稲田停留場から荒川区の三ノ輪橋停留場までを結ぶ全長12・2kmの路面電車。最高速度40km/h 停留場数は30早稲田~三ノ輪橋間を日中概ね56分かけて運行 さて、問題はどこまで行くかだなぁ・・・せっかくなのでとりあえず終点の三ノ輪橋まで景色を眺めながら行ってみることにした。昼間は運転間隔が6~7分と短い間隔のせいかあまり待つことなく乗車できる。土日はともかく平日はこの1両だけの車両はどのくらい混雑するものだろう?乗り込む人は我が住む山の中に来てくれるバス並みの人数しかいない。いくら休みでも都内に居る気がしない・・・平和だッ(人混み嫌い) 出発の際、このベルがチンチンと小気味よく車内に響く(ちんちん電車の名前の由来はこの音から来るのだと思っていたぞ) 線路を走る電車と同じ気分で乗っているとちょいと驚くのは赤信号で停車してみたり、軌道なのに目前に自動車が走っていたりすることで。路面電車と鉄道との違いがけっこう面白かったりする。折り返し設備の都合(早稲田や三ノ輪橋)、各停留所のホームの長さ、そこここに存在する急カーブなど等荒川線の車両が何故1両のみなのかもそんなお決まり事からきているのだね。 さて、30年以上も昔の話だが、実家のある群馬で自動車免許を取得する為に勉強していた頃、こんな道路標識が気になっていた。線路をまたいで?!走行する車の絵が描かれた標識・・・群馬県民には「なんじゃこりゃ、なんだんべぇ?」だ。群馬には鉄道はあっても路面電車なんて存在しない。神奈川に嫁いで鎌倉に出かけることができて路面電車(江ノ電)の存在を知るに至り実際この標識に出逢えるのは都内のこの辺りなのだろうか。軌道敷内通行可・・・路面電車の前を車が走行中~五十路過ぎのオバサンが子供みたいに前のめりで前方の景色を見ているのも滑稽なものがあるかもしれないとか思いつつも好奇心が自然と前のめりにさせるもので、車内から見えるスカイツリーに食いつく様にシャッターを押す 対向する路面電車も多種多色あるのでお子様は喜ぶに違いない。一日券を使えば乗換えて車内の違いだって見て回れたり。いや~、電車好きでもないくろすけオバサンでも想像しただけで楽しめそう♪《荒川車庫前》で下車すれば、それこそ路面電車天国って感じだろうか 荒川車庫前~三ノ輪橋までの沿線には、約140種類13000株のバラが植樹されているそうで、夏場の今でもそれなりではあるけれど春・秋のバラの季節には路面電車からのお花見が楽しめるそうだ。 はてさて、いい塩梅に涼みながら終点三ノ輪橋まで来てしまった。外はサンサンと日干しになりそうな日差しと暑さが待っている。せっかくなのでとりあえず下車して、ふとみれば昭和生まれをくすぐるレトロな雰囲気が漂う三ノ輪橋だった。ちょっと寄ってこかってトコで・・・終点下車 【レトロ探せばいくつでも?!三ノ輪橋は昭和の町?】へ続く
2016年07月05日
てなことで、久々に東京見物といっても無計画でくっついて来たので行きたいトコが思い当らない。だいいち、息子が受験の最中だというのに母がウキウキ東京ウォッチングなんてなんだか申し訳ない気がして、かといって神頼みは好きじゃないんだな。せいぜいやっても仏頼みだけど・・・で、早稲田界隈うろうろしていると右手に見えてきたのがあの!! ドラード和世陀 一瞬、白亜の豪邸?!お菓子のビル?!側で見れば驚愕、感動、不気味さまで感じる以前早稲田を訪問した時に発見した建築物だ。こんな凝った建築物を見ようと思ってもなかなか見ることができない。これが1983年築であり、日照雨風にさらされ、排ガスやら浴びて、人通りがあるこんな交差点の一角で変わらぬ状態をもち続けているのにも驚きだ。 ドラード和世陀装飾された壁は色どり豊かなタイルがはめ込まれ、人体のモチーフは1階各所に存在する。バルコニーにオブジェの様な金属装飾もありドコをとっても手を抜かない芸術でいっぱいのマンション ドラード和世陀 このマンションを建築・設計したのは『日本のガウディ』とも呼ばれる梵寿綱(ぼんじゅこう)氏梵 寿綱(ぼん じゅこう)本名、田中 俊郎(たなか としろう)【1934年~ 】日本の建築家、芸術家東京都浅草出身。早稲田大学理工学部 建築学科卒業後、シカゴ美術館附属美術大学で学ぶ。1974年6月より梵寿綱を名乗り 「梵寿綱と仲間たち」を呼ばれる20人程の芸術家・工芸家・職人・同志達と職人集団を結成。 このマンション6階建てで3階に梵氏5、6階は大家さんその他の階は賃貸マンションと知ってさらに驚く。内装はどれほどのものかと思いきや普通っぽい。住むとしたら、色々成約がありそうにも思える「布団や洗濯物は外干し禁止」とか・・・ちなみに1階はテナントでアンティークショップ・アートショップ・ギャラリー等経営されている方は梵氏の大ファンなんだそうだ。 オートロック完備らしいが玄関口はフリーの様だったので不法侵入者みたいだけど、念願だったこともありマンションの中をちょいと覗かせて頂く。入り口を入ると薄暗い、見たいものはありそうなのによく見えない曲がりくねった通路奥から住人でも出てきたら嫌だなぁ~とかちょいとビクビク・・・ ステンドグラスの扉・・・この向こうには何があるのやら 通路の奥は光が射して巨大な右手とご対面もしかして座れる?とか考えてしまった。【多摩美術大学名誉教授・竹田光幸氏が若かりしころに創作した大きな手の彫刻】という情報有り ドラード和世陀天井から下がる林檎?さくらんぼ?ワイングラス?風鈴にはならないよなぁ。想像するのは楽しいものだ。通路が明るかったらもっと美術鑑賞できるのに~とか思いつつさてはて・・・何処で何していよう~午後4時までの試験が終わるまで今年初の猛暑日に涼みながらの早稲田界隈<都電荒川線の巻>に続く
2016年07月04日
今年は長男、早稲田大学にて国家試験受験。早稲田に来たのはは5~6年ぶりだろうか。早稲田大学の象徴である大隈講堂も大隈重信像も相変わらずで、キャンパスは老若男女ダレもカレも自由に出入りできる(夜間や入試期間中等は除く)大学に縁のない無教養なオバサンでもキャンパス内を見学できるなんてちょいと嬉しかったりする。 「大隈先生、どうか愚息を応援してやって下さい」などと心で手を合わせてみる。 認知症ケア専門士認定試験も早稲田大学で行われていた。認知症ケア専門士とは、一般社団法人日本認知症ケア学会が主催する民間資格で認知症ケア専門士認定試験とは「認知症ケアに対する優れた学識と高度の技能、および倫理観を備えた専門技術士を養成し、わが国における認知症ケア技術の向上ならびに保健・福祉に貢献することを目的」とする資格だとか・・・自らすすんで認知症の他所人をケアするなんてお方は神様かお釈迦様かマザー・テレサではなかろうか。15年以上前の話になるが、我が家では舅が認知症だった。舅の母親もやっぱり認知症で嫁に世話になっていたし、他に舅の兄弟妹(6人)の中のにも認知症になった者がいるという。遺伝性もあるのだろうか?姑はそんな舅の兄弟妹への自負心もあってか他人に任せたくないとかで舅は在宅介護だった。専業主婦だった私が月~金曜日、会社経営していた姑は土日担当。舅の認知症は日増しに進行しある時は、家を抜け出して他所の家から干してある靴や玄関先に置いた寿司桶を持って来たり、またある時は自分の家に帰宅できず、他所の庭先に侵入し警察に通報され保護。そんな認知症じゃなければ犯罪者扱いになることをする。大人しく家に居ると思えば、ポータブルトイレから出した汚物を部屋中にペインティングしたりとか・・・認知症の症状が最悪になってくると、気持ちまで最悪になり、最悪なことを考えてしまう。四六時中舅を面倒見るのに疲労困憊していた私は当時舅と一緒に逝ってしまおうとも考えたことがあった。そんなとき助けてくれたのは認知症をよく知る女性だった。相談にのってくれ、あくまで在宅介護を言い張る姑に舅を入院させるよう諭してくれたのも彼女。あの時ほど救われたことはない・・・『認知症ケア専門士』でそんな昔をちょいと思い出す。 長男の受験中、さて私は何をしていれば良いだろう・・・そもそも30過ぎの息子と一緒に受験会場まで来る母親は如何なものかと世間一般の皆々様は思うでありましょう。それもわざわざ有給休暇を取ってまで来てしまうなんてねぇいやいや、我が息子はいつだって(誰だって)合格する気で受験に挑んでいるワケで。司法の世界を目指しているくらいだからメンタル面は強い男ではあるのだけれどそれでも試験後の落込んだ姿を想像すると、(もしかして受験後家に帰宅しないんじゃないだろうか)(『受からなかったら(精神的に)死ぬかもしれない』なんて言ってたから もしかしたらホントに死ぬ気になったら困るな)なんて母心に悪寒が走ったこともあってとりあえず電話口で心配するよりは一緒に行っちゃえばいいんじゃない♪とか、思いつつ「折角だから久しぶりに東京見物もしたいし~、一緒に行けば財布の心配ないでしょ♪ 前日に早稲田の近くに泊まっていれば遅刻も心配ないし ホテルだってシモンズのふかふかベッドに寝られるし~」とか、人参もチラつかせて子離れできない母親だって言われても、基本いつまでだって母親は子離れなんてできるワケないんだから、母親なら子供の心配するのが当然ということでいいんじゃないだろうか。 <ドラード和世陀の巻に続く~>
2016年07月03日
夜勤を終えて本日は長男と共に都会に出向かねばならない。睡眠ナシでは田舎ものの半世紀人間には都会の重圧はかなり堪える。で、出かけたのはひと寝入りしての夕飯時・・・電車に乗車前に恒例の回転寿司を食して行こうかと思いきやおいおい、駐車場にも入れずに道路に出待ちしている車まである。本日は一般常人達が休日の日で、いつも来る自分の平日休日ではなかった。世間の土日休みはこんなに人で溢れるものなんだと久しぶりに驚いた。仕方なくロッテリアで好物の海老バーガーとチーズバーガーとバナナシェーキを食した。にもかかわらず、電車に揺られて約1時間後にはラーメン屋の前に居る。「やっぱりハンバーガーはおやつだよねぇ~」(親子には昔よりカロリー高いワリに腹持ちが悪いのがハンバーガーだ) 俺の空 閉店は22時。間際の21時半だというのに並ぶ客に続く親子。こちら、ラーメン通には超有名なラーメン店カウンター席12席の小さなお店。都内なら珍しくもない大きさか。長男が学生時代よく通った店でもある。 とろみのある濃ゆい魚介系豚骨スープにノビることないしっかりした極細麺。なんたって珍しかったのはほぐしたほろほろやわらかチャーシューとスープに見え隠れする玉ねぎの粗みじんがオモシロい。 掛け豚そば ラーメン激戦区と言われる地で10年以上も人気店でいられる凄い店の美味いラーメンが食べられるなんて食いしん坊の私にはありがたい 掛け豚そば ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★5~6年前になるだろうか山手線の恵比寿駅でホームドアを初めて見て「なんですか??コレ」となった。今では珍しくもない、利用者の安全を図り人身事故を防止するためのホームドアだ。滅多やたらと電車にも乗車することもなく、東京へは何年ぶりかなもので珍しモン好きなくせにモノ知らずでお恥ずかしい。ホームドアの設置は山手線の駅全29駅ほぼ完了となる話。上手い具合に電車がよく停車できるものだと感心するも、電車が丁度良くホームドアの前に停車する為の停止位置支援装置なるものが取り付けられ、自動で止まるのでほとんど誤差は無いらしい。今や山手線だけの話ではないホームドア・・・こんなトコでも時代に遅れている自分を見つけてしまう 山手線 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★久しぶりに都内、それも新宿に宿泊を決めた。新大久保辺りは長男が学生時代彼女と同棲していた場所でもあるが今、あらためて歩いてみて外国に居る様な気になるくらい外人ばかりにすれ違う。予定時間を30分過ぎてチェックインしたのは思いの外良いホテルだった。駅の近辺は微妙に不穏さを感じていたが、路地を曲がれば徒歩5分で閑静で銀杏の並木道に車通りも少ない。以前、新宿の駅近くのホテルに宿泊した際は朝に晩に真下にパトカーが賑やかだったりして、「眠らない街らしいなぁ~」なんて思いもしたが、同じ新宿でもこんな静かな場所もあるのだな。 新宿サンパークホテル けっこう広い部屋にシモンズの寝心地抜群広々ベット長男お喜びの窓際の長いデスクだしアメニティグッズも豊富で、女性ものは別に頂けてやはりリニューアルしたこともあるから清々して気持ち良い。 新宿サンパークホテル車で来る宿泊客には事前予約で駐車場無料(最大10台)なんてある。翌朝、外を見ればビジネスホテルと呼ぶのは違うんじゃない?!ってくらいの庭が真下に見える! 新宿サンパークホテルまた、来年も来ることになったらお世話になりたいホテルだった♪ 新宿サンパークホテル
2016年07月02日
午後梅雨空の下、長男につき合って横浜まで来てみた。高く伸びた建物から下界を眺めるのはなかなか面白いもので、ついつい高いビルに入ると窓を探して眺めてしまう。田舎育ちで高所恐怖症気味でエレベーター嫌いだったのにいつの間にやら不思議なもので慣れていた。 長男の用事は1時間もあれば済んでしまった。で、朝食抜きでやってきたので、腹ごしらえする為横浜ビブレにある【洋麺屋五右衛門】に入ってみる。お箸で食べるスパゲッティーの草分けで、1976年独自の創作パスタを生み出すお店として渋谷に誕生。日本人が美味しいと感じるために、フォークではなく、お箸で食べるスタイルスパゲッティーはたっぷりのお湯で泳ぐように茹であげられる、大きな五右衛門釜を採用盛り付け皿は、五右衛門オリジナルで作る有田焼、提供はお盆。本場イタリアの食材を使っているが、イタリア料理ではない、日本生まれの日本のスパゲッティー、それが五右衛門(HPより抜粋)長男オススメで以前、元カノと食したことがあるそ~だ。スパゲティーが来る前にオボン・お箸と共にやって来るのが細角切りの豆腐と三つ葉が入った透明綺麗なスープ 空腹の長男が「美味い♪土瓶蒸しの汁の様だ」と、言うおかわり自由ならめちゃくちゃ嬉しいであろうこのスープ確かに「どんぶりで頂けたらいいなぁ」と、思った私最近の我が家では絶対に立ち寄らなくなったイタリアンなお店。親子揃って大好物のスパゲティーなのだけれど、元群馬県民の私としてはイタリアンなお店ではセットメニューで低価格で腹一杯が当たり前だった記憶もあり、都会にはお腹が膨れるほど食べさせてくれるお店がなかなか無い。因みにある日の我が家の一人前のスパゲティーはコンナ・・・ 大盛りミートソーススパゲティーお店と同じ様な大皿でも麺の量はお店の1・5倍~2倍はある我が家のスパゲティー 外食で頂くものは創意工夫があってありきたりなスパゲティーではなかったりするのが素晴らしい♪なかなか家庭では考え付かない素材やら味付けがあったりするので新鮮で勉強にもなる。たまにお邪魔するのも悪くないもので。長男曰く、「ココは和風スパゲティーがウリだから和風なのを食べてみたら♪」と、言うのでこの日私が頂いたのは、 たらこと釡揚げしらすと湯葉の京風だし仕立て 具材はしらす・たらこ・海老・海苔なんてのはありきたりだったりするけれど面白いのは湯葉をのせてみたり、それに京風だしに風味・香り付けされたパスタ。一番はゆかり(赤紫蘇)の存在かな。大葉(青紫蘇)はよくあるけれど、なかなか赤紫蘇まで使ったのは見た事が無い。長男は《本からすみと釡揚げしらすのペペロンチーノ》 たっぷりのねぎと青唐辛子の和風ペペロンチーノ。我が家では絶対に口にすることの無い《からすみ》に興味を持ってチョイス。「からすみって何の卵だっけ?」「何十年も前に食べた事あるけど味も正体も覚えてな~い」ボラなどの卵巣を塩漬けし、塩抜き後天日干しで乾燥させたもの さて、イタリアンだけでは満腹感がやって来ない親子は引き続き胃袋を満悦させる為に街外れにやって来たのが、長男が以前から「横浜に来たら是非食べてみてくれ」とのオススメのというよりは「お試し」のラーメン店。 裏街角に・・・ 中華そば 維新商店 中華そば 維新商店 横浜では名店の【麺屋維新】が目黒へ移転後、できたのが【中華そば 維新商店】との話。神奈川に住む様になってから家系ラーメンばかり食べていた様な気がするけれどこの年令になってからというもの豚骨の脂を多く摂取すると食した後にアイスクリームとか欲しくなり、限って頂いた後にトイレに駆け込む事が度々あった。最近は、神奈川淡麗系ラーメンと称されるラーメンが広がりをみせる。ラーメンに詳しいワケじゃないので説明するのは無理だけれど味わい深いアッサリ系ラーメンの事なのかな~と推察する。やっぱり、年令や好みを言えば家系より淡麗系だ。ラーメンを食した後にアイスが食べたくなっても淡麗系ならトイレに呼ばれることは無い♪と、いう事でこのお店は神奈川淡麗系ラーメンが頂ける。 カワイイやかん メニュー 中華そば ラーメン濃い醤油味にちょいと多めの背脂に生姜がけっこう効いたこのラーメン。麺は自家製の縮れた中太麺がお好みで美味大盛り無料♪ってのが横浜のくせに太っ腹!(パスタを頂いたけど勿論、大盛り食す親子)シナチクは丼直径3分の1の長さはある愉快~ 最近、行きつけのラーメン店ばかりなのでたまに違った店のラーメンも良いものだ。店内はレトロな感じのポスターとか貼ってあり、中華そば屋って雰囲気がある厚木の【麺や食堂】のそれにちょい似てたりする。 で、やっぱデザート♪駅構内にあったゴディバでショコリキサーオーダーを受けてからつくる、深い味わいの贅沢なチョコレートドリンク。御殿場のアウトレットに行って、友人は食しても「高いッ!」って食べた事もなかったショコリキサー今回、生まれて初めて食べてみた。「ヤッパ、お高いんだから美味しくなきゃ~」期間限定モノに弱い親子。 ショコリキサーホワイトチョコレート ダブルストロベリー 販売期間:2015年6月18日~2015年7月末頃(なくなり次第終了)価格 590円(税込)ホワイトチョコレートに、爽やかなドライストロベリーとやさしい甘みのストロベリーソース、小さく砕いたホワイトチョコレートの食感も楽しめる ショコリキサー ホワイトチョコレート バナナ販売期間:2015年5月21日~2015年9月30日価格 590円(税込)ホワイトチョコレートのやさしい甘みとフルーティーなバナナの味わい。バナナの上品な甘味とほのかな酸味が、ホワイトチョコレートに溶け合う
