さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

所詮この世は夢よ 男の美学

所詮この世は夢よ

 おいらの好きな言葉である。


紫陽花


「所詮この世は夢よ」

 ただ、それだけの言葉ではあるが、この言葉の持つ意味は多い。

 死ぬときに、「人生とは、全て夢だったのだ」と悟るという意味で、まず特筆しなければならぬ。

 良い夢を見て死んでいくのか、見ずに死んでいくのか。良い夢を見ることが出来なくても、夢を持ったというだけで良い人生になるかも知れぬ。人生が夢であれば、好きなことをせずに死んでいくのは、ただ悔いが残るだけである。


 次に、単に人生を浪費する、表面上は快活に生きていても現実はその場限りの人生、希望のない人生、将来のない人生、そういう人生をおいらは「夢のない人生」と呼ぶのである。

 希望や将来や夢とは、立身出世のことではない。自分がこの世でやりたいことを知っていることである。それは花鳥風月を愛でることでも良い。市井を平凡で生きることでも良い。詰まるところ、カタルシスを得る術を知っていることである。自分を持つということでもある。

 そういう人種が連れ合いや友人であると一生関係はうまくいく。逆にそうでなければ、持って行き場はない。逃げ場はない。

 おいらは夢を持たない人間、夢を忘れている人間は嫌いである。それは、とりもなおさず、おいらに向かって投げかけられた言葉でもある。

 所詮この世は夢よ。


生きてるうちにしたいこと

 作家の藤田宜永氏(57歳)が5月6日付の産経新聞に興味深いことを書いていた。

「57歳になったばかりで、今のところ元気な私にとって、死はまだ遠い存在である。しかし、若い頃とは受け止め方は違っている」とし、生きてるうちにしたいこととして、「やりたいことはひとつだけ。片付けである」と吐露していた。


仏像


 むべなるかなである。

 おいらが昔仕えたT上司が古希を迎えられたときに伺った話しで、妙に記憶に残っているものがある。退職後10年かかって、会社時代の資料がやっと整理出来たというのである。

 考えてみればおいらも同じである。元の職場を退職して、現在は二足のわらじを履いているが、新しい職場の仕事もあり、従前の会社時代の資料はもとより、学生時代から書き溜めている原稿などの数多くがダンボール箱の中に入ったままである。

 おいらも現在56歳であり、後数ヶ月で57歳を迎える。若い頃と比べて死は格段に身近に迫っているはずである。書斎の本もこれ以上増やさないつもりで来たが、何時の間にかまた増殖し始めている。

 後10年はおいらも生きているだろう。そうだとすれば、その間しなければならないことは、今の小説の仕事を大切にすること、その他の仕事は出来るだけ早く引退すること、そうして、藤田氏の言葉を肝に銘じて片付けることであると考えるのだが、読者諸兄よ、如何であろうか。


誕生日

 先月、おいらの誕生日を迎えた。

sunset2


 1950生まれのほぼ団塊世代であり、とうとう57歳になった。はっとして気付いた。これでは少々まずい。直ぐに還暦だ。50代はあともう3年しか残っていない。

 理屈ではない。60歳と云えば、世間では老人である。吉永小百合様(本名:岡田小百合様。昭和20年生)が60歳を超えていながら美人であったとしても、客観的には年寄りである。

 60歳からの人生は、余生なのだ。人生の付録なのである。59歳までにやりたいことをやらなければ、本当の人生ではない。

 ただし、60歳から一念発起と云う話しは認めて良い。晩年の伊能忠敬の話しは有名だ。しかし、おいらは考える。自分の人生である。60歳までにもう一旗挙げないで、何時挙げるというのだ。

