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空を飛ぶ生き物は鳥類やこうもりなどの哺乳類の他にはほとんど昆虫類が占めるらしいしかもその構造や運動機能 骨格は全く他と異なる形態をしている一説には昆虫は他の星からやって来たのではないかとさえ言われている・・・あまり言うまい網を持って野山を追いかけた子供のころの思い出や負われて見たものまでがなんだかしらけてしまいそうだそれとも子供のころの目にだけはとっくにその正体がバレていたのかも・・・ 設計図通りの星やてんと虫
2018.04.25
♫ あなたはすっかり 疲れてしまい 生きてることさえ いやだと泣いた こわれたピアノで おもいでの歌 片手でひいては ためいきついた 時の過ぎゆくままに この身をまかせ 堕ちてゆくのも・・・ ♫ 時の過ぎゆくままに 沢田研二小学校に入る前からふたりの娘はそろってピアノ教室に通った中学を卒業するころまで続いたがそれっきり忘れ去られたように家のピアノはカバーを被せられたまま発表会やら学校の文化祭などでピアノを担当したりして頑張っていたのに今ではお父ちゃんの節くれだった人差し指が時折生きてることを確かめるようにポロンポロンと鍵盤を押さえるだけになっちまったある時夫婦喧嘩で売っちまえ!と言い放ったけれどいまだに居座っていなさるピアノの上に子供の小さい頃の写真が飾ってあるその写真立てといっしょだどこも悪くないけれどこわれたピアノみたいなものだまさに時の過ぎゆくままに だポロン ポロン オンポロロン
2018.04.21
珍しく風邪で寝込んだ一日中 ふとんの中で夢を見たそれがまた不思議な夢で「釜」の夢ばかりだった田舎にいた子供の頃学校から帰ると竈(かまど)の大きな釜にいつもサツマイモがたくさん蒸かしてあってそれを二つ三つ手に握って遊びに出たその釜はちょうど僕の目の高さにあって釜の中は覗けないけれど 蓋をずらして上から手を差し入れてイモを取っていたそれから村の神社のうす暗い境内に気味の悪い地獄絵図がかかっていてウソをついた者の舌を抜くもの 血の池地獄 針の山地獄そしてたくさんの鬼が罪を犯した人間を煮えくり返る大きな大きな熱湯釜の中に放り込んでいたその釜の中で悶え苦しむ人間の顔を見ていたら しばらく家の釜のイモを食べたくなくなった そうでなくとも何かに噛みつかれそうな気がして釜の中に手を差し入れるのが怖くなったそして雨月物語にある吉備津の釜今も岡山の吉備津神社に残っている鳴釜神事神官の娘と農家の長男との結婚を鳴釜で占う釜が鳴れば吉 鳴らなければ凶その神事では釜はまったく鳴らなかったそれでも結婚は進められたその末の恐ろしき結末は・・・恨み 怒り 嫉妬といった感情が怨念に化ける時この三つの釜の話がふとんの中でぐるぐるとなんべんも渦巻いて夢の話か現実に起きているのかわからなかったするとトントンと誰かがふとんの肩口をたたいたびくっとして目が覚めた「おかゆさん作ったけど 食べられる?」妻だった「ダイジョウブヨ」少ししわがれたオカマさんみたいな声になっちまった
2018.04.13
