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8月から腰痛が再発し、腰をトントンしながら生活している。で、挙句の果てには階段落ちしてしまい、左半身が痛い。ま、それはいいとして相変わらず、毒は吐きまくってはいるが、以前と違って、開き直りともいえる爽快感がある。12月には癒しフェアがあって皆で行こうかという話になったのだが「癒し」という言葉に、胡散臭さを感じてしまう。勿論、私の目的はミスティカにお目にかかることなので、イベントの内容は割とどうでもいいのが、何となく救いに感じる。最近LOHASって流行ってるみたいだけど、なにあれ?この流行のお陰か、雑誌TRINITYってBNが売り切れる程なんでしょ?創刊号が会社に送られてきたとき、こんなの誰が見るの?ってくらいぼやけた感じの内容だったのに。最近では随分「うちなる美」をテーマに頑張っていて面白い。LOHASって「30代知識人武装隊」って感じがしてなんとなくなじめない。大体、ナチュラルをウリにしているものって、実は全然ナチュラルじゃなかったりする。ナチュラル(に見せかけた)メイク、そんな感じ。
2005年11月18日
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2ヶ月くらい、ブログがご無沙汰になっていたけれど、だからと言って何か劇的な変化があったわけではない。今年から花粉症にかかってしまったのだけれど、最終兵器"ブタクサ"にやられてもう、本当に参ってしまった・・・。で、角膜と粘膜の強化のためにアミノ酸を飲みだしたのだけど、ぜ~~~~~~~~~~んぜん、効果がない。薬局の言いなりに購入してみたもののう~ん、ビタミン剤で軽く一ヶ月1万円は痛い。そう、今月のアティーシャ講座の時は、とても気分が良かった。じつは、横浜オフィスは私が育った場所の近所で、田舎のない私だけど、お盆で帰省するOLはこんな気分になるのかなと、新しい感情を経験していた。横浜は東京と匂いが違っていて、生まれた場所は東京の山の手LINEに位置しているけれど、横浜と割と近いのに、本当に違う。そういえば、ここ最近、色々な事がどうでも良くなってきた。仕事も飽きてきたけど、だからといって飽きることが悪い事じゃない。新しいことを発見する喜びに対しても、「あ~そうかもな」と思う程度で興奮する程のものじゃない、と考えるようになった。そんな時、先生から「幽霊っぽい」と言われた。先生曰く、これはほめ言葉の一種だったらしのだけど、幽霊という言葉をほめ言葉に使うのも面白いなぁ、と思う。幽霊に対して悪いイメージを持っていないのでしょう、キット。そんなことを感じながらネガティブ要素の言葉を全てポジティブに捕らえてみようと思ってみた。仕事に飽きたのは、仕事のコツを覚えて能率が上がったから。ダイエットしても痩せないのは、食べるのが大好きで、食べている時に気分がウキウキするので、それはある意味仕方が無い事。とか。とは言っても、痩せたいのだけど代謝が落ちて、痩せにくくなってきた。はぁ、痩せたい・・・。でも、食べたい物を好きな時に"おいしく"食べられるのは、とても幸せなことだなぁと思う。
2005年06月29日
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その後、彼女は、マスターに同じ質問をした。そして、「皆は、殆どの人は1と2の中間が多い、あなたの質問は極端すぎるって言うけど、私はこのどっちかに偏った男としか出会わない」と付け加えた。きっと、彼なら、いいコメントをしてくれる、と私は内心期待していた。で、彼は・・。「イイオトコに出会いたいと思うなら、あなたから謙虚にならないとダメよ♪」と、あっさり言ってくれた。そしたら彼女は「じゃぁ、イイオトコってどういう人のことを指しているの?」と速攻質問を投げかけた。その答えは・・・。「イイオトコって、将来性があって、親切で礼儀正しくて思いやりのあるオトコのことよ。もし、そういう人に出会いたいなら、自分の目線や、ステイタスレベルでオトコを判断しないことね。自分から一段下がって、相手のことを見てあげるのよ。そうしたら出会えるの。”謙虚”な振る舞いって、人間の最も美しい姿なのよ。だから上ばかり見ていたり求めたりしないで、少し目線を下げてあげることね。イイオトコは沢山いるわよ。」なんていうか、経験豊かな人ならではの、いい言葉だった。彼女もようやく納得したらしく、ようやく1つの回答を得た嬉しさで満足していた。これって愛と違って、慈愛や慈悲ってニュアンスが近い感じがする。今まで「謙虚」という言葉を深く考えなかった。女性の美徳の1つが謙虚な姿勢だって、よく言われているけど、勘違いしている男性も女性も多い気がする。オトコ:どこいきたい?オンナ:え~、どこでもいいよぉ~(っつ~か、下調べて来いよ)オトコ:何食べたい?オンナ:う~ん、○○君の好きなものでいいよぉ~(てかさ、事前に店を予約しておけよ、気が利かねぇなぁ)オンナの内心はこんなに黒いのに、オトコはそれを謙虚だと思っていて、オンナは相手にあれこれ決めてもらうのが謙虚だと勘違いしてるので、こんな計算をしてしまうのだ。私はそんな事ばかり日常観てきているので、謙虚という言葉に、常々違和感を感じていたのだが、このマスターの一言で、はっと目が覚めた。ダライラマ講演会から続く慈悲や愛にプラスして、謙虚という言葉にも大きな関心をもった、いい晩餐だったなぁ。
2005年04月28日
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明日からの大型連休に向けて、私はここ数週間は仕事に追われていた。そんな中、久々に友人達と新宿2丁目のイタリアンで会食してきた。噂どおりに本当においしいお店。2丁目は、そう、あの2丁目、ジェンダーフリーのバーが多い中、本格的な味を楽しめるレストランがあるって嬉しい。そこの店主はタップチップのプロで、芸能人でもある。そして、振る舞いが素敵な人だった。私の友人は、新しく会う男に、いつも決まった質問をする。私は、彼女と別の意見を持っているので、この件に対しては寛大にシカトして違う友達とスイミングの話で盛り上がっていた。つまりは、1)パートナーに愛情を注ぐがセックスのない男2)愛情はありパートナーが一番だけど、他にも愛人を抱える男2択のうち自分はどちらを選ぶか、という質問だ。はっきり言って、こんな極端な質問を投げかけるなんてsillyだと思う。でも、彼女にとっては、もっとも興味のあるテーマだそうだから、まぁ仕方ない。彼女の言い分は、オス、つまりデキる男は多くを所有する訳だから、自分はパートナーに愛情を注いでもらい、良い思いをさせてくれれば、他に女がいても構わないし、それは権力を握るオスが生きる為には、欠かせないことなのだ、という。自分は、金も権力もあるオスにしか興味がないから、そっちを選ぶ、と言うことらしいのだ。今まで会った権力のあるオスはみんな後者を選択しているし、妻を満足させた上で、遊んでるんだから、お互いがハッピーだと言っているらしい。アホくさいなぁ・・・。それは男側のストーリーであって、本当に奥さんが割り切っているのか、選択肢がなくて妥協しているのか、本当は自分と家族だけを愛してほしいと思っているのかもしれないし、奥さん側からも意見を聞いてみないとわかんないじゃん。男の描くストーリーを真に受けてどうすんの?権力のある男と徳の高い男は必ずしも一致しないってこと、知ってるのかしら?彼女はいつから物欲の塊になったのだろう、その一方で「結婚したい」って言ってるし。でもね、これじゃ権力者にとって都合の良い愛人街道まっしぐらと思うけどね。
2005年04月28日
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昨日、勉強を兼ねて、渋谷のライブイベントに行って来た。それはビジュアル系のバンド(ビジュ系)3組とお笑い9組が出演し、ステージは2つあった。一発目はビジュ系がメインステージで4・5曲。目面しいのだがこのバンドのメンバーは全員可愛い男の子だった。大抵、1グループに美形は2人以内、と相場は決まっているのだけど、全員綺麗な顔をしていた。歌は好みじゃないけど、しゃべリ方は女の子みたいで、シャイでおっとりしている。まったりと話すから、とろけちゃっている感じ。それがファンの気持ちを掴むようだ。ファンの女の子のほうがドスコイ系で男の子っぽいんだけど、彼らの支持通りに、クルクル回ったり、ヘッドバンキングしたり、本当にけなげに尽くしている。そのあとは3組のお笑いステージ。今回、殆どがバンドのファンらしくて、お笑いは二の次なんだけど、今、本当にお笑いブームな訳で、みんなキャァキャァ楽しんでいる。はっきり言って、芸のない芸人が、よく恥ずかしくもなくステージに立てるなぁと、それだけで感心する。客はどうあれ、芸人を見ているとせつなくなる。それに、今回は、みんな大好きなバンドを見た後だから気持ちが大きくなっていて、芸人に優しい。普段なら笑えないようなネタでも笑ってあげている。また次のビジュ系バンドが登場する。不思議なのはゴスロリの格好をしている割には、歌が爽やかロックな事だ。これはビジュ系に詳しい方に聞くと、最近の傾向らしい。オスカルのような美しい御髪と衣装で歌う姿に、ファンはうっとり・・・。「○○様~!!!」と囁き、目がはぁと。面白い、なんて面白いんだ!ハッキリ言ってお笑い芸人より、バンドのMCは面白い。これも最近の傾向なのかな?「胃が痛てぇ~」とか「あ・・・次は ・・・でライブやります(ボソッツ)」みたいなノリだと思っていたが、「絶対来てね(はぁと」みたいなメルヘンのノリだった。やっぱりお笑いのレベルが低いのにはがっかりしてしまったけど、TVで見るよりライブで見たほうがお笑いも面白いんだなぁと、また1つ勉強になった。
2005年04月14日
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atitが単純にpast(過去)だという意味だったとしたら、transcendenceとの関係はどうなんだろう、と思って電子辞書で調べてみたら、pastにはbeyondと同じ意味に使われることもあって、一般的には「過去」という意味で使われるけど、時には「超越・時間を越える・限界を超えてくる」という意味があることがわかった。最近、原書で学術書を読むと理解が深まるってことを実感していて(遅すぎる発見)、翻訳って面白い気づきがあるのは、うすうす感じていたけど。じゃぁやっぱatitはtranscenenceなんだな。はっ!先日、この名前ことで「超越の意味がよくわからない」という話になった。そこで、「ミスティカのカードを引いてみなよ」といわれ、え~・・・なぁんて、大好きなミスティカカードを軽くあしらいながら一枚引いてみると、境界を越えて:Beyond Boundriesが出たのだった!つまりはpast Boundriesって事で、それはtranscenenceでもありancientにもヒントがありそうな感じがする。ミスティックメッセージ: 自分の夢を実現するときが来ました。知人宅に預けっぱなしだったエオラジェムストーンカードも、本日戻ってきたので、Beyond Boundriesに対応するカードを見つめてみた・・・。続く
2005年04月13日