 思えば、親父が他界したのが49歳。おいらは50代を精一杯生きてきたつもりである。しかし、遣り残したことがまだ山ほどある。

 残された50代を大切にしたい。

 もう一旗挙げないで何時挙げる。おいらが挙げないで誰がやる。


正宗白鳥83歳の言葉

 正宗白鳥が83歳で死んだとき遺した言葉。

「結局、人間は才能以上のものを書き残すことは出来ない」


秋の花3


 これを伝え聞いた小林秀雄は動揺したという。小林秀雄が何に動揺したかは想像に難くない。

 人間は努力すればものになるというのは、大嘘なのだ。才能とは「感性」に置き換えてもよい。

 おいらは、しかし、敢て云いたい。

 それは、好きか嫌いかである。

 その道が好きであれば、才能に関係なく大きな花が開くのではないか。「好きこそものの上手なれ」というのは、真実である。

 しかし、それも才能の一種だと云われるのであれば、それはそれで仕方がないが。


六十代の美学

 自分が年を取って来ると、自然と初老の人の立居振舞いに目が行くようになる。


2010志功安川C7


 そして、それが、枯れる前の美学ではないかと思うようになる。

 何が云いたいかというと、それは若さには出来ない、いや、若さでは出せない、男の色気のようなものに行きつくのである。

 それを簡単に云えば、男のダンディズムとでも呼ぼうか。それとも散る前のはかなさとでも云おうか。

 先日書いた、初老の紳士の立居振舞を再掲する。

『新幹線を降りるときの立居振舞。初老だが、小林秀雄風の紳士が、降りしなにリクライニングシートを元に戻していた。これが実にサマになっていた。ダンディだねぇ。おいらもああいう風になりたいねぇ。本当の紳士とは、歳を取ってなんぼの世界だねぇ』

 こうしてみると、小林秀雄や白州次郎のダンディズムに磨きがかかったのは、晩年ではないかと思うことがある。

 男の六十代は、女にもてる最後の十年だからだろうか。

 いや、男の美学という人生の集大成が待っているからだろう。そういう意味で、おいらは還暦になるのが早くも愉しみの内の一つである。


 自由気ままと夜型の生活

 自由気ままに生きていると、ついつい夜型の生活になる。


宝島1


 酒が入るともう駄目だ。特に最近は酒を控えているから、一旦飲み始めると朝までドンチャン騒ぎとなる。畢竟、翌日は仕事にならない。

 しかし、良くしたもので、若いときはこれでも平気である。

 前夜どんなに遅くまで飲んでいても、酒を飲んだ翌日は這ってでも会社に行く。そして、集中力を発揮して仕事をする。毎日がこの繰り返しであった。

 考えてみると、若いときは人生を二倍使ってきたのと同じである。

 だから、少し昔の話しだが、三鬼陽之助によれば、富士銀行(そういう銀行があった)の佐々木頭取は早死にをした。仕事もしたが、毎日の宴席もこなした。夜も遊んだのである。

 結局、若死にだ。

 そりゃ、そうだ。人の二倍も生きたのだから。

 そう考えると、「mn=k」の理論(kは一定)は奥が深い。

 人生を生き急ぐのか、無理をしないで普通に生きるのか、という永遠の課題に行きつくことになる。

 おいらの答え。

 ま、この歳になったのであれば、好きなことを好きなようにするしかなかろう。

 好きにしたら、ええ。


憧れの隠居生活(前編)

 好きな小説を書いて、花鳥風月を愛でて、隠居をする。それがおいらの夢なのだが、それにはいくつかの心構えがいるのかも知れない。


志功


 以下は、おいらの「隠居10箇条」である。

<1>過去にこだわらない。これから何をするかである。

 老後になってまで、過去の会社生活にこだわりたくはない。そんな奴は阿保である。会社生活は人生の一部にしかすぎない。それよりも、これから何をするかである。何を愉しむかである。隠居から新しい人生が始まるのである。隠居してから、自分がしたいことが何か分からないほど哀れなことはない。

<2>何歳になっても自分の目標を持ち続けたい。そうすれば、必ずその目標は達成出来る。

 目標があれば、自然と毎日することが決まってくる。目標がなければ、漂うしかない。漂う人生も悪くはないが、ただ漂うのか、目標があって漂うのか、時間の経過とともに大きな差が生じてくる。そのどちらを選択するかは、自分自身である。

<3>隠居は自由である。

 隠居は何をしても良いのである。ヒヒジジイになるも良し、好々爺になるも良しである。

 思えば、このような贅沢な時間があろうか。学校では規則にがんじがらめに縛られ、社会人になってからは会社に縛られていたのだ。自分の自由は、本当にあったのか。それに対し、隠居は束縛のない自由時間が目の前にふんだんにあるのだ。

「さすらいの旅に出る」も良し、「外国語を再び習う」も良し、「連れ合いと海外旅行する」も良し、「子供時代から好きだったことを思い出して始める」も良し、「道楽三昧」もっと良し。自由だということを忘れることが、一番の悪である。

