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washing machine 今日は与太話。 テレ朝の名物番組に「タモリ倶楽部」というのがあった。おいらはこれが好きで欠かさず観ていたのだが、その中で出色だったのが「空耳アワー」であった。 内容は他愛ないもので、外国語が日本語に聴こえるというコーナーであった。久しくこのコーナーのことを忘れていたのだが、先日、You Tubeをそれとなく観ていたら、外人が日本の電話で皆が「もしもし」というのを不思議がることについて言及していた。 外人には(特に英語圏)、「もしもし」が「washing machine」と聞こえるのだそうだ。 そんなバカな。 と、思って、おいら自らが「washing machine」と2回呟いたら、「もしもし」と聴こえるのである。 おいおい~。 諸兄もやってみるといい。「もしもし」だなぁ。 さて、おいらが好きな空耳は、「Philadelphia(フィラデルフィア)」である。これは、何回聴いても「古豆腐屋」である(笑)。 閑話休題。 兵庫県知事問題が違う展開となっている。 やれやれ。 おいらの敬愛する佐藤優がロシアの選挙を一言で述べていたことを思い出した。 かの国では全員が当選させたくない候補者なので、より悪くない候補者に投票するのだそうだ。とうとう日本もそうなったかぁ。
November 27, 2024
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紅葉を観に甲州に出向く 朝夕めっきり寒くなり、日中でも冬用の服装とせざるを得なくなった。 こういう時期は、紅葉見物が絶好である。ただし、いつでも観ることができると思うのは大間違いで、タイミングが肝要である。ま、自然が相手なのでそれも仕方があるまい。 思い立ったが吉日であるが、今回は車を出すか、ツアーにするかで少々迷った。 車は、時間が自由になるのでストレスがたまりにくい。近場の紅葉となると山梨に名所が多く、中央高速を使えば2時間程度の距離だが、この歳になると運転が面倒である。 昨年の暮れに三保の松原を観に静岡の清水まで車を出したが、帰りは疲れが出たことを思い出した。後期高齢者の手前の年齢じゃからのぅ。 そこで今回はツアーに参加することにした。一台の高速バスで、参加メンバーは総勢34名。やはり、高齢者が多い。おいらは愛妻(過去には愚妻と書いていたが、おいらの旧友が愚妻は良くない、愛妻にしろというので愛妻にする(笑))と参加したのだが、カップルの数は多くはない。ほとんどが高齢の女性同士だが、中にはちらほら若い女性同士もいる。 そりゃそうだろう、男同士でツアーに参加というのはあまり聞いたことがないからのぅ。 さて、バスツアーはえがったのぅ。昼間から酒が呑めるのもあるが、バスで寝ていれば名所まで勝手に案内してくれる。食事も豪華絢爛なものが自動的に目の前に現れる。 本題の紅葉である。 今回は、甲州屈指の紅葉スポット「河口湖もみじ回廊」を堪能した(写真トップも)。もみじ回廊と言うだけあって、紅葉を観ながらの回廊になっており、絶景。ただし、ツアースポットのため、外人(中国系)が大挙して来訪されておるのぅ。ここにもオーバーツーリズムの波が押し寄せている。 続いて、新倉山(あらくらやま)浅間(せんげん)公園(中央線「富士吉田駅」そば)の紅葉。 ここも紅葉と同時に富士山のスポットだが、残念ながら山頂に雲が屯し続けていた。 添乗員の受け売りだが、富士山は「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)=日本神話に登場する女神」であり、バスに美人が乗っていると嫉妬のため、雲で隠れると紹介していた。バスが和んだのは言うまでもない。 なお、ここもオーバーツーリズムで難儀した。人が多すぎるのである。ただし、写真の撮影位置の譲り合いをしたので、香港から来た女性と話しができた。中国系でも香港出身だと親近感を感じるのぅ。香港には数多く行ったが、諸般の事情によりもう香港にいくことはないだろうなぁ。 脱線した。紅葉。海外でもない分けではないが(ニューヨークにいたときも紅葉はあったが、情緒はない)、紅葉はやはり日本である。
November 25, 2024
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一体何が起きてるんだ 一体何が起きてるんだ。そう思わざるを得ない。 兵庫県議会による不信任決議で失職した前知事の斎藤元彦氏が返り咲いたことである。 これについては様々な論評がされているので、このブログではそれには触れない。だが、不可解なことばかりである。 一つ気になったのは、宮崎謙介元衆議院議員の兵庫県知事選の出馬断念である。 これも不可解な話しだが、彼によれば、兵庫県にはまだ知られていない大きな闇があるという。 それは、早い話しが兵庫県には黒幕がいるということだそうだ。つまり、まだ隠されている本丸があり、それをごまかすために黒幕がパワハラやおねだりの方に目を向けさせたという。 おいおい~。 ま、兵庫県政では前県知事の井戸敏三氏が5期20年の長きにわたって県知事に居座り、県議会も利権の温床となり、いわばその利権の塊を斎藤知事が壊し始めたということであれば、その筋書きも成り立つ。 そうだとすれば、かつての都政が自民党の牙城であり、都議会のドンが都政を牛耳っていたという構図と似ていなくともない。 単純にそうだとは思わないが、おいらたちは兵庫県で何が起きていて、何が本当の問題かということを一つも知らされていないのかも知れない。 ファクト・ファインディングしなければダメだ。事実を知りたい。それがマスコミの仕事だろう。いや、マスコミも同じ穴のムジナか。週刊現代が頑張っているような気がするが、特に新聞がひでぇなぁ。この国にジャーナリズムはないのだろうか。 事実が知りたいのぅ。
November 22, 2024
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人生の機微 小堺一機と新宿ルミネのエレベーターでたまたま一緒になったことがある。40年以上、昔の話しである(小堺は、現在68歳)。 おいらは小堺のことをテレビで観ているから知ってはいるが、無論、彼がおいらのことを知っているわけではない。 彼は付き人と一緒で、エレベーターの中ではおいらと三人きりとなった。おいらは小堺と眼が合い、彼はあっ、俺のこと気付いたな、って感じでニコッと笑った。 この感じが絶妙で、おいらは小堺という人はいい人なんだなと思わずにはいられなかった。 だから、ネットを散策していて彼の記事があるとつい見てしまう。 先月の日刊スポーツの記事(24年10月20日)によると、YouTube「関根勤チャンネル」に出演した小堺が「『この間それで思ったよね、大将(萩本欽一)と話してて、ぼそっと大将が面白いこと言ったじゃん。“売れてて出てこなくなる人って何ですかね?”って聞いたら、“結局性格が悪いんじゃないか?”って言ってて。(萩本が)“おれ、上手いから使いたいとか思わないもん。あいつ良いやつだから呼びたいって思うもん”って』と萩本が話した独自の考え方を紹介した。 さらに小堺は、歌手矢沢永吉が同様の事案について話していたというコメントを紹介。『それをまた永ちゃん(矢沢)はね、ライブとレコーディングで別のことを言うんですよ。“あの、俺ね、俺と全然そりが合わない、あいつ嫌だなってやつ、でもバチッて弾いてくれるならレコーディングでOK。でもライブは無理。ライブは好きなやつと一緒じゃないとダメ。レコーディングはバチッと弾いてくれれば関係ない”…って言ってました』と続けた」とあるではないか。 これは、分かるよなぁ。人生の機微とは、こういうものである。
November 20, 2024
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神田神保町「古典籍展観」に行く「古典籍展観」(一般公開)がこの11月15日(金)、16日(土)に開催されたので、おいらは15日に神田神保町に出向いた。「古典籍展観」のことは、以前このブログでも取り上げているが、それだけでは何のことか分からない。 東京古典会(古典籍を専門とする古書店の集まり)では、毎週、日本と中国の古典籍を市場で取引している。今回の催しは、その中の名品を一堂に展示して一般の人にも購入可能とするものである。 入札最低価格は10万円。誰でも入札に参加が可能である(東京古典会に参加している古書店経由で入札)。 会場である東京古書会館に到着する。 今回も数多くの名品を観ることができた。 今年も掛け軸、浮世絵、歴史上の人物の書簡などが多数、展示してある。いずれも素晴らしいものばかりで、感嘆する。ありていに言えば、美術館級の美品がぞろぞろと転がっている。 しかも、それを直接手に取って観ることができる(展示ケースに陳列してあるものも係員に声をかければ、閲覧可能)。これが何より嬉しい。 思ったこと。やはり、本物を観(み)続けなければダメだ。観たつもりになっているのはダメだ。絶えず本物を観ていなければ、感性が衰えてしまう。 例えとしてはよくないが、今年も横浜球場と神宮球場で野球観戦をした。そのとき、オースティンとサンタナの打球の速さには心底驚いた。打った瞬間にフェンスに当たっている。それくらいの感触である。野球も現場を観ていないと語る資格はないと分かる。 ところで、今回、気になったことを一つ。漢詩や経典などは本場が中国である。それを狙って中国から多数の参加者が会場に屯していた。むべなるかな。ここにも中国マネーである。 商売の宿命とはいえ、中国人ばかりが目立つことに複雑な気持ちになったのはおいらだけだろうか。
November 18, 2024
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今年の新宿ジャズフェスティバル 例年ならこの時期、自宅に新宿ジャズフェスティバルの案内が来るはずであるが、今年は来ない。 そこでネットで検索したら、11月9日(土)と10日(日)の二日間に入場無料で開催するとあるではないか。 天気予報だと10日は雨模様というので、9日に新宿に出向いた。 久しぶりの新宿ジャズフェスティバルである。快晴。会場は4か所あり、中央広場が一番混み合っている。 下の写真のTPは長老の下間哲、CLは後藤雅広、BJは大西美代子、右のTBの仮面はご存じ園田憲一の息子のベンケイ。 これが全員立ち見の大盛況。 ジャズフェスのプログラムが欲しいので、会場を探したら、「呑者家」前にスタッフ席があり、そこでジャズフェスのチラシを貰った(写真一番上)。 プログラムがないのかと聞いたら、少部数しか作っていないので、本日分はもうないという。 ネットに掲載されているので、そちらを観て欲しいとの由。おいらもネットを検索しているのでそれは知っていたが、手許にプログラムがないというのはやはり寂しいものである。 さて、以前の秋季ジャズフェスは有料であったこともあり、会場の数が多く、また、参加メンバーも日本ジャズ界の重鎮揃いであった。 だが、今回は会場も4か所と少なく、また、参加メンバーも少ない。 おいらのジャズの師匠が贔屓の関西(神戸)のメンバーも見えず、また、おいらが好きな「下田卓カンザス・シティ・バンド」の名前も見当たらない。だから、選択肢が少ないのは残念である。 しかし、広島より古くから参加している「広島Hot Cats」が出演しており、また、そこにはウオッシュボード奏者のミッチーさんも飛び入りで参加されたのでおいらは上機嫌になったのである。 ただし、気がかりなのは参加メンバーの面々が一様にお歳を召されているように思えたことである。 それはプレーヤーだけではない。ジャズフェスの主催者グループも高齢化が進んでおり、その中心は80代と見受けた。おいらが「前期高齢者の74歳で、もう歳だ」と伝えると、「お~、若い」と言われるほどである。 周りを見ると、観客も高齢者が多い。若い人もいるが、トラッドジャズはやはり高齢者の青春時代に流行ったのだと分かる。 プレーヤーもスタッフも若返りが必要だが、一番重要なのは若年ジャズ層のファン掘り起こしだろう。聴く人がいなくなれば、いずれその音楽は滅ぶのである。
November 15, 2024
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蕎麦打ちに挑む(後篇) おいらの所作の作法は、「まず形より入る」である。 そう、道具である。どうやって打つかの前に、どういう道具を使うのかを知らなければならない。 それが初めて観るものばかりである(写真上)。 のし板。こね鉢(漆塗り)。ふるい。刷毛(はけ)。麺棒2本。麺切り包丁。こま板。 聞けばこれら全部を揃えるには数万円以上が必要である(ピンキリだそうだ)。こね鉢は最低でも1万円。麺切り包丁は2万円だという(実際にこの包丁で蕎麦を切ったが、切れ味は半端ない)。 形(ハード)から入ってもソフトがなければ無意味である。 だが、おいらに付いた師匠のNさんが出来物(できぶつ)であった。この道、10年。べらんめい調を喋る小料理屋の親父で、調理免許保持者である。トウシロウのおいらに手取り足取りで、山本五十六の教え(言ってみせ…)どおりにサポートしてくれたのである。 この師匠のおかげで、初心者のおいらも無事、蕎麦を打つことができた。 分かったこと。1.一番難しいのは、茹で。蕎麦を打ったばかりの生麺の茹で時間は1分(40秒でもよいくらい)。茹でたら、すぐに氷水にさらす。そうすることによって、腰が強くなる。2.皿に盛ったら、直ぐに食べる。そして、打った生麺は遅くとも当日中に食べる。翌日以降になるなら冷凍保存する。蕎麦は、鮮度が命。3.蕎麦粉は国産のものを使う。当日は福井産の蕎麦粉。市販の蕎麦(乾麺)は中国産などであり、また、混ぜ物があるので美味しくない。4.食べ方はまず蕎麦だけ食べ、次につゆに付けて食べる(蕎麦につゆをべったりとつけてはいけない)。薬味はつゆに入れずに直接、蕎麦にのせる(つゆにワサビなどを入れるのは厳禁。つゆの味を殺す)。5.蕎麦は、すする途中で噛み切らない。ただし、口に入れたものは噛んでもよい。 と、以上であり、これでおいらが蕎麦屋を開業できるかというと当然、無理である(おいらが最初に切った蕎麦は、きしめんのように広かった)。 旨い蕎麦を手打ちで出してくれる店を探すのが賢明である。池波正太郎もそうしたのである(池波が贔屓にした蕎麦屋では「神田まつや」が有名。神田連雀町と呼ばれていた界隈にある。現・神田須田町)。 神田連雀町まで、さて、足を伸ばしますか(この項終わり)。(付言) 落語では、蕎麦を食べるときにつゆをべったりとつけてはならないという。これは江戸時代のつゆの作り方が煮出し方であり、つゆが煮詰まっており少量のつゆで大丈夫だったから。なお、人間国宝の五代目柳家小さんは、私生活ではつゆをたっぷりつけて蕎麦を食べていたそうだ。人間味があって、よろしい。