「おとうさん おとうさんっ! トイレ トイレ」いつだったか夜遅く娘が飛んできた。前世は虫でも食って生きていたか そのたたりか大の虫嫌いの娘どうせまたトイレの壁にちっちゃなムカデの子でもいたかと思って行ってみるとトイレの電気が急に点かなくなったとのことは? そりゃあお前 球が切れただけのことでしょあきれて物置から予備を取ってきて交換する今どきの子は電球の球が切れることも知らんかそう言いながら僕は少し子供の頃のことを思い出した田舎の家にいたころ 下の豆腐屋で何かの祝い事があり父と母は夜 出かけて行った留守番をしていたところ 急に部屋の電気が消えた電球のひもをいくら引っ張っても点かない周りの家の人たちも寄り合いに行っていた家の中が真っ暗になり 弟と妹が不安そうに寄ってきた弟と妹がいなければ 泣きたいくらいだった心細くて僕は二人の手を引いて 夜道を豆腐屋まで下りて行った豆腐屋の裏の縁側から 少し障子を開けて内をのぞくと大勢の大人たちが酒を飲んでいて 唄ったり踊ったりしていた何の祝い事だったか知らないけれどその奥で母が畳に座り 三味線を弾いていた母の三味線に合わせて みんな楽しそうに踊っていたどんちゃん騒ぎであったその母を呼んでいいものかどうか子供心に躊躇していた所までは覚えているがそのあとは記憶にないただ 初めて見た母の三味線を弾く姿がかっこよかったのを覚えているまだ家にテレビのなかった時代明かりの消えた心細さと 母の三味線と 頭にタオルを巻いて踊るおじさんとそれらがいっぺんに脳裏に浮かんできたその三味線は今でも実家にあるけれどもう使い物にならないくらい古い老いた自分以上に年老いた親それでも生きている限り息子や娘にとって いつまでもこの上ない心の明かりとなっている切れた電球のように交換はきかないのである
2018.04.11
人に物乞いをしたことが一度だけある転校したての中学生の頃家の近くに住む材木屋の息子と友達になった小学生の頃から何度か転校していたので友達の作り方は心得ていた毎朝登校路の四つ辻で待ち合わせまともな道は通らず よく田んぼや畑の畦道を回り道した畑の苺やぶどう 柿畑の柿をかじったりした気の合う奴だった遠足のあったある日の午後学校の校庭で解散になり俺とあいつはいつものように畑を通って帰路についたその途中で あいつは自分のバッグからチョコレートを取り出し食べ始めたチョコベビーという小粒のチョコレートで縦長のプラスチックケースに入っていた今でも店の菓子棚に並んでいる「ひとつ くれ」甘いものに飢えていたわけでも腹が減っていたわけでもないその時 なぜそう言ったのか今でもよくわからないのだけれどあいつに せがんでしまった ひとつくらいくれるだろうと思ったあいつはくれなかったやせた細い顔をにやつかせて 少し早足で歩きだしたそれでも俺は欲しがった プライドも何もなかった卑しい意地のようなものが 地べたに群がる蟻のようにしつこくあいつに群がった 情けなかったけれど俺はあいつをためしていたのかもしれないくれなければあいつは友達でなくなるまた友達を失くすのがこわかったのかもしれない転校をくり返すうちに そんな性根が根付いたのかもしれない小粒のチョコレートを見るとあの時の物乞いした哀れな己れを思い出す
2018.04.07
下の娘がまだ幼稚園児だった頃遠足のあったある日の夕方いつも娘と仲良しにしている友達のお母さんから電話がかかってきたそれによると今日の遠足の弁当に お箸を付けるのを忘れていたらしいそれで「どうしたの?」と訊くとうちの娘が 二本の箸の一本を貸してくれて二人で弁当をそれぞれ一本のお箸で食べたということらしい娘は帰って来てから そんなことは一言も言っていなかったなんとも けなげな話ではないか二人が並んで座っていっしょに一本の箸で弁当を食べている姿を想像するだけでなんだか熱いものが込み上げてきそうな気がするでも それは大人たちだけのことでおそらく本人たちは結構 キャッキャッと騒ぎながら食べにくいねとかなんとか言いながらのランチだったのだろうけれどずいぶんと昔の涙と共に食った飯粒の味を思い出したその友達とは今でも一番の親友となっている
2018.04.04
