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さすらいの天才不良文学中年
恐怖の還暦同窓会 檀上明隆先生
恐怖の還暦同窓会(その1)
去る8月15日(日)、広島県F市でおいらの卒業した高校の同窓会が開催された。
毎年開催されているのだが、今年は趣が違う(写真上はF駅のホームから見えるF城)。
それはおいらの年次が還暦に当たるからである。早い話しがおいらも今年で60歳の大台に乗るのである。
で、例年なら数人しか集まらない同期同窓に対して同窓会への参加動員がかかったのである。
話しは数か月前に遡る。
同期のHくんから絵ハガキが届いた。昨年、同窓会に出席したら、同期がわずか4名しか集まらなんだ。俺は寂しんだ。
と、フランク永井の唄う歌詞のような文面であった。
例年、還暦に当たる年次は、全員が壇上に上がり、記念品が授与されるのである。昨年も還暦年次は100人程度が登壇した。それが我々17回生の年次になって、数人しか集まらないのでは情けないではないか。
要は、17回生(おいらの年次。卒業生は約220名)が還暦の段になって全体会で集まりが悪いと同期会の名折れだから、是非とも決起しよう(そこまで大袈裟ではないが)と云うのだ。
そこで、Hくんはおいらのほか約10名にも「今年の8月は集まろう。目標は100名にしよう」と同じ内容のハガキを送ってくれたのである。
この気持ちは良く分かる。こういう「人生を意気に感じる」ような話しには、それに呼応しなければ阿呆である。
おいらもいつも集まるメンバーに同趣旨のメールを思わず送ったのである。
団塊の世代は、こういうことに直ぐ乗り気になる。
Oくん(全体幹事)、Mくん(F地区幹事)、Kくん(関西地区幹事)、Tくん(関東地区幹事)も立ち上がった。
その結果、最終的には100名に届かなかったものの、何と総勢85名が参加することになったのである。
目出度し、メデタシ(この項続く)。
恐怖の還暦同窓会(その2)
考えてみれば、おいらが「男の色気は40から」と嘯(うそぶ)いていたのは、今から約20年以上も前である。
本当の男の魅力は40代以上にならなければ、出てこないのだ。だから、男盛りという言葉は40代や50代のためにある。
それに今の50代は昔の八掛けと考えれば、昔の40代である。人生を粋がっていても良い最後の世代が50代である。
ところが、60代は男盛りと云う訳にはいかぬだろう。流石に還暦は人生の終章の幕開けである。
早い話しが年貢の納め時なのである。
後から考えれば、還暦は人生の大きな節目だったのだと、歳を取ってから思い起こすことになるはずである。
だから、還暦が人生の新たなスタートだと云われるのは大袈裟ではない。
おいらも残りの人生に何をしたいのか、今一度考え直す時期なのである。
そうであれば、還暦の同期会に出席するのも悪くない。
そう思いながら、新幹線はF駅に到着した。F駅の新幹線構内にある彫刻(写真下)を観ながら、市内に入る。
さあ、これから同窓会である(この項続く)。
恐怖の還暦同窓会(その3)
おいらは小学校を二回転校しており、小学校5年生、6年生をF市立旭小学校で過ごした。
同窓会の開催前に、その旭小学校の卒業生だけで集まろうということになった。
場所は、F市本通りに所在する喫茶店K。
午後1時に集合しようと本通りに歩いて行くと、シャッター街になっているので驚く。
おいらはこの町で高校3年生まで育ったのである。
おいらが学生の頃、この本通りはF市唯一の繁華街であった。本屋が3軒、古書店も2軒あった。ここに来れば何でも揃った。イメージとしては、現在の「武蔵小山商店街」(日本一活気のある商店街)である。
それが、うらぶれた通りになって、目の前を老犬がトボトボ歩いている。
こりゃ、あかんわ。地方都市がゴーストタウンになるということは、日本全体が衰退するということである。
広島県で二番目の都市がこの有様である。政府がこのまま無策を続ければ、日本は首都圏にますます人口が集中するいびつな国になることは目に見えている。