November 13, 2024
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蕎麦打ちに挑む(前篇) 蕎麦打ちに挑む、と書いても大した話しではない。 蕎麦が好きだが(酒の肴として、蕎麦は横綱)、これまでの人生で蕎麦を打ったことはない。蕎麦はどうやって打つ(作る)のだろうか、という単純な動機でもある。 それに蕎麦の打ち方を知らないのでは、日本人として恥ずかしいではないか(写真は、講習会場での手打ち蕎麦)。 さて、ことの発端は、おいらが通っている地元史講習会(市主催で地元公民館に於いて開催)である。おいらは、住んでいる市の歴史を市史編纂委員から学んでいるのである。 おいらは久しく横浜に住んでいたが(横浜に12年、その前は世田谷に16年)、人生をリタイアしたら温泉のある街に住みたいと思い、某温泉駅近郊に移住した。今から約7年前のことである。 新宿まで60分のベッドタウンだが、地元のことはからきし知らない。そこで前掲の地元史講習会に通い始めてもう3年になる。その講習会の帰りに蕎麦打ちの実演講習会が開催されるのを知ったのである。おいらが直ちに申し込んだことは言うまでもない。 蕎麦に関する知識は、池波正太郎からしか学んでいない。並みの人生ならそれで充分だが、蘊蓄を傾ける池波は恐らく自分でも蕎麦を打ったはずだ。 蕎麦を打ってこそ、旨い蕎麦を語る価値が、いや、旨い蕎麦を知ることができるだろう、そう思っておいらは当日の講習会に参加したのである。 参加するまでにおいらが蕎麦について知っていたこと。1.蕎麦は蕎麦粉とつなぎ(小麦粉のこと)を混ぜ合わせて作る。その割合は通常蕎麦粉8、つなぎ2でこれを二八蕎麦と呼ぶ。江戸時代から二八が主流で二八、十六、すなわち蕎麦の代金は十六文と相場が決まっていた。2.それに水を加えてこね、麺棒で伸ばし、麺切り包丁で切る。3.茹でて、蕎麦つゆ(醤油と出汁とみりんなど)に付けて食す。このとき、蕎麦にべったりとつゆを付けてはいけない。 以上である。 当日持参したものは、三角巾(頭に巻く)、エプロン、タオル2枚である。会場に着いたら、参加者は8名。蕎麦打ちの台やマンツーマンでの指導のため、結構広い会場だが、それ以上は入らない。なるほど。なお、参加費は実費で1,500円。 講師は、地元の蕎麦打ち愛好会の面々。会長からご挨拶があり、この愛好会で打った蕎麦はどこの蕎麦屋よりも旨いと謙遜しながらのお話しである。 続いて副会長が実演されたビデオ鑑賞が10分。これが要領よくまとめられており、蕎麦打ちの段取りが分かる仕組みである。 さて、実際においらも蕎麦を作ったのである。 生まれて初めての蕎麦打ちである(この項続く)。
November 11, 2024
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ドイツ文学者の「池内 紀」にハマる フランス文学が好きなので、ドイツ文学はほとんど齧ったことがない。 ところが、今はドイツ文学者の池内紀(いけうち おさむ)にハマっている。 写真上の「なじみの店」はその池内の書いたエセー集である。 これが滅法面白い。一言で表せば、人生哲学の本である。人生とは哲学のことであるから同義語を重ねただけであるが、昨今は哲学のない人生を多く見受ける。だから、人生哲学でいいと思う。 実は、この本はおいらの敬愛する某氏から誕生祝にいただいたものである。池内紀のサイン・イラスト入りでもある。 その某氏は人品骨柄申し分なく、同時に博覧強記であり、おいらが先日カキコした参謀役に相応しい人物と言っても過言ではない。 氏によれば、池内紀によるカフカの翻訳が岩波文庫より出版されており、向井敏が池内の新訳とそれまでの翻訳とを比較引用して、池内の新訳を「カフカの簡潔な新訳」として賞賛とのことである。 向井敏が賞賛するのであれば、本物である。 ところが、博覧強記の某氏の解説は続く。 ドイツ文学界の中では池内の翻訳には誤訳があるとの指摘があり、どうも池内は好き勝手に翻訳をしているように思われる節がある。しかし、某氏は、これは翻訳者の特権かも知れないと池内に好意的な評価をされるのである。 慧眼である。 林 望によれば、彼は翻訳を読まないとのことである。それは翻訳には限界があり(異国の文化風習と日本のそれとは違う。また、時代も違う。「役に立たない読書」、林 望、2017年、集英社インターナショナル新書、57頁以下)、考えてみれば、そもそも日本語には主語がない文章が多いが、異国では主語は必須である。さもありなむ。 だから、おいらも翻訳ものは原典とは別のものだと割り切ることにしている。そうであれば、翻訳者の特権を認めてもよいではないか。 そういうことを某氏に教えてもらいながら、この池内のエセーを読むとまたひときわ味わい深い。人生とは、まさしく哲学であるのぅ。
November 8, 2024
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「蕗谷虹児(ふきや こうじ)展」に行く(後篇) 二階会場入り口である。 展覧会の構成は3部であり、第1部は「デビューから人気作家への道」、第2部が「花形作家としての活躍」、第3部が「少女雑誌から絵本へ」である。 第1部「デビューから人気作家への道」ののっけから、圧倒される。 線描だけで、「網」や「壁紙(スクリーントーン)」を使っていないのである。全て緻密な手書きである。ここで解説すると、おいらも少々イラストを描く。最初は皆、線描でスタートするが、背景も含めて全て手書きの線描とすると線が目立ち過ぎることになる。さらに仕事量が半端ではなくなる(全て手描きのため)。 このため背景には市販の無難な、出来合いの「網」(ぼんやりとした雰囲気を出すための10%から90%までの濃さの灰色の画面。0%が白で100%が黒となる)や「壁紙(スクリーントーン)」(神保町の文具店や美術の店で販売している)を切り貼りして背景とするのがイラストの常套である。 しかし、時代は大正から昭和初期である。そういう便利なものはこの時代にはない。したがって、蕗谷虹児は全てのイラストを線描のみで表した。 しかも、線描が失敗したときの「ホワイト」(修正液のこと)も使っていない(ただし、中期以降はホワイトを使用している)。これが何を意味するかといえば、失敗した場合は書き直しているはずである。ひぇ~! だから、会場に入って最初の部屋の作品を観るだけで(それらを確認するだけで)優に30分はかかってしまう。一事が万事で作品を一枚一枚鑑賞していくと疲労困憊になる。それだけ、蕗谷虹児の作品には彼の息吹がこもっているのである。 おいらは、このブログではそのことだけが言いたくてこの蕗谷虹児の項を書いているようなものである。まさしく驚異的としか言いようがない。 なお、この展覧会では1991年の展覧会以降出品されなかった「胡蝶の夢」(彩色、絹。1968年、浅子宏氏蔵。写真下)が33年ぶりに公開されている。 蕗谷虹児は挿絵画家ではなくて、本当は日本画家になりたかったのである。晩年、開催された蕗谷虹児の個展のために彼は日本画の手法を使ってこの「胡蝶の夢」を描いた。蝶の手足一本一本まで繊細に描かれている。見応え有り。 蕗谷虹児、今ではほとんどの人がその名を知らないが(同期同窓のTさんまでが知らなかった)、間違いなく一時代を築いた画家である。首都圏に在住の人は是非とも平塚まで出向かれたし(この項終わり)。
November 6, 2024
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「蕗谷虹児(ふきや こうじ)展」に行く(前篇) 「蕗谷虹児(ふきや こうじ)展」が平塚市美術館で開催されているとの情報をおいらに教えてくれたのは、大学の同期同窓のTさんである。 持つべきものは良い友である。早速、ネットで調べてみると「蕗谷虹児展」は10月5日から11月24日まで平塚市美術館で開催されている。 実は、おいらは蕗谷虹児の隠れ大ファンなのである。美術館での開催案内を調べたら、11月2日(土)の午後に家田奈穂学芸員によるギャラリートークがあるとのことで、当日、Tさんとご一緒させてもらうことにした。 余談であるが、平塚市美術館の展覧会はなかなかユニークなものが多い。 昨年はこの時期、「特集展示:藤田嗣治の初期作品」として同美術館に寄託された藤田嗣治の初期作品「おことさん」を目玉とする展覧会が開催された。また、古くは石田徹也を取り上げ、「石田徹也展 - ノート、夢のしるし」(2014年)を開催している。 平塚市美術館の外観(一部)。 当日は、雨であった。早めに着いたので併設のレストランで食事をとる。グリーンカレー、1,300円。これが美味。 美術館のレストラン席から観た景色。 本論に入る。 蕗谷虹児(1898-1979)は、大正時代から昭和時代にかけて少女雑誌の表紙絵や挿絵にモダンな女性像を発表して人気を博した、今でいう売れっ子イラストレーターである。 なぜおいらが蕗谷虹児のファンであるかというと、藤田嗣治を調べていくとフジタがパリで寵児になっていたころ、蕗谷虹児もパリに留学し、フジタと知遇を得ていたことを知ったからである。 しかも、蕗谷虹児はパリでサロン・ドートンヌ展(フランス語で「秋季展」の意味。保守的と言われるル・サロン展(春に開催)とは対照的に、画壇に新風を吹き込むような独創性が求められる公募展。フランス・サロン展屈指の難関サロンである)に入選するのである。 しかも、諸事情により、帰国せざるをえなくなり、帰国してからも大正・昭和のモダニズムの先駆者として当時を代表する花形画家となるのである。 その蕗谷虹児の60年に亙る作品約450点がこの平塚市美術館に展示されているというのだから、観ない手はない。いわば、マニア垂涎の展覧会である(この項続く)。
November 4, 2024
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今年(2024年)の神田古本まつり(神保町ブックフェスティバル) 例年、10月下旬の愉しみと言えば、神田古本まつり(神保町ブックフェスティバル)の開催である。 神田古本まつりについては、このブログで再三取り上げているので今更申し上げることはないが、特に愉しみなのが東京古書会館で開催される「特選古書即売展」(今年は25日(金)から27日(日)まで開催)である。 この出品目録が毎年10月中旬ごろ、神田の松雲堂書店(夏目漱石も通った老舗。古典籍と古地図などが専門)から送付されて来る。 松雲堂書店さんについてもこのブログで何回か紹介しているので再掲はしないが、おいらが九段下に勤務していた50代後半のころから店主の野田京子さんと顔見知りになったのがお付き合いの発端である。 古書巡りほど愉しいものはないが、馴染みの古書店ができて、店主と知り合いになるというのは本好きにとっては喜び以外の何物でもない。 余談だが、紀伊国屋書店の初代社長、田邊茂一氏は書店経営者として一流のみならず、粋な通人(つうじん)としてこれまた一流であった。こういう人と知り合いになれるとしたら人生は愉快である。 で、おいらはその昔、新潟勤務をしており、下宿近くに行きつけとしていた某スナックがあった。そこで出会ったのが紀伊国屋書店新潟支店長であった。意気投合し、文学談義をしたものだが、根底に本好きというのがあるから酒がひとしお旨くなる。 脱線してしまった。 古書店の店主と馴染みになるという話しの続きである。その店にふらりと立ち寄れば、好みの本を見せてくれることもあるし、おいらが欲しいものを探している場合、その本がなくても周辺の情報を惜しみなく与えてくれる。珍しいものが手に入った場合、おいらに先に話しをしてくれることもある。なお、古書の値引きもしてくれる。これもありがたい。 だから、神保町巡りはやめられないよなぁ。 さて、今回はその松雲堂書店で「昭和16年 番地入 新大東京全図 彩色 55cm×78cm」を手に入れた。 実は、おいらは地図好きなのである。特に古い地図が好きである。この地図は太平洋戦争が開戦した昭和16年6月発行のものであり、開戦前ではあるが(開戦は12月8日)、戦時色の色濃い時期のものとして興味深い。 まず、発行元が「日本統制地図㈱」である。地図は戦時においては一級資料であり(諸施設が他国の標的になる)、勝手に発行できなかったのである。 だから、旨い酒を片手にこの地図を眺めながら、現在の東京との比較だけでなく、そういう観点から観るのも面白い。この手の話しは脱線するので、古地図については稿を改めたい。 とまれ、今年も神田古本祭りを堪能した。本好きにはたまらないのぅ。 追記 神保町から古書店が少しずつ消えつつある。裏道などの小規模店舗や零細店舗などはついこの間まであったと思っていた店が居酒屋などに入れ替わっている。 神保町は古書店が集まっての「街」であるが、どこにでもある普通の街になろうとしている気がしてならない。そうならないことを祈るばかりであるが、読書離れ、本離れの波には神保町も勝てないのか。