2015年07月08日
● ● ● ● ● ● ●15日の続き ● ● ● ● ● ● ● ●大船観音を出て川沿いの通りを15分程歩くと県立フラワーセンター大船植物園に辿り着きますが近道の案内に沿って裏道で行くと、仕上げに歩道橋の階段が待ち構えていたので、やはり表通りで来れば良かったと運動不足のオバサンはちょっぴり後悔でした今年は春から花の投稿サイトみんなの花図鑑にハマってしまい前にも益して花の写真を撮るのに必死になって写真の腕は上がらないでも、花の名前を覚えるいい機会ができました♪ 県立フラワーセンター大船植物園入口園内に入ってすぐの案内板には今の時期の見頃の花の案内などあり、さてドコから行こうかと迷いますが、この季節、やっぱり確実に花に逢える温室に足が向くわけで・・・案内板 温室には熱帯・亜熱帯の植物、約1300種が通年楽しめるよう植栽展示されているそうです。ドーナツ型の温室でらん室・ハイビスカス室・すいれん室など6室と中央にはオーストラリア園があります。 観 賞 温 室 入 口(ブーゲンビレア・スペクタビリス【サンデリアーナ】) (スイレン室) (スイレン【ミセスM.E.ランディング】)時季であれば、今日見た以上に咲いているのだろうなぁと思うとやっぱり春~秋に来たくなります。それでも私がこの日撮影した花の写真は100種以上はあってカメラが電源切れになっちゃう程・・・(オーストラリア園)温室に囲まれた中央に位置するオーストラリア園。数種類のユーカリやあまり見かけない枝葉が見られました。咲いている花は3~4種だったかなぁ。 (ハケア セリケア【ピンクフォーム】)その中でも目を引いた、ハケア・セリケア葉なんだけど5~6cmの長さの見るからにトゲ。硬くて極太の針の様、現地では垣根にもするというから防犯用でしょ~?!と思っちゃう。花には香りがあるっていうけど寄ったら鼻に刺さりそう同じ仲間の枝には風変わりな実がいくつも実ってました。カマキリの卵の様な、うずらの卵の様な・・・ハケアセリケアの実 落ち葉の中で季節はずれもいいとこの山百合とカサブランカが咲いているので思わず驚きの笑いがこみあげてしまいました。業界では当たり前の様ですが、冷凍球根を夏植えしたもので、花屋の切花も同じ栽培法なんだとか。チョイと勉強になりました冷凍球根からの開花園内には種類別の花壇が豊富で、芍薬・花菖蒲・つつじ、石楠花・牡丹サルスベリ・椿・梅・竹等があり今の時季、バラ園の花をまだ見る事ができました。原種、オールドローズ、四季咲きのモダンローズ、つるばら等約1200株、350品種を系統ごとの特性を生かしつつ景観を重視した立体的な植栽をしているそうです。見応えのある素敵なバラ園でした♪(バラ【パットオースチン】)園内をほぼ見て回った気でいましたが、桜を見ていなかったので、出口辺りで管理人の女性に冬に咲く桜は何処にあるのか伺うと、なんと出口とほぼ正反対の突き当り筋肉痛が始まっていたのだけれど頑張って戻ってみたのでした。この時季、園内で見れるのは ヒマラヤ桜・子福桜・三波川の冬桜の3種子福桜は八重の小さな花で垣根と進入禁止に挟まれて近くでの撮影は難しく、ヒマラヤ桜は見損ないました唯一画像が残せたのは冬桜。フユザクラ(コバザクラ) 咲き始めてから1ヶ月程咲き花吹雪になって散ることはあまり無く寒気と共に花びらがしぼみ、結実もしないそうです。我が故郷、群馬県藤岡市鬼石町で有名な冬桜はこの花なんですね~♪上毛かるたが再び登場致します。【三波石とともに名高い冬桜】と詠われとりますが、20年間住んでいたのに1度も見に出かけたことがありません。いつか行ってみたいものです。さてはて、朝も早よから歩き回って3時過ぎ。寒空にもなってきたので帰ります。明日(12月16日)は息子2人と中華街で食べ放題なので息子達が住む横浜に向いました。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●歩き回る事1万7200歩あまり。横浜から相鉄線に乗り換えて息子らのアパートへ。足腰悲鳴を上げて、お腹もソコソコ空いておりましたら次男特製カレーが出て参りました。食器が品不足で丼カレー中には桜海老の粉とガラムマサラが入って桜海老の香ばしい香りとヒリヒリの辛さがありました。息子の手料理は嬉しいものです♪
2013年12月17日
● ● ● ● ● ● ●15日の続き ● ● ● ● ● ● ● ●大船の町を眺めつつ、急勾配の坂を上がるとじきに見えてくる山門。入り口で参拝料300円をお支払い。山門を右に折れて行くと大船観音の由来を説明する看板が左にございます。かいつまんで申し上げれば・・・観音信仰によって国民の平安と国家の安寧祈願の為、昭和4年に地元有志が大船観音建立に着手。昭和9年、観音像の輪郭まで完成するも日中戦争・太平洋戦争による資金・資材の不足から未完のまま放置。戦後、昭和32年。放置されていた観音像を完成させようと、財団法人大船観音協会が設立、工事が再開。昭和35年、ついに完成。大船観音は観音寺という寺の境内にありますが、寺ができたのは像ができて後の昭和56年の事。大船観音協会が大船観音寺に改名したとあります。観音製作を着手してから出来上がるまで30年以上長いドラマがあったのだわねぇ~どうでもいい話ですが私と観音様は1歳違いだったりするんですね~ヌホホホ大船観音像由来 で、で!その先の階段上に現れたのは大船観音の巨顔。青空に映えた白きそのお肌は益々美しく際立って遠くで見ていた時より格段に迫力を感じます。 「で、デカイ!!」おもわず声を出して呟いちゃう。子供の頃見たヒーローものなんぞに登場する巨大生物(怪獣)を彷彿させるような大きさ階段正面から徐々に一歩又一歩と自分が近づいていくドキドキ感がたまりません~!! 見れば見る程、福与かで優しいお顔でいらっしゃる。胸像である故にこんな近くで拝顔することが可能であるのだからありがたいことでございます。 その大きさ全長25.39m、重量1,915tこれが坐像や立像であったならと考えると・・・もし立像なら50m前後にはなったのでしょうか?ウルトラ兄弟並みっていうことかしら・・・それはそれで違った感動があったかもしれません~!何故、全身像でなく胸像なのか?一番知りたいところだったのですが、頼りの大船観音寺のサイトがみあたらず過去にそのサイトに訪れたブロガーさんの情報によるともともとは立像にしようとしていたけれど、地盤の関係で坐像へ検討されつつも周囲との調和を考えて胸像になったと、あります。 観音様の胎内に背後から入ることができます。 中には観音像の雛形が安置されているほか、観音像完成までの経緯がわかる写真展示室等 (観音像の雛形本尊)中でも目をみはったのは、手のひらで握れてしまう小さな小さな木彫りの千体仏でしょうか。手作りが大好きなのでついつい見てしまいます。どれも素人が彫った仏様には見えないくらい上手でかつ、お顔には個性があるんです。小さな小さな観音様の姿も見えます。千体仏太平洋戦争被災者、原爆被害者の供養と平和の願いを込め戦後50年目から始められた千体仏こちらは木彫家:植草等雲氏が始められた活動で大船観音寺で毎月材料費のみの無料講習が行われ2体製作し、1体奉納されるそうです。胎内を出て右の小路を抜けるとある慈光堂は正月三箇日のみ開帳されるというご本尊があるようです。平安後期(藤原時代)の一木造の聖観音立像だとか。慈光堂敷地内には原爆慰霊碑と共に原爆投下の地にあった被爆石や瓦等が奉られています。慰霊碑驚いたのは被爆45周年に、福岡県星野村役場前の平和の塔から分火されたという原爆の火灯篭の中で消えることなく揺らめいています。この火は福岡県星野村出身の山本達雄氏が、原爆投下後の広島の叔父宅でくすぶっていた残り火を自宅に持ち帰り護り続け、後に星野村役場に移されたものだとか。原爆の火 大船の町を見下ろす大船観音。桜の季節にもう1度訪れてもいいかなぁ~これから次の目的地に向います♪鐘楼 大船観音絵馬
2013年12月16日
自分の誕生日の前後は決まって自分へのプレゼントに行ってみたい場所に小旅行するのが常になっているココ数年。ビジネスホテルに宿泊して時季が時期だけに大好きなイルミネーション見物と東京散策が抱き合わせだったのだけど、今年は何故か気分が乗らず昔から気になっていたあの場所に行ってみようと決めたのでございます。 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●今回、生まれて初めて利用する2つの鉄道JR相模線海老名駅から茅ヶ崎駅へJR東海道線茅ヶ崎駅から大船へ向います。向う途中ちょいと気になった相模線の車両に付いていたもので、噂には聞いていたけれど手押しの開閉ボタン我が故郷、群馬を走る電車も昔は手動式のドアがあったので人が自らドアを開閉するのはオドロキではなかったけれど、我が住む県内にあるとは思いもしなかったので意外ではあったのね。線路に単線があったりする場合は待ち時間が長いのでドアが開いたままでは寒冷地の冬は車内が冷えるし手動開閉ボタンがあるとそれは経済的かつありがたいものですよね~ ローカルな相模線ならまだしも、この開閉ボタンちょいとビックリなのは東海道線にもあった事。こんな利用者の多い路線でも必要なのか?と疑問符が出たけど東海道線では通常、始発駅では最大10分以上ドアが開いたままで乗客から夏冬、暑いの寒いのと苦情が多数。で、JR東日本は、車内の冷暖房効果を保つため、東海道線などの始発駅で乗客が自らボタンを押してドアの開け閉めを行う方式を今年の8月19日から導入したんだそうですよ。つい最近の事だったのね~ 大 船 駅 で、40~50分程で到着したのは鎌倉市にあります大船駅我が家がバブリーだった時代、ひと夏を過ごそうと、自宅から逗子マリーナのリゾートなマンションへ向う為、よくこの駅の前を車で通って行ったものでございます。その行き帰りどうしたって目に留まるのが小高い山の間からぬうぅぅ~と現れ出た様なそのお姿初めて見た時には「えっ!えっ?何?!何?!」とその大きさと半身だけ見えている意外な姿に驚きと興味がのけ反り出たりするワケで。その存在は大船駅沿線を利用する人は当然、神奈川県民なら知ってて欲しいなんて思う白く神々しい観音様なのであります。(大船駅からの大船観音)「大船の観音様には下半身が無いのよ」なんて、姑に言われた時にはナンだか奇妙で仕方なかった私。だって、我が故郷群馬県には有名な高崎白衣大観音(通称=高崎観音)が存在するのですが観音像は高さ41.8mの立像で白き御御足も存在して群馬県民のバイブルとも言える上毛かるたにも【白衣観音慈悲の御手】と読まれ、巻き物らしきものを持つ美しい手も存在します。(国道17号線より望む高崎観音)以前、日帰り旅行で目にした千葉県富津市に存在する東京湾観音は、高さ56mのやはり立像で、伯母と母で伊豆一周の旅をした時、遭遇したうさみ大観音は坐像でございました。 手足の無い観音様とはどんなものであろうかと、気にはなりつつ、そんなこんな言いつつも、私当人は観音様の目前をスルーしてばかりで一度たりとも正面きってお逢いした事がありません。都市伝説らしき話で、「大船観音の下半身は山の中に埋まっている」なんてのもネット上にはあったりして、是非近くでお逢いしてみたいと20代の頃から思っていたけど機会のないまま約30年・・・長かったなぁ 大 船 観 音 で、ちょいと興味が出て日本には巨大観音像と呼ばれるのはどういったものがあるのだろうなんて思って検索してみると・・・(こんな道草しているからブログ更新がススマナイのよね~)◎小豆島大観音(しあわせ観音)◎仙台大観音◎北海道大観音◎加賀大観音 ◎救世慈母大観音(久留米慈母観音)◎会津慈母大観音 大にせよ小にせよ、観音様には立像、坐像とある中で何故、大船の観音様は手も足も無い胸像の様なお姿なのか?なんともミステリアスな観音様にも思えますはてさて、この急勾配・・・運動不足にはチョイと応えるけど気分はウキウキで上っていく私でありました。 ● ● ● ● ● ● ●後半へ続く ● ● ● ● ● ● ●
2013年12月15日
昼はひどい混雑で人ごみを分けてじゃないと歩けなかった横浜大飯店までの道筋も、夕方にはだいぶ空いてきていました。横浜中華街(画像の時間は食後6時半頃)横浜大飯店での食べ放題はオーダー式時間無制限で約100種類の中国四大料理(四川・上海・広東・北京)が楽しめます。料金は2,480円とリーズナブルなお値段・・・だったのに!!12月1日から500円も値上げして2,980円になっちゃうんですって~ショック!500円安で食べられるのは今月いっぱい!カウントダウン始まってます~!!横浜大飯店 先ず食べたいものをチェックして最初にテーブルを一杯にした方が食べ放題の醍醐味かと思う私。目の前にご馳走がたくさんあると見ているだけでお腹が一杯になっちゃうなんて人もいるけれど私は逆。「ご馳走っていうのはね、食べきれないくらいあるのがご馳走なのよ!」と、在りし日の姑も申しておりました。テーブルに並べきれないくらいのご馳走は見ているだけでも幸せいっぱいです フカヒレ餃子 数週間前にも彼氏とココに来たMさんですがMさんが大好きで食べたかったゴマ団子と炒飯は彼氏に、「最初からそんなの頼んだらお腹一杯になって他のが食べられなくなるよ」と、言われて後で頼むつもりでいたらお腹一杯で食べられなくなっしまったそうです。私なら最初に頼んじゃうのにな~♪酒飲みでもないんだからご飯モノはあってもいいし、デザートなんて主食を食べながらだって甘いの塩辛いの交互にだって食べれちゃうもの北京ダック前菜・スープ・一品料理・点心・麺、御飯・デザート1品頼むと内容はほぼ二人前でくるそうですがそれほど大量に盛り付けてはいないのでモリモリ食べれちゃいます♪今回頼んだのはココにあるものの他に海老のマヨネーズ炒め・麻婆茄子帆立と茄子の牡蠣油炒め・海老蒸し餃子・揚げ春巻き・チンジャオ等々 水餃子 食べ初めてしばらくするとMさんの様子がおかしい。「ワッフル食べてお腹が膨れちゃったんじゃないの?」「う~ん・・・お手洗いに行って来る」と言って通うこと3~4回。どうもお腹の調子が悪いらしいのです。結局この後Mさんは腹八分にもならないで食べるのを止めてしまい、前回食べ損なった炒飯とゴマ団子は再び食べることができませんでした。実にお気の毒なお話・・・タラバガニ辛味入り甘酢あんかけ イカの青じそ炒め エビチリデザートも中国カステラ・杏仁プリン・愛玉ゼリー・杏仁ソフトゴマ団子やあんまん等温かなデザート等20種類程あって甘党には嬉しい限り♪あったかなお茶も5種類から選べるし~お茶好きのオバサンにはありがたい♪ デザート♪ はてさて、2時間程食べまくっていましたでしょうか。お店を出てみなとみらいまで電車移動します。途中・・・まだ美味しそうなの?!に目がいきます。いやいや、お腹いっぱいなのだけど食品サンプルを見るのが好きな私としてはこの美味しそうな作品に溜息です。シュウマイの串刺し♪ 五目そば クリスマスツリーみたいな伊勢海老ツリー?!伊勢海老ツリー
2013年11月17日
