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さすらいの天才不良文学中年
広島帰省考11年04月編 清水京都探訪編
広島帰省考11年2月編(後編)
横浜への帰路である。
実は、今回、横浜への帰路を利用して途中清水港に立ち寄ろうと考えた(写真は清水から観る富士山)。
突飛だが、清水の次郎長に会いたいと思ったのである。
次郎長が生きている訳ではないのだが、次郎長の雰囲気を味わうことは可能であろう。次郎長記念館も訪問してみたいし。
何故、次郎長かは、後で「清水港探訪記」に詳しく述べる予定である。
広島駅午前8時7分発のぞみ8号に乗車する。新幹線で静岡まで行き、そこから先は在来線(東海道本線)の予定だ。
ところでのぞみは静岡で停車しない。だから、静岡で止まるひかりに乗り換えなければならない。
昼前に静岡に到着したいため、ウエブで調べてみると、のぞみ8号を新神戸で下車し、4分待ち合わせのひかり466号に乗車すれば11時31分に静岡下車とある。
名古屋でひかりを待つよりその方が早く静岡に着くのだ。了解。
さて、新幹線は意外に乗車している。広島駅で乗車率が5割だろうか。
福山駅と岡山駅でも乗客がかなり増え、早くも満席状態である。驚きだ。昨日が降雪でダイヤが乱れていたのかとも考える。
それとも観光シーズンが始まったのか、団体客が目に着く。3列席のB席まで座っている。ま、おいらもこれから清水の次郎長に会いに行くのだから、同じか。
新神戸駅に降り立つ。昔、出張でおいらの勤務先であった神戸支店に立ち寄ったことを思い出す。神戸本部長は酒飲みであった。新幹線の最終時間まで小料理屋で痛飲したことを思い出す。
さて、久々のひかり乗車。これが700系で車両はのぞみと変わらない。ただし、足元のコンセントは着いていない。ひかりの停車駅は、新大阪、京都、名古屋、浜松、静岡、三島、新横浜であり、要は、静岡の3駅に停車するだけである。これだと納得。
新神戸乗車時は、車内はガラガラ。この時期、ひかりだとこんなもんだろうと思ったのが大間違い。
新大阪でどっと乗車。京都、名古屋でも大量の乗客。あっという間に満席である。ひえ~!
景気は回復しているのだ。そう思わざるを得ない。
ところで、毎度ながら関ヶ原の景色は見逃せない。特に積雪時である。新幹線車窓から見えるこの景色は、いつもながら殺風景である。新幹線、この間、3分の遅れである。
そうこうしているうちに静岡駅に到着である。ここから在来線に乗り換えて、さあ、清水である(この項、「清水港探訪記」に続く)。
本日と明日はお休み
本日と明日は休日につき、お休みです。
写真は、清水市内の住宅地から望む富士山。毎日、普通に富士山が見えるというのもいいなぁ。
それでは、皆様よろしゅうに。
平成23年2月26日(土)
謎の不良中年 柚木惇 記す
清水探訪記(前編その1)(清水次郎長を訪ねて)
新幹線「ひかり」号は静岡駅に到着し、東海道本線に乗り換えた。
興津行きに乗車し、東静岡、草薙駅の次が清水駅である。下車し、「清水次郎長記念館」(写真下)を目指す。
さて、ここで何故、清水次郎長かを述べなければならない。
実は、おいらの勤務先であった社長(後、会長)が清水次郎長の大ファンだったのである。解説をすると、このボスは勤務先の中興の祖であり(とっくに鬼籍に入られているが)、大変型破りな社長であった。
普通、財界人が尊敬する明治時代の人物といえば、渋澤栄一とか福沢諭吉ではないか。それが、次郎長である。おいらが勤務した会社が業界の暴れん坊だったのも頷ける話しである。
さて、おいらのイメージでは、清水次郎長は広沢虎造の浪曲「清水次郎長伝」に出て来る博打打ちの大親分であり、カッコ良く云えば侠客、東映映画風に云えば渡世人であった。
つまりはアウトサイダーなのである。経済人が褒め称えるような人物ではない。
ところが、次郎長の人生後半は山岡鐡舟も一目を置く、一角の人物であったのである。
具体的に述べてみよう。
清水次郎長(本名「山本長五郎」)の一番の功績に、咸臨丸事件での幕府軍死者を手厚く葬ったというのがある。