November 1, 2024
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藤田嗣治O氏蒐集コレクション展(後篇) ボヘミアンズ・ギルドの二階に上がる。 二階は左側がスタッフルームとなっており、右側が展示場である。 その展示場に所狭しと藤田嗣治の挿画本、装丁本、著作の各書籍、総計約110点が展示してある。 今回の展示はこれらの作品群が展示されており、壮観である。聞けば、これらはO氏個人が生涯をかけて蒐集されたものという。 前篇で書いたとおり、おいらはフジタの執筆にあたり、できるだけ現物(本物)を観るようにしてきたので、これらのほとんどを既にこの眼で観ている。 だから、珍しいとは思わなかったが、こうやって全作品を目の当たりにすると、蒐集家の執念とは、一線を超えると異次元の世界になると思い知らされた。 要するにカネの力だけでは、こういう稀覯本は手に入らないのだ。フジタの稀覯本、なかでも版画は初刷りで数十部ということが多い。 それが世界中に散逸しており、貴重で高額だから手許から離さない(=流通しない)。世に出るのは、蒐集家が亡くなったときくらいである。 したがって、蒐集するには膨大なエネルギーと時間が必要になる(財力は勿論だが)。それをこうやって、フジタの本をほとんど完璧に集めたのだから、恐れ入る。マニアとは本当に怖い。 では、なぜ、夏目書房(ボヘミアンズ・ギルド)で今回この展示会が開催されたのだろうか。店の関係者にお伺いすると、O氏はご存命で、いずれこれらを整理するときが来ることを考え、夏目さんに相談されたのがきっかけだとのことである。 さもありなむ。これらの作品群は、美術館クラスの蒐集である。散逸させてはなるまい。もし手放すのであれば、国内であれば、目黒区美術館や軽井沢安東美術館、ポーラ美術館などが一括購入などの手を差し伸べて欲しいのぅ。海外にだけは流出させてはならない。フジタは日本の宝である(この項終わり)。
October 30, 2024
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藤田嗣治O氏蒐集コレクション展(前篇) 今月の20日まで神田神保町「ボヘミアンズ・ギルド」の二階ブックギャラリーで「藤田嗣治O氏蒐集コレクション展」が開催されていた。 藤田嗣治は、その生涯で膨大な数の仕事をこなした。油彩や版画の製作はもとより、書籍の挿絵も多数描き、また、自らも著作を出版していた。 今回は、その書籍に関するフジタのほぼ全作品である約110点がボヘミアンズ・ギルドの二階で展示されるというのだ。 実は、フジタの本のコレクションがほぼ完璧に揃っている美術館が都内にある。そう、目黒区美術館である。 だから、目黒区美術館ではこれまでも数回に渡ってフジタの本の展覧会を開催している(最近では、2018年に開催されており、おいらもそのときには現地に出向き、鑑賞している)。 さて、フジタには謎が多い。例えば、フジタは生涯5回結婚しており、4回の別れ方にはそれぞれゴシップがある。特に4回目の結婚相手であるマドレーヌとの別離は彼女との死別となったが、その死に至る顛末は現在でも不明な点が多い。 おいらは第二のライフワークとしてこのフジタの謎を中心にしたミステリーを書き上げたのだが(「江戸川乱歩賞」応募作)、その過程でおいらもフジタの書作物や挿絵本を少なからず蒐集することになった。 しかし、フジタの著作は高価なものが多い。一点が十万円を超える高額なものは手が出なかったが、数万円したものも多く、今、数えてみるとその数はいつのまにか数十点となっている。 ライフワークの余談だが、第一のそれは仕事に関するものであった。 おいらは在職中に米国の某金融事業会社と提携し(そのため紐育に赴任した)、平成12年に新事業(資本金110億円)を起こすことができたのである。 しかし、残念ながらその事業はリーマンショックにより平成17年に解消することになった。おいらはその新事業をライフワークと決めていたので事業解消を契機として早期退職し、第二の人生を憧れの文筆生活としたのである。おいらが54歳のときであった。 ということを思い出しながら、おいらは神田神保町のすずらん通りに到着した。ボヘミアンズ・ギルドは旧夏目書房であり(社長が夏目さん)、美術関係に強く、すずらん通りの東京堂書店の斜め前に位置する、知る人ぞ知る書肆(「しょし」と読む。書店のこと)である(この項続く)。
October 28, 2024
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74歳を迎えた 馬齢を重ねてとうとう74歳になった。昨日がおいらの誕生日であった。 これが75歳となるのであれば、後期高齢者の仲間入りであるし、四捨五入すれば80代となるので心理的には大きい変化であろう。 だが、73歳が74歳になるのは、ほとんど変化を感じないというのがおいらの今の正直な感想だ。 いや、一つ違ったことがある。 今年は、たまたまおいらの免許更新の年であった。5年ぶりの更新である。前回は69歳での更新であったが、今回は70歳を超えての更新なので「高齢者講習(実車指導あり)」を受けなければならなくなった。 神奈川県公安委員会から「高齢者講習の案内ハガキ」が来たので読んでみると、この講習は自動車学校で行う、とある。 えっ、自動車学校? 実車指導って何? 何はともあれ、高齢者講習を受講しなければならないので、案内に従って自動車学校を予約する。 そして先日、この講習を受けた。 実車指導は日ごろ車を運転しているので問題はなかったが(試験ではなく、指導なので落ちることはない。また、アクセルとブレーキの踏み間違いがないようにするための段差越え指導があったことを付言しておく)、おいらにとっての問題は視力検査であった。 人間の視野は前方が全て見渡されると180度の範囲であり、20代であれば190度まで見える人もある(つまり、後方も一部見える。馬の視野は200度以上あるという)。 この検査結果がおいらは140度であった。70代だと130度から170度の範囲であれば正常だというので、おいらの場合、その領域に入っている。ただ、おいらは両目とも人工レンズになっているので、140度と狭いのだろう。人口レンズは融通が利かないのである。 さらに動態視力の低下である。 若い人の動体視力は1.0が普通だが、経年によって衰える。早い話しが老人になると動くものが見えにくくなるのである。おいらの場合はこれがなんと0.1! 結果は歳相応というものであったが、これでは運転に支障が出てもおかしくはない。老人の運転する車はスピードを出してはいけないということである。 こうしておいらの視力検査をしてもらうと、自分自身の衰えを客観的な数値で知ることができるので、驚きと同時に自分への戒めとなる。 だって、こういう検査など受けたことがないし、自分の心の中では視力はまだ若いときと一緒だと思い込んでいるからである。 それが、老人相応の視力に低下しているとハッキリ知らされたのである。だから、自分自身の現実を知って少々ガッカリ、少々狼狽である。いずれは免許返納を考えなければならないという最初の警鐘である。 74歳。歳相応に体に老人力が付いていることを思い知らされたのである。これは、ある意味で神の啓示である。「脳は、首から下のことを考えない」と再び肝に銘ずる。
October 25, 2024
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マエケン巨人へ移籍か ネットで日刊ゲンダイDIGITAL(10月22日配信)を読んでいたら「巨人がマエケン獲得へ!カープ復帰は望み薄《夫人も在京志向できっと巨人》と広島OBも悲観的」との記事が出ていたので、腰を抜かした。 記事を要約すると、1.今年移籍した米国メジャーのタイガースとの契約はまだ一年残っているが、前田はポストシーズンの登録から外れた。メジャー球団の場合、たとえ契約が残っていても、枠を空けるために選手との契約を解除することが多い。2.よって、マエケンが日本へ帰国する可能性が浮上している。現在、日米通算165勝の前田は200勝を大きな目標としているので、先発を確約してくれるチームへの日本復帰を望む可能性がある。3.古巣の広島はもちろん手を挙げるが、本命は巨人である。巨人は菅野が来季抜けるので、その穴埋めとしてマエケンは喉から手が出るほど欲しい。4.古巣、広島の球団関係者によれば、マエケンが日本に帰ってくるとしても、カープには戻ってこない気がする。カブスの鈴木誠也はオフになると必ずマツダスタジアムに顔を出し、オーナーや皆に挨拶して、球団施設での自主トレも認められている。5.ところが、マエケンは球団の施設に寄り付かない。ずっと東京で、チーム内ではカープに帰ってこないと思われている。復帰するとなると巨人には坂本など仲のいい選手がいるし、千葉出身の早穂夫人は在京志向だと聞いている。 とあり、カープ復帰は望み薄という。 ひえ~。出典が日刊ゲンダイだから、信憑性に問題がない分けではないが(日刊ゲンダイさん、ごめんなさい)、そうだとすると一大事である。 マエケンがカープに戻れば、男・黒田と同じで万来の祝福の下で復帰することができるし、引退の際は惜しまれつつカープのレジェンドとして引退ができる。 他方で、巨人に行けば東京で暮らすことができるし、年俸もメジャー並とはいかないまでも高い報酬を貰えるだろう。だが、そうなるとマエケンは便利屋として使い潰され、最後は単に巨人の一選手という立ち位置で終わる事にもなりかねない。 結局、マエケンがどちらの野球人生を選ぶかという話しではあるが、最後は本人が決めるのだから、外野がとやかく言うのは野暮だろう。 だが、マエケンにはカープのユニフォームしか似合わないとおいらは思う。丸のようにはなって欲しくないのぅ。人生はカネだけではない。
October 23, 2024
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参謀、軍師、策士、側近(後篇) 瀬島龍三の話しを続ける。 瀬島は、富山県の旧松沢村の村長の三男として生まれた。幼年学校を首席で終え、士官学校44期生を次席で卒業、昭和13年に卒業した陸大では首席となり、御前講演を行っている。 その瀬島は大本営の奥の院と呼ばれる参謀本部作戦課に6年間という異常に長い間、配属となる。これが瀬島の謎の一つ目と言われる。 通常は2年程度勤務して現場に配属となり、また参謀本部に戻るのだが、瀬島は秀才参謀として作戦課に居続けた。 このときに付いたあだ名が「茶坊主」である。上司の意図をくみ取り、素早く的確に上層部への資料を起案するからである。したがって、瀬島が起案すると負け戦も勝ち戦になると言われた。陸軍の負の部分を上手く言い表している(付言すると、現場で兵隊の部下を持ったことがないため、瀬島の弱点は戦争の現場を知らないことだとも言われる)。 瀬島の謎の二つ目は、参謀本部時代のことをほとんどと言っていいほど公にしていないことである。 例えば、瀬島は終戦の和平工作をソ連に仲介してもらおうと極秘にモスクワを訪れている(しかも偽名で背広姿である)。そのことについて、生涯全く知らないで通し続けた。 三つ目の謎は、10年間に渡るソ連抑留からの帰国後のソ連スパイ容疑である。 瀬島は帰国後、防衛庁だけでなく、陸士の後輩などから社長や顧問への就任が多かったにもかかわらず、伊藤忠に入社する。ビジネスマンになったにもかかわらず、ソ連大使館と接触するなど、謎の行動が記録されている。そのことによって、佐々淳行は氏をソ連のスパイだとしている(佐々淳行「私を通りすぎたスパイたち」文藝春秋、2016年)。 瀬島は、そういう謎を一切合切あの世に持っていったのである。氏のことをよく知る参謀は、「国家の一大事と自分の点数を引きかえにする軍人です」と評した(半藤一利+保坂正康「昭和の名将と愚将」文春新書、2008年、220頁)。 そうは言っても、参謀としての仕事のやり方は間違いなく参考になるだろう。 陸大時代の瀬島は課題が出ると、他の学生は帰宅してから問題に取りかかるが、瀬島はまず図書館に行き、あらゆる資料を集めていたという。他の学生と異なり、一つの問題に対して、諸外国の論文から昔の戦史まで調べた上で帰宅して作業する。だから、瀬島の答案はずば抜けていた。 前篇のおいらの話しに戻るが、おいらはこの瀬島流の解決方法を仕事の現場で叩き込まれた。特に同期のKさんから、このやり方を一から教わった。それまでのおいらはひらめきとはったりでは誰にも負けないと思っていたが、それだけで通用する世界ではない。小さいころから憧れていた参謀の端くれに少しは近付けたのではないかなとおいらが今でも思っているのは、このときの経験という財産があるからだと考えている(この項終わり)。
October 21, 2024
