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みちのく潮風トレイル詳細_ story (4362)2018.9.29Our members of Arukijyuku have just walked the Michinoku Sea Breeze Trail for 50 km around the rias coast.There are many fishing village and ports which harvest abalone,scallops and special product of farming oysters. The fishing village in a steep mountainous area probably had less influence of the tsunami, but the big city with the flat area by the sea has been destroyed by the huge tsunami of 18 meters.Speed of reconstruction differs depending on the topography, but it is still under way. There were many places only on the road and the grass bowl.みちのく潮風トレイルを50kmばかり歩いて来た。リアス式海岸には多数の漁港があり、特産のアワビ、ホタテが採れる。大船渡湾ではカキを養殖していた。急峻な山肌にある漁村はおそらく津波の影響は少なかったが、海沿いの平らな面積を持つ大都市は18mの巨大な津波に壊滅状態となってしまっている。復興のスピードは地形によって差異があるがまだ途上である。草ぼうぼうと道路だけの場所も多かった。帰途BRT(高速バス輸送)では、陸前高田市の震災遺構群(奇跡の一本松、陸前高田ユースホステル、道の駅高田松原、気仙中学校)を遠望した。■今週の絵:Koishihama Fishing harbor from Koishihama St.(小石浜漁港。恋し浜駅より越喜来湾、首崎(こうべさき)半島を望む 2018.9.22(土))「恋し浜」駅へつらい80段もの階段を上る人達・・越喜来(おきらい)半島の全景は山が2つあって、途中がくびれている。手前が崎浜(絵で言うと左側の林にかかるあたり)。その奥が烏頭(うず)である。絵では半島の東側が描かれている。左側のくびれた半島の向こう側に北里大学・三陸キャンパス(三陸臨海教育研究センター)がある。ここは親潮と黒潮がぶつかるところで古くから世界有数の漁場として知られる。ここは冬でもほとんど雪が降らない比較的温暖な地域である。手前は小石(こいし)浜、恋し浜駅ホームより眺望。目次徒然の記その0 みちのく潮風トレイル全貌徒然の記その1 第1日 吉浜→恋し浜徒然の記その2 第2日 恋し浜→大船渡徒然の記その3 第3日 寿限無亭→碁石海岸 徒然の記その4 Cloak(クローク)サイト徒然の記その5 運動会徒然の記その6 雨の皇居一周徒然の記その0 みちのく潮風トレイル全貌■北は青森県八戸市、南は福島県相馬市間の海岸・半島・浦々を縫う形の歩行ルートはおよそ1400kmあり、詳細地図が23冊発行されている。北からあげると、1.(青森県)八戸市、2.階上(はしかみ)町、3.(岩手県)洋野(ひろの)町、4.久慈市、5.やませ海道編・野田村~普代村北部、6.海のアルプス編・普代村南部~田野畑村(北山崎の絶壁を歩く)、7.岩泉町南部~宮古市北部、8.宮古市北部~中部、9.大槌町、10.釜石市、11.大船渡市北中部、12.大船渡市中南部、13.陸前高田市、14.(宮城県)気仙沼市北部、15.気仙沼市南部、16.南三陸町、17.女川町、18.石巻市 牡鹿半島北部、19.石巻市 牡鹿半島南部、20.名取市~岩沼市、21.亘理町~山元町、22.新地町(福島県)、23.相馬市岩手県はJR山田線・どどヶ崎近辺を除く全域が、宮城県は大川小学校近辺、蒲生干潟、松島を除いてほぼ全域がトレイルルートとしてmap化されている。このほとんどが「三陸復興国立公園」となっている。見所、推奨コース、注意箇所などを記した詳細な地図は2015.3から2018.4に発行され、震災情報を取り込んだ最新版となっておりこれをもとに計画を立てていけばよいようになっている。ただ現在は工事で遮断されて迂回を余儀なくされる箇所もまだまだ多く予断を許さない状態である。しかし次第に安定した道のりとなろう。先を急ぐ分は、町々を短絡していけばよいが、浦々の名勝も多く、半島一周などの回り道に時間を割いても面白いのかもしれない。当方はいつか全コースを総なめにする旅を計画したいと思っている。その一環として、今回上記「11.大船渡市北中部、12.中南部」の地図を元に、2泊3日52kmのトレイルを計画した。それでも綾里(りょうり)岬を巡る14kmの半島巡りはパスしている。「全部を舐める」という行為は相当の時間の覚悟が必要となる。環境省の作ったルートで、HPは立派、mapも立派なれど、歩く人がいなければ効を奏さない。道も廃れる。願わくんば地元民及び世界中にも知れ渡った道となり宿や店が増えて欲しい。また標識が全くないので一見さんには無理な道程である。スペインcamino(巡礼)道のようなしっかりした道標が欲しい。徒然の記その1 みちのく潮風トレイル詳細 第1日 吉浜→恋し浜 16km 2018.9.22(土)■大宮発7:42発の「はやて119号」に乗るためには、京王線橋本駅を5時台に乗らねばならぬ。ということで逆算していくと、前日は21時就寝翌日3時起床ということになり早風呂に入って就寝。すでに3日分3setの服装は用意してある。1日で完全着せ替え人形となる。今回は寝袋を使うが友の分を入れて2個を用意。ランタンにヘッドランプ、スケッチ道具にサングラス。髭剃りに枕。防寒服に雨具。傘やリュックカバー。朝飯に昼めし。ジュースや水と既に13kgの重さとなっている。それを自宅からrunningで駅まで走る。尋常ではない。走る姿と電車姿が違ってはさらに荷物が重くなるが、そこはすでに秋の気温で助かる。上にジャンパーを羽織る程度で即電車に飛び乗る。大宮から利用する新幹線の「はやて」はなんと全席指定の超特急であった。「はやて」、「はやぶさ」、「やまびこ」とある東北新幹線のランク順の最上位に位置し、大宮の次の駅が仙台である。おったまげた。宇都宮も福島も飛ばしていく。帰りに鈍行の「やまびこ」に乗ってその差に愕然とした。「はやぶさ」では満席でも立ち席が200円で買えたという。さて、現地吉浜で集合とした今回の旅は、ある人はバスで、ある人は途中の釜石で1時間も早く着き昼飯をと、かなりの自由度があったようである。1日後には南相馬から区切り打ちで歩いて来た人と合流するなど、ゲーム的要素もあるわが「歩き塾」こんな旅は他にはないだろうと少し鼻が高い。しかも、「僕歩くの嫌!」という御仁には、一駅ずるをする方法を教えたりと、なかなか添乗員も頭が柔らかくないと務まらない。すべてOKなのである。釜石線にはお彼岸でお墓参りするため花束を持った乗客も散見された。遠野駅では沢山の乗降客。2両編成の電車はほぼ満席。駅名に併記されているフランス語は、9月21日が宮沢賢治没後85年であったことも思い起こさせる。例えば、松倉駅は濃紺の看板に駅名の下に「La Suda Croiteru(南十字星)」と併記してありお洒落な装い。2019年のWorld Cup開催で湧く釜石駅から、三陸鉄道南リアス線(2019.3には南北が繋がり、「三陸鉄道リアス線」と改称される。)に乗り換え、吉浜駅へ。吉浜と次の駅の三陸の間には羅生峠があって山越えをしなければならない。女性陣に次の駅「三陸」で我々4人を待つことを提案。8kmの行程が省略できる。吉浜駅には志村けんが来訪したときの実物大のパネルが置いてあった。駅前からは街道への坂道を降りていく。このあたり津波伝承により全戸が高台にあり、あまり被害がなかった地区である。防潮堤はすでに完成しているのか周囲は閑散としている。「吉浜の津波石」は1933年の昭和三陸地震津波で海岸から200mも流されてきた巨大な石で記念碑として置かれていたが、その後道路工事で埋められていた石が、今回の津波で再浮上したものである。みちのく潮風トレイルはその近くを通り川を渡って陸地方向に登っていく。川の護岸工事も完了し人影はない。ところがトレイルらしい道はそこで終わっており、川の右岸の怪しげな林道をひたすら上流方向に進んでいく。道はあるが永らく人が通ったことがないという荒れた林道である。落枝をまたぎ倒木をくぐりと。ここで万事窮す。野菜ネットのようなもので固く道が塞がれているのだ。石で固定されていた。ポーランドで出会った鉄道の柵を思い出した。よじ登るか、くぐっていくかの2択。なんというトレイルだ!男性陣だけでよかった。女性を連れていたらここで袋叩きにあったであろう。国道45号にほうほうの体で出てもさらに苦難が。ガイドmapにはその道を車に注意して渡れと書いてある。まさにその場所なのに、10mほど進むと道が無くなった。民家の横の細い道はやぶで覆われている。普通だったらここで引き返すが百戦錬磨の"添乗員"は足跡が付いていることを見逃しはしない。藪漕ぎが始まった。10分ほどで農道に。もうこれ以上苦労するのは勘弁をということであとは国道45号のトンネル道をいくことに。歩道がないトンネルである。ヘッドライトで前方を照らしながら歩く。500mほどのトンネルを無事に抜けると、三陸町越喜来(おきらい)となる。はるか下に町が見え隠れする。当初は、吉浜から東に20kmほど延びる越喜来(おきらい)半島の北側、烏頭(うど)にある貸別荘「ハウルの船」まで12kmを歩き初日を終わる予定であったのである。絶海の突端でBBQを楽しむ予定だったが、2日前にオーナーから山から引いていた水が出なくなり水道が使えなくなったとの連絡。まったくの素泊まりならOKであるが、トイレも使えないとなるともうお手上げである。そこでオーナーが別に持っていた大船渡ゲストハウス(市内盛(さかり))に急遽泊まることに。そのため計画を全面変更し、初日の予定を16kmも歩く「吉浜-恋し浜」としたのだ。ハウルの船よりも、変更後のコースのほうが「みちのく潮風トレイル」そのものであるため都合が良かったのかもしれない。しかしこのトレイル、正直にそのままを歩いた人は絶対に居ない筈である。標識が一切無いし、藪漕ぎを強いたからである。国道45号線から町に降りる最短コースを見つけそこを降りていくが、ススキが生い茂ったこれまたひどい道となった。女性陣から「まだなの?」と電話が。12:30から歩き始めて14:20までに8.8kmも山道を歩いたことになる。三陸鉄道南リアス線の三陸駅は高台に建っており救われた場所であろうか。浜に近い低地部分は草ぼうぼうの空き地で、ポプラが一本立っていた。この地区の小高い斜面には樹齢7000年と言われる「三陸大王杉」がありシンボルとなっている。駅からも見える大きな木は歴史の生き証人であろうか。護岸工事や堤防の工事もすっかり終わり、橋が付け替えられ道が新設されたりして浜辺は閑散としている。この三陸駅はインフォメーションンセンター兼スーパー兼土産屋兼アイスクリーム屋となんでも屋であり女性の駅長が一人で切り盛りしている。津波の語り部となっているため、早く着いた女性陣は、近くの食堂を紹介され美味しい昼ご飯にありついている。ポプラの伝承など地域の事をいろいろ知ったようで2時間を無駄にしていないところが素晴らしい。ここからは6名の隊列を組み、トレイルを8kmばかり進む。越喜来(おきらい)湾を見渡すView Pointで小休止。upは188mmほどか。林道はうねうねと続き、upとdownをそれぞれ一回ずつ。甫嶺(ほれい)ではトレイル沿いに家が散見。幼児が走り出した。よそ者の我々が通らなかったらコケることは無かったであろうに。女の子はみごとに躓き倒れて泣き始めた。「すみません」と家族に謝るも全員笑顔である。こんな田舎にもよくぞ訪ねてくれたという思いであろうか。やっと恋し浜駅が見えた。見上げるくらい高い所にある駅である。足元に「恋し浜 ホタテデッキ」があった。ちょっとした展望台となっているがcloseであった。このあたりは土日祝日は休みという店が多い。逆ではないかと思うのであるが。小石浜地区ブランドのホタテ貝は「恋し浜」と言う。2009年に駅名が「恋し浜」に変更された。トンネルとトンネルの間の駅であるため地上からは階段80段以上を登る雲の上の駅となっている。小さい駅舎の中にはホタテの絵馬が何千と飾られ壮観。17:27の電車に乗るためすこし添乗員(ガイド)が急いだため「歩くのが速すぎる」とあとでブーイング。今後は最後尾から指揮を取ることとした。盛(さかり)から市内の大船渡駅まではBRTで一駅。鉄道路線の大船渡線がレールが取り除かれ、単線のバス専用路線として運用されているものである。大都市大船渡は鉄道代替え輸送のBRTと三陸鉄道南リアス線及び三陸自動車道、国道45,340,107などと結ばれて観光名所も多いため徐々に賑わいを取り戻しつつあるように感じた。大船渡駅前にあった仮設の飲み屋街は、小じゃれた商店街になっている。平屋ではあるがパスタの店があったりカモメテラスがあったりして楽しい。駅前を東西に流れる須崎川にはイルミネーションがあり期間限定で輝いていた。そもそも大船渡には野々田埠頭という国際港があり大型貿易船が停泊する迫力満点の町である。食事を終え、再び盛駅に戻り、ゲストハウスに投宿。ここのオーナー大関輝一氏はNPOみちのくふる里ネットワーク代表で、震災のボランティアをされている。ここで貰った「大船渡 観光MAP」はなんと大関さん制作の詳細なものであった。今このblogを書きながら改めてmapを見、その詳細な記述に舌を巻いているところである。これによると岩手の銘菓「かもめの卵」を製造するさいとう製菓は駅前にお菓子工場兼見学施設(さいとう製菓ファクトリーショップ)を建設予定という。足しげく通い続けるのが我々の責務のようにも思えてきた。次回はこのmapをもとに中心部や、周辺を回ってみたいものだ。ワクワクしてきた。こうご期待。Our course of Michinoku sea breeze trail root (3日間のコース:大船渡)赤線が吉浜→恋し浜(第1日)、緑線が恋し浜→大船渡(第2日)、ピンク線が寿限無亭→碁石浜海岸口(第3日)徒然の記その2 第2日 恋し浜→大船渡 21km 2018.9.23(日)■「区切り打ち」のようなトレッキングである。市内から再度、「恋し浜」まで戻り、約20kmを歩いた。隊列の先頭はA氏。準備体操を盛(さかり)駅で行ったあと7:18の電車で恋し浜へ。昨日とは逆で80段の階段を降りて、トレイルルートの歩行を開始。標高190mほどの峠を登り終えたら、越喜来湾とはお別れで綾里湾が見え隠れする。2つの半島が左右に4km張り出し、底辺が2kmだけしか広がっていないような湾が綾里湾。津波はここにも襲い掛かった。最初は6cmの津波が観測され、すぐに6mの津波となった湾である。明治三陸大津波(1896.6.15 2万2千人の犠牲)の伝承碑には36mの津波とあった。伝承碑の建っている場所は海抜32mの高台であった。これだけの死者が出た背景は、震度が2か3という僅かな揺れに安心しきっていた矢先に巨大津波が沿岸を襲ったからである。津波が高台を這いあがるレベルで言う遡上高は、今回綾里で42mであったという。軽く伝承碑を越えている高さである。津波の高さの最大値は釜石で18.3m、大船渡で16.7m。津波の高さというのは鉄板の厚みでこれが大挙して陸地を破壊尽くす。コンクリであっても相当な被害を被る。綾里でも駅に寄って小休止。駅長はここも女性で同じようにいろんな対応で忙しい。地元の人がのんびりとイスに座り彼岸客を待っていた。このおばあちゃん。芸能人も沢山来たよ。だけど続かなかったと。だれでも涙し一度は来てくれる。一過性で終わるのでは意味がないかもしれないと思うのである。オリンピックをここで開いてあげない限り1000年たっても劇的な変化はない。人口減もあいまって。途中、大きな堰ていあった。快適な天井の遊歩道である。しかし堰の箇所で突然道は無くなった。であれば入口に「この先行き止まり」という案内があってもよかろうに、と思ったのであるが、もとよりここを人が通ることは全く予期していないのである。さて、「清水合足(あったり)トンネル」を越えていよいよ大船渡湾へ。大船渡湾には、珊琥島(さんごじま)、前島、水鶏島(くいなじま)、琵琶島など多数の島が浮かび、景勝地である。湾の入口には碁石海岸がある。その湾内に多数の牡蠣の養殖いかだが浮かぶ。入り江の一つ、清水漁港の漁師に聞いてみた。牡蠣は2年ほどで収穫するが、広島と違いここは一個ずつ大きさをみて吊り上げるのだという。ここでは機械は使わないとも。筏ごとに育ち方が違うので、漁師間で場所を入れ替えるのだという。幼い牡蠣は目方が軽いので、筏につけた浮き輪が浮くため、目視できるのだという。■モニュメント「明日へのラブレター」小さな湾に面した赤崎町大立は今県道の付け替え工事が行われていて、モニュメント以外は更地になり、土台用の土山がいくつか築かれていた。昔は美容院などぎっしりと家が建ち並んでいた場所である。その工事の足場の近くに、「明日へのラブレター」のモニュメントがあった。歯科技工士志田秀一さんが、自宅敷地の車庫跡で震災がれきなどを使ってモニュメントを作るのを思いたったという。「人間命さえあればなんでも出来るという」というメッセージを込めたという。この思いを何百年も受け継いでいこうと、作業場所や、休憩所を提供し続けたのである。当初志田さんとデザインや建造を担当した札幌の原田ミドーさんが最初に構想を練りレンガで原型を作った。ボランティア達が国内外から大勢駆け付け、5年間もかかってタイルを貼ってきたものである。喜怒哀楽が全部詰まったモニュメントであるとも。HPも含めて一切の広報活動をせず、すべて口コミだけで現在を迎えている。綺麗なカラフルなタイルは虹色に見えるように貼られている。タイル貼りの”スクラップ&ビルド”を経てようやく完成にこぎつけたのは2016年という。完成セレモリーには市長のお出ましがあったという。当初この上を通る予定の付け替え道路は志田さんの住宅を壊す形で変更されたのだという。7割がた水に遣ったものの改修をして使っていた志田さんの住居は今取り壊され骨組みを見せていた。氏は高台にあった自分の土地を切り開き、そこに新居を建てて移り住んでおられる。別棟の作業所の壁に、「明日への♡(💌)」という文字が掲げられていた。ここからは市内へ4km。Taxiを呼ぶ人。歩く人。2手にわかれて行軍開始。いよいよ大船渡のシンボル、太平洋セメントの巨大な工場群が見えてきた。建屋の一角に7.6mの高さに津波の指標があった。土地の海抜3mとしても10.6mの津波があったということになる。(岩手県 東日本大震災津波の記録 http://www2.pref.iwate.jp/~bousai/kirokushi/allpage.pdf によれば、大船渡市の検潮所で8.0m、野々田で9.7m、浸水高は11.8m 一方綾里湾の浸水高16.7m、越喜来湾16.5m) 湾奥にとどまっていた漁船群は、それぞれ舵を切り、この津波を乗り越えている。湾の外に設置された堤防から外洋に出ようとした多くの船はそのまま津波に呑まれ帰らぬ人になったという。今回の津波の記録では最大18.6mというのがこの大船渡で記録されている。橋を渡って市内へ入るが更地をフェンスが取り囲み、そこそこに打ち捨てられた鉄筋のビルが残る。5階まで水に浸かった感じである。孤立した病院では入院患者が屋上に避難して一時は助かったものの、その後全員亡くなったという情報もある。その遺跡群がポツポツとあった。広々とした空間に新しい道路だけが敷かれ、繋がって防潮堤の間を抜けていく。巨大な開閉扉が付いている。巨大なゲートは閉め切られた後でも、小さな扉がありドアが開けられるようになっている。強化ガラスから顔が見えるようになっていた。大船渡駅近くのモールがある場所に15:40に到着。Taxiで向かった人たちはここで買い物などを楽しんだようだ。陸前高田からはるばる歩いて来た最後の参加者とここで合流。明日の碁石海岸を入れると4日で100kmの歩き旅となったようだ。すし屋「ささき」で、マンボウ、秋刀魚のサシミなどをたらふく戴く。酔った足で今夜宿泊の寿限無亭(大船渡町字鷹頭20番地)に向かうのはきつい。ここからBRTで2駅目の「下船渡」から徒歩2kmでかつ標高150mにある宿舎へ登るのはとても無理であるということで、Taxi2台を呼び楽々と投宿。■寿限無亭・・地元の小学校の同窓生たちが集まって建てたログハウス。標高150mにある湾の絶景スポット。現在は佐藤勝哉さんが管理している。新聞紙で作った帽子がトレードマーク。暖炉、ピザ窯、フイゴなどすべて手作りである。素麺流し大会やピザづくり大会など数々のイベントが開かれている。気さくな人柄に全国からファンが絶えず訪れているようである。三陸自動車道路(国道45号)の碁石海岸ICから近い。オーシャンビューホテル丸森の裏側から丸森墓地を目指し、墓地の分岐から細い道を山の上に上がっていく。「運がよければ流しそうめんが堪能できる」と観光mapには紹介されている。徒然の記その3 第3日 寿限無亭→碁石海岸 16km 2018.9.24(月)■最終日は碁石海岸観光。6km先にある門之浜で10:00に待ち合わせるべく、先発隊3名は7:45寿限無亭を出発。トレイルのルートまで山の上から最短コースを目指す。怪しげな野道を抜けていくと住宅街に降り立ち胸をなでおろす。まだまだ油断ができない。標高がまだ高いため海岸沿いの道に降り立つためにはジグザグでコース取りをしていく。国土地理院の地図でもここが歩道なのか?と疑わしい。そこをカシミヤ3Dで正確にトレイスしてKMLファイルを作り、Geographicaに入れただけなので現地に行かなければ実際は確かでない。一昨日のように道が塞がれている可能性もなきにしもあらず。「現地下見」という行為が絶対に必要になるのであるが今回はあまりにも遠く、ほとんどぶっつけ本番である。このあたりがガイド中に冷や汗を流す要因となっている。up-downはあと何回? なんて質問に即答しても、ほとんど信じてもらえない辛さよ。「地図を読む」行為とは、ある程度の感と、ハッタリではないかと。県道に降り立った後はしっかり「みちのく潮風トレイル」のコース通りに進んでいる。このトレイル、先週も書いたように環境庁の肝いりで設定され青森から福島の浦々をくねくねと回る全長1400kmのコースである。しかしながらスペインのcamino道にあるマークは皆無である。あっても野道の草に覆われて30cmほどのささやかな棒がロゴを付けて立っているだけである。ある時はロゴ入りの紙テープが巻き付けられたりしていてしごく控え目である。その野道に一人の女性が登ってきた。あや。初めてトレイルで出会う人である。聞くと「日本語は話せない。」という。中国人でこの近くに住み、今から市内まで買い物に行くという。中国語の堪能なA氏はネイティブ顔負けに会話が弾む。分かれてから「トレイル」の中国語が何か?ということが議論に。女性は「散策ですか?」と尋ねていたという。「散策」は検索の「策」を使うので探しながら歩くという意味かしらと。散策は中国語では「散歩」であり、トレイルは中国語で「线索」Xiànsuǒでこれも探すという意味が強調されている。「すでに敷かれた歩くための道を、長距離に亘って、ただひたすらに歩く」という意味の中国語はないのだろうか。日本語もひょっとして曖昧な言葉であるのかもしれない。このあたり今回の旅の宿題とした。さて、末崎半島の付け根に近い「門之浜漁港」で残り4名と待ち合わせここから合計7名の隊列で碁石海岸探訪をスタートする。「碁石」の名前の由来は海岸にあった扁平で黒色の泥岩による円礫が碁石を思い起こさせたからだという。坂の途中にイチジクがなっていた。赤い果肉を見せて割れている実(じつは花)を頬張る。禁断の果実を食べた後は、まずは穴通磯(あなどおしいそ)へ。展望台から見下ろす。観光用のサッパ船は海食が進んだ穴を通り貫けるのだという。バスのロータリーがあるほどで観光客が急に増える場所である。ここからのコースがいけなかった。断崖の上下は18回。それぞれ10m→30m→50m→5mというようにup-downを果てしなく繰り返すのだ。あと幾つ?という質問が頻出する。北アルプス縦走者は思う。「こんなの当り前です。アルプスでは200m-500mのup-downなんてざらです。がまんしなさい!」と。漸くインフォメーションセンターに辿り着き一息をつく。ここで帰りのバスなどの情報をget。雷岩、乱曝谷(らんぼうや)を見学に行った2人と合流し、碁石岬の方向に歩を勧める。このあたりは景勝が続く絶景spotだらけの圧巻の岩礁地帯である。えびす浜にある「岬」というお食事処になだれこむ。しかし1人足りない。あとで携帯に連絡があった。「はぐれました!」と。あぁガイド失格である。先頭に立って案内図通りに小道をばく進する輩と、落ちこぼれる人と。このあたり常に人数確認をすべきであった。一方で一ノ関で「はやて」を予約しているため先を急ぎたい人もいたりと、なかなか立体的な思考が必要なもので旅はなかなか愉快である。結局ここから末崎半島付け根の「碁石海岸口(BRT新駅)」まで4kmを歩く5人と、疲れ果てて路線バスで大船渡に戻り、BRTで気仙沼に行く2人に分かれて行動。徒歩で向かった5名は、途中熊野神社の「三面椿」を見学。日本最大の椿だという。必見であった。なんと、15:02のバスには、先の2人が乗っていた。市内に戻った1人を除き全員が奇跡的に揃った。陸前高田市で一人は「奇跡の一本松駅」で降り見学するのだという。遥か先のモニュメントに向かった。BRTのバスの運ちゃんは言う。道路工事の影響でバス停が毎日のように変わるのだと。大船渡に似て湾の最深部にある町は2kmx3kmの平地全体が津波で甚大な被害を受けている。ここの方が大船渡よりも丸く広く感じる。そこに繁栄していた街並みは今はない。ここで降りた男性は「言葉が見つからなかった」とmessengerで報じてきた。開発途上にあるこの地でも、「朝市が一番すごかった」と、南相馬からのトレイル人は言う。■大船渡の椿・・ヤブツバキ北限の地、大船渡にはたくさんの椿の名所がある。碁石海岸の岬近くにある「世界の椿館・碁石」には世界13ヵ所、約550種類700本の椿を堪能できる。碁石浜を通りすぎて泊里に至ったところの高台にある熊野神社の境内には「三面椿」が植わっている。東西南の3面にあった椿であるが今は東側に一本だけであるが幹が何本も絡んだ巨木で、樹齢1400年という。日本最大・最古の椿である。The profile of 3rd day between Ofunato and Goikaiganguchi(included Goishi-Coast reef zone)16km断崖の上下は18回。それぞれ10m→30m→50m→5mというようにup-downを果てしなく繰り返す。徒然の記その4 Cloakサイトって 2018.9.26(水)■チケットぴあでコンサートのチケットの予約を行っていたら、「コンビニでは、代金の支払いのみでチケットは受け取れません。Cloak(クローク)サイトで発券手続きをしてください」とあった。特定のコンビニへ行って代金を支払い、いったん家に戻って「Cloakサイト」にアクセスし、再度指定のコンビニに足を運ばなければならないのだろうか。ここで言う「サイト」とは・・店に置いてある端末のことを言うのであろうか。具体的なことがさっぱりわからない。そもそも「Cloak(クローク)」とは何ぞや。「Cloakサイト」とは何ぞや。「Cloak」を画像検索すると、ガウンを着た人の画像がたくさん出てきた。これは明らかに違う。続いて「Cloakサイト」を画像検索すると、発券システムの手続き図解が出てきた。netシステムの事を言っているのだろう。店に置いてある端末のことではないらしい。このような新しいチケット発券システムを言うとき、概念をもっと分かり易く伝えてもらいたいものである。「Cloakサイトで発券手続きをしてください」はどうも分配やリセールの機能が付加されたより高度な電子システムであった。当日行けるかどうかぎりぎりまで分からないという人にとっては、当日まで待ち、行けなくなった時に、それを他の人に分配できる電子チケットと思えばよい。また発券をtixeebox(ティクシーボックス)にすれば、スマホにチケット画面が送られる。これを見せて入場。紙ベースで頑張る人は、再びコンビニへ行き、発券番号のバーコード(紙ベースにプリントアウト)を見せてレジで発券して貰う。2回コンビニへ足を運ふことになる。もう老人には付いていけない。ますますコンサートから遠ざかるであろう。こんなシステムを良しとする社会なんて! しかし、いずれは紙がなくなる時代が来る。今からこのように手を打っていくことは重要なことではないだろうか。必死についていかなければならないだろう。徒然の記その5 運動会 2018.9.29(土)■子供園の運動会3歳7ヶ月の孫の運動会を観に行った。昨年の乳幼児組ではなく、正式に「年少組」という範疇なので、出番も多そうである。先日はでんぐり返りを特訓しておいたが、なかなか運動神経はよさそうである。さて、昨年は固まっていたが、このチビ助今日はよく動いていたようである。金曜日は天気が良かったが生憎朝から小雨がぱらついていた。午後からは雨の予報でも午前中はもつかと思ったが残念。体育館に変更になったようで園児達は新しく張り替えられたら床を裸足で競技に望んだ。出番は3回 かけっこ、恐竜ダンス、親子で行う「Over the dream ~トンネルぐって夢の彼方へ~」。年少組はことり組、こぐま組の20名ずつの2クラスで。後者が赤組。乳幼児1クラス、年少、年中、年長それぞれ2クラスなので総計140人のこども園。教諭+保育の資格をもつ先生方の数は16人以上。大変充実している。お別れの時も教諭が一人一人、今日の演技を講評しながら親達に引き渡していき金メダルを渡していた。なかなかの「Nこども園」である。徒然の記その6 雨の皇居一周 2018.9.29(土)■MYJC・・明治安田生命ジョギングクラブの主催で皇居周回の大会が開催された。雨の中、集まったのは男性7名女性3名の計10名。ちょうどいいタイミングで、9/28(木)にBS日テレで「サブ4!!(函館フルマラソン大会完結)」を放映していた。女性3人がサブ4を目指してトレーニングして来たその完結編を2時間のドラマとしてほぼ実況中継のような形で映していたのだ。各自にはサポーターが付きその一人はカメラを回し続けた。選手1人1人が捉えられて面白い。evenペースでは1kmを5分41秒以内で走れば42.195kmを4時間以内で走れ、「サブ4」を自称できる。サブ3、サブ10(この場合は2時間10分以内を意味する)とか上には上があるが市民マラソンでは、サブ3かサブ4が落としどころである。皇居5kmなら28分26秒で走るspeedを42.195kmの長さ分維持し続けることを意味するが、当方は1周全速力で息も絶え絶えに走って27分なので今ではとても無理な”サブ4”である。今回は走りすぎないように途中でスケッチタイムを設けよう。傘をさしてスケッチとは! とにかく1時間以内で走れば完走賞が貰えるのだ。そうすればあまり頑張りすぎず大会を走り終えることができるであろう。もう息絶え絶えに走るのはまっぴらだ。健康に悪いのである。!さて5kmのタイは? 途中傘を差しながらスケッチを2枚ほど描いてタイムは34分ほど。まずまずか。それよりも重大事項発生。皇居の大手門前のお濠は今まで見たことがないほどの藻が繁殖。真剣に玉川上水と繋ぐなどしてお濠を浄化することを提言せねばならない。
Sep 29, 2018
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みちのく潮風トレールに出発、東京ドームの大きさ_ story (4362)2018.9.22"Michinoku Sea Breeze Trail" of 1,400 km in length covered by coastline from Hachinohe city Aomori Pref. to Minamisoma city Fukushima pref. we would like to walk from the northern part of Ofunato to the south coast .Seven and a half year ago. Will it walk down people's sorrow, or will they be excited about the signs of reconstruction?震災から7年半たった。大船渡の今はどんな様子だろうか。青森県・八戸市から福島県・南相馬市までの海岸線に敷かれた全長1400kmの「みちのく潮風トレール」のうち、大船渡近郊を北から歩き、碁石海岸まで向かう。過去何度も津波にあっている地域なので、津波記念碑が随所に立っている。しかし今回のは「今までと比べることが出来ないほど近代化され、豊かになった地域を津波が襲った。持ち去ったものはあまりにも大きい。今回歩く、綾里湾など奥まった個所でも最初は6cmの津波と報じられ、それがすぐに6mの大津波と変更された。それでも高台から見る海原のうねりは、海面が6m上がったところで景色の変化などほとんど見て取れないのだ。ここで油断が生じた。湾奥では10m-20mと次第に大きくなって襲い掛かった。鉄の塊のような水圧で、ゆっくりと、すべてを破壊し尽くしていった。これほど恐ろしい牙を剥く海なんて見たことがない。地図で今見ても沿岸部分は更地である。そこを50kmばかり3日で歩こうと思うのだ。■今週の絵は山中湖Mitutogesan from Lake Yamanakako(山中湖から忍野方向。正面の山が三ツ峠山 2018.8.23(水))風の強い日であった。駅までの帰り道で絶景にであった。三ッ峠山である。目次徒然の記その1 東京ドームの大きさ徒然の記その2 Viola Lesson徒然の記その3 珊瑚の会 運営委員会 驚異の老人パワー徒然の記その4 第94回 山谷ミニコンサート徒然の記その5 歩き塾「みちのく潮風トレール 大船渡」徒然の記その6 樹木希林さん徒然の記その1 東京ドームの大きさ 2018.9.16(日)■丸の内線・東高円寺駅に隣接して南側に広がる蚕糸(さんし)公園の広さは2万7146m2。夕刊ににその歴史が出ていて面白く読んだ。もう20年も前から公園の入り口にミスト状の霧が出る装置が置いてあるのだという。暑い夏に利用できるようにと。さて、ここの広さは東京ドームで換算すると半分より少し大きいくらい。建物の大きさや、敷地の大きさが東京ドーム何個分という形で報じられることが多い。新宿御苑は東京ドーム何個分などと。ファミリーヒストリーではデビ夫人の母方の笠原家は千葉県の豪農で東京ドームなん十個分の土地であったとNHKが調べていた。しかし訪れたことのない者にとっては東京ドームの基準がいまいち曖昧である。カミさんのような人である。netで調べると、東京ドーム4万6755m2を次のような大きさで言い換えていた。1.畳・・3万2472畳である・・一般的な家庭にある畳 「2尺8寸×5尺6寸(850mm×1700mm)」にて計算。2.新幹線・・16両編成のN700系新幹線約34.38本分である・・・N700系(「のぞみ」や「こだま」の名で知られるタイプ) 1両=25.000×3.360=84.00m2で計算3.観光バス・・1570両分である・・一般的な観光バス「GALA(車型RU1ESAG-NDB)」 1台=11990mm×2490mm=29855100mm2=29.8551m2で計算4.平均的な日本人成人男性・・74519人分である(横になった状態として)・・日本の成人男性(20~39歳)の平均身長171.94cmに近い男性の面投影面積(627422mm2)で計算5.紙(A4サイズ、B5サイズ )・・A4サイズ約75万枚分、B5サイズ約100万枚分である・・A4サイズは210mm×297mm、B5サイズは182mm×257mm6.日本の硬貨・・1円玉・・1億4880万枚分、500円玉8477万枚分である。1円玉=314.2mm2 / 500円玉=551.5mm2これで...「○○○は東京ドーム○○個分」がピンとくるようになるだろうか。■小生の換算方法はこうである。46,755m2を平方根を求め、約216.2mx216.2mとはじく。大きさを正方形レベルで216.2m四方(一周で864m)とした。あるいは直径244mの円(一周766m))。一周の長さは形状でずいぶん開きがあるので、ここでは正方形で捉え、だいたい220m四方であるとしておけば大体の大きさが把握できる。NYのセントラルパークは長辺が4km、短辺が2kmと記憶しているのでその大きさというのが計り知れよう。長辺で20倍、短辺で10倍であるので、200倍の広さがある。四角い土地を東京ドームのような丸い敷地で置き換えることに無理がある。新宿御苑は58.3ha 周囲3.5kmと弾かれている。東京ドームの広さで換算すると、12.4個分ということになる。徒然の記その2 Viola Lesson 2018.9.18(火)■今回は2時間も絞られた・・泣きたくなるが、ここを突破しなければ明日はない。Alessandro RollaのDreo Duosの3番の難しいパッセージの僅か5小節を徹底的にしごかれる。1.音が一様でない・・白いキャンパスをイメージし、そこに筆で絵の具をスーと途切れることなく一様な厚みで塗るように、貴方のは厚みが一様でなく、しかも色が途切れている!2.出だしが強い・・禅僧のごとく、なんの邪念もなく。音を紡ぎだせ・・・あなたのは、ギャッとかブツッと始まる。 あくまで平常心で、ピューアーな音を出せ。そこがp(ピアノ)からf(フォルテ)に変わる場所であっても。3.装飾音符を弾きすぎる・・あくまでオンザビートで、一瞬に軽く。4.シンコペの♪♩♩が均等でない・・16分音符で歌った通りに、8分音符♪と4分音符♩をリズム通りに・・貴方のは4分音符♩が間延びしており、16分音符♬が速い。リズム感を失っているように聞こえる。ちゃんと拍通りに。5.弓のSpeedも一定ではない。時間配分通りに弓を動かせ6.途切れがあり芸術的ではない。16分音符♬をのびやかに・・慌てている・・お喋りの言葉と思い、その早い部分をしっかり人に聞かせるように。タラ、タラタラと説得するように。貴方のは先に急ぐ。7.ポジション移動でいきなり高音部に飛んでいる。「1」の指で位置決めをし、しっかり音程を確保せよ。貴方のは「1」が決まっていない。8.音程が定かではない・・1stポジションと3rdポジションでは指の幅がちがう。そこがしっかりつかめていないし、音程に揺らぎがある。ピタッと嵌る音は、こめかみの中心部に音響が集まる。低音であれば左肩頂点に集まる。それを意識せよ。・・・云々。あぁ死にたくなった。口で歌っているときはちゃんと歌えるのに、Violaを構えて弓を持ったとたんそれを忘れるようである。なにか悪い癖が随所に噴出する箇所で、ここを改善しなければ明日はない。ただ楽譜は暗記した。歩測に合わせて刻むことができるリズムでもあるので、歩きながら練習できる。鏡でもみながらやってみよう。これを2週間徹底的にやるつもりである。次回万点が取れるように!徒然の記その3 珊瑚の会 運営委員会 驚異の老人パワー 2018.9.19(水)■Violaも満足に弾けないのに、大学オケOBの「珊瑚の会 運営委員しかも副委員長」に指名されてしまった。重責である。これからの演奏曲目を決める重要会議に出ろと言うことになり、高田馬場まで馳せ参じたが1時間早すぎたようである。神田川近くの公園で時間を潰す。チャイコ5番などの大きめの曲のRQが出た。3回で仕上げる原則を4回以上にしたらという柔軟な意見がでた。ただピアノ曲の仕上げの回数と同期して行うのがよかろうと。ピアノ協奏曲は今まで通り3回で仕上げたいということから3の倍数を取り、6回で仕上げる案がでた。ピアノ曲は、モーツァルトのPコン18番と23番に決まった。楽譜は、IMSLP(ペトルッチ楽譜ライブラリー:International Music Score Library Project(国際楽譜図書館プロジェクト))などからほぼすべての楽譜がダウンロードできるためA4で配り各自がそれぞれ任意の拡大率でcopyすれば手が省けるという意見など。楽器ケースに収めるためにはA4→B5の122%ではなく、112%にして端を切るのだという人がいて面白い。指揮者2人のうち1人が日にちを間違えていたらしく自宅から駆け付けている最中であるが、定刻の5時には散会した。その方を待って最終決定が行われる。アミカルという懇親会が継続して設定されているのであるがこちとらにそんな余裕はない。夕刻6時すぎには帰宅した。次なる予定が山ほどあるのである。IMSLPを自由にこなす"老人?"は80歳を超えている。この方はGoogleの検索はすべて音声で進める。手で入力するより格段に速い・・「モーツァルト ピアノ協奏曲18番 楽器構成は?」と尋ね、たちどころに「クラリネットがない!」ということが分かり、埋め合わせに大きめの交響曲を というように話が弾んでいく。決して停滞はしない。驚異の老人パワー群である。このグループに居る限り世間の"後期高齢者"のイメージが払拭できて面白い。もうみんなツヤツヤ顔のまったくの青年である。徒然の記その4 第94回 山谷ミニコンサート 2018.9.21(金)■第94回山谷ミニコンサートが「 神の愛の宣教者教会」台東区日本堤2丁目の集会所で開催された。今日のSolo曲はVcとVa。Vaでは烏滸(おこ)がましくもチェロの名曲サンサーンスで動物の謝肉祭(Le carnaval des animaux - Grande fantaisie zoologique)からの「白鳥」を朗々?と。続いて合唱(ナツメロ・唱歌等 )は、「赤とんぼ、里の秋、ごらんよ空の鳥 、北上夜曲、山小舎の灯、(想い出のワルツ)、(喜びも悲しみも幾歳月)、旅人よ、(水色の恋)、365歩のマーチ」このように秋に因んだ曲が集めらている。今までは初出の曲ばかりであったが最近はリピートされる。Vcが最初に伴奏し、2回目はVn(シスター)、Fl、Vaの3人で分担する。(太字)がViolaで伴奏をする曲である。「365歩のマーチ」は毎回歌っているので大合唱となる。これは皆で合奏をする。「ごらんよ空の鳥」は、「わたしをお使い下さい」は、とともに替わりばんこに毎月歌っているミサ曲である。徒然の記その5 歩き塾「みちのく潮風トレール 大船渡」 2018.9.22(土)-24(月)2016.12以来2年ぶりの大船渡である。■青森県・八戸市から福島県・南相馬市までの海岸線に敷かれた全長1400kmの「みちのく潮風トレール」は環境省が震災復興事業として整備を進めた産物であるが、caminoと違いほとんど車道である。一部碁石海岸など岩礁地帯を通る。今回の歩き塾では、この区間のうち、主に大船渡市を中心に50kmを2泊3日で歩く。6名が吉浜に集結した。明日夕刻、このトレールを南相馬から北上して歩いてきた1人が加わる。行程は下記のような具合である。1日目・・9/22(土) 三陸鉄道南リアス線吉浜→みちのく潮風トレール→恋し浜→三陸鉄道南リアス線→盛(さかり) 16km2日目・・9/23(日) 盛→恋し浜→みちのく潮風トレール→綾里→海岸線→大船渡→下船渡→寿限無亭 約22km 3日目・・9/24(月・祝) 寿限無亭→みちのく潮風トレール→碁石海岸→碁石海岸口 14km往路の交通:都内→大宮7:42→はやて119号→9:59新花巻10:09→11:58釜石12:05→三陸鉄道南リアス線→12:24吉浜。復路の交通:碁石海岸口13:12or15:02→JR大船渡線BRT( bus rapid transit:高速バス輸送システム、小友、陸前高田、奇跡の一本松、鹿折唐桑)→気仙沼→JR大船渡線→一ノ関→大宮→都内この旅は、余すことなく震災遺跡を通過する。心せねば。徒然の記その6 樹木希林さん 2018.9.19(水)■樹木希林さんが15日にお亡くなりになった。生まれは1943.1.15というから享年75歳。小生とは学年が2つ上で、歳は1つ半上ということになる。ほぼ同時期 共に生きていたことになる。あの飄々とした物言いと、お姿は忘れられない。最近の映画では続けて「モリのいる場所」と「万引き家族」を観ている。「モリのいる場所」では、主演の山崎努さんと樹木希林さんに加え沢山の人物が登場するが、物語は画家モリ(熊谷守一)の自宅庭での自然観察の様子とこだわりの偏屈ぶりが克明に描かれて、そこに妻の樹木希林が空気のごとく動く。すべてを察知して一寸のすきもない。むしろ天才画家・熊谷守一の世界の中心に確固たるそして何物にも動じない見事な妻がいた。たぶんこれが最後の映画だったのだろう。日を追って追悼番組が数多く組まれていく。たぐい稀な名優であった。合掌
Sep 22, 2018
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Horrible and Terrible mountain climbing _ story (4361)2018.9.15I had terrible experiences for the first time in the mountains. We were attached to Mountain worm or leecha bloodsucker. Whether we run and run, they sticked together in finger and body and shoes. It was nothing but fear. However, if we knew the defense matter we could have prevented the trouble. It was a lack of study.山で久々に恐ろしい経験をした。ヒルに取り付かれたのである。走っても走っても、彼らはくっついてくるのだ。恐怖以外のなにものでもなかった。ただ防御策を知っていれば防げたはずのトラブル。勉強不足であった。 ■北アルプス素描薬師岳登山で描き貯めた絵を2,3枚づつupしていっている、その3(完)Mt.Eccyusawadake(2591.4) from Sugonokkoshi Mountain hut in North Alps(スゴ乗越小屋から越中沢岳 2018.8.22(水) 18:00)手前は、LA(Little Adventure)の方々。プロのガイド付きのツアーの方々である。右端の斜面は「スゴノ頭(2431)」からの下り坂。まさしく黒雲が越中沢岳(2591)に掛かりだした。入道雲のような真っ白い雲が青空を背景にして浮かび上がってきた。Mt.Yarigadake(3180) from kitayakushidake in North Alps(北薬師岳(2900)からから槍ヶ岳(3180)など穂高連山 2018.8.23(木) 10:00)槍ヶ岳の右側のおどろおどろしい山容は、奥穂高連山。右側が黒部五郎岳。手前の沢が黒部川源流の奥ノ廊下。なだらかな登りが「雲ノ平」。Mt.Kurobegoroudake(2839.6) from Yakushidake-hut in North Alps(薬師岳山荘(2701)から黒部五郎岳(2839.6) 2018.8.23(木) 12:40)手前の沢は薬師沢。手前から向こう側に流れる黒部川源流となる。その向こうの沢が奥ノ廊下で黒部五郎岳の五郎沢など幾多の沢を形成するが、ともに黒部川源流となる。手前の平が「雲ノ平」。奥が三俣蓮華岳(2641)で富山県、長野県、岐阜県の県境である。鷲羽岳(2924)、ワリモ岳(2888)、水晶岳(2977)など連山が続く大絶景である。目次徒然の記その1 山中湖オケ合宿その第2報徒然の記その2 著書:枝野幸男 魂の3時間大演説徒然の記その3 Violin Viola Duo 徒然の記その4 東京五輪のボランティア徒然の記その5 北海道胆振(いぶり)東部地震報道徒然の記その6 歩き塾-仏果山 徒然の記その1 山中湖オケ合宿その第2報 2018.9.9(日)■よく走り、演奏し、歩いた1日となったオケの山中湖合宿が9/8(土)から続いている。昨夜は、練習が終わったホールの半分を使い、酒宴が20:45から開かれた。最後は2:00頃まで。8卓くらいのテーブルが並べられ、皆が座ったり立ったりと自由に談笑を進める。最初はパート毎に集結するが次第にばらけていくのが面白い。ほとんど動かない人がいると思えば、テーブル間を活発に動き会話の中に入っていく。ワインが十数本並ぶのであるが、ラベルが覆ってある。ワンコインの安いワインから高級ワインまでラベルを見ればだいたい味が分かってしまうため敢えて隠し、テイストのみを楽しんでいくという趣向。皆は自宅からワイングラスなどを持参したりしてそれらを試飲して気に入れば沢山注いでもらったりと関所を通過していく。セルバンテス文化センターで楽しんだような超高級ワインが無い反面、500円ワインといえども負けてはいない物もあって面白い。小生のblogを読んだ人がたくさん友達を連れてきた。輪になって小生を囲む。台風の話をしてくれという。テントがぺしゃんこになる所から、木道を飛ばされ匍匐歩行に切り替える所、林道がcloseでも山を下り始めた所などを身振り手振りで喋ってあげたりと。オケにはこういう奇人がいないので実に目だってしまってしょうがない。■早朝マラソン・・山中湖一周13km。4:00に目覚ましが鳴った。睡眠は3時間半しか取れていないが、身体は大丈夫そう。雨はやんでいる。外は真っ暗であるが、今回はヘッドランプを持ってきているので安心。街道に出れば所々街灯があるので走れないことはない。興味の対象は、山中湖1周13kmで遊歩道がない部分がどれくらいあるか?という点なので極力湖畔の遊歩道やサイクリングロードを走る。「反時計回り」に走ることをホルン奏者に言っておくべきであった。この方も昨年よりマラソンをしていたのだ。それをすっかり忘れていた。氏は5:30start。小生は4:30start。同じ反時計回りだったので逢えないままであったようだ。1km 10分という遅いスピードで走りながら朝の闇夜に浮かぶ富士山を鑑賞していく。自転車のロングトライアルがあるのか、続々と車で集まってくる。雲がかかっているが9合目あたりではうっすらとジグザグの光の輝きがある。登山者のヘッドランプが点々となって山肌に浮かびあがっているのである。風は強い。富士に掛かる雲は東から頂上に駆け上がり、西へ流れているようで、もくもくと上がる白い雲が次第にピンクに染まっていく。朝日を受け始めたようである。赤富士のような肌が雲間から見えてきた。今までにない白い帽子をかぶった赤富士である。静寂そのものの山中湖はやっと目覚めたようである。雨が多かったこの時期の山中湖、水面が今まで以上に高い。強風で波立っている。遊歩道やサイクリングロードのない部分は850mと測定した。もう僅かで一周が繋がる!■朝の練習。演奏会の正指揮者は昨日夜遅く会場に姿を見せた。9時からの3時間の練習のうち、後半は演奏会スタイルで全曲を通しで演奏。「1.ヴィシェラド(高い城)」、「2.モルダウ(ヴァルダヴァ)」、「3.シャールカ」の3曲と、「4.ボヘミアの森と草原から」、「5.ターボル」、「6.ブラニーク1」の3曲の計6曲をだいたい前後40分ずつで演奏する。合計2,475小節もある楽節を昨日から何回もさらっているので、もう指が痙攣を起こしそうである。だがこれほど壮大な組曲を知らない。すごい曲だ。練習内容としてはまずまず。あと2ヶ月のさらなるブラッシュアップが楽しみだ。■帰りは、山中湖畔から富士山駅まで背中にViolaを背負い、前面には濡れたマラソンウェアを入れて重くなったリュックを担いで歩くこと12km。ついに富士急の「富士山駅」に辿り着いた。昼食を入れて凡そ3時間。ひたすら国道138号の松林を行く。地平線まで続く一本道の国道はあまり歩く人がいないのか雑草が生い茂っていた。なぜ花の都公園や忍野八海といった内陸部を通らなかったかというと、以前出場した「チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン118km」の思い出の道路であったからだ。わずかであるがこの国道を何回か横断し、沿道も走っている。懐かしい道路である。中央道から山中湖に入る場合も、この国道を通る。岐阜県・中津川から山中湖まで南アルプス越えで5夜170kmを走ったときもこの国道138号を走っている。人生を思い起こさせる138号。懐かしさのあまり涙が出そうである。Violaの仲間に歩くのを趣味にしている人がいる。今回は初日の朝にパート練習が入ったため12kmを歩いていては間に合わないと前日河口湖のホテルに入り、そこから3時間ほどかけて16kmを歩いてきたという。徹底した”歩き人”である。歩き塾にも興味を持ってくれている。徒然の記その2 著書:枝野幸男 魂の3時間大演説 2018.9.11(火)■「枝野幸男 魂の3時間大演説 「安倍政権が不信任に足る7つの理由」」 ハーバー・ビジネス・オンライン編 発行:扶桑社震災から7年半となる9月11日。地震発生の「午後2時46分」を思い起こさせるような「2時間43分間」の大演説が枝野幸男氏によって第196回国会の実質的な最終日7月20日に行われた。メモもあまりみず喋り続けた演説は、そのまま文字に起こされ本になって発売された。他の議員のようにメモを見ながら、しかも誤読するのとはレベルが違う。演説全文をメディアが取り上げる可能性は極めて低いし、国会議事録が目に触れる機会は少ない。今国会で何が起きているのか、与党は本当に誠実に答弁しているのか?を訴えようと、この本は敢えて日本国民全員に読んで欲しいという思いで公に出版されたのである。森友・加計問題・働き方改革法案でのデータ偽造、そうして公文書改竄と、憲政史上稀にみる不祥事国会の最終日にあたるその日に、野党は共同して、内閣不信任案を提出した。この趣旨説明を行ったのが、衆院で野党第一党を占める立憲民主党の枝野幸男議員である。この3時間近い演説のあと、野党各党の議員や党首による賛成討論も行われた。立憲民主党の山内議員が15分、日本共産党の玉木代表が15分、無所属の会の岡田代表が15分、日本共産党の志位委員長が10分の演説を行っているがこれらは第196会国会がいかに政府与党の恣意的な議事運営に翻弄されたものであるか、いかに安倍政権の国会対策が粗雑で誠意に欠けたものであるかをよく物語っている。賛成討論は本書には書かれていないが、ハーバー・ビジネス・オンラインのHPから検索できる。7つの理由とは以下である。・高度プロフェッショナル制度の強行・・8時間労働を否定した定額働かせ放題制度・カジノ法案の強行・アベノミックスの失敗・政治と社会のモラルを低下させるモリカケ問題・ごまかしだらけの答弁。そして民主主義を無視した強行採決・行き詰まる外交と混乱する安全保障政策・官僚システムの崩壊カミさんが買っていた本を読んだのであったが、脚注もふんだんにあり今の政治・経済がおぼろげながら理解できた気がした。なかなか格調高い文章であった。徒然の記その3 Violin Viola Duo 2018.9.11(火)■拙宅マンションは今瞬間的に空き家となっている。その間隙を縫って、しかもエアコンを新調したこともあり久々のDuoである。Mussorgsky, 星よ、お前はどこに? де ты, звездочка?(グレーコフ) ♩=30 農夫の子守歌Спи, усни крестьянский сын(オストロフスキー)♩=35 夜Ночь(プーシキン)♩=35 幻影Видение(クトーゾフ) ♩=40ゆったりと演奏出来て愉快。効果音的なトレモロなどもあり味わい深い曲であった。Wolfgang.Amadeus.Mozart Concertanto Violin and Viola K.424(ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 変ロ長調)、1楽章は♩=110と早い部分が大半で難曲であるが、これを最初は♩=60あたりから練習し、徐々にあげていく練習形式を取り、♩=90までいった。まずまずの完成度。次回は前回の分も合わせてDuoをしていきたい。因みに楽譜作成ソフトは数あれど、Violinの友はFinal(ファイナル)の「Print Music」を使っているという。もう7,8年のベテランである。この体験版を小生も勉強し始めた。Viola2つのDuo用に、両方が見える楽譜を起こしてみようと思ったのだ。コピーして切り貼りしていっても良いのであるがそれではあまりにもお粗末で時間もかかる。このお試し版ともう1ヶ月も前から悪戦苦闘しているのである。理由はこうだ。画面がパソコンに目いっぱい展開して小さくならない。ここにチュートリアルで「春が来た」というピアノ伴奏譜を起こそうと思うのだが、画面を小さくできない限り、チュートリアルを「左」で見ながら「右」で譜面作りをするというというような芸当(2画面の構成として左右を見比べながらstudyしていく)が出来ないのである。この不完全な体験版ソフトを使いあぐねている内にあっと言う間に試用期間の30日は過ぎてしまった。1万円もするソフトを買うのか?どうする。友は言う。このソフトほど有益なソフトはないと。オーケストレーションのすべてを作成でき、Midi音源がなくてもそれなりのオーケストラの音をすべて演奏できるという。氏が今習っているアンサンブルの会のグループへは、譜面をパート毎に見易く構成してあげて配っているのだと。いやはや、楽譜作りのプロが生きがいとしているようなソフトであった。徒然の記その4 東京五輪のボランティア 2018.9.12(水)■11万人のボランティア募集が26日に始まるという。選手村や大会会場は8万人で、組織委が募集。空港やガイド役に3万人で、都が募集する。資格は? TOEIC何点以上とものすごく高いスキルを要求しているのに、タダで雇おうとする。滞在期間中の交通費と、飲食、保険以外は手弁当であるという。つまり宿泊代と滞在地までの交通費が出ない。地方の方々には大変不利な条件となっているのだ。全員日当が出ないのである。競技ドクターもボランティアを募集するという。ドーピング検査官もボランティアであるという。国家的プロジェクトの質を保つためには多少の援助をおこなうべきではないかと思うのである。ジャカルタで開かれた先のアジア競技大会では、ボランティアには薄給ではあるが有償とした。こんなのには応募せず未達として当局を焦らせる手もあるが。単位と引き換えに学生ボランティアという手もあるが。安あがりには限界がある。徒然の記その5 北海道胆振(いぶり)東部地震報道 2018.9.12(水)■NHKは別名「ABE放送局、ABEチャンネル?」・・先の地震では全道停電で、コンビニでは手書きで勘定し、品物が無くなったという事態を放送していた。ABE放送局はコンビニとしてはローソンしか映さないようである。セイコーマート(通称セコマ)は1100店舗のうち1050店舗が電気を煌々と付け、併設のガソリンスタンドすらも営業を続けたというではないか。そういう放送は一切しないのだ。強力な自家発電装置と大量の燃料を備蓄し、地産地消の食品を自前で調達販売しているスーパーだからこそ可能になった奇跡的な店舗である。どれほど多くの人が助かったか。ABE放送局はこういうことには目をつむる。全道停電のほうがニュースバリューが高いのだろうか。徒然の記その6 歩き塾-仏果山 2018.9.14(金)■雨の予報で1人減り、2人減り・・と最終的には2人になってしまった今回の歩き塾 山シリーズの仏果山(ぶっかさん)。今回はバスを2本乗り継ぐ予定で出発したが、渋滞にはまり2番目のバスが捉まえられずテクテクと3kmもStart地点の半原へ向かわなければならなかった。当方の作戦ミスである。経路がいろいろある中で、田名バスターミナルというハブのバス停を経由したほうが便利であった。または運賃が嵩むが、厚木から直通バスで行く手があった。第二の問題は。”9月-10月の雨の日”という問題。森林の荒廃は、鹿、イノシシの跋扈を惹起し、湿った林床では獣体を媒介して増え続ける山ビルの繁殖があった。山ビル研究所というのがあり専門機関によれば、血を吸うが毒はないのだという。麻酔液を注入し感覚を麻痺させた上でおもむろに吸盤に付いた無数の逆Y字をした突起から血を吸い取るという。忍者のような虫である。医療にも使われる優秀な虫であるとのこと。山行きでは、2人目以降の人が危ない。彼らが突進してくる間に先頭は前に行けるからである。彼らの住まいとなっている丹沢山系は蛭の巣窟で、宝庫ともいわれている。現に巨大なコウガイ(笄)ヒル(30cm)も現れた。小さいものは目をこらせば、尺取虫のように、人体に突進してくる様子が窺い知れる。実にすばやいのである。「居ない」と油断していても手の指の間にいたりして。いったい彼らはどこから現れるのであろうか。いかに速く走ってもダメである。空気の振動、二酸化炭素の排出、熱の移動、すべてを察知し、真剣な表情で靴に取り付き急いで上がってくる。ズボンでは防ぎきれない。タイツと分厚い靴下、長そで、首もタオルで防御。すべて一寸の隙間もなく皮膚を防御しなければ彼らに食卓を提供することになる。この研究機関によれば忌避にはいくつかの方法があるという。山に入るときは、予め靴を塩水につけておけ、登山口で濃い塩水を作ってスプレーしろ、ディートを含んだ薬剤を使えと。これらを守って秋の山に入るべきであった。逃げるようにして下山したがさらなる問題が。■道間違い・・これはcaminoでも起こりうる現象である。参考までに記そう。”休憩のベンチが目についた。そこに一目散に駆け寄り休息。立ち上がり、ベンチの前の道を出発。”このなんでもない行為にはひとつ落とし穴がある。普段歩いているときは目を左右に配っているのでマークを見逃すことはない。このベンチの位置が問題であった。ちょうどY字状に分岐する場所にあったのである。ベンチはY字の右側にあったとしよう。休息を終わりそのまままっすぐ進めばY分岐の右側を行ってしまうことになる。実は高取山でこの現象が起こったのだ。進むべきはY字の左側であったのである。ベンチから立ち上がる時に5mほどバックすればこの分岐に気付いた筈だ。注意すべきは、このような紛らわしい場所にベンチがある場合で、よほどアンテナを張っておかないと見誤る。1人の場合は注意が集中するのでまずは問題がないのであるが、2人以上の場合は会話などに夢中になり方向を誤る。まぁこういう次第で面目ない「山行き」となってしまった。今後の反省としよう。■宮ケ瀬ダム・・ダム管理事務所で希少価値のある「ダムカード」(大きさはICカードくらい。)をget。それによれば型式は重力式コンクリートダム、ゲートは高圧スライドゲート2門、高圧ラジアルゲート1門、ジェットフロート2門、総貯水量1億9300万立方メートル。堤高156m、堤頂長さ375m。完成2001年。(因みに黒部ダムは総貯水量2億立方メートル。堤高186m、堤頂長さ492m。完成1963年)水面管理は非常に厳格・・夏時(3/16-10/15)・・水面の海抜は276m。冬時(10/16-3/15)は10m高く、286m。ダムの標高は140mであるという。体積が大きいのにかかわらず周囲の山から流入する水量が少ないためダム完成後満水まで3年もかかったという。現在は、奥相模湖(道志ダム)、相模湖(相模ダム)と津久井湖(城山ダム)のほうが流入量が多いため、溢れた分は宮ケ瀬で吸収しているのだという。わずかに落差のある導水管で各ダムと結ばれているのだ。またこの下にある石小屋ダムとの間にある石小屋湖は、宮ケ瀬ダムの放水を貯水し、中津川に流す水の量を一定に保っているのだという。観光放水は毎週水曜日、第2,4金曜日、第2日曜の11:00と14:00の2回。1本15t/secを2本。学校のプールが13secで満杯になる水量だという。
Sep 15, 2018
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台風21号と震度7の地震_ story (4360)2018.9.8An unprecedented disaster continues hurting our island. Even though Autumn Art Season coming soon,the violence and fury of "Nature" fuss Jaspan.未曾有の大災害が日本を痛めつけ続けている。海岸近くに住むと高潮に襲われ、山の麓に住むと山津波が襲い、平地に住むと川の浸水や突風にあい・・いったい我々はどこに住めというのか。まっ平で3000年も大地震の経験がないというポーランドに間借りさせてもらってはと考え始めた。さて3年ぶりに浜松国際ピアノコンクール2018が始まる。そのポーランドからブレハッチは来ないと言うが、openingのセレモニーとして歴代の優勝者が入れ替わりに2晩に渡って演奏する。そういう秋の芸術シーズンが始まるというのに、震災大国は有事に震えている。■北アルプス寸描 その2薬師岳登山で描き貯めた絵を2,3枚づつupしていっている、その2。Mt.Akaushi(2864) from Goshikigahara in North Alps(五色ヶ原キャンプ場からから赤牛岳 2018.8.22(水) 16:52)ゆるやかな傾斜地が五色ヶ原。手前のテントはC大学のワンゲル部のもので、今外で談笑をしている。目の前の赤い肌の山が赤牛岳(200名山)、黒部湖(左手前)に向かって読売新道が下り落ちている。その手前の緑のポッコリとした山は奥木挽山(2432 おくこびきやま)と木挽山(2301)。向こうの連峰は裏銀座で、右から、烏帽子岳(2628 200名山)、南沢岳(2625)、不動岳(2595)。Mt.Harinoki(2820) from Goshikigahara in North Alps(五色ヶ原から針ノ木岳 と朝日 2018.8.22(水) am6:10)針ノ木岳の左隣がスバリ岳。朝焼けのワンシーン。針ノ木の巨大な三角形がシルエットになっていた。チングルマやハクサンイチゲが太陽を受け、可憐な花が咲き誇っていた。Mt.Kita-Yakushi and Mt.Yakushi from Mt.Tonbi in North Alps(鳶山(とんびやま)から北薬師岳と薬師岳 2018.8.22(水) 7:27)五色ヶ原を南下したすぐにある山が鳶山で、越中沢岳(2591 えっちゅうさわ)、スゴノ頭(2431)の稜線は一旦スゴ乗越(のっこし)まで降りたあと長大な薬師岳への登りに取り付く。その道筋がこのスケッチにずっと表れている。ちょっとした突起も現場では20-50mの岩稜である。目次徒然の記その1 台風21号と北海道胆振(いぶり)東部地震徒然の記その2 あぁ最大のポカ徒然の記その3 ぎぼむす 徒然の記その4 Viola Lesson徒然の記その5 夏合宿徒然の記その6 ヘッドランプ徒然の記その7 健康法徒然の記その1 台風21号と北海道胆振(いぶり)東部地震 2018.9.4(火)と9.6(木)■関西空港と千歳空港が使えないという異常事態が9月6日から発生している。台風21号は9/4(火)大阪湾に4m近い高潮と最大瞬間風速58.1mの烈風のWパンチをもたらし、甚大な被害を残して北海道まで駆け抜けていった。停電に見舞われた北海道がその2日後9/6(木)未明に震度7という激震に見舞われ苫東にあった火力発電所がstop。その煽りでブラックアウトが発生し、道内のすべての火力発電がstopした。電力バランスの問題であるという。予測不能、未曾有の大災害である。外国人はどれほど困っているであろうか。現地のきめ細やかな対応が必要となる。世界中で発生している大地震(M6以上)の2割は日本で起こっているので別段不思議はなにのであるが、外国人のなかには絶対揺れることのない「母なる大地」が揺れたのだからその恐怖はいかほどでろうか。精神面のケアも必要かもわからない。■風の強さ7月に富士山登山を中止した時の風速は27m/secであった。8.5合目の山小屋3100mでの観測である。まず遮る物がない吹き曝しでは、飛ばされる可能性のある風力である。8/24(金)未明に台風20号の烈風が襲った薬師峠キャンプ場の風は果たしてどの程度であったのだろう。小生の体感では70m/secはあったのではないかと思うが周囲の人は信じない。小屋の人達は50m/secくらいだったとはいう。この程度の強さだと立っては歩けない。四つん這いになって草木を掴みながらでも徐々に身体を持っていかれるほどの烈風である。小雨は小石のように顔に当たった。記録に残る烈風は、富士山頂で、最大瞬間風速 が 91.0m/s (1966年9月25日 台風26号)であったという。台風21号が9/4(火)正午前に徳島に上陸し速度を上げて日本海を本州沿岸に沿って北上を続けた。瞬間風速は50m超というものすごい風である。関空では連絡橋にタンカーが衝突し壊れ、関空が孤立状態になってしまった。甚大な被害である。一方山岳はどうであろうか。風速は10m以上が加算される。金沢の上を通る台風のとき、北アルプスが最も怖いという。山小屋も危ないのかもしれない。テントなんてもってのほかである。テントごと吹き飛ばされ帰らぬ人に。天気予報で用いる風の強さの表現は、以下のような段階がある。静穏 - 風速0.3m/s未満の風、やや強い風 - 10m/s以上15m/s未満の風強い風 - 15m/s以上20m/s未満の風、非常に強い風 - 20m/s以上30m/s未満の風猛烈な風 - 風速30m/s以上、または最大瞬間風速が50m/s以上の風また、以下の風力階級も使われている。名称 風力 秒速(m/s) 状態 無風 0 0.0-1.4 煙が真直に上る 、軟風 1 1.5-3.4 風のあることを感じる 和風 2 3.5-5.9 樹木の葉を動かす 、疾風 3 6.0-9.9 樹木の小枝を動かす 強風 4 10.0-14.9 樹木の大枝を動かす、烈風 5 15.0-28.9 樹木の幹を動かす 颶風(ぐふう) 6 29.0以上 樹木や家を倒す 徒然の記その2 あぁ最大のポカ 2018.9.3(月)■6年ぶりに、予定スケジュールを飛ばした!月曜日は生協の来る日で、スケジュールを埋めることはめったにないのだが、今日に限って「ミラノ会(会社でのミラノ駐在者OBの集まり)」が南青山のイタリアリストランテ・コルテジーアで開かれたのだ。台風を気にしている間に記憶が飛んでいた。最近はズボンのポケットに携帯が入っている。”携帯”の名に恥じないように家の中に居ても常に携帯しているその携帯が鳴った。「turboさん いま何処ですか?全員そろっていますが。今からミラノ会です!」あちゃーーー。まだ自宅のトイレの中である。生協の車が遅れている。時刻は11:55.「ミラノ会」の集合時間が12:00なので心配して電話してくれたのだ。「す、すみません。すっかり忘れていました!」 今から行っても13:30過ぎになってしまい料理は終わっているであろう。残念なドタキャンになってしまった。2012年6月にも同じシチュエーションで「turboさん今どこ?」・・こういう電話でよかった試しはないのである。このときは2ヶ月前に石垣島でダイビング中に亡くなった同窓生の「お別れの会」であった。あぁ、ボケはあの時から始まっていたのだ。なにせやることが多すぎていけない。今朝は6時起床で、「わが祖国」の楽譜の拡大コピーのことばかり考えていたのだ。B4用紙にコピーした楽譜が小さすぎて読めないという苦情が団員からもあり試しに中心部分だけ120%の拡大コピーをしてB4に収まるようにするのはどうするかと、策を練っていたのだ。コンビニのコピー機を利用するが、各ページ、位置決めが違ってくる。全40ページにもなるのでよほど能率を上げなければならならい。そのためには予め各ページに付箋を貼るなどの準備をしておけばよいだろうが、それでは見にくくなる。3Mのポストイット5cmx5cmくらいを利用し、コピー機にかざす度に位置決めを行うこととした。そういう策を考え午後の作業に向かおうとしていた矢先に電話である。直後にメールでお詫びの文章をしたため、生協の車がきたので受け取りにいき、主婦たちと野菜の仕分けをしたりと。しかし頭には、イタリアレストランで並ぶであろう料理の数々が浮かび残念な気持ちのままである。あぁ。食べ損じた!この1日いや、数か月、悔しい思いが糸を引くことだろう。タブレットのスケジュール表に書き忘れていたことと、机の前のカレンダーにはちゃんと書いてあるものの、朝一番にそれをチェックするという行為を怠ったばかりに最大のポカをやってしまった。反省!徒然の記その3 ぎぼむす 2018.9.4(火)■綾瀬はるか主演のドラマ「義母と娘のブルース(ぎぼむす)」が好調であるという。最初から見ている者にとっては嬉しい限りである。ロボット的キャラで描かれたキャリウーマンの亜希子(綾瀬)が寡夫で一人娘みゆき(横溝菜帆)を連れる宮本良一(竹野内豊)と結婚するところから物語は始まった。その後は会社を辞め、専業主婦として2人を支えていく。良一が亡くなって5,6年経った。高校生になった娘みゆき(上白石萌歌(もか:映画「羊と鋼の森」ではピアノを弾く高校生姉妹の妹役))には働いている姿を見せようとパン屋で働きだす。娘はちゃんと母親の偉大さに気付いているが、その半面、「そんな風にはできない。」と引け目も感じるようになって9/4(火)の放送に引き継がれた。パン屋をリニューアルopenする段階では、娘も協力していく。佳境に入ってきた。徒然の記その4 Viola Lesson 2018.9.6(木)■久しぶりのレッスンである。2日後に控えた合宿の練習をしようと、念願のAllensandro RollaのDrei Duosはお休み。■わが祖国の譜読み Smetana(スメタナ) Má Vlast「わが祖国」の「1.ヴィシェラド(高い城)」、「2.モルダウ(ヴァルダヴァ)」、「3.シャールカ」、「4.ボヘミアの森と草原から」、「5.ターボル」、「6.ブラニーク1」6曲。難しいパッセージを含むかなり長い楽節を続けて演奏する練習。速度が変わっていく部分など、指揮棒を一瞬で読み解く必要から速度チェンジを徹底的に学ぶ。手の振り一つ分で、次の拍を感じていくのだ。Allegro vivo ma non agitato(生き生きと早く、しかしあまり興奮せずに)→meno mosso(-speed:今までより遅く)→Piu Allegro(+speed 今までより速く)→Piu mosso(+speed 今までより速く)2.モルダウ(ヴァルダヴァ)の楽章では、発想記号がlusingando,ondeggiante(甘美に、美しく、波立てて)とあり、まさに源流の泡立ちの表情で弾けとあった。先生 小生の左手をずっと注視して、「指がバタバタと不細工に動いている。高さ制限2cm以内。」を言明されてしまった。小指(4の指)を押さえるときに中指(2の指)が大きく9cmも上がっており見るに耐えないと。たぶん癖であるが、中指にも力が入り突出しているのかもしれない。手のくるぶしを回転させるようにして、2cm以内をkeepしてみよう。見た目が綺麗で、音のさざ波を打つように、指も連動して小幅な動きとなり美しい。そうこうするうちに2時間があっという間に来てしまい、後半は合宿での練習にゆだねる。もっともその間の金曜日に再度全体をおさらいしてみようっと。徒然の記その5 夏合宿 2018.9.8(土)-9(日)■オケ恒例の夏合宿がやってきた。今年も山中湖畔は変わらない。翌朝は一周13kmの湖畔を早朝マラソンする個人計画もかわらない。帰りは徒歩で富士山駅まで、コスモス畑を見ながらブラブラ帰るのも計画に入っている。だが、荷物が重い。今回からリュックを背負い、Violaも背負いと二重に背負って歩いて行こう。富士急行の「富士山駅」から山中湖湖畔の清渓荘までは12kmもある。去年は途中バまでスで行き、忍野八海から5kmほどを歩いていったが、今年はどうだろう。■初日は11:00からViolaのパート練習・・14:00から全体の練習が始まる。時間前の3時間をパート練習に費やすことに決定した。米国人のS氏に、新規に作成したViolaの譜面を渡そうと思う。120%拡大版なので格段に見易い。氏のはテープで貼り付けただけで絵巻物のように全部の楽譜が連なっているのだ。楽譜としての体をなしていない。譜面造りのベテランとしては見るに堪えない。そこで小生のを作り直す時に、一緒に作ってあげると約束したものである。すでに完成しているのでそれを手渡す瞬間が刻一刻せまってくる。copy用紙代500円は貰うがどんな目をしてこの楽譜を受け取り、それをどんなふうに使うであろうか。楽しみである。このオケ 合宿参加者は70名を超えた。すごい参加率である。徒然の記その6 ヘッドランプ 2018.8.23(木)■小さな孫が泊りがけで来た時のことだ。フラミンゴを描いた台所の水切りの紙袋(生協のやつで両家とも同じく生協を利用している)を大事そうに持ってきていた。中にはおもちゃの車4台とヘッドランプ1個 !?。北アルプスでヘッドランプの電池を入れ忘れたばかりに、あれほど苦労した”夜”を過ごしたことがない。すべて手探りであったのだ。靴を履いたあとスパッツを付けようとしたがファスナーの位置がわからない。テントを撤収するにあたり、テント内にばらしたリュックの全荷物を元に戻さなければならない。寝袋を仕舞うサックも探さねばならない。すべては指の感触だけで支度をしていく。盲目の人の苦労を追体験したような感じであった。一番難しかったのはボクサーパンツを履くときであった。前後、裏表など皆目わからないのである。最終的にはテントの外の仄かな明かりを頼りに方向性を定め足を突っ込んだ。その因縁のヘッドランプをである。孫のおもちゃとして父親が譲ったのであろう。そのヘッドランプを大事そうに取り出した時には笑ってしまった。なぜこんなものを、おもちゃとして孫が持っているのか!?ということである。光物が好きなのであろうか。徒然の記その7 健康法 2018.9.7(金)最近はそう自慢するほどのものでもないと思えてきたturbo717の健康法。人に押し付けるものでもない。詳しくは書かないが列挙すると下記のようなものである。■ハチミツときな粉入り牛乳ドリンク・・・腰痛にいいのかもしれない。もう30年来腰痛やぎっくり腰になっていない。・・コップに、きな粉を小匙半杯。ハチミツを少し垂らして、熱湯でよくかき混ぜる。これに牛乳をいれて飲むだけ。これを毎日続けるのである。小生はお八つ時に。■ジョギング&ウォーキング・・息ができないほどの過酷なマラソンほど健康を害するものはない。老齢者向きゆっくりジョギングが勧め・・ごくゆっくり1時間くらい、毎日コ-スを変えて(ボケ防止)汗を流すというのはどうだろうか。小生の場合は忙しいので週一回まとめて長距離を走るていどであるが。■笑い・・2014年6月のblogにあるような「笑い」健康法・・仏頂面はよくない。ニーッと笑ってみよう。さらに大声で笑ってみよう。破顔となり、それが可笑しくまた笑ってしまう。アドレナリンが噴出するという。「カラ笑い」も意味はなくはない。サラリーマンにお勧め。■自己暗示方法・・朝鏡を見て唱えるだけ。女性であれば「私は若い。私は若い。・・・」と言葉に出して、或いは心に連呼する。。朝でなくても就寝時でもOKという。「元気になる」、「若い」、「出来る」、「力が湧いてくる」、・・・。要は自分を奮い起こすような文言にすればなんでも良いという。暗示力の一種であろう。いろんな健康法があるものである。■脱パンツ法・・これは30年間の実績がある。パジャマの下はスッポンポンで大丈夫。要はゴム紐がある衣類を付けないことでだ。お腹の血行がよくなり風邪をひかないという。■好きなことに没頭・・草むしりでもよい。何か没頭できることがあればこれもアドレナリンが出るという。雑事を忘れるというリフレッシュの効果があろう。Viola、マラソン、スケッチの3個もやっているとこちらのほうが忙しいが。■キャベツバリバリ・・キャベツの葉っぱは凡そ144度ずつ右巻きか左巻きでついている。5枚でおよそ2回転(720度 葉っぱの茎は絶対に重ならない角度(黄金比から割り出せる無理数)となっている。)という計算。大玉で30枚は付いているので、家族で1人ずつ、1枚-2枚食べると、料理に使う分も含めて1週間に一玉を食べつくす。朝食の初めに食べる。これももう20年は続けている。■筋力トレーニング・・鼠経ヘルニアになってからは止めているが、その傾向の無い人にはお勧め。スクワットなど1日15secでよいらしい。■パートナー・・一人寡にうじが湧く・・会話ができる相手を持つことが必要・・小生なんか古狸にちゃかされ、なじられ 踏みつぶされながら、ペチャンコの状態で生きているがけっこう楽しいものである。
Sep 8, 2018
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北アルプス食事事情、孫来る_ story (4359)2018.9.1What so grad our laughing and smiling grandson stayed home for 3 days .But my wife sent him to his house. She tired almost exhausted .笑い上戸の孫が家に泊まりに来た。それを再度自宅まで送り向こうで1泊してきたカミさん曰く・・「もうへとへと!」 「あばぁちゃん。寝ないで!」と叫ぶらしい。■北アルプス寸描薬師岳登山で描き貯めた絵を2,3枚づつupしていきます。Mt.Tsurugi(剱岳2997、前剱2813、剱御前2618、室堂手前の立山道路から望む 2018.8.22(水))岩山の手前が剱御前小舎へ向かう雷鳥坂。平坦な山が室堂平、白い煙が地獄谷。Mt.Oyama Tateyama(立山連邦 雄山3003 富山大学立山研究所前から望む 2018.8.22(水))頂上に雄山神社がある。正面は一ノ越からの登り。約1時間。その左が大汝山(おおなんじやま)3015、後方紫が剱岳2997Mt.Ryuou(龍王岳2872 鬼岳2750へ登り返す鞍部から230mの絶壁を見上げる。2018.8.22(水))巨大な岩石の山で恐ろしい。登山道は左側(西)中腹を巻く。手前はワンゲル部の学生たち。目次徒然の記その1 北アルプス・・食事内容徒然の記その2 孫来る徒然の記その3 ちびまる子ちゃん 徒然の記その4 歩き塾・・狭山湖徒然の記その5 セルバンテス文化センター・ワイン講座徒然の記その6 アリゴの会徒然の記その7 珊瑚の会徒然の記その1 北アルプス・・食事内容 2018.8.27(月)■テン泊や山小屋素泊まりの場合の最大の楽しみは炊飯にあると言っても過言ではない。では今回の弥陀ヶ原ー室堂ー薬師岳ー折立のテン泊の3日間で何を食べていたか・・初日は家からチンをして持っていった太巻き寿司2本-700g、行動食としてナッツ類を固めて飴状にしたものやα米や赤飯に加え、Mont Bellのリゾッタ類(1袋 85g)と。これらを喉に流し込むための味噌汁や卵スープ類などであった。α米の利点は火が無くても食べれる点。熱湯で15-20分で食べられるが、水でも1時間待てばokである。リュックに積みながら歩くだけで、待ち時間は気にならない。テント生活で一緒だったスーパーの店長は、1分間で料理できるスパゲッティーなども持参し、多彩。宿の自炊室では大事そうにフライパンを取り出し、食材をゆっくり混ぜ、アルミホイールをかぶせ、そのあとおもむろに食べだした女性の姿があった。Mont Bellのリゾッタ類はお湯を沢山入れれば雑炊になるもので、五目、コーン、カレー、ガーリック、梅しそ、ガパオなどで。3分で食べられる。これらの食材の利点は、ジッパーになっているので完食の必要はなく、残しておいて、後で食べるということができる点。朝作っておけば昼間の行動食になるという利点があり、時間の節約になる。その店長がいろいろ教えてくれたのは、ドライソーセージ、冷凍ものの色々である。スーパーでじっくり見てみよう。netでも「山ごはん」で検索すると色々のレシピが出てきて楽しい。フリーズドライ、レトルト、缶詰、カップラーメンなど。これを分類している人が居て参考にさせてもらった。次回から”美味しい山ごはん”も目指したい。コンロなど積んで重くなっているのだから其の分、美味しい料理を楽しみたいものである。・シチュー・・アマノフーズのフリーズドライ製品・・・クリームシチュー、ビーフシチュー・お粥・パスタ・・ソル・レオーネ シリーズ(エスプレッソパスタ・ペンネ・フンギ・ポルチーニ、エスプレッソパスタスパゲティ・チーズ&ブロッコリー)・レトルト類・・カレーなど。白米(原料はα米)にかけて食べる。1例・・ハウス スープカリーの匠 北海道産チキンの濃厚スープカレー」、永谷園 麻婆春雨 辛口 ・缶つまシリーズ・・【 国分 k&k 缶づめ 】 缶つま プレミアム 8種類セット・フライパンでクッキング・・ハウスのスパイスクッキングシリーズ、保冷剤込みで肉など。・行動食・・バー(クリフエネルギーチョコアーモンドファッジ68g、フルーツナッツバー180kcalや210kcalなど)、板チョコ、カロリーメイト、スポーツようかん、ZEN NUTRITION(ゼンニュートリション)、 山よりだんご80g・バーナーやクッカーが無くても熱湯が得られるもの・・魔法瓶 ステンレスボトル900ml・・85度以上を6時間keep。徒然の記その2 孫来る 2018.8.28(火)■両親が多忙ということで、3歳5ヶ月の孫を3日間預かることとなった。バスや電車タクシーを乗り継いでカミさんが連れてきた。到着時間に合わせて冷そうめんを準備しておいた。卵が嫌いと言うものの、爺が作った少し塩加減をした卵焼きは食べるようである。少年が食べる姿を仮想の2人が実況中継をするように促す。カミさん「今、キューリに手を出しました。手で掴んで食べようとしています。あっ、なんと皿を齧っているようです。素麺のタレには沢山の麺が沈んだままです。食べないのでしょうか?」などアナウンサーのように怒涛の如く喋る。小生に交代した。「トマトを・・箸で・・・つまんで食べようとしています。・・」あまり流暢に言葉が出ないのである。あかん。ピンポン玉のような言葉の応酬ができないこと気付いた。女性はすごい。続いて掃除ロボットのあとを追いかける。充電ステーションに居る状態でスイッチを押すと、後ずさりして掃除を始める。始めたとたん爺に飛びつき怖がる。しかし追いかけていき、スイッチをオフにすることは覚えている。続いてプラレールを全部繋げて遊び、かくれんぼをしと、休むことがない。小生が居ない時にドライブの必要があるかもしれないと、家に置いてあったチャイルドシートの設置にかかる。大きくなった分ベルトの位置を変えなけれなならない。四苦八苦しているがやっと完成。家の中で、それを揺らせ大丈夫かと孫を載せて実験・・「お客さん乗ってください!」と促してベルトの調整などしたあとドライブにみ見立てて動かすのである。実際に落ちないかというとこまで傾けたりしながら。客はそれをキャッキャと楽しむ。実際にドライブもしてみようと。公園までいくまでには雷が鳴りだした。公園を一周している間に寝てしまった。可愛いものである。どうもこの孫の母親(ちびまるこちゃんの生き写し)、小学校のころたまたま早く起きてきて「お母さん、太陽が東からあがってきた!」と叫んだものだ。家族全員卒倒。上がる瞬間を見ずにのうのうと少女時代をすごしてきたこの娘 の子供である。親に似て愉快な少年となって成長していくのであろう。夜はまた直ぐには寝ないものである・・・孫が語りだした「昔々おじいさんとお婆さんがいました。お爺さんは川に洗濯に、お婆さんは山に芝刈りに・・」。変わり種の昔話を早く口で喋りだした。しばらくして「お婆ちゃんーーん! お爺ちゃん、寝っちゃったよ!」落語にあるような展開では、「桃太郎というのはねぇお爺ちゃん、室町時代のおとぎ話で、岡山県吉備地方の笹ヶ瀬川、岐阜県木曽川ほとりの桃太郎神社、熊野の宮川と鬼ヶ島、香川の讃岐など発祥の説が多い物語なんだよ。川に紅白の桃が流れてきて、赤い方を食べ元気になったお爺さんとお婆さんの間に生まれたのが桃太郎という説もあったりするんだ。日の丸の鉢巻と陣羽織は、明治以降に追加され勇ましい日本帝国の象徴になったんだって。お爺さん知っていた?」 「お爺さん寝ちゃったヨ。」が正しい展開であるが。徒然の記その3 ちびまる子ちゃん 2018.8.27(月)■作家のさくらももこさんが、8月15日に亡くなっていたということが公式blog「さくらプロダクション」で27日に発表され、世界中から哀悼のメッセージが寄せられている。小生も30年前来のちびまる子ちゃんファンである。当時はレビュー以来3年目で、その2で書いた「孫来る」の母親がちょうど小学校3年生だったものだから記憶が鮮明である。父兄参観に行ったときなど、下校時クラス内で大声でテーマソングを大合唱していた。当時の丸い顔はカミさんゆずりで、スカタンカンパニーを髣髴とさせる面白い性格はちびまる子ちゃんそっくりであった。そのご段々、顔が細くなり小生に似てきている。丸顔の娘と、ちびまる子ちゃんがかなり長い期間だぶっていたのである。哀悼!徒然の記その4 歩き塾・・狭山湖 2018.8.29(水)■コース・・西武球場前→狭山湖(山口貯水池)外周→六道山公園→多摩湖(村山貯水池)サイクリングロード→西武球場前 17.1kmの予定とした。この地域はトトロの森保存地域。トトロのふるさと基金 クロスケの家へは外周が始まる場所から、東西に底辺を置く1.3kmの正三角形を描くとその頂点にあたる。寄るとなると西の合流点までは一辺分の1.3kmのオーバーとなるがその分最後の方の区間をすこし省略することで距離をそう増やさずに行くという条件で賛同を得て、出発。結局合計距離が18.1kmとなった。殆どは、緑陰の道で、曇っていたこともあってさほど暑く感じずに歩くことができたので良かったのではないか。立ち寄ったクロスケの家と、宮崎駿との関係は、映画に強く影響を受けた狭山丘陵に住む人たちが未来の子供たちに自然を残すナショナル・トラスト運動を1990年から始め1号地を購入したことに起因する。「トトロの森を守り、後世に伝えたい」という運動である。今では40号地くらいの土地をクロスケ基金で購入しているという。その活動拠点が築200年の民家で、週に火・水・土の3日間公開されている「クロスケの家」ということになっている。和田園製茶所の前の道路を挟んだところが所在地。なかなかわかりにくい場所にあるがnetで有名になり世界中から観光客が訪れるという。さて、一行は最短ルートをたどって狭山湖一周の道に戻った。途中にブドウ園があったので4房ほど買い求め、みんなで喉を潤す。その美味しかったことといったら。もぎ立ての完熟ブドウである。六道山公園展望台で昼食。2Lの水はコーヒーを淹れるために国分寺駅から担いできたがやっと役にたった。瑞穂町や武蔵村山市に位置する狭山湖南部の森は、都立野山北・六道山公園という広大な公園で設備が整っている。最後は多摩湖のサイクリングロードを経て、もとの西武球場前へ帰ってきた。午後3時15分。皆よく歩いたものだ。中華レストランを当てにして頭にビールを想像して延々歩いてきた勢いでコンビニへ流れ込んなものだ。ユリ園(5-7月限定open)へいく長いスロープの下側にベンチがあったので安あがりな宴会となった。散歩中のダジャレがすごい。ある者は、ひっくり返った蝉を見て「セミ・ファイナル!」と叫び、あるものは「これは何でしょう?」の問に「蝉death」と舌を噛んで答え、「セミ・コロン」とも言いあったり。抱腹絶倒の人達である。職業を当てるクイズでは、「その人の前にジュースを飲むためのストローが置いてある。さて誰でしょう?」 これは音楽関係者しか分からない。「マエ・ストロ」!このグループ 歩くこともお喋りも好きな人たちが集まる・・認知症に最も遠い人たちだ。徒然の記その5 セルバンテス文化センター・ワイン講座 2018.8.29(水)■スペイン・ワイン講座 CUL50第4回のテーマは「ガリシア特にCamino Sanabrés (Lubianルビアン、Ourenseオーレンセ、SC(サンティアゴ・デ・コンポステラ))の南部ルート」 講師はバネッサ・ロドリゲス・ベジョ 本日のワインは、Martin Códax(マルティン・コダックス)白 小売価格2700円くらいの豊潤なフルーツの香り、 Godeval(ゴダベル)白むしろ黄金色 小売価格3700円くらいの豊潤なブドウ房の香り、 Cuatro Pasos Mencia(クワルト・パッソ・メンシア)赤 濃いブラックベリーの香り 猫の肉球のデザインが特徴、ラムシチューやシーフードに合う。皆は笑い、頷く。こちらはスペイン語がまったく解らん! しかしほほ笑む。前回同様かってな翻案と無限の想像で大体の話しを理解していく。出されるワインと料理の数々。美酒に酔った2時間であった。本日は10人の参加で、個人ごとに料理の皿が配られ、ワイン3種はボトル2本づつを皆で飲み干す。今回のシリーズの最終回であった。Ourenseオーレンセには川を穿って作った大きな温泉場があり又渓谷などとても魅力的な場所のようであった。次回行くとしたらCamino Vía de la Plata(銀の道)+Camino Sanabrés (サナブレスの道 Granja de Moreruela-SC)とし、温泉に入るという案はいかがだろう。3種のワインと料理の品3種のワインと料理の品徒然の記その6 アリゴの会 2018.8.25(土)■日本語の「ありがとう aligato」はフランスの料理アリゴ(aligot)と発音が似ている。アヴェロン県の名物料理で、ニンニクの香りを付けたじゃがいもの熱いピュレに、トムという種類のフレッシュ・チーズを加え、糸を引くまで念入りに煉り合せたもの。Aubrac(オーヴラック)牛のステーキなどに添えて食べる。6/16(土)の日記にアリゴについて上記のように書いた。この直後にcamino仲間が、神田神保町の居酒屋「ビストロ アリゴ」で「アリゴの会」2回目を発案してくれた。今回は12名ほどが集まった。裏通りの店は狭く立ち飲みの構えであるが、2階がタタミ敷きの大広間となっており、そこに30人くらいの客がひしめいた。団扇で涼を得ながらの談笑。殆どはこれからのcaminoの情報交換。多種のソーセージ料理などが次から次へと運ばれ、お目当ての「アリゴ」はそれだけ皿にスプーンが添えられて運ばれてきた。自分でかき回せと。フランスで味わった糸を引く感じにはならず、さらにステーキを振舞うシェフによる豪勢なパフォーマンスも伴わない”控えめなアリゴ”であった。徒然の記その7 珊瑚の会 2018.8.31(金)■大学OBオケ・・年4回の集まりで、2,5,8,11の各月の終わりごろが例会となり、東京芸術劇場の練習室に集まる。3回のクルーで曲が変わる。今回は2度目の練習。ピアノは蓋を大きく開け大音響で全員に届ける。耳が遠くなった人も多いのだろう。Wolfgang.Amadeus.Mozart:Piano Concerto in D Minor(ピアノ協奏曲20番)・・13:55-15:10Franz Schubert:Unfinished Symphony (未完成)・・15:10-16:00 Johann Straus:Overture zur Operette Die Fledrmaus(こうもり序曲)・・16:10-16:50指揮者は2人で共に卒業生。だいたい1,2回通しながら様子を見ていく。今回はダブルベースが入ったので、「未完成」の地の底から湧き上がるような低音の重厚なひびきに鳥肌がたった。天上の楽園と地底とを何回も往復するこの音楽の構成にはほとほと感心する。2楽章までないため「未完成」と言われているが、スコアには3楽章のピアノ譜があり、4楽章は「ロザムンデ」がそれに当たると言われる。名曲中の名曲である。次回がこれらの曲を練習する最終回となる。次回11月の例会までに次の練習曲を決定しなければならない。運営委員会で決定し、楽譜をコピーするという膨大な作業が入る。年1,2回の運営員会への参加を要請されてしまった。世代交代というところか。年齢はあまり変わらないのに!終了後は「アミカル」という名前の打ち上げ。22名くらいがサイゼリアに雪崩れ込んだ。皆楽器を持っているので場所を確保してもらう。これも17:00-19:00頃と以前よりも4時間くらい早くなっているので帰宅難民にならなくて済むのが有難い。
Sep 1, 2018