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それからというもの「慈悲」について考えてみているけど、慈悲は愛を内包し、且つ慈悲は愛の具体的な行為のひとつではないかと思ってみたり、わかったようなわからなかったり。ホント、誰か私に慈悲を教えてください、ぐすん。ただなんとなく、慈悲は同情と非なり、愛は執着と非なるものかな。今までの私の人生を思うと、そんな解釈になってしまうのだけど。慈悲には理性と経験が伴う愛だという気がする。3歳の子供に慈悲があるかというと、そう思えないし、でも愛あるだろうしなぁ。哲学も、よく愛について語ってるが、じっくり読むとじ~んとくるものがあった。でも私は肝心の慈悲という項目をすっ飛ばしてしまっていた。慈悲と愛を比べること自体、視点が違っているのかもしれないし、慈悲と愛を比較せずに考えてみたら何かヒントがつかめるかもしれない。では慈愛という言葉はどうだろう。慈+愛それならなんとなくイメージしやすい。漢字って改めて凄いと思うのはこんなときだ。
2005年04月13日
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新しい名前がやってきて、とっても嬉しいので、暗いタッチの文章表現は止めることにした。さよなら、堅苦しい私。Atitという名前をネームに使うことは目面しい様で(初めて聞いた、とも言われた)、4・5名の先輩から「へ~?初めて聞いた」という感想を頂いた。今回の瞑想会で記念と称しインド料理を食べに行ったんだけど、それは、そこで、本場のインド人にネームを呼んでもらおうというのが真意なのだ。ローマ字の通りに読めば大体合っている、という話は本当のようで、私の名前はサローナ(Oはオーと伸ばすのがヒンディ流)という読み方をする。で、Atitはpast、即ち古代(アンシェント)の意味と似ているらしい。それを名付け親は英語の「超越」に置き換えていた。これはとても興味深く、私の中での超越という概念をアップデートしてくれた。更に本日、インド料理屋のランチバイキングに行き、顔見知りのウエイトレスに聞いてみることにした。彼女がネパール人なのは分かっていたので、ヒンディが出来る人を紹介してもらおうかと思ったが、聞けば彼女もヒンディ語が分かるというので、早速手が空いた頃を見計らって聞いてみると、Atitというのは意味は変わらなかったけど、salonaはbeautyという意味には違いはないけど、多分salonからくる言葉だ、と言っていた。他にもbeautyという意味を表すヒンディはあるけれど、salonaは比較的今っぽい印象を受けるらしい。続く
2005年04月12日
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国技館に入ったことのある方は分かると思うけど、やっぱり、いくら土俵はないといっても「相撲レスリング会場」にしか見えない。そんな中でダライラマが、Sワンダーの用にゆらゆら揺れながら、ぽりぽり背中と首の後ろを掻きながら、講話している姿はまことにシュールな世界だった。ハッキリ言って私は面食いなのだが、「面」と言っても世間一般のハンサムが好みとかというと、そうともいえず、ハッキリ言ってとてもズレている。ダライラマが最高ハンサムだと思うし、それ以上に、声も大事な要素なのだが、彼の声も最高に素晴らしい。最近天に召されたパーパもハンサムだけど、どちらかというとひょうきんなダライラマのお顔の方が好ましい。やはり、カリスマは美しくなければならない、と思う。そして、どうして日本の天皇家のお顔立ちは・・・・なのだろうか、と少々残念に思うし、血が濃いおかげか、雅子様のような目鼻立ちがくっきりとした中東系な顔立ちの方が加わっても、愛子様は相変わらず、皇太子にそっくりなのだった。まぁある意味インパクトのあるヘアスタイルがチャームポイントだろうか。話を元に戻すと、法王が何を話していたのか、半分以上覚えていない。途中から気持ち良くなって寝てしまった。美声の成せる業だ、ニクイなぁ。でも、これも作戦かもしれないと思うフシがあって、始終大した事を話していたわけではなかった。愛がどうだとか思いやりがどうのだとか、敢えて法王が言わなくてもいいんじゃないか?という内容だった。だから法王も「寝ててもいいよ」というメッセージを送ってくれていたのかな、と都合よく解釈することにした。ただ、彼の語気を強めた箇所はいくつかあったけど、死刑制度に反対だと断言していたのは印象に残ったし、愛と慈悲の違いを英語ではなくてチベット語でどういう意味があるのか教えてくれたことは心に響いた。愛とは相手の幸せを思う気持ち慈悲とは相手の苦痛を取り除きたいと思う気持ちだそうだ。そういえば「慈悲」について深く考えてみた事がなかったも知れない。
2005年04月12日
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ダライラマ法王講演会(東京)に出席した。国技館とダライラマの組み合わせがシュールだ・・・。色々思うことあり、色々考えさせられる一日だった。ただ、政治的な制約もあったとおもうのだが、深い話はなく、一般的な道徳を話されていたような気がする。続きは後で書くことにする
2005年04月10日
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東京は今日明日が桜の見ごろだそうだ。私は花見という名目の食事会に参加したが、それはぶっちゃけゴウコンだった。相手はエリート行員(らしい)。以前知り合いの商社マンが英国で見た「ストリップ円形劇場」の話と交通事故で裁判沙汰になったこと、幽霊が出るマンションなどの話をしてくれたのだが、それがメッチャ面白かった。だけど、このような話に食いついた女子は私一人だった。今回はどんな面白い話が聞けるのかな、とワクワクしていたのだけど、土産話にもならないネタばっかりだったらしい。つまらん・・・。徐々に心が大きくなっている私は、自分についてふっと気が付いたのは、相手に話のネタ(特にお笑い)を求める傾向がある、ってことだ。私が苦手な男のタイプの1つにこんなことを言う奴「なんか、ネタないの?」「おいしい話転がってないかな」「いやぁ~、これって一応ネタなんで~」「ネタしこんどきました」いいネタあったら、情報提供してよ、勉強会(飲み会?)しようよ」なんだよ「ネタ」「ネタ」って、すぐに人の話題をネタにするな!と苛立つのだが、実は私もネタを求めているということに気がついた。だから、ネタを求める男が苦手なんだな。ただし、求めるネタの種類は違うんだけど・・・。しかし、今回は海外生活の面白いネタがなかった。残念だ。エリートのボーダーラインが分からないのだが、聞けば一般的にエリート系が多い海外に滞在している(ようだ)。生真面目に仕事だけしていたのだろうか。いや、そんなはずはないと思うのだが・・・。う~ん・・・。この場に先日会った友達が同席していたら、すばやく電卓たたいて、この人たちのエリート度を計算してくれるんだろうな(たとえ頼まなくても)。でも、今回は意外に普通の人たちで、自分の経歴を自慢しなかった、それはとてもよかった。
2005年04月08日
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水星の逆行のあおりを受けて、イヤ、たまたまツイていない事が重なった。仕事で使う大切な本が数冊紛失、購入したてのMP3プレーヤーは突然ぶっ壊れ、コンポの調子も悪い。なんと本日はPCのハードがクラッシュしてあの世へと旅立った。実は今日は締め切り日だったので、凄く焦って仕事をしていたのに追い討ちをかける出来事がてんこ盛りだったのだ。終電で帰宅し、ぼ~っとしながら遅い晩御飯(夜食?)をとっていると、シンプルな封筒が届いていた。海外からDMかな?と思って、うっかり捨てそうになってしまったが、よくよくみたら・・・そう!これは待ち焦がれていたインドからの手紙だった。どれどれ・・・興奮して字が読めない。えっと・・・私の名前は Ma Atit Salona だって。これもまた、どんな読み方をすればいいのやら・・・。しかも意味が凄い!ダメだ、恥ずかしくて名乗れない。しかし、功徳を積まなくては名前負けのまま今世を生きることになってしまう。でも取り様によっては、色々なバリエーションが考えられそうなので、思い切って記してみる。TRANCENDANCE BEAUTY。日本語にすると「超越した美」。美輪さんみたいな感じ?それともスティーブン・タイラーみたいなセクシーすぎて性を超えている人?他に、名前に対する説明が書かれてあったが、今、深夜頭なので、明日もう一度心を鎮めて読んでみることにする。じつは、今日PCが吹っ飛ばなければ、『たけしと志村けんのスペシャル番組』でも観たいなと思っていたのだけど、うっかり終電で帰宅したことによって日付をまたぎ、インドからの手紙を受け取り、そしてなんと本日の夜はスペシャルな日食を迎える日だ。偶然が重なった嬉しい演出、さすがインドだな。
2005年04月08日
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「日食」って聞くと、給食・レストラン、お弁当を作っている会社か?と連想しておなかがすく。いや、そうじゃなくて、金曜日の深夜(9日の早朝)は日食なんだな。しかもmm月dd日から前後d日の間に生まれた人は、この配列の大きな影響を受けるらしく、なんと私の誕生日はそれに適応されるので、金曜日が待ち遠しい。確か、この日はおひつじ座の新月で、金星、太陽、水星が並んでいるお目出度い日なのだそうだ。ウエブからライブで見てみようかなと思っている。しかし、月末から水星の逆行が始まっているので、ホウ(報)レン(連)ソウ(相)を忘れず、何でもメモメモしようと思っていたのだが、なんと大切な本を紛失してしまった。多分電車に置き忘れたのだと思うけれど、それがいつだったのか思い出せない(涙。あぁ~・・・。星回りを上手く活用しようとして、ポジティブになろうと、とりあえず月の満ち欠けがわかる手帳を使っているのだけど、見てもすぐに忘れちゃうし、ボイドタイムはほぼ毎日のようにあるし、むしろ気にかけることで、ネガティブになってしまいそうだ。でも、いい事もあって、エステやダイエットなどをするのにオススメの日がわかるから、美容院に行く日や、エクササイズを強化する箇所を決めたりするのに役立てている。以下今回の日食の詳細↓ハイブリッド日食は、1つの日食帯の中で、金環食と皆既日食が同時に起きる珍しい現象。今回、月と太陽の見かけの大きさが太平洋上の2点で全く同じになるため、2点の間では皆既日食、その両側では金環日食が観測される。 映像は、パナマと太平洋上から配信する。パナマでは金環食、太平洋では皆既日食が見られる。 PCからのアクセスは「http://www.live-eclipse.org/」か「http://日食中継.jp/」から、携帯電話は「http://k.live-eclipse.org/」から。映像は、中継終了後もオンデマンドで視聴可能だ。
2005年04月06日
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オーラが見えた「嬉しゲロ」なのか、びっくりしたのか(多分風邪)午前中まで倒れていた。しかし、そのコツを掴めたことは何より嬉しい。オーラを見る段階までに必要な作業があって、体のバランスを整えることである。気功やヨガ、太極拳などをされている方の中に、オーラが見えるという人が多いけれど、なるほどなぁと思った。ティーチャーは、丹田を意識したり、身体を楽にしながら「気」を全身に回す、といったウオーミングアップの方法を丁寧に分かりやすく教えてくれた。それを実践して、体がぽかぽかしてきた頃に、ぼんわりと見えてきたから、本当にびっくりしした。でも何回やっても、同じ色が見えたから、これは単純に思い込みじゃないんだぁ~と感心してしまった。そんなわけで、健全な身体でいることで、自分や周囲の気を観る事が出来るんだな。貧弱な身体でいると、「気」を感じる感覚が鈍るのかな、と思う。