<4>心を豊かにしよう。それが華麗なる加齢の意味だと思う。

 心が貧しいほど、人生が寂しいことはない。隠居は心を豊かにすることでもある。具体的には、花の美しさ、花鳥風月の粋を愉しむことである。どんなささいなことにも喜びを感じることである。そして、時代の変化を素直に愉しむことである。長生きも捨てたものではない。それが華麗なる加齢の意味だと思う。

<5>死ぬまで粋な不良中年でいたい。最後は不良老人でも良いが、粋でありたい。

 かの作家、宇野千代嬢は、94歳のときに次のように云った。

「私病気になりたいの。若くて美しいお医者さんにさわってもらえるから」
「私は死なないような気がするの」

 粋の権化である。これ位にならなければ、まだ野暮というものである(続く)。


憧れの隠居生活(後編)


志功


<6>やりたいことをやった人が幸せである。沢山やりたいことをやった人はもっと幸せである。

 解説は不要である。しかし、やりたいことをやれないのが人生というものである。だが、隠居はやりたいことがやれるのである。そうであれば、やらないと損ではないか。だから、やりたいことをやった人が幸せなのである。沢山やりたいことをやった人はもっと幸せなのである。

<7>伴侶の死を考えておく。

 人は必ず死ぬ。おいらは連れ合いより先に死ぬかも知れないし、連れ合いの方がおいらより先に死ぬかも知れない。さだまさしの「亭主関白宣言」ではないが、「俺より先に(女房が)死んではいけない」。しかし、その順番は神が決めることである。

 伴侶が先に死ぬ。そして、伴侶が死んだときのための心構えが出来ていない老人は悲惨である。おいらは、そのときのために、何か出来る訳ではないが、心構えだけは出来ているようにしたいと思う。

 冷たいようだが、人は一人で生まれて、一人で死んでいかなければならないのである。

<8>料理にはまろう。

 隠居しての道楽の一つに、料理を作ることがある。実際、おいらが退職してその後、二足のわらじを履く前のことであるが、比較的時間が自由であった。そのため、料理を作る楽しみがあった。得意な料理は、焼きラーメンではあるが、これが実に美味い。料理にはまるのも粋である。

 隠居をすると、後何回晩飯を食べることになるのか、計算が出来るようになる。後10年生きるとしたら、3650回である。後3年しか生きれないとしたら、約千回である。それ以上は食えない計算である。そうだとすれば、晩飯は旨いものを食うべきではないか。放って置く手はない。本当に食べたいものを自分で作るのだ。

<9>死ぬまで新しいことに挑戦し続けたい。

 人間は、新しいことに挑戦する心を忘れたら、人間ではない。おいらは、もしそうなったら、明日にでも自殺する。

<10>人生の達人になりたい。

 おいらは死ぬまで物を書き続けたい。それを極めて、プロだと云われるようになりたい。それがおいらの生きた証だと思う。皆さんも何か一つ興味を持ち(それを趣味と呼んでも良いだろう)、いつまでもやれることを探されたらよいと思う。それが人生の達人である。


 以上が、おいらの理想とする「隠居10箇条」である。

 ああ、早く隠居して、ヒヒジジイになりたい。


犬の十戒

 いずれ、広島に帰って隠遁生活に入ったら、犬を飼おうと思っている。


dog


 様々な事情があって、現在は犬が飼えない。一番の理由は、故郷の母が倒れていることで、定期的に広島に帰らなければならないからである。

 犬を飼うということは、家族が一人増えることでもある。したがって、それなりの覚悟がなければ飼うべきではなかろう。

 そこで、「犬の十戒」の出番である。「犬の十戒」は誰が書いた(決めた)ものか不詳だが(米国発で、ネット上、有名になったものらしい)、犬の気持ちを表している。

 その十戒を再掲する。

The Ten Commandments of Dog Ownership
犬の飼い主のための十戒

1. My life is likely to last ten to fifteen years. Any separation from you will be painful for me. Remember that before you buy me.