江戸を出た咸臨丸が台風のため帆柱が折れ、修理のため清水港に入る。しかし、明治元年9月、官軍は咸臨丸を襲撃する。幕府軍十数名を斬り、七名の遺体を清水港に投棄するのである。次郎長は海に浮かぶ死体を引き上げ手厚く葬り、壮士の墓を建立したのである。
ところが、これは簡単なことではない。世は官軍の天下である。官軍の宿敵である賊軍(幕府軍)を葬れば官軍に処断される恐れが充分にあったのである。しかし、次郎長は遺体を放置しておくことに我慢ができない。「賊軍も官軍も死ねば仏だ」と葬るのである。
偉いねぇ。自分が可愛いから(官軍に処罰されたくないから)清水港に浮いている死体を葬らないというのでは、官軍と賊軍以前に人間として欠格だということを次郎長は教えてくれるのである。
それまでにも次郎長と親交のあった山岡鐡舟は、この事件以後、次郎長にぞっこん惚れ込む。
次に次郎長がしたことは、徳川家の無録移住者の救済である。既に徳川慶喜は静岡の宝台院で謹慎生活を送っていたが、2万人近い幕臣が慶喜を頼って江戸からやって来たのである(当時の清水町の人口は世帯数でわずか千未満)。次郎長は住居や仕事を探すなどしてその面々を救済したという。
さらに次郎長は富士の裾野を開墾し、日本を代表する静岡茶の基礎を築く。明徳館で英語塾を開設する。清水港の近代化にも尽力する。明治20年代には清水港波止場に「末広」という旅館兼料亭を創り、広瀬武夫、富岡鉄斉といった武人や文人とも交わる。
次郎長は人物だったのである。
その次郎長の生家や記念館が清水にあるのなら、これを見ておかない手はない(この項続く)。
清水探訪記(前編その2)(清水次郎長を訪ねて)
まずは、清水駅前に降り立つ。
駅前の酒屋で売っている酒は次郎長である。
さて、駅前で最初にしたことは、いつもどおり、観光案内で市街地の地図を貰うことと、次郎長記念館の場所の確認である。事前にネットで調べているので、バスでの行き方を教えて貰う。
運賃100円で次郎長記念館(次郎長が波止場に開業した船宿「末広」の復元建物)の前に立つ。
記念館に入る前に写真を撮っていたら、どこからともなくご老人が現れ、次郎長のエピソードを話してくれるのである。こういうのは良いよねぇ。
その中で耳寄りな話しがあった。この記念館の一部の土地が山梨県の飛び地になっているというのだ。
飛び地は、ままあることだが、静岡県のど真ん中に飛び地があるというのも珍しい。聞けば、甲斐の武田信玄が清水港での荷揚げの関係から昔から所有していた土地らしい。なるほど、そげですか。
さて、記念館である。
一階は、次郎長ゆかりの品や写真が次郎長の晩年を中心に展示してある。二階は、これには少々驚いたが、英語塾の蝋人形が設置されている。
ジオラマではない。本物の大きさである。なるほどこういう英語塾であったのかと妙に感心する。
ここの一階で山岡鐡舟の揮毫である「精神満腹」の実物大写真が掲載されていた。
精神満腹。
良い言葉じゃのぅ。いくら旨いものを食って腹一杯になったとしても、精神的に空腹では人生の意味がない。
山岡鐡舟は次郎長にこの「精神満腹」の揮毫を贈るのである。
この揮毫の本物は、次郎長の墓がある梅蔭禅寺に納められている。拝観が楽しみである
記念館で「次郎長一代記」と「次郎長物語手拭」を購入し、おいらの荷物を預かって貰って、荘氏の墓、次郎長の生家、梅蔭禅寺まで足を延ばすことにした(この項続く)。
清水探訪記(前編その3)(清水次郎長を訪ねて)
壮士の墓は記念館の側にあった。歩いて5分かからない場所である。
立派な墓である。次郎長の度量を感じる。やっつけ仕事の墓ではない。人間は事を成すには、中途半端ではいけないのである。墓碑銘も山岡鐡舟にお願いしている。
合掌。
それにしても幕府軍の遺体を海に放置させたままにした官軍はいただけない。次郎長がいなかったら、清水はただの田舎町である。
さて、そこから次郎長の生まれた家まで歩く。次郎長通りに生家が現存しているのである。
生家では、次郎長が実際に使った道具や井戸などがそのまま保存されている。
生家から少し歩いて、梅蔭禅寺に到着する。
梅蔭禅寺は臨済宗妙心寺派に属し、足利時代創建であるという。
次郎長の墓のみでなく、大政、小政、石松、次郎長夫人のおてふ(お蝶)の墓などがある。
ここにも弁財天が祭られている。
そして、堂々の次郎長の銅像である。
お目当ての「精神満腹」の揮毫も境内の記念館に飾ってある。