久しぶりに職場の仲良し同僚Mさんに誘われてオバサン3人で横浜の中華食べ放題にやって参りました♪以前食べに来たのは一昨年のこと。あの時懲りた酔っ払い派遣女性ではなく、今回は、この夏同じ部所に入った派遣女性Sさん彼女は同い年・美容師経験者・子持ちバツイチ・元夫はO型とMさんと境遇が四拍子お揃いだったこともあり、強度の人見知りで無愛想なMさんがそれを知ってから仲良くなるのは急速でありました。私とSさんは、夜勤仕事が終わってから一睡もしないでの横浜なのでけっこうキツイ~それでも食い気は眠気に勝る?!と思いつつ心躍らせる中華食べ放題なのであります♪先ずは中華街にある横浜大飯店で予約。4時~4時20分に再来店するように言われます。この時の時間は約1時過ぎだったから・・・約3時間待ちデス。食べ放題メニュー ガラスケースのサンプルを横目に流れ出そうなヨダレをのみ込みます。お腹が空きすぎてもよろしくないであろうとMさんが旅雑誌で見つけた外人墓地の近くにあるお店で軽く食べようということになりました。生麦事件犠牲者墓地 1862年に起きた生麦事件の犠牲者のお墓を左に坂を上がって貝殻坂に入ります。この辺りは日本のキリスト教信者の墓地もあり、滅多に十字のお墓を目にする事がないのでチョイと珍しくマジマジみてしまいます。「日本人のお墓は享年なのに、 キリスト教は誕生日を入れるのね~」なんて当たり前の話でも驚嘆するオバサン連。貝殻坂 1854年日米和親条約(神奈川条約)締結の為に横浜港に寄港していたペリーからマスト上から誤って転落死したアメリカ海軍の水平の為海の見えるところに墓地を設置して欲しいという意向を受け増徳院の境内の一部に設置されたことに由来するという(Wikipediaより抜粋)横浜外国人墓地なので、歴史にちょっとは興味のある私は覗いてみたいトコロ。普段は非公開《毎年3月末から12月末まで毎週土・日・祭日(雨天を除く)》らしくこの日はちょうど外国人墓地の維持管理の為の募金に協力した人のみ入れる日でした。外国人墓地維持管理のための募金 「お金を払ってまでお墓なんて見たくないなぁ~」なんてご意見がきっと出るメンバーでしょうから今回は諦めて、お腹優先になりました。道を挟んで、外国人墓地入り口のほぼ正面にあるザ・ベスト・チーズケークス カフェ 山手店ザ・ベスト・チーズケークス カフェ 山手店 ワッフルとチーズケーキの専門店でも、Mさん達が食べたかったのは、何故か某旅行雑誌に載っていたキャラメルバナナパフェ(とかなんとか)だったのに、何故かメニューに無い。「雑誌が古いんじゃないの~?!いつ発売されたの?」「え~?!昨日買ったばっかだよ。今年の3月発売」仕方なく店員サンに聞くと「あ、それはもう終わりました(キッパリ)」期間限定品だったのでしょうか?そのパフェを期待していたMさんは「旅行雑誌の会社にアトで文句言ってやる!」なんて言ってましたけどねぇ~仕方なく頼んだのがココのウリのひとつワッフル。バナナキャラメルのワッフル チョコバナナワッフル ベリーと生クリームのワッフルそれぞれ上にのる物が違うだけでど~ってものではないのですが、ワッフル自体はサクサクの焼きたてだしお腹も空いているからそれなりに美味しかったな♪しかし、このワッフルがMさんをアトで窮地に陥れる事になるとは思いもしなかったこの時でした。横浜外人墓地より残り時間1時間程、アメリカ山を経由して中華街へ戻ります~♪アメリカ山より見るベイブリッジ 後半へ続く
2013年11月16日
カステラ工房を出発し、やって参りましたのが南房総市富浦町IC目の前にある「食べて、笑って、お買い物!」をコンセプトに、南房総ならではの“食・買笑・遊”を提供する敷地総面積7,500坪を誇る複合型観光施設。食事施設、ミニシアター、土産屋、イチゴ狩り、屋外イベントスペースなどがある、南房総 道楽園到着したのはお腹もかなり空いてる午後1時半食べ放題の会場となりましたのが~「えっ?!か、回転寿司なの!!」と、思わせておいて、ココに隣接いたします団体専用の食事処【海女小屋】普通は“海鮮浜焼き”と“寿司”が食べ放題で楽しめると、HPにはあります。このバスツアーの企画テーマは『伊勢海老・ズワイガニ・10種握り寿司食べ放題』で、手始めとばかりに目前に並べられていたのは・・・配膳された分を全部食べたら自由に食べ放題が可能になるという食べ放題なのにノルマがあるちょいと驚きのお決まり付きでございます。食べ終われば会場中央にある伊勢海老とズワイガニは好きなだけ食べていいし、お寿司はウニ・イクラ・鮪・白身魚2種・イカ・海老・サーモン・玉子・いなり10種の中から好きなもの3種を注文表に〇つけて店員サンに渡すというしくみで、問題は『好き嫌いがある人はどうしたらいいの?』Mさんはウニが苦手で食べれない、私は基本ココにあるものだと食べるのはイカと鮪だけ小学校時代の給食じゃないんだから好き嫌いをしないで食べなきゃダメなんて、おかしな話じゃありませんこと?そこはなんとか我慢食いと最後は店員サンに我慢の限界を訴えてクリア。60分の食べ放題はこうして始まりました。ズワイガニも伊勢海老も山盛り置いてあるけれど私の今回の目的は伊勢海老!大きな伊勢海老が出てくるなんてツアーの価格が7,990円だから大それた事は思わなかったけれど、こ~んな小さな伊勢海老を食べるなんて自分が大それた事をしちゃっているんじゃない?!とか思ったりはするワケです。そもそもガタイは良いけど食べるトコが少ないのが伊勢海老だったりするんだもの。ワンハンドサイズの伊勢海老の身は隣りの鮨ネタ程「願わくば養殖場にでも放しといて もう少し大きくなったら食べさせて欲しいわ」「伊勢海老じゃなくて伊勢海老風の海老だったり?!」「せめて伊勢海老らしい触覚?ヒゲ? 気を利かせて切ったんでしょうけど 最初の1匹目くらいは残しておいて欲しかったなぁ~」Mさんとイチャモンを言い出したらキリが無いズワイガニはそれなりに美味しいけど自力で食べやすく加工しなきゃだし時間がかかるしこれまたやっとの思いで身だけにしても量が少ない。食べ始めたら無口になる難点もあるし私はノルマの半身だけ食べたらひたすら伊勢海老を食べまくるのでありました。トゲトゲ付きの頭をはずして、腹には切り込みが入っているので両サイドに開き、身を出して3匹ずつ頂きます。好みを言えば寿司にのった海老の方が味は良かったわ。それでも伊勢海老の食べ放題が今回の私の目的だからね!初心貫徹、食べた伊勢海老は13匹たぶんこのツアー客の中じゃ私より食べた人いないわよ。お寿司はネタが大きいのと同時にシャリもデカイ!!普通ひと口で食べれるでしょ?よく行く回転寿司の倍はあるんじゃないかしら?!これはお店の悪意?それともサービス?!とにもかくにもお腹は一杯。欲を言わせて貰うならお味噌汁の一杯くらい欲しかった~で、最後に我が住む県では殆んど見ることのないお土産画像でございます驚きの伊勢海老アイス!伊勢海老っていったら、三重県て思うけど千葉県の伊勢海老漁獲高の方が多いそうで日本一変わった魚がないかなぁと思ったら白い貝を発見。サバさんが揚げ青魚を捌いた上に味付けの味噌・日本酒とネギ・シソ・ショウガなどを乗せ、包丁で粘り気が出るまで細かく叩いたものがなめろうその南房総の郷土料理なめろうを焼いたものをさんがあるいはさんが焼きと呼ぶそうですがそのさんがを揚げたものですね鯨の肉は小学校以来口にしていません。鯨肉のベーコンは時々見かけますが、鯨肉を焼いて弁当に入ったのは初めて見ました。緑豆の春雨より栄養ありそうな色の芽カブの春雨どんな出汁が出るのやら?小鯛の煮干千葉県は全国的にも長崎県に次ぐびわの産地びわを使ったお菓子がたくさん♪帰りの道すがら遥かお山の上に立つ巨大像を発見!東京湾を一望できる南房総国定公園(大坪山)に建つ高さ56mの東京湾観音実家の群馬には高崎白衣大観音(41.8m)があるけどそれよか大きいし、存在すら知らなかったのでビックリ!海ほたるには寄ったものの、外は風が強いし時間が無いので風の塔を写して即退去最初見たとき『烏帽子岩?!』とか思ったのは私だけではないでしょ?
2013年04月17日
先月の日帰りバスツアーが楽しかったので今度は旅行会社が企画するツアーに申し込んでみようということでMさんと決めたのがY旅行が企画した『伊勢海老・ズワイガニ10種類握り寿司食べ放題 新緑の養老渓谷と粟又の滝』我がブログの中では言わずと知れた海老好きの私がこんな旅行の企画を見て心弾まないワケがない!食べ放題という言葉に誘われ大型バスで高速に乗って川崎市と木更津市を結ぶ東京湾アクアラインを通り、千葉は南房総の大多喜町を目指します。なにせアクアラインを通るのは初めての私。千葉には何度か行ったことはあるけれどアクアラインが出来る前の事。長~いアクアトンネルは川崎側から9.6km海の底にある水底トンネル。もしものことがあったらどうなるのかと色々想像するわけで。トンネルの下に避難通路があると言われてもやっぱりビビったりしちゃうものですが快適にトンネルを通り抜けるとソコに待つのはアクアラインの中間に位置する海ほたると呼ばれる東京湾に浮かぶパーキングエリアでございます。しっかし!バスツアーで厄介なのは見たいものを見たいだけ見る事ができない寄りたいところには、寄り道できないという少々欲求不満になるお約束があるのが困るのですね~海ほたるはトイレ休憩に15分寄っただけあとは帰路の途中で寄りますとのお預けを頂き、 引き続き木更津側の4.4kmアクアブリッジと呼ばれる橋を渡ります。その上を通行中、目に止まったのがこのたくさんの棒海苔の養殖かなぁ~千葉に入ると車窓から目に入ってくるのは山と田植え真っ最中の田んぼばかり都会に住む人はこんな田園風景とか新緑に魅了されるのだろうなぁ・・・いやぁ、私は毎日見てますからねぇバスが通るには狭そうな道をズンズン、ズンズン反対方向からはローカルなバスが来たりして。朝8時半に町田を出発し、最初の目的地に着いたのは11時近く保土ヶ谷バイパスが混んでいたのを理由に旅行会社の日程表はあっても無い様なものになり一番最後に見る滝が一番最初になってしまったのだわ 粟又の滝(養老の滝) 高滝は養老川上流の大多喜町粟又にあり、地名から通称「粟又の滝」、河川名から「養老の滝」と呼ばれ、通称である粟又の滝という名称のほうが広く知られている。養老渓谷を代表する名所であり、千葉県随一の名瀑落差約30m、幅約30m、延長約100mで流れは地面を穏やかになめる様に流れる。(Wikipediaより抜粋)ツアー客は中年層から年配の方が多いのに皆さんお元気。けっこうキツイ坂と階段を歩き辿り着いておりました。滝の横に小道があるので、滝の上から下までを見ることが出来ますこういった場所はハイキングの途中で出逢うとかなり感動するもので、ひと昔前、山登りが趣味だった頃はほんの小さな滝に遭遇しても感激はひとしおだった気がします。こちらの滝は流れが緩やかに見えて滝の下流は綺麗に整備もされてます。夏の水遊びには良い場所そう~♪滝の途中に岩島ができていて、流れが直に落ちてこないのがまた面白い滝かなぁって思いました。秋には紅葉も素晴らしいそうですよバスに戻ると再び田んぼと山とダムの間を抜けやって来たのは~ カステラ工房 ルアーシェイアはてさて、バスツアーにこういった食品の工場や工房は付き物なのか?!この前もあったけど、今回はカステラの工房私は職人さんの働く姿を見るのが好きなのだけどたまたまなのか、ガラスの向こうには誰もおらずちょいとガッカリ・・・カステラの種類も豊富で蜂蜜・抹茶・ココア・黒糖・大納言・紅茶アーモンド珈琲・落花生・イチゴマーブル・マーブルチョコと、試食もたくさんあってついつい食べ放題を前にして試食を食べ放題してしまいそうになる・・・お茶まで出してくれるものだからついつい全部味見そもそも何故千葉まで来てカステラを買わなきゃなのか?!千葉県は全国でも有数の鶏卵大国で飼養、出荷数共に全国トップクラスなんだとかその中でも農林水産大臣賞を受賞した養鶏場の卵を使ってのカステラというお話中には金の延棒みたいな箱に入った、千葉産蜂蜜、房総飼育の名古屋コーチンの卵国産最上級小麦粉でできた金箔入りカステラなんてのもあったりお次はツアーで一番待ちに待った食べ放題につづく
2013年04月16日
修善寺総合会館にバスを駐車して虎渓橋まで歩いて10分程、約40人の移動、1時間の修禅寺自由散策ですがもうこの移動もその時間に含まれているみたいであと50分でバスに戻らなきゃいけません!独鈷の湯と修禅寺を見て、気になっていた竹林の小径へ向かう事に。桂川に架かる朱色の橋は渡月橋・虎渓橋・桂橋・楓橋・滝下橋と5本ありますがこの桂橋を渡る手前右方向に明治5年(1872)に創業した修善寺温泉の老舗旅館国の登録有形文化財にも指定されている新井旅館がチョコット見えます。3代目館主が文人墨客と親交が深かったところから著名人が訪れるようになり、泉 鏡花・尾崎 紅葉・芥川 龍之介・幸田 露伴横山 大観・速水 御舟・前田 青邨・川合 玉堂・高浜虚子など新井旅館で数多くの作品が生まれることになったそうで。日本人であったら一度は宿泊してみたい歴史溢れるお宿の様です桂橋を渡ってすぐにある300m程の竹林の小径行ってみれば何てこと無い竹林。されど美しく整地された竹林は清々として短い道の中過ぎにある大きな竹製ベンチに横になって青竹を眺めるのもなかなかよろしいもので。横でMさんが「竹の子食べた~い」そんな時季になってきたかな♪ 道すがら見つけたパン工房ひょうばん堂マスコミでも取り上げられたメロンパンや、温泉水で煉った温泉パンもありますが~ パン工房 ひょうばん堂ラスクの種類が豊富な事に驚いたのと修善寺産黒米や地場野菜・フルーツを使っているというのが魅力的で値段も250円というのもいいかなぁ♪黒米・トマト・抹茶・ガーリック・柚子・イチゴ・サクラ等悩むのよね~、単品じゃなくて混ざったのが欲しいなぁトマトはほのかな甘酸っぱさがあって美味しかったわ。竹林経由で目指すには遠回りだった様でボロボロの蔵のある坂道や民家に囲まれた細い道を通る羽目になって着いたのが~ 指 月 殿 指月殿は伊豆半島で最も古い鎌倉時代初期の木造建築物で、修禅寺に幽閉され暗殺された2代将軍源頼家の供養の為に源頼朝の妻、北条政子により建立開け放たれたままの3ヶ所のガラス戸の中を覗くとあまりにも古そうなお堂の中にあまりにも古そうな如来像と1対の仁王像があまりにも当たり前の様に置かれているのが不思議で。どこの神社仏閣に行っても大事そうに奥の方にあって守られてる、大事にされてる感があるのに何故か身近に置かれすぎている気がして驚きでした。本尊の釈迦如来坐像は鎌倉時代のもので203cmの寄木造り持ち物がないはずの如来像なのに右手に蓮の花を持っているのが特徴的。 源頼家の墓 頼朝と政子の間に生まれた最初の男子。実の母である政子よりも、乳母である比企一族と深く親しむ。頼朝の急逝を受け二代目将軍となるが、若年である頼家の独裁に不安を抱く幕府宿老により、裁決権を取り上げられ、遊興にふけるようになる。病により危篤に陥ったことで、後継を巡って比企氏と北条氏の対立が起こり、比企氏は滅ぼされ、後ろ盾を失い鎌倉を追われた頼家は修善寺で暗殺(ウィキペディアより抜粋)高校時代に大河ドラマの『草燃える』に夢中になって、原作の永井路子氏の本を読んだことを思い起してみたりして。そういえば頼家の役は郷ひろみ氏だったんだなぁ~修善寺温泉街では、毎年7月には頼家祭りがあるそうですよ♪さて、もう集合時間も迫っているというのにコンビニで【静岡限定永谷園おとなのふりかけ】を購入中。Mさんが「集合まであと5分しかない!!」まだまだ見たいトコも、お土産も欲しかったのに修善寺散策は1時間なんかじゃ足んないって~焦ってバスまで行ったワリには、自分たちよりも10分以上遅く来た人もいたりしておまけにバスの中でドライフルーツの車内販売なんて始めちゃうんだから苦笑いは止まらないわで、このアト50分程走って沼津物産センター味工房でショッピングタイム20分帰って来ると座席の上に袋に入った金目鯛の干物がひとり1枚ずつ置かれているの。心ばかりのお土産ね。車内で金目鯛を見てMさん一言「何コレ金魚じゃない?!」確かにMさんの席にあった金目は私のより3cm以上は小さかったなぁ・・・
2013年03月22日
(19日よりの引き続き記事デス)伊豆フルーツパークから続いてやってきたのは修善寺です!修善寺総合会館にバスを駐車して虎渓橋まで歩き、解散。1時間限定の修善寺散策の始まりです~団体行動なんて高校以来だから、この歳になって列つくるなんて・・・なんだか笑っちゃう2004年(平成16)10月、台風22号の豪雨によって大きな浸水被害を受け泥水に塗れた姿の修善寺。そんな中、母と伯母と3人で伊豆一周の旅を企画、実行中に来た時以来です。修善寺温泉街に押し寄せた濁流の被害は営業を休止せざるを得ない現実をつくり、観光名所たる場所に酷い爪跡が残されていました。あの時はまさかそんな事になっているとは思いもしないで観光気分で訪れていたのが申し訳なかったのを覚えています 独鈷の湯 空海(弘法大師)が修善寺を訪れたとき、手に持った独鈷杵で川中の岩を打ち砕き、霊泉を噴出させ、温泉が疾病に効くことを説いたという伝承が残り、それからこの地方に湯治療養が広まり、修善寺温泉が始まったとされる修善寺温泉のシンボルでもある独鈷の湯ココも見るも無残に跡形も無く濁流に流され酷い有様であったのに、あれから9年近く・・・河川整備されると共に修善寺は見事復活していました!あの時の記憶を振り返ると感動です 入浴は禁止だけれど足湯は良いらしい・・・Mさんは興味が無い様だし、入るかどうか悩んだけど散策を進行する方を選んだ私。 修 禅 寺 修禅寺は修善寺という地名のもととなったお寺さんです。807年、空海の創建と伝えられ当初は真言宗、次に臨済宗に改宗その後、韮山城主の北条早雲によって曹洞宗の寺として再興される。源頼朝の弟範頼や2代将軍源頼家に縁のある寺2004年(平成16)3月から老朽化及び過去の地震でゆがんだ本堂と大屋根の修復を行い、2006年(平成18)3月に終えたというお話でそういえば、あの日の修禅寺は周りにシートがかけられていて台風の被害のせいだとばかり思っていたけれど修復中でもあったんですねぇ 修復されたという屋根にはアクロバティックな狛犬が~!!修禅寺の水屋は温泉が出ております。お清めは冬でも冷たくない♪悲しいことに私はお試ししてません・・・いつもの後悔 強面の達磨さん・・・ 神社仏閣で見る事がある百度石今時お百度参りなんてする人はいるのかなぁ?と興味深く見たのは珍しいかな、右の屋根付きの百度石『吾妻鏡』などの記述から、鎌倉時代初期には百度参りがあったなんてウィキペディアにはあったので、源氏に縁深いこの修禅寺でもそんな頃からお百度踏んでいた人物がいたのかも~なんて勝手に想像してもみるのでございます 枝垂桜が境内に色を添え始めていました 引き続き竹林の小径と指月殿へ~