 私の一生は10~15年くらいしかありません。ほんのわずかな時間でも貴方と離れていることは辛いのです。私のことを買う(飼う)前にどうかそのことを考えて下さい。

2. Give me time to understand what you want of me.

 私が「貴方が私に望んでいること」を理解できるようになるまで時間を与えてください。

3. Place your trust in me-it's crucial to mywell-being.

 私を信頼して下さい。それだけで私は幸せなのです。

4. Don't be angry at me for long and don't lock me up as punishment. You have your work, your entertainment and your friends. I have only you.

 私を長時間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい。貴方には仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう。でも、私には貴方だけしかいないのです。

5. Talk to me sometimes. Even if I don't understand your words, I understand your voice when its speaking to me.

 時には私に話しかけて下さい たとえ貴方の言葉を理解できなくても、私に話しかけている貴方の声で 理解しています。

6. Be aware that however you treat me, I'll never forget it.

 貴方がどれほど私を扱っても私がそれを忘れないだろうということに気づいてください。

7. Remember before you hit me that I have teeth that could easily crush the bones of your hand but that I choose not to bite you.

 私を叩く前に思い出して下さい。私には貴方の手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるけれど私は貴方を噛まないように決めている事を。

8. Before you scold me for being uncooperative, obstinate or lazy, ask yourself if something might be bothering me. Perhaps I'm not getting the right food, or I've been out in the sun too long, or my heart is getting old and weak.

 言うことをきかない、頑固だ、怠け者だとしかる前に私がそうなる原因が何かないかと貴方自身に問い掛けてみて下さい。適切な食餌をあげなかったのでは?日中太陽が 照りつけている外に長時間放置していたのかも?心臓が年をとるにつれて弱っては いないだろうか?

9. Take care of me when I get old; you, too, will grow old.

 私が年をとってもどうか世話をして下さい 貴方も同じように年をとるのです。

10. Go with me on difficult journeys. Never say, "I can't bear to watch it, or, "Let it happen in my absence." Everything is easier for me if you arethere. Remember, I love you.

 最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送って下さい 「見ているのが辛いから」とか「私の居ないところで逝かせてあげて」なんて 言わないで欲しいのです 。貴方が側にいてくれるだけで、 私にはどんなことでも安らかに受け入れられます。そして、 どうか忘れないで下さい 私が貴方を愛していることを。

(Author Unknown 作者不明)


 実にほろりとさせられる内容である。読むだけで犬を飼いたくなる。


黄金の十年(前編)

 明けましておめでとうございます。


国宝


 新年は「黄金の十年」から始めることにしよう。

 60歳から70歳までの10年間を人生での「黄金の十年」と呼ぶ(堺屋太一の命名)。定年等で第一の人生を終え、第二の人生を謳歌するというものである。

 国民年金の支給は65歳からだが、企業年金は(一般に)60歳から支給される。60歳から支給される私的年金に計画的に加入していれば、それらを合算することによって働かなくても良いという人がいるだろう。

 定年後も好きなことをして働きたい、という人もいるだろう。第二の人生であるから、嫌な仕事をするのは御法度である。

 また、古希(70歳)を迎えれば、健康に問題が発生する可能性が高くなる。時間やお金に余裕があっても、病気になれば台無しである。旅行に行こうと思っても、体が云うことを聞かない。人生に余裕がなくなる。前期高齢者の折り返し点が70歳である。

 だから、そういう意味でも健康でいられる黄金の十年間は大切にすべきである。

 しかし、その期間には羽根が生えている。あっという間に十年間などは過ぎ去ってしまう。気が付いたら、70歳になっている。

 何が云いたいのか。人生はそうやって終わる。黄金の十年だったことに気付かないで終わる(続く)。


黄金の十年(後編)

 堺屋太一によれば、この十年間は、「好きなことに打ち込む」べしとしている。


ダリヤ


 そもそも好きなことに打ち込む訳であるから、そのことには素養がある。しかも、普通の人よりは(一般に)上手である。それを十年間も打ち込めば、その世界では、一角の人物になれる。

 そうして、70歳からの余生はそれを楽しむのである。豊かな時間を過ごすのである。

 注意しなければならないのは、好きなことに打ち込む、ということである。

 好きなことであれば、疲れない。一日中、そのことに熱中していても平気である。それにそのことに関しては、同好の士といくら語り合っても、語り尽くせない。

 公共衛星放送で熱中夜話という番組がある。あれと同じである。

 では、具体的にはどうするか。それは、黄金の十年間を、自分のためにお金と時間を使うのである。そして、70歳からの余生ではボランティアとして、それを社会に還元するのである。それが尊敬される人物の生き方である。