一人暮らしの母から時々宅急便が届くとれたての野菜やら子供らにいまだにお菓子やらが入っている何も送ってくれなくてもそこらのスーパーやコンビニで買えるのにと言うのに昔のままに送り届けてくれる今の時代 そこまで頑丈にしなくてもいいのに荷物にひもがぎっしりと結ばれているこれもまた親父が生きていた頃と変わらない庭の隅にひっそりと鈴蘭水仙が咲いている広い家でひとり明かりつけてぎっしりと荷作りする母の姿が思われた
2018.04.03
十二年乗った車を乗り換える今日はその納車日朝から今まで世話になった車の洗車に 車内の一斉片付けこれの前の車も十年ほど乗った思えばこの二台はまさに子育て時代に使った車我が子の成長に合わせてたくさんの思い出がある今度来る新しい車は数えて七台目今までは家族用にワンボックスの大きい車だったけれど今度の車は今までで一番小さな車でも床が低くてフラットで乗り降りがしやすいコンパクトで後部座席は狭くても妻が乗る助手席はゆったりと今までで一番広いさて今度の車は何年乗れるやらお互いの寿命競争になってきた
2018.03.28
その昔遊びに夢中になって思いのほか帰りが遅くなり捜しに出た親父にえらくどつかれたことがあるそれを後年親の愛情だとしみじみ感じる時代はもう 来ないのだろうな
2018.03.25
♪ この両手に 花をかかえて あの日あなたの部屋をたずねた 窓をあけた ひざしの中で あなたは笑って迎えた ♪ その昔 初めてあなたのアパートを訪ねたときの情景そのままだ両手にかかえていた花は あなたの大好きな薔薇の花だった バラばかり買ひ来る夫の彼岸かな仏壇に 棘のある薔薇はふさわしくないと古人が言うお坊さんに確認すると仏壇の外なら構わないでしょうとのことあるいは棘を全部切れば・・・とのことそんなもんもう薔薇じゃねえよ と内心ま そこまでする人も聞いたことないですが・・・の言あたぼうよ 愛のくらし 加藤登紀子
2018.03.22
娘たちが小さい頃は妻が子供たちを連れて実家へ帰ったりするとき娘たちはよく幼字で僕への伝言を書いたメモ用紙を卓の上や冷蔵庫に貼り付けて行った必ず おとうさんへ というタイトルで始まった内容は他愛もないことだおそらく妻に言われて書いたのだろうけれど冷蔵庫にビールが冷えているとか朝 牛乳を入れといてとか めだかのエサやり忘れないでとかそのメモ用紙を取りためていた小さなカバンが捜し物の合間に机の奥から出てきた直筆の子供たちのその世代の文字にあの頃が懐かしく浮かびあがる
2018.03.18
夜 10時玄関口の電球が切れたので球を交換していると 表に娘が帰って来た気配自転車を置いてからなかなか玄関のドアが開かないので不審に思って外をのぞくと 娘は空を見上げていた「お父さん 星がきれい!」星かあ どれどれと外に出るさぶっ!春らしくなってきたといっても夜気はまだ寒い夜空を見上げると久しぶりに見るような数の星が天空にきらめいていた娘はあれこれと 父にはチンプンカンプンの星座の名前を呼ぶそういえば小学生の頃 星座に凝っていたころがあったなああの頃もこうやって肩を寄せて空を見上げていたけれど今ではその肩も父と並ぶ父はまったく星座の名前を覚える気がない娘はよく覚えている父は晩酌の酒の匂いをさせていたけれど娘からはかすかに香水のにおい切れた電球を付け替えてくれる人がほしかったから結婚にふみきったという笑い話があるらしいそれでもいいけれどいつまでも星をいっしょに見上げられる人でもいいかなとそんなことを思いながら玄関に入る付け替えたばかりの電球の灯が迎えてくれるこれで今夜も玄関にみんなの靴がそろった・・・と一年前はそうだったいつも一日の終わりに玄関のみんなの靴をきれいに並べてから寝る人が今はいなくなっちまったひょっとして娘もそんなことを思い出して星を見ていたのか・・・な