2013年03月21日
(19日よりの引き続き記事デス)東名高速を走ること約90分新東名高速長泉沼津ICから伊豆縦貫自動車道に入り三島塚原ICを下りて約8分静岡県三島市にある伊豆フルーツパークに到着です♪ 伊豆フルーツパークこちらは今年の1月19日にオープンしたばかり!館内にはレストラン・お土産売り場・チーズケーキ工房えびせんべい工場があります。1月~5月がイチゴ狩り、6月~9月がメロン狩り、10月~12月がミカン狩りと季節に応じたフルーツ狩りを楽しむことができる様です。驚いた事にこの一角にあるのは殆んどひと口サイズの海老せんべいばかりそれもカレー・ガーリック・ワサビ・マヨネーズ等色々な味があって試食で満足してしまった私左側にいかの姿焼きをするプレス工房があり、柔らかタイプのイカの姿焼きも販売中~チョッと迷ったイカの姿焼きと巨大な富士山せんべいを買うかどうか。ソレよりも何よりもまずは昼食を済ませてイチゴ狩りが待ってます。 駿河湾産しらすづくし駿河湾産 しらす釜めし御膳(¥1,260)しらす釜めし・箱根うどん・しらす入りかき揚げ切り干し大根しらすまぶし・香の物・明太いわし団体客用の一番お安いメニューもうちょい工夫が欲しい感じだったなぁしらすのかき揚げは美味しかったけど、普通の御飯にしらす・ミツバ・カリカリ梅の刻んだのを混ぜるだけの味気ない御飯はいただけない。そのアト出汁をかけてひつまぶし風に食べるんだけど私もMさんもやらなかったわ。このアトのイチゴ狩りでイチゴが食べれなくなったら困るので、御飯は一杯に留めて・・・集合時間にはお姉さんがお迎えに。イチゴハウスまで案内してくれます。巨大なハウスが10棟以上もあって、このハウスの中に山ほどイチゴが生ってると思うとウキウキ気分は抑えられない感じ何しろ私は、生まれて初めてのイチゴ狩りまるでお子ちゃまよね~めちゃくちゃ広いハウスにあるイチゴは水耕栽培紅ほっぺ・章姫・ゆめのかの3種類を味わうことができるそうです。あれ・・・私は何食べたっけ?!スーパーで買うイチゴでは滅多に見ないビックサイズのイチゴに興奮です!小さいのには目もくれず、ひたすら大きなイチゴを食べる、食べる・・・たまに小さいのも。ヘタを数えて何個食べたか数えようと思ったけど20個数えたら面倒になって捨てちゃいました満足、満足今年最初で最後でいいと思うくらい食べた気がする。 イチゴの季節が終わる頃、ビニールハウスは徐々にメロンに移行されるそうでひとつのハウスをローテーションする様です。時期によって値段も変わるのですが上は¥1890~下は¥1260までツアーでは30分と限定でした。楽しかったなぁ~♪次は修善寺に向います
2013年03月20日
同僚Mさんが某飲食店の懸賞に応募してお一人様無料バス旅行の当選ハガキが届いたとかで同伴者は5,800円の支払いがあるけれど自分が半額払うから一緒に行かない?とかお誘いがかかったのは先月の事。で、本日は『旬のイチゴを食べ尽くそう!!イチゴ狩りと駿河湾しらすづくし!風光明媚な修善寺散策とビーナス見学の旅』なんて銘打ったバスツアーに生まれて初めて参加致しました。朝、7時50分裏駅に集合で出発して最初に向かったのが何故か駿河湾とは正反対の横浜総合卸センターの一角にある日本最大のジュエリーメーカーのアウトレットBe-NAS見学&ショッピングでツアーに組み込まれてはいたもののショッパナから~?!まさかコレが本命じゃないよね?日帰りのバスツアーなんて時間との勝負!いかに限られた時間内にそのイベントを楽しむかってのが肝心なんだと思うのよね。でも、ココでの所要時間がこのツアーの中で一番長い90分てのが笑えちゃうのだまぁ、とりあえずはハナからジュエリーなんて購入する気ないのでおかれた状況を楽しむことに致します ガラスケースに入った国内外で高評価を受けたという受賞作品が4~5箇所置かれたホール素晴らしい技法を凝らした作品はその細かさと美しさに目までキラキラしてきます。ビーズ手芸好きの私には興味深く素晴らしいからもっと見たかったのにサッサと自慢を語って場所の移動になったのが残念。目の保養は目薬を注すくらいの間だったわコレが所要時間10分で、次のインフォメーションルームで所要時間30分ここからは撮影禁止だっていうから画像は無しTVでお馴染みの有名人も愛用のオリジナルジュエリーの紹介とかジュエリー関連のクイズを出して正解者にはフェイスマスクプレゼントとかね。それと、装着部位の凝りや血行促進煮効果のあるスーパー炭素のネックレスの遠赤外線の効果実験高温で圧縮したスーパー炭素の板に載せた氷はガラス板や備長炭に載せた氷よりも数段早く溶けてこの溶けた水は粒子が細かいので美容に良いとかお肌にどうぞと勧められた奥様達がお肌にピトピトつけてたわ。Mさんとも言ってたけど「あの板欲しい~ アレ販売すればいいのにね~ 今使ってる冷凍品の解凍板より凄いもん」で、再び移動してショップギャラリーへジュエリーはガラスケースに入っていないので身につけ放題でお手頃価格でお求め頂けるなんてあったけれど、興味とジュエリーを買うお金(それでも数万~30万円ほど)に余裕の無い人間にはココでの所要時間50分は長い、長い。それでも中には購入するお客もいるのでバスの中で待つ羽目にもなり、延長時間もプラスされ待たせたお詫びとストラップを配布される。入場した際に配られたキャンディー2個で全1時間半以上はねぇ~どうやらネットで調べてみると飲食店等での懸賞で当選した無料招待券にはこのジュエリーメーカーの見学が含まれているというのがけっこう多い話みたいで、別に押し売りとか悪徳商法とか悪質なものではないのだろうけど懸賞で当てた人やその連れをバスに乗せて、それも毎日の様に数台は見学に来ている様子ナンとも頭を使った客引き商売を考えたなぁ~と半ば感心したのでありますで、この後やっと横浜から待ちに待った沼津方向に向かいます~♪
2013年03月19日
浅草寺の屋根瓦お久しぶり~の浅草寺考えたら2009年以来の浅草になるのかな。当時、浅草寺は屋根の葺き替え工事の真っ最中で。屋根の葺き替えが終わったのは2010年の12月久しぶりに見た浅草寺の屋根は総重量約930tの土瓦から1枚が100gの軽量チタン瓦に交換。約5分の1の180トンに軽減したというお話。そのおかげで大地震が起きたときの耐震性の強化とチタン瓦は1枚ずつ木の土台に釘で付けるので落下防止3色の瓦を使い、見た目に濃淡を出すことで、日本瓦独特の風合いと重厚感を出す事ができたそうだ。 雷門大提灯の裏雷門中央に提げられた大提灯の下部には「松下電器」と「松下幸之助」の名前があるがさらに裏に目をやるとこんな彫刻が施されている。人通りが多いので真裏撮影は難しい 浅草 もんじゃまん息子によく「もんじゃ焼きは美味い!!食べてみればいいのに」と、言われるけれど基本、食わず嫌いなので「あんな吐しゃ物みたいなもの食べられないなぁ~」とは言ったものの興味はある故に、もんじゃというのを目にしたのでつい買ってみた私。焼きそばまんとどう違うのか教えて欲しい・・・ 浅草寺の寒桜他の場所にもあるのかなぁ~?境内の中と二天門の脇にみつけましたよ。寒い時季に桜が見れるのは嬉しいもので アノ人に遭遇 雷門前でなにやら人だかり。「あ~ぁ!ウドさん♪」ミーハーはナンでも撮ります 山本そろばん店 スカイツリーの見える場所探しで見つけた、創業70年、東京で唯一のそろばん専門店5~139桁のそろばんまで、取り揃えるそろばんの種類は100種類以上!らしい珠算問題集やそろばん関連の書籍も販売とか 巨大モンチッチ モンチッチグ専門店 トイステラオ2号店あの刺青巨大キューピーは今は無くガッカリしていた時に、同じおもちゃ屋が経営する店に発見した人間サイズのモンチッチ 担い屋台知る人ぞ知る浅草に一台の担い屋台売るものは浅草焼きヨモギ餡の入ったドラ焼き皮の和菓子の様だ。ちょんまげ姿のお兄さんに偶然出逢えたらラッキーらしい 浅草神社の狛犬天保七丙年申三月(1836年)奉納された狛犬上の狛犬の寄進名は大工虎五郎とある。ひとりの大工がこんな立派な狛犬を寄進できるのが驚きなのだけれど、狛犬マニアの調査だと江戸にツキモノの毎度の火事で収入もよろしかったのではと、いう話 浅草神社ココにお祀りされているのが漁師の桧前浜成・竹成兄弟と僧の土師真中知の三者であることから呼ばれるようになったという三社権現社(浅草神社)、世に言う三社さまというのはココからきているのかと、今更知った私デス。将軍家光により、建立寄進された社殿は度重なる火災や戦争、関東大震災などの被害を免れ350年たった現在も健在であるのも素晴らしいのであります。 爆笑似顔絵総本店 こんな面白そうなお店ができたのね。似顔絵で会社までつくるなんて凄い!浅草だけじゃないのがもっと凄い! GTS観光アートプロジェクト 今年5月に開業した東京スカイツリーから浅草地域にかけての隅田川を挟む台東区と墨田区の両地域に、東京スカイツリーを眺めるビューポイントとなる環境アート作品を、3年間で計12作品設置これらを結んだラインを巡り、人々が地域の名所と共に観光できるよう、ふれあいの環境づくりを目指す(GTS観光アートプロジェクトHPより抜粋)東京芸術大学(G)と台東区(T)と墨田区(S)の三者共催のプロジェクトだんですって。コレは大理石とガラスを使った招き猫目と胸のレンズからスカイツリーを眺めるのもまた面白い。
2012年12月22日
宿泊したホテルから都営浅草線まで徒歩東日本橋駅から浅草まで約4分浅草にやって参りました。師走の恒例、17~19日に浅草寺境内で行われる浅草の風物詩羽子板市を見学にやって参りましたお天気はあいにくの曇天ちょこっと雨 浅草 雷門前子供の頃の正月遊びといったら妹とする羽つきが一番の楽しみでございました。 羽根についたあの黒い玉が羽子板にあたる度小気味良くはね返される、あの音にバトミントンとはひと味違う楽しさを感じたものですちなみに羽子板でつく羽根は、鳥の羽にムクロジという名の木の実を使って作られます。胡鬼子(こきのこ)と言い蚊を食べる蜻蛉に似せて作られています。羽子板は胡鬼板(こきいた)、羽根つきは胡鬼子勝負(こきのこしょうぶ)と呼ばれていたそうです。胡鬼は【異界の鬼】という意味で、羽根つきは遊びというより、新年の悪霊払いと一年間の吉凶を占うものだったとかフムフムなので以前は小正月の左義長(トンド)の行事に焼かれてしまう運命のお粗末なつくりだった羽子板それが羽根つきが次第に女子の遊びとして盛んになり、しだいに女子好みのきれいな絵柄が考案され、数え歌を歌いつつ遊ばれるようになったとか。元禄の頃になると、役者の似顔絵や美人画の押絵を施した装飾品としての羽子板が現れ日本橋や浅草の羽子板市が特に有名に小学校の頃、おもちゃなんて滅多に買ってもくれない倹約家の父がどこかの羽子板市で買ってきたのでしょうか?私には日本舞踊の演目か何かの木目込みと妹にはおかっぱ頭の稚児風の木目込み羽子板をプレゼントしてくれました。当時、値段も5千円と3千円なんて聞いた覚えがあるのになんと、なんと、わが姉妹はどう見たって飾り羽子板であろうそれを羽根つき用の遊び羽子板として使っていました。普通に正月になるとそれで羽根つきを楽しんでいたのです。「お姉ちゃんの羽子板重たいねぇ」「でも大きいから羽根を打つには得だよ」なんて言いつつ、思いつつ今考えるとなんて無知な勿体ない行為をしていたのであろうと、驚きと後悔を覚えます~ 人形の久月では毎年12月になると明るい話題を提供した人物を題材にした変わり羽子板を発表展示するようです。今年もあったみたいですね~私もちょいと探してみました。 只今上映中~とか 猫好きには気になるのも。来年の干支は巳年ということで、こんなのもアリ。 おまけにこれもカワイイ♪思ったより、時間も早かったせいか人もまばらで、これからっていう羽子板市でした。 いつもの後悔・・・羽子板買ってくれば良かったなぁ!って、飾り羽子板じゃなくて、遊び用の。500円~千円位で売ってたのよね。久しぶりに羽根つきやってみたかったわぁついでの話長男が、「向こうにデカイひよこがいるよ」というので行ってみると・・・愛媛のいまばりゆるきゃらバリィさん が。何やら撮影中。ゆるきゃらグランプリで1位だったらしいわね、オメデトちなみに我が故郷群馬のゆるきゃらぐんまちゃんは3位だったんですねぇ~、頑張ったねぇ♪ま~だ1泊2日の東京見物レポート続きます!(あ~長い、ブログにするより調べ物の方に夢中になって時間がかかるからねぇ~)ちょっと驚きの遭遇とランチで最後でございます~(おかげでクリスマスも終わって年末になっちゃうよ~)
2012年12月21日
六本木でイルミネーションを満喫した後、東京メトロ日比谷線、丸の内線と乗り継いでやってきたのが夜の東京駅偶然出口を間違えてライトアップされた東京駅とご対面昼、目黒を散策する前に私は既に迷子になりつつ東京駅のエキナカを歩き回っておまけに物凄い人ごみで何がドコにあるのかも理解できないまま改札を出たり入ったりホントはもう来たくない気もしていたのだけど息子が行ってみたいというのと、ライトアップも見たかったのでまたまたやって来てしまったワケで 夜の東京駅 1914年(大正3年)に創建された東京駅丸の内駅舎は辰野金吾により設計、1945年(昭和20年)戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失戦後、3階建ての駅舎を2階建て駅舎に復興する。2007年(平成19年)5月より鹿島・清水・鉄建建設共同企業体により駅舎を本来の姿に近い形態に復原する工事が開始。2012年(平成24年)10月に全面再開業5年半にも及んだ工事であった。 昼の東京駅昼も夜も東京駅は中も外も人ばかり こちらは皇室専用貴賓出入口の玄関口(車寄せ) 屋根の上のポットみたいな?コレって何でしょう??創建時の古写真と文献類の記述をもとに復原されたという東京駅の南北にある八角ドームの見上げ装飾にはクレマチス・鷲・秀吉の兜モチーフ・干支剣と鏡・鳳凰、動輪と矢束等のレリーフがあります。素晴らしく美しいのですが細かいところまでは天井が高すぎて見る事は不可能です。なので保存・復元工事を手がけた鹿島の竣工アルバムを拝見すると内装・外装・ホテルまで見学気分が味わえます!オススメですよさて、時は夕飯の刻。 ラーメンストリートラーメン好きの長男が寄ってみたかったのがココだったのか?!時間が時間だけに8軒あるお店のドコも長蛇の列。それでも並んでみようかと思ったお店が『蟹専門 けいすけ』の極上渡り蟹の味噌ラーメンだったの。でもね~、長男諦めて「こんなに並ばなくても他にも美味いラーメン屋はあるしな」だって、だいいち、私と別行動している時、新宿でラーメン食べて来てたんだもの、もういいでしょ 駅弁屋 祭じゃあ、全国の駅弁が150種類以上も取り揃えられていて店内2ヶ所の実演厨房で調理した出来立て人気弁当もある昼間来て見つけたものだから、長男に提案するも、ココ!!と案内したくても、方向音痴になって場所が分からない私。「チェッ~、懐かしい横川の釜飯もあったのになぁ」 ブルディガラ エクスプレス「そうそう、食べ歩くのに買ったパンがメチャ美味しかったの。 もう一回食べたいから寄ってこう!」と、店内に入ると欲しかったパンは売り切れ当たり前よね、もう夜の7時だもん。仕方がないので、大丸の食品売り場で弁当を買って足も腰もボロボロなので予約したホテルへ向う事に。場所は日本橋のアパホテル小伝馬町駅前店2011年12月新築オープンしたばかりで東京メトロ日比谷線「小伝馬町駅」1番出口より徒歩2分JR総武線快速「馬喰町駅」・都営新宿線「馬喰横山駅」都営浅草線「東日本橋駅」にも近いので東京散策するには便利、便利♪マルエツやコンビニも側にあるのでビールなんぞ買って部屋でお疲れ様~♪この日私が歩いた距離16km、約2万6600歩いくらと蟹が入った平島のお弁当葱まみれの唐揚げは長男のおつまみ蟹たっぷりは私用。千円ぽっきりでした♪昼東京駅で買って残ったカレーパンは・・・翌日の私の朝食で。明日は、都営浅草線に乗って浅草デス!!