 黄金の十年を謳歌しよう。

 繰り返す。その期間には羽根が生えている。あっという間に十年間などは過ぎ去ってしまう。気が付いたら、70歳になっている。人生に黄金の十年があったことなどに気付かないで、人生は終わる。

 教訓。人生は、やったもん勝ちである。黄金の十年、疎(おろそ)かにするでない(この項、終り)。


時間がない(前編)

 先々週、誕生日を迎えた。


釈迦涅槃


 50代最後の誕生日である。いよいよ、おいらも来年、年男となる。1950年生まれだから、2010年となる来年は還暦である。

 おいらの考えは、これまでも述べているとおり、年男になってからの10年間を黄金の60代にするつもりである。

 では、おいらの黄金の60代とは、何か。

 おいらの人生は、いよいよ第4コーナーなのである。後は、直線コースしか残されていないのである。

 だから、答えは一つ。やりたいことをやる。やりたくない仕事は断る。それがおいらの黄金の60代である。

 具体的には、不良中年を押し通す。誰にも邪魔されずに、昔からの夢であった作家を目指す。好きな本に埋もれて、読書三昧を貫き通す。当てのない旅に出る。檀一雄が美味しいと云った郷土料理を愛しむ。怪しい飲み屋を探訪する。

 そうして、永年の夢であった海外ロングステイを模索しようと思う。しかしながら、母の遠距離介護を止める訳にはいかない。したがって、当面は海外旅行を復活させるつもりでいる。

 作家を目指すことに関しては、出来れば来年の誕生日までに、つまり、50代でいるうちに、文学賞(新人賞)を受賞したいと願っている。しかし、それが無理なら、それならそれで良いと思う。作家修業の道を邁進するだけである。50代でメジャーの賞の2次予選通過と云う実績は、おいらの道が間違っていなかったという証左だと思うのである。

 しかし、諸兄よ。

 ここだけの話しだが、60代には羽が生えている。

 あっという間に60代は終わる。

 気が付いたら、70代になっている。時間は無限にはない。心して臨まなければならない。そうしなければ、おいらの人生が嘘になる(この項続く)。


時間がない(後編)

 さて、表題の「時間がない」である。


小林信彦


 何が云いたいのか。

 小林信彦の「黒澤明という時代」(09年9月、文藝春秋)を読んだ。そこで興味深い文章を見付けたのである。

 黒澤明は、80歳を過ぎてからようやく「時間がないからね」と呟くようになったという。

 老いが前面に出た映画、「乱」が完成したのが黒澤明75歳のときである(黒澤明、88歳没)。


 著者である小林信彦自身もこう述べている。

「私は<こうした作品論を書くつもりはなかった>。DVDを全部持っていたとしても、それは趣味のものであり、黒澤映画は仕事にするとなったら難物だろう。

(中略)

 ためらったのは、私自身の残り時間のためである。「東京少年」「うらなり」「日本橋バビロン」と小説をつづけて書いてきて、ここで映画論に二年ほど時間をかけるのは、いかがなものか?」

 しかし、氏は結局、「本の話」2007年7月号から2009年2月号まで20回にわたってこの黒澤論を連載する。そのお陰で、この名著が誕生したという経緯がある。その氏が連載を開始された当時の年齢は74歳だったと思われる(小林信彦、1932年12月12日生まれ)。

「作家にとって、六、七十代は、あらゆる意味で、むずかしい時期である。肉体の老化を含めて、日々、痛感している」(同書)
と表現しておられる氏が、残り時間を本当に考え始められたのは、何時頃からだったのであろうか。

 死は突然やってくるものだが、老いは突然にはやってこない。氏のような人生を達観した人物が<残り時間>のことを触れられるというのは、それなりの考えがあってのことだと思う。

 凡庸なおいらも戒めなければならない。人生80年といっても、残り時間は思っているほどはない。

 時間がない。


おいらの生き方を振り返る(前篇)

