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なぜかわからない。なぜかわからないが、皮膚感覚でわかることがある。矛盾じみた話かもしれないが、人生は矛盾に満ちていることは誰の目にも明らか。何が、わかるのかといえば?今夜は信じられないほど、月が美しい夜だということ。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2012.11.09
自分はあまりジョン・レノンは好きではない。しかし、彼が作った歌の中の一部は、とても共感ができるし、すばらしいと思う。時に涙なしに聴けないと思えるほど、すばらしい歌が何曲かある。「イマジン」という歌もそうだ。これはすさまじいくらい名曲だと思うし、世界中の誰も異論はないのでは?と思えるほど、この名曲の稀有さは文句のつけようがない。ただ誤解を招きたくないので付け加えておくが、この歌は、ジョン・レノンが作った多々なるパラノイア・ソングの中でも一位二位を争うほど、究極の妄想ソングであることを忘れてはならない。ジョン・レノンという人物の生涯における最大の崖っぷち、人格の危機の暗闇の中で作られた歌。だからこそ、ある意味、究極の愛の希求、究極の平和への願いの結晶となりえたともいえる。ただ、うすっぺらなだけの、メロディがキレイなだけの反戦歌ではないのだ。ジョン・レノンが作りえた究極の名曲である「ラブ」と表裏一体を成しているといって決して過言ではない。「イマジン」ジョン・レノンフリー・チベット!フリー・ウィグル!フリー・モンゴル!中国共産党の横暴と殺戮の嵐に対して、私たちは断固として、NO!を叫ぼう!!!。日本に、仙台に、パンダなんかいらない!!!NO!中国!!!NO!日本を他国に売りとばす集団・民主党!!!NO!卑劣極まる売国奴・朝日新聞!!!そして、NO!自分たちの国に誇りを持てない、自分たち自身を守る気概を見失った現在日本人の恥ずべき自虐精神に、声を大にしてNOを叫ぼう!!!!!余談ではあるが、「イマジン」という稀有の名曲が生まれた背景には、日本人女性であるオノ・ヨーコさんの存在が非常に大きいという。いや、オノ・ヨーコさんの存在なくして、この奇跡に等しい歌がこの世に生を受けることはなかったといってもいいくらい、ジョン・レノンに大きな大きな絶大なる影響を与えた人物がオノ・ヨーコさんなのである。私たちは、日本人として生まれたことを誇りにしよう。日本人だけじゃない。インドの人々であれば、インドに生まれ育ったことに誇りを持つべきだし、イギリス人であれば、アメリカ以上に奥深い精神性を今もなお芳醇と宿し続ける文化を誇って然るべき。他の国々だって同じことだ。自国の文化を慈しみ守ろうとする気概を持つ者だけが、自分以外の存在が同じように自分たちの文化を守ろうとする気持ちを理解し尊重することができるのである。各国、皆がそれぞれ、互いに互いの文化を尊重し情けを共振しあえば、世界から、本当は戦争はなくなるのである。これ、嘘じゃないぞ。本質的なことは、私たち人類が等しく、争いよりも共生の可能性へエネルギーシフトを図ることの意義へ多くの人々が目を開かれること、それしかないのである。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2012.04.17
間違いなく今年に観た映画の中で、ダントツ第一位、途方もないほどに心を揺さぶる、究極の感動作。クリント・イーストウッド監督作品「ヒアアフター」。http://item.rakuten.co.jp/book/11265897/とにかく素晴らしい映画。この映画を観た、多くの人は、きっと号泣するのではないだろうか。『ヒア アフター』 日本版予告編映像 http://www.youtube.com/watch?v=gu-PtRozk70&feature=relatedhttp://item.rakuten.co.jp/book/11265897/メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2011.10.14
ここ数日間にわたり久々に他者のブログに訪問させてもらっている。目まぐるしく多忙な日々の中、半年ぶりか、いやもっと久しぶりかもしれないというくらい、どれくらいぶりなのか定かではないほど久々に沢山の人たちのブログを眺めた。なんだか、なつかしい・・・・・これってブログ・サーフィンっていうんだっけ?なんて思いながら、ふとタイムスリップした気分になった。不思議な感覚。それもこれも被災後にメインのブログ宛に私書箱メールを届けてくれた方々へお返事を送るためや日記にコメントを残してくれた方々のブログへの訪問が目的であったが、これが意外にも新鮮で面白かった。何が面白かったのかというと、日記に書かれた内容のエトセトラが興味深いことがまず第一。それに加えて、「いろんな人生があるんだなあ」と当たり前のようなことを想いつつ新鮮な気がしたのだった。時間がなかったので、それらの日記には書き込みもせずに退散したのだけど、自分なりの意見を書き込みたい衝動に駆られた素晴らしい日記がいくつもあった。ほんとう、いろんな人生があるんだなあ。人の数だけ、いろんな物語があるんだなあ。この歳になって、そんなふうな当たり前のことについ唸ったりする。不思議な感覚。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2011.05.10
楽天が会社の公用語を英語にするということに関し、作家の塩野七生さんがとある雑誌の最新号において、楽天が社内の公用語を英語にするということに対し「失笑」という言葉で切り捨てていた。僕は塩野七生さんのファンであるのでなるべく塩野さんの言動に関して批判したくはないのだが、今回ばかりは塩野さんの感性を疑ってしまう(とはいうものの、塩野さんはメディア上でおかしなことを言うことが、たまにあることは確かであるが)。楽天はこれから本格的に世界に打って出ようとしているのだろうし、そうしないと大企業はこれからの時代を生き残っていけないことを百も承知の上での覚悟、決意の表明であり、それは好むとか好まないとかいった次元の判断ではなかったはずだ。大前研一氏の著書に次の一節がある。太文字で引用しよう。----- 経済的にも人口動態的にも衰弱している日本をホームグラウンドとする企業にとって、これは重要な意味を持つ。すなわち、自社の将来を考えた場合、アジアの新興成長市場にシフトして可能性に挑戦するのか、それとも国内にとどまって衰弱死を待つのか、という選択を迫られているのである。どちらを選ぶべきか、答えは明白だ。少子高齢化に歯止めがかからず、もはや国内市場の成長が見込めない日本企業は、進路を断って新興国に出て行かなければ生き残れない。コンシューマー商品は頭数と胃袋の数しか伸びないのである。日本に残る成長市場極端な話、墓と葬式だけだ。それは企業だけの問題ではなく、個人も同様だ。仕事先にしても、資産の運用先にしても、これからは日本以外のところに求めていかざるをえない。 -----(『資本主義の論点』より)話は変わるが、資産運用ということで思い出したのが宮崎正弘氏と佐藤優氏の対談本にこんな話が出てくる。中国人には友情という概念がないというくだりを論じる頁で語られる宮崎氏の言だ。----- 金は昔から「最も信頼のおける通貨」(グリーンスパン前FRB議長)であり、考えてみれば中東からインド、中国へと至る金ブーム地域は、どこもかしこも自国の通貨を国民が信じていないという意味で共通している。この感覚は平和ボケの日本人には理解しにくいでしょうが。 -----自体は実にシリアスなものであり、いま日本の企業が行おうとしている決断を、イタリアという遠い異国から眺め失笑している人のほうが実は失笑ものなのかもしれない。さて「英語を話せますか?」ということでいうと、僕は話せない(笑)。僕に可能なのは簡単な日常会話程度、しかも断片的な代物であり、まったくもって「お話にならない」といえる(爆)。まあそんな風に、日本で生きてゆくのが精一杯な一介の中年ではありますが、もう随分前にオランダで出会った二人のフランス人と世間話をしていた時のことが今も忘れられません。彼らは僕にこう言いました。「日本では学校で英会話を習わないのか?」どうして?と僕がきくと、次のように言ったのです。「あまりに、君の英語が下手だからさ。フランスでは高校生でも英語を話せる。それは学校で生徒が英語を話せることを目的に勉強するからだ」しばらく考え込んだ後に、僕はたどたどしい英語で彼らに伝えました。日本では英語というのは受験のために存在している。英語が得意だが英語が話せない日本人は沢山いる、と。「それはどういうことだい?理解できないよ」彼らは真顔でそう言いました。いまの日本の公立の学校で、英語教育ってどうなっているんでしょう。僕には皆目わかりませんが、いまも英語は話せなくても別に構わない、そんな世界が展開されているのでしょうか。別に、学校において英語を公用語にした方がベターであるといいたいわけではありません。ただ、英語を学ぶのであれば、やはり話すことを、異国の人々ときちんとコミュニケーションを取ることが出来ることを目的とした英語教育へとシフトしていかないと、これからの日本人というのは国際社会で脱落してゆく人間だらけになってしまう気もしますがいかがなものでしょう。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.10.14
昨夜の日記で、僕自身が20代の頃によくチェット・ベイカーを聴いていたと書きましたが、チェット・ベイカー以上によく頻繁に聴いていたアーティストが一人いました。その名は、ルー・リードといいます。ルー・リードの歌の中で、最も繰り返し繰り返し無数に聴き続けていた歌が次の歌。『Coney Island Baby』 http://www.youtube.com/watch?v=tPHbbvQEA1E&feature=relatedあれから僕は、どれほど成長できただろう?そして、どれほど何もかも捨て忘れられるくらい遠い場所へ旅することが出来ただろう?どれくらい悪夢にうなされる頻度が減っただろう?。答えましょう。---別人になった、くらい、だよ、--- と。それくらい、オレは頑張って生きてきたんだ。あたりまえの話だ。狂った出来事の全ては、みな、過去のこと。てなわけで、僕にとって良くも悪くも、過ぎ去った灰色にクレイジーな青春を象徴する一曲がこれに尽きる。ルー・リード『Coney Island Baby』。Coney Island Babyhttp://www.youtube.com/watch?v=tPHbbvQEA1E&feature=related ←クリックhttp://books.rakuten.co.jp/rb/4076873/?scid=wi-ich-search-all-non-snavメインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.09.04
600円、損した。TSUTAYAで新人バンドのCDを二枚借りて、それもかなり期待して借りたのに、結果として敗北感と共に600円をドブに捨てることになった。裸のマリーズというバンドともうひとつ平成生まれの期待値MAXらしいメンバー全員18歳という名前ド忘れバンドの、計二枚、TSUTAYA大プッシュのバンドのCDを借りたのだが・・・・・音楽を聴いてこんなにも脱力させられたのは一体どれくらいぶりだろう?。覚えていないくらいに久々のような気がする。お話にならないくらい力が抜けてしまっている。なんというか、お先真っ暗というのは、こういう音をさしていうのではないだろうか?と腕組みつつ考え込んでしまったほどである。これらのバンド群から発せられる音に対していえることは、お気の毒とか大変ですねえとか、そういうレベルの問題ではないと思う。まあなんというか「よく出来ました♪」という文字が刻まれたハンコを哀れみをこめてペタっと彼らの額に押してあげる他に如何なる救いの手段はないのではとさえ思えるが、彼らにしてみれば余計なお世話であろう。というか僕にとってもどうでもいい話だ。いやあ、くどいようだけど600円、損しのである。しかしだ、この損失感を金銭に換算したら600円どころの騒ぎではない。現在そしてこれから日本が本格的に失うことになるであろう巨大な活力の源を考えてみれば、国民一人当たり800万円の借金をもってしても到底埋め合わせは出来ないはずだ。今日に僕が借りてきた二組のバンドの音は、そうした近未来に確実に訪れるであろう日本の袋小路で且つ神経症的な危うさを奏でている。彼らの代名詞らしい ”初期衝動” にも些細な力さえ感じられず、イメージをどんなに巧みに飾り立てパワーモードを上手に器用に偽装しようとも、偽装すればするだけタチの悪さばかりが増してゆくというものである。上に挙げた彼らは、以下にリンクを貼り紹介する彼らが崇拝しているらしい過去の偉大なアメリカのバンドの音を今一度何度も何度も反復し頭でなく身体で聴き血を流しながら身体の細胞の奥深く無数の宇宙に痛みと共に爆発を刻み付ける術を模索するべきであろうと思う。でないと、今のまま、所詮は一人っ子世代の袋小路ちっくな哀れみとひ弱さから何処へも辿り着くことはできないだろうし小さな突破口さえ見つけることもできないはずだ。”Search and Destroy”by Iggy Pop and the Stoogeshttp://www.youtube.com/watch?v=irskrVvKR1E ←クリック ↑ 初期衝動っていうのはこういうのをさして言うのだよ。http://item.rakuten.co.jp/hmvjapan/1877571/イギー・ポップ(Iggy Pop and the Stooges)とかジム・モリスンとか、昔の日本のバンドでいうとジャックスとかはっぴいえんどとかが放っていた本来の初期衝動の怖さや危険さみたいなものを、平成生まれの日本の良い子ちゃんたちはもういっかい最初から勉強し直してほしいなあ。てゆうか、お前らケンカもしたことないだろう本当は。ロックとか初期衝動なんて言ってる場合じゃないよ、いますぐコギレイでオタクっぽいであろう御部屋を抜け出してボクシングのジムとかに行くべきだあマジで。もしくは現場労働にでも行って眩暈がするほど汗を流しなさい。最高の音を鳴らすのは、いい汗かいてからで遅くないぞ。「600円損した」なんてどこかの東北のオッチャンから言われたらオシマイでしょ?。笑まあ、こうしたひ弱ロックンロール炸裂な子供たちに異様なほどに媚を売る大人社会、音楽産業のシステムの病理にこそ多くの人が目を向けるべきなのではないだろうか?とボカア思うのだが。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.08.11
