人間だものヽ(´ー`)ノ

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宗教と幸福





2003/10/11
僕も特定の宗教に熱心な訳じゃないけど、自分の中で葛藤しながら、内的宗教をつくってると思う。

本当は、個々人が内的宗教を作るのが目的で、教義ってその手段でしかないのに、その教義を守ることだけに目がいって、それを目的としてしまうと、他人に対して押しつけがましくなっちゃうのかもしれないね。



2003/09/28
『A2』を観はじめる。でも躊躇した。
『A』を観て、自分はあちら側の人間だと思ったからだと思う。



『A2』を見終わった。
とても悲しく、恐ろしく、そして少しの救いがあった。
世界は、岸を目指しながら、実際は自分たちが思っているより岸からは遠く、そして遠ざかり続けている。そして多くの人がそれには無自覚で船長はいない。

とらえどころのない感情を抱えながら、中華屋でビール2杯とレバーと野菜の炒め物定食。

半身浴をしながら、『A』『A2』に入っていた冊子を読んだ。
混乱。ひたすら混乱している。
行ってはいけない、でも行かずにはいられないのだ。
僕はオウムには興味がない。
自分の中の正義に従い、自分に責任を負い、生きていくだけだ。責任逃れはできないのだ。少なくとも自分にだけは責任を持つ。そう決めた。

オウムとして一括りにされ、「=悪」とされる抽象的なものと、オウム信者個人の具体的なものは全く違うのだ。信者個人は素朴で不器用で真面目で、不条理に気づいてしまった人たち。そしてその「個」と触れ合うことで、何かに気づいた監視テントの人たち。触れ合おうとするが権力に阻まれる右翼民族派。触れ合わずに罵声を浴びせる一見普通な人たち。
いったい何が正義で、何が悪なんだ?
一見普通な人たちがファシストに見えるのはなぜだ?
オウム=悪、これこそがプロパガンダではないか?

すべての判断は受け取る側にゆだねられる。インプットを認識し、判断するのはすべて受け取る側なのだ。作為的なインプットを認知するのも受け取る側なのだ。自分に責任を持とう。現在に、未来に責任を持とう。過去はもう過ぎ去ったから、仕方ない。

日記を書きながら、ふと頭の筋肉がひどく緊張していることに気づいた。そう力むことはない。ただ自然体で在ればいいのだ。
ふぅ。



2003/09/25
帰宅してから『A』を見た。
オウム真理教のドキュメンタリー。
残されたオウムの信者たちは、敏感な、真面目な人々なのだろう。
敏感すぎるが故に、真面目すぎるが故に、社会の矛盾と苦痛を感じやすくて。タイミング、悪かったんだろうな。

社会の恐ろしさが際だつドキュメンタリーだった。

「僕らはあの事件からまだ何も学べていない。」
偏見に囚われた人々にとって、この言葉が、観る前と、観た後で、大きな変化をすると思う。そしてきっかけになると思う。



2003/09/07
多くの人が平和を願えば、平和な世の中になる。
僕は本気でそう思っていたりする。

キリスト教徒は神を信じ、イスラム教徒はアラーを信じ、日本には八百万の神が居る。
でも、その視線の先は同じで、宗教という磨りガラスや鏡によって屈折した光を見ているだけで、その先には平和に幸せに生きていきたいという意識の集合体があると、僕は思っている。
その意識の根元にあるのは愛かな、と思う。
それに気づいたのはジョンレノン。
All You Need is Love!

キリスト教には「汝隣人を愛せ」なんて教えがあるのに、なんでアメリカはアラブを隣人と思えないんだろう。
宇宙の中で見たら、アメリカとアラブの距離なんて隣人というか同じところに住んでる家族みたいなものなのに。悲しい。



2003/07/31
ジョンレノンもイエスキリストも、妄想家ではなかったんだ。
彼らには本来人間が持っていた性質が備わっていたのかもしれない。
僕たちはそれを持っていることに気づいていないがために、使いこなせないだけなのかもしれない。気づかない方が楽だから気づかないふりをしているのかもしれない。
『All You Need Is Love』であり、『汝、隣人を愛せ』だ。だが、自分すら愛せないものが他人を愛すことができるだろうか。まず、自分を愛すことが必要なのかもしれない。

僕はうつ病になって幸せだ。もちろん日々の生活は苦痛なところもある。
でも、僕は僕を見つめ、僕は他人を見つめ、僕と他人の関係を見つめ、世界を見つめ、自分を再構成する機会を与えられたのだから。


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