食欲や性欲を満たしたとしても、それだけでは畜生と変わらない。人生の価値は、精神満腹にあり(この項続く)。
清水探訪記(中編その1)(三保の松原)
清水と云えば、「三保の松原」を忘れてはいけない。かの有名な「羽衣伝説」である。
解説が必要である。
その昔、三保の村に伯梁という漁師がいた。その伯梁がある日、三保の松原で松の木にかかっている美しい羽衣を見付けたのである。
漁師の伯梁が持ち帰ろうとすると、突然、天女が現れたのである。
「それがないと、天に帰れません」
そりゃ、大変じゃわい。
伯梁が「それでは、天女の舞を見せてくれ」と衣を返す。天女は衣を纏い、天に舞う。天女はやがて天に消え戻ったという逸話である。
この話しは、能にもなっている。では、この逸話や能は何が云いたいのか。
それは、この三保の松原が天女の羽衣を忘れるほどの、絶景の地だということである。
さて、おいらは次郎長記念館に戻り、預けていた荷物を受け取る。再びバスに乗車し、本日の宿である三保の「旅館伯梁」を訪ねる。
そう、あの漁師の名前の伯梁を命名した宿である。
バスがやって来た。三保行きかどうか分からないので、旅館伯梁まで行くかどうかバスの運転手に聞く。
運転手は答える。「大丈夫です」
よっしゃ、乗車する。
ところが、乗ったばかりのおいらに向かってバスの乗客が近寄ってくる。ご高齢のおばさまである。
「旅館はどこなの。何だ、伯梁じゃない。運転手さん、三保車庫で降ろして大丈夫」
こういうところがアットホームで良いねぇ。しかも、運転手さんはバスの乗客が最後においら一人になったので、旅館伯梁の前で特別に降ろしてもらえたのである。
こういうのは好きだよな~。
清水はこうでなくっちゃ、いけねぇ(この項続く)。
清水探訪記(中編その2)(旅館伯梁)
若いときは、ホテルの方が気楽である。しかし、旅に出るとやはり和風旅館だと思うようになる。
それは、あながち年を取ったからでもなかろう。その地その地の人情に触れるのは、和風旅館ならではのことだからである。
清水での宿泊はそういう観点から旅館にした。三保の松原の側に泊まりたいと思ったので、ネットで調べてみると、伯梁に当たった。
一泊1名10,500円(朝夕食付き)。
旅館の名前も三保の松原に因んでいる。決定。申し込んでいたら早速パンフレットを送ってくれた。
さて、おいらがこの旅館を評価するには訳がある。ご主人(写真下)のお人柄が素晴らしいのである。
寡黙で飾らない人柄、常にお客のことを考え、おいらが旅館でくつろげるようにしてくれるのだ。
妙に馴れ馴れしくても困るし、さりとて、全く構って貰わないのも困る。
富士山を見るロケーションはどこが良いかと尋ねれば、的確なアドバイスをしてくれる。
翌日、三保の松原までの散歩と日本平まで行きたいと相談すると、おいらの時間に合わせた観光コースと時間まで教えてくれるのだ。
さらに、日本平に行くには昔は清水駅からバスが出ていたのだが、今はなくなったので、ご主人が車で送っても良いとのことである。えっ、タクシーだと3千円以上かかる場所なのにである。
今どきこんなご主人はいないよ。当日は団体のお客があるにもかかわらず、時間のやりくりをしておいらを車で日本平まで送ってくれるというのである(無論、無料である)。
はい、有難うございます。おいらはこの宿に泊まって本当に良かった。
ロビーを覘くと、赤瀬川源平、南伸坊様などご一行が宿泊されたときの色紙も置いてある。盛り上がったのであろうなぁ~。
皆の衆、清水で宿をとるなら、「伯梁」に決まりである(この項続く)。
清水探訪記(中編その3)(三保の松原)
翌朝午前中、旅館伯梁に荷物を置いて三保の松原へ出向いた。
三保の松原は旅館から徒歩で2~30分のところにある。伯梁のご主人がマイクロバスで団体客を迎えに行くので、その途中、三保の松原を経由しても良いと云われる。
お言葉に甘える。
天気は上々。遠くに富士山も望むことができる。誠に日頃の行いは肝心である。
さて、話しは変わるが、この羽衣の松をバックにおいらの親父が写っている写真があった。
昔の写真だ。
親父が40になったばかりだろうか。だから、昭和40年代の写真である。
おいらは妙にその写真を覚えているのだ。
