2006年10月08日
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その2、↓続きです

バスに乗って、次に向かったのは統一会堂。
昨日、この前を通った時イェンちゃんが、入り口の門の横にある小さな戦車を指差し、
「あの戦車が、この門を倒して中に入り、無血の統一独立に成功しました」
と言っていたその場所。
1945年6月までの半年、日本が占拠していたが、第二次大戦集結とともに明け渡された。
これもフランス統治下の建物で、全体にアールヌーボーの洋式。
中に入ると、やはり、電気などアールヌーボーそのもの。
「中のクーラーなど、全部フランス製です」
元々は、1880年代に、フランス人官僚のために立てられたそう。
しかし後に、王様(大統領)の居城となった。
今は、海外からの要人がくると、政府との会見などが行われるそう。
それ以前は、長い間、ベトナムの大統領が使っていたそうだ。
部屋は、100以上有る広大な建物。
中には大統領の居室やら、会議室、ベトナム戦争の時に、指令を出した執務室などがある。
すべての部屋には、ふかふかのじゅうたんが敷かれている。
大体、赤の色で、中国製なのか「寿」の字が織り込まれている。
もうひとつ、竜の模様のものが多かった。
赤と黄色、竜は、王(イェンちゃんはそう言うが「王」とは大統領の事と後でガイドブックを見て知った)の象徴で、
他の人は使ったりしてはいけないとされていた。
この日パパは、黒の地に薄い金色で竜が全体に細かく描かれているTシャツを着ていた。
イェンちゃんは、それを見て、
「王様だ!」と大笑い。
それから、ずっとイェンちゃんは、パパの事を「王様」と楽しそうに言っては笑った。

一番上に上がると、大理石に囲まれた板の間に出た。
「ここは王様が、ダンスをしたりした場所です」
そこで少し休憩。
ダンスをしたような場所なのに、窓のそとには、迷彩色のヘリコプターが置かれていた。
売店があり、ミネラルウォーターを売っていたので、購入。
ベトナムは、日本と同じように自販機が設置してある。
パパは、その写真を何枚も撮っていた。
「うちの部品が、入ってるぞ」
!!嬉しかった。
うちのような零細企業の部品が海を超えて、私達の知らない国の街角に、こうして立つ自販機の中に入っているのだ。
「王様、ここまで来て、仕事の鬼」
とイェンちゃんが、可笑しそうに笑った。

そこから一気に階段を降りて、今度は地下室へ。
まるで、軍事要塞のような場所。
古い、軍事通信機が各部屋に設置してあり、迷路のように地下通路があった。
ベトナム戦争の時は、正にここが、司令室だったそう。
壁一杯に、赤ペンやら黒ペンでラインを入れられた古い地図が、何枚も貼られていた。
空調のない地下室は、蒸し風呂のようだった。
地上に100を超える部屋を擁する建物の地下だ。
立ち入り禁止のロープが張られ、まだ、下に沢山の部屋が有るようだった。
地下には、大統領の居室もあり、立派なベッドが置かれていた。
アメリカ軍がなだれ込んで来た時も、すぐに逃げられるように迷路になっているそう。

そこから表に出ると、ベトナムの強い日差しに照らされて、一瞬、目が見えなかった。

さらにバスに乗り、今度は戦争記念館へ。
ここは、ベトナムに来る前から、一番、来たかったところ。
幾つかの棟に分かれて色色な写真や、物が展示されていた。
表には、大きなアメリカの戦車が幾つも置かれていた。
中に入った。
目を覆いたくなるような写真の数々。
アメリカ兵に捕まったベトコン。
その目はうつろだったり、絶望の色が瞳を覆っていた。
中には、足と頭の部分だけ服でつながっている遺体を、誇らしげに銃の先にぶら下げて見せる米兵の写真も。
そして、私が一番見たかった写真が掲げられていた。
カンボジア戦線で狙撃され34歳で亡くなった日本人フォトジャーナリストの沢田 教一さんの撮った、
『安全への逃避』
言うまでもなく、ピューリッツァー賞など、沢山の賞を受賞した、
水の中を母親が子どもを抱き、他の子ども達と逃げる様子を撮った写真。
会えた・・・と思った。
泣きそうになった・・・。
その写真の下には、アメリカが発行した沢田さんの身分証明証があり、彼の写真と自筆サインがあった。
私がこの写真と出会ったのは、多感な中学生の時だったと思う。
世界に配信されたその写真の、
母親が必死に子供を守り、生き様とする姿に、その写真から目を放すことが出来なかった。
彼の写真は度々ニュースや雑誌などで取り上げられたが、最後にカンボジア戦線で、消息を絶ち、
後に、狙撃され亡くなったと知った。
「キリングフィールド」私が、一番ショックを受け、感動した映画は、
このカンボジア戦線の現地通訳カンボジア人と、アメリカのジャーナリストとの実話を映画化したもので、
この映画を見ようと思ったのも、沢田さんのことがあったからだった。