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参謀、軍師、策士、側近(中篇) 参謀と仕事とは関係ないだろうとお思いの方は多いと思うのだが、例えば、「ブレーン・ストーミング」というのがある。 OJTの一環として社内で行うのだが、これを本格的に導入したのは伊藤忠であり、それを提唱したのは瀬島龍三である。 また、上司へ報告する場合は、1.「ペラ一枚」(今で言うA4用紙一枚)にまとめる。2.結論を先に書く。3.論点を3つに集約する(3案を出す)。というのも瀬島流である。 瀬島龍三は伊藤忠に嘱託として採用され、5年後に常務、そして9年後に副社長となる。参謀本部のキャリアを生かして実業の世界でも伊藤忠の当時の越後社長を補佐し、一介の繊維商社を世界の総合商社に飛躍させた男である。 瀬島は入社3年後、会社の経営を企画、調整する業務部の部長となり、翌年、本部長となる。この業務部こそ「軍ならばさしずめ、参謀本部ということになろうか。企業の中枢」となる部署である(「経済界」81年6月23日号)。 小切手や手形を見たこともなく、貸借対照表も読めなかったが猛勉強し、参謀本部で培った戦略、戦術の立て方を企業戦略に生かすのは分けがなかった。 常務時代の瀬島の方針は、他の役員が利益追求で短期の目標を立てるのに対し、瀬島は長期的なことから始まって短期的なことまで下がってくると、真逆であった。 部の長期目標を立て、そのために将来は何をすべきか、そのためには今何をすべきかとし、まず長期的な戦略を立て、それから今期の戦術を考えるという手法である。 瀬島は在職中、いすずを米GMと提携させたり(陣頭指揮を執った)、航空分野、石油輸入などで伊藤忠にレールをひくなど多大の功績を残した。 このときの瀬島は、参謀としての心得を次のように残している。1.組織の実情を把握して、真実の姿を適時、主体に報告し、主体が絶えず実情に通じている如く、補佐すること2.主体が方針を決定し、或いは判断を下すに必要なデータを機を失せず整備すること。出来れば、之に対し、自己の意見を追加する。データは、合理的正確でなければならない(前田啓介「昭和の参謀」2022年。講談社現代新書。215頁)。 また、瀬島の口癖は「私は参謀であって、司令官ではない」であった。参謀とは何かを、一言で表している。 これらを見ると素晴らしいものばかりだが、無論、裏の部分もある(この項続く)。
October 18, 2024
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参謀、軍師、策士、側近(前篇) 阪神の新監督に藤川球児氏がなるという。 二軍監督やコーチの経験なしに名門球団の新監督になるのはなかなか厳しいという指摘がある。ネット上では、早速、球界大御所の広岡達朗氏が「投手出身の監督はダメだ」とのご宣託である。 ただし、広岡達朗氏も苦言を呈するだけではなく、「成功するためには経験豊富な参謀をつけなさい」とアドバイスを送っている。 広岡達朗氏が指摘されたように、かつての巨人では投手出身の藤田元司監督が、牧野茂ヘッドコーチ、王貞治助監督という「トロイカ体制」で臨み、就任一年目となる81年にリーグ優勝、日本一を手にしている。 特に、牧野茂氏というヘッドコーチをつけたことが成功した。彼は参謀であった。ドジャースの戦法を取り入れ、ガンとした信念を持った指揮官だった。牧野参謀のお陰で藤田監督は巨人を優勝させることができたと言っても過言ではない。 何が言いたいのか。 おいらは、幼少のころからなぜか参謀とか軍師などに憧れていたのである。講談本の黒田官兵衛や竹中半兵衛に影響を受けたからかも知れない。 社会人になってこういうことを話題にするのは少々恥ずかしいことでもある。軍師のことなど喋らないようにしていたが、あるとき、ひょんなことから新宿の片隅のバーでG常務と呑むことになった。 驚いたのは、その常務が「俺は竹中半兵衛になるのが夢だった」と言われたことだった。社長になりたいではなくて(後に社長になられるが)、ギラギラした目でそう言われたので、本心は半兵衛のような部下や側近が欲しいのを遠回しに言っておられるのだろうと勝手に思った。おいらが30歳を過ぎたころの話しである。 そのおいらが軍師にはなれないが、参謀の端くれにはなることができるかも知れないと思うようになったのは、入社6年目で本社業務部に配属になったときである。 このとき、類まれな上司と、同僚、そして、担当している仕事の専門書を某出版社から上梓するという機会に恵まれたのである(この項続く)。
October 16, 2024
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中日球団の新監督 紆余曲折があったが、中日に井上一樹新監督が誕生した。 他球団のファンにはほとんど知られていない名前のようだし、おいらも全く記憶にない。 だが、ネットで散策してみると、「モチベーターとしての力は非常に高い」と大島宇一郎オーナーが評価している。 よく意味が分からないが、要は熱血漢であり、先週、ナゴヤ球場で秋季練習を開始したナインの前では、全体への訓示として「同じ方向を向いていないと勝てない。俺の好きな、やる気や元気がみなぎる選手になってほしい」と声をかけたそうだ。 やる気だけでは優勝できないのは当然だが、少なくとも前無能監督の時代にはやる気がほとんど見えないチームだったから、中日は大化けする要素はある。 さて、何が言いたいのか。 未確認情報だが、球団幹部が密かに落合博満氏元監督に次期監督としてサウンドしたという話しがある。 結論は無論断られたようだが、何があったのだろう。1.そもそも落合氏に監督を要請したのか2.そうだとすると落合氏はなぜ断ったのか3.条件面で断ったとすると、どんな条件だったのか。 戦力面か、采配への注文か、本人の年齢(70歳)、期間・年俸などその他の条件か 野球の醍醐味は、弱小のチームが現有勢力のみで優勝することにある。落合元監督は、実際に与えられた勢力を底上げし、補強なしに中日を4度のリーグ優勝に導いたのである。 だから、その手法が現有勢力(来季、マルチネスは移籍の可能性大。その他のメンバーも峠を越えているなど)では無理筋と考えたのか、それとも本人しか分からない何かがあったのか。 おいらは「落合監督の采配をもう一度観たい」派、なのである。野球とはかくも奥が深い。
October 14, 2024
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発熱、その後 先週の土曜日、つまり、10月5日に38度を超える発熱をし、日曜日は安静にして一日中、臥せっていた。 臥せっていたというと、江戸時代の大名みたいだが、実際はベッドで寝ていただけである。 だが、これが効いたのか、その日のうちに37度3分まで下がり、その後は一旦38度近く上がっても36度台が定着した。 余談だが、おいらは熱が出ると所望するものが二つある。この二つで風邪は治るのである。 一つは、蜜柑の缶詰である。そう、ミカンのシロップ漬けである。1950年生まれのおいらにとって、幼少のころの二大贅沢品とはバナナとチョコレ-トである。 だが、熱があるときにはそれらの王者はそぐわない。おいらの母はおいらが熱を出したときは必ず枕元で「〇〇(おいらの本名)、元気をだすんだよ」と言ってミカンの缶詰をスプーンで口に運んでくれた。このときのミカンの味は、今でも脳に残っている。 だから、ミカンのシロップ漬けを食べると脳は全身にあのときにおいらが得た免疫力を復活させてくれるのである。 もう一つ。お粥である。 おいらは幼少のころ身体が弱かったので、熱が出るとお粥であっても食べることができなかった。だが、おいらの母は「〇〇、これなら食べられるじゃろぅ。食べにゃ、イケんよ」と地元の味噌とニラで味付けをしたお粥をおいらに食べさせてくれたのである。母特製の味噌ニラ粥である。今、考えてみると、身体が弱かったおいらにはこの二つがなかったら、とっくにこの世にはいない。 愛妻と一緒になり、その後、おいらの母の秘伝を受け継いだ妻は今回のおいらの非常時にも、ミカンの缶詰と味噌ニラ粥を用意してくれ、おいらの枕元で看病してくれたのである。頭が上がりません。 閑話休題。 さて、発熱の原因を考えてみると、実は妻にもおいらと同じ症状が出ていたのである。おいらが周回遅れの発症なので妻から感染したのだろう。 その妻はコロナとインフルの検査を受けており、いずれも陰性だったからおいらも恐らく問題はないだろう。 ただ、喉が痛いのと咳、それに痰がからむのは今でも継続している。いやだなぁ。 熱がないからいいようなものの、今現在でも体全体に微妙な違和感がある。感覚的には、春先の花粉症の再来である。あれはいやだよなぁ。2月下旬から5月初旬までの蓄膿症になったみたいな、いやな感覚の再来だ。 だが、これも人生修養かのぅ。今でもかかりつけの医者に対処療法の薬を処方して貰っているので、当分は様子見にするしか仕方がなかろう。
October 11, 2024
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おいらとフランス語(後篇) フランス語(ラテン語)と英語(アングロサクソン語)の生い立ちが違うので単語が違う一例が、英語のチーズである。 フランス語ではチーズのことをフロマージュという。似ても似つかない。だから、覚えるしかない。 ところが、ドイツ語ではケーゼという。チーズとケーゼ、訛りがひどいが、似ていなくもない。 その証左に、本はドイツ語ではブッフ(フランス語ではリーブル)、家はドイツ語でもハウス(フランス語ではメゾン)、庭はガルテン(フランス語ではジャルダン)と英語とドイツ語は似ていることが多い。 これは、ドイツ語がゲルマン系の言語であり、英語がアングロサクソン語だからである。アングロサクソンは、ドイツの北に住んでいたゲルマン人の一派だから、同根である。 こうしてみると、第2外国語はドイツ語にする方が少々楽だったかも知れない。 さて、どうでもいいことだが、おいらは浴室に英独仏伊西葡露などの簡単な挨拶語の一覧表を貼っている。これを眺めていると面白いことに気付く。 ラテンの「こんにちは」は、フランス語がボンジュール、イタリア語がボンジョルノであり、方言のように似ている。スペイン語ではブエノスタルデスで、ポルトガル語ではボアタルデでこれも似通っている。 ありがとうは、イタリア語ではグラチェ、スペイン語ではグラシアス。今度はイタリア語とスペイン語が似通っている。フランス語ではメルシ、ポルトガル語はオブリガードだからここでは仲間がいない。 それで思い出したのが遠藤周作氏である。氏はフランス留学されており、あの顔で(失礼!)フランス語がペラペラである。氏のエセーを読んでいたら、「フランス語を勉強するのであれば、ラテン語系のイタリア語を先に習いなさい。イタリア語がマスターできたら、フランス語は方言のようなものだから、直ぐに習得できる」と言われて、本当にイタリア語から勉強した、とあった。 遠藤周作、えらいのぅ。 なお、コロナ前においらがフランスの藤田嗣治の足跡を巡る旅をしたときは、最初、たどたどしいフランス語を話すようにしていたが、相手のフランス語が全く聴き取れず、そのため、挨拶以外は全て英語で通すことにした(ただし、仏文は辞書さえあれば、今でも読むことができる。時間はかかるけど)。 フランス人が英語を話さないというのは昔のフランスの英語教育が稚拙であったためであり(英語が分かっていても自国の言葉にプライドがあるため、わざと話さないというのはウソである)、現在は英語教育が格段に進歩しているため、ほとんどのフランス人は初歩的な英語なら喋ることができる。 だから、おいらが初めてフランスに出張した当時(約45年前)はパリのキオスクで英語が通じなかったことがあるが(当時のパリの若い娘は英語ができなかったのである。おいらの英語が下手だったのもあるが)、現在のフランスで言葉の問題を感じたことはない。 藤田が終の棲家にしたパリ郊外の「メゾン・アトリエ・フジタ」を訪問したときには、近くのレストランで昼食をとった。そのとき、隣席に一人で座る妙齢のマダムと眼が合ったので、アトリエを訪問するために日本から来たなど他愛もない話しをしたのだが、英語で全く問題がなかったことを付言しておく。 ということで、フランス語をめぐるおいらの話しはこれでお仕舞。歳を取ったため、今更、フランス語を再勉強するつもりはないが、結局、今でもおいらはフランス語に憧れているのである(この項終わり)。
October 9, 2024
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発熱につき、本日はお休み 一昨日から、38度を超える高熱が出てダウンしました。 同時に、喉の痛みと咳、痰の絡みです。寝るしかありませんなぁ。お休みなさい。
October 7, 2024