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北アルプスへ行ってきました_ story (4358)2018.8.25I had a nallow escape at Mt.Yakushidake in Northern Alps.the 20th typhoon blown in the wind and get stuck in hell.The large sightseeing bus started only two passenger of the returnees from mountain except for the 61-year-old woman. What has become of her? It seems to be stuck somewhere due to the typhoon.9年ぶりに北アルプスの薬師岳に登ってきた。それも全泊テント生活で。この時に登らないでどうする!と言うほどの快晴。しかし最後に風に吹かれ地獄に突き落とされる。九死に一生を得て生還。帰りの3人しか予約をいれていなかった大型の観光のバスは61歳の女性を除き、2人で出発。彼女はどうなったのであろうか。台風の影響でどこかに足止めされている模様。Mt.Takatori from Mt.Bukka(仏果山から高取山 2018.8.15)手前が高取山(706m)。9月に歩き塾を計画して山である。左が宮ケ瀬。この山の向こうに快適な山道が下る。目次徒然の記その1 早朝の明治神宮徒然の記その2 地震科学探査機構徒然の記その3 北アルプス 徒然の記その4 第1日目徒然の記その5 第2日目徒然の記その6 第3日目徒然の記その7 第4日目徒然の記その1 早朝の明治神宮 2018.8.18(土)■新宿に登山関係の買い物をする予定があった日。快晴の予測。知人が毎日散歩するという明治神宮を早朝runningしてから買い物をしたいと。店の開店時間までの余った時間は、Cafeで読書でもと家から最寄り駅までrunningし、京王線始発に飛び乗った。新宿着は6時。神宮まで走り、宝物殿(本宮の北側200mほど)前で6:30から行っているというラジオ体操に参加した。起伏のある広々とした芝生にはすでに20人くらいが集まっていた。点々に見えるほど広がってそれぞれが思い思いに手をふり身体を動かす。音楽と手の振りは皆が感じるままに動いているので、誰を見習ってよいのかわからない。こちとらも人のことは言えず、バランス感覚が悪いので体躯が揺れて様にならない。第二体操とその後に続く手足運動でお開きとなった。6:40である。と芝生の向こうから手を振る女性が。知人のKさんと会うことができた。隣接する代々木公園を合わせると周囲は4.5kmほどで、NYのセントラルパークと雰囲気が似ているように感じる。散策コースも無尽にあり恵まれている。広大な森は、野鳥観察のメッカとなっている。池塘も多く、カワセミ、オオタカ、アオサギ、コゲラ、ヤマガラ、ムクドリ、シジュウカラ、コサギ、シロハラ、モズなどが留鳥あるいは渡りとして飛んでくるという。目のくりくりとした嘴太ガラスがお弁当を食べていると飛んできた。まっすぐ向こうを見ているのに目だけはちゃんとスイカを追っている。食べ差しをあげてみると、器用に赤い部分だけを啄(ついば)んで食べて喉をうるおしている。その後は表参道にある木陰のcafeで本を読みながら店の開店時間の10:00まで1時間半ほどを過ごした。実り多い半日であった。徒然の記その2 地震科学探査機構 2018.8.20(月)■地震科学探査機構(JESEA ジェシア)発表の地震予測。国土地理院の発表するデータに基づき週間予測を発表している。8/15の予測は下記のようなものであった。・概況・・今回4cm超の週間高さ変動があった点は43点。特徴的なのは富士山周辺、伊豆半島、伊豆諸島、相模湾沿い、 駿河湾沿いの東海エリアに23点も集中して分布していること。 ・隆起・沈降は速報解データでは全国的に沈降。 ・水平変動は東北地方、九州、南西諸島が活発。 新潟県から群馬県、栃木県、埼玉県、茨城県、千葉県に連なる帯状に水平変動あり。・要警戒地域(震度5以上の地震が発生する可能性が非常に高い) 北海道釧路・根室・えりも周辺、東北・北関東の太平洋岸、奥羽山脈周辺、南関東周辺、北信越地方・岐阜県、南海・東南海地方、九州南部・要注意地域(震度5以上の地震が発生する可能性が高い) 北海道道南・青森県、九州北部・要注視地域(震度5以上の地震が発生する可能性がある) 北海道北部、鳥取県・島根県周辺、南西諸島機器の突出した変動がある場合は、装置のノイズ(大気、樹木などの動き)があるため、大きな変動で捉えなくてはならないところが難しい。本当の突出した変動きが、巨大地震の前触れかもしれないからだ。 まぁこれを見ると土地の隆起や沈降、東西南北の変動など、日本全国どこに居ても変異があるわけで、いつ地震が発生してもなんらおかしくはないのである。私見では、機械だけではなく、ナマズや井戸やワンコの動きなどアナログデーターも加味して総合的に判断する必要がありそうである。むしろ起こらない方が不思議と考え、地震に対する備えはいつも必要ということになる。我が家は、”南関東周辺”となっていて要警戒となっている。前置きが長くなった。本題は下記である。■小生が寝起きしている木造建築の2階は、カミさんに言わせると「よくそんな危険なところで寝ているものだ!」ということになる。畳の居間は築40年来変わることなく、洋服ダンスだの和箪笥だのが左右に縦列に並び、夜に倒れてくれば小生を両方から直撃することになっているのだ。カミさんが絶対に2階に上がってこない理由はその1点である。カミさんはというと、100年は持つと言われた鉄骨造りの松の間という中二階の離れに、ぬくぬくとお休みになっているのだ。これはお袋の住まいとして増築したもので、お袋亡き後は、息子が使い、その後空き部屋となっていたのをカミさんが占拠したものである。上記のようにいつ来てもおかしくない巨大地震に備えるべく、重厚な洋ダンスをなんとかしなくてはならない。ワイヤや伸縮棒や蝶番などやわなものでは、巨大地震に耐えられないという。ダンボールの箱で、天井との空隙を埋めるのが一番の効果という。ピッタリと天井までの空隙を埋めてしまえば倒れようとも倒れないのである。問題は、そんなピッタリの段ボール箱を手に入れることができるかということである。汎用のものでサイズが合えば、200円で買えるが。徒然の記その3 北アルプス・テント泊 縦走 2018.8.20(月)W台風19号、20号が迫りくる中、その間隙を縫って北アルプスに行ってきた。下記はその顛末である。■準備毎日アルペン号 北アルプスでまだ踏破していない山稜がいくつかある。岐阜・長野・富山 3県にまたがる奥深い場所の主に北側。〇2008.8.7に、8泊9日で、槍ヶ岳-薬師岳を登っている。この時の山岳は、西・奥・北穂高→槍ヶ岳→双六岳→鷲羽岳→水晶岳→雲ノ平→高天ヶ原温泉→薬師沢渓谷→薬師岳→黒部五郎岳→笠ヶ岳で、奥穂高温泉郷をStart,Goalにした。〇翌年の2009.8.15に、4泊5日で、剱岳に登っている。この時の山岳は、称名滝→大日岳→立山連山(雄山(3003m)-大汝山(3015m)-真砂岳(2861m))-剱岳→室堂→追分→八郎坂→称名滝で立山駅をStart-Goalにした。両方ともアクセスは車である。剱岳のこの時は立山連山から、薬師岳をピストンで往復する予定であったが、天候不順と、手のケガで、省略している。今回から考えると無謀な計画であったようだ。詳細は各リンク先にある(飛んだページから「←新しい記事」のボタンで日程を辿ることができる。)そこで、今回 未踏破の室堂-薬師岳を登る計画を立てた。しかし、立ちはだかったのは交通手段である。車がないためアクセスは困難を極める。新幹線、富山地方鉄道、路線バス、ケーブルなどを乗り継いで室堂に辿り着き、下山予定の「折立」からの帰りの路線バスなどを個別に探そうとしたが、接続と日程などのやりくりに苦労。次に時々登攀記録を投稿している「ヤマレコ」を参照した。「五色ヶ原」など地名で検索するとそこを通る山行の記録全部が参照でき、どういう交通手段で現地に行ったかを知ることができる。そのなかに「毎日アルペン号」という便利な交通手段があった。これは主要なアルペンルートのStartやGoal地点を東京と直接結ぶバス路線である。個別に予約していくのと比べると料金は安くお得である。これを使うと竹橋、都庁経由で、山頂近くの室堂や有峰湖近辺の「折立」に行けるということがわかり光明が射した。今回の往路は「都庁前」→「室堂」、復路は、「折立」→「新宿駅前」直行として、車中泊を入れて4泊5日(94H)のアルプス行きを計画した。■日程計画・・ともかくテントと食料を担ぐ初めてのアルプスである。荷物を計量すると水3Lを入れて18kg。第1日目 車中泊 23:00 新宿・都庁前-6:40 弥陀が原→室堂経由で→五色ヶ原山キャンプ場【11.1km 7H10M行程】第2日目 五色ヶ原キャンプ場から越中沢岳経由 スゴ乗越(のっこし)小屋(2199)テン場2199【6.2km 5H50M行程】第3日目 スゴ乗越小屋テン場から→北薬師岳2900→薬師岳2926→薬師峠キャンプ場2299(水 テント泊)【7.6km 5H40M行程】第4日目 薬師峠キャンプ場2299→太郎山小屋2325→折立1350 11:45-新宿駅前20:00-21:30 【7.2km 3H30M行程】折立から亀谷温泉までは人数により中小型バスかタクシーとなる(実際は折立から新宿までの直行バスであった。)。亀谷泉温泉で75分間停車。その間温泉に入れる。なかなかの"毎日企画サービス"のアルペン号である。沿面距離・・32.7km 標準時間 計22H10M正味3日あるためかなりゆっくりのペース。天気がよければスケッチや炊飯をしながらのんびりと楽しもう。下記はその記録である。今回は初めて電子機器を所持する(・・バッテリを直前で忘れたためにタブレットは電源を切りっぱなしにしたため結果的には利用せず。頭へのinputのみとなった。)。1.ガイドマップのルート図を参照し、カシミール3Dでkmlファイルを作成。(33kmくらいのルートであれば約1時間のトレース。詳細な山地図の上で、点線のトレッキングルートをディジタイザーでトレースしていく。)2.DropBoxに保存。【kml準備版】3.Google Earthからkmlファイルを開ける。航空地図として俯瞰図が表示される。拡大し、実際のルートをチェックしていく。ガイドマップやカシミール3Dの地図も参照しながら、Google Earth上にランドマークを記していく。4.Google Earthのお気に入りの一覧にルートや地名などを纏めたフォルダーを作成。5.そのフォルダーごと、名前を付けてDropBoxに保存。【kml完成版】6.スマホやタブレットに、【kml完成版】をインストール。Maps.MeやGeographics,Google Earthなどの各アプリにインストール(kmlフィルを取り込む)。山道の下見・・map上で子細に行っておく。カシミール3Dの地図は、地理院地図が使われているので、拡大していくと山岳の標高図が立体図形のように表示できる。コースを詳細にとらえて覚えていく。高低差・・プロフィール図面で各行程のup-downなど事前で掴むことができる。7.行程の再確認・・テント場所は、予定通りであれば、山小屋が管理しているテン場を利用。途中ビバークをしなければならない事態が訪れるかもしれない。平坦部分をプロフィールから探しておく。北から南へ縦走徒然の記その4 第1日目 2018.8.20(月)-21(火) 数字4桁は標高■第1日目 車中泊 23:00 新宿・都庁前-6:40 弥陀が原1930→8:40室堂2432(水)→10:45浄土山2831→11:00富山大学立山研究所→龍王岳2872→鬼岳2750→獅子岳2741→ザラ峠2348→五色ヶ原山荘2490→15:30キャンプ場(水 テント泊【11.1km 標準7H10Mの行程・・実際 8H45M】浄土山2831の登りは壮絶を極める。いきなり室堂2432mからstarしては男が廃れると考え2000m以下の森林地帯から歩き始めたのであるがこれは失敗。5km高度差500mの道は難渋を極めた。室堂までの旧道とのうたい文句であるが「廃道」に近く苔むした岩や崩れた階段。木々が覆いかぶさる。室堂からの苦渋を考えるとここは省略すべきであった。道理でバスを降りた人は私一人であった。室堂は扇沢までケーブルや専用自動車道路を利用する人やミクリガ池を一周する観光客などでごった返していた。夏山のシーズンとしては立山連峰、劔岳、南下して薬師に向かう登山客もここを起点とするからである。浄土山の絶壁もすいすい登れたはずなのに一つの岩をよじ登る度にゼーゼーハーハーと。6才のヘルメットを被った可愛い女の子はBSチャネルの百名山の番組によく映っているらしい。山好きの爺さんと母親3人で果敢にも絶壁を登っていく。こちらは久々のアルプスゆえ足が震える。これも後で気付いたが「一ノ越」から「富山大学立山研究所」へと、浄土山を経ず行ったほうが楽であったようだ。試練の連続である。その場所は浄土平とも呼ばれている。中学生がヘルメット着用で登ってきていた。山の斜面に多数の人影がシルエットに浮かび面白かった。平らなところが昼食ポイントで浄土山から下るようようであった。彼らの半日のコースがそのポイントであったのだろう。こちとらはまだ先が長いというのに。龍王岳2872は登らずに巻くだけであるが、ここを果敢に登っている人が居た。鬼岳へ行く鞍部に多数の人影があった。一つは6時間くらいかけて五色ヶ原に辿り着いた一般グループ。一つはC大学のワンゲル部。このワンゲルとはこの旅で抜きつ抜かれつし、ほとんど行程を共にするグループ7人(男3、女4 上級生が下級生を面倒。夏山合宿。アルプスが初めての学生もいる。)で親しみが湧く。このグループの鉄則は50分歩行、10分休憩、3:30起床。5:00出発。ストックなどの無駄なものは持たない。10泊の予定であるので、各自80Lのザックを担ぐ。おそらく20kgは越えている。この集団がお昼ご飯をゆっくり食べている。そこを山の上の方から眺めながらゆるりゆるりと斜面を降りていく。浮石ばかりでズルッと滑りそうで危ない。鞍部に人影が見えるのに、なかなか近づかないという感じだ。先に進んでいった一般グループ。学生たちはまだのんびり構えている。こっちもゆっくりとした行程なのでのんびりスケッチをと。それが終わってもまだ学生たちはそこに居た。昼食には30分をかけるらしい。タイムキーパーがいて正確である。先の岩場で、なんか足の具合に異変が。仏果山で経験した足の吊である。あぁ来てしまった。こむら返りのように足の筋肉がよじってきて吊るのだ。痛くて歩けない。体勢をどう変えようが、吊りまくるのだ。しかし深呼吸してスーと息を吐くと動かなくなっていた足がなんともなしに動くようになる。ツムラの芍薬甘草湯68を服用し様子を見る。そのうちに学生たちが追いつき追い越していった。ズボンを脱いで、次なるはバンテリン・ゲルLTの出番である。大峯奥駈の初日でもお世話になった特効薬である。めちゃめちゃに塗りたくる。これも魔法のように足に効く。元気を復活した小生はそろりそろりとまた岩山に取り付く。獅子岳とその北側の獅子谷。目のくらむ屹立した落差は合計2000m。鞍部が歴史に名高いザラ峠である。大休止。立川カルデラや大崩壊地が見え、赤い岩肌が地獄図を見るようにそそり立つ。シラビソの林を登っていくと突然開ける広大な斜面の平原。五色ヶ原である。高山植物が咲き乱れる。木道を歩み五色ヶ原山荘2490に到着。ここに後で知ることになるLA(リトル・アドベンチャー)が主催するスクールの一行の7名が寛いでいた。15時20分。北アルプス全貌が見える広々とした原っぱは天空の楽園となっている。小屋でキャンプ場を尋ねるとあろうことかここから1kmほど離れた谷筋にあると。愕然と。普通テン場といったら宿屋の前にあるのが普通ではないかと。いままでの法則はここでは通用しない。しかも自由に使えるテン場はなく、すべて有料。ここのは700円であった。ただ水と鉄筋コンクリート造りのトイレというセットは完璧。ここで山で最初のテント泊。先人が2人いた。一人は山ガールでテント色はワインカラーで恰好よい。もう一人は翌日話すことになって最後の新宿まで行程を共にするKさん。スーパーの店長である。学生達は、大きなテントを2つ張って外で車座になって食事をつくり楽しそう。晴れ渡った五色ヶ原は、真正面に針ノ木岳2820.6、南側には槍まで見える大絶景。赤牛岳2864(2百名山)がそびえる。真下は黒部湖であるがここからは見えない。黒部湖畔のルートへ降りていく木道がこのキャンプ場から続いている。夜は満点の星。徒然の記その5 第2日目 2018.8.22(水)■第2日目 五色が原山荘2490(6:20)→(7:10)鳶山2616→越中沢乗越2356→(9:31)越中沢岳2591→(12:03)スゴノ頭2431→(12:40)スゴ乗越(のっこし)→(13:57)スゴ乗越小屋2199( 水 テント泊)【6.2km 標準5H50M行程 実際・・7H37M】朝は、針ノ木岳の北の一角から日の出。5:20である。4:30には女性が出発。12km先の薬師峠キャンプ場へ向かうと言う。小生が当初考えた日程の行程であるが長い。ヘッドランプを点けての早めの出発となったのであろう。学生たちは5:00ジャストに隊列を組んで出て行った。残った2張りのテント。同じ方向に向かう2人である。山荘までの果てしない木の階段を上っていく。木道一本を「1」、普通の階段も「1」と数えて400段もあった。普段はこの時期でも雪が残るというが今年は一面の御花畑。窪地にすこし雪渓が残る程度である。鳶(とんび)山に向かう斜面から、五色ヶ原山荘の赤い屋根が点となって見えている。斜面が素晴らしい。絶景を楽しみながら山頂に着く(7:12)。ここからの眺めも素晴らしく北アルプス全山が見える。ゆっくり寛ぐ。K氏は目覚まし時計をテン場に忘れたらしく、上の鳶山で長いこと待っても現れなかった。鷲岳2617がすぐ北側、南に鳶と。鳥が羽ばたくような山形をしている。越中沢岳からの下り、スゴノ頭からの下り、ともに足元が悪く急坂、岩だらけの道で細心の注意、遠くスゴ乗越小屋が見える。実はこれが曲者で、スゴ乗越という鞍部で休憩をしていると、LAのグループが到着し、ワンゲンルは急坂を慎重に隊列を組みながら降りてくるのがわかる。赤い点々などが見えるからだ。標準行程40分でスゴ乗越小屋である。13:20出発で14.00到着を目論みながらも1時間以上かかる道のりであった。小屋が見えて目と鼻の先と思ったのがいけなかった。道はさらにup-downを4回も繰り返し、最後は300歩の登りとなった。ヘトヘトである。草をつかみ、岩に足を掛け身を持ち上げる。これを数百回l繰り返して精魂尽き果てたころに突然、小屋裏にあるキャンプ場に到着。そこにリュックをドッサと置き、水を貰いに小屋まで100mほど進む。当てにしたビールは品切れという。ショック! 代わりに缶酎ハイを飲み、ハンモックでゆすられながら少し寛ぐ。そうこうするうちにLAの一行が到着(14:25)。彼らは僕を見て管理人の人だと思ったようである。先生の指導で全員輪になって整理体操をする。僕もハンモックから立ち上がり体操に付き合う。このように体操を習慣づけていると足も吊らないのだと。このグループは男女4人づつで8人。最初は全員カップルかと思い、夫婦でアルプスしかも4組!と思ったのだ。山道の途中で追い越しざま質問するとYesと応えるものだからてっきりそう思ったのだが、全員バラバラだという。リーダーが金沢の人で有名な方という。皆は先生と呼んでいた。もと校長であるが、アルペンスキーの達人である。冬に薬師のカールを頂上から滑り降りるという。いつもカメラマンを従えてと。白馬スキークラブ をnetで引くと出てくるという。アルプスの全ての頂を流暢に言う。あれが爺岳。奥にあるのが餓鬼(ガキ)岳。烏帽子は、槍ヶ岳と似ていて尖り帽子。この一行、外のテーブルではいろいろ料理を作って楽しそう。中の一人が1Lの赤ワインのパックを取り出した時には驚いた。他に3Lの水を担ぎ、缶詰のSPAMまで持ち込みフライパンで焼き始めた。この屈強の女性たちに比べ、足を痛めた男性など。どこでも女性は粘り強く、芯も強い。さてこのキャンプ場でも、K氏とワンゲル。ほとんど一緒の行動である。最初に小屋に到着したとき、その日よけの下で男女がハンモックや、打楽器の一種(木のボール2個を打ち鳴らす)を取り揃え寛いでいた。聞くと、秋田から来たアルバイトで3人で2ヶ月働いているという。スゴとは、数合わせを言い、熊狩りの時に使う言葉だという。数をスウ、合をゴウと読めば、スゴとなる。徒然の記その6 第3日目 2018.8.23(木)■第3日目 スゴ乗越小屋2199→間山(まやま)2585→北薬師岳2900→薬師岳2926→薬師岳山荘2701→薬師峠キャンプ場2299(水 テント泊)【5H40M行程・・実際は7H30M】夜は、満点の星。特に朝方の星が輝ていた。団体様は5時の朝食。ワンゲルも5時の出発。奥木挽山2482から日の出5:30。快晴。我々も6時10分には出発。ポッコリと丸い間山(まやま)2585に7:23到着。間山池がそばにある。ほどなく途中追い抜いたLAのグループが到着(7:28)し記念撮影。セルフで合計10名を写したりしながら談笑。一人先を急ぐ。遅れて出発をすると途中追い越すことになり迷惑を掛けそうだから、またはスケッチもせねばならないしとやることが多いのだ。平坦であれば走るように去る。しかし岩また岩で、スピードダウン。北薬師までの稜線はup-downの連続。吹き出しだ花崗岩が冷えて割れ目ができたような岩稜が立ちはだかる。topと思えばさにあらず。2832mなどのピーク(9:32)が無数にあるのだ。蓼科山に見られた岩稜の割れ目と同様の岩畑である。1m角の岩の刃先が何万も天を向いて並んだ地獄。そのツッ先に靴を置き、次なる刃先を探る。方向は無数なれど、赤い印や白色の丸印が付いた岩の近くに足をおく。よろめいてこの間に嵌(はま)ってしまえばお陀仏である。歩きづらいことこの上ない。涼風もここでは突風となって襲い掛かる。頂上では料理は出来ないとみて、岩陰で早めの昼食。何回も裏切られ、ついに北薬師岳2900に到着10:40。東側に700m落差 幅2kmの金作谷カールがすり鉢状になってジャリ面を谷底に落とす。冬場は雄大な白銀の世界となる。ワンゲルをここでも捉え、先に行かせてもらう。続いて目的の薬師岳。この稜線の間に数えて4のピークがある。裏切られないようにピークを数えていく。「-4」から初めて「0」になれば薬師岳頂上である。最後の登りはハイマツと岩稜が交互に屹立し、道がジグザグに上がっていく。歩幅は50cm。2m置きにターンを繰り返していく。歩幅は全て谷に向かって傾いているため一瞬の弛緩は許されない。今回の行程のほとんどはハイマツの枝を掴みながら、登っていく。ときたまそこにライチョウが居たりしてかわいい。カメラを向けても逃げないがクークーと言いながら、ハイマツの茂みに隠れていく。突然、祠が見えた。薬師の頂上に到着。11:34。北側に2つめのカール、中央カール、3つ目のカール南稜カールと奈落のように黒部川源流域に落ち込む。ここでマットを敷いて寝転ぶ。皆が到着するまで時間を潰そう。10年前はここからご来光を拝んでいる。この先は既に歩いた山肌で懐かしい。避難小屋が四角い点となって見えている。直射日光を受け暑いくらいだ。途中の薬師岳山荘2701(12:21)でビールを所望。ビールはアルコールというより水分として身体に染み渡る。風速は15m。スケッチを飛ばされないように注意。まずワンゲルが下りてくる。外のベンチで寛ぐ。ワンゲルの今は、定時に寛ぐのではなくランドマーク毎に休憩を取っているようでこのあたり変わってきたのかなぁと感じる。LA(Little Adventure)のグループは大斜面を慎重にジグザグに降りてくる。凡そ標高差225mの三角形に見える斜面は何百回転回するのか分からないほどの九十九折れの道であるが、山頂まで展望できるので、点となって動く様子。涼風が午後には台風の風となったようで激しくなり出していた。それに早く気付くべきであったかも知れない。ここから薬師平までは爽快な山稜。10年前のスケッチポイントも思い出す。落差150mの狭い川筋を降りいくが石だらけの乾いた細い川である。ほとほと嫌になったころ薬師峠キャンプ場に到着。13:42到着。こんな早い時間から自由時間とは豪勢である。一張りのテントがあったがあとは閑散としている。昨夜のテントは結露し濡れている。カラカラに乾かすほどのギラギラした太陽が照り付ける。テントをナナカマドの茂みの上に置き、風に揺らせる。マットを敷いて寝そべるがタオルを掛けないと寝ていられないほど眩しい。LAのグループ一行にアドレスなど書いたメモを渡す。彼らは、もともと上の薬師岳山荘に泊まる予定であったが、台風襲来の予報で急遽ここから徒歩20分標高差80mの草原の上に建つ太郎平小屋を予約して向かうという。それが正解だったようだ。我々はリーダーの「明日午後が雨」という予報から前の夜から朝にかけては大丈夫だろうとふみ、キャンプ場を動かなかったのだ。上の山荘で詳しい予報を聞いておくべきであった。風はもっと強くなると言っていたが、吹き飛ばされるほどは強い風とは知らず。先の太郎平小屋に宿泊するようにと勧められるべきであったのかも知れない。夜半に台風がこの近くを通ることとなった。淡路島では風力発電の60mの塔が倒れたほどの強風がその後、5時間後に襲ってくるとは夢にも思わず就寝。徒然の記その7 第4日目 2018.8.24(金)■第4日目 4:00薬師峠キャンプ場2299→5:30太郎山小屋2325(8:00)→折立11:10 11:45→亀谷温泉12:45-温泉入浴と食事13:50→有磯海SA14:30→15:56妙高SA→17:15三芳PA→新宿駅前20:00 【8km 3H30M行程・・実際3H15M】昨日午後10時から強風。台風の風である。テントは斜め45度にバタバタと吹かれ傾いでいく。強烈な風がそこは邪魔だとばかりテントを持って行き更地にしようと殴りかかって来るような感じである。ポール一本しかない骨組みのドイツ製のテントはそれでもよく凌いだ。しかしペグで張られた5本の紐はあえなく外されテント内部はペシャンコに。これでは息ができないため決死の態勢で外に出て補修を企てる。ペグをあきらめ周囲にあった大きめの石で全ての紐を固定。テントの4隅に打ちつけたペグの上にも石をあてがいテントの体裁を保つ。ポールの両端はバネの力で固定されているが地から浮いた形となっている。強風はテントの底を持ち上げ固定した石もろとも吹き飛ばそうと襲い掛かる。ばたつくテント布地を両手で持ち抗う。午前3時半までこんな調子である。寝袋にくるまりもうどうにでもなれと諦め気味。外に出て200mほど先にあるトイレを見に行った。頑丈な鉄筋造りである。そこで朝食を作れるのではと思ったからだ。ヘッドライトがないため真っ暗闇。玄関近くに蠢く人影。なんとワンゲルの学生たちが強風を避けて避難してきていたのだ。飛ばされないようにリュックを重しにしてテントをそのままにして撤退したのだろう。彼らはいつもは3時半に起き出し5時には出発していたのに今朝に限ってはお手上げ状態。小生のテントはポールを抜いてしまえばペシャンコの布となり石で固定しておけばパタパタとするがなんとかなる。4時で早過ぎるがテントの撤収と「徒歩20分予定」の太郎平小屋(下山方向にある)に避難する事を決定。手探り状態で荷物を纏めテントを折り畳み出した。肝心のテントを収容する袋が見当たらない。吹き飛ばされた模様。膨れてしまっているテントをどうにかリュックに結いつけ、レインカバーでストックも含めひと纏まりにして出発。途中水場に寄り、身体を風に吹かれないようにするために2 Lボトルを満タンにする。キャンプ場を後にする段になりK氏にも「先にいくから」と声を掛ける。ついでにテント収納袋も再度捜してみようと元の場所へ行ってみると何とナナカマドの灌木にひかかっていたのだ。それをポケットに突っ込みいざ出陣!さて問題はこれからである。太郎平小屋までの1kmは上り60m 下り30mで草原に設置された階段と木道を辿る。階段は両側に茂みがあり何とか進める。木道は吹き曝しである。高山植物保護のために湿地帯や草原に設けられている。それがいけない。木目の方向に靴が滑るのである。風速70m超の風は雨を伴い雹のように激しく打ちつける。植物群の上に小生を叩きつけそれでも済まずに笹の群落までも吹き飛ばす。戻るに戻れないのだ。時間がどんどん経つ。風は次第に強くなりうなりをあげて吠え続ける。リュックを背負ったまま匍匐歩行に切り替え、膝で歩きながら10cmずつ進む。高山植物の真上をごめんなさいと言いつつ。いくら努力しても全く小屋にたどり着けず。低体温症でお陀仏とはこういうことを言うのであろう。小屋の近くに来ている筈なのにそこで命尽きるのは。だがお腹に手を添えると暖かい。まだ生きている。早く辿り着いて自炊室で料理を作らねば! その一心でダッシュ。敢えなく吹く風に足をすくわれ体を笹藪に持っていかれ倒れる。持って行かれるベクトル分、斜め前方に走ればよいかも。その時台風は能登の海上を東北に進んでいた模様。太郎平小屋も経験したことがないほどの強風であったようだ。泊まり客で2階で寝た人達は小屋が吹き飛ばされるのではないかという恐怖を味わい、ある人は船酔いになったと。その強風のなかを3m進み5m吹き飛ばされながら近づく1人の男性を皆が見ていたようである。漸く5時半ころ到着。4時に出ているから1時間半かかった模様。乾燥室にリュックを運ばせてくれ自炊室に暖房を入れて大事にしてもらう。自炊の人達がまた親切にしてくれるのだ。こちらは寒さのせいで手がかじかんで震えている。旨く操作が出来ないのをコンロのセットをしてくれたり沸かしてあったお湯を山用の食材に入れて攪拌してくれるわと。この方々は秋田から8人くらいのツアーで車できている。予定を変更しもう一泊したのち薬師岳往復をはかるという。秋田の人に金足(かなあし)農高の準優勝を祝ってあげたら、彼らは全員地元高校生で町全体が盛り上がったという。車で応援していたが大事な所でトンネルに入り中継が途絶えたと。やっと出たと思ったら負けていたと悔しがる。さて、7時になっても外の強風は収まらない。風速40-70m。このなかを無謀にもK氏はテントを畳んで小生を追いかけて来て玄関で注文したラーメンを啜っていた。試練の行軍で遠近両用のメガネを吹き飛ばされ探すのを諦めて前進したのだと。さて次なる問題が発生。麓の「折立」までの林道のゲートが6時開門の予定が倒木などのため閉じられているのだという。路線バスやマイカーの交通が遮断されているのだ。万事窮す。「毎日アルペン号」がやってくる筈の11:30集合の折立までは7km、標準で3時間10分かかる。遅くとも8時20分に出ないと間に合わない。台風は既に能登半島を離れたと。しかし東に当たる北アルプスは強い風と真っ黒な雲と雨を伴ったままである。8時に外の様子をチェック。風は少し弱くなったので歩けなくはない。道路閉鎖状態が解除されることを祈りつつ下山開始。ここでも草原の木道や石畳の道が延々続き、強風が身体を持って行こうとする。しかし朝方の烈風に比べれば大したことはない。道路は9時には閉鎖が解かれ3時間待ちの登山客が続々と登って来た。その最初の男性から「開通」の知らせを聞いた我々はどれほど歓喜したか。1963(S38)年は寒波(38豪雪)が北陸・中越を襲った。その時、薬師岳で愛知大学山岳部の学生13名が遭難している(吹雪のため、薬師岳東南の稜線に出てしまい、中央カールや、その下の黒部源流へ転落)。13重塔が麓に立っていた。天国と地獄を味わった今回の旅。そもそも台風が襲うのは金曜の午後と踏んでいたのが半日早まったようである。”店長”のKさんは明日7時から出勤であるという。小生は神田で会食の予定が入っている。九死に一生とはこのことであろうか。完。なおスケッチや写真は来週掲載。
Aug 25, 2018
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World War II、終戦記念日_ story (4357)2018.8.18Whenever 15th August comes, I think about World War II and I honor the preciousness of peace. I spent my childhood at the evacuation destination Shimagahara Mie Pref., then moved to Osaka city-center. I went around from the Tanimachi to Uehonmachi, but now it leave a bit of memory in the valley of the building.8月15日が来るたびに、第二次世界大戦のことを考え、平和の尊さを噛みしめる。小生が1歳のときに戦争が終わったのであるから小生は戦中っ子になるのであろう。疎開先の三重県伊賀上野で産まれたことになっている。三重県と奈良県の県境の小さな村落であった。5歳くらいまでそこで暮らしたようだ。父はそこから大阪に勤めに出ていた。ほどなく大阪市内中心街に引っ越した。当時は焼け野が原で、小学校の周りにはあまり家が建っていなかった記憶がある。谷町筋から上本町にかけて遊びまわったが、今はビルの谷底に僅かに記憶を残す。Tanzawa Moutain ridge (丹沢山系 2018.8.18(土))後方が丹沢最高峰の蛭ヶ岳(1673m)、手前左のピークが仏果山先週の絵に続く。目次徒然の記その1 稲庭うどん徒然の記その2 エアコン徒然の記その3 太平洋戦争徒然の記その4 ドローン徒然の記その5 おから徒然の記その6 ボランティアが2歳児を救出!徒然の記その7 真鶴 美の8原則徒然の記その8 仏果山-経ヶ岳run徒然の記その1 稲庭うどん 2018.8.12(日)■一子相伝の製法による手づくり精製のうどん「七代佐藤養助」の「稲庭(いなにわ)うんどん」を知ったのは今を去ること・・たったの2週間前。真鶴のW邸の昼ご飯。冷水でしめて食卓に運ばれたうどんはざるに何杯も。みんなの食が進み何回ゆでても一瞬のうちになくなってしうのだ。桐の箱に入った10束ほどのうどんはあっという間になくなった。とっても美味しく、夢見心地で頬張っていたのだ。ただ、小生以外はこの名前を全員が知っていた。トホホ。秋田県湯沢市稲庭町に工場がある。関西出身の小生にはあまりに遠い産地である。讃岐うどんなら知っているが、素麺の倍ほどの厚さしかない饂飩ながら舌触りがととてもよい。家に帰って驚かそうと開口一番「稲庭うどんを知っているか?」と聞いたものだ。「知らないワ」と応えるかと思いきや「生協で「稲庭うどん風」を買ってある」というではないか。敵はちゃんと知っていた。とまぁここまで。橋本駅前のMeWe(ミーウィ)の食品売り場で、きれいな包装の「七代佐藤養助」が180g一本束を売っていた。素麺などが立てて置いてあるコーナーの最上段に上等そうなパッケージで置いてあった。買って帰ったのは言うまでもない。茹でるとつややかに輝く。つるりとした冷麺にしたてあげ、つつつと食す。あぁ真夏はこれに限る。至福の昼食であった。大根おろしをタレに付けて食べるとさらに美味しい。徒然の記その2 エアコン 2018.8.13(月)■本宅に大部屋24畳用のエアコンをしつらえた。2002年に家族が入居していて以来のエアコンが世代交代したのだ。設置のお兄さん、一人でやってきて室内と室外の機器の古いのを運び出し、新しいのを汗だくで付けていった。最後のほうではダクトなどの設置で応援男性1人が加わり約3時間で仕上げていった。エアコンは使っても使わなくても経年変化してダメになるらしい。むしろ良く使ってあげたほうが長持ちするくらいである。16℃の設定をして帰っていった。我が家ではありえない室温である。せいぜい28℃がよいくらいで、弱冷房車並みである。今住処にしている別宅の1Fは2台のエアコンあるが、朝の涼風を楽しんだ後、ピアノを弾く段になると、窓を閉め切ってエアコンを点け始める。閑散とした田舎でも、音が漏れ出さいないようにとの配慮である。10時ころひとしきり弾いた後静かになる。午後は13時、16時、20時など音がするが、しばらくすると静かになる。”お昼寝”の瞬間である。老齢の犬になるほどよく寝るとは聞いているが、人間も年を取ると睡眠時間が長くなるのか1日の大半を寝ていることになる。さて問題はここからである。このカミさん睡眠中の空き部屋を、吾輩のViola練習に当ててみてはどうだろうか。扇風機しかない灼熱の2階から引っ越してきて、軽井沢風の快適居間でViolaを練習するというアイディアを思いついた。カミさんは5secもしたら爆睡するため、まさに「鬼の居ぬ間のViola」である。弾かねばならない曲は無数にある。 ・W univ OB Orchestra Sangoinokai :Wolfgang.Amadeus.Mozart:Piano Concerto in D Minor,Johann Straus:Overture zur Operette Die Fledrmaus,Franz Schubert:Unfinished Symphony ・Fuchu Community Symphony Orchestra: Friedrich Smetana:Má Vlast ・Violin Viola Duo:Mussorgsky,Wolfgang.Amadeus.Mozart Concertanto Violin and Viola K.424、・Viola-Viola: Duo:Alessandro Rolla Drei Duos no3・Sanya-mini concerto:Popular songs,Singing songs,Enka・My lesson:Bach ただ、一方で、高温にも強くないといけない山男のアスリートとしては、軟弱な「エアコン環境」に毒されてはいけない というやせ我慢の精神も息づいている。Violaの場合はケースや楽譜ごと毎回、運び込まねばならないという煩わしさもある。しかもカミさんが寝てからでは遅すぎる。練習時間が殆ど重なるのである。あぁ、2人しかいない家なのに、采配がなかなか難しい。徒然の記その3 太平洋戦争 2018.8.15(水)■今年の終戦記念日 8/15のNHK特集は「ノモンハン 責任なき戦い」、昨年は「戦慄の記録 インパール作戦」であった。ノモンハン事件は太平洋戦争勃発2年前の1939年に、モンゴル軍・ロシア軍連合と関東軍との満州国国境紛争で情報収集の無さから日本側は塹壕での大量の死者を出して失敗に終わった。1将校の強気の発言のみに関東軍が振り回された結果であるが、責任の所在が明らかではなかったと。相手の軍事力が正確に報じられていればその後の無謀な太平洋戦争も起こさずに済んだのかもしれないと。ロシアの新鋭戦車と日本の旧式の鉄砲との決定的な差。失敗だらけの我が国の戦争の事態が映像化されていくにつれ、8月15日を迎えるたびに怒りを覚えるのである。戦争末期に親父は乙兵で応召され大陸に渡っている。持ち帰った日記には毎日食べ物のことしか書かれていない。どれほどひもじい思いをしてきたかである。靴底を煮て食べたなど悲惨な食生活が窺い知れた。当時の日本。資源を求めて領土拡大路線。これはこれで理由があったのだろう。戦争という手段に拠らざるを得なかったほど激高していた時代に生きていた人はどんな気持ちであったのだろう。真珠湾攻撃が、ひょっとしてアメリカの計算通りであったのかも知れないと。自国の犠牲もやむなしとした真珠湾を”晒した”極秘の作戦であったのだという見解もある。アメリカが歓喜し米国参戦の口実となったのではないかと。待ってましたとばかり米国が猛然と牙をむこととなった。そんなこととは露知らず、一時の勝利に酔った日本がその後どれほどの辛酸をなめたことか。中国の利権に熱心なルーズベルトは日本に占領をさせてはならないというお家事情もあった。戦争開始の突破口は「怒り」である。怒らせて怒らせて、窮地に立つと、人間は歯向かうものである。戦争はこのようにして起こる。うまい具合に、日本が怒らせられてしまったのだと。ただ明治以来、肥大の一途をたどっていた日本は、もう留まるところをしらず。資源を止められてしまったら、怒りは爆発する。軍部の動きを止めることは無理であった。開戦は避けられなかったのであろう。無謀なことである。アメリカを空の上から見た日本人は今でも、こんな国と戦ったなんてなんと無謀な!という感情を持つ。ヨーロッパでは5月に第二次世界大戦が終わっているのに、日本は3ヶ月も遅れた。この間原爆を2回も落とされているのだ。主要都市の大多数は爆撃されているのに、広島、長崎だけ残った。広島には捕虜収容所があり、最後まで空爆は免れていたのではないか。原爆で米兵捕虜29人が死んでいるが。悔やんでも悔やみきれない、第二次世界大戦。Cleanなゼロから出発して平和に向かって再起してはどうか。懺悔 & 奮起という単純な構造で、未来へ向かっていったほうが潔いのではないかと。まず怒らないことである。ところがどこでも元首が怒るという今の時代、危ういのである。砂上の楼閣を行くようで怖い。愚かな戦争は二度と起こしてはならぬ。世界中が平穏となる日はいったい何時訪れるのだろう。徒然の記その4 ドローン 2018.8.14(火)■群馬県で9人乗りの防災ヘリが墜落した。毎回繰り返されるヘリコプター事故の悲劇。墜落が日常茶飯事なら、多人数は乗らないで欲しい。小型飛行機で3人態勢にするなど、全員死亡など国家の損失である。山道の状況確認程度であればそんな多人数で調査するまでもないし、ドローンで十分ではなかったか。一方ドローンによる宅配便がこの秋にも山間へき地に認可される。ヘリポートのような基地に取りにいかなくてはならないが。北アルプス・大日岳麓の大日平では150m~200mの壁の底を流れる称名廊下をドローンで撮影していた。山岳ルートなどはまだ目視の範囲ではあるが、これも将来AIが発達してくれば全自動で探索は可能となろう。徒然の記その5 おから 2018.8.14(火)■永平寺 幸家の「うの花」・・おからの総菜である。こんなおいしいおからをいままで食べたことがない。丸大豆のおからに、牛蒡、ニンジン、干しシイタケ、ひじきに椎茸ダシで煮詰めた秘伝のおから。生協の配達品ではあるが、オーダーメニューの「並み」と「上」の2種類で言うと、「上」の部類に入る少し値が張る食品である。徒然の記その6 ボランティアが2歳児を救出! 2018.8.15(水)■すごい人が居るものだ。家族から子供(藤本理稀(よしき)ちゃん(2))のことを聞いただけで、山の上に上がっていった。名前の連呼に子供が「僕はここだよ」と応答したという。捜査を開始して30分後の事だという。皆は山の下の方を探しているというのに。子供の動態心理を熟知していたのであろう。尾畠(おばた)春夫さん(78)は定年後、90日をかけて日本縦断4000km弱を歩き、その後は東日本大震災や中越地震のボランティアに駆け付けている。ボランティアの師匠である。■遭難事故・・忘れられないのは、5月の連休中に山に入って帰らぬ人となった新潟の親子。新潟の五頭連峰での遭難。山中で道に迷った親子も2歳児の手法で探せなかったのであろうかと思うのであるが、こちらは900mの山稜で複雑な谷筋が数百箇所。難易度は格段に増してしまう。コースは健脚者で一周8時間以上(12km+上り9km換算+下り6km換算=25km 3km/1Hとして8H)かかるコースを6歳児(2~3kmが限度)を連れた父親が午前中遅く(am10)登り始めたという「計画的遭難」という言葉が当てはまるかもしれない。山というのは、フラクタル図形のように相似形な山容が至る所にあり、勘違いを引き起こす。遭難場所を図示したが、目指した五頭山とそっくりな場所が500m手前にもある。そこの稜線で踏み跡でもあったのでろう。西向きに進み、最後は沢に降りてしまって遭難したようである。よく言われるように山での原則は、道に迷ったら、見晴らしの効く山稜に登れ である。谷に降りていくのは絶対にXである。心理的には川に沿っていくと人家があるように思うのであるが、今の場合でも5kmの藪漕ぎを強いるもので絶対に無理である。滝がある可能性もあり大変危険でもある。山稜であればよしんば遭難しても、人に見つけられる可能性が増すので有利。彼らはなんと24日後に発見されている。今後の課題としては、幼児や入山者にGPSの装着を義務付けるなど。徒然の記その7 真鶴 美の8原則 2018.8.15(水)■8/15(水)のTBS-TVのヒルナンデス(11:55-13:55)に、熱海や真鶴の絶景が楽しめる民家が数軒紹介された。このなかに我らがcaminoチームのWさんのお宅が映っており、「絶景」民家として認定された。ブラボー!真鶴港を見下ろせる民家で機織り機がある家が紹介されたのち、その方の紹介で「絶景のお医者さん宅」へと向かったTVクルー。W邸のこだわりのオーディオルームが紹介されたり、梅干作りやサラダのおもてなしを含めほぼ全貌が放映された。漁港のほうに戻ってもう一軒、建築家の設計によるという絶景の家が紹介されたときに、真鶴では景観が維持されるというような話がされた。終生 壊されない環境だという真鶴町には独自の「美の8原則」があるらしい。1.場所 2.格付け 3.尺度 4.調和 5.材料 6.装飾と芸術 7.コミュニティ 8.眺め一筆書きに言葉にすると、「真鶴に住む私たちは【場所】を尊重することにより、その歴史、文化、風土を町や建築の各部に【格づけ】し、それらの各部の【尺度】のつながりを持って青い海、輝く森といった自然、美しい建物の部分の共演による【調和】の創造を図る。それらは真鶴町の大地、生活が生み出す【材料】に育まれ 【装飾と芸術】という、人々に深い慈愛や楽しみをもたらす真鶴町独自の質に支えられ、町共通の誇りとして【コミュニティ】を守り育てるための権利、義務、自由を生きづかせる。これらの全体は真鶴町の人々、町並、自然の美しい【眺め】に抱擁されるであろう。 合計69の基準がこれに付随する。「格付け」の項では 建物の縁、大きな門口、壁の感触、柱の雰囲気、柱と窓の大きさ・・などの基準を設けている。新築や増改築の時に規制を受ける。真鶴の魅力は、町独自のこういう基準を作って、持続的な魅力ある景観づくりをしようとしている姿であろう。たいした町だ。徒然の記その8 仏果山-経ヶ岳run 2018.8.11(土)■北アルプス行きを計画しているというのに何という体たらくだ・・往復をバスで凌(しの)いだのに足が吊った。関東ふれあいの道ー神奈川県の第17番のコース(清川村・坂尻→愛川町・半原峠→経ヶ岳→半僧坊→角田大橋→戸倉→三増→志田峠→相模原市・韮尾根)の一部と、仏果山をひっかけて17kmくらいの独自runコースを立案し、バスを乗り継いで「半原バスターミナル」にやってきた。通常は家から全コースrunningというパターンなのであるが、歩き塾での「仏果山」登山を控えているので、バスの乗り継ぎ具合をチェックするためにあえてバスを利用したという次第。2本のバスを乗り継ぐという前代未聞の行程である。半原バスターミナルから仏果山を目指すのは初めてで新鮮。仏果山からは経ヶ岳→半僧坊→角田大橋→戸倉→三増→志田峠→韮尾根と進む予定だったのに、角田大橋を過ぎたあたりから直接家に帰ったほうが早いという誘惑にかられた。ちょうど足が痛くなりだした。Maps.Meで自宅までの距離を測ってみると近道でも7.2kmもあった。普段ならたいしたことはない。しかしこの暑さである。山でのup-downは+934m-974mと過酷なまで体力を消耗してしまっている。田名バスターミナルまでの5.2kmとてしんどい。ほとんど足が吊りそうな雰囲気となった。途中バス停があったので土曜ダイヤ(13(月)~15(水)の3日間は土曜ダイヤで動いている)の時刻表を見ると、15:24。時刻はなんと15:23。バスがやってくる時間帯であった。ほどなく坂を上ってくるバスの屋根が見えた。天の助けとばかりに飛び乗った。これでも田名バスターミナルで乗り継ぎが必要であったが、家に着いたのは15:50と意思決定後わずか30分で家に到着してしまっている。runの走行距離は、たったの10km。高低差を換算したみなし距離は、25kmくらい。たいしたことはない。たったこれだけので足が吊るとは、北アルプスはゆっくりしたペースでの登攀が必要なのではないかと思い始めた。■テント・・ドイツ製のマッキンリーの5角形テントを庭に張ってみた。骨組みのポールは1本。組み立て手時間8分。木槌を買ってあるので、ペグ打ち込みは至極簡単。Mont Bellのドーム型シェルター1UL Dome-shelter(Zeltsack)は700gと超軽量であるがアルプスなどでは使えないであろう。そこで2015年のヨーロッパ旅行でリュックを失くした翌日ドイツのアーヘンで買ったテントを今回使ってみよう。
Aug 18, 2018
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紛失の絶望と発見の狂喜_ story (4356)2018.8.11I experienced a miracle day that two things I lost were found. It is strange feeling.一旦失くしたものが出てくるという奇跡の1日を味わった。不思議な安ど感。Mt.Oyama from Oshima Midoriku Sagamihara City(相模原市緑区大島からの丹沢・大山 2018.8.10(金))我が家の上の台地は、広大な農地。丹沢山系が目の前に迫る。左端が大山。右端が仏果山(9月に歩き塾で登る山である。)目次徒然の記その1 芸大・Summer Arts Japan 2018徒然の記その2 オペラ「ドン・カルロ」徒然の記その3 認知機能検査 徒然の記その4 奇跡のLesson徒然の記その5 最澄と空海徒然の記その6 日傘男子徒然の記その7 奇跡の8月10日徒然の記その1 芸大・Summer Arts Japan 2018 2018.8.5(日)■東京藝術大学奏楽堂:Summer Arts Japan 2018 14:00開場、15:00開演 16:30 終演2年後の五輪を文化・教育の祭典としても見据えて行こうと、2年前から芸大で年2会、春・秋に開催されている無料のコンサートイベント。今年は特別に夏季に行われた。プログラムは次のように多彩第1部:飛翔~書と音楽~揮毫:金澤翔子(音楽:ドビュッシー:「月光」)、ソプラノ独唱:橋本夏季 ヘンデル:「アンブラ マイ フ」、サルトーリ:「Time to Say Goodbye」、3つのオリンピックマーチ:小関裕而:東京五輪マーチ、山本直純:札幌五輪マーチ「白銀の栄光」、松下功(現 芸大副学長):「信州民謡パラフレーズ」第2部:いけばな:池坊専好(映像制作 東京芸大COI拠点・共感覚メディアグループ、AI技術協力 NEC) 指揮:田尻真高、演奏:琴・三味線:深海合奏団、SAJオーケストラ(東京芸大卒業生有志)8/1にあった旧サラ文幹事会による武蔵野中央公園の集いの折に、一人のご婦人から紹介があり当日整理券が貰えるとあって馳せ参じたという次第。芸大ならば、鴬谷駅の北口からアクセスが便利だろうと初めての道を奏楽堂へ。Google Mapも人が悪い。塀を乗り越えろというような道順を示すものだからえらい遠回りとなった。芸大の音楽学部キャンパスの北側は長い塀で入口は無いのである。よくぞそんな塀のど真ん中に穴を開けるような道を考えるものだ。それでも、13:30と開場時間よりも30分も早く到着してしまった。市民響の練習からの帰りでほとんど飲まず食わずで辿り着いたものだから時間が早すぎたのである。14:00までは開場しない方針で正門の守衛にこの暑さで倒れる人が出ないようにどこかで休んで来いと。門の前には藝術学部のキャンパスがあり木陰も多そう。陳列棟がありたまたま「Foujita in the 1940s:Tributes (1940's フジタ・トリビュート)」展を行っていたので入館。灼熱の炎天下からうそのように冷気がただよう藤田の世界に入っていく。パリから帰った藤田が従軍画家として幾多の戦争絵画を描いてきたが芸大の後輩たちが1940年を切口にした思いを作品にしたものが展示されている。無題、巴里の晝と夜 という藤田嗣治の作品も展示されていた。奏楽堂はハガキで応募したした人たちで満席。金澤翔子さんが舞台にしつらえた大きな2枚の紙に「飛翔」という文字をそれぞれ筆にたっぷりの墨をつけ一気に書いていく。オケピットには芸大OBから構成されるSAJ(Summer Arts Japan)演奏団がドビュッシーの「月光」を奏でる。金澤さんの御母堂が、したたり落ちてまだたっぷりと墨が海のように残っている部分を半紙で拭きとっていく。これはあとで立てて客に見せるために垂れないようにとの配慮である。「飛」では横棒のまっすぐなさまが潔い。筆の先は大きく2つに裂けても構わない。最後の筆を丸くまとめたり、点にしたり、回転させたりして一筆一筆を決めていく。今日書いた揮毫(きごう)はあとで慶応大学のロボット「筆雄」によって再現された。モニターで映しながら筆圧などを測定していた模様。ソプラノ独唱の橋本夏季さんは芸大卒の全盲の歌手である。天にものぼるような澄んだ歌声を響かせた。その繊細かつダイナミックな音の広がりに感動。生け花では、2種類の花材だけで、舞うが如く、舞台にしつらえた花器に生けていく。「フトイ」というトクサの一種にワイヤーを通し色づけられた長い茎を何本も束ね、それを広げながら生けていく。続いて香り立つような「スモークツリー」という淡い花の房を生けていく。活発に動く池坊さんの視線(”目力”と舞台では説明があった)は舞台に置かれた複数のカメラで常にスキャンされ、"目力"に応じて(これはNECの遠隔視線推定技術による)芸大・共感覚メディアグループが制作した映像が液晶画面に次々と映し出され3次元的な効果を生ましめている舞台では松本功作曲の「このこと そして」という曲が奏でられている。7名の和楽奏者が琴や三味線をかき鳴らすとともに、オケのフル演奏という中で、生け花と、映像がコラボしていく。生け花では、何人かの助っ人も、ステージ一杯に置かれた花器に花を活けていく。花の活け終わりとともに曲も終演を迎え、大喝采。不思議な時空間を共有した。徒然の記その2 オペラ「ドン・カルロ」2018.8.7(火)■METライブビューイング・アンコール2018・・ヴェルディ:「ドン・カルロ」(人気が高かった2010公演のオペラ)を観に、高校同窓のオペラ好きが8人東銀座の東劇に集まった。座席はいつもの「L列」。ちょうど客席の真ん中。前に通路があるため足が延ばせる特等席である。男4名、女4名が幹事が作った籤を引き交互に並ぶ。この幹事はすごい。あらかじめ切符を封筒に入れるのであるが、7cmの幅で封筒を切ってきて自作し、6.5mmの折しろをつくって閉じてくるのである。奥さんが手伝ったのかと尋ねると、すべて自分がやっとのだと。家族は氏のやることには興味を示さないのだという。あぁいずこも同じ!さて、このオペラ4時間半の5幕にもおよぶ長大なオペラである。近々のものだとMETライブでも値がはり5千円以上はするものであるが。アンコール版であるので安い。スペイン、フランス、フランドル(オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ)の地域にまたがる16世紀のスペイン王国の物語で実話をもとにした台本を円熟期のヴェルディがオペラに仕上げた。脇役も含め多彩な人たちが歌うので圧巻。音楽も重厚。不勉強なturbo717は人生初めての「ドン・カルロ」であった。こんなすごいオペラがあったなんて。あぁ、人生いくら長生きしても足りないのである。指揮:ヤニック・ネゼ=セガン、演出:ニコラス・ハイトナー(舞台装置は所謂モダンな近代版)、キャスト・・ドン・カルロ:ロベルト・アラーニャ(テノール)、王妃エリザベッタ:マリーナ・ポプラスフスカヤ(ソプラノ)、国王フィリポ2世:フェリッチオ・フルラネット(バス)、ロドリーゴ:サイモン・キーンリーサイド(バリトン)、エボリ公女:アンナ・スミルノヴァ(メゾソプラノ)その他多数の歌手。このオペラの日本公演は、2009年9月にミラノ・スカラ座の日本公演で「アイ-ダ」と共に公演されている。■ジュゼッペ・ヴェルディの「ドン・カルロ」・・1867年3月11日 パリ・オペラ座で初演。時と場所:1560年頃のスペイン・マドリード。宗教と政治がからむ時代背景としては、旧教カトリックのスペインと、その領地であったフランドルでの新教徒プロテスタントの台頭、それに対する圧政。フランスの王女エリザベッタはスペイン王子ドン・カルロと婚約関係にありながら、その父スペイン王フィリポ2世と結婚させられてしまうところから話は始まる。王妃に仕えるエボリ公女も王子ドン・カルロを秘かに愛しているが一方でフィリポ2世とも不倫関係にある。王妃の宝石箱には、ドンカルロの肖像画があった。嫉妬にかられたエボリ公女がこっそりそれを国王に渡してしまった。息子から疎ねまれ、王妃からも愛されない国王が孤独に苛まれるときに大審問官(90歳で盲目の宗教裁判長 )が現れる。彼に息子の処遇を相談。話しは大団円に。面白いのがここで、ドン・カルロの祖父「カルロス5世」の墓の前で展開される最終場面。カルロス5世が修道僧の姿をして出てくるところである。カルロと王女エリザベッタが別れの歌を歌う。二重唱「天国で会いましょう」である。剣に倒れたカルロは、墓の中に引き入れられる。(ここで幕が下り、カルロが一人舞台に残る。) ロドリーゴの願い通り、フランドルに旅立たせてあげたい。という余韻も残したこのオペラの最終場面である。ようやく現世での愛を諦めた彼を捕らえようと現れた父王と宗教裁判長を、先帝カルロ5世が遮ったのである。この結末はより深い感銘を与えるものとなっている。ヴェルディの最高傑作のオペラは、主役の全員が各々異なった対象と闘争し、それに伴うアリアが随所に散りばめられている。徒然の記その3 認知機能検査 2018.8.7(火)■ついに「運転免許 認知機能検査 まるわかり本」(発行:エヌプラス 発売:メディアパル)が出た。小生がいつか書こうと思っていた本でもある。75歳からの認知機能検査 徹底解析!カミさんすかさず言う「認知症の人が読んでも、すぐ忘れるでしょう!」こんな本は役に立たないというのだ。! 納得。予習なしで、現状の物忘れ度合いを計測してもらいたいものである。徒然の記その4 奇跡のLesson 2018.8.7(火)■NHK BS1で8/5(日)pm10:00-に放送されたTV・・奇跡のレッスン「楽譜が物語に変わるとき 弦楽器 ダニエル・ゲーデ(ドイツ)」ウイーンフィルのコンサートマスター・ダニエル・ゲーデが来日し、千葉県の小学校の弦楽部の子供たちを指導した。ドレミファを悲しいおもいで弾いてごらん、次に明るく楽しい思いで弾いてごらん と同じ音を心の感情で弾き、差異がでることを実感させるのだ。これは楽譜に食らいついて弾いていると出ない音である。楽譜に作曲者が込めた思いを感じ取って音楽にしなさいと 教える。続いて、全員、壁に向かわせて、ドレッミファを弾かせた。目で見るという動作から、耳で互いを聴きあうという動作に移行させ、いかに他人の音を聞くことが大事かを学ばせた。楽器を持たずに歌わせる、弓を持たずにエアーで楽器を弾かせる。こうすることで、楽器を持って音を出すまでにしなくてはならないもろもろのことを学ぶのだと。■Viola Lesson小生の先生、この番組を見て頷いた。「私と同じことをしている!」と言うのだ。つまりこの先生、小生を今この方法で特訓してくれている。あぁ、次第に要求は厳しさを増す。1.頭の中でイメージしてから音を出せ・・1小節を頭で瞬時に読み解き、その後 音を出せと。2.メトロノームの音を聞いてから音を出すように。決して追い越してはいけない。 3.スラーに「なじみ」を入れろと。タラ(スラー)、ララララ、タラ(スラー)の音形が続く場合に最後のタラ(スラー)はすこし思い入れ(ため)を入れてと。4.音をなでるように。急峻な発声は誤り。スラスラー・・とあっさり発音せよ。5.もっと伸びやかに! ♪♩♩♬♬♬の16分音符は、タラタラタラと一群でまとまりのある音形で急がず。6.拍の頭を意識する 7.音を切らない。間が空いている! 繋げろ。 7.四分音符♩がゆっくり過ぎ、16分音符♬が急ぎすぎという傾向がある。均等に。拙速な音楽となり動揺する。8.心豊かに。天上の音楽としろ・・矢継ぎ早に檄が飛ぶ。今日こそAlessandro Rolla DreiDuosの3を終わらせようと思ったのであるが・・ダメ押しが出た。エアー奏法でも、♩=90や♩=100など指揮棒をみながらアーフタクト(前拍の終わり)だけで速さをくみ取り、音楽にしていく練習をと。しかし貴重な練習をさせてもらった。あっと言うまに2時間半が過ぎて行った。家では自分の音を客観的に聞くためにボイスレコーダを使ってみよう。すこし気張らねば! 8月後半はLessonをお休みとし、家で研鑽に励むこととする。徒然の記その5 最澄と空海 2018.8.8(水)■等々力渓谷近くにあった善養寺で、ガネーシャ(ヒンズー教では富の神様、片方の牙の折れた象の頭と4本の腕を持つ)の石像を多数見た。この謎を解明しようとジャワ在住の舞台演出家に聞いていたところほどなく長文の解説メールが届いた。感動! 新聞に投稿してもよいくらい深い内容であった。善養寺は、真言宗の寺であり空海が持ち込んだ玄奘三蔵直流の寺である。この地域(多摩川下流の右岸)に多く住んだ渡来人が、生活の安定や向上を願って祈りを捧げようと、仏教と起こりを同じくするヒンズー教の商売繁盛の神・ガネーシャ像を寄進したと考えられるのではないかと。日本への仏教伝来は538年の欽明天皇の代である。玄奘三蔵の時代から100年になろうとする頃(渡来から200年)、日本の仏教もようやく盛んな動きを見せるようになった。仏教を学ぼうとする若者が多く出現するようになり、中国から仏教の伝道僧が渡来したり、中国への仏教学究僧も出る様になるが、中でも特に最澄(766~822)と空海(774~835)は他に群を抜いて優秀且つ熱心に仏教を学ぼうと努力した。最澄39歳、空海31歳のとき、同一の遣唐使船に乗って中国に渡っている(805-6)。このとき最澄は国費留学僧、空海は私費留学僧、二人の修行方法には雲泥の差があった。最澄は国が敷いた線路の上を走り、国が用意した高僧の下で順調に修行を重ね、定められた期間の中で修行を終え帰国。空海は独力で師を探し、恵果和尚の門を叩く。2年経過するうちに、阿闍梨だった和尚も、もう教えるものがないというほど全ての教えを会得した。金剛遍照空海阿闍梨という称号を授け日本での伝道を託したという。二人の帰国は、最澄が805年、空海が806年。最澄は2百数十巻の経典を携え直ちに都入りして恒武天皇に面会し、その折授けられた比叡山に延暦寺を建立し天台宗を起こして開祖となった。一方空海は4百数十巻の経典や他の仏教資料を携えて帰国したが、20年の予定を2年で帰ってきたものだから苦しさのあまり逃げ帰ってきたのだと誤解を生み、太宰府に軟禁される。最澄の働きでそれを解かれ朝廷に出頭する。空海に面会した嵯峨天皇は彼の並々ならぬ博識に驚き、直ちに高野山を授与し弘法大師の名を与えた。空海はそこに金剛峰寺を建立し真言宗を起こす。最澄はその後も修行を続け多くの優秀な仏弟子を輩出。空海は最高位の阿闍梨を名乗ることもなく、ボロボロの法衣に身を包んで諸国を行脚。この二人の活動はその後の日本の仏教界に強く影響を与え現在に至るも仏教の双璧的存在である。空海は渡航前から中国語をマスターしていたため多くの経典、関連資料を翻訳した事でも知られる。真言宗も天台宗も最も重要な「経」に般若心経があり、その意味は仏の心(真言)を聞く、とされていて、その経の中に頻繁に出て来る般若波羅蜜多(はんにゃ・はら・みった)と言う言葉は、サンスクリット語の音声に玄奘三蔵が漢字をあてはめたものである。本当に聞こえた音はHannya Phara Mittaで、中国語にはPharaと発音する漢字がないために波羅と言う字を当てたとされている。■鬼子母神・・ヒンズー教にもインド仏教にもハリティと言う女神が登場するが、玄奘はこれに「破梨帝」の三漢字をあてた。ハリティ女神は本来の姿は悪魔で、人の子供を食べて生活していたにも拘らず、ある日、仏の教えに触れて改心し、以来子供を守り育てる神になったと伝えられているが、空海は名前の意味より女神の性格を重要視して、鬼子母神と言う名前に変えている。■四国巡礼このような解説文が1万字も続く。この解説文から、空海の偉大さに驚愕した次第である。バリ島で巡礼の格好をして道を歩いていると、あちらこちらから地元の人々が、一休みしていきなさいと声をかけてくれる。ヒンズー教を信じるバリ人達に共通するもので何か困ったことがあると、全く知らない人でも「ヨッシャ任せておけ」と集まってくれて、必ず問題を解決してくれるのだという。近所の村人たちも頻繁に家を訪ねてくれて「何か困った事は無いか?」と声をかけてくれると。こういう経験をすると、四国でもバリ島でも必ず心が温かくなるのだという。ぜひ四国巡礼に出かけて欲しいと。四国巡礼を実行にうつす時がやってきた!徒然の記その6 日傘男子 2018.8.9(木)■こう暑くては、日中の外出は控えねばならぬ・・そうも言っておれない殿方へ。先般、外出した折り折り畳みの雨傘を持参した。頭上の直射日光を遮り、身体全体を日陰にしたい。これには傘以外には今のところないのではと考え、90%以上UVカットできる雨傘を差してみた。すこぶる優秀。帽子では考えられないほどの日陰効果がありひんやりとする感じだ。身体の70%以上が陰になるからである。日が高いと効果は抜群。ViolaのLessonも午後2時からということで、国分寺から傘をさして先生宅に向かった。日傘男子の登場である。ただし午後4時過ぎの日光に対しては効果が薄い。日が真横から射すため、傘では覆いつくせないのだ。傘を日光に向けて斜めに構えなくてはならないのである。今後は、「上からの雨」のために発明された傘を、真横も含めて多方角からの太陽光線を遮り等身大の影を作るような楕円型の傘が必要になるのではないかと考えた次第だ。朝ドラ「半分青い」で楡野鈴愛(すずめ)が将来開発することになる新製品のジャンルに加えて戴けないのかしら。徒然の記その7 奇跡の8月10日 2018.8.10(金)■スケッチブックを畑に置き忘れ?blog用に掲載する絵が枯渇したので、手っ取り早く近場の景色を描こうと朝5時に出発。すでに外は30℃はあろうかと思うほど暑い。保冷剤を3つも付けたタオルを首に巻きrunning姿で家を飛びだした。500mも行けば広大な農地である。どのpointからも丹沢山系が眺望できる。かって毎日blogを書いていた時期は、本末転倒も良いとこで、blog用の絵を描きに東奔西走していた。これを見かねたカミさん、「あなた、あそこで毎日雲でも描けば!」と言った場所がこの農地である。相模川左岸の丘陵地帯は広く河岸段丘になっており標高の違う棚のような広大な台地が広がる。ブドウ畑あり、ブルーベリー畑あり、菜園ありと、200m四方の区画が無限に広がる場所である。スケッチを終わり、すべてをリュックに詰め、後ろを振り返って何もないことを確認して家に戻っている。玉のような汗がでているが、このまま一仕事。実は裏庭をすこし綺麗にしたいのである。蔦をきり植栽を剪定しとひと汗かいたのち、シャワーを浴びた。リュックのものは全て外に出し、他のポシェットや別のリュックも、風呂場にもっていき、残り湯を使って綺麗に洗う。その後は、朝餉の準備である。さて問題はあまりの暑さで、am11:00にはダウンしてしまい、うとうとと2階の冷房のない部屋で寝ていた。昼前に、ここで初めてスケッチした絵を見てみようと思い立ったのである。ここで、トラブルが。スケッチブックが見当たらないのだ。一緒に洗ってしまったのか? いや違う。絵を描いた場所に置き忘れてきたのではないだろうか。まったく記憶にないのである。リュックからスケッチブックを出したのか、それをどこに置いたのか記憶が飛んでいるのである。あぁ、痴ほう症の始まりか。昼餉を準備中のカミさんに車をだしてもらい、スケッチ現場へ。農道の脇の比較的交通の多い一角には夏草が茂るだけでもぬけの殻。近くの交通整理をしていたおじさんに聞いても知らぬという。景色は写真に撮ってもあるし、別のスケッチブックに描いても見たが諦めきれない。昼下がりの一番暑いときに、同じ装束とリュックで同じ場所へ飛んで行ったのである。果たしてスケッチブックは? やはり無い。泣いている場合ではない。違ったアングルながら午後の風景という題で一枚を描いてきた。描いている間に犬を連れたような人が通ることを期待したが、この炎天下だれも歩いていない。ワンデーカミノで高尾山に行った昨年の11月からの絵がパーとなった。この場所に棕櫚の茎を用意してきている。団扇状の葉を半円に切りそろえ「尋ね人」にように「こころ当たりがあれば連絡願うと」という紙を挟み、農地の一角に突き刺してきた。さらに、2kmも離れた交番にも足を運び、「遺失届け」を行う。願掛けである。ダメもとでも溺れる者藁をも掴むという心境で必死。家に帰ってシャワーを浴びる。2階に上がりリュックの中身を再度すべて外に出す。この所作は9時間前にも全く同じことをやって所作を確かめている。16:00の時刻。リュックの重さから確かに家にスケッチブックを持ち帰った筈であると強く確信をし始めていた。今回は唯一違うのは、スケッチブックの袋である。ヨーロッパ長旅以来使い続けてボロボロとなった哀れな白いビニール袋に包まれたスケッチブック。9時間前のは、今朝初めて使ったユニクロの白い袋。赤い、雪の結晶のような模様と、ユニクロの白抜き文字が書いてある袋。使い慣れないものを使ったため、「ボロボロ」が悔しがったのに違いない。どこかに神隠しをしたのであろうか。リュックから使い慣れた方のビニール袋(新しいスケッチブックが入っている)をいつもの場所に置こうとした瞬間!! なんと。その小机の横の僅かな2cmの隙間にユニクロの袋が見えたのだ。滑り落ちて隙間に挟まっているような感じで。道理で何度捜しても探せなかったわけである。発見時間16:01。上に掲載した絵は、昼食後に家で描いた想像図である。実際はもう少し山が低い。さて奇跡は続く。■タブレットないしはスマホ用のsimピン(simのカードアダプターを本体から外すときに使うピン)が突然失くなった。タブレットのsimカードがどうもポッシェットの中で汗にまみれたのか故障してしまった。同じタブレットはカミさんも持っているので、sim交換してみるとインターネットがokとなる。sim故障が明確になったのでsimのサービスセンターから新しいのを送って貰っている。交換するためにもsimピンが必要になる。取り外すときに使ったsimピンが突如なくなったのだ。新しいのを買ってsim交換は完了している。ところが、本日10日18:00。雨戸を閉めようとして、カミさんが座る椅子を脇にどかした時だ。な、なんと。椅子の脚の底に、simピンがくっついていた。この10日が一旦失くしたものが2度も出てくるという奇跡の10日となった。
Aug 11, 2018
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39℃の酷暑_ story (4355)2018.8.4Dangerous hot weather still continues. I want to introduce 2 hours sfift for summer time. I tried to propose to my wife that we should have breakfast from 8 o'clock to 6 o'clock. It will be more cool than 8 o'clock . But she said to me that is not needed. It is cool enough because she is wrapping a refrigerant in the neck by towel.Why do not we try avoiding the Olympic Games all day two hours ahead or 2 hours delay of schedule and avoiding during the day.危険な猛暑がつづく。サマータイムを導入し2時間シフトをしたいぐらいである。カミさんに提案してみた。朝飯を8時から6時にしないかと。8時までは暑くて寝ていられないだろうと。首筋に保冷剤を3つか4つタオルに巻いて寝ていると涼しいのであると。あっさり拒否されてしまった。オリンピックもすべて2時間前倒しか、後ろ倒しで、日中は避けるようにしたらどうだろう。White wave under Tyhoon No.12 at Manazuru(暴風雨の真鶴 2018.7.29(日))Manazuru viewing目次徒然の記その1 真鶴合宿 その2徒然の記その2 百聞は一見に如かず・・・徒然の記その3 お昼寝 徒然の記その4 Facebook同時投稿機能の終了徒然の記その5 真夏の武蔵野中央公園徒然の記その6 夏休みこども霞が関見学デー徒然の記その1 真鶴合宿 その2 2018.7.29(日)■台風12号は28(土)、小田原、熱海の海岸に甚大な被害を及ぼしたあと西に進路をとり三重県に上陸した。中国地方から九州に抜け、南下して奄美あたりで時計の反回転を行い、自分の通ってきた進路と交差する形で西に向かっている。観測史上逆コースをたどったユニークな台風となった。どこに行ったらいいか分からない迷走ぶりで困った台風であった。勢力の大きい高気圧に阻まれて進むに進めないという状況であった。真鶴の海抜16mという海際にあるW邸には東京から4人が泊りがけで来ていたのである。その他5人は安全を取って来るのを止めている。一人は車で来る予定だったらしく来ていたら高潮に遣られていたのかもわからない。まぁその前に道路は封鎖されていたようであるが。小田原の国道では15台が高潮に合い車が大破した。まさにその時間帯で、海が見えるダイニングルームで酒盛りをしていたわけで無謀と言えば無謀、常識では考えられないワイルドな熱血漢のみが集っていたようである。二重ガラスからは音が遮断されてなにも聞こえてこなかったのだ。まさにこの時、熱海では大食堂の窓ガラスが破られ波が押し寄せた。死亡事故には至らなかったのが不幸中の幸いである。「自分とこは大丈夫だろう」という防災心理学上の「正常性バイアス」である。ホテルの食堂には200人がバイキングなどを楽しんでいた午後7時、悲劇が起きた。幅2.2mの大きな窓ガラスは海抜5.4m。ここに波が襲ったのである。こんな多数の客が集う食堂で、「大窓が高波で壊れる」という危機意識が無かったのであろうか。小田原ではかさ上げした国道がやられている。波の高さは10mを越えたのだろう。夜明けてみると海側にある生活道路は、海岸の石が打ちあげられ高潮が襲った形跡があったという。海抜16mのこの家は大丈夫だったのであるが、我々だって「正常性バイアス」が働いていたのかもわからない。さりとてどこへ逃げる? 3階への避難通路などは全員熟知しておかなければならなかった。土曜日の午前中は薄日が差す陽気であった。しかし午後3時きっかりに暴風雨となり海面が泡立ち恐ろしいほどの大波が一面に立ち上がってこちらに向かってくる様には驚愕。絵的には面白い材料ではあったが。■白銀林道を走る・・28日(土)は台風12号の来る迫りくる中、標高300-450mのほぼ平坦な林道を20kmばかり走っていた。稜線を行くような登山ルートと違って林道は等高線を行くため果てしなく長い。山の襞を正確に舐めていくため直線の3倍は距離が嵩む。一方景観はというと、林道の先端に空が見える位置まで走るような感じ。そこから相模湾が見えるかと思えば樹林帯が邪魔をして見えず、すぐカーブとなって谷側に方向を変える。谷筋に到達したら再度山の先端部分まで走る。何回繰り返しても尽きることはない。それこそ何百回と。重いリュックを担いでのrunは精神的にも肉体的にもこたえる。漫然と走っていてはもっと疲れるためカウント走法を取り入れる。左右いずれかの足で65歩をカウントして100mとし、およそ200mごとに立ち止まって一呼吸入れる。1kmごとに5分ほどの小休止。2kmごとに10分間の休憩と。これを果てしなく繰り返すと漸く終わりが近づく。星ヶ山公園へ到着した。もうここは湯河原である。やっと真鶴半島が眼下に。ここからは林道をそれて真鶴町へ下っていく。全長30kmくらいの白銀林道。舗装面60%、砂利道40%という道であった。湯河原町側にも鵐窟(しとどいわ)という名前の岩があり、源頼朝が追手から逃れるために隠れた岩だったのだろうか。湯河原駅をStart-goalするコースに白銀林道を加えた10kmくらいのハイキングが面白そうである。一般的には、早川-真鶴間の白銀林道はお勧めするものではない。徒然の記その2 百聞は一見に如かず・・・ 2018.7.28(土)■土曜日:日テレ10pm-サバイバル・ウェディング(波瑠-伊勢谷友介)の台詞。宇佐美博人編集長(41)(伊勢谷友介)が部下の黒木さやか(29)(波瑠)に言った長いセリフには驚愕した。「百聞は一見に如かず」の諺である。「百聞は一見に如かず、百見は一考に如かず、百考は一行に如かず、百行は一果に如かず」・・もともとこんな長い諺であったのだろうか。「聞くだけでなく実際に見よ、見るだけでなく考えろ、考えるだけでなく行動しろ、行動したら結果を出せ」と畳みかけて黒木さやかにプレッシャーを掛けていく。なかなかの説得力のある言い回しであった。Plan-Do-See-Checkの具体例かもしれない。猛烈サラリーマン必携のビジネス語録だろうか。徒然の記その3 お昼寝 2018.7.31(火)■牛肉とアボガドとミニトマト・・材料はこれだけ。至って簡単な肉料理である。サラダドレッシングはオリ-ブオイル(できればエキストラ・バージンオイル)とレモン汁と塩コショウといういたってシンプルな料理である。生協の食材だけで簡単に作れるのである。小生が自分用にレシピを見ながら作って食べ切っている。このレシピがまだ食卓に残っていたので今度はカミさんが挑戦することになった。牛肉があったので、アボガドとミニトマトを買い足してある。レシピは少し読んで覚えていたらしい。ところがドレッシングを作る段になってオリーブオイル大匙3+レモン汁大匙2などと書いたレシピが見当たらない。まぁいいかということになってアバウトに作り始めた。この時のセリフが「お昼寝する前にはちゃんとあったのに・・。」笑ってしまった。まぁ上品と言うか、幼児っぽいというか「お昼寝」という言葉を幼児期以来使い続けている女性がここに居た!徒然の記その4 Facebook同時投稿機能の終了 2018.7.30(月)■blog更新時にfacebookにも更新を伝えることができる「同時投稿機能」が2018.7.30をもって終了した。かわって 日記投稿完了時にFacebookにシェアできる機能を追加予定という。さてなにが違うのだろう。Livedoorの「歩き塾」blogにあるfacebook連携機能もなくなっている。facebook側の方針らしい。今回分から、自分でfacebookに楽天blogのアドレスを貼り付けてみよう。徒然の記その5 真夏の武蔵野中央公園 2018.8.2(水)■300m四方の武蔵野中央公園。現在、NTT武蔵野研究開発センターや武蔵野陸上競技場、武蔵野市役所などの周辺の施設がある場所はもとは中島飛行機武蔵製作所西工場敷地であった。引き込み線は三鷹駅から緑道とし円弧を描いて残っている。自宅から1.5kmしか離れていない旧サラ文の紙飛行機名人O氏と、善福寺の自宅から3.7kmしか離れていない同・凧あげ名人Y氏のホームグランドである。夏休みのイベントとして幹事組がここに集まろうと言うことになった。ここへ自宅から32kmのturbo717が参加することになったのでさぁ大変。13時三鷹駅集合であれば、直接武蔵野中央公園まで走っていきたいと7時に橋本駅を出発した。2年後の五輪の女子マラソン開始時間と同時刻。しかし朝7時の気温はすでに30度を越えている。小山内裏公園→南大沢→大栗川側道→聖蹟桜ヶ丘→多摩川関戸橋→中河原→分倍河原→府中→府中の森芸術劇場→人見街道→西武多摩川線・多摩→野川公園→新小金井と25kmくらい走ってあまりの暑さのためダウン。4.6kmを残してあえなく皆の集う三鷹駅のサイゼリアへ。14:00に到着もビール一杯で、灼熱地獄であろう武蔵野中央公園へ。どうも当日の式次第は、まず三鷹駅で腹ごしらえをした後、公園へということだったらしい。こちとらはもう公園はあきらめて昼の飲み会で散会かなぁと早合点。ランニング姿は「新小金井駅」で着かえてしまっている。こういうことなら、あと4.6km走って中央公園に走ったであろうに。微風での「連だこ揚げ」には相当の脚力がいるのだ。もうすでにこちらはビールと普通服で走る気にもなれず、桜の大木の日陰で一歩も動かず、見学のみ。広々とした公園は、緑の絨毯で実に気持ちがよい。こんな広い緑の公園を見たことがない。新宿御苑の英国風庭園の10倍はあるのではないか。10万平米のど真ん中が広場で、樹木が辺縁に植えられているのみで、風のない朝が、紙飛行機愛好家が集い、午後の風をうけて凧愛好家たちが集うという。だれもいない真夏の、37℃の昼下がりである。大人8人が、たゆたゆとした雰囲気で談笑。なにか大正時代に戻ったような静かな時が流れた。こんな経験も初めてである。4時すぎ散会し、東西南北に皆が去っていく。面白い会であった。■真夏のrun・・木陰のない歩道や車道、橋の上などカンカン照りのrunは危険である。ベンチがあればそこで寝そべって休むということを繰り返しているうちに戦力(推進力)がゼロとなり西武多摩川線の新小金井駅に12:20に辿り着いた。野川公園の広大な敷地が、ICUに隣接して広がる。この芝生に寝転んで涼を取るもとにかく暑い。足は全く動かなくなっている。しかもだ、芝生にサングラスを置き忘れたがために再度戻るということまでしてしまっているため結局三鷹到着が14:00となってしまった。次回もし同じコースを走るようであれば、朝5時runningスタートとしたい。徒然の記その6 夏休みこども霞が関見学デー 2018.8.2(木)■26の府省庁がそれぞれ独自のプログラムを用意し、子供たちに霞が関を知ってもらうイベント。国会図書館、気象庁、内閣府、各省などが加わった大規模な子供向け見学会が8/1-2の両日挙行された。自宅から国会議事堂前までは丸ノ内線でほんの20分である。ここに通勤している婿殿からの誘いで、「こども見学デー」に「パパの職場を見る」という大命題をかがげて孫と一緒に行ってきた。対象は小中学の生徒であるが、こちらは若干3歳4ヶ月。首筋にベロが付いている帽子、リュック、水筒、サンダル、半ズボン、Tシャツといういでたちの豆粒のように小さい孫と地下鉄に乗った。3歳児が普通の大人社会に混じると、どれほど小さいか驚くほどである。虫眼鏡をしないと見えないくらいに小さいのである。座席も半分あったら足りるほどで、混んできたときに膝に抱いて席を空けたくらいである。その孫が、なんと官庁街の職場に入ったものだから突然のヒーローになってしまった。真新しいビルは明るくピカピカ。国会議事堂、首相官邸の緑が窓越しに見える。Expo会場のように建物の一角がこども用のスペースになっており既に賑わっていた。いろんなゲームや工作が楽しめることになっていた。職場を一巡するのではなく、父親なり、母親なりの座席まで行くことは許され、そこからは子供たちは一か所に集めらて遊ぶようなしかけになっている。若い職員などが、子供対応を分担するようであった。内閣府では、北方領土イメージキャラクター「エリカちゃん」などが出迎えてくれた。尖閣諸島、北方領土、沖縄諸島、PKO活動(南スーダン)、拉致被害者全員復帰のブルーリボンキャンペーンなどがkeyword。PKOで実際に使われてテントや浄水器の展示など。孫は「北方領土」の海で魚釣りを楽しみ、ネームプレート作成ロボットを操り、風船をもらい景品を手にし、紙コップ・プラネタリュームを作成してと1時間半を夢見心地で過ごした。12:00には職員食堂に並び昼食。孫はリュックにある食材と出かけるときに買ってきたオリジン弁当屋のおにぎりなど。赤い風船を座席に結び付けているのでどこからでもよくわかる。皆がほほ笑む。プラネタリューム作成には30分の予約制で、人気のコーナー。小学生達にまじり小さな孫がテーブルに着く。テーブルからは首しか出ていない。大学院のお姉さんが説明してくれて工作を進めていく。99%父親がそれを助ける。コップ2つを重ね黒い紙を貼り側面に星を付けていく。底にピンで差した星座の穴に向けて小粒の懐中電灯を点灯させると天井に星座が浮かび上がる仕掛け。なかなかの作品である。■爺さん自滅・・この孫を家に連れ帰り、ママが帰るまでは「お昼寝」と思いきや、13:30から18:30までの5時間。まったく寝ないのである。もらった風船の重しになっていた四角い紙は、パパの職場のエレベータに早変わり。身長を図るための10cm-100cmまでのパネルが1階から10階までのビルとして利用され、1階→6階、6階→10階、・・これを延々やるのだ。父親の職場であった6階で待っていてもなかなかエレベーターはやってこない。どうも1階で荷物の出し入れで手間取っているらしいのだ。6階に来たので乗ろうと思ったのに通り過ぎて10階まで行ってしまう。孫の言葉を復唱することを求められ・・こっちはだんだん眠くなってきた。うつらうつらしだすと、声の変化に驚き「お爺ちゃん、寝ちゃダメ!」と言って起こされる。もうこっちはしどろもどろである。ロープがあったので固く結んでも一瞬のうちにほどける手品をしてあげた。固い長めの木片を一回頭にぶつけて固いという印象を与えながら、それをフニャフニャに見えるように前後して両指を操作する。驚きの展開。実際に木がフニャフニャになってしまうのだ(これは錯覚の手品)。孫の驚いた顔。まず爺の頭を打ってから手品を始める。こつを掴めていないので木は固いままである。かくれんぼに移行。まだそのやり方が掴めていない。見つけた場所で、数えだすのだ。ある場合は10.9.8と逆に数えていく。終わると大きな声で「お爺ちゃん」泣くようにわめきながら部屋中を探しに回る。こちらは小声で場所を教える。孫が毛布の下に隠れたときだ。そのまま寝てしまうかもしれないと分からぬ振りをしてそのままにしておいた。敵もさるもの。「毛布をごそごそ」させてアピールしている。見つけない訳にはいかなくなった。おやつを食べながら通っている子供園のことを聞いてみた。「好きな女の子はいるか」と。「うん。Mちゃん。だけどこんなに小さいんだ。あまり食べないから。」手をズボンの位置にあてがう。自分も小さいのによく人のことが言えるものだ。「好き嫌いはないか?」と。「ない。」と答える。「あっ。一つだけある。」と。「レモン。あれ酸っぱいんだ。」と顔をしわくちゃにする。大人だって苦手である。子供園でのおやつは大変であるらしい。手順が相当あるようで、それを長々と喋る。一番最後に「おやつ」にありつけるらしいのだ。世の中、こんな時期から甘くないということを教えている。さてその後も遊びは続く。オリンピック選手のように幅跳びをし、でんぐり返りをし。それを前向き一回転して立ち上がることを教えたのであるが要領を得ない。着地で寝てしまうのだ。次回までの宿題とした。漸くママが帰ってきた。こちらはもう汗だく。大変な1日となった。
Aug 4, 2018
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白銀林道run-真鶴、台風12号_ story (4354)2018.7.28Typhoon No. 12 is going north-east ward .It will be breaked into a dogleg shape on the Izu Islands and landing in Kinki and West Japan- Chugoku area.Flood damage in western Japan has not been repaired yet and it is put at risk again. Extreme weather conditions such as heavy rain of 200 mm par one hour or extremely hot temperature of 41.2 ° C. repeated agein and again.. There is no such thing as large amplitude width and moderate. It seems to be a global trend.台風12号が北上し、伊豆諸島で、くの字に折れ、近畿・中国に上陸しそうな勢いである。西日本の大水害はまだ復旧しておらず再び危険にさらされる。ここのところ41.2℃という猛暑に、200mm/1時間という大雨という極端な気象状況が繰り返される。振幅の幅が大きく、中庸といったものがない。世界的な傾向のようである。Hyogojima-island,New-Futakobashi-bridge(二子玉川駅から兵庫島、246号線(厚木街道)の新二子橋 2018.7.25(水))右の川が野川(国分寺から流れここで多摩川と合流する、この直前に仙川とも合流している)目次徒然の記その1 Viola-Lesson徒然の記その2 ドクダミ茶徒然の記その3 「晴れの日も、雨の日も 2」 徒然の記その4 WiFiの事情徒然の記その5 歩き塾「等々力渓谷」徒然の記その6 真鶴合宿徒然の記その7 TVドラマ徒然の記その8 エアコン狂騒曲徒然の記その1 Viola-Lesson 2018.7.24(火)■Alessandro RollaのDrei Duos 3番 Allegro espressivo これがなかなか合格点をもらえないのだ!だんだん厳しくなるのは、中途半端な妥協がされずハードルが徐々に高くなっていくからではないかと推測する。装飾音の感じ方が間違っていると。印刷によれば音符の前に書かれているので、つい早く弾いてしまうのであるが、拍の頭から弾いた装飾音で、その直後の八分音符などもきっちり八音符分弾かなくてはならず、あなたのは胡麻化しているのだと。シンコペーションの箇所も正確ではないと。♪♩ ♩ ♬ ♬♬ という1小節分の箇所をそれこそ繰り返し30分ほど絞られる。手拍子と拍が合っていないのだと。もう死にたくなってしまうではないか。腐るとはこういうことである。なぜ出来ないのだ!と己の頭をカチ割りたくなる瞬間である。手拍子がシンコペになったとたん、乱れているのだという。脳細胞に文句を言ってもらいたところである。。turbo717はちゃんとやっているつもりが、先生から見ると手拍子自身、途中から変調し誤差があるのだと文句を言う。・・家でよい練習方法を思いついた。最近復活したスマホをズボンのポケットに入れ、イヤホンからメトロノームの音を聞きながら通してみよう。4拍子、♩=80,85,90などとspeedを変えて。イヤホンだと確実に拍子が捉えられる。Duoでは両人まったく違う楽譜を弾いているので縦線を合わせることがなかなか難しい。まずはこの音を聞いてどこまで正確に合わせられるかを実験してみよう。絶対メトロノームを追い越さないようにし、かつ正確に弾くにはと。■続いて、Smetana(スメタナ) Má Vlast「わが祖国」「1.ヴィシェラド(高い城)」、「2.モルダウ(ヴァルダヴァ)」、「3.シャールカ」を練習。「1.ヴィシェラド(高い城)」の難解箇所は、音程通りに歌うことも加えて、ようやくパス。「2.モルダウ(ヴァルダヴァ)」、「3.シャールカ」にかけて音の確認など。ここで初めてエアー奏法を学ぶ。左手の指や右手の弓の動きだけで弾く真似をするのである。このときでもパタパタと指を不細工に上下運動をせずに必要最小限の動きでエレガントにと。指の上げシロを1cm以内と制限される。6,7,8連符が「2.モルダウ」にでてくる。それを口ずさんでいると、7連符の歌い方が拙速であると。3+4に分解して、「タタタ、タタタタ」と一拍を刻むのであるが、最後の「タタタタ」が均等ではなく、早く終わって後ろに隙間ができていると。「そのように、あなたのは何時も拙速で、万時が急いでいるのであると。」鬼の首を取られたような感じである。つくづく音楽と言うのは「時間芸術」でどんな早いパッセージも音一つ一つをクリアに歌わなければならず、さりとで悠長な歌い方ではなく時間内で歌えと。厳しい練習は2時間半。この大先生といつかデュオをやりカルテットをやりたいと高い夢を持ってはいけないのだろうか。いや前向きにまい進するのみである。時間が足りないのである。あぁ神様!上記メトロノーム法で、まずは口で歌い、拍子をとり、エアーで弾き、Violaで弾くなど。エアーであれば24時間練習は出来る。今まで遊んでいた分、寝ずの練習を開始した。次回先生をあっと言わせたい。徒然の記その2 ドクダミ茶 2018.7.24(火)■どうも名前が良くない。このドクダミ茶、当家では麦茶の替わりに重宝している。さて、家じゅうに生えているドクダミ草の3回目の摘み取りを行った。これを物干しで乾燥させ、中華鍋で燻して粉々にして缶で保存する。5gあたり200ccの水を計量して、70°1時間半のお湯出しにした”ドクダミ茶”を冷蔵庫で冷やす。これがなかなかおいしい”麦茶”となる。日曜日に採取したドクダミ草はこの暑さで、2,3日もすればカラカラに乾燥して”麦茶”の原料となった。今回は根っこも構わず採取したので分量が嵩み、中華鍋に納まりきれない。四苦八苦しながらの30分。漸く120gくらいの”ドクダミ茶”の葉っぱとなった。ドクダミ草をこれほど大事なものとは思わずいままで厄介者扱いしてきた自分を反省。いまではどの草も早く大きくなれと祈るばかりである。徒然の記その3 「晴れの日も、雨の日も 2」 2018.7.25(水)■ニックネームでTamagoさんが中心となって企画出版したcamino関連の本「晴れの日も、雨の日も」の「その2」が発行された。今回は著者3人が、それぞれ巡礼路を旅した内容が記されている。日記調の文章で、毎日辿っていく村や町の情景が克明に記され読むと懐かしい。以前通った村や町を別の人の視点でとらえるのは大変新鮮である。そのうちの2人は、完全に日記調で、毎日毎日の起床から就寝までを克明に書き、その1人は「気づき、知ったこと、学んだこと」を最後に必ず掲載してから次の日に向かうという形を取っていて勉強になる。最後の1人は、5つのコースを章ごとに述べていてcamino論を展開しこれもなかなかのものである。通り過ぎた村や町を、巡礼が終わって余裕ができてから再訪して美術館などを巡っている。このように巡礼中は先を急いていても、終わってから訪ねるというのはよいことかもしれない。また、道で出会った人の名前や印象などを鮮明な記述で描き、驚くばかりである。詳細なメモを残していたから出来ることなのであろう。■電子化への対応はどうだろうか・・カラー写真が楽しめ、スマホでも読め、100円くらいで買えるとしたらこれほど幸いなことはない。シリーズ化されていくとなると今後(その3)(その4)と冊子が増えていくだろう。このとき電子化のほうが財布には優しい。当方の6700km紀行文はHPに掲載して誰でも読める形にはなっているがこれも英訳をするなりしてKidleにあげるように模索中である。徒然の記その4 WiFiの事情 2018.7.21(土)■外国人が日本にやってきて一番不満に思うのがWiFi。Cafeに入ろうとして「WiFiありますか?」と聞いてみた。「ワッフルなんて置いていませんが」あるいは、「お宅の携帯、Docomoですか、Auですか。それぞれの端末の操作に従ってください」と。個人のpasswordを要求されてそこで終わり。日本人でも接続が不可能なのである。先日タブレットが故障して手持ちにはWiFiスマホしかなく街中で使ってみた。まずバスは有料サイトが表示されるし、電車では自社の時刻表しか使えない。インターネットをさくさくという状況を想定していないのだ。新幹線を見よ、やっと今年12月に全線「無料WiFi」になるという。「無料!」ばかげている。当たり前なのに。それも自分のメールアドレスを登録してからだという。スペインのバルをみよ。店のパスワードを教えてもらえば即インターネットが使えたのである。100年くらい遅れているのではないか、この日本。徒然の記その5 歩き塾「等々力渓谷」 2018.7.25(水)■東急大井町線の等々力駅から二子玉まで歩く旅は、実はサラ文で経験している。2年前の長期巡礼が終わった直後の11月に皆と歩いているのだ。ただ等々力不動から先の記憶が飛んでいる。谷沢川が丸子川(用水路)と交差するあたりでMaps.Meの地図を読み間違った。すこし遠回りをさせてしまった。反省。今回は、二子玉までは多摩川べりを歩かず、丸子川に沿って歩いたので新鮮。そのあたりでも崖がずっと続く。関東ローム層の下に、武蔵野粘土層、渋谷粘土層があり、谷沢川がそれらを大きく浸食したために生まれた等々力渓谷はケヤキ、コナラを主体とする雑木林で、ところどころに棕櫚がそびえエキゾチックにも見える。目を下にやれば、アオキ、ヤツデの低木が生い茂り、林床の湿地にはセキショウやキチジョウソウ、多少乾燥したところには、ヤブランやジャノヒゲ・シャガが生育し濃い緑を提供している。これほどの緑豊かな場所をよくぞ保存してくれたものある。湧水が主な水源であるが、近年は仙川からの取水で補われ、ある程度の水量を見ることができる。二子玉まではたった4.6kmの短い旅で11:40には到着。■飲む梅酢・・料理に使う「梅酢」ではなく、こちらは飲む「梅酢」。梅酒のような作り方で、焼酎の代わりに酢を使うのだという。この暑い夏の外出に水筒に薄めて持っていけば体にはよさそう。高校同期のAさんが教えてくれた。・・・(青梅1kg、氷砂糖1kg、ミツカン米酢1kgの配分で、広口瓶に保存し、氷砂糖が融ければ使用可能。梅は取り出さず、そのままにしてもよい。(段々とエキスが出て萎んでくる。)この梅酢を、主として酢の物をを作る時に使用。梅は煮魚、煮豚を作る時に生姜と一緒に使っていつ。夏は、薄めて飲料としている。)徒然の記その6 真鶴合宿 2018.7.28(土)-29(日)■貴船(きぶね)神社の例祭・・7月27日(今年は金曜日)・28日が「貴船祭り」或いは「貴船神社の船祭り」と呼ばれ、「日本三船祭」の一つとされている。金曜日は敢行。土曜日は雨で「海上渡御(とぎょ)」は行わず、陸路約700メートルを練り歩く。実は、この貴船神社の例祭を見物しようとかねてから計画しているイベントがあるのだ。4/7(土)の歩き塾で真鶴散歩をしたときにお世話になったW邸宅に皆で集まろうという。ところが土曜日は台風の影響で大雨が予報されている。東海道も止まる恐れがある。さてどうする?■7/23(月)の鶴瓶の家族に乾杯ではこの真鶴が取り上げられ、スケートの村上佳菜子 をゲストに迎えて、真鶴の岩地区や、真鶴漁港でのBBQが紹介された。当方も小田原から続く、白銀林道をいつか極めなくてはいけないと思っていたので、貴船祭に皆が集まると聞き、便乗させてもらうことになった。ただ問題は、数ある林道から「白銀林道」を特定し、GeographicaやMaps.Meにマップを作成するという事前準備を行う必要がある。サイクリングの人たちがガーミンで克明に記録したデータを一部参考にさせてもらった。今回は早川から真鶴駅、貴船神社までの25kmをカシミール3Dで作画しkmlファイルを得た。Geographica及び、Maps.Meにインポートして持っていく。実際は距離を短縮して根府川からのアクセスとし、台風の風雨をさけるようにしたい。紙ベースで書き写した100箇所ほどの分岐点mapを携行しよう。この赤いルートを走って貴船神社へ向かった。台風の影響をうけ海上渡御(とぎょ)は行われない。神輿も13時には終了した、まぁ来年を期待しよう。15:00から予報通り大潮下の強風雨で海上は大荒れ。徒然の記その7 TVドラマ 2018.7.26(金)■夏ドラマ・・・以前は10-12週間のTVと言えば、春、秋、冬の3シーズンであったのに、最近は夏シーズンが加わり忙しくなった。見なければいいのであるが、気になる俳優が出ているとなるとどんなものか?とチャネルをひねることとなる。日曜日:NHK総合8pm-西郷ドン、日テレ10:30pm-ゼロ 一獲千金ゲーム(NEWS・加藤シゲアキ、小池栄子)月曜日:フジ9pm-絶対零度~未然犯罪潜入捜査(沢村一樹、横山裕)、東京10pm-ラストチャンス 再生請負人(仲村トオル、椎名桔平)火曜日:TBS10pm-義母と娘のブルース(綾瀬はるか、竹野内豊)水曜日:NHK Eテレ10pm-又吉直樹ヘウレーカー木曜日:テレ朝8pm-遺留捜査(上川隆也、栗山千明)、9pm-ハゲタカ(綾野剛、渡部篤郎、沢尻エリカ)、フジ10pm-グッド・ドクター(山崎賢人、上野樹里)、日テレ11:59pm-探偵が早すぎる(滝藤賢一、広瀬アリス)金曜日:テレ東京8pm-警視庁ゼロ係3(小泉孝太郎、松下由樹)、TBS10pm-チア・ダン(土屋太凰)土曜日:日テレ10pm-サバイバル・ウェディング(波瑠-伊勢谷友介)ざっと13のドラマやドキュメント。これにクラシック音楽、山などの旅番組などを加えると、目が回る忙しさである。9時以降はほとんど仕事にならないのだ。何かをcutしていこう。カミさんはこれらには、スポーツ番組同様まったく興味を示さず静かに暮らしている。そっちのほうが誠に健康によいのではないかと。この中で喜劇めいた傑作のドラマが木曜日の日テレ11:59pm-「探偵が早すぎる」で、コミカルな運びが面白い。火曜日のTBS10pmの「義母と娘のブルース」の元キャリアウーマン(綾瀬はるか)の快進撃に胸がスーとし、木曜日のフジpm10のグッド・ドクター(山崎賢人、上野樹里)では新米・自閉症のドクター(山崎賢人)の天才的な知識や子供への思いやりが危機を救っていくドラマには始終ハラハラし通し。胸騒がしい1週間となっている。罪なテレビ局殿であることよ。■人生の七味唐辛子とは・・・月曜日のテレ東京10pm-「ラストチャンス 再生請負人」の初回に面白い表現があった。再生請負人(仲村トオル)が占い師から「人生には、恨(うら)み、辛(つら)み、妬(ねた)み、嫉(そね)み、嫌(いや)み、僻(ひが)み、やっかみ の七味がある」と告げられ、2話目もこのセリフがあったことだ。どうも小生の生きざまを言われているようで耳が痛い。凡人の凡人たる所以である。こういう煩悩を脱却したく長距離のサバイバルマラソンをやっているのであるが。甘くはないようである。徒然の記その8 エアコン狂騒曲 2018.7.23(月)■エアコンが超品薄である。今注文すると入荷は8月末であると。メーカーはフル生産体制であるが間に合わないという。嬉しいが夏休みがなくなると悲鳴が聞こえそうだ。我が家も、知り合いも例外ではない。故障したエアコンの修理なんて論外であるらしい。あぁ6月中になんとかしておくべきであった。本宅のマンションはあまり使われていないのにしっかりエアコンが故障している。どうも温度設定ができず弱いままである。しかもだ。スイッチonをしようとリモコンを操作しても1/100万しかonにならないのだ。部屋の空間のたった1点のみが赤外線に反応する。エアコンからみて、43°左17°下、前方37cmのこの空間の1点のみしか反応しないである。リモコンのon-offでその1点を探すのに10分経過した。まだ作動はしない。もう諦め外の風に頼ることにした。今はだれもいない部屋であるが、またDuoや撮影会をしようとなると必要になる。ということで、18畳(鉄筋の場合は22畳)用の「56型」を買いに家電量販店に走った。店員はP社のキャンペーンということでたすき掛けをして気張っていた。機種を選び注文してもらたっが在庫はなく9月になるという。たすき掛けが泣くではないか。9月にしか入らないくらいであれば半額にでもしてもらいたいものである。カミさんも粘った。マンションの業者がポストに入れていたチラシを握りしめ、価格の差異を見極めようと必死。「いつ頃買いにくれば安く買えたのでしょうか?」と。店員曰く。6月にはNewモデルが出る為その時期に去年の古い型が残っていれば安く買えたかもしれないと。と、ここで店員の頭に「!マーク」が点灯した。ひょっとして去年の型であれば在庫があるかもしれないと。26畳用の「63型」だとお部屋学習機能など新機能が付かないだけでほとんど差がないという。しかも「56型」の最新機種より安いと。在庫があるらしい。そ、それにしますと即決。5,6万円ほど安く買えたのではないだろうか。これなら8月4日に設置が出来るという。この暑いのにご苦労なことだ。これで、いつでもDuoが出来る!