暫くその前から離れられなかった。

そしてもう一枚。
10歳くらいの裸の少女が、農道を両手を広げ、裸足で泣きながら歩いている写真。
この写真も、タイム誌に掲載され、ピューリッツァー賞など、沢山の賞を受賞した。
後にこの少女の追跡調査のようなTV番組を見たが、彼女は今も、元気でアメリカにいる。
沢山のベトナム人の遺体を蹴っている米兵の写真など、本当に目を覆いたくなる写真ばかりだ。
そして極めつけは、枯葉剤を散布している写真と、
ナパーム弾によって焼け野原になった写真と一緒にそこに置かれた、
枯葉剤に影響を受けて生まれた、体のくっついた手の数の無い胎児と、
奇形のホルマリン漬けにされた二つの胎児。
目を背けたくなったが、しっかり見なくちゃいけないと思い、
胸の悪さを押さえ、その哀れな姿をしっかり目に焼き付けた。
反対側の壁には、数々の写真を癒すように、子ども達の明るい色の絵が飾られていた。
イェンちゃんは、中に入らず、表にいた。
若い彼女には遠い戦争なのだろうが、やはり、自国民が酷い仕打ちを受けている写真は見たくないのだろう。

まだ全部見ていなかったが時間が来てしまい、また、私達はバスに乗った。
バスの中で、若い人たちが、よく解らないと私に質問してきたので、ベトナム戦争の経緯やら、
先ほどの写真がどれほど多くの日本人の心に残っているかなど話した。
そして、戦争が終わり、自国に帰ったアメリカ人の中にも、深く傷つき、心を病んだ人たちが、
現在もどれほど多くいるのかも、付け加えた。

イェンちゃんによると、枯葉剤の影響は今も残っていると言う。
でも今生まれてくる子は
「植物人間です」。
私達には、分離手術をしたベトちゃん、ドクちゃんの事が記憶に新しい。
昨日、バスの中から、片手が肘から下のない、もう片方は全く無い人を見た。
彼もベトナム戦争の被害者なのだろう。

次にバスが向かったのは、昨日行った雑貨のお店。
イェンちゃんが
「Kさん、昨日行ったから、二階でお茶、飲みましょう」と言ってくれたが、
私は、後ろ髪を引かれる思いで昨日この店を出たので、ここに行くと知って大喜び。
パパはイェンちゃんと、二階に上がって行った。
私は、昨日買い足らなかったお土産を買い、二階に上がったら、宝石が一杯。
そうだ、ベトナムは鉱山があって、サファイヤとルビーが取れるんだった。
私がよく見る24時間お買い物番組でも、ベトナム特集の時に、綺麗な石の指輪などが出ている。
暫くその綺麗な宝石を見て楽しんだ。

最後に行ったのが、ベンタイン市場。
物凄い数の店が、一つの建物の中にある。
食品から、屋台、アクセサリー、洋服、果物、魚屋、果物屋、民芸品屋。
木の下駄に可愛い絵が描かれ、その場で足に合った大きさに調整してくれるお店やら、もう凄い数。
イェンちゃんの後をくっ付いて歩く。
そこでパパが、去年の出来事をイェンちゃんに話した。
「去年、俺の前にいきなりお金をわざと落とした奴がいてね~、『あなたの落としたお金ですか』って聞くんだよ。
『違う』って言ったら、すぐにあっちに行っちゃったけど、後から聞いたら、『そうだ』って言ったら、怖いことになっていたらしいよ」
イェンちゃんは、突然目を丸くして言った。
「私も同じ事されました。でも、私、『はい』って言って、一緒にいた友達とお金持って逃げました」
私もパパも大笑い。
「そうよ~、逃げて正解だったわよ~、今頃、何されていたか解らないわよ」
「はい、怖いんですね~、ここ」
イェンちゃんは、慌てて、ツアーの人たちに、
「カバン、気をつけてくださいね~」と言ったのには、また、笑っちゃった。
ここで私は、バッチャン焼きのはめ込まれた籠の箱を購入。
これも値切りにねぎって、12ドルにした。
おつりで、欲しかった20000ドン札をゲット。
このお札、一箇所、蓮の形に透明になった部分がある、新しいお札だそう。

面白いのだが、街角でもどこでも、ベトナムの人は、そこにしゃがみ込み、
食事をするのだ。
市場の中でも、お客さんそっちのけでしゃがみ込み、ご飯を食べていた。

広い市場を散策して、バスに戻った。
「ありがとうございます、これで、このツアーは終わりです」
とイェンちゃん。午後は、皆さんそれぞれ違う予定らしい。
私とパパは、1日の観光案内のオプショナルにしたので、午後も、お世話になるが、
イェンちゃんの所属する旅行会社の経営する食堂につれていってもらい、
そこで食事を摂った。
メニューは、春巻きと、フォー。
やはり、春巻きは、余り美味しくなかったが、昨日の「テンプル・クラブ」で出てきたお醤油が付いてきた。
聞けば、これ、ベトナムのお醤油だそう。
やっぱり美味しい!これ、買って帰ろう。
フォーは、サッパリしたお味。
生のままのモヤシや、レモンバームがお皿一杯に盛られてきた。
そのままフォーに入れて食べた。
メチャメチャ美味しい・・・という物じゃないが、まずくも無い。
これ、さっぱりした物の好きな母が食べたら、美味しいって言うだろうなあ・・と思いながら頂いた。
イェンちゃんは、さっきのカップルが、屋台でお昼を食べたいと言うので、
連れて行ったという。
おなかの弱い私は、行く前から旅行会社の方に、屋台は辞めておいた方が良いと聞いていたので、
パパと、お店だけで食べる約束をしてきた。
約束してこなけりゃ、とうに、好奇心の強い私は食べていたに違いない。


画像は、沢田教一さんの『安全への逃避』と、沢田さんの身分証。
タイム誌を飾った、少女の写真。
お昼に食べた春巻きとフォー





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最終更新日  2006年10月12日 23時59分00秒
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