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おいらとフランス語(中篇) フランス語を語るには、まずヨーロッパの歴史から語った方が分かりやすい。 今でこそ英語は世界の標準語であるが、有史以来ヨーロッパの標準語は、ローマ帝国時代のラテン語であった。だから、東ローマ帝国が滅ぶ15世紀まではラテン語が約千年間、標準語であった。 続いて、ヨーロッパ最強の王国はフランスとなった。17世紀後半から18世紀の「太陽王」(ルイ14世)の治世は圧倒的で、第一次世界大戦までの外交用語はフランス語であった。いわば、約100年間はフランス語が憧れの言葉であった。 その後、大英帝国の繁栄とアメリカの台頭によって世界の標準語は英語となったのである。 だから、英語の源流にはラテン語とフランス語が流れていると言っても過言ではない。英語にはフランス語と接点があると前篇で述べたのにはこういう理由があるからである。 要するに、言葉は人が使うものだから、そもそも原住民が使う言語があり、そこを征服する人たちが現れれば、その征服者の言葉が主流となる。先住民の言葉は駆逐されるのである。 ただし、先住民の言葉と征服者の言葉が混じることもあり、結局、その流れを掴めば現在使われている言葉の成り立ちが分かることになる。 そこで、英語の歴史を簡単に述べてみよう。 英国はイングランド、スコットランド、ウエールズなどの4か国からなる連合王国であり、それぞれの王国にそれぞれの言語があった。中でもイングランドはケルト族が先住民であり(ハロウインはその名残)、そこは1世紀、ローマ帝国の支配下となり、そこに5世紀、アングロサクソンが移住してきた。高校の世界史で習った民族の大移動である。 アングロサクソンはドイツの北に住んでいたゲルマン人の一派で、アングル人、ジュート人、サクソン人の総称である。このときからそれまでの言語は駆逐され、移住してきたアングロサクソン語が古英語となる。日本でも古文があるように、英語も古英語から中英語、そして現代の英語、米語に変遷するのである。 この古英語にラテンの血が入るのである。ラテンとはフランスのことである。11世紀に起きたノルマン人によるイングランドの征服、いわゆる「ノルマン征服」である。 ノルマン人はもともとはスカンジナビアとバルト海沿岸に住んでいたヴァイキング(海賊)であったが、フランスのノルマンディに移住し、イングランドをも征服する。したがって、現在のイングランドの貴族は皆ノルマン系である。 ノルマン人はノルマン語を喋り、これが現在のフランス語である。だから、イングランドは古英語にノルマン語=フランス語が加わり、これが中英語になったのである。 だから、英語の終わりを意味する言葉はエンドであるが、同時にフィニッシュという英語もある。このフィニッシュはノルマン語=フランス語から来ている。フランス映画を観ると最後に出てくる字幕はFINである。 始まりもビギンというが、コメンスとも言う。コメンスもフランス語由来である。 英語の単語に同じ意味の言葉が二つ以上あるのは、こういう理由だからである(この項続く)。
October 4, 2024
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おいらとフランス語(前篇) おいらとフランス語の出会いは、大学時代の第2外国語をフランス語にしたときに遡る。 入学試験の申込時に第2外国語を記入する必要があり、三島由紀夫に傾倒しておいらはジョルジュ・バタイユを齧っていたので、迷うことなくフランス語を第2外国語とすることに決めた。 これは余談だが、1990年ごろから多くの大学では第2外国語が必修ではなくなった。大学教育内容の見直しの結果だという。理由の一つに、語学は短期間に習っても効果はなく、その時間を英語教育に充てた方がよいというのがあったらしい。 だから、昔は同じ第2外国語を習うメンバーを同じ教室にしていたが、その風習は今はないようだ。これは残念である。 それに2年間とはいえ、第2外国語を少しでも勉強していれば、基礎の基礎は一度は習っており、ゼロではない。ゼロと1とでは生きると死ぬほどの差がある。社会人になってフランスに出張したり、フランス語に興味が出たり、それがもとで再び勉強したいとなれば、とっかかりがあるのである。 さて、ここからが本題である。 最近、読んでいて膝を叩いた新書がある。「英語とは何か」(南條竹則。2018年。集英社インターナショナル新書)である。この本の中に「フランス語を勉強すれば、英語がうまくなるよ」という記述があったのである(同書94頁)。 実はおいらはフランス語の勉強をしたときに、仏和辞典よりも仏英辞典をよくひいていたのである。 日本語をフランス語にするときも一旦、英訳してそれをフランス語にしていたのである。このやりかたの方が日本語を直接フランス語にするよりもおいらには合ったからである。 フランス語を勉強し始めたのは今から55年も前のことだから、おいらはこのやり方でよかったのかなと今でも考えることがあるのだが、この本を読むとフランス人は英語を喋る場合に単語を英語に置き換える作業をすればよいと出ていたので、おいらの勉強法も間違いではなかったと安堵したのである。 そういえば、昔見たフィルムニュースでパリ陥落後、連合軍がドイツを倒し、凱旋門の前で戦車に乗った米軍の兵士がたどたどしいフランス語で勝利したことをフランス市民に話すシーンを思いだした。 米兵がフランスの兵士に「英語の○○は、フランス語で何と言うんだ」と聞きながらフランス語を話していたのである。英語もフランス語も基本的な文法構造が同じなので単語を置き換えるだけでいいのだ。 では、本当にそうなのか。英語とフランス語の接点、英語(アングロサクソン語)とフランス語(ラテン語)の出自を調べるとこれが滅法面白い(この項続く)。
October 2, 2024
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福田和也死す 福田和也が若くして死んだ(2024年9月、急性呼吸不全のため死去。享年63歳)。 わざと世の中にケンカを売った男だった。若いときからとがっていて、中年になっても色欲と暴食に溺れ、それでいて一級の小説と評論をなす文学者であった。マネできないよぉ。 慶応大学在学中にフランス文学の主流への反発から誰もテーマにしないコラボラトゥール作家(ファシズム作家)を研究対象としたのは有名な話しである。 その著述は難航し、大学院在学中から大学を出て実家の福田麺機製作所を手伝いながら7年かけて執筆したというが、それで江藤淳に見出されている。学生時代から本物であった。 さて、氏の作品で一番記憶に残っているのが、2000年に出版した「作家の値うち」である。 純文学と大衆文学の現役作家を五十人ずつ、全百人の主要作品を百点満点で採点し、多くの有名作家作品を「読んでいると恥ずかしい」レベルなどと評したのである。滅茶苦茶面白かったなぁ。 師匠の江藤淳が評価しなかった古井由吉や村上春樹を福田は評価し、江藤が絶賛した中上健次の「千年の愉楽」を「インチキポルノ」と評するなど、師匠にもケンカを売るほどである。わざと粋がっていたのだろう。 氏は、ファシスト研究から保守の論客としても知られており(「保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである」河出書房新社、2023年)、その実、左翼思想にも造詣が深かった。保守の思想家であった西部邁も亡くなり、まともな保守思想の人物はもう出ないのだろうか。 面白い人物がまた一人消えたのぅ。
September 30, 2024
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野球の神様はいない カープの9月の成績が4勝18敗(26日現在)である。 昔、パリーグの某チームが史上最高の18連敗したというのがあったが(98年の千葉ロッテ)、それに匹敵するのぅ。 要するにカープは弱いのである。 しかしね、おいらは、その弱いチームが金満のチームを破って優勝するというのが好きなのである。 今年の8月まではそのストーリーが巧く行っていたのである。 だが、政治や経済と同じで、最後は「国力」がモノを言う。カネがあるチームが最後は勝つ。今年の巨人がそうである。足らざるはカネで補う。野球も実際は、国家や経営の亜流である。 ヤクルトは親会社の事情からカネが出せない。だから、優勝しても連覇は続かない。中日はそもそも新聞社自体に将来が見えない。だから、身売り話しまである。カネなど出せるものか。横浜も事情は同じである。球団トップが「優勝するな、優勝すると年俸が払えない」とまで言う次第である。 ましてや親会社を持たないカープは、貧乏球団の権化である。 そもそも「育てて出す」が家訓である。A級外人の補強など夢のまた夢である。 だから、今シーズンはまたBクラスに戻るしかない。最悪は、新井監督の辞任である。だが、後任の成り手はいない。今の戦力では今年のドラゴンズと同じだからである。貧乏くじを引くお人好しはいないに決まっている。 トホホ。貧すれば鈍するじゃのぅ。野球の神様はいないのかのぅ。 広島からかくも離れた地にいるおいらが落胆しているのだから、地元の広島の景色はお通夜みたいだろうなぁ。聞けば、マツダスタジアムでは空席が目立ち始めたという。 合掌。南無阿弥陀仏。
September 27, 2024
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フランスやドイツではワインは水で割ることがある 過日、気の置けない旧友と痛飲したときのことである。 おいらが最近は白ワインのアルコール濃度を下げるために水で薄めて飲むことがあるという話しをしたら失笑気味の顔をされてしまった。 それはそれでよいのだが、何故水で薄める(水で割る)かと言うと、パリに出張したときのビジネスパートナー(フランス人)とランチを食べていたときに、昼間飲むときのワインは水で割ることがあるという話しをされたからである。 実際、ナポレオンはワインの水割りが好きだったという話しが残っており、また、フランスの家庭では子供もワインを飲むことが多いのだが、そのときは水で薄めるという。 で、おいらの場合は、白ワインをグラスに注ぎ、そのグラスにたっぷり氷を入れるのである。氷は比較的早く溶けるのでワインの水割りになるのである。これが旨い。昨夜は、あまりの旨さにワインが進み、ボトル一本近く開けてしまった。結局、水で薄めても飲む量は増えるので、酒量が減ることにはならないようだ。やれやれ。 なお、フランスでは水で割ったワインは市販されていないが、ドイツでは強い炭酸で割ったワインが店頭で売られている。ドイツでは寒いときにはワインを燗して飲むほどだから、何でもありである。 結局、「蓼食う虫も好き好き」かのぅ。
September 25, 2024
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市議会議員補選は無投票 昨日、おいらが住んでいる神奈川県某市の市長選と市議会議員補選があった。 それはそれでよいのだが、市議会議員補選は定数1で1名のみが立候補したため、無投票となった。 おいおい。無投票!? それで、おいらの次弟が自分が住んでいる広島県F市での市議会議員選挙が無投票だと言っていたことを思いだした。 調べてみると、昨年(2023年)の41都道府県で実施された統一地方選挙でも、都道府県議会議員、市長、市議会議員の三つの選挙が無投票となる「トリプル無投票」が全国の16町村で起きていたという(朝日新聞調べ)。 その大半は有権者1万人未満の町村だと思っていたが、静岡県吉田町(2万3千人)、北海道美幌町(1万6千人)、栃木県芳賀町(1万3千人)など一定の規模以上の自治体でも起きているという。 ひえ~? 要するに地方議員のなり手がいないということなのだが、そもそも議会に対する信頼や関心などなく、また、自治会長やPTAの役員などではないが面倒なことに巻き込まれたくないということで、なり手不足が加速するという悪循環のようだ。 さらに、市議会議員数が議員定数に満たない「定数割れ」の事態も全国で起きているという。どうやら議員のなり手不足は、深刻化しているのだ。 少子高齢化と地方の過疎化とは、こういうことにもなるらしい。 日本の行く末が恐ろしいのぅ。
September 23, 2024
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歌舞伎座一階最前列 昨日、歌舞伎座一階の最前列でナマの尾上菊之助を観た。おいらから約3メートルなので菊之助の息吹を感じる距離である。 おいらは、歌舞伎にハマりそうである。 ことの発端は、今年の敬老の日に娘夫婦がおいらと愚妻に歌舞伎座の招待券をプレゼントしてくれたことにある。歌舞伎座の一階席は一人18,000円であり、自分で買うことはまずないわなぁ。 喜んで招待を受けることにした。 ところで、歌舞伎を知らないというのはある意味、日本人として恥ずかしいことである。昔の話しだが、おいらがロンドンに出張したとき、現地のビジネスパートナー(外人)が歌舞伎ファンで歌舞伎の話題を出されて困ったことがある。 おいらは、しかし、同期のKさんが歌舞伎座4階立見席に連れて行ってくれたことがあり、また、おいらと愚妻で歌舞伎座に行ったときのことなどを話題にしたら盛り上がったことがある。 だからという分けではないが、このような伝統芸能を知らないというのはある意味、人生を損していると思うのである。 さて、歌舞伎はテレビ中継でもやっており、たまに観ることがあるが、知識がないとまず分からない。とくに伝統的な演目は義太夫と三味線が入るのでこれが難儀である。 したがって、歌舞伎を鑑賞する際には予習が欠かせないと言っても過言ではない。事前にあらすじを知っておき、歴史的背景を調べておかないと面白みが半滅するのである。 そういうこともあって、おいらと愚妻は事前学習をし、当日はイヤホン解説を借り(一台800円)、歌舞伎に挑んだのである。何もそう気張ることはないか。 新しくなった歌舞伎座に入るのは初めてである。 最前列の中央から少し左側に座る。目の前が舞台である。花道は左右に二つあり、左側の花道が近い。桟敷席(一席2万円)は、一階の左端と右端に縦に一列ずつ並んでいる。 後ろを見ると、二階席と三階席がある。一階最前列なので少し優越感に浸る。 昼の部なので、幕間に折詰弁当を食べる。 解説すると、歌舞伎座では幕間が30分以上あれば、客席でもロビーでもお弁当を食べてよい。歌舞伎座で食べるお弁当の味は格別である。 とまれ、開演後は歌舞伎を堪能した。 一言で述べれば、浮世を忘れたぞよ。菊之助、愛之助、幸四郎、染五郎などを至近距離で観るのだからたまらない。 歌舞伎は、ええぞ。女形は、ええぞ。菊之助は、ええぞ。 おいらは菊之助のファンになりそうである。世の奥方が歌舞伎にハマるというのがよぉ分かったのぅ~。理解できるのぅ~。