2005年04月04日
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見えたオーラについての補足だが、今の自分の気分を表すオーラということで、気分や体調によって変わるようだ。以前は白い壁で練習していたけど、黒い紙をしいて手をかざすと、手の内側と外側にいくつかの層が見えた。そっか、黒バックというテがあったな。ティーチャーのコメントによると、今の私は、外見の黄色やオレンジではなくて、内面の青ベースの紫として生きたいと思っているらしい。要するに、周囲にあわせて同化したり同調するというよりは、もう少し、自分の直感に頼って、それを信じてみてもいいのではないか?という気持ちの変化があったらしく、それで紺(冷静、判断)に紫(直感)が混じってきている、との事であった。以前、音と光のセミナーで、自分の声を色に表してみてみたが、そのときは紫と赤のコンビネーションだった。今、自分の声はどんな色なのだろうか・・・。
2005年04月03日
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今日の夕方、友人の紹介を受けて「誰にでもオーラが見える講習会」に参加した。昨年から、オーラが見えるようになりたいだの、天使に会いたいだの言い出していて、オカルトやスピリチュアルな事に無関心だったり、非科学的なことを受け入れないヒトには、とうとう奴も狂ったか・・・と思われていたに違いない。しかし、何を隠そう(隠していないが)私は"ひゅーまんさいえんす"の研究室に在籍中でもあるので、矛盾に満ちたライフワークを自ら選択していることになる。この研究室ネタに関しては、今のところお話できるほどの余裕がない。研究論文を書き上げたら、別枠で書こうかな、と思っている。心理系の勉強をしてみたいという方に少しでも貢献できたら嬉しい。さて、オーラだけど、実は2ヶ月前の瞑想講座で少しだけオーラが見えた。だけど、一瞬にして消えてしまい、それ以降、また見えなくなってしまった。その時は「見たい」と思って見えたわけではなくて、強烈に発していたと思われる2名(先生と他一名)のオーラが突如浮き出てきたのだ。今回は、「あえて見る」、「見えるコツをつかむ」講習会だから、ティーチャーにいくつかのコツを伝授していただき、生徒同士でオーラを見合ったり、一人にフォーカスして、みんなでその人のエネルギーの玉を見たりして、あ~でもない、こ~でもないと談義もして、そのひとつひとつが優雅な時間で楽しかった。何回も繰り返すが、私は感覚が閉ざされているので、このようなワークに参加しても何も感じなく憤りを感じて帰ってくるのが殆どだった。事実、見えると確信を持てるようになった"この日"を迎えるまでに半年もかかった。どのくらいお金と時間をかけてきたか分からないが(大げさ)、しがないOLにとっては決して安くない出費だった。それが、本日こんなリーズナブルな価格で体験できたなんて!なんて良い日だろう、喜びと達成のハミングをしたい気分だ、OH HAPPY DAYSも歌いたい。因みに私の色は、内側が紫紺、外側が黄色だった。自力で見えて、且つティーチャーからも同じ回答が得られたので、思わず興奮してしまった。ただ、私にとって「見えやすい人」と「見えにくい人」がいて、全員のものが分かるわけではなかった。
2005年04月03日
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セラピスト講座を受講したとき、「自分の問題の渦の中に漂うのではなく、大きな空が自分で、ところどころに見える雲が悩みの1つだと考えると、この問題や悩みよりも自分は大きな存在で、受け入れるキャパがある、と考えると、今まで自分を煩わせていた悩みが、もうどうでも良い存在になって、楽観視する事が出来る」ということを教わった。そう思って、クライアントの話を聞くと、自分が相手の悩みや想念に巻き込まれることがなく、気持ちを穏やかにカウンセリングすることが出来る、というのだ。受講生とペアになってそのシュミレーションをしたのだが、この経験は本当にタメになった。今まで、相談窓口をしたり、悩みの相談を受けたり、時には占ったり、アドバイザー的な仕事をしてきたけど、そのたびに、この人はどうしたいのか?本当はどう思ってるのか?もし私がこの人だったら・・・など、シュミレーションをしていくつかの解決方法を導いてきたけど、本当に疲れる仕事だった。だけど、この講座で教わったことを思い出しながら、仕事をすると、余計なストレスを背負う事が少なくなった。だけど、一昨日、友人からギスギスしているといわれ、思わず興奮したり落胆してしまったのは、先生に教わった方法を忘れて、「10年来の友人」という昔から私を知っている人に、冷たく突き放されてしまった、と感じ、10年という月日に価値を置いてしまった事が、原因のひとつだと思う。通りすがりの人に言われた指摘として、ありがたく受け止めようと思う。それから彼女の相談や悩みにも、つい昔ながらの義美で熱の入ったアドバイスするのもやめようと思う。多分、彼女は自分の内面は無視(あるいはパーフェクトと思い)、相手の男性に求めるものがとてつもなく多すぎるけれど、その条件を変えるつもりもないし、自分がそれに相応しい自分かどうか内省する必要もない、と思っているのだから。
2005年04月02日
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会社の帰りに偶然学生時代の友人とディナーに繰り出した。私たちは女子高出身で、彼女は女子高校→女子大という生活を満喫していて、華々しいゴウコンを繰り広げていた。OLになってからも典型的なOLライフを過ごしていたから、なんでこの二人は友達なんだ?と、飲み会で何人にも指摘されている。その彼女が言うには、ここ半年くらい私は、性格がギスギスしているらしい。確かに、レポートを作成したり仕事が忙しかったり、プライベートでもショックな事があったから、何かとストレスが重っていたのは事実。で、やっと今週から憂鬱が開放されたと思っていたのに、彼女いわく、私は今日もギスギスしている、と言うのだ。最近、物事に判断をせずにありのままを受け入れるいう瞑想のヒントを実行しているのだが、思えば、彼女に対して、以前は何があっても前面に受け入れてきた。でも、最近は、彼女に対して「?」と思うことを、さっくり聞いたことが続いたかもしれない。でもそれは、数年間暖め続けた質問であったから、私のほうに矛盾はなかった。彼女は恋人に対して詮索する癖があって、それは恐るべし洞察力だと感心するのだが、更に、相手の学歴や家庭環境、趣味思考、年収など細かいカテゴリで相手をジャッジする。つい最近の飲み会でも、相変わらず「学校はどちら?」「地方出身?じゃぁどこの高校出身?(ここで公立高校や知名と偏差値の低い学校は論外)」とこうだ(昔と変わっていない)。加えて会社が一流企業でも、部署が出世コースの花形じゃないと、眼中なし。今日聞いた話では、子供の養育費と老後の問題も考慮して相手の貯金は2億は欲しいが、これは最低限だそうだ。加えて精神肉体共に健康で、次男で、メールまめでetc・・・とにかく細かい。一次はオヤジと遊んでいて、随分いい思いをしたようだ。だから自分の男がコレに少しでも当てはまらないと、不満で一杯になる。相手に対する要求が過ぎるので、男は次第に去っていくのだが、そうすると逆上して、婦不平不満の愚痴電話やメールを相次いで私のところによこしてきた。私は、彼女がストーカーの一歩手前までなったときだって必死に止めたし、彼女の行動や発言の一切を否定せず、相手を悪人にして、何千回と彼女をたて、賛辞した。最近もそんな恋愛があったのだけど、忍耐強く話を聞いたし、やんわり諭したけど、そろそろ、そのネタにも限界を感じたのかもしれない。「私、彼とは切ったのよ、もうどうでもいいの。数回に一度メールを返信してあげてるけどね、もう会わなくて平気」・・・また始まった、と内心私は思う。因みにこのふたりは今でも一日に数回、毎日メールしている。「じゃあ返信する必要もないんじゃないの?実は心の底ではメールを期待してるんじゃないの?」と私「でも私の辛い時期を救ってくれたのは彼だしィ、(そうは思えないけど)これでケータイ番号変えたら薄情な女だと思われるでしょ」「縁切ったんでしょ?且つどうでもいい存在なのに、なんで彼に義理だてる必要があるの?しかもあんなフラレ方されたのに」と苛立つ私。この時点でお互い険悪なムードに。「私は、今までの恋愛で、いかに自分が相手に期待して、執着して依存していたが分かったから、もうそういう恋愛は疲れる。相手に期待しなくてもいい関係を築きたい」と私はつけ加えた。そうすると彼女は「あなた病気じゃないの?相手に期待しない恋愛って詰まんないわよ、だったらなんであなたゴウコンにくるの?だって恋愛に興味ないんだったら来ても意味無いんじゃないの?昔の恋を一体いつまで引きずってるつもり?彼の友達たちとも縁を切りなよ」と言い切った。私は、彼女の未練話を、夜中から朝が来るまで丹念に聞いてあげたり、励ましのメールもした。それなのに、私が1つの恋愛から学んだ多くの気持ちに対して、恐ろしいまでに冷淡だ。そして、「あなたの気持ちは分からないし、他の友達に相談して。ごめんなさいね。そんなにギスギスして、色々思いつめなくてもいいんじゃない?」と彼女から話題を終了させた。彼女の思いつめてきた多くの恋愛話、改善の道のない愚痴を、10年以上聞かされてきた私にとって、がっかりする発言だった。慰めとか労いの言葉を期待したわけじゃないけど、「そういう時期もあるよね」くらい言って欲しかったな、と思った。
2005年03月31日
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続く、と書いて記事を閉じたが、これがきちんと「続き」になっているのか曖昧だけど、ドーナツのたとえ話をすると、思考が低下し、おなかがすいてくる。ではなぜドーナツに穴があいているのか、と思う。餡が入っていなければ、あげパンのように、一口ドーナツのように、お団子状でもいいような気がする。ある方のHPにドーナツをモチーフにショートショートを見つけたので、紹介したい。そういえば私は小学生のときに、ショートショート倶楽部に所属していたなぁ。AQ! & へべ のトホホ文芸倶楽部(http://aq.webtech.co.jp/lib01.html#AQ)☆第3回ショートショート『穴』応募作品★『ビッグバン』 穴の無いドーナツは己れの醜い姿を悲しんだ。そのプヨプヨした體は、ドーナツの存在の力に乏しく、はかなく腐敗していく生ゴミの日の、都推奨炭酸カルシウムゴミ袋の引き攣れた裂け目から落ちてくる驟雨の雫に臭いたつ哀れな最期の日の予感に満ち満ちていた。 一方、周体の無いドーナツの穴は、目醒めたその時から、己れを求めて旅立った。ドーナツの穴は非在であったが、ドーナツをドーナツとして固定する超在でもあった。ドーナツの穴の旅は、その存在しない體を引きずって、過酷なものであった。嵐にもまれる難破船では船乗りたちを叱咤しながら帆を操り、千尋の崖を怪鳥を斬り落としながら馬を駆って走り抜けた。 やがて、旅路の果てに、ドーナツの穴は、子供たちの掘った、藁で巧妙に隠された落とし穴に落ちた。穴は穴に出逢った。虚が虚と激突した。 信じられないくらいの光と時間が炸裂し、そして、宇宙が生まれた。