2018.03.14
「やけなかねぇ やけなかねぇ・・・」電話口に実家の母は泣きながら出たかわいそうに という田舎の言葉をくり返し七年前のこの日の午後仕事場の空調用のダクトがゆっくりと揺れ始めた地震だ驚いたのはその震源地が東北だと聞いたからだ大阪からはるか東北の地震で揺れを感じたことなど今までなかっただから震源地の甚大さは容易に想像できたけれどテレビの画面はそれをはるかに超えて私の目やら脳やら心臓に短刀のごとく突き刺さった震えるのも忘れて固い棒のように突っ立っていたその日の夜当時 毎日更新していたブログには何も書けなかった夜具に入っても眠れず 深夜 灯りもつけずパソコンの画面のうす明かりに映るキーボードを眺めていたその頃からこういう写真をよく撮るようになった逆光の木の葉の葉脈を照らす陽光うす暗い森の中に届く陽の光はええかっこしいで言えば希望の光に見える
2018.03.11
♪ 青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ ♪ 青春時代 森田公一とトップギャラン
2018.03.09
今日 家族で買物に行った昼時をうどん屋に入った隣に赤ん坊連れの若い夫婦がやって来た奥さんが先にご飯を食べ終わるまでご主人が赤ん坊の面倒を見ていた奥さんが食べ終わると今度は奥さんが赤ん坊を抱いてご主人が食べ始めたああいう頃が俺たちにもあったなあ と隣の妻に言う「お父さん 天ぷらうどんがきたよ」耳にイヤリングした上の娘が向かいから言うみんなで食べ始める「熱っ!」思いのほか汁が熱かった「だいじょうぶ?」下の娘が言う思えばお前たちもうどんの好きな子だったなあ自分の背丈を追い越していく目の前の娘と隣の若い父親に抱かれている赤ん坊と窓から見える花の散った桜木のようにそれは あっという間だったなあそんなことを思いながら今朝の新聞の事件のことを考えていた一度はつないだであろうその手で我が子を見殺しにする母親あの子はひとりぼっちで死んでいったあんな所で一生を終えるためにこの世に生まれて来たのではないそれでも あの子はその寸前 母を呼んだのではないかと隣の赤ん坊を見て 思うのである 剥いたまま三日置かれし夏蜜柑
2018.03.04
どういうわけか我が家では昔から家族の誰かの誕生日には必ずこのおじさんのフライドチキンを仕事帰りに買って帰るように嫁はんから携帯にメールが入ったものだ普段はめったに買うこともないのにおそらく子供たちが小さかった頃に買って帰ってえらくお気に入りになったのが発端かもしれない今でもこのおじさんの顔を見るだけで何かめでたいことがあるような気がするただ仕事帰りに買って帰るようにメールが入ることは二度となくなったけれど・・・
2018.03.01
まったく写真にするほどのものかと思うけれどふと見ると靴下に穴があいているやはり嫁はんに先立たれた野郎はこんなもんなんだろうこれを見るとどこかでも書いたけれどブッシュ元米大統領夫妻が来日した時のひとつの小さな記事を思い出す夫妻が京都の金閣寺を訪れて その内部に上がりかけたとき靴を脱ぐように言われたブッシュ氏「靴下に穴があいていなければよいが・・・」と隣のローラ夫人にささやいたらしい凡人に限らず国籍を問わずなんだか思うことはいっしょなんだなあとブッシュ氏を身近に感じた記事であった つぎはぎの服は何も恥ずかしいことじゃないと昔の親は言ったものだだからつぎはぎもしてなくてこんな写真撮って嫁はんが生きてたらきっと 怒るだろうなあ!