September 21, 2024
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カープ凋落の原因 カープ勝負の9月は、昨日までの戦績が3勝11敗である。 特に首位争いをしていた巨人、阪神との5連戦は全敗となり、それが命取りとなった。 原因は簡単である。投手はボコボコ、打者は打てない、守ればエラーでひと昔前のカープの再現である。これでは勝てない。 さらに打てないのに何の補強もしないのだから、完敗だと思っていたら、どうやらそうでもないらしい。 マツダスタジアムではこの異常に暑い時期なのにデーゲーム開催を強行したからという。 それでなくても広島の夏は暑いのである。 特にマツダスタジアムは、熱中症の症状を訴えるファンが大量に出るので有名な球場である。 他球場の場合、ドーム球場以外ではどこもデーゲームを行っていない。 それなのに、なぜマツダスタジアムではデーゲームを行うのか。 それは、どうやらゼニ儲けのためらしい。ナイターの照明代がいらない、ビールなどの売り上げが伸びる、地元テレビ局の番組編成に好都合などである。 貧乏球団だから仕方がないかも知れないが、本末転倒である。選手やファンへの配慮が全く見られない。アタマがおかしいのぅ。 特に、選手は連日の酷暑で疲弊している。今季10勝している森下投手はその疲れが出たのか、8月27日以降は4連敗である。その全ての試合で5回までに大量失点しているのだが、明らかに疲労が蓄積している。 もはや、カープには3位狙いしかなさそうだが、そのいちばんの戦犯は新井監督や選手たちではなく、球団上層部だと思うとやるせないのぅ。 なお、本日の夕方は神宮球場へカープの応援に出かける。勝負の女神は、まだカープに微笑むや。
September 18, 2024
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吉田類氏と痛飲する 2012年から始まったNHK文化センターでの吉田類氏との句会は開始してから12年目になる。 その句会が昨日、青山で開催された。 当初は句会ということで俳句のみの会合であったが、その後、俳画教室となり、現在に至っている。 句会は当初からのメンバーが多いが、新規加入者も毎回あり、特に今回は初めての方も目立った。俳句は苦手だが、類さんに会いたいという人は毎回後を絶たないからである。 さて、句会は午後2時に開始し5時に終了するのだが、皆の目当ては会の終了後に始まる打ち上げでもある。このブログでも触れているとおり、当初は類さんも参加しての大宴会となっていた。 ところが、一時期、コロナによって開催がオンライン句会となり打ち上げも開催できなくなり、また、リアル句会が再開されても、打ち上げには類さんの都合がつかず、類さんがジョインされることはなかったので、主賓のいない飲み会が続いていた。 これでは、句会の愉しみも半滅じゃのぅ。 そこで、おいらたちの要望が叶い、今回は久しぶりに類さんを囲んでの打ち上げになったのである。 いやはや、これが大盛り上がり。 久しぶりに類さんと痛飲したのである。 なお、類さんはお元気そのもので昭和24年生まれの74歳には見えない。その秘訣を伺うと、歩くことにあるという。現在、NHKで連載中の「日本百低山」は丁度百個めの撮影を終えたばかりとお話しされ、「千低山」を目指すとされる。嬉しいのぅ。 昭和24年生まれには、矢沢永吉氏と日野正平氏もいる。日野正平氏は腰痛で療養中だが、まだまだ若い。昭和25年生まれのおいらもまだ意気軒昂である。「不老 六十七十ははなたれこぞう おとこざかりは百から百から わしもこれからこれから」
September 16, 2024
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心の時計を昔に戻す 先日も書いたが、今週の火曜日に気の置けない旧友と痛飲した。 昔の仕事仲間なので付き合い始めてから40年以上経つ。そういう仲間と会うと、おいらも40年前に戻ったような気についついなってしまう。 ここで、タイトルの「心の時計を昔に戻す」が登場する。 少し古いデータだが、1979年、ハーバード大学心理学部のエレン・ランガー教授は70代後半から80代初めの男性たちを集め、心の時計を20年前に戻した場合、人の体にどのような変化があるかを実験した。 いわゆる「心の時計の針を巻き戻す実験」である。 その実験内容とは、ある修道院を20年前の1959年と同じ環境にし、被験者に一週間、1959年当時に戻った気分で暮らしてもらうのである。 具体的には、被験者は「ベン・ハー」やモンローの「お熱いのがお好き」などの映画を観、ラジオでナット・キング・コールを聴き、当時の話題について語り合ったのである。 その際、彼らは家族やヘルパーの介助なしに自分で食事のメニューを決め、調理や皿洗いなど身の回りのことを自分一人で行わなければならない。 すると一週間後、驚くべき結果となったのである。 被験者全員の視力や聴力、記憶力が向上し、知能が高まって歩く姿勢も良くなったのである。つまり、被験者全員が実験前より若返ったのだ。 誰かの支えなしでは歩くのも難しかったある老人は、杖なしで背筋を伸ばして歩き始め、また、別の老人は、フットボールの試合にまで参加できるようになったという。「心の時計の針を巻き戻す実験」と呼ばれるこの研究は、物理的な時間は戻すことができないが、心の時間は取り戻すことができるという結果を立証したのである。 当時、世界中の心理学者と行動経済学者から、老化と肉体の限界に挑戦する革新的な心理実験として絶賛された。エレン・ランガー教授はこの実験結果に対し、「私たちの限界を決めているのは、肉体そのものではなく、むしろ頭の中身のほうだ」と述べる。 つまり、人間の年齢を決めるのは肉体的年齢ではなく、心の年齢だという。同じ70歳でも「ヨボヨボの人」と「快活な人」がいるのは、心の年齢がそうさせているのである。 そうだと分かれば、「合点の介」である。平櫛田中の登場しかない。「不老 六十七十ははなたれこぞう おとこざかりは百から百から わしもこれからこれから」 この不老の言葉を知った横溝正史は「田中さんには及びもないが、せめてなりたやクリスティ」と思わず言ったそうだ。 そして、アガサ・クリスティは82歳、横溝は78歳で最後の長編を書き上げたのである。おいらは73歳。まだまだ鼻垂れ小僧である。再び小説に挑む。
September 13, 2024
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宇野鴻一郎死す 心不全で享年90歳。 もうとっくに他界されていたと思っていたので、訃報を知って驚いた。 宇野鴻一郎のことはおいらも諸兄同様、官能小説の二大巨頭(もう一人は川上宗薫)だと思っていたのだが、その昔、神田神保町で氏の単行本(エセー集)を入手、これが純文学そのものであり、ぐいぐいと引き込まれていったという記憶がある。 並みの書き手ではない。 本日の訃報を知って、おいらは自宅の書斎で朝からその書籍を探しているのだが、まだ見つからない。本の山の中に埋もれているのである。 要するに、宇野鴻一郎は純文学の書き手だと言いたいのである。エロ小説を書き散らしていても、本質は芥川賞作家であり、晩年には「夢十夜」を発刊している(2014年)。 閑話休題。 昨夜、昔の仕事仲間と旧交を温めた。選りすぐりの人物たちで、蔵書の話しになると話しが一段と盛り上がった。 本は増殖するのである。この話しを書き始めると終わりがないので止めておくが、今朝、上記の宇野鴻一郎の本を探しても出てこないので、本とはつくづく厄介なものだと改めて思い知らされた。 やはり、蔵書は必要なもののみ手許において、後は処分するしかなさそうだ。 それにしても、宇野鴻一郎の純文学エセー、また、読みたい~。でも、本の山が崩れる~。オソロシ~。
September 11, 2024
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日本株は、再び暴落か 日本株は、再び暴落か。 穏やかではない見出しだが、言葉を変えれば「二番底が来るか」である。 なぜこのようなことを書くかといえば、過去の暴落相場では一回だけの暴落では終わっていないからである。すなわち、V字暴落ではなく、W字暴落を経て株価は回復するのである。 したがって、8月初めに暴落があり、最近また軟弱になっているので(本日も前場で一時1,100円以上値下がりした)、再び暴落が来ないとも限らない。 だが、個人投資家は9月末の配当取りを考えているはずだから、おいそれと株を手放したくはない。その気持ちは分かるが、もしも今月内に二番底が来れば、配当どころではない。 こういうときは、大所高所から物を観るしかない。 投資の原則は長期保有である。長期スパンで観れば、株は右肩上がりである。だから、下がっても売ってはいけない。むしろ、下がったら買う。 おいらの経験則で言えば、狼狽売りなどしてはならない(火傷をしたことがあるから言うのである)。 ところが、困ったことがある。 おいらは老い先が短いのである。構造的に長期保有できないのである。カネは、死んで、あの世に持っていけないのである。 だから、多くではない金額ではあるが、森永卓郎さんのように早いうちに株を処分した方がよいのかどうか迷ってしまうのである。 二番底が来るのかどうか、無論、おいらに分かる訳がない。 一つ言えることは、長期保有は投資と同じと述べたが、売り買いを繰り返す行為は短期売買であり、その実態はギャンブルと変わらない。 ギャンブルは勝つこともあるだろうが、勝ち続けることはプロでも難しい。勝ったと思っていてもその分以上スル(負ける)こともあり、下手をすれば身ぐるみ剥がれる。欲を出すからである。 だから、おいらはこう考えることにしている。 ささやかな晩酌ができるカネさえあれば、心の中は金持ちと同じである。 そろそろ手じまいにしてみたらどうだ、という声が聞こえてきそうだ。悩むのぅ。
September 9, 2024
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早くも監督交代のゴシップ この時期、カープが4連敗で正直、気分が暗い。 優勝の一つの目安として負け数の少ない方が優位という考え方がある。これまでカープは最少であったが、とうとう今日の4連敗で負け数が巨人と同じ42に並んだ。 悪い兆候ばかりである。 こういうときは絵空事で凌ぐしかない。 来季の監督である。 ネットでは早くも予想がオンパレードである。 このブログで中日の次期監督予想はしたので(井端か井上二軍監督)、まずは、Bクラスに低迷中のヤクルト次期監督。 高津監督は3年目で今年が契約最後である。予想では、二軍池山監督の昇格のようだ。ヤクルトは、二軍経験者から監督を輩出するという不文律があり、それに従うとこういう結果らしい。 しかし、解説が暗いが野球を知り尽くしている宮本慎也がいるではないか。ところが、宮本は小川監督時代にヘッドコーチだった責任を取って辞めているので分が悪いらしい。よう分からん。 続いて、横浜。 石井琢朗で気まりのようだ。琢朗はカープにも在籍し、コーチとしての手腕も実績があり、監督なら横浜は手強いことになりそうだ。 ただし、この終盤、劣勢をひっくり返して横浜がAクラスに入り優勝でもしようものなら三浦の続投しかない。 最後に、予想の大穴が阪神である。 だって、岡田監督の任期は2年で今年が最終。まだ、続投が決まっていない。と、いうことは交代もありうるという。 秘策は岡田監督がGMとなって、新監督にカープ元監督の緒方孝市を招聘するという。 阪神というチームは外部からの監督招聘で甦るという伝説がある。野村、星野伝説である。阪神の温さを吹き飛ばすのは緒方のような強烈な指導者が必要だという考えである。実際、緒方孝市は広島で干されており、カープの「元(はじめ)ちゃん=松田オーナーのこと」とどうも合わないようだ。 おいらは阪神の監督に、野球解説でズバズバ切り込む藤川球児が適任と思っているのだが、球団首脳にはどうも受けが良くないらしい。それ以前に、藤川理論を阪神の選手が理解できるかどうかの問題があるだろうなぁ(阪神ファン、ごめんなさい)。 パリーグでは日ハムの後任に稲葉監督であるとか、なぜかロッテも交代とか、西武はそれ以前に球団身売りの話しもあり、ミーハーなおいらにとって全くもって目が離せないことになっている。 それよりもカープの貧打の方が現実の問題だよなぁ~。代打、新井しかないのかのぅ~。トホホ。
September 7, 2024