2012年12月20日
さて・・・日も暮れて長男と六本木にやって参りました。六本木ミッドタウンのイルミネーションは一昨年見ているので、今回けやき坂と毛利庭園に期待をかけております♪ 3Dプロジェクションマッピングツリー今年は東京駅復原工事の完成記念イベントとして、あたかも建物から飛び出すような立体映像を映し出す最先端の光の演出3Dプロジェクションマッピングが話題になりまして私はテレビで東京駅に映し出された映像を見て、光を楽しむ時代はこうも進化したのかと驚きました。12月21日(金)から28日(金)までの間、東京丸の内地区で行われる「歴史、未来、希望」をテーマとする光の祭典「東京ミチテラス2012」内の催しとして、東京駅丸の内駅舎前にて最新のプロジェクションマッピング・ショー「TOKYO HIKARI VISION」が実施されるそうです♪今回イルミチェックをした時は、カレッタ汐留でもみれるのかと思ってましたが~見れましたねぇ~、六本木でも♪ 66プラザイルミネーション 六本木ヒルズの玄関口である66プラザにある高さ約5mの光のシンボルオブジェ卵型のその中に入る事ができたりするのだが順番待ち~ 毛利庭園イルミネーション 毛利庭園の存在は知りませんでした。恥ずかしながら・・・大好きだった元禄赤穂事件で吉良邸に討ち入った赤穂浪士がお預けになった屋敷のひとつ毛利甲斐守(もうりかいのかみ)邸の跡地だったなんて昼間も来てみたかったなぁ~ 樹氷の杜 ダイヤモンドみたいに煌く光水辺に反射してこれまた幻想的でもあり 庭園の樹木から生まれる自然エネルギーが潤いから結晶となる瞬間を表現したとか けやき坂イルミネーション 六本木けやき坂通りは六本木ヒルズの中心を貫く約400メートルの目抜き通り毎年定番の表情を見せるイルミネーションの耀きに、今年は「躍動」の演出が加わる。「SNOW & BLUE」は、降りそそぐ純白の雪が、青い輝きをともなって光の結晶となった姿をイメージけやき坂のテーマは「響明-Sympathy Moment-」 息を呑む美しさ、とは大げさでもなかったかな。私の撮影力はこの程度なので、それが伝えきれないのがちょいと悲しいトコです。けやき坂を上って行くと交通整理の方が横断歩道で写真撮影する人を速やかに渡る様注意し続けています。ちょうど真ん中に東京タワーが写る場所だからね~歩道の信号が点滅する度に叫び続けているのでけっこう大変そうでした六本木のこの界隈、撮影スポットにはカメラマークの案内があったりして、親切なのよね。ヒルサイド1F連絡ブリッジから撮りたかったけどあんまり夢中になってもいられないのでそろそろ諦めたのがこの辺り。 足に持病もちの長男が待ちぼうけしてるので六本木もこれまでにして、東京駅に向いました♪時間は午後6時。「ココに来て良かった~!」って思える場所よ。東京タワー好きは1度は来なくちゃ(フォト蔵と対応してますのでどれも画像クリックで特大で見れます~)
2012年12月19日
『恵比寿にいる』との長男からので目黒不動尊のアトに近所の寺院を2軒巡って山手線目黒駅まで戻り、恵比寿ガーデンプレイスに向いました。 久しぶりに乗る長~い恵比寿スカイウォーク(動く歩道)全長400m♪カメラなんかで撮影してるとオノボリさん丸出しよね都会ではあいも変わらず左に人が寄って、その右をサッサか急ぐ人が過ぎて行く。シャクなので真ん中の普通の歩道を早足で行くもやっぱり、スカイウォークを早足の方が当然早い・・・チェ~ッ恵比寿ガーデンプレイス入り口付近の植え込みはクリスマスホーリーらしき赤い実でい~っぱい♪ 都会のクリスマス気分を味わいに来たのも今回の目的のひとつ、クリスマスツリーひとつ見てもやっぱり飾りつけもひと味違うもんね♪恵比寿まで来たのはいいのだけれど日が沈むまでにはまだまだ時間つぶしが必要で・・・三越デパートでウロウロ高さ約5m、幅約3m、クリスタルパーツ総数8472ピースライト総数250灯を使った巨大なバカラのシャンデリア1度は見たかったのよね~でも中途半端な時間なので折角のシャンデリアもイマイチパッとしないなぁ~ただ、この日シャンデリアの前では独身男女限定のゴスペル祭を楽しむイベントが開催中 クリスマスを前に高らかな歌声が広場に響き渡っておりました。 もう待つのも面倒くさくなったので今回、一番見たかったイルミネーションを見に、東京メトロ日比谷線に乗って、六本木に向う親子です。
2012年12月18日
時刻は午後2時になろうかというあたり。東京に来ると食欲よりも好奇心が先だって美味しいモノよりもこの先に何があるのか見たい願望が優先してしまう私。しかし、歩き回っているのでお腹はちょい空いてきた~って、トコで目黒に来る前に、東京駅GRANSTA内のパン屋さんブルディガラ エクスプレスで買ったフランボワーズザマンドを頬張りながら太鼓橋を渡り、目黒川を横目に目黒不動尊への参道を進みます。通称蛸薬師と呼ばれる不老山薬師寺成就院を覘く。慈覚大師が海に投じた薬師如来像が蛸に乗って漂着したという故事に由来することに因んで本尊の薬師如来が3匹の蛸の蓮華座に乗っているというちょっと変り種お守りもお札も絵馬もタコばかりで愛嬌あるわ~ どんなお寺さんかと見れば先進の都市型納骨堂なんてのがございました。今のお墓はこんなシステムなんだ~と感心してしまった、そんな場所の入り口にあった風変わりな狛犬「大きな口を開けたグロテスクな狛犬」だと思ったら違ったのね~くわえている物は何かしら?? ちょっと期待していた目黒不動商店街は日曜定休日の店が多いせいか、この日は閉まった店ばかり。そんな閑散とした雰囲気の中、鰻を焼く芳ばしい匂いが目黒不動への参道を包んでおります。店の前には人だかり。江戸前の鰻蒲焼を店頭でも販売しているという八ッ目や にしむらだけは賑わっておりました。鰻が好物だったら食べてたんだろうなぁ 目黒と言ったら先ず【さんま】とか思うのは子供の頃みた時代劇の影響で、元ネタが落語だと知ったのにはちょいと驚きでした。で、次に目黒と言ったら~ 目黒不動尊もう初詣の幕が張られてお正月を待つばかりのお不動さん朱塗りの楼門では昭和37年(1962年)再建の鉄筋コンクリート造り別名泰叡山瀧泉寺(たいえいざんりゅうせんじ)不動明王を本尊とし、江戸三十三箇所第33番札所。関東三十六不動第18番。「目黒」の地名はこの目黒不動に由来する、とする説もある。青木昆陽の墓も存在(ウィキペディアより抜粋)お正月前の準備か?境内は整備中の場所があったり。ちらほらと参拝客も見える。観光客らしき姿も無く、有名なはずの場所なのにと不思議に思えるのだけれど、8の付く日が縁日とされ、28日が露天商が出て最も賑やかな縁日となると言う話。本堂へ上がる階段の左にあるのが~ 水かけ不動明王寺伝では、808年円仁が下野国から比叡山に赴く途中不動明王を安置して創建したと言う話ですが、その円仁が寺地を定めようとして独鈷をを投げたところ、その落下した地から霊泉が涌き出し、今日まで枯れることはないと伝えらえるのが独鈷の滝今はお不動さんの後ろ、壁面に付いた2体の龍の口から水が吹き出ております。旱天が続いても涸れることもなく、滔々と落ちており長く不動行者の水垢離の道場として利用され、都内でも珍しい場所だそうで。 目黒不動尊大本堂本堂は第二次大戦の戦災で焼失、昭和56年に鉄筋コンクリート工法で再建。堂内には開祖慈覚大師が刻んだといわれる不動尊像が安置。今回初耳だったのは江戸五色不動なるものがあるという事。五方角(東・西・南・北・中央)を色で示し、江戸城を中心に五街道沿いにあることから徳川の時代に江戸城を守るために置かれたとの一説で目黒 【瀧泉寺】・目青 【教学院】・目赤 【南谷寺】目黄 【永久寺】・目黄【最勝寺】・目白【金乗院】があげられていたけれど(目黒不動尊HPより)黄色が説によるともっと複数あるとか5色取り揃えたのは近年の話だのネット上では色々話が交錯している江戸五色不動。5色のお不動さんの札を集めると特典がある!ってワケでもないので~オシマイ!! 東京最古の狛犬 けっこう、神社仏閣を見学するのは好きだけど特に好きなのが個性的な狛犬を見つけるのが面白い。目黒不動尊には、江戸時代から平成にかけて奉納された狛犬が存在しているのだけれど、中でもコレは凄い!!都内でも最古の狛犬だという。胸のところに承応3年(1654)の銘偶然にも出逢えるなんて感動です~!って、アトで調べてわかったんですけどねところで、1612年江戸の三富と呼ばれた富くじが行われたのが湯島天満宮・谷中感応寺と、ココ目黒不動尊で。宝くじの元になった富くじ興行は1842年天保の改革により中止になるまで続いた様です。今回ちょっとビックリしたのが無計画でやって来たのに去年は谷中の感応寺(現=護国山天王寺)に偶然参り、故母と東京見物した時参ったのが湯島天神今年は偶然に目黒を選び目黒不動尊に来た訳で、偶然が三拍子揃って江戸の三富に生きてる間に参れた事で。なんてラッキー♪江戸三富に参ると宝くじが当る♪なんてそんなうまい話はないのに、ちょいとこの偶然を喜ぶ私なのでございました
2012年12月17日
毎年、自分の誕生日に合わせてほぼ恒例になっているイルミネーション&東京見物今回は欲張って色々歩き回ろうと思ったからフリーきっぷを購入! こちらは都営地下鉄、都バス、都電荒川線、日暮里・舎人ライナーに加え東京メトロ(全線)、JR線(都区内)を1日何回でも乗車できる優れもの!1,580円也♪今回は昼は全く無計画。とりあえず混む電車には乗らないというのを前提にうろうろ電車を乗りまわし、思いつきでやって来たのが目黒 行きはヨイヨイ帰りはハードな行人坂を下る途中に辿り着いたのは 松林山 大圓寺寛永年間、湯殿山修験道の行者大海創建に始まるこの寺。1772年2月に発生した大火(明和の大火=行人坂火事)の火元となった寺であった為、江戸幕府から再建の許可が得られなかった。江戸時代後期の1848年になって薩摩藩主島津斉興の帰依を得て、その菩提寺としてようやく再建される。天台宗、本尊は釈迦如来大黒天を祀り、山の手七福神のひとつ(ウィキペディアより抜粋)金箔がはげたの?!と思いきや、逆~薬師如来像の部位に、自らの悪い箇所と思われる所に金箔をはって、御真言をとなえて祈願するとご利益があるというお話。祈願された方に多いお悩みの場所はピッカピカドキッとする・・・これがお地蔵様?!江戸時代に品川沖で漁師が海から引き上げたもので、悩み事をとろけさせてくれるというその名もとろけ地蔵とろける悩みかぁ~フフフ~ 1回まわすとお経を1遍となえた事になる摩尼車心を込めて祈りましょ、南無ぅ~大圓寺から出火した炎は南西からの風にあおられて勢い付き、江戸城下の武家屋敷を焼き尽くし、3日間江戸が燃え続けた。日本橋地域は壊滅状態になり、類焼した町は934、大名屋敷は169、橋は170、寺は382を数え、死者1万5千人、行方不明者は4千人を超えた。(ウィキペディアより抜粋)行人坂の大火と呼ばれる、明和9年の大火事です。この火事の犠牲者を弔う為に、石工が50年もの歳月をかけて完成させたもので釈迦三尊像、五百羅漢像などから成る石仏群、約520体が境内左手の斜面に見られます。五百羅漢像には木彫と石彫がありますが、苔と同居した様な石彫の羅漢さんの方がいいなぁ~ココは手前の羅漢像しかお顔を拝見することはできないのが残念人物画は描いた人に似るとか言うでしょ、こういった羅漢さんや仏様もきっとつくった人に似るんじゃないかなぁと思うのだわちょっと頑固親父風な羅漢さん・・・目黒には大圓寺の五百羅漢の他にも五百羅漢寺というのがあります。どうやら木彫で有料・撮影禁止なので私はパスでした。境内左側釈迦堂の本尊釈迦如来立像 (国重文)は、 鎌倉初期の清涼寺式生身の釈迦像であり、 胎内に五臓六腑がおさめられている。 生身(しょうじん)と読む大圓寺のご本尊。一番近いご開帳は大晦日から正月7日の松の内一度見たいと思うお方はお出かけになるのもよろしいかと大圓寺はまた、浄瑠璃、歌舞伎などでも有名な八百屋お七の情人吉三ゆかりの寺でもあります。八百屋お七と言えば恋する人に会いたい一心で放火事件を起こし江戸市中引廻しの上、鈴ヶ森の処刑場で火刑に処せられた~なんていうのは子供の頃から聞いた事のある話。そんな彼女が恋した吉三がお七の死後、出家して名を西運と改めてからの足跡がココに存在します。 大圓寺 阿弥陀堂本堂右手の阿弥陀堂諸国を行脚、後に大圓寺を下った隣り、現在の雅叙園の敷地の一部にあった明王院に身を寄せ、27年の歳月をかけた念仏行中に集まった浄財で明王院境内に念仏堂を建立。後に明王院は廃寺になり、仏像などは大圓寺に移された。明王院の名残、それがこの阿弥陀堂ここには阿弥陀三尊像(区指定文化財)お七地蔵尊、西運の上人の木像が安置西運は、江戸市民から受けた浄財の寄進により目黒川に石の太鼓橋を架けたそうで。当時使用された石材は寺の境内に存在。こちら手前が現在の太鼓橋川沿いに並ぶ桜の木、季節が季節なら見事だろうなぁ~ 目黒雅叙園昭和の竜宮城と呼ばれた東京目黒の目黒雅叙園一度は館内に入って百段階段を見て見たい
2012年12月16日
恒例になりつつある?!お出かけ先で見つけた動物をご紹介する、くろすけのブログにしかないあるわけない動物園。鎌倉、日本橋に続き江の島も調子こいて開園中江の島には驚くほど同じ種別の動物が多い ・・・・・・・亀 種・・・・・・・ ● ● ● ●睨 む 緑 亀● ● ● ●奥津宮拝殿の天井にデン!と鎮座する緑色の巨大な亀。甲羅の中からじ~~っと睨まれる前後左右ドコへ身を隠そうとも、八方に睨みをきかせる緑亀。潮風と時の流れに身を粉にしつつ勤めを任され3代目というから、凄い ● ● ● ●耳 あ る 亀● ● ● ●奥津宮の御手水舎の前柱の礎石に2匹いる、ちょっと風変わりな亀。普通の亀には出っ張った耳は無い。しかしこの亀には立派な耳が見られる。おまけに厳つ過ぎる顔にはタダならぬ威圧感。中国の伝説に登場する贔屓(ひいき)に似ている。龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子のひとつで、その姿は亀 に似ていて、重きを負うことを好むらしい。その為、石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多い。(ウィキペディアより抜粋)まるでこの亀の様ではあるまいか。龍が生んだと言う点でも、この江の島には似つかわしいわいな ● ● ● ●水 吹 く 亀● ● ● ●奥津宮御手水舎の水口にいる亀私は水口が亀なのは初めて見たので思わずシャッターを切ったが、さほど珍しくもない様だ。たいがい水口となるものは龍が多く見られたのだが捜せば滑稽な動物も数多い様だ。実は、まだまだ亀が多く存在する江の島。気になる方は亀マニアのブロガーさんのトコへどうぞ♪ ・・・・・・・龍 種・・・・・・・ ● ● ● ●頭 上 の 龍● ● ● ● 参道前にあった青銅の鳥居の額に居る龍。文政4年(1821年)に再建ていうからもうちょっとで200歳になるんだねぇ ● ● ● ●水 吐 く 龍● ● ● ● 写真写りが悪いけど、スリムでシャープでカッコ良く見えた龍奥津宮に近い古風な造りのトイレで不浄となった万民の手を清めてくれておりました ● ● ● ●ゴ ツ い 龍● ● ● ●岩屋洞窟の真上に鎮座となる龍宮(わだつのみや)龍宮にも御祭神《龍宮大神》として祀られている。龍宮の入口の上部には龍宮を守るように構えた龍が・・・ごつい江の島で龍を探すのも楽しいだろうなぁ江の島への入り口の燈籠、中津宮の向拝、奥津宮のしゃもじや燈籠の竿と中台白龍池の白龍王等ナド江の島は沸出以来龍の棲む所と言われ、龍神は弁財天信仰と習合し、密接な結びつきから江島縁起を始め多くの伝説が残っているだけあって龍の姿がそこかしこに見られるのだなぁ~ ・・・・・・・狛 犬 種・・・・・・・お宮の数だけ狛犬はある、おまけに他所ではなかなか見られない様な風変わりな狛犬がいたりする。狛犬も奥が深そうだ私の見損なった狛犬たち、またいつか会いに来たいものだわ。 朱の鳥居の狛犬 江戸狛犬(1865年)流れるロングヘアの吽像 中津宮の狛犬 江戸狛犬(1763年)粗削りにも思えるけどロボット狛犬風?!で面白いんだなぁ 奥津宮の狛犬 江戸狛犬(1761年)古~、渋~、不細工~ ・・・・・・・猫 種・・・・・・・江の島にはいたるところで猫を見かける。野良猫と呼ぶには変に小奇麗で、丸々太ったのも意外と多く、警戒心があまりないので、野良と呼ぶには違和感もあったり。 1980年代頃から江の島では捨て猫が急増した時期もあったそうだが、最近は、一部でこれらの野良猫を観光資源とし、新たな江の島名物とする動きもあるとか。 餌場を作り猫に餌を与える一方、野良猫に避妊手術を行う為の募金活動、猫を捨てないよう訴える看板を掲示するなど、野良猫の増加防止対策も並行的に進められているとか。
2012年11月26日