2018.02.28
下の娘が幼稚園の時の運動会綱引きがあった幼稚園の運動会というと一番かわいらしい頃であるみなあちらこちらでビデオを撮っていた僕もカメラ担いで(当時は肩に担いでいた 今はコンパクトで夢みたい)娘の綱引きを一生懸命に撮った似たような背丈で 似たような帽子をかぶってふと見ると人様の娘を撮ったりしていたなんとかカメラにおさめて家でみんなで見ることにしたこの日は妻の両親やうちの両親妻の姉も来ていたそしてその綱引きの場面よく見ると 娘は一人だけ前後の子とは反対向きに引っ張っている綱引きは隣の子と引っ張り合うもんだと思ったらしいそれを見てみんながワーッと笑ったかわいくて笑ったかわいくて笑ったのだけれど娘は泣き出した「あーっ ごめんごめん ぜんぜんおかしくない おかしくない」とみんな必死で娘の機嫌直し上の娘だったら いっしょにハハハと大笑いしただろうでもこの子は少しプライド持ち子供によって 人によって 接し方を考えねばとこの時娘をみて思った 子見て親育つそれにしても笑いをこらえて見ているみんなの顔がおかしくて仕方がなかったこれ以来綱引きを見るとこの時のみんなの顔を思い出して笑ってしまう
2018.02.25
「一日は時速何kmで走ってるの?」「???」娘が小学校の高学年の頃だったか宿題をやりながら何やらとんちんかんなことを訊いてきたことがある「一日は24時間で走ってんだ」分かったような分からないような返事赤道の場合地球の円周4万kmを24で割ればいいから・・・約1700km/hだと言うそれやったら地球の自転速度じゃねえか一日のスピードなんて小賢しいやっちゃと思ったけれどそんな猛スピードで毎日過ぎとるんかと改めて驚いた記憶がある光陰矢の如し月日は百代の過客だとしても今も昔も一日はどう頑張ったって24時間しかないいやそれは大人の理屈だ子供の頃の一日は2倍も3倍もあったような気がするただひとつだけはっきりしていることは昔から 時間は待っていてくれたためしがない
2018.02.20
女性は妊娠 出産を経て母親になるしかし 男性の場合はちょっと違うある日 突然 赤ん坊と対面する何かの記事で読んだ「おめでとうございます 元気な女の子です!」助産婦さんがそう言って私に抱かせてくれた初めての子供「ええっ!・・・」言葉がなかった感動のあまり言葉がなかったのではない(女の子?・・・・)私たち夫婦は前もって生まれてくる子供の性別は訊かないことにしていた知りたければ教えてくれたけれど生まれてきての楽しみにしようと訊かなかった病院に定期的に診察を受けに行く時は妻の姉がいつも付き添ってくれていたのだが超音波の画像で男のものが付いていたのでまちがいなく男の子だと報告してくれたそれが二、三回あったので私たちはもうまちがいなく男の子だと思い込んでしまった名前も私の父の名前を一字もらって男の名前を考えて半紙に書いて床柱に張っていただから女の子だと聞いた時に私はどんな顔をしていたのだろうと今でもおかしくなる時があるでも その時は緊張していた初めて人の子の親になる緊張だった三千グラム以上の体重が ずしりと両腕にかかったその命の重さの割に 腕からすり抜けそうな小さな五体を私は必死で抱えていたそれが私の父親になった瞬間かもしれない妻の姉は何を見間違ったのか知らないけれど子供は娘として大きくなり次も女の子だったので結局床柱に張られた名前は使われなかったけれど今でもあの頃の日記帳にはさんで置いているみんなが集まるとよく話題になり笑い話のネタにされるけれど私にはいつも父親になった瞬間を思い出させてくれるものである
2018.02.17
小さい頃家の米櫃にお米がいっぱいあるときはなんだか子供心にもうれしかったなあ社会に出て初めての月給袋まだ銀行振込などない時代少額ながらもひと月働いた実感が湧いたそういえば親父の給料日帰って来た父が母に渡す給料袋どことなくこの日ばかりは親父は胸を張っていたようなおふくろはひと際やさしかったような米櫃にお米がいっぱいあるしあわせ感現代はネットショッピングやクレジットの時代取引が顔の見えない画面上でやりとりされる時代もちろん安全性からいえば理想かもしれないけれどどことなく有難味が薄らぐような気がする魚にとっての 水の有難味