このギャグ、わかる人には分かるはずだ(笑)。自分でいうのもなんだけれども、かなりハイ・センスなギャグだと思う。でも、わからない人には、さっぱり分からないかもしれない。笑牛と山羊の違いはあるが、まあ細かいとこは抜きにして、似たような構図になるように工夫して撮った一枚。けっこう気合入れて撮っちゃったみたいな、そんな一枚である。こんなものに気合など入れる必要など別にないような気もするのだが(爆)、いかんせん、山羊ちゃんがなかなか的確なポーズを決めてくれない(笑)。ゆえに気合も入るし時間もかかったのだ。尚、この写真の舞台になっているのは東北のとある有名な観光地。http://item.rakuten.co.jp/joshin-cddvd/4988006784123/『原子心母』ピンク・フロイド メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.05.16
生きてゆく途中で、道に迷ったり、進むべき方向を見失ったりすることって誰にでもあると思う。自分の人生が無駄な寄り道ばか-----何ひとつ間違いがなく、確かな調和がはじめから最後まで計画されている人生など、ないのではないだろうか?と。-----間違いが一切なく進むことの出来る旅など、実は面白くもなんともないのではないだろうか?と。ああ自分って愚かだなあと思う瞬間の欠片もなく、すべてが自りで、たいして意義深いものなど何ひとつないように思えることって誰にでもあると思う。でも、ふと、思うのだ。分の望むままに完璧に行動できていたら、逆に怖くなりやしないだろうか?と。そんな風に考えると、今日、僕が車を運転中に道を間違えたために偶然に齎された魔法のような時間だって、何かしらの意味があってのことだろう。「間違いのない人生なんて、どこにもないのだよ」そのように天から与えられた贈り物、天からの声、無言のうちに地上に響き渡るメッセージとして僕はありがたく受け取った。そうそう、そういうこと、あやまちのない人生なんて如何なるドラマさえ生み出すことがないばかりか、面白くもないし美しくない。何のことが書きたいのかというと、今日は山形の蔵王温泉という場所に行こうと思って車を走らせていたところ、途中で道に迷ったんです。はじめて向かう場所なのでインターネットで閲覧・印刷した地図を頼りにドライブしている途中、自分がどこを走っているのか分からなくなってしまったのでした。いやあ、困った困った・・・そんな感じで途方に暮れつつも、車を止めて誰かに道を聞こうかと考えていた矢先に、目に止まったのが「すいせんまつり」という看板。そして、その看板が示す方向へ気分の赴くまま車を運転していたら、言葉を失うような風景にさまよいこんだのでした。道に迷わなかったら、この場所を訪れることもなかったわけです。不思議なめぐり合わせですよね・・・・・そう思いながら”偶然”に感謝しました。以下に、今日に撮った宮城蔵王すいせんまつりの写真を幾つかアップしましょう。 本当、すばらしい風景でした。素敵すぎて、美しすぎて、ただ、言葉をなくす・・・その美しさは、自分がこの世にいるのではなくて、天国に足を踏み入れてしまったのだろうかと錯覚してしまうほど、あまりに美しく鮮やかな色彩の洪水。まるで、夢見ているような。たまたま道に迷ったことで偶然に視界に広がった魔法のような光景が、何の因果か僕に大きな勇気をくれた。すばらしい。こういうのを人生における魔法と呼ばず一体何と呼ぼう?そう、偶然が照らしてくれる光というのはかくも魔法の如く美しさを心に運ぶのです。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.05.08
高校生の頃、数え切れないほど何百回も、いや何千回も聴いたかもしれぬ歌なんて、そんなに沢山はなかった。きっと、そんな歌は10もあれば上等だったことと思い出す。次に紹介する歌は、そんな風に、過去において ”上等” だった歌のひとつ。”The Stalin”演奏:遠藤ミチロウ & ゲイノー・ブラザース http://www.youtube.com/watch?v=EveyHHtgHBQメインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.05.06
自分が知りうる限り、世界で最も美しく神々しいほどに官能的な歌のひとつが、間違いなくこの歌。高校一年生の時にはじめて聴いて世界が景色まるごと変わるのを感じた歌。いま聴いてもこの歌の凄さに、あらためて言葉をなくすばかり。Television ”Marquee Moon ”http://www.youtube.com/watch?v=jlbunmCbTBA&feature=related http://item.rakuten.co.jp/hmvjapan/67554/メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.05.02
とても、とても、久しぶり。あなたと再会するのは、とても久しぶりな気がします。一年より、もう少し遠い過去の記憶のよう。今日は日差しが眩しく、まどろむように天から降り注ぐ光が、地上へ神々しい息吹を鮮やかに届ける、そんな魔法のような一日でした。とても、とても、久しぶり・・・女神と再会するのは。あたかも春に訪れた蜃気楼のような、淡い女神と再び逢うのは、とても久しぶりな気がします。いま、季節上は春なのに、こんなにも毎日が肌寒く、風も強い。だから、今日に視界に訪れた淡く美しい桜吹雪の風景は、まるで、あたたかな蜃気楼。これが、今日にだけ用意されたまぼろしなどではなくて、明日をも美しく彩る夢の確かな色彩であってくれたなら。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.04.29
余計な説明はいらない。---格好いい或るは否か--- 、その二者選択を迫られたなら、迷うことなく当然、前者であるところの ”格好いい” を選定しよう。それこそに己の、貴方の、それぞれの未来は宿るのだから。Generation-X ”your Generation ” http://www.youtube.com/watch?v=iSAbdmpNmK4&feature=relatedメインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.04.28
臨界点を激しく突破するほどに今夜も仕事で疲労困憊している。にも関わらず何故にブログにあなたは向かうというのか?。さて話題は変わるがLove Me Two Times といえば勿論ドアーズの代表曲のひとつ。とてもエロティクな曲、且つ形容し難く美しく情熱的な曲だ。一粒で2度美味しい曲といえよう。The Doors ” Love Me Two Times ”http://www.youtube.com/watch?v=DeANQnNjrdk&playnext_from=TL&videos=WGXGznyDDfU僕にとってのドアーズ初体験は、昨夜にメインの日記に書いたように小学生の時。偶然にラジオで「ハートに火をつけて」を聴いた瞬間、唐突に世界が変わるのを感じた後(数週間後か数ヵ月後か)に、この曲に出会ったのだ。まさに、2度目の衝撃・・・目も眩むほど激しい衝撃だった。そう、あれは忘れもしない、まさに童貞損失って感じの衝撃的な夏の日の青い体験だったのだ。この曲はドアーズのセカンド・アルバムに収録されている。2度目に発表された「ストレンジ・デイズ」という名のアルバムの中の、2曲目だ。というのはウソで、本当は3曲目。ちなみに僕は3枚目である(笑)。2枚目だったら良かったのだが。このドアーズのセカンドアルバムは言葉を失うほどに素晴らしい。半端じゃない。誰が何といおうとまさに歴史的名盤だ。http://item.rakuten.co.jp/joshin-cddvd/4943674057870/メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.04.15
今年に入ってから、ブログやめようか?とか、けっこうマジで考えこみながら(あまりにも馬鹿馬鹿しく腹が立つことが多すぎたからだ)、それでもなんとか自閉の最中から半ば世界とのつながりを夢みつつ真摯に此処のブログという場所にこれまでそうであったように(少なくとも3年前まで)はそうだったかもしれない情熱の炎を点火し続けることにどのような意味があるのか皆目判らぬまま、こうした目的の定まらぬ旅に充満するエナジーを極力停滞させるべきなのでは?と心してきたつもりだ(自問自答しながら前に進んできたつもりだ)。しかしである。何の因果か?てことが往々にして星の数ほど互いが互いの因果を織り成す結果へ向け徐々にリズムを刻み込む、そのことの連続に、己の内も外もない、ということが皮膚感覚で、 ”美・美・美” に理解出来てくる、こともまた確かだったりもする。旅は続くのである。そこに理由など、ない。人生というのは、毎日毎日、やってられねえぜ、と、ワクワクするような祭りを愉しむこと、それらのふたつの交錯の様相に他ならない。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.04.14
とにかく凄い映画。ここ10年、20年の間に日本で作られた映画の中で文句なしにベストな作品といったら褒めすぎだろうか?。いやそんなことはないでしょうと思う。それほどに凄い映画なのだから。って一体なんの話なのかというと、昨夜のメインのブログ日記にて記した『愛のむきだし』という日本映画の話題を再びといった趣向の日記なんでありまする。繰り返し何度も何度も日記に書きたいくらいに物凄い歴史的価値のある名作中の名作映画だと声を大にして言いたいわけなんですよ。基本的に僕はあんまり日本映画を見ないのです。なぜなら・・・・・というか実は自分でなぜなのか判らないのだけれども、自分の国が製作する映画作品に対して心の底から魅了されにくいことは確か。その理由として愚論を承知で敢えて説明するとすれば、先日の日記にて紹介した松本仁志監督の「しんぼる」という名の駄作に象徴されるような映画作品群に向き合いながらどうしようもなく絶望的な気分になる、というのがまず第一にあげられると思う。「あんた、それ違うんでないの??ってゆうか巨額な大金投じてまで作られる意味のある映画なの?!」なんて風に白目をむきながら挑発・訴えたくなる気分を持て余すことが少なくない、それが僕にとっての多くの現代日本映画なことは、(少々の独善を承知で言うと)、そういうことになるんであります。つまり、理屈抜きにハートを焦がし揺さぶりをかける映画を沢山世界に向けて、あるいは自国に向けて発信出来る環境・土壌が自ら肥やされていない状況への苛立ちと言い換えてもいい。「おまえよお・・・マジで、いいかげんにセイントセイヤだぜい(爆)」なんて気分で眩暈に苦しみながらのバブル崩壊の歳月を経ても尚鮮明な突破口を提示出来ない・しようとも思っていないかもしれない我がジャポン映画文化への激しいジレンマ・苛立ちを鎮めるべき勇気ある映画を生もうとする意思の爆発に涙を流しながら共感してしまう、そんな感動的な映画作品に出逢えた興奮に感謝できる、そんな風に心の底から思える映画に出逢えることが少ないから・・・それに尽きる。現代日本の病理をきちんと読み解し処方を必死に考え生きているヤツと、そうではない表層的な部分をなぞっているだけの浅はかなバカっぽい自称:文化者もしくは自称:表現者な輩たち、これらの大きく分けて二通りの種類の映画人がいるとして、勿論、『愛のむきだし』という日本映画は前者に該当する奇跡的なほどに貴重な、この ”現代ジャポン” という時代性への必然なる処方箋となるべくこの世に今生を受けた藍と感動の衝撃のドラマであることは神様だって保障すること必至。それくらい、凄い映画、名作中の名作といえるでしょう。時代にトドメを刺す!、なんて言ったらタランティーノのパルプフィクションの宣伝用文句として15年くらい前に一世を風靡した過激な表現ですが、この「愛のむきだし」という映画はタランティーノが作ったどの映画よりも遥かに比べようのないくらい優れた映画であるばかりか、まことの意味で現代日本の心臓を貫き時代にトドメを刺す!そんな最良の処方へ導く光、カミナリの如き衝撃を伴った崇高な愛の光であることは明白。まさにリーサル・ウエポン!!。『愛のむきだし』映画予告編http://www.youtube.com/watch?v=f3MDZLmrLB8http://item.rakuten.co.jp/forestplus/4527427644182/メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.02.07