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負け試合にも美学がある この原稿は、9月4日の深夜に書いている。 カープを応援するために、先ほどまで横浜スタジアムに出向いていたのだ。 しかし、絶好調だったはずのアドゥワが初回と2回に打ち込まれ、カープはその時点で6対1のチョー劣勢となったのである。 実は、今日は投手ローテーションを計算して床田が投げると予想していた。床田はカープの左のエースである。 ここで前置きが長くなるが、ペナントレースが最終コーナーに入ったこの時期、野球の予約を取るのは容易ではない。予約はネットで発売まもなく完売する。だから、おいらも必死である。 贔屓のチームの投手ローテンションとおいらと連れの予約を勘案しながら申し込む。 余談だが、そこでいい席だと一人1万円近くとなる。二人分だと2万円となり、そこに交通費や球場での飲食代がかかり、合計すると3万円となる。野球は、もはや庶民の娯楽ではない。 閑話休題。 ここからが本題である。 おいらがもし、この劣勢の試合を自宅のテレビ中継で観ていたら、チャネルを換えるか好きなことをしていたと思う。 なぜなら、奇跡の大逆転など、そうざらにはないからである。 しかし、おいらは横浜スタジアムという現場にいるのである。しかも、本日の横浜スタジアムは満席。3塁側はカープファンで溢れている。 ここでカープの奇跡の大逆転を信じながら応援をしないで誰がするのだ。 ところが、現実は無残である。今日の敵であるジャクソン投手は適度に球が荒れていてカープ打線は翻弄されている。要は打てないのだ。 だが、いくら応援しても勝てない試合はあるものだと誰もが気付くときが来る。それは仕方がない。負け試合だからである。 でも、それでも応援するのが、負け試合の美学である。 特に、8回表である。カープは2アウト1、2塁まで相手投手を追い込み、バッター堂林が打席に立ったときである。3塁側カープの応援は最高潮となった。 だが、堂林が打っても、点差は1点差または2点差しか埋まらない。5点差もあるのだから、勝てる保証は全くない。 それでもカープファンは死ぬ思いで応援する。「打ってくれ、堂林。打て、堂林」の大合唱である。 結果は、堂林三振。反撃の狼煙は幻となった。 それでも、それが「負け試合の美学」である。敢えて言う。負けると分かっていても、応援する。贔屓にしたチームだからである。負けても応援する。負けても、負けても応援する。それを貫き通す。それが「美学」なのである。 そういうことを実感した「いい負け試合」だった。
September 5, 2024
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ベッドタウンでもこのざま 台風10号の影響でおいらの住む街もバケツをひっくり返すような豪雨となった。 盛んに言われているように都市部の豪雨対策は脆弱である。 例えば、おいらの経験では数年前に渋谷の東急前にいたときに土砂降りにになった。傘は全くの役立たずとなり、ビルの入り口の前で雨宿りするしかない。すると見る見るうちに道路が川のようになった。渋谷は坂の街だからである。 だが、自然に囲まれているベッドタウンではこういう豪雨も日常茶飯事であり、自然は自然が吸収すると思っていた。 しかし、今や異常気象で自然は変わった。 おいらの住む根岸の里の侘び住まいの近場でも今回の豪雨で国道246の某トンネル入り口のノリ面が崩れ、通行不能となった。 また、小田急線も線路の土台が崩れ、昨日までおいらの住む駅の区間では運転が休止されていた。 こうしてみると、もはや日本に安住の地はないのか。 要するに、世の中の基準が変わったのである。日本はもはや亜熱帯である。今まではなかったから今後もないと思ってはいけないようだ。
September 2, 2024
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歳を取るとやっかいなこと 今年の10月終わりに74歳になる。いよいよ来年は後期高齢者の仲間入りである。 それで最近、少々やっかいなことになったことを書く。 朝、早く目が覚めるようになったのである。 これまでは夜の26時(朝の2時)ごろに寝る習慣が身に付いていた。起きるのは朝8時ごろである(おいらはどうやら6時間の睡眠が身体に合っているようだ)。 ところが、最近、朝の5時ごろに目が覚めるようになったのである。 ご存じのとおり、睡眠には「レム睡眠」(=浅い眠り。脳は起きている)と「ノンレム睡眠」(=深い眠り。脳は寝ている)がある。 ものの本によると、若いときの「体内時計」は入眠時にノンレム睡眠となり、1、2時間後にレム睡眠へ移る。以後は、ノンレム睡眠とレム睡眠を交互に4、5回繰り返し、やがて目が覚めるという。 しかし、歳を取るとこのノンレム睡眠は激減する。それだけでなく、浅いレム睡眠と少し深めのレム睡眠が約30分間隔で繰り返されるようになり、夜中は眠りが浅い状態がほとんどになるらしい。 結局、夜中に目が覚めたり、早朝に起きてしまうのは加齢による体内時計の変化であり、自然現象というほかはない。 だから、おいらが最近朝早く目が覚めるようになったのは、老人力が付いただけのことであり、病気でも何でもないのだから、体内時計に合わせて暮らせばよいという。 何だ、そうなんだ。すると、眠くなったら寝て、目が覚めたら起きればいいだけだ。気が楽になるのぅ。 なお、おいらの場合は、古希を過ぎたころからシエスタ(=昼寝)が好きになった。 じつは、これも理に適っているとのことで、アメリカの心理学者サラ・メドックによれば、30〜90分程度の昼寝をすると注意力、判断力、運動能力が高まり、五感が冴え、ストレスも軽減し、記憶力が増すと報告されている。 したがって、最近は極力12時前に就寝し(晩酌をダラダラしなくても済む)、朝の6時ごろ自然に目が覚め、お昼にシエスタとする生活リズムになりつつある。 歳を取るとは、結局、こういうことなのかのぅ。
August 30, 2024
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神輿は軽くてパーがいい「神輿は軽くてパーがいい」 小沢一郎の名言である。真偽のほどは分からないが、小沢一郎が言ったのは「海部はほんとうにバカだな。宇野宗佑のほうがよっぽどマシだ」というオフレコ発言である。 だが、神輿発言自体をしたのは自民党の平野貞夫らしい。後藤田正晴に「なんであんなボロ神輿を担ぐんだ」と言われて平野は「ボロ神輿だからこそ担ぐんだ」と答えたという。 ところが、この二つの発言がごっちゃになって「神輿は軽くてパーがいい」という発言者が小沢一郎になったようだ。 なぜこのようなことを書くかというと、今回の自民党総裁選である。「神輿は軽くてパーがいい」を思い出したのである。 自民党には政治家がいないのぅ。 昨日の産経新聞には最新による自民党総裁選の世論調査が掲載されていた。 それによれば、1位小泉(支持率22.4%)、2位石破(同21.6%)、3位高市(同10.8%)、4位河野(同7.7%)、5位上川(同4.2%)で以下は泡沫である。 これではキャスト不在のドラマである。強いて言えば、石破だろうが、頭を変えても同じ自民党のドラマの再現でしかない。 野党にはもっと政治家がいない(今更、野田を出してどうする)。トホホ。 それに較べて米国では、「私の目標は、強い中間層をつくることだ」とカマラ・ハリス副大統領が民主党大会で熱く訴えた。彼我の差は大きい。 日本はいつの間にか政治も経済も三流になってしもうた。もう終わった国だわなぁ。 ところで、兵庫県の斎藤知事の醜聞(もはや犯罪である)は、ひでぇ話しだなぁ。あの人は一体何のために知事になったのだろう。
August 28, 2024
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勝負は9月だ セリーグのペナントレースが過熱している。 8月26日現在、首位の広島、2位の巨人、3位の阪神の差が4ゲーム内の僅差である。 どこが優勝してもおかしくはないが、一つ言えることは、残試合が約30試合ということである。そうすると、今後の成績が5分の勝ち負け(1勝1敗)であれば、上位のチームが有利となる。 広島の場合、残試合が33なので、今後、勝率5割で進めば、16.5勝が加算される。つまり、現在59勝しているので、75.5勝となり、優勝ラインとなる。 要するに今後5分の勝率であれば、広島の貯金13は減らないので、有利だと言う意味である(巨人は11、阪神は5の貯金)。 実際、広島は直近の巨人戦で2勝1敗、阪神戦で1勝2敗と合計3勝3敗であり、貯金を維持している。 だから、上位チームの直接対決では3連敗さえしなければ、上位チームにまだ分があるということである(逆に言えば、広島は阪神戦で1勝しただけでもまだ余裕がある)。 広島の新井監督が勝負を9月だと思っている理由は、そういうことである。 結局、どこのチームもそう思っているので、この9月はなおのこと面白いのである。 東京ドームの広島・巨人戦は既に終了しているが、横浜と神宮ではまだ広島との対戦が残っている。だから、おいらは両球場での9月観戦チケットをすでにゲットしている。 勝負の9月、野球が一番面白い時期の所以である。
August 26, 2024
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彼は運転手ではない(後篇) 社長の年俸など興味がないが、私腹をこやすとなると話しは変わる。 2020年初旬、櫻田の年俸が金融庁で疑問視された。前年度の櫻田の報酬が3億2,600万円で、その前年の2億4,800万円から約1億円も上がっているのだ。 この間、事業成績は減益だったにもかかわらず、である。 同業他社の報酬と比較してみよう。 業界1位の東京海上日動の社長の報酬は、1億3,300万円。業界2位の三井住友海上は、1億3,100万円である。業界3位の櫻田の報酬は、両社よりも約2億円突出している(前掲書152頁)。 一昔前までは、損保の社長の報酬は1億円を超えないという暗黙の了解が業界内にはあった。東京海上日動と三井住友海上はその後の経済環境から理解できる水準だが、櫻田のそれは3倍である。 この人は何を考えているのだろう。私腹をこやしたと言われても仕方がない。 もう一つ書く。 櫻田は会長兼CEOを辞めるにあたって、処分として報酬減額期間を半年と定めたが、実際の報酬カットは1か月のみであった。指摘されて慌てたように半年に修正したという(週刊東洋経済24年6月22日号54頁~55頁)が、こういうことが一流の企業としてあり得るのだろうか。 こうしたことの背景には、やはり14年という長期政権が関与していると考えざるを得ない。 周りがものを言えなくなるのである。致命的なことは、「現場を知らない櫻田に報告を上げてもいいことはない」という空気がいつしか損保ジャパン内に醸成されたことである(「損保の闇 生保の裏」150頁)。 裸の王様である。 三好、後藤の安田火災時代は確かに両社長は功罪相半ばであったが、平野の損保ジャパンになってから同社は地に落ち、佐藤がリカバリーしても「運転手ではない」櫻田によって損保ジャパンはかくの如しである。 このブログでおいらは安田火災出身と述べたことがあるので(おいらは同社を辞めてからもう20年が経過した)、聡明な諸兄はよくもここまで書くなとお思いかも知れないが、損保ジャパンは櫻田になってから全く別会社になった。 だから、おいらと損保ジャパンとはもう関係がないと思うようになったのである(ライザップとの資本提携にも驚いたが)。 別会社のことをあれこれ言っても仕方がないが、損保はリスク計算のプロとして顧客(個人、企業、自治体など)にこんなにいい保険があったのかと商品提供をするのが本来の仕事である。そういう本業で勝負をする会社になって欲しいと切に願うものである(この項終わり)。
August 23, 2024
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彼は運転手ではない(中篇) SOMPOHD(損保ホールディングス)の実体は、損保ジャパンである。 その損保ジャパンの前身は、安田火災(正確には、安田火災、日産火災、大成火災、日本火災、興亜火災、太陽火災の合併会社だが、中核は安田火災)である。 安田火災(元東京火災=本邦火災保険の先駆者)の中興の祖は三好武夫である(写真。かつて損保ジャパンの敷地内に設置されていた彫像)。だが、三好武夫は17年間の長期政権であった。三好は公家の東京海上に対し、安田火災を野武士集団と言わしめ、業界の反逆児として安田火災を育て上げる。 損保は規制産業であり、護送船団行政でもある。最後尾に位置する船(企業)を保護する業界だから、波風を立たせなければ確実に利益が上がる。 しかし、三好はそのぬるま湯体質が許せなかった。三好が君臨する前までの安田火災は業界の8位であったが(当時の安田火災労組のスローガンは「せめて成りたや千代田並み」であり、中堅下位企業であった)、三好はモータリゼーションの波をいち早く察知し、自動車保険の引き受けに力を注ぎ、同時に「T号作戦」(東京海上の頭文字のTを銘し、業界トップを狙う)を敢行し、業界2位までにその地位を引き上げたのである。 三好在任中の前半は業界のイノベーターとして古い体質の損保業界にカツを入れたが、後半はワンマン体制の歪が生じ、身内を厚遇する「三好ファミリー火災」とする一方、後継者を巡る内紛を引き起こし、晩節を汚した。 内紛とは三好の後継者含みで大蔵省証券局長であった安井誠を招聘したが、それに危機感を抱いた後藤康男(三好の義弟)が自分の社長就任が遅れることを危惧し、安井を追い出す。 紆余曲折があり、後任はワンポイントリリーフの宮武康夫となったが、当時専務であった後藤は社長に66歳定年制を設け、宮武を追い出す。宮武は反旗を翻すが、当時66歳であり、翌年の株式総会で社長の座を追われ、後藤が社長となる。宮武の社長在任期間はわずか2年余りであった。 その顛末は、高杉良の「広報室沈黙す」に詳しいが、内紛の仲裁に入ったとされる富士銀行会長の松沢卓二は社長を長くやるから問題が出たと語っている(前掲書133頁)。 安田火災は社長の任期で授業料を払ったが、後藤康男はワンマン体制を維持し、社長在任期間10年後も会長として事実上の院政をひく。 懲りない企業であるが、社長在任期間が長いと弊害を残すと後藤の後任の有吉孝一は、社長の在任期間を3期6年とする規則を自分の社長時代に作った。 ところが、この会社にはどうも長期政権の遺伝子が組み込まれているようだ。 有吉の後任社長である平野浩志はこの規定を反故にしたのである。後藤以上に長期ワンマン恐怖政権を維持しようと画策したが、皮肉にも在任6年を超えたときに業界を震撼させる保険金不払い事件に直面する。 平野は同社のカルチャーを変えるには、トップの退任しかないという金融庁に逆らえず、平野は6年で退任することになる。 その後任が佐藤正敏である。佐藤は清廉潔白な人物であり、社長の任期を2期4年と定めた。あっぱれであり、自分が決めたとおり4年で辞めた。 そして、問題は再び起こる。佐藤の後任社長は桜田謙悟となり、社長の在任期間はSOMPOHDを含めて14年という長期に渡ることになったのである。イワシは頭から腐るとはよくぞ言ったものである(この項続く)。