Jul 28, 2018
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とにかく暑い! 第3金曜日とは。_ story (4353)2018.7.21It is dangerous heat in Japan. The tropical night has continued for 10 days, and NHK announcement at noon is also exclaiming that "it is most dangerous heat in life." I already have a plan to go out to the summer vaction in the Alps.日本中がものすごい暑さである。熱帯夜がずっと続いており、昼時のアナウンスも「命に危険な暑さであると」最初に叫んでいる。もうアルプスにでも避暑にいくしか手がないのでは。San-ya area in Asakusa-Nihondutumi (山谷の今 いろは会商店街 2018.7.20(金))以前はアーケードがあり、天蓋の下がホームレスの人たちのねぐらとなっていた。老朽化のために最近取り払われたという。すっかり様子がかわり驚愕。Yoshino street with Tokyo Skytree as the background都道494号線(吉野通り)。かってはカエデなどの街路樹があったが今はない。この浅草界隈も徐々にあか抜けていく。ともに3分間の割りばし画。目次徒然の記その1 ファミリーコンサート2018徒然の記その2 烏がカーと鳴く徒然の記その3 秩父-音楽寺試走 徒然の記その4 セルバンテス文化センター・ワイン講座徒然の記その5 第93回山谷ミニコンサート徒然の記その6 熱中症徒然の記その7 パン作り徒然の記その8 歩き塾 報告会 徒然の記その1 ファミリーコンサート2018 2018.7.15(日)■市民響による手作りオーケストラは2年に1度第九の無い年の夏に開催している「0歳児からのファミリーコンサート」。このコンサートほど面白いものはない。泣き叫ぶ赤ちゃん、喧嘩する幼児たち、高校生になっても来るリピーター、ハラハラする親御さん、年配の方々・・あらゆる層のお客が音楽に包まれる。子供たちはだいたいにおいて茣蓙(ござ)席。大人たちは椅子席。500人くらいが入れる大広間中央壁際にステージを作った。150組程度のお客が入るころには、オケも席に着き、演奏が始まる。指揮者は当団のクラリネット奏者のY氏。黒い大きめの蝶ネクタイは、休憩後は赤の蝶ネクタイに切り替わり、後半は歌のプログラム構成。司会と歌はプロの奥野恵子さん(メゾソプラノ)。今回の目玉は直接打楽器に触れられるということで、休憩時間はそれぞれの打楽器の前に列ができて叩きまくる。プログラムは下記管弦楽・・F市民交響楽団、指揮Yさん、場所:府中の森芸術劇場・2F 平成の間 13:30開場、14:00 開演 15:30 終演 主催:F市民交響楽団 後援:F市・オッフェンバック:「天国と地獄」、これに楽器紹介が続き、弦楽器、木管楽器、金管楽器と「天国と地獄」の小節を再度演奏し、最後に合奏というように絵の具の三原色のように音の構成が理解できるように工夫した。打楽器紹介がすごい。1300種類くらいあるという打楽器から12種類(ティンパニ、大太鼓、シンバル、小太鼓、タンバリン、トライアングル、グロッケン(鉄琴)、スウィートチャイルド、ドラ、カホン(木の箱)・・)を順番に説明し最後にドラムロールを演奏。・ヨハン・シュトラウス:ポルカ「雷鳴と稲妻」、ヨーゼフ・シュトラウス:「鍛冶屋のポルカ」休憩後・フニクリ・フニクラ、・海、・イッツ・ア・スモールワールド、・久石譲:となりのトトロより「さんぽ」・・これは皆で歌う。実はヨーゼフ・シュトラウス:「鍛冶屋のポルカ」で鑕(かなとこ)を叩くのを小生turbo717にやらせたら面白いだろうという声が部分的に上がっていた形跡がある。そこでやりたい反面、「打楽器奏者」を置いて素人の私がやることは顰蹙であると逃げ回っていたのである。大学オケの音楽教室でもこの「鍛冶屋」は人気のプログラムでありどこで叩くかは頭に入っているのだ。しばらく叩かない小節があって、この時はパンをかじったりビールを飲んだりと”休憩スタイル”を誇示し面白いのである。すぐまた出番がくるため急いで、金づちを持ちトントンカンカンと叩くのである。われわれのは、鉄道関係に知り合いが居たということで、実際のレールを長短2本用意し、それを交互に叩くことで音楽に参加する。これはあまり真面目に叩くと面白くなく多少失敗したほうが味があるポルカに仕上がる。YouTubeでも多種多様の”休憩時間の過ごし方”があり見ているだけでも面白い曲である。休憩時間での「子供たち係り」には、ぜひということで、念願の「鍛冶屋コーナー」を担当させてもらった。子供用の小さな鑕(かなとこ)とハンマーが用意されたので主にこちらの方を「チンチン、カンカン」と叩いてもらう。大きなKidsには、実際のレールを叩きてもらう。ドラ、大太鼓などの人気打楽器に比べると”客の入り”は芳しくはなかった。”F1ドライバー”を目指す孫たちも家族で駆けつけてくれ、なかなか面白い1日となった。■フニクリ・フニクラ・・イタリアのベスビオ火山にロープウェイが掛けられてときに作られた歌でCMソングのはしりとなったという話を歌手の奥野さんでがしていた。徒然の記その2 烏がカーと鳴く 2018.7.16(月)■カー・・・カゥアー・・ガー・・カミさん 朝食の席に着くなり、カラスの鳴き声をまねている。外に沢山いるカラスと会話しているのである。音程もメロディーもいたって単調であり、どうみても「カー」一声しか聞こえないのであるが、「あれで結構会話しているのネェ」と不思議がり、「よく通る声ねぇ」と感心もする。他の鳥のようにピーチクパーチク長いセンテンスで歌わない。たった一言「カー」である。その1音に「貴方! 今日は35℃以上と猛暑日よ。子供たちにも熱中症にならないように注意しないとね。木陰でやすみましょう。」を一言「カー」で済ませているのである。超音波分析すると多重の音声正弦波が隠れている筈である。今日の夕刻、腐りきった小生もカラスをうらむが如く「カー」と泣きたくなった。なんの成果もなく残念な日として暮れていく。諸悪の根源はタブレットの充電不良である。秩父で暑さにやられたに相違ない。後半から充電しなくなり、最後は電力不足(残量ゼロ)で電源オフとなり、二度と復帰しなくなったのだ。そこで「ASUS MeMO Pad 7 LTE モデル ( ME572CL-BK16LTE)」の修理先を選ぼうとネットで調べまくり、ASUS(エイスース)カスタマーセンターに電話を繰り返すこと3回。外国人のお姉ちゃんが対応してくれるも、故障品送り先の「千葉県東金市士農田」というのがうまく伝わらないのだ。「おおがにし」とも聞こえ何回聞き返しても、「とうがねし」とは聞こえないのだ。郵便番号は聞き取れたのでもう大丈夫と電話を切ったが、なんとそのあとの「士農田」を聞き逃した。「おおかにし」に気を取られている間に「士農田」も同時に言っていたのかしら。最後の電話では傑作だ「弁護士の「し」です。これはよいとして「農」を造りから説明するものだからかえってややこしい。「一を描いて、棒を2本引いて・・」と「農」を説明し始めた。パソコン画面で郵便番号を出しておいたので、同じ郵便番号にある8つくらいの町名から「士農田」を特定でき事なきを得た。しかし、修理がものすごく高い。最低2万円はする勘定である。他にも探すと「○○修繕堂」というのもあり、netで検索していくと、「充電不良」という”商品”を買えという。不思議なシステムである。既存のnet Shoppingのような決済システムを採用したからであろう。通常の手順で「充電不良」というのを籠に入れて決済をする。ここでやっと業者の住所が分かるという形で、非常に不安。最初は詐欺にあったのではないかと焦ったが、メールが届いていた。もっと詳しい情報を教えてくれと。お金を振り込んだらやっと住所を教えくれるようなシステムはどうかと思うが、溺れる者藁をも掴むという心境。■タブレットが2,3週間使えなくなるということは・・。床に転がり埃にまみれていたスマホの出番となった。WiFi環境しか使えないがオフラインmapが使えるので有効であろう。それをまた充電し起動させる。、地図情報などが入っている外付けSDカードを入れ替えてMaps.MeやGeograhicaを起動したりと。こちらも忙しいのだ。而して1日の大半をタブレット充電不良事件のために潰す。ほとん仕事になっていないのだ。「カーー」と泣きたくなった心境である。・・・このタブレットもようやく修理を終えて7/21(土)に戻ってきた。徒然の記その3 秩父-音楽寺試走 2018.7.18(水)■大学オケのOB仲間が過去何回か秩父ミューゼの丘で合宿を行っている。その都度早朝に抜け出し、麓まで一周ジョギングを行ってきた。そのとき毎回注目していたのが不思議な名前の観音さん「音楽寺(おんがくじ)」があって、これがそもそも”秩父ミューズパーク”の語源になったのではないかと思っている。このお寺にお参りするのがrunningの目的ともなっていたのだ。それがなんと、秩父巡礼の札所になっていたとは驚きである。23番札所 松風山音楽寺である。丘の中腹に江戸巡礼古道があるらしく今回の試走はその古道を発見するのが主目的。■横瀬駅着は・・この日の夜に予定している「スペイン・ワイン講座 CUL49」に間に合わせるためには西武秩父を遅くとも16:38に出発せねばならない。西武秩父駅前にある「祭の湯」で一風呂浴びたい。15:00にはここに到着しておきたい。ということで 逆算をして橋本発4:46 横瀬着6:46というスケジュールとして、札所12番から25番までを回るべしという過酷な案を立案した。今回のrunningは、ボルドー→ジブラルタルの歩き旅と同様の「WiFiスマホ」によるルート地図だけでの心細いrunningとなる。こころせねば!実際はこのスマホも熱にやられたか早々と充電が切れ補充ができなくなってしまった。頼りとなるのは、1番札所の 四萬部寺(しまぶじ)で買っておいた「秩父札所道案内」という折り畳みの地図帳のみである。漫画風に書いてあるためあまり正確ではないがランドマークが入っているためそれを手掛かりにすれば大体のところは察しがつく。横瀬駅から羊山公園を回り込み、12番札所の「野坂寺」へ。なかなかの小道である。23番音楽寺は標高350m、24番法泉寺までは3.5kmの山道。25番の「久昌寺」までさらに2.9kmもある。ちょうど25番から24番へと逆に歩いてきていた自元男性群は12:30の御弁当を食べながら今日は終わりと言う。15時には38℃の予報らしく歩行は危ないと踏んでいる。ならば当方も25番札所をcutし、今日はここで打ち止めとし最寄りの影森駅までの2.5kmを走ろうと決断。23番音楽寺では、玄関先のベンチで昼寝をさせてもらっている。この暑い中お参りする人の影は車巡礼者くらいでわずか。23番→24番の山道は、江戸巡礼古道のうちの、長尾根道(小鹿野道)にあたり、途中念仏坂という坂道が山間にひっそりと横たわり往時を偲ぶことができたが、今はほとんど歩かれることはないという。県道に降りてしまえば歩道はないし、古道はup-downが半端でなく苦しい。どちらを取るか迷うところである。しかし今後の試走でも可能な限り古道を取って検証していこうと思う。■西武秩父駅の「祭の湯」。2017年にopenした温泉施設は1階部分に土産物屋やフードコートを配し、温泉とグルメを堪能できる複合型施設である。かっての西武秩父駅がおしゃれな街へと変貌をとげており驚くばかりである。runを早く切り上げたおかげで、温泉施設をたっぷりと堪能できた。思えば、海外を含めこういう施設に入るのは5,6年振りであり懐かしい。岐阜の中津川時代には周囲の温泉地によく通っていた時代であるが、最近はぱったりと行かなくなってしまったことに気付かされた。徒然の記その4 セルバンテス文化センター・ワイン講座 2018.7.18(水)■スペイン・ワイン講座 CUL49第3回「カスティージャ・イ・レオン」 講師はバネッサ・ロドリゲス・ベジョ 今日の講座は、Camino Mozárabe →Camino Vía de la Plataの経路の最終段階、Salamanca(サラマンカ)が中心。サラマンカ大学や、大聖堂の中の様子が克明な写真によって説明されていく。Las Cañadas Reales,Zamora(サモラ)、Las Cañadas Reales、 El Campo Charro など地域や地名がでてきて祭りや風俗、放牧の様子など微に入り細に入り説明がスペイン語onlyで続く。皆は笑い、納得顔。こっちはまったく解らん!。しかし独自の翻案と無限の想像でだいたいの話を理解した積り。出されるワインと料理の数々。美酒に酔った2時間であった。ワイン3種・・Mantel Blnco 2016(白、フルーティーな香りで、これが一番おいしかった)、Laderas de Leonila(赤 濃く、きつい味のするワイン)、Liberalia 4(赤、Las Cañadas Realesよりは味わいのあるワインだった)本日は14人の参加で、会場に余裕があった。最後のワインLiberaliaのラベルに目を通してみた。La denominación Liberalia constituye un hamenaje al dioa Liber,Ilamado BACO en la mitologia romana. Propias del Liber itálico,eran las fiestas Liberalia,durante las cuales ,mediante el consumo racional de vino,se conseguia "la liberación de las preocupaciones del aima ,fortaleciéndola y tonificándola,dándole audacia para empreder cualquier resolucion".Elaborado con la variedad autóctona "Tinta de Toro"adaptación al"terroir"de la variedad Tempranillo".Selección rigurosa en mesa de recepción,de los racimas de nuestros viejos viñdos,vendimia manual.Envejecimiento en barrica de roble americano y francés durante 12 messe,largo tiempo afinandose en botelia. Clarificado con clara de huevo natural,sin estabilización por frio,per lo que puede presentar precipitados.翻案はこんなものではないだろうか。Liberalia(リベラリア)は、ローマ神話のBACOと呼ばれるディオア・リバーから命名された。ティンタ・デ・トロ種から作られている。古いブドウ園での手作業による収穫。アメリカとフランスのオーク樽で12ヶ月間熟成させた。寒冷地では沈殿を引き起こすことがあると。徒然の記その5 第93回山谷ミニコンサート 2018.7.20(金)■第93回山谷ミニコンサートが「 神の愛の宣教者教会」台東区日本堤2丁目の集会所で開催された。今日のSolo曲はVcとVa。モーツァルトのVn-Va二重奏曲K424から2楽章:アンダンテ。続いて合唱(ナツメロ・唱歌等 )は、「われは海の子、森へ行きましょう、わたしをお使い下さい、アロハ・オエ、山の人気者、高原の駅よさようなら、山のロザリア、山男の歌、想い出の渚、365歩のマーチ」このように季節がら海にまつわる曲が集めらている。太字がViolaで伴奏をする曲である。「365歩のマーチ」は毎回歌っているので大合唱となる。これは皆で合奏をする。「わたしをお使い下さい」は、「ごらんよ空の鳥」とともに替わりばんこに毎月歌っている教会音楽である。■何を隠そう。2018.7.13(金)にもこの山谷に来ているのだ。これには訳がある。第3日曜にあたる15日がファミリコンサートで、この日のチラシを多数もって”山谷ミニコンサート”に駆け付けたのである。てっきり13日も第3金曜日だろうと思って。歌を唄うギャラリーにおられる方々にはお孫さんがおられる。そいう人への宣伝と思って。気がはやってしまったようである。息せき切って玄関のベルを鳴らした。いつものように早めの到着で、譜面台をセットしようとしたのだ。ブラザーが出てきてキョトンとしている。「今日は第2金曜日」ですけど。まだ訳がわからずキョトンとしていると、カレンダーを見せられて今日は山谷ミニコンサートの日ではないと。来週20日の金曜日が第3金曜日だという。うっかりしていた。人に言われるまでそれに気が付かなかったとは。思い込みで行動している悪い癖がでてしまった。トボトボと家に帰ったのは言うまでもない。往復6時間のロス! 帰ってから書斎のカレンダーを見ても13日(金)には何も書かれていない。freeの日であったのだ。貴重なfree日をコンサ-トのチラシ渡しということだけを考えて行動したばかりに大変なミスを犯してしまった。第〇曜日というのはよほど注意しなくてはいけない。三社祭の土曜日は、第3土曜日ではなく、”第3金曜日に続く土曜日”として規定される。例えば、第三土曜日でもっと早い日が15日であるが、その1日前の14日はまだ第2金曜日であるので、そういう月の三社祭は、21-23日というように最も遅い3日間となる。因みに最も早い第三金曜日は15日なので、そいう月の三社祭は15-17日の3日間となる。13日で第3金曜日というのはあり得ない。と早く気付かなければならなかったのだ。以上の顛末が7/20(金)にブラザーより暴露されることに。ばれてしまったからにはこのblogでも公表しなくてはと、重い気持ちで筆を執った次第だ。反省!徒然の記その6 熱中症 2018.7.19(木)■熱中症になりやすい人とならない人の違いは・・耐力の違いだろうか。思うに劣悪な環境に住んでいる人は耐力があって熱中症にならず、冷房の効いた贅沢な環境に住む人は耐力がなく表に出たとたん熱中症になるのではないか。18日に41.2℃を記録した岐阜県の多治見市の小学校は冷房装置がないと聞く。ようするに劣悪な環境に育つ子供たちの耐力は抜群ではないかと。わが相模原市の小学校には冷房がついた。よって耐力が落ち、今後不用意に冷房の無い体育館やグランドでは注意が必要となる。わが方を見よ。2階には冷房がなく扇風機だけである。そのため暑さへの耐力は抜群で、炎天下を走り回っていてもビクともしない。徒然の記その7 パン作り 2018.7.18(水)■水曜日は事情あってパン作りをカミさんに頼んだ。「はい」という最短のメールが返ってきた。家に帰ってみるとちゃんとパンは出来ていた。翌日をそれを食べようとして切ると、どうもパン肌が黄色っぽい。さて何か忘れでもしたのかなぁと思い聞いてみた。すべて標準通りであるが一か所違うところがある。■イースト菌を中に放り込むときのタイミングである。パンをsetした後かっきり20分経過してから容器に落とす必要がある。これはパンが完全に攪拌されて柔らかい饅頭状となった上にパラパラとまぶし、発酵を促すのだ。ところが気がせいて20分を待たずにイースト菌を放り込んでしまうと、発酵タイミングをなくし、不完全なパンが出来上がってしまい。事実 すこし小さめのパンであった。出来上がったパンの肌は黄色く、味が落ちたものとなっていた。残りは軽微なものであるが、「後工程に人あり」というメーカーの鉄則のような小生のルールが至る所で守られていない。計量スプーンの洗浄、パン粉のチャックの最初の切り方(後で使う人が開けやすい切り方があるのだ。)、バターの包みを最初に開ける方法(紙を真ん中から切っておくと、うまくバターを包める。)・・。阿吽の呼吸のような細やかな気配りが欲しいところである。いや、細かなことを口でぐちゃぐちゃ言ってもだめだろう。カミさん1人になった時、小生が天国から声高に叫ぶしかない。徒然の記その8 歩き塾 報告会 2018.7.21(土)■camino関連の報告会は「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」の年2回の報告会がオフィシャルなものであるが、我々「歩き塾」の報告会は範囲が広く南米も含まれる。発表時間も長い。とまぁこんな感じで2年目の報告会に大勢が集まった。 ・ポルトガルスケッチ巡礼 ・GR65 ジューネーブからル・ピュイ ・ル・ピュイの道とロカマドール・バリアンテ ・中米から南米への旅 ・スペイン旅行・・Camino Aragonés等。活発な発表が続いた。9:00開場というので8:45頃部屋に上がってくと、すでに皆が来ており部屋の準備に忙しい。こちらもリュックに詰めてきたプロジェクターやケーブル類を取り出し配線にかかる。HDMIケーブル接続部の障害であろうか、このケーブルを繋ぐとパソコンのほうの動作がおかしくなる。HDMIケーブルは家に2種類あったのに全てを持ってくればよかったのにと反省。USBに全部まとめてくれると、パソコンは要らず、プロジェクターのリモコンで操作は出来る。Blue Lay disc 全容量は現在ではUSBに入るはず。年年歳歳進化するITの波をまともに受けることとなっている。昼食は、いつものように銀座2丁目のN9Y BUTCHER'S GRILL NEWYORK 銀座店。わいわいがやがやとcamino談義に花が咲く。広島からの参加者もあり感謝。
Jul 21, 2018
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西日本豪雨、驚きの卵料理_ story (4352)2018.6.7.14What a terrible disaster this westan-Japan- heavy- rain was !!! I could not hear called Corestone(コアストーン)! The low mountain(300m-400m) of Hiroshima and Okayama Pref.collapsed and crushed the house in the foot.I want to express my condolences.コアストーンという聞きなれない言葉までも飛び出した今回の激甚災害。広島。岡山の低山が大崩壊し麓の人家を押しつぶした。崩壊した場所は500か所を越えるという。逃げる間もなく亡くなった人達に哀悼の念をささげたい。Ginza Street( 2018.6.29(金))真夏の日差しが照り付ける銀座3丁目。Chumet(ショーメ)やGucciなどのブランドshopが立ち並ぶ界隈。割りばし画でポップ的に描いてみたいと絵筆をとった。目次徒然の記その1 西日本豪雨徒然の記その2 義甥の結婚披露宴徒然の記その3 TVバラエティ「家事ヤロウ」 徒然の記その4 オルフ室内合奏団 サマーコンサート'18徒然の記その5 図書館は睡眠スペースか?徒然の記その6 Viola Lesson徒然の記その7 ヨーロッパ横断紀行 完遂徒然の記その8 歩き塾 秩父観音巡礼1回目徒然の記その1 西日本豪雨 2018.7.7(土)■1時間の雨量200mmが3日も続けば・・渓流が土石流と変化し山裾の住宅街を襲う。九州、中国、四国、近畿の広い範囲が被害にあい死者・行方不明で260人超の甚大な大災害となった。狭い日本、山裾か海岸べりでしか住めないというのに、一方では川の氾濫や山からの土石流、一方では津波・地震など脅威が常態化している。もうどこに住めと言うのか。いっそのこと、戸建ての住居に代わって重厚な低層マンションを建て5階レベルでビル間を繋いで生活通路とし、階下は駐車スペースと道路として物資の輸送に備えるような都市空間を建設しては。公園や緑はいつも通りの場所で良いが、住空間のみ高層とする。四角い建物ではなく、海岸に向かってはスロープとし波を逃すような造りとする。罹災した地域からこういう構想を広げていけないだろうか。安佐地区など4年前にも災害に襲われた地区であるが今回も土石流が襲い掛かった。災害モデル地区のような構想はなかったのだろうか。豪雨被害は5日から厳重警戒の予報が流れ、6日の夕刻から、河川の氾濫や決壊、土石流という絶え間ない仕打ちが続いた。6日朝方、オーム真理教の死刑囚7名が一度に各地の刑務所で処刑された。なにも一度に絞首刑を挙行することはなかったのではないか。偶然ではあるしても今後は1人づつ別の日にやってもらいたいものである。今回のような災害が天罰と揶揄されないためにも。徒然の記その2 義甥の結婚披露宴 2018.7.7(土)■西日本豪雨大災害の迫りくるさなか、名古屋では義甥(ぎせい)の結婚披露宴があったのでカミさんと出かけてきた。5月にはハワイで親族のみで挙式が行われているので、7月7日の七夕は友人たち等、それに参加できなかった人たちを招待しての披露宴。ハワイでは、キラウエア火山噴火の前日であったらしい。雨降って地固まるとして新郎新婦は前向きに昨今の天変地異を捉えていた。Reception noteには、席次だけではなく、2人のProfileが示され面白かった。職業の欄で新郎は「熱血教師」と自己紹介していた。披露宴でもその熱血ぶりを遺憾なく発揮。教師仲間が苦労して作ったというVideoは2本も上映された。最後のがすごかった。前任中学校の生徒たち(今は高校2年)100名に呼び掛けて作ったVideo-letterの最後は、実際に生徒たち10名ぐらいが、式場に現れたのだ。その時刻20:00頃。全員19時頃に集合し息をひそめて会場の袖に隠れていたのであろう。映像が流れる方向の扉から突進してきたので会場は怒涛の渦。いかに人気の教師だったのかがわかる。教員冥利に尽きるのではないだろうか。この父親(小生からは義理の弟)も、その祖父、曾祖父も教育関係に身を置いた人なので血は争えないとみるべきか。はたまた彼こそ真の熱血教師と見るべきか。東京の大学に通っていたころは何回か遊びにきている。blogアドレスを公開し合ったことなどを思い出した。幸せな明るい家庭を築いて欲しいものだ。会場に入る場所には、お酒などが振舞われパーティーの始まりの華やいだ雰囲気。ソファーにエンゲージリンクを模した大きな風船が置いてあった。カミさんこの輪に首を突っ込み弟の嫁とはしゃいでいた。日頃は滅多に見せない茶目っ気を垣間見た瞬間である。この弟嫁の破顔は当日の写真の中でも傑作の1枚となった。徒然の記その3 TVバラエティ「家事ヤロウ」 2018.7.6(金)■毎週火曜深夜に放送している家事ヤロウ!!!の全国放送1時間SP・・「バカリズムx中丸xカズレーザが超初心者家事!!スーパー買い物 名作卵料理」23:20からの番組であるので、小生のような夜更かし組でないと見れない番組かもしれないが色々食材や料理のことを勉強できて為になる。過去には下着のたたみ方などもあり家事がやりたくなるという番組作りに敬服。7/6の第1部は、バカリ、中丸、カズが芸人完熟フレッシュ宅をお邪魔して、プロ級の「卵料理」に挑戦という題であった。5点ほど人気の卵料理を実際に行っていた。1.温泉卵・・・これを瞬時に作る方法とは。2.目玉焼き・・最高においしい目玉焼きの作り方とは。この2題はメモを取らなかったので覚えていないが1.は、コップに割入れた卵に60ccくらいの水を注ぎ、レンジで2.5分ほど加熱。裏返して再度2.5分というものではなかったろうか。2.は何か黄身を箸で数か所突いていたような。3.卵かけご飯・・卵の黄身だけを使う(殻で白身と黄身を分けるという古典的な方法ではなく。空いたペットボトルの容器をすこし指で押さえ、卵の黄身だけを吸い取る方法を実演していた。)→少し深めの小皿に醤油小1/2+みりん小1/2(みりんは醤油辛くなるのを防ぎマイルドな味にする効果)→軽く左右を振ってラップをかけ冷蔵庫に一晩寝かせ、黄身に味を染み込ませる→黄身をスプーンですくい取り熱々のご飯に載せて食べる(冷蔵庫で3,4日保存が効く。)4.厚焼き玉子サンド・・ボウルに卵2個割り入れる→牛乳大3+砂糖大1+白だし大2+マヨネーズ大1(油脂成分がタンパク質の固形化を防止)→8の字に30回かきまぜる→プラスチック製の保存容器に入れる→レンジで2分/600W→外側の部分を内側にするなどして5回かきまぜる→再度レンジで2分/600W→(フワフワの厚焼き卵が完成)→耳を切った食パンに辛子マヨネーズ大1/2塗る→厚焼き玉子を載せ、反対側にも辛子マヨネーズ大1/2塗った食パンを載せる。5.フレンチトースト・・ボウルに卵1個割り入れる→牛乳50ml+ハチミツ大2(保湿性)+パン粉30g(卵液がすぐ染み込む)→箸でよくかき混ぜる→玉子焼き機にバターを少量溶かす→手前1/3のスペースに材料を流し込み四角い形に整える→フライ返しで生地を裏返す→皿に盛りバターとハチミツをかけて食べる。ここで「5.」が驚きの一品。食パンを使わず、フレンチトーストが出来上がった。しっとり感などこの日のメニューでは最高という評価。第2部は「スーパー買い物選手権」編。これもなかなか面白かった。足立区花畑のスーパー「BeLx(ベルクス)」がロケ地となった。前座は、過去の復習。サラダに向いている大根は・・・葉っぱが付いている上の部分か根っこの部分かどっち。ーー→葉っぱが付いている上の部分が甘いというでは煮物に向いている醤油は・・薄口か、濃い口かーー→薄口が素材の旨味を引き出してくれるのだと。今回の”買い物選手権” 各自が3つのお題毎にStartラインに立って買い物に走る。・サラダに使う素材を買う。・・レタス、トマト、トウモロコシ・・・この選び方は? 答え。レタス・・1円玉より大きくない芯のレタスを探すこと(花を咲かせる時期に達していないものを)、トマト・・お尻に白い線(維管束(いかんそく))がはっきりしている物が甘い・・水分補給線であるので、根からの水分補給の少ない環境で育ったがために水分補給線が目立った。甘い可能性が大、トウモロコシ・・黒い髭が多くフサフサしているものが甘い(粒の一個一個から髭がでる。これが多く黒いということは中がすっかり熟して甘いことを表す)・手巻き寿司に使う素材を買う。・・ツナ缶、マグロ、キューリ・・この選び方は? 答え。ツナ缶はオイル・フレーク/オイル・通常/ノンオイル・フレーク/ノンオイル・通常の4種類から選ぶ場合は「オイル・フレーク」を選ぶ。マグロの切り身はスジが平行なものを(くの字に曲がっているのは尻尾の部位。頭・中央にいくほどスジが平行になり、脂がのっている。、キューリ・・とげとげの多いものを。イチゴのツブツブは花托で花の一部であるが、キューリのそれはトゲトゲのはっきりしたものが新鮮で歯ごたえがあるという。これは自分を外敵から食べられないように守るためで、完熟するにしたがいトゲが無くなっていくのだと。・餃子に使う素材を買う。・・ひき肉、ニラ、キャベツ・・この選び方は? 答え。ひき肉としては豚/牛豚あいびき/牛の3種類から選ぶとすると、油分の多い豚ひき肉がよい。ニラは海苔やお茶と同じように一番ニラがよく茎が太く葉が短いのがおいしいと。2,3番になるに従い細く、長くなっていくんだと。キャベツは芯が500円玉程度のものを。これ以上大きくなると花が咲く準備のため栄養が花に行ってしまい、味が苦くなるという。なるほど!徒然の記その4 オルフ室内合奏団 サマーコンサート'18 (2018.7.8(日))■今年1月に20回目の演奏会を迎えたオルフ室内合奏団は、夏には無料のサマーコンサートを開催する。もとは、パルテノン多摩の創立10年記念式典で多摩地区の有志が集まってカルミナ・ブラーナを演奏したことがきかっけになり結成された。Va奏者に市民オケだった女性や、コントラバス奏者に現市民オケの男性がいるため毎回足を運んでいる。今回はアンサンブルのひとときと称してシューベルト:ピアノ五重奏op114「鱒」1楽章、メンデルスゾーン:ピアノ三重奏第1番やモリコーネ:ニューシネマパラダイスメドレーが演奏され趣向が凝っていた。プログラム:・モーツァルト:魔笛 序曲(弦楽合奏版)・ラヴェル:「マ・メール・ロア」より(弦楽合奏版)・ブラームス:弦楽六重奏曲第2番 ト長調(弦楽合奏版)どれも小編成ながら旋律がよく鳴りバランスよく美しく奏せられた。アンサンブルが加わり2時間きっかりの演奏で密度が濃かった。夏の暑い雰囲気を小時間忘れさせ涼風が吹き抜けたのではないだろうか。徒然の記その5 図書館は睡眠スペースか? 2018.7.8(日)■日曜日のオケ練習は12:00前に終わる。上のオルフ室内合奏団の開演時間は14時である。その間、練習会場の上にある図書館で雑誌などを読みながら時間を過ごした。先の映画「終わった人」に、図書館で大きな口を開けて寝ている老人が映っていたが、府中の中央図書館も例外ではない。寝ている人がちらりほらり。悪くはない。気になったのは全員男性である点。おそらく家を追い出され図書館に逃れてきた人たちなのであろう。家事が山ほどあるのにそれが出来ないため妻から追い出されてきたのではないだろうか。可哀そうに。女性を見よ。寝ている暇はないのだ。お喋りに忙しいか、家で家事をしている筈である。而して女性はいつも溌溂としている。徒然の記その6 Viola Lesson 2018.7.10(火)■Alessandro RollaのDrei Duos 3番 Allegro espressivo 久々にさらう。ざっと通した後、もっとメリハリを付けて音楽的に歌え、Duoであるので独りよがりにならず、走らずに。もっとシンプルにと。矢継ぎ早に檄が飛ぶ。傑作なのが、小生の弾きぶりを先生がoverに真似る時だ。本当にそんな風に弾いているのであろうか。弓が異常に速く急激であり無駄な動きがあり、頭が揺れていると。リズムが一定ではなく難しい所に来たら急にごまかすように弾くと。Viola lessonを初めてもう2年目になるというのになかなか進歩しないものである。どうも演歌を歌うように音に「こぶし」を付けて弾く癖が付いており、音がわずかに大きくなっているというのだ。一様ではないのだと。そっと指を探りながら置くような優しい動きで、弓も恣意的なものではなくスーと優しく音を立てろと。指を指板にパチパチと音がでるほど強く抑えるという姿勢は、誤りだったようである。たしか何十年か前に教わって良かれと思ってやっていたことが誤りであったようである。言うのに事欠いて「あんたのは、流しそうめん である。」と断定する。「わんこそば」でなければならないのだと。なかなか言いえて妙である。リズム性が無く音楽が流れていることを意味するようである。心せねばならない。音楽性のある運びで■続いて、Smetana(スメタナ) Má Vlast「わが祖国」「1.ヴィシェラド(高い城)」、「2.モルダウ(ヴァルダヴァ)」、「3.シャールカ」を練習。「1.ヴィシェラド(高い城)」の難解箇所でまたひかかった。「タ-アララ」「タラララ」「タアララ」「タラララ」「タララララ」太字に拍の頭が来るわけであるが、拍子を取ながら歌う練習を長々とやらされ先生匙を投げる。もう頭の回路が付いていけない。Violaを持って弾こうではないかということになったら、あら不思議。ちゃんと出来るではないか!いままでの時間は何であったか。まぁ先は11月である。2500小節もある曲をいまからじっくり弾ききってみようとがぜん闘志がわいてきた次第である。このスメタナを過去にやって「うんざりした」という人がいたが残念である。これほどの素晴らしい曲はない。この曲への感じ方が違うと出来栄えが違ってくる。指揮者の大井剛史さんがチェコから持ち帰った楽譜で我々は練習を始めている。Viola群は絨毯のようにビロードのように音を紡いでいきたいものである。■最後に先生曰く「絶対出来るようになるぞ!」と。励ましの言葉をもらい暑い市中へ進み出た。徒然の記その7 ヨーロッパ横断紀行 完遂 2018.7.10(火)■HPで公開している「ヨーロッパ横断紀行 ランナーの巡礼歩き ~クラクフからジブラルタルまで6700km~」の見直しをやっと終了した。 現地便り(歩数毎にタブレットにinputしていった言わばon-site-report)と帰国後に回想録として書き留めたものを日付をkeyにしてマージした小冊子「ヨーロッパ横断紀行 ランナーの巡礼歩き ~クラクフからジブラルタルまで6700km~ 」は1年前から公開しているが、読み返すにしたがってダブりが多く冗長な部分が多いことに気付き日々up-dateしてきたが、最終章を本日完遂させた。地図を大幅に入れて分かり易くした積りである。いつか英訳してkindle版にて公開できればと思っている。今は下記リンク先から2年間にわたる巡礼日記を読むことができる。ついでに言うなら、小生のHPからは、巡礼の装束やルート図などをデータベース的にまとめた「巡礼路一覧表、ガイドブックなどの参考資料」「歩き塾」「インド数学」などへのリンクなどもありご覧いただければ嬉しい。ヨーロッパ横断紀行 小生のHP徒然の記その8 歩き塾 秩父観音巡礼1回目 2018.7.14(土)■34観音を一筆書きに全部を巡ると120kmを越える。これを区切り打ちにして平均15kmの徒歩を7回繰り返すとして全体計画を立案したわけであるが、もともとが都心から遠いところにあるためstart時間が遅くなり、到着も遅くなるという苦戦が強いられる旅になりそうである。それでも初回に何と16名が集まった。ところが35℃を超す暑さにバテバテ。それでも大半は下記15kmを歩く。コースは1番札所の四萬部寺(しまぶじ)から5番札所の長興寺(語歌堂)(ちょうこうじ)まで、あとは10番大慈寺(だいじじ)、11番常楽寺(じょうらくじ)と飛んで、西武秩父駅へ向かう計14.2kmの道である。このコースで最大の難関は、2番札所真福寺(しんぷくじ)の本堂が380mの高所(標高665mの高篠山の中腹)にあることだ。下見の時はマラソンで登っているのであるがかなりの長坂で定峰川の橋の袂(200m)からは180mの登りとなる。コース詳細は、和銅黒谷(わどうくろや)→3.2km→誦経山 四萬部寺(しまぶじ)→2.2km→2.大棚山 真福寺→光明寺(2番納経所)2.6km→3.岩本山 常泉寺→1.5km→ 4.高谷山 金昌寺(きんしょうじ)→1.3km→5.小川山 長興寺(語歌堂)(ちょうこうじ)→1.3km→10.万松山 大慈寺(だいじじ)→1.1km→11.南石山 常楽寺(じょうらくじ)→1km→西武秩父駅 の計14.2km試走した時は気付かなかったが、実は土曜・祝日ダイヤというのが和銅黒谷駅まで直通の電車が何本かある。西武池袋線の「三峰口・長瀞行き」などである。その場合は西武秩父駅が終点ではなく、一つ手前の横瀬から、連結が切り離され、三峰口行は西武秩父駅経由で影森を通って三峰口まで。長瀞行は、西武秩父駅を飛ばし、御花畑から秩父鉄道線に入っていく。そこで、集合の仕方を一元化し、「西武秩父駅9:20 か 和銅黒谷10:10」という集合の仕方を「和銅黒谷10:10」の一本とした。3日程前に歩き塾blogで告知したが、さてこの変更が全員に伝わったであろうか。責任上、9:20までは西武秩父駅で待ってみよう。4人が西武秩父駅で一旦降りて、徒歩で御花畑駅へと向かう。1人が寄居経由で和銅黒谷へ。他11名が西武池袋線からの直通で和銅黒谷へ。地理を知らなければ集まれないような形。さらにSUICAやPasumoがが使えないため、御花畑駅からの310円を現金で払わねばならぬ、さらにICカードで御花畑駅までの清算を西武線のどこかで後でせねばならぬという・・・なんとローカルな交通事情かと。巡礼では、一番札所の四萬部寺(しまぶじ)で、納経帖を買ったり、御朱印をもらったりと一連の手順を踏む者も。一冊ずつ筆記するため待ち行列など各お寺で2,30分は必要のようである。よって今回の14kmは終点の西武秩父駅到着16:30まで6時間を要した。今後の大きな糧となった。暑さもあり大変な1日となった。みなさんご苦労様。
Jul 14, 2018
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RIKI Philharmonisches Orchester、genius Pianist_ story (4351)2018.6.7.7I run pilgrimage road of Chichibu Kannon from Wadokuroya to Yokoze about 18km,it's old road in Edo Priod.It was very dazzling atmonsphere of mountain scenery.江戸時代から残る巡礼古道を通って、秩父観音の巡礼路を走った。秩父に行って江戸巡礼古道を走ってきた。じつにほのぼのとする里山の風景であった。Lotus in Shinobazunoike Pond(不忍池の蓮 2018.6.27(水))強い風で蓮の葉っぱが裏返り白くなったりして面白い。花は今満開ではないだろうか。目次徒然の記その1 RIKI Philharmonisches Orchester徒然の記その2 いろんなピアニスト徒然の記その3 蒼茫(そうぼう)の会 徒然の記その4 2498ってなあに?徒然の記その5 富士山登山徒然の記その6 秩父観音下見run徒然の記その7 文科省局長逮捕さる徒然の記その1 RIKI Philharmonisches Orchester(リキ・フィルハーモニッシェス・オーケストラ) 2018.6.30(土)■RIKI Philharmonisches Orchester第6回定期演奏会が、杉並公会堂で開催された。招待状をこのオケ事務局からと団友から貰っていたのでそそくさと出かけた次第である。6/27(水)には関東で早くも梅雨明けが宣言され、日中はカンカン照り。土曜日でも、18:00開場、18:30開演と夕刻なのがありがたい。16:00には夕食を作って食べておいたので、夜は自由行動である。荻窪駅も立川寄りの改札口を通れば、杉並公会堂は近い。住宅街を青梅街道に向かって斜めに通っていけば最短コースである。あまり皆には知られていない順路かもわからない。指揮は、このオケの創設者の長野力哉さん。曲目は、シベリウス:交響詩「フィンランディア」と、交響曲第3番 ハ長調、A.ブルックナー:交響曲5番 変ロ長調[シャルク版]このRIKIは、ブルックナーを全曲制覇するということを目標に2015年秋に三鷹で旗揚げしている。今回は我が市民響から7名が参加している。スキルは最初から高いため歴史は浅いが確実な演奏が楽しめる。杉並公会堂の音響の良さも幸いして全曲を心行くまで楽しんできた。シャルク版というのはブルックナーの高弟であったシャルクが余りにも長い曲は当時の人たちには受け入れられないであろうと、特に3,4楽章を改編して短くしつつ、バンダ(会場2階などで演奏する別働隊)を配置して音響効果を高め時代受けしたとされる。その版を演奏したものだからびっくり。1935年くらいまでの40年間は、シャルク版が演奏されたというその時代に身を置くことができたわけである。ブルックナーの曲は「懐疑(skepticisn、quetion)から葛藤(conflict、chaos)、確信(conviction,answer)へ」と楽章を追うごとに氷解していく様が絵図的に見事に表現せられているように感じた。こちらは何とか、城、軍隊、民衆、歓喜などと情景を浮かべるように努力するのであるがこういう勝手な解釈で本当に良いのであろうかと自問するわけである。壁の余白にそういう情景を描いた絵を投影するか、解説をもっと分かり易くしていただくと一般庶民には分かりやすかったのではないかと思うのである。終楽章ではバンダが指揮者からみて中央、左右と合計10人以上が立って華々しく演奏し度肝を抜かされた。ティンパニーも寸分の狂いもなく強烈に叩き終わって曲を閉じた。圧巻の演奏であった。アンケートに住所を書けば、次回の演奏会のチケットが戴けるという面白いシステム。そのためか会場は満席の状態であった。比較的若い人たちがオケに足を運ぶ原動力にもなっているのではないだろうか。徒然の記その2 いろんなピアニスト 2018.7.1(日)■ふたたび 映画「羊と鋼の森」カミさんが友達に勧められて映画「羊と鋼の森」を観てきた。善は急げと思い立ったその瞬間に家を飛びだしたわけであるが、ここは「僕も族(カミさんに金魚の糞のようにくっついていく亭主族を言う)」となって車に便乗したのはturbo717本人。便利な手段の恩恵を受けつつ別の映画を観るという企画を思いついたからだ。ここでは「万引き家族」を同時刻に映画館の別の部屋で観ている。映画「羊と鋼の森」のエンディング・テーマを担当しているのは、盲目の世界的ピアニスト辻井伸行氏と歴史に残る映画音楽を作ってきた久石 譲氏。ロケ地の一つピアノの演奏会場は武蔵野音楽大学のホールのようである。高校生姉妹(映画では佐倉和音(かずね):上白石萌音(かみしらいし もね(1998-)、上白石萌歌(佐倉由仁(ゆに) もか (2000-))は本当に弾いているようにも見えそうでないかもしれないと。微妙に画面が切り替わるので分からなかったという。姉妹でピアノが弾けて俳優というカップルがいてもおかしくはない。ただすでに売れっ子の俳優がこの映画に出たというだけでnetでは炎上はしている。さらに小生が紹介した世界的ピアニスト・ミハイル・プレトニョフ (1957- )はその映画には出ていなかったと。映画ではドイツ人のピアニスト ラインハルト・ゲルツァーという設定で実はポーランドピアニストで日本在住のミハウ・ソブコヴィアク(Michal Sobkowiak)であったと。この方は昨年CDアルバムを2枚も発売している。当方は記憶力ゼロなので固有名詞を覚えられないため、上映中走り書きできるようなツールをだれか開発してもらえないだろうか(鉛筆メーカーなど)。 久石譲(作曲)×辻井伸行(演奏) のエンディング・テーマ「The Dream of the Lambs」が良かったと後ろの席の人が言っていたのに、この2人の名前を見逃したとカミさんは言う。速く展開するエンドロールなどはnetで配信してくれないだろうか。メモが間に合わないのだ。これが無い限り映画は2、3度みるべきものであるかもわからない。さて、この日は、先の映画「フジコ・ヘミングの時」も含めて、いろんなピアニストの名前が会話に上った。■ Martha Argerich(マルタ・アルゲリッチ アルゼンチンのピアニスト 1941-) 1965年にショパン国際ピアノコンクールで1位。今最もチケット入手が難しいといわれる。数分で売れ切れ直後に5万円で売り出されているというので憤慨する日本人。それでも買う客がいるのが現状。だが演奏会のドタキャンも多く、聴けるかどうかはその日の運であると。彼女自身ぎりぎりまでオファーにサインをしないという。■Krystian Zimerman(クリスチャン・ツィメルマン(ツイマーマン) ポーランドのピアニスト 1956-) 1975年にショパン国際ピアノコンクールで1位。ピアノを手造りできるほどメカにも強い。自作ピアノをNYに持ち込もうとしたところ、木材の糊に爆発物の臭いがしたとのことで爆破させられている。専用のピアノと調律師を伴って世界ツアー。奥さんが日本人と言うこともあって親日派。東京に家がある。■Ivo Pogorelić(イーヴォ・ポゴレリチ クロアチアのピアニスト 1958-)・・ピアノの鬼才と言われる。自分の解釈(だいたいが遅く演奏することで知られる)で演奏するものだから1980年のショパン国際ピアノコンクールでは最終選考に残れなかったという。この時に審査をしたマルタ・アルゲリッチは「彼こそ天才よ」と言い捨て、審査委員を降りたという話は有名。。Eテレの「クラシック音楽館(7/1)、(7/8)」では、その彼が今年60歳を目の前にして奈良のお寺で演奏したというショパンのノクターンなどを放送していた。畳に赤い敷物をし借景の中でのグランドピアノ。小生にははやり眠たく感じられ最後に心に「チーン」と鳴らしてお風呂に立った。■Rafał Blechacz(ラファウ・ブレハッチ ポーランドのピアニスト 1985-) 2005年にショパン国際ピアノコンクールで1位。同時に、マズルカ賞、ポロネーズ賞、コンチェルト賞、ソナタ賞も併せて総なめにした。同コンクールで「2位なし」の審査結果が出たのは史上初の出来事であった。ポーランド人の優勝者は、ツィメルマン以来30年ぶり。2014年にギルモア・アーティスト賞受賞(「ピアノのノーベル賞」と称される。コンサートの実績の評価で4年ごとに選ばれる。) を受賞。カミさん達2,30人が熱狂的に追いかけを行っている。徒然の記その3 蒼茫(そうぼう)の会 2018.7.1(日)■アートスクール渡辺 一般科会員展 第16回蒼茫の会 ・・JR相模原駅ビル4Fの「市民ギャラリー」で絵のグループ展(6/28-7/3)を開催していたので見に行った。毎年家からrunningで足を運んでいるが今年は少しズルをした。橋本に映画を観に行ったついでに電車で一駅往復してきたのだ。息がここで絵を描いているのだ。33人ほどが油絵や水彩を展示していた。カラスウリを描く画家は、毎年手が込んだ素敵な絵を描くが今年のは、花が咲いた時の様子をその同じ壁を背景にして浮かび上がらせていた。ひとつのテーマを長年追い続けるという姿勢が芸を極める近道なのかもしれない。トライアスロンやボルダリングをやるアスリート狂の息が絵を4枚出展していた。諸先輩達、特に本田・斎藤・澤田・渡辺(こちらは先生)各位の絵が圧巻であった。いつかこのような絵を描いてもらいたいものだ。娘がピアノを弾く姿「小さなピアニスト」という題の絵が掲げられていた。以前はバラバラに部屋を別にして展示されていたが、今回はひとところに集められて展示されたので、個人ごとの作風がわかり良かったのではないだろうか。■愚息と以前こんな話をしている。「トライアスロン」でアイアンマン(Ironman)と呼べるのは、日本では総計73マイル(113.1km)を走る「アイアンマン70.3 セントレア知多半島ジャパン」の完走者だけらしい。Swim 1.9km, Bike 90.1km, Run 21.1km 計113.1kmを6月17日(日)にチャレンジし完走したと言っていた。将来アパラティアントレールを縦走したいという夢も持つ。そのために吾輩が下見をすることになっているのだが・・、まぁ若いということはいいことだ。水泳も、自転車もボルダリングもと孫息子(小4)が父の背中を一生懸命追いかけており、妹(小1)がピアノの特訓を受けているというのが、いまのところの息子家族の"生活"の一断面図である。徒然の記その4 2498ってなあに? 2018.7.2(月)新聞に数字が踊っていた。早速カミさんに聞いてみた。2498ってなあに?と。少し間をおいて「日本滅亡の年。」と言う。面白い女性である。昨日は朝寝ぼけて6時半に起きてきた。今朝は7時過ぎである。トイレへと目を開けて時計を見たら「8時半」だったと言う。それで自力で起きてきて洗面台に居たので声をかけた。「あのう まだ6時半ですけど」。その2日目にやっと気付いたらしい。部屋の時計が8時半を指したまま止っていたという。電池を入れ替えて事なきを得た。話しを戻そう。■2498って、危ないブロック塀の数である。厚さ15cm以上、高さ2.2m以下。高さ1.2mを越える場合は3.4m間隔で控え壁を設置、地中の基礎は深さ30cm以上。33都道府県が点検対象とした1万1千校のうち23%に当たる少なくとも2,498校で基準に合わない疑いのある塀が存在するという。この数はさらに増える可能性がある。恐らくプライバシー重視の風潮からプールの周囲などにブロック塀を積むことが多くなったためではないかと。仙台の地震で沢山の人が亡くなった時によもやと疑わなかったのであろうか。100万人はいるであろう学校の先生たち。徒然の記その5 富士山登山 2018.7.4(水)-5(木)■台風7号が迫る激しい気象。関東に居座る高気圧のせいで、北陸より更に北側を進んでいる。ただ大雨の範囲は次第に関東に押し寄せてきている。富士山山頂の天気予報では3100mレベル(8合目)の風速が11m/secから26m/secと猛烈。中止の決断は前日の夕刻。関東があまりに天気が良かったせいもあって万が一と期待はしていたため決断が遅れた。3000m級の山では台風の影響をまともに受け、時刻ごとの登山指数はすべてランク「C」(登山に適さない)。時速93kmという猛烈な風が山小屋に吹いているとき、下山もままならないのではと考える。風よけというものが全くない山頂付近では礫岩が飛んできて危険かもしれない。断腸の思いであるが、このため吉田口登山道からの富士山登山は中止とさせて戴いた。しかしそのあと「しまった」ことに気付いた。上がだめなら「下」があるぞと。富士スバルライン5合目の標高は2304m。麓にある富士山駅は標高810m。そこまでは吉田口登山道が伸びているのだ。行程は16kmほど。そこを下ってもよかったのではないかと。このコースなら多少の風雨でも樹林帯を縫っていけるのでokではなかったかと。次回からは荒天決行の場合、1合目~5合目登山などの選択肢を設けよう。この16kmを逆に登るとなると4合目あたりからきつい。トレーニングにはよさそうである。富士山登山する場合は、事前に少なくとも一回はチャレンジしてからという計画も練ってみよう。ただこの日は関東一円で強風が吹き荒れた。さぞかし富士山山腹は大変であったろう。ライブカメラの映像を見る限り雨で暗い様子が映し出されている。天気予報を信じてよかったのではないかと思っている。茶色が1→6合目のコース。赤が5合目→山頂 いずれも吉田口登山道。■前回の富士山登山の思い出。フランス青年2人を伴って登った6年前の富士山登山2012.7.9-10では、高尾駅9:30。麓の駐車場10:30、専用バスで5合目11:30.8.5合目到着15:00。青年たちはこの日2時間で山頂までの往復を果たし宿に17:00に戻ってきている。驚異の健脚の持ち主であった。翌朝のご来光では2回目の登頂となったこの青年たちは今アルプスを走り回っている。おったまげたアスリートである。徒然の記その6 秩父観音下見run 2018.7.5(木)■富士山登山中止の空きを利用して秩父観音3日分の行程42kmを走ることを計画。歩き塾では足掛け2年にわたって秩父観音巡礼路を歩こうと思っている。総延長122kmを7回の区切り打ちとし、途中バス利用も入れて合計106km、毎回の平均15kmという経路を勘案してコース取りを行ったた。これでいくと最初の3回分の合計が43kmで、runningにはちょうどいい距離となっている。「江戸巡礼古道」という昔ながらの道が随所に残されているので、今回の歩き塾での歩行は、鋭意その古道を辿ることにしたい。わくわくする旅となるであろう。とここまで書いて、秩父へ出発した。秩父の和銅黒谷駅(わどうくろや 708年の和同開珎(かいちん)通貨発祥の土地)到着は7:28.雨模様ながらさほど降っていない。雨具を着てのマラソンとなった。今回のrunningではパーカーのため外音が遮断されたこともあり心に手をあてて自問しながらのrunningとなった。観音様にお願いする事は山ほどある。少し直してもらおうと。・・・己の性悪なところを。煩悩の塊を。 他人への配慮の無さを! 感謝の気持ちはあるのにいつも優しくできないのだ。 少しお祈りして見よう・・もっと何に対しても優しくできますように!横瀬という西武秩父線の駅まで18kmを走ったところでダウン。どうも寝不足と湿度100%がいけない。13:30くらいまで頑張ったが、途中で西武線の駅と電車を見てしまったものだから足が止まってしまった。「横瀬」は特急停車の駅でもある。今回まわったお寺は1~9番札所。累積高度+668m、599m。消費カロリー1634kcal。夏の雨。ここで多少困ったことを経験。「濡れたソックス」と「濡れた靴」が異様に臭うのである。途中から靴下を脱いで素足となったが。足をウエットティッシュなどで拭き乾燥させないと。今度から、サンダルを持参して全部を履き替え、着替えるようにしよう。電車でのマナーかもしれない。徒然の記その7 文科省局長逮捕さる 2018.6.28(木)■腐りきった文科省と見るべきか、topもやっているので自分も という風潮があったのではないか?と見るべきか。この逮捕劇に、カミさん「ABEは逮捕されないのかしら?」と厳しい。受託収賄ではないにしろ職権を利用して便宜を図った図式は似ている。topが似たようなことをやっているので自分も という事になっているのではないか。topがおかしくても閣僚、官僚は何も言えない。野党の追及をのらりくらり交わして時間稼ぎがもう1年以上も続いている。国民はもううんざりである。大企業も同じ。topに盾突くと即飛ばされるという雰囲気で、新しい改革ができずにいる。よいアイディアがことごとく潰されことなかれ主義のガラパゴスとなり世界で孤立する。純血を最大の武器にしてきた日本大企業も今後は海外人材の活用や女性の活躍の場を急増させるべきでは。
Jul 7, 2018
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Piano-Story,Viola-Story_ story (4350)2018.6.30There are many stories about movies and dramas in this week's blog. Ref Shihmanovsky model of Rafał Blechacz appears in TV anime "Piano in the Forest".My wife's attention level reached its climax今週は映画やドラマの話が多い。TVアニメ「ピアノの森」は、なんとあのラファウ・ブレハッチがモデルのレフ・シマノフスキーが登場する。家人の関心はクライマックスに達した。Lilium maculatum Thunb(スカシユリ:透百合、2018.6.24(日))一株に30個程の花を付け百花繚乱の勢い。鉢植えと違って露地は根が張って大きく高く育つのであろうか。Sayamako Lake(狭山湖(山口貯水池ダム 6.12(火)) ,湖畔全域が立ち入り禁止で範囲は湖面積の2倍ほどの広さ。対岸の緑は松やクヌギの樹林帯。オオタカの巣もあるという。目次徒然の記その1 TVアニメ「ピアノの森」徒然の記その2 薬(やく)をこっそり渡す徒然の記その3 TVドラマ「あにいもうと」 徒然の記その4 Viola Lesson徒然の記その5 歩き塾 都内近郊シリーズ「春日通り」徒然の記その6 大江戸線宿題runningと映画「フジコ・ヘミングの時間」徒然の記その7 ドクダミ茶徒然の記その8 牛乳パック裏返しの術 徒然の記その1 TVアニメ「ピアノの森」 2018.6.24(日)■NHK総合で毎日曜日の深夜24:10-24:30に放映されている一色まこと原作のアニメ「ピアノの森」を観ている人はどれほどいるだろうか。実は当家ではカミさんがVideoを撮りながら毎回欠かさず観ているのだ。漫画本は2012-14年にかけて発売されており、娘婿が買って読んでいたのをずっと回し読みしていたのである。それが今回TVアニメ化された。内容が内容だけにカミさんの有頂天は究極に達した。だって物語にポーランドの新星ラファウ・ブレハッチと思しきレフ・シマノフスキーが登場してくるのだ。物語はうらぶれた歓楽街のキャバレーで働く女の一人息子「一ノ瀬海(かい)」が森に捨てられたピアノ(実はこれが事故でピアノを弾けなくなって音楽教師となっている阿字野(AJINO)壮介のピアノであった)を弾くところからスタートする。世界的なピアニストの父を持つ雨宮修平が転校してきてライバルとなって海(かい)の前に立ちふさがるところから話は急展開。海に音楽教師の阿字野壮介に紹介したばかりに急激に成長していく友との軋轢がショパン国際ピアノコンクールまでも尾を引くことになるのだ。海の才能は、Martha Argrichi(マルタ・アルゲリッチ 1941-)のように曲を一回聴くだけで弾けてしまう天才という設定である。さて、6/24の番組では、いよいよ、そこにポーランドの新星レフ・シマノフスキーが登場し、プレリュードop28-7、エチュードop10-8、幻想曲op49 などを弾く。このときの音源となったピアニストは実在の「シモン・ネーリング」である。その前に雨宮修平がエチュード イ短調 op25-4、スケルツォ2番 変ロ短調 op31、エチュード 2番 op25-11「木枯らし」、バラード1番 op23 を弾いた。音源のピアニストは「高木竜馬」。アニメのほうの手の動きも鍵盤のタッチも実際のピアノ演奏とまったく同じように作られており驚愕するほどである。明日(7/1(日)深夜)のタイトルは「fff(フォルテシッシモ)」。海(かい)が登場する筈だ。第1次予選最終日(第9日目)の後半が2週に渡って放映される。いままで予選に出たソフィ・オルメッソンは「ジュリエット・ジュルノー」と言う実在のピアニストが弾き、パン・ウェイ(中国人)は「ニュウリュウ:牛牛」が弾いていた。こんな高度に仕上げられたアニメを見たことがない。この時間寝ている方々はVideoを撮っておいてはどうであろうか徒然の記その2 薬(やく)をこっそり渡す。 2018.6.25(月)■カミさんがバス停から電話してきた。「薬を忘れた。椅子の左側にぶら下がっている中から、朝用と晩用の袋を持ってきて!」という緊急電話。バス到着時刻までは2分しかない。探している暇はなく椅子にぶら下がっていた薬のポリ袋を全部持って家を駆けだした。バス停までは300m。それを2分間で駆けるためには時速10kmで駆ければよい。ほとんどダッシュの態勢である。しかし裸足にスリッパでは間に合わない。裸足にrunningシューズというイリーガルな姿で、しかもほとんど寝起きのスタイルのままで走った。ポリ袋は手にもっていると意外と風の抵抗を受ける。Tシャツのお腹の中に隠し持ち、坂道を駆け上がった。バス停では、起きてからまだ数分しか立っていず着の身着のままのカミさんが、よく婆さんがやるように手荷物の中をなにやら探しながら掻きまわしている。後で聞くと扇子をさがしていたのだと。物(ぶつ)を預けると、「こんなに持ってこなくてもよいのに」と。袋の中から必要なものだけを取り出していた。一瞬の所作で、薬(やく)の受け渡しは終わった。バス停に並んでいる人達には気付かれないspeedである。そもそも起きるのが遅いのだ。8時の時報とともに夢うつつのカミさんを起こしにいくのであるがちょうどこのときカミさんの携帯が鳴り出した。それをもって起こしに行く。「エー!?」と言う悲鳴を発しながら中二階の階段をそろそろ降りてくる。どうも出勤態勢にあった孫夫婦からの緊急呼び出しである。「すぐ来て孫の面倒を見てほしい」ということらしい。こちとらが完璧に仕上げたた朝食を食べる暇はなく、すぐバスに乗らねばならないのだと。キャベツの千切り(火曜日から始まった一玉のキャベツは月曜の朝には中心部のコア状態なので一枚一枚剥がすのは困難となる。そこでサクサクと千切りにするのだ。)、リンゴ、ブドウ、キュウーイ、角度22.5度のメロン、パン一切れを半分にしてラッピング、目玉焼き、ヨーグルト・・。すべてをタッパーなどに詰め「朝ごはん一式」を袋に包んであげて持たせる。毎朝こんなに食べていたのかと驚くほどの量。カミさん一言・・(こういうこともあるから)「もっと早く起きなければいけないのかしら」それはそうだろう。我が家は夜が遅いのである。ヘタすると双方とも午前1時というのが就寝時間となっている。「ピアノの森」は難なく観れてしまう生活習慣なのだ。こちらはやることが多すぎ、あちらは昼寝をしすぎ。徒然の記その3 TVドラマ「あにいもうと」 2018.6.25(月)■TBS系25日のTVドラマ特別企画。「あにいもうと 山田洋次郎x石井ふく子x原作室尾犀星~笑いと涙でおくる兄妹物語~」は面白かった。今回は大工役の大泉洋とトラック運転手役の宮崎あおいが出演。ロケ地の足立区荒川の河川敷やスカイツリー線が鉄橋を渡り住宅の甍が波打つ様は、runningで通って見ているので実に新鮮である。「まっさん」のシャーロック・ケイト・フォックスが久々に出ていた。なんとここでは宮崎あおいが大型トラックを運転する場面があった。最初は合成や、CGかなぁと思ったが、実際の運転だったようだ。このドラマのために大型自動車免許を取得したというから半端ではない。こういう一生懸命なところが人を惹きつけてやまないのであろう。徒然の記その4 Viola Lesson 2018.6.26(火)■わが祖国の譜読み2回目、Smetana(スメタナ) Má Vlast「わが祖国」の「4.ボヘミアの森と草原から」、「5.ターボル」、「6.ブラニーク1」 の後半の3曲を綿密に練習する。正指揮者大井剛史さんの練習が日曜日にあったばかりである。氏のコメントは絵画的でわかりやすい。ここの旋律は「風」です、「森のゆるキャラ」です。というように。「この八分音符の♫はタボール城の兵士が、武器である石をゴロッと回転させる音」であると。 マニアックな博物館を実際に見てきてそこにあった石の武器に思いを馳せる。じつに素晴らしいものがある。体育系のゴリゴリ文句を言う指揮者と違ってこちらの方がオケの気持ちを鷲掴みにする。D(レ)、Cis(ド)、D(レ)、B(シ♭) C(ド)、D(レ)、B(シ♭)、Cis(ド)というパッセージが5回、16分音符で続く「4.ボヘミアの森と草原から」の最初のパッセージ。4,3,4,2と小指を使っていたら、余り小指を酷使してはいけない。これは3,2,3,1というように2ndポジションで弾けと。この2ndポジションは慣れていないので、音程を取るのが難しい。先生いわく。弾く前に正確に其の音を頭でイメージしろと。手でポンと弾くと音程が狂う。そっと指を置いていくように。指の動きはパタパタと音を立てて指板に当てるのではなくしなやかな動きで、32(Cis)31、2(C)312(Cis)を押さえるが、A(ラ)に置いた1の指を絶対keep。しかも2の指を離すときが必要な時、ここでは1を弾く以外は、付けておけ。暗譜しながら指だけみていると、上げてはいけない2の指(中指)が、僅かに上がっていると、するどく叱責が飛ぶ。弓と弦を擦る音がする。これではダメである。「醸し出す」ような音にしろ!弓もとで弾く強烈なSf(スフォルツアンド)の箇所では16分音符♬が明瞭に聞こえていないと。32分音符の早いパッセージをごまかして弾いていると。ぼやけていると。傍で聞いてくれて矢継ぎ早に叱責が飛ぶ。こんな有難いことはない。近くで虫眼鏡的にじろじろと見られ暴かれていく。これほど文句を言ってくれる大人が今までどれほどいたであろうか。まぁうれしいことである。月曜の日テレの「しゃべくり007」では長嶋一茂さんも「さんまに怒らて感謝」というのを言っていた。55歳の彼を怒る人がさんま以外にいないということなのであろう。怒ってくれることに心底感謝していた。まぁそれと同じである。徒然の記その5 歩き塾 都内近郊シリーズ「春日通り」 2018.6.27(水)■参加者合計12名で春日通りの西詰から東詰まで歩いた。この道は池袋の六ツ又陸橋(ここから西は川越街道)から東へ横十間川にかかる栗原橋西詰までの10.7kmほどを言う。文京区に入ると途端に見るべきものが多くなってくる。500mほどの範囲で、切支丹屋敷跡(江戸において切支丹信者を収容した屋敷。宝永5年(1708年)にイタリアの宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティが屋久島に上陸し、長崎を経て江戸に送られた際にもここに収容され、新井白石の尋問を受けている。)、伝通院、善光寺、慈眼院 沢蔵司(たくぞうす)稲荷、常光山 源覚寺(こんにゃくえんま)、春日局像と戦没者霊苑などとView Pointが多い。途中休憩にと、創業400年のソバ屋「萬盛」で冷やし蕎麦を戴く。この店はその日の一番に茹で上がった稲荷箱蕎麦をam11時ころに沢蔵司(たくぞうす)稲荷に奉納しているという。店の神棚にも上げてお祈りをしている。11時の開店と同時に入ったものだからそういう神事に立ち会うことになった。「春日通の旅」は当初予定の12.5kmを大幅に超え16.2kmとなった。東京スカイツリーが次第に迫る最終区間は、まさに道路の端からニョッキリとツリーが立つ様に圧倒された。不忍池での昼食時、中尾彬がその一角に住むと言うマンション群をスケッチ。蓮の大きな葉が風に煽られ白く反転して面白い光景。2017.2から始めた「割りばし画」は中尾彬にヒントを得ている。言わば割りばし画発祥の土地なのである。さて、歩き塾のblog掲載のため今日歩いた地図を示しておきたい。トレッキングログを取らなかったため、経路を思い出しながら入力しようと思った。このとき使えるツールは2種類。Google Earthとカシミール3D。GoogleEarthは航空写真であるので都心部はビル群が混んでいて真っ黒になって面白くない。カシミール3Dでは、地理院地図をベースに使っているため都心部でも高低差が出て面白い。特に都内では無数の坂があるので起伏が掴めてよろしかろうと。黄色い場所が台地。以前石神井川を旅した時に次のようなお話しをした。昔の石神井川は王子にある春日山にぶつかり、やねせん(谷中、根津、千駄木)を通って不忍池に注いでいたと。現在は春日山に水路トンネルを設け隅田川に注ぐように治水されている川筋がくっきりと浮かんでいる。同じように本郷三丁目の西側には2つの大きな谷が見え、小石川(伝通院の前を流れていた小石の多い川)など神田川の支流があったことがうかがわれる。ほとんどが埋め立たれたか、暗渠になっている。徒然の記その6 大江戸線宿題runningと映画「フジコ・ヘミングの時間」 2018.6.27(水)■6/19(火)に大江戸線のルート(全42km)をジョギングした。この時は完走できず、光が丘から築地市場までの32kmであったので、宿題が残ったという次第。今回残り10kmを新宿都庁前から築地まで走った。途中六本木から細い道を進まねばならなかったに当然というように大通り(外苑東通り)を行ったから大変。麻布十番を通れず、板倉から乃木坂を経由し、狸穴坂(まみあなざか)を下り、予定コースに合流。間違ったがこのコースも面白そう。あとは順調。築地到着が9時半と早い。ではと、1km先の銀座4丁目、山野楽器裏のCine Swithへ。前回の「モリのいる場所」に続いて「フジコ・ヘミングの時間」を鑑賞。■映画「フジコ・ヘミングの時間」・・銀座Cine Switchは超満員。その98%が女性。弾かれた曲はベートーヴェン:月光、リスト:Sospiro(ため息)、ラ・カンパネラ、ショパン:子犬のワルツ、クロード・ドビュッシーの「月の光」など。パリやベルリンやロスにある彼女の自宅で弾く姿やコンサートの収録からドキュメンタリー映画が構成されている。映画収録時に発見されたという絵が「14歳の夏休み絵日記」という本になって発売されている、彼女の数奇の人生はNHKやフジTVで紹介されてきたが、今回の映像はそれに続くもので新鮮。1999年に奇跡のデビューを果たし、来年で20周年になる。1932.12.5生まれであるので、当節85歳の”魂のピアニスト”である。修理から返ってきたブリュートナー(Blüthner:ドイツ製)のピアノを弾く時こそ一番心に響くシーンだったのかもしれない。多数の猫が出てくるので猫好きは必見。徒然の記その7 ドクダミ茶 2017.6.29(金)今年は何もかも早い。6月初旬にはドクダミが花を付けた。家じゅうの良く茂っているドクダミを1kgほど摘み、水で洗った後軒下に干しておいた。それがこの暑さでパリパリに乾燥し、ちょうどいい具合になってきた。今度はそれを手もみする。茎や根っこの固い部分は容易にはがれていく。細かく揉めばもむほど面白いように断片化していく。根っこはその時点で取り除かれるので楽ちん。熟成を止めるためにフライパンで熱し水分を飛ばす。冷まして缶などに保存をする。さて手順がもうひとつ。今度は煎じ茶を作る。60°の湯煎で約1時間。5gあたり水200ml~250mlで煮る。60℃といった低めの温度で長時間煮出しの場合は有効成分がすべて抽出されるため効率がよい。今年のは真っ茶の濃い色に煎じ上がった。あとは濾して冷蔵庫などに保管。冷や麦の感覚で飲める。なにせタダのお茶であるが、いたって経済的である。また効能もすごい、成分が半端でないからである。カフェインを含まないため小生は何杯でも飲める。■効能・・肌荒れの改善、血圧調整、排毒、むくみ、肩凝り、冷え性、便秘、蓄膿症予防、高血圧 ・心臓病の予防、脳出血の予防、内臓の毛細血管を強化、利尿作用、膀胱炎、腎炎、糖尿病予防 とほぼ無限。素晴らしいではないか。■ドクダミの成分クセルシトリン・・強い利尿作用効果カリウム・・・・・過剰な塩分を排出。高血圧の予防。血圧を下げてくれる。カルシウム・・ 骨を丈夫にする マグネシウム・・ 血液中の糖をエネルギーに変える フリン・・ 血液を中性に保つ ビタミンB2・・脳の働きに欠かせない ナイアシン・・ 体内のエネルギー代謝を促進する パントテン酸・・ 糖質、脂質、タンパク質の代謝に欠かすことのできない 。ビタミンK・・ 出血を防ぐ コリン・・ 脂肪肝を防ぐ クエルシトリン・・消炎作用。胃の炎症や傷を直してくれる働きがある。徒然の記その8 牛乳パック裏返しの術■すこし時間潰しの余興牛乳パックをよく洗い乾燥させて立方体の筒になるように切り取る。牛乳パックの大きさってご存知だろうか。底辺7cmx7cmx高さ約20 でほぼ1000ml。中身は紙の厚さ分僅かに小さいがその分上部の三角形の部分にも液体が入るため全体として1000mlになっている。7cm、7cm、7cmの立方体の筒となるようにカッターで分離する。2個はできるはず。さて、問題はこの筒を破かずに裏返せるかと言うことである。折り目がないとやりずらいので各面にXの折り目付ける。さてどうやればよいのだろうか。下段がhint。力ずくはX。n
Jun 30, 2018
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神戸岩めぐり、塀_ story (4349)2018.6.23We played in the valley of Kanotoiwa rock at Hinohara village in the west of Tokyo. It is a deep valley of 100 m 's awkward rock wall. How about the future of people who finished thrilling "rock pass tour" with splashing water?神戸岩(かのといわ)で遊んだ。両側に100mのそそり立つ岩壁の間が深い渓谷となっている。スリル満点の「神戸岩めぐり」をなし終えた人たちの今後は如何?Azabujyuban building viewing (麻布十番にある馬肉専門店「ラム東京」7Fから 2018.6.9(土))下の緑の公園に赤い靴をはいてた「きみちゃん像」が立っている。目次徒然の記その1 フランスからお遍路にきました徒然の記その2 映画「終わった人」徒然の記その3 大江戸線の経路をrunning 徒然の記その4 横浜ルミネ徒然の記その5 セルバンテス・ワイン講座徒然の記その6 歩き塾 山コース 神戸岩めぐり徒然の記その7 誕生パーティ徒然の記その8 塀 徒然の記その1 フランスからお遍路にきました 2018.6.17(日)■マリー=エディット・ラバル(Mrie-Édith Laval)(1979-)の著書「フランスからお遍路にきました 」(2016、㈱イースト・プレス 鈴木孝弥訳)を読んだ。般若心経を唱えお札を納め、墨書きをもらい、金剛杖を突き鈴をならしながら全コースの歩きお遍路を実行した。その全ての行為でスペイン巡礼路との対比と感想が述べらている詳細な巡礼日記となっている。外国人から見たお遍路の姿を垣間見ることができ新鮮である。まず服装から入る点が面白いと。フランスでは「服が修道士を作るわけではない」という諺があるが、こちらでは金剛杖や袈裟や菅笠によって「衣装がお遍路さんを作る」のだと。自分がお遍路さんであることを周囲から認識されることが重要であるからだと納得している。香川から一番札所に行く途中、86番札所の支度寺(しどじ)に寄り知人やお坊さんから所作を一通り教わっている。7月3日から8月19日という48日間の遍路を、無くしてきた家の「鍵」にからめて、県ごとに心の変化を記す。徳島県(1番-23)を「自由の鍵」、高知県(24-39)を「軽やかさの鍵」、愛媛県(40-65)を「この地の鍵」、香川県66-88)を「天国の鍵」と言うように。最後に「常にもっと先へ、常にもっと高く!」という章を起こして巡礼記を結んでいる。「ありがとう」という発音がフランスの料理アリゴ(aligot)と似ていると。アリゴ(aligot)とは、アヴェロン県の名物料理で、ニンニクの香りを付けたじゃがいもの熱いピュレに、トムという種類のフレッシュ・チーズを加え、糸を引くまで念入りに煉り合せたものである。特産のAubrac(オーブラック)牛のステーキなどに添えて食べる。また面白いことを言っていた。日本人の発音するパリは「Pali」で「Paris」ではないのだと。いかに「r」の発音が下手かということである。反省!徒然の記その2 映画「終わった人」 2018.6.18(月)■カミさんが「貴方空いていない?」と聞くので「はい。」と即答。予約済みのチケットの欠員埋め合わせ要員として映画館に参上。お題は「終わった人」だという。こちとらは「まだ終わっていませんが」とは思いつつnetで内容をすこし勉強。"ハズキルーペ"の「舘ひろし」が主演で妻役が「黒木瞳」。メガバンクの出世コースから外れ、子会社に出向したまま定年を迎えた田代壮介(舘ひろし)は、喪失感からネガティブな発言を繰り返す。以前の輝きを失った夫と向き合えない美容師の妻・千草(黒木瞳)との間に溝ができ、満たされない気持ちから再就職先を探すが、うまくいかない。・・。面白かったのは、定年の日の17:00。時報が鳴り寂しく職場を後にするときに、社員から掛けられる言葉が、葬式の時のお悔やみにそっくりな点である。「大変お世話になりました。貴方の事は一生忘れません。」「これからはゆっくり休んでください。」「ありがとうございました。」これってあの世に行くときに故人にかける言葉と変わらない。あの世に行く場合には、「チーン」というお坊さんの鳴らす鐘の音が追加されるだけで、自宅に帰っていく定年者への言葉とはなんら変わらない。よってここでは定年=生前葬と位置付けている。ということは・・今の現実の生活のどの断面を取っても、日常で交わされている言葉はそのままあの世で通用するのではないかと 考えた次第だ。今と何ら変わらない・・と達観すべきかも。よっていつ終わりが訪れても双方ともジタバタすることはないと。これが秘訣。3日後にはあっけらかんとして笑って生活すべきである。こういう覚悟で一日を精一杯生きておこう!話しが逸れてしまったが、最終的には「卒コン」という形で、2人が歩んでいく姿が描かれている。2人とも自立できることが条件である。たまには恋もよかろうとする鷹揚さが面白い。2ヶ月に一回、髪を染めに来るという設定で。こういう疎の関係もよかろうに。■フジTVのドラマ「68歳の新入社員」(2018.6.18(月)am9-11)・・同じ日に同じような内容のTVを見たので頭が混乱している。定年と言う切口は同じであるがこちらの方は一人の男性(68歳:草刈正雄)が居酒屋でグチっていたら、同じ会社(老舗菓子メーカ)の社長から、新商品開発チームに来ないかと誘われてチームリーダ(28歳:高畑充希)と名コンビを組みながら難局を打破していく快進撃を描く。チームリーダーをよく思わなかった社員をも立ち直らせ、一丸となってチームを盛り立てていくという物語。映画とTVの両方ともに前向きな態度がよい。徒然の記その3 大江戸線の経路をrunning 2018.6.19(火)■大江戸線は数字の「6」の字の軌道を描く。上の突出部分12kmと丸い部分32kmの計44km。このうちの32kmを走ってきた。都庁移転にともなって開業した大江戸線はもう27年にもなる。リニアモーター駆動としたことで車輛が小さくできトンネル自体も普通の半分で済み工事費を抑えることができたという。郊外のベッドタウンから都心の一等地、湾岸タワーマンション、春日通りなどを総なめするので、利用人口が多く2017年から黒字路線となっており、都営地下鉄(大江戸、三田、新宿)全体の黒字化に大きく貢献している。「6」の字の先っぽが光が丘で旧米軍ハイツがあった練馬のど真ん中。再開発でこの一角だけが夢のようなニュータウンとなっている。都庁前が、「6」の字の交差する場所で、ここからは飯田橋に行く場合は乗り換えなくてはならない。麻布十番、築地市場といったように「6」の底辺に行く場合はそのまま乗っていればよい。「六本木・大門方向」というのが「6」の一筆書きの進行方向となり、最終的には都庁前に進む。この逆がややこしい。「6」の字を逆に書くわけで、都庁前からは「飯田橋・両国方向」の電車に乗らなくてはならない。この地下鉄比較的新しいため、地下深く潜っており都心に行くにしたがい地下42mを走行するまでとなる。六本木では地上に出るためには気が遠くなるほどの階段やエスカレーターを利用せねばならない。麻布十番を見よ。これも比較的新しい南北線と交差したため「改札階」自身が地の底である。地上に出るためには2つのエレベーターを利用しなければならない。ということで、この6の字にそった地上の道を走ってみることにした。6の字の交差部分からは、経路を東に取り、逆に回ってみた。光が丘→練馬春日町→練馬→新江古田→落合南長崎→中井→東中野→中野坂上→西新宿五丁目→都庁前(ここから逆回り=時計回り)→新宿西口→東新宿→若松河田→牛込柳町→牛込神楽坂→飯田橋→本郷三丁目→22km→上野御徒町→新御徒町→蔵前→両国→森下→清澄白河→門前仲町→月島→勝どき→築地市場→汐留→大門→赤羽橋→麻布十番→六本木→青山一丁目→国立競技場→代々木新宿→新宿→都庁前 runningコースとしてはちょうど42km。光が丘から中井までの道は複雑である。住宅街をすり抜けながら都営地下鉄を追いかけるという行為を繰り返す、何回道を右左折しかた分からないくらいだが、どこも過去に一回は通っている道を辿ったり交叉したりするため懐かしさに感涙するぐらいである。例えば豊島園前を通ったりと。ただ梅雨の晴れ間となり気温は28℃としだいに暑くなってくる。隅田川を厩橋で渡るあたりから疲労困憊。清澄通りは門仲も含め2月に走ったばかりである。採荼庵(さいとあん:奥の細道出立の地)脇では芭蕉像を拝み、佃では旧東京マラソンコースと交叉し、勝鬨橋を渡った「築地市場」では観光客の雑踏に揉まれ、今回はここで打ち止めとした。残り10kmは都庁前から「6」の字通りに走ってみよう。歩き塾では10月に都内のロングウォークとして計画しているが全42kmを3つに分け、「6」のサークル部分30km(2回分)と突出部分12kmの3回とし、初回は都庁前から清澄白河までの15kmとして10kmpointの築地で食事という計画とし、2回目は清澄白河から両国経由で都庁前まで。神楽坂で昼食などの計画が楽しそう。3回目は東中野を経由するためこの近くにすむ知人を誘ってみよう。Oedo-line(大江戸線 2018.6.19(火))徒然の記その4 横浜ルミネ 2018.6.20(水)■北九州市に住む親友が上京してきた。何かの同窓会だったようであるが、羽田へ帰る少しの間隙を縫って横浜で会うこととなった。6F 「アマポーラ」で、スペイン料理を楽しんだ。パエリアランチ 1600円などがお勧め。氏は登山する先輩に誘われ7月下旬にスイスを旅するという。だが高い山には登らず、低山と町歩きを主体にしたいと独自のスケジュールを考えてきた。そこで少しサジェスションをすることとなったという次第である。確かに4000m級の山の頂まで一気に行ったりしてトレーニングを積むことよりも1000m-2000m級の楽なコースを見つけて楽しくゆっくり山々を見上げる方がどんなにか良いかもしれたいと。無理すべきではない。下界にも無数の美術館や博物館がある筈でそれらを丹念に回ってもよいかもしれない。次回からは奥さんを連れて行くことを考えて、今回はその下見という位置づけでスイスを楽しんできたらとコメントしておいた。その5にある、セルバンテス・ワイン講座(6番町にあるセルバンテス文化協会)に19:00に行くまではたっぷり時間がある。横浜駅近くの相鉄ムービルでやっている「羊と鋼の森」を観ることとした。■映画「羊と鋼の森」ここで「羊」とはピアノの打鍵用のハンマーのフェルトが羊の毛でできていることを指している。「鋼」とはまさしくピアノ線である。調律師の成長を描くが、音のイメージを「森」にこだまする水や風や雰囲気の響きから捉えようとしている。音程の機械的な調律ではなく、演奏者の要望や会場の雰囲気から森に木霊する全体音として調律していく過程が克明に描かれ手に汗をする。 主人公の外村直樹(山崎(正確には:﨑)賢人:やまざき けんと 1994-)には、高校の体育館でピアノ調律師の板鳥宗一郎(三浦友和)に出会い、耳にした一音に魅せられる。「調律って、どうしたらうまくできるようになるんですか」。森を迷い、悩みながらも、先輩調律師・柳伸二(鈴木亮平)やピアノを習う高校生姉妹(上白石萌音(かみしらいし もね1998-)、上白石萌歌(もか 2000-))など多くの人に支えられ、一人の青年が成長していく姿が描かれている。この映画には、世界的ピアニスト・ミハイル・プレトニョフ (1957- )が登場し見どころとなっている。氏はロシアのピアニスト・指揮者で1978チャイコフスキー国際コンクールで金賞受賞。彼からご指名の調律師が板鳥宗一郎という設定である。その調律の場面を垣間見たところから外村の成長が加速される。板鳥がモットーとする原民樹(たみき)の文章が紹介され心に残った。・明るく静かに澄んで懐かしい文体、・少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、・夢のように美しいが現実のようにたしかな文体。この「文体」という部分を「音」という文字に替えると、調律師・板鳥の姿勢が見えてくる。外村直樹がコンサートホールの調律師になろうとする過程が面白い。帰ってからカミさんに聞くと、ピアニストによってはお抱えの調律師を連れて世界をツアーするという。中にはピアノ自体も運びながら演奏活動をするのだと。ポーランドのツィメルマン(Zimerman 1975年のショパン国際コンクールの覇者。ポーランド語では「r」を発音するので、一般的にツィマーマンと呼ぶのは間違いであるという。)がそうであると。ブレハッチはそういうことはしない。世界中でどこへ行っても素晴らしいピアノがあるからだという。ピアノの世界も奥が深い。徒然の記その5 セルバンテス・ワイン講座 2018.6.20(水)■5月から新しいシーリーズの講座が始まった。巡礼路「銀の道」に沿って北上していき、町々の伝統文化を勉強しながらワインと軽食を楽しむ。毎回18人程度が集まる。出されるワインは特上のものばかりで口が次第に肥えてくるような錯覚すら覚える。今回はExtramadura(エストラマドゥーラ)州のワイン3種:Cañalva(カニャルバ)-tempranillo & Cabernat Sauvignon、Cañalva-Coupage、Cañalva-Seleccion(すべてCañalvaであるが熟成度が違っていて後半に行くにしたがい豊饒な味を示してくる。日本ではSpain Clubのonline shopで買える。)面白かったのは、スライドがアンダルシア州のSevilla(セビージャ)から始まったことだ。微に入り細に入り紹介されるため、2年前のヨーロッパ横断紀行の最終行程でのことを色々重ねることができた。大聖堂(La Catedral de Santa Maria de la Sede)のてっぺんから見た市内の様子など懐かしい。Extramadura(エストラマドゥーラ)州に入っては、Monesterio、 Merida、 El Cojondongo 、El Monasterio de Yuste、 Baños de Fuentemayorと次々と紹介されていく。そのスライドの詳細なこと!とくにIbérico Jamónがすごかった。ハムにはタグが付けられているのだという。Jamón de Bellotaはどんぐり100%で飼育した豚のハムで最高級、Jamón de Bellota Blancoはどんぐり75%で飼育した白豚のハム、Jamón de Cebo de Campoはどんぐり50%、豆50%で飼育した豚のハム、Jamón de Ceboは放牧されず、飼料を食べて育った豚のハムであると。この他に部位でも違ってくる・・◦ハモン JAMÓN:豚の後脚を熟成して作られるもの、◦パレタ PALETA:豚の前脚を熟成して作られるもの、◦ロモ LOMO:ロースを腸詰めにし、熟成して作られるもの。僕には何でもいいのだ・・・生ハムでありさえすれば!Instituto Cervantes vino culture school (cul48--セルバンテスのワイン講座 2018.6.20(水))徒然の記その6 歩き塾 山コース 神戸岩めぐり 2018.6.21(木)■曇りの予報も、ここ武蔵五日市までくれば山に雲がかかっておりわずかながら小雨がぱらついただけで、ラッキーな展開。日野のコーラスグループが「払沢(ほっさわ)の滝と四季の里」と名を打って5人ほどが前を行く。同じバスで降りた人たちだ。我々は準備体操などと東屋で休憩。圧巻の神戸岩(かのといわ)は東西に屹立する岩壁の高さ100m、長さ60メートル、谷底の幅は約4メートル。岩質がジュラ紀に形成された硬質なチャート層(放散虫・海綿動物などの動物の殻や骨片(微化石)が海底に堆積してできた岩石。二酸化ケイ素(SiO2、石英)の成分を持つ。)ブラタモリよろしく、そこいらの岩石を砕いてみる。このジュラ紀は凡そBC2憶年~1.5憶年の時代で、恐竜が跋扈した時代である。■ジュラ紀ジュラシック・パークなど「ジュラ」と付く固有名詞が実に多いのはフランスからスイスの伸びるジュラ山脈が起源である。ちょうどその地層がBC2憶年~1.5憶年の地層で、命名されたものである。ついでに言うとカンブリア宮殿などの「カンブリア」などの年代の固有名詞を小学校、中学校の学年で覚えると覚え易い。地質時代としては、冥王代、始生代、原生代があって、顕生代と続き、これが12階層に分かれる。古生代(三葉虫・・ここでは小学校のように6階層がある。)1・・カンブリア紀、2・・オルドビス紀、3・・シルル紀、4・・デボン紀、5・・石炭紀、6・・ペルム紀。中生代(恐竜やアンモナイト・・ここでは中学校のように3階層がある。)1・・三畳紀、2・・ジュラ紀、3・・白亜紀新生代(人類を含む哺乳類が栄えている時代でここでは高校のように3階層がある)1・・古第三紀、2・・新第三期、3・・第四紀(260万年前から現在までの期間)さて、このど真ん中にあるジュラ紀であるが、恐竜ブームは今年も続く。■ジュラシック・パークの最新作「炎の大国」が7/13に公開される。前4作は下記。1993・・ジュラシック・パーク1997・・ロスト・ワールド ジュラシック・パーク2001・・ジュラシック・パーク32015・・ジュラシック・ワールド2018・・ジュラシック・ワールド/炎の王国・・2015の作に続くもので崩壊したテーマパークから脱出した恐竜たちが大自然で生活を始めていた・・。徒然の記その7 誕生パーティ 2018.6.23(土)■2011年6月生まれの孫(1年生girl)が7歳となった。東北大震災からの年を数えながら大きくなってきているが。実家でのパーティーが終わり、プレゼントしたキャリーに一切の道具を詰めて、兄妹が我が家にやってきた。お泊り会である。キッズ達は今、パン製作の手伝いが終わり、ロボットの掃除機と戯れていて比較的静かである。明日はフルーツポンチを作るのだという。孫息子のはそれどころではない。F1ラリーのフランスGPが明日深夜。土曜日のフリー走行3回分で走行順位が決まる。2回目が20:00から放映される。DAZNや「F1」アプリで、それを追うことができると。父親の要らなくなったスマホを持っているので観戦が可能だという。F1のブランド音楽というべき2018年版musicをピアノで再現している。楽しくてしかたがないという4年生boy。夜ともなれば、2階の小生の寝室が布団の山となり、枕が飛び交うような修学旅行の夜の状況が再現されるであろう。笑いの中でいつしか彼らは寝る。しかしだ。物語を聞かせているうちに小生も寝てしまうのである。徒然の記その8 塀 2018.6.18(月)■6.18の大阪北部地震ではプール際に立てられた目隠し用の高い塀が道路側に崩れ、その小学校に通う4年生の女子が亡くなった。痛ましすぎる事故である。大きな地震の度に問題となる。教員の誰もが警鐘を鳴らせたはずなのに「検査の落ち度」として処理されかねない事態である。これからは、マラソン時住宅街の塀もよくチェックして見て回ろうと思う。まてよ、すぐ近所の家の塀は低いが石を積み上げ漆喰で固めただけで危険である。
Jun 23, 2018
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紫陽花、狭山湖run_ story (4348)2018.6.16I read Marie・Édit Ravel 's novel ”I came to Japan to perform the pilgrimage from France" ,referring to the English guide book "Shikoku Japan 88 Route Guide ". I know "spirituality" of Shikoku pilgrimage.マリー=エディット・ラヴェルの「フランスからお遍路に来ました」を読んだ。これと英語版ガイドブックShikoku Japan 88 Route Guideを合わせて読めばお寺の位置がわかり面白い。四国巡礼の「精神性」を知ることができた。Graham Thomas-English rose at the Kita-park of Sagamihara City(グラハムトーマス(イングリッシュローズ) 相模原市緑区の北公園で 2018.5.22(火))時期は遅いのであるが、周囲の緑の林をバックに綺麗に咲いていた。目次徒然の記その0 麻布十番でカルテットとディナーの集い(第2報)徒然の記その1 うれしくなくちゃ 生まれない徒然の記その2 映画「夜明け前 呉秀三と無名の精神障害者の100年」徒然の記その3 狭山丘陵を走る 徒然の記その4 アジサイを愛でる徒然の記その5 Viola Lesson徒然の記その6 第92回山谷ミニコンサート徒然の記その7 寺子屋・元気塾でのヨーロッパ紀行の講演徒然の記その8 傑作な掃除ロボット徒然の記その9 通じなかったイラスト!徒然の記その0 麻布十番でカルテットとディナーの集い(第2報) 2018.6.9(土)■麻布十番のきみちゃん像の近くの馬刺しの店「らむ東京」。熊本にある老舗さくら料理の店である。ピーコックの向かいで分かりやすい。7Fにある店は客席が35席ほど。バルコニーのように外側に出っ張った場所にもテーブルが並べられ特等席のような感じ。そこに陣取り外の風景を楽しみながら音楽を聴く。カルテットではハイドンの第76番の「五度」とドボルザークの第12番の「アメリカ」。集まったのは20年以上の付き合いの方々ばかりのほんの身内だけの会。34名が音楽に酔った。特に「アメリカ」は有名なドボルザークの交響曲第8番の「新世界より」と同年1893年の作品で、汽車の動きがよく表現された分かりやすい曲である。皆はこれを聴きに集まったぐらいに有名な曲である。解説が面白かった。ドボルザークは大変な鉄道マニアで、汽車の音を聞いただけで誰が運転しているかを言い当てたという。アメリカに渡っても興味は尽きず、ヨーロッパと違ってレールがロングゲージであったという。これを「アメリカ」で表現しているのだと。4楽章などまさに機関車がばく進する様子であり耳に心地よい。風景や機関車が走っている様が目に浮かぶ。Violaが活躍する曲で、わが師匠の十八番の曲でもある。カミさん曰く コンサートホールで聴きたかったと。徒然の記その1 うれしくなくちゃ 生まれない 2018.6.10(日)■「うれしくなくちゃ 生まれない 染色家 柚木沙弥郎(ゆのき さみろう)の模様人生」という番組をEテレで6/10(日)の日曜美術館で観た。染色家の柚木が60歳を超えて旅をしたメキシコで触れた素朴な彫刻や置物に新たなhintを得たという。デザインがシンプルになり、次々と作品が生まれた。すなわち作品は、「うれしくなくちゃ 生まれない」ということである。抽象画のような現在の模様はそんな風にして生まれ留まることを知らない。創作活動の原点である。そのための物の子細な観察から面白みを感ずるのであろう。もう楽しくて仕方がないという95歳の姿勢に驚嘆した。徒然の記その2 映画「夜明け前 呉秀三と無名の精神障害者の100年」 2018.6.11(月)■渋谷のuplinkに再度足を運んだ。今回は松涛美術館経由である。ここへは井の頭線の神泉駅から近い。月曜日は休館日であるが、翌日からのダイアン・コレクション アンティ-ク・レース展の特別公開日で雨天ながらこれも建物に吸い込まれるように招待客が入っていった。■この近くにあるギャラリーTOMでは、日本民藝館でやっている柚木沙弥郎(ゆのき さみろう)の染め物と安田侃(かん)の丸い彫刻とのコラボ展「安田侃のまなざし展 柚木沙弥郎 x 安田侃」が開催されている可能性。NHKの日曜美術館(20:00-21:00)で紹介されていたが、残念ながらここも月曜日は休館。またトボトボと鍋島松濤公園経由で、映画館に向かう。■呉秀三がオーストリア、ドイツに留学したのは、1897年7月-1901年10月。ウィーン大学のオーバーシュタイナー教授に神経病理学を、ハイデルベルク大学のクレペリン、ニッスル、エルブ教授に師事。留学の帰途にデンマークの田舎の町GeeL(ヘール)や、そこにあるSint-Dompna教会などを訪問。町の意識の高さに驚く。何代にもわたって精神障害者の里親になったりしているのである。精神病の人を活動させ、町全体で面倒を見るという方法である。馬車の御者などをさせて一緒に生活していたという。当時で既に300年の歴史があったという。精神病者を閉じ込めるなんてもっての他であることを強く認識。帰国後『精神病者私宅監置ノ實況及び其統計的觀察』(1918年)を表す。このなかで述べた『わが邦(国)十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし』という一節は特に有名。東京都立松沢病院の敷地内に建立されている呉の銅像の元にも書かれている。自宅監禁の実態とその撤廃を訴えた。だが、明治から大正に移る今から100年前の事情で言うと、精神病棟は1万人に対し1病棟であったようである。座敷牢のような監禁状態に置くことを法令で許可していた時代が長く続いたのである。現都立松沢病院の先駆者呉秀三の論文が社会を動かすまでは相当長くかかった。帰国後は、母校の東大教授や巣鴨病院長、初代松沢病院長等を歴任し、「日本の精神医学の草分け」と言われた。また医学史にも深い関心を持ち、シーボルトの伝記や「伝記 華岡青洲」を著した。■この映画を見て、西洋の400年に及ぶ歴史と、我々日本人の偏見が未だに存在する現状の差はどこから来ているのであろうかと。受容・受理・容認の姿勢と拒絶・拒否・排除の意識の違いはおそらく固定概念を植え付けていた学校教育にあるのではないかと考える。差別用語廃絶の歴史など最近の出来事である故。2013年に四国巡礼を果たしたフランス人がこういうことを言っていた。「すべての人が同時にあらゆる場所のどんな一部の人々の生命であっても真剣に気を配り、生きる者への震えるような賛歌にみんなが一緒に声を合わせられますように」と。この悟りのような声は、今の場合は、障害者を差別せず、彼らの強く生きようとする思いに寄り添ってあげようではないか。 とも聞こえるのである。自分自身 いままでどれほど差別の目でこういう人を見てき、接してきたのではないかと深く反省するところである。徒然の記その3 狭山丘陵を走る 2018.6.12(火)■西武球場の銀色のドームは日の出山や景信山など至る所から眺められるランドマークである。西武球場前駅からrunning。昔は山口や、村山の名前が付いた貯水池であったが、今は爽やかに「狭山湖」(主に埼玉県側)「多摩湖」(東京都)と呼ばれ親しまれている。明治期からの治水のたまもので、関東大震災後の1927年~1934年にかけて完成した水ガメである。現在は、周囲をハイキングロードやサイクルロードが取り囲み憩いの場となっている。多摩湖の東端の堤からの展望がすごい。関東一円の山がすべて見えるような勢いである。何十年前の記憶との差異で言うと、昔は湖畔が近かったような記憶がある。現在は湖畔まで1kmくらいが厳重に柵で囲われておりダムの堰堤以外は水面が見えないという悲しい状況にある。よってここを訪れる場合は、ほとんど湖面が見えず、柵を横目で見ながら森の中を周囲20kmほどを歩いたり走ったりするという単純作業を繰り返すことを覚悟せねばならない。狭山湖がすごい。当初予定した湖畔の道はすべてシャットアウト。相当大回りをさせられた。考えてみると、水ガメとしての環境保存または、オオタカの棲む森として、相当に役立っているのであろう。これほど広大でかつ独立した丘陵が関東平野のど真ん中にあることが驚きである。ここによく目を付けたものである。明治期の学者が必死に計算をしたのであろう。2つの池を作ればどれほどの水が蓄えられるかを。Y字型をした狭山湖と、ロ型の多摩湖がダムでせき止められて現在がある。西武球場前にはユリ園があり今が盛りである。多摩湖には西武園駅と、西武遊園地駅がありどれも終着駅で、集合場所としてどちらかを間違えれば大変なことになる。■狭山湖(山口貯水池:Yamaguchi Reservoir) 1934年完成 189ha。堤長・・716m。多摩川(羽村市)の小作取水堰(小作・山口線)及び、羽村取水堰(羽村線)からの導水。湖の水は東村山市の東村山浄水場、武蔵野市の境浄水場へと導かれ、東京都の上水道として供給される。所沢市、入間市にまたがるが、東京都水道局が管理。1kmほど北に、トトロのふるさと基金クロスケの家がある。足を延ばせば2.5kmほどの往復で周遊路に戻れる。■多摩湖(村山貯水池:Murayama Reservoir) 1927年完成 41ha。堤長・・318.2 m。羽村取水堰(羽村線)からの導水。資材運搬のため敷かれた鉄道は、一旦配線になったが、山口貯水池建設のために復活し、その後はサイクルロードとして活用。なるほど三鷹駅に近い境浄水場からほぼ直線で伸びる一本の道はこの廃線跡であったわけである。 Lake Sayamako(Yamaguchi Reservoir) and Lake Tamako(Murayama Reservoir) sanctuary(狭山湖と多摩湖 立ち入り禁止区域 2018.6.12(火))当初予定した湖畔ルート(黄色 15km)は柵で阻まれ、周遊コース(赤色 22km)に変更。斜線部分が立ち入り禁止区域・・ハイカーには解放してほしい区域でもあるがここにオオタカが巣作りをしているという。野鳥の聖域である。徒然の記その4 アジサイを愛でる 2018.6.13(水)■相模原市立北公園で今アジサイが最盛期!火水と連チャンで鑑賞してきた。いったいどれくらいのアジサイが咲いているのでろあろうか。何万株というアジサイ、とくにアナベルが今ちょうどよい。真っ白な毬状のたわわな房がアナベル畑に一斉に咲いている。波打つ様に息を呑むほどである。幾度かこの場面をスケッチしてきたが、全体の印象は周囲の樹木の濃緑色に、薄い白緑色がポーと浮かびハイライトのように全体が輝く。見事なコントラストを醸し出す。一個一個花を描くのではなく、全体的印象を抽象画のように描くほうがその場をよく捉えたものとなり響きあうのではないだろうか。もともと日本原産のガクアジサイが西洋にわたり、西洋アジサイとなって、里帰りしさらに品種を増やしているようである。貴重な野生の日本古来のアジサイもあり一株ずつ丁寧に見ていくと面白い。・日本自生種:ガクアジサイ系統・・Kカヤマ、伊豆の踊子、伊豆の華、ウズマメオ、さざ波、城ケ崎、ドーナツガクアジサイ、花火(この花火が一番好きである。ガクアジサイが弾けている感じ。色は薄い青。)・エゾ、アジサイ系統・・ヒメアジサイ・ガクアジサイ系統・・潤水、石化八重、エンジアンタム、ハーモニー、ホンアジサイ・里帰り品種・・マリエシー・西洋アジサイ・・アナベル、カシワバアジサイ、ギンペル、グリュンヘルツ、ジューンブライド、センセーション、ソフティ、パパガイ、ピンクアナベル、ピンクシャワー、ブーフィング、フラウ・ノブコ、プリマ、ブルースカ、マチルデグッケス、マリークレール、メッサリーナ、ヤエカシワバアジサイ、リナキナ、リベラ、リベラバイス、リラキナ、ロジータ・日本で育成された品種・・ウェディングブーケ、ウズアジサイ、オリオン、ギャラクシー、九重の桜、コサージュ、小町、ジューンブライドハーモニー、ダンスパーティー、遠花火、トキメキ、花手まり、彦星、姫小町、フラウ オチョウ、フラウ キヌエ、フラウ ヨシコ、フラウ レイコ、ほろよい、ホワイトキング、舞孔雀、ミセス クミコ、レグラ、レディ・エツコ、レディミツコ、綿帽子この他に多くの花が鉢植えで栽培され、囲いの中で展示されていた。徒然の記その5 Viola Lesson 2018.6.14(木)■わが祖国の譜読みを行った。Smetana(スメタナ) Má Vlast「わが祖国」の「1.ヴィシェラド(高い城)」、「2.モルダウ(ヴァルダヴァ)」、「3.シャールカ」、「4.ボヘミアの森と草原から」、「5.ターボル」、「6.ブラニーク1」 のうち後半の3曲。音程が難しい部分をゆっくりしたテンポで確認していく。弾きやすい部分を速く、弾きにくい所を遅くなど途中で勝手にテンポを変えて練習してはいけないと。同じテンポを守る。この場合は弓使いよりも、音程を重視。弾けるようになればテンポを上げていき、弓の動きをも集中していくという2段階で全部を通した。スメタナが書いている発想記号(強弱や感情表現)にも忠実にと檄が飛ぶ。この調子で3章を通す。次回日曜日のオケ練習が楽しみである。チェコ・フィルのViolaが鳴っていたという。絨毯のように重厚に弾いていたと。全員がその程度にがっちり弾きたいものである。徒然の記その6 第92回山谷ミニコンサート 2018.6.15(金)■第92回山谷ミニコンサートが「 神の愛の宣教者教会」台東区日本堤2丁目の集会所で開催された。今日のSolo曲はVcとVn。Vnを奏でるシスターは、ミュージカル「キャッツ」から「メモリー」。名曲に全員うっとりとなる。続いて合唱(ナツメロ・唱歌等 )は、「てるてる坊主、あめふり、ごらんよ空の鳥、湖畔の宿、小雨降る路、悲しき雨音、霧の摩周湖、遣らずの雨、風に立つ、365歩のマーチ」このように季節がら雨にまつわる曲が集めらている。太字がViolaで伴奏をする曲である。Vnが一人減ったので分担曲も多い。「365歩のマーチ」は毎回歌っているので大合唱となる。これは皆で合奏をする。ごらんよ空の鳥は、シスターがメロディを弾き、Fl、Va、Vcのカルテットで伴奏をする。■ミニコンサートの後は、行きつけのお店 南千住のインドレストラン フルバリでお昼をしながら反省会・・日替わりカレーで、「3辛」という辛いのを注文したが、出てきたのが「塩辛い」だけの辛さ。インド風の辛いのはどのようにして作るのであろうか。塩を足すのか、唐辛子を足すのか。すこし研究して見よう。シスターが住む南相馬では、小高駅近くにある「小高工房」が有名であるという。ここで売り出している唐辛子エキス「辛油」を次回から持参しようっと。音楽の反省会にはなっておらずカレーの反省会となってしまった。帰りの地下鉄が傑作。弾丸のように早口で喋っていたら秋葉原に着いてしまった。都営新宿線の「岩本町」に乗り換えるためにはこの駅で降りないといけないのに、まだ座席に座りなおして話しを続けるturbo717。あぁもう少しで乗り過ごすところ。慌てて降りる。何を話していたかというと、「1週間で5分やればよい」という健康法。これはカミさんにはうってつけの健康法である。あぁ話が終わらない・・・。徒然の記その7 寺子屋・元気塾でのヨーロッパ紀行の講演 2018.6.16(土)■一般社団法人「元気をつなぐ会」が主宰する寺子屋・元気塾で講演することになった。友人が関連する団体からお誘いを受けた形で、3月に"下見"をしている。場所は川崎市生涯学習プラザ。大変なことになった。まず講演会にリュック姿で登場しようと決意したわけであるがグレゴリオ(Gregory 75L)のリュックを修理せねばならない。アルミ板の心棒が折れてしまっているのである。忘れもしない、ポルトガルは2016年10月20日(木)Guia(ギーア)からLoulé(ローレ)までの行程で、スーパーで買った大量の食材をリュックにうず高くタワー状に詰めて歩き出そうとした矢先にバキッと音がし心棒が折れてしまったのだ。全体が重すぎたのである。以来、リュックはお祖母ちゃんを背負うように身体に密着してしまったのである。旅の最後の20日はそんな風に歩いていたのだ。それを如何に修繕するかである。さらに、ノートパソコンや装束一式、スケッチブックなども。とても重いのである。発表内容をPowerPointやWord文にしてUSBに納めてと。やることが山ほどある。意気揚々にして行こうと思うのであるが、主題がもう一つある。健康の目的として1日どれくらい歩けばよいのか。どんなコースがいいか・・近郊なら、遠出なら、休日のプランなどと。まぁこれらは歩き塾でやってきたことをしゃべろうと思っている。年間計画や、実施報告は、サイトを見てもらったほうが早い。さて、技術的な話として、「最短コース探索」という新しい遊びを紹介してみよう。これはGoogle MapやMaps.Meを使って、現在地から目標地までの経路探索で、いままで通ったことのないような新規の道を発見して実際にそこを歩くというものである。コンパス必携で、路地裏30cmの場所でも進んでいく勇気が必要。フェンスで立ち塞がれることもあるので注意が必要であるが、実際に現地でそれを確認するという面白さがある。15kgのリュックを背負っての登場に目を見張る15人。仕掛けは成功したが女性が多くまぶしく感じる。2時間があっという間にすぎた。武蔵小杉の居酒屋「季作」で乾杯。17:30。徒然の記その8 傑作な掃除ロボット 2018.6.14(木)■鬼の居ない間の洗濯ではないが、カミさんが留守をしている間に、階下を掃除しておこうと、眠りこけているロボットを叩き起こし、廊下やダイニングルームの掃除をやらせた。部屋を閉め切らないと、どこかへ行って道草をするため、ダイニングは引き戸などを閉めて椅子なども外に出して掃除がし易いように配慮をした。充電Boxも外に出しておいたのだ。これがあると、掃除も途中でやめて、すぐ充電Boxに腰を掛けて充電をしようとするのだ。ところが、2階でViolaなどを弾いている間にすっかりロボットのことを忘れてしまっていた。1時間ほどたってから見に行くと、まだ甲斐甲斐しく働いているような音がした。そっとドアを開けると、泣きついてきた。「あのう、ダストボックスが満タンなんですよ!」と。どうも充電boxが無いため休むに休めずに仕事をずっとしていたようである。人の気配がしたので作業を中断したようだ。ダストボックスを見てもそんなに凄いというほどは溜まっていなかった。このロボット 実に人間臭いところがあり面白い。もう一本アームがあり、頭を掻く仕草用のがあればもっと愉快だろう。徒然の記その9 通じなかったイラスト! 2018.6.6(水)■新しいヘアードライヤー・・「新しいドライヤーが洗面所にあったが。」「あぁあれね。貴方がドライヤーが故障したと言うので、買い替えたのよ。」「な、なんと。故障したのは細長い方のドライヤーで、それではないのだ。それはどうした?」「捨てました!」家には2台ドライヤーがあり大体が小生専用の細長いタイプ(聞くとカミさんもカールするときにはこれを使っていたのだという。)のはいつもコンセントが抜かれている。カミさん専用の丸いタイプ(この会話でいうそれである。)のドライヤーがコンセントに差さっているのだ。マラソンで帰ってきて、頭を洗って乾燥させている時に、どうも水分がドライヤーの中に入ってしまい、火花が飛んでショートしたのだ。カミさんがいない日の出来事。翌日今度は僕の方が外出するのでカミさんへ書置きをしておいた。「昨日、ヘアドライヤーが水滴でショートしました。もう使えません( ;∀;)」と演奏会通知のハガキの余白に細長い方のドライヤーのイラストを添えて書き置きしておいたのだが。カミさんにとってはみみずの這った一連の文字にしか映らず、まだ使える方のカミさん専用のドライヤーだと思って急いで買いに走ったようである。イラストが通じずこういう大事件が発生した。しかし「まぁいい。」と髪がふっくらと柔らかく乾燥する新タイプであるからという。小生はゴミ箱を漁り捨てられたドライヤーの救出にあたった。ゴミ出しの日に再度確認しておいた。「未練はないかと」「ない。」と言う。ここだけの話であるが、2階にそっと運びこんで私専用のドライヤーにしようと思うのだ。小生の方がよっぽど未練がある。message of my comment about broken hair dryer (絵を添えた書置き 2018.6.6(水))余白にドライヤーの絵を描いたつもりであったが、相手には通じなかったようである。
Jun 16, 2018