2005年03月31日
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塾メイトが一足先にサニヤシンになった。自分事のように嬉しい。そのニュースを聞いてから、私はすっかり気分が明るく元気になってしまった。今までの、気だるく、陰鬱な数週間は何だったんだろうか・・・。補足すると、私たちは最近、先生の講座を「講座」と言わず「塾」として、そして先生の事を「塾長・塾頭」として、メールでは「そういえば塾長がさぁ~」なんてそんな言葉遊びを楽しんでいる(先生、すまん)。そして、そんな私たちは、"塾ライフ"を満喫(燃焼)していて、とってもご機嫌だ。因みに「塾」は英語でJUKU SCHOOLとも言う。多分、補足的な学校という意味で遣われているのだと思うけど、この言葉の元を辿ると、「修学の子弟の寄宿所」という意味がある。月に一度、私たちは一定の時間(塾)を共有して、真剣に遊んで余剰エネルギーを燃焼する。だからと言って、「敷居が高い」って意味ではない、そもそも敷居なんてものは、ない。愛や、宇宙の波動に感動して"ハグハグ~"、とか"一部の怪しいニューエイジ的"な事もしない。ハグしたければ、すればいいし、泣きたければ泣けばいいのだし、そしてその五分後大笑いしてもいいのだ。話を戻すと、その塾メイトに、ステキなニックネイム(のようなもの)がついたわけだが、「内側の充足」という意味らしい。ステキ~♪そして大きなテーマだ、と思うし、既に彼女に馴染んでるような気がする。しかし、ヒンズー語の読み方がわからなくて、ローマ字読みにすると・・・「?」。空耳アワー活字バージョンに、私たちは、思わず笑ってしまう(すまん)。それに反して、私に「外側の渇望」って名前がついたらどうしよう・・・。と、要らぬ心配もしてるけど、それもすっかり楽しんでいる。サニヤシンのお祝いはインド料理屋で、そしてイケメン(これ大事)インド人サーバーに、このお名前を呼んでもらい、塾長と皆で"黒田節"改め、内側の充足を感じながら祝いのダンスをしたい。
2005年03月31日
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ミスティカードは11枚のカードから成り立っていて、それはミスティオイルの各オイルに対応している。ワタシのように、自分の想像力が貧弱なタイプは、このように視覚と嗅覚の関連、つまり五感の紐付けが出来ることは、とっても便利だし、このような記憶法は、一度インプットすると忘れないので、生活のシーンでも色々応用が出来る。さて、ARRAIVAL(到着)のカードだけど、ワタシが開封して初めて引いたカードだ。意味は、「人生における大きな、あるいは小さなサイクルが完結するときです。」とある。以下HPから引用----------------------------------------------------ちょうど今、あなたは長旅を終え、目的地に着いたと想像してみてください。あなたは、すでに目的地にいるのです。どこへも行く必要はなく、ただくつろぎ、すべての緊張を手放すことができます。完全に満ち足りていて、満足感と達成感があります。あなたは「過去」ではなくまた、「未来」でもない、「今ここ」に生きているだけなのだ・・・という感覚に気づいていきます。ただ、今ここで、生は脈動しているのです。 何もするべきことはなく、どこへも行く必要はなく、あなたのあるがままでいていいのです。ただ存在することで生は起こっています。 ----------------------------------------------------まだまだ気持ちの面では引きずる悩みを抱えていても、実はマインドを除いて、私はくつろいでいて、そして、ほっと一息つきながら今をエンジョイして、また次のステップに向かうのだろう。そんな準備ができているんだなぁと思うと、あの苦しかった時期を乗り越えた自分を尊重したいな(いつかは)、と心から思えるようになる。そういった”心の余裕(スペース)”をこのカードとオイルは与えてくれた。とはいっても、マインド的にはまだしこりがあるものだから、ふっと、ネガティブに戻ったりするけど、70%くらい立ち直っているのかも。以前は、そんな事を考える余裕すらなかった。*因みにワタシは、イヤなことがあっても、ぐっすり寝たら翌日はスッキリ忘れている、とかそんな”簡単な”性格ではない。悩みが無いとか、あっけらかんとした人の、このような話を聞くと本当に羨ましい。
2005年03月30日
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今週は、香山リカ著作の『生きづらい<私>たち~心に穴があいている~』を読んでいる。ここ最近、彼女の著作は5冊程度まとめ読みをしているが、彼女のクライアントから「心に穴があいている感じがする」「自分探しをしたいけど見つからない」といった相談事が増え、欝や不眠症をすっ飛ばして、乖離や離脱をおこしやすい傾向がある、と触れられていた。原因のひとつにはネットの普及で簡単に多重人格になれる事があげられていた。彼女の作品は読みやすいから好きだ。瞑想会では、先生はよく「心はドーナツのようなもので、中心は空洞で周りが肉厚だと思ってみよう」と言うのだが、その度に「なるほどなぁ」って思う。「ワタシ達は無意識に自分にラベリングをしていて、そのラベルによって自らを苦しめたり悩ませてしまうのだ」と教えてくれるんだけど。納得。いい意味で使えば、それが自信に繋がるから、心にも余裕ができるし、ポジティブに物事を捉えることができる。でも、それに囚われすぎると、「社長のワタシがなんでこんなことしなければいけないのか」、「ワタシは社長なんだからこうあるべき」etc・・・と、「べき」とか「べし」と言い切って自分の可能性を狭めてしまう場合もある。「心に穴があいている」といって悩んでいる方がいたら、是非視点を変えていただきたいのだが、「本来、心は穴が空いているものだ」、と思ってみてはいかがだろうか?穴があるからこそ、自分を解放して、ほっとしたり、瞑想したり、また、自然の美しさや、小鳥のさえずりに気をとめることもできる、温泉でイイカンジで湯に浸かったり。穴を「ニュートラルでいられる自由な空間」と思ってみたら、随分楽になれるのになぁと思った。ワタシも、「心にぽっかり穴があいている」と思ったことがあった。論文を書き終えた後、燃え尽き症候群みたいになってしまったし、他では情熱を傾けていたものがあったのだが、ある日突然、奪われてしまって空虚感を味わったりしたのだ。こんな経験、皆にもひとつやふたつあるんじゃないのかな。ただし、空虚な自分を受け入れるのは、ちょっと覚悟がいる。ある意味、「自分は何者でもない、ただのワタシ」ということに気がつかなければならないから。社会的に認められている人であればあるほど、冠がいっぱいついていればいるほど、ハードなの作業かもしれない。こんなワタシでさえ、"何も無い自分"に気がついて、受け入れるには、ショックが伴った。-続く-
2005年03月30日
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朝3時に寝て、昼の12時まで寝ていた。朝食を軽く取り、午後3時から7時までシエスタ(?)を取った、という訳でまたしても半日睡眠をしてしまったのだが、まだ眠い。昨日は満月(正確に言えば今日の朝五時)だったから、月の影響で眠くなるのかもしれない。実は、この時の夢は超HAPPYだった。夢の中で、私は抱き枕を抱えて寝ているのだけど、周りが仄かにピンク色で、快眠で、時折お花のイイ匂いがして、「あぁ~幸せをやっと実感したなぁ」ってつぶやいていた。で、本当にただそれだけで幸せだった。夢診断によると、美しいピンク色の夢は、精神的な幸運を表しているらしい。そうよね、峠は越えたと思うし。だけど現実は、やっぱり人混みが苦手になってしまっていて、少しの遠出なのにグリーン車両に乗ってしまった。変な匂いも音もしてこないし、密接感もないし、ゆったりと座れたのでとても快適だった。来週こそ、もう少し回復したい。
2005年03月26日
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今日はゴウコンだった。会社の男性社員は、多分、2次元の世界の女性かキャバ嬢が好み(っぽい)といういわゆるアキバ系ヲタ○だ(と思う)。だから、と言っては失礼だけど、普通の男性を見ただけで「ステキ」と思ってしまいそうな自分が恐い。友人にも、「あんなレベルでステキだなんて言わないでよね!」と言われてばかり。でも、だからと言ってその人の事が好みなのではなくて、こんな普通な男性が自分の会社にいて、普通の話をスムーズに出来たらいいなぁ~って思う程度なんだけど。最近「女は2次元につきる」という言葉を耳にする。・・・きもい。生身の女と、対等に話すことが出来ない。妄想の世界が居心地いい。その気持ちは分からなくないけど、あまりに極端だと、どうなんだろう。ハッキリ言ってロリコンも大抵キモい。だって、大抵、自分に自信のない男(同世代に相手にされない男)が、未熟な女性を自分の色に染めたいという、ジリ貧の征服欲の表れでしょ。その女性が若くても精神的に成熟していて魅力的な人だったら、ステキなカップルだと思うけど、実際そんな美しい小説のようなカップルは滅多やたらにお目にかかれない。先日は、女性の体毛の話になって、無駄毛って処理すると言うか生えることも信じられなかったって真顔で言っていた。ばかね・・・。「目を寄らせながら腋毛を抜くんだぞ!男には出来ない技だろ、あの痛気持ちい快感を味わってみろ~!」と心の中で叫んでしまったが、「女はマネキンじゃないんすけど」と生ぬるい笑みを浮かべて会話を強制終了させた。二次元が好みでもキャバが好きでも趣味嗜好は否定しないよ、でもさ、日常生活の社会的コミュニケーションが取れる事が前提の上での話しだと思うなぁ。
2005年03月25日
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時計の時刻、切符の数字など、数字がぞろ目なったり韻を踏んでいたりすると、それは天使からのメッセージなのだ、と言われている。天使のほかにはスピリチュアルガイドとか天のお告げとか色々言い方はあるみたい。さて、楽天日記はキリ番になったらメールで通知してくれるんだけど、なんと偶然にもVIJAY先生がリンクを貼ってくれたタイミングは、訪問数333番目だった。ここ5ヶ月くらい前から、2のゾロ目に出くわすことが多かった。時計をふと見たら2:02、2:22、22:22。2月2日の22時22分も偶然にも時計に目をやったし、そして極めつけはサニヤシンのフォームを記入し終わったのは2月22日の2時22分だった。この場合どちらかと言うと、天から「2」を頂いているのと同時に、潜在意識で自分から「2」を求めているのではないかなぁと思う。このゾロ目だけど、3と4のゾロ目って殆ど見たことがないかもしれない、意識していないだけかもしれないけど。だから、先生から「3」を頂くのは新鮮だ。で、早速、数秘に詳しい数秘番長に伺ってみた。以下、彼女のコメントだ。ドリーン博士の本より抜粋。3=「アセンデッド・マスターたちがあなたのそばにいます。そして彼らの手助けと愛があり、そばにいることをあなたに知ってほしいと願っています。アセンデッド・マスターたちをたびたび呼んでください。特にあなたのまわりで数字の3のパターンが見えたときにはそうです。よく知られたアセンデッド・マスターたちには、イエス、モーゼ、マリア、観音、それにヨーガナンダなどがいます。」ですとな。ひぇ~、リンク貼ってくれた瞬間が「3」ですか!ひょっとして先生もアセンデッド・マスターかな?!しかし何にでも、ファンタジー性を求めるのは良くないが、遊び感覚でこの偶然を愉しんでみると、先生から3を頂いたのは、「ハートのコミュニケーション」を感じろってメッセージなのかも知れないな。そう、3とはそういう数字なんだよね。それにしても、タイミング良いなぁ:)因みに「2」はインスピレーションを信じて我が道を行け、迷うなかれ!という意味合いがあるようだ。他に、「隠れた事実を知る」という意味もあり、女性の豊かな五感というよりは、霊性を帯びている女性の一面(シックスセンス)が適当だと思う。多分今の私に浮気調査をさせたら秒殺間違いないかも、ね。