そう思いながら喫茶店に入ると、既にYくん、Oくん、Kくん、Sさん、Tさんの5人が揃っている。実は、この店はTさんが経営する店なのだ。
Yくんとは関西同窓会で一昨年会っているので喫茶店に入ったら直ぐに分かった。
Oくん、Kくん、Sさん、Tさんと会うのは実に42年振り!である。
特にOくんとは昔、良く一緒に遊んだものである。一目でOくんだと分かった。昔と変わっていない。嬉しくなる。昔話に花が咲く。
遅れてFくんもやって来た。旭小学校卒業ではないのだが、同期のKくんもいつの間にかこのメンバーに加わっている。千客万来。
机の上には、Tさんが用意してくれた小学校と高校時代の卒業写真集があった。情けないことだが、このアルバムは実家のどこかにあるはずであるが、今でもどこにあるか分からない。
48年振りに小学校卒業写真集を見る。
小学校のときの顔写真と今の写真を比較すると、これが趣深い。時間が一瞬のうちに小学校時代に戻るのである。
ところで、面白いことを発見した。
小学生時代の思い出は、各人各様であるということだ。
恐らく、小学生時代の記憶と云うのは、自分が直接関係したことしか覚えていないのである。
だから、同じ先生の話題を出しても、メンバーの中で話しが噛み合わないことが多い(したがって、小学校時代の同窓会は長続きしないと云われる)。
しかし、それはそれで、また愉しいものである(この項続く)。
恐怖の還暦同窓会(その4)
会場に到着した。
駅前のニューキャッスルホテルである。
どうでも良いことであるが、F駅の北側に見える景色(新幹線の車窓から見える)で西洋のお城のような建物がある。おいらはこの建物がニューキャッスルホテルだとばかり思っていた。
F駅の観光案内で念のため、ニューキャッスルホテルの場所を確認したら、そこではないというのでおいらはのけぞった。そうすると、あれはラブホテルなのかと変な感心をしていたら、結婚式場だと云う。ハイ、オソレイリマシタ。
旭小学校の面々と一緒に会場の入り口に行く。
既に同期のKくん(関西地区幹事)が受付に座っている。オツカレサマデス。Kくんとは、彼が東京出張時に一緒に良く酒を飲む間柄である。
受付にはHくん(姓ではなく、名前から「とっちゃん」)もいる。Hくんとは42年振り。往年のイケメンも年相応になっており、最初は誰だか分からなかったが、直ぐにHくんだと分かる。
懐かしいのぅ。
そうこうしているうちに続々と同期の顔ぶれが参集している。
やはり、2種類に分かれる。
一つは、直ぐに、または一瞬の間をおいて誰だか分かるグループ。
もう一つは、全く誰だか分からないグループである。
やはり、一緒に遊んだ仲間だと、直ぐに分かる。何年経っても分かるものは分かるのである。
これに対し、分からないのは学生時代に付き合いがあまりなかった連中である。
考えてみれば、付き合いをしないでも済ますことができるのは学生時代の特権である。そこが社会人と違うところだ。嫌な人間や、興味がなくても社会の一員になれば、付き合いをしなければならない。しかし、学生時代にはそういうオブリゲーションがない。
だが、付き合いのなかった仲間でも42年振りに会うと不思議と思い出すのである。それに、付き合いがなくても、会えるのは楽しいものである。
無論、昔からの友人と会うのはもっと嬉しい。
友人であったTくんは大学教授になっていた。おいらはTくんがマンガ家になるものだとばかり思っていたのだが、まさか、大学教授とは。
しかし、Tくんは昔のやんちゃ坊主のままであった。嬉しくなっちゃうねぇ。
もう一つ。
女性の場合は、誰だか聞かないと分からんケースが多いわ。
それでなくても化けるのである。
それが経年の影響と、目一杯のおめかしをしているので、様変わりのケースがある。
それでも、名前を聞けば、直ぐに思い出す女性も多い。
とにかく、旧交を温めるうちにあっという間に時間は過ぎ、同期は全員壇上に。
ハイ、記念写真ヲパチリ(この項続く)。
恐怖の還暦同窓会(その5)
全体会は無事終了し、同期のほとんどはバスに乗車して学年会に移動する。