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熊谷守一、天才_ story (4347)2018.6.9My eye2.0 is brilliant wonderful tool. It use for blind people, They can read sentences without braille. That's demand will over 1 billion units if correspond to the national language. It is strange why Japanese can not think of such a machine.マイアイ2.0は素晴らしい。メガネの横に取り付ければ、本を読んでくれる。視覚障害者が点字なしで文章が読めてしまうという夢のような道具である。各国語に対応でき、10億台の需要があるという。こういう機械をどうして日本人が発想できないのか不思議である。Manaduru port from Dogen god (「東の道祖神」近くの展望台より真鶴港 2018.4.7(日))甍が連なる。が、3分間スケッチでは酷な対象であった。目次徒然の記その1 わが祖国 曲の概説徒然の記その2 映画「夜明け前 呉秀三と無名の精神障害者の100年」徒然の記その3 松濤を歩く 徒然の記その4 歩き塾 静かな美術館を巡るシリーズ・・日本民藝館徒然の記その5 旧サラ文幹事による飲み会徒然の記その6 映画「モリのいる場所」徒然の記その7 ポデガ銀座徒然の記その8 麻布十番でカルテットとディナーの集い徒然の記その9 ドラマ・ヘッドハンター最終回徒然の記その10 イスラエルの天才徒然の記その1 わが祖国 曲の概説 2018.6.3(日)■スメタナのわが祖国 全曲を秋に演奏する。その初回の練習が正指揮者 大井剛史さんの下で執り行われた(府中の森芸術劇場・平成の間 9:00-12:00)。初回にしてはまずまずの出来。実際の演奏時間は1時間20分に及ぶ長大な曲である。我々の周りでもこの曲を全曲知っているという人は少ないが、netで探すと2年に一回くらいはどこかで演奏されているようだ。例えばNHK音楽祭2015年、2017.10のチェコ・フィルの日本公演など。この時の演奏会には、カミさんの友達が大阪まで聴きに行っている。ブレハッチが東京で演奏会を行っているときの慌ただしい東奔西走であったようだ。大変なフャンが居たものである。音楽に描かれている情景を絵にするなら、昨年観た、Mucha(ミュシャ)展(国立新美術館(2017.3-6))に展示された20枚の絵が近いかもしれない。スラヴ叙事詩が描かれていたからだ。大阪まで飛んだという人は、プラハにまでも足を運んでこの連作を鑑賞している。プラハで行われている春の音楽祭では、わが祖国が2日間演奏される。曲は次の6つの楽章から構成されるが、3.と4.の間に演奏会では休憩が取られる。曲の概説1.ヴィシェフラド(高い城)・・プラハの新市街から見てモルダウ川の向こうの丘の上に建っている壮麗な城がヴィシェフラド(高い城)。曲は、吟遊詩人の竪琴の調べをハープで響かせて始まり、この城の過去の栄光とその後に続く荒廃を描く。2.モルダウ(ヴァルダヴァ)・・モルダウ川はヴァルダヴァ川と今日言われている。この川が水面に小さな流れとして発しやがて大きな流れとなってプラハの町に流れ込んでくる様を、狩の情景や、農民の婚礼、水の精の踊りなどを交えながら美しく描く。3.シャールカ・・シャールカは、裏切られた男に復讐を誓った英雄的な女性。このシャールカが策略(憎い男性を眠らせる。)によって男たちの軍隊を滅ぼすまでの変化に富んだドラマティック音楽を描く。クラリネットが愛のテーマを奏でる。4.ボヘミアの牧場と草原から・・Bohemia(ボヘミア)の自然を描いた曲。牧場から或いは森から歌が響き、農民たちの踊るポルカが聞えてくる。5.ターボル・・ターボルとはプラハの南にある要塞である。15世紀におけるボヘミア戦争(宗教改革者でルターの先駆者のフッスを信ずる者たちが起こした反乱)の際にこの要塞は一つの根拠地となった。曲はフス教徒たちが歌う讃美歌から始まり、ターボルに集う人々の権力にお対する勇気ある戦いを描く。6.ブラニーク・・ ブラニークとはフス教徒がこもった山の名前。ボヘミア解放のための戦いを勇敢に繰り広げていく様を描く。最後に輝かしい勝利の調べとなって全曲を終わる。以上、YouTubeから文字起こし。・・1984.5に行われたラファエル・クーベリック指揮バイエルン交響楽団の演奏から。Bohemiaと言えば、先日観たMETライブューイングのオペラ「La Bohème(ラ・ボエーム)」もパリ・カルティエ・ラタンの屋根裏部屋で暮らすボヘミアからの移民の物語であった。ポーランドのクラクフからチェコのプラハ、ドイツのフランクフルトへ至る1000kmくらいの巡礼路があり、この地域をいつか旅したいものだ。徒然の記その2 映画「夜明け前 呉秀三と無名の精神障害者の100年」は満席 2018.6.5(火)■camino仲間が、2月にデンマークで撮影部隊と行動を共にし通訳まで行った。この部隊が撮った映画が今渋谷のアップリンクで公開されている。失礼ながら閑古鳥が鳴いているのではと思いながら渋谷の街を歩いて行ったら映画館に近づくにつれ異様な雰囲気。道を歩くほとんど全ての人が館内に吸い込まれていくのだ。そこにあった長蛇の列は当日券を買う列である。当初は6月2日から9日までの公開予定であったのが、8日までが既に満席と言う。9日(土曜)から1日4回公演として、15日までネット受け付け。それ以降も延長されるかもしれないという。日経や朝日ディジタル版で紹介されたため観衆が押し寄せたのだろう。当方は敢無く敗退し、トボトボとここを後にした。今日はやることが多いのである。精神病者の自宅監禁や、今社会問題となっている障害者の不妊治療などの問題が、時流を得たのだろう。100年前に一人の医師が自宅監禁問題に立ち上がったという。精神医療先進国のデンマークではどのようなものなのかということを撮影クルーが見聞きしておこうということになった。camino仲間の一人はデンマークで開催された障害者の学会に参加する奥さんの鞄持ちとして参加する予定だったのであるが、日本から行く団体の旅のアジェンダをすることになったのだという。そこに合流する撮影部隊と共に行動することとなり現地で通訳したというのだ。不思議な縁で、この映画のエンドロールに名前が記されているのだという。骨折りが労われた感じであろうか。来週が楽しみである。徒然の記その3 松濤を歩く 2018.4.12(木)■宇田川にある映画館アップリンクから池尻大橋を目指した。翌日の歩き塾の行程をチェックする為である。そこまでは距離して1.8kmである。目白通りまでは松濤の街並みを通る。Bunkamuraの北にあたり閑静な住宅街である。喧噪の渋谷から700mも離れれば静寂の地となる。人口密度を図にするとパルスの急峻な減衰地帯でその落差に驚くばかりである。各戸の一辺は200mほどの大邸宅がお城のような塀を並べて屹立する。息をのむほどの超高級住宅街である。池尻大橋JCTの屋上にある「目黒天空庭園ひろば」に上がってみたが、庭園の中の小道の半分くらいが、改修工事中で景観的にはすこし残念(驚いたことに翌日は工事用の柵が殆ど取れ、遊歩道が大部が完成していた。速乾性のコンクリを使ったのであろう。驚愕である。)。大きな丸い建物に接して流れる目黒川はここから暗渠となる。全体のコース取りを策定し、明日への材料とした。(下記へ続く)徒然の記その4 歩き塾 静かな美術館を巡るシリーズ・・日本民藝館 2018.6.6(水)■梅雨入りとなった6月6日、東急田園都市線・池尻大橋の地下改札口前に数人が集合した。北口へ出てもよいが、目黒川の流れを見るべく東口へ出て歩き始めた。コースは、池尻大橋→プリズムタワー(5F)→大橋JCT・「目黒天空庭園ひろば」→クロスエアタワー(9F→3F)→大橋病院→駒場野公園→ケルネル水田→旧前田侯爵邸・和館→日本民藝館→東大駒場キャンパス→Lever son verre Komaba(ルヴェ ソン ヴェール駒場)で昼食、構内散策→解散。大橋JCTを加えたので若干距離が長くなり5.2kmのコースとなった。日本民藝館では柚木沙弥郎(ゆのき さみろう)の染色-もようと色彩 展が開催されていた(4/3-6/24)。常設展としては柳宗悦の集めた民具なども見ることができる。旧柳宗悦邸である西館は月4回(第2、第3の水・土)だけの開館でなかなか見る機会に浴しない。昼食はルヴェソン・ヴェールを予定。ここが混んでいれば、学食で371円のハンバーグを食べてもよし。このような計画で歩き始めたが距離が短いため日本民藝館には11時前に着いてしまった。染め物には興味をそそられるものの1時間も見ればやることがなくなりベンチに座って時間を潰す。レストランで30分待つ覚悟で12:15出発。東大駒場キャンパスの坂下門から入りグランド脇の狭い小道を登っていく。レストランは駒場ファカルティ・ハウスにあるためこのルートが最短。雨のためか以外に空いていて難なくテーブルに着くことができた。美味な料理に舌鼓。14:00前にそこを出て学内をすこし散策し、駒場東大前駅で解散。■ケルネル水田・・・駒場野にある日本最初の教育田圃(たんぼ)。現在は、筑波大学付属駒場中学・高校の教育水田である。旧駒場農学校→東京農林学校→東大農科大学を経て継承されている。札幌農学校がアメリカ系統の農業技術を導入したのに対し駒場農学校はドイツ系統の農学が取り入れられた。ドイツ人のオスカー・ケルネルは、日本農業の特質に配慮しながら農芸化学を応用した実験を中心に土壌・肥料などの研究と教育を行ったという。田圃は、今まさに水が引かれて畝が起こされていた。畔には多数の農機具が置いてあった。6/11頃から田植えが行われるのではないだろうか。その姿は井の頭線から見える筈である。■柚木沙弥郎(ゆのき さみろう)・・・(1922~) 95歳にして現役の型染めの第一人者。日本民藝館に展示された作品は、幾何文布(あやぬの)、ロマネスク文布、たすき文布など。生地は麻、紬、パピルスなど多様で、そこを染めぬいた幾何学的なおおらかな模様が多数展示されている。大きいもので2mx5m。氏は身近なものの”いのち”をつかみ取り模様に表現するという姿勢を貫いている。この様子はTVで見ることができるという。6/3(日)に続き、6/10(日)Eテレ20:00の日曜美術館で紹介されるという。「うれしくなくちゃ 生まれない 染色家 柚木沙弥郎の模様人生」。今から楽しみである。今後の展覧会へ向けての準備などをされているという。おったまげた老人である。徒然の記その5 旧サラ文幹事による飲み会 2018.6.6(水)■新宿大(おお)ガード近くの居酒屋「天狗」に今回は11人も集まった。座る席はいつも決まって店の一番奥である。瓶ビールを注文するのが正解だという。ジョッキでは何が混ざっているか、どう薄められているかわからないというのだ。そんなに疑い深くなってしまったのか我々は!歩き塾が終わったのが14時過ぎ。居酒屋集合時間が16:30。この2時間半をどう過ごすか? 映画館をさがしたがちょうど良いのがみあたらない。ではと新宿の山や(石井山専)へ行ってみることにした。トレッキングポールで消耗品の先ゴムや33リットルのザックカバーなどを物色。PhenixやMammut(マムート)の山用のパンツなどどうかしら。と店内を隈なく歩き回る。地下に行けば、タブレットとバッテリー間のマイクロUSBのケーブルなども探さねばならないと。まぁ結構この空きの時間は貴重であった。徒然の記その6 映画「モリのいる場所」 2018.6.8(金)■銀座4丁目のCINE SWITCH に話題の映画「モリのいる場所」を観にいった。この映画が終わるころ、ポデガ銀座(銀座7丁目)にはcamino仲間が集まっていることだろう。主演の山崎努と樹木希林に加え沢山の人物が登場するが、物語は画家モリ(熊谷守一)の自然観察の様子とこだわりの偏屈ぶりが克明に描かれており面白い。名誉ある賞の受賞はこれ以上来客者が増えては困ると断る場面は87歳のときである。この映画は氏が97歳で他界しているので、その10年前のたった1日を綴ったものであることがわかる。多分15年先の小生が、庭で蚊と戦いながら1日中紫陽花やユリやドクダミ草や蟻を眺めてボーっとしている様と似ているのではないか。ただ違っているのが、モリの家にはひっきりなしに人が訪れていたことである。徒然の記その7 ポデガ銀座 2018.6.8(金)■先週銀座7丁目にopenしたばかりの「スペイン・グルメテリア ボデガ銀座店」にCine Switchから足を運んだ。650mと近い。スペイン語で樽を意味する「ボデガ」という店が今あちこちに展開されている。月島、門仲など。銀座にはスペイン クラブのレストランもあり、他にフランチャイズの店もあるという。雰囲気のよい角地のお店である。大きな樽を描いた壁が美しい。樽板を思わせる高めのテーブルに酒好き6人が19時に集まった。Mazanilla(白 カモミール シェリー酒)、Tilenus(赤ワイン)、Vessants(同)などボトルを次から次と開ける。帰宅したのは日付が変わっていた。この店のワインで驚いたのが、Jerez de la Frontera(ヘレス・デ・ラ・フロンテラ)の酒があったことだ。Cádiz(カディス)から北に20kmほどの町である。一昨年はそこを南に向けて歩いていた。牛肉の産地であるが、2005年に生まれた呼称:Vino de la Tierra de Cádiz(ヴィノ・デ・ラ・ティエラ・デ・カディス)という14の市町村のワイン産地を通過していたのである。徒然の記その8 麻布十番でカルテットとディナーの集い 2018.6.9(土)■らむ東京・・大江戸線であれば7番出口、南北線であれば4番出口、ともに赤い靴を履いたきみちゃん像を目指せば、その角から近い。ここでカルテットを演奏するのは、春のミニクラシックコンサートでいつもとりで演奏するメンバーである。レストランを借り切っての催し物に34人が集まった。モーツァルトのアイネ クライネナハト ムジーク、ハイドンの弦楽四重奏曲第76番の「五度」、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番の「アメリカ」、と小曲が演奏された。16:00-17:30その後は、歓談となりディナータイム。熊本から運ばれたという馬肉など新鮮な肉を売りとする店ならではのメニューの数々。予算は2人で10K円と格安。17:30-20:00家族や知人らで構成される聴衆は最高の音楽に酔いしれる。ボロディンのカルテット2番3楽章の「ノクターン」からお酒が入り小時間を過ごす。17:40。これ以降は来週報告。■麻布十番のきみちゃん像・・野口雨情作詞詩の童謡「赤い靴」のモデルになった少女の像である。あどけない少女、岩崎きみちゃん・・横浜からアメリカには渡らずこの地にあった孤児院で9歳で亡くなっている。1902年生まれで、今生きていたら7月15日に116歳になる。徒然の記その9 ドラマ・ヘッドハンター最終回 2018.6.4(月)■TVドラマ・ヘッドハンター最終回「命を救う転職!巨悪の嘘を暴く最後の大逆転」」であった。先週のヘッドハンターは医療の現場で起きる壮絶なTop争いと新規病院長への赴任が話題なるも途中だったのでその続きをやるかと思えばさにあらず。急遽、国有地払い下げを伴う不正と改竄がメインテーマとなった。まさに今国会を沸かせている話題そのもので実に痛快。ドラマをもってして現状を暴いたような内容であった。メディアの逆襲であろう。財務省ノンキャリア(ここでは”専門職”であると言い直させていた。)の男性(山本耕史)が上から命ぜられ文章を削除し、悩む場面があった。最後は、改竄前の文章をマスコミに暴き、自身はヘッドハンティング(ハンターは黒澤和樹(江口洋介)応じ、年収4000万円の胡散臭い就職先を蹴り600万円ながら街づくりの夢を叶えられる新たな企業へ)に応じていくというストーリ。超エリート官僚軍からなる財務省。1級合格者(幹部候補生)は東大topに限定されるほどの狭き門。ここをくぐってきた現在の官僚たち。現在も改竄に絡んだ職員は悩んでいるのではないだろうか。すべての膿を出しきって前に進むことができないものだろうか。みんなが黙り、嵐の去るのを耐えている感じである。徒然の記その10 イスラエルの天才 2018.6.3(日)■朝刊の付録のGlobe6月3日号に「天才の育て方」というのがあった。天才とは、遺伝的資質もさることながら、その資質を100%開花させる生育・教育環境が伴って初めて生まれるという。イスラエルのIT技術者の天才アム・ノンシャシュアは皆兵制のイスラエル軍に鍛えられた。モービル・アイのCEOである。氏が開発したのはマイアイ2.0という文字認識音声化機器。メガネの横に付け見ている方向にある文字を解読し朗読していくのだ。視覚障害者、識字障害者、高齢者など10億人以上の需要があるという。これなら点字はいらない。後天的に盲目となった人でもこれがあると文章が読めるという夢のような機械である。turbo717はさらに改善案を提案したい。これで楽譜を読むと、音や記号が出てくると面白い。健常人でも使えることになる。■後期高齢者の車返上・・高齢者がますます家に閉じ籠ることになり反対であるという意見の人もいる。死ぬまで自由に運転させるべきではないかと。ただしである。古い車はダメである。家族は新しい車をプレゼントすべきである。現在の車はほとんどAI付きであるから。90歳のご婦人は何も人を殺したくて横断歩道を突っ走ったわけではないのである。そこはAIが判断して車を急停止させるべきだったのではないかと。こういう分野に数多くの天才を注ぐべきではないか。クイズ王はもう要らない。解答のない世界をすべてが可能だとして新しい道を切り開く真の天才が待ち望まれる。
Jun 9, 2018
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Tokyo guide、 Smetana Má Vlast_ story (4346)2018.6.2I guided Tokyo especially Asakusa to foreigner with my friend in cloudy day of end of May. Asakusa was full of tourists, but it was vacant as it changes only one street. There were many quite view point. I had experience more five new spots. Sumidagawa river and bay area was best view point in Tokyo. I think.久々に外国人を東京案内した。浅草は観光客であふれているが、一つ路地を違えれば空いている。団体客のコースから離れれば静かな見どころは多い。初めての経験を5つもした。ガイドをしながら過去を振り返った。東京は広い、いいところがいっぱいある。Hypericum monogynum of my house(拙宅のビヨウヤナギ(ビョウヤナギ 2018.6.1(金))ビヨウヤナギ(美容柳、未央柳(ビョウヤナギ))。黄色い花が満開となった。2日頃には最初の花が散り始め、次から次と蕾が膨らんで咲いていく。熊蜂が忙しそうに蜜を吸っている。ただこの花ほど描きたくてしょうがないのに、難しいものはない。毎年挑戦しているが・・。目次徒然の記その1 Viola Lesson徒然の記その2 ステンレス!徒然の記その3 歩き塾 都内・近郊シリーズ「石神井川を下る」 徒然の記その4 東京案内徒然の記その5 テルテル会徒然の記その1 Viola Lesson 2018.5.29(火)■Smetana(スメタナ) Má Vlast「わが祖国」「1.ヴィシェラド(高い城)」、「2.モルダウ(ヴァルダヴァ)」、「3.シャールカ」、「4.ボヘミアの森と草原から」、「5.ターボル」、「6.ブラニーク」 の譜読み。長丁場になるため椅子にすわっての練習となった。Allesandro RollaのDrei Duosはお休み。正拍の箇所はだいたいさらえるのであるが、例のシンコペのリズムが怪しいと、手拍子と歌唱でそれこそ一時間以上絞られる。もう泣きたいくらいだ。全曲で2か所くらいしかない箇所なのに、ひかかってしまった。微妙にずれていると。「1.ヴィシェラド(高い城)」で、ラララとかタタタとかいい加減に歌っていたら、その歌い方が間違っていると。この2年間何を歌ってきたのかと自虐ネタを考えたが埒があかない。「家に帰ってじっくりやってきます。」と泣きつくと、それでは一生できないのだ。今ここで解決しろと厳しい。(・・爾来、何十時間と、家にいても、電車に乗っていてもその旋律を練習。)ルールはこうだ。スラーの始まりを「タ」、継続音を「ラ」で統一。16分音符は「タラタラ」で4つ分を歌う。シンコペであっても「タあ-」と後打ちの「あ-」は付けない。へんな抑揚はつけない。拳(こぶし)をいれない。頭は振らない。拍を意識し無心に。もう禅のような修行である。「ターラララ」、「タラララ」、「タラララ」、「タラララ」、「タララララ」、「タラララ」、「タラララ」太字が拍の頭である。最後の2つは通常のリズムで簡単。前の5つが、シンコペのリズムで手拍子にしろ、指揮棒にしろその箇所でピタリと合ってなくてはならない。「3.シャールカ」にボヘミアにリズムが出てくる。♪♩♪-♪♪🎶(3連符) という軽快なシンコペのリズムがあり、譜面を見ずに先生と合奏していく。合うとなかなか楽しい。これらの鬼門を過ぎれば割と弾けていると、最後のお褒めが。しかし今日はつっかえが多かったので最後までいかず。日曜日には正指揮者による全曲練習なので夜を日に継いで2600小節をこなさねばならず。あぁ神様 パート練習もそうであるが、怒られて家に帰るというシチュエーションは大体がViolaがからむ。子供であれば、泣き崩れて母に優しく抱擁をされ得ようが、こちとら意地でもカミさんにそんな弱みを見せられないのがつらい所である。自力で解決しなくてはならない。カミさんの方は最近はますますブレハッチばりのピアノの音となっている。音も強烈でピアノの底板が震えてきしむ音すらも聞こえる。Violaが太刀打ちできる日が来るであろうか。徒然の記その2 ステンレス! 2018.5.29(火)■台所にあるシンクの蓋がゴム製からステンレス製に突然切り替わった。以前のゴムのパッキンのような蓋には穴が開いてて水を流すことができるものの、大きなゴミはそこに留まった、大きいものはそこにシンク横にあるネットに上げていた。ただゴムのパッキングの部分に常に水がたまり水垢がつくといった厄介な代物であった。時々歯ブラシを使って綺麗に汚れを取ったりとメンテナンスにも力を注いでいた。これが生協から届いた、ステンレス製の蓋に切り替わったのだ。前のものはどうしたのかカミさんに聞くと「捨てた!」という。な、なんと愛着を持っていたのに。急須に付いている金網などをこのゴム蓋でポンポンと叩くとお茶葉がポンと取れてなかなか使い勝手がよかったのであるが。そこでステンレス製の蓋に文句を言ってみた。「錆びたりしないのか!」と最後の抵抗を図って聞いてみたという次第である。その時の答えが「ステンレスでしょう!」なるほど、「stain」とは「しみ、よごれ」を意味する英語で、「stainless」とあるのはまさしく「錆びない(錆びにくいという意味も込められているが)」ということである。そこは信じて、今後この蓋と仲良しになっていこう。先日、合羽橋の道具やで、魚の小骨抜きを見たとき、「ステイン小骨抜き」とあった。これは「レス」を省略して荷札に書いたものであるが、ここの店ほとんど商品に「ステイン」と頭に付いていた。面白い!■ステンレス鋼は、13%以上のクロムを含んだ鋼のことである。クロム系とクロム・ニッケル系があるが、このクロムは不思議な物質で鉄のなかに入ると百万分の3mmという薄い膜を作って錆を防ぐ。徒然の記その3 歩き塾 都内・近郊シリーズ「石神井川を下る」 2018.5.30(水)■石神井川を石神井公園の場所から下ってみた。この川の源流は小金井カトリークラブ(小平市花小金井)の西側にある。途中武蔵関公園の富士見池や、豊島園からの湧水を加えて、隅田川に注ぐ。石神井公園は学生時代に一回歩いている程度の思い出でしかないが、そのときは公園の南西側にある土手のような丘陵を歩いたのであろう。up-downした記憶のみが頭にある。西武池袋線の石神井公園駅は急行が止まる巨大な駅に生まれ変わっていた。公園の北側はほとんどが大邸宅で驚くばかりである。三宝寺池が西にあり、東の石神井池と繋がっている。三宝寺池は現在湧水がなく地下水で維持しているようである。広い池群は、だいたいが淀んでいる。夏の蚊の発生が心配された。4月10日には、隅田川の堀船まで下見をしているが今回は雨模様と言う天気もあり、王子駅までの18.5kmで打ち上げにした。途中豊島園をう回したが、東側の通りは、10月に予定する「大江戸線ロングトレイル」で最初に通る道であったことを誰が知り得ようか。メトロの上を通るということは、よほど意識しないとその感動を共有できない。”道フェチ”を自認するturbo717の独り言である。石神井川は名だたる街道をいくつも横切る。国道254号(川越街道)はつい最近この先50km pointを横断している。埼玉県東松山市の「つきのわ」から秩父に山越えをしたときの事である。このときルート沿いに走っていた道がこの国道254号(川越街道)であった。また50年前下宿していた上板橋では東武線に沿って通る大動脈であったわけで、縁がある道である。国道17号(中山道)とも交叉した。この旧街道にあった橋が「板橋」(日本橋から2里25町=36X2+25=97町里=97X3.927/36=10.6km)で、板橋という地名の由来になったという。中山道のこのあたりは、上宿、中宿、平尾宿があり総称して「板橋宿」と呼ばれた。17号と交差する手前に、中板橋商店街があり、そのあたり1kmに桜が多数植えられていた。花見のシーズンに再訪したものだ。徒然の記その4 東京案内 2018.5.31(木)■2010年にスペイン巡礼の「フランス人の道」で会って親交を重ねているフランス人女性(以下Cさん)が、4月から5月にかけて四国巡礼を完遂し、東京にやってきて6月2日に日本を離れる。その間隙をぬって、東京案内することになった。caminoフレンドとしてもう一人、日本人男性もいる。まだ現役ながら精力的にあちこちを旅している方である。3人で、東京をまわった。下記がそのコースで日没18:43という時間も偶然ではあるが劇的な効果を及ぼした。六本木→東京ミッドタウン→檜町公園(ここまでが朝の散歩 9:00-9:30)→六本木→浅草(入谷→金竜小学校前→合羽橋通り→浅草演芸ホール→浅草寺→ステーキ「信ちゃん」→owl cafe→浅草リトルシアター→浅草文化観光センター→神谷バー→待乳山(まつちやま)聖天→浅草2丁目のマグネット工房→隅田川クルーズ→日の出桟橋→お台場海浜公園→フジテレビ7階テラス→六本木→個室居酒屋・酒の菜月あかり(19:30-22:00)(結局 9時から22時まで13時間、ともに過ごしたことになる。)この13時間のコースといった”こだわりの東京観光”。いかがなものであったろう。この散歩で、小生生まれて初めてというのが5か所もあった。■入谷・・日比谷線の入谷は西側の言問通りに面して、入谷鬼子母神があり、7月6日、7日の両日、朝顔市が出る。そんな場所とは露知らず、一番東の出口からでてしまった。そこから金竜小学校前を目指し、右折して合羽橋商店街へ。ステン骨抜き(ステンレス製骨抜き)などを買う。■浅草演芸ホール・・5月31日というのは特別な日であったらしく、長蛇の列。三遊亭小遊三やナイツが出るとあって超満員。立見席、札止めを覚悟せねばならずここはパス。午後代わって浅草リトルシアターへ。こちらは、なんと雲泥の差の閑古鳥。客席に5人しか居なかったが、若手お笑い芸7組にCさん大いに笑う。■owl cafe・・フクロウを肩にして客引きを行っている。Cさん動物好きでうっとりと2,30匹の梟と戯れる。カピバラ、猿、フラミンゴなども飼われて遊べる。(余りにも狭い場所で飼われているので動物虐待を心配する向きもないではない。癒し系のcafeとなっているのであろう。結構繁盛していた。)■浅草文化観光センター・・8F展望室から仲見世の展望が最高。空中散歩をしているような感覚。ここ意外と空いておりお勧め。■神谷バーで電気ブラン・・噂には聞いていたが入ったのは初めて。電気ブランとは、神谷伝兵衛が作ったというブランデーを基のしたカクテル。30度270円。40度370円。一杯ひっかけていくという人も多そう。■隅田川クルーズ・・吾妻橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋、JR総武線、両国橋、新大橋、清州橋(美しいフォルム)、隅田大橋、永代橋、中央大橋、佃大橋、勝鬨橋、築地大橋(2年前に出来ているのに未開通、豊洲市場、オリンピック用の橋)、レインボーブリッジ 計15橋をくぐって行く。これは壮大。こんなの世界中に無いのではないか。■フジテレビ・・25階にある球状の展望台は18:00まで。7階のテラスは解放されている。そこから見た日没は最高。scenery of sunset from 7th floor of Fuji-TV(フジTV 7階テラスから見た夕日 2018.5.31(木))お台場の浜辺に近い展望台では、お笑い芸人がインタビューに応えていた。友近と、ゆりあんであった。Cさんの四国巡礼-歩きお遍路の感想・・どこでもとても親切にしてもらい大感激。道がとての綺麗でスペインcaminoと比べ物にならないと高く評価。外国人がたくさん歩いていた。今回は高松市の栗林公園からスタートし、1番札所へは知人の車で移動。最初の2,3日を同行を共にした以外は大体一人旅。室戸岬はバスを利用。ガイドブックは武揚堂の英語版ガイドブック「Shikoku Japan 88 Route Guide(caminoのガイドブックのように詳細な情報が載っておりこれを凌ぐ日本版を見たことがない。著者は松下 直行)、参考本「フランスからお遍路にきました。」彼女は一昨年北の道を、昨年はサン・サルバドルの道を歩いている。今後も日本に来たいという。臼井 甕男(うすい みかお)が創設したというレイキ(手当て療法・ハンド・ヒーリングのジャンル)の25年来の体験者で、師範級であるという。巡礼の直後、京都鞍馬山のパワースポットをレイキの幹部と一緒に参拝している。88番札所から1番に戻って、般若心経などが書かれた「仏前勤行要集」をお土産に買って来てくれた。高野山にも行き結願を果たしている。その後、夜行バスで東京に入った。■日没時間・・丹沢の東端に住む者にとっての日没時間・・これほど差があったなんて信じれる? なんと18:15に丹沢山系の黍殻山(きびがらやま 1273m)の端に太陽が沈んだ。この時、お台場にある高層建築群はまだ夕日が射しており、日没は18:43であった。なんと28分も遅いのだ。日陰にならない家であれば、丹沢から遠ざかる方が有利である。湾岸の高層マンションが人気がある理由であろう。徒然の記その5 テルテル会 2018.2.21(水)■大学理工学部の電磁気学専攻の研究室卒業生による集いが毎年この時期に行われている。今年は指導教授の没後30年。参加者は37名と昨年よりも大幅に増えている。2021年には教授の生誕100年となるので、参加者は増え続けるかもしれない。この集まりにささやかな余興を初めて6年くらいが経つ。最初は、VnとVaのDuoで、小曲演奏と校歌、いつかから誰でも歌えるようにと歌唱曲を入れた。リコーダーをやる先輩に加わっていただき、テルテル合奏団と名を打って名曲演奏などを続けている。今年はこれにギターが加わった。聞くとハーモニカやオカリナを吹くという方々もおられ年々オーケストラ風に拡大の一途かもしれない。皆何かをやっているのには驚くばかりだ。1.アルムの歌:2曲(リコーダ、Vn、Va) ・Grundlsee, Salzkammergut:En Sigl Seppn seina(ヨーデル アルプ54号より) ・Brixental, Tirol:Es eird scho glei dumpa(夜のとばりの閉ざすころ アルプ58号より)2.Robert Schumann:In der Nacht(シューマン:夜に(ギター、Vn、Va))3.Ernest Lecuona:Malagueña(レクオーナ:スペイン組曲「アンダルシア」よりマラゲーニャ(リコーダ、ギター、Vn、Va))歌唱は、「津軽海峡冬景色」演奏中のスライドショーでは、熊野古道の小辺路の情景をと準備に余念がない。12:00-14:00の濃厚な2時間に、スピーチや歓談、中締めにあとは15:00までのさらなる歓談にみなが寛ぐ。九州からの日帰りで駆けつけてくれた方もおられこうした昼間のパーティーに感謝していた。
Jun 2, 2018
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秩父巡礼、runner's high_ story (4345)2018.5.26I run two long-distance 70km and 53km converted from altitude in this week for first experience. My be this was “runner’s high” by phenomenon of endorphin in blood coming out of my brain during marathon .What is these crazy performance like climbing the road and mountain path. By the way, my quiet Kami-san is in home. What is this contrast?この週に長距離run 2つ。高度を換算したみなし距離は、77kmと53km である。よくこれだけ走ったものだと我ながらに感心する。どうもランナーズ・ハイという言葉があるように、マラソン中に自分の脳から麻薬物質が出ているのではないかと。血液中のエンドルフィンが倍増する現象である。山道の坂道upを敢えて走る、車道の激しい登り道をrunningする、長距離を走り続けるときにそれぞれ感じるのはたぶんこれだろう。恐ろしい。家に帰ると静かなカミさんが楚々としている。このコントラストは何?Moutain-Tanzawa and Lake of Miyagase from Bukkasan(仏果山より丹沢山系と宮ケ瀬湖 2018.5.22(火))手前右が高取山、前方は蛭ヶ岳。目次徒然の記その1 第77回定期演奏会徒然の記その2 長竹CC→仏果山(ぶっかさん)徒然の記その3 あなた!どこから開けているの! 徒然の記その4 松本記念音楽迎賓館徒然の記その5 秩父へ、第一札所四萬部(しまべ)寺へ徒然の記その1 第77回定期演奏会 2018.5.20(日)■指揮:田部井剛 演奏:府中市民交響楽団 場所:府中の森芸術劇場どりーむホール・ブラーム:悲劇的序曲 作品81,・R.シュトラウス:交響詩「死と変容」作品24・ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調 作品90今回は、重い曲が続いたのでアンコールとしてヨハン・シュトラウス2世作曲 ポルカ「アンネンポルカ」 が奏せられた。アンケートの中に、交響詩「死と変容」を50年ぶりに聴いたという人がおられた。我々としては第43回定演、2001.5.20から17年ぶりの演奏であったが、前回より良い演奏ができたのではかと。ブラームス 交響曲 第3番の2,3楽章に対する評価もよかったようで一安心。もっともっと合わせればワングレード アップするであろうとの意見。管を若返らせろ!という辛辣な意見も頂戴し、より研鑽をつむ努力を惜しんではいられないということを肝に銘じた次第である。■はなの舞・・東府中駅にある居酒屋は、予約席で満杯の状況であったが、小生の関連するグループが大挙して押しかけてくれていた。有難いことである。本来は劇場1Fで催されるレセプションを優先すべきところ、そのレストラン、店を一旦閉じるという所作を忘れてしまったためか、30分前になっても他の客が入ってくる始末で埒があかずこちらをパスして先に居酒屋へと駆け付ける。今回は巡礼仲間が6人も直近の旅を終え集まってくれていることもあって、熱い歓談が続いた。ルルドから帰ってきた女性から多分なお土産をいただき恐縮。高校の友達も大勢。このうちの3人は2日後にゴルフコンペに出かける。サプライズが待っていることも知らずに(?)(下記)話し込みが長くなってしまったためレセプション会場に向かうタイミングを逸した。では2次会会場の「スンガリ」へと。2階の障子に映る人影がありアンケートの読み合せをやっている筈である。居酒屋でしこたま飲んでしまっていたためここも敢無くパス。あぁ、演奏会が終わっても右往左往するturbo717であることよ。次回からはきっちりレセプションを優先しよう。徒然の記その2 長竹CC→仏果山(ぶっかさん) 2018.2.21(水)■宮ケ瀬湖から5kmほど東にある長竹カントリークラブまでは家から8kmあまり。マラソンで時々通る場所である。かねてから高校のゴルフコンペがここで行われている。彼らはJR橋本駅北口から送迎バスで向かう。バスの経路は予想がつく。いつかT字路で待ち構えていて驚かせてみようかと兼ねてから策案していたのだ。それを幹事に耳打ちしたところ、そんなことでは一瞬のうちであるのであまり効果がないと言う。ならば堂々とCC玄関で、キャディboyのように出迎えてやろう。ということになった。ゴルフ関連のメールには、バス発車の時刻、startの時刻、インかアウトかの当日の詳細が刻々と伝えられていた。cc.で小生にコピーが来るようになっていたのでそれを読み取り、当日の朝を迎えた。家からの経過時間などを逆算し出発したが8:10には到着してしまった。玄関にはboy2人が立っていたが、笑みを返すだけで特別は拒否反応はなかった。マナー的にはジャケットを着なければならなかったらしい。まぁ今日は1従業員に化けてCC.の内側に入らせてもらうことにした。一応肌を出さない正装のマラソンスタイルでリュックを担ぎサングラスをしていたため誰にも咎められずに館内へ。入ってしまえば、プレーする姿とあまり変わらないため違和感はない。玄関から受付けまでのわずか10mに、ジャケットが必要であったようである。米国ではCCの門から完全にシャットアウトされるらしい。8:50皆が到着。えらい賑やかだ。サングラスをしていても誰かとすぐわかるらしく皆が驚きの表情。「よく入れたものだと!」サプライズよりも「入れた」ことに驚いていたようだ。9:27に記念撮影をしてゴルフ場を後にした。まだ用事が残っているのだ。■長竹CC→仏果山(747m)-(半原)高取山(704m)→宮ケ瀬ダム→家長竹CCから仏果山を一周してきた。家からの距離は31.7km 累計高度+2270m,-2267m みなし距離=31.7km+2270x10/1000+2267x7/1000=70.3km 消費カロリー3,457kcal。高取山から遠く、長竹CCが遠望できた。かんかん照りの日によく皆は熱中症にならずプレーできるものだ。■宮ケ瀬ダムはH12(2000)年に完成した。子供たちはこのダム建設現場を学校から見に行っている。ダムに備わっているインクラインという斜面の道は、トラックを下におろすために使われていた。堤高156.0mの重力式コンクリートダムで、ダム本体のコンクリの量が日本一だという。このダム湖を左手にみながらの雑木林の道は素晴らしい。快適なハイキング・ルートを下ると巨大なダム最後部に至る。なかなかおもしろいコースであった。trecking route Bukkasan(仏果山トレッキングルート 2018.5.22(火))徒然の記その3 あなた!どこから開けているの! 2018.5.24(木)■生協から届いた和菓子・白花栴檀(せんだん)の上品な箱。すでに包装紙が剥がされ白い厚紙の15x15x3cmくらいの箱が卓上に載っていたのだ。なかを覗こうと箱を分解しはじめた。苦労して箱の脇を剥がし、右側もこじあけ、すでに箱はボロボロになろうとしている。お猿が、中のえさを取ろうと必死にもがいている図式と似ている。カミさん 曰く。あなた!どこから開けているの!最初から開いていたのだ。90°箱を回せば、ちゃんと蓋が開けられたのだ。いかに慌て者であるかを悟り恥ずかしくなった。本人もう笑い転げるさまである。戸は押してダメなら引いてみよ!という、少しの頭の展開が必要な時の狼狽えようである。心せねば!■家を半日以上空けるときがヤバい。家に帰ると またまた剪定をした葉っぱの山。それが何袋も。隣接する家との間に生えている木々の葉っぱがきれいに剪定されている。庭を一切いじるな、竹を切るなとは言いおいてあるのであるが、どうもたまらず切りそろえてしまうのだ。垣根の高さを一定に低くし、これ以上大きくならないようにと願うような姿勢である。わからないこともない。こちらの方が風通しはよく綺麗に見える。がしかし一言「貴方! 切ってくださらない!」と懇願してくれれば。しかしこちらは忙しすぎる傾向にあることと、どうも全植物を「すぐ大きくなる! 蔓延(はびこ)る!」と恨んでいる気配なので、手が勝手に動くのであろう。そういう意味でもともとが他人であるカミさん。こっちの思惑はまったく通じない。しかもなかなか言うことをきいてくれない。「調教は失敗した。」という表現を使うことで相手との関連を強調するぐらいが精一杯である。■朝の時間・・考えてみると、1日の中で小生にとっては一番活気づいている時である。前日に酔って帰ってきていたとしても。また早朝に出かけなければならないときも。最近は寝起きてすぐにやるのがパソコンやタブレットでのメールのチェックやMessengerでのやり取り。これが済むと約1時間半の朝の仕事に取り掛かるため一旦コンピュータをスリープに。さて、中でも火曜日の朝餉は忙しい。前日に生協から届いた一週間分の食材の配分を思案する。「わけありリンゴ(左右対称ではない分安いリンゴ)」やバナナなのど員数確認。ハムは5枚しかないため、木曜日から食べるようにする。「熟成あらびきポークウインナー」は6本しか入っていないため、火、水で1本とする。バナナはヘタを切って一本ずつ新聞紙にくるんで保存するが、5本しかない場合は、火・水と木・金で半分づつとして凌ぐ。リンゴ、キューイなども同じような割り振り。難しいのがメロンである。これを7日で食べる場合は角度を51.4度に切らなければならないが、しんどいので4等分として、金土日月で食べる。ブドウは個数をカウントし、1日4個とするように。ところがである。いつか昼餉にチャーハンが出てきた。ふんだんに「熟成あらびきポークウインナー」が使われている。輪切りにしたのがコロコロと載せてあった。な、なんと爪に火を灯すようにして節約しながら使っている朝餉用の「熟成ウインナー」をである。みたことか。翌日から熟成ウインナーはお預けとなった。まぁ意思疎通はゼロのようなもので、当家には阿吽の呼吸と言うものがない。■朝餉のタイムチャートいただきます(カミさん)。いただいております(turbo717)。それから約25分。ヨーグルトの底を掻き出す音が止むと、同時に食べ終ったことになり「ごちそうさま」という。これまでのタイムチャートを描いてみた。最後の「ごちそうさま」では当方の口の中にはまだ山のように食材が詰まっており咀嚼途中というのに、敵は涼しい顔をしてごちそうさまである。こちらは余ったCoffeeで流し込み食事を終わるのだ。Breakfirst eating time chart(食事タイムチャート 2018.5.24(木))まだ食べはじめから違う。こちらはフライング気味に大体の食材は、すでに口の中。カミさんのには、てんこ盛りのキャベツを当てがっている。一玉1kgのキャベツの1/14の重さ分。start→カミさんまずキャベツのみを食す。続いてパンを小口に割り、一口ずつ食べていく。小生は、パンの上に目玉焼き、ハム、キャベツを載せてハンバーガーのようにてんこ盛りして丸かじりに齧り付く。床にパンくずが落ちる。カミさんはけっしてかぶりつくことはしない。あくまで上品である。床には一粒もパン屑が落ないため綺麗である。10回ほどの咀嚼で次々と胃袋のなかに納まっていく。こちらは噛んでも噛んでもなかなか口の中に入っていかないのだ。唾があまり出ないタイプである。カミさんはおそらくふんだんに唾が出ているのであろう。途中お茶を飲むことはめったにないぐらいである。当方に嚥下障害があるのではなかろうか。フライング気味に食べたため、最初は歴然たる差があったのに、どんどん縮まってくる。焦りが生じる。新聞欄に目を通すこともできず涙を流しながら一心不乱に皿の食事を平らげていく。ちらっと、敵を見るとすでにパンは最後の一切れとなっている。果物に手を出し始めた。こちらもパンを口に頬張りながらも同時に果物を食べ始める。リンゴはstart前に半分は食べているので少しの利ザヤを稼ぐことができる。あっ! 敵はヨーグルトに手を伸ばし始めた。こちらも急いで蓋を開ける。こういう流動食なら負けるわけがない。しかしまだパンなどの食材は口の中でうごめいている。それもヨーグルトと一緒に胃袋に流しこむ。而して今日も絶妙の同時タイミングで「ごちそうさま。」直ちに食器の片づけにかかり、食器をカチッとも音を立てずに洗うのだ。丸い食器は接点で音がでる。これをくっつけないように細心の注意を払って洗うのだ。水道の音のみがここちよい。これも無駄遣いはしない。洗剤は最小限であるから。皿などはひそかに抜き打ちチェックを受けるかもわからないので細心の注意をしながら洗剤を落としていく。上記のような1日である。皆さん所はどんな感じ? 徒然の記その4 松本記念音楽迎賓館 2018.5.23(水)■テルテル合奏団の音楽練習・・於)松本記念 音楽迎賓館この迎賓館は世田谷区岡本3丁目にあり、仙川の上にひろがる台地の一角に建っている。台地の先端に静嘉堂(せいかどう)文庫美術館があり、国宝7点を含む20万点の古典書籍や、酒器を展示している。敷地は広大な岡本静嘉堂緑地の中に建つ。さて音楽迎賓館は、パイオニアの創設者松本望が、財団法人音楽鑑賞教育振興会を創設し、没後遺志に従い私邸を迎賓館にしたものである。館長のYさんは元パイオニアの社員である。ここへ大学研究室の音楽仲間が毎年のように訪れている。今日は、ギタリストを含めて楽士4人と聴衆1人の5人態勢。Aホールでは音楽関係者の録音があるというので、階下のレセプションルームを借りる。近々開かれる研究室の集い「テルテル会」の余興の曲目を練習。今回はリコーダ、Vn、Va、ギターの合奏である。ノートパソコンとプロジェクターを担ぎもってきている(これがなかなかの重さ。リモコンがあれば、USBだけでスライドショーが出来るので次回からはプロジェクターのみでよさそうである。)。音楽編曲担当のY氏が4月初旬に行った熊野古道・小辺路のスライドを流す。徒然の記その5 秩父へ、第一札所 四萬部(しまべ)寺へ 2018.5.25(金)■江戸時代 秩父へは、小川町・東秩父村から粥仁田(かゆにた、粥新田とも書く)峠を経由して入ったという。小生の方は、荒川を遡上して秩父に入るという独自プログラムを組み立て、全長120kmのうち、最終コースを完遂した。第1行程・・2/8(木)・・荒川河口・葛西臨海公園駅~北朝霞まで40km第2行程・・4/27(金)・・荒川・入間川など・北朝霞~原爆の図丸木美術館。つきのわ駅まで40km第3行程・・5/25(金)・・今回の行程である。つきのわ駅から山越えで秩父市内へ。37.8km 累計高度+1,021m -835m 消費カロリー 2,600kcal みなし距離=37.8+1021x0.01+835x0.007=53.1km東武線つきのわ駅には県立総合高校の滑川高校がありたくさんの生徒に交じってリュック姿が降り立つ。この駅を朝方利用するのはこの高校生と近くの工場従業員のみである。閑散とした駅。第2回目に訪れた丸木美術館へはここからが一番近い。さて、いつものように知らない街をrunningで通り過ぎる。保育園の迎えの車などが通るだけでひっそりと静まり返った住宅街を通り抜け国道254号線に出て、小川町を目指す。和紙の産地である。ここから東秩父村へは県道11号を取る。このルートは山を越えるヘアピンカーブを持った壮大な山岳コースで秩父市に入る。途中で北に分岐し皆野(みなの)町に向かっていく。粥仁田(かゆにた)峠があり秩父高原牧場やポピーの花が咲く天空の公園を通過する。今回は、後者を取る。「関東ふれあいの道」の埼玉県側の道の第13番目の道が「高原牧場を通る道」であり、粥仁田(かゆにた)峠を通る南北の道である。大霧山(767m)を目指さして長瀞から彩の国ふれあい牧場へ登り付き、稜線を南下している。筑波山にしろ関東一円どこかへ行くとき決まってこの「関東ふれあいの道」を通るのは1400kmもの長さの稜線を結んでいるから、交叉したり一部分を歩いたりする確度は高い。峠近くは車が渋滞をしていた。ポピーの花が見ごろを迎え続々と上がってくるようである。車道を通過しようとしたら危険だというのでお花畑の中に誘導してくれた。入場料300円を払っていないので係のおじさんが「お花は見ないように!」と無理な注文をする。そこを下山して皆野町に入り、小さな峠(曽根坂峠)を経てついに秩父市に。■秩父観音巡礼曽根坂峠から西武秩父駅までのコースの途中に秩父34観音霊場をいくつか通るので立ち寄ってみる。秩父観音巡礼第1番・四萬部寺(しまぶじ:妙音寺)、第3番・常泉寺(岩本寺)、第10番・大慈寺、第11番・常楽寺である。第1番・四萬部寺は一番寺らしく、巡礼goodsや資料が揃っておりそのいくつかを買ってきた。これから順路などを調べてみるつもり。番号にこだわらず最短ルートを取ることは可能とのこと。そもそも四萬部寺は以前は24番札所であったという。江戸時代に利便性を追求して付け替えられようだ。江戸から小川村に入って、粥仁田(かゆにた)峠を越えれば一番近いところにあった寺が「四萬部寺(しまぶじ)」であったという次第である。よってこの順番に巡るのがそもそも最短になるようである。区切りうちも含め、秩父鉄道やバスを使う場合には、便数や、帰途のルートの選択も多岐にわたる。歩く道としては、巡礼古道を優先的に採用していきたい。こうご期待。■ヤマレコの画面Between St.Tsukinowa to St. Chichibu(つきのわ駅、西武父駅間runing 2018.5.25(金))
May 26, 2018
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Viola playing 、Bamboo's claim_ story (4345)2018.5.19I must play enormous viola -music including Matsumoto Mermorial Guest House.Oh My Muse of the fountain ! Give me your big energy and skill.5月23日に松本記念記念迎賓館で行う音楽練習を含めて膨大な曲をさらわなくてはならない。あぁ音楽の神様! 小生を救いたまえ!Mt.Tsukuba from Hokyosan( 宝篋山(ほうきょうさん)より筑波山 2018.5.12(土))宝篋山には毎日20名を超えるボランティアが登山し、道の整備に当たっているという。頂上には筑波山展望用のロッキイングチェアなども置かれ寛ぐことができる。絶景である。右側の白い建物がつつじヶ丘、中腹の建物が大鳥居と筑波山神社やホテル群「つくば道」が麓から筑波山神社へまっすぐ伸びる。手前で寛いでおられるのが「トレッカーズ」の皆さん。目次徒然の記その1 宝篋山登山 その2徒然の記その2 パン 久々の失敗徒然の記その3 Viola-Lesson 徒然の記その4 竹の恨み徒然の記その5 第91回山谷ミニコンサート徒然の記その6 珊瑚の会徒然の記その7 孫たちの運動会徒然の記その8 明日(5/20)は第77回定期演奏会徒然の記その1 宝篋山登山 その2 2018.5.12(土)土曜の山行きだったため前号のblogには全貌を載せきれず、しかも帰りの電車の中から意識朦朧としているなかでのblog投稿であった。書き足りない事項を下記に補う。■トレッカーズの皆さん・・土浦駅前の5番バス停で偶然宝篋山に登る一団がおられた。筑波山口行き9:15のバスには我々歩き塾8名の他にその5名の方々が乗ったかたち。道中にぎやかに情報交換。リーダーの方に「何というチームですか?」と聞いたとたん全員頭を突き合わせ相談し始めた。そこでの結論は「トレッカーズです。」と。親戚縁者から成り立つ俄か仕立ての登山グループであった。その中にご夫婦がおられ、ご主人のほうが青いMont Bellの帽子を被っておられ、自称「日本一帽子が似合わない男」として自己紹介された。奥さんはにこにこと始終笑顔を振りまいておられ今回が初めての山登りであった。このご夫婦はなんと、ブラームス交響曲第3番の3楽章のチェロのメロディーがきっかけで付き合いを始められゴールインしたのだと熱く語っておられる。美しいメロディーはVcからHrへと展開されていく。そこをよく覚えていらっしゃる。なんと。その交響曲を明日演奏するのである。奇跡のような話である。■「平沢官衙(ひらさわかんが)遺跡」・・「かんが」を英語に訳すとgovernment officeとなる。つまり「役所」である。宝篋山山頂から北に山口コースを下り切ったところが山口で、さらに下って県道に到達するあたりが「北条」である。ここはかっては住宅公団の大規模建設予定地であっという。ところが19万平米の土地を掘り返しているうちに偶然、60棟ほどの住居跡(S50 1975年)が見つかり、それが8世紀から11世紀に及ぶ住宅跡で、時代にして奈良-平安時代の筑波郡の役所跡であることがわかったと。そのうちの3棟を復元し、2003年に平沢官衙遺跡として公開された。柱の穴の大きさや位置から上物を予測する手段は、他の地域の遺跡にならって行ったという。復元された住居:1.正倉院(校倉造り、ねずみ返し工法 寄棟屋根・板屋根) 2.土壁双倉(総柱、高床式、寄棟屋根・萱葺き) 3.板倉(側柱 低床式、通し柱)復元費用は1棟あたり1億2千万円という。くぎを使わない”ネズミ返し工法”による建築で、素材はタブノキや天竜杉を使って建てられた。現在、広大な敷地は芝生で覆われていて、丘の上に3棟が建つ姿は凛々しいものがある。青森の縄文遺跡・三内丸山遺跡や、北九州・弥生遺跡・吉野ケ里遺跡からは時代が新しいものであるがよくぞ復元保存されたものだと感心した。つくば学園都市としての威信をかけたものであろう。Hirasawa goverment ogffice and Hokyosan(平沢官衙(ひらさわかんが)遺跡と 宝篋山 2018.5.12(土))復元遺跡を裏側から映す。電波塔をいただくのが宝篋山。■整理体操・・6月にデンマークで「Over70歳」の親善サッカーを行うA氏からストレッチを習った。備忘録として残しておく。1.リュックサックを長時間担っているので、肩甲骨を動かす。 両手を頭の上に挙げ、両手の甲を合わせる。小指が引っ付くように!30秒。 上腕を胸につけ、小指裏と小指裏を合わせ、順次薬指裏、中指裏、人差し指裏を合わせ、最終的には親指と親指を引っ付け、顔の前で両手の甲を合わせる。!30秒2.背筋がこわばっているので、伸ばす。 足を前後に開きアキレス腱を延ばす姿勢で右膝の内側に右ひじを入れ、左手を上にして、それを目で追う・・逆を行う。3.大腿筋が疲れているので、ハムストリングス(もも肉のひも)を伸ばす。 蹲踞(そんきょ)の姿勢で両手で内側から踵を持ち、顔を正面に向ける。 更に、蹲踞の姿勢を崩さず、右ひじを出来るだけ地面に近づける・・逆を行う。4.脹脛(ふくらはぎ)が疲れているので、伸ばす。 両足を揃えて立ち、膝を曲げないで両手指先をできるでけ地面に近づる。 手の平が地面に付くのが理想型。5.首回りの運動も重要。 回したり、前後左右に傾けたりしよう。■サルトリイバラ・・宝篋山でたくさん目についた草。餅などを蒸すとき底がくっつかないように敷くとよいのだという。柏餅の葉などにも代用される。徒然の記その2 パン 久々の失敗 2018.5.13(日)■GP(ゲネプロ)を兼ねた1日の練習の日であった。午前・午後の練習のためにはランチを持っていくのが経済的と、台所は多忙を極めていたのだ。芋が余っていたので焼き芋でも作るかということでカミさんも昨晩駆り出したのだ。トーストで焼けば良かったのであるが新調したガスレンジを使うという。出来たころを見計らって階下に降りてい行くと。カミさん曰く「爆発した!」と。見ると大事件が起こっていた。焼き芋の残骸がステンレス台にのかって煙を吹いていたのだ。余熱時間が経過したのち芋を3個のせて焼いたというが途中で芋が爆発したらしい。「どうして?」とカミさん頭をひねる。そんなこともあってステンレス台にはオーブンのトレーや網やトングや爆発した芋類がころがっていたのだ。朝方、食べられる部分をランチにつめ、菓子パンに夕食の残りのおかずをタッパーに詰めたり、いつもと違う段取りが続いたのだ。そこへこんどはパン作りが始まった。時刻は5時39分。強力粉、スキムミルク、砂糖、塩、バターと抜かりはない。ホームベーカリーに容器をセットし、食パンモードを確認してスイッチを入れる。ドライイーストを最後ににセットし、それを落としこむ時刻を5:59にsetして、通常業務に移行。すなわち朝餉の準備である。この時のステンレス台には昼のランチの準備と、アセロラのジュースなどが置かれていた。・・それから9時間後。オケの練習が終わり、意気揚々と帰宅した時だ。カミさん曰く「パンが出来ていない」と。パン焼き機が台所にむなしく置かれ、容器の中にはカサカサのパンくずが羽の周りにこびりついている。食べてみるとラクスのような、甘いお菓子のような、ビスケットのような感じである。久々の「失敗」である。な、なんと。肝心の水を入れるのを忘れていた。悔やまれるのでないか。朝餉の準備の台所はいつもとは違いゴタゴタしていたため水180mlを計量して入れるのを忘れるとは。お芋の爆発事件がなければこういうことにはならなかった筈である。いや加齢が原因か。■負け惜しみでもあろうか。その出来損ないのパンをおやつ代わりに食べている私がいる。さて、すでに6つ切りのパンが置いてあった。近くのスーパーで買ってきてあったのだ。それを食べること3日。パン作りはお休みである。なんておいしいフワフワのパンだろう。久しぶりに食べる出来合いの食パンである。皮があるのにそれも柔らかい。バター、スキムミルク、水などに牛乳など分量や選択肢を調整しつつ、これから少しづつ実験してみよう。新たな挑戦の始まりとなった。徒然の記その3 Viola-Lesson 2018.5.15(火)■死の特訓・・R.シュトラウス 交響詩「死と変容」作品24 R.Strauss:Death and Transfiguration Op.24は当方にとってまさに、Deathと Transfigurationであった。下記のような変リズムを手拍子にそって歌う。手拍自身も次第にspeed(molto rit(急激にrit)、Poco a Poco piu calando(次第に遅くしながら弱く))が落ちていく。Down Beat(ダウン ビート)の感じ方でコツが掴めてくる。両手を上下に合わせ、上側の手を、降ろしていき下の手に着いたときにその瞬間に音が出る。それがDown Beatである。よって手を降ろし始めるタイミングに音を発する意識があり、手が打たれた瞬間に音が出る。指揮棒の最下点のタイムングでこちらはエネルギーが貯めら弾ける瞬間である。小生のは、突然音が出るような発音の仕方をしているため手拍子とは0.2secほど音がずれている。なるほど今までの合わない理由が解明した。この調子で下記を刻んでみることにしよう。Music Viola Score of R.Strauss:Death and Transfiguration( 「死と変容」のViola楽譜 2018.5.15(火))その他・・・棒が乱暴であると。暴力的な音が出ているという。羽が翻るような弓使いが求められる。繊細な音を出すように心がけよと。・高い音程は、敢えて1オクターブ下の音域で確認作業を行えと。その上で頭で音をイメージして確かな音程で弾くようにと。D4(レ)→D5(1オクターブ高い"レ")などとオクターブの運指(うんし:指使い)は「1(人差し指)」と「4(小指)」で取るのが大原則であると。Gis(As)4→Gis(As)5など。・拍を取るために首を振るなと。永年の悪い癖が付いている!■秋の定演の曲スメタナ「わが祖国」のボーイング合わせ・・「わが祖国」は、「1.ヴィシェラド(高い城):315小節」、「2.モルダウ(ヴァルダヴァ):427」、「3.シャールカ:337」、「4.ボヘミアの森と草原から:547」、「5.ターボル:408」、「6.ブラニーク:441」 からなる壮大な連続組曲である。合計2,475小節はベートヴェンの第九の2,598小節と匹敵する。本番指揮者がスコア上に手書きしたボーイングがPDFで配信されている。それをダウンロードして専門業者に製本してもらったところ厚さ3cmを越えるスコアとなっている。一般は、パソコン画面から必死に書き写していく。この作業に丸2日を要した。それを師匠と机上でチェックしていく。写し間違いや漏れがないかを。先ほどまで烈火のごとく怒られ、怒っていた2人が仲良く机上でチェック作業を行い始めた。和気あいあいに。不思議な光景である。まぁこれが通常であるが。帰り際、師匠がまた言った・・音楽は楽しい!・・もう一歩であるような気がしてきた。徒然の記その4 竹の恨み 2018.5.16(水)■竹から恨み節が聞こえてきそうだ・・庭の黒竹が勢いよく育ち盛ろうとする瞬間に強剪定を受けてしまったのだ。あるものはその後 節々から 枝を延ばさず、ずん胴の竹となってしまった。不思議なことがあるものだ。あるものは節に備わっていた枝を伸ばし始め繁茂の態勢にある。普通は、竹と言うものは全部プログラムが完成した状態で土の上に芽をだしてくる。すなわち、節には皮を一枚まとい、その間に庇護されるように、枝となる部分が、柔らかい黄緑色の物体をしてひっそりと息をひそめている。そのため幼児期の竹の断面は楕円形となる。竹が成長するにしたがって、その黄緑物体が大きく枝を伸ばしてくるのだ。最初にあった皮は剥がれ落ちる。竹を途中で切っても、土壌部分からの距離の間にあった節の数だけ竹の皮が存在するため、それが成長し手を広げるように枝を伸ばしていく。太目の竹はシステムが違うようである。枝をつけない節が地上部近くに存在し上部のみ枝をはやす。ところがその枝の部分より下でcutしてしまうとずん胴となる。生きるためにはプログラムに無い行為をし始めなければならない。すなわち新しく枝を生やすことだ。そんな芸当ができるのもか。これから観察してみよう。いままで節を子細に観察したことがなかったのである。カミさんをうらむ気持ちもないではない。こういう現象を知っていれば剪定する時期などにも配慮できたのかもしれない。「梅の間」は梅と竹と紫陽花で目隠しされるため夏場でも、障子を明け放し網戸ひとつで過ごせるのだ。その大事な目隠し用の竹は年々更新させねばならぬ。まぁ10年くらい持つため、密集するきらいがあるものの、新芽を全部根絶やしにすることはなかろう!あぁ なんとしたことか。これからは一本一本、「切るな、触るな」と札をつけておこう。山登りや、マラソンで1日家を空けるときがやばいのである。やっかい人が居ない間に庭をすっきりさせたいという家人がいる限り。徒然の記その5 第91回山谷ミニコンサート 2018.5.18(金)■第91回山谷(さんや)ミニコンサートが「 神の愛の宣教者教会」台東区日本堤2丁目の集会所で開催された。5月の第3金曜日はちょうど浅草三社祭が始まる日である。金土日の3日。この教会の近くに、「浅草2丁目」の神輿が2基 路上にしつらえられた。いよいよ祭りが始まる。今日の曲はVc チェロ:ニノ・ロタ作曲「ロミオとジュリエット」、・Vaでアイルランド民謡「ロンドンデリ-の歌」。合唱(ナツメロ・唱歌等 ): コイノボリ、みかんの花咲く丘、わたしをお使い下さい、りんごの唄、星影の小径、銀座の恋の物語、新妻に捧げる歌、世界は二人のために、四つのお願い、365歩のマーチ太字がViolaで伴奏をする曲である。「365歩のマーチ」は毎回歌っているので大合唱となる。これは皆で合奏をする。わたしをお使い下さいは、シスターがVnでメロディを弾き、Fl、Va、Vcのトリオで伴奏をする。■ミニコンサートの後は、南千住でお昼をしながら反省会・Vnのお一人が、近所の小学生誘導係など地域支援の活動が多忙となったという理由で長期休団となった。残念である。仕事は忙しいほど多重にこなせる筈というのが小生の信条である。いつでも戻ってこられるように楽譜だけは送り続けてあげたいものである。徒然の記その6 珊瑚の会 2018.5.18(金)■大学OBオケの練習日である。・・始めて今回から昼の部の開催になる。今では、17時30分集合で18時音出しだったのを4時間ほど前倒しで行うこととなった。場所は東京芸術劇場B2F リハーサルルーム。南千住からは常磐線で日暮里乗り換えで池袋に13:00前には到着。まったく問題がない。14:00開始までの時刻に30人ばかりが集まり個人練習。このこともあり今日は出来が良かったようである。今回の曲は・W.A.Mozart(モーツァルト):Konzertin d für Klavier unfd Orchester(ピアノ協奏曲 20番)・Franz Schbert(シューベルト):Symhony No.8 in B Minor(Unfinished)(未完成交響曲)・Johann Straus(ヨハン・シュトラウス):Overture zur Operette Die Fledrmaus「こうもり序曲」16:45には終了し、17:00-19:30までアミカル(懇親会)。ご多分に漏れず こちらもサイゼリアを使う。20名が集まった。この会、すごいの人が揃っていることである。85歳にしてVnを弾く男性。ラズモフスキーやベートヴェンのカルテットをapa(エイパ:Amateur Music Players' Association, JAPAN)の仲間と一緒に弾くという。コレペティトール(corépétiteur:オペラなどの練習でPiano伴奏する人、指揮もできる)が面倒を見、相当のレベルを全員で維持できているという。はたまた肩甲骨を骨折してから1年ぶりとなる82歳のVaの長老が出席した。Vnで大学オケ同期のコンマスは、高尾山健康登山1494回という人で、今日も朝4:00出発で高尾山に登ってきたという。前回会ったときは1400回だったためほぼ毎日登っていることになる。驚愕する回数である。あとおよそ600回で2100回の結願を迎え達成者120人のお仲間となるらしい。もう仙人である。まぁこのように修行を積んできている人ばかりですごい集団である。Pianoはプロの方であり最初からPiano協奏曲の音色を聞きながらのオケの初見大会。贅沢すぎる。徒然の記その7 孫たちの運動会 2018.5.19(土)■孫たちの運動会・・小4と小1の孫が通う小学校の運動会に招待されいそいそと出掛けた。2人が通う学校は近くの公園に行くより近い。最初の聖火リレーで赤白2本のトーチが各学年2人ずつでリレーされ聖火台に灯がともる。素晴らしい演出であった。リレー選手として出場した小1はチームとしては惜しくも3位。グランドが広く、生徒数も少ないので保護者達は持参したテントで寛ぐ。その数50基ほど。ピクニック気分である。校庭からは内裏(だいり)谷戸公園の鬱蒼たる森が見え、運動場の南側は崖になっていてニュータウン道路と京王線が走る。電車の音がなければ凄い田舎に来たような感覚のする小学校である。各学年2クラスとこの辺りでは生徒数に恵まれた学校である。徒競走やリレーの種目には熱が籠もる。9:30--14:30 1組が赤で2組が白。兄妹で同じ赤であったのでラッキーであった。今年は赤組が優勝。徒然の記その8 明日は第77回定期演奏会 2018.5.19(土)turbo717のFacebook(ota-h*jcom.home.ne.jp *を@に変更くださって検索ください。)かMessengerへ連絡くだされば、チケットを受け付けに預けておきます。■府中市民交響楽団 第77回定期演奏会曲目・ブラーム 悲劇的序曲 作品81,・R.シュトラウス 交響詩「死と変容」作品24・ブラームス 交響曲 第3番 ヘ長調 作品90日時 2018年5月20日(日)13:30開場 14:00開演、場所 府中の森芸術劇場 どりーむホール指揮 田部井 剛、演奏 府中市民交響楽団、全席自由 前売り1,200円 / 当日1,500円このゲネプロが土曜日の18:00から始まる。
May 19, 2018
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Bach Collegium Japan,_ story (4344)2018.5.12I listened to the Bach cantata by playing old instruments at the Chofu Green Hall. I would like to go to the concert at the "Kusunoki Hall" .Chofu International Music Festival will start from June.古楽器によるバッハの演奏を調布のグリーンホールで聴いた。教会音楽に触れるというのは素晴らしい。6月から調布国際音楽祭が始まるという。年々大きくなる音楽祭である。新しいホール「調布市文化会館 たづくり」の「くすのきホール」での演奏会に行ってみたいものだ。Fall of Hossawa(払沢の滝 2018.5.1(火))東京都に唯一の「日本の滝百選」 檜原村最大の観光名所:払沢の滝(ほっさわのたき)滝の名は、お坊さんの持つ払子(ほっし)と似ているところから付けられた。武蔵五日市駅からバスで20分。目次徒然の記その1 Viola Lesson徒然の記その2 居酒屋-天狗徒然の記その3 バッハ・コレギューム・ジャパン(BCJ)公開リハーサル 徒然の記その4 無洗米徒然の記その5 歩き塾の宝篋山徒然の記その6 庭の雑草徒然の記その7 孫の朝食徒然の記その1 Viola Lesson 2018.5.8(火)■5月1日に府中では記念イベントがあった。Fucyu(府中)からUchu(宇宙)に! このキャッチフレーズを掲げる府中郷土の森のプラネタリウムが新装openということで記念式典があり、オケにカルテットのお呼びが掛かった。Violaの師匠が参加する。5月2日からリニューアル・オープンするプラネタリウムは五藤光学研究所製である。戦前はドイツ製もあったなかで、国産初のプラネタリウムを1959(昭和34)年に開発した会社である。レンズ投映式プラネタリウムM-1で、1号機は浅草・新世界に、2号機はブリッジポート博物館(USA)に納められた。以来国内・海外合わせて500箇所(累計1000台)の実績を誇っている。その五藤光学研究所が府中にあるのだ。府中オケでチェロを弾いておられ101歳で健在の方がここの社長と親戚関係にある。毎週のように日曜日の練習を聴きにこられるのだ。プラネタリウムの新型の投映機は「ケイロン」という名前で、恒星としては17.5等級までの約1億4000万個(天の川含む)を投影している。驚愕する星数である。このプラネタリウム業界で面白いのが、五藤光学研究所とコニカミノルタプラネタルウムで世界の7割を占めるなか、床の下も映せるようにした全天球型プラネタリウムが開発されたという。大平技研がエストニアで稼働させている。新しいアイデアがあれば世界に打っていけるいという面白い業界である。■さて、話を戻そう。Violaの特訓が始まった。Allensandro RollaのDrei Duosの3曲目 Allegro espressivo を再トライ。師匠とDuoを楽しめるという瞬間は最高である。し、しかし60小節目くらいで合わなくなった。♪♩ ♩ ♬ ♬♬のパターンが続く箇所である。所謂シンコペ(半拍ずれる音形)のリズムであるが、最後の ♬ ♬♬が拙速であるという。頭の回路が”シンコペのあとでは「急ぐ」「急(せ)く」”という風にインプットされてしまっているようで、これを直さないと先に進めない。立往生すること1時間。欠点が分かっているので、直せばよいだけの話であるがなかなか容易ではない。先祖、親、担任、近所、猫、すべてを恨みたくなった。幼稚園に通っていなかったということが今まで影響しているのに違いない。裏打ちのリズムなどない”まっとうな生活”をずっとしてきたためではないだろうか。ジャズを見よ。全部裏打ちである。ジャズをやらなければ!今後、右足、左足の歩行で着地したときの1,2,3のカウントを半拍ずらせて、0.5(着地) 1(空中) 1.5(着地) 2(空中)と。これを歌ってみると、ウッ タ タ・・となる。足が空中にある時をカウントするように改めよう。もたついて倒れるまで。あぁ。苦行が始まる。タブレットにメトロノームが付いているのでこれでやってもよいが機械的な練習では練習にならないのかもしれない。アゴーギグ(拍の伸び縮み)での即座な反応が必要になるからである。 ・その他注意点・・音を切って弾く癖がついていると。プツンと途切れるような弾き方ではなくもっと続けろ。もっと鳴らして余韻が響くように、豊かな音色を生ましめよと。これを心して置かなくてはならない。あとは譜面を”読む”。ここで重要なのは素読や棒読みではなく、朗読、演劇で言うセリフのように楽譜を読む力である。先生が歌うラララ(ドレミファではない。)そのものが既に音楽になっているのに、小生が歌うと、棒読みとなっている。音楽性や拍が感じられないと。 AIであればロボットに1/1000秒の正確さでプログラムし、抑揚やアゴーギグをつけて動かすのであるが、小生のは1秒単位の荒いロボットで、聞くに堪えないと。しかも、練習して歌えるようになるのではなく、一発で歌えるようにと。そのために集中力も必須。作曲者の意図をくみ取り、抑揚も付けて音楽性のある朗読をやれと。ピアノと違い、さらにこれに音程が加わる。強弱、発想記号もあるのでViolaは格段に難しいのではないかと。(この文章をinputしているさなか、午睡から目覚めたカミさんの気配がする。軽やかく弾くピアノの音が聞こえ出した!)続いて定演のブラームスやR.シュトラウスの曲などをさらう。指揮者の振る棒の動きからspeedを読み取り、正確にリズム(16分音符の連なりも)を刻まなければならない。ブラームス交響曲第3番の1楽章Allegro con brioの冒頭部分は6/4拍子の2つ振りであるが、2小節の休みの間に123456とカウントしておき、特に最後の456を棒から読み取って即座に対応し、しかも♪から始まるシンコペのリズムを刻んでいく。1時間ほどさらう。この「歌う」という行為は24時間いつでも練習できる。これからは夜でも楽譜を見ながら口で歌うようにしたい。秋の定演はスメタナの連作交響詩「わが祖国;第1~第6、第2が有名な「モルダウ」」 この楽譜の用意が始まった。DropBoxからダウンロードした譜面は40ページ弱! A4をB4に拡大したコピーを日曜日に受け取っている。1部増刷して2部とし、共に製本は終わったが、厚さは8mmもある。これをざっと目を通し、口ずさむ。次回Lessonでは早くもこれのボーイングを合わせる作業にかかる。もうViola漬けの生活が始まっている。6月の第一日曜日から本番指揮者が来るため相当の仕上げにしておかなくてはならない。帰るときに最後に先生は言う。まぁこの歳でViolaを弾けるということはいいことだ。音楽は楽しい! と。くっ!徒然の記その2 居酒屋-天狗 2018.5.9(水)■旧サラ文幹部による「第1月曜日の会」に新宿に通っている。今回は重要議題があるため15:00から集まった。この居酒屋11:30から開いておりランチメニューなどを気にしなければ何時でも入れる。16:00には我々以外店には誰もいなくなった。昼と夜の切り替えタイミングであろうか夜番の店員が続々とやってくる。ほぼ外国人である。ここではややこしいオーダーはしてはならないのだ。さて、全員が揃うまで談笑。この中に春の連休中、群馬県・神流(かんな)町にある築100年の古民家(旧会員の持ち家)に遊びに行った人が3人もいた。御巣鷹山に向かう県道沿いに町が広がっている。古民家からは街道が見下ろせる。ピースボートの経験者やその友人も集まり大変賑わったという話。この町では、キハダが採れて、捻挫などの処置には効いたという。メグスリノキ(Acer maximowiczianum)などの木もこの町にあるという。自然農に話が及んだ時、ある人の息子さんが、福岡正信(著書に「自然農法 わら一本の改革」1975年がある)に関係していると聞き驚く。その人の名前が出てこなかったので、netで「愛媛県、自然農」と引くだけでhitした。地元伊予では自然農の4大原則(2018.4.28のblog参照)を提唱した超有名人である。5月末にフランス人を浅草に案内しなければならないというと、どぜう「飯田屋」(西浅草:合羽橋と浅草六区の間)や、浅草文化観光センターの6Fがよいと。仲見世が真下に眺望できるという。宝篋山(ほうきょうさん)に土曜日12日に登るのだというと、頂上にある銅像の建立に参画したという。麓の小田城跡の近所にある「ギャラリーカフェー梟(ふくろう)」がなかなか趣があってよいと。なにかやけに詳しい。 知恵袋のような旧サラ文の面々。重要案件も確定し、19:30まで6時間半も粘ったことになる。徒然の記その3 バッハ・コレギューム・ジャパン(BCJ)公開リハーサル 2018.5.10(木)■BCJの公開リハーサルが開かれるという連絡を大学オケの友人から受けていたので馳せ参じた。雷雨の中、バスと電車を乗り継いだが今回は出遅れ12:30到着。開場の時間である。既に100名くらいが並んでいた。友人達たちははるか前方に並んでいた。東京オペラシティ5/11(金)、神戸公演5/12(土) 両演奏会を控えてのリハーサルであるが、調布市文化・コミュニティ振興財団とBCJの協定事業「バッハ・コレギューム・ジャパン公開リハーサル vol.28」として、調布駅前にあるグリーンホールで開催された。昨年の12/15に次いで2回目の参加。今回も当初は家から調布駅まで26kmを走る予定ではあったがViolaの練習が詰まっていることもあり、電車で参上。次回は12:00に到着できるように家から走ろう!■演目:「鈴木雅明&バッハ・コレギューム・ジャパンの教会カンタータ・シリーズvol.74 」(6月に予定されるライプツィッヒ音楽祭出演記念を兼ねている)J.S.バッハ 教会カンタータより BWV182《天の王よ、ようこそ》指揮:鈴木雅明合唱・管弦楽:バッハ・コレギューム・ジャパン構成:リコーダ、Ob、Vn1,2、Va、、コンティオヌ(通奏低音:Vc、ヴィオローネ・コントラバス、ファゴット、オルガン)、ソプラノ、アルト、テノール、バス。ソプラノにイギリスから来たジョアン・ランさんが加わっていた。6月~7月に開催の調布国際音楽祭で、ソプラノ・リサイタルを開く。フォルテピアノを弾く鈴木優人(まさと)との共演である。リハーサルは英語とドイツ語で行われた。時たま指揮者がホールにマイクを持って喋りかけた、この解説が面白かった。今年はJ.S.バッハ 生誕333年にあたる。カンタータ BWV182《天の王よ、ようこそ》はバッハ29歳のワイマール時代の作品である。4週に一曲の作曲を義務付けられる"コンサートマスター"(役割は現在とは大部違っている)の職を得ての連続カンターターの最初の作品で気合が入っていたという。3月25日の週の聖金曜日に演奏された。情景はキリストがロバに乗って入城するシーンであると。ソプラノからバスまで同じセリフが循環に組み立てられ輪唱で歌われる。タターンという付点四分音符のリズムが多用され、「イエスキリスト=命、王、神」を表すとともに、鞭で打たれる場面をも掛けているのだという。ライプティッヒ時代は毎週カンターターを作曲することになるが、ワーマール時代のカンターターを再演したりして使い続けたという。今日の演奏もライプツィッヒ第2稿である。徒然の記その4 無洗米 2018.5.10(木)■カミさん 突然叫ぶ・・あなたお米洗った? と。当家の飯炊き当番は、何十年と無洗米なので、洗うわけがない。食べているお米がすこし色が付いていたのだ。カミさん そこで思い出したように「あっ! あなた・・・」となった次第だ。な、なんと米櫃に入っているお米はいつもの無洗米ではなく、普通のお米なので研がなくてはならないのだと。「ちゃんと書いてあったでしょう!」という。なるほど小さいメモ書きが貼ってあった。「無洗米ではありません」と。どうしてこういうことになったのか? マンションにあったお米を引き取ってきたという次第だ。以前にもこんな事件があった。タイ米が配給されていた時(1993年の冷夏)にも、たまたま帰宅していた家族が洗わずご飯を炊いてしまったのであるが。まぁそれほど無洗米の歴史は古い。徒然の記その5 歩き塾の宝篋山 2018.5.12(土)■何回か下見をした宝篋山の本番登山の日。天気に恵まれた登山は「トレッカーズ」と今つけたばかりの名前の取手からの愉快な登山グループ5人と一緒の行動となった。当初計画した常願寺コースを変更しより易しい極楽寺コースという滝巡りの道を13人で進む。2グループの大部隊である。旅のスナップなどはpm10:00 up予定の歩き塾blogを参照ください。宝篋山登山の全mapを書いてみた。無数の登山コースがある。低山なので一日中走り回っても面白いかもしれない。歴史的には小田城城、要塞、寺が林立していた戦国時代の面影があり、現在の村落もその形で残っており、その周囲が水田となっている。full course of Hokyosan(宝篋山ハイク 全コース 2018.5.12(土))この山が近所であれば毎日走っているであろう。大変面白いコース群であり、歴史遺産も多い。徒然の記その6 庭の雑草 2018.5.11(木)■雑草が蔓延ってきた!抜いても抜いても切りがない・・原因はその繁茂力にあるのであるが、雑草取りで残した小さいものが大きく育つという繰り返しなのでしょうがない。以前は、土筆(つくし)の根が庭中に蔓延っていたので、一網打尽にするため土を50cmばかり掘り起こし、根という根を全部取り去ったあとに芝生を植えたりしたものである。そうでもしないと雑草の小さな芽が成長し花まで咲かせるのだ。いたちごっこを強いられ切りがない。5月の天気に良い日に庭に出て一応格闘はした積りである。カミさんがまた言う・・木の幹の周りをすっきりさせて欲しい! と。現在はいろんな植栽が木の周りを覆っていて緑のベールとなっている。キチジョウソウなどやラン類、アガサンパス、テッポウユリなどと無数の植栽がわが春を謳歌している。これをごっそり取り払ってすっきりしたイメージをカミさんが持っているようである。すっきりさせるとまたそこに雑草が生えるため、飽くなき戦いが始まってしまうだろう。逆に今のままの方が綺麗ではないかとおもうのだが。庭に出る手順とは、食器洗い→洗濯物を干す→ゴミ捨て→庭掃除である。これは手の綺麗なうちに家の中を片付け、外に出るという「turbo717流儀」である。これを逆にすると大変なことになる。一旦庭に出てしまうと、帰らない人となって、家事がおろそかになってしまうのだ。玄関を出るときには、濡れた雑巾を出しておく。足の裏をきれいにするためである。作業は素足、素手が原則であるから。テキパキと弾丸のように作業を進めなければ日暮れてします。朝9:00からViolaを弾き始めるためには、すべての作業を30分で終わらせなければならない。剪定ばさみなど、手慣れたものでめったに最近はケガをしなくなった。慌てると手を切ってしまうので最新の注意が必要。切る作業をしたら必ずロックするという行為を繰り返す。指を切断などの重大事故を避けるためである。木を切るなどの大きな作業にかかる場合は、長そでのシャツに着替えて作業。終わればシャワーを浴びる。而して当方の目から遁れた雑草たちは、これ幸いとばかりに、また伸び始める。あぁこの繰り返しは年中続くのである。徒然の記その7 孫の朝食 2018.5.9(水)■スープが完全に冷え切る距離にある我が家と、孫の家。よくお呼びがかかる。この日も朝の対応に来てほしいという。3歳と2ヶ月になる孫を子供園に送っていく役を仰せつかった。パジャマで失敗した爺(脱がせたはずのパジャマをまた着せて、着ぶくれの状態で子供園に届けた小生のミス)には二度とお呼びがかからない。カミさんが朝早く出かけることになった。いつも朝一番に駅までrunningするのとは違ってちゃんと車があるので何時でも駆け付けられるのである。ただ朝4時40分には出たいという。そこでいつもの通り4:00起床で朝餉を準備した。イチゴ、リンゴ、ブドウ、キューイ、キャベツなどぎっしりとタッパーに詰めた。パンは先方で焼くというのでそのままラップし、ヨーグルトとオレンジジュースのペットボトルも持たせる。この時点でカミさん、ピクニック気分である。6:30頃孫の家に到着。お婿さんはいつもは9:00出発であるがこの日は早番であったようだ。娘もすぐに職場へと。カミさん、朝食を食べ始める。それを見た娘曰く「お母さん、それ子供にも上げてくれない?」と。なんと、普段は牛乳、ヨーグルト、パンといたって質素であるらしい。そこで孫にもと、すこしづつ残しておき、8:00頃起きてくる孫を待つ。菜食主義の孫は、キャベツもパリパリとよく食べたらしい。食生活が我が家と似てくるとうれしいが。(我が家では約1kgのキャベツが一週間でなくなる。1回一人70gの勘定である。)子供園の制服に着替えるときに孫がほくそ笑みながら言ったらしい「パジャマを着るとどうなるかしら!」ちゃんと小生の失敗を覚えているらしい。カミさん大笑いしたと。小さなリュックと水筒をカミさんに持たせ(重たいからと絶対自分では持たないのだ!)、軽身で歩いていく。カミさんは侍従のように付いていく。雨が降っていたのでポンチョのようなものを着て。蚕糸(さんし)公園の脇をトボトボと。想像であるがなにか絵になる光景である。
May 12, 2018
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OpenStreetMap、鯉のぼり、大凧揚げ_ story (4343)2018.5.5I run to watch the carp streamer at Takada bridge hanging over the Sagamigawa river and large kites raising at the river. We would lke to continue to carefully celebrate the two creatures of May.5月の風物詩である鯉のぼりと大凧揚げを見てきた。季節のイベントは大いに大切にしたいものだ。しかしなかなかタイミングよく風が吹かない。Landscape of Oppegaw-river( tributary of Iruma river) (越辺川(おっぺがわ)の風景2018.4.27(金))三角の山は物見山(375m)であろうか。関東平野にしては、特徴のある三角形の山容であった。目次徒然の記その1 神戸岩(かのといわ)-大岳山(おおだけさん) 25km徒然の記その2 ヤマレコ挑戦記徒然の記その3 Maps.Me地図(OpenStreetMap)の更新 徒然の記その4 庭徒然の記その5 再び宝篋山(ほうきょうさん)徒然の記その6 大凧まつり、泳げ鯉のぼり相模川徒然の記その7 camino仲間の現在位置徒然の記その1 神戸岩(かのといわ)-大岳山(おおだけさん) 25km 2018.5.1(火)■新緑真っ只中の奥多摩をトレールrunしてきた。払沢(ほっさわ)の滝、神戸岩の見学がメインの山行き。神戸岩(かのといわ)を知る人からこれはジュラ紀のチャート岩石が露出している貴重な場所であると。つまり2億130万年から1億4500万年の間の地質で、二酸化ケイ素(SiO2、石英)からなる放散虫・海綿動物などの動物の殻や骨片(微化石)が海底に堆積してできたチャートが手で触れられる所ということで学術上、超貴重な場所であるらしい。netでしらべると、この近くに日本の滝百選に選ばれた東京都唯一の滝、「払沢の滝(ほっさわのたき)」があるというので両方を見たいと思い単独走を試みた。時間的に余るようであれば御岳山の方向に走って帰るというルートを前夜に練り上げた。(下記)最近は出かけるときは朝が早い。お豆腐屋のように3時起床である。こうでもしないと丹沢の僻地に住んでいるため一般大衆に遅れを取る。武蔵五日市駅着6:23。6:33発の藤倉行き始発バスがもう駅の前に待っていてくれた。「払沢の滝(ほっさわのたき)入口」まではバスで30分ほど。ここまでも走ってもよかったのであるが今日は長丁場になりそうなので癪ではあるがバスを利用した。滝の入口からは川を渡ると材木チップを敷き詰めた快適な遊歩道が約1km続く。何キロも歩くというのも多い中ここは短く快適、ハイヒールでも見物できそうである。現に車利用の駐車場が完備されていた。ガビチョウであろうか小鳥の囀りが美しい。■「払沢の滝(ほっさわのたき)」・・4段からなる合計落差62mの滝。高い岩場から一条の白い滝が流れるさまが、お坊さんの持つ白いふさふさの毛(払子(ほっし))のような仏具と似ているところから名付けられた。檜原(ひのはら)村の最大の観光名所である。近くの山の上には檜原城があったという。1590年豊臣・徳川軍により落城して以来廃城となった。さて、この滝を見終わったのが7:30.まだ時間は早い。神戸岩まではおよそ5km。バス道をrunning。神戸岩到着8:36。例のチャートが露出した岩場である。渓流沿いに鎖が渡され、剱岳を思わせる恐ろしき奈落の崖である。と言っても岩場歩きはほんの100mほど。すぐ林道に抜けてしまった。ここでゆっくりテント生活などを楽しみたいものだ。まだ時間は8:41。なんとほとんど時間がたっていない。そこでこれからは、赤井沢林道→大ダル→鋸山→大岳山(おおだけさん)→鍋割山→御嶽山→林道→滝本駅→JR御岳駅と完全徒歩を目指し、いざ山に入らん!林道はしばらく行くと通行止めとなり一般車両は入れない。そこをトラック2台が通り過ぎた。これらは水源涵養、土砂流出防備などの目的で山肌整備事業を行っている車である。女性の作業員も何人か見え頼もしい。鋸山林道の最高標高900mは大ダル。登山者が反対の峰から降りてきた。バイクが1台置かれており、その持ち主だったようだ。10:23そこを出発。鋸山(1109m)から大岳山(おおだけさん:1266m)の山容はちょうど仏の涅槃かキューピーかと思うほど特徴のある形をしている。登山でもそれを実感できるような形でその輪郭を追っていく。11:28頂上到着。連休のなか日であったが相当の混みよう。富士山が見えるポイントなので皆が一応に寛ぐ。この特徴ある山容は東京都の人達もいちおうに憧れるらしく、一度は登ってみたいと、昼過ぎでもまだまだ登ってくる人達の列が続いている。御岳から歩を延ばしてくるようである。大岳山-御岳山のメインルートのうち、御岳・奥の院から鍋割山へ回り込むルートは比較的空いている。御岳から奥の院までは参道となっており両側にびっしりと2000本くらいの杉の並木であり圧巻。杉一本一本に番号が打たれている。ケーブルには乗らず、3km弱の山道を下る(13:11-13:39)。超満員のバス停にも脇目も振らず バス道をひた走る。Jr御岳駅には14:10頃到着。帰りに昭島にあるOutdoor Villageに寄り、買い物。ざっとこんな山行きとなったが、とにかく新緑がすごい。若葉が山肌全部を覆い太陽を受けて輝くさまはこの時期でしか見られない光景であった。まぁここまでがアナログ的な会話。ここから以降はディジタルの前処理と、後処理。■ルート作成・・カシミール3Dで断面データを作成する。地理院地図を利用し、武蔵五日市近辺を表示させる。Start地点の「払沢の滝入口」からEnd地点の「JR御岳駅」まで凡そ25kmを尺取虫のようにトレースしていく。この時はマウスよりもBamboo Funのようなディジタイザが能率が良い。ペンタイプなのでペンに付いているノッチを操作するだけでどんどんデータが取り込まれるので超能率がよい。トレースが完了したら最後のpointで右クリックし「確定」。次に「データ範囲」としてstart地点からEnd地点までの全域を選んでGPXデータ変換を行う。KMLファイルが作成される。それをDropBoxに保存する。タブレット(orスマホ)で、DropBoxに保存されたファイルをMaps.MeとGeographicaにそれぞれ取り込む。■実際のログ・・現地で、Maps.MeとGeographicaを開くと、ルートが示されているのでそれに従って行動すれば良い。またこのとき新規にトラックの記録(ログ)を開始することもできる。この時にファイル名に日時や場所を書いておくと便利である。計画と実施では同じファイル名だと混同するので、後者は「**-result」などと命名しておくとよい。Geographicaの場合は記録音を「口笛、小鳥、鐘、なし」から選ぶこともでき、小鳥だと時々ピーチクパーチク音を発するので動作中であることが分かって安心する。定時の時報で、「元気ですか?」などとお喋りしてくれるのも面白い。ログを終了するとファイルが確定し、距離、記録時間。最低高度、最高高度、累計高度(+,-)平均速度、最高速度、消費カロリー、座標精度などがGPXデータとして保存される。KMLファイル形式などを選択する。このデータはメールでパソコンに送ることができる。今回の山行きでは、距離(平面距離 25.0km、沿面距離 26.8km)、記録時間7:18:08。最低高度218m、最高高度1260m(大岳山)、累計高度(+2,810m,-2,846m)、平均速度3.7km/h、最高速度9.7km/h、消費カロリー3,569、座標精度★★★★☆turbo717式みなし距離=25.0km+2,810X10m+2,846X7m=73km 前代未聞の過酷なrunであったということか。相当の疲労であったから。徒然の記その2 ヤマレコ挑戦記 2018.5.2(水)■今回の登山はヤマレコ(登山やトレールラン専用の計画・実施アプリ)に「払沢の滝から神戸岩、大ダルを経て大岳山へ」というタイトルでupしている。初めての経験である。山で撮った写真が撮影時間をKeyにして自動的に割り付けてくれるのが嬉しい。作成の仕方:まずはヤマレコに新規会員登録。1.日程の概要2.写真登録・・1GBの容量まで、1ヶ月 max100MB。3.ルート作成・・GPSログとしてKMLファイルが登録できる。机上のログではなく、時刻が入ったresultデーターをupするとよい。この地図への写真配置はカメラの時刻のズレなどが入力(通常は0)できる。「写真配置」ボタンを押すことで撮影時刻とGPSログが関連付けられ自動的に割り付けられる。プレビューボタンを押すと、ルート上に写真のマークが付けられていることが確認できる。4.コースタイム 感想5.公開設定・・「ヤマレコに限定」、「一般公開」、「非公開」などを選択することができる。編集も楽で、ヤマレコにログイン→マイページ→過去の自分の記録の一覧→該当するヤマレコを選択→「編集」ボタンをクリックするだけで、上記1~5をretryできる。今回の記録・・ヤマレコ:払沢の滝から神戸岩、大ダルを経て大岳山へ徒然の記その3 Maps.Me地図(OpenStreetMap)の更新 2018.5.1(火)■今回は失敗した。5月の連休にフランスの山地を歩くという方がおられた。そこでGoogle Earthで事前にルートを調べKMLファイルを作ってプレゼントしようとしたのである。しかしながら深い森が広がるだけで道が途中から無くなっていた。トレッキングルートのようなものが見当たらないので「D13」といった生活道路をKML化しプレゼントしたのだ。実際はこのKMLファイルはダウンロードされなかった模様。さらに現地を実際に歩くと「D13」と言った一般道から山道に入っていくルートがあったのだという。この事実に驚愕したのである。OpenStreetMapの地図をパソコンの方で見ると確かに山中でも点々と山道が示されていたのだ。タブレットのOSMは古かったのであろう。パソコンのほうが常に最新版のOSMをダウンロードできる態勢となっているからであろうか。以前ヨーロッパの長旅では、パソコンからOpenStreetMapないしは、山岳では高度差がわかるOpenCycleMap、OpenTopMapなどを駆使していたというのに。今回はそれをミスった。タブレットにあったOSMは保存先が「MicroSD」になっており、容易にupdateされないようで実際地図が3年前の古いままであったようだ。その地域だけでも強制的に更新するという手段が取れればよかったのではないかと。まてよ時々「ダウンロード」の表示が出ていたのはそれを行えということだったのだろうか。地図の保存先が決まって「本体側」になっていたので「MicroSD」に直していたのだ。(MicroSDとするとダウンロードされることはない。)すこし勉強して見よう。今回は山道で大けがをしたというのだ。事故の第一報(日本時間 5月1日 pm11時頃 現地pm4時頃)を受けて、実際の歩行ルートを最新のOpenMStreetMapを元に、Google Earth上で慎重にトレースしてみた。この高度プロフィールを表示にしてみると驚くべきことが分かった。70m~140mのup-downがずっと続く。(下図)このことが事前に分かっていれば強く車道を勧めるべきであった。または苦難が事前に分かっていれば覚悟を決めて進むこともでき、体力温存の作戦が立てられた筈である。個人の旅は自己責任とはいえども、事前によーく現地からの情報をgetし分析していれば今回の事故(ここでは詳しく触れないが下記地図のX近辺で大けがをしている)防げたのかもしれない。そういう意味で地図作りの未熟さを反省している。route map near the Pierrefitte-Nestalas, profile (フランス 2015.5.1(火曜))a-bの区間は3kmほど。沢が多く、70~140mのup-downが続く徒然の記その4 庭 2018.5.2(水)■カミさん曰く「庭掃除しようっと!」極めて問題発言である。ちょっと待って欲しい。庭は小生のテリトリーとなっている。庭のことは一任してほしいのだ。先週は、自然農として4つの原則を書いたばかりである。すなわち畑を耕さず(不耕起)、肥料を使わず(無肥料)、農薬を入れず(無農薬)、雑草は抜かず(無除草)の4つの原則。庭ではこれは「都合よすぎる原則」らしい。カミさん曰く。ご近所さんがいる場合はそうではなかろうと。そそくさと手袋をして庭に這い出した。こちらも負けじと、剪定ばさみを持ち後を追う。ご近所の境界あたりに蔓延っている植栽は、残滓、木切れ、もう腐葉土になりかけた山にように積まれた雑草。これらをきれいさっぱりゴミ袋に詰め始めた。よほど気になっていたのだろう。みると、全身に力をこめて、棕櫚の木まで抜き始めた。怪力である。太さ10cmの木はすでに息絶え絶えとなって小生を呼んでいる「助けてください。私はなにも悪いことしていません。」と。カミさん曰く「このまま大きくなられたら、もうどうしようもなくなった裏木戸の棕櫚のように手の施しようが無くなってしまうでしょ。だから貴方を抜くのです。」「げっ!」悲しく45°に傾いてしまった棕櫚はすでに葉っぱのほとんど刈られてしまい坊主状態だ。小生も観念した。ここはカミさんが正しいと。スコップを持ち出し、根を切って完全に抜いてしまった。カミさんの執念がまさったのだ。ついでに一番気になる「黒竹」に移っていった。新しい竹が直径6cmの立派な茎を天に向けて毎日4,50cmも伸び出だし始めている。例年小生の留守中にほとんどが犠牲になる。よほど癪にさわっているのだ。ここは妥協するしか手はない。そこで「伸びだした竹の半分をcut」「軒下近くの竹、細い竹は完全に伐採」、「去年以前の竹も2mでcut。」という譲歩で作業を始めた。膨大な残滓がでた。ゴミ袋に詰めていく。竹の枝があばれるため、2人がかりの作業である。仲睦まじい光景である? こちらは切羽詰まった選定作業であった。カミさんは目的を達し、そそくさと家に戻った。45Lの袋にして10袋。これは少し家に置いておけばしんなりとなり捨てやすくなる。徒然の記その5 再び宝篋山(ほうきょうさん) 2018.5.4(金)■昭島のOutdoor Villageで見つけた、スパッツ(靴のどろ除け、小石が靴に入らない対策として)と、クール・ロングスリーブシャツ(光触媒効果で汗の匂いを分解)の性能などを確かめようと再び宝篋山を訪れた。もう一つの目的は、集合場所やバス時間のチェックと新規ルートの開拓である。まあ旅を企画するものの務めであるが。この宝篋山は高さが461mしかなく地元の人の格好のハイキングコースとなっている。バイオトイレ(おが屑のようなものが回転していき、完全発酵の最新式トイレ)が置かれ、山道は整備され実に行き届いている。老若男女がこぞって登る人気の山なのであろう。小田城の遺跡が麓にあり、時間があれば巡ってみると面白いのかもしれない。近所の人はトレーニングにあらゆる登山ルートを試すことができる。晴れた日には5km先の筑波山が眺望出来き気持ちがよい。今回はガスボンベとコッヘルを持ち込んだ。ガスボンベの方は、使用前と使用後を計量してみた。初めて分かったのが、1Lの水を沸騰させると約15gの液体燃料が消費されることである。250g(容器の重さ175gは別)のボンベでは合計16Lの水を沸かせることになる。2013年8月の大峯奥駈での6日間ヤマ籠りは、1Lx18回分の消費として、燃料1.5缶を所持すればよかったことになる。ちょうど計算通りであった。2013年の大峯奥駈この日のヤマレコは2018.5.4の宝篋山に地図などを残しておいた。後半は雷が鳴ってきたため、平沢官衙(ひらさわかんがい)遺跡はパス。徒然の記その6 大凧まつり、泳げ鯉のぼり相模川 2018.5.5(土)■少し風が出てきた・・これは見物に行かなければと、家→昭和橋→上磯部会場の「大凧まつり」→高田橋の「泳げ鯉のぼり相模川」見物running。暑い中19kmも走ってきた。今日は忙しい。上磯部会場では例のごとく「風よ吹け!」とアナウンスがあるものの風速5mでは揚がらないのである。32畳、100畳の2基が並べられ、風が吹けば揚げる態勢で待つ。今年の題字は『翠風(すいふう)』。32畳のを6回くらい挑戦し、最高は15mほどか。午後2時の空に高く揚ったのは子供たちが揚げる「相模」であった。帰路は鯉のぼりを見る。これは間違いなしに川の風を受けて気持ちよく泳いでいた。250mのロープ5本に計1200尾。S63年から30年も続いている。広報で呼びかけ家で大切に保管されていた鯉のぼりを提供してもらうのだという。最大は10mもの鯉のぼり。May poetry of the Sagamigawa river(相模川・5月の風物詩 2018.5.5(土))徒然の記その7 camino仲間の現在位置 2018.5.5(金)■小生のcamino仲間は、現在7名が世界各国を歩いている。毎日MessengerやFacebookで宿泊場所などが示される。それをずっとトレースしているのであるが、点在するその動きが面白い。お互いに8400km離れた人もいれば、60kmの近い場所にいるなど日々刻刻変化していく。日本在住の応援部隊は手に汗をしながら動向を追っているのである。その都度に皆からの暖かいメッセージが行き交う。「皆 優しいのだなぁ」と感じる瞬間である。
May 5, 2018
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驚きの自然農_ story (4342)2018.4.28Mr O is a member of MAC what they love McIntosh computer hated using the Windows in their company.He is now owner of Ten fir farm at Hadano City。He now operating the organic farming in the strict four major principle for producing delicious vegetables.会社で使うWindowsを嫌って、マキントシュ・パソコンをつかう人たちが発起したMACの会。今回は会のメンバーの一人が”自然農”を語った。テン照ファームの園主であるが、4大原則のなかで、いかにおいしい野菜を作るかを努力していた。Manaduru(岩地区から真鶴岬を眺望 2018.4.14)W亭のベランダから海を眺める。音楽家の白い家が中心の絵。目次徒然の記その1 Violin-Viola Duo徒然の記その2 歩き塾「都内近郊シリーズ 「多摩よこやまの道」徒然の記その3 ビットコイン 徒然の記その4 加藤登紀子『運命の歌のジグゾーパズル』徒然の記その5 茶摘み・・発酵過程失敗の巻徒然の記その6 荒川run40km→原爆の図丸木美術館へ徒然の記その7 MACの会徒然の記その8 通勤ライナー徒然の記その9 朝餉!徒然の記その1 Violin-Viola Duo 2018.4.24(月)■4月中旬から再び空き家になってしまった我が家の本宅に2人が集合!した。今日は弾く曲が多い。・モーツァルト歌曲: 私は道の上で Op.390、別れ Op.436・グリーグ歌曲: はじめての出会い Op.53-2、 小さなキルシュテイン Op.60-1 ・モーツァルト: Duo für Violin und Viola K.424(ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 変ロ長調 K.424) 第1楽章 最初~第70小節 この曲、1楽章の最初の10小節はAdagioである。♩=30とごくゆっくりと。ただし32分音符や64分音符とした細かな音符も並ぶため気が抜けない。そこを無事通過すると今度はAllegro(♩=110 3/4)と少し軽快な拍子で音楽が展開される。当然ここでもトリルや32分音符などが散りばめてくる。しかしなかなかよい曲で合奏していてモーツァルトの神髄に振れた気持ちになる。先へ進みつつ宿題として次回再度練習。・テルテル会曲目・・6月に予定される大学研究室の集いに余興としてやる曲を練習。今回はギターが加わるため、楽譜係がスペイン組曲「アンダルシア」より「Malagueña(マラゲーニャ)」を編曲してくれた。ギターのメロディにViolin、 Viola、リコーダーを加えて合奏形式で行う本邦初公演の曲となる。情熱的なギターのリズムに、Violinなどは乗っていくものである。♩=75→90→120と徐々に速くなっていき最後はfff(フォルテシモアッサイ)で♩=180で終わる。うまくいくと大喝采、落ちるとブーイング 間違いなしというスリル満点の曲。今から練習しておかないと間に合わない。■DuetとDuo・・・「今日はデュエット」とカミさんに言うと「デュオでしょう!」と即突っ込みが飛ぶ。あまり差異はないと思うのだが・・そこで調べてみた。Duet(デュエット)ととDuo(デュオ)の違いを。Duet(デュエット)は声楽のほうで用いられるようである。異なるパートを2人で歌うとき、デュエットと言うと。ViolinとViolaのように器楽曲では一般的にはDuo(デュオ)が正しい。日本語に訳してしまえば「DuetやDuoも二重奏」となってしまうが。確かに、モーツァルトの二重奏曲では、標題は「Duo für Violin und Viola K.424」となっている。曖昧にしていた言葉もすこし勉強になった。徒然の記その2 歩き塾「都内近郊シリーズ 「多摩よこやまの道」 2018.4.25(水)■近所の散策コースを案内することにした。八王子市南部、多摩市、川崎市麻生区にまたがる尾根を歩こうとするものである。「横山の道」は早くも万葉集に詠まれている。一本杉公園に石碑が立っていた。「赤駒(あかこま)を山野(やまの)に放し捕(と)りかりて 多摩の横山 徒歩(かし)ゆか遣(や)む」・・作は豊島郡の上丁椋 椅部 荒虫(かみつよほろくら はしべの あらむし)が妻 宇遅部黒女(うぢべのくろめ)である。「赤駒を山野の中に放牧しても捕らえられず夫に多摩の横山を歩かせてしまうだろうか」という防人の妻の心づくしの歌である。多摩丘陵は武蔵の国府(ふちゅう)から眺めると横に長く連なる山々である。夕暮れにはその姿がシルエットに浮かび古来から「多摩の横山」、「眉引き山」と呼ばれている。長さは約10km。今回の歩き塾は、通称「戦車道」を入れて、15kmのコースを策定し歩行を開始した。今日は大雨であるが午後はそれも上がるとの予報で意気揚々と。当方は”巡礼”という目的へのトレーニングも兼ねているので装備チェックという大義名分で、台風や豪雪以外は雨天決行なのである。この時も、リュックに付いている雨カバーを初めて使うという場面もあり装着に苦労する。都会なので、傘を差してもokである。一般的には手は自由になるようにポンチョか雨具で身を覆うのがベター。風が結構強い場合は、パーカーの紐を引き絞り顔に密着させる。この場合は話が聞こえずらくなる。土道が続き、快適な歩行であった。このコースの南には、鶴見川源泉、小山田緑地といったたおやかな丘陵地帯が続く。南部も来年のコースにしたいものである。この尾根の北側には広大な多摩ニュータウンが開ける。開発の年度差があまりないため一様に古くなってきているらしい。東部のわかば台(京王線)や、はるひ野(小田急の新駅)の地域は新興住宅が多く比較的若い町となっている。多摩よこやまの道の東端は、聖ヶ丘という場所で、多摩大学や米軍ゴルフ場が眺望できる。坂を南に下ると操車場がある場所であるが間にマンションが建ってしまったので見通しは悪い。そこへはよく尾根幹線マラソンで稲城に向かって走った懐かしい場所である。坂を下りたところに出来たサイゼリアで乾杯。ここでの談義がまた傑作。ビットコインをやっている人が居て「これはノーベル賞ものだと」熱弁を振るう。染まりやすいturbo717は1ビット買うことを約束。(実際はコンピュータ上の暗号認証の"労働"が必要という)。徒然の記その3 ビットコイン 2018.4.25(水)■その2から続く。専門用語が飛び交った。■ブロックチェイン(Blockchain)・・インターネット上の分散型取引台帳。低価格で金融サービスが受けられる。ユーザー 同士でシステムを管理しあう構造。取引履歴は10分単位に暗号化されブロックされる。ブロックチェイン(暗号化されたブロックの繋がり)に記録されるすべての情報はだれでも閲覧が可能。信頼性が高いという。特定の銀行などを介さず、世界レベルの”個人管理”が行えるという。そういう意味で無敵だと。国家戦略を揺るがすものだという意識から、中国など複数の国では使用禁止。取引の整合性を確認し「承認」するためには膨大な計算が行われる。この計算に量子コンピュータなどの超々高速のコンピュータが待ち望まれるという。承認作業は「マイニング(採掘)」と呼ばれ、不正が行われていないことを証明する仕組みを「proof of work(仕事の証明)」という。■フィンティック・・金融(finance)+技術(technology)からの造語で、金融とIT(情報技術)を融合した金融工学分野の技術革新。■ナカモト・サトシ・・ビットコインを始めた謎の人物。日本名を持つが、まだ特定されていないのだという。ひょっとしてオーストラリア人?■ビットコインの仕組み・・ブロックチェインを「成功」させた人にビットコインの報酬が支払われるというシステム。このときビットコインが「新規発行」される。ただ2140年までに2,100万BTCを上限とされ制御される。■2018.4.24現在の仮想通過top10・・Bitcoin(時価総額 16兆円)、Ethereum(7兆円)、Ripple(4兆円)、Bitcoin Cash(2.9兆円)、EOS(1.1兆円)、Litecoin(0.98兆円)、Cardano(0.85兆円)、Stellar(0.78兆円)、IOTA(0.67兆円)、NEO(0.56兆円)えらいことになっている! 知らないで通り過ぎるとこであった。今や、秋葉原ではビットコインで買い物ができるという。この新しい通貨を得るには、高速パソコンを購入し24時間体制でパソコンと向き合わないければならない。一般人には無理である。しかし最適システムを組めば、自宅でやり取りが可能であるようである。野村悠紀 氏の『入門 ビットコインとブロックチェーン』PHPビジネス新書 がよいという。徒然の記その4 加藤登紀子『運命の歌のジグゾーパズル』 2018.4.25(水)■加藤登紀子の新著(朝日新聞社刊)を読んだ。登紀子の半生記であるが、登場人物は実に169人。巻末に人物辞典として纒らているので便利である。歴史上の革命はパリ・コミューン、ワルシャワ蜂起、ロシア革命などを含み数えきれなく書かれ歴史書ともなっている。1862年にグルジア(現ジョージア)のミルザアニでニコ・ピロスマニが誕生したという。百万本のバラのモデルとなった画家である。このように実に詳しい。いろんな歌が、背景にある歴史と縦横に関連付けられているので、ジグゾーパズルのように解いていけると。スンガリ(松花江)のほとりで生まれた氏が推す小説がアヨーロフ・ミハエル(1905-1984)の「静かなドン」であると。この情景に強く影響を受けているという。またこの歌手ほど多国籍の歌を取り込んだ歌手はいないのではないかと評論家の中川右介さんはあとがきに添えている。加藤登紀子を知るためには必携の本であるかも知れない。この本に出てくる歌35曲を収めたCD「Tokiko's History」が同時発売されている。Mirzaani(მირზაანი:ミルザアニの場所 2018.4.25)百万本のバラのモデルとなった画家のふるさと徒然の記その5 茶摘み・・発酵過程失敗の巻 2018.4.26(木)■お茶の木昨年より2wほど早く摘み取りの時期が来た。一体葉っぱは何枚あるのであろうか。フィボナッチ数列で計算してみた。1本の木は翌年にはそのまま1本の枝。次の年は2本の枝、次は3本の枝、次は5本と。これが36年続いたとして、途中剪定を行っているので半分の年数とする。 18年目の枝の数(フィボナッチ数列F18)は、2,584。「一芯二葉摘」の摘み方で1枝の上3枚を摘むと、7,752枚となる。こんなものか。お茶の木の同じ葉っぱから、発酵のさせかたで、緑茶、ウーロン茶、紅茶が作られる。・緑茶は葉っぱを発酵させず、摘んだら熱を加えて作る。・日本茶の場合は蒸す行程がそれである。抹茶、玉露、ほうじ茶、番茶などが生まれる。中国茶は釜で煎って作られる。・ウーロン茶は、摘んだ葉っぱを半発酵させて作られ、ジャスミン茶やウーロン茶が生まれる。・紅茶は、十分発酵させて作る。品種によってダージリン、アッサムなどの紅茶となる。さてこの陽気にさそわれて一気に茶の木の新緑が育ってきた。茶摘みの絶好のタイミングとなった。例年の要領で紅茶を作りたいと思い庭に下り立つ。新聞紙に広げしんなりさせる。その後は手もみである。茣蓙などのわら系の下敷きの上でもむとよさそうであるが気の利いたものはない。ざるの上や、大理石板の上でもんでみた。1.紅茶の原料となる茶葉は、育った茶葉でなく開ききっていない新芽1つとその下の若葉2枚だけを摘みとる・・「一芯二葉摘」・「上葉摘」の摘み方。 これでは少なすぎると思われた場合は、もう1,2枚 新しい大きめの葉っぱも加えてもよい。秋摘みでの葉っぱでもよい。2番茶でもよい。2.萎凋(いちょう)行程(withering)・・萎(な)え、凋(しぼ)ませる行程・・新聞紙などに広げ乾燥させ、摘んだ葉っぱの水分を半分程度に飛ばす。 水分を残した方がその後の「発酵」行程で深く発酵する。数時間ないしは1日~2日の萎凋。この時間で深い味~微発酵(ファーストフラッシュ)が決まる。3.揉捻(じゅうねん)工程(Rolling)・・お茶をもむ行程・・茶葉を揉むことで、細胞を壊し酵素とお茶に含まれるポリフェノールを反応させ発酵を促進する。揉む方法・・手の中でボールを作り洗濯板で洗濯するように揉む。4.発酵工程(fermentation)・・ジップロックのような袋に入れて天日で半日くらい発酵させる。茶葉の色が変わってきたら止める。紅茶特有の香りが生まれ、色が決まる。上記2,3,4の各工程の度合いにより深さ、色、香りが違ってくる。「turbo大島」紅茶では、2・・半日、3・・30分。4・・半日。5.発酵止め(Drying)・最も重要な工程。中華鍋で水分を飛ばす。(ホットプレートを使ってもよい。)・・熱を加え始めた段階まで発酵が進む。カリカリになるまで、絶えずかき混ぜ、水分を飛ばし発酵を止める。5の行程を30分から半日とこれまた製品に仕上げる工程に”こだわり”というパラメーターが加わる。「turbo大島」紅茶では中華鍋で弱火30分。6.完成・・紅茶缶のようなところに保管。お茶の木2本からつくった新茶の紅茶! 25gしかできなかった。我が家のは、「turbo大島2018」と言うべき紅茶の新茶である。今年も発酵不足のようで、限りなくウーロン茶に近い。次回2番茶採取では、1日くらいかけて発酵させてみようTea product(紅茶を作る 2018.4.14)徒然の記その6 荒川run 40km→原爆の図丸木美術館へ 2018.4.27(金)■荒川を遡上・・秩父に近づきたいと東京湾から走っていて今回が2月8日(木)に次いで2回目の40km run。北朝霞から荒川熊谷の方に回り込めば完全に荒川を遡上できるが余りにも遠回りである。800mの峠越えしながら秩父に到達するものとし坂戸より北にある東松山市へまず入る。次回はそこから丸山(960m)を越えて行く山岳ルートを取って秩父市内へと。壮大な旅となる。北朝霞から東松山までの川と走行距離は、荒川(13km)→入間川(10km)→越辺川(おっぺがわ 7km)→都幾川(ときがわ 10km)の計40km。土手つたいの道で苦労するのが食料と水。信号などがほとんど無い静寂の世界の一人run。夢のような走行である。人気(ひとけ)がないので、コンビニがない。自動販売機すらない。荒川河川敷も北朝霞近辺からは、田んぼが広がりだした。初めて見る光景である。河川敷に水田! それほど広大な敷地である。水は上流の方からの供給であろう。入間川は荒川の支流であるが、何キロも並行して流れる。このあたりの橋は2つの川を渡すのでどれも長大である。さて都幾川(ときがわ)でやっと東松山市(子供動物自然公園、吉見百穴、原爆の図丸木美術館などがある町)に入った。市に隣接して北側に国営武蔵丘陵森林公園(304ha 昭和記念公園(165ha)の約2倍)がある。ここから長かった。水が尽きてきたので土手を降り住宅街へ。再び土手へと。数回こんな形。漸う漸うにして目的の美術館に辿り着いた。すでに14:30を過ぎている。Arakawa river and Tokigawa river( 2018.4.27)■原爆の図丸木美術館・・埼玉県東松山市下唐子14011967年5月に開館。丸木位里(1901年-1995年)・丸木俊(1912年-2000年)夫妻による「原爆の図」連作ほかの共同制作作品、位里の母・丸木スマの絵画が常設展示されている。原子爆弾の惨状を描いた「原爆の図」は、第1部から第15部まで15作品あり、第15部が長崎で展示されている以外はすべて丸木美術館に所蔵されている。そのどれもが3mx10mなどと大作で、何部屋にも亘って壁一枚が1作という具合で圧巻。日本だけでなく、世界各地で巡回展示されている。1950-1982の作品群である。第1部・・幽霊、第2部・・火、第3部・・水第4部・・虹、第5部・・少年少女、第6部・・原子野第7部・・竹やぶ(bambuswald)、第8部・・救出(1954)、第9部・・焼津第10部・・署名、第11部・・母子像、第12部・・灯籠流し第13部・・米兵捕虜の死(説明文に「日本人30万人死亡の他にB29落下傘部隊の捕虜23人が死亡している。」とあった。)、第14部・・からす、第15部・・長崎(長崎原爆資料館)墨絵が全体を占め、焔の部分が赤く塗られ地獄図となっている。この他に、丸木位里の「松韻」「樹林」など、母親 丸木スマの絵画が展示されている。この日は、「ディスリンピア2680」というテーマで木版画アーティストの風間サチコ展が開かれようとしていて準備中で100円入場料が安かった。展示期間は2018.4.28-7.8。ディスリンピア2680とは、架空の都市ディスリンピアで行われようとしているオリンピック(2020年は皇紀2680年に相当)を漫画風の絵に仕立てた。人間淘汰の地獄絵という意味では共通するものがあろう。原爆の図丸木美術館の立地は都幾川(ときがわ)のほとり、丸木位里の故郷である広島県の太田川の風景に似ているためであったという。最寄りの駅は、つきのわ駅で2.1km。森林公園駅から3.4km、東松山駅から5.1km。■早朝run・・この日は夜の用事を控えていたため、朝4時台から一日中走りずめであった。まず家から橋本まで4.3km(4:30-5:10)、北朝霞から丸木美術館まで40.5km(6:30-14:00))、つきのわ駅まで2.1km(15:45-16:10) 計46.9kmと。あぁ、走りすぎた。寝不足でねむたい。東武線の中で爆睡し、飯田橋でやるMACの会へ。この時点でハラペコの状態であった。しかも池袋。こんな複雑な駅はない。東武線からメトロ日比谷線へ。Google Mapを立ち上げながらしか進めない、地下の迷路。飯田橋まで4駅とは驚いた。最高に便利な路線である。Maruki museum(丸木美術館 2018.4.27)美術館は都幾川のほとりに建つ徒然の記その7 MACの会 2018.4.27(金)■MACの会 日立の人達が設立し、口コミで50名まで広がった懇談会で、毎回会の人などを講師として興味あるテーマを話してもらう。年2回くらいの開催。日本勤労者山岳連盟の人がおられ飯田橋にあるオフィスを借りるという。夕食やビールで歓談が続く。今回のテーマは「農と食、そして生命」。前回(2014.7.4)はスペイン巡礼に行った人が講師になるということで、この会に所属するテルテル会(大学の研究室の集まり)の方から紹介があって参加したという次第。今回は、会の主宰者から久々にメールがあり、2回目、約4年ぶりの参加となった。講師は秦野市民農業研修会の3期生だという。自然農を営むという。なんと面白い懇談であったろう。その一部をかいつまむ。■自然農・・自然の生態系に沿った畑で作物を作ること・・大農ではなく小農という言葉で家族単位と言った小単位の農家が対象。ここでは畑を耕さず(不耕起)、肥料を使わず(無肥料)、農薬を入れず(無農薬)、雑草は抜かず(無除草)の4大原則を守る。雑草も抜くことなく、意味あるものとして捉え共生させるのだという。■動植物循環・・微生物により動植物循環を行うという・・決め手は炭素循環農法・・炭素率の高い木材や竹のチップを土の表層に入れる。真っ白い菌状の生物が発生。発酵して微生物を生み、小動物のえさとなってやがて作物の生育に一大貢献する。農薬の代わりに、竹酢などをスプレーで撒く。匂いから害虫が去る。この農法では、害虫でも殺さず逃がすという。隣の畑へ? 地域全体で自然農法を実施するのがよいという。雑草も抜かずそのままとする。収穫数はまだ低く、77億の人口を養うほどにはなっていないが将来有望な農法という。■ヴェトナムに波及・・F社出身のUさんは海外へ自然農法の普及に努めているのだと。目覚ましい効果があったと。使っている微生物は蓼科で発見された菌であるという。今や世界で奪い合いの状態という。植物は有機を処理できず、微生物が無機化して初めて植物に取り込まれるという。オーガニック栽培にはこの微生物が最大の関心ごとであると。■土は現在枯渇状況である。1cmの土ができるために300年かかるという。肥料や農薬のために元気のよい土そのものが枯渇しているという。やせた表土は雨に流されやすくなっていると。■自然農普及の障害は農協にあると言う。肥料や農薬、抗生物質による均一栽培を奨励しているからだという。■自然農法の系譜・・岡田茂吉「自然農法解説」1951、福岡正信「自然農法 わら一本の改革」1975、川口由一「妙なる畑に立ちて」1990、木村秋則「奇跡のリンゴ」2008、薄上秀男 バンブー農法「竹肥料農法」2009など■海外の本・・エルンスト・フリードリヒ・シューマッハ「スモール イズ ビューティフル」1986 講談社学術文庫、フィット・フォー「チャイナ・スタディ」、E・ハウエル 酵素栄養学関連の本など。■理想の食・・「孫わ優しい」・・豆、ゴマ、ワカメ(海産物)、野菜、魚、シンタケ(茸類)、芋の頭文字を言っている。このMACの会、大学や各界の名士がそろっている。しかも今回の話題のテーマ性から農業に関心のある人達が集まった。自己紹介も質問が集中してまったく進まない状況。発表者へのQ and Aでほとんどの人が喋った状況。小生も、真鶴の魚付き林のことや、ポーランドやドイツで見た”大農”経営の実態などを喋ったりと。「真鶴」はこの人たちには有名どころで皆知っていた。素晴らしい所であると。鼻が高くなった。徒然の記その8 通勤ライナー 、小田急複々線化 2018.4.27(金)■京成(イブニングライナー 1984年~)、京急(ウィング号 1992~)、小田急(ホームウェイ号 1999~)、東武(TJライナー 2008~)、西武(S-TRAIN 2017~)などに遅れを取ることうん十年。この2月22日から京王線の帰宅便が全席指定というダイヤが運行を始めた。例えば、京王線橋本行きが、平日は20:30から1時間おきに23:30までと0:20の計5本、土日は17:20から1時間おきに21:20までの計5本の京王ライナーが運行される。新型車両がクロスシート(進行方向に座席が回転)として使用される。今や、カミさんには無くてはならない交通手段となってしまった。この時間を狙って行動すれば新宿から橋本まで確実に座っていけるからこれは便利である。400円の価値はあると。こちとらは多少後ろめたい気持ちでの利用となる。とにかく、京王永山駅まではnon stopなので速いのである。明大前駅で速度を落とすのであるが、ホームに溢れている人を横目で見ながらゆったりと寛いでいる自分をさらけ出すことになり、少々罪悪感に襲われる。座席はnetで予約可能なので、新宿に辿り着ける時間を予測し、空き席を見て購入できるので便利。(失敗事例もある。22:30の指定席を取ったのにかかわらず、22:29新宿着の便であったため間に合わず400円をどぶに捨ててしまったことである。10分前の予約と、5分前のキャンセルを可能としてくれれば有難いが。さて、複々線を豪語する小田急は非常に不便になった。新宿駅ヘは速くなったのかもしれないが(京王と競うためにはこっちのほうが重要であったらしい。)、代々木上原から都心へ向かっていた人たちは、その直行便(多摩急行のように多摩センター→新百合ヶ丘→代々木上原→日比谷→我孫子)が無くなってしまい乗り換えを余儀なくされてしまった。帰りに、代々木上原から多摩センターに帰ろうとしても、どんな列車を捉まえてよいのかが皆目分からない。経堂で乗り換えればよいのか、登戸で乗り換えればよいのか、そのまま町田に行ってしまったほうが速いのかと。小田急は進化したとは言え、車内放送が皆無。彷徨える民を救って欲しいものだ。徒然の記その9 朝餉! 2018.4.28(土)■よく寝ている人のそばで走り回っている自分がおかしい!こちらは忙しすぎてトイレ時間10secしかないというのに!朝餉の準備、Viola、庭の剪定や掃除、紅茶製造、各種レジュメ作り、マラソンなど目が回る忙しさである。■朝餉の準備・・この顛末は再三紹介しているが、今日はうまい法則を見出した。ヤカンにお湯を沸かしているときあまり気にもしなかったが、どれくらいの時間がかかっているのであろうかと。な、なんと12分もかかっている。そこで次のような手順としたのだ。7:25 起床7:30 ヤカンにお湯を沸かす。パンの制作にかかる。粉、スキムミルク、砂糖、塩、バター、水を適量図り、準備を行う。7:40 パンをsetし、ドライイーストを容器に入れる。アラームを8:00(20分後)にset。7:42 ヤカンが沸騰する。其の火は消さず、フライパンをset。加熱モードを"強"にする。沸いたお湯を魔法瓶に移し替え、食卓に運ぶ。 7:43 切っておいたソーセージをフライパンで熱っす。手首の反動で全部を2.3回ひっくり返す。この時の食材は目の前まで飛んでいる。食材が躍る瞬間である。この職人技にだれも拍手しない。7:44 卵を2個割り入れる。2つ目の卵の割入れた時刻を電波時計で記憶する。○○秒と。ちょうど1分後 に水を少々落としいれ蓋をして蒸す。7:52 さてここからが正念場である。パンを2枚切り皿におき、トースターを5分にset。リンゴ、キューイを剥き果物皿に取り分ける。ブドウを所定個数分を皿に(ブドウの房は火曜日には個数をカウントしているので7で割った数を小出しにしている。)7:54 空焚きにしておいたトースターにパン2枚を並び入れる。7:57 パンが焼き終わる。7:58 雨戸類を全部開け放ち、食卓の準備が整う。カミさんを起こしに行く。7:59 カミさん 着替えをし、洗濯物が確定する。洗濯機のスイッチを入れる。8:00 パンのアラームが鳴る。ドライイーストを容器に落とし込む(機械が故障しているので余計な作業ではあるがとても人間的)、食卓に付き「いただきます」 小生は「戴いております(すでにキャベツや、リンゴなどは大半は口の中・・当方は敵に比べて食べるのが遅い。いや敵が速すぎるのだ。)」8:30 食事終了。片付け。8:42 洗濯終了8:45 洗濯物を干し終わる(ゴミ出しは最後。手が汚れないうちに洗濯物を扱う必要から))。8:50 ゴミ出し。9:00 すべてが終了。書斎へ。2つの音楽室でViolaとPianoの時間が始まる。(当家の音出しは9:00-21:00の間が原則)ここまで書いて気付いた。走っている時が、一番 暇であることを!