奥津宮をアトに稚児ヶ淵に向います。途中、オバサンには全く興味のない恋人の丘がございますが~今回はスルー致しました 恋人の丘 龍恋の鐘相模湾を望む高台にあるそうで島の伝説 《天女と五頭龍》よりここで鐘を鳴らした二人は決して別れないとか。決して・・・って言っちゃっていいのかなぁ 江の島の句碑・歌碑江の島には、島に因んだ著名人の歌碑や句碑が各所に多く見られます。永野泉山・古帳庵・間宮霞軒・福島漁村芭蕉・永瀬覇天朗の句碑。こちらは高木蒼悟の句碑沼田頼輔・与謝野晶子の歌碑等ナドご趣味の方がいらっしゃれば読み歩くのもまたよろしいかと 稚児ヶ淵へ 急な階段に沿って、左に3軒の茶屋が並んでます。江の島の名物は【江の島丼】=コリコリとした食感のさざえの卵とじ【しらす丼】=新鮮なしらすがたっぷりなんてのが有名だったりします。3軒並んだ見晴亭・富士見亭・魚見亭で絶景を見ながら食べるのも良かったなぁ~なんて今更だけど思います。 急な坂道を下りに下ると海が開けて来ます・・・江の島の西南端、岩屋の周辺に広がる、1923年の関東大震災で1mほど隆起した波食台地屏風のように連なる断崖の真下にあり、打ち寄せては砕ける波と、富士山の向こうに沈む夕日の美しさで知られ、「かながわの景勝50選」にも選ばれている。(SHONAN NAGISA PARK HPより参照) 稚児ヶ淵 稚児ヶ淵の名前は、かつて稚児の白菊がここから身を投げたことから付いたというお話で真相をお知りになりたい方はコチラへ磯釣りの名所としても知られ、休日には多くの釣り人で賑わうこの辺り。私も海の近所に住まいがあれば、大好きな富士山を前に海釣りに来てる事でしょう。実は釣りは子供の頃大好きでしたのよ~♪生まれは群馬なので川釣りですけどせっかく、久々に海に来たのだからと私もちょいと童心が芽生えて磯の生き物探しなんぞしましたら・・・イタイタ♪ 岩 屋 橋この橋を渡って、岩屋に渡ります。岩屋とは、江の島南西部の海食崖基部の断層線に沿って侵蝕が進んだ海蝕洞群の総称。古来、金窟、龍窟、蓬莱洞、神窟、本宮岩屋、龍穴、神洞などさまざまな名で呼ばれており、宗教的な修行の場、あるいは聖地として崇められ江の島参詣の最終目的地と位置づけられ、多くの参詣者、観光客を引きつけてきた。1993年(平成5年)第一岩屋と第二岩屋が有料の観光施設として公開された。(ウィキペディアより抜粋) 古くは源頼朝も戦勝祈願に訪れたという岩屋。入場料500円で見学できるそうだけれど、この日、同行したMさんの体調がイマイチで、体力もこの辺までが限界そうだったので、仕方なく諦めたしだいなのです。ココで時間も午後1時を過ぎ、歩き回った4時間近く。お腹の虫も鳴き出し始めた事もアリ参道まで戻る事に 急な戻りの上り坂にオーバーヒートなMさん。確かに行きはヨイヨイ、帰りはハードなんですよ~でも裏道さえ知っていればソコまでの我慢!!向って左、あの中村屋本店の横にある狭い路地ですが。ソコは下道とも裏参道、東参道とも呼ばれる山道。でも急な箇所は無く普通に歩いて行けます。江の島の生活道路でもあり、バイクや軽自動車などが路上駐車されてたり、木々の間から海が垣間見え静かな帰り道でございます。下調べでもしておくか、貰った江の島イラストマップをよ~く見ておかないと絶対スルーして苦悶の帰宅になる事でしょう で辿り着くのが、参道の正面にあった朱塗りの門の脇。中村屋本店の角を曲がってから、私達の足で約15分で到着デス♪ ●●●まだまだつづく江の島話、次は昼ごはん♪●●●
2012年11月24日
江の島シーキャンドル(展望灯台)を右手に左手に江の島大師前を通り御岩屋道を下りつつ江島神社三つ目の奥津宮へ向います源頼朝の時代以前より歴史深い江の島には歴史人物の足跡が多く存在する様です。調べてみるとけっこう面白くて~徳川家康、光圀が江の島参詣していたとか、北条氏の家紋に鱗紋が使われる様になった理由が江の島弁財天にある事などナドブログアップにも時間がかかってしまってますヤレヤレ 一遍上人の島井戸 遊行寺の開祖である一遍上人が、飲料水に窮する島民を助ける為に掘り当てたと言われる井戸今も水をたたえています。 群猿奉賽像庚申塔四面に36匹猿が浮き彫りされている庚申塔江戸時代後期に、無病息災を祈念して建立されたものと考えられる。藤沢市の重要有形民俗文化財に指定 山ふたつ江の島を二分する境となって いることから中村屋羊羹店の辺り(上画像下中央がお店)はその2つの山がちょうどくびれた様になっている場所で山ふたつと呼ばれるそうです。お店の裏は断崖?!の様で・・・地図を見ただけではピンと来ないので写真を探したら見事に山が2つある画像を載せたブロガーさんがいらっしゃいました♪ワオォ~ 御岩屋道 御岩屋道を挟んで、向かい合わせに昭和な佇まいの和菓子店中村屋本店、中村屋羊羹店が存在女夫饅頭もアルある♪ 中村屋羊羹店の自慢は江の島名物海苔羊羹。明治35年に考案し、白いんげん餡に青海苔をほどよく混ぜ合わせた独特の上品で高尚な風味の苦心の逸品とか。残念ながら甘党の私は餡ものは好きでも羊羹だけは興味がなかったりするのだわ。お買い上げはございませんでした。どんなだか見てみたい~!っていうお方はコチラへ 伝源頼朝寄進の鳥居吾妻鏡によれば頼朝は1182年奥州平泉の藤原秀衛を調伏する為、京都高尾神護寺の文覚上人に命じて弁財天を岩屋に勧請参詣の際には鳥居を寄進とある鳥居は平成16年(2004年)の台風で破損、補修されたもの。源頼朝寄進の鳥居は、これに似たものが建てられたと伝えられているそうです。 江島神社 奥津宮紀理比賣命(タギリヒメミコト)を祀る 三人姉妹の一番上の姉神で、安らかに海を守る神様といわれ 奥津宮は御旅所(おたびしょ)といい岩屋のご本尊の夏季避暑地こちらは拝殿、昭和51年(1976年)に新築社殿は平成23年に全面的に修復とあったけれど普通に・・・拝殿見てスルーしてしまった、コレだけだと思ったんだもの、塞がってたから。皆さんスルーなのかしら?検索しても画像がないのよどんな社殿なのか見たかった~力 石江戸時代に日本一の力持ちと言われた 岩槻藩の卯之助が奉納した お祭りの力競技に使われたもので重さは八十貫(320キロ)世が世なら重量挙げの選手にでもなって欲しいものね亀 石名前の理由は石を良く見ると、亀の甲羅の模様が表面に浮き出ている。特に雨が上がって石の表面が乾いた時は模様がはっきり出るそうだ(画面クリックでフォト蔵の特大画面で模様がわかります)鎌倉四名石のひとつとかココで疑問に思ったのは四名石のひとつが亀石なら残り三石は何ぞや?と言う疑問調べると鎌倉にはけっこうそれらしき石が幾つも転がっている様なのです鶴岡八幡宮鶴亀石=水で石の表面を洗うと鶴亀の紋様が輝き現れるというめでたい石政子石=夫婦円満・子授け・安産・縁結びに霊験がある政子石八雲神社清明石=陰陽師・安倍晴明にゆかりのある石葛原岡神社魔去る石=【魔が去る】が転じて【勝まさる】幸せを勝ち取る石 願いを込め、盃をこの石にあてて割り、幸せを勝ち取る成就院子生石(こうみいし)=安産・子育て・子授けのご利益が授かる霊石五所神社疱瘡婆さんの石=撫でると疱瘡が治るという霊石捜せばまだまだあるでしょうが、鎌倉四名石すべてご存知の方!教えて下さい~ まだまだつづく江の島散策
2012年11月23日
小学校の修学旅行は江の島・鎌倉でした。江の島の展望灯台が平和塔と呼ばれていた頃自分の家の2階屋根以上の高さに慣れていなかった私は足元の鉄骨の間から見える地面を薄目で見ながら恐る恐る階段を昇った覚えがあります。以来、夢に度々見る程高所に恐怖感を感じる様になりました。あれからウン十数年、年齢と共に平和塔より高い場所にも慣れました。2003年4月29日にリニューアルオープンして以来1度も訪れたことなかった平和塔。今はシーキャンドルと新たな名前になってお逢いすることになったワケ シーキャンドル(展望灯台) 4つのエスカレーターを乗り継いで、展望灯台のある頂上まで来ることができるエスカーですが、この先に待ち受ける眺望や3つの社からなる江島神社最後の宮奥津宮へは徒歩で行くしかないのでございます。それどころか下りのエスカーは無いのですからご年配者、足腰自身のない方は下調べ宜しく、心して江の島散策は致しましょうで、頂上にございますのが休憩場所あさひ茶屋参道で行列つくって1時間待ちなんてしなくてもあさひ本店のタコ煎餅はココでも買えるし、B級なフードも色々あるのでテラス席で食せたり。この他にもウッドデッキからの眺望も絶品の亀岡広場と隣接し、キャンティカフェなるお洒落なカフェレストランも存在し、オーシャンビューを楽しみながらの食事も可能この時季、江の島のいたる所に満開に咲くのがツワブキの花♪サムエル・コッキング苑の入場料200円シーキャンドル昇塔料300円計500円入り口で払ってシーキャンドルに向います。一足早い春の準備でしょうか♪チューリップの植え込みが始まる様です江の島の貿易商サムエル・コッキング氏が1882年から造成した和洋折衷の庭園跡が入り口の右にあります。一見、整備中なのかと思ってスルーした私 騁碧亭(ていへきてい) 藤沢市には多くの友好姉妹都市があるようで、コッキング苑には5つのエリアがございます。上の騁碧亭は昆明広場にあります、中国昆明市より寄贈された中国伝統様式の四阿(あずまや) ウインザー広場カナダウインザー市より贈られた5月・10月が見頃の真紅の大輪バラが咲くというウインザー広場 保寧(ポリョン)広場 韓国は保寧市の花ムクゲは7月に他にマイアミビーチ広場や長野県松本市のなまこ壁でできた松本館があります。途中、旧江の島展望灯台の跡を活かしたウッドデッキのサンセットテラスがありますが、スルーして屋内展望室へエレベーターで上がります。 屋内展望室よりこの方角に私がまだ見たことのないスカイツリーが見えるワケなのに、アレがそうなのかなぁ~くらいにしか分からないのが悔しいトコロ。もっと寒くなって空気が澄んでいたら見れるのかもね♪横浜ランドマークタワーは分かったわ。奥津宮は上中央の屋根が見える辺り江の島は島であり、山であり、坂と階段ばかりこんな断崖近くに住んでる人がいるのよね~ 屋外展望フロアより階段から屋外に出てみました♪す~んごいパノラマです!!そうだ、そうだ、デジカメでパノラマ撮影できたじゃん♪と、カメラを弄繰り回すも新しいカメラになってからパノラマ写真を撮った事がない何回やっても上手く行かないので断念しました。メカオンチの悲しさよ・・・片瀬海岸西浜と片瀬漁港(上)片瀬漁港の左、海岸に沿ってあるのが新江ノ島水族館 海抜100mの眺めは最高です!!
2012年11月22日
朱の門をくぐって、階段を上がり龍宮城を模して1986年(昭和61年)造られたという瑞心門を抜け、 弁財天と童子の像の前を通り過ぎると 江島神社 辺津宮田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)を祀っている。江島神社の一番下に位置していることから『下の宮』とも呼ばれる。昭和51年(1976年)の大改修により、権現造りの現在の社殿が新築1206年源実朝が創建、1675年に再建。茅の輪と呼ばれるものがございました。茅萱(ちがや)というイネ科の植物を使って作るそうです。身についた疫病や罪を祓(はら)う事ができるというもの興味はあるけど、私はこういうのをくぐるのは何故か照れくさかったりするのよね~私はいつも、出先の情報を行ったアトで調べるので残念な思いをする事が多いのですけど、今回もけっこう多いのよ、たとえば~この辺津宮の賽銭箱はとても珍しい形だとかちょうど人がお参り中だったし、私はお賽銭入れて参拝しない人なので見損なっちゃいましたザンネン~ 奉 安 殿奈良の法隆寺夢殿をモデルに建てられ、1182年源頼朝が寄進したと伝えられる八臂(はっぴ)弁財天江戸時代に寄進された妙音(みょうおん)弁財天(裸弁財天)などが安置日本三大弁財天とは、安芸の宮島、近江・竹生島そして江島の弁財天を言うそ~で。やけに厳重!門扉付?!と思ったら拝観料150円のお支払いがありました。私みたいにケチってご覧になった事が無いって方はコチラでどうぞ~ 銭洗白龍王辺津宮の脇にある湧水は銭洗白龍王水源には黄金の小判が隠されているとの言い伝えから、この御霊水で金銭を洗うと金運向上、財宝福徳のご利益が授かるとか鎌倉の銭洗弁財天(宇賀福神社)にも湧き出る水でお金を洗うと何倍にも増えるとかございましたねぇ・・・ むすびの樹 幹が二つで根が一つのむすびの樹は大銀杏の御神木でございます。良縁成就を願う絵馬が所狭しとございました 蟇 石 修業中の慈悲上人の邪魔をしたガマを法力で石にしたと伝えられた蟇石 福 石 福石のそばで何かを拾うと福を授かるといわれているとか蟇石にしても福石にしてもそう書いてあるものがそのものだと思ってしまうフシがある私。蟇石はしめ縄のある大きなものが蟇石福石は~どれ?アレかなぁ? 江の島エスカー昭和34年に国内初の屋外エスカレーターとして、高低差46メートルを4連で結ぶ全長106メートルのエスカー。頂上まで石段を上っていくと20分かかるところ、江の島エスカーだとわずか4分で行けちゃうそうで。区間別に料金は変わりますが全区間利用だと大人 350円ですとちなみに同行したMさんはエスカー利用しましたが~ 私はエスカー横の道を歩いて行きましたよ~♪中津宮に向かう途中、ヨットハーバーが見れます。東京オリンピックの際に埋め立てられてしまった場所ですがここは以前聖天島(しょうてんじま)と呼ばれる島で現在も岩肌の上部が残っており、当時の島の様子がうかがえるとか。中心のこんもりとした木立の辺りがもと聖天島とか 江島神社 中津宮市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)を祀る。慈覚大師によって853年に創建1689年に再建され、平成8年の全面改修により、元禄二年改築当時の中津宮(権現造り)を再現江戸時代の江の島詣の盛況ぶりがうかがえる芸人・商人の寄進燈籠が見られる。テレビ東京日曜の朝9時から 『ふるさと再生 日本の昔ばなし』なんてのをやってます。たま~に見るんですけどね、年甲斐も無く今週たまたま放送された『嫁の坊主頭』という話の中に「富士山に登るついでに江ノ島詣をして行こう」なんてのが出てきたりしていました。昔話にまで登場する程、江ノ島詣は盛んだったのね~と、改めて思うのでございました ● ● ● ● まだまだつづく ● ● ● ●
2012年11月21日
同僚Mさんの彼氏が友人の結婚式で沖縄へ出かけてしまうので、その合間にドライブに行こうという事になりまして。廃車間近のMさんの愛車でやって参りましたのが~藤沢市にある湘南海岸から相模湾へと突き出た周囲4km、標高60mほどの陸繋島 湘南 江 の 島本日は空に雲ひとつも無い良いお天気♪富士山はいつも縁がなかったけれど、今回は顔を出してくれてました~江の島弁天橋江の島に行くには2本の橋を渡って行く事ができます。江の島弁天橋(人道橋)と江の島大橋(車道)江の島に木の橋がかかったのは明治24年(1981年)それまでは片瀬浜からは舟か人足。車道の大橋は昭和39年(1964年)東京オリンピックに合わせて造られたそうです文政4年(1821年)に建てられたという藤沢市指定文化財青銅の鳥居額には『江の島大明神』ここから先が参道となっております。参道到着したのは9時過ぎ頃だったので参道を歩く人は疎らです。息子達が幼かった頃、この参道辺りまでは来た覚えがあるのですがその先に行った覚えがありません。なのに、この奥なる江の島のシンボルだった平和塔に小学校の修学旅行で上った覚えがあるのに、参道を通った覚えがなかったりします。改めて江の島散策をしてみたくなった今回 江ノ島郵便局 江の島には400人程の住民がいらっしゃるそうで、そんな島民の皆さんが利用されるのであろう郵便局がこの参道にございます。明治20年頃に使用されていたという復元ポストもしやこの黒い郵便箱は当時、「便」という字を見た通行人がトイレと勘違いしたという、あのポスト?!と、ひとりニヤケていた私岩本楼本館 江の島には数軒のお宿が存在しますがその中の1軒岩本楼本館鎌倉時代から信仰の場とされていた岩本院が明治時代になってから旅館となったというこのお宿。ステンドグラスとテラコッタが特徴のローマ風呂は国の登録有形文化財だとか。お泊りしてみたいものでございます 女夫饅頭 女夫と書いて(めおと)と読む白は酒まんじゅうでこしあん茶は黒糖皮で粒あん甘さ控えめで小ぶりなのでパクパク食べれちゃう。島の奥にある何軒かの店でも販売されているので味比べしても良かったかなぁ~1個100円♪ 紀乃國屋本店のだんご 小ぶりのみたらし団子はちょいと甘め タコ煎餅製作中先日、旅番組を見ていたら、タコ煎餅を俳優さんが食べてるシーンがあって、食べてみたかったのよ~下味、粉付けをしたイイダコ2匹を185度に熱した鉄板で2分プレス見事、ペチャンコになったその姿を目の当たりにすると残酷にも思えるけど、笑いも出ちゃう。 たこせんべいこのタコ煎餅の他にもなんと、タコ以上にダイナミックに伊勢海老丸ごとプレスした伊勢海老煎餅も製作中でした。クラゲ煎餅もあったわよ♪(タコ煎餅300円・クラゲ煎餅300円・伊勢海老煎餅550円)ナンでもプレスできちゃうならイカ煎餅も作って欲しいなぁ~あさひ本店さん、通販もやってます クラゲと言えばこんな瓶詰めも売ってたり。ちっさ~いクラゲがぷかぷか浮かぶ癒しの瓶詰め。欲しかったけど、育つのかなぁ??? 夢 蔵 人(ゆめくろうど) 千円均一の店 おもしろ雑貨から実用的な生活雑貨まで約3千点の商品が何でも千円で買えるお店。このて~のお店はついつい引き寄せられて買っちゃうのよね~ニット帽とインド綿のクロスを買っちゃった私・・・参道の店ををぷらぷらしていると行き着いた先にあるのが朱塗りの鳥居。こちらが江島神社(えのしまじんじゃ)入り口デス。 江 島 神 社(入り口)日本三大弁財天のひとつココには海の安全と大漁を祈願して3人の女神を祀ったのが云われとされているそ~です。辺津宮(へつのみや)、中津宮(なかつのみや)、奥津宮(おくつのみや)の三宮を総称して江島神社と呼ばれてマス。 ● ● ● ● つ づ く~ ● ● ● ●