バスの場合には、誰の席の隣に座るかで命運が決まる。おいらは迷わず恩師のH先生の隣に座った。
H先生は、中学2年のときのクラスの担任である。
ここで解説が必要であるが、おいらの高校は中高一貫教育なのである。今でこそ珍しくないが、当時としては先駆的であった。中学校で120名程度が入学し(3クラス)、高校になって100名程度が編入(合計5クラス)するのである。
思い出深い先生であるが、恩師については次回述べることにする。
さて、全体幹事のOくんは所要で学年会を中座した(3次会には戻ってきた)。
学年会の会場に到着する。立食の全体会と異なり、こちらは丸テーブルへ着席である。
どこに座るかで命運が決まるかと思われるが、30分もすれば皆、席を移動するので、関係がない。
名刺交換あり、ツーショットの写真あり、恩師を囲んでの記念写真ありと、ま、何でもありよ。
ここでは、全体会に参加出来なかったが、学年会には出席しているメンバーとも会えるのである。
その中の一人がT.Oくんである。同じ旭小学校出身で、彼とも実に42年振りの面会となった訳である。一目で彼と分かり、思わず握手しちゃったよ。それほど懐かしいのだ。彼は現在では広島で大学教授をしている。
さて、こうして全体会と学年会の述べ総数85名プラスD先生とH先生の2名で、総勢87名の出席という大成功であった。
いやぁ、盛り上がったわ。
続く、3次会では再びバスに乗車してカラオケに突入。移動のバスの中から花火大会でF市の空に上がる花火を見る。
趣がある。
3次会ともなると、相当アルコールが入っているので、男女入り乱れ(と云っても健全なもので、読者の期待には沿わない)、夜の11時過ぎまで飲み明かしたのである。
げに、世の中は平和、持つべきものは同期同窓である(この項続く)。
恐怖の還暦同窓会(その6)
ここで恩師のことについて触れる。H先生とD先生のお出ましである。
中学、高校時代の恩師は、生徒たちにとって一生の水先案内人になることがある。
おいらがそう思う先生はこの日、参加していただいたH先生(地学担当)とD先生(英語担当)である。
実は、両先生のほかにも、M先生(国語担当)、I先生(地理担当)、T先生、A先生(共に生物担当)には、人生の生き方を教わったような気がする。
M先生は嘗てこのブログでも書き込んだことがある。
空を飛んでいた久米仙人が洗い物をしていた女の太腿を見て墜落した、などの話しを軽妙洒脱に述べられるのである。
おいらはこの先生の授業が好きであったのぅ(聞くところによると、教え子のお母さんと再婚されたという話しもある。艶福家でもあったのだ)。
さて、当日、お越しいただいたH先生である。
当時、H先生は新婚であった。授業中にのろけるのである。おいらはそれを聞きながら、成る程、人は好きな人と結婚するとそうなるものかと納得した。
そのH先生は真摯な先生でもあった。地学の担当で、F市鞆の浦にある仙酔島での地層見学は今でも記憶に残っている。
既に70代後半のお年であられるが、その意気は軒昂で、数年前まで岡山の大学で現役の研究家であったと云われる。長生きをしてもらいたいものである。
さて、D先生である。
おいらの気に入った言葉に、英国の教育学者ウイリアム・アーサー・ワード゙の言葉がある。
The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.
「凡庸な教師はただ喋る。良い教師は説明する。優れた教師は自らやってみせる。偉大な教師は心に火をつける」
教育者の役目とは情熱を燃やし、若い人たちに夢を与え、やる気を引き出すことだと考えるのぅ。
このD先生は当時まだ若く、着任早々で尖(とが)っていた。高校2年のときのおいらのクラスの担任になった。
だが、おいらはこの尖り方が大好きだったねぇ。英語の担当だったのでいつもおいらに英語の議論を吹っかけて来たよなぁ。受験に関係ないのに斎藤秀三郎の「熟語本位英和中辞典(昭和8年、岩波書店)」を推薦してくれたよなぁ。
この辞典、只者ではない。
Love laughs at distance.