Apr 28, 2018
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手賀沼散歩、プーシキン美術館展_ story (4341)2018.4.121We walked round the Teganuma again. The late Yaezakura-cherry blossoms are blooming om the bank. The quiet lake was like mirrors reflected the cloud sky .Phew swims quietly.手賀沼では、遅咲きの桜が咲き、湖面は鏡のような静けさ。オオバンが静かに泳ぐ。landscpe of Teganuma(手賀沼 と オオバン 2018.4.14)波はなく鏡のような湖面。キャンパスは雲を反映していた。午前中は凪いでいた。湖面が鏡のように空を映していた。目次徒然の記その1 ムラビンスキーと大井 剛史さん徒然の記その2 Viola-Lesson徒然の記その3 間寛平アースマラソン 徒然の記その4 サンチアゴ巡礼道のワイン講座徒然の記その5 歩き塾 山シリーズ「三浦・岩礁のみち」徒然の記その6 第90回山谷ミニコンサート徒然の記その7 プーシキン美術館展徒然の記その8 加藤登紀子コンサート徒然の記その9 家政夫のミタゾノ(第2シリーズ)徒然の記その1 ムラビンスキーと大井 剛史(たけし)さん 2018.4.13(金)■らららクラシック・・伝説の名指揮者ムラビンスキー 俳優の高橋克典がクラシック音楽の魅力を楽しく、分かりやすく伝えているNHKのらららクラシックが大変面白い。時々彼は番組の最後で今習っているチェロを弾くところなどユニークな内容となっている。4月13日(金)はムラビンスキー特集であった。この放送で 2008年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで第2位入賞などした大井 剛史(たけし)(1974-)さんが登場した。今注目の指揮者である。氏は我が市民オケの第76回定期演奏会(2017.9.24)で組曲「展覧会の絵」を振ってもらっている。ムラビンスキー(1903-1988)はソ連時代に何回か来日しているがそのときは接点はなかったものの、レコードで作曲に忠実な指揮ぶりに惚れ込んだという。気難しい指揮者であったが、日本では会場に来ていた青年に指揮棒をプレゼントしたというエピソードが残っている。番組ではムラビンスキーのリハーサル風景や、ショスタコービッチの第5交響曲4楽章を放送していた。指揮ぶりは大変厳しいものがあった。眉毛の片っ方を吊り上げる時が雷が落ちる瞬間であったようである。初演した曲ですっかり頭に入っているのにも拘わらず5番をスコアを引きながら演奏したという。作曲者の意図などをスコアから再確認しながら指揮しているのであろう。大井氏が感心していた。市民オケの秋の第78回定演は、この大井さん指揮のもと、スメタナの「我が祖国」を演奏することになっている。今から楽しみである。徒然の記その2 Viola-Lesson 2018.4.17(火)■Alessandro RollaのDrei Duos 3番 Allegro espressivo 1~ 176小節 ほぼ初見。次回へ宿題。要するに小生の弾きぶりは「素読」に過ぎないのだという。しかも句読点がないと。「ぼくはあさまらそんをしましたいえいえのにはにはつつじがさいてとてもきれいでした」こんな調子だ。これが「僕は朝マラソンをしました。家々の庭にはツツジが咲いて、とても綺麗でした。」のように。音楽的な解釈を加えて「朗読」に変えていかなくてはならないのだという。感情を伝えることもできれば素晴らしい。つまり文章も単文字から構成され単語→文章と展開されていくようにViolaを弾く前にこのように素読から朗読へ完璧に歌えないといけない。この第3番は装飾音符や、三連符、16分音符♬から8分音符♪、四分音符♩など入れ替わり立ち替わり出てくるため歌うこともかなり難しい。それが出来て「素読」ができたレベル。音楽性にはまだ程遠い。よく曲を見ると、曲の造りが4小節や8小節の単位で繋がっていることが分る。さらに曲が、裏拍(弱拍)から始まっているためそこも考量して「歌う事!」と。同じことが超難解の・R.シュトラウス 交響詩「死と変容」作品24 Richard Strauss Tod und Verkärung(Death and Transfiguration) Op.24でも言えると。2連符と3連符の一様の連続音楽が随所にある「シュトラウス・リズム」は時には、死、運命、恋愛、回想、浄化の動機を表現し複雑に展開されていく。一貫して波の躍動感を刻む。おそらく寄せては返す波を3連符と2連符で表現したのではないだろうか。そこにエネルギーを感じる。序奏部でフルートにより妙なる調べ(病人の青白い顔に憂愁さの溢れた微笑が浮かぶ様)が奏でられ、ハープが同調する。最も素晴らしい朝の光景である。257小節のappassionato(アパッショナート:情熱的に、感情豊かに)や338小節のa tempo ma poco agitato(ア・テンポ マ・ポコ・アジタート:最初の速度で、しかし少し興奮して)の箇所を徹底的にさらう。2拍子のリズムであるが、最初は4拍に分解し正確に歌う。sehr breit(ゼール ブライト:非常に、幅広くゆったりと)の箇所はEis4(=F4)Fis4→Gis4→Gis5→G5→Gis5→Es5→F5→G5→C6→B6→Ces(=H5)→B5→A5・・・(ここで、3,4,5はド(C)からシ(H)までのオクターブ表示でA4(ラ4)が442Hzである。ドレミファで歌うと、ミ♯(ファ)4→ファ♯4→ソ♯4→ソ♯5→ソ5→ソ♯5→ミ♭5→ファ5→ソ5→ド6→シ♭6→ド♭(=シ5)→シ♭5→ラ5と臨時記号(♯、♭)のオンパレードであるが、これも音程に沿って歌えと。さてViolaを持っての運指は更に難しい。非常に高い音の繋がりも、1オクターブ落として弾いてみることにより音程を確認出来る。隣接する弦と完全5度の場合は同じ位置の指が使えるのであるが、高い音程であると分りずらいので弾きなれている1オクターブ下げた低い音で確認するとよい。今日は教わることが多かった。立ちっぱなしの2時間半の授業が終わった。「ぼけている暇はない」 のである。喝!徒然の記その3 間寛平アースマラソン 766日41,000km 2018.4.12(木)■地球を走った男 間寛平アースマラソン なぜ彼だけが地球一周走れたか? 神山典士著 2011.9.19 ヨシモトブックス発行直筆のサインがある本を高校の友達から譲って貰いむさぼるようにして読んだ。北緯35度近辺の地球を1周した記録が巻末に載っている。14ページにも及ぶ詳細な記録と地図1枚とが付録で付いていた。大阪なんばグランド花月(2008.12.17)→(2008.12.30)千葉県・鴨川(2009.1.1)→(2009.3.10)ロサンゼルス(2009.3.13)→(2009.7.9)NY(2009.7.14)→(2009.8.17)仏・ルアーブル(2009.8.22)→(2009.12.14)トルコ・イスタンブール(2010.4.20-6.18中断 ロサンゼルス)→中国・コルガス→(2010.12.27)中国・青島(2011.1.1)→博多(2011.1.4)→大阪なんばグランド花月(2011.1.21)の地球一周である。陸路2,0640km、海路20,400km 計41,040km。海路はヨットで(太平洋は68日-12700km、大西洋は34日-6400km ヨットは吉本ディベロップメントの社長でヨットマンの比企啓之氏と同行)。陸路(単独行、Videoはプロジューサーの土屋敏男氏がまわし衛星通信インマルサットやディジタル回線でインターネット配信)は平均50km/日で、721日。途中トルコ・インスタンブールでの精密検査で見つかった前立腺がんの治療で、ロサンゼルスで約2ヶ月の治療の期間を入れると776日の旅であった。壮烈な記録である。ずり足走法で大陸を走り切った。沢山の人のサポートがあったというが、走る本人は生身の身体を毎日50km移動させてきたことになる。5日や6日走ったら1日休むという姿勢を貫いた。これは通信関連やビザ発行手続きを担うサポーターやコーディネイトらの休養にも役立ったようだ。ユーラシア大陸の走行距離は14630km。シルクロードという古来からの通商ルートを通っている。このルートが一番安全でまた都市にも近く便利だという。ル・アーブルからは陸路で、パリ経由でデンマーク・ドイツを走った後、東に向かっている。なにか小生も触手を伸ばしたくなる魅力的なルートである。2008-2011の足かけ3年に及ぶ寛平のアースマランであるが、大陸を走りながらずっと日本を見ていた。世界と較べて「日本はオカシイ!」と言い切っている。さて震災後7年の日本はもっとおかしいのではないだろうか。最近の政治のていたらくは。徒然の記その4 サンチアゴ巡礼道のワイン講座 「El buen camino」その4(最終回) 2018.4.14(土)■セルバンテス文化センター・・•講師:バネッサ・ロドリゲス・ベジョ今日は4回目最終回のサンチアゴ巡礼道のワイン講座 「El buen camino」 。Camino Francés (フランス人の道)の巡礼道は西に進んで、Galica(ガリシア)。バネッサさんのスライドはLugo(ルーゴ)、Palas de Rei(パラ・デ・レイ)、 Melide(メリデ)、Arzua(アルシューア)、 Monte do Gozo(モンテ・ド・ゴーソ) と続き、ついにSantiago(サンティアゴ)に達した。約2時間スペインゴで喋りっぱなしである。相当のエネルギーのいる仕事である。テーブルでは各自にワイングラス2個が配られ、最初は食前酒から飲んでいく。・アペリティフ Vermú(ベルモット)2種・Vermouth blanco(白) ・Vermello(赤みがかった茶色で、パプリカ・ピカンテのきいたもの)の2種を飲み比べる。・Godeval(ゴデヴァル:白ワイン)・Mar de Envero(マール・デ・エンヴェロ 白)・Orujo(オルッホ・・蒸留酒)隣に鎌倉からやって来た学生anaが座った。Asturias(アストゥリアス州 首都はOviedo(オヴィエド))の出である。アストゥリアス語という言語があるらしい。5月からは銀の道に沿ってワインや料理や風物の講座が開始されるという。(Spain-camino & wine lecture)( 2018.4.18)徒然の記その5 歩き塾 山シリーズ「三浦・岩礁のみち」 2018.4.19(木)■関東ふれあいの道・・神奈川県コース1 三浦・岩礁のみちコースは、京急・三浦海岸駅→バス(海35 剣崎行き or 三崎東岡行き)→松輪→間口漁港→剣崎灯台→江奈港→白砂毘沙門天→洞窟→毘沙門港→盗人狩→宮川湾ヨットハーバー→宮川町バス停(10.3km)→三浦漁港(12.3km) 今日の歩行は3名と少なかったが、快晴に恵まれ、磯の匂い漂う漁港や、海際の岩礁地帯の変化のあるコースを歩いた。打ち上げは三崎港の海の駅の前にあるマグロ専門の店「七兵衛丸」で。メモ:■剣崎灯台・・1866年の江戸条約(アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税条約」)によって江戸幕府が建設を約束した8ヶ所の灯台(条約灯台)の一つ。1871.3.1(旧暦明治4年1月11日)に点灯された。テンプレートが埋め込まれていた。旧暦と新暦を並べていた。設計は「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ブラントンが担当し、当初は石造。現在使用されている灯台はコンクリート造で、関東地震(関東大震災)の後に再建された2代目のもの。今回の参加者から有用な情報を得たので列記しておく。■山岳アプリ・・【エンドムンド】・・Maps.MeやGeographicaと同じオフラインmap。歩いた内容は、KMLやGPXデーターで保存されエキスポートできる。■山岳日記アプリ・・【山レコ】・・旅日記としてgpxを貼り付けることができ、時刻をkeyにして、撮影した写真群を結び付けてくれる。■山スタンプ・アプリ・・【ヤマスタ】・・山頂の三角点の周囲10m内でこれを起動すると、スタンプが貰える。1人の登山でもスタンプラリーに参加してモチベーションを高めることができる。彼は週に回丹沢を登という。もう一人の参加者は府県単位に存在するシニアサッカーのメンバーで70歳リーグで地域で優勝している。6月にベルギーに行って親善試合をするという。まあ超健康体の彼らは足取りも軽やかでなんか溌溂としている。Ray-Banのサングラスをした約1名だけが悪(わる)に映っているが。歩き塾 「三浦・岩礁のみち」ブログを参照。晴れた日、大海原の奥に霞む大島と、房総半島を見据え、鳶のみを友と従え、漁港を目指す。なんと気持ちがよい瞬間だろう。我々と、磯釣りをするする人と時々通る漁船以外は、人の影ゼロである。都会の喧騒はない。波の音だけであった。徒然の記その6 第90回山谷ミニコンサート 2018.4.20(金)■第90回山谷ミニコンサートが「 神の愛の宣教者教会」台東区日本堤2丁目の集会所で開催された。10:00からのスタートでるが、9時台はリサイクルの衣服を配ったりして集会所は混みあっている。その人たちが居残ってくれると嬉しいのだが、歌うおじさんたちは別の集団のような感じで、一旦はけて再度集まるという感じである。20名ほどが集まった。今日のsolo曲はVcイラディエル:「ラ・パロマ」、・Vaでグノー:「アヴェ・マリア」・・お馴染みの曲であるが超ゆっくりのリズムでppを効かせてと贅沢な時間2分間を貰って演奏。どうだったかした。Viola lessonの成果がでているであろうか。合唱(ナツメロ・唱歌等 )の曲は、「子馬、きんぎょの昼寝、ごらんよ空の鳥、青い山脈、愛の讃歌、バラが咲いた、花のメルヘン、五番街のマリーへ、なごり雪、365歩のマーチ」 このうち各曲2回歌い、最初はVcの伴奏、2回目はFl,Vm,Vaの伴奏。今回のVaの担当は、子馬、愛の讃歌(越路吹雪の歌い方ではばく、今回は布施明の歌い方で。)、なごり雪。毎回歌っているごらんよ空の鳥は、教会のブラザーも大声で歌うので迫力満点。この曲だけ、Fl、Va、Vcのトリオで伴奏をする。今回は良く合った。■ミニコンサートの後は、南千住でお昼をしながら反省会・・メロディーラインをFl,Vn,Vaで弾いているため、楽譜に忠実に演奏したいものである。一部スラーで繋げてしまい、歌詞との乖離があった。今回もギターで合いの手が入り楽しかった。一音一音の最後に拳のようなアクセントが付くような弾き方もあったが、これも楽譜に忠実に弾きたいものである。徒然の記その7 プーシキン美術館展-旅するフランス風景画 2018.4.20(金)■南千住から東京都美術館へは、根岸1丁目~5丁目を通っていくとほぼ一直線で3.6km。反省会のあとの炎天下を一人上野にある美術館へ。■プーシキン美術館・・モスクワにある美術館でサンクトペテルブルグにあるエルミタージュ美術館に次いで世界2位の収蔵品の数を誇る。美術コレクターは、ユーボフ(1750年ころ)、トレチャコフ(1832-1898)、シチューキン(1854-1936)、モロゾフ(1871-1921)の4人の功績が大きいとされる。シチューキンと言えば2年前にパリのルイヴィトン財団ホールで、シチューキン展というべき「コレクション展」が行われていた。今回の65点の絵画の幾つかは財団ホールでも観ているので懐かしい。先のLa collection Chtchoukine(シチューキン・コレクション)展(2016.11-2017.2 パリ) では、Paul Gauguin(ゴーギャン)--Self Potrait.Tahitians in a Room.Aha o é feii(What .ar you jealous?),Sunflowers,Man picked fruit from tree,Ruperupe(Tahiti is a wonderful land),Landscape,Women on the seashore,Scene from Tahitian life,Vairaumati,The ford--など多数。Paul Cézanne(セザンヌ)--Self PortraitJames Paterson(パターソン)--The Enchanted Castle、Sir Frank William Brangwyn—MarketCamille Pissarro(ピサロ)--Place du Theatre-Français.Spring Claude Monet(モネ)--Seagulis,River Thames in London,Steep Cliffs near Dieppe,Cliffs at Etrwtat,Vetheuil,Meadows at Giverny,Lilac in the Sun,Luncheon on the GrassAlfred Sisley--Village on the SeineHenri Matisse(マティス)--Luxembourg Gardens,Bois de BoulogeHenri Rousseau(ルソー)--In a Trpica Frest.Paul Cézannr(セザンヌ) --Mont Sainte-Victoire seen from Les Lauves,The AqueductAuguste Renoir(ルノワール)--Woman in BlackPicasso(ピカソ)を見ている。今回のプーシキン美術館展~旅するフランス風景画~ではパリ周辺と南仏を描いた絵が大部分であった。パリ・クロード・モネ・・「草上の昼食」・・フォンテンブローの森・アルベール・マルケ・・「パリのサン=ミシェル橋」・・パリ・サン=ミシェル橋・ジャン=フランソワ・ラファエリ・・「サン=ミシェル大通り」・・パリ・Saint-Michel(サン=ミシェル)・ジャン・ベロー・・・「芸術橋(ポン・デ・ザール)近くのセーヌ川」・・パリ・ポン・デ・ザール・ロワール・・「パリ環状鉄道の煙」・・機関車の蒸気が172cmx296cmの大キャンパスに漂う迫力満点の絵画・アダム・フランセ・ファン・ムーラン工房・・「ルイ14世の到着、ヴァンセンヌ」・・vincennes(ヴァンセンヌ)・ピエール・オーギュスト・ルノワール・・「庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレット」・・パリ・ムーラン・ド・ラ・ギャレット・クロード・モネ・・「白い睡蓮」・・Giverny(ジヴェルニ)、「陽だまりのライラック」・アルフレッド・シスレー・・「オシュデの森 モンジュロン」・・Montgeron(モンジュロン)南仏・ポール・セザンヌ・・「サント・ヴィクトワール山の平野、ヴァルクロからの眺め」・・Montagne Sainte-Victoire(サント・ヴィクトワール山)・ピエール・ボナール・・「夏、ダンス」・・Grasse(グラース近郊)・アンドレ・アラン・・「港に並ぶヨット」・・Collioure(コリウール)空想・アンリ・ルソー・・「馬を襲うジャガー」など65点はどれも見ごたえがするものであった。会場はそれほどは混んでいない。チャンスではなかろうか。徒然の記その8 加藤登紀子コンサート 2018.4.21(土)■TOKIKO'S HISTORY 花はどこへ行った Bunkamura オーチャードホールチラシ挟み込みのバイトに午後0時に馳せ参じた。 登紀子プランナーズに勤める方を通じてcamino仲間が集まった。今回は初めてロシアの楽器バラライカが入る。4/18(水)にTV 徹子の部屋ではタイミングよく「加藤登紀子さん」が出ていて、バラライカの調べを聞いている。Program :1部 雨音、悲しき天使、美しさ五月のパリ、さくらんぼの実る頃、時には昔の話を、ひとり寝の子守唄、美しい昔、花はどこへ行った2部 アムステルダム、今日は帰れない 暗い夜、遠い祖国、あなたに逢えたら、暗い日曜日、3001年へのプレリュード、愛の讃歌ピアノ:鬼武みゆき バラライカ:北川翔、アコーディオン:大田智美ら。オーチャードホールは満席の盛況。力強い歌声にうっとり。「運命の歌の ジグゾーパズル」加藤登紀子著 朝日新聞出版は 今日の演奏会のために書き下ろされ出版された。これとCDとが飛ぶように売れていた。1部最初のOverture 雨音はピアニスト 鬼武みゆきの新作である。格調高いコンサートであった。19:35終了。徒然の記その9 家政夫のミタゾノ(第2シリーズ) 2018.4.20(金)■家政婦のミタ・・2011年10月12日から12月21日まで毎週水曜日22:00 - 22:54に日本テレビ系の「水曜ドラマ」枠で放送された。主演は松嶋菜々子。■家政夫のミタゾノ(第1シリーズ)・・2016年10月21日から12月9日まで毎週金曜日23時15分 - 翌0時15分にテレビ朝日系の「金曜ナイトドラマ」枠で放送された。主演はTOKIOの松岡昌宏。この第2シリーズが2018年4月20日から始まった。主演は、松岡昌宏。剛力彩芽ほか深夜枠ではあるが、家事に関する豆知識が出てきて面白い。第1シリーズを見た記憶がないのが、ちょうどヨーロッパの長旅に出掛けていた時期と重なっていたからであろう。今期 目白押しのTVドラマのなかでも秀悦の部に入る作品になっているのではなかろうか。
Apr 21, 2018
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Manaduru lodging,harvesting lemon_ story (4340)2018.4.14I went to send my grandchild to his kindergarten but I made a mistake. The pajamas which made take off are put on once again By the way, my grandson seems to have been complaining something strange. I ignored it.Oh no!孫を幼稚園に送りに行ったがどうも失敗をしてしまった。脱がせたパジャマを再度着せて着ぶくれ状態だったらしい。そういえば何かぶつぶつ言っていたようだ。Fishing port of Iwa in Manaduru (真鶴 岩漁港)( 2018.4.8)目次徒然の記その1 真鶴合宿徒然の記その2 石神井川run徒然の記その3 手賀沼walk 徒然の記その4 Camino- Francés、Camino a Finisterre KMLファイル完徒然の記その5 トレイルズ~「道」と歩くことの哲学~徒然の記その6 再び孫徒然の記その1 真鶴合宿 2018.4.7-8(土-日火)■歩き塾「都内近郊シリーズ 真鶴 枝垂桜」を17:00までに終え、夜の部に移行した。駅で夜の部に参加する1人を待った。他の4人は遅れてタクシーで到着。歩き塾参加で、泊りという人が3人、夜の部だけに参加する人は5人。合計8人が寝袋持参でW氏の邸宅に集まった。夕食のもてなしが凄い。・・オリーブ塩漬け、ちりめんサンショなどの前菜1。・・玉子とうふ+トマトソースなどの前菜2。・・シラスのペペロンチーノ、イベリコ豚のパテ、アヒージョ(マッシュルーム、エビ、ブロッコリー)などの前菜3。・・たらマヨなどの前菜4。・・ブロッコリー、アボガド、ホタテ等のサラダメインは、刺身、ブイヤアベース(ムール貝、アイオリソース)、塩豚、玉ねぎ+ズッキーニなど。上記の一部は、昼の部の「歩き塾」にも振舞われた。感謝。■夕食の合間にPianoとViola演奏・・Mozart: ピアノ・ソナタ(Thema)、Gounod(グノー):Ave Maria、 J.S.Bach: Air(G線上のアリア)、合唱の部では 愛の讃歌、早春賦、浜辺の歌、夏の思い出など。歌詞カード付き。Pianoは1ヶ月ほど前にダイニングに運び込まれている。Violaは土曜日の朝、リュックと共に持ってきていて「歩き塾」の間は駅前近くのW氏のクリニックに預かってもらっていたものだ。■早朝running・・TVの天気予報など簡略化された関東の地図を見ると神奈川県の左下の小さな突起が示されている。これが真鶴半島であり、このわずかに左側も神奈川県に入る湯河原町であるが見たところほとんど認識できない。半島は、箱根火山のマグマの塊がここまで流れて出来上がったのであろうか、本小松石(火成岩のひとつの輝石安山岩で、旧岩村にあった小松山に因んで名づけられた)の産地である。真鶴町は、「真鶴町真鶴」と「真鶴町岩」の2つの住所表記を持つが、その境界は入り組んでおり飛び地まである複雑さである。今朝は、おそらく100%「真鶴町岩」であろう岩漁港にマラソンに出かけた。この岩海岸は1180年8月28日、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が房総に逃れた船出の浜である。スロープがあり漁港がひっそりと横たわっている。寝袋にくるまって寝たため身体は火のように熱く半袖のランニング姿で宿舎を飛び出して失敗をした。外は極寒である。電動シャッターを閉めて出てきたため再度上げるのは面倒とばかり震える”朝ラン”となった。まぁ走っているうちに暖かくなるであろう。近くに横浜国立大学の臨海環境センターがある。そこまで登り切り。住宅街にある細い道についた階段などを下っていくと漁港に着く。5:30が日の出であったが、湾を跨ぐ真鶴道路の橋脚が邪魔をして朝日が届かず寒い。震えながらスケッチをする。かって長野県ではスケッチの水が音を叩て凍り付きシャーベットのようになったことを思い出したがそれほどは寒くはないのだろう。ガマンである。真鶴道路が南側の陸地に到達した場所に沿って側道があった。50cmくらいの獣道であるが、W邸に行く近道であることも発見。国道135号へは瀧門寺の脇を登っていくと辿り着ける。JRをくぐって真っすぐ山の方に登っていけば、前回のrunで通った根府川と真鶴を結ぶ道にも出れる。これでこのあたりの地図が大体つかめた。あとはさらに上にある「白銀林道」をマスターすれば地元の人より詳しくなる筈である。宿に戻ると男性陣は全員起床。女性陣はまだ睡眠中であった。カーテンを開けてベランダに出るともう太陽が頭上に輝いており、風はおだやか。海上には波もたっていない。■ラックの組み立て・・なにせCDやDVDが7000枚以上あるお家である。CD480枚が収容できるタワーラックを2つ(白、黒)を新たに組み立てた。白黒チームに分かれて作業を開始。こちらは1人で白い方のダンボールをこじ開ける。金具や木材などが飛び出した。説明書を見ながらの組み立てていくのであるが、部品が多すぎて難しい。マニュアルがいかに分かり易く書かれているかと というのがいつも興味の対象である。難なく組み立てられると、マニュアルは上出来である。これがそうでないと自分の腕と知能の責任とはせずマニュアルに非があると決めつけてしまう。完成図を先にあげ、その部分の呼び名をいちいち図示で示すべきなのに、それがなくいきなり「上材」「下材」「底板」「天板」などの梱包されている部品の説明から入るからわかりにくい。上も下もほとんど同じで、穴が一つ多いなどの違いがあるだけである。黒組は2人のためかチャチャと組みあがっていき焦る。こちとらはそれを時々見学をしに行っては、参考にさせてもらうが、さて上下を合わそうとしたが、どうも様子が違う。側面に固く埋め込んだ「木ホゾ」という駒のように小さな部品をホゾ穴から抜かなければならない。木槌替わりにした木片で打ち付けたものだからなかなか抜けない。家人も居ないためペンチ類の工具のありかがわからない。「ギブアップ」を宣言して仕事を放棄。しかし黒チームは嬉々として仕事を続けている。白チームに後で加わった女性も頭をフル回転にして加勢してくれたものの、抜けない物は抜けないのである。まてよ! 歯があるではないか、試してみた。歯が折れてはもとも子もない。再度「ギブアップ」を宣言。黒チームは完成に近い・えーいままよ。と誰も見ていないオーディオルームの中で一人。最後の力を振り絞って歯で抜いてみることにした。うまく中心を噛めばスーっ と抜け出した。スポーっと。もう一本。間違って押し込んだ「木ホゾ」は2個。これを抜き、作業再開。黒チームに遅れること15分。ようやく本格的組み立ててをスタート。黒チームも加勢。あとはあれよあれよとばかりに組みあがっていく。底板の上で回転するラックは上下で合計32枚。一枚でCD12枚挿入するとして全体で480枚。その重みに耐える木造の「構造物」。■レモン摘みと隣の石垣の周辺掃除・・一宿3飯のお礼に全員総力。レモンが3本くらいの木にたわわに実っている。これを全部採るという仕事を仰せつかった。数は300個。棘もある木なので注意が必要。高枝用の剪定鋏を借り受け高い方に実るレモンを専門に収穫する。まぁ家では柿の収穫や、五葉松の剪定で使い慣れているものの、枝のどちら側に実があるかの方向性を定めないと悲劇が起きる。大変難しいのである。剪定ばさみと枝を掴む腕が一体となっているため、枝の右側に実が付いている場合には、まず実の左側に枝を持つ腕をあてがい、さらに外側に剪定ばさみが来るように回転させ、柄の最下部にあるハンドルを持つ。上手くいくと、レモンが付いた枝を掴んだまま、木から離脱させることが出来るためハンドルの手を放さない限り、しっかりとレモンを保持したまま地上に降ろすことが出来る。これを逆にすると、レモンが頭上に落ちてくるのである。枝の左側に実が付いている場合には、今の操作を180度逆にしなければならないのだ。ところが葉っぱが重なりあってどちら側に実が付いているかわからないのである。運を天にまかせ枝を切ると、ポトリとレモンが落下し下で作業する人に当たる。ある場合はレモンが坂道を転がって行き、おむすびころりんと、どこまでも追いかけなくてはいけない。180度ひねるか否かは、剪定ばさみ自身に目印があれば分かり易い。それが無いためこちとらは、始終呪文を唱える「(レモンのあるほうの)枝を掴んで・・切る」「々」と。戦闘モードで実を全部落とした。隣家の石垣との境が雑草で覆われ大変なことになっている。悪戦苦闘している輩にかわり機関車のように開拓を始める。どうもオニグルミについた毛虫クスサン(体長8cm以上の巨大)が葉っぱを全部食べつくす様をご存知だろうか。何万匹の毛虫が一斉に糞をするのだ。そのザーと音がする不気味さ。それを灯油を付けたタオルを燃やしながら一匹一匹やっつけていく。鬼となった当方。庭仕事の原点となっているそういう勢いで雑草を刈り取っていかなければならないのである。一本の雑草も残すことは許されないのだ。あとでそれらは樹木のように育ってしまう。まてよ、どうも切り過ぎた恐れがある。「石垣そのものから生えている雑草は抜くな」と言うことだったらしいが、地面との境ではそれがあやふやとなっている。灌木のような木が覆い茂っておりそれも切り始めたが、途中でやめた。争いのもととなっていけない。しこうして切った雑草や蔦や枝が山のように溜まった。それを小さくしてしていき、「真鶴」と書いたゴミ袋に収納していく。■昼食・・13:00には豚が焼きあがった。もう野外キャンプのような楽しい食卓となった。ほっぺたを何回落としたことか。重労働のあとのビールの美味しかったことよ。■後日談・・レモンの砂糖漬け・・貰って帰ったレモン7個のうち5個を利用して、砂糖漬けを作成・・レモンを輪切りにし、レモン:砂糖 1:2の黄金比+蜂蜜を少々 で瓶やタッパーに漬ける。レモンピール・・2個を利用してレモンの皮を使ったピールを作成・・レモンを縦に剥き細長く切る→たっぷりの水で鍋にかけ沸騰させる→ゆでこぼしを3回繰り返す→フライパンによく水を切ったレモンの皮と砂糖を混ぜて煮詰める。焦がさない様に。キッチンシートの上に広げグラニュー糖をまぶす。徒然の記その2 石神井川run 2018.4.10(火)■小金井カントリーの西側に端を発した長さ25kmの石神井川は最初は暗渠のままであるが、小金井公園北側でやっとその姿を外に表す1級河川である。途中田柄川や音無峡谷からの流れを合わせ、隅田川に注ぐ。石神井川の歴史は古く、かっての流れは古石神井川と呼ばれ、西日暮里北側の道灌山の裾を通り、不忍池とも結ばれていた。その間を谷根千(やねせん)と呼ぶ。文京区東端から台東区西端一帯の谷中、根津、千駄木周辺地区を指す総称である。今回のrunは懐かしい石神井公園から出発することにした。記憶は40年前のものである。右手に瀟洒な住宅街があり左手に池を見下ろす起伏の激しい小道を辿ったことを思い出す。この公園の最寄りの駅が西武池袋線の「石神井公園駅」である。似たような名前の「上石神井駅」は西武新宿線にあるが、互いにこの公園を挟んでいる感じで共に練馬区内にある。公園は、西側に三宝寺池(さんぽうじ)、東側に石神井池の2つの池の含む。三宝寺池は沼沢植物群落があり野鳥観察も楽しめる。ごく平坦な公園なのに、「山」のような起伏の思い出があるのは不思議であったが、周囲は南と、西は階段で登るほどの丘陵になっており樹林帯を形成する。石神井城跡はその丘陵に建つ。石神井川に水を供給する湧水池であったはずなのに今では逆にポンプで水を供給している。目黒川のように桜の名所も随所にあるが、目黒と違うところは川幅が比較的に広いことと、底が深い事である。片側(南側)にのみ桜が植えられ明るく開けているという感じであろうか。一部何も植えられていない区間があり殺風景な川筋となっている。ただ川筋を通る風から涼感を得ることができる。城北公園で板橋区に入るが、カワセミが中州に設けられたコンクリートの囲いに巣を作っているらしく、多数の人達が三脚に固定した大型のカメラの照準を合わせるのに夢中であった。首都高5号池袋線や国道17号線といった巨大な幹線を過ぎると、北区に入り、加賀町、滝川町といった伝統の街並みを通る。外国に来たように整備された沿道が続く。この辺りの川底は10m以上もある峡谷をなす。垂直の擁壁であるが、王子駅で暗渠となる。今まで続いてきた遊歩道は、「音無親水公園(公園100選)」の一部となる。王寺駅の改札前を通るようになっている。ここでは川の形をした親水公園であるが、水量はゼロであった。本来の石神井川は駅の下で流量を突然増し立派な都市河川となって王子駅の東側に現れる。このマジックは一体なんであろうか。もはや川の堤に沿った歩道は消滅し、首都高の中央環状が頭上を走る都会の風景となる。堀船緑地では防災用の巨大なポンプ塔の建設が行われている。今回は20kmのrunであった。途中、豊島園は川の両側を占有するため歩道が500mも途切れ、迂回を余儀なくされた。地下道を設けるなど小生のような”川筋を行く”旅人に配慮をしてもらいたいものである。徒然の記その3 手賀沼walk 2018.4.14(土)■2月5日(月)に続いて2回目の手賀沼。夕方から雨と言う曇り空の元、我孫子駅南口に6人が集合。今日の案内役は歩き塾CEO。「手賀大橋」際にあるレストランSHONANには13:15到着。ボリュームある野菜料理の数々。ゆっくり食事して14:30退出。向かいにある道の駅で14:30-15:00と更に買い物休憩。雨模様の雲行きとなってきたため今回はここからショートカットし我孫子駅にもどる。15:30 解散。我孫子駅北側3kmのところにある「あけぼの山農業公園チューリップ畑」に行くアイデアもあったが盛りを過ぎているためもありパス。歩行総計は15kmほど。沼を見下ろすハケ際には旧村山邸などが立ち並び鎌倉の面影。全員息をのむ。水戸道中(街道)が通っている街並みを縫いながら駅に向かう。直前に雨が降り出した。途中で切り上げて正解であった。徒然の記その4 Camino- Francés、Camino a Finisterre KMLファイル完 2018.4.12(木) ■kmlファイル 完成フランス人の道、フィニステーラの道 ルピュイの道の合計2000kmのKMLファイルが完成したので公開する。Camino de Le Puy (Le Puy-en-Velay-SJPP Ext.Geneva,Konstanz,Prague(GR65)、Figeac--Rocamadour--Cahors(GR6))Camino- Francés、Camino a Finisterre 先週はこのうちのフランス人の道をトレースしている最終段階でファイルを削除してしまい腐っていたが、改めて800kmをトレースしてみた。こつが分かってきた。「主要都市の中の地図は詳しく、あとは直線で」という方針に切り替えて、再度caminoルートをGoogle Earthでトレースしてみたのだ。「直線で」という姿勢も、どのpoint間を直線で引くかは匙加減であるが、それでも大体はコース上をマッピングしたつもりである。超詳細に道を辿るのは無限に時間がかかるが、ある程度目をつむるという姿勢であればたいへん能率がよい。フィニステラまでの分も加えることにした。とにかく、メインルートのCamino- Francés(フランス人の道)とCamino a Finisterre(フィニステラの道)は歩く人が多い。ここではパンプローナ、ブルゴス、レオンなど大都市の中では標識が少なくだいたいが苦労する。村々も含めて人口密集地帯はより詳細に、一本道は手を抜くという手法であるが、曲がり角はランドマークとして詳細にマーキングした積りである。元データは「https://mapacaminosantiago.es/gps/caminofrances/caminofrances.zip」にある公式のものである。フランス人の道(フィニステラまでの90kmを追加)(SJPP--SC--Finisterra)・・フランス人の道+フィニステラの道KMLファイルル・ピュイの道(ロカマドール周辺の地図を追加)(Le Puy-en-Velay-SJPP ,Figeac--Rocamadour--Cahors )・・ル・ピュイの道(GR65,GR6)KMLファイルProfile of Camino- Francés and Camino a Finisterre(フランス人の道のプロファイルとフィニステラの道、)参考までに、パリ→ボルドー→イルン→北の道、イギリス人の道、ポルトガル人の道、camino de Cádizを含むturbo717の2016年ヨーロッパ縦断のKMLファイルを示す。「北の道」「イギリス人の道」「ポルトガル人の道」「カディスの道」は参考になるのかもわからない。「北の道」「イギリス人の道」「ポルトガル人の道」「カディスの道」を含むヨーロッパ縦断map利用の仕方・・リンクをクリックしてダウンロード。Google Earth、Maps.Me(オフラインmap)、Geographica(同)で利用できる。Maps.Meではブックマークのアイコンを押すと、先にダウンロードした複数の”フランス人の道”を消すことができる。Geographicaでは、ファイル→トラックのアイコンで表示するトラックを消すことができる。特に都市部は詳細なルート図となっているので、現地でで分らなくなったらこの地図を参照ください。また、caminoをまだ知らない人は、Google Earthがよいかもしれない。どんどん拡大していくと航空写真ながら人の影まで確認でき、臨場感が湧く実際の旅のモードにスイッチできる筈である。全部を見るのに1年はかかるかましれない。その他の巡礼路や、旅装束など、データベースは下記に掲載。参考書も含めて記載されている。これらはブックマークに保存しておくと便利かもしれない。巡礼路データベース旅のお供にどうぞ。■余談であるが、今回のCamino- Francésの再トレースでは、空中からフランス人の道を散策させてもらった。拡大していくと過去に歩いた道が走馬灯のように思い出し涙す。下記「徒然の記その5 トレイルズ」でも触れるが、町に「道」が出来る過程をつぶさに見ることができる。目的を持った人が方々から来て教会を建たてたり住居にしたりして町が造られていく。八方から町に至る道(トレイル)が出来上がる。さてその後自動車文明が押し寄せた。より高速で車を通行させるためには比較的真っすぐな道が必要になる。しかし町のど真ん中に通してしまったら町を破壊してしまう。町を迂回しながら接近する。更に高速の自動車専用道路は町からはるかに離れた場所に建設する。しこうして町は静寂を保たれる。すべての町に共通する構造が伺える。一例をCarrón de los Condes(カリオン・デ・ロス・コンデス:GPS 42°20'14.51"N, 4°30'9.52"W)にも見出される。この宝石のように美しい町の構造を縫って行くのがcaminoである。巡礼道の素晴らしさはこういった静かな町々を訪れていくことではないだろうか。trails in the city of Carrón de los Condes(カリオン・デ・ロス・コンデスの道路網赤線が巡礼路、高速道路のICから町中心部へは2km。徒然の記その5 トレイルズ~「道」と歩くことの哲学~ 2018.4.13(金) ■アパラチアン・トレイルを踏破したいと語る愚息から一冊の本を借り受けた。On Trails an Exploration・・・Robert Moor(ロバート・ムーア) 著 岩崎晋也訳アパラチアン・トレイル(AT)とは、南部ジョージア州スプリンガー山から北部メイン州カターディン山までアパラチア山脈に伸びる全長3500km、幅300m~500mの自然保護区域(原生自然)に設置され管理されている道である。帯状の領域はアメリカで最も長く、最も細い国立公園となっている。森林局員ベントン・マッケイの提唱した構想をもとに1937年開通した。部分的なハイキングも含め、毎年200万人もの人が歩く。21世紀になった今日、北米からヨーロッパにかけて残る旧大陸間に跨るアパラティア山脈の痕跡を辿ろうとしてアイスランドを頂点として東西両大陸につらなるスーパー・トレイルの構想が持ち上がっている。フロリダから、モロッコ南西部の町アンティアトラス山脈のタルーダントまでの12,000kmのインターナショナル・アパラチアン・トレール(IAT)である。この書は、トレイルの発生した原始からの歴史を辿りながら「道とは何だろう」と考える哲学書となっている。一本の道は人間よりももっと前に動物やそのもっと前のアメーバー時代から動物の移動ルートであったという。獲物を得るための動物の通る道が次第に形を成していったものではないかと。ハイキングで我々が通る道もそのように次第についていったのかもしれない。往々にして最短ルートであったり、目的の植物が植わっている場所への道だったりする。峠を通るコースや難所を迂回するルートなどが何千年もかけて自然発生的に生まれていったのだとする。”トレイル”と名の付く道は、原始のまま残された道ではなく、十二分に管理され維持されており、その上を通る人に適正に保たれなければならないのだという。例えば、もし設置した階段を使わず横の土道を通ると、足の踏み跡が水路となり土は削られていくのだと。AITは、北米だけだと、フロリダからニューファンドランド島まで8000km。アイスランドからスペイン、モロッコまでは全長12000km。北米3冠のトレールは、アパラティアン・トレイル、パシフィック・クレスト・トレイル、コンチネンタル・ディバイド・トレイルであるが、その他に12のナショナル・シーニック・トレイルがあり、これらを全て踏破したノマドという人物は、15年間で54,000kmを歩いたという。荷物はたったの4.5kg(エナジーバーやトレイルミックスなどの携帯食やピーナッツバターなど。これらは120g当たり 300kcalの発生エネルギーがある。)で1日50kmくらい歩く。もう仙人である。AT構想提案者マッケイは言う・・トレイルの使命とは、・歩くこと・見ること、そして・自分が何を見ているかを見ること徒然の記その6 再び孫 2018.4.13(金) ■国会が荒れている・・その余波は孫にも影響が及んでいるのだ どうにかして欲しい。父親は徹夜か朝帰りであるという。孫を子供園に送りにいく係がいない。母親の朝は早く6:45には家を出ていく。その後7:30に孫を起こす。父親は職場が近いため9:00出発でも間に合うという。そこで普段は父親が朝ご飯を食べさせ子供園に連れて行く。ところが、国会のあおりで上記のような次第で爺の出番である。「まかせておけ」とばかりに朝一番の電車で娘の家に。6:25には到着した。ご飯の準備や洋服の着せ替え、出かける服などの説明を受けバトンタッチ。早朝に帰った父親は寝ているという。11:00には出勤するようであるが爆睡しているらしい。ウインナーソーセージ6本をフライパンで焼く。パンも焼く。苺や葡萄、牛乳、ヨーグルトと一応食卓の準備をし孫を起こしにいく。なんとこちとらは、4:30にはカミさん用の朝餉の準備をし、またしても7:30に孫の朝食と2度の準備である。小生の朝ご飯は早くも4:45には終わっている。7:30 孫を起こしにいく。父親は早く出かけたと嘘をつく。「もっと早く起きればよかった。」と悔し泣きをする。知恵がついたものだ。食事は「30回噛むべし!」と教える。カミさんの教育を失敗したのでこちらへ転嫁。しっかり噛んで食べている。○○チャンはぺちゃぺちゃと音を立てて食べる。と言うがこちらはお上品だ。口をつむって食べている。独力で30分も食べているが食材が一向に無くならない。8:30には出かけなければならないのだ。こんどは口の中を開けさせて何もなければ抛り込むようにして催促である。漸くすべてを食べ終わった。なかなか上等である。夜は着けていたオムツを脱がせ、パンツに替える。下着などを着せる。まさに言われるままの着せ替え人形である。まだ3歳1ヶ月なので大変である。子供園の制服を着せ、帽子を被せる。リュックや水筒は重いからと持たない。さぁ、700mの歩行が始まった。子供園がある場所まで一本道。時間は8:45.あとまだ400mある。100m3分とカウントしたので、到着は8:57と計算。9:00までに先生に引き渡さねばならぬ。すこし急がせる。よちよちと15cmくらいの靴を交互に進む。手は洗ったものの口の周りを拭くのをわすれた。食べ物の跡が付いている。玄関到着は8:54セーフ。水道を探したが見当たらない。後できた女の子の水筒から水をもらい受ける。すこし口の周りを綺麗にする。下駄箱の上にタブレットが置いてある。「○○」組をタッチ。名前も一覧が出てくるので、そこをタッチ。到着時間がインプットされ、登園が記録される。便利なシステムである。担任の先生に引き渡し小生の役割は終了。晴れた4月のある1日。なかなか面白い1日の始まりであった。
Apr 14, 2018
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La Bohème_ story (4339)2018.4.7The condition of my nose is strange since 2nd April I had a cherry blossom viewing at Sotobori Park in Ichigaya .Sneezing and runny nose will not stop. It is a typical hay fever pollen allergy doctor says. I had inhaled more pollen than allowable for age.Help me!4月2日に市ヶ谷の外濠公園で花見をしてから鼻の調子がおかしい。クシャミと鼻水が止まらない。help me!Hanami Banquet(市ヶ谷 外濠公園 2018.4.2)桜の花びらが風に飛んでいる。葉桜になりかけの時期に花見の宴を開催した。予算は1人 800円!目次徒然の記その1 孫たち帰る 入学式徒然の記その2 朝餉の準備に変化徒然の記その3 葉桜の花見 徒然の記その4 Viola-Lesson徒然の記その5 台所の支配者は誰?徒然の記その6 オペラ La Bohème ラ・ボエーム徒然の記その7 歩き塾・真鶴徒然の記その8 Camino-Francés KMLファイル徒然の記その9 クヌギの葉っぱ徒然の記その1 孫たち帰る 入学式 2018.4.1(日) 、4.7(土)■小1、小4の名コンビの孫たちが親に迎えられて帰って行った。2018.4.1 pm7:30。両家の親たちは忙しい。息子は青梅であったトレイルランに出場している。小生は昨日は知人の家であったホームコンサートに、日曜日朝はオケであるから。子供たちはそれを意に介することもなく、両親の叱責や強制の罠から逃れ、始終のびのびと羽を伸ばしたようだ。まぁそれが目的で1泊のお泊り会であったのだから。ピアノのもとで午前中は熱心にさらったようである。坊主の方はアップライトを使いF1のテーマ音楽をラップ調で弾き妹のピアノを邪魔したようであるが。小生は何処かに出掛ける時は朝が早い。この日も一緒の部屋に寝ていた孫たちは5時半には起きて、台所にいる小生を手伝う。朝餉の準備をしホームベーカリーパンをセットするのだ。6時には食べ始める。目玉焼きを固めに作ったので残さずに食べた。キャベツも当家の流儀に従って葉っぱをパリパリと食する。リンゴが好きそうなので沢山剥いてあげたが、この皮も食べるという。午前中からクッキーを作ったりしながら皆が揃うのを待ったようである。この孫娘が今日4月7日(土)入学式を迎えた。保育園で同じだった友達は近隣の10の小学校に散っていき同窓生は居ないんだと。そのかわりパパ友の息子が隣の席に付いていた。蝶ネクタイをしていてめかし込んでいた。ピカピカの小1 あらゆることを吸収して健やかに育ってほしい。徒然の記その2 朝餉の準備に変化 2018.4.2(月) ■業界では常識? パンを焼くとき、2分間トースタを空焚きしたのち次の3分間でパンを焼く。これがパンをフワフワに焼き、かつ焦げ目を付ける方法であると。3月から実施をしだした。而してカミさんを起こしにいく8分前ががぜん忙しくなってきた。7:28・・7:53の項目を予想し、残り枚数が1枚以下の場合は、ホームベーカリーのセットを始める。(以下 同時進行型なので赤字が加わる7:29・・強力粉を250g計り、容器に入れる(回転翼の羽がちゃんと付いていることを確認)。7:30・・食卓を整える。朝餉の什器等諸準備。7:32・・スキムミルク、砂糖、塩、バター、水を所定量 容器に入れる7:39・・ホームベーカリーをセットする(4時間後に出来上がる)、ドライイーストを所定量を計り内蓋に入れる。この時の時間をhh:mmとすると、hh:mm+20分をガラ携のタイマーにセットする。7:40・・湯を沸かし始める。バナナやりんごを切る。7:45・・湯が沸騰する。その火にフライパンを掛ける。20secほど空焚き。油を引き、予め切ってあったソーセージを載せ、その上に卵を割り入れる。卵の下にソーセージが沢山あるものは小生用。卵を割り入れた秒数(nn)を記憶し。nn+60秒後で水を少々入れ蓋をし火を止める(蒸らす・・蒸らし終わると卵が薄い白い膜に覆われている。)7:50・・キャベツの葉っぱを2枚ほど剥く。火曜日は作業手順が一枚加わる。中の芯を5角錐に抜き、それに水を付けたテッシュを埋めておき乾燥を防ぐ。芯は捨てずに全部食べる。7:53・・トースターを5分にセット。その間にパンを切る。2枚のうち、一枚は2cmほど切って先に食べておく。(これ時間差攻撃である。負けないための必殺技)7:55・・トースターにパンを2枚入れる。7:58・・パンが焼ける。皿に移す。小生用にはハムを載せる。フライパンの蓋を取り目玉焼き画」出来上がっているので、2つに分け、パンの上に載せたり(小生用)、パンの横に置く(カミさん用)食卓に運び入れる。この時刻にやっと全てが食卓に整う。7:59・・和室の雨戸を開ける。7:59・・ドライイーストが落ちていない場合は箸でチョンチョンと中に押しこむ。雨戸を開けに行っている場合でもポケットにあるタイマーが教えてくれる。8:00・・カミさんを起こしにいく。逆に8:00前にカミさんが自力で起きてくる時がある。この時はややこしい。すべての順番を繰り上げ不測の事態に対処する。徒然の記その3 葉桜の花見 2018.4.2(月) ■元サラ文(サラリーマン文化芸術振興会)の24名が、市ヶ谷の外濠公園に集まった。たまたま会員全員のメールアドレスのデータベースを所有していたのでメール係を仰せつかって10人ずつへ12,3回ほどメールを出し続けたのである。一度に大勢出してしまうと、サーバー側でセキュリティーにひかかるため小出しにした。携帯→携帯しか受け付けない人は携帯から連絡する。これらが功を奏したのか多くの方々から返信があった。癌で行けないという人も。■恒例の「マラソン」は去年は自宅から42kmも走って足が吊ってしまったので、今年は距離を半分として調布からの21kmとした。ツムラ68番を事前に服用してのrun。京王線が調布近辺を地下にしたため真上が走れ初めての道も含まれる。また以前玉川上水歩きで通った箇所も一部合流する。調布市仙川町にQewpie(キューピー)の仙川キユーポートがある。ユニークな外観を甲州街道側に見せている。runningコースはここも通る。多数の新入社員であろうか、仙川駅から降りた人達が続々とやってくる。今日は特別な日なのである。「幡ヶ谷」という駅の西側で新発見。新宿行きの特急など多数の電車が通る大幹線のレールが一車線分残っている。その区間が200mくらいある。いままで気が付かなかったが、上りが地下化できずに上を走っているためで、幡ヶ谷直前で地下に潜って行く。小さな踏切が一箇所ポツンと残っているのだ。甲州街道からわずか10mしか離れていない場所にそれはあった。■木戸銭として一人1000円徴収。みんな差し入れを何かかんか持ってくる。それにも救われ、コンビニと土手べりを何回か往復するうちにななんともう6時間も桜の下で粘っている。会計が余ってきたことがわかったので一目散にコンビニへ走り、この時期まだ商売していた「おでん」を全部下さいと。こんなタンカを切ったのは初めてである。全部買い占めても5000円弱。残りを100円玉に替えてもらい、全員に200円バック。なんと7時間いて1人800円 の飲み会であった。こんな愉快な会はない。全員満足して帰宅?■いや、まだ二次会がある! そこで案内したのが、セルバンテス文化センターの帰りに寄った「芝浦食肉」の店。文京区に住む御仁はいたく感動し「また行きたいお店のひとつになりました」と。ジャパネットturboは声をからして言うのだ。もう6000円や8000円会計の集まりは止めて欲しいのだ。安上がりでほっぺたが落ちるほど美味しい会合はいくらでも出来ると。徒然の記その4 Viola-Lesson 2018.4.3(火)■最高気温25度。もう半袖でもよいくらいの暑さ。Violaレッスンはブラ3を中心に。・Allessandro RollaのDrei Duosは第2曲目2番のMinuertto au Rondeau(メニュエット・オ・ ロンド)の140小節を仕上げる。デュエットでは、sf、fやpも合わせるタイミングになると。16分音符♬を慌てないこと。・ブラームス交響曲第3番の4楽章を特訓。sotto voce(ソット ボーチェ=(sotto:より少なく)+voce(声、声部):音量を抑えて)の箇所は彷徨(さまよ)う感じを出している場所であるが、音量が大きいと。八分音符(♪)+付点四分音符(♩+♪)がタイで連なった箇所では最初にアクセントがありながら全体でdim.(ディミヌエンド)。この箇所では八分音符(♪)を16分音符♬2つとして半分までがアクセントで後は抜いて、dim.にしていくのだと。細かいのだ。ブラームスの指示通りにしないと音楽にはならないと。臨時記号が続く箇所など超難関パッセージ(C3,Dis3,Gis3,Gis3,Cis3,H4,A4,G3,Fis3,E3,H4,Fis3,Dis3,・・)は Fis3を少し高めに取ると美しいメロディーになるのだという。がむしゃらに練習するのではなく、音程を頭に刻んで心で弾けと。全体拙速である、ffの箇所なのに羊羹のように均等な厚さに成ってい無く、次第に薄くなっているのだと。八分音符(♪)をしっかり出せと。自分が思っている以上に音が痩せているのかもしれない、最弱音から最強音の持続も勉強しなければならない。あぁ、難しい。知人が「もうViolaって地味な楽器ではないのです。」と言っていた。この方は日経を読んでいたのだ。4月2日にこういう記事が載っていたからだ。”オーケストラの中で、ビオラは地味な存在だ。しかし近年、室内楽やソロでも活躍する奏者が増えている。ビオラが主役の演奏会やCDもある。もう、バイオリンの陰にいる楽器ではない。「私がバイオリンからビオラに転向した二十数年前、親は悲しくて泣いていた」。こう打ち明けるのは、ベテランの川本嘉子だ。かつては、バイオリンに“挫折”した奏者がビオラを手にするものだったからだ。”いまではsolo活動をするViolistも居るし、楽曲も増えてきている。いまにみていろ!「turbo717 Violaを奏でる。」とデビューを30年後 夢見て。徒然の記その5 台所の支配者は誰? 2018.4.4(水)■別宅にある台所のステンレス台は長さが2間。360cm。この中にレンジ90cm、シンク90cmがあるので、左右で180cmがステンレス・テーブルである。左側の半分はミキサーなど物置になっている。このステンレス台を毎日ピカピカに保つのが小生の役割。0.5mmのゴミも残さないのだ。食洗機はもうお払い箱にしてあるので、洗った食器類はカゴなどで水を切っているのであるが、料理を始める前にそれらを全部reset、つまり元に戻しておいて欲しい。片付けも小生の役割となっている。フライパンを使った料理では、直後にフライパンを洗うのが小生の流儀。鉄器が暖かい内に処理したほうが効率がよいのだ! と。独り言。こういう時に、「台所の支配者は誰?」と叫びたいのだ。かって、ブラームスのピアノ協奏曲第1番で、指揮者のバレン・ボエムとピアニストのグレン・グールドとの共演でどちらに合わせるべきであるかと議論になった時がある。断然ピアニストに合わせるのだと。では料理はどうだろう。メインディッシュ制作者の流儀に合わせて、フライパンは食後に洗う としたほうが、「美味しい」のかもしれない。台所の始末よりも、暖かい皿を優先すべきである!のであろうか。徒然の記その6 オペラ La Bohème(ラ・ボエーム;Bohemia(ボヘミア)) 2018.4.5(木)■METライブ・ビューイングで「ラ・ボエーム」を東銀座・東劇で高校の仲間 計7名で楽しんだ。いずれもオペラ大ファンの人々である。NY、ドイツ、オーストリアでも観ている人々はお目が高い。悲劇のオペラだったので今日は泣いた。こんなに泣いたのは久しぶりである。4幕など最初から涙腺が緩み、花粉症の鼻水とあいまって、ティッシュやハンカチが外せなかった。《指揮》Marco Armiliato(マルコ・アルミリアート)、《演出》Franco Zeffirelli(フランコ・ゼフィレッリ)、《ミミ:お針子:屋根裏に住む》Sonya Yoncheva(ソニア(S)・ヨンチェヴァ)ソプラノ、《ロドルフォ:詩人:屋根裏に住むボヘミアン(チェコ西北部)》Michael Fabiano(マイケル(M)・ファビアーノ)テノール、《マルチェッロ:画家:同》Lucas Meachem(ルーカス(L)・ミーチャム)バリトン、《ムゼッタ:歌手:マルチェロの元恋人:浮気者》Susanna Phillips(スザンナ(S)・フィリップス)ソプラノ・・最後はミミを介抱し、薬を買いに行く。《ショナール:音楽家:同》Alexey Lavrov(アレクセイ(A)・ラヴロフ)バリトン、《コルリーネ:哲学者:同》Matthew Rose(マシュー(M)・ローズ)、バス《ブノア:家主》、《パルピニョール:行商人》、《マルチンドス:参議員:金持ち、ムゼッタのパトロン》など。パリが舞台のプッチーニ(1858-1924)のオペラ。舞台設定は1830年のパリ。登場人物の多いオペラである。2幕のカルティア・ラタン近辺、カフェの辺りは喧騒のうず。100名くらいの人々が行き交う。まさしくクリスマス・イヴの夜である。今回もL列という通路に面した特等列に我々は陣取りライブビューイングを鑑賞。実際はNYで2018.2.24(土)のマチネに行われたオペラである。この夜には別の演目もあったという。20t台車3台がフル稼働で舞台の転換を図っている。大変な忙しさだ。2次会を銀座6丁目にある洋食レストラン「あづま」で5人が談笑。このMETライブビューイング・オペラの来季(2018-19)は、アイーダ、コジ・ファン・トゥッテ、指輪など大作が目白押しである。11月から忙しくなる。徒然の記その7 歩き塾・真鶴 2018.4.7(土)■昨夜は暴風雨であったという真鶴。朝から快晴である。しかし風はまだ強く陸上で10m海上で15mほど。吹き飛ばされそうな勢いである。今日のコースは標高にして0-96mのup-downがある。startから5kmの箇所にバス停があるので、エスケープも可能である。当初は荒井城址の枝垂桜がメインであったが、一本だけ垂れ桜がか細くあわく咲き残っていた。。コースは、真鶴駅→荒井城址公園(しだれ桜)→尻掛(しっかけ)海岸→中川一政美術館(通過)→樹林帯(「御林(おはやし)遊歩道」→「森林浴遊歩道」)→「番場浦遊歩道」→「潮騒遊歩道」→三ツ石海岸→展望台→ケープ真鶴(バス停 ここまで約5km)→(樹林帯)→灯明山、佐々木信綱石碑→琴ケ浜→貴船神社→魚市場・真鶴漁港→鵐窟(しとどいわ)→W邸(WC、休憩)→真鶴駅 約12kmこの真鶴、大学時代を含めて何回来ていることだろうか。それでも島内の道はまだ全部踏んではいない。江戸時代初期にはこの半島ススキの原っぱだったようである。江戸で続いた大火のために植林が推進された。これが小田原藩が植林をした「御留山」(別名御林(おはやし))であり、樹齢300-400年のシイ、クス、マツの鬱蒼たる樹林帯を誇っている。魚付き林として漁業に役立っているため、今は地域の人達が守っているという。今日はこの後、夜の部が待っている。W邸に戻りViola+Piano、Vocal付きの饗宴が待っているのだ。おやすみなさい。徒然の記その8 Camino-Francés KMLファイル 2018.4.6(金)■あぁ なんということか、700kmばかりの詳細地図を作製していたのに、何かのはずみで消えてしまった。コンピュータのゴミ箱を漁ってみたが頭が混乱して探せない。夜を日に継いで1Wも修正してきたのが水泡に帰した。しかしSarriaまでの6ルートくらいのヴァリアント(別ルート)を入れたファイルなどが残っているのでDropBoxに挙げてみた。いつか落ち着いたら、1からトレースしてみよう。もう道は頭にある。一旦ラフに作ったトレースを編集するのは労力がいる。地図のドラッグをしようとすると無数の点々が付加されてしまい処置に困ってしまったのだ。修正場所を固定した上でその範囲にあるトレースしか修正できない。どれだけ能率が悪かったかだ。その修正作業の一環として「削除」キーが押されてしまったのだ。この修正作業では2004年と、2010年の2度のCamino Francésの旅を航空写真で思い出すこととなった。道を誤った箇所などがつぶさにわかる。トレースしていても難しいのが、大都市の迷路である。もっとも難しいのがPonferrada(ポンフェラーダ)ではないだろうか。この時はスペイン人2人と歩いていたのにも関わらず、道を間違ってしまっていた。結果としては近道をしていたことになるが、かなり北側をぐるっと回るというcamino道となっていてわかりずらい。さらにメセタでは乾いた大地が延々と続き、砂漠を思わせる。何人のcaminoが行き倒れたことだろう。無理をせずこういうところは交通機関に頼ったほうがよい。逆に森のふかふかの道はいくら遠回りしても気持ちがよいものである。Villafranca del Bierzo(ビジャフランカ・デ・ビエルゾ)からO Cebreiro(オ・セブレイロ峠)までは高速道路の無粋な高架下を幾度もくぐるが、山コースが用意されているので登ってしまうというのはどうだろう。ヴァリアント道も多くあるため次回行くとしたら前回通らなかった道を通るなどの選択肢が出てくるはずである。以下をクリックするとGoogle Earthに取り込まれる。ファイルは、Maps.MeやGeographicaにダウンロードすることができる。**4月14日のBlogをご覧ください。** 徒然の記その9 クヌギの葉っぱ 2018.4.6(金)■葉っぱの数はだいたい300万枚と踏んでいる。秋に2/3が落ち葉となるが、残りの1/3は枝にしがみ付いて冬を越す。桜が咲く時期に、漸くこの枯れ葉が落ち葉となって路上に散りゆく。毎日3万枚掃いて1ヶ月かかる勘定である。新芽が動き始め小さな若葉が顔を出す瞬間がたのしい。世に言う。「新緑」の季節の到来である。
Apr 7, 2018
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Cherry full blossom _ story (4338)2018.3.31Cherry blossoms are already full bloom and wind scatter pieces of petal heartlessly. I want to see more longer. I would like to taste the seasons more slowly.桜が早くも満開となり風に吹かれて散り始めて居る。あぁなんと咲き急ぐものか! まって欲しい。季節の移ろいをもうすこしじっくり味わいたいのに。kite fly overhead(鳶が真鶴-三ツ石海岸の上を飛ぶ)( 2018.3.2)対岸は熱海目次徒然の記その1 Camino- Francésのコースmap(KML)徒然の記その2 宝篋山(ほうきょうさん)-筑波山登山徒然の記その3 小さな孫と戯れる 徒然の記その4 川崎ミューザ徒然の記その5 ホームコンサート徒然の記その6 小学生は春休み徒然の記その7 桜満開徒然の記その8 ためしてガッテン徒然の記その1 Camino- Francésのコースmap(KML) 2018.3.26(月) ■Camino Francés 791km(SJPP-SC)・・このKMLファイルを自作してみようと突然思い立った。前の日に娘の作ったチョコラとピーカン入りのケーキを食べたせいで夜半から目が冴えてきた。約800kmに及ぶルート図をガイドブックなどから、Google Earthでトレースをしたら皆が助かるのではないかと。100kmで1日かかる作業なため、8日間もGoogle Earthを点けっぱなしにして一本の線を描くとなると大変な作業となる。途中で電源が落ちれば元も子もなくなる。良い方法はないものかと寝床のなかで悶々としていたのだ。そのときチョコレートのおかげか、カフェインで刺激された頭が回転を始めた。良い方法があるぞと。概略図面を1日で作成しおわり、詳細の修正は後日行っていくものとする。大都市などは詳細に、あとのcamino道は、ほとんどを直線で結んでしまい800kmを一気に入力するという方法である。Google Earthのトレース機能は、プロパティで修正が効くのである。それでも最初の100km(SJPP→Los Arcos近辺)は省略せず詳細に描く。あとは村々を直線で結んでいき手を抜く。このようにして求めたのが、2018_camino france KMLの初期Versionである。DropBox上に置いたファイルをダウンロードしていただければ、下記のような図がGoogle Earth上で立ち上がる筈である。Camino Francés 791km(SJPP-SC)(フランス人の道 KMLファイル)( 2018.3.26)元データは「https://mapacaminosantiago.es/gps/caminofrances/caminofrances.zip」にある公式のものであるが、現在の巡礼者は学習を繰り返し、さらに近道を模索している。どうしてそれが分かるかと言えば、SNSで写真を投稿するときにGPSが付いていればGoogleが吸い取るので、撮影場所がフィードバックされる。その点が点々となり道を形成する。Belorad of Camino Francés(ベロラド近辺の作業画面( 2018.3.26)左が作業画面・・赤い点々を微修正、右がオリジナルの地図徒然の記その2 宝篋山(ほうきょうさん)-筑波山登山 2018.3.27(火)■すでにピンク色の鮮やかなツツジが咲いている宝篋山(460.7m)に登ってきた。登山口は「小田休憩所」。土浦駅から直線で11.6km、バス路線で約13km(30分)。つくばエクスプレス線のつくば駅からは直線で8km、小田シャトルバスで12km(小型のバスでテクノパークなど公共施設をぐるぐる回るので40分以上かかる)。コースは近道の「極楽寺コース3.5km 登り1時間45分」、遠回りの「常願寺コース4.0km 登り2時間10分」。下りは「山口コース(1) 3.5km 下り1時間20分」というのや色々。山頂に宝篋(ほうきょう)印塔があり宝篋印陀羅尼経が納められている。 関東の「富士見百景」に選ばれている。漢字が書けないほど難しい字の山でもある。筑波山(北北西 290度の方向 7km)を眺望する絶景スポットであろう。コースタイムは、小田休憩所 8:45 山頂9:33 出発9:51■さて、ついでに百名山の筑波山(登山口は「筑波山神社」か「つつじが丘」。神社入口バス停は、土浦駅から直線で18.7km。つくば駅からは直線で16km)に登ってきた。筑波山神社入口バス停の標高が215m。つつじが丘が550m。双方からの登山が一般的。なので、それと比較するとこちとらは麓の40mからの死の狂軍である。ほとほと疲れたが、「つくば道(県道139)」という一本の街道がまっすぐ北に向かっているその街道は景観が最高。この道を歩まずして筑波山を語ってはいけないと思うほどの圧巻の景色であった。「宝篋山-筑波山登山」の意味がそこにあるのではないだろうか、バスで行く場合でも土浦駅から筑波山口まで行くバスに乗り、大池で降りて、「つくば道」を歩くことをお勧めする。5kmほどの街道は家々が立ち並び昔の面影を今に伝える。最後は胸突き八丁で筑波山神社に辿り着く。コースタイムは、筑波山神社の脇(白雲橋(しらくもばし)、迎場(むかえば)共通コース入口) 11:47 女体山・山頂 12:55 男体山山頂 13:38 御幸ヶ原コース下山 13:44 筑波山神社14:35 筑波山神社入口バス停15:10 TXつくば駅着 15:48 つくばエクスプレス15:50 ■ガマの油・・筑波山の北、おんばこというつゆ草を食べて育ったという四六のガマ(前足が4本指(退化)、後足が6本指(5本+骨の瘤)のニホンヒキガエル)。神社境内では土日には「ガマ油の口上」があるという。店先に軟膏の「ガマ油」を売っていた(600円)。ここのおじさん説明に気をとられ、商品を包み忘れたらしい。家に帰ると口上書きしか残っておらず、肝心の「ガマの油」をもらい損ねた。こちらもせっかちだからお金を払ったらもう忘れている!600円の授業料を払ったと思ってガマんしよう。今度行ったら言わねばならぬ「貴方 ちゃんと商品を袋に包んで、客の手にしっかり渡すこと!」■百人一首の筑波嶺(つくばね)筑波山は男体山(871m)と女体山(877m)の双頭峰である。この中間にあって、南下して桜川に注ぐ川が男女川(みなのがわ)。この源流が登山道にあった。桜川は土浦駅の近くを通り霞ケ浦に注ぐ。清く澄んだ川で百人一首にも詠まれている。筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがは)恋(こひ)ぞつもりて 淵(ふち)となりぬる 陽成院(ようぜいん)『後撰集』恋・777■全コース測定・・本日のコースの全長は18.9km 最低14m 最高 877m 累計高度 +1534m -1333m みなし距離は、18.9km+1.534x10+1.333x7=43.6km 測定時間 6時間20分 2,326kcal1日の全カロリーを消費した感じである。消耗が激しい。フルマラソンと同様の筋肉疲労・・一般人は真似してはいけません。女体山山頂で、芍薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ)68番を服用し、足の吊りに備えたのが功を奏した。御幸ヶ原コースの下りにある何百段もの階段や、岩石の不揃いな段差を下るコースでは急ぐことは禁物。当方も一回転びそうになる。前を行く青年は何回も転んでいた。疲労が溜まっていたのだろう。余談だがこのコースの最低標高は14mしかない。水田にポッカリと浮かんだ感じの山系である。■高尾山と比較・・この筑波山。2,3歳くらいの幼児が岩に張り付いて登って来る。手足に粘着材が付いているのかと思うぐらいに岩に密着しながら這い上ってくる。こんなに高い山を、しかも頂上は2,3人しか立てないくらいに尖がっているというのに、余裕でニコニコと笑う。こんな山を見たことがない。ケーブルカーの到着地点の御幸ヶ原は運動場のように広く、食堂と土産物屋を兼ねたお店が4軒も横に並んでいて微笑ましい。山の上は遊園地である。そこで、我が家に近い高尾山と、筑波山を比較してみた。高尾山・・登山口・・最寄りの駅(高尾山口)から300m。高さ・・599.3m 寺院・・薬王院 ケーブル・ロープウェイ 有り。秩父山系の東端。明治の森高尾国定公園。年間登山者260万。東京駅から高尾山口まで・・時間・交通費(1時間20分、1042円)、関東ふれあいの道の経路(一丁平以西))筑波山・・登山口・・最寄りの駅(つくばエクスプレス・つくばから直線で16km、土浦から直線で18.7km。高さ・・女体山877m、男体山871m、三角点は女体山側にあり875.7m 寺院・・筑波山神社、薬王院(西側)、ケーブル・ロープウェイ 有り。雅称は紫峰(しほう)。別名・・筑波嶺(つくばね)。西の富士、東の筑波。水郷筑波国定公園。年間登山者200万。日本一低い百名山。違法なルートが130ほど存在するが、ほとんどは国有地。東京駅から筑波山神社入口まで時間、交通費(約2時間、約2100円)、関東ふれあいの道の経路。Tsukuba-road (つくば道)( 2018.3.26)前方に筑波山(snap)( 2018.3.26)徒然の記その3 小さな孫と戯れる 2018.3.29(木)■家族がピアノリサイタルに行っているので、孫と一緒にお風呂に入り、絵本を読んで寝かし付ける。初台にある東京オペラシティーでのコンサート。ここに次女が聴きに行っているのだ。バスで25分ほど。都会って便利なところだ。相模原からは1時間半はかかる。終演が21:10.サイン会などをパスすれば21:45には帰ってくるだろうか。父親は歓送迎会で遅いという。やっと爺の出番である。この3歳の孫、車には慎重である。遠くの方でバックで止まっている車でも赤ランプが付いている限り前に進まない。子供園から700mの道のりに要する時間は30分と亀の進みである。普段は親が自転車に乗せて連れ帰る。夕食が終わったあとはプラレールでさんざん遊ぶ。きかんしゃトーマス号は秒速10cm。新幹線は秒速30cm。3倍の開きがある。3mの長さのプラレルー上でぶつからないようにするためには、"大阪駅"で新幹線を待たせ、トーマスが近付いた瞬間に、新幹線を動かすのだ。その間隙1cmくらいの絶妙なタイミングで、新幹線をスタートさせる。駅にあるノブで、新幹線を空回りさせているのでノブを下すと走り出すのだ。1分後には駅に戻っている。手に汗する瞬間である。共にお喋りモードで走っているので新幹線はゴーゴーと音を出しながら走り駅に着くと「大阪駅到着」と連呼する。トーマス号は休みなしにゆっくり走っているが、坂の途中で「お腹が空いた」と喋る。孫はすかさず、子供用の台所から水を運んで飲ませる。けっこう芸が細かい。あぁ熱中し過ぎた!plastic-rail TOMY game(プラレール)( 2018.3.29)機関車トーマスが迫りくる。「大阪駅」に停まっている新幹線はノブを操作し発車させる。これは孫の役割。いかにこの差を縮めるかだ!遊んでいる間にもお風呂のお湯を入れているので、時々水位を見に行かせる。「まだ入れない。」と戻ってくる。見に行くと確かに10cmくらいしかお湯が溜っていない。なかなかしっかりした子供である。図書館から借りてきていた絵本を読み聞かせる。短いセリフが書いてある。それを暗記するまでは次のページに進まない。何回も朗読する。暗記できないのは吾輩の方である。簡単な絵本の台詞が覚えられないとは。子供の方が覚えていく。そのうちに眠くなってくるのは爺のほうである。頭が悪くなったものだ。「おじいさんが、うさちゃんのために森から棒を拾ってきて笛を作る」というお話。お母さんが口笛で綺麗な曲を吹くと、それを何度も何度も練習をして吹けるようになったのだと。」聴音ができるうさこちゃん。これはすごい! お布団の横に、ダンボールで作った滑り台が置いてある。両親の労作である。スロープには7枚くらいのダンボールで作られ、土台は縦の丸めた紙で、きわめて頑丈。飛び跳ねてもビクともしない。戯れていると、母親が帰ってきた。孫は目が冴えてしまっている。父親のほうは小生がお風呂に入れてやっているうちに帰ってきたようだ。それにまったく気づかずに、真っ裸で部屋に飛び出したら、帰っていたという次第。全裸を見られてしまった。徒然の記その4 Rafał Blechacz(ラファウ・ブレハッチ)- 川崎ミューザ 2018.3.30(金)■ブレハッチが昨年に続いてピアノリハーサルを行うため桜満開の日本にやって来た。木曜日が東京オペラシティー、金曜日が川崎ミューザ(追加公演)である。昨年の10月10日(火曜日)は忘れもしない。この日は歩き塾で、玉川上水の最終コース17.3kmを歩いている日であった。この夜は、2週間ほどをかけて滞在していたブレハッチの日本に於ける最後のコンサートが東京オペラシティで予定されていた。コンサートを優先するために「歩き塾」をキャンセルした人もおられたぐらいだ。ところがコンサートが氏の体調不良のため急きょ中止になったのだ。今回はそのリベンジとしての特別コンサートである。同じ会場でのコーサートでも、当日の予約席はすべてresetされ新規に予約の受付が行われた。チケット争奪戦の喧騒のなか、2日目のチケットを小生が授かるという栄誉に服した。この週は、我が家に於いてはブレハッチ詣での週となる。満月の日に川崎MUZAに赴いた。18:30 開場、19:00 開演 21:12終演。曲目:・モーツァルト(1756-91):ロンド イ短調 K.511(1787) モーツァルトの数少ない短調の作品。(10分ほど) Pianoソナタ 第8番 イ短調 K.310(1778) Violinソナタ(K.304)と同時期の作品。(14分ほど)・ベートーヴェン(1770-1827):Pianoソナタ 第28番 イ長調 Op.101(1816) 作品番号の付いたソナタ32曲のうちの後期の作品に属する最初の作品。(21分ほど)**休憩**・シューマン(1810-56):Pianoソナタ 第2番 ト短調 Op.22(1839)(18分ほど)・ショパン(1810-49):4つのマズルカ(第14-第17) Op.24(1834-35)・・マゾフィア地方に伝わるマズールという踊りに端を発するポーランドの舞曲(10分ほど)・ポロネーズ 第6番 変イ長調「英雄」Op.53(1842-43)・・オーギュスト・レオに献呈されたポーランドの舞曲、「英雄ポロネーズ」 として超有名な曲。他に「軍隊-」「幻想-」の有名曲があり、どれも劇的な構成で管弦楽のような響きを持つ。指が何本あっても足りないほどの強烈な音楽である。(6分ほど)アンコールはブラームス:6つの小品Op.118より第2番 間奏曲イ長調、ベートーヴェン:Piano ソナタ第2番イ長調Op2-2より第3楽章スケルツォミューザで聴く初めての演奏会である。コロシアム風の楕円の底がステージ、客席は周囲に階段状にぐるりと取り囲む。安い席でも音が周囲から集められよく聞こえるようだ。ハンブルグで見た新しいホール(エルプフィルハーモニー・ハンブルク (Elbphilharmonie Hamburg、愛称: Elphi) )もこの形式を踏襲している。最近の流行りなのであろうか。一階席は2mくらいの壁で囲まれている感じで、音がものすごくクリアである。ブレハッチの弾く指が全部見える特等席であったので、ppppからffffまでの音の強弱が波のように迫ってくる。目をつむっても音の粒が見えるようである。一階センターの11-9という席は、壁際だったせいか、家にあるグランドピアノの最強音で聞こえるピアノ木材の軋む音までが聞こえてくる。ポンと弾けば、遅れてカーンとなるという残響が聞こえるのだ。ブレハッチの指のハンマーがいかに強烈なのかというのを物語る。会場スタッフの人に後で聞いてもそういう経験はないという。音響効果的な残響効果を11-9の席で再チェックしてもらいたいぐらいだ。要するに今日の演奏からブレハッチの進化を目の当たりにし、驚愕の連続であった。■Rafał Blechacz (ラファウ・ブレハッチ)・・2005年第15回ショパン国際ピアノコンクール優勝。マズルカ賞、ポロネーズ賞、コンチェルト賞、ソナタ賞、オーディエンス賞など付属の賞を全て同時受賞。クリスティアン・ツィマーマン(Krystian Zimerman(or :ツイメルマン)、1956)以来30年ぶりのポーランド人の受賞であった。2014年1月には「ピアノのノーベル賞」と称されるギルモア賞(コンサートの実績の評価で4年ごとに選ばれる。アメリカ)を受賞徒然の記その5 ホームコンサート 2018.3.31(金)■旧サラ文のH氏がピアノを弾くというのでホームコンサートが企画された。近くの神田川沿いの桜が満開な折に、そのお宅に12名が結集した。初めて会う人も数人。第一部はクラシックでピアノを弾く人が3人、Violaが 1人。第二部は乾杯と歓談。第3部は同様のクラシック。第4部は、全員が入れ替わり立ち替わりに歌唱や尺八を吹く。H氏は新宿高校出身で保険会社のコンピュータ部門を勤め上げすでに定年も10年になる。ピアノを30年ぶりに始められた。折しも、拙宅には昼前から孫たちが押し寄せている。な、なんと忙しい1日であることよ。ベートーベン エリーゼのために、ヴィオラ:バッハ 無伴奏チェロ組曲1番-プレリュード、サラバンド、ドヴォルザーク ユーモレスクから7番、シューマン 謝肉祭から間奏曲が第一部で演奏された。約30分。第3部では、ヴィオラでは、「J.S.Bach BWV.1068 管弦楽曲 第3番よりAir(G線上のアリア)」、第4部は全員それぞれ何かをやる。ミュージックソー(鋸 音楽)で「浜辺の歌」、尺八、ハーモニカー、ロールピアノ、歌など。この部では四季をViolaで伴奏。あとは駅前の居酒屋で2次会。鎌倉から来た女医はショパンのワルツを弾いた。この方も新宿高校出身という。次回はviola+ピアノで合奏したいものである。徒然の記その6 小学生は春休み 2018.3.31(土)■4月から小1になる孫娘と小4になる”F1ドライバー心待ち”がやってきた。カミさんがまずは対応する。この人にかかったら純和風の教育環境に包まれてしまうだろうか。しめやかに百人一首と。まぁ坊主めくりで涙と喧嘩の狂騒曲であろうが。小生1はおやつにケーキを作って食べたようだ。まだ余っているであろうか。小生が帰ってからは、お絵かきやパソコン関連と、がらりと趣向が変わる。徒然の記その7 桜満開 2018.3.28(水)■咲き急ぐ桜 あぁ、来週月曜日まって待って欲しいのだ。昨年は3/29(水)で市ヶ谷のお濠ばたで行っていた。今年は4/2(月)。葉桜になっているのではないと思うぐらいに慌ただしく桜が満開になっていく。まだ咲き切らない蕾も残っているものの気が気ではない。相模原市の市役所前大通りの桜を見物に行ってきた。Cherry Tunnel in Sagamihara Center(桜のトンネル)( 2018.3.28)徒然の記その8 ためしてガッテン 2018.3.28(木)■NHK総合のためしてガッテンの放送(3/28)が面白かった。いつも見ているわけではないが、2年間の纏めで、人気のtop5ほどを行っていた。1.腰痛・・これは両足の開閉運動(パタパタ運動)で即治るという。40年間腰痛に悩まされた人が1wで治ったと。2.浴槽の防カビ・・50度のお湯を90秒かけるだけでよいのだと。3.アンチエンジング・・耳石(じせき)を刺激するのがよいのだという。時々椅子から立ち上がるだけでもよいのだと。4.低栄養防止・・老人の栄養失調を防止するためには10個の食品群を毎日食べているかどうかをチェックすればよいのだという。肉、卵、牛乳、魚、大豆、油、芋、果物、緑野菜、海藻。これをバランスよく毎日摂取していると老人は長生きするのだという。5.瞑想・・θ(シータ)波がでるような瞑想は、呼吸に集中している時だという。前頭葉のみが活性化されるのでθ(シータ)波がででくるのだという。これは好きなことに没頭する時も同じであると。階段を上がる、草むしり、ゴミ拾い、食べる、ダーツに興じる、はんだ付け・・など集中して行っていると出てきているという。小生は地図づくりではないだろうか。ためになった放送であった。
Mar 31, 2018
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これから40年、大楠山ハイク_ story (4337)2018.3.24The comedian Kimimaro Ayanokoji always say "40 years since then!I planned for the next 40 years to do in stead of this quotation.Laugh away or take it seriously? Aim for anti-old man!あれから40年!を改め、これから40年のやるべきことを目論んだ。一笑に付すか、真面目に取り組むか。脱老人を図る!port of Manaduru (真鶴港の風景 2018.3.2)足元の海面がキラキラと絶えず振動し、透明であった。右上の黒々とした緑が、魚付き樹林帯の「御林(おはやし)」目次徒然の記その1 Violaパート練習、Viola-Lesson徒然の記その2 サンチアゴ巡礼道のワイン講座 「El buen camino」徒然の記その3 歩き塾-山シリーズ 大楠山 徒然の記その4 これから40年! 3月21日徒然の記その5 日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会-巡礼報告会 in 下北沢徒然の記その6 笑って生きているか?徒然の記その1 Violaパート練習、Viola-Lesson 2018.3.18(日)、20(火) シンコペーション(弱拍からスタートする音型)(ブラームス3番、悲劇的序曲)、8分音符x2 + 3連符の音型で、8分音符1つ分ずれたシンコペーション(シュトラウスの「死と変容」)が鬼門で、Viola無しで歌い、Violaを持ってから弾きとこれを練習。パート練習では、運指の確認など。全員やはり「走る」との指摘。拙速に音を出そうとしているとのことで、フライングよりも寧ろ遅れて音を出したほうがよいと。コンサートマスターなどは全員の袂を引くように抑えて行う役割を担っているのだという。それと同じだと。さて、Viola-lesonでは今日も特訓につぐ特訓であった。2時間半の立ちっぱなしの練習で5kgは痩せたのではないだろう。RollaのViola Duoの2曲目のメヌエット部分は3ページもある長いものであるが挑戦。平坦に弾くことがいかに難しいか。小生の演奏を聴いていた先生はこのように表現する。「あかん これでは。左官が壁にパテで塗っている場合に、君のは、出来上がりにむらがあるような仕上がりである。しかもそのパテを塗るのではなく、ペチャペチャと粒を飛ばしているような感じ。完成品は山が盛り上がり、綺麗に塗れてもいなく、隙間もある」なるほど適格な表現である。先生の演奏を聴かせてもらった。丁寧なパテ運びで、厚さも一様で、完成品が見事な一枚の壁となっている! どうしてこうも違うのだ!弓運びなどに恣意的な力を加えているため、塗り斑が出ているのだという。なるほどどうも演歌調にViolaを奏でていた節が思い当たる。無の境地で弓運びを、しかも1秒の狂いもなく正確に行う癖を付けねばならない。これは大仕事である。人体大改造に近い。続いて、シュトラス 鬼門のシンコペーション(「死と変容」)・・タ、タウン、タ、タウン、タウン、タ、タウン、タウン、タ、タウン・・のディジタル的な長さの比は、1/8,1/8+1/12,1/12,1/12+1/8,・・・(整数比に直すと、3:5:2:5:5:2:5・・・)で最初の1/8をタと発音すれば、あとは時間比で5:2:5とすべて同じ繰り返しであるが、その「2」が長く、「5」が短いのだという。2拍子で感じるためには、タ、タウン、タ、タウン、タウン、タ、タウン、タウン、タ、タウン、太字のウンの頭が拍の頭となるのだ。これも次第にずれてくるのだと。あぁもう死にたくなってきた。これはDNAがどうも音楽向きになっておらず、あわてんぼうのせっかちな性格が出てしまっているようである。続いて弓を持たせてもらうこととなった。ここまで1時間もかかった。これがまた想像以上に難しい。最初はp(ピアノ)で練習。弓の位置を確認。ボーイングは弓の先で。D・・Down弓、U・・Up弓。ppからffと強弱で弓の幅が変わってくるが、振幅の全体量を10とする。その弓先を0、弓元を010と表現すると、タ:5→2、(タウン:2→7、タ:7→5、タウン:5→10、タウン:10→5、タ:5→7、タウン:7→2)・・(かっこ)を繰り返す。ボィーングはここでは番号が低くなる方向がdown、高くなる方向が、up、つじつまが合うボーイングながら比較的規則性がある。これをffまで弓圧を強くしていく。しかしこれに食らいついて1週間でマスターさせる! かくして今後は夜を日に継いで頑張ることに。最後に、J.S.Bachの無伴奏チェロ組曲のViola版を練習。使っている楽譜は、Adapted, Revised and Fingered for VIOLA by Louis Svecénski Johann Sebastian Bach Six Suites 。しかしこれよりプリムローズの教本が最適であると。(Edited by Willam Primrose Johann Sebastian Bach Five Suites for Viola) 古いコピーなら家にある。ネットで調べたが存在しなかった。■第4回東京国際Violaコンクール・・ヴィオラ・スペース20185/26-6/3の1週間を掛けて、東京上野で開催される国際Violaコンクール。世界中から若手Viola奏者が揃う筈である。出かけなければ。VIOLA SPACE 2018 vol.27 The 4th Tokyo Iinternation Viola Competition徒然の記その2 サンチアゴ巡礼道のワイン講座 「El buen camino」 2018.3.20(火)■セルバンテス文化センター・・•講師:バネッサ・ロドリゲス・ベジョ今日は3回目のサンチアゴ巡礼道のワイン講座 「El buen camino」 。Camino Francés (フランス人の道)の巡礼道は西に進み、Castilla-León(カスティージャ レオン)州のBiezo(ビエルゾ)のワイン。Hospital de Orbigo(オスピタル・デ・オルビゴ)からLos Ancares(ロスアンカレス)、Camino PrimitivoのLugo(ルーゴ)までの範囲。教会や景色など80枚以上のスライドが映され詳細にその説明が加えられる。LugoはすでにGalica(ガリシア)に入っている。次回はそのガリシアでSC到着となる。ほぼぶっ通しの2時間。受講生は22名ほど。定員が20名の部屋なので、椅子がくっついて身動きが取れない。それでも振舞われるワインとタパス類に舌鼓を打ちつつ真剣に話を聞く。すべてスペイン語である。この講座、食するタパス類が少ない時ほどスペイン語学力が必要になる。本日は一皿であったためスペイン語の全く分からないturbo717は身もだえしながらワインのみを味わいほぼ酩酊状態。出されたワインは日本ではめったに手に入らないという貴重な1本を含む下記の3本・Tilenus Godello(ティレナス・ゴデージョ)・・Godello(ゴデージョ)品種100%の白ワイン。7度から10度の温度で提供。すっきりとした上品な味わい。これぞワインという高級感が漂う。酸っぱさが残る白(寧ろ黄金色)ワイン。・Casar de Valdaiga Tinto(カサール・デ・バルダイガ 赤)・・Mencia(メンシャ)品種100%の赤ワイン。2012年もの。16-18度で提供。・・濃く、田舎風の深い味わいの赤ワイン。大人の味。ワインの領域を超えたきつい果実酒のような感じ。・Casar de Valdaiga X Tinto(カサール・デ・バルダイガ X 赤)、2003年もの。13-15度で提供。Casar de Valdaiga Tintoをより熟成させた円やかな味わい。ワインの領域に歩み寄る熟年の深い味わい。Camino wine course in Instituto Cervantes( 2018.3.20)■居酒屋:芝浦食肉・・二次会は市ヶ谷のお濠端にある居酒屋へ、いままで経験したことがないほど肉がメインの居酒屋! 激安! たらふくの飲み食いで1人2000円とは!ホルモン焼き。ハンバーグ、などの店員がテーブに来て熱々の皿の上で調理をしてくれる。絶品であった。ほかに、ぽりぽりキャベツ、冷やしトマトなど。■Violaは家に帰り着いたか?いつぞや同じホームでの満員の客に押されるようにして電車を乗り換えた時にうっかりViolaを忘れてきてしまったことがある。そこで今回も前回同様の酒の席のあとが心配である。チェックリストを作成することにした。セルバンテス→居酒屋→市ヶ谷→新宿→橋本などと移動の要所々々で、通過時間を記入し、Violaがまだ有れば〇を記入していく。まぁ、精神面でこれだけ気を配っていければ「ちゃんと有る」筈なのである。これを疎かにするということが、うっかりミスを防げると確信したい。ただし、酔った勢いで、これをうやむやにしないように気を引き締めておく必要がある。落としやすいものはすべてこの調子で。財布、タブレット、ガラ携・・。あぁ世話が焼ける!今回は京王ライナー23:30橋本行き特急を予約してあったのでラクチンであった。徒然の記その3 歩き塾-山シリーズ 大楠山 2018.3.22(木)■コースは、JR横須賀線・衣笠駅→しょうぶ園→阿部倉温泉→大楠山(241.4m)→展望台→前田橋→立石公園5→久留和バス停→バス→JR逗子駅 とほどよい10km。お彼岸の突然の雪は「雪柳に雪」、「2分先の桜に雪」などと情緒のある風景を作り出した。その後は大雨で、なんと翌日の登山の開催が危ぶまれる事態となってしまった。夕方の天気予報でも夜半にかけて関東南部山岳地帯に積雪との予報。歩き塾の山登りは原則「積雪時の登攀」は中止と決めているのでヤバイことになった。当方は、「明日の午後は晴れる。」に一縷の望みを掛けて早朝現地衣笠駅に向かった。到着は8:00。雨は降っていない。今日はコンロを持ってきたので山頂でお湯を沸かして紅茶でも振舞いたい。近くに大きめのコンビニがないか探したが見当たらない。結局400mほど歩いて交通の要所である”衣笠十字路”という場所に向かった。紙コップやティーバックを買い求める。こういうものは駅中の小さなコンビニでは売っていないのだ。さて、9:30まで待って全員が揃った。Aコースはひと山超えるだけの易しいコース、Bコースは40-190mの起伏を3つ超えるハードなコース。出発にあたりアンケートをとる。即回答があった。「易しいコースを!」と。時間に余裕が取れるコースは写真撮影をしたり、のんびり風景を楽しめるので最高。結局易しいコースを行って正解であった。ごみ処理場の建設でBコースは大きく迂回が強いられ結局Aコースの前半の部分に合流させられることとなっていたからである。このコースの試行で当方も一時迂回させられていたのでその行程なら思い当たる。途中サギの仲間のミゾゴイ(or ミソゴイ)が生息していると書いている看板があったり、白い猫が葉山国際CCのゴルフ場のネットの近くで鳴いていたり、椿の花びらが散り敷いて真っ赤になっていたり、リスに出会ったりと、立ち止まってはシャッターを押しゆっくり進む。ほどなく大楠山山頂に到着。山頂の広場を西に下ると電波塔と展望台の施設があり、その周りは菜の花や紅白の桃の花が咲き見事。この辺りまでも山桜の大木が山腹を覆い、もうすぐ見事な景観を見せてくれることだろう。こういう低山なら毎日登っても楽しい。地元の人が羨ましい。西の麓を流れる前田川は1kmくらいの長さで遊歩道が作ってあり渓流沿いに歩くことができる。ここでもアンケート。1,2は後で考えた誘導尋問のセリフ。1. カンカン照りでコンクリの上を歩き、靴底が減る道を歩く。 2. 緑陰で、清流と戯れながら遊歩道を歩く。 どっち?こういう先入観を持ったアンケートは問題となろう。1.の方が短く格段に楽であったようだ。1.がよいと即答した人たちは立派である。「前に行ったことがあるから」と。結局2班に分かれて進むことになった。ただ2.の方は昨日の大雨で川が増水し踏み石の幾つかは流れに洗われていた。その上に足を置くには勇気がいる。ツルりと滑ってしまえば溺れて帰らぬ人に? そんな恐怖の箇所が数か所あり肝を冷やす。turbo717をみよ。足を滑らせ水の中に! 決して一般向きの”遊歩道”ではない。前田橋の袂で2班は合流。バス停から海岸沿いに少し歩いて立石公園へ。駅前のBar ARIAで乾杯。16:30解散。徒然の記その4 これから40年! 3月21日 ■この日は結婚記念日。まずは、あれから44年。こんなに一緒にいても分からない事だらけである。神秘的なのがよいとしよう。どうして強烈なコーヒーを飲んでも3secで眠れてしまうのだろう?「あれから40年。」綾小路きみまろの決まり台詞である。「若い時は口紅をちょっと塗っただけで綺麗になったのに、今では化粧しても夫から「どうして綺麗にならないんだ!」と怒られ。」このようなものすごい落差が人を笑わせる。二人で星を見ながらロマンチックな会話をしたものである。あれから40年。二人が流れ星になっていく。 と笑わせる。新婚時代・・「貴方行ってらっしゃい! 早く帰って来てね。❤」 あれから40年。語気荒く、「もう帰って来たのォ!」。夫「ゴミ出しするのに化粧なんかして!」・・妻「化粧していかないと、ゴミと間違えらるの!」しかし当家は違うのだ。双方が何も変わっていないのである。outdoorでの活動に若い時分から精を出し過ぎたきらいがあるので老ける暇がなかったのだろう。ウィークデーは典型的な企業戦士で深夜帰宅。休みの日は山か、マラソンかオケのいずれかであったため子供達と遊んだ記憶はほぼゼロ。ほとんど家事もなかったという反省多き人生である。さて、これからの40年をどう生きるかを考えてみたい・・きみまろの落差を起こさないため、計画を立ててみる。・5年ごとにNYマラソンを走る(次回は来年)・100名山、200名山、300名山を制覇する。・東京都と神奈川県の道を全部走る。道と言う道を全部塗りつぶす。・四国巡礼と東北みちのくトレイルを何回か。・巡礼道を歩き尽くす。・歩き塾のプログラムを作りつづける・・歩行コースのファイルを積み上げていく。・市民オケでViolaを続ける。・ピアノとDuoを行う Violinと3重奏を行う。・孫たちと遊ぶ。・たまにはカミさんを外に連れだす。・毎年4月は多言語の語学に挑戦する・・あぁ何回中国は四声で脱落したことか。・料理のメニューを増やす。・絵を描き続ける。・METのライブビューイングのオペラは毎年全部観る。たまにはNYで鑑賞。まぁこれだけやれば、持ち時間はすべて消化する。寧ろ足りない。片岡鶴太郎のように1日1食にしてヨガでもやらねばならぬ。途中でPPK(ピンピンコロリ)するかも。悟りの心境へ到達できるのであろうか。徒然の記その5 日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会-巡礼報告会 in 下北沢 2018.2.24(土)■今回の巡礼報告は次の5題。1「スペイン巡礼は人生の縮図」(Camino Francés SJPP→SC)、2「スペイン巡礼は人生の縮図」(Camino Portugués リスボン→ポルト)、3「ブエン・カミーノ!に支えられて歩いた900キロ~私にとってのカミーノとは?~」(Camino Francés、Camino a Finisterre SJPP→SC→フィステーラ)、4「うけとる旅、あたえる旅」(Le Chemin du Piémont Pyrénéen ピエモンの道:フランス南西部のNarbonneを始点とする巡礼路道)、5「銀の道(サナブレスの道)で救急医療に救われる」(Camino Vía de la Plata、Caceresカセレス→SC)2階の会議室は満席。最近とみに発表が上手くなってなってきている、プレゼンテーションが半端ではない。予定時間内にどれくらい聞く人を惹きつけられるかであるが、まぁ感心した。1.は7、8人と同じグループでSCまで歩く。2.はコインブラを通過していたので一昨年を思い出した。3.は超詳細な実行計画と実績の表を別紙のなかで示す。パワポのアニメーションが凄い。地図付きで次から次へと小窓の中の画像を表示していく。SCからはフィステーラに向かっている。最初の330kmで過去を振り返り、次の180kmで突き詰め、160kmで離れ、最後は再生を考えてメモを取っている。驚愕のお方だ。4.は初めて聞いた「ピエモンの道(Gruissan--Hendaye 600km)GR78の道」。 聖地ルルドを通ったり、オロロン・サントマリーでアルルの道と交差する。Maps.Meに事前にGR78のピンを立てていって使ったと。大したICT女性だ。5.熱中症になり救急診療のお世話になったと。居場所を伝え救急車に迎えに来てもらったと。+34 112番は覚えておいたほうがよいと。総合病院へ転送されその日22時に生還された。人知を超えた小さな奇跡がおこる。今回は「学び」のギフトを受け取ったと話された。懇親会では初めて巡礼に行く人などを囲み和やかな歓談が続いた。14:30-16:0二次会はダンダン酒場へ。徒然の記その6 笑って生きているか? 2018.3.24(土)■朝ドラ「わろてんか」が最終週に突入する。台詞には常に「笑い」が入っている。おてんさんが、召集される息子の隼也に「笑うて生きていたか?」という問いがあった。小生も常に「から笑いでもいい。笑うと頭も活性化される。美しくなる。」と信じ続けているのだ。もっともっと笑おうではないか!