2012年11月20日
道灌まつりで気になったもの 道灌まんじゅう観光地や温泉場のお土産売り場には〇〇饅頭と名前の付いた茶色の饅頭は決まってあるものだ。伊勢原にもあった・・・勿論、その名も伊勢原饅頭、ではなく道灌ゆかりの地にはピッタシの道灌まんじゅう小判型に小豆餡、大正5年創業の和菓子司新店(しんみせ)の品道灌まつりのこの日だからこそたくさん売れたであろうと思いたい 信楽焼き 道灌ボトル 『信楽焼きの伝統工芸士が特注で仕上げた道灌ボトル』中身はやや芳醇辛口本醸造の美酒だそうだ。カワイイ道灌に記念写真を撮らせて貰った。隣りの日本酒『道灌』は滋賀県太田酒造のお酒道灌まつり限定ラベルみたいだ 蝉 凧 伊勢原の大宝寺明粋和尚(明治33年~昭和8年在住)が考え出したセミが空を飛んでいる姿を創作した凧戦後衰退したものを、蝉凧を永く伝える為『蝉凧を作る会』が製作、この日販売もされていた。 ウ ナ ギ テ ボ 歩行者天国を歩き回っている途中、屋台に集まる人達の後ろに見えた奇怪なものに目が行く。私はこういうワケの分からないモノが大好きだったりする。コレは入ったら出れないウナギ用の仕掛け生活雑貨店 豊田屋商店の店先で発見一度試してみたいと思った昔、私が物心つかない頃、父が近くの川原でつかまえて来たウナギを食べさせてくれたことがあったらしい。母の話では「蕁麻疹ができて大変だった」とか聞いた。父はウナギをどうやって捕まえたのだろう?とか思うのだった。 巨大スポンジたわし何する為の巨大さなのだろう?!このスポンジたわしの他にも巨大亀の子だわしもあった。挿絵の奥さんが持っているのが普通サイズ同僚Mさんが手に提げてるのが巨大サイズ何故にここまで大きいモノがあるのか?客寄せ用以外に何かある??このキクロンというメーカーのキクロンAの誕生秘話もなかなかで どじょうすくいセット 子供の頃欲しかった時もある、どじょうすくいのセットこういう店に売ってるんだ~でもホントに欲しかったのはこんな姿になれるモノでもひょっとこのお面は屋台のお子様用と違ってちょいと味のある顔なので、お面だけ欲しいかも~♪
2012年10月16日
同僚Mさんの誘いもあって今回伊勢原観光道灌まつりに出向き何十年ぶりかで屋台の並ぶ歩行者天国を歩いた。ココ最近の祭り見物なんて故姑の強制力で息子達が子供の頃出かけたりして以来かなぁ~記憶に残る屋台も色々あるけれど知らぬ間に祭りの屋台もえら~く様変わりしたものだと驚喜を隠せず、カメラを向けてしまった私なのだ。ただの、一品も購入する事も無く・・・だから味はわからないので~、よしなに イタリアンスパボーイタリアンスパボーとあるよく見ると乾燥スパゲティーを揚げて粉末の味付けをしたものの様だ。ココのは醤油バター・塩だったが、他にもコンソメ・フライドチキン・カレー・キャラメル等店舗によって様ざまと思える。「家でもできるよなぁ~」と、思いつつ「300円なら買ってもいいか」と、思わせる。店主にとっては仕入れが安く、材料も保存がきく・・・売れるのかどうかはさておき、頭の良い食材を考えついたなぁと、思ってしまった。 ラーメンバーガーラーメンバーガーの具。マスコミ情報では聞いていたけれど自分の眼で実際に見たかった一品。葱・なると・コーン・チャーシュー・メンマ丸くプレスされた様な焼き麺に挟んでそうだ!スープはどうなってるのか見るのを忘れたジュレにしてかけるのかなぁ? 鶏 皮 餃 子香ばしそうで、見た目ホルモン焼きかと思いきや餃子の具を鶏肉の皮で巻いて焼いた鶏皮餃子なるもの。これまたお初にお目にかかった・・・美味そうである。如何せん・・・私は鶏皮のぶよった脂身の食感が苦手Mさんから主人へのお土産にと1P頂く。後で味を聞くとMさんも主人も「う~ん・・・」やっぱり屋台モノはその場で頂くのが一番らしい。20~30年前から流行り出したそうだけど、屋台の字幕にも【B級グルメ】って字が多いよね。韓国流行りもあったせいで、ハングル文字の混ざったの(トッポギ・チジミ)とかトルコ(ケバブ)の国旗もみえたりして国際色豊か~になってたりもする。そもそも私の記憶にある屋台フードと言ったらお郷が群馬だけに焼き饅頭とか太鼓焼き・綿菓子・お好み焼き・焼きソバポップコーンに焼きもろこし、いか焼き等ナドそれにたこ焼きね今や、たこ焼きもこんなのがあるのにまた驚くのだっ・・・ たこ焼き(いいだこ)たこはたこでもいいだこ丸ごとたこが入ってるなんてねぇ 海 老 玉 焼 きたこ焼きじゃなく海老焼きおまけにうずらの卵も入った海老玉焼きとはこれは面白い。我が家ではお好み焼きによく生海老を入れるが海老は蛸ほど弾力があるわけでないし、うずら卵が入ってどんなものなんだろう? 浅草バクダン焼き「おっきぃぃぃ~!!」思わず叫んでしまう、たこ焼きの8倍はあろうか?!爆弾サイズなたこ焼きもどきは、1個300円2個なら500円だって。巨大な中身の具や味はお好み焼きみたいなモノだろうけどお餅が入ったりするのがますますボリューミー 亀 す く い生き物を扱う屋台だと金魚すくいが王道だけど見当たらなかったのはヒヨコやウズラ昔、縁日で父親に買って貰ったヒヨコは立派なオンドリに成長したっけなぁ~驚きの亀すくいがあったので、思わずやってみたくなるが、我が家には猫がおるので止めておく。亀って金魚と違ってつるっと、するっと逃げられる事がなく4本の手足に引っかかりが、平たい腹や動きの遅さにすくい易さを感じる。ポ イ(金魚すくい用の紙を貼った枠)バージョン(もなかバージョンもあったけど)の動画を見ていると面白いなぁ~でも実際やったら・・・ダメだろうなぁ。
2012年10月15日
伊勢原市最大のお祭りともいえる伊勢原観光 道灌まつりにやって参りました。伊勢原にお住まいの同僚Mさんのお誘いもあってね♪(ど真ん中に輝々坊主と紫坊主が見えます~、消せませんでした)神奈川県のほぼ中央に位置する伊勢原市その北西端に位置する標高1,252m丹沢山系のひとつ大山デス道灌まつりの2日間の各日1度だけ普段は通り過ぎるだけの特急小田急線ロマンスカーも停車すると言うだけに、かなり賑やかで盛大なお祭りである事が伺えます。 過去にケーブルカー無しで2~3度大山登山をしましたが階段が多くて悲鳴をあげました。のぼり坂より階段を上がる方がキツイと、いうのが身に沁みる大山登山だったなぁ~伊勢原観光道灌まつりは江戸城築城で知られ、伊勢原で生涯を閉じた戦国の武将・太田道灌(おおたどうかん)にちなんで名付けられたお祭りで、毎年10月の土・日曜に伊勢原駅周辺で開催太田道灌の墓は、伊勢原市に2ヶ所存在し、道灌が暗殺された地の洞昌院に胴塚代々太田家の菩提寺だった大慈寺に首塚があります。もちろん、市街地でのお祭りの前に道灌公の墓参と墓前祭が1番で行われる様です 太田道灌公鷹狩り行列2日に亘り様々なイベントがある中でメインと言えるのが太田道灌公鷹狩り行列と北条政子日向薬師参詣行列毎年著名人を招いて、太田道灌と北条政子に扮して貰う様です。 今年の道灌はタレントの金子昇さんファンじゃなくても目がハートになっちゃう女性がいっぱい♪もちろん私も、Mさんもミーハーッ気丸出しでカメラフル稼働~ 道灌さんも撮影中~お髭の生えた若~い・・・も 北条政子日向薬師参詣行列伊勢原と北条政子とのの関係は、何度か行われた霊山寺(日向薬師)参詣や三ノ宮の竹ノ内に石蔵山浄業寺を建立し、釈迦三尊像を安置した事がありますが、この道灌まつりで再現されたのは承元4年(1210年)に娘大姫の13回忌に霊山寺(日向薬師)に参詣した時の行列だとか今年の北条政子はタレントのさとう珠緒さん『プンプン』のリクエストにもお応えでしたその他にもパレードは続きますがこの日目だったのは2012年ロンドンパラリンピックの金メダリスト秋山里奈選手が1日署長を務めた市民安全・安心パレードやらお神輿・稚児行列等ナドある中(私は残念ながら見損ねました~) 伊勢原手作り甲冑隊伊勢原手作り甲冑隊は、思い思いの甲冑を皆が一から作り、作る楽しみ、着る 楽しみ、イベントに参加する楽しみを実現できるグループ。伊勢原の街づくりに貢献されてますボール紙を硬化剤で固め作ったパーツを、染めた紐で結んでつなぎ、塗装や装飾を施して製作約半年がかりで完成するそうです伊勢原市は長野県茅野市と姉妹都市関係わざわざいらしてくれるんですね~茅野市ラッパ隊・長持ち・御輿等も見る事ができます。おまつり広場にて伊勢原市長さんのご挨拶道もイベント会場も人、ひと、ヒトでいっぱいでした つづく~
2012年10月14日
地下鉄三越前駅から直結のコレド室町で開催されていたアートアクアリウム展2012(9月24日終了)テーマを「江戸・金魚の涼」として、江戸の町に根付いた金魚鑑賞の文化を表現金魚の数は昨年の1.7倍で、会場には約5,000匹が泳ぐこの会場のメインとも思える 花 魁(巨大金魚鉢)1,000匹の金魚が泳ぐおそらく世界で一番大きな金魚鉢この作品は江戸の遊郭を表現しており、乱舞する金魚は花魁とそれを目指す女達を表している。七色に変化するライティングにより、江戸の花街の艶やかさを演出(アートアクアリウムHPより抜粋) 原色ライトアップがけっこう目にはきついオバサンです。数十秒単位で色が変わるので写真を撮るのも大変~金魚はこんな光を受けて目がチカチカしないのかしら??大きさは1.5m四方程もありましょうか、巨大な金魚鉢です。だからってこ~んなに金魚を入れたら酸欠にならないか?!と誰もが思うワケでございますよ。そういえば【花魁】には酸素を送る泡が見当たらない・・・この展示会プロデューサーの木村英智氏は独自が生み出した高度な水質調整等でその問題をクリアしたというお話。なんでも、酸素を溶け込ませた水を、循環させるシステムを備えている為金魚が酸欠する事はないのだそうですホエェェ~ 次の作品を見ようと思っても前進不能暗がりの中、黒山の人だかりで通路がドコにあるのかさえわからないなぁ~と、思ったらなんと観覧席がある様でそこを取り囲む立ち見客でなんにも見えないのであります 水 中 四 季 絵 巻人をかき分け、かき分け出口に近い端が空いてたので覘いてみると~オォォォ~プロジェクションマッピングにより投影された美しい日本の四季の中を本物の錦鯉が泳ぐ横8m縦2mの大作 カレイドリウム(万華鏡)お子様達に人気です、みんな熱が入ってましたついつい万華鏡好きの私はお子様のアト順番待ちしたり 金魚が優雅に泳ぐ、横長の水槽その側面には三角形のレンズが埋め込まれ中を覗くと幾何学模様が現れる。レンズのそばを金魚が泳ぐたび、まるで万華鏡を回しているかの様に模様が美しく変化する作品12の展示が展開されているという話でございましたが私がまともに見学できて撮影できたのはこの程度もっとゆ~っくり、じ~っくり、た~っぷり見たかったけれど、東京でのこういったイベントものはそもそも無理なのかしら(考えたらこういう展示物を都会に見に来たのは初めての私)それでも、このアートアクアリウムは19時以降はナイトアクアリウムとして夜23時30分までドリンクの販売も行い、アルコール片手に見学も可、週末等にはライブもあったり入れ替え制もなく人の多さを気にしなければ、十分楽しめたりもするのでありましょう。お若い方たちにはよろしいのかもねぇ♪(田舎モンのオバサンには賑やかすぎてアカンけど) 片岡鶴太郎画伯の金魚 残念ながら、開催期間は2012年8月17日(金)~2012年9月24日(月)で、終了なのですが来年は約倍の2ヶ月強の会期にて開催だそうです。2013年の予定会期は7月12日〜9月23日だとか。(鬼も笑っちゃう様な早い予告)お出かけになりたいと思った方は今からチェック?!前売券は買ってからお出かけしようね~(私みたいな目にあわない様にネ~、これまた早いご忠告か) 片岡鶴太郎画伯の金魚(ちなみに片岡鶴太郎氏と木村英智氏は、東京都立竹台高校の先輩後輩で 友情特別展示の金魚の絵が3枚飾られてました)
2012年09月21日
アートアクアリウム展とは2011年、日本橋架橋100周年特別展として、日本橋三井ホールにて開催された「アートアクアリウム展・江戸金魚の涼」がアンコールに応えして再び開催されたもので総合プロデュースを手掛けるのはアートアクアリウムプロデューサー木村英智氏詳しいことはコチラをゆ~っくりご覧下さい♪で、昼前から3~4度は様子を見にアートアクアリウム展の入り口に来ていた私。やっぱり、祝日だしこの混み具合は時間とは関係なさそうだと、思った私は諦めの電話を秋葉原にいる息子二人に私 「ダメだよ~、いつまでたっても90分待ち あなた達が見なくてもいいって言うなら私は 浅草に行ってスカイツリー見物して来るけど~」(そうそう、やっぱあたしゃ下町辺りをうろうろする方が性にあってるわ)長男「今さ、彼女が来たんだ。 彼女もアクアリウム見たいって言うんだけど」(長男が東京に出てくると必ず川崎からやって来る彼女)私 「えぇ~?!うぅぅぅ~ん・・・ しょうがないなぁ、並ぶの嫌だけど、彼女来たんじゃ 当日券私が並んで買っておくからそれまでココに来て」(半ば諦めてたのに、この始末にちょっと肩落とす)てな話で、結局貧乏くじ引いて並ぶハメになった私周りは若いカップルや家族連ればかり。ひとり待つ身はいささか侘しい・・・でも当初は自分だけで見に来るつもりだったんだから仕方ない話でもあるのよねで、その後当日券買った上に息子達に30~40分待たされて(今日は待つだけで日本橋に来たみたいな気がするわいと思いつつ)ようやく入った会場入り口辺りは作品を前に並ぶ人、人、人の押しくら饅頭人間ばっかで肝心の金魚なんて見えないよ~で、人垣乗り越え広い会場に・・・やっとアートアクアリウムらしき展示物を目にすることが。 華 魚 撩 乱上部を覆わない雛段型の水槽で、横からも、上からも眺めることができる。お子ちゃまが金魚を触ろうとする姿も見えるコラコラ巨大な金魚すくい会場みたいで大人の私でも金魚すくいができたらと想像したりオイオイゆったり流れる川のように配置されてるそうで。 プ リ ズ リ ウ ムいまどきはカメラ持つ手が多い、多い会場での撮影はフラッシュさえ使わなければ許可されているのでそれは寛容な事と、カメラオバサンは喜んでいたもののドコを撮っても人物が飛び入りする。会場の隙間って隙間に人がいるから仕方ない話。 屈折効果がマジカルな視覚をもたらす多面体の特殊なアクアリウム巨大な12面体と18面体の2種類の水槽は、ダイヤモンドの様に輝き、水槽と言う枠を超えた造形美を見せる(アートアクアリウムHPより抜粋)綺麗な色だわ~と思ったら、心霊写真みたいに人の顔が写ってる。反対側からも見てるからしょうがないけど、アトで見るとちょっとビビるわよね~移り変わる光と、現代的アレンジが加わった祭囃子の様な音楽それに喧騒が交錯する中、金魚達は何を思って泳いでおるのかしらん 金 魚 の 聖 母大きな金魚が逆立ちポーズした金魚鉢には見えたんじゃないかしら?木村英智によるデザインの新作伊ヴェネツィアンガラスの最高峰VENINI社とのコラボ金魚(土佐錦魚)を表現した金魚鉢「Kingyo」一つ一つ職人の手作業による吹きガラスにより、水中にゆらめく尾びれを再現したという来年のミラノサローネ(世界最大の国際家具の見本市)に先駆けお披露目日本の輸入元クライス&カンパニーから販売も予定とかな、な、なんと約120万円前後とか、とかワォ~(Fashionsnap.com HP参照) ~後編に続く~
2012年09月20日