2018.02.08
親父の匂い若い娘(こ)らにはあまりいいイメージはないと思うけれど時々 亡き父の匂いに出くわす時があるそれが不思議なことに例えば列車の通過した後の静けさの中につんと鼻先をかすめていくときがある出稼ぎに出ていた父が盆と正月に帰って来たときの青い背広姿のポマードの匂いポマードの父の匂ひや盆の路
2018.02.05
今日は少し風邪気味で頭が重いと言って仕事に出たら夜汁椀に南瓜がてんこ盛りで出てきた冷えた両手で椀を持つ作った人の手の温もりが伝わるどんな風邪薬よりもてきめんだ仕事の疲れがチョコレートのようにやわらかくなる時にはけんかもあるけれど何気ない家族の気遣い見え隠れする思いやり日常の中のそんな小さなひとコマひとコマが何よりも大切な宝物大事にしたいものだ
2018.02.02
時計が好きである別に時計を蒐集しているわけではない普段はあまり腕時計もしないでも時に時計を買うできれば秒針のあるやつがいいデジタルは過ぎゆく人生をそれこそナイフか何かで一秒ごとに切り刻んでいるような気がするアナログは過去から現在 未来へとまちがいなく繋がっているような気がする電池切れやネジ切れで止まってしまった時計もじっと見ていると何かを語りかけてくれる高校を卒業して東京に出る時に父が買ってくれた時計があるうれしかったその秒針に合わせて月日を送っていたある日アルバイトで利用していた水道橋の駅のトイレで手を洗うのに時計をはずしたそのまま忘れて外に出てすぐに気づいて取りに戻ったけれどほんの2,3分の間に父に初めて買ってもらった時計は消えていた今までで一番好きだった時計は今頃 どこでどうしているのだろうとうに星になっちまったか
2018.01.30
思い出を持っているということは有難くて嬉しくて楽しいことだ年老いた母が昔 家族で遊びに出かけた楽しかった思い出をそうやったかねえと今では思い出せなくなっている大切なものを失くしたようで胸がきゅーっとなる古びたタンスのように記憶の引き出しがガタピシと固くなり思うように中身が取り出せないそれでも大事にしていた証しのようなナフタリンの匂いがして僕たちは古びたタンスを見ただけで胸がいっぱいになる
2018.01.27
「なんぼ笑いもんになってもええから あんな姿だけは見せんどいてくれ」いつだったか母に言われたことがあるこの案山子のことではない時代劇の捕物帳で下手人が縄で身体を縛られ手縄で引き連れられて行く容疑者が手錠をかけられ頭から布をかぶり護送車に乗せられるそんな姿であるテレビを見ながらよく言っていたでも万が一 そうなったとしても母はそうなった息子の母親になるに違いないだからこそ なおさらそういう息子にはなれないのであるそういう息子を持つ母の姿を想像するだけで忍びなく思うのであるいくらでもテレビドラマの題材にはなっているけれど・・・
2018.01.24
「犬でも飼ってみる?」一人暮らしの母に問う「もう看取るのはいややからええわ」と母自分の父や舅を見送り 母や姑を見送り つれあい(僕の父)を見送った「先に看取られるかもしらんで」と冗談を言う仏壇の父の遺影をみて 母は少し笑った母と二人で鍋をつつく鍋は大勢で囲むもんだと言うけれど二人もいいアベックの二人もいいけれど親子の二人にもそれなりの味がある黙っていても お玉が出てくるし豆腐も昔ながらのちょうどいい大きさに切ってある好きな骨付きの鶏肉が鍋にいっぱい入っている何よりも母の笑顔を見ることができる先ほどの冗談にそれもそうかなと 早く父の所に行くのもいいかな とそう思って父の遺影に笑んでいたのかなと思ったけれど達者であれば一人も結構楽しいと聞いて安心する猫でも飼うかと 母に言うそやね 猫ならいいかも とそういえば小さい頃 我が家には猫がいた嫌われたのは 犬でよかった
2018.01.21