ダウンタウンの松っちゃんこと松本人志監督作品第二弾である「しんぼる」を鑑賞。前作のタイトルは確かカンヌ映画祭で酷評の渦に晒されたことが記憶に新しい「大日本人」という作品であった。あの映画もかなりイッチャッテル映画だったものだけども、いやあ、今回の新作は「大日本人」の数倍、いや、比較すら野暮なほどに遥かアシッドな彼方を飛んでいる、飛びまくっている。もう誰にも止めることなどできないほどに光の粒子と共に松本人志は大気圏を軽々と突破し何処か我々が知らない世界へと片足踏み込んだままこの希有なるトリップ・ムービーを作り上げたのだろう。かなり危険な映画だと思う。なんというか、ある意味、北野武の映画以上の危険な香りが充満している。18歳未満鑑賞禁止にすべきかもしれない。お腹を抱えて笑える場面がテンコ盛りであるにも関わらず、そんじょそこらのホラー映画が到達し得ない末恐ろしいほどの恐怖にこの映画を鑑賞する人は凍てついてしまうかもしれない。ヒューマニズムの欠片もない映画だ。「大日本人」を遥かに凌駕する悪夢がこれでもかとばかりに眩しく煌びやかに展開される。しかしどんなに映像表現が美しかろうと煌びやかであろうと悪夢は悪夢である。どこまでいっても悪夢なのである。エルム街の悪夢など足元にも及ばぬほどの悪夢、ダークな迷宮。出口なしとはこういうことを指していうのではないのだろうか、しかしコメディの形態をとっている分だけ余計にタチは悪い。ゆえに18禁が相応しいと僕は考える。大人の自己責任において鑑賞すべき、そんな類の映画だと思う。「しんぼる」http://item.rakuten.co.jp/book/6246870/【ストーリー】メキシコのとある町。家族と幸せに暮らすプロレスラー、エスカルゴマンはいつもと変わらぬ朝を迎えていた。しかしその日、妻は夫であるエスカルゴマンがいつもとは少し様子が違うことを感じていた。それは今日の対戦相手が、ひと回りも年が若く、過激で有名なテキーラ・ジョーだということだけではなく、“何かが起こりそう"な妙な胸騒ぎを感じていたからだった。一方、奇妙な水玉のパジャマを着た男は、目を覚ますと四方を白い壁に囲まれた部屋に閉じ込められていた。ここが何処なのか?なぜ男は部屋に閉じ込められたのか?誰の仕業か?途方にくれる男は、何かとその部屋から出ようと試みるが、出口が見当たらない。壁に近づいて触れてみると…男の視線の先に“何か"が現れた…。【解説】松本人志監督第二作--。想像もつかない“何か"が起こる。(楽天市場商品解説文章より転載)メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.02.04
今年になってから不思議なことが続いているのです。これは説明が難しいかもしれません。形容し難い偶然の出来事が更なる化学反応を起こしそれが次の幾多の不思議な出来事とつながってゆき、更なる渦を引き起こす、そんな感覚。こういうことって誰にとってもあるものだとは思うけれど、今回のシンクロの波は現在の自分にとって何かしら非常に大きな意味を持っているような気がする。勿論、善き流れとして、そして己をより向上させるものとして、こうした一連の出来事が一本の川のように未来に続き、あたかも何らかの摩訶不思議な物語を紡ぎだそうとしているかのよう。こんな夜には、なぜか、ラフマニノフが聴きたくなります。途方もなく美しい情熱の薔薇のような、この曲を。ラフマニノフ 「パガニーニの主題による狂詩曲 作品43第18変奏」http://www.youtube.com/watch?v=90MuPqYtV_k明日も素晴らしい一日でありますように。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.28
サティの曲「ジムノペディ第一番」に関するエトセトラを少しだけ綴りたい。ジムノペディ。サティの曲の中で最も好きな曲。これは一昨日の日記のリストや昨夜のモーツアルトとはまるで趣きが異なり、妖しさと繊細さと安堵感が奇妙に入り混じった摩訶不思議な、そして美しく透き通ったピアノ曲。なんというか語弊があるかもしれないのだけども、そこを敢えて僕なりにこの曲の魅力を説明・形容するとすれば、迷宮の入り口で妖しくも美しく金色に輝くエキゾチックな扉を前に、どこからともなく鳴りはじめる音楽・・・・・そんな印象があります。まあとにかく、その摩訶不思議な扉を開けば、そこに広がるのは金色の王国か、はたまた不毛で邪まな大地なのか、判断しかねる。そんな一抹のためらいと不安感と期待感に心が敏感になる、そんな奇妙な感覚に包まれつつ恍惚となってしまう曲なわけです。”恍惚と不安そのふたつ我にあり”なんて有名な言葉がありますが、ジムノペディという曲にも同様に恍惚と不安が入り混じっているわけですよ。それはサティを含め近代に生きた芸術家達の心に宿った恍惚と不安であったことでしょうし、またそれは時代を超えて現代を生きる僕らの心にも奇妙なほどに深く浸透する音の連なり、内なる感情の機微と共振する絶妙な旋律として響き渡る恍惚と不安を内包した音色でもある。この曲は時に僅かながらの不協和音を響かせながら、しかし全体として恍惚とした美や安らぎが志向されている。今の僕自身の心境にどこかしら重なり合うものがあるといったら、それは自意識過剰というものだろうか。いや、そんなことはありません。この曲の旋律と響きは、現代という時代に生きる僕やあなたの心の様相に鳴り響いている恍惚と不安の旋律・響きそのものであり、またそのような子守唄であることは恐らく間違いないでしょう。多分、この日記を読んでくれている方も、一聴すれば「ああ、この曲知ってるよ」となるはず。有名な曲ですし。ジムノペディ第一番(Gymnopedie No.1) Erik Satie http://www.youtube.com/watch?v=bFpXv5iNT8sそれと話は変わりますが、先日のメインの日記http://plaza.rakuten.co.jp/lukanomatinami/にて紹介したリストの「愛の夢」とは、こんな曲です。辻井伸行さんが演奏する「愛の夢」。これ、すごいです。本当凄いです。感極まってしまうほどに、すごいです。http://www.youtube.com/watch?v=d6GXdWcl6i0&feature=relatedメインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.27
---仕事を通じて人は成長する---自分自身が大事にしている持論であり、これまで生きてきた中で内に培ってきたエトセトラを最大に集約する考えだと思っている。勿論、仕事ばかりが人を成長させるものではないことは確かだとも思う。人は恋や失恋からも非常に大きな成長を得るし、子供は家族間のやりとりの中で人として成長してゆくものだから、なにも人を成長させるものが仕事に限った話ではないことは当然のこと。仕事が人を成長させる、というのは、まあそうした沢山の成長へ導く場面の大きなひとつであるというだけのこと。男の人生にとって、仕事に費やす時間というのは誰にとっても日々の生活において大きなウェイトを占めていることは確かであり、そういう意味合いで仕事を通じて成長をしてゆくという考えにつなげているわけなのである。と同時に、どうして仕事が人を大きく成長させる機会であるのかという問題は実にこれまた深い。また機会を設けて詳しく日記に綴ってみたいところであるが、そこを敢えて言葉数少なく言ってしまえば、己を強制的に仕事という ”人ごみが生み出すカオスの坩堝の場” に追いやることで、そこでしか得ることの出来ない成長というのは実は何ごとにもかえることができないほどに貴重なものであり、自分自身の至らない部分をこれ以上に成長させてくれるありがたい場・機会など他にないのでは?と僕自身の経験からさえ思えるから。そうした意味で、やはり、僕には現代日本に溢れているらしい「ニート」な若者たちに対し考え込まざるをえないわけなのである。行政がわざわざニートな若者たちに職業を斡旋しようと様々な策を講じているらしいという話もきく。にも関わらずニートさんたちは耳を貸す気もないらしいという図式があるという話もきく。これは先日の日記で紹介したyoutubeの動画とは別な動画の中で紹介されていた話。http://www.youtube.com/watch?v=iRZfRDABf9E&feature=related現在、ニートさんたちの数は実に63万人に上るという。誰が彼らの生活を支え養っているのだろう?。ニートさんたちは「自分だ」と答えるかもしれない。しかし、そうじゃないだろう。影ながら自分の子供の安否を気遣い見守ってくれている年老いた親たちの存在が当然ながら彼らの生面線であることに彼らニートさんたちは恐らく気付いていないことだろう。そしてこれも当たり前の話だが、沢山の仕事人たちの日々の仕事面における苦労の結晶の一端である税金が、そして行政が、本来ならば飢え死にしているはずの彼らの生命を何とか今のところは根底から支えていることが出来ているに過ぎないのだ。この大不況の只中であっても国の財政の余力が現代日本に生きる ”脱力ニートさんたち” が凍え死にしないように、「なんとか今のところは」養えてゆけているというだけの話なのである。この先の未来において今同様に彼らを守る余力がこの国にあるなどということは総理大臣でさえ保障はしないだろう。さて、あなたはどう思う。先日に発信した、ニートさんたちにまつわる二つの日記も読んで下さると嬉しいです。2010.01.20日記 「ニートの気持ちが分からないのは僕がオヤジになったからなのか」http://plaza.rakuten.co.jp/lukanomatinami/diary/201001140008/2010.01.21日記 「日本の未来、あなたの隣人の未来。不良少女と呼ばれてな人々はどこへ消えたのか? 「不良」から「ニート」へ、時代の移行に想いを馳せて」http://plaza.rakuten.co.jp/lukanomatinami/diary/201001140010/メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.23
自分自身が今よりも遥かに粗暴で手がつけられないほどに神経質だった18歳くらいの頃から20代の初期の頃までの話。なんでか知らないけれど、その頃の僕は髪を茶色(というか黄色っぽい色)に染めていた。今思うと、たぶんローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズの髪型に憧れていたのだと思う。いや、ブライアン・ジョーンズが放つ危険な香りに惹かれていたともいえる。で、当時に何の因果か知り合った生真面目な文学青年と世間話をしていた時のこと、こんなことをその文学青年から言われたのだった。「吉本隆明って知ってます?この間に吉本隆明の本を読んでいたら、ふと、○○さん(僕を指して)のことを思い出したんですよ」どんなことがその本に書いてあったの?ときいたところ、こんな返事が。「現代において悪いヤツほど風貌も職業柄も体裁よく整えている。一方、根が真面目なヤツほど敢えて周囲に自分を汚く見せている。こうした矛盾じみた構造がこれほどまでに顕著だった時代はかつて日本においてなかったのではないだろうか?。要約すると、そんな風なことを吉本隆明は書いているんですよ。それでぼくがこの文章読んだ際に真っ先に思い出したのが○○さんなんです」それ、あなた勘違いしてるよ、と僕は言ったものだった。人の外見は、その人の内面そのものだ、と。オレなんてバカ以外の何者でもないよ(爆)、と。相手からの、返事は次のようなものだった。「そんなことはないです。ぼくが吉本隆明の本を読みながら○○さんのことを瞬時に思い出した事実、これに狂いはないとぼくは思っています」あれから何十年過ぎたであろう?。今になって、ようやく彼がいいたかったであろう何かが、僕にも少しだけ理解出来るような気がしている。それもこれも、ここ数日間に渡って現代ジャポンのニート君たちの動向に、それなりに想いを馳せてきたことで近づけた気づきともいえるだろう。さて話は変わるが、日記の冒頭に記した、髪の毛をイエローっぽく染めていた当時の僕がよく聴いてきた歌が幾つかある。それは、モリッシーというイギリスのシンガーの「スエード・ヘッド」という歌。また時にシド・ヴィシャスの「マイ・ウェイ」。そして、ザ・ダムドというバンドの「ウェイト・フォー・ザ・ブラックアウト Wait for the blackout」あるいはブロンディの「ドリーミング」はたまたトム・ヴァーレインの「ワーズ・フロム・ザ・フロント」あるいは「ウィズアウト・ア・ワード Without a Word 」ジョニー・サンダーズの「ソー・アローン」フリクションの「クレイジー・ドリーム」上に刻んだエトセトラの歌群に加え、そんな風な心の旅路に続く情熱的且つ虚ろな試行錯誤をへて最終的に行き着くところが決まって、この歌だった。リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズ(Richard Hell & Voidoids) の 「ブランク・ジェネレーション」。Blank Generation ・・・直訳すれば、空っぽの世代ということになるのでありましょうか。まあ兎にも角にも、空っぽでもブランクでも何でもいいから、人間は常に熱く生きるべきだと思う。じゃないと、如何なる夢にも辿り着けないし、この世に生を受けたことの本当の意味が、その光がこの両目に眩しく宿ることもないだろうから。人は、いつの時代においても、ヴォイドな生を逞しく情熱的な赤い薔薇の如くに、燃え尽きることの連続でしか、前に進んでいけないのである。眠れない夜にも、立てない朝にも、なんとか未来を夢見て、己を叱咤しつつ歩き続けるしか如何なる豊かさの一切も運ばれてくることはないのである。ということで、この日記を今読んでくれているあなたも、明日も愛を探しながら、愛に辿り着くべく、逞しくヘヴィーな生をかいくぐって下さいませ。僕もそうします(笑)。OK牧場!!!って感じで♪(爆)まあ、そんな感じで明日もあさっても、僕は心と体に地雷を抱えつつ逞しく生きてゆく。あたかも、火の鳥の如く。これ、マジだ。爆爆見ていなさい、そのうち、誰もがあっと驚く愛の奇跡を、己の生き様において証明してやるぜってなもんだ。と、己に今日も渇を入れる!。ダテに体がボロボロではない。いってみれば、40歳なりの ”ボロ雑巾” からの逆襲である。フリクション「軋轢」http://item.rakuten.co.jp/rdownload/800187025/Richard Hell & Voidoids「ブランク・ジェネレーション」http://item.rakuten.co.jp/guruguru2/wpcr-1818/からっぽの舟、からっぽの人生。So Aloneなほどに混迷の最中、心と愛を見失ったここ現代ジャポンで、あなたは自身の旅において何を探す?本当に大事な何を探す??。僕は真心を、花が咲く瞬間に宿る光の神々しさの秘密を探し、そこへ向かって冒険の日々を送っている。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.22
「不良少年の目は透き通っている。なぜなら彼らの心が純粋だからだ」そんな意味合いのことを故・作家の開口健氏がエッセイに綴っていたことを今思い出している。さすが、開口健。いいこと言う。そんな気分で今夜の日記をはじめるとしよう。BGMはシド・ビシャスの「マイ・ウェイ」で決まり。ドンピシャって感じ。http://www.youtube.com/watch?v=WIXg9KUiy00&feature=relatedさて、何十年か前にダムドという外国のパンクバンドが「ニート、ニート、ニート(Neat Neat Neat)」という歌を歌っていた。かなり、エネルギッシュな激しく熱い歌です。ところで今この日記を読んで下さっている方の中には、「パンクバンドって何??」と腕を組みつつ考えていらっしゃる方もいるかもしれません。PUNKこれを、どのように説明すればいいのでしょう?難しいですね。あれこれ説明するよりも、次に紹介する映像を見てもらえば即座に誰にでもPUNKあるいは、その昔にニートと呼ばれていた若者たちの姿を垣間見れます。THE S○X PISTOLS - God Save The Queenhttp://www.youtube.com/watch?v=MeP220xx7Bs昨夜の日記にて紹介した映像は一週間くらい前にYOUTUBEにて「おすすめ動画」として大きく紹介されていたもの。それほどまでに社会的な関心がニートという存在に集まっているということなのでしょうか?あるいは少なからずな人々がニートと呼ばれる若者たちが象徴する何かに困惑しているということのあらわれなのでしょうか?どうなんでしょうね。難しいところです。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、ニートは以下のように定義されているようです。---------------------------------------------------ニート(NEET)とは、教育を受けておらず、労働や職業訓練もしていない若者を指した造語で、「Not in Employment, Education or Training」の頭文字を採っている。ただし、この訳は日本におけるニートの定義・用法とは異なる。なお、以下では特に断り書きの無い限り、日本における(若年)無業者について・・・・・・(云々云々、以下省略)。---------------------------------------------------おそらく日記の冒頭において記したダムドの歌のタイトルの由来は、上に説明されていたところの、”教育を受けておらず、労働や職業訓練もしていない若者を指した造語”に該当するのでしょう。一方、現代日本における ”ニート” というのは一体どんな存在なのだろうか?。気になった方がいましたら上にあげたウィキペディアを是非参照願うところです。詳しい考察のエトセトラがあたかも学術本の如きに列挙されており一読の価値は大いにあります。まあダムド的、あるいはPUNK的な熱いニート像とは趣を変える現代日本的 ”脱力ニートたち” が象徴するものは果たして一体何なのでありましょうか。僕なりにニートの歴史を簡単安易に綴るとすれば、ケルアックの文学「路上」、その後のサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」、でもってそうした時代の流れと歩をあわせるようにしながら進んだ諸外国におけるロックなりPUNKの歩みがあるとして、まあそこまでは元気な勢いがあって甚だ宜しい頑張れってなもんなのだが、その後に続くのが、「脱力」って一体何なのさ?(爆)・・・・・おいおい。そんな風な簡易郵便みたいな考察から見えてくる日本の未来ってマジで絶望的???どうなんでしょうね。いやあ、そんなことはない、と僕は思うのですよお。というか、思いたい。願いたいものだ。だいたいが日記の冒頭にしるした、開口健の「不良少年の目は透き通っている。なぜなら彼らの心が純粋だからだ」云々云々なだけでは、人は長い人生において如何なる事故に遭遇することなしに長きに渡り前に進み続けることなど出来ないのだから、そういった歴史の流れをもしかしたら現代日本に生きるニート君たちは本能的に嗅ぎ取っているのかもしれない。そうした実にアンニュイな可能性も、もしかしたらニートさんたちの存在から導き出すことも可能かもしれないと、かなり強引だけど、なんとなく思わないこともない・・・・・と崖っぷちジャポンの未来に何らかの処方箋を差し出したく願いながら様々な思考をめぐらせているわけです。時に暗澹とした気分の中で。明日もニートについて云々云々と考察してみたい、かもしれません。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.21
ここ数年、日増しに雑誌やテレビ等で、やたらとニートという言葉を目にする頻度が高くなってきたような気がする。僕は、この「ニート」という言葉の意味がよく分からなかったのだけど、興味深い映像に出会い、これがニートなのかと何となく理解した次第。『たけしがニートに激怒 「働けよ、バカ野郎!」 』http://www.youtube.com/watch?v=4KMcLgi-DScさて、あなたは上の映像を見てどう思う?。話は僕自身の事柄に移るが、僕という人間はお世辞にも社交家とはいえず、どちらかというと内向的なタイプ。プチ・ニート系タイプといえなくないかもしれない。しかし、だからといって、毎日部屋に閉じこもっていたいとは皆目思わない。外に出て自然の景色に感動したり、街行く人々のエネルギーを感じて刺激を受けたりすることの愉しさを僕は知っている。まとまった時間と大金があれば、いつだって世界中を旅していたいと思う。だいたいが、部屋に一人で閉じこもっているなんてこと自体が心の健康を考えた場合、太陽の光を浴びて成長することを自ら拒むようなもの。体にも心にも、良いわけがない。というより、面白いことなんて何ひとつないじゃないか?とさえ思う。たとえば僕が、自分の部屋で一人で過ごしている時間というのは、一日の中でそんなに多くない。せいぜいが仕事を終えて、眠る前の2時間程度。この2時間程度の時間は、自分にとって貴重で大事な時間。その理由として、次のふたつに大きく集約されると思う。*今日一日の仕事において良かったことも反省点も含めて色々なことを内省するための時間だから。*様々な本を読み、心に栄養を与えることが出来る時間だから。こうした静かな時間というのは、仕事面において素晴らしい人物との出会いを通じた内面の成長とはまた異なる醍醐味がある。上に記した時間は、自分にとって、ひとりで部屋に閉じこもることが目的で用意された時間ではない。ある意味、明日のために用意する時間、明日に出会う沢山の人々と豊かにつながるために用意された時間ともいえる。そういう意味で、僕は、こう考えるのだ。「ニート君たちよ、君たちは人生を損しているよ」 と。内に閉じこもることで心に一時の安定を与えることは可能だけど、それにばかり慣れてしまったら、野原に咲いている花の美しさを忘れてえしまうだろう。社会で生きていると、嫌なことも辛いことも多々あるだろうけれど、そこから完全に離れてしまったら、そこでしか体験できない己の成長だって放棄してしまうことになるし、そうしたことを通じてしか見つけることが出来ない他者の心のありがたみや美しい笑顔のかけがえのなさというものだってあるんだ。つい、そんな風なことを、上から目線ではなしに、遠い親戚の青年に接するように、いいたくなる。誤解を避けるために付け加えるけれど、僕は、ニート=単なる怠け者というような図式を頭に描いてはいない。彼らの心の戸惑いや社会への不安定な眼差しというのは、ある意味、この現代社会の歪みと正確に対峙していることのあらわれだと実直に思うから。それくらい社会に息づく人々の心の荒廃が加速し、もはや修正など利く余地などないのでは?と思えるほどに酷い世の中であることは間違いないのである。と同時に、ニートとして生きる若者たちに対して、必要以上に応援したり同調したいとも思わない。日記の冒頭に紹介した北野武氏の発言と同じように、僕も次の言葉を投げかけるだろう。「働けよ」。言葉をかえれば、ニートとして社会の中で生きるよりも、もっと別な、あなた自身の存在を輝かせる社会との交わり方を模索し実践したほうが絶対に良いということ。本当、そう思う。ニート君たちは人生を損していることを自覚すべきである。閉じこもるのではなく冒険すべきだ。でないと、ニート君たちの瞳はいつまでたったって輝くことを知らず、怠惰なときの連続の中で老いさらばえてゆくだけになってしまう。こういうことを、人生損をしていると呼ばずに一体なんとよぶのか。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.20
平林都さんの本を読みながら、すごく勉強になる部分ってどこかといえば、全ての頁です。だけども、読む日によって、その時の自分自身の心持ちで、「今日は特にこの箇所が勉強になる!」と思える頁が当然あります。僕にとっての、今日に平林さんの本の中で特に「いいこというなあ!!」と唸った箇所を以下に記すことにします。----- 3つの条件を満たせば、いい印象とチャンスが与えられる -----そう綴った後、平林さんは次の文章を続けるのです。グレイ文字で引用しましょう。人に、「この人、なんかとっつきやすくて好きや」と思ってもらえると、得こそすれ損をすることはありません。とっつきやすい人は、人から頼りにされたり、かわいがってもらえたりするからです。私が考える「とっつきやすい人」とは、次の3つの条件を満たしている人です。1. 笑顔の人2. 自分から挨拶する人3. 自分から動く動作がみられる人どうして僕が、上に引用した箇所に唸ったのかというと、それは実に単純な話で、僕自身が仕事を通じて良き機会に恵まれたり、仕事を頂けたりする際の、自分の行動を内省する際に、それは決まって、上に平林さんがあげている3つの条件に自分の動きが重なっている時であると思い当たったから。たとえば、今日に僕がお得意先のお客様とどのように接していたのかを少しだけ書きたいと思います。朝方にそのお客様から電話が鳴りました。「このあいだの仕事、○○の件、あれ頼むよ」(相手)僕は感謝の気持ちを電話越に伝え、日程の調整などを含んだ書類を作成し届ける旨を伝えました。その後に、同じお客様から相談されていた別の物件のことを差し当たりのないように伺ってみたところ、こんな返事が返ってきました。「ああ、あれね、ちょっと中止・・・・・まあ検討しとく」その後、僕がとって行動とは次のようなものでした。早速、相手の望むスケジュール調整を行うために作成した書類を持って、相手先の会社にお伺いしたのです。そして依頼された仕事の日程等の取り決めを行った後に、さりげなく、先程にお客様から「検討しとくわ」とやんわり断られた物件の話題に移りました。相手の表情から、これは、こちらに非があったわけではなく、お客様自身の心の中になにか迷いがあることを察しました。その迷いが一体どのようなものであるのかを知るべく、30秒ほどの会話を重ねた結果、僕は、こう確信しました。(このお客様は自分が作りたいものの正確な姿を、まだ本当はイメージできていないのだ)僕は次のように会話を続けました。