三 越 エ リ ア日本橋から見た三越方面を見ると金色に光り輝くモノが三越新館の外壁に見えたので珍しモン好きの私は興味津々上を見上げるのでござい燦然と輝く三越マークを囲む無数の金色のイルカこれが三越と何の関係があるのだろうと思われるやっぱりライオンていう頭がどこかにあるでしょ? 金 色 の イ ル カ「イルカたちのようにお客様の夢や憧れを創造し、そして一緒に成長を続ける水先案内人として、大きく飛躍したい。」そんな思いのこもったエンブレムの様です。イルカは西洋では未来へのシンボル中国では商売繁盛のシンボルといわれるとかで三越のライオンに次ぐ、新しいシンボルとなるのでしょうかエンブレムの大きさは縦3メートル、横6・7メートル(コチラで設置される様子もご覧になれます)鍛金工芸作家としての評価も高い 東京芸術大学学長の宮田亮平氏によるデザインでイルカをモチーフとした「シュプリンゲン」シリーズでは有名なお方なんだとか。私は観そこなったんですけど、三越新館1階入り口、左エレベーター横に「未来へのかけ橋」と題したイルカがモチーフの同氏作品も置かれとるそうです 願いを叶える?!ライオン定着したこの威厳ある姿。三越デパートに買い物すらろくに来た事ない田舎モンの私でも三越のシンボルったらライオンて答えちゃうくらい日本一有名かもしれないライオン待ち合わせ場所にもお役に立つのはもちろん、極めつけは必勝祈願効果効果もお持ちらしく誰にも見られず背にまたがれば念願叶うというもので受験生には人気のライオンとある。こんな人通りの場にあって、昼日中人に見られないなんて無理じゃない?夜中、早朝でも防犯カメラ作動中とか~?!ナンだか背中に乗るのも受験以上に困難に思えちゃうそれでも何とかあやかろうとしたのでありましょうか、前足・背中・鼻の頭のテカリ具合はネンキが入っておりました。 大正3年に新店舗が完成の際、三越百貨店の基礎を築いたとされる当時の支配人日比翁助氏が百貨店開設の準備の為欧米を視察したときにイギリスで注文したもの。ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔の下の4頭の獅子像がモデルとされ、英国の彫刻家メリフィールドが型どりバルトンが鋳造した(三越本店HPより抜粋) 瑞雲を翔るオシドリ 飛翔する色鮮やかなオシドリは三越本館店内に入ると直ぐに目に飛び込んでくる吹き抜けの4階に届くようにそびえる壮大な天女(まごころ)像の裏側に存在いたします。 天女(まごころ)像 確か9年程前に1度見ているはずなのに、驚きは新鮮で、再び圧倒されたのでございます。当時は陶磁器だとばかり思っていた私だけれど鉄骨の基礎を用いた史上最大級の木彫なんだとか。高さ11m、総重量6750キロ三越創立50周年の記念事業として、1960年(昭和35年)完成完成まで約10年、樹齢500年の檜で作られた瑞雲に包まれた天女が花芯に降り立つ瞬間の姿。製作は名匠・佐藤玄々氏 あいにく、この日中央ホールでは『池坊 花の甲子園2012』なるイベントが開催中で参加者、見学人はもちろん、監視員・スタッフもやたらと多く天女の正面近くに寄って見る事ができませんでトホホ仕方なく2階へ回った先での発見となったオシドリでありました。 金 魚 猫 日本橋三越本店の6階アートスクエアで18日まで開催されていた 「彫刻アニマルパーク」ノーマルなアザラシ・カバ・ヘビ・羊・アライグマ等見た目でその姿がそれと分かる動物達が並ぶ中、発見した新種の金魚?!猫?!が~キンネコ(生みの親御さんがそう呼ぶ)一瞬魚風だけにギョッとしたワケなんだけど見ているうちに惚れてしまったので1枚撮らせて貰ったの。もし、コレド室町のアートアクアリウムの金魚が見れないならコレで我慢しちゃおうってくらい、気に入ってしまった私はしばしキンネコから目が離れなかったわ。作者は新潟県生まれの人形作家、画家の与左右衛門(よそうえもん)氏【本名 庭野脩身】コチラでも作品をご覧になれます♪与左右衛門人形アートなんだか辻村ジュサブロー風な作風にも思えたりまたどこかで遭遇できたら嬉しいキンネコでありました
2012年09月19日
日本橋には世にも奇妙な?珍獣達がいると聞きました?!今回は日本橋と三越界隈に出没した不思議な動物達をご紹介致します~ 日 本 橋 エ リ ア中央区の日本橋川にかかる日本橋にやって参りました♪この橋長は49m、幅27mの石造二連アーチ橋日本の道路元標があって、日本の道路網の始点 (コチラ複製、本物は道路にござい)現在の橋は1911年(明治44年)4月生まれ。2010年(平成22年) 架橋100周年(2011年4月)を記念して洗浄再生されたばかりで綺麗な日本橋デス。上部には首都高が走っているので、景観的には非常に惜しいで、ココには東野圭吾氏原作の『麒麟の翼』で映画化もされ、一躍有名になった翼のある麒麟がおります!私、東野圭吾氏のドラマが大好きで(作品はホボ全く読んでない~ケド)特に【加賀恭一郎シリーズ】は欠かさず拝見しております。で、ミーハー根性丸出しと思われてもココには来たかったのですわ~ 翼のある麒麟麒麟は、中国神話の伝説上の動物で、参考となる作品にも乏しかったことから体の部分ごとに異なる作品を参考にして作製 デザイン上、日本の道路の起点となる日本橋から飛び立つというイメージから、麒麟には見られない羽を付けることを決めたそうで。そんな珍しい麒麟がいるなんて、一生に一度くらいはマジマジ見ておかないなんて勿体ないお話でございましょ? と、いうわけで日本橋に存在する『あ・うん』顔した麒麟は橋中央の左と右に1対ずつ計4頭それも翼のある麒麟は日本、いや世界でもココでしか見られない貴重な珍獣と言えましょう 獅 子 これまた麒麟と同じく日本橋エリアに存在します獅子です。4隅の親柱に『あ・うん』顔をした4頭の獅子が各々が前足で歯車?!、灯台の地図記号?!とも見えるものを支えているのだけれど、コレは東京市(都)の紋章ヨーロッパの獅子像がもつ盾の代わりとなるものでこれまた他所では見られない貴重な獅子と言えるのよね。ちなみに麒麟、獅子双方の生みの親は原型製作は彫刻家、渡辺長男氏鋳造には彫刻家、岡崎雪聲氏 しかし、帰宅後になって、橋の両端の獅子以外にも日本橋には、無数の獅子が隠れているという情報を得た私。それも「橋(8×4)=32頭」の冗談とも言えるかなりの多頭!こういう情報は、現地へ行く前に仕入れないとダメでしょう?!仕方ないので撮影した写真からみつけるしかないわで、唯一分かったのがこの写真(よく見たい方は画像を2クリックしてフォト蔵の特大画像選択で見てね)獅子像の親柱上の4面×4ヶ所=16頭麒麟像の支柱上の4面×2ヶ所= 8頭アーチ部分のキーストーン(要石)部分×4ヶ所=4頭「よく見えない~」と言うお方は現場に行って自分の眼で確かめるっていうのも手よ
2012年09月18日
日本橋は2010年の4月に人形町の散策に出かけて以来。実は、2003年の秋に三越で万華鏡の展示会があった時にも日本橋には来ていたんだわ。今回、コレド室町で『アートアクアリウム展』が開催されているのをテレビで見て、急に出かけたくなったのと以前から気になっていた日本橋のこの辺も歩いてみようかなと、いうことで。息子ふたりを誘ってやって参りました小田急線で代々木上原、千代田線に乗り換えて表参道半蔵門線に乗り換えて三越前で下車 コ レ ド 室 町 2010年秋にオープンかつての輝かしい日本橋の歴史を尊重しながら、現代の新しさも取り入れたという複合施設飲食、物販店舗を集積させた商業ゾーンと、日本橋地域最大級の多目的ホール日本橋三井ホールで構成されているで、オープン予定時刻前にアクアリウム展が行われていると言う三井ホールへ向うと・・・人、人、人~!!そのうちには当日券を買い求める人だけで90分待ちなんて案内人が繰り返す声と、怖ろしい看板が見える並ぶのが嫌い、順番を待つのが苦手な私はたいがいこういう状況に陥ると諦めに入るのが常。それでも言いだしっぺだし、息子ふたりも来ちゃってるし、とりあえず様子をみることにして、次男が寄りたいという、三越地下にある店に。 日本橋 三越本店新館地下2階にありますクラブハリエ以前、母の誕生日にこの店のバームクーヘンを贈った事がありました。その時はこの店の有名さなんて知らなかったケド。イートインもできるお店がこの工房に隣接しているの。ちょっと気どってお茶しても良かったけど、次男は味見ができれば良かったみたいで・・・クラブハリエ このお洒落なデパートの中で、ちょいと恥ずかしい気もしたけどそのまた隣りの休憩場所の椅子で購入してきたバームクーヘンとラスクをむしゃむしゃ、もちろん親子で、なら怖くない、怖くないバームクーヘンのラスク 「私は日本橋の見物もしたいし、 様子見にコレドには何回か行ってみるから あなた達は行きたいトコ行って来れば~」て、ことで母子その場解散!私ひとりでてくてくと日本橋歩きを始めました。三越の裏手に回ると・・・ 日本銀行 本店 旧館一度見てみたかった旧千円札伊藤博文の印刷されたお札の裏にあった日本銀行♪国重要文化財、1896年(明治29)築東京駅と同じ、辰野金吾の手による建築で、バロック風の壮大な建築。ベルギーの国立銀行がモデルとも。当時としては珍しい水洗トイレやエレベーターが設置 当初は総石造りの予定が、耐震性を高める為、建物上部を軽量化。1階は石造り、 2、3階は石を貼り付けた煉瓦造りに変更貨幣博物館 日本銀行金融研究所内のワンフロアに設置されている博物館。1982年(昭和57年)に日本銀行創立100周年を記念して設置1985年(昭和60年)11月に開館日本銀行本店に隣接し、館内には古代から現在に至るまでの日本の貨幣軍票、記念硬貨などが順路毎に展示世界の貨幣・紙幣を見ることもでき、1億円分の紙幣の重さを体験出来るコーナーもある(ウィキペディアより抜粋)双方とも無料見学できたりするらしいのだけれど、悲しいことに本日は祝日、それに定休日の月曜だったりしたので外見だけの拝見でございます。 アンテナショップ日本橋 島根館 東京に来ると日本中を旅した気にさせてくれるのがアンテナショップの存在でございますこういう特典がある東京の方を羨ましく思ったりする私~島根館では生姜のコロッケが、まほろば館では柿こーり食べてみたかったかも・・・奈良 まほろば館 日本橋にはあと、富士の国やまなし館、おいでませ山口館もここからちょいと離れた場所に存在します。しかし、私が気になったのはコレド室町内にあります、 日本の御馳走 えん全国のおいしい食材を厳選した、和のコンビニエンスストア地元メーカーの食品や地域に根付いた伝統的な味覚など、作り手や生産者の顔が見える商品を中心にラインナップ。店内を一周するだけで、日本の食の豊かさを実感できる(コレド室町HPより抜粋)確かに全国からチョイスされた食材や調味料・嗜好品・お菓子等コンビニ感覚の商品がズラズラ並んでおりました。京都のお豆腐や和歌山のまるごとミカンがゴロゴロ入ったゼリー食べたいものはアレコレあれど、重そうだし何時に帰れるかわからないので諦めて・・・で、私が妙に感動したのは数日前に食べた新潟チップスがココで手に入ったことで~!もち♪Mさんのリクエストで彼女の分まで買ったわそれと、熊本のコレ~ 黒糖ドーナツ棒かどの駄菓子屋(株)フジバンビの黒糖ドーナツ棒♪黒糖好きな私だけれど、若いカップルが大箱と小袋詰めを「コレ美味しいの~」とかいって購入していたのを横目で見つつ、ドレドレ私もと便乗した品。見た目はかりん糖みたいな棒状、ドーナツといってもリング状ではない、食べやすいフィンガーサイズ外側はさっくり、中はしっとり、甘さはこっくり口どけの良い懐かしいお味デスで、またまたアートアクアリウムの会場へ足をむけてみると変わる様子も無く・・・再び外に。果たして、アートアクアリウムは見る事はできるのか?!
2012年09月17日
以前は、この辺で退散していたと思われる。高下駄を見て気が済んでしまった今回は、ここより上を目指そうと思うワケ。御真殿 結界門をくぐり右手の77段の石段を登ると御真殿につく守護妙覚道了大薩を本尊に大天狗・小天狗が両脇侍として祀られる朝晩の祈祷から日中の特別祈祷が、修行される道場。 高下駄案内板には和合下駄目方1,000貫(3,800kg)とある。御真殿脇に奉納された大小の高下駄。下駄は左右一対そろって役割をなすところから、夫婦和合の信仰がうまれ、奉納者が後を絶たない。 ステンレス製・鉄製と殆んどが金属製の大小様々の下駄(鉄下駄と言ったら『柔道一直線』・・・思い出す人いるのかなぁ?)奉納下駄目の前の階段からは到着地点が見えなかったりするので「先がみえないし、この辺で帰ろうか」なんて、主人はたわけた事をもの申す。「男だったら最後まで上りなさい!」とハッパをかけてチャッチャと上る。奥の院に続く階段結界門にも両脇に天狗、高下駄の脇にも狐さんに乗ったカラス天狗の像があった。このお寺さんの天狗像はやたら躍動的でカッコいい 大天狗像 小天狗ココから数えたら奥の院まで216段。 奥の院へ・・・ 息が久しぶりに上がって、心臓バクバク運動不足で筋肉痛になるかと思いつつ・・・奥の院 鬱蒼とした老杉に囲れた350段余りの階段御本地十一面観世音菩薩が奉安されている奥の院につく。大雄山のもっとも高い所に位置する。私共の前に熱心な男性がいて、礼拝できるお堂にはすべて入ってひたすら合掌していたりする。こんなに身を入れて神仏を拝む人を見るのは滅多にないので、どんな願いだかわからないが、神仏を崇拝しない我が夫婦でもこの人の願いを叶えてあげて欲しいものだとちょっと思った 帰り道・・・ 奥の院の裏から長~い坂道がのびている。駐車場まで階段なし♪もと来た道を戻るのが大変と思うお方はこちらからで、最後の最後に存在したのがこのお堂・・・慧春尼堂 御真殿に登る車道の入口に、御開山了庵慧明禅師の妹で教えを慕い出家した慧春尼(えしゅんに)のお堂がある。慧春尼様は悟りを開き人々に法を説いたが、応永9年人々の幸を願い我が身を法灯と化して入定。現在、そのお堂の中央に慧春尼様の石像が安置され周りには願いを込めてあげられた紅白のたすきが沢山ある(大雄山最乗寺HPより抜粋)絵馬の代わりに願いを書くものっていったら何があるかな?願いを込めて供えるモノっていうのはあるけれどね~紅白のタスキに願いを書くていうのは珍しく感じた 期待大雄山最乗寺、ここは多くの木々に包まれ清々しく、神仏の懐である故崇高で、曲がった背中も、シャッキリと曇った眼(まなこ)もクッキリと淀んだ気持ちも、スッキリとなってしまう場所だったなぁ。爽快な気分でいられたこの山の中からジリジリ音をたてそうな暑い地面の下界に下りた時、そんな事を思ったのだった
2012年09月10日
夜勤明けての2連休の始まりの本日。たいがいは長男を連れてラーメン屋で昼食して簡単な買い物を済ませ、午後はのんびり家にいるのが普通なんだけれど。今日は長男が居ない~!今年一年間は司法書士試験の勉強に勤しむ長男だが彼女からのお誘いを受け、息抜きの為に草津温泉までおおるりグループの格安送迎付き旅行に行っている。じゃ、私もどこかドライブか電車旅でもしてこようと、ひとり計画を練っていると主人が休日を取っていたので一緒にドライブに行く事になった。ま、ちょうどいいか・・・私が行こうと思っていたのは30年前主人と駆け落ちして住んだ町南足柄だからちょこっと富士山 最初に出向いたのは大雄山最乗寺別名道了尊草創応永元年(1394年)福井の永平寺、鶴見の総持寺に次ぐ格式のある曹洞宗の寺創建に貢献した道了という僧が、寺の完成と同時に天狗になり身を山中に隠したと伝えられることから、道了尊とも呼ばれている。JR東海道本線小田原駅から伊豆箱根鉄道大雄山線が走っている、その終着駅が大雄山駅だ。そこからバスで約10分程で道了尊ひとりで来るなら電車のつもりだったのだ。主人と車じゃ細かいトコまで見れないジャン。費用の節約と楽はできるけれどね~道了尊<茶屋前> 車で参るも、足で参るも良しハイキングで駅から歩くならこの途中、仁王門等も見ることができる。天狗の小径と呼ばれる車道とハイキング道に1万本の紫陽花が植えられ、大雄山あじさい参道と呼ばれる。花の見頃はさぞ、美しかろうと思われる分かれ道 今は、ヤブミョウガがそこいらじゅうたっくさん咲いていた。 ヤブミョウガ posted by (C)くろすけcat県の天然記念物に指定されている杉並木もある。 杉並木 樹齢450年以上のものから600年を数えるものが主流で、境内にも御神木と言ってもいいような大木杉が多い。三門 曹洞宗大雄山最乗寺は全国に四千余りの門流をもち、開創以来六百年の歴史をもつ関東の霊場として知られる。書院 本堂と大香炉 昭和29年再建間口15間、奥行き12間昭和を代表する仏教建築家、伊藤忠太氏の設計御本尊は釈迦牟尼仏、脇侍に文殊・普賢両菩薩を祀り、日夜国土安穏が祈念され、朝晩の勤行や当山山主が修行僧に対しての説法の場(大雄山最乗寺HPより抜粋) 多宝塔 文久3年(1863年)建立多宝如来を奉安、方形層上円形木造二重の塔南足柄市の重要文化財に指定 鐘楼 境内の山林は130町歩、堂塔は30余棟とか広大な敷地に多数のお堂や塔が存在するのだ2~3度訪れた事があるのだが、ゆっくり見て回った事がなかったので改めて大きなお寺さんだと驚いた本日。僧堂 聖僧文殊菩薩を祀るところから僧堂といわれる。修行僧が日夜、坐禅弁道に励む根本道場寺院の庭には萩の花が合うなぁ~ 金剛水塔 道了様が自ら井戸を掘り、土中から鉄印を得たが、これが当山重宝の御金印おかのいんである。その跡から霊泉(金剛水)が湧出、以来600年、この霊泉を飲むものの諸病を癒していると伝えられている(大雄山最乗寺HPより抜粋) 不動堂と洗心の滝 この辺りに来ると線香の煙が霧の様に立ち込めている、写真を撮るにもこんな感じ 結界門 洗心の滝上より結界門の前には、御供橋、両脇に圓通橋が並行している。御供橋は白装束を身にまとった修行僧が道了様へのお供えをする時に使用する為の橋で普段は通行する事ができないようになっている。 後半へ続く~
2012年09月09日
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