2010/03/27
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○ある方から、「”キリストを信じるだけで人は救われるのです”とクリスチャンの方はよく言いますが、それが私にはどうも納得がいかないんですがね~‥‥」とのご質問をいただきましたので、今回そのことに関して少し聖書のみことばから考えてみたいと思います。最初に一つの例を上げますが、もしあなたの誕生日かあるいは何かの記念日に、あなたの親友からすばらしいプレゼントが贈られたとします。その時、あなたはどうなさるでしょうか。あなたが素直な方であれば、多分嬉しそうに笑みを浮かべて、「ありがとうございます!」と言ってそのプレゼントを喜んで受け取るのではないでしょうか。

 もし、あなたが「それはとても高価なものですから、今お金を払いますから、ちょっと、待ってください。」と言って財布を出してお金を払おうとしたら、相手の人には大変失礼になりますし、その方はとても不愉快な気分を味わうに違いないと思います。あなたにそのプレゼントをしてくれた贈り主はそれを素直に感謝して受け取ってくれたらそれが一番嬉しいのではないでしょうか。贈り物は、何の代価も払わないで、いただくからこそ、それは贈り物であり、プレゼントなのです。お金を払っていただくプレゼントなどあり得ないのであります。プレゼントを贈る人は、相手が何をあげたら喜んでくださるだろうかといろいろ思案し、それを受け取った人の喜ぶ顔を見て嬉しくなるのです。

 「救い」の問題を考える時に、最初に知らなければならないことは、聖書が教える救いは、対人関係の悩みとか、苦しみ、貧しさ、病気の苦しみ、不安と孤独感などからの救いではなく、罪と死後の神の永遠の刑罰からの救いについて語っているのです。聖書の福音は、単なるご利益宗教とは違います。これが分からないと、救いも福音も分からないということになります。そして、「信仰」というのは、神様から送られたプレゼント(贈り物)あるいは「恵みによる救い」をいただくために「差し出す手」に例えることが出来ると思います。「手」を差し出さなければその高価な贈り物を受け取ることができないのです。

 愛なる神様は、全世界のすべての人に主イエス・キリストの十字架の贖いを通して「永遠のいのち」という賜物を与えようとして提供しておられるのです。それを感謝して受け取るかどうかは、その人自身の自由意志にゆだねられています。救いは、恵みと愛に満ちておられる神様から一方的に与えられる「永遠のいのち」という賜物なのです。私たちは、その「永遠のいのち」の賜物を「ありがとうございます!」と言って、信じて感謝して受け取るだけでいいのです。それが、聖書が語る単純な福音であり、新約時代の恵みなのであります。それでも、ある方はなおも「でも救われるためには何か慈善とか良い行いが必要ではないのでしょうか。」と言われます。しかし、聖書は下に列記したみことばのように、一貫してイエスを信じる者が恵みによって救われ、「永遠のいのち」が与えられることを教えています。

 救いは行いによらないことを他の例をもって説明しましょう。入場料が10,000円の催し物があったとします。5,000円持っている人が2,000円持っている人に向かって「私はあなたより3,000円多く持っていますよ!」と威張ってみても、いざその会場に入ろうとした場合、どちらも入ることができないのです。その会場に入るためには、そのお金は何の役にも立たないのです。人間の行いも、それと同様に、どんぐりの背比べのようなものであります。聖よい神の前には、人間が自分では正しいと考える善行でさえ、みな汚れた着物のようであると語っており、正義の神の前にはその聖よい基準に達することはできません。ですから、どんなに良い行いを積重ねてもそれによって救われて天国に行くことはあり得ないのです。

 もう一つ、別な譬えを挙げたいと思います。もう大分古い話ですが、外国のある大きなホテルが火事になって、100人以上の方が被災し、亡くなった悲惨な事故がありました。近所の消防自動車が出動しましたが、当時そのホテルには散水装置が備えられていませんでしたので、火はあっと言う間に建物全体に広がりました。ある人は煙に巻かれて窒息し、ある人は窓から飛び降りて死亡しました。このような大惨事になった理由の一つは、消防自動車が出動したのですが、その梯子が短くて救助を待つ人たちの階上まで届かなかったからでした。永遠の滅びから救われる道は、主イエス・キリストの十字架の御死による以外に絶対にないのであります。もし、他に道があるなら神の御子イエス・キリストが身代わりに十字架にかかられる必要はなかったのです。人間のどんな努力も修業も、宗教の力も、あの短い梯子と同じで天国に至る救いまでは届かないのです。

 これは、昔、パウロとシラスという二人の伝道者がヨーロッパで最初に伝道したピリピという町で起こったできごとです。二人の伝道者がキリストの福音を宣べ伝えたために投獄され、その夜、神様の不思議なご介入があり大地震が起こって、その看守が震え慄いて、パウロとシラスの前に跪き「救われるためには、何をしなければなりませんか!」と叫びました。そうしたら、二人は声を合わせて「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と単純明解に答えたのであります。そして、間もなくこの看守の家族はみな救われ、全家族そろって神を信じたことを心から喜びました。救われることは、決して難しいことではありません。あなたの罪を悔い改めて、キリストを自分の救い主として個人的に信じることだけで救われるのであります。あなたも、遅くならないうちに是非、この尊い救いをご自分のものとないませんか。




 ・・・・・hope to see you again・・・・・

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最終更新日  2010/03/27 06:11:18 AM
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