「一旦、あのプランを横に置き、別なアプローチで進めてみてはいかがでしょう?たとえば、こういう方法もあります」そして、数週間前にお客様から ”具体的なプラン” として差し出されたアイディアを一旦白紙にし、別な角度から、様々なアイディアとそれらを実現させるより具体的な技術に関する云々を幾つかお伝えしました。すると急にお客様の表情から陰りが消え始めたのです。先程に僕がお客様の表情から読み取った「迷い」が消えた瞬間でした。「それ、いいなあ・・・そういう方法もあったのか!」お客様はそう言って、笑顔になってくれたのです。その後に、数時間前に電話越しにやんわりと断られた物件が再始動したのは言うまでもありません。上に上げたお話は、平林さんの説明する 3つの条件の中の、 ”3. 自分から動く動作がみられる人” に該当するのではないか?と思います。やはり仕事でも何でも、自分から動こうとする意志が感じられる人を信じてみようと、誰でも考えるはずなのです。日記の冒頭に紹介した平林さんが述べる3つの条件とは、思うに、仕事が舞い込む条件ばかりではなく、他人から大切にされる3つの条件、他人から必要とされ愛される3つの条件と言い換えても何ら違和感はないでしょう。以下に、昨夜メインのブログから発信した日記文章の再掲載を--------------------------------------------------------------------- 言葉は力であり、敵にも味方にもなる -----エチカの鏡で有名な平林都さんが、自身の本の中で太文字で記していた言葉が上。この言葉の後に次の文章が続きます。以下にグレイ文字で紹介しましょう。言葉が力なら、「わざわざ敵にする必要はない。味方にしてしまえ!」というのが私の考えです。他の店、他の企業では聞けないような言葉を使い、お客様にまた足を運んでいただくこと。それが接遇なのです。そして、人が人を呼んでくれます。これを体験すると、ますます自分に自信ができて、仕事にも人生にも生きがいが持てるようになります。このようなことを実感したので、私はいろいろなところで、「接遇が幸せを呼ぶ」「誰でも接遇で幸せになれる」と、お話しするようになったのです。すごく勉強になる本です。本当、こういう本がほしかったと実直に思います、というくらい凄い本。平林都さんという人物。いま、この人のことを知らない人はいないんじゃか?というほどに有名な方ですよね。僕自身、平林都さんの出演する番組はけっこうチェックしているので、よく平林さんが番組でお話されていたことを仕事中に思い出したりするのですが、本を出されているとは知りませんでした。この本を知ったのは、たまたま偶然によってでした。先日の大石ゆうさんの日記を訪問させてもらわなければ、今も知らずにいたでしょう。大石ゆうさん、ありがとうございます。良き情報に感謝します。----------------------------------------------------------------メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.15
ウディ・アレンの「アニー・ホール」という映画のワンシーンに、こんなシーンがありました。ウディ扮する主人公がダンアン・キートン扮する恋人と映画館へデートに出かけ、そこのロビーで男性の映画評論家が自身の映画論を周囲に聞こえるような大きな声で仲間に話しているシーン。その評論家はこんなことを言います。「フェリーニは偉大だが、「道」を貫いているのはネガティブなエネルギーだ。」「道」というのは勿論、フェリーニの初期の代表作であり今もって世界中の映画ファンから愛され続けている映画作品のこと。その評論家の語り口からは、巨匠フェリーニだろうとしょせんはたいした存在ではないと言わんばかり。ウディ・アレンは隣で評論家の話にじいっと聞き耳を立てつつ、だんだんとイライラしはじめ、遂には、いてもたっていられなくなります。そしてスクリーンごにこの場面を見ている観客に向かって(つまり撮影カメラのレンズに向かって)頭を抱えながらこう訴えかけるのです。「こんな場合、あなたならどうしますか!?」もちろん、ウディ・アレンはフェリーニの映画の素晴らしさを理解し讃えている側の人間。一方の偶然にそばに居合わせた評論家にとって、フェリーニなど取るに足らない存在でしかないとでもいいたげ。ウディ・アレンにしてみれば、「この知ったかぶり!」と罵倒したいところを、見ず知らずの他人なので言い出せないまま隣で頭を抱え一人で地団太踏みながら怒っているわけです。この場面はとても面白いシーンでした。「アニーホール」というのはコメディ色の強い映画なのだけど、特にこのシーンには爆笑させられたものでした。「道」は果たして、ほんとうにネガティブな映画なのだろうか?。どうなんでしょうね。まあ観る人によっては非常に暗く救いようのない物語にも感じられるかもしれません。でも、僕は、この「道」という希有なる名作映画に向き合うスタンスとして、ウディ・アレンと立場を共にするとしかいいようがありませんね。というより、偉大な映画監督の作品ほど、時にネガティブと思えるようなエネルギーから目を背けることなく、且つ、自身が伝えたいメッセージなりへと昇華させるものだから。-----フェリーニは偉大だが、「道」を貫いているのはネガティブなエネルギー-----なにをいまさら、そんなわかりきったことを言っているの?僕なら、ウディ・アレンに変わって、どこぞの評論家にそう呟きたい。「道」を貫いているのはネガティブなエネルギーだけど、それだけじゃないでしょ?と。悲哀に満ちた登場人物たちの時に滑稽そのものな人生の歩みに訪れるネガティブな出来事の連続を描きながら、同時に、フェリーニが映画にこめた想い、眼差しは、映画のラストに訪れる海のシーンのように、静かに無言で、そして、あたたかい。ネガティブと受け取った場面だけを切り取り、そこに批評の眼差しを向けるのは片手落ちというものなのあり、それでは評論家失格というものなのです。こうした見解に、きっとウディ・アレンも「その通り」と微笑んでくれることでしょう。しんしんと降り積もる雪景色を窓越しに眺めながら、ふと、今、ジェルソミーナの笑顔を思い出しています。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.13
神社ブームですね。素敵なことだと思います。というのも自分自身、子供の頃から神社で遊んだりしていたこともあり、神社という場所に関する大きな憧憬の想いを常に抱えているからです。まあこれは僕の母親の実家がたまたま古(いにしえ)の時代から続く神社だということにも何かしら関係しているのかもしれない。話は少し逸れますが、昨年は伊勢神宮に参拝する計画を立てていました。まだ一度も訪れたことがなく、この不景気で時間の余裕があるだろうとの愚鈍な想いで立てた計画。しかしそうした小旅行に出発できるほどに仕事が暇にはならず断腸の想いで伊勢神宮への旅立ちを断念したことが記憶に新しいわけです。では一体どうして伊勢神宮なのか?というと、・・・これは説明が難しいですね。建築的に美しいということが事の発端であり、また、そればかりではなく、”建築的に美しい”というプロポーション的な事実にに潜む永遠の普遍的流れに浮かんだ金色の小舟の如き宇宙の真実の佇まい、その神々しく圧倒的な黄金率を讃えた淡くも質素に輝く姿をこの目で仰ぎたいというのが、そもそもの願いの核にありました。再度、言いましょう。いま神社ブームですね。凄くすばらしい!!。とても素敵なことだと思うんです。ということでまた後日に神社のお話に因んだ日記を書きたく思う次第。さてさて、今年は行けるか!?伊勢神宮!!!なんとか時間を捻出したいものである。というか、仙台から半端じゃなく遠いですよね、どうする??みたいな。やはり、行きたいなあ・・・・・美しさの根源、光を支える文明の源にあるものを探る旅へと。真摯な願いですが。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.11
楽天ブログで絶大なる支持を集める、よびりんさんが日々、自身の日記にて伝えようとしているメッセージのひとつが、-----ふるさと(故郷)-----勿論、文字通り、私たちの ”心の故郷” を指しての深い想いであることと察しています。それで、思うんです。僕らが、私達が、心の故郷もしくは魂の故郷と呼ぶべく、どこかとは一体どこにあるのか?と。そんな自問を内に宿す時、僕は、次のように自答する。それは僕、そして、あなたの心の中心にあるのでは?普段は深層の中で忘却の彼方へ追いやられつつも、だけど本当は確かに記憶している、あたたかで崇高な光・・・・・生まれるずっと前から本当は知っていたでろう、あたたかな光の場所のことを指して言っているのではないのだろうか 、と。そんな気持ちを込めつつ、以下に、今日の昼間に発信した日記を復刻したしましょう。大切なのは、いつの時代においても、フランソワーズ・アルディの歌声に宿る光の美しさ・・・なんて風に思いながらの復刻。でもってフェリーニの映画に宿る人間へのあたたかな眼差しに思いを馳せながら。----------------------------------------------------------------------------【亞】さんは果たして本当にロックンローラーだったのか!?---って、話が勝手に大きくなっていますが(笑)、ロックンローラーだったかどうかは定かではないとして、バンドのヴォーカルとして活躍していた時期があるという話だけはどうも事実のようです。いつ頃の話なのか知る由もありませんが。それでこの話を思い出したら、面白いことが頭に浮かびました。たとえば、あなたの知っている楽天ブロガーの誰かを思い浮かべてください。そして、もしその人がバンドのボーカルだったなら、一体どんな歌を歌うイメージが思い浮かぶでしょう?。残念ながら、【亞】さんがかつてどのような歌を歌っていたのか僕には皆目想像もつきませんでした。同様に、楽天で絶大なる支持を集めるよびりんさんにしても、これは見当もつきません。さっぱりわかりません。・・・・・どうも僕にはイメージ力が足りないようです(爆)。しかし、たとえば12本の薔薇さんであれば?と想像してみると、これは意外とすぐにイメージできました(もちろん、勝手なイメージ)。フランソワーズ・アルディ。これに尽きる、そんな気がします(^^)フランソワーズ・アルディの代表曲「Comment te dire ad」http://www.youtube.com/watch?v=LdAds8wVxyA&feature=relatedフランソワーズ・アルディといえば、あのユーミンが最も好きな歌手だという話を聞いたことがあります。それくらい有名で伝説的なフランスの歌手。http://item.rakuten.co.jp/hmvjapan/1882316/Francoise Hardy フランソワーズ・アルディ L'essentiel 輸入盤 【CD】 メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.10
昨日、仕事後に立ち寄った図書館で、鈴木秀子さんと玄侑宗久さんの対談がまるごと一冊になっている本を発見した。2009.10.18に発信した日記にて紹介した「多生の縁」という本ではなく、この二人の対談だけで構成されてある本。「多生の縁」では両者の対談は30ページ程度しか収録されていない。しかし、今回に手にした対談本は200ページを超える。凄い。図書館の本棚でこの本を手にしただけで感極まってしまいそうでした。図書館からこの本を借りてきたことはいうまでもなく、しかし一生の心の財産にしたいので早速楽天市場にて注文した次第。「仏教・キリスト教 死に方・生き方」という本。 この本の ”まえがき”には、玄侑宗久さんによる次の文章(抜粋)がある。太文字で記しましょう。「私は長時間対面しているうちに、ときには桃子先生の無邪気で謙虚な笑顔や絹子先生の優しさを想いだし、またときには園長先生の厳格な様子も想いだした。私は「優しくて強い」とか、あるいは「清く正しく美しく」という夢のような在り方が、目の前に体言されていることに感動してしまったのである。(中略)宗教を選ぶ、みたな本も世間にはあるが、本書はけっしてそういう本ではない。一言でいえば、キリスト教であれ仏教であれ、我々が、いや、少なくとも私が対談中に感じていた「安らぎ」と「敬愛」とが、宗教を超えて読者に届けば本望である。」上の文章中の、-----私は「優しくて強い」とか、あるいは-「清く正しく美しく」という夢のような在り方が、目の前に体言されていることに感動してしまったのである。-----という箇所を読んで思わず唸ってしまった。というのも、僕が「多生の縁」を読んだときに感じた鈴木秀子さんという存在についての言いようのない感覚をそのまま的確に表現されてあると思ったから。まあ兎にも角にも、2009年という年は鈴木秀子さんの本に出逢うためにあった一年であったような気がする。2010年は、この希有なる人物の本を沢山読み自分の中で正しい理解でもって、そして自分自身の生活の中で活かすための足がかりとなれば僕にとってこれ以上に嬉しいことはない。まあ僕という人間は基本的に実に粗暴且つエキセントリックな類のいきものであることは確かなので、天が「君はそれではいけないから、この本を読んで、もっと人間的なものを身につけなさい」と届けてくれたのかもしれない。大げさにいえば運命であった、ともいえないことはないと思う。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.09