2005年03月24日
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民放も邦画も殆ど観ない。流行りモノにも疎いので、勿論『世界の中心で愛をさけぶ』がセカチューと呼ばれている、という事を知ったのも、つい最近の事。先日の日記で、わざわざ世界の中心まで行き、愛を叫ばなくてはいけないのか?と疑問に思った事を触れたけど、そもそも世界の中心とはどこぞや?ってな訳で、セカチューのファンサイトがあったので、そこを覗いてみると(http://www.alived.com/ai/myst01.html)ドラマ版の「世界の中心」は、「好きな人に抱きしめられた状態(腕の中)」との解釈がある。ようは、愛情にあふれている「場」というものが「世界の中心」を意味しているようだ。なるほど、いい事いうじゃん・・・。では、なんで愛が溢れている場所で、わざわざ「愛~!」と叫ぶ必要があるのだろうか・・・。「こ・・・これが、愛なんだ~~~~!!!」ってアピりたいのか?愛は叫ぶものでもなくて、感じるものだと思うんだよね。それに愛を感じているとき、「愛」というありきたりな言葉よりも、特別な感情が湧き上がったり細胞や魂から滲み出てくる「何か」を体感して、実際言葉にならないんじゃないか?あるいは、「愛(情)」がある生活に慣れてしまうと、愛に鈍感になって、愛を味わう気分が薄れてしまう気がする。過去を振り返ってみて、「あれは愛だった」とか、「あの時に愛を感じた」とか、結構、過去・完了形で使うほうが多いような気がするな、まぁそれは私の場合だけど。で、なんで私がそこまで「愛」のディティールにこだわっているかというと、「ハート瞑想」に取り組んでいるからで、「ハートの呼吸」を感じる訓練、いや、遊びを日常で体感しようとしているから。ハートの呼吸って言ったって、何も心臓の動きを指してる訳じゃなくて、感情の伸縮とか周囲とのココロのやり取りの事なんだけど。これが結構面白い。例えば怒っている時、「あぁ私の細胞が、ココロが、表情が毛羽立って、おおお~、こんなに怒っているんだぁ~、こんなにも怒れるんだ私は!。体調が悪いって言っている割には、こんなにエネルギーがあるじゃないか!」と思うと、怒っているはずだったのに、面白おかしくなってくる。この余裕というかスペースを作る事が大切なんだな、きっと。あ、何で愛をさけんだのか、知っている方がいたら教えてください。
2005年03月24日
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「数秘(カバラ数秘術と言う場合もある)」とはどういうものか知ってはいたものの、私が習った数秘の意味はタロットカードに反映させたものだったから、この機会に少し調べてみた。個人の数秘を出すには、生年月日や年数から計算して割り出す。この組み合わせによって自分がどういう役割を担っているのか、時代や社会との関わり方を導くことができる。【ライフパス】人生の中で体験して行くことになる生涯のテーマを表す数。計算方法は2パターンあるようだ。同じ人もいれば違う人もいて、残念ながら私はどの計算方法を使うかによって違う結果になる。<算出式>バージョン1:Y+Y+Y+Y+M+M+D+D=AA A+A=B(こっちを使う方が多いみたい)バージョン2:YYYY+MM+DD=AA A+A=B例)1926年9月13日生まれの人バージョン1:1+9+2+6+9+1+3=31・・・ 3+1=4バージョン2:1926+9+13=1948・・・ 1+9+4+8=22【年周期】9年サイクルで巡ってくる年周期。1~9までのサイクルは、季節がめぐるごとに植物が成長する様子に例えられる。サイクルを理解すれば、今なにをすべきかが明確になる。<算出式>Y+Y+Y+Y+M+M+D+D=EE E+E=F例の2005年の個人年周期は2+5+9+1+3=20・・・2+0=2【月周期】上の計算式で算出した「個人年周期」に月数を足す。例の2005年5月は・・・2+5=7【誕生数】過去の人生(前世とか過去世)から引き継いでいる内的な本質や今の自分の得意分野を表わし、魂のクセのようなもの。クセは表に出やすいことから、この数は表向きの自分を表わすと言え、現在の自分は過去の影響がとても強いものだとする。<算出式>生まれた日にちを1桁になるまで合計する。例だと13日生まれだから1+3=4【目標数】人生のゴール、課題、目標とする生き方を表わす。どちらかと言うと苦手分野であることが多いが、成長や幸福のために克服すべき課題や目標。この目標は与えられたものではなく、生まれる前に自分で選んで決めてきた目標であり、到達後の幸福は約束される。<算出式>生まれた月日を一桁になるまで合計する。例だと9月13日だから9+1+3=13=4注意:11と22(場合によっては33)は特別な数字として見るので、この数字が出たらそこで計算は終了。
2005年03月23日
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ワイス博士の過去生CDを聴いたけど、やっぱり今日も、そのヒカリに満ちたトビラを開ける事が出来なかった。ヒカリと共に向かい風が吹いて、その美しいトビラは一層重く、そして私は力尽きた。今思い出したけど、それは初めてスカイダイビングやバンジージャンプをした時、恐怖と希望が入り乱れてアドレナリンが放出しまくった時の気分に似ている。せめて追い風でも吹いてくれればいいのに・・・。あぁスカイダイビングは楽だった。否応なしに、飛び降りさせられたし、チリとゴミまみれの雲の層のおかげで景色が見えなかったので「怖い」って感覚も薄かった。一方バンジージャンプは景色がよく見晴らしがいいし、天国の階段のように一段一段、階段を上り詰めるんだけど、それも恐怖心を煽った、高いお金を払ってわざわざ処刑されるみたいなもんだ。おしっこをもらす人の気持ちもよく分かる。せっかく上り詰めても、2秒程度で飛び降りる。もったいない。いや、そういう問題じゃない。もう二度とやりたくない。ああ、そうだ、その時の感覚に似ている、ヒカリのトビラ。美しい装飾のアールヌーボー調の扉をイメージしたけど、今宵は、モンスターズインクに出てくるようなPOPで可愛いトビラをイメージしようかな。いっその事、サリーやマイクが迎えに来てくれればいいのに。また言い訳するけど、CDのガイダンスが早いので、余計なキャラクターを想像させてくれる時間が無い。そういった意味では、初心者に優しくない過去生退行CDなのだ、と思う。コツを知っている方がいらしたら、どなたか教えてください。
2005年03月23日
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以前購入したワイス博士の「過去生退行CD」だが、これが全くの不評だ(自分的に)。と言うのも、ガイダンスが早いので、イマジネーションが湧いてきたなぁ・・・と思ったら、次のガイダンスへ移っちゃうんだな。いちいちCDを一時停止するわけにもいかんしな、ぶつぶつ・・・。しかし、このCDはどんな睡眠薬よりも効き目がある、というメリットも述べておこう。睡眠術って詳しく分からないけど、「階段を一段一段降りていく」って事をイメージさせるのは良くある手口らしい(ん?言葉が悪いかな)。このイメージによって深い部分まで降りていく=退行のプロセスを踏むらしい。でね、この階段ってぇ~のがネックポイントで、ワテクシ、この段階で寝てしまいます。セラピー類を学んでいる知人によると、ガイドの途中で寝てしまうのは「過去生を見たくない!」という潜在意識の強い表れらしい。え~、私はよっぽど辛い過去世を背負っていたのかぁ~(悲観。で、懲りずに昨日記念すべき10回目の退行催眠をしてみた。ふふ!寝なかった!初めてCDを最後まで聴けたぜぃ。と、喜んだ反面、何も過去生が見えなかった。いや、恐くて光の扉を開けることが出来なかったのだ(涙。恐かった、まぢで、ぜぃぜぃ・・・。因みに扉を開けると過去へトラベルするってストーリー展開なのだ。
2005年03月22日
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私は仕事の都合上、ある特定のジャンルの本を読むのだけど、ぱらぱらと資料になる本を読んでいたら、その本の一説に臨床心理家のスコット・ペックの『愛と心理療法』(1987)の愛の定義が触れられていた。フロムをはじめとする専門家はおおむね愛を精神的な成長や向上に結び付けたがるのだけど、ペックもしかりで、「愛とは自分自身あるいは他者の精神成長を培うために、自己愛を広げようとする意思である」とした。ここまでだと、へぇ~・・・ってな、よくある哲学書の一説かと、やや冷ややかな感想しか持たないのだけど、その次「一時の情熱的な恋は愛ではなく、真実の愛は「愛の感情」すら伴わないのだ」という一文に目を留めた。この本は、ペックについて書かれた専門書ではないので、この先の展開が分からないのだけど、この時先生の瞑想会の言葉を同時に思い出した。「人間は本当は誰も愛していない、たとえそれが自分の子供であっても。」きっつい一撃だね~。1年前の私ならグサっとくる言葉だったと思うのだけれど、それを先生から教わった時、「なるほどね」と妙に納得してしまった。ここ数年、タレントのエッセイ本なんか流行ってるし、「負け犬」だの「セカチュー」だの、まぁ愛にまつわる小説や雑誌の特集が多いのだけれど、愛を意識しているとき、いや意識的な愛って、それは「愛」ではないんじゃないのかな?って思う。第一、何でわざわざ世界の中心まで行って「愛」を叫ばないといけないんだ?。義務?強迫観念?その小説を読んだことが無いのでストーリーが不明だけど、タイトルが変だ。私だったら『気がつきゃ、世界の中心にたどり着けたので、思わず「愛」を感じてしまった』にするな。あ、タイトル長いな。
2005年03月22日
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睡魔によって地味な三連休を過ごしてしまった。本日は部屋の模様替えに取り組んでみた。しかし、ゴミだかなんだか「中途半端属」が多くて困る。捨てられない症候群かもしれないけど、実は。衣類なんて肩パット2個付きのスーツなんて出てきちゃって(爆笑、こんなの着ていた自分を褒め称えたい・・・と思ったらそれに相応しいゴールドのチャンピオン(のような)ベルトも発見、・・・痛い。しかし、笑っちゃえるくらいの過去の遺物なら愛おしさも増すけれど、「微妙な過去」の物ってハッキリ言ってみるのも辛い。だから模様替えを避けていたのもあるんだな。という訳で苦い思い出と向き合いながら衣替えと模様替えをしていたけれど、やっぱり一日では終わる訳はなく、ゴミ宅に間借りしている状態でごわす。週末もこの調子で、引き続き「過去を葬る儀」を執り行うことになりそうだ。
