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休日と言えばごっこ遊び。父さん + 休日 = ごっこ遊びいくら「映画に行こう!」「公園に行こう!」「~でイベントがあるらしいよ。行ってみよう!」と夫婦で誘ってみても,ウリッチは「家にいたい。」理由は火を見るより明らか。父さんとごっこ遊びがしたい。たとえ,まんまと(?)外へ誘い出して,1日遊んだとしても,ごっこ遊びをしていなかったら・・・夜になって間違いなく「今日,遊んでない!!」と怒りだす。親からすると1日時間をかけて遊び回ったという気がしていても,ウリッチにとって,父さんとのごっこ遊びをしていなかったら,「遊んでない!」となる。昨日は,昼間ぶっ通し3時間のごっこ遊び。主には家族ごっこだった。昨日のぼくの家族にはパンダのぬいぐるみ“パンダくん”がいた。設定は高校2年生。時は夏休み。午前中は勉強をして過ごし,午後からは”笹の会”にお出かけ。笹の会には,近所のパンダのミニお手玉”ミニパンくん”が出席。わが家にはパンダがこの2体なので,参加者は2名。笹の会プログラム 1 始めの言葉(ミニパンくん) 2 歌「パンダよ永遠に」 3 椅子取りゲーム 4 猛獣狩り 5 会食 6 終わりの言葉(パンダくん)1,始めの言葉ミニパンくん,緊張しつつステージへ(「誰もいないのに?」とここで軽くジャブ(^^))「みなさん,今日はようこそ・・・」(と,ここであえて「みなさん」でボディーブロー)「今日は,友だちをたくさん作ってください。」(と,アッパーカット)プログラム2歌完全アレンジ(二度と歌えない)の「パンダよ永遠に」を熱唱。「え?今作ったん?」と,大爆笑しながら,ウリッチから思わぬ「すごい!」という感想をいただく。プログラム3「椅子取りゲーム」1人は音楽担当なので,やるのは1人。まともにやっては,確実に座れるということを何度か繰り返す。プログラム4「猛獣狩り」おなじみ猛獣狩り。出てきた猛獣の文字数だけ集まって座るという,単純なゲーム。もちろん,リーダーが1人で,やるのは1人。お約束で,「パンダ」「ライオン」など,数文字の動物を登場させ,ウリッチノックアウト寸前!罰ゲームは,しり文字。プログラム5「会食」パンダくんの母さん,カメさん手作りの笹プリンに舌鼓。プログラム6「おわりの言葉」「みなさん,今日は楽しかったですか?」(と,だめ押しで「みなさん」を使っての顔面ストレート!!)「今度は,友だちが増えるといいね。」(と,最後はちょっと哀愁に満ちた一言で,ウリッチをノックアウト!)こんなことをしながら3時間。やり始めると,時間はあっという間に過ぎていきます。ところが,一度時計を見てしまうと,全く時間が過ぎなくなるから不思議。3時間で限界を感じたぼくは,ウリッチと散歩に出かけました。こんなことしてるから,休日は放してくれないんだなあ・・・
2011.11.28
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ここの所,子育てについて思うことがあります。子育ての極意とは何か?それは,“親になる覚悟を決めること”これに尽きるのではないかと確信しています。世の中,日に日に便利になっています。車も,気が付けばマニュアル車に乗るためにわざわざグレードの高いモデルを選択しないといけなくなった。つまり,オートマが主流。カーナビも手軽に手に入るようになり,かつて,重ステ(この言葉,理解してもらえるのでしょうか・・・)のマニュアル車を,「えい!やー!」と気合を入れて運転していたことが夢のようです。今は,片手でもラクラクに運転できる。重ステ時代,片手で駐車場での切り返しをするなんて考えられませんでした。でも,「俺が運転してやってるぜ!!」感たっぷりでした。今は,どちらかというと乗せてもらっている感じ。身の回りを見れば,あれもこれも自動になり,とても便利。やってもらっている感いっぱいの物に囲まれての生活です。人間は,楽な方楽な方へ流れるもの。もっと便利に,もっと快適にと,何もかもが進化してきました。今,世の中を見回すと,あれもこれも人のせいにしているような気がしてなりません。でも,これって自然な流れなんだと思います。だって,便利さを購入して,やってもらっている物に囲まれれば,人間,自分の頭を使わなく。提供されるサービスをただ受け身で使っていると,何か問題が起これば人の責任にするしかない。重大な欠陥商品なら非難されるのもしかたありませんが,いつからか,「そりゃ,親の管理責任じゃないだろうか・・・」と思うような事故が企業の責任になり,「え!そんな注意書きまで必要なの?」と思うような注意書きがあれにもこれにも付き始めました。「人のせい」文化は,便利さとともに拡大してきたと言っても過言ではないのではないかと思います。その究極が,世界も驚く日本の首相交代の早さ。誰が立ったって,悪いことをすべて首相のせいにしてしまい,辞任に追い込む。どうして,「思想が違うところはあるけど,私ができることで協力します。」っていう考えの人は出てこないんでしょうか??これじゃあ,誰が立ったって,結果は火を見るより明らかですよね。話が大きくなりすぎたので,一気に子育てへの思いに引き戻しますね。今の時代,個人の自由が尊重されてますよね。親だって人間。楽しみたい。そりゃ僕だって重々わかります,その気持ち。でも,親になったんです。ぼくは,子どもが自分の頭で考えて,人のせいにするんじゃなくて,自分の責任を持って人生を楽しむことができるようにしてあげないといけないと思っています。だからこそ,子どもの要求する遊びにはできるだけ付き合うようにしています。ぼくは,おもちゃは便利であってはいけないとかねがね思っています。自分の想像力を働かせなけりゃいけなかったり,親が一緒に遊んであげないと楽しくなかったり,親が一緒に遊んであげないとちょっと危険だったり・・・子どもの最高のおもちゃは母親の手だと,おもちゃコンサルタントの資格を取る勉強をしていた時に学びました。仕事で疲れて一人になりたくても,父さんと遊びたいと言われれば遊ぶ。人間,人のせいにしていては,決して幸せは訪れません。子どもの幸せを願うならば,子どもには自分の頭を使って遊ぶことができるよう,親が支えてあげないといけないんじゃないかなあ。やってもらうことの多いおもちゃや,想像する余地の少ないリアルなおもちゃは,結果的には子どもによくないんじゃないかなあ。ぼくが怖いと思うのは,不便だったころのことを知らない人が便利なことに慣れきっていってしまうこと。マニュアル世代のぼくたちだから,ついついハウトゥを求めてしまうけど,結局,子育ての極意は,“親になる覚悟を決めること”これに尽きるんじゃないかなあと思います。久々のブログ復帰の次の日に,なんだか重たい話を書いてしまいましたが,最近のニュースを見ていると,どうしても書きたくなってしまったので・・・ここまで読んでくださった方,ありがとうございました。つれづれなるままに書いてしまいました。
2011.11.01
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