昨夜に発信した日記 に関して、「GET RHYTHMさんはどうしてネガティブな現象とも思える事柄について強く想いを馳せたのですか?」もしかしたら、そんな風に考えた人もいることでしょう。-----29歳で永眠した青年を話題に日記を書くなんて、それこそあまりにもネガティブなことだ、私たちは常に何事もポジティブに物事に向き合わなければならないのだから、もしかしたら自殺したのかもしれないネガティブな魂を抱えた音楽家のことになど触れないでほしい。-----そんな風に考えて、つい気分が悪くなってしまった人も、もしかしたら、いるかもしれません。で、もし、そんな風な考えに捉われてしまった人がいたのであれば、僕はこう言います。「あなたはバカですか?」と。もしかした避けられたかもしれない悲劇に陥ってしまった人がいたとしても、その人の運命として、向かってしまった運命であるのなら、そうした人の事件と対峙したのであれば、その人の魂が再度、暗闇に陥らないように、祈るのです。あたたかな光を想い描きながら、その人の幸せを願うのです。この世界、この宇宙にはふたつの大きなエネルギーの流れがあります。---慈愛 そして 慈悲 --- 喜びも幸も苦しみも生も死も全てを包み今にある、僕らが生きるということであり、きっと、それが世界、宇宙の姿、真心。と思います。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.04
今しがた訪問履歴を眺めていて言葉を失った。かなり動揺した。フジファブリックというバンドの志村正彦さんが亡くなったということを知って言葉を失った。驚きながらネットで検索したら、まだ若干29歳だったという。若すぎる、若すぎる。こんなことを書くと、もしかしたら、ウソだあって思う方もいるかもしれない。それって作った話??と思う人もいるかもしれない。でも、これから書くことは紛れもない事実。僕はフジファブリックというバンドの名前を知らなかったんですよ。で、もう何年も前にテレビで見て感動したバンドの歌がいまでも忘れられずにいたのだけど、でもって昨年末に、何の因果か、あの歌のタイトルが知りたい、あのバンドの名前を知りたいって考え込んでいたんです。そうしたら年末に最後になって、たまたま偶然にYouTubeで発見したんです、その歌を。「虹」というタイトルの歌でした。勿論、フジファブリックというバンドの志村正彦さんという方が歌っている曲。もうかれこれ、この歌に出逢ったのは何年前だろう?たまたまつけたテレビで出逢ったんですよ。「虹」という歌に。当時はかなりびっくりしたものでした。「いやあ、この人、なんかシド・バレットっぽいなあ・・・まさに天才肌だなあ」と。凄い逸材だなあ、と。そういえばシド・バレットという天才がこの世を去ったのが、数年前の7月7日。自ら、「ミルキー・ウェイ」という彼の代表作のひとつである名曲を生前に歌っていたものでした。僕は思う。フジファブリックの志村正彦さんは、シドがミルキー・ウェイへ旅立ったのと同じように、虹の国へ、美しい光に満ちた世界へ、新たな旅として、祝福と共に、守られるように、旅立ったのだと。繊細すぎる魂、冷たい雨に耐えながら虹を追いかけた崇高な魂、そして心優しくも脆い、だけどこの世界へ向けて、振り絞るように沢山の音楽ファンのもとへ素晴らしい歌を届けた希有なる魂、天才。志村正彦さんの聖なる魂にやすらぎが訪れることを祈りつつ。そして至上なる美しい音楽を届けてくれたことへ感謝を込めて。・・・って、涙が出そうだぜ。なんて言ってはいけません。追悼の想いを込めて、泣くのではなく、 ”ありがとう” と心の中で呟くのです。”あなたの歌は最高だったぜ”、と感謝の想いを込めて喜ぶのです。それが一人のある天才が確かにこの世を生きたことへの最大の賞賛になるのだから。「虹」 フジファブリックhttp://www.youtube.com/watch?v=5B3aazc9xokメインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.03
昨夜の日記の続き。僕が、自分の中で叶えたいもの・・・それは心の平穏。やすらぎであり、あたたかさであり日常的にありふれた些細な幸福感、そして愛であるとか光であるとか、そういうものです。そうした地平線に中々辿り着けない、見つけられない、たとえ少し辿り着いたとしてもそれを長く持続できないから、どうでもいいような煩悩が続くわけです(笑)。だけど、これはなんというか男の宿命みたいなものかもなあ(爆)、なんて風なことも思ったりもする。昔の歌にあったでしょう? ”辿り着いたらいつも雨降り”、なんて歌が。男なんて実にアホな生き物なわけですよ。以上、これが昨年における僕自身の最大の、叶えることが出来なかった悔いです。今年は頑張ろうと思います(笑)^^でもまあ、こういうことって僕に限った話ではなく、男であるとか女であるとか、そういうのを超えて、この地球という世界の大きな規模での叶えたい願いでも同時にあります。自分で書いてて、なにがいいたいのかよくわかりませんが(笑)。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.03
夢って一体何なのだろう?これを考え続けて早30年以上になります。たぶん、それくらいの歳月が少なくとも流れているはずです。今も考え続けています。さて。昨年に心に掲げていた夢や目標の中で、叶ったものと叶わなかったものについて考えていました。そうすると少し面白いものが見えてきました。叶わなかった目標や夢、願いといったものに関して、これは実は自分自身、叶えるための具体的なことを全然していなかったことを、そのまま示しているに過ぎないというもの。これは時間がなかったという言い訳もできますが、後になって何を言ってみても後の祭りです。これから昨年の失敗を活かそうと努めたいと思います。逆に、叶った夢というのは、いま振り返れば、具体的な目標設定と行動とが密接にリンクできていた事柄に限定されていたことに気付くわけです。(それって当たり前のことじゃん?とか言わないでくださいまし。僕ってかなりアホなんです。大事なことに中々気付かない・・・笑)こんな風に、出来なかったことと出来たこと、叶わなかったことと叶ったこととの間にある何かについて思いを馳せているだけで、時間がいくらあっても足りません。そうしたことを、考えるだけ野暮だとか、考え込んでも仕方がないと捉えることは間違いです。そうした時間を内に持つことなしに、同時に内にいかなる戦略の芽が育つこともないからです。叶わなかった夢は自分にとって必要な夢ではなかったからだ、なんてありふれた言説で自分に納得させるのではなく、本当に自分に必要な夢であったはずなのに叶う方向にいかなかったことの原因をきちんと心の中で分析し前向きに検討してゆかないと如何なる戦略にも結びつくことがないばかりか努力を放棄すること未来に向かって生きることを放棄することにも繋がると思うから。で、ルカさんにとって昨年に叶わなかった夢って何だったの?という質問がきたとしたら??・・・それに関しては、ちょっと内緒ですね。というのも、それを書いてしまったら「あなた、絶対、バカでしょ?(笑)」と爆笑されるであろうこと必至だから(笑)。バカなことは間違いないのですけど(爆)。まあそんな感じで、お正月だというのに、仕事を中心とした、人間の生き方全般に関するエトセトラについて朝から晩まで考えていることも、なにかしらの意味があってのことだと思います。やはり自分に足りないものを補うために、というか、社会を生きる者として修正せねばならない部分を正しく見極めるために、あるいはバランスを図るために、きちんと己の羅針盤の調律をはかるためにも、そういうことってけっこう大事だと思うわけです。じゃないと、この非常に厳しいご時世において淘汰されてしまいますというのもあります。兎にも角にも、笑顔と余裕を忘れずに、元気に前に進んでゆきたいものです。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2010.01.02
昼間にふと空を見上げて、驚いたのです。「こんなに空って美しかったっけ・・・・・」と。仕事納めの前の日、連休に入ったら一週間くらい、ただ眠っていたいと考えていました。なにもせずに、ただ瓦礫のようにひたすら眠りたいと願っていたのです。しかし、いざ連休がスタートしてみて驚きました。あまりに空が美しく神々しかったから。ちょっと反省。というのも、多くの人にとって仕事に費やす時間というのは一年の中でかなりのウェイトを占めますよね。そうした日々の中で、空を見上げて ”美しい” と感動する時間があまりないということは、一年の中で、そういった感動でもって心に栄養を与える時間を自分が持ち得ていないということを確実に示していると考えるからです。そんなわけで来年の抱負のひとつ、思いつきました。-----仕事に追われるばかりでなく、その、追われる日々の中であっても、空を見て美しいと感動できる時間を沢山持てる、そんな心の器を自分自身の内に育む-----まあそれはそうと、連休がスタートする前には、お正月休みが一週間もあるって凄い!ってワクワクしていたのだけれども、しかし、よおく考えたら、一週間なんて短すぎるよう気がしてきました。一週間で一体なにが出来る?そんな短いタイムスパンで、どれだけ自分に栄養を与えることが出来る?心底リセットできる?どれだけの素晴らしい貴重なる本を読むことが出来る?良き映画と出逢える?心が躍るような場所にどれだけ訪れることができる?ううう・・・なんか、けっこう難しいですね。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.12.30
特定の宗派に属していないバチあたりな僕のような人間でさえ、 ”神” という存在は信じています。あるいはパーフェクトな光というものを信じていると言い換えてもいい。 茨に灯る光、そして満面の笑みへいざなう神の意思、金色の光。至福の音色。これをあたりまえのことだと思ってはいけない。どれだけ感謝の想いを込めて、それを受け取ることができるか・・・・・人生の豊かさというのは、その集積の賜物に他ならないのだと思う年末です。愛って何だと思いますか?そんな自問の末に僕が辿り着いたひとつの自答が、今、こうして自分に勇気と光を与えくれている。感謝。来年も素晴らしい一年でありますように☆☆☆メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.12.29
人間に一番大切なものとは何でしょう?家族?友人?仕事?休暇?趣味?芸術?それとも愛?一番大切なものは何かって自問したところで、即座に自答できる人などそんなに多くはいないことでしょう。きっと誰にとっても、答えは霧の中に漂う、うっすらと灯る光みたいなものだから。あるいは砂漠の蜃気楼の光みたいなものというべきか。だけど、その灯火、光を内に絶やしてはいけません。たとえ真冬の凍えるような夜の森の中で霧につつまれようと、砂漠の中で希望を失いかけたとしても。その光はきっと、あなたの心にあたたかさへと導く永遠に消えることのない命の炎へと、静かに音もなく、女神の絹連れの音色を伴いながら、見えない糸でもって、いざなってくれているのですから。まあとにかく、年の瀬ですね。年末になると聴きたくなる歌が僕にはいくつかあります。次の歌も、そうした歌のひとつです。The Bangles 「胸いっぱいの愛 Eternal Flame」http://www.youtube.com/watch?v=AGaGvyqEK-kバングルス BANGLES GREATEST HITS http://item.rakuten.co.jp/shockprice/150435s/メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.12.29
子供の頃、近所の焼肉屋さんにジュークボックスがあった。若い人にはジュークボックスって何のことか見当もつかないかもしれない。大きな箱にお金を入れると自動的にお目当てのシングルレコードがセットされて、歌が聴けるという機械のこと。相当に前の話。で、僕はよくその焼肉屋さんに入り、たいした意味もなくビートルズの歌が記された番号を眺めていた。ジュークボックスに入れるコイン(100円)を持っていなかったので、ただそのボタンを見つめて喜んでいたのである。機械を通して歌が聴けなくても、ジュークボックスという機械を通じて自分がビートルズとつながっているという感覚、だたそれだけで嬉しかったのだ。一度、こんなことがあった。店主のおじさんが僕に、こんなことを話しかけてきた。「お兄ちゃん、何か聴きたい歌があるのかい?」僕は即効で答えたものだった。ビートルズ、と。当時はベイシティローラーズの人気が全盛の頃、ビートルズといえば何年も前に解散しているバンドであった。それでもビートルズの人気は決して下火になっているとはいえず、それなりに知名度はあった。僕の返事を受けたおじさんは、へえと言いながら、「ビートルズかあ・・・新しいのはオレにはよく分からないなあ。ところでよお、お兄ちゃんはエルビス・プレスリーって知ってるかい?」と話を続けた。名前だけは知っています、と僕は答えた。おじさんは懐かしそうな表情で言った。「ビートルズなんかより、エルビスの方がすごいぞ。オレの青春時代っていったら誰も彼もがエルビスを聴いてたもんだ」そうなんですか!と僕は言った。そうさ、エルビスに敵う音楽なんてないよ、とおじさんはしみじみと言った。そして、おじさんはズボンのポケットから100円玉を一枚取り出すと、ジュークボックスにその硬貨を入れ、感慨深そうにボタンを押し、「これだよ、これ・・・ラブ・ミー・テンダーさ」と呟いた。Elvis Presley 「ラブ・ミー・テンダー」http://www.youtube.com/watch?v=HZBUb0ElnNYエルビス・プレスリーBESThttp://item.rakuten.co.jp/hmvjapan/2505743/なんというか、当時の僕には、この歌の良さがサッパリ分からなかった。あまりにも古すぎる感覚の歌のように感じたから。焼肉屋のおじさん、ごめん(笑)。でも、今聴くと、なんて素晴らしい歌なんだろうと、しみじみと思う。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.12.26