2005年03月21日
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せっかくの三連休なのに、また14時間睡眠をしてしまった。先週よりはしんどくないけど、どうも眠くて仕方がない。昨日はそれで電車を乗り過ごしてしまったし、ぼ~っとしているのが災いして、子供時代ぶりに両手をついて転んでしまった。この屈辱的なポーズを駅のホームで披露した瞬間、恥ずかしさと同時に、やっと目が覚めた自分に気が付いて、「こりゃあかん」と、"セルフさじ"を投げた。というか、出かけるなら頑張ってシャキっとしないと危ないし、ぼ~っとしていたいなら家で引きこもっていたほうがいいな、と改めて思う。無理な外出は「出勤」だけに絞ろう。大体、睡眠を多く取りすぎると、寝すぎて頭が痛くなるんだけど、今回は「冬眠」という言葉が相応しいかもしれない。寝ても寝てもまだ寝られる。根腐れないのが不思議なくらいだ。平均14時間睡眠をしていたのは、いつの頃か・・・。3.4歳位かな?ひょっとして今、その頃をトリートメントしているのだろうか。とは言っても、その頃の夢を見る事もなければ思い出すこともない。でも、唯一思った昔の事と言えば、亡くなった祖母に会いたいって事かなぁ。春眠のせいかも知れないなぁ。それも一理あるかも。それにしても寝ても疲れが取れないのはどうにかならないのか。
2005年03月20日
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数秘術でいうと、今年は7の年だそうで、昨年の情緒的な一年に比べると静かで穏やかな年だ。瞑想にはもってこいの一年だと言えそうだし、私自身、今年の誕生日を迎えると"9の年”の幕開けとなる。9は集大成というか、1つの完結を迎える年でもあるので、内省し瞑想するのに本当に良い年だ。さすが大物は勘が良いなぁ~と思ったのは、今やアメリカのディーヴァとして君臨しているジェニファー・ロペスと、王道のマライヤ・キャリーだ。今年早々、ジニファー・ロペスが「Rebirth」というタイトルのアルバムを発表した。昨年、ベン・アフレックとの破局の後、あっさりダンサーと結婚。そして、「もうJLo(ジェイロー)とは呼ばないで」とコメントを残し、改心・復活の意味で、このアルバムを"drop"した←タワレコ風。因みにJLoとは彼女のニックネームで、よくTVや週刊誌でジェニロペと書かれていることが多いけれど、それは彼女の事を調べないで書いている輩で、ハッキリ言ってナンセンス。じゃ、彼女を何とお呼びすればいいのか。4月から日本で公開になるShall We Danceに肖りダンサー役(草刈民代)のジェイローは本当にダンススタジオをハリウッドにオープンするらしい。それも、彼女のプエルトリカンの血を活かしてラテンのダンススクールを計画中。どうやら彼女は幼少のニックネーム"ジェニー"に戻りそうだ。一方マライア・キャリーは「MiMi」というアルバムを発売する。実は、このMiMiとは、彼女の幼少時のニックネームで、今でこそ豊満な彼女だが、昔は、ガリガリでチビクロだったようだ。ジャケを見るとディーヴァの再来を彷彿させ、しっかりウエイトを落とした、そのライン美しさには、彼女の意気込みを感じ、そして美しくて本当に見惚れてしまう。確か彼女もラテン系かネイティブアメリカンの血を引いているはず(詳細は忘れちゃったケド)。極貧時代のニックネーム"MiMi"にあえて戻り、昔の自分にあえて挑むマライヤの姿勢もまた、過去を味わい今までの自分を超える大きな存在として美しい変容を遂げたいと願う、彼女の生き方を感じさせる。ジェイローにディーヴァ交代か?と騒がれているが、どう考えてもジェイローの歌唱力は彼女には及ばないので、いい加減、デブで落ちぶれた生活を脱却して(離婚後の激太りと冴えないアルバムの不発年よりはマシだけど)私たちの五感を愉しませて頂きたいものだ。
2005年03月20日
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先ほど、日記を書き終えて投稿したら、メンテの為・・・という画面になり、長文が水の泡となってしまった。仕方ないから改めて書き直すけれども、近々おこる水星の逆行を意識して下書きを作成するべきだったと反省。金曜日から土曜日にかけて、なんと14時間睡眠をしていた。だけど、まだ眠いし体がだるい。その長い睡眠の中で3つ夢をみたけど、2つはBBQをする夢。これは相当楽しかった。あとの1つが、仏壇とカーテンだった。私は引越しをし、新しいアパートに移り住むが、そこで前住居人が残していったものが2つあった。それは各部屋(3つ)に取り付けられたカーテンと、なんと茶の間に置いてある仏壇(故人の写真あり)だった。正直気味が悪いので、霊媒師の友達に交霊してもらうと、このおばあさんは「わしは、悪さはせん、ただここに居たいだけだから、わしに気を使わずに好きに使ってくれ」とのことだった。確かにおばあさんの写真は福与かで幸せそうだった。と言うことで、この仏壇を処分せず、そして亡くなった祖母の写真を隣に飾った。元住居人は22歳の男子大学生で、就職とともに引っ越した。「い」がつく苗字に、中性的で変わった名前だった。なんで仏壇を忘れたのか、それは不思議だったけど、消息が分からないので、この仏壇を引き取り、毎朝お水を供えることにしたのだった。そして、私はカーテンが気に入らず、一番奥の部屋のカーテンはローラアシュレイ張りに美しくエレガントだったので、そのまま使うことにしたが、他の2部屋のカーテンがそれに反して貧弱で、渋いグリーンとブルーで遮光を施さない安ものだった。なぜこんなカーテンが茶の間用で、素敵なカーテンが奥の部屋なのか不思議だったけど、カーテンは買うと高いし、渋々ながら当面このカーテンを使うことにしたのだった。死人の夢は開運や幸運の訪れを暗示してるらしい。その死人が不満足そうだと問題アリの夢との事だが、このおばあさんは、忘れ去られた立場なのに不満足そうではなかったから、供養の必要も無く、吉夢と言えそうだ。更に、見知らぬ人の夢は、今から現れるあなたの味方、友人の象徴らしく、この故人と見知らぬ前住居人は私の味方になってくれる可能性もありそうだ。引越しの夢は、環境が大きく変わることを示す。転校や転職、実際に引っ越す予知夢であることも多い。あるいは、ムリがたたって悪い結果が出ることを表す場合もあるから少し注意が必要かもしれない。確かに、私は今疲れている。最後にカーテンだけど、秘密の恋への興味が募っている事を意味し、危険な冒険や恋をしてしまう可能性大。一時の感情に流されて、簡単に行動に移してしまうと、後で大変なことになってしまう。物事を冷静に判断するように心がける事、とある。ガーン・・・。しかし、そのカーテンに対して物言いをしているわけだし、第一秘密の恋どころか出会いもないのだから、そんな心配はいらないだろう。
2005年03月19日
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A.D.300年頃、マーケシャス諸島から2艘立てのカヌーに乗ってハワイを目指したポリネシアンは生活に必要な27、28種類の植物と犬、鶏、豚を持ちこんだ。それらの植物はハワイに暮らす人々にとって今でも欠かすことが出来ない植物である。 AWAはKava kavaとも書き、カバとも言う。学名はPiper methysticumカバはその作用により、リラクゼーション、不眠、更年期障害、禁煙時のイライラなどにサプリメントとして用いられる。また、大量に服用すると多幸症状態を引き起こすため、催淫剤として用いられることもある。日本でもインターネット等の個人輸入により入手可能で、海外では錠剤、カプセル剤、チンキ剤として販売されている。セントジョーンズワート含有サプリメント等の配合成分として扱われることもあるので注意が必要。カバは以下のような英文名称で記載されている可能性がある。英文名称一覧ava、awa、intoxicating pepper、kava、pepper、kava root、kawa、kew、Pipremethysticum、rauschpfeffer、sakau、tonga、wurzelstock、yangona2002年3月25日、米国食品医薬品局(FDA)は「カバを含有する製品の摂取により肝障害を引き起こす可能性がある」として、消費者への注意喚起を行いました。ドイツ、スイス、イギリスでは肝障害が報告されており、肝移植が行われた例もあります。また、ドイツ、スイス、イギリス、フランス、カナダ、オーストラリア等でも注意喚起されており、シンガポールでは使用禁止、カナダ、イギリス等では回収措置がとられています。
2005年03月18日
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おもちゃが好きだ。多分小さいときに親に買ってもらえなかったから、いわゆる”大人買い”ってやつを今している。最近はガチャポンをしているのだが、今朝の夢は、既に持っているフィギュアをまた引き当ててしまう(-_-)という内容だった(このこの口惜しい気持ちは、お菓子のオマケや、プレミアムの類を集めたことのある人にしか、分からないだろう)。そして、先ほどそれは現実となり、まったく同じものを引き当ててしまった。加えて、その時のセリフも一緒だったので、口にした瞬間「やべ、同じ事言ってる」と苦笑い。更に、朝ごはんを食べていたらコーヒーをこぼしてしまった。時間もないので、取り合えず何でもいいから手に届いた服に着替えて会社に向かったのだが、その着替えた服装は夢とまったく同じだった。では、夢と正夢はどのように違うのか、というと、とある本を引用すると、夢を見た人の認識の重要度に関わってくるそうだ。要するに、見た夢がその人に与えるインパクトの強度によって変わるそうで、もしも夢と同じ事が現実の中で起きたなら、「まさに正夢を見た」と思うし、その夢が曖昧で、目覚めと共に忘れてしまったり、うろ覚えだったりすると、見た夢が現実に起こったとしても、それを正夢と捕らえる認識が薄い。もし、「正夢=予知夢」を見たいと思ったら、夢日記をつけて自分の見た夢を、鮮明に思い出すことだ、と言えそうだ。
2005年03月18日
