さすらいの天才不良文学中年

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瞑想、捨てたもんじゃなさそう

 瞑想、捨てたもんじゃなさそう

 瞑想するのが好きである。時間が余ったときなど、昔から一人で良く瞑想する子供であった。


瞑想


 瞑想すると、ガンマ波という脳波が出るらしい。ガンマ波とは、幸福感が高まったときや思考レベルが上がったときに出る脳波のことである。

 ウィスコンシン大学研究者の調査によると、1万時間から5万時間の瞑想を行ってきたチベット僧侶8人(15歳から40歳)が最も深い瞑想状態に入ったときに出るガンマ波は、人間として最高レベルのものであるという。また、瞑想していないときの僧侶であっても、通常の人達より高いガンマ波の数字が出ているという(プレイボーイ日本版06年5月号)。

 運動が脳に影響を与えることは良く知られているが、それと同じように、瞑想も脳に好影響を与えるようだ。

 瞑想、捨てたもんじゃなさそう。


禅の考え

 禅の考えについて、書く。


ユリ


 禅の極意は「無」であり、具体的にどうすれば良いかと問われれば、「座禅とは、何も考えない」ことを修行することだと云う。

 これは、興味深いことである。

 禅宗の目指すところは、おいらの思うに、仏教の目指す悟りに近い(ただし、仏教は他力であり、禅宗は自力だから、本質的には差が残る)。

 繰り返す。

 座禅の目指すところは、「何も考えない」。それが妄想を除去する最善の方法という。

 しかし、凡庸なおいらには、素朴な疑問が生じる。

「無」を突き詰めると皮肉なことだが、「次から次へとあれやこれやの仕事が飛び込んできて、何も考えることが出来ない日常」と同じではないのか。

 身も蓋もない云い方をすれば、「無」とは、結局、「博打に熱中しているときの心」と同じではないのか。

 だって、博打だよ。つまらないことを考える余裕などある訳がない。

 しかし、これも「過ぎたるは及ばざるが如し」の応用問題なのだろうか。それとも、そういう事実が皮肉なのだろうか。

 宗教と哲学は、紙一重である。




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