だから、親父の足跡を巡るという大層なものではないが、今回の旅は親父が訪ねた場所を訪ねてみたいと思ったのも一因である。
親父は、どういう理由でここに来たのだろうか。どういう気持ちでここに立っていたのだろうか。写真を撮った後、親父はどう行動したのだろうか。
どうでも良いことだが、親父が立った場所においらも立つというのは、ある意味で感慨深い。
伯領のご主人に「昔、親父が三保の松原に来た」ことを告げると、昭和40年代は浜辺も浸食されておらず、まさしく絶景だったとのたまわれるのである。
と、云うことは三保の松原の海岸は今どうなっているのじゃと気をもんだが、風光明媚なことには変わりない。
確かに一面の砂浜ではなくなっているが、全国の海岸は皆似たり寄ったりであろう。
ただし、松原は健在である。今でも天女が降りて来ておかしくはない(この項続く)。
清水探訪記(中編その4)(日本平)
三保の松原から伯梁に戻った(写真は伯梁のロビー一部)。
伯梁のご主人も清水駅から団体客を旅館に迎え、時間をやりくりしておいらを日本平に連れて行ってくれる。
カタジケナイのぅ。
実は、今回の清水探訪を機に、おいらはカメラを新調したのである。
これまで使っていた機種は、ソニーのサイバーショット。約5年前に2万円で購入したバカチョンのデジカメである。
スナップショットとしてはこのカメラ、全く問題ないのだが、ちょっと凝った映像を撮りたいと思った場合には物足りないのだ。
このカメラ、ほとんど肌身離さず持ち歩いていたので、もう充分に元は取っている。
だから、おいらは一眼レフを探していたのだが、コンパクトな機種で機能的なカメラは山ほどある。ニコンやオリンパスなど、日本のメーカーは世界一だ。こりゃ、簡単には決められない。
そこで、おいらは敬愛する人生の達人「ダンディなM氏」に相談することにした。
その結果、ソニーのNEX-5Dを求めることにしたのである(写真下)。
いや、こりゃ、凄いわ。使い勝手も良い。
おいらは、今回このカメラで本格的な富士山の絵を撮りたいと思ったのである。
日本平から望む富士山、相手にとって不足はない。
伯梁のご主人と他愛ない話しをしながら、ご主人の愛車に同乗させてもらう。30分もしないうちに日本平に到着である。
ご主人に日本平の山頂手前の絶好のカメラスポットを教えて貰う。車から降りて、写真を撮る。それが、今月のトップの写真である。
残念ながらこの写真、もやっている。天気が良すぎて海音が上昇したためである。富士山がくっきりとは見えないので、この写真はM氏によって修正して貰った(有難うございます)。
それにしても、日本平から観る景色は素晴らしい。
ただし、日本平の交通の便は良くないので、次回訪れる際は車で来ようと思う。その際の宿は伯梁だ。
伯梁のご主人、本当にお世話になりました(この項続く)。
清水探訪記(後編)(静岡から青春18キップ)
以上、清水を堪能したので、横浜への帰路である。
おいらは酔狂にも東静岡駅から各駅停車に乗車することにした。 青春18キップである。
おいらは鎌倉以西の東海道本線のドン行に乗車したことがない。興津以東は初体験である。
東海道本線「熱海行き」に乗車する。熱海までの乗車時間は67分。ところが乗車して驚いた。乗車率は120%だ。
座れると思ったのだが、これでは立つしかなかろう。車両はベンチシートで、ボックス席はない。昨日の経験では、清水駅でほとんどが降車しているので、そこからは座れるだろうと思う。
清水駅に到着し、かなりの客が降りたが、それでも座る席は僅かである。あわてて座る。
以下、実況中継をする。
興津駅近辺では、駿河湾から眺める太平洋を望むことができた。ただし、その後は、トンネルに入り、内陸部を走るものだから、海は見えない。
新蒲原駅での乗車率は105%程度か。乗客は、皆どこまで行くのだろう。富士か沼津か、三島か。まさか熱海まで乗車する輩はいないだろう。
富士川駅というから富士川を越えるかと思ったが、その気配はない。いよいよ、次は富士駅と思ったら、電車は富士川鉄橋を渡った。結構長い鉄橋である。
富士駅でどっと下車。空いてきた。乗車率は80%。
その後、吉原、田子の浦など田園風景は続く。
ところで、おいらは無線ネットでWIMAXを使用しているのだが、東田子の浦から急に圏外となった。なして?
