さすらいの天才不良文学中年

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光市殺人事件最高裁判決

 光市殺人事件最高裁判決

 昨日(6月20日)、山口県光市殺人事件最高裁判決が下った。無期懲役が破棄され、死刑の可能性が強くなった。


最高裁判決


 可能性としては、1.上告棄却(無期懲役の確定)、2.破棄差戻し(死刑の可能性)、3.自判(死刑)の三つがあったわけだが、大方の予想どおり、2の差戻しの結果となった。

 加害者による強盗・乱暴殺人および泣きじゃくる乳児を床に投げつけての殺人という極悪非道振りに弁解の余地はあり得ない。18才とは言え、社会人として生活していた人間が卑劣な方法で二人も殺したのだ。前回も述べたが、これで死刑にならなかったら、日本では残虐非道に二人を殺しても死刑にならないという規範を公権力が認めたことになる。冗談ではない。それでは、司法制度は日本にはないことになる。

 したがって、2の破棄差戻しとしたことについては評価して良い。しかし、この差戻しで、今後広島高裁による死刑の判決がでるまでには、これから更に最低半年、通常なら1年以上かかることが見込まれる。恐らく、被告はその死刑判決に対して上告するだろうから、結審までにはさらにそれから数年かかることが見込まれる。永山事件の破棄差戻しの事例では、死刑が確定するまで、差戻し後7年もかかっているのだ。

 思うに、司法制度の改革(裁判の迅速化)を標榜する最高裁であれば、何故自らが率先して自判しなかったのか。確かに自判の前例がないと言うが、それは関係ない。今回の判決は、実質死刑と踏み込んだ内容である。そうであればこそ、最高裁自らが役所意識を払拭して判決すべきだったのではないか。これからまた数年、被害者の遺族は苦しめられることになる。同時に、加害者にとっても辛い時間がまだまだ続くのである。


人を殺してはいけない

 また、少年による殺人である。大阪のコンビニで万引きを見つかって逃げる途中、店員と揉みあって心臓を一突きである。


国宝


 最近は、「人を殺して、何が悪い」という素朴な考えを持っている人が多いという。特に若者に目立つそうだ。

 人を殺してはいけない。それを教えない大人も大人だが、教える大人も「何故殺してはいけない」ということが分かっていないのではないか。

 まず、to pay 理論である。あなたが人を殺しても良いのなら、あなたも人から殺されても良いということである。

 それをペナルティと呼ぶ。現在では、国家がペナルティを管理しており、刑罰という名称を与えている。典型的な刑罰が死刑である。

 さらに殺されるということはその後の経済的な損失を意味するから、その対価を弁償しなければならない。これを不法行為に基づく民事賠償と呼ぶ。損害保険はきかない。一生かけて弁償しなければならない。

 しかし、一番の問題点は、死んだら元に戻らないということである。どんなに科学が進歩しても、死体は生き返らない。これが最大の問題である。リセットが効かないのである。

 以上は、原理原則である。

 現実はさらに厳しい。あなたは殺人犯なのである。一家は離散、あなたの財産は事実上没収、そうして死刑にならなくても一生牢屋につながれるのである。


岩国基地米国海兵隊員の狼藉

 先月、岩国基地米国海兵隊員4人が広島市内の女性(19歳)を乱暴狼藉した事件で、現金も奪っていたことが判明した。


ワシントン


 しかも、この4人は当初から犯行を計画し、乱暴目的の女性が抵抗したため、人通りが少ない川原の駐車場に移動し、事に及んだというものである。

 4人は、その後も飲食店でトラブルを起こしたことが分かっている。被害に遭った女性は、激しく泣きじゃくっているところを通行人に保護された。

 こいつら4人は人間じゃない。鬼畜である。4人とも即刻「チン斬り」の刑にするしかない。それ以外にどんな刑がある。

 ところで、広島県知事の藤田雄山がこの事件について、「盛り場でうろつく未成年もどうか」と、10月20日「日本女性会議2007ひろしま」で発言したという。

 知事はこの会議中に出席者から諌められて、一般論で述べたなどと弁明したというが、情けない。こんな知事ならいらない。即刻、辞めてくれ。

 それに、この記事は中国新聞で知ったのだが、天下の朝日新聞(広島版)に至っては、このことが1行も掲載されていない。 ??

 アサヒにはプライドだけで、中身がないのか。どういう新聞なのか。

 日本の防衛問題以上に考えさせられることの多い事件である。


好き勝手を書く

 旧聞だが、光市の母子殺害事件の被告が死刑判決を受けた。


国宝


 そのこと自体については触れない。すでにこのブログ上でおいらの考えを述べているからだ。

 今回、書かざるを得ないと思ったのは、あの弁護団とは何者だということである。

 死刑反対運動が分からない訳でもないが(死刑廃止の場合は懲役200年以上などの実刑を課すべきで、安易に仮釈放を認めるべきではない)、安田好弘弁護士を始めとする弁護団は酷すぎる。

 以下は「週刊新潮」の受け売りだが、あの弁護士たちは何を考えているのだろうか。

 3月15日(土)、都内で「光市事件弁護団」17人が出席してのシンポジウム。席上、安田弁護士は殺害された11ヶ月の子供の年齢を11歳と間違えた。そもそも事件を担当する弁護士が被害者の年齢を間違えるか。しかも、途端、他の弁護士がどっと笑い出したのだ。

 新谷桂弁護士も奥さんの首を絞める様子を手振りで示しつつ、
「『水平なんですね、ほぼ。私はちょっと違いますね、ハハハハ。図面の方がいいですね、ハハハハハ』
 と、自ら笑い声を上げ、周りの弁護士も実に楽しそうに笑うのだ」

 松井武弁護士は、殺害の模様を再現実験した写真を見ながら、
「あの被験者は私です。ハハハ。鑑定人のところに行って首を絞められたのも私です。イヤハハハハ」

 これら弁護士は、新潮によれば「鬼畜」と表現されているが、そう書かれても仕方がない。人間ではない。

 可哀相なのは死刑廃止論者である。これでは、彼らも弁護団と同レベルに思われてしまう。

 もう一つ。死刑にならなかったかも知れない被告の「ドラえもん発言」である。

 佐木隆三は「弁護団の自爆」という趣旨の発言をしていたが、もし、あの発言自体が弁護団の入れ知恵であったとしたら、被告は(自業自得かも知れないが)泣くにも泣けない。

 一体、あの弁護団とは何なのだ。




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