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ミューテーションについて、今わかる範囲で書いておこうと思う。この言葉を知ったのは、スピリチュアル系の友人からの情報で、以前の私は、せいぜいミュータントという単語しか知らなかった。mutationという意味は辞書によると変化・変形(change);人生の浮沈、種の突然変異とあるが、どれが一番しっくりくるかというと、私の中では「母音変異(umlaut)」だった。一般的に認識があるのは、突然変異かもしれないけれど、その例文に、ハエの突然変異のことが書かれてあったので、虫嫌いの私には、受け入れがたいものでもあったし、スピリチュアル的な意味でのミューテーションは、外見はさほど変わらない状態であるので、(あまり強調したくないけど)ハエの突然変異にみられる個体の変容と考えるには、あまりにも違和感を感じたからだ。現段階ではドイツ語に見られる母音の後続変化、英語だとfeetがfootに変化する、というウムラウト程度の変容が、私にとっては、しっくりくる。話を戻すと、人間のミューテーションは、外見は変化しないけれど、ソウル・スピリットというかエネルギーレベルで見た場合の"突然変異"であって、内側の成長という意味らしい。もしかしたら、違う次元で観ると、使用前使用後みたいに明らかに違った人物に見えるのかもしれない。ミューテーション中はどのような症状なのか、というと、多くの場合「風邪に似た症状」で、だるくて、ぼーとして火照りを感じたり、あるいは悪寒や発熱、吐き気もするらしい。例えこの時期に医者にかかっても、原因が不明確のまま薬を出され、そして服用しても、対して効き目もないそうだ。ミューテーションが激しい場合はインフルの様に高熱にうなされる場合も。そして、その期間は人それぞれで、鼻風邪かな?と思う程度の人もいれば、3.4日寝込むこともあったり個人差があるようだ。考えてみれば魂のレヴェルがあがる訳だから、外見には表れなくても、体内ではエネルギーが炎のように巻き上がり細胞が活性化しているのだろう。トランスミッターはそれを意識的に起こすわけだから、ホントにすげぇ~!と、ただただ感心してしまう。こんなの作った人って変人?いや天才、いやオカルト?いや、何だ、何だ、う~、いい言葉が見つからないけど、とりあえず、作ってくれてありがとう、と言いたいなぁ。私の場合、トランスミッターとほぼ時期を同じくしてミューテーションも始まったんだけど、トランスミッターによってミューテーションが穏やかに加速されているはず。はっきり言って今の段階は鬱に限りなく近い状態。そんな苦しみを伴う段階だけど、毎日なんらかの気付きがあり、絶対自分はこの欝の気分よりも強くて大きな存在なんだ、と思える。それがもしかしたら、病気の鬱との大きな違いなのではないかな。
2005年03月18日
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肝心のトランスミッターの概要について書いていなかった(汗。正確に言うと、トランスミッターとほぼ同時にミューテーションが進行していて、正直申し上げて、日記を書く余裕なんてなかった。こんな事を書くと、トランスミッターについて誤認を受けるかもしれないのだけど、喜び、または試練や勉強を経験していると思っていただきたい。「毒吐きフォルダ」も設けたけど、普段からオラオラの毒舌家なので、トランスミッターによって急に性格が暴力的に変わったわけでもない。詳しい説明はコレhttp://plaza.rakuten.co.jp/vijay/10000私はVIJAY先生の講座を受講している。私がこの日記で言うところの「先生」ってのはおおよそVIJAYさんの事です。以下、引用です。***********************トランスミッター・リレー・セラピー」 根本的な変容のために トランスミッターとはカラー・パンクチャー・セラピーのなかでも、最も強力なトリートメントです。今までの人生で体験した様々なトラウマ(精神的、肉体的外傷体験)に働きかけるもので、それらのトラウマが引き起こした、間違ったパターンを解放し、変容ヒーリングしていくプロセスです。既に多くの人がこプロセスを体験し、様々な強烈な体験と深い洞察を得ています。過去性や未来のプログラムにも働きかけるので、新しい人生を、自分自身のエネルギーと直感に、深くつながって生きることが可能になります。人生の大掃除に取り組みたい人にお勧めです。カウンセリングやブレス・セラピーも付属します。(14回シリーズ。2時間30分一回20000円、前納割引あり)「変容のためのカウンセリング」 深い気づきを促す 日頃抱えている人生の道の上での困難さ、人間関係の悩み、自己への不信感などなど、今の「問題」として体験している事柄に対して専門家ならではの、明晰なガイドで新たな気づきをもたらします。その場に応じて様々なテクニックを使い、またあなたに合った日常の中で続けていける瞑想法もお教えします。(初回1時間半15000円)
2005年03月17日
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マナ・カードによると、'AWAのカードは供物/生贄を意味している。一瞬「怖いなぁ・・・」と思ったけど、そのカードの説明を読むと、怖いどころか、44枚あるカードの中から'AWAのカードを引いたのは、むしろ喜ばしいことなのかもしれない、と思う。このカードには一枚一枚「チャント=(祈祷書の)聖歌/詠唱」がある。'AWAのチャントHa 'awi lokomaika'i(惜しげなく与えなさい)「'AWAは神にささげる供物で、神に最も喜ばれているだけではなく、人間にとって魚やポイと同様に、神の栄養や成長にも欠かせないものだ」と言われて来たらしく、儀式では手順を踏んで'AWAを彫像に注いだり振りかけたり、時には宙に巻いて残りを飲んだりしたそうだ。後にも書こうと思うけど、生贄を捧げる時は見返りを求める時、それに反して供物は単純に先祖や神に感謝の意を捧げるという、惜しげなく与えるものであり、この生贄と供物の区別が分からないから、私たちは人間関係においてもストレスを感じるのだ、という。なるほど・・・。惜しげなく与えた愛情のつもりでも実は見返りを求めていたとしたら・・・、それに見合わないお返しがないと、私たちは裏切られた気持ちになったり、悲しい気持ちになったりする。生贄と供物を混同すると、たとえばある人が相手に見返りを求めて何かを捧げ(生贄)、相手は贈り物(お返しの必要のないもの)だと判断してそれを受け取れば、お互いが失望感を味わう事になってしまう。これは男女の恋愛問題や、親子の間で、そして学校や会社でも、日常によく起こる出来事だ。'AWAは、辛い思いをしないために、今一度、与えることと受け取ることの理解を確かめなさい、と言っている(そうだ)。先生の瞑想会はハート瞑想というもので、「受け取る」「与える」を感じさせられる。この2つの間にスペースがないと、うまく受け取ったり与えたりが出来ない、というのだ。先生はインド派なんだけど、ハワイにも似たような教えがあるんだなぁと思うと、思想というのは、地域性や表現方法が少し違っているだけで、根底に流れるものは大差がないのだなぁと思う。これが、「つながっている」という事なのか?と、ちょっとした「気ずき」を感じた。
2005年03月17日
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マナカード(ハワイ版タロットカードみたいなもの)によって、私のHNを'AWAにしたんだけれど、トランスミッターによりミューテーションを経験している、この過程こそが'AWA(アヴァ)だと思うと、思い入れも深まる。'AWAとはコショウ科の低木で、節のある茎とハート型の葉をもっている。根を歯でかんだり叩き潰して水とあわせると、穏やかな幻覚作用(麻薬作用)の飲み物ができあがり、それを儀式や治療に使われていたそうだ。ハワイ語で`awa`awa=苦いという意味があることからも、苦みを代表する薬草のようだ。しかもこの'AWAは殆どの儀式に用いられているとの事でその重要性は高く、今でも二日酔いの薬として飲むらしい(某エステのサイトにも紹介されていた)のでロコの間では最もポピュラーな薬草なのだろう。
2005年03月17日
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先日のセラピスト講座で、先生は「あなたは何のために目標に向かって走っているのですか」と皆に聞いた。(この「目標」とは各個人が設定したものだ)。私は、即座に「幸せになるため」と考えなしに答えた。今になって「幸せ」という言葉が私の口から出てきた事に驚きを感じている。しかもこの「幸せ」が何のための幸せなのか、さっぱり見当がつかなかった。目標の結果が「幸せ」であって欲しいのに、幸せになるために必要な「目標」が答えられない。逆引き検索が出来ないようなもどかしさだ。私は本当に幸せになりたいのだろうか。年がばれるけれど、「幸せってなんだっけ?」「ポンズしょうゆのある家さ」こんなCMがあったけど・・・(めっちゃ古いな)だけど、ポンズしょうゆのある家は果たして幸なのだろうか。お金持ちは幸せか?少なくても私の慎ましい生活に比べたら幸せだと思う。美人は幸せか?ラッキーな経験は多いだろう、優遇されもする、でもそれが幸せなのか。若くして企業家になる女性はバイタリティがあってうらやましい、だけどそれが幸せな人になる条件か。自分で思う幸せを手に入れたら、本当に幸せになれるのだろうか・・・。「幸せ」について、ぐるぐると考えてみる。だけど取り合えず「幸せになりました」と声に出してみた。今こんなに不安定な状態でも、昨日よりも、明日よりも、未来よりも、今、この時点で「幸せになったんだ」と願いが叶ったと思うようにした。何をさして幸せと言っているのか理解できていないけれど、口に出してみることで、あぁ今、幸せなんだなぁと「ほっ」とした。そして「ほっ」とできる安心した状態に幸せを感じた。
2005年03月16日
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今日も気分がいいけれど、相変わらず仕事をする意欲はない。けれども、先週の瞑想会でインドのリゾート地の話が出てから自分のアストロカートグラフィと照らし合わせてみたくて仕方がなかった。今までのインドのイメージはガンジス川のほとりで瞑想に浸ったり、一日がかりでバスに乗ったり、何かにつけてぼったくられながらの珍道中など、そう、よくあるバックパッカーの日記に書かれているような類だった。だから、”瞑想をする美しいリゾート地”というイメージは毛等無かったので、これなら私もインドにいけそうだなぁと、なんだかウキウキしてきたのだ。仕事の合間を縫って、自分のラインを探してみると、うっかり瞑想するのにいい場所だと思っていたラインが、実は芸術や美容、金銭的な成功を高めるためのラインであることがわかった。私のすっかり思い違いだったのだ。しかも、格好のリゾート地が、このライン上に点在していた。嬉しい!今まで美を求めてインドに行くという考えが無かったので、美や芸術をテーマに瞑想してみるのは、とってもファッション性があっていいなぁと思う。これなら世捨て人にならずとも瞑想をエンジョイできそうだ。
2005年03月15日
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昨日のインナーチャイルドセッションは、場所のせいなのか、体調不良のせいか、まぶたに10トンの錘がぶら下がっているか、はたまた妖怪”ネムネム”の仕業なのか理由はよく分からないが意識していないと、爆睡してしまいそうで必死で目を開ける事に集中していた。先生から「今回はしんどそうだからトランスミッターは止めよう」といわれた。そして、セッションのお客様の1人(私の友人)にトランスミッターの説明をするために、私の額に10秒程度ピンク色のライトをを投射した。この位置は、単純に脳に栄養を与えるためのポイントらしく、私のトラスミッターを促すものではないらしい。そして、その晩また悪夢を見た(らしい)。断片的に覚えている箇所は、「友人主催の宝石の展覧会に行く」というなんら悪夢とは無縁の夢であったけど、朝起きたらまたいつものように、身体にじっとりと張り付くような不快な汗、心臓の上にずっしりと何かが乗っていたような鈍くて重い感触が残っていた。