乗車して約50分経過。沼津に到着。沼津駅は大きい。ここでほとんどの人が下車。時間は午後4時少し前。車内はガラガラとなる。沼津駅で4分停車。
沼津の次は、三島。新幹線停車駅である。思ったほど乗降しない。車内は空いたままである。
函南(かんなみ)を経由して、いよいよ熱海に到着。3番線に到着し、折り返し浜松行きとなった。どっと、乗客が押し寄せる。お疲れ様。ただし、思ったほどは疲れていない。
熱海で下車して足湯にでもつかろうかと考えたが、既に今朝も温泉に入っている。それに熱海は何回も訪問しているので、わざわざ駅から外に出るまでもない。
それでは熱海駅構内をうろうろしようかと思ったが、4分で東京行きに連絡すると云う。4番線に移動し、乗車する。ほぼ満席。ただし、運良くボックスシートの相席となり、4人席を二人で使用。ゆったり感。
熱海から横浜までが各停で81分。
熱海の次が湯河原、そして小田原、平塚、茅ケ崎、藤沢、大船などを経由して横浜だ。
熱海を出て、早川までは右側に太平洋を望みながらの鈍行電車。各駅の旅はかくも楽しいものか。ここいらで実況中継をひとまず終わる。
以上、2月16日、静岡から横浜までの各停を制覇したのであった(この項終り)。
広島帰省考11年4月編(中編その2)
7千円の昼寝。
用事があって、広島の旧市内に出かけた。午後には、母の介護のため施設に戻らなければならない。
バタバタして旧市内からJRで戻る途中のおいらである。つい、車内でうとうとしてしまった。
ところで、広島のIC乗車カードはPASMOやイオカードとい呼び方ではなく、PASPYと呼ぶ。
PASMOはイオカードと互換性があるが、PASPYはJRカード(イコカと呼ぶ)との互換性がない。ただし、イオカードとイコカカードは互換性がある。
何が云いたいかというと、PASPYはJRでは使えないから、広島ではPASPYとイオカードの2枚を持っていなければならないのだ。
ところが、ICカードを2枚重ねると機能しない。したがって、別々にもたなければならない。
これが不幸の始まりであった。
おいらは、下車する駅についたらすぐにイオカードが出せるようにそのカードを手に持ったままJRの車内でうとうとしていたのである。
電車が停車しているとはっと気付いたので、停車駅を確認したら目指す駅である。
走りながら下車した。ところが、改札でイオカードがないことに気付いたのである。
いくら探してもない。車内に落としたのである。がっくしだょ~。カード残高は7千円以上あった。つい先日、1万円チャージしたばかりなのだ。改札口の駅員に落し物を告げて連絡を待ったが、届け出はなかった。
広島の人間は薄情じゃのぅ~。落し物を届けてくれないのである。
しかし、非は落としたおいらにある。それにしても電車でのうたた寝は気持ちが良かったのぅ~。蜜の味であった。
「7千円の昼寝」というのは、こういう理由である(この項続く)。
広島帰省考11年4月編(中編その3)
「死神」という酒があるのだそうだ。
話しはおいらの高校時代の同窓会に遡る。
昨年、42年振りに会った同級生のO君が広島市内に在住だと分かったのである。
このO君はおいらの小学校と同じで、広島県F市立A小学校出身である。仲良しで一緒に良く遊んだものである。O君とは高校で再び一緒になり、小学校のときとは違う付き合い方の友達になった。しかし、おいらは文系でO君は理系だったので大学は別に進むことになり、二人はそれっきりになっていたのである。
ところが、万物は流転する。
昨年の還暦同窓会でO君に会った途端、一気に昔のことを思い出した。そのときから、昔からの友人に舞い戻ったのである。おいらの広島帰省時にO君と旧交を温めようとお互いにメールのやり取りをし、今回、横川(広島市西区)で始めて二人で飲んだのである。
そこで、店の選定にあたってO君がネットで調べてくれたのがこの死神を飲ませる店「おちょこ」であった。
この店がなかなか良いのである(店は、横川駅前の交差点を南西側に渡った大通りに面している。入口が少々分かりにくいので、「おちょこ」の看板を目当てに探すと良い)。