August 21, 2024
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彼は運転手ではない(前篇) 今、一番面白い新書は、「損保の闇 生保の裏」(朝日新書、24年5月初版)だろう。朝日新聞社の柴田秀並記者が著者である。 中身の大半が損保ジャパンとビッグモーターの不祥事ではあるが、SOMPOHD(損保ホールディングス)が腐っていく過程が詳細に分析されている。推薦人の江上剛氏が述べておられるように、これは「上質のミステリー」でもある。 その中で興味を惹いたのが、SOMPOHDの櫻田元CEO兼会長の当初の記者会見での出処進退に関し、金融庁の幹部が話した「彼(櫻田のこと)は運転手じゃなかったね」である。 彼は運転手ではない、だけでは意味が分からない。 企業のCEOは企業経営を「ハイヤーの後部座席で新聞を読んでいるような存在ではだめ」なのである。自らが運転手となって経営しなければならないのである。 それを櫻田は、「自分の知らない世界で事件が起きて、事実を知ったら直ちに適切な対応を指示した。もっと早く知っていたらこうはならなかった」と弁明したのである。 金融庁の幹部は、「櫻田はバスの後部座席に乗っていて事故にあったのではなく、自身がバスの運転手として事故を起こしたのである。『知らされていなかったから責任はない』というような発想そのものがCEO失格」と述べる。 つまり、櫻田は運転手ではなかった、のである。 これに対し、ビッグモーターの兼重宏行社長は保険金請求の不正行為は把握していなかったと主張したが(その点では、櫻田と同じ)、私の職務怠慢であるとして潔く辞任した。 創業者である兼重は、運転手の認識を持ち合わせていたのである。 他方で、では、何故、運転手でもない櫻田が14年にも渡って損保ジャパンのトップの座に君臨し続けたのであろうか。 金融庁の幹部は、「『逆にそういう意識で経営に向き合ってきたからこそ、13年以上もトップに君臨できたのだろう』と吐き捨てた」という(前掲書102頁)。 そのとおりだろうが、この企業はよほど長期政権が好きなようだ(この項続く)。
August 19, 2024
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嫌いな球団 読売ジャイアンツがプロ野球の顔という時代ではないらしい。 今や、プロ野球で一番人気のあるチームは阪神タイガースだという。かつての巨人一強時代と違い、プロ野球チームの人気は分散している。 今シーズン開幕前の某ネットアンケートでは「好きな球団」の1位は巨人ではなく、阪神となっている。 しかし、その一方で「嫌いな球団」の1位も阪神となった。ファンの熱狂度が増せば、その分だけ、アンチを生むという構図である。 つまり、ひと昔前は「巨人がダントツの人気チームであり、同時にアンチジャイアンツもダントツだった」と同じ状況が今の阪神に当てはまるというわけである。 さて、ではどういう基準で人気チームを算定しているのだろう。どうやらファンクラブ会員数、観客動員数、SNS利用率などを加味して算出しているようだ。 ネットを散策すると、ありました。人気チーム順(某データ。2023年度)は次のとおりである。1位 阪神タイガース2位 福岡ソフトバンクホークス3位 読売ジャイアンツ4位 北海道日本ハムファイターズ5位 中日ドラゴンズ6位 千葉ロッテマリーンズ7位 広島東洋カープ8位 東京ヤクルトスワローズ9位 東北楽天ゴールデンイーグルス10位 横浜DeNAベイスターズ11位 オリックスバッファローズ12位 埼玉西武ライオンズ 確かに阪神が1位である。巨人は、2位の座も滑り落ちて今や3位である。 この順位をみると、日本ハムと中日が頑張っていることに気付く。日本ハムはあの目立ちたがり監督の人気のせいなのだろうか。中日は今や万年最下位となっているが、不思議なことに観客動員数が上がっているという。名古屋のお人には判官贔屓が多いのであろうか。 閑話休題。 嫌いな球団の順位表である。 これが、ネットでなかなか探せなかった。冒頭に書いたように某ネットアンケートでは今年の1位は阪神らしいが、下の某ネットでは未だに巨人が一番嫌われており、阪神は4位となっている。1位 読売ジャイアンツ2位 広島東洋カープ3位 東北楽天ゴールデンイーグルス4位 阪神タイガース5位 福岡ソフトバンクホークス6位 横浜DeNAベイスターズ7位 埼玉西武ライオンズ8位 北海道日ハムファイターズ9位 千葉ロッテマリーンズ10位 中日ドラゴンズ11位 オリックスバッファローズ12位 東京ヤクルトスワローズ 面白いのは、カープが嫌いな球団の2位に入っていることである。好きな球団では7位にもかかわらず、である。楽天も3位と嫌われているが、好きな球団では9位と冴えない。 この理由はよく分からない。楽天はともかく、広島のファンは熱狂的すぎるからかも知れない。 諸兄はご存じないだろうが、地元の広島に戻ると、挨拶はカープの話題から始まる。他のチームのファンは隠れキリシタンのようなものである。肩身が狭いじゃろうのぅ。 つまり、そういうことである。何のこっちゃ~。
August 16, 2024
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新井広島監督は中日落合監督の再来である おいらは、史上最強のプロ野球監督を落合博満(元中日監督)と思っていた。 優勝請負人だからである。その実績には文句の付けようがない。2004年から監督在勤年数は8年。その間の実績は、1位、2位、1位、2位、3位、2位、1位、1位と優勝4回である。 それだけの実力がありながら、球団の首脳部との折り合いが悪く、優勝した年にあっさりと首になった。 前にもこのブログで書いたが、「嫌われた監督(2021年、文芸春秋社)」は名著である。落合監督の実像を浮き彫りにし、勝負師はかくあるべしとの模範を示してくれる。 その野球理論は突き詰めると守り勝つ野球である。1点も与えなければ、野球は絶対に負けない。自軍が0点でも引き分けにできる。上位のチームの引き分けは勝ちと同じである。 だから、粒揃いの投手力と鉄壁な守備(特に二遊間の「アライバ」)で相手に1点も許さない。実際、2011年にはチーム防御率1位、チーム打率最下位で優勝しているのである。 おいらは、だから、投手力に優れるカープの監督は笹かま監督時代、笹かま監督に勇退していただき、三顧の礼で落合監督を招聘すれば撃てないカープでも優勝が可能だと考えていた。 それが蓋を開けてみれば、新井監督の誕生となり、どっこい、撃てない萬年Bクラスのチームを昨シーズン、2位に引き上げたのである。 そして今年の快進撃である。 未だにカープには4番がいない。外人の大砲がいない。チーム打撃率は今年も低迷している。 しかし、投手力は盤石である(チーム防御率1位。8月13日現在) 今の中日も似たような状況だが、監督に大きな差があるように見える。 新井監督は落合中日の再来である。それに対し、立浪監督は笹かまカープの再来である。エライ差だぎゃぁ。 要するに、新井監督は落合監督の手法を採り、暗い落合ではなく、明るい新井でカープ野球を差配しているのである。 これは朗報である。今年のカープは新井監督がこのまま落合中日野球(ただし、明るい落合)を行えば、優勝も見えてくる。 今年の夏は暑くても、カープで乗り切れると思いたい!
August 14, 2024
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猛暑の京都は中国人ばかりだった(後篇) 続いて、宇治神社に。宇治川の中に浮かぶ橘島と両岸を結ぶ橘橋と朝霧橋を渡る。 宇治神社。 続いて世界遺産の宇治上神社。 宇治橋を渡って、紫式部像。 最後にJR宇治駅横にあった郵便ポスト。流石、お茶の名産地である。 と、今回は早足で京都宇治を探訪したが、平等院で聴いた言語はほとんどが中国語であった。日本人は数えるしかいないのである(おいらは平等院をバックにアイホンのシャッターを押してもらったのだが、この女性も中国のお方。英語で話し合ったが、流暢な英語であった)。 だけどねぇ、冷静に考えてみれば、日本の国宝を観るのに日本人がまばらというのはどういうこっちゃ。この国はインバウンドという言葉のもとに中国に乗っ取られているんじゃ…。 最後に。 今回も舞妓はんに合えず仕舞いである。先斗町の歌舞練場が期間限定でビアホールになっているというが(1名7,000円。要予約)、すぐに満席だろうなぁ。 新潟、鍋茶屋の舞妓はんも良いが、舞妓はんはやはり京都がよく似合う(この項終わり)。
August 12, 2024
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猛暑の京都は中国人ばかりだった(中篇) 平等院の入り口付近に到着である。「明治天皇 行幸地 平等院」と石柱が建っている。由緒ある場所である。 入り口である。拝観料600円を支払う。 のっけからこの景色である。正面右側である。 正面。日傘のご婦人がもう少し右側ならベストショットであったが…。 ということで撮り直し。 御朱印をいただく(一枚300円、2種類いただいた。写真は鳳凰堂のもの)。 境内は緑が一杯で、百日紅(さるすべり)のピンクが目の保養となる。 ミュージアム鳳翔館で旧一万円札の裏側にある鳳凰などを観覧し、そこを出たら、皆、暑いので横になっている。 分かるなぁ(この項続く)。
August 9, 2024
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猛暑の京都は中国人ばかりだった(前篇) 新幹線で京都駅に到着する。 コインロッカーは、こうなって久しい。小銭を入れるタイプしか知らない人間は、とまどうばかりである。 さて、今回の京都は宇治にした。大河ドラマで源氏物語をやっているからではない。 奥州藤原氏が宇治の平等院鳳凰堂を模して「無量光院」を創ったが、その規模は平等院よりも大きかったとされる。無量光院は火災で消滅したが、奥州藤原氏は「中尊寺金色堂」も建立した。中尊寺金色堂は平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、国宝に指定されている。 その中尊寺金色堂の特集が今年3月のBSでオンエアされており(東京国立博物館でも特別展が開催された)、おいらはそれを視聴して感激したのである。 だが、本家本元とも言うべき平等院鳳凰堂を観ていないことに気付いたのである。 十円玉の裏でお馴染みだが、本物を観ていないというのはどうも寂しい。調べてみると、平安時代の貴族が考えていた天国だという。天国かぁ、行くしかなかろう。 ミーハ-のおいらは居ても立ってもいられなくなり、奈良線に乗車して宇治を目指した。 宇治駅に到着。駅前の観光センターで平等院までの地図を貰う。徒歩約10分である。駅前の商店街は、宇治茶販売の老舗が連なっている。 途中、京都銀行がある。 京都宇治の景色にマッチしている。建物というものは、かくありたい。 途中、抹茶ラーメンの店を見つける。食べてみたいが、暑すぎてそれどころではない。 とにかく暑い。日傘をさしているが、ないよりマシという程度である。 最近は、男性が日傘をしてもおかしくはない。年寄りだけでなく、若い人も日傘を平気でさしている。そういう時代になったのである。今や日本は、亜熱帯地方になったのである。 周りは平等院に向かう人で結構混んでいる。言葉から中国人ばかりだと分かる(この項続く)。
August 7, 2024
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広島への帰省後、京都経由で神奈川に戻ってまいりました 先週、広島に帰省して墓参りをしてまいりました。 初日の午前中は新幹線での移動、午後は久し振りに宮島を探訪しました。だが、暑い。宮島まで渡るフェリーは普通、デッキに出て大鳥居を観覧するものですが、この日はほとんどの人がクーラーの効いている船内に。 ここも外人がほとんど。英語よりもスペイン語が多く聞こえました。 そして、翌日が墓参り。この日も猛暑。何せこの日、日本で一番暑い場所が広島県安芸太田町加計(かけ)であり、実は、おいらの父の実家もここにあったのです。 かてて加えて、①おいらの墓所、②家内の墓所、③親戚訪問、④広島市内の実家訪問と一日で4か所の訪問を行ったのですが、これが実にハードでした。 何が言いたいかというと、おいらも歳を取ったということです。一日にスケジュールを目いっぱい詰め込んでも若いときは問題がありませんでした。段取りさえしっかりしていれば、体力があるから何でもこなせます。 しかし、老体にはこたえます。しかも、猛暑。レンタカーのクーラーを全開にしていても車内はなかなか冷えません。ダブルパンチですなぁ。 と、いうことで、今回の教訓。 脳は首から下のことを考えない。だから、老人力がついているのを忘れてはいけない。 旅のスケジュールは、老人仕様にすべし。 と、いうことで、帰路の京都訪問の内容は次回に。
August 5, 2024
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