「音楽と出会わなかったら、たぶん私は自殺していたと思う」(ジャニス・ジョプリン)美人は、生まれ持ったその容姿ゆえに、ただ、それだけで得をしているという人がいる。反対に、不美人はどうだろう?生まれ持った、その容姿と不器用さゆえに、ただ、それだけで、損をしているという人もいるかもしれない。しかし、だ。僕は決して、そうは思わない。なぜなら、これから紹介する、あるひとりの女性のような実に魅力溢れる人物も、この世には確かに存在するからだ。高校生の時に、学校で一番の ”醜男” を決めるコンテストで栄えある第一位に輝いた経歴を持つ彼女。勿論、彼女は ”女性” である。決して美人ではないが、女性なのである。そんなコンテストで一位に選出された屈辱は、ユーモアとか、ジョークを超え、計り知れない大きなダメージを彼女に齎したであろうことは想像に難くない。当たり前の話。彼女は醜男などではないのである。普通の、女性なのだから・・・たとえ、醜いアヒルの子のような容姿をしていても。そんな彼女が20代に、世界中から注目される歌手になる。1960年代の中頃のこと。魂の底から振り絞るようなその歌声は世界中の人々を魅了し、皆が惜しみない喝采を送った。後に彼女の存在は ”白鳥の歌” として歴史に刻まれることになる。いまもなお彼女の歌声は、世界中の多くの音楽ファンの心に火を灯し続けている。彼女の名は、ジャニス・ジョプリン。Janis Joplin ジャニス・ジョプリン「 Little Girl Blue 」http://www.youtube.com/watch?v=FVpDOIPx_sY僕が↑の歌にはじめて出会ったのは高校一年生の時。テレビ番組で「ロックの歴史」みたいな番組を放送していて、その中で上の映像を見たんですが、かなり衝撃を受けたものでした。あの時以来、いまだにこの歌を聴き続けているんです。すばらしい歌だと思います。ジャニス・ジョプリンJanis Joplin ベスト盤CDhttp://item.rakuten.co.jp/hmvjapan/2660803/メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.12.19
日記を訪問してくれた人達の中で、どれほどの人達が事の本質を理解してくれたのか。別にそんなことはどうでもいい。少なくとも、僕は自分自身に対してきちんと対峙したのだから、少なくとも自分だけは、分かっている。それでいいんじゃないかな、と思うし、それが最も大事なことなのかもしれないとも思う。一体なんの話かといえば?、12月12日から約一週間に渡り、メインのブログにおいて、自分なりにテーマを絞り、ある種類の音楽にまつわる日記群を発信してきました(ちなみに今日は12月18日)。そうした日記を連続して発信することで見えてきた何かがあるように思います。その何かとは?これは説明が難しいというより、言葉にして云々というのは野暮ったい気がする・・・かも。兎にも角にも、それなりに自分にとっての成果を齎したことだけは事実とだけ記しておきましょう。で、一体どんなテーマで日記に向かってきたのかというと、それを改めて記せば、”あなたの魂に激しく揺さぶりをかけ、背中を後押しする歌”これが、自分に与えたテーマとして、まず始めに念頭にあったのです。”あなたの” なんて書いてますけど、実際のところは ”自分のため”。これが正しい。まあ自分でいうのもなんだけども、こうしたテーマで曲を選定するって、意外と難しいんです。好きな曲を選ぶだけのことじゃないか?なんて言われればそれまでかもしれませんが、いえいえ、そればかりでは決してすまないのです。現在の自分自身の心のありようと深く関わってくる事柄だからです。いま、自分の背中を後押ししてくれる、そんな歌というのは、一体どのような歌だろう?そうした自問を真摯に己に課すことで、少しずつ、見えてくる大事な事柄って、確かに、ある、からなんです。僕は、確かに、それらの歌の数々と対峙することで、自分自身の背中を後押ししてもらった。それだけで、とても、ありがたいことだと思う。ということで、ここ一週間に渡り日記を通じて紹介してきた素晴らしい歌の数々を、以下に再アップすることにしましょう。歌の紹介に付随した日記文章は割愛させて頂きます(長くなるから、笑)。-----------------------------------------------------------------ボブ・ディラン「ライク・ア・ローリングストーン」http://www.youtube.com/watch?v=uRVTu2rDTq4ボブ・ディランBESThttp://item.rakuten.co.jp/asahirecord/00000498117/-----------------------------------------------------------------ザ・スミス 「Big Mouth Strikes Again」http://www.youtube.com/watch?v=Igg_2ZqyMzQ&feature=relatedザ・スミスCDhttp://item.rakuten.co.jp/pandf/10314950102/-----------------------------------------------------------------Manic Street Preachers「Motorcycle Emptiness」http://www.youtube.com/watch?v=ZmVktKMrjLwManic Street Preachers マニック・ストリート・プリーチャーズ 「Generation Terrorists」リマスタリング再発売CD http://item.rakuten.co.jp/hmvjapan/3546069/-----------------------------------------------------------------モリッシー 「Hairdresser on fire」http://www.youtube.com/watch?v=i74bHmaPhW4&feature=relatedMorrissey モリッシー 「Bona Drag」http://item.rakuten.co.jp/hmvjapan/168314/-----------------------------------------------------------------LEON RUSSELL 「 A Song for You 」http://www.youtube.com/watch?v=qzl_3HNgQwsLEON RUSSELL 「Stranger In A Strange Land」http://www.youtube.com/watch?v=Hjy7RAu8TJ4&feature=relatedレオン・ラッセル(Leon Russell)BESThttp://item.rakuten.co.jp/gdc-miracle/309709702/-----------------------------------------------------------------ミューズMuse 「君の瞳に恋してる Can't Take My Eyes Off You」http://www.youtube.com/watch?v=cMU316ixzc0&feature=relatedミューズ(Muse)楽天市場商品案内サイト ←気合入れてクリック!!!-----------------------------------------------------------------Indian Dreams - Sacred Spirithttp://www.youtube.com/watch?v=zpRNjoL-BjM&feature=related「Indian Dreams & Spirits」http://item.rakuten.co.jp/hmvjapan/3548330/ -----------------------------------------------------------------メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.12.18
今日で すべてが終わるさ今日で すべてが変わる今日で すべてが報われる今日で すべてが始まるさ(SION「春夏秋冬」 泉谷しげる作詞作曲)http://www.youtube.com/watch?v=TAXA9YgOOr4ここ数日間、仕事で疲労困憊していた自分を支え鼓舞してくれた歌が、このSIONの「春夏秋冬」。魂の叫び、というのは、こういう歌をさしていう。熱い歌というのは、こういう歌をさしていうのです。SION「春夏秋冬」http://item.rakuten.co.jp/guruguru2/tecn-35861/SIONの「春夏秋冬」を聴き、そしてこの歌の映像を見て汚い格好してるな、とか、何を格好つけてるんだなんて思った人、何も感じない人、魂を揺さぶられない人は、---生きていない人---生きていることの ”疲れ” も ”骨の髄まで震えるような孤独” も、そして心の底から ”明日への希望” を求め内に宿したことのない人。もし、いま自分の未来に如何なる光も見出せない方がいたら、この歌の魂の叫びに心から共振してほしいと思います。そうすれば、いつか、必ずや、道は開けるはずです。光に包まれるはずです。ちなみに、この名曲を作詞作曲した泉谷しげるさんのお父さんは東北の人。実に素晴らしい歌、永遠の名曲です。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.12.04
いま聴いている歌が、「シザース・カット」というタイトルの歌。アート・ガーファンクルの歌。忘れた頃に、ふと、無性に聴きたくなる歌です。人には、きっと誰にだって、一人で泣きたくなる時や、静かに、ただ静かに、なにか大事な事柄に向き合いたくなる時ってあるでしょう?そんな時に、聴きたくなるのが、僕にとって「シザース・カット」という歌。you tubeで映像を探したのですが、残念。こんなにも名曲なのに、信じられないくらい希有なる名曲なのに、見つけることが出来ませんでした。よって、日記からダイレクトに音源を紹介できず非常に残念。サイモン&ガーファンクル解散後に、アート・ガーファンクルが発表した無数の曲の中で、他の追随を許さぬほどに怒涛の如き形容し難きほど屈指のバラード、まさに彼が残した最大の代表曲・・・・・永遠の名曲。先ほどから、20回以上、くりかえし、聴き続けています。あなたも聴きたいですか?もし機会があったなら、プレゼントしましょう。希望する方へ。この歌を。ただ、大人の心の痛みを知っている方へだけ、にです。心の底から癒しを欲している方にだけです。耐え難き日々の軋轢の連続に降り注ぐ土砂降りの雨の冷たさを知り、そして、ひとりで涙を流す夜を知っている人にだけ。それ以外の人にとって、この歌が至福の響きにも、天使の歌声にも聴こえてこないことは確かでしょうから。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.11.12
美の極みが、至福の音色を伴い燦燦と降り注ぐ・・・まさに、そんな音楽、そして映像。サラ・ブライトマンが詠う「青い影」。奇跡の如し旋律、彼女が立つ舞台に永遠が宿っています。「青い影」 サラ・ブライトマンhttp://www.youtube.com/watch?v=AidojLd-E7E本当、素晴らしい映像・・・雪の結晶のような、宝石のような月の光に包まれるかのような、そんな美しさの極み・・・・・。とはいっても、上の映像、音はyoutube発信によるものであるために、それ自体は鮮明さに欠けるものです。当然、これは視聴目的としてのみ鑑賞に堪え得る、そんな程度の品質だから。本当の、この歌の女神の如き美しい響きに出逢いたいのなら、あなたは、この音楽DVDそしてCDを購入しなければならないでしょう。ラ・ルーナ・コンサート (映像DVD)http://item.rakuten.co.jp/guruguru2/tobw-92046/ラ・ルーナ (音楽CD)http://item.rakuten.co.jp/asahi-record/00000775211/文句なしに傑作、言葉にならないほどの感動につつまれる永遠の名盤です。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.11.10