良い店、良い友、良い酒。
さて、死神(島根県「加茂福酒造」謹製)は純米酒である。口当たりは丸みで旨口、後味のキレは良い。こりゃ、一度飲むとハマる味である。
それにしても、何故このような銘柄にしたのかとウエブで検索してみると、落語の演目「死神」から取ったという。ウイットがあるのぅ~。
この酒の燗は徳利をお湯で満たした陶器の中に入れる。これが風流である。
「おちょこ」のマスターの笑顔もこれまた良い。
O君との話しは尽きない。酒も進むのじゃよねぇ~。特に旧友との酒は昔話に花が咲き止まらない。一生の友はここにいるのである。縁は大切にしなければならない。
夜も更け、二人で飲むときは毎回この店にしようとO君と店を去った。げに、持つべきものは良き友である(この項続く)。
広島帰省考11年4月編(後編)
横浜への帰路である。
今回は横浜への帰路を利用し、途中京都に立ち寄ることにした(写真は鹿苑寺)。
三島由紀夫ツアーへの参加や映画「MISHIMA(フランシスコッポラ、ジョージルーカス製作)」を観て、三島ゆかりの金閣寺を訪問しておきたいと思ったからである。
実は、おいらは修学旅行定番の金閣寺を訪問していない。
愚妻に聞くと、やはり高校時代の修学旅行で京都の主だった名所旧跡は訪問しているという。もっとも、あまり覚えていないというが。
おいらの京都探訪の数は多い。
仕事でも何回か京都に出張している(京都国際会議場も訪問済)。だから、名所旧跡の訪問ではなく、かつ、京都訪問時は嵐山など興味のあるところはかなり訪れているのだが、金閣寺や清水寺など観光のメッカを訪問したことがない。
そこで、京都のバスツアーをネットで探し出し、出撃しようと思い立った次第である。
広島駅午前7時58分発のぞみ116号に乗車する。広島始発の新幹線のため、広島駅で乗車率は2~3割程度だろうか。月曜日にかかわらずほとんどガラガラの状態である。
福山駅、岡山駅、新神戸駅でもほとんど乗車なしである。こりゃ、やはり東日本大震災の影響なのだろうか。ま、空いている方が心理的に楽だから、その方が旅をし易いのだが。
しかし、流石に新大阪である。ぽつぽつと乗車客がいる。これで、A席とE席が埋まった。
前回、2月の帰省のときは結構混んでいたので、震災の影響が大きいのだろう。自粛もほどほどにしなはれ。
さて、そうこうしているうちに京都駅に到着である。さあ、京都探訪である(この項、「京都探訪記」に続く)。
京都探訪記(その1)
金閣寺を見たいと思った。
前回のブログにも書いたが、おいらは金閣寺を訪問したことがない。
それは、金閣寺が金張りで悪趣味の権化のようなものだと思っていたからである。秀吉が作った黄金の茶室というのも無粋極まる。成金趣味そのものだからだ。
しかし、世の中は歪(いびつ)である。金閣寺が好きだと思う人間は五万といる。いや、好きなだけなら問題はない。好きだと思う人間を狂わしてしまう魅力があるというところに金閣寺の怖さがある。
三島由紀夫の金閣寺はそういう小説である。そして、コッポラの映画MISHIMAはそれを旨く表現することができた。
だから、今回の京都探訪の目的は金閣寺を観ることである。
さて、おいらと京都との係り合いである。おいらの高校時代の友人のN君とT君が京都で浪人をしていたのである。当時、広島県F市出身のおいらは既に(貧乏)学生になっており、京都は帰省先から大学に戻るまでの途中下車駅であったのだ。
特にN君とは親交が深かったので、受験の邪魔になろうがそんなことはお構いなしで彼の下宿に転がり込み、京都の街を闊歩していた。畢竟、観光名所などには行かない。いや、行くことを馬鹿にしていた。だから、京都は何回も訪れていたが、街並みを知るだけで充分であった。
後、社会人となり、京都市内で風情のあるところは出張や観光で概ね探訪したが、いわゆる「鳩バスコース」は外していた。
よって、おいらは京都定期観光バスのHPを開いたのである(この項続く)。
京都探訪記(その2)