の訳は、「惚れて通へば千里も一理」である。因みに、この言葉、都都逸(どどいつ)によれば、「逢はずに帰ればまた千里」と続く。
こういう辞典をおいらは高校生のときから愛読していたのである(一冊目がボロボロになったので、現在愛用しているのは二冊目)。
まさしくD先生はおいらをインスパイアしてくれたのである。
この先生に教わって今でもおいらの座右の銘にしている言葉。
Brevity is the soul of wit.
(「言は簡単を尚(とうと)ぶ」=斎藤英和訳。ShakespeareのHamletから)
美しいものは、簡潔なのである。
文章も、うだうだ書かない(こう書くと「お前はどうだ」とお叱りを受けるに決まっているのだが…)。
おいらの人格に少なからず影響を与えた恩師であると今でも思っている。「人生、意気に感ず」ということをおいらの多感な時代に教えてもらったのは間違いなくD先生である。
D先生、H先生、有難うございました。
いやぁ、同窓会に参加して本当に良かった(この項終り)。
「ほたるぐさ」(「恐怖の還暦同窓会」余話)
竹内てるよの「ほたるぐさ」。
昨日のD先生が高校2年生のときにおいらに紹介された詩である(英語の担任なのに本邦の詩にも通じておられるのである)。
この竹内てるよ(1904~2001)は、知る人ぞ知る詩人である。
比較的最近では、2002年9月、バーゼル(スイス)で美智子皇后がスピーチの中で竹内てるよの詩「頬」を朗読されたことによって記憶に残っているお方もおありになるのではないか。
この竹内てるよは波乱万丈の人生を送っているので、興味のある方は是非ともウエブで検索されたい(一言では申し尽くせない。不幸な生い立ち、離婚、病気などの数奇な運命)。
さて、D先生が紹介してくれたこの詩、高校生時代には「へぇ~」てなもんであった。悪い詩ではないが、今一つピンとこないのである。
しかし、歳と共にこの詩の良さが分かるようになったのである。いや、この詩の良さが分からなければ、生きている価値はないとまで思うようになった。
竹内てるよ、只者ではありませぬ。
それでは、「ほたるぐさ」をどうぞ。
「ほたるぐさ
竹内てるよ
なつぐさ かさなりしげる その下に
今年も ほたるぐさが 紫に咲いた
わが友よ
人生には
たった一つ この花に似た思ひがある
富を思はず 名を云わず
報い少なき仕事をして
その一生を生きる人の
深き誠意と愛とである」
多くを語らないが、映画「七人の侍」の宮口精二のような詩である。脱帽。
とうとう50代最後を迎える
今週末の23日(土)で、とうとう50代最後を迎える。
還暦がめでたいと、廻りは喜んでくれるばかりである。
しかし、冷静に考えれば、棺桶に足を一歩踏み入れるという話しである。
何もめでたい話しではない。
いや、何がめでたいのだ。おめでたいのは、本人のアタマだけである。
と、ここまで書いて、ま、そう怒りなさんなよと自分を戒めることにする。
還暦になるとは、前々から分かっていた話しである。
憧れの隠居の身に一歩近づく訳ではないか。念願のヒヒ爺になれるのではないか。
結局、還暦とは、そう思いながら、自分の心との折り合いを付ける儀式なのである。
だから、それを分からせるために廻りが祝ってくれるのだと思うしかない。
そげですか、ハイ。
還暦になる(前編)
今週の日曜日(24日)、還暦を迎えた。
矢沢永吉が還暦ロッカーになったのが昨年であった。
「武道館に還暦ロッカーがいても良いではないか」とおいらは思ったのだが、それ以前に本人自身がそう思っていた。
だから、人間は年齢ではない。
むしろ、年齢を超えて人間の味を出すことの方が大切である。
その年にならなければ、出てこない味わいというのが厳然とあるのだ。当たり前のことである。
しかし、誕生日からおいらは60代、前日までが50代である。