”花に嵐のたとえもあるさ”(↑誰の言葉でしたっけ?ちょいド忘れ)さて。あの、ローマ法王でさえ、過去に誰かを殺したくなったことがあったと吐露というか告白したことがあるという。何世のローマ法王かまでは覚えていませんが、何かの本に書いてあったんですよ。神に一番近い場所で仕事に殉じている人物たちの、その頂点に立つ人物でさえ、殺したくなるほど誰かを軽蔑したことがあるというのだから、まあ、そうした感情というのは人間にとって別に異常なことでも何でもなく、そればかりか実に自然なことでさえあるといっても決して過言ではない。当然の話だと思います。人間なのだから、いきているのだから、いろんな人がいるのだから、誰にとっても、人生いろいろ(by島倉千代子)あるのです。たとえば僕って普段、いろんな人から、「いやあ純朴な方ですね」とか、「真面目な人、素直な人だなあ」なんて言われることも、ごく稀にあるのだけれども、それはハッキリ言って、僕という人間の表層の部分でしかないことも事実だったりします。ローマ法王のような聖人でも何でもない、一介の生活者の僕が、純朴なだけの生命体であるはずもなく、いや、もっと言ってしまえば、限りなく邪悪な側面をひた隠しつつ、そこはかとなく静かに淡々と目立たないように生きているだけに過ぎないわけで、きっと、この日記を今読んでくれている、あなただって、似たようなものでしょう?。兎にも角にも。世の中、不景気で大変なことは確かですが、その一方で僕は、とても安堵のため息をついていることも確かだったりもするんです。それは一体どうしてか?バブルの頃とか、その後もしばらく、関連業者の方々の中に時折存在していた、かなり胡散くさい人たちとか、他人の迷惑も顧みないアグレッシブな程に人迷惑な人物とかが、殆ど、ここ数年で、汚職やら云々云々の発覚で消えていったから。今、残っている業者さんたち、その中で働いている人たちって、まともな人たちばかり。不景気で大変なことは大変なのだけども、「なんで、こんな人迷惑なバカが世の中に存在するのだ?!?!」とコチラが殺気を帯びつつ、つい頭に血が上ってしまう人たちと仕事上で出会うことが殆どなくなてきたことだけ、それだけが救いといって良いと過言ではない。そういう意味で、現在、確かに不景気で大変なことは確かですが、少しずつ生きやすい世の中になってきたという実感はあるんですよ。これからも、どんどん世の中の膿み出しが進んでいってほしいなあと思います。そう思いません?。仕事上でも何においても、腸が煮えくりかえるようなことが沢山あろうとも、あえてそこを、煮え湯を飲み込みながら無言で淡々と生きている多くの名もなき一般ピープルは、皆、そう思っているような気がします。ってことで、明日も多忙な一日が待っている。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.10.28
昨夜、他者の存在に対して、至福の光に包まれますようにと願ったら、なぜか今日、自分が美しい光と出逢ってしまいました。言葉になど出来ないくらい、美しい光景の中に自分がいるのを感じながら、喜びでいっぱいになりました。なんか、不思議な一日でした。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.10.18
一流の音楽家であれ画家であれ建築家であれ、第一線で活躍するほどの才能に恵まれた人物というのは、実に繊細な魂を抱えているものです。表層的には、いつも笑顔を絶やさぬ人であったとしても、内面の様々な感情の機微は常人には計り知れないものがあります。彼らにとって人生とは細い糸の上を綱渡りするようなものであり、なにかの拍子に訪れた僅かなキッカケで、いつ切れるかも知れぬ危ういものに違いないのでしょう。兎にも角にも、加藤和彦さんのご冥福をお祈りします。長きに渡り時代を築き上げた天才音楽家の魂が、安らぎと共に天上に昇り至福の光に包まれますように。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.10.17
LOVELOVELOVELOVELOVELOVELOVELOVELOVELOVE書いても書いても、追いかけても追いかけても、すくい集めても集めても、手のひらから零れ落ちる。さて昨夜、ある言葉でネット検索したところ、何の因果か?幾人かの見知らぬ楽天ブロガーのサイトにヒットしました。それで、それらの人たちのブログに訪問してみたら、不思議な共通点がありました。”ヒーラー”プロフィール欄に、そうした言葉が記されているという共通点があったんです。なんか不思議。で、腕を組みつつ考えたんです。ヒーラーって何だろう?と(無知で申し訳ない)。兎にも角にも、その正確な意味は僕には分からない。でも、なんとなく分かることは、ひとつある。たぶん、僕にとっての最大のヒーラーというものがあるとすれば、それは、 僕らが生きているこの世界や、もっと広く広大な宇宙に流れ息づいている神聖な ”何か” 。形容し難き何か、説明のしようのない何か・・・であると同時に、愛にあふれた大いなる無限大の流れを秘め、その流れにパーフェクトに沿った、永遠とつながる何か。これに尽きるだろうなあ、と。なんとなく、そんな気がします。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.10.14
高校生の終り頃の冬に何度も見た映像。モノクロームの世界に、今はもう帰ることのできない青春の季節が刻まれている。脆くも美しい季節に響く、これは ”永遠” という名の至高の詩だ。http://www.youtube.com/watch?v=wf2oHzc_Lfcでもって次の歌も同様に、振り返ることは出来るが、そこにあったところに戻ることは失われたことに等しい、そんな季節への魂の叫び。http://www.youtube.com/watch?v=7eFZpm5Qu4oメインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.10.11
子供の頃に読んだ外国の小説で「群集」というタイトルの短編小説がありました。作家の名はレイ・ブラッドベリ。正確な内容はあんまり覚えていません。しかし、子供心にも強烈な物語だったように記憶しています。なにか事件が起こると、必ず、その周りに沢山の人々が群がる、簡単に記せば、そのような話でした。それでこの話の面白いところは、たとえば交通事故が起こるとします、はたまた殺人事件が起こるとしますよ、そうした事件の周囲に群がる人々が、実に奇妙なことに、なぜか、いつも同じ人物達ばかりという点。この話と似たような物語を、数年前に世界中で公開された外国映画でみたことがあるんです。その映画のタイトルを今、思い出せません。ウィノ・ライダー主演のキリスト教の歴史と深い関係のある物語でした。キリストが磔にされた時に、その光景を周りで見つめていた傍観者たちが、時空を超え、現代にもそのまま生き続けている・・・残酷な輪廻の如くに、変えることの出来ない運命の歯車から抜け出すことが出来ない。彼らは永遠に傍観者であることの課され続けるのです。キリストが処刑される光景を傍観していたという、その一度の過ちのために。それで、彼らは、どの時代に生きていようとも、何か事件が起こると、その場に群がってゆくのです。で、何をしているのかというと?ただ、見ているだけ。そんな風に、全く同じ顔をした人々が、中世からヒトラーが暗礁した世界大戦、そして現代に至るまで、事件がある場所、どこにでも姿をあらわす。ざっと書くと、そんな話でした。数時間前にメインの日記の中でリンクを貼ったinfoseekサイト記事を読んだ後に、ふと、上に記したブラッドベリの短編小説とひとつの映画を思い出した次第。あんまり深い意味はないんですけども。『オール巨人ブログが炎上』http://news.www.infoseek.co.jp/topics/entertainment/n_weblog/story/20091005jcast2009251021/そういえば話は変わりますが、10年近く前のこと、車の接触事故に遭ったことがあるんですよ。早い話、横から車を軽くぶつけられたんです。でも、周囲に響くくらいの追突音がありました。ものの3分もしないうちに、驚くほどの人々が周囲に群がってきました。彼らは、ただ、黙って静かに、追突した二台の車を見つめている。なんとなく異様な感じがしたものです。その時にも、ふと日記の冒頭に記したブラッドベリの書いた物語を思い出したものでした。で、思うんですけどね、”群集”ちっくな奇妙さ、そうしたストレンジな感覚の輪廻から抜け出す術があるわけです。その、ひとつが、愛。そして、もうひとつが、勇気。他にはなんだろう?・・・・・難しいですね。まあ、いろいろあるような気がします。まあ兎にも角にも、ブログ炎上とか2ちゃんねるとかに群がるのって、あんまり格好いいことではないと思います。ああ、そういえば1970年代に作られた古いイギリス映画に「遥か群集を離れて」なんてタイトルの名作がありましたっけ。実に味わい深い素晴らしい映画でした。思い出すだけで感慨深い気持ちになれる映画・・・永遠の名作。久々にあの映画を思い出している、今夜は雨の夜です。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.10.07
何の因果か、人がこの世に生を受け、己の命を全うすべく ”生きる” ことを余儀なくされることでさえ、実は、自分が選んだ因果だといえる。しかし、すべては、旅の途中であることも確か。旅、魂の旅・・・実に壮大で人智を超えた眩い光の至福そのものへ至るまでの修行の旅。永遠にも似た気の遠くなるような時間の流れの中で、果てしなく続く旅。人生には実に摩訶不思議な出来事が起こる。デ・ジャヴやシンクロニシティと人が呼ぶ様々な不思議な体験のエトセトラに限らず、形容や名称に汲みいる努力など何ら意味も成さないほど神々しく神秘的に感じる摩訶不思議な現象が起こったら、それはひとえに約束の地へ向けて囁かれる神の声と想って間違いない。だから本来、人が、この世を生きるということは、なんら不安なことでも怖いことでも何でもないわけだ。微笑みながら前に進んでいれば、そして感謝の心を内に大きく抱きながら、水の流れように前に進んでいれば、何の問題も起こらないのかもしれない。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.10.04
人間、ひとりひとり、様々な課題を内に秘めて、この世に生まれてくる。また、人がこの世に生を受け、生きるということは、決して、それだけの意味に収束されるわけでもない。この地球上で輪廻を繰り返すこと、だけ、が、人がこの星に生まれてきた理由ではない。次元の高い魂を持った人にとって、この地球は、たまたま寄ってみただけに過ぎない、永遠の旅の中の、ひとつの流れの過程のヒトコマに過ぎないと考えることは十分に可能だと思うからである。たとえば、子供がいても、不幸な人は無数にいる。子供が五体満足に生まれたにもかかわらず、その幸せを味わい共有することなく、虐待に走る親も無数にいる。そうした親たちにとって、この地球は地獄。いや、殆どの人にとって、この世というは地獄における修行のようなものなのかもしれないし、今、仮に、子宝に恵まれなかった人がこの日記を呼んでくれているとして、その人は、他の大多数の人たちより少し早く、もとに自分がいた宇宙の流れや光に戻ることが出来るというだけの話なのかもしれない。なんてことを、さきほどにメインのブログに舞い込んだ一通の私書箱メールを読みながら考えた次第。かなり、考え込んだメールだった。子供に恵まれなかったという、ある女性からのメールであったが、僕はその人の生き様に、それがどのようなものであれ、悲しいものであれ楽しいものであれ、どんなものであれ、心に染み入らずにはいられなかったことは確かだった。なにはともあれ。いつか、あたたかい光に包まれる至福の瞬間が訪れるまで、それまでは楽しくこの地球上で、沢山の仲間をつくり、共に笑顔で生きたいものだと思う。メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.10.02
心を磨き続けることで得られる、普遍性という名の赤子・・・燦燦と輝く林檎の色彩のように微笑む。魂を磨くことで得られる、と言い換えてもいい、その至福に換えられるものなど他には何もないだろう。自分の心の中心を磨きながら、生を重ね、水の流れのように前に進んでゆくということ。これは誰にでも出来ることではない。少なくとも僕には非常に難しいことだ。熾烈を極めるほどに。自分の年齢を重ねてゆく中で少しずつ着実に己を成長させる術を知っている者こそ、真の意味での、賢者というものなのではないだろうか。そして、そうした者こそが結論からいえば、本当の、人生の勝利者となるのではないだろうか。永遠の海原に触れるように美しい流れへ、そのような金色に輝く流れに自らが在るために必要なこと、それが=心を磨きつづけるということに違いない。そんな気がするのだが。ちがうかな・・・。アルチュール・ランボーよ、あなたはどう想う?メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。
2009.09.28
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