広島を早朝出て、お昼前に京都に入り、夜横浜に帰るというスケジュールにすれば、午後一杯の半日を京都市内で過ごすことが可能である。
京都市内地図を片手に金閣寺の場所を確認し、京都駅からの交通の便を調べた。京都には地下鉄があるものの、主たる足は私鉄とバスである。いや、徒歩かも知れない。
だから、金閣寺以外に訪れたい銀閣寺や清水寺を一度に訪問するとなると、所在地がバラバラであるため、タクシーが一番便利となる。しかし、それでは不経済だ。
ここは、観光バスの出番と、おいらは京都定期観光バスの京都半日コースを検索した。
その結果、金閣寺、銀閣寺、清水寺の豪華3点セットを発見し、早速乗車することにしたのである(乗車口が写真上)。
この日は天候も良く、枝垂れ桜はまだ散っておらず、暑くもなく寒くもなく、全く日頃の行いが良いというのは、かくも京都は歓迎してくれるものか、であった。
金閣寺(舎利殿)はおいらを待っていたのである。
驚いたのは、意外に趣味が悪くないことである。これ以上、ケバクすると線の外側に落ちるという手前で踏みとどまっている。足利義満のセンスはまともである。よくぞ、焼失後再建してくれたものとおいらは唸ったのである(写真は、舎利殿裏側)。
古都京都の文化財は日本の宝である。世界中でこのような建築物を持つ国などないだろう。おいらたちは、今こそこういう文化を誇るべきである(この項続く)。
京都探訪記(その3)
続いて銀閣寺(東山慈照寺)である。
足利義満(室町幕府3代将軍)の孫である義政(同8代将軍)が建立した、隠遁生活のための山荘である。
銀閣寺というから銀箔を貼ってあるかと思うが、そのようなことはない。金閣に対して、銀閣と命名されたのである。
銀閣寺を論じるには、何と行っても義政だろう。
何せ、37歳のときの将軍在任中に職を投げ出して突如隠遁するのである。責任感のある人間ならできないことである。将軍職に付くということは、公人になるということである。公人が仕事を投げ出してどうする。仕事を投げ出すときは死ぬときである。
しかし、当時の政治情勢は、後継者問題に端を発した応仁の乱でぐじゅぐじゅに乱れていたのじゃよねぇ。こういうときに力のない為政者ほど情けないものはない。ぼくちゃん、もうイヤと総理の椅子を投げた誰かに似ていなくもない。
だが、考えてみれば、人生わずか50年の時代であるから、隠遁したときを人生80年に換算すれば59.2歳である(本人は55歳で歿)。定年だと思えば、早くもない。
義政は間違って将軍になったのだ。実際、将軍職についた年齢を調べてみるとわずか8歳であった。7代将軍義勝が早世したため、お鉢が回って来たのである。この頃は、皆、早死にである。
それに義満のテカテカ北山文化に対して、ワビサビを基調とする東山文化を創った義政の功績は大というべきである。それに禅宗文化を東山文化に統合したと云う点でも義政の評価は高い。
晩年、金閣と銀閣とどちらで過ごしたいかと問われれば、銀閣に決まっている。歳を取ってもキンピカというのでは品性に欠けよう。
日本人の原型を作ったのは、実は義政かも知れない(この項続く)。
京都探訪記(その4)
京都探訪のトリは、音羽山清水寺である。
「百聞は一見に如かず」と云う言葉を久し振りに思い出した。清水寺のイメージといえば、上の写真(清水寺本堂)である。
しかし、おいらは清水寺を訪れたことがない。だから、この本堂の下部や背面はどうなっているのだろう、寺全体はどういう配置になっているのだろうと、つい先日まで素朴に疑問として思っていたのである。
やはり、現地に行かないと分からないものは分からない。
答えは、東山(音羽山)の傾斜を利用して山腹に建立されているのである。だから、清水寺に行くまでの道のりはなだらかな坂を上って行くことになる(写真下)。
途中、こういう景色にも巡り合う。
本堂から回廊を渡って、釈迦堂、阿弥陀堂を経由して奥の院に行く。この奥の院で年末、その年の漢字が発表される。この奥の院から本堂を観た景色が一番上の写真である。