2005年03月14日
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瞑想ネームを頂く決心をしたのは今年の2/22の2時22分。偶然だけど、「2」のゾロ目だ。なんか意味があったら嬉しい。だけど、それから憂鬱が本格的に開始され、活字から遠のいてしまった。こんな簡単なフォームなのに。それに、近況の写真を添付するのだが、ヤク中か?ってくらいに最悪醜いクマが出来ていて、写真に写ると、まったくもって「顔がホラー」だった。こんなんじゃ「ウマのクソ」とか「かげろう」なんて不本意な名前を付けられかねない(実際問題、そんな名前は付けたことはないと思うけど)、そんな事もあって、なかなかポストに投函できなかった。しかしながら、今回の瞑想を終えてみて、体調は不十分であったけど、瞑想ネームを頂くことが、自分の励みになるのではないか、と思い、不十分ではあるけど写真も、2パターン貼り付けた(一枚貼れと書いていなかったから、遠慮なく2バージョン貼ってみた)。あ~あ、とうとう投函しちゃったよ。インド人からしたら、のっぺりとした日本人の顔のディティールなんて、微々たるモノで、どの人も同じに見えるんだろうな・・・。
2005年03月13日
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今日は、午後からセラピスト講座に参加した。その前に時間があったので、お洒落ヨーガグッズを物色するためにデパートに立ち寄った。相変わらず新宿は混んでいる。実は、今日きちんと起きれるかどうか自信がなかった。そして、自称「欝」の私は、相変わらず電車の中で、人と肩が触れ合ったり、むさくるしい寝顔をみせる乗客に、本当に発狂しそうになった。アホ丸出しでぽかんと開いた口に、泥饅頭でも詰めてやりたいくらいだ。寝顔ならまだしも、寝息がたまらなく気持ちが悪い。そして壮年の整髪料の匂い。どうしてこの独特の匂いは時代の進化と共に改善されないのか、と思う。取り合えず、発狂気分を抑えて、新宿の喧騒をイヤというほど味わいながらデパートに向かった。新しいスニーカーも欲しいところだ。しかし、実際、私が購入したのはサングラスだった。しかも奇跡的に、顔の幅の狭い私にフィットする大人サングラスが手に入った。心の中で小躍りをする。嬉しい。サングラス越しに街を眺めてみる。人の流れに逆らって、足早に目的地に向かう。以前より、いや、少なくても朝よりも、人ごみの不快感を意識しなくなった。それだけでも小一万するサングラスに投資したのは正解だったと思える。
2005年03月12日
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友人主催の食事会が来た。夕方まではウキウキだったのに、徐々に熱が上がってきて、しかも少し背中が痛い。風邪かもしれない・・・。お酒もタバコも控えようと思う。つつがなく食事会が終わったが、帰りの電車の中で激しい嘔吐感にみまわれた。こんな時に限って空いている席はひとつもない。立っているのが精一杯で、目の前が真っ暗になった。きっと、今の私の顔は青ざめていて、目が血走っていて絶対ヤバい病的な女に違いないのだけれど、誰も席を譲ってくれなかった。その晩から、37度台の熱が続き、月曜日の朝まで嘔吐は続いた。吐くものが胃の中に残っていないのに、まだ吐く気満々の私の身体。どうしてこんなにも自分の身体が意地を張っているのか。めまいと、悪寒と、吐き気と、とにかく最悪な2日間だった。私の身体は何を拒絶したかったのだろうか。
2005年02月25日
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第一回目のトランスミッターを受ける前に、先生から「トランスミッターを受けると背筋も伸びてまっすぐになるし姿勢も良くなる」って言われたんだけど、内心「まさかぁ~・・・て、ことは整体いらず?」なんて半信半疑だった(失礼!)。で、第一回目のときはなんの変化もなかったんだけど、それが第二回目よ!びっくりしたんだけど、翌日、左右の肩の高さが揃っていた。通常私は、左肩が下がっていて、証明写真で確認すると、一目瞭然にメッチャ下がっている。着付けをしてもらうときも、「体が曲がっている」って言われほど誰が見ても左右不釣合いなんだな。だから、朝、何気に洗面台の鏡を見て、バランスのよい肩を確認した時には、目を疑った。というか、朝の洗面台の鏡をみる時点まで、先生の言っていたことなんてすっかり忘れていたんだけどね(爆。だから言い方を変えれば、意識をして姿勢を整えた、というよりはトランスミッターのお陰で、体が整った、ってのを確認できた、って事だな。ただし、これも1・2週間で、また元に戻るらしいけれど、私は未だに美しい肩の高さを保っている(*この日記は過去の回想文です)。
2005年02月15日
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そんな事を思いながら、先生には「安静にしてなさい」といわれたのにも関わらず、なんと駅前の献血に立ち寄ってしまった。「O型の血が不足しています」の看板を見てしまって、無性に献血をしたくなったのだ。最近の献血ルームはお菓子やアイスクリームもあるし、フリードリンクで漫画も読み放題でとっても楽しい。献血中はTVを見ながらゆったりとした時間を過ごすこともできるし時間潰しにはもってこいだ。成分献血をしたのだが、腕から流れる血液が、赤と白に枝分れしてゆくのを、ぼ~っとしながら眺めていた。機械を通すと自分の血液が単なる”科学的な液体”と思えて、ついさっきまで自分の体内にあった「私のもの」だと思えない。それに、泣いたり笑ったり苦しんだりしていても、血液は製造されるし、細胞は毎日生まれ変わるし、何一つ私は変わっていないどころか、日々再生されリニューアルしているのだなぁ、と思う。この「感情」って奴は何なんだ。落ち込み、怒り、後悔、過去を思うネガティブさ。私の感情だけが後ろ向きで、細胞は頑張って前向きに生きているというのに。どうして考える必要のない過去を振り返っては後悔をして、寝ても冷めてもその事から離れられないのだろう。ネガティブな気持ちにアイデンティティを持たせても何の解決にもならないのに。とてもばかげている。こんな無駄な悩みを何十年も引きずって、これからも生きていかなければならないのか。自分を乗り越えられない自分を認識して、そしてTVを観ているフリをしながら、私は静かに泣いていた。
2005年02月14日
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二回目のトランスミッターを受ける。シンプルな形で言うと、トランスミッターとは、頭のツボを光の針(ペン)で押す「カラー鍼灸」というイメージが近そうだ。頭痛の時にコメカミの「ぺっこり」した部分を指で押すような感覚、「イタキモチイイ」そう、そんな感じで頭部の「ぺっこり」した部分を先生が見つけて、そこに特定のペンライトを当てる。なにせ自分が施術を受けているので客観視することが出来ないが、でも、きっとそんな感じだろうと思う。何せ「ツボ」を刺激するわけだから、歪んだ体がシャキッとなっているし、快便だし、視界が広く、クリアーになるし、それは結構いい感じだ。施術を受けた後、帰路に向かう途中、色々な事を発見した。先ずはじめに、街のサインに気が付いた。例えば出口、exit、出口のマークに。いつもなら気にも留めない、そう、あのグリーンのサイン。出口はexitでも良いし、あのグリーンのマークでもいいのだ、という連帯性。例えば、「母」は、「お母さん」であり「おかん」であり、「ママ」でもあるし、「オモニ」でもいい。「母とは英語ではマザーで、カジュアルにママ、マムと呼ぶこともある」という日本語の母を基本的な概念として捉えない、区別しない、優先順位をつけないこと、この「母」という存在は、ママ、マム、オモニetcであるという多様性。たまたま、私は第一言語が日本語だからたまたま母のことを「お母さん」と呼んでいるだけだ。多分、そのようにしてバイリンガルの人は複数の言語を覚えたのかもしれない。先日、帰国子女と話をしていたら、「だからぁ、りんごは"りんご"であって且つ"アップル"なのよ、あんたみたいに"これは、りんごだからアップル"」って思わないの。赤くて丸くて、りんごの木に生っている果実の事を言葉にして表したいときに、その環境に適した言語を選んでいるだけなの。」と言われた事を思い出した。この考えは色々な形で応用できるなぁ・・・。私って一体何?って女性なら誰でもが一度は思うはず。○○家の跡取りの俺、スチュワーデスでモテモテの私、しがないサラリーマンの僕、サッカー選手の俺、モデルで美しい私。これはその人のある一面に過ぎないのであって全てではない。例えばAは中堅会社のサラリーマンで、高卒で、3人兄弟の真ん中で、山梨出身で、ハンサムで、犬が好きで、パチンコとカレーライスが好きでetc・・・。それはAの一面であって全てではなく、また優劣はない。友人の一人に、「お金持ちの男じゃないと絶対付き合わないわ、最低でも年商二千万よね、一流大学卒で、都内出身で次男。」という人がいるんだけど、女好きで浮気性でギャンブラーでマザコンで借金王で・・・という男の他の一面に気が付かないから、ずいぶん苦労して付き合っている。そう思いながら自分や人を観察すると、人格を形成するパーツに優劣をつけない事で、その人の隠れていた良い一面(悪い一面)を受け入れられるのではないかな。
2005年02月14日
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私はセラピストを目指して受講しているわけでもないのだが、このセラピスト講座は生徒さんも豊かな経歴の持ち主だし、前から馴染みのある、懐かしさを感じる方ばかりで、お会いするのが目的の半分を占めているかもしれない。とにかく先生を中心に和気藹々と楽しい時間を過ごすことが出来る。この講座はどんな人でも楽しめるけれど、特にサービス業の方にはお勧めしたい。私は前職で人前に出る仕事をしていたけれど、その時にこの講座を知っていたら、ずいぶん未来が明るかった(はず)。で、この授業はどんなことをしているのか、というと、特に何もしていない。ずっこけるような答えだけど、事実だから仕方ない。先生も、「特に教えることはないんだよなぁ~」と、ぼわぁ~んとおっしゃる。とは言いつつも、実は「実のあること」しかしていないんだけど。この、「何もしない状態」と言うのが難しい。「ただ、だまって、いいか、わるいかを、はんだんせずに、うけいれる」という訓練をしている。ジャッジメントしないこと。これはとても難しい。ジャッジするから縛りが出てきてそれに振り回されて苦しんだり悩んだりする。「今」この瞬間を楽しんで味わう事を授業中しているのだけど、このキャッチフレーズもすっかり気に入ってしまった。先生は授業中に、ほんの補助的に、ミスティオイルやカードでみんなの気分をリラックスさせてくれるのだけど、今回私はARRAIVALを引いた。本当に「今」を愉しむためのカードだなぁと思う。五感をつかうセラピスト講座って、他にはないんじゃないかな?
2005年02月12日
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