先週の土曜日(23日)に、おいらの左眼の手術をした某大学付属病院で定期健診を受けた。2年前の左眼の再手術後、3ヶ月毎に眼底検査を受けている。
「先生、明日から還暦ですので、老人の眼になります」と主治医に告げた。
「いやいや、老人には徐々になるもので、明日から急になるものではありません」と笑いながら、先生が答えられた。
ま、そりゃ、そうだ。
確かに老人力は徐々に付いていくものである。それもまた、愉しみである
それにしても、還暦になったのでこれからは「不良中年」ではなく、「不良老人」という云い方の愉しみも増えた。「瘋癲(フーテン)老人」という呼び名も良い。
不良老人や瘋癲老人という云い方は、ヤバいよねぇ~。良いよねぇ~(この項続く)。
還暦になる(中編)
人間は元に戻る。
60歳になれば、人間は自分の人生を振り返る。
だって、頭が働くのは、せいぜい後10年。身体が思うようになるのも、同様に後10年。
人生80年として、その後の10年、つまり70からの人生は「おつり」である。おつりの期間は水木先生に倣って「無為に過ごす」ことだ。
だから、60歳になれば、青春時代に戻っても良いではないか。青春時代が再来しても良いではないかと思うのである。
青春時代は、人それぞれである。
おいらにとっての青春時代とは、大学時代の4年間と入社後実質的に最初に配属された新潟時代の5年間である。
いずれ、その時代のことを小説にしたいと思っているのだが、夢の塊りだったよなぁ~。したいことが一杯あったよなぁ~。
Youth comes, but once.
However, youth comes again after 60.
青春時代がまた来るんだから、青春時代に出来なかったことをするしかないよなぁ~。
そうしないと人生を悔やんでしまうような気がするのだ。
そうすることが、還暦以後を悠々と生きることだと思う。
いや、そうしなければ、悠々となどしていられないんじゃないかのぅ。
還暦万歳!!(この項続く)。
還暦になる(後編)
「人間は元に戻る」と昨日書いた。
どうやら人間の中味は変わらないのではないか。
今週始め、久し振りに大学時代の友人と旧交を温めた。その中には、約40年振りに会う友人もいた。
学生時代の旧友と会うのは、凄いよ。
何が凄いかと云うと、会った瞬間から皆が学生時代に戻るのである。
学生時代に喫茶店でダラダラと駄弁っていた時代に戻るのである。おいらも皆も10代の青春時代に遡るのである。
そこで分かったこと。
皆、変わってないのじゃよ。昔と同じなのじゃよ。利害関係がないということもあるが(もとより、学生時代は利害関係などない)、個人個人がストレートに好き勝手なことを喋る。話す内容も昔と同じである。
考えてみれば、学生時代に友人であったということは、当時から馬が合ったのだ。嫌いな人間とは仲間などにならない。
だから、こうして40年振りに会っても昔のまま、友人でいられるのだ。
そうしてみると、人間は元に戻るのではなくて、元々変わらないのかも知れない。どうやら人間の本質とは変わらないもののようだ(この項終わり)
還暦の夜に聴いた曲
やっぱ、同じ誕生日でも還暦になった夜は違う。
第二の青春の幕開けである。
だから、その夜は若い頃に一番好きだった曲を聴こうと思った。
おいらの秘蔵DVDから吉田拓郎の初期ライブ(ユイビデオ)を取りだしたのである。
音楽は、その曲を聴いた時代を思い出させる。青春時代に聴いた音楽は、おいらを青春に戻す。
やっぱ、拓郎だねぇ~。
最後の晩餐というのがある。同じ様に最後の曲というのがあっても良い。
おいらの最後の曲は、エレックレコード時代の拓郎だねぇ。
「今日までそして明日から」を聴きながら、心地良く酔っ払って眠りに落ちる。
好きな曲、好きな酒、好きな本
第二の青春の夢路をゆっくりとたゆたう。
老人と吝嗇(前編)
老人にはケチが多いと云われる。