ここは、昔の日本のディズニーランドだったのではないだろうか。善男善女や老人子供が清水のお寺をお参りしたのは、レジャーでもあったに違いない。時代が変わってもわくわくするものに変わりはないのである(この項終り)。
京都三十三間堂探訪
先週初め、大阪での仕事が終わって午後4時前に京都に立ち寄ることができた(写真は三十三間堂)。
おいらは寂光院の山門を写真に撮りたいと思ったのであるが、健礼門院が隠遁したというこの寺は京都北部の大原に位置する。京都駅からバスで1時間半、三千院からさらに徒歩で25分程度かかるという。
しかも、ほとんどの寺社は5時に閉館する。4時半までに入らなければ、数多たる寺社を訪問しても中には入れてもらえないのである。おいらは奈良を訪問したときのことを思い出した。夕方になると一斉に店も閉まるのである。
だから、京都駅に降り立ったおいらはどこに行こうかと一瞬途方に暮れたのである。しかし、観光案内所に立ち寄って、必見の寺を訪ねると三十三間堂(正式名称は「蓮華王院」)はどうかという。
おお、そうじゃ。
あの千一体の観音菩薩が所狭しと鎮座している三十三間堂をおいらはまだ観ていないことに気付いたのである。
4時までに入れば、丁度1時間は堪能できるとタクシーに乗車した。
拝観料600円を払って入場する。NO PHOTOとある。写真を撮りたいが、仕方がないのぅ。カメラをバッグに入れる。
さて、拝観は噂に違わず壮観である。
何せ一体だけ安置されていても国宝級の仏なのである。それが千一体もあるのだ。それにしてもこれまでの仏像を良くぞ作ったものである。
ご利益は数だということが分かる。わびとかさびとかはここにはない。
そう云えば五百羅漢像もそうである。数なのである。日本人には数に対する信仰があるのだと分かる(写真は、ご朱印)。
もう一つ。
ここで宮本武蔵は吉岡道場の吉岡伝七郎と闘ったのである。三十三間堂の闘いは面白かったなぁ。武蔵は実在の人物だが、ここで本当に決闘があったのかどうかは小説の世界である。
吉川英治もここに立って構想を練ったのであろう。そう思うと面白さが増すのである。
最後に。
通し矢である。三十三間堂の両軒端は150メートルある。江戸時代、この端から端に向かって、中空に掲げた輪の中を通すようにして矢を射ったのである。
通常、矢の射程距離は30メートルだが、戦乱の世は終り、武芸はこういうところで発揮された。1687年には22歳の青年が24時間以内に13,000本余りの矢を射って8,133本を通したというレコード記録が残っているそうだ。
武芸はこうして江戸時代にスポーツになったのである。
これから京都の紅葉は絶品のはずである(まだ少し早いようだが)。また、チャンスを作って京都に行くぞ。
京都旨いもの
昼食には少し遅い時間だが、京都駅前に降り立ったおいらは、さて何を喰おうかと考えた。
京都駅ビルは新装してからまだそんなに歴史が経っていない。だから、駅ビルの中には多数のハイカラなレストランが屯している。
しかし、それでは、東京で昼飯を喰うのと変わりがない。
ここは「孤独のグルメ」に倣って、旨い店を探すしかない。
京都駅は八条だから七条方面に向かえば、旨い店があるはずだとそろりと歩きだす。
数分歩くと、古い店づくりの食堂がある。
店の前のショーウインドウを覗こうとしたら、外人が一人でスタスタと入っていった。地元の外人のようだ。
迷わず、後を追った。
店の名前を確かめると「手打ちうどん ちから餅」。
店は込んでいて相席だが、そんなことは問題ない。
おいらがメニューから選んだのは、「海鮮カレー丼と肉みそうどん」(980円)。
これが大正解。
出汁の効いたカレー味の海鮮丼は、喉越しが絶品。うどんも味噌味で麺の腰がしっかりしている。
昼間からビールを飲んで、この定食にする。こりゃ、最高じゃのぅ。参考までに写真付きのメニューをどうぞ。
なお、この店で貰った「おいでやす」という小冊子にこの店が紹介されていた。穴場である。
京都駅から徒歩5分。お時間に余裕のある方は必ず足を延ばされよ。
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