 本日より3日間、関ネットワークス「情報の缶詰」2014年4月号に掲載された「おいらの生き方を振り返る」をお送りします。


おいらの生き方を振り返る

 この連載も今回で100回目を迎えることになった。記念すべき節目の回でもあるので、おいらの生き方を振り返ってみることにしたい。


フジタ3.jpg


1.今が一番良い

 馬齢を重ねておいらもとうとう63歳になってしまった。

 ところで、おいらはこれまで生きてきた人生の中でいつの時代が一番良かったかと尋ねられると、今が一番良いと答えたい。

 実はこれは、おいらだけが云っている言葉ではない。98歳まで生きた怪女である宇野千代嬢も死ぬまで今が一番良いと放言して止まなかったのである。

 これは、つまり、そのときそのときが一番良い、云い換えれば、人生はずっと素晴らしい時期の連続だということと同じである。

 おいらは広島の片田舎の小学校に入学したときも、中学生、高校生になったときもそのときが一番良かったと今でも思うのである。このことは、大学を卒業して某企業に入社したときも同じ、63歳の今でもそうだということである。


2.芸術の神髄はオリジナリティ

 では、おいらは何を生き方の拠り所にしてきたのだろうか。

 人生とは選択の連続である。いや、選択そのものが人生かも知れない。そのときに人生の羅針盤とも云うべきものがあれば、それが選択の指針になっていたはずである。

 さて、ここで寄り道をする。

 おいらは今、とある会社の顧問をしている。時間が自由になる身分となったので、かねてより念願の執筆活動に本格的に入っており、今年は某文学賞新人賞に狙いを定めている。

 現在取り掛かっている作品が美術を扱うミステリー仕立ての内容ということだけではないが、趣味の一つが美術鑑賞だから頻繁に美術館に足を運んでいる。

 そこで、感じるのは、芸術の神様はオリジナリティに宿るということである。

 先日も丸の内で開催された東京アートフェアに出向いたのだが、広い会場一杯に国内外から140以上のブースが所狭しと出ており、多くの絵画や陶磁器などの芸術作品が展示されていた。

 それを観て感じたことは、どの作家の作品も素晴らしいものばかりであったが、おいらの琴線にひっかかったのはオリジナリティを尊重している作品だけであった(この項続く)。


おいらの生き方を振り返る(中篇)

2.芸術の神髄はオリジナリティ(続き)

 つまり、確かに巧い絵であるが、すでにどこかで観たような作品であれば、心が打たれないのである。


フジタ1.jpg


 これは、例えば、歌が上手くてもそれだけでは歌手になれないのと同じである。歌が上手い上にその歌手に何か他の魅力があるなどのプラス要素がない限り、曲はヒットしないのである。

 では、その魅力とは何かと問われると、おいらはその歌手の持つオリジナリティだと答えたい。他の歌手にない歌い方、声質、所作などの魅力がオリジナルでなければオヤッと思わないのである。

 だが、それが他人の物真似であれば観る人はすぐにそれを見抜くのである。つまり、これが絵画であれば、誰かの作品の亜流であるとしたら、所詮その絵画は他人の絵画と同じ、つまり猿真似であるということである。

 これは人生でも同じである。他人の物真似で生きても、それでは他人の人生と変わらない。親や先生の云うことだけを聞いて生きる人生は借り物でしかないのと同様である。

 自分の人生を生きないで、何が己の人生であるのか。

 ここまでオリジナリティについて述べてきたが、この独自性こそがつまるところおいらの羅針盤なのである。結局、おいらは自分のオリジナリティにこだわってこれまでを生きてきたのである。


3.好きなように生きる

 北野武氏(ビートたけし氏。コメディアン、映画監督)によれば、エンターテイメントの極意は、<1>衝撃的で、<2>新鮮で、<3>もう1回見たいと思えるかどうかに尽きるとされる。

 なるほど鬼才である氏の言葉は重い。

 おいらはこの極意の裏付けがやはりオリジナリティだと思うのである。漫才のツービートがウケたのはその毒舌である。ビートたけし氏はそれまで誰もやっていなかった芸をやったのである(この項続く)。


おいらの生き方を振り返る(後篇)

3.好きなように生きる(続き)

 これを絵画で云えば、ピカソの絵は誰が観ても「あぁ、あのピカソだ」と分かるのと同じである。


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 それまでは誰もあのピカソ風の絵を描いていなかったのである。では、ピカソはあの抽象画のような描き方しかできないのかというと、ピカソは恐ろしく絵が巧いのである。本格的な油絵を描かせると超一流である。

