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私に与えられた三種類の「ゼミ」の第1回目がひと通り終わりました。 漢字検定のためのゼミの4名、なんと6~3級まですべてバラバラ。特に私が教えることはないのですが、練習問題をさせるために作るプリントが常に4種類なので、だんだんどれが誰のやらごっちゃになりつつあります。 進学のためのゼミに6名。週代わりで国語・英語・数学が廻って来ます(私の担当は国・英)。初めの打ち合わせでは、英語は質問が出れば答える程度だったはずなのに、いつの間にかたっぷり2時間の授業ということになっております。しかもこの6人、からっきし解らない子から、自分ひとりでシェークスピアの戯曲(中高生用とは思いますが)を読める子までレヴェルがまちまち。 国語の方はレヴェルが少々違っていても同じ事を教えて何とか授業は成り立たせられるのですが、さて困ったのは英語。みんながある程度満足できる内容をそれぞれに考えてあげないといけないので、知恵をしぼらないと。 ところで、学校の近くの花壇に咲いていたこの花、見れば見るほど風変わりな花なのですが、どなたか花の名前を教えて下さい。
2011年05月15日
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ものすご~く、ごぶさたしておりました。新しい小説の資料づくりと、新しい仕事の打ち合わせなどで、いそがしく日々を送っておりました。かつての仲間が次々定年退職を迎えようかという頃合いになって再就職とは、私も教壇によっぽど未練があったのでしょうか(笑) 考えてみれば早期退職してからの8年間、ほぼ毎日のように学校の夢を見てましたものね。やはりこうなるさだめだったのでしょう。とりあえずは非常勤講師ということで、週に一回だけ午前と午後、2コマずつ(4時限)持ちます。授業は正職員の方が担当されますので、私はゼミという名の、言ってみれば部活ですね。国語関係だけかと思ったら(中学程度の)英語まで持たされました!(それぐらいスタッフ不足の学校なんです/笑)特殊な通信制高校なので、生徒さんは皆多かれ少なかれ訳ありです。でも、久しぶりの教壇、干からびかけた魚が水を得たようでした! 彼らも集中してよく話を聞いてくれました。それにしても英語を教える羽目になるなんて。自分の受験英語と数年の家庭教師の経験しかないのに・・・そう言えば我が子三人が高校受験の際には特訓しましたっけ(笑) 今日から自分のために英語を勉強し直さなければ!!
2011年04月25日
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本日は二兎社の「歌わせたい男たち」(永井愛 作・演出)を観て来ました。歌わせたい男たちとは、文科省、(都の)教育委員会、校長たち、その歌とは言うまでもなく「君が代」。 社会科教師の拝島(近藤芳正)は、戦前、侵略戦争の精神的支柱ともなった日の丸・君が代が、今また、憲法に保障された思想・信条の自由をもねじ伏せてまで押し付けられることに反発。「君が代」斉唱時の不起立をたった一人敢行しようとしている。そのたった一人の行為が、校長や全教員、ひいては学校全体に迷惑を及ぼすというので、必死の説得がなされる。 起立して国家を斉唱しても、内心で厭だなあと思う自由はある。それが「内心の自由」だなどと無理やりなこじつけで合理化する校長が痛ましい。そして右手の挙げ具合がヒトラーを彷彿させるところに風刺が効いている。そんな笑うに笑えない校長の滑稽さが実は今の日本国のお上の姿なのだ。 どこの学校でも起こっているような現実を、実に明るくコミカルに、それでいて「君が代」問題の核心がわかりやすく理解できるよう配慮された作品に仕上がっていた。近藤芳正に加え、校長役の大谷亮介、音楽科講師役の戸田恵子も素晴らしい演技であった。 ちなみに私が教師を辞めた理由の一つは、教育者としての良心を自ら放棄したくなかったからです。かっこよすぎるかも知れませんが、言い換えれば私は最後まで残って闘うことから逃げた卑怯者かもしれません。 私の最も忌み嫌う言葉は「長いものには巻かれよ」です。気がつくと巻かれてしまっていることもままありますが…今日の土鈴は熊野本宮大社のカラス天狗
2005年11月23日
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くまぷうさんの所でこんな言葉を見つけました。「もし、何かがあったらどうするつもりだったんだ! となかった事を責める人がいます その何かがなかったんだから 一緒に無事に済んだことを喜んだほうが 何十倍もいい事があります」 私の母は実に肝っ玉の小さい人で、私がすることなすこと、年がら年じゅう叱っておりました。父(故人)は反対に実に寛大で、周りに心配かけた時でも、何事も経験と言って許してくれました。結果、母の前ではいじけた嘘つき少年の私も、父の前では明るい素直な子でいられたのです。 教師になった私は、始めのころはよく生徒を叱っていましたが逆効果であることに気づき、褒める教師に転身しました。例えば遅刻した生徒や休みがちの生徒と顔を合わせたら、「がんばってよう来たな」と言う。これは本心から言わないと厭味にしか聞こえません。 私のような優しい教師は生徒の間では好かれますが、えてして教師間では嫌われる場合が多いので、八方美人の私はその方面にも心を砕いておりました。お陰で職場はいつも楽しかったです。 私も含めて人には長所も短所もあるものなのだから、長所はおおっぴらに褒めてあげ、短所はこっそり注意してあげるのがいいと思います。怖い先生や行き過ぎた管理は、嘘をつくのが上手な子どもを作り出すばかりです。
2005年10月14日
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明日から新しい学期ですね(北のほうの学校ではもうすでに新学期が始まっていますが)。宿題は全部できあがっていますか? 小学生をお持ちの方などは、もういったい誰の宿題なのかわからない状態でてんてこまいなんじゃないですか。 私は子どものころからかなり変っていたようで、苦手な工作以外の宿題はぜんぶ夏休みのはじめのうちに仕上げてしまっていました。早ければ3日、遅くても1週間以内には片付けてしまいました。 夏休みは遊ぶもの。ふだん経験できないようなことに時間を使うべし。いちいち覚えていませんが、楽しかったことだけは確かです。 宿題に読書感想文というのがあって、嫌でしたねえ。中学の時は百科事典で適当な作品のあらすじだけ読んで感想文を捏造していましたっけ。 高校の国語の宿題で書かなければならなくなった時、初めて読む決断をしました。できるだけ薄っぺらな本にしようと、カフカの『変身』を選びました。読みが浅く、サラリーマンの悲哀がどうのこうのという、まったくピントはずれの感想文を提出しました。それから半月ほどたったころでしょうか、本の後ろにあった解説に気が付き、初めてこの作品のテーマが何であるのかを知りました。 私としては顔から火が出るほど恥ずかしく、全文書き直すつもりで先生に返してもらいに行ったのですが、先生は曖昧な受け答えをするばかりで頑として返してくれません。どうやら中を読みもせず、提出したかどうかだけチェックして、早々に捨ててしまっていたようです。 このこと以外にもいろいろと、この先生は私にとってはまことにありがたい反面教師でした。後に私は高校の国語教師になりましたが、可能なかぎり読書感想文は書かせたくありませんでしたし、長期休暇中の宿題には反対し続けました。感想文を気にしなければ読書はもっと楽しくなるし、宿題がなければ休みはもっと充実するのです。 宿題がなければ子どもは遊びまくって悪いことを覚えるですって? そうかもしれませんが、多すぎる宿題はずるい子どもや要領のいい生徒をたくさん生み出し、クラスの人間関係をまずくすることも事実です。
2005年08月30日
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