Mar 24, 2018
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日光東照宮、岡本美術館歴訪_ story (4336)2018.3.17We went to Toshogu Shrine in Nikko, and finished walking the first round of travelogue of Okuno-Hosomichi. I had a good momentum for ran and walked about 350 km with preliminary inspection and supplementary training in total .From next time it will be around Chichibu Kannon and this is zero preliminary knowledge so I have to study from the beginning .Oh life is so great!日光東照宮へ行き、一応奥の細道紀行の第一弾を歩き終えた。小生は下見と補習を入れて凡そ350km走ったり、歩いたりしたことになる結構な運動量であった。次回から秩父観音巡りとなりこちらは予備知識ゼロなのでまた一から勉強しなければならない。人生これもよし。Abyss and Valley of Kanmangafuchi(Ganmangafuchi))(憾満ヶ淵(含満ガ淵))( 2018.3.11)大谷(だいや)川の岩礁部分。男体山の溶岩が堆積た場所に川が激流となって下り落ちる。日光に何回も来ているがここを散策したのは初めて。70体の地蔵が赤い帽子を付けられ静かに鎮座。目次徒然の記その1 歩き塾 奥の細道紀行その9,10徒然の記その2 歩き塾 静かな美術館めぐりシリーズ 岡本太郎美術館徒然の記その3 池波正太郎 鬼平犯科帳の世界 徒然の記その4 ホームコンサート宅でピアノ拝見 徒然の記その5 多摩よこやまの道 試走徒然の記その6 第89回山谷ミニコンサート徒然の記その7 元気をつなぐ会徒然の記その8 佐川氏が僕と似ている?徒然の記その1 歩き塾 奥の細道紀行その9,10 2018.3.10-11(土-日) ■コースと今後の方針・・2日分のコース(1日目はこちらを参照))2日目は宿から例幣使街道を今市まで、日光街道に合流した後は、4、5kmと続く杉並木を行く。Map of Nikko-pass and reiheishi -pass(例幣使街道と日光街道)( 2018.3.10-11)杉並木保存の箇所は遊歩道となっており通りが広い。JR日光駅を通過したのちは神橋(しんきょう)方向へ登っていく。途中の「食堂すずき」へ入り昼食。TVでよく取り上げられている店らしく芸能人の写真や色紙が壁いっぱいに貼り付けられていた。和洋中華なんでもござれとものすごい多種類のメニューに驚愕。シェフ1人だと似たような味になるのではと少し心配になったが。さて、輪王寺はまだ工事中で、2020年までかかる。東照宮は五重塔までで拝観せずに素通り。二荒山神社は大黒様を擦ってきたりと。最終行程ながらじっくり寺院を見学する余裕はない。長距離の歩き旅ではそういうことになってしまう。サンティアゴ・コンポステラーの大聖堂と同じだ。また別の機会にしょう。大谷(ダイヤ)川へ下りていく。観光客はぐっと少なくなった。憾満ヶ淵(かんまんがふち:含満ガ淵(がんまんがふち)とも)を見学しながら裏見の滝バス停に向かう。芭蕉が見た「裏見の滝」はそこから2.5km。この滝もパスして30分に1本のバスで日光駅へ。かくして奥の細道紀行の第1弾・・日本橋~日光の旅を終了した。芭蕉が2週間も滞在した黒羽はここから2日の行程であるが、あとは個人による奥の細道紀行となろう。歩き塾としての開催はしない方針。全コースの地図データを作成の予定。■Airbnbの宿・・日光市土沢にある個人宅に宿泊。Airbnbの宿である。歩き塾で一泊旅行は初めての経験である。8人が3部屋に3、3、2人というように分散。2階建てではあるが、階段から上へは上がれないように鍵がかかっていた。台所は充実していた。アメニティ(什器、調理器具など)はこれでもかと思うほど全部揃っていた。設備(風呂や自転車、布団、掘りごたつ)は充実。8人で利用したのでお得感あり。自炊したため、全体でも安くついたのではないだろうか。(後日、オーナーから大変綺麗にお使いになったとお褒めのメールがあった。)雨戸を開けていると、ご近所が覗きにやってきた。■自炊・・夕食と朝食用に、肉や野菜など必要なものを書き出し、それを買いものする。宿からJR下野大沢駅の近くにあるスーパーへは1kmほど。買い物係をアミダで選び、残留組は風呂を沸かし、テーブルをセットするなど全員が何らかの分担。8人分の食材は合計14000円ほど。これほどの買い物を一度にするなんて外国に居るような感じ。欧州を旅行しているときに出会ったスーパーは巨大な籠に溢れんばかりの買い物をしていた。皆車で来て、一週間分ぐらいを纏めて買っていたためである。その巨大なカーゴの後ろに、パン一個買う巡礼人でもそこは静かに待ったものである。スロープに商品を落としていくので、巨大カーゴでもレジ処理は実に早い。これらを受け取って再びカーゴに戻して、車まで運ぶのだ。巡礼者は買った商品を手で受け取りリュックに詰めていく。トートバックなど持たない限り、商品の受理にもたつく。なんてことを思い出しながら、我々は5人くらいで分担して宿までそれらを運ぶ。これとは別にチーズやワインの差し入れがあった。・夜食は闇鍋(やみなべ)がメイン。白菜、つくね、豆腐、えのき、しめじ、シイタケ、ネギ、豚肉切り落としなど。HIヒーターの上でだし汁を入れた鍋をかけ、食材を綺麗に並べて入れていく。ぐつぐつ煮始める。チクワのチーズ巻や、キューリ、イチゴ、ウドに刺身コンニャクなどを皿に盛りつける。・キムチやポン酢と共にそれらを食する。8人が同時に食すためあっと言う間に無くなり、その3巡目は残りのスープでうどんや餅を入れてご飯代わりにする。ワイン、ビール、酒とともに大いに歓談。・朝食は、リンゴ、当方自家製のパンの厚切り、ジャムや、ベーコン、卵のスクランブル、珈琲、紅茶。Memo:■例幣使街道・・京都から東照宮への道。中山道の倉賀野宿から太田、足柄、佐野を経て栃木宿に入り、楡木で日光西街道と合流した後、今市に向かう街道。朝廷から、神道の祭祀に奉納する幣帛(へいはく)を携え通った脇街道。東照宮に納めた後は、江戸に向かい将軍に対面してから京都に帰る。毎年4月15日に日光に到着していた。この街道にも杉並木が続いていた。樹木列の巾は8mほど。明治期以降は、樹木列の間を深く掘り、道を通した。■杉並木・・例幣使街道、日光街道(21の宿。宇都宮までは奥州街道と共通)、会津西街道合わせて37kmの並木があり、合計20万本もの杉が2列から4列で林立していた。現在は1万2350本。1991年には世界一長い並木道としてギネスに載った。徳川家の忠臣・松平正綱が20年余りの年月をかけて植樹し、家康の33回忌の年に日光東照宮の参道並木として寄進したのが始まり。■まとめ 日本橋→日光 162.5km 参加者 延べ122人その1 2017/2/18(土) 日本橋→北千住 13km 参加者:18人その2 3/20(月・祝) 北千住→新越谷 15.4km 15人その3 4/8(土) 新越谷-春日部 15.4km 11人 うち2人は最終2kmで離脱 その4 6/17(土) 春日部-南栗橋 18km 9人 その5 7/22(土) 南栗橋-JR古河 12.5km 12人その6 9/30(土) JR・古河-JR・小山17.4km 20人その7 10/21(土) JR・小山-室の八島-壬生18.2km 3人 その7-2回目12/2(土)(前方後円墳などの遺跡の多いコースで素晴らしく、10/21に参加者が少なかったため2回目を実施) 10人その8 2018/1/13(土) 壬生-新鹿沼 17km 8人その9 3/10(土) 新鹿沼-下野大沢 15.6km 8人その10 3/11(日) 下野大沢-日光-東照宮-裏見の滝バス停 約20km 8人(参加できなかった方々は、レジュメやコースデータファイルなどをHPに置いて置きますので補習を行ってください。)反省点・・その3では、参加者の一人が歩道の段差につまずき、顔を負傷。再発防止策・・適度な休息と歩行のSpeed down。その9、10では、先頭グループと後方グループに500m以上の差が出た。例えば1日目で、鹿沼市内で駅に近い「まちの駅」からして立ち寄ったグループと寄らないグループで大きな差がでてしまった。そこには芭蕉像があるため立ち止まるものと思い込んだのが間違いであった。今後は事前説明の徹底、分岐路、四辻では必ず後方を待機するなどとしたい。■2018.3.11・・東北大震災から7年の時が経つ。この時は毎日blogを書いていたので、その日のblogを読み返していると刻々と状況が伝えられ切迫している様子がうかがえる。1ヶ月前はカンボジアを旅していたし、この日光には1週間前にスノーシューで雪原で遊んでいるので回想録を綴っていた。その最中に大惨事が起こっているので困窮状態が箇条書きで短く綴らている。原子力災害が人間のおごりという観点からのものであった事が時系列的にたどることができる。2011.3.11の日記から「新しい記事」をクリックしていくとその後に次々と起きていく生々しい惨状を追うことができる。徒然の記その2 歩き塾 静かな美術館めぐりシリーズ 岡本太郎美術館 2018.3.13(火)■コース・・向ヶ丘遊園駅→生田緑地→岡本太郎美術館→明大生田キャンパス(平和教育登戸研究所資料館(水-土10:00-16:00)→大学内散歩)→生田駅 4.7km小田急・唐木田駅始発の「多摩急行」は3月17日のダイヤ改正で無くなってしまう。今迄は、京王多摩センター或いは京王永山駅で小田急に乗り換えて、30分に1本の割で出ている「多摩急行」に乗れば、日比谷、大手町を経由して西日暮里、松戸や我孫子へ乗り換えなしに行け便利だった。すべて新宿駅行となり高速化されるのだ。小田急の複々線化か完了したことによるダイヤ改正であるが、唐木田などから都心に直行する通勤者にとっては改悪である。新百合ヶ丘駅か代々木上原で乗り換えなければならなくなる。この多摩急行は、新百合ヶ丘駅の次に向ヶ丘遊園駅で止まる。この日もこれを利用したらものすごく早くついてしまった。集合時間の1時間前には着いていたので、いろいろネットで勉強し始めた。武蔵野美術大学で関野吉晴教授(グレートジャーニー探検家で南米チリナバリーノ島からアフリカ・タンザニアまで(北ルート)のおよそ5万キロを旅(1993年- 2002年)した。現在では学生に鉄器の製作などゼロから始めてカレーライスを作るなど文化人類学を教える。)が主催する授業のコースを聞きに行ったという人がfacebookにその様子を載せていたのだ。日本に"糞土師(ふんどし)"と聞いたことのない肩書を持つ人がいるというのだ。もともとはコケ類の写真家だった伊沢正名氏であり、この方が茨木から招かれて対談をしたという。ここでは詳しくは書けないが、孫がとても喜ぶ話が満載の講義だったらしい。日ごろから「うんち」に関心が深く、父親の子供時代をそのまま受け継いでいる。「うんこ漢字ドリル」などの類は子供が飛びつきそうな中身であるが、その手の話はどうもタブーとされる嫌いがあるが子供たちは確実に食らいつく。地球に返す行動を40年間も続けているというので半端ではない。毎日一回として14,240回もの成果物を土に埋めてきたことになる。発酵が完了するとジャコウネコの糞のように芳香が立つという。江戸時代の糞尿リサイクルは、理想的であったとも。■そろそろ皆が集まりだした・・生田緑地を通って岡本太郎美術館へ向かう。途中に香りがある植物を集めた散歩道があった。バイカウツギ(香る所:花)、ネムノキ(葉はお香の材料になるという)、クスノキ(材や葉が虫よけの樟脳になる)、キンモクセイ(花)、ライラック(花)、サンショウ(材はスリコギになる)、テイカカズラ(花)、ミツマタ(花)などの植物の間を通って行く。■生田緑地の外れに「ローム斜面崩壊実験事故慰霊」の碑が立っていた・・川崎ローム層の崩壊実験で研究従事者や報道関係者15名が生き埋めとなった大惨事。S46というからかれこれ47年。会社に入ってから2年目の秋である。まったく記憶にないが、こんな大事故がここで起こっているとは。■岡本太郎美術館・・原宿・表参道にある「岡本太郎記念館」は、住居兼アトリエを公開しているが、川崎にあるこの「美術館」は、常設展として油絵や彫像などを、企画展として、今回は第21回岡本太郎現代芸術賞展をやっており盛沢山である。館内は樹人、女神像、子供の樹、呼ぶA、呼ぶBなど多数の立体作品が展示されている。屋上の広場では、高さ30mの巨大な「母の塔」が5km東にある二子の生家近くに立っている母・岡本かの子文学碑《誇り》(太郎作)と対峙している。人型の彫刻は16体で、斜めに手をあげ、不安定な足場の上で何か慟哭のように叫んでいた。岡本太郎略歴・・1911.2.26—1996.1.7 (84歳) 父は漫画家の岡本一平、母は歌人で小説家の岡本かの子。1930(19歳 父のロンドン特派員就任に合わせ渡欧)-1940(29歳)までフランスに滞在。パブロ・ピカソの作品《水差しと果物鉢》を見て強い衝撃を受ける。1970(s45)万国博シンボルゾーン中央に《太陽の塔》《母の塔》《青春の塔》を含むテーマ館が完成。館長を務める。ピアノはプロ級の腕前でショパンゆかりの地マヨルカ島を訪れたりしている。徒然の記その3 池波正太郎 鬼平犯科帳の世界 2018.3.14(水)■上記、奥の細道紀行の7月催行で知り合った人から江戸時代の街並み、四七士ゆかりの道や、"池波正太郎の世界”に出てくる通りを歩いてみたいとの要望をいただいた。そこで早速読み始めたのが、「池波正太郎 鬼平犯科帳 巻1~巻24」。全巻を読み終って感慨をしみじみと味わっているところである。主人公長谷川平蔵が住む火付盗賊改(メ)方(ひつけ・とうぞく・あらためがた)役宅は清水門外(今で言う清水門と、九段南1丁目界隈)にあった。そこや、四谷・御先手長谷川組の組屋敷を中心として品川-千住-内藤新宿-本所・深川-板橋の全域に及ぶ、市井の生活、商家、寺社、通り、堀、大川(隅田川)といった全てを詳細に辿ることとなった。特に頻出する界隈に、日本橋・本町~鉄砲町や軍鶏鍋の「五鉄」のあったあたりなどがある。これは、再度江戸古地図を広げながら、物語を反芻するのが面白いのかもしれない。実際、奥の細道紀行で歩いた街道にも、至る所に石碑が立っており往時を偲ぶことができた。江戸東京博物館、池波正太郎記念館などにも足を運び見聞を広めたいものである。現在に残る坂道の制覇なども面白いテーマかもしれない。18巻まで(-1991)の犯科帳だけでも、登場人物は 長谷川平蔵、妻 、与力24人、同人40人、密偵57人、船頭7人、剣客16人、その他11人、盗賊501人 の計669人。これが18巻までの集計であるならば、24巻までには1.3倍ほど増えて約1000名の登場人物!よくぞこれだけの人物を次から次へ登場させ、物語を綴ったものである。池波正太郎の書き方は、まず登場人物が決まったら、あとは自由にその人に暴れてもらい、筆がそれを追いかけていくという手法を取るようである。よって結末はその時点では決まっていないのだという。最初の文章の書き出しがすべてであると。こんな面白い人生の過ごし方もあるものかと感嘆。徒然の記その4 ホームコンサート宅でピアノ拝見 2018.3.14(水)■個人宅でミニコンサート・・元サラ文の方でピアノを30年ぶりに弾きだした人から防音や式次第をチェックして欲しいとの要望を受け東中野4丁目のお宅にお邪魔した。神田川に近く、桜が満開になる時期にホームコンサートが予定されている。グランドピアノが置かれた空間は一階の一番奥まった場所。しかし、通りの40m四方をくまなくサーチした結果かなりの音漏れがあることが判明した。初めてお邪魔する場所でも、当方にかかれば探偵よろしく周囲を嗅ぎまわる習性があるのでこういうチェックならお手の物である。窓はしっかり閉じ、ビロードの厚いカーテンを引くことによって防音し、さらにはピアノの蓋は開けないということにしてもらった。さらに椅子は風呂で使うケロヨンの腰掛からはじまり順に高くなるように配置し、12脚ほどとし、テーブルは後方に置き、聴衆は音楽一点に集中できるようにすべきであると提案。ここで、持参のViolaを弾いてみた。音響はまずまず。粗がめだたないように最弱音で弾けば美しいかも。仏壇を2階に移動させたりしながら楽しく過ごす。滞在時間80分。なかなか忙しい1日であった。31日(土)が楽しみである。徒然の記その5 多摩よこやまの道 試走 2018.3.15(木)■高校の同期が多摩市聖ヶ丘に住む。その彼から「遊歩道・多摩よこやまの道 ガイドマップ-日本一長い遊歩道と新日本歩く道紀行百選に選ばれた道を歩こう」という冊子を貰った。開けるとなんと多摩ニュータウン全域の遊歩道が載っている。ダイヤモンド富士のためしばしば訪れる宝野公園、鶴牧第二公園、奈良原公園や尾根幹線などが記載されている。もともとこの多摩ニュータウンは立体交差になっていて全歩道が車とは分離される形で設置されている。そのため"日本一長い"遊歩道となったのであろう。緑の公園すべてが遊歩道で結ばれているからだ。この遊歩道群の最南端の尾根道を歩くのが「多摩よこやまの道」で、西端が長池公園の南、南多摩尾根幹線のpoint。東端が弓の橋がある「丘の上広場」の約10km。歩き塾でも4月にここを歩く計画がある。万葉集にも詠まれているほどの歴史ある道はさらに「尾根の古道」として多摩川へりまで続く。このよこやま道に加え、町田市と八王子市にまたがる小山内裏(だいり)公園にある「戦車道」を通りに入り町田市の稜線を小山が丘まで歩いてよこやまの道に合流する約15kmのコースとしたらどうだろうかと、木曜日の午後家から走っていった。当日のstartを京王線・多摩境駅(町田市)とし、終点を同・若葉台駅(川崎市・麻生区)としたらどうだろう。このコースは途中にトイレなどふんだんにあるため女性向きでもある。起伏は85m-160mの範囲。今回試走してみて分かったことであるが今まで何回も走っているこの「よこやまの道」であるが、ガイドマップ通りには走っていないことに気づいた。実際はもっと複雑であった。歴史古道と交差場所には、必ずと言っていいぐらいに標識がたっている。この古道が、尾根古道、鎌倉街道上ノ道(本路)、鎌倉裏街道、軍事戦略鎌倉道、奥州街道、奥州廃道などである。歴史は源頼朝の鎌倉幕府前後までさかのぼる。小田原・石橋山で戦いに敗れ、真鶴の鵐窟(しとどいわ)に隠れた後、房総の竜島へ渡り、鴨川、館山を経て浅草に向かっている。その間で軍勢を立て直し、鎌倉に攻め入って勝利を納め鎌倉幕府を開いた。鎌倉街道はその後整備され、軍用道路や物資輸送の大動脈として各地の国府と結ばれた。浅草では千葉氏と江戸氏が支援をしている。ここで「江戸」の名前がでてくる! 街道が集まる場所は五差路となっていて現存するところが面白い。こういった幹線は、小野路関谷城、丸山城、関戸城などを結んでおり、往時を偲ぶことができる。歴史好きにはたまらない丘陵である。ancient road of Kamura-pass(歴史上の鎌倉街道)( 2018.3.11)現在の鎌倉街道は、歴史上の「鎌倉街道上ノ道(本路)」と非常に接近している。谷筋を通った街道なので、一致するのだろう。よこやまの道は東西を貫く尾根道で、京都へ馬や物資を運んだ道だったようである。朝廷の牧場があった。春の選抜出場校の日大三校は、この地図の左下・小山田緑地の南に立派なグランドを持つ。徒然の記その6 第89回山谷ミニコンサート 2018.3.16(金)■第89回山谷ミニコンサートが「 神の愛の宣教者教会」台東区日本堤2丁目で開催された。天気は雨粒がパラパラと落ちる程度の曇り空。歌唱に先立ち、solo演奏。VcとVaでそれぞれ1曲づつ。Violaでは、 バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲第1番 メヌエット1」を弾いた。たまにはクラシックでもと。今日の曲は、「はと、うれしいひなまつり、わたしをお使い下さい、蛍の光、あこがれの郵便馬車、あんな娘がいいな、空よ、春一番、北国の春、365歩のマーチ」。この10曲で伴奏を分担したのは、「あんな娘がいいな、空よ、春一番」の3曲。近所に住むというプロの音楽家がギターを携えてやって来ていた。おかげで伴奏に色彩を添えることができ良かったのでは。一曲「明日のジョー」を絶唱された。この教会は毎週土曜日には、白髭橋の河川敷で、ホームレスの人達に、カレーライス500人分の支給を行うという。教会を訪れるとその準備がすでに始まっており、大量のご飯の仕込みや野菜を剥く作業が進められている。床の空いた場所に楽器のケースなどを置くなど、舞台裏は大変である。徒然の記その7 元気をつなぐ会 2018.3.17(土)■元気塾社団法人「元気をつなぐ会」( 上海など海外経験が長い企業人が中心となって起こされた会で若い世代を元気付けようと異世代交流をテーマに積極的活動をおこなっている。金の卵を育てようと高い目標をかがげる。)が「元気塾」というのを主宰して年4回色んな講演会を催している。大学同期の友人がこれに深く関与している。健康を切口としてこの元気塾で巡礼の話をして欲しいと要請してきた。会員に向けての講演会が6月に予定されている。その3ヶ月前になるこの日に、一度彼らの集まりの様子を見ることとなった。川崎市武蔵小杉にある生涯学習プラザに駆けつけたという次第。わぁサラ文とは違う雰囲気! 若い企業人も会員に増えているらしい。15名くらいの参加者。「創立80周年企業のトップに聴く!」の題で大田区のモノづくりの社長を迎え対談形式で講演が行われた。吉野電機の吉野社長とその部品の提供を受けた会社(精密機械 フジソク→伯東企業(上海)へ移籍)の重役との対談という図式。学生からいきなり専務として入社。手の平に乗る部品で量産できる部品であれば宇宙産業であれロボットであれ製造するという心強い会社である。大田区にある3,500社の町工場の代表のような会社であった。さて問題なのがこの会の人達に”歩き”の話なぞしたって興味を持たれようか? 徒然の記その8 佐川氏が僕と似ている? 2018.3.16(金)■佐川宣寿(のぶひさ)元理財局長が小生と似ている!という噂が立ち始めた・・なるほど眼鏡をかければ似ているかも。急に近い存在となってきた、今後の国会証人喚問を注視しなければ!氏は1957生まれで、当方より13歳若い。福島県いわき市出身。1982年 T大卒大蔵省。1984年 大阪国税局調査部、2013年 大阪国税局長、2016年 理財局長 2017年 国税庁長官。いやぁー超々エリートである。
Mar 17, 2018
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愛の妙薬、日光に近づく_ story (4335)2018.3.10We,Otemae High School Alumni watched MET live-viewing-Opera at Togeki in Higashi Ginza . Gaetano Donizetti’s opera “L'elisir d'amore”was performed only one month ago at the Metropolitan Opera theater in New York.After having enjoyed MET opera, we chatted at a nearby curry shop.NYメトロポリタン歌劇場でこの2月10日に上演されたばかりのオペラ・ドニゼッティ「愛の妙薬 L'Elisir d'amore 」を日本でMETライブビューイング2017-18として、たったの3週間遅れで見ることができるとは! 恐れ入りました。高校の同級生と歓談。オペラ鑑賞に8人が集まるというこの結束のよさ。いい仲間に恵まれて幸せである。Reef on the Mitsuishi Coast(真鶴岬の先端 三ツ石海岸にある岩)( 2018.3.2)見方によっては岩が3つ見えるので三ツ石海岸と名付けられたようである。遠くに大島。近傍は初島。風の強い日で白波が立っていた。頭上空高く飛ぶ鳶が、弁当を狙って急降下をしてくる。ヤバイ!目次徒然の記その1 市民響ミニクラシックコンサート徒然の記その2 水元公園から鰻屋徒然の記その3 Viola-Lesson 徒然の記その4 黒ニンニク徒然の記その5 METライブビューイング2017-18 愛の妙薬 徒然の記その6 歩き塾 奥の細道紀行 例幣使街道を行く徒然の記その7 故人のblog徒然の記その8 茂木大輔著「拍手のルール」徒然の記その1 市民響ミニクラシックコンサート 2018.3.4(日)■府中グリーンプラザ けやきホール:3月末に閉鎖され取り壊しが決まっているホールでの我々としては最後の演奏会となった。本拠地の府中の森芸術劇場のウィーンホールを使いたいが1年3ケ月前に抽選で決まる。府中市民ファーストではなく、市外の団体に対しても遍く平等の抽選なので来年の3月開催とするためには昨年の12月に抽選に当たっていなくてはならない。すでに来年も早外れているのだ。さて、今日のプログラムは下記のようなもので、圧巻は最後の弦楽四重奏。これを楽しみに聴きに来るお客も多い。・弦楽合奏:A.ヴィヴァルディ 協奏曲集「調和の霊感(全12曲)」から「2本のViolinのための協奏曲」・オーボエ六重奏:J.パッヘルベル(1653-1706) 「カノン」、当団のドイツ人ダニエル氏をむかえてドイツ民謡「「Hänschen klein」(幼いハンス)・・日本では童謡「蝶々」で知られる。)と日本の民謡「ずいずいずっころばし」・弦楽アンサンブル:E.モリコーネ(1928-) 映画「ミッション」より カブリエルのオーボエ・・南米パラグアイの奥地にキリスト教布教を試みるイエスズ会の宣教師の葛藤を描く。カホンという太鼓がそれを伝える。四角い箱をS氏が打ち鳴らす。独特の雰囲気。・合唱:杉本竜一(1951- 作詞作曲) Believe、大木惇夫(あつお 1895-1977 作詞)、佐藤眞(しん 1938- 作曲) 大地讃頌(だいちさんしょう;「土の歌」第7楽章のカンタータ)・・始めて”混声合唱団”が編成された。大地讃頌のカンタータは美しい音楽である。2013.5の小生の大学OBオケの秩父合宿で地元の合唱団が歌った曲でもある。・弦楽合奏:P.ウォーロック(1894-1930) カプリオール組曲Capriol Suite ウォーロック(英国の音楽家、歌曲の作品が多い中でこのカプリオール組曲はもっとも有名な曲である。・ファゴット 三重奏:J.ワイセンボーン(1837-1888) 「ファゴット三重奏のための六つの小品より」・・ワイセンボーンはドイツのファゴット奏者 教則本でお馴染みの作曲家。・弦楽四重奏:F.J.ハイドン(1732-1809) 弦楽四重奏第76番 ニ短調 Op.76-2 「五度」・・・ エルディティー(伯爵への)四重奏曲(第75-80の6曲)のひとつで、作曲は1797-99 ハイドン 65-67歳の作品。イギリスへの旅の後書かれている。始まりの音型が5度の下降動機にもとづくところから「五度」とサイブタイトルが付けられた) 当団からはViolaとVcの2人、Violin1,2はいつものようにその友人T氏ご夫婦が参加された。完璧な演奏に聴衆絶賛。折しも日曜日の夜、先週にも紹介した「関ジャム 完全燃SHOW」の3/4は「心に響く歌の極意とは?プロが実演解説!」が放送された。この番組で、プロでも至難の「心に響く歌」というのを森昌子、今井マサキ、新妻聖子のゲストが解説していた。「心に響く歌」とは「ピッチ、リズム、いい声」に加え「表現力」だという。・新妻聖子の心に響く歌い手はセリーヌ・ディオン。努力の人である。計717公演の長期公演を行い歳を重ねても歌声がいっさい変わらないと。魂のハイトーンボイスの映像の映像を交えて解説。・今井マサキの選んだ心に響く歌い手は玉置浩二と槇原敬之。玉置浩二については奥行きの深い低音ボイス、槇原敬之については母音をはっきり歌うため日本語の歌詞が届くと解説。・森昌子が選んだ心に響く歌い手は美空ひばりと加藤登紀子。美空ひばりについては歌詞の人物を完璧に演じ分けるとし、教えてもらった歌唱テクニックにマイクにブレスを入れてはいけないと明かした。また、加藤登紀子からは発声の音量を保つことを教えられたと話した。楽器も歌と同じで、「ピッチ、リズム、声(楽器)、表現力」ではないだろうか。同じ譜面を皆が弾くが、うまい人が弾くと単音からして違っている。表現力とは呼吸や、弓の当て方、力加減、思い入れ、ある場合には淡白ににある場合は甘く、ある場合には鋭く。その変化の振幅は何億倍にもなる。一瞬の弓さばきが、そこから発する音を支配する。T氏のViolinはもう別格である。徒然の記その2 水元公園から鰻屋へ 2018.3.6(火)■都立・水元(みずもと)公園・・葛飾区。93ha(新宿御苑は58ha 1ha=100mx100m S字状の長い池筋は、片方の対岸が4.6kmと長大。三郷市側の対岸にはみさと公園がある。)という都内最大規模の水郷公園である。旧来は古利根川の河川敷であった。河川を堰き止めて作ったため池:小合溜井(こあいためい)が景観の中心となっている。川のようで川ではない。池の最西端で大場川と合流し、中川に注ぐ。下記は、見分録■金魚育成池・・何種類もの金魚の生け簀があり飼育している。全体がネットに覆われ外敵を防ぎつつ、屋外で飼われていた。その一匹が死んだように水に浮かび、頭を水中に突っ込み微動だにしない。死んでいるのかと水をかけてみた。驚くべきことに、ヒレがちょっと動いた。目が覚めたのか思い出したように泳ぎだした。ビックリ仰天。他の金魚は全員動き回っていたのに、その金魚だけ動かなったものだから。■ラクウショウ、メタセコイアの樹林帯は見事・・この池の景観は、ロンドンのハイドパークを思い起こさせる。いやもっと広大。山など見えず、低い景観。見渡すかぎりの沼地と広場。紙飛行機大会などによく使われるという。Mizumoto-Park(水元公園)( 2018.362)■タナゴ釣り・・手賀沼同様、こちらでも多数の人が釣りを楽しんでいた。リリースしなければならないが多い人で70匹も釣り上げるという。エサはグルテンか、炒った卵だという。■川魚 根本・・三郷市にある鰻屋。11:30開店前には30名くらいが並ぶ。鰻がなくなれば店を閉じるという。11時過ぎに、我々は5番目~9番目として並ぶ。お重に丸まると太った鰻の蒲焼が重なるように2枚載っており豪華。甘ダレもしっかりとしており美味。座敷席ですこし寛ぎ12:30には退出。会社員風の人たちも散見される。eel-lunch-box(根本のうな重)( 2018.3.6)ひょっとして今まで食べた一番旨い”うな重”ではなかったか。■バードウォッチング・・水元(みずもと)公園には野鳥観察の小屋があり、小窓から水鳥を観察することができるようになっている。日本野鳥の会の団体が、葦の茂みを観察していた。タシギ(チドリ目シギ科タシギ属 嘴が長いのが特長)がお昼寝をしているのだといって双眼鏡を覗かせてくれた。■烏とウェリッシュコーギ(原産地;イギリスのウェールズ、牧畜犬であった。足が短い)・・10歳になるというコーギ犬「モカ」と同い年のカラス「ガー幸」の友情物語は地元では有名らしく何度も新聞やTVで取り合あげられている。それを連れて日本中を旅しているというおじさんにあった。弱っている赤ちゃんカラスを家に連れて帰り、犬と一緒に看病して以来、犬が烏を守るようになったのだという。■しばられ地蔵・・水元公園の南西100mにある南蔵院に祀られた地蔵。願掛けで1mくらいの縄を結んでいく。願が叶えられると解きにくるのだという。縛られたままのお地蔵さん。はやく身軽になれとばかりに祈りおり。大晦日の日には供養が行われほどかれるのだという。map of Mizumoto-Park(水元公園と松戸)( 2018.3.6)金町→鰻屋→バス→金町→松戸の戸定邸というコースは主婦向きかもしれない。徒然の記その3 Viola-Lesson 2018.3.7(水)■ローレルの作品2のLargoを仕上げ、初見の作品3を合奏。小節のなかにちりばめられている音符の拍を瞬時に読み取る練習。問題なのは、ブラームス3.シンコペ((1と、2と、3と、4と)・・を半拍ずらせて、(1、と2、と3、と4、と))。これを無限に繰り返す練習。やっているうちにシンコペが消えていき、正拍となっていると。ジャズを聞け、カミさんに教えてもらえと、厳しい。ブラームスはこのシンコペのオンパレードである。翌朝・・カミさんに聞いてみた。「た、たーん、たーん、たーん、た」、あるいは「たーん、たーん、た、たーん、た」といとも簡単に言う。覚えてしまえばよいのよと。手拍子を打ちながら、あるいはメトロノームを見ながら頭に叩き込もう。勉強することがだんだん増えていく。あぁ。Violaの先生、弓の重さを図り始めた。先生のは73g、重さを感じさせないほど軽い。小生のは76gで3gほど重いだけであったが、木のバランスが悪く重みを感じてしまうと。フランス製のよい弓を買ったらと。予算はどこから捻出しようか!徒然の記その4 黒ニンニク 2018.3.7(水)■月1回集まっている旧サラ文の幹事達9名が大ガード近くの「天狗」に集まり、歓談。なぜかここで黒にんにくが話題となりその作り方や効能について喧々諤々となろうとは。ある女性が次回の花見に持ってくるという。どうせならその効能や作り方の蘊蓄を聞いておきたいと。ここで、ドジョウ掬いの名人と、turbo717が手を挙げて話し始めた。お互いに譲らない。ドジョウ掬いは言う・・家で使わなくなった電気釜を用意し、それに生のニンニクを入れ、保温状態で一週間。庭に電気釜を置いて通電しておくのだと。室内では匂いがこもってしまうからだという。turbo717は言う・・その効能は10ほど。今毎朝1粒を食しているが、やわらかい黒飴のように甘いものであると。寝起きがよい、血流がよくなる、などの効能が認められると。古代エジプトではピラミッド建設にあたり労働者が食していたことから疲労回復・健康増進の効能が認められていたのではないか。私の元気溌剌はひょっとして”黒ニンニク”のおかげかもしれないと。全員納得!(本当か?)・・まぁあらゆるサプリメントや投薬ゼロの状態が日常であるならばその食生活の要素のほうが格段に重要であると思うのであるが。0.12%くらいは黒ニンニクのおかげかもしれない。 徒然の記その5 METライブビューイング2017-18 愛の妙薬 2018.3.8(木)■ガエターノ・ドニゼッティ(Gaetano Donizetti, 1797-1848)作曲の「愛の妙薬(L'elisir d'amore)」は1832年の作品。ドニゼッティに関して残存するオペラは78作品と多作。この「愛の妙薬」はオペラには珍しいロマンティック・コメディーである。喜劇的オペラ(オペラ・ブッファ)風であるがどっこい表情が細やかで内容も深く純粋なオペラに仕上がっている。ここで使われる妙薬がいかさまの薬で実は普通の"ボルドーワイン"であった。ところが偶然が重なり”愛の妙薬”に化けるのが面白い。4人の歌い手(アディーナ(Soprano):地主の娘=プレティ・イェンデ(1985-、南アフリカ)、ネモリーノ(Tenor):村の若い農夫=マシュー・ポレンザーニ(1977-、アレッツォ生まれのローマ育ち)、べルコーレ(Bariton):村の守備隊の軍曹=ダヴィデ・ルチアーノ、ドゥルカマーラ(Bass):いかさま薬売り=イルデブランド・カンジェロ(1969-、イタリア))が、十分その技量を発揮した。東銀座にある東劇へ高校の同級生8名が集まった。14:30-17:18と約2時間48分の上演。特典映像は、プレティ・イェンデ、マシュー・ポレンザーニ、指揮者 D.インドヤーン、イルデブランド・カンジェロとダヴィデ・ルチアーノ、イータリー(饗宴の提供会社)共同経営者L・バスティアーニンッチとのインタビューはS・フィリップス(歌手)が行った。L列という通路に面して足を投げ出せる特等列に我々は陣取りライブビューイングを鑑賞。実際はNYで2018.2.10に行われたオペラである。それを1ヶ月もしない内に全世界77ヶ国に配信されているこのエネルギーとは!大した企画である。2次会を東銀座の昭和通りに面するインド料理店「ナイルレストラン」で6名が談笑。徒然の記その6 歩き塾 奥の細道紀行 例幣使街道を行く 2018.3.10-11(土-日)■奥の細道紀行その9,10としてまとめて旅をしている。日光にやっと到着か?実は芭蕉の奥の細道には日光参拝ののち、黒羽に向かいそこで2週間の長きにわたって逗留したことが書かれている。われわれの紀行も本来ならそこまで延長してもよいのだが、なにせ区切り打ちは交通費がかさむ。日光近くなると往復で4,5千円かかってしまう。このため、今回は前回の終点「新鹿沼駅」~「明神」15kmと、「明神」~「日光・東照宮」18kmを一泊二日という行程で一回分の交通費を浮かし、その分を民泊にするというアイディアを思いついた。ここでAirbnbという国際的なシェアハウス組織を検索してみた次第である。この時hitしたのが、日光市土沢にある一軒家である。これは行程上の「明神」に近く、最高のロケーションであったため飛びついた次第だ。このサイトはすべて英文であるため敷居が高い。Airbnbを介してしかメールが出来ないという不便さはあるものの、格安で宿が確保できた。一軒家であるため食事は外食か自炊ということになる。我々はせっかくなので、スペインのアルベルゲ宜しく、自炊という線を選んだ。このblogは土曜日のpm6:00投稿を目標としているためこの時点までの今日の行動を述べておこう。10:05 新鹿沼駅出発。例幣使街道を歩く。杉並木の間に自動車道路が走るため、遊歩道は、その外側にある土手(主に車道よりも一段高い道)を通る。遊歩道として整備された箇所もあれば草ぼうぼうという箇所もありなかなかのスリル。我々以外歩いている人は見ない。宿に15時前に到着。買い出し隊を編成し1.2km先のスーパーに買い出しにいく。闇鍋を調理中。持ち込まれたワイン4本を加え酒類は充足。明朝用に自家製パンを2斤持参しているのでこれも足りるだろう。乾杯! 来週号に続く。徒然の記その7 故人のblog 2018.3.5(月)■故人のblogの継承大阪の知人が昨年4月に亡くなっていた。年末に喪中はがきを受け取って初めて知ったのであるが、氏が。掲載していたHPはすでに閉鎖されていた。旅の写真が満載された魅力的なHPであったのに残念である。blogやHPは死後故人を偲ぶ意味で一定期間残しておいてもらいたいものだ。はいサヨナラではあまりに寂しい。原因はアカウントが消去されたり、サーバー費用が払われなくなったためである。インターネット契約と連動していたblogなどは故人との契約が絶たれた時点で自然消滅である。少なくとも、奥さんが引き継ぐとか、家族が引き継いでくれると、しばらくは見れるという状態が継続するのでありがたいが。一般的にはどのようになっているのだろう。小生の場合は、楽天blogには確か月100円を払って画像を保存してもらっている。巡礼データベースなどがある個人的HPのhttp://turbo717.ciao.jpはサーバー代として年100円で管理してもらっている。銀行カードから自動引き落としであるため、両方とも引き落とされなくなった時点でblogもHPも消滅する。遺言でアカウントを継続するか断捨離するかを唱っておきたい。facebookの場合は、追悼アカウントに移動させて継続することができるようになっている。徒然の記その8 茂木大輔著「拍手のルール」2018.3.6(火)■こんな面白いクラシック音楽関連の本があっただろうか。N響Ob奏者:茂木大輔著「拍手のルール」(中央公論新社 2008年)を爆笑に次ぐ爆笑で読み終えた。電車の行き帰りには肩がほぐれてよいかもしれない。拍手のルールの本ではあるが、映画「のだめカンタービレ」の音楽監修を行ってもいた茂木氏はクラシック全般について分かり易く解説している。その中の1章が「拍手のルール」であって全体的にはクラシックを面白く語っている。いわく、折角の音楽会なのであるから、曲の構成や物語を予め知っておくと音楽が100倍も楽しめると説く。そのためにはスコアなどが安く売られているので取り寄せて勉強しておくとよいと。「拍手のルール」の章では、演奏会での拍手の仕方を詳細に分かり易く伝授してくれている。拍手にも、リズムや強弱、音程があるのだと。国民性でも違ってくるのだと。韓国は教育が行き届いて凄いともいう。氏のドイツ留学時代とドイツでのオケ活動の経験や日本に帰ってからの演奏活動や指揮活動に基づいて論述している。面白いのが、「フライング拍手要注意曲目リスト」である。演奏終了と同時にまたはずっと前の楽章の終わりでフライング気味に拍手が起こる曲の一覧を揚げておられる。・最も危ないのが、チャイコの第6番悲愴の3楽章の終わりであると。大音響で終わる楽章なので誰しも間違う。要注意。・すべての教会音楽は要注意・・受難曲はキリストの死で終わっているため拍手に相当しないと。しばらく待ったほうがよい。レクイエムも同様。・交響曲では・・ハイドン45番「告別」・・し~ん としてから後に拍手すること。・ベートヴェン6番「田園」穏やかに終わる。田園の余韻にひたってから徐に拍手。・シューベルト8番「未完成」終わりが永遠のような静けさ。・チャイコの6番「悲愴」・・指揮者が客席を向くまでは控える。・ブラームス3番・・静かに終わるため拍手を急いではならない・・これ、われらがオケの今度の5月の定演。・ドボルザーク8番・・派手に終わったあと、全員休みの楽譜がまだ残っているので指揮者が手を降ろすまでは曲が続いている。・同9番「新世界」・・大音響のフィナーレで終わるが、最後の音は非常に長い。次第に弱くなっていく。ここまで待たねばならない。・ブルックナー・・大音量で終わっても最後の残響が天井から消えるまでは待つこと・・”偉大な終止”という曲なので、最後の音の長さと響かせ方に拘る指揮者も多いという。・マーラー9番・・死ぬようにまさに音楽が死んでいく最後は、もう拍手不可能な場所であると。会場が明るくなってからで十分だと。・R・シュトラウス・・殆どの交響詩が静かに終わる・・5月の定演の「死と変容」なども最後は静かに終わる・・拍手をいそがない。別の章では、「数合わせ、交響曲のカレンダー」と題して、その月にまつわる交響曲をあげている。まぁ月の初めにCDなどかけて聴くとよいのかもしれない。1月・・ベートヴェン「荘厳ミサ曲」(ミサ・ソレムニス)・・ベートヴェンが自ら認める「最大にして最高の作品」。当時のどの作曲家もミサ曲は最も重要で名誉な仕事であったと。2月・・ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」、シベリウス「交響曲第2番」」3月・・ベートヴェン「交響曲第3番「英雄」」・・変ホ長調(♭が3つ)、ホルンが3台(他の曲はホルンが2、4と偶数)、第一楽章が3拍子。作曲が1803年。3づくしの曲である。4月・・マーラー「交響曲第4番」、メンデルスゾーン「交響曲第4番」5月・・ストラヴィンスキー「春の祭典」・・3/16 5/16 7/8などの変拍子が小節ごとに出てくるといった指揮者と演奏者にはスリル満点の曲6月・・バッハ「ブランデンブルグ協奏曲第6番」・・西洋では楽譜をセット販売することが多いため、ピアノ・ソナタやバロック協奏曲の多くが6曲セットになっている。7月・・ベートヴェン「交響曲第7番」TVドラマ「のだめカンタービレ」のテーマ音楽として2008年に大々的にヒット8月・・シューベルト「交響曲第8番「未完成」」9月・・マーラー「交響曲第9番」・・9のジンクスで、交響曲第10番第一楽章のみを完成した後亡くなっている。このジンクスを打破した作曲家はショスタコービッチで第15番まで作曲した。10月・・モーツァルト セレナーデ第10番「グラン・パルティータ」・・管楽器13管、演奏時間1時間という大曲。11月・・バッハ「マタイ受難曲」・・最後の晩餐でイエスが12人の弟子達に「この中にひとり私を裏切るものがいる」と予言。ペテロを除き「主よ、私ですか?(Herr.bin ich's ?)」と11回歌われる。12月・・ベートヴェン「交響曲第9番」・・除夜の鐘的回想の感動がある曲で12月に演奏するのが正しいのだ茂木大輔は説く。ベートヴェンは、1楽章から3楽章が順に「闘争的」「舞踏(祝祭)的」「耽美的」な音楽を提示し、4楽章の冒頭でそれらを自ら否定し、「友よ、より心地よい音に声を合わせようではないか」と歓喜主題を登場させる構想とした。1-3楽章が充実していながらもどこか物足りなく空(うつ)ろである。4楽章でそれらすべてが価値を変換されて回想の領域に整理され、安心と感動を初めて感じ取ることができる。これは、まさしく除夜の鐘であると。1年の終わりに演奏されるのは正しいことではないかと。追加して述べるなら初演のとき2楽章の終わりで熱狂的な拍手が起きたという。ベートーヴェンは当然気付かない。オケの一人が歩み寄り振り返らせたのだというエピソードがある。
Mar 10, 2018
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矢切の渡し、真鶴へ_ story (4334)2018.3.3I went to Sibamata where is local birth area of Futen-no-Tora.The downtown emotion drifted the bustle of the approach to the Taisyakuten.On the northern side of the town is Mizumoto park and Mito kaido. There is a privately owned ferryboat called Yakiri(Yagiri) no Watashi .フーテンの寅さんの”地元”、柴又に始めて行ってきた。町の賑わいはいままで見た町の様子と違い下町情緒が漂っていた。町の北側には水戸街道が通っていたり、柴又と矢切(やきり)を渡す「矢切の渡し」という民営の施設があったりしてしっとりとした風景。Kanda river and Yanagi bridge (浅草橋から柳橋方向を眺望 2018.2.24)東京マラソンコースでのView Point。毎年同じ場所でスケッチしていることになる。屋形船のあたりが一番難しい。目次徒然の記その1 関ジャム~完全燃SHOW徒然の記その2 野鳥・自然観察会徒然の記その3 歩き塾 柴又 徒然の記その4 真鶴へ徒然の記その1 2018.2.25(日)■関ジャム~完全燃SHOW2/25(日)の放送は「簡単に!! 音楽食わず嫌い解消 ゼロからのクラシック」案内人としてピアニスト 清塚信也、バイオリニスト NAOTO、指揮者 上野正博、世界的マリンバ奏者 三村奈々恵らが分かり易くクラシックを解説した。このなかでバッハ、モーツァルト、ベートーベン、ショパンの4人はそれぞれ誰のために音楽を書いたかを解説するくだりがあり面白かった。曰く、バッハは神のために、モーツァルトは貴族のためにと。しかしフランス革命後はこれが一変し、ベートーベンは大衆のために音楽を書き、それまでの伝統を破壊したと。交響曲「運命」の最初の休符がそれを物語っていると。一方ショパンは自分のために曲を書いたのだという。フィナーレのジャム・セッションでは"運命"、"第九"のベートーベン・メドレーを、ピアノ、バイオリン、マリンバ と関ジャムとのセッションで。ヴォーカル 渋谷、ギター 錦戸、ドラム 大倉、トランペット&ティンパニー 横山で披露した。クラシックをバンド演奏にアレンジして「歓喜」も歌い上げたのには驚いた。ピアノのコードの解説もあったり、中高生も注目する番組となっているようである。ありがたい番組である。3/1のBSプレミアムの「プロファイラー ピアノの詩人ショパン 繊細さと秘めた激情」では、ショパンは曲のタイトルを付けるのを嫌ったという。固定観念を嫌ったためであるが、出版社などがそのほうが売れるというのでタイトルを付けたとも。リストなどが他の作曲家の編曲が多いのは、CDやラジオが無かった時代に一般市民に他の作曲家の音楽を紹介していたのではないか。音楽を広めるために貢献していたのではないだろうか。徒然の記その2 野鳥・自然観察会 2018.2.27(火)■相模川自然の村公園集合の野鳥の会観察会。昨年に続き2018年第2回目の野鳥観察会に参加した。家から2km弱の場所に集合とあらば駆けつけないわけにはいかない。1ヶ月ほど前に主宰の人がわざわざポストにチラシを投函してくれていたのだ。集まったのは11名。この日は野鳥22種が観察でき満足。相模川では、アオサギ、オオバン(これは先日の手賀沼でも見た鳥で馴染みがある。カモよりも小さく前身は黒っぽい。白い嘴に鼻筋(額)の部分が白い)、カワウなども水に戯れ泳いだり飛んだり。こっちは「あ、あそこ」と言う声につられて双眼鏡をあてがう。なかなか動物観察は難しい。すぐ視界から消えていく。今年は寒かったせいか、いつもは満開の河津(かわづ)桜が1本だけしか咲いていない。しかも8分咲き。この蜜を吸いに集まるメジロも数が少なかった。シジューカラ(漂鳥;高地と低地を行き来する鳥)の美しい羽根色(黄緑。頭は紺色)に感動。赤いベニマシコは小さな流れの茂みに、ビンズイが芝生で子虫を啄む。鳥たちが塒(ねぐら)として使っている相模川の河岸段丘に近づいた。アカネズミが食べたクルミの殻がたくさん落ちていた。リスと違ってクルミの胴体に穴を開けて食べる唯一のネズミという。walnut bit by wood mouse(アカネズミに食べられたクルミ 2018.2.27)次回は、相模原北公園で、「春の山野草とバードウォッチング」4/9(月)。10:00 管理事務所前集合。興味のあるかたはどうぞ。主宰者は学習参考書関係の会社にお勤めだった方で、相模原市の哺乳類全38種を冊子にして小中学校に寄贈したという。今はホームセンターなどで200円で買える(カインズホーム城山 ペットショップ売り場で)。徒然の記その3 歩き塾 柴又 2018.2.28(水)■旧サラ文(サラリーマン文化芸術振興会)には凧あげの名人がおられる。その方とお茶の水駅で待ち合わせ松戸へ。50連の連凧を自作されてお持ちになった(制作には専用の"凧部屋"があるという)。今回のコースは松戸市にある旧水戸街道、戸定邸(とじょうてい)を見学した後に、江戸川べりを新葛飾橋まで歩き、柴又帝釈天・山本亭・寅さん記念館・山田洋次ミュージアムに寄るという盛沢山な企画。このコース最大の呼びもの「矢切(やきり)の渡し」は休止していたために今回は橋を渡った。凧あげは江戸川右岸の金町浄水場前で行った。微風のため5mくらいしか揚がらない。そこでturbo717の出番となった。タコ糸を持って、全速力で駆けるのである。相当な張力を感じたが振り向くことも出来ず、一心不乱で円を描いて走る。そのときは15mと。あぁ。風が欲しい!Kite at Edo-river-side(河川敷で連凧上げ 2018.2.28)■戸定邸(とじょうてい)・・江戸幕府15代将軍の徳川慶喜(1837-1913 在位 1867.1.1-11.10)の弟で幻の将軍と言われた徳川昭武(あきたけ 1853-1910 最期の水戸藩主、徳川斉昭の十八男)の邸宅。水戸家下屋敷風の造りで1884年完成。明治時代の純和風の木造建築を今に伝える。松戸駅から南西に望まれる高台に建っており、「戸定が丘歴史公園」、「千葉大学園芸学部」に接っしている。常磐線が1896年に完成し邸宅に出入りする御用聞きが線路にできた出来立ての珍しい踏切を渡って戸定が丘に通ったという。表座敷棟は62畳という広い空間。真ん中に壁があるものの、西北向きに縁側が置かれ広大な庭園から江戸川と富士山が眺望できるという。この日は曇っていて見えなかったが。折しも雛祭りの季節なので、竹舟が幾つも畳の上に川の流れのように置かれ、それぞれにお雛様一対が乗せられていた。風雅な演出に目を見張った。Hina Matsuri(雛祭り 2018.2.28)■柴又帝釈天、界隈・・東京都葛飾区柴又七丁目にある日蓮宗の寺院と参道。寺院の本名は経栄山 題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)。参道が面白い。草団子と煎餅の店がづらっと数十軒が並ぶ。すこし曲がった参道、柴又駅が近いことによる雑踏、家々の奥への広がり、土間の喧騒などが映画「男はつらいよ」のロケ地として最適だとされた。いままで、逆に考えていた。フーテンの寅さんがあったからこの地が栄えたと。話は逆であった。だがその後は逆にフーテンの寅さんがあるから今なお人を惹きつけているのであろう。「歩き塾」では高木屋老舗の草団子やおでんを食したが、この店の向かいにも高木屋があり、お土産を売っていた。店の奥に「予約席」とあった。これはフーテンの寅さん用に永久に置かれているという。人情話に感涙。通りのほうぼうの店にも、寅さんの衣装がおいてあったりして映画撮影の現場が残されていた。■山本亭・・地元ゆかりの山本工場(カメラのシャッター部品)の創立者である山本栄之助の自宅。昭和初期の建物で、葛飾区が現在管理。この管理がないとここにマンションが建っていたという。貴重な遺産である。居宅の一部は貸室として利用することができる。庭園の松には巨大な雪吊りが施されていた。しっとりした庭園で日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズガーデニング」が実施した日本庭園ランキング調査(対象803ヶ所)では、足立美術館(島根県)、桂離宮(京都府)、養浩館(ようこうかん 福井県)に次いで4位であるという(2008年、2004年は3位であった。)■寅さん記念館・・車 寅次郎の全作品を紹介する記念館でファンが多い。ジオラマや、実物模型、縮尺模型など往時を偲ぶことができる。映画ファンなら毎日通って飽きないしかけが随所に。■山田洋次ミュージアム・・13の視点の中に9つのテーマが設定されて対象が展示されている。「シンボルオブジェ フィルムよさらば」では現在は使われていないフィルム時代のコマ送りの装置や撮影フィルム(1本の映画で9巻という膨大なもの)がハードディスクに置き換わった今などを展示。(ブルーレイディスクでは1枚)。徒然の記その4 真鶴へ 2018.3.2(金)■2017.11.18(日)の「湯河原・真鶴アート散歩」以来の真鶴。4月に予定している「歩き塾・真鶴」の下見である。今回は趣向を変えてJRの駅一つ手前の根府川(ねぶかわ)から県道740号を通って真鶴へ行く。この地域は以前、府中から湯河原、小田原から伊東まで と何回も走っているが国道135号を使っている。今回は一つ上の山側を走るルートを選んでみた。実はさらにこの上を走る「白銀林道」をいつか走ってみたいと思っているのでその下調べという目的もある。なんとこの740号線で、「本小松石採石場入口」という看板を見つけた。「湯河原・真鶴アート散歩」のルートにもなっている。さっそく山に分け入った。1kmほどで採石場に到着。(再掲:■本小松石・・火成岩のひとつの輝石安山岩で、旧岩村にあった小松山に因んで名づけられた。箱根火山のマグマの塊が海水によって冷やされてできたとされている。日本の銘石の一つで、西の横綱の香川県の庵治石(あじいし)に対して東の横綱と言われる。墓石に使われる高級石材。)根府川にも別の種類の石(江戸城の石垣用の安山岩)が採れるらしい。すべて箱根火山の産物である。Quarrying field for Honkomatsu(本小松石 採石場 2018.3.2)コースは、真鶴駅→荒井城址公園→御林(おはやし)魚付、展望台→中川一政美術館→(黒松樹林帯)→三ツ石海岸→ケープ真鶴→(黒松樹林帯)→灯明山、佐々木信綱石碑→琴ケ浜→貴船神社→魚市場・真鶴漁港→鵐窟(しとどいわ)→岩地区→真鶴駅 約10kmrunning course from Nebukawa to Manaduru Cape(根府川から真鶴岬一周 2018.3.2)この真鶴の地形が面白い。前後の早川、根府川、湯河原が比較的おとなしい海岸線なのに、突如降ってわいたように岩礁の半島が出現する。おそらく溶岩流がこちらに突出したためであろう。その基部の岩地区に本小松石を産する。さらに驚くべきことに、漁港が発達し豊富な海産物で町が潤って住宅が密集していることである。(本当は現状では、若い人がUターンしてくれないため人口構成が高年齢化しているという普遍的な問題を抱えているようであるが。外目には風光明媚で暖かいこの地がよさそうと映る、)走っていると気づくことがある。住民が声を掛けてくれるのだ。小学生ならわかるが、大人が「おはようございます。」「こんにちは。」写真を撮っていると、「これから先、もっと絶景がありますよ。」 なにかほっこりする地域である。
Mar 3, 2018
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Miura Alps_ story (4333)2018.2.24We spent cold days on the Miura Alps longitudinally. Although it was very hard mountain trip but we drunk and refreshed at Ohuna. The next day I head for Sanya mini concert early in the morning. It was a very hectic week.寒い日を三浦アルプス縦走に費やした。過酷な山旅であったが、大船での打ち上げ会は楽しく疲れが取れた。翌日は朝早くから山谷のミニコンサートに向かう。超多忙な1週間であった。Sluice Iwabuchi(岩淵水門 2018.2.8)左奥のビル群は赤羽界隈目次徒然の記その1 トレーナーはN響の茂木さん徒然の記その2 Viola Lesson 徒然の記その3 Violin-Viola Duo徒然の記その4 caminoワイン講座徒然の記その5 歩き塾 三浦アルプス徒然の記その6 山谷ミニコンサート徒然の記その7 東京マラソン1日前一人run徒然の記その1 トレーナーはN響の茂木さん 2018.2.18(日)■茂木大輔さん・・N響のOb.(オーボエ)奏者 髭をはやした温厚な男性が我々の日曜日のオケのトレーナーとして初めて登場。TVでもよく映っている。指揮法も勉強され各地のプロオケを指揮される。著作も多い。「オーケストラ楽器別人間学」(1996,2002文庫)、「くわしっく名曲ガイド」、「拍手のルール」、「読んで楽しむためのだめカンタービレの音楽会」など傑作な著作が多い。今日はブラームス 交響曲 第3番 ヘ長調 作品90を振っていただいた。ユニークな表現で皆を沸かす・・2楽章は「化粧を濃く」演奏すること。すなわちビブラートをもっと掛けて。それも最初から掛けず、行った先で掛けること。legg.ってなんだっけ「足で弾く」じゃないんだよ。leggero(レジェロ)で「軽く、優美に」 「fp legge.」とは「強くして直ぐピアノ 軽やかに」そのように弾くこと。dolce(ドルチェ)は「甘く」弾く。2楽章37 チェロの終わり方は、「5時定時」というような終わり方ではなく、「残業賃は付かないが、5時15分まで」というような余韻のある終わり方で。mezza voce(メッチャ ヴォーチェ) 半分の音量で という意味なので松葉(<>)の記号は、クレッシェンド、デクレシェンドではなく、両側がくっついていた特殊な記号であったようだ。ブラームスはこれを「入口を柔らかく」という意味で使ったようだ。押して弾き始めないように。piü f(ピュー フォルテ)sempre(センプレ)・・は「前よりも少し強く」+「引き続き」であるが、クレッシェンドの意味で使われている。「どんどん大きくなる」と解釈。ただし最後にffがあるので、その音量を越えないように。演奏者のみが知っている秘密の音量があるのだ。ffで「あーしまった」ということのないように。ben marc.(ベン マルカート)・・音を十分にはっきりと・・スタカート気味ではなく、長く弾く。伊東ゆかりのIから・・A,B,C・・と記号が振られている箇所を指すが、分かり易いように頭文字を言い換える指揮者も多いが、茂木さんが歌手名でそれを言う。ここでも歳が分かってしまう。徒然の記その2 Viola Lesson 2018.2.20(火)■Viola・Alessandro Rollaの第2番 Largoをデュエット。3/4のリズムのなかで、6連符などがあるとどうも走ってしまう傾向。どんなリズムが来ても拍をいかに正確にとるかが重要。不整脈のようにならず拍を刻んでいく練習を徹底的に行い、リプレイ。次回完成を目指す。・R.シュトラウス 交響詩「死と変容」作品24:Death and Transfiguration Op.24 シュトラウスが”遊んだ”という曲であり、変リズム満載の曲でさらに各音符に#や♭や♮の臨時記号だらけの超難度の曲をLessonでは初めて例の2連符・3連符の連続する最難関の曲。正確に歌えないといけないというので、今日もViolaを持たせてもらえない。スパルタ先生!駅までの道すがら手で2拍子のリズムを取りながら口ずさむ。最初のupでは、八分音符2つの(タタ)、次のdownで3連符3つ(タタタ)と均等に割り振り・シンコペの連続ながら、最初の八分音符の後ろの「タ」、3連符の後ろの2つの「タ、タ」と歌っていく。だいたい完成した感じ。徒然の記その3 Violin-Viola Duo 2018.2.21(水)■デュエットViolinとViolaのデュエット用に編曲した4曲とヴァイリンとヴィオラのための二重奏曲などを友と練習。・モーツァルト:喜びに寄せて K.53(11歳の時の作品)、寂しい森の中で K.308(21歳)・グリーグ:秘密を守るナイチンゲール Op.48-4、薔薇の季節に Op.48-5・モーツァルト:Mozart Sonata in G, K.423 for Violin and Viola K.423 第3楽章 を通す。・シューマン:In der Nacht 夜に Op.74 no.4(ギター、Violin、Viola) 今回は新しい試みとしてコーヒブレイクが設けられた。コーヒー豆は焙煎してから3日以内のものを使う(または半月までの冷凍保存)、挽いてから3時間以内、淹れてから3分以内という厳しい掟を課したコーヒータイム。普段は口にすることが出来ないほどの真黒な濃いコーヒーが仕上がった。聞くとこれがカフェインレスのコーヒー豆であるという。奥さん用に特別の「デカフェ」の豆を仕入れているようである。そのデカフェなら小生でも飲めるかもしれないということで、今回のコーヒータイムの新設と相成った。2杯も飲んでみた。朝に呑む薄い色のコーヒーとは較べることが出来ないほどの黒さである。熱湯をゆっくり注いでいく。粉がフィルターの中で焼き餅のように膨らんできてよい匂いが漂う。沸かす水の量は、コーヒーカップで5杯。これはカップを暖めるために使う分も計算してのことである。儀式のような「コーヒータイム」。今日のは苦み系のコロンビアの豆を100%使ったという。お茶菓子などと共にブレイクも楽しむ。娘が留守にしているつかの間の幸せ! 次回は4月以降のDuoである。coffee break(Violin-Viola コーヒーブレイク 2018.2.8)徒然の記その4 caminoワイン講座 2018.2.21(水)■市ヶ谷にあるセルバンテス文化センターのワイン講座に参加してきた。参加資格はスペイン語が堪能なこと。だって講師はスペイン語しか喋らない。皆、講師の詳細なブルゴス大聖堂の写真の説明を聞きながら笑ったり相槌を打ったりそれとなく反応していた。こちとらは語学力ゼロであるため、Google翻訳機でレジュメをカメラで撮って翻訳したり。その考えられないようなPoorな日本語をパスルを解くように勝手に解釈していくのに忙しい。並行して講師の似顔絵を書いたりして遊んでいる。さて今回のワインはCasilla-León(カスティージャ レオン)自治州のBurgos(ブルゴス)の産。Mantel Blanco(マンテルブロンコ 白ワイン)、Arzuaga Rosado(ロサド; ロゼワイン)、Val de los Frailes Crianza tinto(フレール 赤ワイン)このワインに合うような料理が7階にあるスペイン料理店(バルレストラン「メソン・セルバンテス」)から運ばれてくる。イベリコ豚(?)の生ハムにナッツを載せたもの、チョリソ、マンチェゴ・チーズにマルメロを載せたもの、callas a la madrielña(カジョス アル マドゥリレーニャ)風の鶏肉のトマトソース煮込み等が振舞われ、大した内容である。各自グラス2個が支給され、3種類のワインを交互に飲み比べる。その美味なことといったら。この講座は今回で2回目。次回は「ビエルゾ(ノセーダ・デル・ビエルソ(Noceda del Bierzo);レオン県)」続いて「ガリシア」。楽しみである。Burgos wine and dishes(ワイン各種と料理 2018.2.21)徒然の記その5 歩き塾 三浦アルプス 2018.2.22(木)■二子山山系三浦アルプス縦走 平面距離 10km 累積高度(+848m、-862m) 見かけ距離・・10+(848+862)/2x10/1000=19kmみぞれ混じりの雨が降る極寒の悪天候に11名が逗子駅に集合。仙元山には10時に到着。それからの9kmはup downおよそ1000回の過酷な山道が延々続いた。観音塚、乳頭山を経由。迂回路を見つけ損なって急峻な下り坂を転げ落ちそうになりながら降りる。濡れた道は大変滑りやすい。JR田浦駅には16:30に到着。10kmに7時間を要した勘定。甘くなかった三浦アルプス! 後続隊には屋久島ツアートレッキングツアーへの試験登山隊があった。埼玉からバス仕立てで登山を行い4回の試験登山に合格した人のみが屋久島トレッキングツアーに参加できるという。ここで驚くべきことが。感謝の気持ちで涙がでそうになった。前回の試走で迷いやすいのこのコースについて、「二子山山系自然保護協議会」の人にGPSデータとともに目印が欲しい箇所をメールしておいた。その意見が反映されたのか、赤いテープや、X印が付けられていたことである。早速お礼のメールをしておかなければ。屋久島ツアートレッキングツアーのリーダー格の人はこのコースを熟知しているらしく、地図の載っていない、乳頭山の巻道を僕に教えてくれた。直下の「畠山へ」の標識ポイントを取り、ロープの5本の急降下をパスできるコースがあることを教えてくれた。残念ながらそのコースを取れず、我々はそのまま乳頭山へ。案の上、恐怖のルートとなってしまった。すこし反省。徒然の記その6 山谷ミニコンサート 2018.2.23(金)■第87回山谷ミニコンサートが「 神の愛の宣教者教会」台東区日本堤2丁目で開催された。小雨がぱらついた寒い日であったためかオジサン達の数は少なかった。童謡やナツメロ、演歌の大合唱がホールに響いた。今日の曲は、スキー、雪の降る街を、ごらんよ空の鳥 、 ごめんねジロー、細雪、雪国、海峡、津軽恋女、哀しみ本線日本海、365歩のマーチ。この10曲で伴奏を分担したのは、「海峡、津軽恋女、哀しみ本線日本海」の3曲。津軽恋女に出てくる雪は7つ「粉雪、粒雪、綿雪、粗目雪、水雪、固雪、春待つ氷雪」。寒そうな景色が目に浮かんでくる。カラオケ時代はマイクを放さず歌ったものである。どれもViolaがよく鳴る曲であった。終わった後は、1kmほど歩いてLaLaテラス南千住(南千住4丁目)まで遠征し大戸屋で反省会。南千住駅前にある味どころはだいたい制覇したので、高層マンション群のある4丁目に足を延ばしたという次第。芹(せり)と鴨のだし汁鍋を頂く。これもなかなかの美味。創業60年になり「日本の定食を世界の定食に」という標題を掲げ躍進しているチェーン店である。NYに行ったら寄ってみよう。徒然の記その7 東京マラソン一1日前1人run 48km 2018.2.24(土)■まぁ恒例となっている東京マラソン1日前イベントである。抽選に落ちた腹いせに「東京マラソン」をめちゃめちゃに! そんなことではない。大東京の1日前はなんの素振りも見せない。その東京がおもしろいのである。深夜から日曜早朝に全てが準備されるので土曜日はまったく変化がないのだ。交通規制の看板があちこちに立っていることぐらいだ。本番の走りと違うのは、リュックを背負っていることと、スケッチしながら走ることと、信号待ちがあるため赤では右折したりしながら時間を稼ぐため距離が長くなってしまうことや途中で弁当を食べることである。よって膨大な時間がかかるため早朝出発となる。6kmも余分に走ったことになったのはいかに信号が多いかを物語っている。赤のたびに立ち止まらず右折や左折しながら緑になるタイミングを見計らって戻る行為を繰り返したことによる。コース:Tokyo Marathon 2018 course (東京マラソンコース 2018.2.24)2017に新しいコースが設定された。門前仲町を折り返すGoal snap in front of Tokyo Sta. and Wadakura-mon (東京駅前ゴール風景 2018.2.24)48kmも走ったためやせ細ってしまった。
Feb 24, 2018
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twice great exploit,中近東文化センター_ story (4332)2018.2.172月17日は大変な歴史的な日となった。将棋の朝日杯では、藤井5段が羽生(はぶ)竜王を破りさらに、広瀬8段にも勝って朝日杯で優勝(16:52) 6段昇段となった。中学生での棋杯獲得となり史上初。史上最年少。平昌五輪では、羽生(はにゅう)結弦(ゆずる)が金メダル。宇野昌磨が銀メダル。羽生の五輪2連覇はディック・バトン以来66年ぶり。We went down a hill in Musashino from Higashi Koganei St. to Chofu St. .Middle Eastern Culture Center in Japan is standing in the top of this area, and the forest in ICU is back scenery. Mikasanomiya Takahito (royal prince) 's book as the ancient Oriental civilization was my trigger an interest in history.Turkey ancient ruins are now also excavating.武蔵野の丘を上から順に下っていき調布へ。中近東文化センターはこの大地の上の方にあり、広大なICUの森を借景にしている。小生が歴史に興味を持つきっかけとなった古代オリエント文明の本は三笠宮が書いていた。古代遺跡発掘は現在もトルコ各地で行われている。Tanzawa mountain masses from Uenohara in Sagamihara City(相模原市緑区 上中ノ原団地 )( 2018.2.15)正面は丹沢山系。この空き地にFood One(フード ワン)というスーパーがあったが、昨年4月に突然営業を停止し、その後更地になってしまった。ヤオコーやR129沿いのOKストアなどの超大型スーパーが出来たためもあったのだろう。つかの間の空き地。ここから丹沢の全体が見渡せる。目次徒然の記その1 Violaパート練習 & 懇親会徒然の記その2 歩き塾 静かな美術館巡りシリーズ「中近東文化センター」徒然の記その3 神奈川交響楽団リハーサル見学 徒然の記その4 珊瑚の会 徒然の記その5 missing-yeast-bread徒然の記その1 Violaパート練習 & 懇親会 2018.2.12(月)■府中グリーンプラザでの恐らく最後のパート練習・・S55(1980)年にopenしたこのホールは、3月31日をもって閉館になりビルは取り壊される。京王線府中駅からはペデストリアンデッキで結ばれアクセスが便利であったのだ。けやきホールや地下の音楽練習室は、ミニ・クラッシックコンサートやオケの練習にはよく使わせていただいた。因みに3月4日(日)pm2:00開演のミニクラッシックコンサート2018がここで開催される。A・ヴィヴァルディの2本のバイオリンのための協奏曲 イ短調 Op.3-8、F.J.ハイドンの弦楽四重奏第76番 ニ短調「五度」などが演奏され無料。ぜひお越しください。さて、パート練習には総勢10名が集まった。Viola奏者は現在14名がいるので出席率はかなり高い。定期の全曲を弾いていく。音楽記号の「Dim.(Diminuendo(ディミニュエンド)」や「>(decrescendo)」などがとても下手であるとの指摘。・音が消えていく過程での処理であるが、大体において音が大きく、"消え方が足りない"と。敢えて言えば、弾き過ぎているという。全員がpp(ピアノシモ)で演奏することができればどんなにか美しいかと。それを一人がmf(メゾフォルテ)の音量(音量はppp,pp,p,mp,mf,f,ff,fffと強くなっていく。ppとpは1:2の音量比と言われることもある。)で弾いたりしたら大なしになると。合奏の難しさである。・スプリットp(ピアノ)やスプリットf(フォルテ)、急なffの場所では、歌手の息継ぎと同じように楽器も”間”が必要になる。ワーとなだれ込むのではなく、一瞬の「ため」が必要だと。・後拍の音が大きいと・・皆の弾き方は大体において、後ろがガーと膨らんでいるのだという。寧ろ逆で後ろは抜くようにすれば美しいと。・Sf(スフォルツアンド)・・これも後を抜くように奏でる。総じて音が大きいのであると。音楽は繊細だ。・速いパッセージでも言葉を紡ぐように弾けと、ザーとごまかし気味に弾くのではなく、言葉を喋るように音をならべ丁寧に弾いていくこと。・演説や講義のとき、大きな声で話しても誰も聞いていない。むしろ小声で話したり、一瞬口をつむぐ。そうするとお喋りが止み、皆聞き耳を立てる。音楽の神髄はそういうところにあるのかも知れない。■66歳の府中市民が入団した。創立50年を越える「東京ムジークフロー」の団員である。驚いたことに府中生まれの府中育ちながら我が「府中市民交響楽団」の演奏会には来たこともなく存在すら知らなかったと。府中でも中央線に近い北に住まわれている方である。大國魂神社や府中市中央の南の文化に触れず人生を過ごしてきたことになる。嘆かわしいことである。逆に言えば、我々もまだまだ宣伝活動が足りないのではないかと痛感した次第である。徒然の記その2 歩き塾 静かな美術館巡りシリーズ「中近東文化センター」2018.2.13(火)■中近東文化センター 附属博物館・・三鷹市大沢3丁目の学園通りに面した閑静な住宅街やICUに接っしてひっそりと建つ。このセンターの設立は三笠宮崇仁(たかひと)(1915.12.2-2016.10.27)殿下の功績が大きく、今もなおトルコ中央部のカマン・カレホユック遺跡の発掘調査が継続している。館内には記念図書館、出光美術館の名品選などがある。ハムラビ法典などを展示した「常設展示室」、エジプト、メソポタミア、トルコ等の古代オリエント史を研究された殿下の「記念展示」などを拝観。これには1,2時間を要する膨大なものがあった。4大文明の2つを解く殿下のインタービューVideoなども観れ面白かった。・・旧約聖書でのノアの方舟はチグリス川の氾濫を示唆し、この川の氾濫は土で出来た家屋を融かしてしまう厄介者であったという。一方ナイル川の氾濫は肥沃な土を運んできて麦の生育に有難い存在であったという。■深大寺・・本堂の前に大きな無患子(ムクロジ)の木が立ち、沢山の実が成っていた。ムクロジの漢字は「無患子・・子供が患わない」と書くところからお守りとして売られている。■深大寺そば屋街・・月曜日あるいは休日と重なるときは翌日の火曜日がお休み。ほとんどの蕎麦屋がお休みであり驚いた。神代植物公園の休みとお合わせているのであろうか。お寺は毎日開いているというのに。「雀のお宿」という竹垣で囲まれたそば屋に入り、天婦羅そばや葛餅を食する。■野川散策・・国分寺にある日立中央研究所の敷地内から発した渓流は野川となって三鷹天文台の下にあるハケをかすめて、調布市にはいり、最終的には仙川と合流して多摩川に注ぐ。この河川敷は土道で時々ランナーが駆けていくが、階段は稀なので一旦下りてしまうとなかなか上に上がれないということになり、堤の上を歩くのが無難。■調布飛行場・・大島まで25分で行ける定期便がここから毎日3便も出ている。羽田を1/1000くらいにミニチャにしたようなターミナルがあった。荷物チェックなどもシステム的には同じ。機長は控室からスタスタと飛行機まで歩いて出ていく。小さなプロペラ機であれば、客のバランスも必要で、70kgと50kgの人が左右に乗る場合は、20kgくらい砂袋を持たされるのであろうか。ポケットに入れる小銭入れも左右で指定があったりして。やはり乗ってみないと分からない。定期便は、大島、新島、神津島、三宅島の4島行がそれぞれあった。運賃は1万2千円ぐらい。現地で30分くらい滞在した後帰りの便に乗れば1日で往復できる。おったまげものだ。■propeller-cafe(プロペラ・カフェ)・・調布飛行場の格納庫にこのcafeがある。知る人ぞ知る穴場のカフェ。ハンバーグなどはアメリカ仕様。このcafeからはガラス越にプロペラ機やロールスロイスの自動車が見えるし、入室もできる。子供たちを連れてくると面白いのではないだろうか。フライトシュミレーターもあり、羽田に連れて行くよりも格好の遊び場である。徒然の記その3 神奈川交響楽団リハーサル見学 2018.2.16(金)■神響の2/17の定期演奏会のための公開リハーサルがあったのでみなとみらい大ホールまで聴きに行ってきた。13:00-14:00(無料) 400名が詰めかけていた。小泉和裕客演指揮者での、・ウェーバー(1786-1826) / 歌劇「オベロン」序曲 ・ブラームス(1833-1897) / 交響曲第1番 ハ短調Op.68 1,2楽章に聴き入る。なかなか厳しいリハーサルであった。音が鳴りだした途端さっそくダメダシ。音の”発音の仕方”が幾度も正されていた。初速度や途中の音の膨らみ方など、仔細にチェックされる。緊張の一時間であった。明日の本番で演奏されるグリークのピアノ協奏曲は公開リハーサルでは演奏されなかった。リハーサル後ホワイエで10分くらいの解説があった。事務局次長が、「17歳のブラームス」が好きだといっていたのでネットで検索。下記のように大変ハンサムであったようだ。晩年のひげ面ではない。17 years old Brahms(若きブラームス像)( 2018.2.15)実にハンサムであり。晩年のひげ面と大違い!徒然の記その4 珊瑚の会 2018.2.16(金)■東京芸術劇場 リハーサルルーム・・大学OBオケのグループの一つである「珊瑚の会」の例会が開かれた。今日は2017/8/18、11/18に次いで3回目となり曲目の仕上げの日でもある。・モーツァルト(1756-1791):ピアノ協奏曲 第22番 KV 482、・モーツァルト:交響曲 第31番 「パリ」KV 297。次回8月からは曲が変わる。各楽章2回くらい練習して、本番ということになるが、時間が押してくると練習1回、本番1回で仕上げていく。今回は失敗をした。長大なコンサートピアノの蓋を上げ忘れたため音が小さかったのではないかと後で指摘があった。ピアノを反対向きにしてオケが聴けるようにしたにも拘わらず、大事なことまで気配りが抜けていた。また、Violaが1人と寂しく、一人で頑張ったもののミスもあった。曲をもう少し勉強しておけばよかったと反省。■二次会(ここでは独語でアミカルという。)はいつものサイゼリアで。いつも満席状態で、待ち行列が長蛇であるが我々は大体いつも20人くらいで予約席に辿り着く。全員楽器を持っているので、店内の空いているコーナーなどに置かせてもらう。前回話題(11.18の日記)の”低温・天婦羅揚げ器”のその後の進展を聞いてみた。原理は、TVの「カンブリア宮殿」で紹介されたようである。普通は180度8分で揚げるところこれを使えば160度6分で揚げられるという。微妙な差であるが食材の鮮度やおいしさが保たれるのだという。夢のような機械というが、まだ試作機の段階である。珊瑚の会に関係者が3人もいる。早くも億万長者を夢見ているが先は長そう。広報活動の職であればお役に立てるかも。ただ資金がないらしく1千万円の拠出を求められた。さてこの事業どうなることやら。徒然なるがままに歓談は続く・・・ロボットが演奏し、客もロボットという時代が来るのではと。そのとき人間は何をしているのであろうか。ミスのない演奏を聴いてどこが面白いのだろうかと。・地球の将来・・これから何億年もすると地球は無くなっているのではないかと。多次元の世界では我々の宇宙のすぐそばに別次元の宇宙が存在するのである と。今は交信ができないままであるが。太陽も無くなるもっと先を心配し始めるときりがない。今日はこの辺でお開きにしようと。こちとらなんて家に着いたのは日が変わってからであった。あぁViolaがどこかへ行ってしまったからである。(翌日京王八王子駅にすごすごと取りに行くturbo717の姿があった。)カミさん風呂からでてきてその顛末を聞きじっと家で待って車で迎えに来てくれる。■高尾山健康登山・・599mの高尾山に登る毎に、健康手帳(一冊700円)にスタンプが貰える(1回100円)。これを21回押すと満行となる。21という数字は、御本尊『飯縄大権現様』の縁日が毎月21日であることに因む。最初の2回の満行で精進料理が振舞われる。3回目以降は、満行券か健康手帳が貰える。満行券が5枚や7枚となると精進料理が食べられる。100回の満行で満願(毎日登っても7年もかかる)となり氏名が大きく掲載される。我が珊瑚の会のコンサートマスター(小生とは同期)はなんと既に1470回(健康手帳70冊分)の登山を終えている。彼の暮らしはまさに仙人である。朝3時起床。京王線に沿って歩く。始発が動き出したら最寄りの駅から高尾山口駅へ。8:00には山頂に着き、昼過ぎ帰宅。午後7時就寝。その生活がもう10年も続く。徒然の記その5 missing-yeast-bread 2018.2.14(水)■失敗!とカミさんが叫ぶ。・・・な、なんと朝セットしたパンが出来ていなかったのだ。久しぶりにミスを冒してしまった。ホームベーカリーには、10個の落とし穴がある。強力粉、スキムミルク、砂糖、塩、バター、水、ドライイーストの各分量、攪乱用の羽、ホームベーカリーのメニュー設定(正しく「標準の食パン」になっているか)、20分後のドライイーストの落とし込み。この10個が揃わないと、ちゃんとパンが出来上がらないのだ。一番傑作だったのが、砂糖と塩の壺が入れ替わっていたことに気づかず、砂糖大匙2、塩小匙1としたことだ。結果は? カミさんいわく。よしんば入れ替わっていても気づかなくっちゃとシャーシャーというところが憎い。さて今日のミスはドライイーストの入れ忘れ。「20分後のドライイーストの落とし込み」に関しては我が家だけの特殊事情による。すなわち機械が故障気味で容器の外側に置いたドライイーストが中に落ちていく仕組みが時たま動かない場合があるので機械が「ガタガタ」と落とし込む”素振り”をする時に見に行ってあげるのである。今日のは、もともとドライイーストが入っていなかったためそうとは気づかず、ちゃんと機械が作動したと勘違いをしたためそのままとなった。結果は? イースト菌の無いぺちゃんこのパンが出来上がったのだ。普段ならこれを庭に播き鳥の餌にする。今日は違った。250mlくらいの水を入れて固まったパンを容器から外し易くしておいたのだ。2,30分置いたであろうか、ぺちゃんこのパンが水をすっかり吸ってすこし膨らんでいた。次にこれを薄く切って食べてみた。イースト菌の無いパンを食べてみると、まぁ食べられないことはない。それをトーストで10分ほど焼いてみた。これも食べられないことはない。ジャムなどを付けて。さて、ここでカミさんも乗り出してきた。もっと薄く切ったらどうだろうと。また、それをパンの耳を油で揚げるように揚げてみてはどうだろうと。砂糖をまぶせば立派な午後のおやつになりうる。この発明品・・”イースト菌なしで失敗したパン”missing-yeast-bread or san-yeast-bread はいかが。sweets of flying with oil for non-yeast-bread(生パンの焼き菓子)( 2018.2.15)
Feb 17, 2018
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荒川河口からのrun_ story (4332)2018.2.10In very cold day I run on riverbed of Arakawa to Kitaasaka about 40km. A strong wind blew and it was very cold.Jogashima_Bisyamon(三崎海岸から城ケ島 2018.1.31)1月の最後に、三浦半島に行ってきた。三崎海岸の毘沙門湾近くの岩礁。岩が同じ方向を向いてイグアナが群れているようだった。彼らは海に向かって吠えていた。目次徒然の記その1 歩き塾 手賀沼一周徒然の記その2 荒川を走る 徒然の記その3 Viola Lesson 徒然の記その4 ゆりあん徒然の記その5 確定申告徒然の記その1 歩き塾 手賀沼一周 2018.1.30(火)都内・近郊シリーズ・・・関東一円を含めて5km近辺の短いコースが中心のこのシリーズ。今回は巡礼想定距離の23km。■我孫子→手賀沼旅装を整えて参加した人も含め大体がリュックを担ぐ。それもヨーロッパの巡礼トレーニングを兼ねているので距離が重要な要素となる。最寄りのJR常磐線・我孫子駅に9:20には全員集合。会社時代はここに我孫子事業所がありよく通ったものである。12万平米の広大な敷地は緑化センターのような小綺麗な新工場で、LANなどの情報機器を製造していた。この土地は、成田空港へは43km、羽田空港へは53km、霞ケ浦へは32km、東京湾ヘは27km、銚子までは100kmという立地であり、360°の空(そら)の空間があり、終(つい)の住家とするには最適ではないかと。僕だったら毎日、手賀沼を半周か一周しており、野菜をお土産に家路につくという日常が見られるかもしれない。はじめての「手賀沼」に熱い思いを抱いてしまった。さて、沼を時計回りにゆっくり歩く。途中にあった手賀沼親水広場や「水の館」に立ち寄り、4F展望室から手賀沼全貌、遠く富士山、東京スカイツリーなどを見渡す。「鳥の博物館」の脇を通り、山階鳥類研究所(黒田清子さん(紀宮清子内親王)が車で通った研究所)へ。これは門から見るだけ。なかなか風情のある広大な研究所であった。広々とした沼の周りをゆっくり散策。道の駅の脇にあった野菜レストラン-SHONAN(沼南)でサラダバー付きのランチメニューに堪能。残りの12kmくらい歩いてもまだ腹はこなされておらず、そのまま車中の人となった。以下は見物紀・・■タナゴ釣り・・沼のあちこちの入り江では小魚のタナゴ(鰱 絶滅危惧種EN 神奈川県ではすでに絶滅し、霞ケ浦や手賀沼など限られた地域に棲む)を釣る釣り人が散見された。タナゴ釣りの仕掛けは、針、ハリス止め、おもり、シモリ玉、ウキ、道糸、竿と魚の小ささに比べて道具が高い。)よってほぼオタクのような釣り師仲間ができ群れるという習性。この人たちが沼沿岸に多数。■ハクチョウ・・ロシアからの渡り鳥と、手賀沼生まれの「コブ(瘤)ハクチョウ」の2種類がいる。後者は本来は外来種ながら周年この沼で生息する。くちばし上部の付け根に黒いコブのような裸出部があり、名前の由来になっている。ハクチョウもコブハクチョウも、沼および、周辺の田んぼなどから餌を漁るという。この日は殆どがコブハクチョウであった。■オオバン(我孫子市の鳥)・・黒い水鳥である。ハクチョウの後ろに2,3匹が集い、ハクチョウを追いかける。最初はハクチョウの子供たちかと思ったが、さにあらず。水の上で戯れているのであった。実に愛らしい。種族を越えてこのように仲良くしているなんて素敵。 Fulica atra(オオバン 2018.2.5)■三樹荘(さんじゅそう)・・柳宗悦(むねよし)居宅跡・・・明治29(1896)年に常磐線が開通し、我孫子が鉄道によって東京と1時間あまりで結ばれるようになると、手賀沼を望む丘の上は別荘地として注目されるようになった。柔道の創始者であり、教育者として著名な嘉納治五郎(じごろう)が別荘を設けたりした。嘉納の姪である柳 直枝子(すえこ)もその西隣に家を建てた。後に文芸運動の中心人物・柳宗悦(むねよし)の新居となったという。椎(しい)の3本の大木があったため三樹荘(さんじゅそう)と命名された。バーナード・リーチもここに窯を構え陶芸に打ち込むなどした。その後この地域には志賀直哉や武者小路実篤が移り白樺派の拠点となっていったという。大正時代に白樺派の人たちが主にこの南の風光明媚な場所に移り住んだといい、その旧邸がいくつか残っていて往時を偲ぶことができる。手賀沼を見下ろす断崖の上に、今も瀟洒な家が立ち並んで鎌倉のような風情を醸し出している。我孫子がそういう町であったなんて無知な私であった。帰ってからカミさんに言うと「白樺派の人たちが町を作ったのでしょう。」と。鎌倉を思わせる風情のある通りや坂道(天神坂など)は魅力的。■陶芸家バーナード・リーチ氏の碑・・我孫子駅から南に降り切った所にある「手賀沼公園」この一角に石碑があった。「I have a vision of the marriage of East and West.Far off down the Halls of Time. I heard a childlike voice. How long? How long? 」「私は東洋と西洋の結婚を夢見つづけて来た はるか悠久の彼方から 聖童の声を聞いた それは いつの日か いつの日か」徒然の記その2 荒川を走る 2018.2.8(木)■秩父観音巡りを6月から予定するにあたり、そこを流れる荒川とはどういうものか?を体現しようと東京湾の河口から荒川を走るという個人的な企画の初回。本当の話は、北区に住む知人が荒川で尺八の練習をしているという。その人が河口から歩いてみたいと言ったのだ。そこで秩父まで歩くコースは存在するのかという好奇心が持ち上がり、すこしGoogle Mapなどで調べ始めたのだ。秩父山系から発した荒川はまずは北に向かって流れる。標高876mの堂平山(どうだいらさん)などがある山稜を避けて荒川は北に向かって寄居あたりで南に転じる。途中で入間川と合流するなど次第に川幅を広げ東京湾にそそぐ。しかしこの川、一筋縄ではない。利根川も古利根川があるように、荒川も古荒川というように昔の川筋が残っていたり、中川、江戸川などを含めて治水の変遷を受けその度に川筋を変え複雑である。今の隅田川が昔の荒川であったのだ。だが川幅が狭く、幾度の洪水に悩まされたという。明治43年の洪水では川の湾曲部の影響を受け向島を中心に27万戸が水没。大被害をもたらした。明治44年~昭和5年までの20年間に延べ320万人の工数を要して荒川放水路の建設が行われ、川幅300mという巨大な人口の川が完成した。荒川から隅田川へ注水は、赤羽近くにある岩淵水門で管理されている。平常時は荒川の3割が隅田川に流されているが、洪水時はこの水門が閉じられる。隅田川の水量がゼロになるのではないかと危ぶまれるが、どっこい新河岸川(しんがしかわ)が隅田川の支流で、このあたりで合流しているので救われている。この岩淵水門も老朽化したため昭和57(1982)年に新岩淵水門(青門)が建造され今に至る。荒川の河口付近では川が2つ並行して流れる区間がある。これが中川放水路である。関東平野のおびただしい人工の川と水門をもってしても尚、一昨年の鬼怒川・中川流域の氾濫を見るように食い止めることができなかった。人智を越えた自然の猛威にはまだ道半ばである。その恐ろしか関東平野を北に向かって旅をしよう。秩父を旅する時にこのような歴史も知っておくと面白いのかもしれない。さて、荒川を秩父までそのまま辿ると173km。途中入間川近くからサイクリングロードを使って「坂戸」に入り、800mの峠越えしながら秩父に到達する120kmコースを想定した次第。3回に分けると、40kmずつとなる。どえらいことになった。というわけで前置きが長くなったが初回のコースは下記のように荒川河口から北朝霞までの40kmとした。まず河口の左岸から入り、船堀橋からは右岸に渡り、ひたすら川沿いを走る。葛西臨海公園駅→荒川河口→清砂大橋→葛西橋→船堀橋(右岸へ)→荒川大橋→新小松川橋→平井大橋→木根川橋→新四ツ木橋→四ツ木橋→新荒川橋→千住新橋→西新井橋→扇大橋→江北橋→鹿浜橋→岩淵水門→新荒川大橋→戸田橋→笹目橋→東京外環(幸魂大橋)→武蔵野線北朝霞駅 40km。この間ほとんど信号なし。ざっとこんな感じであるが、これに京葉線などの鉄橋が加わるので、無数の橋の下をくぐっていくことになった。日付は2月8日。とにかく寒い。気温0度ほどの体感温度に、強風。手袋を何重もしたくなるほど手先は冷たい。特に橋の下が日陰で寒い。堤防の道(高さ10-20mと壮大)と河川敷の道の2つがあるが主に河川敷を通った。この河川敷を走っているといったいどこを走っているのか皆目見当がつかないのだ。空から見て読めるようにと橋の名前が巨大な文字で示されていた。その漢字の上を走るときに、文字サイズを圧縮すれば橋の名前が掴める。パズルのような感じである。「次の橋まで」でいったように橋をターゲットにして走ることとなるが、最後の方は次の橋が見えていても3km先というような感じで次第に間隔が広くなってくる。よたよたと走りながら、最寄りの駅に一番近い川沿いのポイントはどこであろうかと。ここで武蔵野線が荒川を跨いでいたので、「北朝霞」近辺で西に折れることにした。次回はそこから坂戸まで。河川敷の利用形態:グランド・広場、ゴルフ場、空き地。このうち空き地は灌木が生い茂り荒れていたが、多摩川のような野菜畑は皆無。なかなか住民の意識が高くよく整備されている。人口の河川敷は多摩川ほどは肥沃ではないかもしれない。(北区・志茂--荒川の景色 2018.2.8)(荒川の堤防 2018.2.8)小学生の隊列が土手にあった。彼らは左手に新河岸川(しんがしかわ)を臨んでいる筈である。徒然の記その3 Viola Lesson 2018.2.9(金)■13:45-16:15 普段は立ちっぱなしで練習を行うのであるが、この先生、野沢へのスキーから帰ってきたばかりで、肉離れをして医者に行っていた。そこでお互いに椅子に座ってのレッスン。・Alessandro Rolla(1757-1841)の Drei Duosの2番目の曲にトライ。Largoの章を2,3回通す。なかなか美しい曲である。4拍子の曲であるが、4分音符3つでカウントする場合と、8分音符8つでカウントする双方を実験。カウントの感じ方で曲が違ってくる。Largoでもゆっくり4分音符3つでカウントした方が弾きやすい。・BrahmsのTragische Ouvertüre(悲劇的序曲)を初めてLessonでさらう。移弦(c,g,d,a線の4本を行き来する弾き方)は極力やめて、一つの弦で弾き切る(理論的には高音部へは移弦しなくても全部弾けるはず。ただし慣れていないため音程は取りずらい。)ほうがよろしいと。スピッカート(音を短く切る)とくさび(楔、音を強く切る)の区別が楽譜に示されている。前者が「・」で、後者が「小さな▼」。これの区別や、スピッカートのときにオフ(off 弓を飛ばす)にすし、そうではないときにオン(on ;弓を飛ばさず、ブラームス的な弾き方(ベタ弾き)で隙間なしに音を繋げる)に弾くなどの区別などを特訓。なかなかリズム的、音程的にも難しい箇所満載で、目を白黒。とにかくリズムが1/100秒で狂うことも許されない。口で歌い合格すれば楽器を持たせてもらう。その連続でいつしか予定時間を過ぎていた。帰り際玄関際で、今度は、・R.シュトラウス 交響詩「死と変容」作品24 R.Strauss:Death and Transfiguration Op.24の例の3連符と8分音符2つの連続の箇所を口ずさむ。クロックを刻む鳥ないしは、ねじまき鳥クロニクルになり切らなければならない。駅までの道すがらいつものように左右の足を利用し、右を八分音符2つの(タタ)、左足を3連符3つ(タタタ)と割り振り、(タ)(タタ)(タ)(タタ)(タタ)(タ)(タタ)・・とやってみた。時間的な長さは、3・5・2・5・5・2・5・・・・である。これは(3)(525)(525)(525)と区切っていけるのでわかりやすい。日曜日のオケ練習や月曜日のパート練習までにマスターしておかなくては!徒然の記その4 ゆりあん 2018.2.10(土)■NHK桑子アナ 平昌オリンピック 開会式の締めくくりで(2018.2.9 22:15頃)で「閉会式」と言ってしまった。「ん?」というような音声が一瞬入ったがそのまま番組が終了。最後は会場が暗くなり開会式を閉じるような雰囲気であったため間違ったのであろうか。さて、昨年12月にあった女芸人No1「The W」の初代覇者、ゆりあんレトリィバァ(yurian 海外ではジュリアンとも発音される)。彼女の体形や喋り方があまりにもドラエモンに似ていて面白い。奈良の進学校から関大文学部に進み、NSC(大阪吉本総合芸能学院)に入っておりピアノも弾ける。英語の発音はネイティブ並みである。これをもっと生かして芸を磨いてもらいたいものである。ピン芸はすぐ飽きられるが、英語を武器にすることができれば長持ちするのではないかと考える。少しゆったり気味のネタよりもハイテンポな英語ネタが受けると思う。ネタを世界に求めて面白おかしく語っていけば中高年のファンも掴んでいけるのではないかと考えた。小生は応援して行こうと思う。因みに昨年1月-3月の草なぎ剛主演のTV「嘘の戦争」で出てきた鳥オームの声が、ゆりあん であった。徒然の記その5 確定申告 2018.2.10(土)■e-TAXの申告にはICカードリーダライターが必要であるという。マイナンバーカードを読み取るためだけに! 電気屋に買いに行けと。いくつかのスマホはこれに対応しているというが当方のは台湾製のASUSであるためか対応機種になっていない。そこで従前どおりの書類提出にした。10-11月に方々からくる年金支払金額、社会保険料控除や生命保険料控除の書類は大事に保管されねばならない! し、しかし 我が家ではまともに有ったためしがない。あるべき金額を仮に入力していくと数万円が戻ってくるという計算。前回は還付金が2千円くらいしかなかったため”労多くして効少なし”として申告をやめたのだ。そのためか、2年ぶりに行うと還付金が大きい。再発行の電話をかけまくるはめに! あぁ!