ケチの定義が何かにもよるが、手元の明境国語辞典(大修館)によれば、「金や物を惜しむこと」とあり、用例として「ケチな人だから、寄付はしてくれないだろう」とある。
しかし、金がなければ、そもそもケチにはなれない。一文無しはケチになりようがないのである。
では、老人は金持なのだろうか。
ここが難しいのだが、歳を取って職がなくなるという問題点は、フローが無くなり、ストックのみに頼らざるを得なくなることである。確かに65歳からは年金を貰えるが、現行の水準では雀の涙である。畢竟、ストックに手を付けざるを得ない。
そうなれば、目減りしていく預金残高に恐怖を覚えると云う図式は理解できない訳ではない。
イギリスの諺に、老人になってから頼りにできるものは3つというのがある。一つ目は老妻、二つ目が老犬、三つ目がお金だそうである。
この世の中、お金があれば何でもできると云う訳ではないが(ただし、かなりのことは可能である)、少なくともお金がなければ何もできないシステムに仕上がっている。
だから、旧聞に属するが、喰うや喰わずでお金を貯め、現金で自宅に1億円残したまま栄養失調で死亡したという記事に出くわすことがある。この老人は銀行も信用していなかったのである。
しかし、キリスト教では、あの世にお金を持っていくことはできない。日本古来の考えでも同様だが、少なくとも三途の川を渡るのには6文の木戸銭が必要である。今の貨幣価値から云えば150円程度(1文が25円の計算)だろうか。
余談だが、真田幸村の家紋が6文銭で、戦場で相手方がこの6文銭の旗印を見るとびびったというのは、良く分かる。6文しかいならい。つまり、相手に対して自分達はいつ死んでも良いと思わせた効果は充分にある。
では、どうすれば良いのだろうか。
余命いくばくもないのが老人である。しかし、昨今、平均寿命は大幅に伸びて人生は80年。しかも、個人差があるから、人によっては平気で90歳を超える。
「五十、六十洟垂(はなた)れ小僧、男盛りは八、九十」と云ったのは、安田善次郎である。
だから、長い老後に安心できるのはお金である。しかし、ある日ぽっくりと死ぬかも知れないのに、お金をあの世には持っていけないとなれば、不安は募る。まことにお金とはやっかいなものである(この項続く)。
広島で呉線に乗る(前篇)
昨夜遅く帰浜しました。そのときのことを書き込みます(写真は広島県F城の一部)。
広島に帰省中、8月10日(土)にF市でおいらの卒業した高校の同窓会が開催されることになった。
今回の目玉は、おいらの恩師であり、かつ、おいらが敬愛する壇上明隆先生(英語担当)が講演をされる予定なのである。この先生は出来物である。おいらが英語を好きになったのはこの教師のお陰である。高校2年のときにおいらの担任になった先生でもある。
この講演の話しは次回以降にするとして、広島から行くには新幹線が一番である。のぞみで約30分。直ぐ、F市である。
しかし、それでは面白くない。青春18きっぷをイメージして鈍行で行くのもシャレである。だが、すでにこのブログにも書き込んだとおり、それも経験済みである。やりたくはない。
はた、と思い付いた。呉線である。
おいらがまだ幼少のみぎり、盆暮れ時にF市から両親の実家に帰るとき、山陽本線は混んでいるのでよく呉線に乗って帰省していたことを思い出したのである。
瀬戸内海を望みながら、広島とF市間を往復したことを覚えている。
そうと決まれば話しは早い。呉線で三原経由、F市まで行こう。
ここで「鉄ちゃん」の話しになる。広島駅を起点とする国鉄(現JR)は山陽本線(正確には起点ではない。通過駅である)のほかに、可部線、芸備線、呉線がある。
広島は大きな町なのである。もっともJRでは岡山には負ける。岡山は県の中央に位置し、伯備線、吉備線、津山線など5線もある。大学の同期同窓である岡山出身のK君が威張っていたことを今でも覚えている。今から思えば、彼は鉄ちゃんだったのだ(この項続く)。
