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☆その1の続きです☆
さて、骨っちゅーもんは、自力で歩かないと再生していかないものらしい。
装具が外れてわずか一週間後のレントゲンで、目覚しく骨の白い部分が増えていた。
装具を付けて歩くのにも慣れむくまなくなっていたけど、自力歩行が始まるとまた毎日むくむ。会社帰りは靴がパンパンで辛い
でも・・・歩くのってこんなに凄いことだったんて、事故前には分からなかった。
歩ける事がこんなに素敵なことだったなんて、考えた事もなかった。
なぜだか分からないけど、以前は青の点滅が始まった信号を見ると走って渡っていた。なぜあんなに急いでいたのか、、、
今はのーんびり、一歩一歩歩いている。
事故前とは明らかに違う自分がいると感じる。
ベッドにはり付け状態になった時、あぁ、もう全て受け入れるしかないと思った。
牽引されてる部分が痛くて痛くて、痛みに集中していた。他の事を考える暇がなかった。そしていつしかいつも今にいるようになった気がする。
入院中、周りの人の優しさをひしひしと感じた皆心配してくれて、次から次へとお見舞いに駆けつけてくれた。
事故前、会社でも無機質な人間関係に毎日ため息し、何かいつも満たされない気持ちを抱いていた。
しかし、入院中、会社の人が毎日代わるがわるお見舞いに来てくれた。何度も会社帰りに寄ってくれた人もいた。友達も、そして来てくれる事はないだろうと思っていた従姉達も片道1時間以上もかけて来てくれた。
私ってこんなに愛されてたのかぁ~~と心で感じた。感動した。あったかくなった
それから自分が徐々に変わっていった気がする。
手術翌日から車椅子に乗る事ができ、意のままに動けるようになって本当に嬉しかった
廊下ですれ違う、他の患者さんに自然と笑顔で挨拶する。
そして、ある夜、廊下で車椅子に乗ったおばあさんと、その車椅子を押している娘さんらしき女性と遭遇。私は「こんばんは~」と挨拶をした。あちらもとても品のいい感じで挨拶を返していただいた。そして娘さんが「あなたの笑顔は本当に素敵ね、こちらまで明るくなります」とおっしゃって下さった。
その時はっとした。そんな事言われたことなかったから。
きっと自由に動けるようになって嬉しいという気持ちが全身で現れているのかもしれないと思った。
事故後、思ったこと、というか感じたこと。。。
私は自分以上にも以下にもなれないということ。
そう自分のどこかで感じてからは、仕事でミスったりしてもくよくよしなくなった。その代わり、ミスをしない為には、、、とすぐに対処法を考えるようになった。
事故後はまず足というか痛みに集中、そして退院後は独り暮らしで不自由だったので生活のひとつひとつの動作に集中、おまけに仕事は忙しく、余計なことをあまり考えることなく4ヶ月が過ぎてきた。
そして今・・・会社の人間関係は良好、新しい業務もなんとなくこなせるようになってきた。
以前のようにストレスで馬鹿みたいに過食することも減ってきた。私の空虚な部分がかなり減ってきたような感じ
それから、あまり物事にこだわらなくなってきた。シンプルに考えられるようになってきたし、、、
とにかく、以前と違って楽しい感が増えているかも。ステキだな~って思うことが増えてきた。
生きるってことは、身体全体で表現していくことなんだーーって。
頭でごちゃごちゃ考えてるだけじゃだめなんだって。
そうそう、上手く書けないんだけど、そういう風なことを最近いっぱい心っていうか、もっとその奥で感じている毎日。
私の足首、左と比べてかなりぶっといくびれがないってこのことよね~って感じ。
ちょっと足の角度も曲がってしまった。先生曰く「変形は残っちゃうわね」って。
そしてセカンドオピニオンの先生に聞いてみた。「わたし、将来走れるようになりますか」「重症だからね~。小走りくらいかな。」って。
でも~~、今わたしとっても幸せだなって思う。以前よりずっとずっと自由だなって感じられる。何かに縛られてない自分がいる。
幸せって自由ってことなのかな・・・
皆さん、ありがとう愛してまーす 【完】
・・・あぁ、久しぶりに日記を書き上げて達成感