Feb 10, 2018
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Total Lunar Eclips_ story (4331)2018.2.3We can enjoy the astronomical show in this year. Especially January is called for "Super Blue Moon " as twice full-biggest moon and on 31st was great opportunity for observing the lunar eclipse as long as three hours. The weather was well observable. I tried shooting with a chic digital camera. The meteor shower group is listed in no.6 tedious note of this blog.今年は天体ショーが楽しめる年である。1月は満月が2回あるブルームーンだし、31日には3時間にも及ぶ月食観測の絶好のチャンスであった。天気もよく観測ができたのではないだろうか。小生は、ちゃちなデジカメで撮影を試みた。あぁいいカメラが欲しい!流星群は徒然の記その6にあげておいた。The distant view of Kamakura from Hiroba(159.2m)-Ohirayama(159.4m)( 2018.1.25)1月25日に鎌倉アルプスをハイクした。鎌倉カントリーの南側に接する「広場」からは鎌倉市内が見下ろせ伊豆半島が遠望できる。(手前は枯草や笹の茂み。苦労した割にはうまく描けていない。)目次徒然の記その1 Violin-Viola Duo徒然の記その2 三浦アルプス再走徒然の記その3 関東ふれあいの道-「三浦・岩礁の道」 徒然の記その4 夢遊病者か?徒然の記その5 天体ショー徒然の記その1 Violin-Viola Duo 2018.1.30(火)■杜のホール橋本 よりは 我が家で娘が再び占有しはじめた本宅。たまたま留守にしているのでこれ幸いとばかりにいつものようにViolin-ViolaのDuoを楽しんだ。マンション住まいの人がよく言うように、楽器の騒音は大丈夫か?と。このマンション 造りは頑丈なのでほとんど音のトラブルはない。実際友達と交互に廊下に出て聞いてみたりするが音は出ていない。床に響く楽器ではないので騒音は大丈夫であろう。ドボルザークの歌曲「わたしの歌はひびく Op.55-1」「 嘆き Op.73-3」グリーグの歌曲 「私は暖かい夏の夕べに Op.26-2」「 春 Op.33-2」(Violinの友人がすべてDuo用に編曲。)モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 K.423 第3楽章 途中の1/3を。最後のは、YouTubeに樫本大進さんと川本嘉子(よしこ)さんとのデュエットが出ている。この演奏に倣って我々もと。ただし演奏のspeedは半分ほどの緩やかさである。本日の練習部分に難しいパッセージがあった。16分音符分が3連符になっていて、これまた付点八分音符の後で出てくるというややこし音型が3小節続く箇所があり合わせずらい。Violaの先生が言っていた「口で歌え」というまさにその箇所で、双方が歌ってみるなり努力を要する場所であった。16分音符分が3連符を後拍として、次の音符に付けるように歌うとよいかもしれない。演奏もそんな感じで聞こえるのだ。楽譜の作りが多少窮屈になっているせいか、時間軸と比例していないというのも悪さしているように感じた。次回2月は最後の1/3とこの課題を練習し、3楽章全体をもう少し速くやってみて完成させたい。徒然の記その2 三浦アルプス再走 2018.1.31(水)■三浦半島を縦断するコースは仙元山-乳頭山コースや、最高峰の大楠山(242m)を通るコースなどがある。「三浦アルプス」と呼ばれるのこの辺の広大な山稜を指すのであろうが、断面図のプロフィールから仙元山-乳頭山コースを含む二子山山系が特にそのような愛称で呼ばれる。この三浦アルプスの縦走として、仙元山から入った場合「田浦」に抜ける道は多岐を極める。考察の一助にしたいと、その最終コースを少し変えて再走してみた(6:40-9:40)。 だがまだ迷いが残る。前回(1月18日)のを第1案とすると距離は短いが急峻、しかし梅林があり変化に富む。起伏の数は18ながら三浦古道も通れる。今回の第2案は距離は長いがコースは楽。しかし景観に欠ける。起伏数は15。第1案、第2案の中庸となる第3の案を考えた。すこし長くなるが、コースは急峻ではなく、梅林も楽しめ、三浦古道も通れると。しかし、この第3案のコース、起伏が18で、第1案と変わらず。当日の皆の疲れ具合によって、第2案か第3案を選んでみよう。レジュメは2通り掲載しておく。今回の山岳コースのうち横横道路(横浜横須賀道路)の西側が二子山(ふたごさん)山系にあたり、二子山山系自然保護協議会や葉山消防、逗子消防、逗子市役所、大和ハウス(民有地)が山道に標識を多数設置し迷子撲滅に気を配ってくれている。特に二子山山系自然保護協議会は14のプロジェクトを立ち上げ、常に山に入って環境整備事業を行ってくださっているようである。小生の居住区は高尾山系や、丹沢山系に近いがこれほど多くの活動をしているのであろうか。この山系がいかに地元民の心の支えかを垣間見る。すばらしい山系である。横横道路より東側にあたる地区は「田浦梅の里」「三浦按針夫婦墓、塚山公園」「船越南郷公園」などがある里山で、風光明媚な場所である。この地域を2度訪れた総合的な印象としては三浦半島にこれほどの丘陵地帯が広がり、三浦アルプスと呼ばれる山稜の連なりがあったことに驚いている。■OpenStreetMap(OSM)・・Wikipediaのように編集 APIを持つオープンプラットフォームなので読者がいじれる世界地図である。実はこの山旅で実験していた項目は以下。国土地理院地図の山道はすべてを網羅したものではなく、OSMのほうが詳しい場合もある。特に私有地が多い山里では、国によって管理された道のほかに地元民が開拓した道々が多く、むしろ整備されていればOSMに頼るべきではないかと。電子化された国土院地図はnetで検索できるが、そこにある山道だけでは不完全であることが二子山山系を旅して初めて確認できた。藪漕ぎを強いられると思いきや、ちゃんと道があったのである。(この逆があるので注意を要する。すなわち地理院地図には出ているが、OSMにない道は、"廃道"の可能性があり現地で確認の要。最近の例では神奈川県愛川町海底(おぞこ)の斜面登攀)MapsMeやGeographicaというオフラインで使えるアプリで、OSMを選択すればそういう山道が表示される。しかしカシミール3Dの地図ソフトでは基本的には国土地理院地図しか扱わない。このため事前にトレースしようとしてもOSMにある山道をトレースできないという不都合があった。そこで今回は「タイルマッププラグイン」という手法で、カシミール3Dにタイルマップをプラグインし、OSM(全世界地図)を取り込んでみた。な、なんと二子山山系のすべての杣道(そまみち)が表示されたのだ。これをもとにトレースをしていけば正確な山道が辿れる。いままで道が無いのではないかと不安に思っていた「FK3-白赤稲荷間の道」が特定でき、次回「三浦アルプス」の第3案として活用できる。徒然の記その3 関東ふれあいの道-「三浦・岩礁の道」 2018.1.13(土)■同じ日に2つ目のrunning。上記に次いで今度は三浦半島最南端の松輪(まつわ)に飛んだ。八王子市の甲州街道沿いにある「梅の木平」を起終点とし、関東一都6県をぐるっと一周するコースが「関東ふれあいの道」で総延長1799kmもある。関東をハイキングしているとよくこの標札にぶつかるが、それもそのはず。高尾や大山を含め、超有名どころを幾重にも結んでいるからである。奥の細道紀行で通った栃木県の「摩利支天塚古墳-琵琶塚古墳」もそのなかにあった。さて、岩礁の道。どんなものかと・・(11:00-14:23)。な、なんと本当に波打ち際の岩場を歩いていくものであった。道はない! ヨーロッパの長距離巡礼を含めこんなコースは初めてである。非常に新鮮! よく見ると、人が通った後が岩肌に残っておりそこが白くなっているのである。誰がつけたのであろうか、階段まで彫られている。大潮のときでも歩けるような岩礁の箇所であった。10.3kmのコース(松輪→間口漁港→江奈漁港→毘沙門漁港→宮川漁港)は3ブロックに分けられ、漁港と漁港の間が岩礁コースとなっているのだ。ただ、一箇所。盗人狩(ぬすっとがり)は断崖絶壁の入り江で小さな木橋が渡してあったが、一部崩落。そこを渡れと!アメリカはザイオン国立公園の「いろは坂」よりも恐怖の道だろう。こちらは海の上を渡る木橋である。長さ約6m。一本の木の巾30cm。海面まで2m。海の深さ10m。絶えずうねっている海原。海底は黒く見えず奈落の底のようなイメージである。3本か4本あった木橋が、途中が抜けて、今は2本。間が50cmも空いているので木橋の役割をしていない。これでは綱渡りである。不思議なもので道に木が一本横たわっており、その上を歩けとなったらよほどのことがない限り6mくらいはいとも簡単に歩ける。それが両側が奈落の底であるとなると恐怖心が先に立ちあるけなくなる。さて、小生は、1歩踏み込んでみた。下は怒涛渦巻く海。海峡の流れは速い。おしっこがチビリ始めた。二歩進んで余りの恐怖にどばっと出てしまった。なんと男たるものこれしきに怯えて何とする!そこで考えた。木とは垂直に体をひねり、すこしずつ進めば行けるのではないか。ストックがあればつっかえ棒の役割をしてくれるかもしれないが意識がそちらにも削がれるため足元が不安定になる。思案の末妙案を思いついた。木を跨いで腰を下ろしてみた。リュックは担いだままでよい。足はぶらぶらさせたまま木橋の下の空中にある。両手を木橋に付き3点位置決めの法則でまずは身体を安定させる。次に尻を浮かせ前に引き寄せる。木にはささくれがあるので少し浮かし気味で。このようにして20cmづつくらいに徐々に前に進んでみる。尺取り虫の手法である。眼下を見てはいけない。目線は常に橋の上に。これを繰り返せば対岸に到着できる。最後は岩場にぶらぶらさせていた足を着地させる。これなら誰でもできる。渡り終えた先の岩場に男性が現れた。三脚をかついでいたのでカメラマンであろうか。難なく歩いて渡り終えた。大したものだ。ろうとるはこうだからいけない。彼は叫ぶ。「この先は、大丈夫ですから!」と。心配してくれてありがとう!実際の旅では、ここは無理せず引き返し国道に戻ろう。後ろから来ていた女性をしばらく遠目に観察。くだんの女性はしばらく思案し1,2歩挑戦していた。これからの人生を捨てるには忍びないと思ったのか十二分の洞察のあと来た道をとぼとぼと戻って行った。大声でやり方を教えてあげてもよかったのにと少し反省。残念な邂逅であった。「三浦・岩礁の道」は宮川バス停が終点であったが、三崎漁港までは2kmほどしかない。そこまで再度running。マグロの丼ぶりを食べ1月の最終日に祝杯をあげた。2つの旅を終わり、京急で帰途についた。The terrible bridge hanging over the sea at Nussutogari for KantoFureai road(関東ふれあいの道として海に架けられた恐怖の橋 2018.1.31)長さ約6m。木の巾30cm。海面まで2m。海の深さ10m実際は通行禁止だ。行政はなぜ補修しないのか?徒然の記その4 夢遊病者か? 2018.2.2(金)■食卓のポットが台所に?朝餉が終わると、食器を2度にわたって運ぶ。1回目は、大皿に小皿を載せ、コーヒードロップなどの容器を持つ。この1回目でカミさんのランチョンマットは飲み物用のカップを除いて空っぽとなり、新聞が広げられるスペースが確保される。薬を飲むためのカップにはあらかじめ熱湯を注いであり冷めた状態になっている。Coffeeカップはこれをとにかく一日中使いまわして何かと使用する。2回目は、小生用のコーヒーカップ(非常に薄いCoffeeは朝だけは許される)とミルクカップなど残りの小物。これだけ運べば台所仕事が開始できる。冬場はドアを締め切る。さて誰かがドアを開けてこちらにやって来ていた。横目だけで追ったたため凝視はしていない。黒い影が出入りしたようである。手にはすでに洗剤を付けているためダイニングルームに行くことはあり得ない。食器を洗って水切りをした。それで電気を消せば、台所は静寂を取り戻す。金曜日であれば生ごみを捨てる日なので、それらを処理するため家じゅうを回る。台所の生ごみは備え付けのビニールの袋に入れてある、この袋を持って諸方に回るのである。カミさんの脇にある山のようにためたちり紙などを回収に回るのだ。さて、台所のステンレス台をふと見ると、食卓にあった筈のタイガーのポットがポツネンと置いてあるではないか。さっきの黒い影が、このポットを持って来たのではないか。カミさんに尋ねてみた。「知らない!」という。「貴方でしょう?」とも言う。再度繰り返すが、何十年とやっている朝餉の支度や後始末で、食後にポットの移動などしたことがない。ポットは本来、カミさんがお茶を呑むため(昼寝とピアノとパソコン以外ははこのテーブルを使っているのである)に四六時中置かれていなければならない物なのである。無意識に誰かが、運び入れるということとは・・ソムナンブリュスト(Somnambulist 夢遊病者)の行為で、幽霊のようにだれも認識しない意識下の行為であったのだろうか。物体として、朝使った分が減っているだけの黒いポットがお湯を満載したまま台所にあったのである。これだけが事実で、誰が運んできたのかは不明。いったいこれは何だろう。双方のボケの始まりか? いや以前にも、冷蔵庫に食器が仕舞ってあった。これも犯人が分からないままである。お互いに狐と狸の化かし合いをしているのでろうか。誰かが言う。男の料理教室に通っていれば絶対にボケないのだと。包丁を握り、食材の段取りで頭を使っているためだと。とすれば女性は全員ボケないことになる。いやさらにViolinを弾きピアノを鳴らしていれば指も激しく使っており頭も使うため誰もぼけないのであろうか。いや、ボランティアで社会に奉仕している人など外の行動が多いとボケない!すべて本当だろうか。または、カミさん錠剤の飲み過ぎで、ソムナムビュリズム的な行動となってしまったのだろうか。恐ろしい。徒然の記その5 天体ショー 2018.1.31(水)■普通のデジカメで夜景を撮る・・今年は天体観察の当たり年という。1月は2日と31日の2回満月がある月で、「ブルームーン」と呼ばれる。また満月が大きいので、スーパームーン1月2日の大きな満月と31日の皆既月食に始まり、年末まで天体ショーが楽しめる。1月31日の皆既月食のTimeTable部分食開始:20:48 皆既食開始:21:51 食の最大:22:29 皆既食終了:23:08 部分食終了:24:11(皆既月食は2015年4月4日以来3年ぶり。今回は3時間以上の長時間の食。)Total Lunar Eclips at 10:43 31th Jan.(小型デジカメでの撮影 2018.1.31 )casio ZR-800・・BSモード(Best Shot);RAW+(生)、A(絞り);F3.9、S(シャッター速度);15sec、ISO;3200、ホワイトバランス;太陽光、フォーカス;MF(manual focus)、三脚使用。・7月28日の皆既月食のTimeTable部分食開始:3:25 皆既食開始:4:30 食の最大:5:22 皆既食終了:6:41 部分食終了:7:20■流星群太字は年間3大流星群・しぶんぎ(四分儀)座流星群・・2017/12/28-1/12 極大 1/4 5:00頃 1時間10個ほど・こと座流星群・・4/16-4/25 極大 4/23 3:00頃・みずがめ座η(イータ)流星群 4/19-5/28 極大 5/6 17:00頃・うしかい座流星群 6/22-7/2 極大 6/28 1:00頃・みずがめ座δ(デルタ)流星群 7/12-8/20 極大 7/28 前後数日間・火星大接近 7/31・やぎ座α流星群 7/3-8/15 極大 7/30・ペルセウス座流星群 7/17-8/24 極大 8/13 00:00~夜明け 10:00・はくちょう座流星群 8/3-8/25 極大 8/18・りゅう座流星群(ジャコビニ流星群) 10/6-10/10 極大 10/9 9:00頃・オリオン座流星群 10/2-11/7 極大 10/22 2:00頃・おうし座南流星群 9/25-11/25 極大 11/6頃・おうし座北流星群 9/25-11/25 極大 11/12頃・しし座流星群 11/6-11/30 極大 11/18 7:00頃・ふたご座流星群 12/7-12/17 極大 12/14 21:00頃 一晩に500個・かみの毛座流星群 12/12-2019/1/23 極大 12/20頃・こぐま座流星群 12/17-12/25,26 極大 12/23 6:00頃これだけの流星群に祈りを捧げれば叶えられるかも! 夏の奥飛騨などへこれを楽しみに出かけてよさそう。
Feb 3, 2018
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Snow fall_ story (4331)2018.1.27It was very heavy snow in the Kanto region for the first time in 4 years.The lowest temperature is still continuing, so that the snow on the road can't be melted.But Plums and wintersweet (Chimonanthus praecox,Japanese allspice) start to bloom here and there, we must go out to look that scenery.4年ぶりの大雪となった関東。最低気温が氷点下の日が続き、路面の雪が解けない。梅やろうばいがあちこちで咲き始め、春をまずは目で感じてみたい。そのためには寒くても外にでるのが一番!Snow fall in Sagamihara(近くの雪景色 2018.1.23)道は、横浜水道道路と呼ばれている。目次徒然の記その1 大雪後始末徒然の記その2 Viola Lesson徒然の記その3 樫本大進のメンデルスゾーン・バイオリン協奏曲 徒然の記その4 歩き塾 鎌倉アルプスハイク 徒然の記その5 オルフ室内合奏団 第20回定期演奏会徒然の記その6 1月27日徒然の記その7 忘れ物リスト徒然の記その1 大雪後始末 2018.1.23(火)■1/22(月)から1/23(火)未明にかけての大雪首都圏の積雪は21cmと日本の南を発達しながら通過した低気圧の影響でおよそ4年ぶりの大雪となった。思えば2014.2.8 東京に45年ぶりという大雪を記録した。我が家でも1mは積もったのではないだろうか。雪かきに夢中になってから約1ヶ月後、下腹部の異常を覚え、4月6日に入院という不名誉な思い出に繋がるのだ。いわゆる右側の鼠径ヘルニアである。巡礼後の2016.12にも左側を手術しているのでもう大丈夫であるが雪には注意が必要。今回の大雪警報。日本海側を見よ、積雪1mから3mという積雪でも東京のような大混乱はない。粛々と経済が動いている。こちらは21cmくらいで首都高が10時間以上もstopしてしまい、バスがスリップして電柱に激突した。まぁ備えの脆弱さと意識の低さが原因ではあるが。積雪後の除雪に関しては、「いじる」か「いじらない」かの両論。雪かきをして、雪を積み上げれば溶けないし、雪かきをせず放置しておいたほうが綺麗に溶けていくが、気温が下がり、さらに車が通り圧雪状態になった後はやっかいなアイスバーンとなってしまうというジレンマに陥る。しかし北向きの道は直ちに除雪。南側でも人が通り、車が通るような部分を優先的に除雪したほうがよい。近所の例でいうと、北向きの除雪を怠ったばかりに、1/23(火)の深夜から1/24(水)の早朝にかけての氷点下の気温の影響を受け残雪が固まってしまった。今回は昨年の年初から用意してあったプラスチックのシャベルがやっと威力を発揮した。金製のスコップでは除雪のし残しがでてしまい不完全である。このプラッスチックシャベルの利点は、軽いことと、掬う部分がまっ平であるため除雪が完ぺきにできる点である。ざっと門の前あたりを除雪し、ついでに近所近くを綺麗に除雪しておいた。こういう作業は雪が止んだ時点で直ぐに行うのがよい。翌日はその部分が綺麗に道路の表面が出て、通りやすくなっていた。高齢者しかいない家庭ではまったく除雪を行わないため道路部分は悲劇が起きる。近所の比較的若い年齢層の人たちが協力し合って歩きやすくしてあげるべきである。とくに小学生の登校ルートなどは。徒然の記その2 Viola Lesson 2018.1.24(水)■まず歌えと。雪のため1日順延してもらい24日(水)のLessonとなった。国分寺市内も雪が相当降ったらしくあちこちに雪が積み上がり、北向きの道路はアイスバーンとなり歩きづらい。上記の原則を履行すべきであると思った次第である。本日は、Alessandro RolleaのDuo曲1番の4楽章の速いパッセージを先生と一緒にアンサンブル。重音が半拍置きに続く箇所も含めて、相手に合わせていくという細心の注意を払いながら2,3回繰り返す。まずまずの出来。問題はR.シュトラウス 交響詩「死と変容」とブラームス交響曲 第3番。交響詩「死と変容」では、例の2連符・3連符の連続する最難関の曲。正確に歌えないといけないというので、手拍子に合わせ、口で歌っていく。これが難しい。寝ても覚めても口ずさみ、会得していった筈なのに「違う!」というダメダシ。どうもターン、ターン、ト、ターン、ターン、ト、ターン、・・・手拍子と合うタイミングは最初の「タ」だけで、あとは1/8拍か1/12拍ずれている。「ト」の部分は1/12と比較的短い。4拍子では出来るようになった。続いてこれを2拍子でも歌ってみる。難しい音程の部分が相当続く。先日のオケ練習で行っていた。ウィーンフィル Wiener Philharmonikerといえでも本番直前までリハーサルが続いたというほど難曲であるが、どんな難しい部分でもそれを拡大して一音一音ゆっくり弾いて音を確認し、徐々に速くしていくのだという。プロオケの個人練習でもそうだという。いわんや何ぞや。先生に反抗して見た。いくら歌えるようになっても、さてViolaを持ち、弓を構えたときは、歌っているときとでは全く動きが異なるではないかと。しかもViolaを構えながら口に出して歌うなと言うではないか。では何のため練習であったのかと。最近は子弟の関係が逆となり歯向かうことも。先生は言う。頭で歌えと。正確なリズムは頭でイメージしながら刻むものであると言う。よって歌えるまではViolaを弾くなと。色んなリスムが混じっている「死と変容」やブラームスこそ、鍛錬になるのかもわからない。我が家の音出しは夜の9時までであるが、楽譜を見て歌うことなどは夜中でもできる。今後はこれもマスターしたいと思ったしだいである。記憶力が減退しているので最近はタブレットにメモしながらLessonに望んでいる。入力した内容を辿ってみると・・。ブラームスはぶつ切りの音楽ではない。切れ目なく音を紡いでいけと。turbo717のは、A-、A-であって、「、」の部分で音が切れているのだという。これは弓の返しで音が途切れていることを意味する。そうではなく、A-A-・・と弾けと。音が、暴力的であると。ガツン、ワーと弓を力を入れて弾いているため暴力的な音がしているのだという。もっと優しく!特異値が出ていると。へんなアクセントが特に弓のダウン弓でそれが目立つと。もっと淡々と。楽譜にはそういうことを書いていないのだという。すべて了解。鍛錬あるのみ。今回のオケ定演の3曲は、ブラームス 悲劇的序曲 作品81、R.シュトラウス 交響詩「死と変容」作品24 R.、ブラームス 交響曲 第3番 ヘ長調 作品90 なんとしてもマスターしなくては! もっと練習に集中すべきであるのに、雪かきと言う追加作業が入った。いやこれは口実にすぎない。練習あるのみで、先生の高みに迫ってみたいものだ!このブラームス3番については面白い話がいくつもある。プロオケでも難しい曲なのだ。指揮者も嫌がるという。アマチュアオケではほとんど登場しない曲らしい。指揮者も辞退すると。しかし3楽章のVcは美しく切ない。泣くような音色だ。その一音一音にViolaが絡んでいく。あたかも背中をさするように優しく寄り添っていく。4楽章に金管総出の大音響があるが前回の練習では崩壊していた。28日の練習が楽しみである。練習が終わって5時台には家に到着。あれ、いつものピアノの音がしていない。カミさん、いつもpm4:00-6:00の2時間は切れ目なくピアノを練習する。そのときに帰宅しても相手にしてくれないのだ。ピアノの部屋に顔を出し「ただいま」と。挨拶だけはしておいく。これをしておかないと、あとで「貴方帰っていたの?」となってしまう。今日はそのピアノの音がない。家に入ると食堂のテーブルに座ってなにやら難しい顔。カミさん曰く。今ピアノをやっていうのだと言うように指をさす。発表会用の曲を、どこまで暗記したかをコピー紙に赤ペンでチェックしているところであった。なるほど、こっちも努力をしているのだ。徒然の記その3 樫本大進のメンデルスゾーン・バイオリン協奏曲 2018.1.21(日)■樫本大進(1979.3.27-) 現ドイツ在住のヴァイオリンニスト。1996年のロン=ティボー国際コンクール(Concours international Marguerite-Long-Jacques-Thibaud )での優勝など数々のコンクールで優勝を収める。2010年12月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 第1コンサートマスタに就任 現在に至っている。彼が、フィリップ・ジョルダン指揮 ウィーン交響楽団(Wiener Symphoniker)でメンデルスゾーン・バイオリン協奏曲を弾いた。サントリーホールでの演奏が、Eテレ「クラシック音楽館」で21日(日)に放映された。メンデルスゾーンのは2013年の第67回定演で、大谷康子(2016年 東京交響楽団名誉コンサートマスターの称号を得る。)のヴァイオリンで共演させていただいたが、いつ聴いてもぞくぞくするほど素晴らしい美しい曲である。ヴァイオリンをやっている人なら一度は弾きたいと思う曲であろう。この曲を、俊英ジョルダン(1974-)の指揮 で弾いたのだから、たまらない。繊細に音を紡ぎつつ、前へ前へと進む躍動感、骨太のカデンツアーなどどの瞬間をとっても感動。演奏風景をスケッチした。Snap of KASHIMOTO Daishin(樫本大進 メンデルスゾーン・バイオリン協奏曲を弾く 2018.1.21)彼は目力(めじから)もすごい!徒然の記その4 歩き塾 鎌倉アルプスハイク 9km 2018.1.25(木)■大雪2日後の開催は大丈夫? 予定した鎌倉アルプスの道が雪まみれであれば中止せざるを得ない。しかし町歩きに替えれば雪の鎌倉も悪くはない。そういう意味で。25日(木)は敢えて開催とし集合日時の変更はしないものとした。レジュメは、急きょ町歩き用のコースを組み立てて追加しプリントアウト。それでも雪の山道はひょっとして鎌倉市内に点在する切通しのアイスイバーンよりは歩き易いのかもしれない。とにかく現地に早く行って様子を見てみようと、1月2日同様、家を4時に出て、北鎌倉駅に到着したのが6:30。昔は円覚寺境内だったという北鎌倉駅。そのホームで朝飯を食べていたら、反対側ホームの上り線の乗客から視線を浴び焦る。ここまでの車窓からは暗闇ながらもほとんど雪がなかった。今山肌を見上げても雪がない。ひょっとして・・だんだん期待が膨らむ。明月院通りを北上し登山口に行ってもまだ雪がない。まてよ。ここ鎌倉は殆ど降らなかったのではないだろうかと思うに至った。実際110mにある勝上嶽(しょうじょうけん)まで山道の上には雪はなく、普通の登山道であった。これなら行ける! 嬉しくなった。相模湾と富士山までがまぶしく光っている。ちょうど日の出の時刻であり真っ青に晴れ渡っていた。心配は杞憂であった。建長寺の長大な階段の途中に半僧坊(はんぞうぼう)がある。ここからは拝観料500円(300円が値上がりした?)が必要となる。普通は入山するとき下側の受付で建長寺拝観料を払っているので、出るときはタダでも、山側からは拝観料を取るのであろう。この辺りはすべて各寺々の境内にあたるためこのようなことになっているのであろうか。ただ早朝は無人なので難なく通過。下山して鎌倉学園の側にある通用門から外に出る。猫一匹通れないように厳重に柵が囲っていた。すごく排他的な境内であった。■7:30には下見を終えて戻るも、この日は郊外でマイナス8度という極端な底冷えの朝。この山間、北鎌倉も例外ではない。寒さに震えていたら、小学生見守り隊のおじさん(警備会社から派遣されて4年になるという)と話す機会があった。通学路をバイクが抜け道として飛ばすのが怖いという。北鎌倉女子学園の女学生や鎌倉学園の男子学生が多数通過していく。ここで暗雲。8:24頃、横須賀線・東戸塚で人身事故発生で、各列車が駅で止まっているとの一報が入る。この時間までに到着した学生はセーフ。この後は、1時間半の遅れとなってしまった。参加者から続々と報告が入るも、12:00まで大丈夫なのでokと応えておき安心してもらう。本日の行程は9kmと短いうえに、山岳は5kmにしかない。昼過ぎに出発しても十二分に間に合うからだ。ある人は大船から徒歩で、またはバスでと努力してくれる。結局10:00には電車が動き出し、全員が10:30には揃った。ここで「おやつ休憩」。到着するだけで、大半のエネルギーが消費されてしまったのだ。■鎌倉アルプスの本日のコース・・明王院へ下りるのを短絡して、瑞泉寺側に下りることにした。JR北鎌倉→葉祥明(ようしょうめい)美術館→明月院通り→明月谷桐慕(トンボ)茶屋→勝上嶽(しょうじょうけん)展望台→広場(てっぺんの岩場は159.2m 昼食)→大平山(159.4m 横浜市の最高峰)→天台山(141m)→瑞泉寺→荏柄(えがら)天神社→鶴岡八幡宮→鎌倉 9.1km■葉祥明(ようしょうめい)美術館・・1991年開館の美術館。葉祥明(ボローニャ国際児童図書展 グラフィック賞受賞(1990年))の作品を展示。彼の創作には「白い犬のジェイク」、「地雷ではなく花をください」、「はちぞう」などの各シリーズの絵本がある。孫への土産にモンゴメリ原作・絵 葉祥明の「赤毛のアン」を買ってみた。■画伯とスケッチに興じるT画伯は絵が上手い。対象とする風景は建物が多いので今日のように山風景はturbo717向きか? それでも遠望する街並みや、木々の輪郭の描き方には一定のルールがあるようで、それを伝授してくれる。こだわりのようなもので、景色をあまり見ずルーチンワークのように描いていくのだという。少し相いれないものがあるが。徒然の記その5 オルフ室内合奏団 第20回定期演奏会 2018.1.27(土)■オルフ室内合奏団 第20回定期演奏会パルテノン多摩小ホール13:30 開場、14:00 オケのコントラバス奏者からチケットを貰ったので聴きに行ってきた。家からは高々12kmしかないが今回は圧雪のため足元が悪く大人しく電車で。指揮者は山下進三 ソリスト(Vc)は本橋裕。・レスピーギ Ottorino Respigi リュートのための古風な舞踏とアリア第1組曲(弦楽合奏版) Beletto(小舞踏曲)、Vilancela、Gagliarda・ハイドン Franz Joseph Haydn チェロ協奏曲第2番・チャイコフスキー Peter Ilyich Tchaikivsky 弦楽セレナーデ最後の弦楽セレナーデにはソリストの本橋さんも加わり力強い演奏で見事であった。21年前に井上道義指揮でカール・オルフのカルミナ・ブラーナを演奏した時のメンバーが立ち上げた室内合奏団である。「オルフ」の名前の由来である。指揮者の山下さんは読響のヴィオラ奏者であった。わがオケのトレイナーに来て戴いたこともあり非常に熱烈な指揮ぶり。この室内合奏団のファンも多くパルテノン多摩の小ホールは満席であった。徒然の記その6 1月27日■1月27日・・モーツァルトの生誕262年(1756-1791)である。義父と長女の誕生日が同じ今日であり、モーツァルトとの関連で忘れることが出来ない。義父は1995年に81歳で他界している。あれから23年にもなる。早いものだ。この義父が植物が趣味で、持ち込んだ無数の草花のいくつかは今でも庭の雑草として根付いている。泌尿器科教授であった義父と近所の公園を散歩した折、つつじに絡んでいた蔦を取り上げ「へくそかずら」って知っている? と初めて会った僕に尋ねるほど気さくな人物であった。前立腺癌やインポテンツについて書いた論文がずらっと棚にあった。もっと詳しく聞いておくべきであった。徒然の記その7 忘れ物リスト 1月27日■先日忘れ物リスト(出発時のチェックリスト)についてはこのblogに記載した。上記鎌倉アルプスに出かける早朝のことである。タブレット用のバッテリーが有るべき所になく探し回ること10分。結局諦めて家を4時半に飛び出した。5:05の電車まであまり余裕がないのでダッシュするはめに。別のリョックの内側のポケットに入っていたのを帰宅してから見つけた。この日は案の定バッテリーを人から借りて事なきを得ている。そこで次なる鉄則を。1。家に帰ったら全てを元の場所に戻すべし。2。出かける準備は前日までに。持ち物は半径3m以内に全てあり次の日で大丈夫だろうと踏んだのが間違いのであった。あらゆるバッグを狂ったように探し回ったのであるが。土曜日に保育園に行ったときに持って行ったが結局使わなかったバッテリーがそのままそのバッグの内ポケットに仕舞ったままとなっていたのだ。帰ったときに元の場所に戻していさえすれば・・。
Jan 27, 2018
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Gypsum and Akebi_ story (4330)2018.1.20I draw pomegrante after model of Jean Jansem(ジャン・ジャンセン=1920.3.9-2013.8.27),I liked deep astringent colors skin of this fruite.Pomegrante and Akebi(ザクロ と アケビ 2018.1.15)壬生(みぶ)近くの民家に植わっていた柘榴(ザクロ)と拙宅のアケビ。Jean Jansem(ジャン・ジャンセン)の「ざくろのある静物」のようなザクロの絵を描きたいと思って何度か挑戦してきている。本日のザクロの実物が、このジャン・ジャンセの絵によく雰囲気が似ていたので飛びついたのが現実だ。目次徒然の記その1 日本民芸館「棟方志功と柳宗悦」徒然の記その2 初台リハビリテーション病院徒然の記その3 三浦アルプスってどこ? 徒然の記その4 第87回山谷ミニコンサート徒然の記その5 秦野へ徒然の記その6 なみのり第2保育園徒然の記その7 腸内細胞徒然の記その1 日本民芸館「棟方志功と柳宗悦」 2018.1.16(火)■日本民藝館:柳宗悦(やなぎ むねよし 1889-1961)を中心に起こされた民芸運動の拠点として昭和11(1936)年東京・駒場に創設された。2016年10月に創設80周年を迎えている。実際に日常で使われていた陶器や衣服が民芸品として収集され展示されている。民藝館は大谷石が使われどっしりとした造りとなっている。設立にあたっては倉敷の大原美術館をつくった大原孫三郎の財産援助もあった。駒場地区は戦火にも耐えて幾つかの貴重な建物が残った。駒場公園にある前田侯爵邸洋館もその一つである。この日本民藝館で、いま「棟方志功と柳宗悦」展が開催されている(2018.1.11(木)-3.25(月))。京王線の初台に用事に行った帰り、ぶらぶらと山手通りを南下し、住宅街を通って最短コースを歩いてみた(距離にして3km)。この界隈は外車ばかりがめだつ瀟洒な住宅街となっている。棟方志功(1903-1975)の版画(氏は板画と称し、板に向き合った版画家である)によくあるあのおおらかで丸い形の女性像は、この展示物にはなく、時代が進んだ後のほうの版画だったのだろうか。柳宗悦に見いだされ30代で制作した多くの作品に現れる女性像は寧ろもう少し角ばった顔の版画像であったの印象的。この民藝館用にと注文を急いだ柳宗悦からの書状も展示され、その作品制作を急いだ若き日の棟方志功像が認識でき面白い。「般若心教経文板画柵」は約150字の文字が並んだ六曲一双の屏風で圧巻。文字だけで出来た版画である。菩薩、薬師如来、海神、母神、月神など24枚の版画も、4,5枚は注文に応じて彫り直しをしている。忠実に注文主(柳宗悦)に応えた棟方の宗教的な成長が読み取れて面白い。期間の後半(2/14~)に、展示内容が一部変わるので再度訪問したいと思った。道路を挟んで柳宗悦氏の邸宅があるというがこの日は休館であった。長屋門のどっしりとした佇まいに見とれてしまった。これは日光街道沿いにあった名主(なぬし)の家の門を運んできたものである。Nagaya-gate in front of YANAGI Muneyoshi(柳宗悦氏の邸宅の長屋門 2018.1.16)■目黒区・みどりの散歩道ー「駒場コース」旧前田侯爵邸を含む駒場公園や、その界隈の一角にある日本民藝館から東大駒場駅までのコースは目黒区が選定した「みどりの散歩道ー「駒場コース」」に含まれている。目黒区にある9つのコースの一つで、3.8kmの中に、駒場公園、駒場野公園や大橋JCT脇のプラタナスの街路樹が含まれる。こういう散策路もいつか歩き塾で歩いてみたいものだ。■柳宗悦の「悦」を「よし」と読んでいる。芸能人の名で難読No1の俳優が、小澤征爾の息子「小澤征悦」だという。「征」を「ゆき」と読み、「悦」をこれに倣って読むと、「ゆきよし」と読めるようになる。よい勉強になった。徒然の記その2 初台リハビリテーション病院 2018.1.16(火)■術後の患者の人生を左右するのは早期に開始するリハビリであると。有名人やスポーツ監督など著名人の奇跡的な復活を成し遂げてきた病院が初台にある。すこし見学させてもらった。医師も含め、ここは、白衣を着ないという。青いTシャツとチノパンツに専用器具や端末が入った黒い小さなサックを腰に付けているというスタイルのクラーク(専門スタッフ)がきびきびと仕事をこなしている。フロア全体が日常の生活空間のようで、患者とスタッフとの距離の差がないような感じで実に居心地がよい。病院理事長:石川誠さんはTV東京の番組「カンブリア宮殿」にも出ておられる(2017.6.15)。YouTubeでインタビューが見れるのは有難い。小生も もし手術などをした後のリハビリはこういう立派な施設にに入りたいものである。(東京23区内であれば外来は可能という。あぁ!)徒然の記その3 三浦アルプスってどこ? 2018.1.18(木)■低山を2つ縦走 JR逗子→(バス)→風早橋→仙元山(118m)→観音塚(167m)→乳頭山(202m)→JR田浦- -(JR) - -JR衣笠→菖蒲園→大楠山(241m 三浦半島最高峰)→前田橋→run(9km)→JR逗子 計27.1km 累計高度+1218m、-1243m。第1縦走 6:55-10:00、 第2縦走 10:30-13:00、 ラン13:00- 14:45ランニングでは以前自宅から三崎漁港まで80kmくらいを走っている。今回は葉山地区を逆向きに走ったことになり悉(ことごと)く懐かしい。立石海岸の岩礁、葉山御用邸、桜山のトンネル、沿道の魚屋など。あわせて江の島や由比ガ浜の遠望を楽しめた。さて三浦半島を横断する2つの縦走路・・これってアルプス?鎌倉アルプスのように、ここも三浦アルプスと称している。こんな低山をアルプスと呼ぶなど片腹痛い! と思って挑んだ2つの山稜。なかなかの起伏で恐れ入った。両方とも海抜0mからスタートするので半端ではない。地元にしたら立派なアルプスであろう。Longitudinal Path of Miura Peninsula(三浦半島の縦走路)黄色が、二子山山系のコース、赤色が大楠山コースboth or one for Miura-Alps(どちらが三浦アルプス?)2つの縦走のうち、前者は二子山山系にあたり約660haという広大な面積でほとんど民有地になっている関係から迷い道の宝庫である。これを実地に検証しようとして試走したわけであるが、小生も2回も間違ってしまった。太い道が本線とは限らないのである。細心の注意が必要。かってワンデーカミノで間違った箇所を訪ねたが、この図でいうと乳頭山北側直下の「FK1」の箇所である。小生のはそれよりずっと手前で間違っている。もう形無しである。「二子山山系自然保護協議会」の男性が2日に1度の割で山に入り、標識のチェックをしてくださっている。慣れないハイカーがヘッドライト無しで入るもので、日が短くなる冬場の遭難が多く警察も困っているのだという。標識まで戻ることができたら、その番号を言えば、位置の特定ができるので救助がし易いという。maze route of Futago-mountain area(二子山山系のルート図)赤が本線。左が仙元山方向。右端に乳頭山がある。左寄り中央部分が国土地理院のmap に無い登山道。 実際の迷い道(標識がないと間違う)real point of astray way(2番目の迷い道のポイント)徒然の記その4 第87回山谷ミニコンサート 2018.1.19(金)■台東区日本堤2丁目 神の愛の宣教者教会 ここ台東区。先日の名所浅草七福神巡りを合わせると頻繁に行っている地域にあたる。山谷堀から猪牙舟(ちょっきぶね)に乗り、花魁を追っかけたように堀跡を遡上し、吉原大門(よしわらおおもん)から遊郭に入る如くに吉原神社まで町を歩いたが、ソープランドとはもう言わない高級そうなBARが立ち並び異様な雰囲気。夜の帳が降りるまでは小学生が行き交う健康的な街並みであった。一方これと接する日本堤界隈は、簡易アパートが立ち並びまた別の顔を呈する。Soloの部ではVcでフランシス・レイ作曲「白い恋人たち」,Violaでグリーグ作曲「ソルヴェイグの歌」を弾いた。歌では、雪、灯台守、ごらんよ空の鳥(*)、わたしをお使い下さい(*)、真白き富士の嶺、冬の色、津軽海峡冬景色、氷雨、北酒場、365歩のマーチ(*)などをViolin、 Viola、 Flute 、Vcの伴奏付きでオジサン達と歌ってきた。(*)は毎回のリピート。「津軽海峡冬景色」、「氷雨」、「北酒場」などはアンコールアワーで再度取り上げられた。オジサン達は、低力のある声で熱唱していた。年10回あるコンサートは今年で9年目となり、来年2019年の4月には100回を迎える。徒然の記その5 秦野へ 2018.1.19(金)■山谷ミニコンサート後、南千住から北千住に進み、そこから一気に西に行く。千代田線を使えば小田急・東海大学前には一回の乗り換えで行ける。午後は、義理の弟を訪ねる。新年の挨拶を兼ね談笑。カミさん号に駅からの道の途中でピックアップしてもらいその邸宅へと。我が家と同じように3人の子供(女、男、女)が居て、全員独立。近所から子猫を2匹もらい受け双方で飼っていたた猫達も亡くなり、今では2人切りの生活であることも同じ。よって今後は頻繁に行き来をしようねと約束しているのである。最寄りの駅の名前が「大根(おおね)」から「東海大学前」に代わって久しい。駅前ロータリーが広々としてすっかり大学の街になっている。徒然の記その6 なみのり第2保育園 2018.1.20(土)■八王子は首都大学東京の裏手にある保育園。孫娘が保育園最後の音楽会に出ると言うので駆けつけた。家から10kmしか離れていないのでrunningで迫ってみた。0歳児保育からあるので入れ替え制というので園庭で入場を待つ列に並ぶ。父親である息子は1番前ですでに並んでいた。小3の孫息子は保育園のイベントには人数overのため参加できず家でお留守番。歌では「にじ」を、演奏では「見上げてごらん夜の星」でトーンチャイムやハンドベルを鳴らし、劇では「ピノキオ」を演じた。やはり年長組は見ごたえがある。なかなかの出来栄え。インフルで5人の園児が欠席という中よくチームワークを保ったものだ。午後は近くの上柚木(ゆぎ)公園陸上競技場で「ジュニアランニング教室」があるというので見物に行ってきた。留守番をしていた孫の出番である。法政大学教授で元オリンピック選手だった苅部俊二(かるべしゅんじ)さんが指導されるということで70人くらいが集まっていた。股関節を中心にして足を回す練習などを踏まえ、いかに速く走るかを特訓。小1-3、4-6、中学生のグループに分けて実技練習。最後に講師たちがデモンストレーション。実際に走り幅跳びをしたり、ハードル競技をして実際の姿を見せるという。孫は、キッズトライアスロンに出たりしているので少しは参考になったろうか。F1を含めこの親子実に趣味が一致している。小生は寒空に耐え切れず、脱兎のごとくrunで帰宅。徒然の記その7 腸内細菌 2018.1.14(日土)■100兆個・・赤ん坊の時のビフィズス菌から始まって大人の大腸には100兆個もの腸内細菌がいて日々活動しているという。その成果物というべき物が、体外に放出されるときに我々はトイレを利用する。先日和式トイレで窮屈な思いをしている日本人がいた。西洋では、洋式トイレでも、シャワートイレ方式が少なく、苦労した多くの日本人。シャワー付きトイレに慣れっこになっている日本人が外国に行くとまず困るのが、シャワーが出ない普通の洋式トイレ。先日、面白いことを言う男性がいた。おトイレを流すときに、出てくる水を備え付けの紙で掬い取り、それをシャワー代わりに使うのだと。な、なんと! これは細菌が何百万個と手に付く危険性がありお勧めはしない。長年turbo717が工夫しているやり方をご紹介しよう。「turbo式手製ウォッシュレット」。満を持して公開する。この方法は、トイレットペーパーを1.5mしか使わないやりかたで、いたってエコロジカルであり清潔である。笑わないで聞いて欲しい。1.まずは便意を催す。2.トイレに入る前に次を準備。・・ティッシュペーパー2枚を手で丸め水で浸し約5cmくらいの心棒にする。さらに新しい1枚でその心棒を包む。この完成品をAと呼ぶ。3.Aを持ってトイレに入り、どこか手に届くところに置いておく。4.便座に腰かける前に、備え付けのトイレットペーパを50cmほど使い丸めて中央に沈める。・・これは「お釣り」がこないための必殺技。5.終了後、尻の穴を完全に固く閉じる。(項番8.まで。これ重要。シャワートイレの場合は、尻の穴を開けていても内部まで洗浄してくれるのでよいのであるが、シャワー無しのトイレでは禁物)6.トイレットペーパを50cmほどを使用(1回目の払拭)。7.続いてAを使い、尻の穴付近を洗浄。表裏で使える(2回目の払拭)。8.再度、新しいトイレットペーパを50cmほど使用(3回目の払拭と乾燥)。 これで終わり。使用トイレットペーパーは計1.5mのみで環境に優しい。しかもお尻は清潔に保たれる。全世界どこでも使える方法である。ティッシュペーパーで完成品Aを作るのがミソ。これはティッシュの方が、トイレットペーパーよりも強固であるため強力な武器になる点、野外で用足しする場合 水はペットボトル等を使用する。
Jan 20, 2018
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Mt.Fuji and Fujisawa from top of Kitakamakura_ story (4329)2018.1.13We visited Sumidagawa schichifukujin-meguri (a tour of the Seven Deities of Good Fortune in Mukojima) and asakusa shichifukujin.It is said that a custom of visiting shichifukujin started in Kyoto,)Both shichifukujin are stamp places for pilgrims to visit deities of good fortune, which consist of 15 temples and shrines in Taito-ku and Sumida-ku,Tokyo.The walked distance of these circulation was 14.4km in total.Mt Fuji from The Kamakura Alps in Kitakamakura 7:06 (富士山 北鎌倉・建長寺・半僧坊上からの眺望上 2018.1.2)西方向 手前が北鎌倉丘陵、その向こうの大都市が藤沢。目次徒然の記その1 歩き塾・2つの七福神巡り徒然の記その2 Viola Lesson徒然の記その3 奥の細道紀行 徒然の記その4 チェックリスト徒然の記その1 歩き塾・2つの七福神巡り 2018.1.10(水)■隅田川七福神(6社寺)と名所(などころ)浅草七福神(9社寺)・・隅田川(向島)七福神巡り:【三囲(みめぐり)神社-恵比寿・大黒天】→【弘福寺-布袋尊】→【長命寺-弁財天】→【向島百花園-福禄寿尊堂】→【白髪神社-寿老人】→【多聞寺-毘沙門天】の2社3寺1園→明治通りと墨堤通りとの交差点近くのレストランで昼食→白髭橋→浅草名所七福神巡り:【石浜神社-寿老神】→【橋場不動尊-布袋尊】→【今戸神社-福禄寿】→【待乳山(まつちやま)聖天-毘沙門天】→山谷堀散策→【吉原神社-弁財天】→【鷲(おおとり)神社-寿老人】→池上正太郎記念館・かっぱ橋道具街→【矢先稲荷神社-福禄寿】→【浅草神社-恵比寿】→【浅草寺-大黒天】 の9社寺当初9kmなどと短絡コースもセットしたのであるが、22kmくらいも歩いた人もいるほどの長距離となった。公式には14.4kmであるが、寺社内を周回をしたりして距離が伸びた人も多い。なにせ今回は欲張った。墨東の6社寺と浅草の9社寺と計15社寺をお参りした勘定になる。1社寺平均3か所にお賽銭を投げ入れたとして100円ずつだと4500円の小銭を用意せねばならなかった。し、しかしせちがらく1円玉なども総動員してのお参りで、財布は底をついてしまったがご利益はいかほどか?翌日のゴルフで賞金を手にした御仁もおられ一様の成果があったようであるが。■お賽銭の縁起・・5円、11円、25円などがよいとされるが、ごろ担ぎもここまでくるとなにか切ない。5円(ご縁)、11円(いい縁)、25円(二重にご縁)、41円(始終いい縁)、45円(始終ご縁)。50円(ご縁が10倍)、1万円(えんまん)。すべて100円でかたを付けたくなるよ。避けた方がよい硬貨・・10円(遠縁)、500円(これ以上大きな硬貨(効果)がない。)■千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)・・神殿の屋根に交差しているのが千木で、棟の屋根に直角に置かれるのが鰹木。千木の先端が外削ぎになっていて尖っているのが男神を祭り、先端が内削ぎで天に平行なのが、女神を祭るという。また鰹木の数が奇数なのが男神、偶数が女神を祭るという。今回のお参りでは、神社建築をすこし興味をもって見回るという趣向が取られた。拝殿の奥にある神殿の建築で、棟の屋根に直角に置かれた鰹木の数を数えるのである。天照大神(女神)をお祭りする石浜神社は鰹木が8本である。一般的に家庭でお祭りする最上位の神様も天照大神が多いが、千木(ちぎ)は平行に、鰹木が偶数本であるというようである。ただ伊勢神宮の外宮(豊受大神(女神))はこの関係が逆になる。15代天皇の応神天皇(男神)や、伊弉諾(イザナギ 男神)、伊弉冉(イザナミ 女神)、福禄寿(男神)をお祭りる今戸神社は、多数決では男神となり、鰹木の数が奇数で5本となっている。倉稲魂命(うかのみたまのみこと)や福禄寿をお祭りする矢先稲荷神社は、奇数の鰹木であった。神殿は奥にあるため正面の拝殿から見えないことも多く、裏に回り込んで鰹木の数を数えなければならなかった。しかし千木を見るだけで男神か女神かは判明できる。こんな見方で神社仏閣を歩いたことはなく、なかなかの勉強になった。この七福神巡りは、1月7日の「七草がゆ」を過ぎると福禄寿などのお堂が御開帳していない場合が多く拝めないため注意が必要。■春の七草向島百花園では、明治期以来皇室に献上してきたという七草を植え込んだ篭(七草篭)が大小沢山置かれ風情を誘っていた。今や園児なら誰でも暗唱できる七草をやっと覚えた・・せり(芹)、なずな(薺 ペンペン草)、ごぎょう(御形 ハハコグサ)、はこべら(繁縷)、ほとけのざ(仏の座)、すずな(蕪)、すずしろ(蘿蔔、大根) これぞ七草、サイゼリア(これは余分)。暗記方法は、各々の頭文字にすこし言葉を補って(太字部分)、「せなかのこはほとけのすず」・・「せなかのこどもは仏の鈴」であるというが、netで調べてもでてこない。このblogをupした時点で、このページがhitするはずである■奇跡・・三囲(みめぐり)神社(三井財閥ゆかりの神社)で小生、早くもそそうをしてしまった。カメラに付いていたストラップ(ピアノの鍵盤の絵が描いてある)を操作しているときに誤って本体を石畳の上に落としてしまったのである。コットンと大きな音がしたものの外側は壊れてはいない。しかしディスプレイ画面がぼやっとなってしまったのだ。ひどいピンボケ状態でこれでは使えない。カミさんのお下がりのデジカメ。ついに寿命か。それから時間にして9時間後。「新宿大ガード西」の交差点で信号待ちをしている時に、デジカメを起こすためにトントンと叩いてみたのだ。なんと。この刺激だけで、デジカメが復活。これが七福神巡りの奇跡だったのであろうか。■すこしおさらいこの七福神、絵で覚えているだけなので少し整理してみよう。【出身】【どんな神様】【持ち物などの特徴】1.恵比寿天、日本、漁業・農業の神様、釣り竿、鯛2.大黒天、インド(マハーカーラ神)、食物・財物の神様、小槌、袋、頭巾(これ以上は上を見るなという戒め)、足元に2俵の俵(2俵で我慢して欲張るなという意味を持つ)3.毘沙門天、インド(クヴェーラ神)、戦い・財宝・福徳の神様、鳥型の冠、甲冑、右手に槍、左手に宝塔をささげる。風貌は憤怒の相。4.弁財天(弁才天)、(紅一点)インド(女神 サラスウァーティー神)、音楽・芸能・学問の神様、河(水)の神様。琵琶5.寿老人(寿老神とも書く)、中国(老子の化身、福禄寿の分身)、長寿・諸病平癒の神様、白髪、杖、右手に巻物。1500歳と言われる鹿を連れる。左手に長寿を意味する桃6.福禄寿、中国(南極老人星の化身)、幸福・封禄(財産)・長寿の三徳の神様、鶴と亀を連れる・左手に宝珠、右手に杖、頭頂部が突き出ている7.布袋尊(ほていそん)、中国(実在した仏教僧)、開運・良縁・子宝の神様、太鼓腹、大きな袋を杖に括り付けた。袋には日用品が。袋は堪忍袋ともいわれる。徒然の記その2 Viola Lesson 2018.1.11(木)■1月は変則的に第2,4火曜日としてもらったが、初日は事情があり11日の木曜日になった。本年最初のレッスンである。Alessandro RollaのDuo曲1番を初めて全楽章を通す。まぁ粗削りではあったがまずまずの出来。今後は音楽性を高めてゆきたい。さて、オケ定演の3曲は、・ブラームス 悲劇的序曲 作品81 J.Brahms:Tragic Overture Op.81・R.シュトラウス 交響詩「死と変容」作品24 R.Strauss:Tod und Verklärung(Death and Transfiguration) Op.24・ブラームス 交響曲 第3番 ヘ長調 作品90 J.Brahms:Symphony No.3 in F Major Op.90悲劇的序曲は当団としては初めての曲であるが超有名曲であるので口ずさめる。しかし「死と変容」は2001年にやっているものの全く記憶がない。17年も楽譜を見ないと記憶が飛ぶという恐ろしい現実を思い知ったしだいである。しかも、シュトラウス・リズムの2連符・3連符が繰り返されるなか、、スコアを追っていてもどこをやっているのか全く見当がつかない難解な譜面が続く。今回はその精度を上げていかなくてはならない。下記のような2連符・3連符の繰り返しを例えば、2連符の「た・ち」と3連符の「つ・て・と」の繰り返しリズムを、「た」(1/8)、「ちつ」(1/8+1/12)、「て」(1/12)、「とた」(1/12+1/8)、「ちつ」(1/8+1/12)、「て」(1/12)、「とた」(1/12+1/8)・・・頭文字をとると「た(3/24)、ち(5/24)、て(2/24)、と(5/24)、ち、て、と、ち、て、と・・・・」・これをup,downのボーイングで順次弾いていくと、「て」(1/12)の箇所がup.down.up,downと逆になってくる。この部分が下記のような譜面となる。先生は手拍子(これは一定の間隔)を打ちながら、口でタータータと歌っていく。絶妙に合っているので驚きである。これが初見でできないとベルリンフィルは入れない。R.Strauss:Tod und Verklärung (Violaの譜面)今日は特にブラームス3番 1楽章~3楽章を特にさらう。この曲も1996年以来22年ぶりの大曲であるが、難しい。Violaにはシンコペのリズムが多いのは、Viola弾きであったブラームスが、音の下支えとし特にご指名でこのViolaを選んだのではないかと思うくらいだ。♪♩♩♩♩♩♪のsetが無限に続き、頭がくらくらしてしまう。我慢の1楽章。今回はこれを徹底的に勉強した。いち、にい、・・・ではないのだ。常に半白ずれているのであるからややこしい。6/4のリズムでは♩が5個しかなく、前後に♪が2つついて4分音符が6個という計算。これを2拍子で指揮者は振る。小節を跨いでシンコペになる場合と、小節の中で完結する場合とが目まぐるしく変わり難しい。楽譜に2拍子となるように小節の中間に線を斜めに引いていくと分りやすい。こういう工夫も弾きやすくするためには必要である。■lesson後、バーミヤンで新年会・・驚くべき低価格のバーミヤン。飲み放題100分で一人999円である。これに火鍋しゃぶしゃぶ食べ放題が1699円。パイタン(白湯)とマーラ(麻辣)の2種類のスープ鍋が合体した特別製の鍋で戴く。満載の食材に堪能。中でも鳥むね肉が大きな塊ながら柔らかく絶品。これほどおいしい胸肉がいままであったろうか。5%引きのチケットをくれたり、はたまたネット会員になると10%引きになるなどの破格のサービスで客を引き付ける。国分寺駅北にある店は高校生のアルバイトもいて全員が若い。徒然の記その3 奥の細道紀行 2018.1.13(土)■壬生→楡木(にれぎ)→新鹿沼芭蕉の歩行は速かった。3/29 間々田→鹿沼 3/30 鹿沼→日光これを我々は4日ほどかけて辿っている。前回は、小山→室の八島経由で壬生まで。今回が壬生から鹿沼(東武新鹿沼駅)まで。日光西街道(国道352号)を北上し、楡木で合流する例幣使街道(国道293号)をさらに北に行く。この区間は杉並木が所々残っており、並木道の外側に散策道が付けられ、車道とは隔離されている。参加メンバー8名。快晴の壬生、鹿沼を気持ちよく歩いた。スロースペース、休憩を頻繁に取ることを肝に銘じた案内人のturbo717の改心のせいなのかもしれない。約17kmを歩き16時04 新鹿沼駅前のCocosに到着。乾杯。東武日光線の特急を使い楽チンな帰路。徒然の記その4 チェックリスト 2017.12.12(金)■忘れ物リスト・・教員時代、授業のクラスへと研究室を飛び出すときに、まず目にするように扉に忘れ物リストを貼り付けておいた。結構これが役にたったのだ。例えば、ボールペン、ホワイトボード用マーカーなど。今は違う。書斎から出て外に向かうときに目にできるように「持ち物リスト」が吊るしてある。曰く、1.バッテリー(Elecom5000mAhの薄型バッテリーでタブレット1日分)、2.ハンカチ(キヨスクでも買えるのであるがもったいない。)、3.ティッシュペーパー(水彩の筆拭きなどに必須アイテム)、4.神奈ちゃん手形(バスの65歳以上の乗車パス。年間約1万円で毎回100円を出すだけでどんな遠方にも使える。)、5.財布、6.スケッチ道具(特に筆箱)、6.おやつ(長距離になるときは、出だしは腹が減っていなくても復路は空腹。)、7.Suica(ICカード。)、8.鍵(マンションと家の鍵が2つ。これは常に携帯)、9.ボールペン(コンサートや映画館でメモする時に必須)、10.手袋(runningの形態によって種類が変わる)、11.(サングラス Ray Banのは人相が悪くなると言って不評)、12.バンテリンや芍薬甘草湯(足が吊りそうになった時)、13.水、14.弁当(いつかせっかく作ったのに台所に忘れたことがあった!)、15.カメラ。最近はこれに入歯が加わった。16.犬歯の<b>入歯!</b>この持ち物チェックリスト 今はA4一枚に収まっているが、どんどん増えていく傾向にある。なんと!、せなかのこはほとけのすず
Jan 13, 2018
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新春箱根駅伝_ story (4328)2018.1.6I walked and ran the Kamakura Alps and then I went to Kazamatsuri in Odawara City for the support of the New Year Hakone Ekiden. I cheered for the most effort and cried the voice to the limit and very excited which was annual behavior.例幣使街道からの景色 (鶏頂山 高原山の風景、 2017.12.30)全体を高原山という。右が釈迦が岳(1795m)、左が鶏頂山(1765m)、右手前は中岳(1729m)この山容の左側に圧倒の景観が広がる。男体山、女峰山などである。日光の素晴らしさはこういう大山容の麓に広がった森に3つの寺社(輪王寺、二荒山、東照宮)が建立されているという点。目次徒然の記その1 鎌倉へ徒然の記その2 箱根駅伝追いかけ徒然の記その3 隅田-浅草 徒然の記その4 日光その2徒然の記その5 白いワイシャツに変身徒然の記その6 年賀・お年玉をもらいに孫来る徒然の記その7 数値”43101”徒然の記その1 鎌倉へ 2018.1.2(火)■鎌倉アルプス、三浦アルプスへ?2つの縦走路を走破するために家を4時に出た。バスは正月ダイヤで動くが、もとより4時台にバスなぞ動いていないのである。リュックに登山靴というスタイルで橋本駅まで4.3kmのマラソン。寒さ用に間に合う手袋は?この日のために買ってあった極地用の防水手袋(Glacier Glove)を試してみた。しかしそれでも手は冷える。以前電池ヒーター付き手袋というのを売っていたがそういうのが今一番欲しいのである。いままで満足した手袋が無く何回泣いたことか。永遠の課題である。軽くて、あったかく、防水用で、通気性があり、極寒に耐えうるものは? 皆さんご存知であれば教えてほしい!numerous gloves (手持ちの数々の手袋 厳冬期のマラソンにはどれが最適だろう? 2018.1.2)左下が極地用の防水手袋(Glacier Glove)、時計回りに、Mont bell、BodyMaker(フリースの毛が付いており暖かい、雨でなければ真冬でもok)など。さて、北鎌倉駅到着は6:33。まだ日の出前。今回の宿題は、皆が登るルートの「建長寺コース」を外せないかという点である。鎌倉の社寺は殆どが絶壁のような山を背景にしており、入場が有料(建長寺の場合は山門にsuicaのタッチパネルがある)なのと、早朝時は門が閉まったりしており入れないという難点がある。YAMAPやYAMAKEIなどのハイキング情報を検索しても判で押したように同じ場所を歩いている。なんと変化のない行程表なのかと驚くばかりである。早朝コースとして選んだのは、「明月院通り」から入る無料のハイキングコースである。これがokであればしめたものであったが難なくその道を発見。建長寺上の半僧坊に出られることがわかった。まさに絶景で富士の峯までが朝日に輝いていた。10kmくらいのコースであったので、山岳コースは短く、鶴岡八幡宮を経由して9:00には鎌倉駅に到着。さてそこから選択肢が2つ。そのまま逗子に行き、2つ目のハイク、仙元山→乳頭山コースを走る?か、はたまた箱根駅伝の追っかけに急行するか。前者は実は、国土地理院の地図に載っていない山道の見分と、迷いやすいと言われる「三浦アルプス」の実態を検証するという大きな目的があったのであるが、1日に似たような山道を2回も走ることになる。後者は今日一番の話題性のあるイベント。さてどちらを取る? 鎌倉アルプスの走破が11:00前に終わればJR小田原には12:00に到着できると昨日から踏んでいたこともある。まだそれまでに2時間の余裕があが今回は後者の箱根駅伝応援を採用とした。しかし鎌倉駅の改札を入ってもまだ迷っていたのだ。9:00発の上りに乗って大船乗り換えで小田原に行くか、9:13発の下りに乗って逗子まで行くか。改札を通ってこれほど迷ったことはない。発車時刻が迫っている。エスカレータを駆け上がった。結局小田原に行くことに決めたのだ。電車の中で、9:12にはメッセンジャーで連絡が入った。W大5区の安井雄一君が知り合いの知り合いであると。実にタイムリーであった。駅伝部主将で5区を3年連続で走る。徒然の記その2 箱根駅伝追いかけ 2018.1.2(火)■小田原中継地点へnetを調べまくっていたら次々に新たな事実が。以前箱根駅伝を追っかけていた時とは、小田原中継地点の場所が違っているのである。鈴廣という蒲鉾屋の前ということは変わりがないのであるが、場所が違っているのである。何軒もあるのであろう。大きな会社である。昨年から小田急箱根登山鉄道の「風祭(かざまつり)」という聞きなれない駅近くであるという。もしこれを知っていたら鎌倉11:00発ではとても間に合わなかった勘定になる。だって選手到着の予想時間12:13近くになると、登山鉄道は改札制限に入り1時間待ちとなってしまうからだ。10:00前に小田原に着いたので余裕で電車に乗れた。風祭で待つこと2時間。快晴に恵まれ、大勢の人たちが沿道で旗を振る。中継地点前後50mは大学名が入った幟は禁止ということでる。中央大の応援団が大挙して来ていたのは小田原に支部があり応援団が多いためであろう。縁石近くにゴザなどを敷いて地元の人が朝早くから陣取っている。歩道は一人が通れるスペースを残し、ぎっしりと立錐の余地がない。中継地点にはクレーン車が置かれ、そこからもカメラで選手を捉える。東洋大1位で飛び出していった。2位は青山、3位は神奈川大、4位に山梨学院大、5位に拓殖大、6位がW大。とにかく早すぎて選手を捉えられない。安井雄一君はさっそうと走っていった。やはりこの区間で、3位と順位を上げたようである。往路の順位は、東洋、青山、W、拓殖、法政と続く。1,2位の差はわずか36秒。復路はあっさりと青山が抜き、そのまま1位をKeep。総合優勝は連続4回の青山。これに東洋、Wが続く。東洋は10年連続で3位以内という平成初の偉業を達成した。選手を見ていて共通するのは皆痩せてほっそりしていることである。応援する人たちはプクプクと太っていた。その対比が面白い。極貧と富裕層?鍛えすぎた精悍な男たちと、これを応援する一般市民達とは、あたかもステージ上での演舞に興じる俳優と、それを見ている聴衆という関係に似ていて面白い。高麗屋と声援を飛ばす代わりに、声を限りに「安井雄一頑張れ」もしくはすべての人に「頑張れ」と叫んでいる自分がいた。Hakone-Ekiden (箱根駅伝 5区中継地点から2位の青山大、 2018.1.2)3km/2分40秒 秒速19m! 目にも止まらぬ速さで駆けていく。徒然の記その3 隅田-浅草 2018.1.5(金)■隅田川(向島)七福神巡り■浅草名所七福神巡りこれをそれぞれ歩くと合計で15km。隅田川を挟む2つの七福神巡りを同時にこなすと12.6kmで済んでしまう。浅草なんぞ9社寺もあるため福禄寿、寿老人が重なる。これらを省略すると全体で10kmを越さない。この2つを予習してみた。なんと、隅田川(向島)七福神巡りの途中で、マンションから男性が飛び出してきた。「11:02 緊急地震速報 茨木沖で地震が発生。強い揺れに備えてください。」というので外に飛びだしてきたのである。七福神巡りをしている人たちはそんなことには我関せずと歩いている。気にしているのは彼一人! これでよいのか日本? リュックにしまってある携帯をあとで見るとエリアメールが入っていた。海抜0メートルを歩いているので危なかったのかしれない。家に帰っても誰も気づいていない。(あとで分ったことであるが、石川県で発生した地震と、茨木沖で発生した地震がほぼ同時に発生したためその2つを一つとして捉え大地震予想となったという。そしてその日の深夜1月6日(土)0:54 震度4の大きな揺れが関東地方を襲った。)さて、年一度の七福神巡り。以前はサラ文で深川七福神巡り(歩く距離はごくごく短い)を歩いていたが、少し趣向を変えてみようと思い立った。隅田川を挟む2つの七福神巡りをやったら面白いのではないかと。とうきょうスカイツリー駅(押上駅からは徒歩7分)からスタートして【三囲(みめぐり)神社-恵比寿・大黒天】→【弘福寺-布袋(ほてい)尊】→【長命寺-弁財天】→【向島百花園-福禄寿尊堂】→【白髪(しらひげ)神社-寿老人】→【多聞(たもん)寺-毘沙門天】の2社3寺1園の順に、約4.3km。ここから隅田川を水神橋で渡り、浅草名所七福神巡りを始める。一般のルートとは途中に割り込む形で、少々複雑。その最短ルートは、【石浜神社-寿老神】→【橋場不動尊-布袋尊】→【今戸神社-福禄寿】→【待乳山(まつちやま)聖天-毘沙門天】→【吉原神社-弁財天】→【鷲(おおとり)神社-寿老人】→【矢先稲荷神社-福禄寿】→【浅草(あさくさ)神社-恵比寿】→【浅草寺(せんそうじ)-大黒天】 となるのではないか。今回気づいたのは、ご夫婦で参るというパターンが多いことだ。他は東日本鉄道の会などと100名単位の巨大なグループや女性連れのグループ。一匹狼のような男性一人参拝は少ないように見えた。このコースは史跡・旧跡・観光名所が多い。隅田川左岸には、百花園、鳩の町通り(吉行淳之介-原色の街)、玉の井(永井荷風の墨東綺譚)など、右岸の浅草では、かっぱ橋道具街、池上正太郎記念館、新仲見世通りなど。1月7日(日)には待乳山昇天では大根祭りが行われ風呂吹き大根が振舞われる。浅草の新仲見世通りなどを取り浅草神社に参る。ご集印などは1日から7草(7日)までという。徒然の記その4 日光その2 2017.12.30(土)■大晦日1日前の日光駅日光は会社時代に宇都宮に出向をしていたH5-H8(1993-1996)によく訪ねた場所である。杉並木で有名な日光街道が一部ではあるがよく保存されている。今市で合流する例幣使街道も負けず劣らず見事な杉並木で圧倒された。ただ例幣使が日光街道と違うところは、並木道が車道となってしまい歩道は側道のような杉木立の外側に付けられた細く起伏の多い道であったという点である。日光街道の車道は並木道の外側に設けられている。例幣使のほうもこのような形で保存ができなかったのだろうかとすこし残念であった。神明という地点から日光に向けての1kmは杉並木を保存する観点で現在車は通行止めとなっている。さて、日光駅の標高は539m。日光街道、例幣使街道の合流点が394m。約150mも上がっていく。12/30の状況は以下のような感じ。最初は杉並木道にうっすらと雪がまぶされている感じであったが、東武日光駅に向かって上って行くに従い、その雪は段々と厚くなり、一面の雪道となっていった。最後の日光駅では氷点下の寒さ。冷凍庫の中にいるようであった。相模原市に帰り着いた感じでは、なんと”やわな”寒さだろうと思ったしだいである。日光駅の寒さはレベルの違う極寒の寒さであった。1月や3月初旬の奥の細道紀行は心せねばならない。徒然の記その5 白いワイシャツに変身 2017.12.31(日)■白いワイシャツ・・演奏会以外は着ることがなくなってしまった白いワイシャツは、現役時代に大変お世話になった。しかしクリーニングに出したり、形状記憶素材だからといって家で洗ったりしていて回数を重ねてくると襟首が黄ばんでくるため一応の着用期限となり、あとは庭仕事用に払い下げとなっていた。このワイシャツを真っ新にする技を見につけた。庭用になっていたものでも再生可能である。1.ぬるま湯に漂白剤を薄め、襟首をもみ洗い。2.台所用洗剤を歯ブラシにつけ、黄ばんだ箇所をしごくようにて洗う。3、普通の洗濯物といっしょに通常の洗濯。1と2で、繊維の奥に残った皮脂などが黄ばみの原因であるがそれが綺麗になるのだ。セーターなどでも黄ばんだりして気になる箇所があればこの方法で綺麗になる。昨年11月1日に放映されていた「ためしてガッテン」から。この台所用の洗剤というのがポイントで、各社いかによく研究して製品化しているかがわかる。油落としの為には驚異的な洗剤であったのだ。あぁ、サラリーマン時代にこの技を身に着けて居たらもっと節約できたのではないかと。徒然の記その6 年賀・お年玉をもらいに孫来る 2018.1.6(土)毎年正月が明けてから少し立つと家族がやってくる。孫2人は泊っていくと言う。■小3で9歳の孫は最近マジックに嵌っているようだ・・・先日彼らを煙に巻いたものだから興味を覚えたのかもしれない。コインが消えてしまい、どこかに飛んでいったのを目の当たりにして、マジックに目覚めたのであろうか。子供の成長には爺婆の影響が強いという。そういうことであれば文学作品を読み聞かせたほうが良かったのではないかと思ったりもする。ただ面白い人物にもなって欲しいし。難しいところである。この4月から小学校にあがる孫娘はついに身長が兄を越えた。平均より頭一つ分背が高いので、運動会や演芸会のときは探すのが楽であったというメリットがあったが、これからどんな風に育っていくのだろう。徒然の記その7 数値”43101”2018.1.6(土)Excel表で日付をyyyy/mm/ddという形式で入力しても、場合によりそれが数値に化けて「43101」になったりする。■Excelの日付計算上では、2018.1.6が"43101"である。これは1900.1.1(Macは1901.1.1)を基準値0として日付計算を行っているから表示形式が「標準」だと"数値表示"になってしまう。例えば、2018.1.6と2017.7.17を引き算すると168日となるが、これは2018/1/6が43101で、2017/7/17が42933という1900.1.1から数えての引き算結果である。さて、そこで考えた、約120年でもたったの43,000日である。1944.7.17から2018.7.17まで74年生きた場合の日数は、27,028日。まだこれぐらいしか生きていない。1,2,3・・・と数えられる範疇である。紅白歌合戦で度肝を抜いたのは、郷ひろみと共演した大阪府立登美丘高校のダンス部。彼女たちは、まだ平均で6,483日しか生きていないのに、すっかり大人である。肩パッド入りのボディコン姿に派手なメイクを施し踊っている姿はさながらブロードウエーのプロダンサーであった。おったまげたものである。ようするに成長の尺度では彼女たちは僕の100倍は細胞分裂し成長しているのだなぁと。3万日弱生きたからといって自慢してはいけない。たった5400日しか生きていないのに天才棋士藤井君が生まれる。天才と言われる諸々の人々の1日は深く重要である。子供を見る時そういう目で愛しむように見なければならない。すごいspeedで成長しているのだなぁという点でも。
Jan 6, 2018
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今年もあと1日、加藤登紀子ほろ酔いコンサート_ story (4327)2017.12.30All the best wishes in 2018! I hope the world be peaceful. Mutual respect are also needed and make effort to develop conversation and eliminate misunderstandings. A high-pressure attitude can not be solved.本当にお世話になりました。新年がよい年でありますように。世界が平和で有りますように。最近少し考えたことがある。それは「お互いにもっと尊重しあい会話を育むことによって誤解が解けるのではないか。」という点と 「高圧的な態度では解決の糸口は見つからないのでは。」という点。少し唐突すぎたであろうか。White Mt.Fuji just befor the diamondo-Fuji from Momijidaira15:15:00(ダイヤモンド富士1時間前 モミジ平からの富士山、 2017.12.22)太陽はまだかなり上にある。楕円軌道を描いて富士山山頂に向かっていく。凡そ150人がその時を待つ。絵の下部はその群集とカメラの列。Diamond Mt.Fuji at 2017.12.2216:14:23(ダイヤモンド富士山 モミジ平から、 2017.12.22)16:14:23。2秒後には太陽が沈んだ。残照に富士山のシルエットが浮かび上がった。目次徒然の記その1 講演会-いつも心にカミーノを-徒然の記その2 年賀状 狂騒曲徒然の記その3 加藤登紀子ほろ酔いコンサート 徒然の記その4 日光道中-試走徒然の記その5 掃除ロボット大活躍徒然の記その6 楽譜製本徒然の記その1 講演会-いつも心にカミーノを-2017.12.24(日)■晴れの日も、雨の日も・・4人のサンティアゴ巡礼自費出版された本も第2版を出す勢いである。共著4人のうちの2人がスライドで講演会を開くというので銀座一丁目の中小企業会館に駆けつけた。オケの帰りという慌ただしさのなか、市ヶ谷からの有楽町線の乗る方向を間違え江戸川橋へ。12:33到着予定が12:56となってしまった。銀座一丁目に降り立つも10番出口を間違え9番出口を出たものだから南北を間違えとんだことに。ようように会場に到着。30名ほどがすでに受付を済ませ席に付いていた。持ってきた延長コードを繋いだり、ヨーロッパ全図の巡礼mapをホワイトボードに貼り付けたりとなかなか忙しい。定刻から5分遅れで講演会は始まった。講演は、この本の内容よりも新しい最近の巡礼の模様がかなり詳細に伝えられた。Nさんのは今年のCamino de Le Puy ( ル・ピュイの道)の話を、AさんはJaca(ハカ)などを含むCamino Aragonés(アラゴンの道)の話を。最後に本の紹介があり、著者4人のうち3人が挨拶。早速買い求め通読した。なかなかの文章力で、4人とも作風が異なり面白い。「歩き塾」もちゃっかりこの場を借りて2018年度の年間計画を宣伝。この日貼り出したヨーロッパ全図の巡礼mapは下記■Les Chemins de Saint Jacqie de Compostele en Europe(ISDNコード:9782915069273 amazon.frから輸入可能 amzon.jpのサイトでもhitする)ヨーロッパに於けるサン・ジャックの道)・・デンマークのAarhus(オーフス)から始まる2966kmの北欧ルート、ポーランドのグダンスクから始まる北東欧ルート。同じくクラクフから始まる2806kmの中欧ルート(ハンガリーのブダペストからのルートと合流しスイスのジュネーブを経てル・ピュイに向かう)、エレサレムから始まり、海洋を経てイタリアのBrindisから続く、南東欧ルートなど長大なルートが出ていて面白い。徒然の記その2 年賀状 狂騒曲 2017.12.25(月)■この壮大な物語は、カミさんの「機械がガタガタ言うだけでハガキが出てこない!」という一言から始まった。DellパソコンにつないであるプリンターはEP801A(6色のカラー印刷)。もう5年は使用している。これがカミさんの年賀状を印刷しはじめて20枚目くらいで、突然A4用紙に印刷し始めた。続いて用紙をフィードしなくなりガリガリと音が出だした。トレイを上下交換したり、電源を入れ直したり四苦八苦。こちらは「陸王」の最終回を見ているのにも関わらず、プリンターにかかり切りである。諦めの早いカミさん「もういいわ。明日にする!」と。いや明日からの2日間は小生がプリンターを占有することになっているので今日中に仕上げてもらわらければ困るのである。さて翌日、プリンター交換を思い立った。マンションにあるEpsonプリンター「PX045A」(4色しかない格安のプリンター)を別宅に持って来た。色数が少ない分カラーの精細度には欠けるがいたしかたない。追加の接続を行いプリントを始めた。ななんと、ハガキ1枚印刷するのに1分半もかかる超低機能のプリンターであるがこちらのほうが確実である。ながら作業ができるので別の作業をやりながら時々見に行けばよいのだ。カミさんのはnetから犬の絵を借りてきて可愛く仕上がっている。こちらはよその絵を使うなんてプライドが許さない。自前の絵を用意してプリントをし始めた。200枚ほど刷るのに5時間かかる勘定である。Violaの練習をしつつ時々ハガキの減り具合を見に行く。30分で一回見に行けばよろしい。このプリンター 実は気を付けないといけないことが多い。紙が無くなった時点で、すべてのことを忘れてしまい、0リセットされてしまう。あと何枚残っているかなどお構いなし。紙面の印刷は、EP801Aと、PX045Aとは真逆である。前者はフロントのトレイに紙を置く。印刷は裏面。天地は正方向。つまり奥が上。後者は後方からの差し込み印刷。紙が後ろから手で入れるタイプで20枚くらいは積める。印刷面は、表。天地は逆。つまり手前が上。この操作の違いが、今回の悲劇を生んだ。住所欄を印刷する段になって、裏面の縦方向の印刷がほとんど天地が逆であることを発見した。気を付けておいたのにも関わらずである。もともと葉書の裏面は白なので天地を気にするほどの誘導がない。裏返して確認しないとそれが御座なりになる。ハガキをトレイに積み上げる時も天地が逆であるかを厳密にチェックをしなければならなかったのだ。まっさらな葉書でも全数同じ方向かを再確認する必要があったのである。それがすべて御座なりになってしまった。賀状に文章を格段になって、「すみません。天地逆になりました。」「もうボケてしまいました。笑ってください。」などと注釈をしながら書く羽目に。近場の人たちのみ正しく印刷されたほうを使い、遠くの人たちは逆向きの印刷を使うなどと、余計な作業が入ってしまった。宛名印刷も喪中が来た人を抜きつつ、翌年はその人から来た場合だけ復活し、先細りの戦略を取る人も多い。■筆まめ年一回しかつかわない「筆まめ Ver23」アプリ。喪中葉書を受け取った人は印刷から除外しなければならない。抜く作業はこんな感じである・・・任意のカードを選び[印刷]をクリック。→(郵便番号が違っているデータがあると、[郵便番号のチェック]ウインドウが立ち上がる。→終了ボタン)→「宛名印刷」ウィンドウが表示される→設定項目→[範囲]を「すべて」を選択。[条件]を「出受記録」を選択→「2018 戌」の「年賀状」で、「喪受がマークされたカード」(事前に喪中はがきを受け取った時は翌年の喪中・受にマークをしておく)を「除外します」を選択。→[差出人データ]を「差出人1(turbo717)」か差出人2(カミさん))」を選択。→[出受記録にマーク]を選択し「印刷と同時に出受け記録にマーク」の「する」のラジオボタン選択→「印刷開始」ボタンをクリック。このアプリ、ややこし過ぎる! 何回蹴飛ばしそうになったか分からない。このように備忘録を作っておくと次回これを参考にすればよいのだ。この他に複雑なフィルターの機能もあり印刷を絞り込むことができる。カミさんのやりかたはこういうフィルター機能を使わず、一覧表を表示させ、そこに直接Xマークを入力していく。しかしそのまま「印刷」ボタンをクリックすると、驚くべきことに葉書にこの一覧表を印刷して泣く。どうなっているのかこのアプリ!こういう顛末のため、毎年何枚かのハガキが無駄に消費されていく。狂騒曲が毎年繰り返されるのは、忘れたころにまた年賀状シーズンがやってくるからであある。あぁ賢いAI機能つき、ハガキ印刷アプリはないものだろうか。■天地を間違えた諸悪の根源はプリンタ交換にあるのであるが、これはボケなのか? と悲しくなった。しかしだ、安心したまえ。ミスは以前にもあった。全数印刷したあと気づいたのだ。年号が間違っていたことを!ななんと。昔からそそっかしいのである。「せっかち」、「そそっかしい」、「あわてんぼう」、「おっちょこちょい」・・。幼少の記憶にもある。混んでる遊園地を出口のほうに坂を下っているときだ。よそのおじさんの手を掴んで帰っていたのだ。そのおじさんも気づかず子供の手を握っていた、「今日おもろかったわぁ」と言ったとたん相手が気づいたのだ。もう落語の世界である。徒然の記その3 加藤登紀子ほろ酔いコンサート 2017.12.27(水)-29(金)■加藤登紀子ほろ酔いコンサート Live CD2017.11.15に発売されたこのCDは、1枚目に1973.12の日劇ミュージックホール、2枚目に1981年の中日劇場。3枚目に1985年の新宿シアターアブル、4枚目に1993年の同シアターと1994年の大阪サンケイホール、5枚目に1995年の同シアター で歌った70曲が収められている。今回のほろ酔いコンサートではその中からラブソングなどの歌が選ばれ物語が紡がれていた。今年の新曲や、昨年のピアフ(雀)、美空ひばりの最晩年の歌が取り上げられて会場を盛り上げていく。最後はいつもの「100万本のバラ」である。KATO Tokiko's tipsy consert(ステージのイメージ、 2017.12.28)■ちらし挟み込み1000席くらいの会場が連日満席状態。この恒例のコンサートに機会あってアルバイトに行ったという次第。今回は初日のチラシ挟み込み2700枚ほど、2日目は会場スタッフとして。チラシは、見開きのプログラムに、「アンケート用紙」、岩波ホール創立50周年記念作品第一弾のジョージア(グリジア)映画「花咲くころ」(2018.2.3)、「加藤登紀子コンサートー1968年から半世紀、2018年に贈る未来への詩(うた) in オーチャードホール 2018.4.21(土)」「加藤登紀子と行くロシアの旅 サハリン、ウラジオストック 6/19-6/26」「八ヶ岳高原サロンコンサート 2/11」、「鵠沼福祉会館35周年記念コンサート 加藤登紀子と共に・・2/17(土)、」「加藤登紀子コンサート 百万本のバラ 杉並公会堂 2/24(土)」などの直近の予定プログラムや、ペシャワール会(1983年 中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で設立)の会報などであった。その数が膨大。挟み込みが終わった後は、ホールや会場内のお仕事。お客を席まで誘導したりと。■大関の樽酒 名古屋会場では清酒「ねのひ」が振舞われたが、大阪、横浜、東京は大関であるという。このほろ酔いコンサートの特徴は、開場と同時にホールに人が溢れるが、皆手にお酒の紙コップを持つ。チラシ類は予め席に置かれているので落とす心配がない。そういう気配りがで出来ている点が嬉しい。以前の日劇ホールのようにお酒の持ち込みはできない。外で回収である。■ホール売店ホールの売店が多彩・・「鴨川自然王国」の物産展、百万本のバラ生まれ故郷の「ラトビア」のお土産など。物産展では「手前味噌」や「胡椒」「レッド・ペッパーソース」や煎餅など。自然王国に住む幼児(登紀子さんのお孫さん4歳)は実に野性味があって面白い。ホールを裸足で駆け回り、トイレへは替えのオムツを持って入っていく。自分で交換するのだと。おったまげた。その他ではTシャツ、CD,書籍の売り場など。ペシャワール、JVC(日本ボランティアクラブ)などの募金。ホールが賑わっている。歌の語りでもこれらの紹介があり全てが登紀子さんに関連しているのである。■指圧の心今回のアルバイトの中で一番光っていたのは、指圧師を目指して勉強している青年。我々トキコ・プランニング社関連のアルバイトの前に華々しくデビューした。手が空いている時や、これが終わってのお疲れ会で、全員の膝の状態を指圧師の観点でチェックしたり、肩の凝りを治してくれたのだ。「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」の台詞で有名な浪越徳次郎が学祖の「日本指圧専門学校」(日本で唯一の指圧専門学校)の学生である。青年はその第60期生という。 「浪越指圧アソシエーション」は今や世界展開である。帝国ホテルにもオフィスを構える。今日 出会った青年の中で一番の有望株ではないだろうか。将来が期待される。■バリアフリーへの願望有楽町駅前にある「よみうりホール」はビッグカメラ有楽町店の7Fで至って交通の便がよい。東京フォーラムとは道路を挟んで向かい側。小生は昼食をフォーラムのopenスペースのベンチで食べてから、会場に上がっていった。ベンチはさんさんと太陽が降り注ぎ暖かい。このビルは南西端が三角形の角になるような形をしている。ステージが南西方向に先細りのような扇型に作られており、音の伝搬効率がよい。無駄がない設計である。ただし少々古いためバリアフリーにはすこし改善の余地がある。トイレが館内になく外の2F-8Fまでの階段横にある一般客用のトイレを使わないといけない。「誰でもトイレ」のように大きなスペースのトイレなどは車いすや足の不自由な人には必須である。徒然の記その4 日光西街道-試走 2017.12.30(土)■例幣使街道 歩道がない?これを確認するため師走の最後にすこし駆けっこをしてきた。朝まだ早い4:00起である。日光まで残り 楡木(にれぎ)から東武日光駅の37.6kmをrun。日光に近づくにしたがい路面が圧雪状態。弁当や飲料水1L、防寒服などをを含んだリュックは鉛を担いでいるように重い。過酷なrunが始まった。例幣使街道は日光街道に合流する手前3kmほどは確かに歩道がないが交通量はさほどではない。並行する国道あるからであろう。殆どが杉並木の遊歩道となっており快適。日光街道のうち今市側は歴史保存地区となっており幅員10mの立派な土道であり鬱蒼とした杉木立が続く。国道112号は側道としてその杉並木に並行する。例幣使街道は逆で杉並木そのものが車道となってしまった。その側道が遊歩道のように延びる。徒然の記その5 掃除ロボット大活躍 2017.12.30(土)■ダスキンのロボットクリーナSiRo多分、パナソニックのOEMと思うのだが、我が家が使っているのはダスキンの掃除ロボットで三角形の形をした「SiRo」。名前はまだ無い。吾輩は家人の昼寝の時間に一生懸命働くをもって本分となす。このロボットを持ち運ぶさまが傑作。あたかも家猫のように両腕を支えられ、身体をぐったりさせて家人の言うままに運ばれていく様である。ポトンとその場に置く。スタートボタンを2度押すと動き出す。2階へ運んできた。ここは要注意である。ほとんど掃除をしない部屋ばかりなので、頭に頬かむりをしなければならないくらいだ。全身埃まみれになりながら甲斐甲斐しく掃除をしていく。箒と違うのは、埃が立たないことである。回転ブラシが回って行ってゴミをかき集めるだけの仕草なので、埃が立たないのである。しかし、狭い所に潜り込み丹念に何回も掃除をしていく。埃は立たなくても余りに埃っぽい部屋なので、全身真っ白になる。ゴミが満タンになって警告の赤ランプが点滅し、「一杯になりました!」と言葉で言っているのに家人が飛んでこないものだからしょうがなく掃除を続ける。見ていると同じところを何回も掃除を繰り返しているようであるが、最近はこれを咎めないことにした。全体的には綺麗にピカピカになっているので良しとしよう。来年もよろしくお願いします。徒然の記その6 楽譜製本 2017.12.29(金)■楽譜製本屋・・A4やB4の楽譜のコピーを見易いように製本する技術・・ほぼ毎週一回はやっている通常業務である。弾かねばならない曲があまりにも多いので毎日のように製本しているのでもうベテランの領域に。慣れたものでものの10分で30枚くらいの冊子が仕上がるのである。高速でできるのは慣れの問題だが、コツがある。用意するもの・・ハサミ、マスキングテープ、糊、クリップ、厚めの辞書2冊(隙間を開け、マスキングテープが上手くくっつくようにするため)、広告の紙(糊がテーブルに付かないようにするため)1.コピーした楽譜を見開きに合わせ2枚setで冊子状にしていく。2.2枚setの紙を裏返し、隙間を少しあけてマスキングテープで貼り合わせる。3.2枚setを折りたたむ4.これを全ページについて行う。5.全部揃ったら冊子の完成をイメージして一冊にし背表紙にあたる部分にクルップで止める6.2枚setを貼り合わせていく このときノリが外側にはみ出ないように僅かに内側に糊を付けること。ただしページをめくる部分はきっちり端に。7.冊子のめくり側を糊付け。8.背表紙をマスキングテープで固定Bookbiding1(製本のイメージ図1)Bookbiding2(製本のイメージ図1)
Dec 30, 2017
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居座る冬将軍_関東は快晴が続く今日この頃_ story (4326)2017.12.23Winer warlord came authentically over the northern Japan.A strong wind blew and the snow was blown down due to the cold air flowing . 北日本の上空に寒気が流れ込んだ影響で、北海道や東北、北陸の各地で12日、非常に強い風が吹き、雪が降り積もった。12日午後8時までの24時間降雪量は福島県南会津で72cm、福井県大野市で63cm。仙台市内でも雪が降った。Snow fell even in Sendai city. (仙台市内の初積雪の風景、 2017.12.19)雪をあまり経験しない東京からは羨ましくうつった12/13(水曜日)のasahi朝刊。吹雪いている写真を、スケッチに落としてみた。感じは出ているであろうか。普段目にしない光景であるので。目次徒然の記その1 クリスマスパーティーと孫のナンバ走り徒然の記その2 プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード徒然の記その3 入歯徒然の記その4 高尾山サミット会議とダイヤモンド富士山 徒然の記その5 フルートとのデュエット 徒然の記その6 シロコロ会議徒然の記その7 詐欺事件徒然の記その1 クリスマスパーティーと孫のナンバ走り 2017.12.17(日)身長90cmしかない豆粒のような孫とクリスマスパーティーを共にした。マンションに運び込んで飾っておいたツリーがやっと日の目を見た。■幼児のナンバ走り・・この孫、小さいのによく走る。ズボンのポケットに両手をつっこみ、膝を折ってさらに身長を低くして走っていく。何の真似であろうか。走りそのものは、「ナンバ」走りであった。幼児はまだ両手を振って走るという訓練を受けていないせいか、人類本来の姿で「ナンバ走り」が出来てしまうのではないだろうか。大発見であった。■JENGA(ジェンガ)が大活躍。1974年にイギリス人の女性起業家レスリー・スコットにより開発され、1983年にロンドンで発売された。欧米ではハズブロ、日本ではタカラトミーより発売されている木で出来たゲーム。これを皆で遊んだ。なんとこれほどスリリングなゲームがあったろうか。教育現場ではよく使う遊びらしいが、我々大人は初めてである。基本型は54本の直方体のパーツを縦横に3本ずつ組み上げた18段のタワーとなっている。僅かに高さが違ったものがあるらしく、積み木を抜くことができるのだ。それを上に積んでいく。計算上は最大54段までのタワーを作ることができるが、それまで行かず途中で崩壊してしまう。大人も子供も、これ以上大声が出ないと思うほどの声を張り上げながら、震える手でブロックを抜いては最上段に積んでいく。塔自身がユラユラ揺れているのにも関わらず、サッと抜いては上に積み上げていき順番が来るまで遊びまわる子供たち。度胸がいい。きっと遊び慣れているのであろう。Jenga(ジェンガ 2017.12.17)30段ほど積み上がった状態。ユラユラ揺れていても怖がらず、積み木を抜いていく。なかなかのスリル!■使っていない部屋が暖かい・・使っていないマンションの家に家族9名が集まった時だ。玄関を入ると、暖房をつける必要のないほど室内が暖かい。予め暖房を入れたみたいに。今住んでいる一軒家では地面から冷気が立ち上り底冷えのするほど寒く暖房なしでは過ごせない真冬だというのに、高層マンションの暖かさとは一体何だろう。集合住宅の場合は建物全体で”暖”が回るのであろう。南西向きの各窓から降り注ぐ太陽光で部屋が暖められるからであろうか。マンション住まいの利点はこういうところが大きい。徒然の記その2 プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード(仮面舞踏会)2017.12.18(月)■スザンナ・・1778年 プラハの歌劇場で、「モーツアルトのフィガロの結婚」のケルビーノ役に抜擢されたオペラ歌手。我が市民響にも「スザンナ」さんがViolaを弾いているので面白い。モーツアルトとサロカ男爵とケルビーノ役のスザンナとの愛と、嫉妬と陰謀にまみれた三角関係が主題である。オペラ「ドン・ジョバンニ」をモーツアルトが初演する所まで描かれた映画。序曲部分などホールに客が集まりかけている時はまだ完成していなく、作曲する傍らで、代筆する譜面書きが何十人も待ち構え、パート譜面に落とし込んでいく。楽団もまだインクが乾ききっていない楽譜を初見で弾きこなすというハラハラした場面など天才モーツァルトらしい一面がうまく描かれている。猟色家と噂されるサロカ男爵がまさに、「ドン・ジョジョバン」の主人公「ジョバンニ」その人で、騎士団長がスザンナの父親であり、スザンナがドンナ・アンナであろう。モーツァルトが指揮をするとき、直前で起こった悲劇を思い浮かべて泣いているのであった。激しい慟哭がこの名作を生んだのである。その怒りとはどんなにすさまじいものであったか。ドン・ジョバンニにすべてを表現したといっても過言ではない。徒然の記その3 入歯 2017.12.19(火)■左上の犬歯 1本だけを入歯にして早や16日。入れたのはレナデンチャー(lena-denture)(別名、スマイルデンチャ(smile-denture)、ノンクラスプデンチャ(non-clasp-denture))という樹脂製の入歯である。金属のフックがなく、歯茎に被せるタイプ。)保険が効かないので高額である。形は、開いたシジミ貝ような形をしており、接合部に入歯が一本あって、歯肉に似たピンク色をした樹脂製の蓋が付いている感じ。それを歯肉に被せるようにして嵌めるのである。装着は12/5(火)、もうかれこれ3週間になるが、慣れてきた。夜歯を磨くときに、外し、朝方これを嵌める。樹脂が歯肉色をしているため装着してもまったく外目には気が付かない。もともと差し歯であるため、よく取れていた。長旅の巡礼でも毎回外れ、大事に持ち帰っていたが何度入れてもすぐ外れるので、入歯にすることにしたのである。相当の精神的抵抗があった。先日の山行きで、スペイン巡礼の仲間が来ていたが、その彼こそ入歯を飲み込んだという本人である。どんな入歯であったのかと聞いてみた。驚くなかれ、彼も1本入歯で、川下りの時に乗客同志がぶつかり歯が真っ二つに折れたためにそこを入歯にしたというのだ。保険が効く方なので、偽歯の両側に2本づつ針金が付いているタイプで、抜けた歯の左右に被せるように作ってある。それを飲み込んだというのだ。金属の輪っか両側に付いたものを飲み込んだからには、すんなり体外に出るとは限らないのである。そんなこととは露知らず。皆んな大丈夫だ 問題ない と励ましたのであるが、事情は深刻である。金属の輪っかの部分が腸に刺さる場合もあろう。体外に出たかどうかはレントゲンを取らないと分らないのかもしれない。本人は自覚症状がないというが。半開きの輪っかが付いた入歯、本当に体外に出たのだろうか。一つ言えることは見つかっても再利用は厳禁である。氏はいま作り替えて新しいのを嵌めている。lena-denture(樹脂製の入歯-レナデンチャー 2017.12.19)犬歯一本用の入歯徒然の記その4 高尾山サミット会議とダイヤモンド富士山 running 18km+walking 6km 2017.12.20(水)■歩き塾の年間計画・・山歩き、街道歩き、都会・近郊歩きなどジャンルをいくつかに分けて項目を挙げてみた。行きたいところは山ほどあるので、2017年同様また忙しくなりそうである。このうちの街道歩きは、奥の細道紀行や、秩父観音霊場など。都会・近郊歩きは、七福神巡りや柴又など。なかには都内ロングトレイルとして大江戸線33kmなど面白い企画を入れてみた。続いてそれらをカレンダーに落とし込む作業をしていき、月毎のスケジュールに纏めていく。残り作業は自宅で。こういう会議を行うために家から走っていった。到着した場所は高尾山。大垂水峠→一丁平経由。薬王院の山門で合流した2人を迎えに行き、山頂に戻り返してのサミット。石段に座ってお互いに意見を言い合う。■ダイヤモンド富士山狂騒曲・・連日ものすごい高尾山のラッシュさて、今日(12/20)高尾山、特別な顔をしている。15時ころから山頂の展望台が混み始めた。我々の周りに人垣ができる。カメラの3脚が置かれたりしながら皆、刻々と迫りゆく時を待つ。なかにはイスを持ってきてその特等席で待つ。時刻は16:13:20.遠望する富士山の上に雲がかかっている。ダイヤモンド富士を邪魔する雲たちである。ただちょうどいい具合に、富士の頂きはうっするらと見えている。16:10:00 太陽が富士山にかかり出した。あたりは真っ白で何も見えない。徐々に全体が暗くなってきた。太陽が沈んできているのである。群衆もその一点に注がれる。計算上は1分で見えなくなるためここからが写真撮影の時間となる。連写をした方がよいほどカメラチャンスは難しい。広角の望遠レンズを仕掛けた何台もの高級カメラ群。こちとはちっぽけなデジカメ。殆どはスマホ。さて勝負!誰かうまいこと写真に撮れましたか? 太陽が一瞬、ダイヤのように輝いて、直後にストンと消えた。一瞬の静寂。それから拍手が沸き起こった。夕焼け空に、こんどは富士山のシルエットが綺麗に浮かぶ。これが、ダイヤモンド富士山ツアーのあらましである。太陽フェチ族とでも言おうか。この400人。いつでもどこへでも出かけていく人たちの一群は暗い夜道をケーブルカーか、一号路を歩いて麓に帰っていく。われわれは、山頂から6kmほど歩いて、JR高尾駅へ。サイゼリアへ。いつものコースである。初めての2人。興奮気味である。金曜日12/22は冬至の日でこの写真より僅かに左手寄り中央に太陽が沈むはず。皆いたって静かである。騒いでいる人は誰もいない。理知的な天文学である。Diamond Fuji from Mt.Takao(ダイヤモンド富士山 2017.12.20)時刻は、2017.12.20 16:13:20■12/22(金)にも自宅からダイヤモンド富士run-22.3km この日はもみじ台からのダイヤモンドを楽しんだ。ここには150名ほど。展望台にはおよそ600人がいたのかしれない。富士山と高尾山の延長線上に「もみじ台」はない。ここのダイヤモンドは高尾山頂上より右側にずれていたとみる。山頂がBESTポジションであったようだ。sunset-Fuji from Mt.Takao(ダイヤモンド直後の富士山 2017.12.22)時刻は、2017.12.22 16:15:10富士山-高尾山のラインを伸ばしていくと、立川-小平-東久留米-越谷-野田-土浦と。このあたりでもダイヤモンドが見える筈。だが高尾山が一番近い。今後の予定(3日ごと)12/25(月)16:17:25 山頂北側12/28(木)16:15:00-16:21:22 ころがり富士山12/31(日)16:17:03-16:25:27 ころがり富士山1/3(水)16:12:00-16:29:00 北側の山麓へ■朝日のダイヤモンド富士1/1 本栖湖キャンプ場から竜ヶ岳へ登ると、”初日の出”のダイヤモンド富士が見られるという。紅白をみてから中央道を飛ばす一群の人たち。あぁダイヤモンド富士に翻弄されるこの1,2週間である。■縄文人・足跡・探索隊・・大変不思議な団体と今日のrunの途中の「関東ふれあいの道」の「見晴らし台」で会った。黒曜石を探しながら、縄文人が歩いた道を静かに歩く15名くらいの団体。ただ本当にそうなのかと自信はなく、僕に「この道、縄文人が歩いたでしょうか?」と聞く。もとよりそんなことは知らないが、数多くの峠を結ぶ道なので「おそらく。」と答えておいた。リーダー級の人が皆に「確証を得ましたのでこのまま進みましょう!」と言っていた。いいかげんなものであるが、なかなか”ほっくり”した優しそうな面影の都会人ばかりであった。■銀髪のサンバイザーこの高尾山トレイルランには銀髪のサンバイザーを被っていった。とにかく寒そうなので防寒の意味でも必須だと思ったからだ。ただ、これを見た多くの日本人、一様に”ぎょっ”とし一瞬たじろぐ。見たことが無い帽子であり、本人の銀髪かと思うからである。山ならまだしも、公共交通機関に乗るとき被ってはいけないのだろうか。同行の女子たちは、「まかりならぬ!」という。というわけで、自宅まで車で拉致された。このサンバイザーに関しては、2016.4.22に書いてある。2016.4.22のblog サンバイザー(sun viser日よけ帽子)先日大阪から第九のオケ練習に参加した大学の先輩が被って来た帽子。笑ってしまった。図のような赤い帽子である。一瞬、バンダナを頭に巻き付けているだけかと思ったら、ふさふさの疑似の黒髪がセットになった帽子である。これは大阪のノリである。皆が被れば”豊かな髪の日本男性"が演出されるであろう。つるっぱげの多いポーランドで売ればバカ売れであろう。ヨーロッパへのお土産にもよさそうである。金髪や銀髪などいくつかヴァリエーションがある。小生は銀髪を被って驚かせて見よう!各種サンバイザー徒然の記その5 フルートとのデュエット 2017.12.21(木)■高校の同期の集いが、成城学園に住む女性の邸宅であった。麻雀を2setも用意して朝方からパイを持つ。あぶれた人もいる盛況ぶり。ここへViolaを持って登場したのがturbo717.私である。フルートの方は、すでに朝方から この日はワインも飲まずに牌を動かす。17:00に到着し、17:30に食事会が始まった。3日も準備にかかったという豪勢な料理がテーブル一杯に並べられた。すべて手作りという。ワインや酒の饗宴のなか談笑が続く。昨年は長期巡礼中にスマホが雨に濡れ、山道を不安な思いで歩いていた時に、その年のパーティーの誘いの連絡が入ったのだ。むげにも断ってしまい大いに反省。今年はこのパーティーを楽しみに待つ日々であった。その余興に、フルートを吹きViolaを弾く。2年前にも弾いたマスカーニのIntermezzo(間奏曲)を完成度を上げて弾いたがどうだっただろう。Violaでは、山谷ミニコンサートでやったドボルザークのユモレスクを今度は省略せず全小節弾いてみた。余興に来年は皆かくし芸をしたらどうだろうと持ち掛けてみた。なかにA氏は、老化防止方を下記のように説いた。1.両手を付け、薬指だけぐるぐると回せること。・・これは難しい。ぎこちない動きになってしまうのだ。2.グーの状態で、薬指を立てる。・・これもなかなか難しい。両手でやって見ること。薬指だけを立てるのである。3.筋肉というのは衰えないのだと。常時使っていると、成長するのだと言う。・・これは確かである。翌朝、カミさんに出来るかどうか聞いてみた。上記1,2など。な、なんとあっけなく完遂するではないか。ピアノをやっていると指が自由に効くらしい。こちとらは非常に苦戦。2など全く動かないというのに。徒然の記その6 シロコロ会議in厚木 2017.12.23(土)厚木のB級グルメ「厚木シロコロ・ホルモン」を食べにcamino仲間の男たち4人が集まった。2016.7.16以来1年5ヶ月ぶり。今回はGeographicaによるルート図を予め作成した後の16.7kmランニング。快調に飛ばしすぎて14時45分到着。集合時間よりも1時間半前の到着で、近くの中央図書館で寛ぐ。■厚木のシロコロ-B級グルメ2008年優勝作品・・豚の大腸がシロであるが、厚木産の豚を使うのは勿論のこと、食材に至る加工工程がすべて決まっているという。炭火で焼く方法までも決まっており、3秒でひっくり返し20回繰り返すという。大ちゃんというシロコロ専門店へ直行。カルビ、ザブトン、シロ、・・ どれも美味しすぎてほっぺたが落ちる!徒然の記その7 詐欺事件 2017.12.23(土)■Google Aniplex・・この名前を語った無数の購入が銀行カードの「ご利用明細書」に記入されていた。たまたま本宅から持ってきた郵便物を開けていたカミさんが階下から叫んだ。「貴方! これ何?」。見ると十数件のGoogle ソフトの請求。身に覚えの無い請求である。一般の正しい請求分を含めて高額であったため、たまたま残金不足となり引き落とされず1週間も過ぎている。すわ大変。マラソンどころではない。「Google Aniplex 不正請求」でnetを探すと下記のような対策方法があることを知った。手順:1.「クレジットカードをGoogle Playで不正使用された際の対応方法」2.「 Google Playヘルプセンター」 を検索。3.「返品と払い戻し」→「不正請求の報告」をクリック。4.「サポートチームに連絡」をクリック。ここで、詐欺にあった詳細(商品名、日付、金額、その他)を報告。3日後、電話かメールで、回答があった。小生のは、「購買記録がありません。」と報告が返され、以降銀行のカード部門との折衝に入った。今回被害にあったのはバンクカードなので、そのカードの裏に書いてあるコールセンターに被害状況とGoogleからの回答を述べた。さらに銀行の支店に行き、その後に着ていた「引き落とし不能通知書」を見せ、対処方法を相談→バンクカード部門への業務引継ぎ→Googleサイトの担当者名も伝える→毎日約1万円の不正請求が数十回分 をキャンセルしてもらう→銀行カードは停止→新しい番号で再発行(10日後)。明細書に書かれていた商品名は「GOOGLE *ANIPLEX (G.CO/HELPPAY#)」であり、何者かが巧みにバンクカードに入り込み、購買を繰り返したようである。実際には金の流れはなく、ゲーム側が使用料を徴収できなかったということのようである。犯人は、小生になりすまし、ちゃっかりゲームを毎日楽しんだと見る。銀行側から聞かれたのは、タブレットからGoogle Playで何かをバンクカード(BC)で買おうとして、番号を入力し、その後、キャンセルなどした記憶がないかと。その瞬間に、BCの番号と、パスワードを盗まれたのではないかと。BC自身は、引き落としが不履行に終わった時点で、使用停止となっているため、現金引き出しも含めて、すべてが機能停止になっており実害はなさそである。気づくまでの数日間はひょっとしてなんらかの被害にあっている可能性はゼロではないが。次回の明細書でチェックしてもらおう。銀行側が言うことにはその後も不正請求が4件続いたがそれ以降は無いという。皆さんも「ご利用明細書」には目を光らそう!