広島で呉線に乗る(中篇)
そんなことはどうでも良い。
問題は、広島から呉線でF市までスムーズに行くことが可能かどうかである(写真は、広駅で見つけた「カープ仕様」電車)。
それは、「連絡」である。F市までの途中までしか行かず、待ち合わせ時間が長ければ実用に堪えない。おいらは過去の経緯もあり、JRを信用していないのである。彼らは新幹線に乗車させるための手段を選ばないことを知っているからである。
そこで某検索メニューを使って調べてみると、広島から広、広から三原、三原からF市まで上手く連絡があることが分かった(JRさん、ごめんなさい)。呉線に乗車しよう。
乗車して驚いたのは、単線だったことである。うへ~、単線だったんだ。戦艦大和と武蔵を造った造船所がある呉まで。その当時の呉に物資を輸送したのは単線だったと思うと感慨に耽るのぅ。
もっとも、呉がそういう町だったから、広島が原爆の標的になったのだが…。
さて、ローカル線特有の情報をいくつかご披露する。
まずは、ドアの開閉。
写真のように、手動式である。空調を一定温度に保つためである。乗りたい人や降りたい人がいないのにドアを全開するのは非合理的である。エコの観点からもこの方式はお薦めである。たしか、パリの地下鉄もこうであったと思うよなぁ。
車両は2両の連結である。それでも乗車する人数は丁度良い。ほとんどの席が埋まっており、立つ人は一握りである。
こういう、ほどほどの列車が良いのである(この項続く)
広島で呉線に乗る(後篇)
呉線での運賃の支払い方法が面白い。
バスと同じである(写真)。恐らく無人駅が多いのだろう。下車するときに車内備え付けの運賃箱に運賃を入れるのである。
実際、昔は駅長のいたはずの駅が今は無人駅になっている駅を見て(駅舎のガラスのカーテンは閉まったままになっている)、合理化の何たるかを目のあたりにしたのである。
さて、呉線に乗車しての醍醐味は瀬戸内海が目の前に広がることである。
広島を出てからは広島湾の沿線を走るのだが、呉を過ぎるころから瀬戸内海の景色を右手に見ながら電車は進むのである。
これは心地よい。そして、瀬戸内海には圧倒的に島嶼が多いことを知らされるのである。恐らく瀬戸内海は浅瀬なのだろう。こりゃ、地勢いや水勢を知っている村上水軍が有利だったんだろうなぁということが容易に分かる。
安芸辛崎駅の手前の景色はなかなかのものである(写真下は、車窓から望む瀬戸内海)。
なお、短いトンネルが多い。これは山陽道の地形そのものである。
さて、広駅では、なぜか韓国人の表示が。竹原駅では竹にちなんでかぐや姫。呉線では各駅がこういう独自のカラーをだしている。良い。
竹原駅で乗車した三人連れの婆さんの一人は、皆に向かって「こないだ姉が死んだので、次はあたしの順番、順番」と大声で笑っていた。それがカラッとしていて、嫌味がない。人生の一端を垣間見たような気がした。
呉線、なかなか良いものである(この項終わり)。
出来物、檀上明隆先生(前篇)
人生において、特定の人に感化されるということは、そうそうあるものではない。
ま、英雄だとか、歴史上の人物であれば、感化されるということもあるが(おいらの場合は、ケネディであった)、周りにいる人物でそういう人が現れるということは、幸せである。
それが、おいらにとっては、檀上明隆先生だったのである。
解説が必要である。
檀上明隆氏。昭和15年生まれ。元広島大学附属福山高等学校教諭。おいらの高校時代の担任であった。専門は英語。
一言で述べれば、変わった先生であった。しかし、この変人、只者ではない。世の中の真理を見抜いている、出来物である。
だから、英語の教師でありながら、おいらはこの先生から英語を教わったという記憶はない。その代わり、人生を習った。生き方を教わった。
強烈に覚えているのが、
”Brevity is the soul of wit.”