 しかし、それでは先ほど述べた歌が上手い歌手と同じである。ピカソの魅力はあのどちらを向いているのか分からない顔なのである。

 日本では棟方志功の版画もそうであり、藤田嗣治の乳白色の油彩も同様である。誰も今まで描いたことのない作品を自らの手で創り上げたから偉大なのである。


フジタ2.jpg


 さて、ではお前のオリジナリティはどうなんだと問われればこれが心許ない。

 偉そうなことを述べてきたが、おいらのオリジナリティは、新し物好きで、何でも顔を突っ込みたがり、下手の横好きで作家の真似事をしているということか。

 54歳で早期退職をして、未だに作家の真似事とはどういうことかとお叱りを受けるに違いないのだが、それでもそれがおいらのオリジナリティだとうそぶくしか能がないのである。

 人は結局、自分の人生を1回しか生きることができない。だから、おいらはこれからも自分のオリジナリティにこだわり、好きなように生きてみたいと思うのである。

 さて、そうは云っても「無事此れ名馬」という諺もある。あえて他人と変わったことをする必要はないという考え方である。無事であればそれが一番ということも真実には違いない。

 読者の中でご年配の方であれば、残された時間が限られてくるとそう思われる方もお有りになるかも知れない。おいらはそれを否定するつもりはない。それはそれで良いのである。


4.老年よ、大志を抱け

 しかし、その場合でも夢を持ち続けることは大切だと思うのである。

 若いときは夢がなくても若さ自体に力があるから、大概のことは乗り切れるのである。力だけで人生を切り盛りすることが可能である。だが、歳を取ると力仕事はできなくなる。

 おいらはそれを助けてくれるのが夢だと信じている。シニアにとってこそ夢を持つことが大事なのである。これはおいらへの戒めでもある。

 老年よ、大志を抱け(この項終わり)。


人生で大切なこと

 最近、おやっと思ったことを書く。


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 類さんと句会で一緒のメンバーで、気が合うKさんと話しをしていたところ、意外な発言があった。

「もっと早く辞めるべきだった」

 Kさんは金融機関出身で63歳まで仕事をされていた人である。人懐っこい笑顔が魅力で、仕事にも家族にも恵まれた何不自由ない人生をおくられてきた人だ。

 その人がこういうことを云われたので少々驚いた。「もっと働きかった」と云われると思ったからである。

 実はこの話題になった理由は、おいらに「老人力がついた」とKさんに話しを振ったからである。Kさんはおいらより年上である。おいらよりも老人力がついているはずである。

 だから、もっと早く辞めるべきだったという発言には重みがある。おいらは直感でKさんのこれからの人生が薔薇色だと思った。この人はこれからの人生を無駄にしない。

 おいらもKさんから教わったのだ。これからの人生が残りの人生であることを。だったら、その人生を有意義に使わないでどうする。やりたいことをやる。嫌なことはしない。簡単な理屈である。

 川端康成が「山の音」を書いたのが50歳のときである。当時の50歳は老人である。このとき川端が本当に老いを感じていたかどうかは不明だが、あの川端のことだ、残された人生をどう過ごすかという絵図面は描いていたに違いない。

 人それぞれの山の音がある。

 おいらも自分の山の音を大事にし、あとせいぜい10年の残りの人生を有意義に使う。



似非もの

 本物が少なくなったのだろうか。


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 最近は本物とは認めがたい「似非物(えせもの)」が流行する世の中である。

 似非物とは、白洲次郎が世の中を計る尺度として使った言葉である。

 白洲は云う。

 世の中の全てのものには三つのものがあると思うことだ。

 一つが本物、二つ目が贋物、そして三つ目が厄介なものだが似非物(えせもの)だ。

 似非物は見分け難い。

 そして、物にも人にも必ずこの三つがある。これを見極めるためにはたくさんの本物に出会うことだ。美術館や展覧会、博物館に足繁く通うことだと白洲は云う。

 おいらはこの教えを忠実に守ってきたつもりでいる。

 そうして分かったことは似非物が大きな顔をしていることである。贋物ではないが、本物ではない。つまり、一流もどきが一流を標ぼうしているのである。まことに厄介な世の中である。

 諸兄よ。

 似非物ばかりの世の中で本物を探すと云うのは、針の穴にラクダを通すようなものなのだろうか。




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