Dec 23, 2017
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初冬の風景_ story (4325)2017.12.16Beethoven's 9th symphony concert was over in a great success.I almost burned out but I must play viola for next concert without break! Oh !2年に一度とは言え実は去年5月にも第九を演奏している。大学オケobによる第九も入れればこの35年に19回も第九を演奏していることになる。毎回違った感想を持つが、今年のは自分で言うのもなんであるが、凄かった。合唱団の音圧に圧倒されたのである。こんな経験は初めてである。鳥肌が立った。Ozoko's early winter (愛川町・海底(おぞこ)の風景、 2017.12.5)目次徒然の記その1 第九本番徒然の記その2 歩き塾-日の出山ハイク徒然の記その3 バッハ・コレギューム・ジャパン公開練習 徒然の記その4 ちび助 来る徒然の記その5 パンダ観覧券徒然の記その6 AI 自動運転徒然の記その7 マラソンは健康に悪い?徒然の記その8 トットちゃんのカール・祐介・ケルナーって誰?徒然の記その1 第九本番 2017.12.10(日)■府中「第九」が17回目を迎え、成功裡に幕を下ろした。府中西高出身者ばかりのソリストの圧倒的な声量と、310名の合唱団からほとばしるドイツ語の波と、オーケストラの音が怒涛の客席に押し寄せた。最後のカルテットの部分では、「Alle Menshen alle Menshen werden Brüder, wo dein sanfter Flügel weilt. (全ての人々は貴方の柔らかな翼のもとで兄弟になる。)」を4人がそれぞれ歌う箇所などがあるが、天にも上る素晴らしいものだった。オケ人数と合唱団の人数に、”最適解”があるのではないかと鋭い指摘をされた聴衆もおられたように、どちらかが埋没して聞こえたほどの音量であったようである。ただ今回は、座席分のチケットが完売となったため、当日券を当てにして来た少なからずの人達にお引き取りを願わざるを得なかったのが残念。ぽつぽつ空き席があったのに。自由席でも消防法が適用されるという。歩留まり学という経済学はないものだろうか。売っても来ない人の分、その席を更に売るという2重商法である。歩留まり9割として計算したり、または開演10分前に空き席をカウントし、その半分を売るという商法は? NHK総合TV 水曜夜の「オイコノミヤ」で取り上げてもらいたいものである。今回はturbo717の知り合いが40名近くも駆けつけてくれた。二次会として駅前の居酒屋に集まった人も多い。その一部は8時近くまで飲んでいた。こちらはレセプションを途中で抜け出しその居酒屋へも顔を出す。なかなか重厚な1日であった。燃え尽き症候群になりそうである。しかし来春の定期の譜面がメールで送られてきた。Viola-Violin Duo、ホームコンサート、ミニコンサートなどの練習に励まねばならず休む間はない。徒然の記その2 歩き塾-日の出山ハイク 2017.12.12(火)■コースは武蔵五日市駅→金比羅神社(3.6km 休憩)→(金比羅尾根)→送電線下(7.0km) 麻生山・巻道→日の出山(902m 10.2km)→電波塔(12.3km)→梅の郷→日向和田 17.3kmこの日の出山。優しい山の名前であるが、金比羅尾根という長い長い稜線を10kmも登っていかないと到着しない山なのである。最後には独立峰のように東側に張り出した山塊に水平距離500m、登り150mの丸太階段が何百段も付いており過酷な試練が待ち構えている。そこへは13:10頃全員到着。快晴の下、真東にサンシャイン、東京スカイツリー、少し南東に新宿副都心が見えていた。帰りは、日向和田へ落ち葉散り敷く滑りやすい道をまろび転びつつ下山。一人平均1.5回は尻もちをつく。今回は初めて、カシミール3Dのスーパー地形図+国土地理院地図で山道をトレースしてそれをコースマップとして使用した。町の境界線と山道とを間違ってトレースした部分も多く、今後の課題であると感じた。GeograpicaによるGPS測定では、登り10.2km 下り6.1km(麓までは5.5km)で、平面距離17.3km 累計高度+1243m、-1214m。頂上到着は13:10、日向和田到着が16:08.上りに約4時間。下りに約2時間半。見做し距離(消費エネルギ換算距離)として、平面距離+10x累計高度(up)+7x累計高度(down)という独自の計算式を適用すると、36kmとなりこれを行程時間6時間半で割ると、1km11分という計算になる。まぁ、かなりの高速で歩いたことになり、いかにこのグループの心肺能力が高かったかを物語る。一人の落後者も出ず、かなりの健脚コースを踏破したということになる。ある女性は嘆いていた。「私。神楽坂ガール」だった筈なのに「山ガール」になってしまったと。夕暮れが迫るため強引に引っ張ったリーダが悪い! すみません。Hinodeyama Hike profile (日の出山ハイクのプロファイル、 2017.12.5)左が武蔵五日市駅、右が日向和田駅徒然の記その3 バッハ・コレギューム・ジャパン公開練習 2017.12.15(金)■Bach Collegium Japan・・国際的に活躍している日本を代表する古楽器演奏団体。調布に住む大学オケの同輩から誘いを受け、公開練習が聴けるとあって、聴きにはせ参じた。3人は12:00から並んだ。でも開演の13:00でも客席は空いていた。当初はマラソンで距離にして26km。km10分として4時間を見積もろうとしたが、コンサート用の服をリュックに背負うことと、曇り空で気分が乗らず・・なんていう口実で、おとなしく電車で。■演目:G.F.Handel(ヘンデル):Miessiah(オラトリオ《メサイア》)指揮、チェンバロ:鈴木雅明(まさあき)合唱・管弦楽:バッハ・コレギューム・ジャパンヘンデルのメサイアは今ではこの時期第九以上に、ヨーロッパ中で演奏される曲であるという。メシアは救世主で、ギリシャ語でクリストス。キリストの由来となった言葉である。有名なハレルヤが連呼される第2部までの約1時間が公開された。於・調布市グリーンホール 大ホール徒然の記その4 ちび助 来る 2017.12.16(土)■東高円寺に住み、現在は近くの子供園に通う豆粒のように小さい2歳9ヶ月の孫が久々にやってきた。さがみ湖プレジャーフォレスト(旧相模湖ピクニックランド)に遊びに来た帰りに一泊の予定で両親とともにやってきた。この孫、仕草がいたって上品である。赤ちゃんのときからゴミを見つけては籠に入れていたぐらいだから、最近は親が真似をしなければならない塩梅だ。脱いだものはちゃんと揃えるといったように。ピアノを弾きだしたとはいっても、「大きな栗の木の下に・・」の音楽を聴きながら歌い、チョイチョイと両手を鍵盤に添えるだけなのである。傑作なのは、「仲良く遊びましょう。」というくだりは、鍵盤から手を放し、両手を胸で交差し「仲良く」のイメージを身体で表現し、そのあと続く音楽へ急いで鍵盤に手をやるのである。子供園で習っているのであろう。Grandchildren play the piano (2歳9ヶ月の孫 2017.12.15)■クリスマスツリー・・電飾を買い足そうとカインズホームに行ったが既に売り切れと言う。直前にバタバタするこの体たらく。日曜日は本宅に全員が集まるというので、昔からあるツリーを運び入れ飾ってみた。すこし寂しいが。Cristmas tree (寂しげなクリスマスツリー 2017.12.15)徒然の記その5 パンダ観覧券 2017.12.15(木)■ジャイアントパンダ「シンシン、シャンシャン」観覧券12/19(火)から一般公開されるパンダ・シャンシャン。今大変なことになっている、12/19-12/28の9日間の受付はすでに終わっており、25万組(1組5名として125万人)からの応募があったという。抽選で1日400組(2000人)の割り当てであるので当選確率は平均1/70となる。しかも母子のいるパンダ舎を見るためには、入れ替え制かつ移動式で、滞在時間は1分。30秒で隣に移動し、そこでさらに1分、あとはそぞろ歩きで液晶ディスプレイ3基を見ながらそそくさと出ていかなくてはならない。一方父親のリーリーは屋外にいるため、これは観覧券の必要はなく誰でも見られる。なんという違いだろう。観覧時間は9:45-12:45の3時間。募集時間は30分ごとに時間指定で募集している。例えば9:45-10:15の30分。この時間に観れるのは80組。400人。我家からの往復で3時間。この時間をかけてわずか2分しか見れないのだ。もうやめよう。近所の人に席を譲るべきではないかと。徒然の記その6 AI 自動運転 2017.12.15(木)■AIによる完全自動運転が可能となった暁には「運転免許証が要るのか?」とカミさんが運転をしながら曰く。将来、AIが発達し、人間の解析能力、知覚能力、運動能力、瞬発能力などすべてAIが凌駕した暁には、車の完全自動運転が可能となる。そういう時代でも「免許証」が要るのであろうかと。現状では高速のジャンクションのカーブでは自動運転をoffにして人間が代わるなど、不得意エリアがあるという。その時代では、もう不得意領域は無くすべてをAIが実行する。ただ咄嗟のときに人間が運転を代わる技術などと、特殊な技術の習得が必要となるかも知れない。そいう意味でやはり免許証が必要であることには変わりがないだろう。「もうそろそろ老人ホームに奥様を見舞いに行く時間ですけど。」と車が喋り、そこまで連れて行ってくれている筈である。ドローン型人間が空を飛び、町では自動運転の車が行き交う。一方アナログ人間が時代に取り残されさびしく空を見上げている構図も予想されるが。徒然の記その7 マラソンは健康に悪い? 2017.12.15(木)■喪中はがきの中に、ご主人が74歳、父が77歳 とかまだ若い方がおられ驚くばかりだ。大阪に住む元の会社の諸氏が相次いで亡くなった。一人は4月に、一人は11月に。後者は一緒に仕事をした先輩で、日本医学放射線学会で数々の論文を発表した博士であり、阪大医学部教授になった方である。カミさんもよく知っている。青梅マラソンなどよく走っておられた方であるが、訃報を報告すると「やっぱり。走り過ぎはいけないのヨ!」と言う。今日(12/15)の新聞にも書いてあったと。見ると週刊誌の広告であった。「認知能力低下、精力減退、うつ症状・・マラソンブームに警鐘 走り過ぎは身体に悪い」という見出しが目に飛び込んできた。まぁこれらは頑張り過ぎておられる諸氏であり、当方のは「ずり足走法」でいたってヤワである。そんなに苦しそうには走っていないのでご安心有れ。「太く短く生きるさ!」とカミさんには言っておいたが100歳、いや140歳まで生きたいものである。徒然の記その8 トットちゃんのカール・祐介・ケルナーって誰? 2017.12.16(金)■12/18(月)から最終週(12/22まで放送)になるという「トットちゃん」(TV朝日系12:30-12:50)カミさんと共通に見るTV番組である。どちらかがお昼に居ないとVideoに撮っておくという習慣が10月から続いている。このあと時間がかぶっている「わろてんか」の録画が出来ないこともあり、自然に見なくなってしまった。朝ドラに付きものの"心配事”が話の内容になってくるとハラハラするほどの時間の余裕がないのである。ドクター物のTVで夏-秋にかけて放映された、「コード・ブルー」も新米の救急救命士がもたもたする様子に付き合っておれないので観るのをやめてしまった。その点、一回きりで何の宿題も背負わない「さんま」の番組などはいい。笑って終わりである。さて、話を戻そう。現代ピアニストの巨匠Alexis Weissenberg(アレクシス・ワイセンベルグ 1929.7.26-2012.1.8)が「トットちゃん」で出てくるCarl Yusuke Kellner(カール・祐介・ケルナー:イケメン俳優 城田優(スペイン国籍)が演じる)ではないだろかともっぱらの噂。黒柳徹子さん(1933.8.9-)とは4歳違いで、40年越しのloveであったようである。年表に纏めてみた。A.W(Alexis Weissenberg) 1929.7.26 ブルガリア・ソフィアで生まれる。徹子 1933.8.9 東京で生まれる以下はA.Wの年表1941 12歳 トルコに亡命しようとしたがナチスに捕まり強制収容所に3ヶ月いれられる。1945 16歳 イスラエル、パレスチナへ逃れる1946 アメリカ・ジュリアード音楽院に入学1947 Leventritt Competitionレーヴェントリット国際コンクールで優勝 (徹子13歳) 1956-1957 パリに移り住む。ここから10年演奏活動から身を引く。1966 パリのリサイタルで演奏活動を再開。1967 カラヤンと共演を重ねる。1969 40歳 初来日 (12/4(月)放送の「トットちゃん」ではオリンピック開催の年となっていたが東京は1964で、A.W.がまだ演奏活動を再開していない。1968はメキシコオリンピックであるがまだ来日していない。シイナカレイでナンを巡り徹子がA.Wから叱られる。)1971 42歳 ニューヨークへ演奏旅行 (徹子38歳 留学先のNYで再会) 1982 53歳 徹子の部屋に出演 (徹子49歳)1995 66歳 (男はつらいよの第48作目・・2017.12.15 トットちゃんの時代設定。徹子62歳)2001 72歳 最終コンサート2012.1.8 スイスで死去 (パーキンソン病)の長期療養後。
Dec 16, 2017
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the Suntory beer brewery factory_ story (4325)2017.12.9We visited the Suntory beer brewery factory. Approximately 40 persons participated in the special guide tour. My question was how to keep the exactly same taste for 100 milion beer which were decided by malt, hop and water and produced by fermentation, Human skill and nose are absolutely necessary. This is a world of unimaginable smell.久々にビール工場を見学した。麦芽とホップと水でビールの味が決まるという。発酵体なのに、1億本を同じテイストに保つのはどうするのだろう。人間の技や、鼻がいかにも必要であるか。これは想像を絶する匂いの世界。Nishihachioji(甲州街道のイチョウ並木、 2017.11.22)紅葉した銀杏の葉っぱは、一枚一枚が際立っている。絵では割りばしの先端を使って点描してみた。目次徒然の記その1 海底(おぞこ)-八菅(はすげ)run徒然の記その2 歩き塾 都心・郊外散歩その3 旧国鉄下河原線を行く徒然の記その3 Viola Lesson 徒然の記その4 平均律、純正律徒然の記その5 結婚式徒然の記その6 第九 ゲネプロ徒然の記その7 着火マン 卒業徒然の記その1 海底(おぞこ)-八菅(はすげ)run 23km 2017.12.5(火)近隣の山で、まだ未踏の斜面が一つだけあった。これは慎重を要するルートである。2,3回トライしているもののすべてが敗退。永久に達成できない斜面だろうか。意を決して、ディジタルデータを結集して再度トライ。コース・・自宅→田名→高田橋→愛川町役場→海底(おぞこ)→未踏のルート→中津川カントリークラブ→八菅(はすげ)→八菅橋→中津大橋→町立中津小学校→高田橋→三菱重工業→下九沢→自宅の23km。■カシミール3Dによる地図トレース技法国土地理院の地図で表示される山道をトレースし、kmlファイルに変換する手法。これができれば、未踏のルートも事前にディジタルデータ化でき、作戦を立てやすい。今回は次の方法によった。1.カシミール3D(無料の地図アプリ・・スーパー地形図(立体の俯瞰地図)を利用する場合は有料)を立ち上げる。2.地理院地図か「地理院地図+スーパー地形図」を表示させる。トライしたい山を表示させる。3.登るルートを探索し、開始点を右クリック。[断面図]を選択。ルート上をポイントしていく。尺取虫のようにポイントを伸長させていき、全部描ければ右クリックで、[確定]をクリック。4.「断面図」ウィンドウが表示されるので、範囲を設定する。最後のポイントを右クリックし[選択範囲]を選ぶ。断面図で設定したすべてのpointが選択される。5.[ファイル]メニューの[GPSデーターに変換]を選ぶ。(4.を実行しないと(変換する範囲を設定してください。)というメッセージが表示される。)6.「トラックデータのプロパティ」ウィンドウが表示されるので、タイトルを入力。表示色や線幅を指定する。okをクリックすると、GPSデーターがカシミール3Dのプログラム内に保存される。7.「断面図」ウィンドウをXで閉じる。メイン画面で、[ファイル]メニューの[GPS各種データに書き出す]を選択→「GPSデーターエディタ」ウィンドウが表示される。「トラック」フォルダをダブルクリックし、6で保存したトラックデーターを選択する。8.「GPSデーターエディタ」ウィンドウの[ファイル]メニューを選択。→[選択したGPSデーターの書き出し]を選択。9.「GPSファイルに部分書き出し」ウィンドウが表示されるので、保存する場所(例えば、Dropbox)を選択して、ファイル名を入力して[保存]ボタンをクリック。上記でkmlファイルが保存で来たので、タブレットやスマホで、Dropboxを開け、保存されているkmlファイルを選択。「Maps.Me」や、「Geographica」を選ぶとそれぞれのアプリにルート図がインポートできる。今回はこのトレースデータを使って、未踏の斜面に取りついた。山道は全くの廃道で、難渋を極める。まず荒れ果てた巨大竹林が立ちはだかる。そのうちに傾斜の激しい樹林帯となった。角度は60度ぐらい。経路を確認し、コンパスで方向を定めればあとは一気に登る。落ち葉が散り敷いてなかなか困難。木も腐っているので、掴めない。そこは四つん這いで進む。実際のルートは大きく右折しているが戻る先のspotが、太陽光線で輝いている場所であることを地図で確認し、直線コースを取り一気に登っていく。平坦な場所からは、小さな瘤がある山の地形。灌木が立ちはだかるも、地図の方向に向かって前進していく。漸く、以前の場所と思しき箇所に辿り着く。ここからは道があったような形跡で、林間が開けている。そこをまっしぐらに登っていく。登攀は標高81m-pointから221m-pointまでの140mに過ぎなかったがなかなかの経験であった。廃道はイノシシなどの獣道であったようである。「道」というのもは、往復してこそなんぼのものである。次回はこれを北側から降りる方向で人跡を付けて行こう。turbo717専用の山道ができる可能性がある。目印に赤い帯を結びつけていったりして。而して、中津川カントリークラブの北西端に出たので、あとは八菅(はすげ)神社の方向に快適な山道を走るのみ。そこは愛川町の「八菅山いこいの森」となっていて、フィールドアスレチックなどの遊具もしつらえてあった。Geographicaによる実際のトレースは、22.9km、累計高度;+484m,-494m。みなし距離で28kmくらいのrunであった。今回の経験で、正確なルート地図がありさえすれば廃道でも自信をもって登り下りできるのではないかと。遠目から見た山容も重要な判断材料であるし、ただ断崖や深い穴などがあり帰らない人になってしまうおそれもあり、玄関を出る時はノートに行先だけは書いておくようにしたい。Geographical Survey Institute(国土地理map 2017.11.22)徒然の記その2 歩き塾 都心・郊外散歩その3 旧国鉄下河原線を行く 2017.12.6(火)■府中市郷土の森博物館・・・プラネタリウムが入る本館を含めて、宿場の賑わいを再現し、田んぼなどの豊かな自然を移植したユニークな公園を含む。府中のすべてを凝縮したような歴史公園となっていて驚きである。外には道の駅そっくりの観光物産展が2012年よりopenしている。旧府中尋上高等小学校やその中にあった詩人村野四郎記念館や、甲州街道の商家であった旧田中住宅内を見学したのは久しい。府中駅の発車ベルの「ぶんぶんぶん」は、村野四郎の作詞である。■京王線の沿革府中駅に降り立った後、旧甲州街道の方向に欅並木を歩きながら、京王線を仰ぎ見するならきっと感慨深いものになった筈である。京王線の歴史は一筋縄ではいかない複雑なものであった。明治期に、中央線が新宿-国分寺間に敷かれてしまい、府中が取り残される状況となってから苦難の100年であったのかもしれないからだ。甲州街道沿いに中央線を敷こうとしたときに、人力車や馬車組合の人たちの反対があったのかもしれないのだ。北の方には目だった街道もなく人家が少なかったために、真っすぐ敷ける「国分寺駅」までのほうが有利であったのだろう。京王線は1910年の笹塚ー調布開通を皮切りに、延伸工事が続くが、それまでは人力車か馬車による交通 例えば、府中-新宿間、府中-立川間、府中-八王子間などの便があり、甲州街道を利用しながら行き来したから宿場が栄えていたので、鉄道敷設が遅れたと見るべきであろう。1910・・京王電気軌道(株) 笹塚―調布1916・・新宿-府中、調布-京王多摩川の支線が開通。1926・・府中-東八王子(現京王線八王子駅近く)間を営業していた玉南電気鉄道(株)を合併して、新宿―東八王子間が開通。1931-1945 京王御陵線・・大正天皇崩御に伴い造営された多摩御陵へ向けて高架で長房町(甲州街道北側、南浅川沿い)を敷設。1933・・渋谷-井の頭公園間・・帝都電鉄(株)1960・・新宿駅を地下化。渋谷駅を拡張。東八王子駅を移設。1964・・高幡不動-多摩動物公園間の多摩動物公園線が開通。1967・・北野―高尾山口の高尾線が開通。1971・・京王多摩川―読売ランド延伸。1974・・読売ランド-多摩センター延伸。1982・・京王多摩センターー橋本延伸工事着手・・有名な話としてトンネルの上にあったゴルフ場の賠償問題があり工期が長引いた。1988・・多摩センター-南大沢開通。1990・・南大沢-橋本開通。2018・・相模原線の運賃が値下げ予定。延伸工事費が回収できたことによる。■旧国鉄下河原線(廃線 国分寺→下河原貨物駅 or 東京競馬場駅)・・国分寺から中央線で西国分寺までいく一区間は、この下河原線が一部並行し、国分寺跡を巻くように急カーブをへて、武蔵野線の北府中までが下河原線の上半部分。下半分は、現在の下河原緑道がそれに当たる。緑道には部分的にレールが埋め込まれ当時を偲ぶことができる。中央線国分寺駅から多摩川べりの下河原貨物駅までの路線が東京砂利鉄道であった。1910年開業。多摩川の増水で一時廃線となった。その後国鉄に買収され、下河原線として1920年から1973年まで存続。東京競馬場の府中移転(1933年)の翌年から競馬場へのアクセス路線として支線が敷かれ東京競馬場線として、営業を開始。1976年に廃止。府中はこのように競馬場や競艇場(西武是政線)といったギャンブル収益(主にはタバコ税)と、多摩川河川敷の砂利採取といった産業(現在は閉鎖)、サントリーやNEC、東芝などの大企業で成り立つ豊か過ぎる市政となっており、近隣都市から羨望のまなざし。■ビール工場の見学・サントリー<天然水のビール工場>東京・武蔵野ブルワリー・・全国4か所にあるビール工場の一つである。武蔵野工場が最初の工場で1963年に操業開始。「麦芽」「ホップ」「天然水」の3大原料のうちの天然水を地下水からくみ上げている。奥多摩の伏流水であるという。館内のガイドツアー70分コースに参加した。ザプレミアム・モルツ各種(マスターズ・ドリームなど)を試飲できるので人気。ドイツのダイヤモンド麦芽を使っているという。■美味しい缶ビールの注ぎ方・・自然乾燥させたグラスを冷蔵庫で冷やす→缶ビールを高々と持ち、真っすぐ立てたグラスに勢いよくグラスの1/3を注ぐ。→時間を少し置く。泡が2層(上部に肌理の荒い泡、下部に細かい泡)になり、液体も下に溜ってきたら→グラスを斜めにし、残りのビールを泡の下になるようにゆっくりグラスの側面にそって注ぐ→最後は再びグラスを立てて、泡立ちを増し、ビールと泡が7:3になるように、泡がグラスの上に盛り上がるようにそっと注ぐ。鼻に泡が付く感じで飲むと美味しい。ぜひ!徒然の記その3 Viola Lesson 2017.12.7(木)■シンコペに苦戦・・シンコペーション(半拍ずれているリズム)が上手く歌えないので長く叱られる!。何秒か歌っていると、正調(ここでは、シンコペのない普通のリズム)に戻っているのだという。こうれはどうも性格が”拙速””落ち着きがない"”慌てる””そそっかしい”というすべての「悪」の要素がそうさせるのであろう。「半拍ずれる」という生活リズムが生に合わないのであろう。首をふりふり、「1と、2と、3と・・」とカウント癖がついているため、うまく乗れないのではないか。民謡でも、徳島の阿波踊りをイメージすればよい。この音楽はシンコペで成り立っている。まずは阿波踊りをマスターせねばならない。そこで、1/100秒違いの半拍をこの24時間でマスターしたいと考え、裏打ちや後打ちで「八分休符、付点四分音符(♩+♪)、八分音符(♪) 、付点四分音符(♩+♪)、八分音符(♪)・・」と、正調の「付点四分音符(♩+♪)、八分音符(♪) 、付点四分音符(♩+♪)、八分音符(♪)・・」「先生の手拍子と小生の歌声」・・これが今日のViola lessonの大半を占めた。家に帰ってきて実際に弓で弾くときの半拍のずれとは。まるで違っていて戸惑うばかりだ。この練習は何だったのかと思うが、どうも頭でクロックが鳴っていないとダメなようである。または身体に浸み込ませるのかと。このあたりの感性の違いが、「先生」と「生徒」の違いとなって表れてくるのであろう。誰か質問していた・・先生ってどうしてそんなに上手くなったのですか。これには先生苦笑するばかりである。生徒だけが知っている・・それが「天性」と「DNA」と「育った環境」のなせる業であると。徒然の記その4 平均律と純正律 2017.12.8(金)■ピアノの調律・・おそらくA4(ラ、ピアノの中央鍵盤)を442Hzに調整し、すべてのラをその1/2,1/4,1/8、2,4,8倍などの倍音を作っていき、間の12音を等しい配分をして平均律としているのだと思う。こんど調律士が来たら聞いてみよう。440Hzではない筈である。この ”等配分” した平均律と 純正律との開きはどんなものだろう。グラフにしてみた。ドミソなどの和音は、純正律のほうが綺麗なはずであるが、”ピアノの世界”でも美しい。比率は違うが。7月15日のblog 徒然の記 その1Difference in frequency between equal temperament and Purely temperment(平均律と純正律の周波数の相違 17.12.8)徒然の記その5 結婚式 2017.12.9(土)■The Place of Tokyo(ザ プレイス オブ トウキョウ)で親戚の結婚式があったのでカミさんと行ってきた。東京タワーに隣接した結婚式場である。会場では家族全員が揃う、しかも今年になって2度目である。2回とも新婦の伯父、伯母という関係である。子ども達にとっては「いとこ」という関係であるので幼少の頃よりよく知った仲。ここは結婚式場も披露宴会場も天井が吹き抜けになっていて東京タワーが背景に映りこむ最高のロケーションである。夕刻になるとライトアップされた綺麗なタワーを仰ぎ見れて感嘆。カミさんの親戚で適齢期の未婚はまだ4人もいるのでこれからも忙しい。Tokyo tower lighted up(結婚式の帰り 東京タワー 2017.12.10)徒然の記その6 第九のGP 2017.12.9(土)明日に向けて第九のゲネプロが府中の森芸術劇場のどりーむホールで行われた。18:30-21:30 310人がステージに揃った。ソリストのカルテットが素晴らしい。19:30-21:00 合唱団も物凄いパワーを発揮し歌いきった。2.明日10日演奏会は素晴らしいだろう。お陰さまを持ってチケットが完売という状態で当日券の発売が出来ないという。当日券を買うつもりで遠路はるばる来られたお客様をどの様に誘導するのか悩ましい。空き席を見て定刻近くで入れるのであろうか。■17回目の第九:指揮:田部井剛so:半田 美和子 mso 奥野 恵子、te:望月哲也、ba:青山 貴、管弦楽:府中市民交響楽団混声合唱団: 府中「第九」2017合唱団(合唱指揮:小林裕太郎)明日 2017年12月10日(日) 府中の森芸術劇場ドリームホール 13:30開場、14:00開演。Fuchu Dream hall (府中の森芸術劇場 どりーむホールでの第九のゲネプロ 風景 2017.12.9)徒然の記その7 着火マン 卒業台所にあるレンジはこの40年間で2代目であるが、もう5,6年前から電池の接触がいかれていて、ガスに火をつける時は、マッチかそれに代わる着火マンが必要であった。よそに行くと、スイッチを入れただけでパチパチと音がし、自動的にガスに火が付く。世の中ではこれが当たり前の世界であった。さて、オーブンも温度調節が上手くできず、ケーキ作りは苦戦を強いられている。そこで、オーブンとガスレンジをそっくり新しいのに入れ替えた。な、なんと、着火マンの要らない夢のような生活が始まった。魚も網で焼いていたので、焦げてしまい、こびりついたものから本体を引きはがし、正味の半分くらいしか今までは食べれなかったのに。専用の魚焼きオーブンで水もいらずに自動的に焼いてくれるようになった。し。しかし。このレンジ センサーだらけで、鉄のフライパンを熱く熱することができない。自動的に弱火になってしまうのである。この数日、目玉焼きが、半熟となってしまい失敗している。鉄のフライパンを強火で急激に熱するという方法で、弱火になっても十分に熱いという状況にしておけば、満足な目玉焼きができることを発見。あぁ、また新兵器との格闘が始まった。:
Dec 9, 2017
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甲州市の晩秋_ story (4323)2017.12.2It is now Shiwasu! ,December in Japan. We will play L.V.Beethoven Sym.9 choral . It is including difficult passage. But overall I am all blessed with a beautiful melody.Please come and listen to my Fuchu Community Orchestra on October 10. はやくも12月になった。2年に一度演奏しているベートヴェンの交響曲の第9の演奏会が10日に予定されている。難しいパッセージが散りばめられたベートヴェンの曲である。しかし全体的には美しいメロディーにうっとりするばかりである。ぜひ10日に聴きに来てください。於:府中の森芸術劇場 どりーむホール 13:30開場 14:00開演第九完訳その1第九完訳その2Enzan-Kosyu(甲州市塩山の秋、 2017.11.10)塩山の北側の山。手前は葡萄畑。一本の木の枝を四方に這わせ、葡萄を実らせる。巨木が何本か畑に植わっているという感じ。Katsunuka-Kosyu(甲州市勝沼の秋、 2017.11.10)勝山。手前には一面の葡萄畑。目次徒然の記その1 大学オケ同期会徒然の記その2 孫帰る徒然の記その3 高尾山ダイヤモンド富士-時刻表 徒然の記その4 七国峠run徒然の記その5 加藤登紀子コンサート徒然の記その6 あけび徒然の記その7 奥の細道紀行徒然の記その8 朝餉の準備徒然の記その1 大学オケ同期会 2017.11.26(日)■S44年卒の大学オケ部員。というからには50年ぶりに会う人も? 記憶が定かでないが、全員何らかの活動をしている。汐留シティーセンタービル42階の寿司屋「えん」で開催された。集まったのは本日 本番を迎える部員を除き11名。遠くは名古屋からの日帰り。この会場、南東方向に大きく視野がひろがり、浅草・銀座・お台場と眺望が広がる。さぞ夜景は綺麗だろう。昼間の光景でも掲載したphotoのように絶景である。しかもお値段がお安い。来年も同じ会場でやろうと意見が一致したのは言うまでもない。話の中で面白かったのは定年後無限に時間があると思って、本を読み、レコードをかけて音楽を聴く無常の喜びを噛みしめたかったが・・。と。曰く、同時には2つのことを出来ないという。どちらかに集中してやるとなると、なかなか忙しくなってきているのだという。贅沢な叫びであるが、1日8時間を読書と音楽に半々を割くとして100歳までの30年間で、44,000時間づつ。1時間物に換算して音楽はたったの4万4千曲しか聞けないということになるし、本は4時間一冊とした場合に、1万1千冊しか読めないという計算だ。寝ずに行ったとしても高々この3倍。焦ってくるではないか。これはあまり健康的ではないかもしれないと。思い詰めるのはよそう。自然体で、今日一日一日を充実して生けていくべきではないかと考えるに及んだ次第だ。Land scape fron Shiodome citycenter building(汐留シティーセンタービルからの眺め、 2017.11.26)徒然の記その2 孫帰る 2017.11.26(日)この土日にかけて孫たちが「お泊り会」と称して我が家にやってきていた。彼らとどう遊ぶかが常に問われるところであるが、今回は一つ面白いことをやってみた。■手品で煙に巻く・・コインマジック・・創作というわけではないが、趣向を変えて一般化し、だれでも出来るようにしてあるものがある。まず孫たちで練習を積み、両親が迎えにやってくるときそれをお披露目するのだ。いつもは叱られている両親が、「えっ! どうして?」と驚く顔が見ものである。予め、銅線で直径10cmほどの円を作って丸くしたものを10個くらいと、10cmx10cmの小片の画用紙を用意しておく。白い下敷き(画用紙などの白いものがよい。)の上に500円玉を置く。もう一つ500円玉を近くの花瓶の下などに隠しておく。その10cmx10cmの小片の画用紙を銅線の一つに被せ、それらを持って500円玉の上に被せる。画用紙の上に手を置き鼻の油をつけながら、呪文を唱える。。呪文が大きければ大きいほどよい。「えい!」と。小片の画用紙を取る。500円玉がものの見事に消え、花瓶の下に瞬間移動しているというマジックである。本当のマジックでは赤いビロードを下敷きに使う。銅線の安っぽい線ではなく、金色のリング10個をつかう。個数はいくらでもよいが多い方が面白い。500円玉が消え、花瓶に瞬間移動するという驚愕すべき事実に、全員がびっくりする筈である。coin Magic(コインマジック・・2017.11.26)ここでは100円玉を使っているが500円玉の方が冴える筈。種証しをするなら・・このリング(上記では銅線)の1個に、下地と同じ素材(前者であれば白い画用紙、後者であれば赤いビロード)を使って丸い形にしたものを貼り付けておく。これが種である。500円玉に被せるときは、この種をしこんだリング(銅線)を使うのである。下地と同じ素材であるため覆われて隠されたことが分からないのだ。花瓶などの下に瞬間移動したように見せて、さらに驚かせる。ただし施術者も気を付けなければならないのは、種が仕込んであるリングを間違えないことである。本人でも区別できないから。日曜日は、オケの練習に継ぎ、大学オケの同期会という2つのイベントが重なった。一日中カミさんの出番で、カルタ(下のほう妹が6歳でようやく文字が読めるようになりカルタができるようになったことは喜ばしい)、百人一首(ここでは坊主めくりに徹したようだ。坊主がでると形勢が逆転し、大波乱が起こる。こうなると妹が泣きだすのだ。本当の百人一首として、いつの日にか「ちはやふる」の世界で遊べることだろう。)、オセロ、プラレールに新型車両を投入、など遊びに徹したようだ。逆にピアノをする時間がなかったようで、母親からお叱りを受け、最後にすこし連弾をしてその場を繕う。この妹、掃除ロボットを大いに気に入り、頬ずりをするように慕い、または手下のようにこき使っている。猫が引っ掻いたように発砲スチロールを細かくしてばらまいたようで丹念に掃除をさせていた。F1レーサー(孫息子の夢)のほうはパソコンでDAZNアプリを立ち上げ、アブダビで行われているF1 GPの最終戦を観戦。これも一周5.554kmの17周目であったか、Alonso(アロンソ)とMassa(マッサ)のデッドヒートを伝える映像に手に汗をしながら観戦した模様、しかしコンピュータには負荷がかかり過ぎて途中で落ちるというトラブルに見舞われたようで敢無く観戦を中断している。それもよし。レッドブルに搭載されたオンボードカメラからの映像を見続けていると目が回ってしまうからだ。孫たちとその両親を混え、夕食の鍋をつついた。賑やかな土・日のあとは静寂が残るのみ。徒然の記その3 高尾山ダイヤモンド富士-時刻表 2017.11.27(火)■高尾山が12月は別の顔を見せる。続々と夕方登っていく人たち。ムササビの鑑賞隊なのであろうか。彼らは夜遅く、緑色のランプを持って薬王院まで登ていく。ムササビの飛行を観察するのである。緑色は彼らを驚かせない色という。では夕刻に登山する人たちは?これがダイヤモンド富士山観察隊であることに最近気が付いた。この高尾山。ダイヤモンド富士観察には特異な山である。実に期間が長く楽しめるのだ。そこでどんな具合かを計算してみた。関東一円(土浦以南)でダイヤモンド富士山が見える時期は、冬至を挟んで2回ある。ところが高尾山だけは、冬至の日と重なるので、前後10日間くらい、日数にして20日以上ダイヤモンド富士山を楽しめる。天候が悪い場合は前後の日を選べばよい。可能性が限りなく高く人気があるのだ。高尾山ケーブルもそれを見越して終電を延長する。Trajectory of Diamond-Mt.Fuji from Mt.Takao at solstice of 22th Dec.(高尾山からのダイアモンド富士の軌跡、 2017.12.22)Diamond-Mt.Fuji(高尾山からのダイアモンド富士の時刻表、 2017.11.27)徒然の記その4 七国峠run 2017.11.29(水)東京都町田市と八王子市の境に連なる多摩丘陵は静かなハイクが楽しめる場所が多い。相模、甲斐、伊豆、駿河、信濃、上野、下野の七つが眺望で来たという七国山を中心としたトレイル。ここに七国峠という峠がある。八王子市みなみ野には、七国小学校があったり「七国2丁目」などと「七国」という名前が随所に付けられている。今回はこのトレイルに加え、昔道に迷った山稜の再トライをしようと軽く家を飛び出した。意外と苦戦。しかも帰りが夕刻となってしまい反省。自宅→相原→(森:御殿山古道と交差)→東京造形大学の脇→(七国トレイル)(森)→七国峠(七国峠古道と交差)→大日如来像→東京家政大学→(町田街道)→法政大学入口→大戸観音堂→大戸緑地(森)→小松→自宅22kmこのrunでは南北を結ぶ2つの古道と交差をする。その交差部分にある森2つと、大戸の森を通る。それらの森には幾重ものあい路があり、ガイド無しでは入らない方がよい。意外と森林が深いからだ。最後の森は、藪漕ぎとなった。国土地理院の地図にもない獣道を、屏風のような急斜面を登っていかなくてはならない。山は襞が多く、一重ではないところが難しい。スーパー地図をみるとよくわかる。単純な丸い山は一つもなく、入り組んでいるのは、ちょうど服のしわしわが狭い所に折り重なったような形をしている。ここに沢などがあり竹が折れたり樹木が倒れて重なったりしている場合も多く、夕やみ迫る山の中は本当に危険である。この時代、Maps.MeやGeographicaがあるので現在位置を確認とコンパスを頼りに進む方角を決定していく。山稜に上がってしまえさえすれば、道が付いているので一安心である。しかしながら近道をするために再度山を下りなければならない。ここが思案どころとなる。あぁ、多摩丘陵に死す!と一瞬不安になった山岳runであった。ほうほうの体で、帰路につく。今回のrunで、ほぼこの地域全域をは走り終えたことになる。Oodo mountain-profile(大戸緑地の山襞、 2017.11.29)徒然の記その5 加藤登紀子コンサート 2017.12.1(金)■神奈川県立音楽堂で行われた「加藤登紀子 ほろ酔いコンサート2017 Vol.37」のチラシ挟み込みのアルバイトにかけ参じた。1943.12.27生まれの登紀子さんは50歳以降は「歳を取る」という計算をされる。毎年「1歳」を引き算していくのである。よって12/27には26歳となられる。100歳で0 resetされるのであろう。11/18(土)に沖縄から始まった「ほろ酔いコンサート2017」のツアーは12/27-29の3日間に有楽町読売ホールでのコンサートでグランド・ファイナルを迎える。神奈川のは佐賀に次いで3番目の公演である。なんと精力的なツアーであろうか。大阪、横浜、東京の会場では大関の樽酒が振舞われる。今日は4斗樽が開けられ一人何杯でもお代わり自由の大盤振る舞いで配られた。開演前のひと時を過ごした。横浜の人たちは非常にお上品であったようである。これが大阪であればお祭り騒ぎになるくらいの盛り上がりを見せるという。さて歌われた歌は、琵琶湖周航の歌、愛のくらし(作曲Hause Alfred 歌詞加藤登紀子)から始まり十数曲が歌い紡がれた。最近リリースした5枚組のLiveアルバムから多くが歌われた。最後は百万本のバラで、2時間を超える演奏を終えた。徒然の記その6 あけび 2017.12.2(土)■あけびのなれずし・・アケビ・山ぶどう・もち米を乳酸発酵させた青森県の郷土料理五葉アケビが今年は7つも実った。皮の色がこの紅葉の時期に赤く変化してきた。食べごろであろうか。昨年は割れて身が出るのを待ったがついに割れることはなく次第に萎んできてしまったので、今年は時期をみてこれを収穫し皮などを「なれ寿司」のように発酵させてみよう。Akebia in my garden fence(垣根に生ったアケビ、 2017.12.2)徒然の記その7 奥の細道紀行 その7補修 2017.12.2(土)■今日のコースは10/21(土)と同じ、小山→壬生(みぶ)の18km 総勢10名が参加。「JR小山駅」-「喜沢分岐点」-日光西街道-摩利支天塚古墳-琵琶塚古墳-紫式部の墓-太平の丘公園―下野国分寺跡-「花見ケ岡」-室の八島-東武宇都宮線・壬生駅 という歴史散策。栃木県で最大の前方後円墳「琵琶塚古墳」もめぐる。15:55壬生駅到着。16:12の新栃木行きに乗車し帰路につく。■ナンバ歩き・・・2003年のパリ世界陸上で、末續慎吾がナンバ走りで強豪を押さえ銅メダルに輝いたと。右手と右足を同じ方向に繰り出すというナンバ歩きを走りに応用した走法で、この時は、右足が前に出る時右側の胸を脚の上に乗り込ませるようにして走る。内旋運動が起きるため右腕は大きく後ろに振れない。足のピッチを上げることができる走法。)ことによって体幹が真っすぐになり、前進する方向へすべてを集中できたとする走りである。今回の歩き塾では、この「ナンバ歩き」を試行しようと18kmにチャレンジ。ストックを後ろ手にもって歩いてもよし、手を前に組んだまま歩いてもよし。右手と左足の動きを逆にするか、手をあまり動かさずに体幹を捻じれないように歩くことに集中する。歌舞伎で六方を踏む時の仕草が「ナンバ歩き」である。右手を前に、右足でトントンと進んでいく。このような日本武道も含め古来の動きが、「ナンバ歩き」であったという。効果のほどは・・?徒然の記その8 朝餉の準備 2017.12.2(土)■目玉焼き以前は習慣としてゆで卵を2個、朝餉に茹でていたが、長い巡礼から帰ると目玉焼きに変化していた。作りやすいからである。爾来ずっと目玉焼きである。鉄のフライパンは真ん中がへこんできたので、2つ割り入れても卵が中央に寄ってしまい均等にならない。そこでウインナーソーセージを切って間に散らすようにし、そこに卵を割り入れるようにした。フライパンを温める時間は強火で約1分強。この時間でウンナーを切ってしまう。油を入れてウインナーを焼く。ジューっという静かな音でまず片面が焼ける。続いて手のスナップを効かせて、全ウインナーを裏返す。30cmくらい宙に浮かせ、フライパンで受け止める。くっついてなかなかひっくりかえらない物がある場合はかなり強く揺さぶりをかける。うまい具合にウインナーがばらけたら、その上に卵を割り入れる。その時の秒針を覚えておく。わい入れてから1分で、水少々を加え蓋をして火を消す。火を入れている時間は合計3分弱。これで十分である。黄身がうっすらと白い膜で覆われてくる時間を蒸らしの時間とするのだ。5分もすると半熟状態から固形に変化する。カミさんがこれをホークで切って食べるので、半熟であれば中身がトロっと出てしまい皿にくっつくのでムダが生じる。ゆで卵が水を沸騰させ、卵を煮るという莫大なエネルギーを消費するのに対し、目玉焼きなら1/6くらいのエネルギー消費で片付くのである。さて、カミさんを起こしに行かなければならない。カミさんの名前 Tomoko! Tomoko!と何回呼んでも起きる気配はない。その頃Tomokoは・・今ニューヨークに居る。ハンナ・アーレントが書いている「戦争の世紀」の一節を追ってこちらまでやって来たのだ。とあるアパートの一室で、ナチスと全体主義の関連を政治哲学でどうまとめようかと自分でも悶々としている。こういうときはハドソン河畔にでて思索にふけるのが一番である。戦争の1944年さなかのニューヨーク。どんよりとした曇り空。河畔にでて歩いていると向こう岸から、Tomoko、Tomokoとよぶ声が聞こえてきた。なぜだろう。晩秋の穏やかな一日が始まろうとしている。せっかく考えが纏まりかけているのに! 待てよ、これは夫の声である。ドアをトントンとする音が。執拗にTomoko! Tomoko!と呼ぶ声が。漸くこれが夢だと考え始めた。トントン・・。はっとして我に返る。「はーい。」としわがれたドブネズミのような声を発して返事をする。起き上がる。8:05である。やっと目覚めたようである。この8時起床! という習慣は、先日孫たちが聞いてびっくりしていた。駅に出てみれば一番混んでいる時間帯で、世の中の9割くらいの人が起きて活動を始めている時間である。
Dec 2, 2017
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真鶴の思い出_ story (4322)2017.11.25The autumn leaves season has arrived to all villages of Kanagawa and Tokyo. The colors of the trees take on yellow or brown gradation. Japanese Maple season come now. Red and scarlet tinged leaves shines in all surface of mountain. The veil of the brocade pushes and draws like a wave.It turns gray and disappears far away after gradually faint beyond the field. The color of Musashino is the most beautiful and brilliant now.やっと関東の里に、紅葉がやってきた。木々の色は、黄色や茶色のグラーデーションに帯びる。今はモミジの季節。その赤が照り映え、輝く。その錦のベールは波のように押し寄せては引き、次第に畑の向こうに淡く、灰色となって遠くに消えていく。武蔵野の彩が今一番、華やぐ。Hikawa temple at Takaosanguchi(高尾山口にある氷川神社のモミジ 2017.11.22)目次徒然の記その1 驚異の漢方徒然の記その2 真鶴アート散歩徒然の記その3 Viola lesson 徒然の記その4 八王子いちょう祭りrunning徒然の記その5 FluteとのDuo徒然の記その6 お泊り会徒然の記その7 神の手徒然の記その8 要介護度徒然の記その1 驚異の漢方 2017.11.18(土)■小生の前世は、隕石か火災の影響を受けている! 漢方医の先生がしばらく小生の指を叩いて、おもむろに口を開けた。知り合いに付いていった文京区のとある民家。そこに件(くだん)の先生やお弟子さんが大勢おられた。主宰者に当たるこの先生、漢方医学の元教授なのに、漢方薬を使わず、テーブルに置いた両手や、手の間をトントンするだけで、難病を治す。この先生に救われた人もあまたで、弟子達と先生が施術(医療行為と区別するためにここではこの言葉を多用している。)を施しているのだ。隔週の決まった曜日に民家を借りて無料の施術を行っている。摩訶不思議な空間には、引きも切らずに”患者”が通ってくる。6年間も通い続けている人なども。その人が言っていた。施術(を受けた夜は、ぐっすり眠れるのだという。こんな怪しくも、恐ろしい先生の前に、15分も、息をつめて、施術を受けたのである。あぁ、すべてを、自分の本性をも見抜かれてしまうのかなぁと覚悟して先生の前に座った。テーブルには、”患者”2人と、先生とその弟子が、対面で並んでいる。トントンと相手の振動もこちらに伝わってくるのであるが、あくまで1対1の関係である。手の上に先生の手が被(かぶ)さったりしながら、トントンと言う音が継続していく。後ろのテーブルにも2人が施術を受けている。その内の一人は、さらに別の先生から背中をさすってもらっていた。さて・・ここに通って続けるべきか。まず自分でやってみよう。「気」の世界のような雰囲気である。念じてやれば、左手と右手は身体を伝わって交流を始める。トントンと指先から1cmくらい先のテーブルを叩いているうちに眠ってしまった。これって気持ちがよい。不思議な現象である。netで調べても「トントン漢方」は出てこない。完全にアナログの世界。貴方は信じる?徒然の記その2 真鶴アート散歩 2017.11.19(日)■湯河原・真鶴アート散歩・・湯河原や真鶴に在住のアーティスト達62人が、自宅や店舗を開放して、美術品などを展示し、客がそれらを巡って歓談するというスタイルのイベントで今年で4回目。camino仲間に紹介されオケの帰りに行ってきた。蓋を開けてみればcamino仲間3人が偶然同じ電車に乗って参加していた。「7」番の若杉さんのお宅にお邪魔した。ここの"うり"は、音響システムである。自宅にある7000枚のCDやレコード或いは、客が持ち込んだそれらを音響室で聴くという至福の時間と空間。おいしい料理のもてなしやワインなど。恐縮してしまった。ダイニングからは、目の前に海が見え開放感に浸れる。この真鶴には学生時代からよく来ている。2010年には2度も訪れていながら、その後ご無沙汰であった。初めての邸宅も、このイベントに参加している特別な邸宅であるがゆえに、遠慮もなく2階に上がっていく。海が見えることは聞いていたので、スケッチ道具は持参した。しかし紙を忘れた。紙ならどこにでもころがっていると思ったが、親切にも小型のスケッチブックが用意されたので、2,3枚、外の景観と、音響システムをスケッチした。アート散歩で訪ねてきた人たちと歓談していると、そのなかに日曜画家がおられ、12/5-10にグループ展を開くのだと仰る。スワ 長距離runningの目的地と日程が決まった。実行に移さねば!ここで地元の人には呆(あき)れられた無知とは。えっ!「本小松石」を知らないのかと。日本の歴史を背負っている「石」なのに。江戸城も寛永寺も、鶴岡八幡宮も、大仏の台座も、なにもかも、真鶴原産の「本小松石」が使われているのだと胸をはる。ちょうど石材店の方がおられ話を聞く機会を得た。■本小松石・・火成岩のひとつの輝石安山岩で、旧岩村にあった小松山に因んで名づけられた。箱根火山のマグマの塊が海水によって冷やされてできたとされている。日本の銘石の一つで、西の横綱の香川県の庵治石(あじいし)に対して東の横綱と言われる。墓石に使われる高級石材。日本各地にこのような岩石の「小松石」があるが、ここ真鶴こそ正真正銘の「本小松石」であると。御影石よりは柔らかいが、気候変動に強いため、墓石として高級石材となるのだという。青木姓や遠藤姓が多いのは代々の石造りの家系で、今でも豪邸の家が多いと。借りてきたスケッチブックに描いた絵を恥ずかしながら供覧してみよう。全ては若杉邸で描いた。Manaduru Cape(真鶴岬 2017.11.19)ヴァイオリニストの古澤巌氏の家がこのスケッチの中にある。だとすれば葉加瀬太郎氏も海釣りに同行していたのではないだろうか。Audio system1,2 of Dr Wakasugi(音響システム1,2 2017.11.19)アート散歩の客は思い思いに席につき静かに耳を傾ける。Audio system1,2 of Dr Wakasugi(音響システム3 2017.11.19)McIntoch,TEAC,Marantoなどのオーディオシステムが整然と棚に格納されていた。さながら放送局のシステムのように絢爛豪華徒然の記その3 Viola lesson 2017.11.21(火)■ベートヴェン 第九の2楽章スケルツォの冒頭の部分の練習が続く・・その終わり頃 15時43分。ついにツボを掴んだ。間違ったやり方で1万回練習してもダメであるが、このツボを押さえてしまえばもうこっちのものである。付点2分音符(♩♩♩)=90~120 とどんなに速くなっても、難しいパッセージが弾けるようになった。「レッレレー、ラシド」とViolin2に次いで、Violaが4小節弾き、これにVcが続いていくが、あくまでpp(ピアニッシモ)の世界観を細かく刻んでいく。ffまでの盛り上がりがすごい。ティンパニの強打で始まったこの細かい絶妙な刻みは、「おどけるような」という意味の「スケルツォ」の部分であるが、何かが始まる予感に満ちた謎めいた音楽で、弾いているこちらもワクワク感がある。その冒頭部分を今日も、おさらい。どうも弓のspeedが一定ではないと。デダッシュ(弓を弾ませるのではなく、平に弾く)で「レッレレー、ラ」までを弾き、「シド」をスピカートで飛ばす。この絶妙な変化は「ラ」の最後で弓を浮かせ、飛ばしの態勢に変化させる。どんなにゆっくりでもこれを変えない。速くなると弓を必要以上に上下させるのではなく、弓の移動範囲を狭めていく。最後は1cmでも音が出るようになった。これは極端でも弓移動範囲何cmでも、デダッシュ「レッレレー、ラ」、スタカート「シド」を演奏できるようになったのだ。次回、lessonのとき、完全暗譜した100小節を弾き切ってみせたい。この練習に入る前に、Alessandro Rolla(1757-1841)・Drei Duosの1番 Allegro ma non troppo 198小節分をDuoでさらった。小生のViolaは譜面の「棒読み」となっている部分が多く、音楽性が感じられないと。裏拍から音楽が始まるという一定の音楽ルールと、曲想をイメージしながらDuo相手にも想いを馳せ、音楽感を漂わせるべしと。このために確固たるリズムと音程で進めなければならない。この楽章は、年内に仕上げたいものである。徒然の記その4 八王子いちょう祭りrunning29.9km 2017.11.22(水)■第38回八王子いちょう祭り(2017年11月18日(土)・19日(日)) テーマ:『市制100周年記念事業』『東日本大震災復興応援事業』<Say YES! Smile together! ~みんな 笑顔で!~11/4(土)のワンデーカミノの時に描いたスケッチ画の掲載が遅れた。高尾山口駅の裏側に位置する氷川神社の鳥居の風景であるが、たしかモミジの木が境内にあったと記憶している。この絵の光景がその後どのように変わったかをこの目で見ておきたいと、氷川神社runningを開始しようとしたのだ。まてよ、せっかく国道20号を走るのであれば「八王子いちょう祭り」の現場を見ておきたいと。コースを次のように変えて実行。自宅→相原十字路→東京家政大学→八王子みなみ野の西端→京王線山田駅→富森公園→西八王子→高尾→高尾山口→高尾→町田街道→県道鍛冶屋線→自宅 29.9km思った通りモミジが色づいておりその分を修正し、上記に掲載した。Ginkgo biloba running course(八王子イチョウrunningのコース 2017.11.22)黄色い線の部分が甲州街道のイチョウ並木この八王子のイチョウ、甲州街道にあるのは、西八王子(追分交差点)から高尾(高尾駅前)の3.9kmが銀杏並木である。今回のrunでは、そのうちの3.6kmを走ったことになる。面白いのは、高尾駅前の信号で唐突に銀杏並木が終わる。大阪の御堂筋のイチョウ並木は4kmで長さは同程度であるが、こちらは4列(972本)で、冬場はイルミネーションが施され見事である。八王子のは、地味~といった感じである。(スミマセン。)***7月初めからめ11月初め頃までのイチョウの青い葉にフラボノイズという物質が含まれ、これが血管壁を広げたり縮めたりする作用があるので、高血圧や低血圧、さらに老人ボケなどに効果があると言われる。西ドイツの医薬品メーカーから引き合いがあるという。■紅葉・・やっとこの時期になって紅葉が見ごろになってきた。ちょうど「もみじ」の紅葉が始まりだすと、クヌギなどの落葉樹の黄葉が終わる。別の彩へと変化する端境期が面白い。我が家では、11月21日が特異日で、クヌギの黄色が一番輝くときで、太陽光線を透かすとまっ黄色に染まる。これがクヌギの紅葉の絶頂期で、あとは茶色く変色していく。山々の黄葉の絶頂期は木によって異なるため、一日として同じ色彩は得られない。錦の紅葉は、この時期しっくりときてみ飽きない。これを絵にする手法は、まずこげ茶色などの暗い色で、地をつくっておき、紅葉の感じが出るように、その上からGouche(ガッシュ:不透明水彩)で描いていく。次回お見せしよう。徒然の記その5 FluteとのDuo 2017.11.24(金)■一橋祭(いっきょうさい)・・11/24-26(日) 一橋大学の学園祭が、例年開催の国立祭り(11月初旬)と同期せず、11月下旬のこの時期に変更になった。人ごみを避ける狙いがある。兼松講堂でOBとして合唱するという高校の友達に誘われてやってきた。■兼松講堂(1927建造)・・国立に住んでいたころはよく通った兼松講堂。音響が良いため数々のコンサートが行われている。S49.10(1974年)~S51.10(1976)のいずれかの大学祭で加藤登紀子が歌っている。同窓会組織:如水会が募金活動をして2007年に大改修をして本格的なコンサート・ホールとして蘇り現在に至っている。外観はロマネスク様式で寛美である。当方も幾度かスケッチしたりして国立(くにたち)時代を楽しんだものである。さて、本日の公演は、「一橋大学男声合唱団コール・メルクール」の第二回現役 OB 合同演奏会である。第一部 現役ステージで「酒頌(しゅしょう:酒を褒めたたえる)」 上田 真樹 作曲/W.Bイェーツ 作詞、黒人霊歌 Ride the Chariot他第二部 MGC(Marcury Glee Club)ステージ 「Spiritual」第三b部 現役 OB 合同ステージ 「唱歌の四季」三善 晃編曲終演後、OBとして歌っていた友人と落ち会って、我が家の本宅に移動しフルートとViolaの合奏大会を行った。クリスマスソング、ショパンやマスカーニ、メンデルスジーンの「わがそよ風」、「秋の歌夕」。はたまた、谷村新司。丹沢山系が夕日の逆光でシルエットになって浮かび上がる時刻まで一心不乱に2重奏を楽しんだ。「響きがいい」とリビングルームを褒められる。徒然の記その6 お泊り会 2017.11.25(土)-26(日)■2008.11.22(いい夫婦の日)に生まれた孫が9歳になった。普段は後続の祝日か日曜日に誕生日会を行う。ただこの孫、公文の問題集を解き過ぎて、食傷気味である。勉強の無い世界へ逃避行をしたいと、決まって爺婆の家に泊まりたいと言い出す筈である。親もそれを見越して、25(土)に設定したようである。この土日は合計4つのイベントが重なっており身がいくつあっても足りない状況であるというのに。苦肉の策として全部には顔を出すが、半分ずつにしてもらって時間をやり繰りすることにした。小3の孫息子(F1ドライバーになるべく子供用サーキットでマイ・レーシングカーを乗り回している)と年長組の孫娘が家に来るとあって、作戦会議を一人で行った。まずこの2人を煙に巻く方法である。”かくれんぼ”は実に巧妙になってきた。兄妹が手を取りあって協力して見つけ出して追いかけてくるので、挟み打ちで追いつかれてしまうのである。あるときはバスタブの中に隠れ、窒息しそうになった。カーテンの裏もすぐ見つけ出されてしまう。ダイニングから、裏庭に通じる秘密のドアを使おう。あまり難しいと発見が遅れ、シラけることになるので、くしゃみなどをして発見を促そう。パズルは超難解Puzzle:ENIGMA(エニグマ)を当てがってみよう。解くのに6ヶ月もかかったが。ピアノはカミさんの出番で、これの隙を見て外出し大学オケの同期会に出たりと。君たち、あまりにも忙しい小生を許したまえ。土曜日の夜はたっぷり遊んであげるから。徒然の記その7 神の手 2017.11.21(火)■色んな神の手・・寿司職人は、握った瞬間、米粒の数がわかるという。これに倣って、小生が挑戦し続けているのが、パン作りや、ご飯炊きの計測である。強力粉250g、水180ml、ご飯2合のときの水の量、バター10g、・・・あらゆる場合に目盛りに合わせる作業が入ってくる。これを感で行うのである。正しいかどうかを一応計測して確かめる。最近百発百中で180ml、2合の水の量、バター10gなど。強力粉が段々完成に近づいてきた。秤を見ずに250gを図る。このときの目分量は、富士山のように強力粉を積み上げていく時の粉の盛り上がり部分に注目。尖がってきて先端がポロポロと崩れる瞬間が250gである。ただ外目の形状だけではなく、強力粉の袋そのものも、次第に軽くなっていくことを腕の力で推し量るのである。250g分が軽くなるわけでそのタイミングも重要。まさに神の手である。スリル満点な瞬間。今はまだ精度がすこし足りない。多ければ、指で摘んで微調整しなくてはならない。まぁ、けっこう朝餉の準備もスリルがある。さて、カミさん。小生のうなじを見て「赤い斑点 有るわょ。」と言って笑う。いつか神の手を持つ理髪師が言っていたのだ。脳溢血や脳梗塞の患者や、これからそういう病気に罹る人の項(うなじ)には決まって赤い斑点が現れるのだと。この理髪師は長らくリハビリ医療に携わっており、傾向としてそれに気づいたのだという。その言を踏まえて、カミさんのをチェックさせてもらった。丸い頭の後ろにまわり、項を触って髪を上にあげてみた。丸い肉厚の首筋が現れた。どこを見ても「赤い斑点」はなかった。一安心。そこで今度は小生自分の番である。項を見せた時のカミさんが言ったのだ。「赤い斑点 有るわょ。」と笑う。笑っている所を見ると「嘘」であったのだろう。なかなか面白いカミさんである。徒然の記その8 要介護度 2017.11.22(水)■要介護度風の便りに親戚が見た目十二分に要介護度「3」なのに、最近やっと「1」から「2」に上げたという。面談のとき、口裏を合わせて、すべて出来ないと答え、必要以上の介護サービスを受けようとする人が多いという時に、なんという潔白な方であろうか。プライドがそうさせるらしい。ずっと「1」できたが、どうも低すぎるというヘルパーさんの申し出でやっと本人了承のもとに「2」にあげたという。では1,2,3の差はなんであろうか。出来きないことを挙げていく。「1」は、入浴、調理、掃除が一部支援介助が必要と言うレベル。「2」は、排泄が加わる。「3」はそれに加え、食事、着脱に一部介助が加わる。これとは別に「生活レベル」の指標もあり、外出時の介助が絶対必要かなど複雑である。「4」は一部できないのではなく、全部できないということになり、「5」は寝返りも出来ないという。これに痴ほう症が絡んでくるので大変である。健常人ではどうだろう。指標に当てはまる場合もあるのではないかと考えてみた。料理ができない、掃除ができない、・・・できないことずくめの男性は一体、まずは「要介護1」レベルではないかと。服はちゃんとぐちゃぐちゃではなく方形に畳めますか、調味料の場所分かりますか、などできることを列記して自立度という尺度で、採点していったらどうだろう。男性はプライドがあるので頑張るかもしれない。要介護心待ち人への減少対策になるとは思うのだが。
Nov 25, 2017
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Teppanyaki shop_ story (4321)2017.11.18To my surprised, my high school friend opened teppanyaki(food grilled on a hot iron surface, called 'teppan" ) restaurant at Akasaka. That place is a prime location where business persons guest are gathered and stand by near Akasaka Mitsuke. He lives in NARA and has a profound knowledge in history. I suppose that he named the shop "HIMIKO" after ancient Nara. Tamagawa-river of Hinatawada(日向和田橋 2017.11.2)奥多摩の渓谷が紅葉の時期を迎えている。日の出山ハイクの帰り、橋の上からスケッチ目次徒然の記その1 高校学年会徒然の記その2 歩き塾-石老山 徒然の記その3 第86回山谷ミニコンサート徒然の記その4 ゴッホ 最期の手紙徒然の記その5 珊瑚の会徒然の記その6 ワインの香り徒然の記その1 高校学年会 2017.11.13(月)■26名が明治記念館に集まった。大阪のO高校の昭和38年卒が学年会を毎年、東京か大阪で交互に開催しいている。頻度が上がっくるのは老い先が短いからである。今回の物故者は4名と。この調子でいくと、30年後にはゼロとなる。まぁこんなものか。この仲間の多くは、麻雀にゴルフにそれとパブリックビューインのMETオペラ鑑賞や二子玉会などと頻繁に会っている。ゴルフは相模原市にある「長竹」に会員権を持つ人の関係で5月と10月に行われて毎回10人以上の参加を見ている。小生が住む市内のマラソンコースにあるゴルフであるため一言挨拶していってもらいたいものだ。次回はカントリーの玄関で出迎えてみよう。麻雀と合わせて、そんな暇があるのなら走っているほうがよいと考えるのは、いたってマイナーな考え方であるらしい。"一般人"とはどうも波長が違うのであろうか。この仲間に走る人は誰もいない。嘆かわしい。さて驚いた。大阪にいるこの会の"会長"が、なんと東京に進出し、赤坂に鉄板焼き店をオープンさせた事である。皆仰天。2次会を有楽町でやったあと、4人が3次会として繰り出した。赤坂見附から歩いて3分! 人生一発勝負! よくぞ開店させたものである。どんこ椎茸を焼いてくれたり、お造りなどで歓談。店が立て込んできたので退散。料理人が鉄板で焼いてくれるというタイプの焼き肉店であった。国産牛のみを使う「焼肉いぐち中目黒」と同じスタイルではないだろうか。店の名前は、この男性好みの歴史上の卑弥呼を連想させる「ひみ呼」である。応援したいものである。こうした会合が行われたあと忙しくなるのは、会計処理の幹事長と、HP担当の小生。各人から集まってくる何百枚?というスナップを手際よくHPに並べていく。あぁ寝る時間がないのだ。徒然の記その2 歩き塾-石老山 2017.11.14(火)■石老山(せきろうざん 702m)5月16日に次いで2回目の登山。前回は2人、今回は7人。今日こそは手前の嵐山(402m)を登り、東海道自然歩道を辿るつもりではあったが、そこをパスしてよかった。石老山だけで、たっぷりと時間を取られたからだ。もし登っていたら2時間は到着が遅れ、橋本駅到着が7時となっていたかもしれない。牛歩のごとく歩むパーティーであったがprofileを絵にしてみてみるとよくわかる。最大傾斜17度という急坂に取りついて全員が泣いた。バスで登山口まで運んでもらうべきであったと。大明神(だいみょうじん)展望台までの急坂に加え、稜線の瘤は7つ。登っては下りとこれを7回も繰り返す。へとへと感を募らせてしまった。13kmの水平歩行に加え高度差x10を加味したみなし距離は20km。高尾山口(194m)→高尾山山頂(584m)往復水平距離6.7kmのみなし距離11km。高尾山の難度を「1(▲)」とした場合、石老山は「2(▲▲)」であるが、岩ごろ、急峻さを加味して難度は3(▲▲▲)~4という感じ。次回から▲の数で難度を示そう。登り始めから覚悟が必要な山であった。登山靴、登山スタイル、トレッキングポールなどが必携。石老山山頂から余裕があれば稜線をなだらかに西に下って道志山へ約800mのピストンを楽しむ方法もあり。皆が到着するまでの時間で脱兎のごとく途中までではあるが往復。もう韋駄天走りができるほど気持ちの良い草原のコースであった。この山頂から石砂山(いしざれやま 578m 藤野15名山の一つ)が目の前にあった。これは何を隠そうギフチョウ生息地として有名な山である。素敵なハイキングコースもある。いつか道志川からその山にも取りつきたいものである。こちらは▲ひとつほどの山である。Sekirozan course map and profile(石老山 プロフィール 2017.11.14)大明神展望台から石老山までの瘤(こぶ)も数多くあることがわかる。「これが最後」なんて恐ろしくて言えなかったはずだ。徒然の記その3 第86回 山谷ミニコンサート 2017.11.17(金)■前回10月をお休みしたので2ヶ月ぶりの参加。この間の変化としては、ソプラノ歌手の参加を交渉したことである。実は演奏が終わってギャラリー7,8人と南千住駅方向に歩いていくのであるが、ある時途中にあるタイル屋のおかみさんと話す機会があった。その娘さんが音楽大学卒であることがわかり歌を教えているのだと。このミニコンサートにも参加願えないだろうかという話をしているのであった。弟さんが余った廃タイルを利用して絵を描き、店内に展示しておられる。新聞にも載ったという。そういう絵を見せてもらった。さて、今回は、「童謡、ごらんよ空の鳥、わたしをお使い下さい、うそ、サチコ、365歩のマーチ」など10曲に加えて、クリスマスや正月の歌を歌った。「ごらんよ空の鳥」、「わたしをお使い下さい」の2曲は、合奏と歌というような演出。お客が2,30人と盛況である。歌っている間は、テーブルにあるお菓子を食べないというルールで、皆大声をあげて歌う。小生の伴奏は、先の合奏と、うそ、サチコの2曲。最初にSoloで、ユーモレスクを短縮して弾いてみた。徒然の記その4 ゴッホ 最期の手紙 2017.11.17(金)■金曜日のイベントは朝昼晩と3つ。前後の空き時間を利用して11月4日に開館したばかりのTOHOシネマーズ上野(JR御徒町駅前 PARCO_ya 7F)に行って噂の映画「ゴッホ 最期の手紙」を見てきた。2年前の8月に巡礼の最後をパリ郊外、Auvers sur Oise(オーヴェル シュル オワーズ)で過ごした。ゴッホ終焉の地である。お墓は弟のテオと並んで2つが蔦で絡まった状態で綺麗に整備されていた。亡くなる65日のあいだに100枚以上の油絵を描き続けた狂気のゴッホ像が町中に立っていた。印象的な麦畑が一面に広がる丘を歩きながらゴッホを想ったものである。まさにその時代の再現映画で、自殺の真相が解明されるのであろうか。ゴッホの最期の手紙とは、弟のテオに宛てた手紙であるが、届けられることはなかった。半年後テオも非業の死を遂げている。ゴッホの死から1年後。青年アルマンは、ゴッホの友人であった郵便配達人の父から1通の手紙を渡される。ゴッホ(1853-90)は 37歳でなくなっている。油絵は最後の9年間だけであるが800枚の中、生前に売れたのはたったの1枚。もっと売れていたら悲劇は起こらなかった筈である。さてこの映画は驚愕の手法で描かれている。世界中から集められた125名の画家が65000枚ものゴッホ調の絵を描き、ゴッホの絵を通してゴッホの死の真相に迫るという奇想天外な映画である。約2時間(7200秒) 1秒当たり9枚の絵があてがわれさながらアニメ映画のような感じ。実際は俳優が演じた映像をCG化しゴッホ調の絵としたようで、一つ一つはゴッホのタッチと色使いで作り上げられている。動きが出てくるのは油絵を重ね描きしていったものと思われ、それもカウントすると膨大なコマ数となる。ゴッホ好きには堪らない芸術作品で圧巻である。Auvers sur Oise(オーヴェル シュル オワーズ)のガシュ医師、飲み屋、麦畑、川遊び、Auver(オーヴェル教会 下図2015.10.2掲載のblog)、星空、夜景、ランプの灯るカフェ おなじみの作品が出現しそれが動くのであるから驚きであった。2,3回はリピートで観るべき映画であった。皆さんもぜひ。Auver church(オーヴェル教会 2015.8.6)徒然の記その5 珊瑚の会 2017.11.17(金)■東京芸術劇場 リハーサルルームL・・大学OBオケのグループの一つである「珊瑚の会」の例会が開かれた。今日演奏する2曲は、・モーツァルト(1756-1791):ピアノ協奏曲 第22番 KV 482、・モーツァルト:交響曲 第31番 「パリ」KV 297。「パリ」の作曲年は1778年。フランス革命(1789年)の11年前。いかにも勢いがあって軽快。モーツァルト22歳のときの作品である。一方ピアノ協奏曲の作曲年は1785年で29歳のときの作品。2楽章はとろけるような美しさがあり、楽しみにしていた合奏である。今回のViola出席者は3人。前回は1人であったので気が楽であった。二次会はアミカルで、先日聞いた”1万ボルトの天婦羅揚げ器"を聞いてみた。その開発者がクラリネット奏者であるのだ。この18日(土)に一号機のお披露目の式典があるという。一度見てみたいものだ。ピアニストのSさんは413Hzでバロックを弾いていたという。440Hzの音楽を聞くと、半音違った音に聞こえて困ったという。絶対音感がじゃまをするわけで、凡人でよかったと思った。大学でソプラノを学んだVcのOさんは、高音域で有名な魔笛の”夜の女王"のアリアを学生時代には歌っていたという。ただ専門はやはりバロック音楽であった。この2人に共通点が多かった。このOさん、ワインの愛好家でもあり、樽買いしたボルドーワインは1989,1998,2005年物で、特上であったという。驚愕である。今では一本3万円の値が付いているが全部友人たちに配ったという。おしい!徒然の記その6 ワインの香り 2017.11.16(水)■ワインブーム・・・昨今ワインブームであるという。(16日午前0時にボジョレ・ヌーボーが解禁されたが割高感があるというぐらいに普通のワインが安く手に入り飲まれるようになっている。)2015年物や2016年物など比較的若いワインで1000円前後のワインを食すときあることをすると劇的に香りが増すのだという。その方法は。11/15(水)のNHK あさイチでやっていた。デカンタージュ(大きめのガラス容器(デカンタ)に移し替えオリを取り除いたり空気に触れさせたりすること)することもなく香りを出させる方法とは、ビンを思い切り振ることだという。赤も白も同じ。ただ高級ワインの場合はコルクが高級で通気性があったり、また瓶の底にオリが溜ったりしてしているので、振ると逆効果。安いワインほど振れと。上記珊瑚の会の二次会のアミカルで早速白と赤の大びんを振ってみた。1-2分と。泡ができるほどに。香りたち絶大な効果。ワイン豆知識・・番組では6種類の葡萄を解説していた。赤ワイン・Cabernet Sauvignon (カベルネ・ソーヴィニヨン 産地:ボルドー、イタリア、味わい・・フルボディー)・・渋み(タンニン)がしっかりしていて、酸味もしっかり(骨格が固い)。・・マッチョなイケメンを連想・Merlot(メルロー 産地:ボルドー、イタリア、日本、味わい・・ミーディアムボディ)・・渋め優しい、酸味優しい、果実味 しっかり・・包容力のある優しいイケメンを連想・Pinot Noir(ピノ・ロワール 産地:ブルゴーニュ、アルザス、ドイツ 味わい・・ライトボディ)・・酸味がしっかり、渋み少ない、香水のようなバラの香り・・インテリ系の貴公子白ワイン・Shardonnay(シャルドネ 産地:ブルゴーニュ、口あたり・・辛い)・・酸味はしっかり、果実味はほど良い・Sauvignon Blanc(ソーヴィニヨン・ブラン 産地:ボルドー、ロワール、ブルゴーニュ、口あたり・・辛い)・・ハーブ&グレープフルーツの香り、酸味も果実味もしっかり・・大草原を連想・Riesling(リースリング 産地:ドイツ、口あたり・・辛い or 甘い)果実味 強い、酸味もしっかり。余ったワインの利用方法・・1.ゴク旨スパイシー赤ワインソース・・オムレツや白身の魚のソテーや、温めたカマンベールによく合うという。作り方・・小鍋を暖め、赤ワイン150mlを強火でひと煮立ちさせ、中火で1分ほど加熱→野菜ジュース150mlを加える→カレーのルー40gを加える→しっかり溶けたら完成。2.簡単クリーミー白ワインソース・・白身の魚にかけたり、パスタのソース、生野菜dip(ディップ)に作り方・・小鍋を暖め、白ワイン大匙4杯や強火でひと煮立ちさせ、中火で1分ほど加熱→ツナ缶(70g)+マヨネーズを加える→トロミが付いたら塩、コショウ少々入れて味を整える。完成3.ワインスイーツ・・赤ワインのフレンチトースト作り方・・赤ワイン50ml+4枚切の食パンの1枚を浸す。両面に浸み込ませる。バターを溶かしたフライパンで両面を1分づつ焼く。斜めに半分にcut。4.赤ワイン塩・・・お豆腐、アイスクリームに。 白ワイン塩・・目玉焼きに。作り方・・赤(or白)ワイン100mlをひと煮立ちさせ、塩50gを混ぜて弱火で6分~8分 ヘラでよくかき混ぜる。水分が飛んだら完成。徒然の記その7 パンダ 2017.11.18(土)■パンダ香香(シャンシャン)が12月19日(火)に上野動物園で公開される。サラリーマンでは行けない日程である。混雑を避けるため平日が選ばれた。前の日から徹夜か、早朝に訪ねてみよう。野次馬根性丸出しなのはどうも大阪生まれが災いしている。昔から近所の火事は全部自転車を飛ばして見に行っていた。とにかく我先に駆けつけ消防隊の繰り出すホースを跨ぎながら火の粉が被るくらいにかぶりつきになって見物したものである。昔はよく大阪のど真ん中でも火事が多かった。さて、カミさんまた冷たく言う。「どうせ、丸まっているんでしょう。」初日に行く価値を見いだせないでいる女性の気がしれない。
Nov 18, 2017
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Katsunuma-Kosyu-Winery running_ story (4320)2017.11.11In this deep autumn, I went to Katsunuma-winery region, I run from North to South of Kosyu City where Daibosatsu pass is included in this zone. I enjoyed the scenery with red and yellow leaves for my sketches. Memorial Hall of Yokohama Harbor (横浜開港記念館 2017.11.2)Big pier and little wharf of Yokohama-harbor( 大桟橋前の波止場2017.11.10)辻画伯の絵に似せようとしてもだんだん線が濃くなってしまう。"turbo717風"の絵を脱却できない!目次徒然の記その1 Viola-lesson徒然の記その2 都内近郊歩き塾-武相荘 徒然の記その3 Violin-Viola Duo徒然の記その4 勝沼ワイナリーrunning徒然の記その5 どりーむコンサート-英雄徒然の記その6 Eggplant徒然の記その7 生協と怒涛の朝徒然の記その1 Viola-lesson 2017.11.7(火)■Alessandro Rolla(1757-1841)・Drei Duosの1番 Allegro ma non troppo 198小節分をDuoで楽しむ。ただここでも、ガリガリと弾くのはご法度。裏拍で始まる音形を読み取りすこし呼吸を整えよと。丁寧に相手を聞くという姿勢なども求められる。常に美しく。装飾記号・プラルトリラー(母音符から1音上の音をトリルのように一回だけ弾く奏法)で解釈が足りなかった。一回だけというところを2,3回余分に弾いていたので、時間が間に合わなかった点を修正。第九の2楽章をおさらい。3週間前のLesson以来、まだ出来ていなかったのだ。「ターンタタ、タタタ、タタタ、タタタ」の4小節を今日も1万回。弓の動きは僅か5cmほどでこの音を鳴らさねばならないのである。この2楽章は、楽譜ではMolto vivace(とっても速く)で、♩♩♩=110というのがベートヴェンの指示。現代はもうすこし遅く、100~105というて速さで、駆け抜けるような感じの爽快感があろうというものであるが。その爽快感を出すまでが苦難。練習が終われば先生と生徒の関係は解消で、2人の一般人となって市井に彷徨う。最近はよく駅前に出て、呑んで人生話をする。この席上、明日の「都内近郊歩き塾-武相荘」を勧めてみた。Okということになった。これは面白くなりそう。小生以上に喋る仲間が増え怒涛の1日になるであろう。徒然の記その2 都内近郊歩き塾-武相荘 2017.11.8(水)■武相荘・・1943年から白洲次郎、正子夫婦が移り住んだ館が、お嬢さんの牧山桂子さんが館長でミュージアムとして2001年から公開されている。邸宅の名前は、武蔵と相模の境界に近いということで、しゃれっ気も加味して付けられている。2回も足を運んだカミさんが「大したことないわよ」と言っていたほどは、つまらなくは無くまぁ感心して見回ったことは事実。Bar & gallery "Play Fast(「速やかにプレイせよ」)"の小屋が面白かった。遺書も展示してあり、「葬式無用、戒名不用」と。彼の生きざまを見事に表現している。ただ、レストランの対応が"無愛想"であった。予約客がランチメニューを頬張るのは良しとして、一般客はアラカルトも頼めずに追い出された。外のテーブルが空いているにも拘わらず、そこへは食事は運べないと。打ちひしがれた我々は受付の女性に聞いてみた。「この近くで美味しいい食事処はありますか?」と。回答が素晴らしい。「白洲次郎行きつけのそば屋」があると。「代は変わりましたが」と。早速そのそば処「藤田」へ急行。武相荘からは歩いて10分ほど。高台にある鶴川団地・セントラル商店街の一角にあった。これはなかなかのそば屋で、”当たり!”である。京風のニシン蕎麦があったりして全員舌鼓を打つ。Violaの先生も参加した今回のコースは下図(カシミール3Dのアプリによる。国土地理院地図にスーパー地形を重ねた。)のように当初より長くなり7.8km。二次会は駅ビル北側のサイゼリアへ。Violaの先生、小生より3歳半年下であるが人生の達人かつ料理の大家(料理と音楽は共通しているという。レシピが楽譜で、料理することは演奏することにつながると。おいしい料理や、豊かな音楽は共通する。)でもあり、知識は豊富である。初登場にしてはよく喋った。まぁよしとしよう。Tsurumi,Nogaya,Aso (鶴見、能ヶ谷、麻生の地図 2017.11.8)徒然の記その3 Violin-Viola Duo 2017.11.9(木)■本宅のオラリオンサイトにViolin、Violaの奏者が集まった。今回は5曲を13:00から16:00まで。・ベートーヴェン:はるかな恋人に寄す Op98-1,-2(1.Ziemich langsam und Ausdruck(かなり遅く、表情豊かに) ♩=50)(2.Ein wenig geschwinde(少し速く) Poco Allegretto ♩=70)、ピアノソナタ No.8 Op.13「悲愴」第2楽章(Adadio cantabile(緩やかに、歌うように)♩=30)、・Alexander Borodin ボロディン:遠きふるさとの岸辺に(Andante con moto(歩くような速さで、動きを付けて)♩=45)、素晴らしき庭園(Andante con moto ♩=65)、・モーツァルト:K.423 第2楽章(Adagio ♩=40)ベートヴェンの歌曲はなかなか味が深い。じっくりいつまでも弾いてみたい曲である。ボロディンのリズムは先鋭的。現代曲をやっているような感覚。すばらしい。モーツァルトのK423 は最近よく合ってきた感。次回は3楽章である。練習風景 ( 2017.11.8)少し猫背が気になるが。徒然の記その4 勝沼ワイナリーrunning 22km 2017.11.10(金)■ワインツーリズムやまなし2017・秋・・・・5つの市(甲州市(勝沼・塩山)・山梨市(牧丘・山梨市)・笛吹市(石和・御坂・八代・一宮)・甲府市、甲斐市)、60以上のワイナリーを結ぶツーリズムが今年で5回目を迎える。11/11-12の両日開催。その日がbusyのため、1日前に独自ルートを設定して、甲州市を走り回った。コース・・勝沼ぶどう郷駅→塩山→機山洋酒→宮光(みやこう)園→ワイン資料館→日川沿い→フルーツライン→勝沼ぶどう郷駅の22km快晴の1日を、”紅葉のぶどう郷をスケッチrun” と思って家を飛び出したが、バス停で、筆と水彩道具一式を忘れたことに気づいた(少し抜けているところがturbo717らしい。)。まぁここは頭を切り替え、ボールペンでスケッチという新たな手法で臨むことにした旅の始まりとなった。一つ前の、甲斐大和で降りる登山者が何人も。ここは大菩薩峠へ向かう長大な甲州アルプスの稜線へ向かう始点となっているのだ。さて、勝沼ぶどう郷駅からは小高い山の上に「ぶどうの里」という温泉が付いた複合施設が目に付く。その北側を一気に下り、幾つかの橋を渡れば、塩ノ山(554m)がぽっこりと鎮座し面白い。ふもとには秋葉神社がある。塩山高校への分岐を右にみてさらに進むと、小道が北に分岐する。武田晴信が39歳の時に出家剃髪し、法名の「機山信玄」を授けられた。それ以降は武田信玄と名乗ったという。その「機山」を頂戴したワイナリーが「機山洋酒工業」である。土屋治雄家の敷地にワイナリーがあった。いくつか資料を頂く。ワインを買うべきとはおもったが背負っての15kmはきついと思い断念。ぽってりとした大きな柿「ころ柿」の産地ということで、宅地にはきまってこのころ柿が実っていた。びんぐし川、黒重川、田草川、日川など幾多の川を渡り、メルシャン・ワイン醸造元に到着12:00.メルシャン・ワインは宮崎光太郎が起こしたブランドであるが、当初は国策として始まった日本のワイン産業。勝沼の地に誕生した大日本山梨葡萄酒会社がルーツである。高野正誠、土屋龍憲がフランスから諸技術を学び発展させたという。100年前に製造されたワインが高野家にあったという。それらが資料館に展示されていた。Koro-Kaki( ころ柿2017.11.10)run-route(甲州市でのコース)大日陰トンネルは一時的に閉鎖されている。このため帰りは、フルーツライン上の農道を通った。これこそ雲の上の巡礼街道のよう。甲府平野が一望であった。徒然の記その5 どりーむコンサート-英雄 2017.11.11(土)■どりーむコンサート Vol.103・・府中の森芸術劇場が主催するコンサート、今回は大友直人(指揮)、千住真理子(Vn)、東京交響楽団(管弦楽)で催される。大友さんとは旧知というご婦人に誘われていつもの府中の森芸術劇場へ馳せ参じた。タイトル:偉大なる彼の人を讃えよ! ベートヴェン「英雄」プログラム:・モーツァルト 歌劇「劇場支配人」序曲 K.486・メンデルスゾーン Violin協奏曲ホ短調 Op.64 Violin:千住真理子・ベートヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 Op55「英雄」2階の7列目41(真ん中よりも幾分上手寄り)で聴かせてもらったが、ティンパニーの大音量には驚かされた。他の楽器の音はどうだろうか。普段楽団の中で弾いていてそばで聞こえる音圧と較べ、2階席での音は、なにか薄いフィルターがかかっているように感じた。同じホールで普段観客はこんな風に聞いているのかと大変参考になった。アンコールにベートヴェンが作曲したというフォークソング風の30secくらいの軽やかな曲を3曲も。会場は拍手喝采。どりーむコンサートに何回も来ているという市民オケの方とも休憩時間に会った。2000席が満席となる活況であった。終演後、先のご婦人と指揮者に会いに行った。勝手知ったる府中の森芸術劇場である。ご婦人を案内して指揮者の控室に。三重フィル創設者の奥方でもあるこのご婦人。大友さんの駆け出しの時代から何回も三重フィルに客演指揮者としてお呼びしたのだという。それ以来の付き合いでかれこれ30年にもなるという。大友さんは来年が還暦というが、若々しいスリムな格好いい指揮者。いつか市民オケや第九を振ってもらえないだろうか。記念写真を送るときにすこしお願いをしてみよう。徒然の記その6 Eggplant 2017.11.7(火)■なすびカミさんに「茄子って英語で何というか知っている?」と尋ねた。少し考えて、「Eggplant」と答える。正解である。茄子などの漢字名、Eggplantなどの英語はどこが発祥なのであろうか。この茄子があまりにも卵と似ていた時代があったのであろうか。いやいや、ミャンマーには、真っ白い卵のような形と色をした茄子が存在するのである。おそらくこれは西洋人が見て名付けたのであろう。カミさんこんどは小生に言う。「カボチャってカンボジアが語源って知っている?」と。カボチャ瓜がポルトガル人に依ってカンボジアからもたらされた瓜であり、同時に南蛮からもたらされたという「南瓜」も同義語である。Eggplant(ミャンマーの茄子)料理テーブルに供されるときはヘタなど取り除いて卵そっくりの形に。徒然の記その7 生協と怒涛の朝 2017.11.6(月)■キャベツにリンゴ、柿、バナナ毎週月曜日のam11:50頃 トラックがバックする音が2階の所から聞こえるのだ。昨年秋頃からゴミ収集のルールが変わり、月曜日は資源ごみ回収の曜日となった。紙類、ガラス瓶、アルミ、鉄などの資源毎に収集車が違い、合計4台も家の前を通っていく。問題なのはその時間である。生協の車が家の前に横付けしている場合は、資源回収車が通れないのである。その度に家の前の植木屋さんの庭にバックして道を空けなければならない。これが面倒で、最近は最初から植木屋さんの敷地内に生協の車を止めている。この家も生協会員であることは言うまでもない。1週間籠城できるくらいの量がどっさり生協から届き、力仕事は小生の役割と考え、生協の車に寄り添うのが役割で、カミさんは、家の中に待機し冷蔵庫に詰めていく係である。時々、取り間違いなどがあり、「干しイモ」の包みを自転車で届けたりと忙しい。さて、いつも笑ってしまうのが、キャベツの玉である。毎週毎週よくぞキャベツの玉1個を夫婦2人で食べ尽くすものである。巨大モンシロチョウにもなったような感じで、この大きな玉が一週間で無くなるかと、我ながら笑えてくるのである。朝食用にリンゴ、柿、バナナ、キューイ、葡萄などが季節に応じて大体の必要数を注文しているらしい、(カミさんに任せてある。)内容物の個数がその都度ばらばらであるため、朝食係としてはそれを1週間で平準化しなければならない。例えば、リンゴ(記号として▲)が3個の場合は、半分づつにして6日分と計算する。バナナ(同△)が5本分のときは、3本+(1/2)x4というように4日間は半分づつとする。柿(同●)が6個のときは5+(1/2)x2というように2日間が半分である。キューイ(同◎)が5個のときは熟するのをまつため後半の5日分から給す。月曜の朝は・・(△x1/4、●x1/4)x2、火曜の朝は・・(▲x1/4、△x1/4、●x1/4)x2、水曜の朝は・・(▲x1/4、△x1/4、●x1/2)x2、木曜・・(▲x1/4、△x1/4、●x1/2、◎x1/2)x2、・・。曜日を追うにつけて皿の内容が豊富になっていく。他の食材が瀕乏を極めていくのと対照的である。このように複雑怪奇にして絶妙の配分を行っている時にだ。カミさん曰く、バナナが少し固いため、日にちを置いて配るべしと。リンゴ半分なんて言う場合は簡単であるが、メロン1/3という場合は、120度に包丁をいれなければならない。切口にラップをあてがって明日用に冷蔵庫にしまうのであるが、ラップの谷間から汁がこぼれないないようにと。いつぞや、バナナ2本を3日でたべることとなり、1本を0.67本に切り分けるなどややこしい。こいうてんてこ舞いというほどではないが、台所でせわしく包丁を動かしていると、カミさんが自力で起きてくる場合がある。この台所。廊下からもダイニングからもスルーできる構造なので、カミさんが通過しすばやく一瞥していく。台所をうろちょろしだすときが一番やばいのである。こちらは、リンゴやバナナはフライング気味にすでに口に頬張っていたり忙しいからである。配膳でまだの物を手伝ってもらったりと指示を飛ばす。最近は焼くパンですら、耳の分をまずは食べておき、長さを短くしてある。こうでもしなければカミさんに負けてしまうのである。敵は10回噛めば、喉を通っていく。こちとらは30回噛んでもまだ口のなか。どうもこの差は歯の本数に関係している。前歯が一本ぬけ、奥歯も2本もない。咀嚼回数に差が出るのである。最初はこちとらが有利に展開している場合であって油断はできない。キャベツの葉っぱを1枚多く配っておいても効果は少ない。どんどん追いついてくるのである。逆転しないように、こちらはもう目を白黒させながらすべてを口につっこみ、最後のヨーグルトに手を伸ばす。敵もほぼ同時にヨーグルトに手を伸ばす。これはあまり咀嚼の必要はない。飲み込めばよいだけである。さてあわただしくも、敵は涼しい顔をして、食事はほぼ同時に終わる。かくして8時頃から、startする朝食は、カミさんの「いただきます。」小生の「いただいております。」で始まり、ほぼ同時に「ごちそうさま。(最近は小生がまだ食べ残しているか口をもぐもぐさせている間は、「ごちそうさま」を言わないというルールを敷いている。)」で終わり、1日の漫才夫婦の怒涛の始まりとなる。音楽以外は殆ど会話がないというので至って静かである。
Nov 11, 2017
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brilliamt autumn sky _ story (4319)2017.11.4The brilliamt autumn sky has come to again to shine brightly to Japanese sky.Two Spanish peoples now trip in Kyoto via Kanazawa,Shirakawago,Takayama.Thay will have good impression on the landscape in autumn of Japan.Thay will back to home on 11th monday morning from Narita. Lilien Berg (新百合ヶ丘 お菓子屋「リリエンベルグ」 2017.10.28)お菓子の館、屋根に芝生が載っかっているメルヘンチックな家である。cafeレストランの館など2棟からなる。秋の川崎市麻生地区の佇まい。目次徒然の記その1 大学OBオケ_藤野合宿その2徒然の記その2 日の出山running 徒然の記その3 千日回峰徒然の記その4 横浜トリエンナーレ2017徒然の記その5 T画伯の個展徒然の記その6 ワンデーカミノ-高尾山-大垂水峠-中沢峠徒然の記その7 過保護のカミさん徒然の記その1 大学OBオケ_藤野合宿 2017.10.28(土)2008年6月以来9年ぶりの県立藤野芸術の家。この時に描いた「芸術の家」は2008.6.16の日にblogに掲載している。次の日の室内楽のラフスケッチと合わせて、2010.5.5に東京文化会館で開催された大学OBオケによる第九コンサートのプログラムの表紙に使われた。とにかくこの芸術の家は絵心を刺激してやまない。しかし28,29日は台風の影響による雨でスケッチができなく残念。その分室内楽に集中できた感じ。2日目は合奏大会■モーツァルトのクラリネット五重奏曲 K581■「テレマンの2本のFlのための協奏曲」Telemann, Concerto in e minor for flute ■アイネクライネナハトムジーク K525■ブルース・ウォロソフ(アメリカの作曲家)弦楽四重奏曲「Young Love」■ファゴットと弦楽カルテットなどなど。9:00開場のホールでは、客席を用意しての合奏が始まった。不慣れな室内楽であったが感動である。なかなかカルテットなどをやる機会がないのであるが、じっくりこういうものもやっていきたいと思った次第である。合宿で一番面白いのは、徹夜での語らいである。もう寝入っている人もいたりするが、男性陣の部屋に皆が集まった。まぁ取り留めない話ばかりであるがわいわいとお喋りをする。■Vigo(ヴィーゴ):クラリネット五重奏曲でVn1を弾いた男性はなんとスペインのVigo市にプラント設計技師士として1年滞在したという。スペインの最西端にあり、南西に斜めに切り込んだ4つほどの半島の一番下側の海岸線にある港湾都市である。ポルトガル人の道では、Redondela(レドンレラ)がその湾の一番奥深い部分に位置する。湾の名前がVigo湾であった。■1万ボルト:FgとClの2人の男性は、1万ボルトの電子機器を開発して販売戦略を練っているという。業務用の天ぷら揚げ器である。言うには、揚げたてでも手でコロモを持てるほどで低温で揚げることができ美味しいのだという。魔法の天ぷらである。お豆腐をそれで揚げると中がクリーム状になるというのである。新しい食感の一大ムーブメントを起こすのではないだろうか。ぜひ宣伝部長に雇ってもらいたいものだ。■カミングアウト:指揮者は、20年も前からカツラであったという驚くべき事実。これは先日の音楽鑑賞教室でも聞いた話である。2010年や2015年にあった第九のプログラムの写真にあるあのふさふさの毛はいったい何だったのか! 実は昨年70歳になった時に、カミングアウトしカツラを取ったのだと。ならば小生もついに真実を述べねばなるまい。実は、人の10倍ほど髪が多いのは実はカツラでなのである。時々散髪をせねばならないという「自生型カツラ」なのである。うそ、本当?■法科大学院卒:チェロの女性は音大出身で、声楽家であった。社会人を経て大学に入り直し法科大学院卒でもある。すごい経歴の持ち主であった。Château Durfort-Vivens 2005 というワインMargaux(マルゴー)をボルドーから直輸入しておられその一本を持参していた。超高級ワインである。その美味しいことといったらない。貴重な人材である。■十善:コンマスの男性、病気克服の行いとして1日十善を実行しているのだという。高尾山健康登山(2100回を目標にして7年目。1400回も登っている)を初めとし、掃除やゴミ出しなどを一つずつ数え10善を行っている。後半のほうは小生で言えば”当たり前”にあたる分野で”善”にカウントするのもどうかとは思うが人それぞれであろう。徒然の記その2 日の出山 running 2017.10.31(火)■東京のご来光スポット:日の出山(902m)を巡る。この山へのアクセスでもっとも簡単なのが御岳山ケーブル山頂駅から1時間のハイクコース。武蔵五日市駅からの徒歩では10kmと3時間以上かかるためご来光のアクセスには不向きである。ケーブルを使う楽ちん登山の場合は、そのままつるつる温泉へ下山すればお肌つるつるで家に帰れる。こちらはそんな呑気なことは言っておられない。実は、2014年4月5日に、日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会主催の行事「ワンデー・カミーノ」で、すでに、「武蔵五日市駅→金毘羅尾根→日の出」のコースを歩いているのである。このときは予定を変更して御岳からケーブルで下山した。今回は、山頂から吉野梅林→JR日向和田駅へ向かう全長16.6kmのコースを選ぶ。歩き塾で12月に歩きたいと思っている。今日はGeographicaでデータトレースを取ろうという下見のrunningである。しかし、失敗をした。音声を大きくしていなかったせいもあるが、山頂で確認してみるとデータログが取られていなかった。オペミスであろう。記録が継続していると「10時になりました。」とか、「山頂の泰光山(たいこうじやま)です。」とかオフラインでもGPSで位置を検出して山の名前を叫んでくれるのである。下山ルートでは抜かりなくデータを取った。持参したGoogle Earthからトレースした山道とずいぶん違っており冷や汗ものであった。国土地理院の電子地図には、詳細な山道が記載されている。ただ利用されていない道も多く獣(けもの)道となっている場合もあるので注意が必要である。正確には、この山道を直接トレースできれば言うとはない。それをさらに、KMLファイルに落とせれば、GeographicaやMaps.Meで見ることができ有用。電子地図を扱えるアプリに「カシミール3D」や「Garmin(ガーミン)」があるが、コース情報をKmlフォーマットにしてくれる。この方法をマスターしたいものだ。Google Earthの航空写真からでは、山に縦横にある山道は記載されていないため、作図が非常に難しく苦労をしている最たる作業で、熟練を要する。まぁ、こうして実地に走ってデータを取っていくことが一番手っ取り早い。ひとつアナログ的な方法を発見した。電子地図の山道がでた画面をスクリーンコピーをする。同様にその部分のGoogleEarthの航空写真もスクリーンコピーをする。2つの画像をWord上に挿入する。縮写をあわせると山の形がピタリを合致する。縮尺が合った2つの画像は、Word上で透視図のように重ねることができるので、ここでGoogleEarth上におぼろげにも山道の”位置”を掴むことができる。実際のGoogleEarthのプログラム上でそれをトレース(計測機能を使う)していけばよい。 Futamatao--Digital Map and Google Earth (国土地理院の地図と、Google Earth上のコース図面 2017.11.2)徒然の記その3 千日回峰 2017.10.31(火)■大阿闍梨(だいアジャリ)塩沼亮潤(りょうじゅん)さんの講和「人生一生小僧のこころ」・・奈良県吉野山の金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂と大峯山(山上ヶ岳(さんじょうががだけ) 1694m)の大峯山寺との往復48kmを9年間で合計1000回を履行した後、8日間の四無行(断食、断水、不眠、不臥:食べず飲まず寝ず横にならず)を遂行し、大阿闍梨の称号を得た塩沼亮潤さんの話を聞く機会に恵まれた。場所はフォレストイン昭島、公益財団法人青梅佐藤財団(青梅に電解コンデンサーの工場がある。品川に本社がある社の創設者佐藤敏雄さんの業績を継承する。) 設立40周年記念の講演会として、仙台は時慈眼寺の塩沼亮潤(りょうじゅん)さんが呼ばれ、講演をしたという次第である。2ヶ月ほど前になるが「歩き塾」のCEOから紹介がありFaxを事務局に送ってあったのだが、入場券をgetできていないまま、日の出山トレッキングの帰りに寄ってきた。大峰山と言えば、当方は2013年に8月3日から10日の8日間の大峯奥駈を行っている。引き続き、瀞八丁を船で遡上し、三重県の五郷(いさと)まで走っている。最初の行程のうち、金峯山寺・蔵王堂→四寸岩岳(しすんいわだけ)→二蔵宿(にぞうしゅく)→大天井ヶ岳(おおてんしょうだけ 1438.9m)→五番関(ごばんぜき)→洞辻茶屋(どろつじちゃや)→山上ヶ岳に至る経路の23kmがここでいう回峰コースである。小生も途中、白装束におにぎり、水500mlだけを持った軽装の修行僧と出会っている。このコースを毎日毎日往復したというからまさに仙人である、驚異的だ。この回峰中に、山の崩落や熊にも遭遇したという。一旦修行に入るとだれも助けられないという掟で、生還か死しかないという過酷なものであったという。話の内容から小生を連想したという同行の友が言うのが恐ろしい。自身ひょっとして「やれるのではないか」という闘志が1/100くらいは燃え上がってくるところが怖いのである。あぁ聞かなければよかったと。こういう話を聞くから四国巡礼はもし行くとしたらテントを担いで、清貧の旅装で、一銭も使わず、・・という気持ちがムラムラと起こってしまうのである。大阿闍梨は言う。心の中の針は4種類だという。光→光、光→闇、闇→光、闇→闇。でも闇を転じて光と成すことが重要であると。針は1度でも中心からずれて良い方向を傾いていると、光(よい方向)に転じるという。心が向いている方向へ、運ばれるのだという。そういう意味でも「はい」という返事は、明るく発音すべきであると。通勤時に、ゴミ出しを頼まれた夫がぶつぶつ言いながらの暗く「はい。」を繰り返していたという。ある時、この夫、気持ちを変えてテンション高く明るく「はい。」といったと言う。それを続けた結果、なんと夕飯の内容が良くなり、夫婦円満の境地に至ったと。人間、こんなものかもしれない。気持ちの持ち方で針は良い方向に振れて、いい方向に向かうのである。「ありがとう。」「ごめんなさい。」「はい。」など、明るいテンションで今日から言ってみよう。こういう平易な教えなら守れそうである。帰りに瀟洒な昭島駅前を散策。広大な敷地にアウトドアビレッジが展開されている。スポーツショップが沢山建ち外国に来たような雰囲気。2015年3月にopenした森パークである。モンベル、コールマン、スノーピーク・・。ここに日参にしているcamino友達が居る。新しいrunningのターゲットが見つかった。徒然の記その4 横浜トリエンナーレ2017 2017.11.2(木)■11.5(日)で閉幕のヨコハマトリエンナーレ2017に、再度行ってきた。3つある中心的会場の一つで、まだ見ていない横浜市開港記念会館へ。地下で展示されている「柳 幸典(Yanagi Yukinori)」さんの「Project God-zilla」の作品を見ようと。条件が一つあった。前回8月の暑いさなか、家から横浜美術館まで、戸塚経由で45kmを走ろうとしたが、東戸塚近くの国道一号線交差点「国道平戸」という地点でダウンし、バスに乗ってしまっている。その区間10kmが宿題であったので、それを実行するために、今回はJR東戸塚→国道平戸→六ツ川(この間は権太坂から続く箱根駅伝のコースである)→県立横浜国際高校→永田山王台→平戸桜木道路→横浜市開港記念会館というコースを走ってみた。たったの10kmであったが起伏が多く、道幅50cmといった抜け道を通ったりしてスリル満点であった。安産祈願の水天宮 杉山神社があったり大岡川を渡る場所に太田橋が架かっていたりして面白い。開港記念館をスケッチしていたら他にも交差点のあちこちでこの歴史的建造物をスケッチしている人がいてびっくり。みんな椅子に座ってじっくりと描いている。大さん橋の通称「くじらのせなか」のてっぺんに登って食事。開港記念館に戻り横浜トリエンナーレを見学。地下室を真っ暗にした展示である。ライトで係の人が誘導してくれる。太陽のフレアを表現していた作品には驚いた。どんな仕掛けであったろうかと。Solar Flare by Yanagi Yukinori( 2017.11.2)徒然の記その5 T画伯の個展 2017.11.3(金)■camino友達のT画伯が2年ぶりに個展を開いている。カミさんと車で町田中央図書館まで見に行った。(個展は12日まで。)日本の風景と、フィンランド、フランス、リトアニア、スペインなどヨーロッパの風景スケッチ。建物が多い。見事と言うほか表現のしようがない。音楽で言うとpp(ピアニッシモ)の世界で、淡い線に透明なカラー。それでいて全体にしっくりと調和している。ff(フォルテッシモ)がない世界なのに強く主張している。不思議な絵である。この画伯とは画風を異にするが、一方で目指している師でもある。足元にも呼ばないが。エスカレーターの場所にも何十枚も絵が展示されていた。しっかり見るためには何百回も乗降を繰り返さなければならないだろう。氏は現地で描き切って家では修正をしないという。風景を見て、真っ白い画面に鉛筆を走らせる。その一瞬にすでに完成した絵が浮かび上がっている。画用紙のてっぺんから時計回りに一気に仕上げる。消しゴムは使わないという。立体構造を2次元に落とし込む難しさは、建築士さならがらの度量である。それを透明水彩で薄く陰影をつけて、紙の上で立体を表現する。観るものは、それを連想し、空気を感じ、風を感じていく。懐かしい光景に出会って幸福感を胸に展示会場を後にする。氏と会えたので少し質問。絵を貰いたいのだが可能かと。ノートを取り出した。すでに先約がぎっしりと書き込まれている。あぁ! まだの1枚を予約しておいた。次回会った時に持ってきてくれることになった。最終日近くにもう一度行ってみたいと思う。徒然の記その6 ワンデーカミノ-高尾山口→稲荷山→高尾山→一丁平→-大垂水峠→中沢峠→高尾山口 13km 2017.11.4(土)■首都圏自然歩道(関東ふれあいの道)・・国道20号線にある「梅の木平」を起終点とする全長1800kmの6都道県にまたがる長大な自然歩道。今回のコースの「一丁平→-大垂水峠→大洞山→中沢峠」が、自然歩道の「湖のみち」の一部である。写真ポイント(「湖のみち」であれば梅の木平分岐の指導標・案内板、大洞山の山頂標識 など)で写真を撮りためれば完歩記録がもらえる。さて、今回は当方のトレールコースである。最初は、ワンデーカミノには参加せず、途中遭遇という形が面白いのではないかと考えたが、すれ違う時間がなかなか予測できないということもあり、最初から真面目に皆に付いていくことにした。ただ運動不足を補うため、高尾山口までの13kmは家からrunningで迫ることにした。runningシューズと登山靴とは、集合場所で履き替えることにした。9時到着とあるが8時半には着いておきたい。このために逆算をした。8分/1kmとして、凡そ100分前に家を出発したい。そこで出発時間を6時50分とした。バス・電車を乗り継ぐ場合は家を7:20に出ればよいが、その差は僅か30分である。まぁ走ったほうが”空いていて”気持ちがよい。初心者優先で募集したためいつも来る人たちが躊躇したのか、少な目となってしまったらしい。「どうぞ」ということになりこの日を迎えている。しかしながら蓋を開けてみれば30人という大人数(この内スタッフは6名)が高尾山口に集合。9時30分 稲荷山コースに向かって出発。大団体の隊列の行進が続いた。一丁平で昼食12:30-13:10 17:00高尾山口到着。八王子駅前白木屋で二次会。徒然の記その7 過保護のカミさん 2017.11.4(土)■フェイス タオル藤野の合宿で家を空けたときだ。留守宅をカミさんがちゃんと守れるか心配になった。朝は8時きっかりに起こすまで寝ているから。自力で起きれるかと。フェイスタオルは3種類、8枚をうまく回転させて洗面室に置いておけるであろうかとか。台所はピカピカに輝いているであろうか。日ごろから過保護にしているカミさんが心配であった。例えば、フェイスタオルの交換にはある法則を適用している。日数で3で割り切れる日(3,6,9・・)はタオル1のsetを2枚。3n+1の日(4,7,10・・)はタオル2のsetを2枚、3n+2(5,8,11,14,17・・)の日はタオル3のsetを使う。ただしタオルが4枚(A,Bset)あるので、さらに細かく、6n-1(5,11,17・・)の場合をBset、それ以外をAset。さらに月終わりで、28日→1日、31日→1日など同じ3n+1のパターンが続く場合は、その2日目は3n+2の方のBsetを使うようにし"年間を通じて平準化"しているのである。めんどくさい人ネ! と言われそうであるが。合宿の29日(日)に使うタオルは6n-1にあたる日で、「タオル3」のBsetの方を使うことにしてあるのだ。カミさんはもとより気づかない。家に帰ってみると、手前にあった「タオル2」が何の疑いもなく掛けられていた。まぁ、小さいことに目くじらを立てないことにしよう。何時に起きた?と婉曲的に聞いてみると、か細く「8時半。」と答える。良しとしよう。生きてくれているだけで十分である。涙!
Nov 4, 2017
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Camino frinds come to Japan_ story (4318)2017.10.28We met spanisch friends who live in the city of Cádiz Spain at Asakusa .They come here for sightseeing. We had opportunity to guide them Tokyo Kamakura,Yokohama.so on.昨年11月にカディスでお世話になったスペイン人(rosa and jose)が観光のために日本にやってきた。これまでにコンタクトがあった日本人camino3人がいろいろ付き添って近隣を案内した。Tanzawa system and the Lake Miyagase(宮ケ瀬ダム湖と丹沢山系 2017.10.18)目次徒然の記その1 日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会 報告会と二次会徒然の記その2 高額歯科医療 徒然の記その3 秋を走る_その2徒然の記その4 スペインのcamino友達 来日徒然の記その5 明治記念館徒然の記その6 大学OBオケin藤野合宿徒然の記その1 日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会 報告会と二次会 2017.10.22(日)■下北沢・北沢タウンホールにて「サンティアゴ巡礼報告会」が開催され、5人の演者がそれぞれ持ち時間20分で旅の思い出や感想を述べた。最近の発表は、なんか素人っぽさが無くなってきてプロ的な発表になってきて驚くばかりだ。800kmといった長距離を歩ける人が増えてきたからであろうか。・3年間に及ぶ分割巡礼を行った女性はホワイトボードに数えきれないくらいの写真やクレデンシャル(スタンプ帳)を貼り圧巻。直前に亡くなっている母を想って歩いたという。・仕事を辞めて旅立った女性はピレネーで強風に吹かれくじけそうになったが、54日で全コースを歩いている。若い年代層に移ってきた感じ。・北の道を歩いてきた男性は奈良からやって来て発表していた。お遍路も2回も歩いて”遍路病”になってしまっているという。新たにcamino病になってしまったとも。学校の先生をしているが、手記を本にしてしまっている。北の道ではSantillana del Mar(サンティジャーナ・デル・マール)の街並みが良かったという。町おこしで3kmの宿場町であるという三重県にある関宿を定宿として利用。3kmの保存街並みは最長かもしれない。・折り鶴でコミュニケーションを図ったという男性は声が良く通り、英語の発音もきれいであったが、司会業をしているという。お喋りのプロであった。発表のあと懇親会に移ったが、そこで別の男性から驚くべき情報をgetした。マラソンランナーのような感じであったので質問したらその通りであるという。高速歩行の秘訣は、2本のストックであったという。この方のストックの先は、船型をしたゴムで、ストックを突いて歩くのではなく、後ろへ流すように進むノルディック歩行であったようだ。ストックの先から金属のポールが出てしまいコツコツと音がするようになることも多いのだが、この方のは漕ぐように進むためゴム底が痛まないという。よって1日40km以上も歩けたともいう。ルピュイからフィニステラを歩いてまだ余力があったという恐るべき男性であった。発表者の一人で折り鶴の男性がこの人に会っている。徒然の記その2 高額歯科医療 2017.10.24(火)■レナデンチャー(lena-denture)、スマイルデンチャ(smile-denture)、ノンクラスプデンチャ(non-clasp-denture)・・ともに樹脂製の入歯。金属のフックがなく、歯茎に被せるタイプ。良さそうであるがデメリットはいくつかある。その最大のものが保険が効かないためかなりの高額にある点。見積もりでは8万円という。消費税8%で計算すると86,400円というから9万円に近くなる。スペインに巡礼に行けるくらいのお金が要る。出し入れすることによる形状の変形はないのだろうか。徒然の記その3 秋を走る_その2 25.9km 2017.10.24(火)■西山峠・・高尾山の南2.3kmにある峠。関東ふれあいの道コース(首都圏自然歩道)の津久井湖北の山稜にある峠。国道20号の山下バス停から西山峠コースを取ると2.2kmで到着。11/4の日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会主催のワンデーカミノは高尾山口→稲荷山コース→山頂→一丁平→大垂水峠→西山峠→高尾山口の一周コース。これにに参加できることになり(当初は初心者のみという形であったが)、地元と言うこともあってすこし小生が未踏破の部分だけでも見ておこうと、自宅から例のように一周runningを企てた。Geographicaによる計測は、平面距離25.9km、沿面距離26.1km(両者の差がほとんど無いのでわりと平坦なコースであることがわかる)、累計高度+906m,-851m(この差は測定誤差)平均速度は6.2km/h、最高速度は9.3km/h、消費カロリ。1748kcal。と。ただこの西山峠コースは台風21号による大雨で、登山道が川となったためえぐられていて、悪路となっていた。ワンデーカミノではトレッキングポールの持参を推奨したい。渡渉箇所2ヶ所は巾は30cmほど木橋であるが源流部分でも急流であるため男性の手が必要かもわからない。登山靴は必携である。まぁそういう感じで、当日はすこし案内役をかってでよう。また出しゃばり過ぎないように口にはチャックを固く締めておく必要であるが。South Takao running-course(西山峠を巡る自宅からのコース)徒然の記その4 スペインのcamino友達 来日 2017.10.25(水)■昨年Cádizでお世話になったCamino夫婦が日本観光にやってきた。その人繋がりの日本人が他に2人。皆で東京を案内しようと言うことになった。東京滞在予定は水曜日から来週月曜日5泊を予定している。浅草を宿泊場所に選んだ。この中で日光日帰りを計画したようだ。ホテルは東武線の駅の真ん前、ベランダ越しに隅田川と東京スカイツリーが見えるという、best viewingのホテルで正解であったという。渋谷(交差点と商店街)、原宿(表参道)、新宿(居酒屋)と少しさわりを歩いたぐらいであるが日本に着いたその日の観光としてこれで十分かもしれない。都内・近郊の交通手段としては主に電車を考えている。お買い得のキップもあっただろうが、使いやすいPasumoのカードを買ってもらいそれを使用。Mugcup and case with Hiragana of my name(お土産にもらったマグカップ。箱とカップに平仮名で名前が書かれている。2017.10.25)■横浜ランドマークタワー、スカイガーデンからの夕日netで調べると、ランドマークタワーでの日没時刻は16:53。夜景ベストタイムが17:08-17:23とある。ここで言う夜景とは日没直後の夕焼けを言うのであろうか。真っ暗な時の夜景は21:30まで自由に楽しめるはずである。小生は有楽町を3時前に立って、15:30には到着している。鎌倉観光部隊(26日(木))は総勢5名で鎌倉の大仏や、稲村ケ崎を訪ねている。15:48にそこを移動し、横浜に向かった。さて、ランドマークの展望台からは16:30頃には今まで霞んで見えなかった富士山が暗がりのシルエットとして浮かび上がってきた。彼らの桜木町到着が16:38.そこからダッシュした模様。なにせ健脚ぞろいである。16:51に到着。もう太陽が山に隠れようとしているタイミングに間に合ったようだ。Sunset in Fuji somma from landmark tower 267m(日の入り 2017.10.26 16:43)あとは夜景を19時くらいまで楽しむ。360°の方向全てに宝石のように街並みが光る。Google Mapの地図などを参照しつつ羽田空港や東京スカイツリー、浅草の方向へ目を凝らすが・・霞んでいて見えない。まぁ十二分に楽しめたようだ。cafeで横浜ラガービールで乾杯。ラベルをお土産に持って帰りたいと・・苦労してビンから剥がしてきた。100円玉マジック(ビール瓶が斜めに立つという小生が得意とするマジックであるが、なかなか完成しない。)がやっと出来て写真を土産にしてもらう。激動の2日であった。かれらは快晴の27日(金)に日帰りで日光観光を行っている。徒然の記その5 明治記念館 2017.10.26(木)■明治記念館・・S22.11.1 旧憲法記念館(赤坂御用地の一角にあり、仮御所とも呼ばれた。江戸時代は一帯が紀州徳川家の上屋敷でったところ。)を戦後に改修し、結婚式場としてopenしてから11月1日で70周年を迎えるという。開館70周年特別企画「明治宮廷のダイニングホール ~よみがえる近代の饗宴~」が館内の特設コーナで開催されていた。明治時代に各国の来賓をもてなした晩餐会のメニューやそのレプリカが展示されていた。例えば、七面鳥の丸焼きの大皿に、鶉(うずら)の小さい丸焼きを6匹ガラスの器に添えなど。フォアグラやトリフィをふんだんに使った数々の料理である。もうびっくりである。いかに早く西洋を取り入れ我がものとしていったか、先人の涙ぐましい努力を垣間見た感じである。さて、11:30には5名全員が集まり、レストランで食事をしながら学年会の打ち合わせ。二次会は有楽町にあるニュー・トーキョー(電気ビルB1)を下見。この間の移動も検証。千駄ヶ谷から有楽町を団体を引き連れて移動しなければならない。72-73歳のボーとした一軍を、迷わずに連れまわす方法とは。昨日、浅草から銀座線に乗った時のことを思い出した。それは喜寿(77歳)の集いとして山口県は萩の高校出身で東京に住む同期生が37名も集まって地下鉄に乗ってきていた。幹事の一人がメガホンと、黄色い旗を振りながら、電車内を疾走していたのだ。このような目立つ色彩の旗が必要かもわからない。明治記念館→徒歩・・(1)国立競技場1/4周・・千駄ヶ谷→総武線・・→(2)秋葉原総武線ホーム→(3)山手線ホーム(3番線)→(4)有楽町先頭付近の階段を下りる→(5)日比谷口から外に出る→(6)有楽町デンキビルヂング北館、南館の中間部から入場→5m先を時計回りに360度回転して階段を下りる→左に曲がった奥に「ニュー・トーキョー」がある。迷子になる可能性のあるポイントは6個。一人づつ落ちこぼれていくと6人が帰らぬ人に。(3)の秋葉原が難しい。下りる階段を間違えばとんでもない方向に行ってしまう。ある人は上野へ。山手線ホームでも、反対側の京浜東北線に乗ってしまうと有楽町は止まらない。まぁ何人かはここで消えるだろう。大阪人は人の話なぞ聞いておらず迷子がでるのは必至である。サブリーダーを5人置き、各グループ4,5人で行動してもらい二次会の会場に連れてきてもらうことにしよう。徒然の記その6 大学OBオケin藤野合宿 2017.10.28(土)-29(日)芸術の里、藤野にやってきている。八王子からは20分で到着。同じ相模原市内である。これほど便利で快適な合宿場所はないであろう。全部で30人弱。参加者が少ないのでほとんどsolo大会になっているが。Violaに久し振りに長老のお出ましである。心強い。弾く曲は膨大。1日目は■シューベルト「未完成」■レハール ワルツ「金と銀」■モーツァルト ディヴェルティメントK136(弦楽器アンサンブル)■モーツァルト ロンドK617(管楽器アンサンブル)夕食後■アイネナハトムジークK5252日目は合奏大会・・Violaの出番は数多く!!■モーツァルトのクラリネット五重奏曲 K581■「テレマンの2本のFlのための協奏曲」Telemann, Concerto in e minor for flute ■コンチェルタンテK364の2楽章 Sinfonia Concertante K364■ケーゲルシュタットトリオK498■ブルース・ウォロソフ(アメリカの作曲家)弦楽四重奏曲「Young Love」など日曜日は雨の予報なので今回はrunningの準備は無しで、早朝から個人レッスンに充てよう。詳細は次号で。
Oct 28, 2017
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Hagino and Ogino、萩野と荻野_ story (4317)2017.10.21 My grandchildren went to Kidzania at Toyosu Tokyo.They did activity of work experience as service industry and bank operated by the special currency "Kidzo".They experienced the job of employee gas station and cash transport. Oh great!the willow stand the Ote moat banks of the Imperial Palace(皇居大手濠の柳 2017.10.7)目次徒然の記その1 Kidzania Tokyo(キッザニア東京)徒然の記その2 Viola lesson 徒然の記その3 晩秋を走る徒然の記その4 江戸検定徒然の記その5 陸王徒然の記その6 豊作の秋徒然の記その7 歩き塾「奥の細道紀行 その8徒然の記その8 私のお米はどこ?徒然の記その9 荻野と萩野徒然の記その1 Kidzania Tokyo(キッザニア東京) 2017.10.15(日)■3歳から15歳までの子供が100種類くらい職業体験ができる施設が豊洲にある。以前の東京マラソン大会のコース沿いである。孫たちが職業体験をしてきたらしい。町は2/3のミニチュア版で、通貨はキッゾ。設計職や技術職、サービス職などほぼすべての職業が網羅されている。こんな愉快な施設があったのかと。Lineで送られてきた動画には、ガソリンスタンドで働く2人の姿が。手を振っているので何かと思ったが車を定位置に駐車させるための手信号であった。甲斐甲斐しく車をピカピカに磨いている。ほどなくして次の映像が送られてきた。なんと今度は警備保障会社の制服をきて現金輸送をしているではないか。徒然の記その2 Viola lesson 2017.10.17(火)■第九二楽章・・たーーんたたーん((♩+♪、♪、♩)3拍子感覚で約0.5sec)というリズムが240回、タタタ((♩、♩、♩)同)というリズムが230回が繰り返される長い章節の冒頭部分が最も難しい。「たーーんたたーん」に続いて「タタタ」が3回繰り返される部分である。第2ViolinからViola、チェロとその部分が移っていくのであるがすべての弦が鳴っている状態なのでpp(ピアニッシモ)をキープしつつ、楔(クサビ)が付いた音符を強調して弾くがあくまでもppである。あぁ、その部分だけを1時間も絞られた。いわく弓使いの悪い癖がついているのだと。小学生のほうがよほどましに弾くと。今まで何十回も弾いているうちに悪い癖が強烈に身体に染みついてしまっているようである。これを払拭するためにトレーニングを始めた。弓の位置がDownを「+」、upを「ー」で記すと、「たーーんたたーん」が「+3+1-2」、「タタタ」が「+2ー2ー2」となり合計は「0」で、弾き出しの位置に戻らなければならないのだという。あなたのは、返す(ここでは「ー」)とき、余分に長く返しているので、算術があってこず、「タタタ」が繰り返されて安定する所まで、弓がバタバタしているのだと。弓がoff(飛ばす)の状態で最も楽に弾けるポイントが一箇所ある(これは弓の重さ63-68gによって変わってくる)のでそこにラベルを貼って実験してみることにした。その定位置に戻るように高速で弓を動かす。さらに音はかすかに羽が動くような微かなタッチである。最も難しいパッセージである。3回くらい第九をやって初めてものになる音ともいわれた。大変勉強になった2時間半(30分オーバー)であった。先生に感謝。だが今日も項垂れて帰ることに。徒然の記その3 秋を走る 山岳run 35.1km 2017.10.18(木)■この1週間雨ばかりであったが、たった1日 青空がのぞいた日があった。それがこの日の10月18日(水)である。満を持しての山岳マラソン。串川橋→半原(はんばら)→仏果山(ぶっかさん 747.1m)→経ヶ岳(きょうがたけ 633.1m)→華厳山(602m)→(荻野(おぎの)-)高取山(522.1m)→大平登山口→まつかげ台→中津大橋→高田橋 といった丸いコース(下図)の「里山run」である。2015年に続いて2回目のトライは計測アプリとしてはMy Tracksではなく、Geographicaを使用。予備のバッテリーは持ったが消費電力を節約するためにタブレットは「機内モード」とした。結果として、走行距離は沿面距離で35.1km 水平距離で34.6km 平均speedは時速3.7km 最大時速14km 累計高度は+1686m、-1692m。累計高度の平均に10を掛けて、沿面距離35.1kmに加えると、約51kmの”みなし距離”と算出され相当のエネルギー消耗である。前回は更に八菅(はすげ)神社の高台に上り、大回りをしているため5kmほど長く走っている。しかし今回は足が何回も吊り、そのために途中休憩を余儀なくされた。もう「よる年波」である。まったく甘くない山岳runであった。Map of mountain running route(山岳runコース 2017.10.18)Miyagase 宮ケ瀬ダム湖(仏果山 山頂から 2017.10.18)そもそも仏果山(747.1m)から南の経ヶ岳、華厳山、高取山は地元では「相州アルプス」と呼ばれ、丹沢・大山までの山岳修験者の霊場となってるぐらいだ。コースは「西山を守る会」が整備してくれている。とてもrunningシューズでは無理な山岳コースで、登山靴が必要であった。次回からリュックに登山靴を忍ばせていかなくてはならないだろう。とにかく両側70度の切り立った狭いやせ尾根を行くといった感じで、岩だらけの転げ落ちそうな稜線をup-downする。高尾山のような山道が付いているわけではなく木に結んだ赤や白の紐や土に埋め込まれた赤い標識のみが頼りの難度の高い縦走路であった。道理で人っこ一人会うことはなかった。地元の民でもこの西山には分け入る人は少ないのではないかと思った。大平登山口からはゴルフ場の中を「厚木1-777」という市道が通っている。ただ大平登山口の上は、ミツマタの群生地となっており次回は鑑賞を兼ねて3月に逆走しこのルートをマスターしたい。ただしこれくらいの山岳コースのつらい走りになる場合は、ツムラの甘草湯を持参しよう。脚の吊りには抜群の効果があと聞くからだ。風邪薬の葛根湯でも直る。とにかく漢方薬がよい。徒然の記その4 江戸検定 2017.10.19(金)先日江戸検定の2級の人から、都心を江戸の名残を訪ねて歩くという旅を企画したらという話があった。そこで読み始めたのが「鬼平犯科帳」。■鬼平犯科帳・・寛政(1789-1801)に火付盗賊改方(ひつけ・とうぞく・あらためがた)として活躍した長谷川平蔵の活躍を描いた池波正太郎の時代小説。これを読むと江戸の地理・文化に詳しくなっていく。何十冊もある大作であるが、江戸検定の入門書として読破しても面白い。玉川上水の終点の四谷大木戸はかっての甲州街道にあった木戸をさし、22時から6時までは門が閉じられていたその場所を指していたのである。江戸城からみて各街道に伸びる道のそれぞれに複数の木戸があり厳重に取り締まりが行われていた。右回りの螺旋状に巡らされた堀にそって数えていくと、大手門(奥州道中)、桜田門(東海道)、半蔵門(甲州道中)、田安門(上州道)、神田橋門(中山道)、常盤橋門(奥州道中)、虎ノ門(東海道)、赤坂門(大山道)、四谷門(甲州道中)、牛込門(上州道)、筋違橋門(中山道)、浅草橋門(奥州道中)という具合で木戸だらけである。日本橋小伝馬町など江戸時代の町名の多くが現在でもそのまま残っていて興味深い。江戸にロマンを感じてしまう。鬼平犯科帳全巻を読破すれば、寛政時期のことに関しては詳しくなれそうである。江戸時代をマスターして検定の2級くらいは受けたいものである。徒然の記その5 陸王 2017.10.15(日)■TBS 日曜日に始まったドラマ「陸王」。pm9 。マラソンシューズがテーマの番組で、小生にはたいへん参考になる内容である。人類つまりホモ・サピエンスが生きながらえてきたのは、走るときに「ミッド・フット着地」があったからだと言う。かかとによる着地だと脚に負担が強すぎて故障の原因になるのだと。現にホモ・サピエンス(40万-2万年前)と同時期に生存した人属のホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人:30万-3万年前)とホモ・フロレシエンシス(10万-6万年前)の2種族は踵(かかと)着地走法だったために先に滅んでしまったという。「ミッド・フット着地」を実現するための靴は、足の裏全体で着地するために底のうすい足袋のような形にするのが望ましいのだと。ドラマでは創業100年の足袋生産業者「こはぜ屋」が奮起する話となっている。巡礼仲間でも地下足袋を履く女性が居てワンデーカミノで履いて来ていた。自作の地下足袋であった。実業団に所属するマラソン・ランナー茂木裕人役の竹内涼真(りょうま)がすごい。氏は高校時代は「東京ヴェルディユース」に所属しプロ選手を目指していたくらいで完全なアスリートである。先の高畑充希主演のドラマ、「過保護のカホコ」(根本 加穂子役)で、カホコの相手役の青年 麦野初を演じていた。初回の放映で、マラソン大会のTop選手として走る映像はすごかった。相当長い距離を外人選手と共に駆け抜けていった。netでしらべると、この「陸王」に出てくる「こはぜ屋」のモデル企業が「杵屋(きねや)」であり、開発されたランニング足袋が「MUTEKI」という商品名で、楽天で買えるという。さて。劇中歌として平原綾香の「Jupiter」がかかり、リトルグリーモンスターが歌っている。巷では、このTVドラマが先の「下町のロケット」を凌駕するか? と騒がれている。ともかくrunner必見のドラマである。徒然の記その6 豊作の秋 2017.10.20(金)■我が家の柿が今年も豊作。昨年はこの時期日本に居なかったこともあり我が家の柿を食べる機会は無かった。だが今年は、小さな木に100個程度が実った。獲る時期が難しい。青い実の場合は獲っても熟することはなく失敗。赤くなり始めた頃がよい。さりとて真っ赤なってからでは、もう中がゼリー状に熟しており剥くのが大変。tree of Kaki(persimmon nuts)(柿の木 2017.10.18)Jelly-like, Kaki(食卓に出したゼリー状の柿 2017.10.20)徒然の記その7 歩き塾「奥の細道紀行 その8」2017.10.21(土)■小山-壬生間18km。小雨の中の奥の細道紀行 前方後円墳2つ、紫式部の墓、下野国分寺跡、室(むろ)の八島など史跡多く圧巻。芭蕉は、間々田から小山、鹿沼を通り今市まで約40kmを1日で歩いているというのに、我々は、この区間2日とちょっとというスローペースである。ともかく、漸く日光西街道に至り次回から例幣使街道となりいよいよ日光杉並木となる。当時一般的に使われていた「壬生道(現在の日光西街道)」を使って北上し日光を目指す最短ルートを取る。芭蕉は、下野(しもつけ)国にあり、「煙」の歌枕である「室の八島」を訪れようと西にすこし迂回して大神(おおかみ)神社に参詣しているので、我々もこれに倣って遠回りをした。ただ参加者が少なく残念。実施報告として記す中に、行程コース(kmlファイル)とレジュメを置くので”補習”に使っていただければ幸いである。20171021 歩き塾 実施報告 (ただし2017.10.22以降有効)徒然の記その8 私のお米はどこ? 2017.10.21(土)■カミさんが叫ぶ・・まぁお米の袋が戻ってきていると。昨日はその米の袋がなかったため、生協で買い忘れたのかと思ったという。今朝見ればちゃんとあるではないか。そこで、「貴方! お米の袋をどうしたのか?」と。小生「?」。先週来ていたお米の袋は台所の床に置いたままで、1mmたりとも動かしてはいない。それが昨日が無く、今日は有るではおかしいのではないかと。そろそろカミさんもボケてきたのではないか。まぁささいなことではある。見間違えというのか、幻覚というのか、ある筈の位置に有っても、それが無いように見えてしまうのであろうか。ものを慌てて探す場合も、目の前にあるのにそれをなかなか気づかないということはよくある。人間はパターン認識しているため予測した形状と違ったりすると有っても目につかないということなど。徒然の記その9 荻野と萩野 2017.10.19(木)■NHK総合 木曜日pn7:30からの「人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!」が面白い。今日の番組では、間違えやすい苗字に「荻野」と「萩野」があると言って覚え方を解説していた。両方がともに草カンムリであるところが問題であるが語源をたどると尤もである。萩は秋のハギ、荻は、ススキ(オギ)で犭の形がオギであるという。以前コントを一つ紹介した。重症のハギノ君を介抱している山本君の台詞である。『オギノ、オギノ しっかりしろ! 生きてくれ! 今救急車を呼んでいる。オギノ!(と絶叫)』『すみません・・(声がカスレ、途切れそう)。ボ、ボク「ハギノ」です。』紛らわしい漢字はいくつでもある。外国人から見たらほとんど差異がない。鋭と鈍、鈍と純、雌と雄(牡)、毒と妻(似てる!)・・。すこし考えながら読む漢字(小生だけ?) 清々しい(すがすがしい)小学生4年の時に漢検1級に合格した人が6年生の今、気象予報士に最年少で合格したと。こういう天才少女が居ると思えば、アホな庶民もいる。
Oct 21, 2017
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