である。
シェークスピアの箴言である。
「物事の神髄は簡潔にあり」とでも訳そうか。「アホのダラダラ談義」と訳してもよい。
そういうことを授業中、毎回、話してくれるのである。
なお、檀上先生によればシェークスピアの綴りにはいろいろあるが、その中での最高傑作はsex appealだそうである。こんなことを教える先生など、まずいない。
さて、この怪物のような(もちろん褒め言葉である)先生と初めて出会ったのは、おいらが高校2年のときである。
こっちは16歳の生意気盛りである。
そういうときにこの先生が高松高校から赴任してきたのである。檀上先生も26歳でとんがっていた。つまり、どういうことかと云うと、おいら達生徒と同じ目線で付き合ってくれたということである。
だから、おいら達への接し方も本気であった。人生とは何かを知りたい年頃に、先生も同じように人生を模索していたはずである。自分の感銘したことや、かくありたいと思うことをおいら達に直球で投げてくれたのである。
檀上先生、ありがとう。
その先生が先日、母校の同窓会総会で特別記念講演をされたのである。参加しない手はない。
おいらは還暦の歳にその総会で先生に再開しているが、話し足りてはいない。檀上先生の講演を是非聴きたいし、その後の懇親会で旧交も温めたい。
そう云う理由で矢も楯もたまらず、13年8月10日(土)、広島県F市に足を運んだのである(この項続く)。
出来物、檀上明隆先生(後篇)
檀上明隆先生の講演は、おいらと同年配の教え子との対談から始まった。
恐らく、檀上先生が1時間に渡る予定の講演を引き受ける条件として、そのような設定になったのだろう。
檀上先生の附属高校時代のエピソ-ドを引き出そうとする教え子であったが、檀上先生、そんなことはお構いなしである。対談の内容に関係なく、檀上節が炸裂する。
檀上節は、リタイアされていても健在である。
「あなた(対談者)は立派なお父さんだから、お嬢さんは結婚に苦労する。
なぜなら、あなたのお嬢さんは、お父さんと同じような立派な相手を探すので、なかなか相手が見つかりゃあせん。
それに較べて、わしは悪い親父だ。だから、子供は苦労せんで済む。
ADVERSITY IS THE BEST TEACHER.
と締めくくるのである」
こういう人を喰った話しが延々と続くのである。
おいらは、こういう話しを聞きながら、この先生に英語を教えてもらって良かった、いや、如何に生きるか(HOW TO LIVE)を教えてもらって良かったと嬉しくなるのである。
この手の話しは、人に向かって喋るのは難しい。真理は、往々にして唐突な話しとなるからである。
おいらは、先生の話しを聴きながら、今は故人となっている財界の有名社長の話しを思い出していた。三好武夫である(元安田火災社長)。
この人物も型破りだった。
新人社員を集めての講演で、
「諸君が結婚する場合の忠告を一つ。
自分の頭が良いなら、頭の悪い人と結婚しなさい。
頭の良い同士が結婚すると、家庭に二人の船頭がいることになる。それでは、家庭は上手くいかない。
結婚とは所詮、相性だよ」
こういうことを場所に構わず云う人物であった。この社長は安田火災中興の祖で、会社は案の定、大きく発展した。
檀上先生も同じである。生徒が大きく育った。無論、おいらを除いてだが。
さて、締めくくりは、その先生の好きな言葉。
TO SEE A WORLD IN A GRAIN OF SAND.
AND A HEAVEN IN A WILD FLOWER.
HOLD INFINITY IN THE PALM OF YOUR HAND.
AND ETERNITY IN AN HOUR.
(WILLIAM BLAKE 1757-1827)
これを日本語で云うと、
「君ならで誰にか見せん梅の花 色をも香をも知る人ぞ知る」
となる。
唸るねぇ。檀上先生、素晴らしい恩師である(この項終わり)。
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