その朝地の底から突き上げるような大きな揺れで目が覚めた一瞬 間が空いたこの一瞬の間の空き方にただごとではない予感がしたふとんを飛び出した隣の部屋で妻とまだ幼い二人の娘が寝ていた妻と上の娘にテーブルの下に隠れるように言い私はあとひと月で一歳になる下の娘を抱き上げたその途端 本震が来た 歩けなかった紙相撲のように叩かれている地面の上を私はただぴょんぴょんと飛び跳ねているような気分だったすぐ横の大きな洋服箪笥が倒れてこなければと思いつつもし倒れてきたら娘をどうかばうかだけを考えていたその状態がどれくらい続いたのだろう時間の長さが歪むときであるやっと揺れがおさまったこの辺が震源地でなければ本当の震源地はもっとすごかっただろうと予測できたテレビの画面であの高速道路が横倒しになっていたこの辺はましな方だったただ 私の寝ていた布団の頭のあたりに整理箪笥の上にあった市松人形がガラスケースごと落ちていたガラスは粉々に割れてもし飛び起きなければ私の頭を直撃していたその後 ガラスケースは作っていない娘たちも大きくなり 私たちも年をとったあの日と変わらぬ市松人形もその日は何かを言いたそうに見える私も被害者の一人だと・・・毎年その日になるとモニュメントのように見える人形に代わり毎度 同じようなことをブログに書いている「それもまた伝えるべき我家の震災忌として」
2018.01.18
ばあちゃんはやさしかったじいちゃんはこわかった曲がったことが嫌いで悪さをすると井戸に放り込まれそうになったでもじいちゃんが亡くなった時かあちゃんといっしょに泣いた 井戸を見るとじいちゃんを思い出すようになった
2018.01.16
酒を飲まない日はあってもコーヒーを飲まない日はないような気がする街中でも挽きたてのおいしいコンビニコーヒーが100円で買えるこれのおかげで缶コーヒーはめっきり買わなくなったでも今までで一番味わい深かったコーヒーは昔 受験勉強の机に毎夜母が運んでくれたコーヒーだクリープのいっぱい入ったインスタントコーヒー寒い冬の夜ストーブやコタツではすぐに眠くなるので暖房のない部屋で目いっぱいに着るものを着込んだ体にもくもくと湯気のあがるコーヒーはうれしかったもっともあの頃はそんなコーヒーのことなんてこれっぽっちも思わなかったのに今頃になってあの時の親の愛情が身に沁みてくる今では母がコーヒーを持って二階に上がって来るミシミシッという階段の軋み音さえ思い出せるのに愛情はボディーブローだ後になって効いてくる
2018.01.13
夕げどき子供たちが遊んでいるごはんよー 誰かがお母さんに呼ばれて一人帰り二人帰り 最後に一人残る子がいたりするテレビや昔話なんかでそういう場面が出てくる親のない子であったり早く帰っても誰もいない家の子だったりするうちの家も共働きで母も帰りが遅い日があったそんな日はよく最後まで残って遊んだけれど別に淋しかったと思うようなことはなかった日が暮れても一人で遊んでいることがよくあったそんなことを考えたりする公園の夕間暮れ子供たちが帰ったばかりのブランコはまだ何かを惜しむよに揺れていてそれを見るとセンチメンタルにもの寂しく思う昔よりよっぽど今の方が心がやわになったような気がする
2018.01.10
朝6時ドアの開く音階段をきしませる音冬はまっさきにストーブを点ける音湯沸かしの点火音電子レンジの音だいたい順番が決まっている妻がわが家の平穏な一日の扉を開く部屋が暖まったころ皆が眠い目をこすりこすり起き出してくる子どもの弁当の支度やら朝の段取りを済ませて妻の珈琲が最後にいれられる若い頃はおしゃれだった君も今はちゃんちゃんこがよく似合ういつかどこかで折り合いをつけたのだろう亡き義父の残した浅葱色のちゃんちゃんこ一番に目覚むる君のちゃんちゃんこ感謝
2018.01.07
「おっきい にゃんにゃんやー」生まれて初めて虎というものを目にした時僕はそう叫んだらしい母から聞いたことがあるまだ家にテレビのなかった幼い頃親がサーカスに連れて行ってくれたことがある叫んだ言葉は記憶にないけれど虎や象やライオンが後のゴジラのようにでかく見えた記憶は今でも脳裏に残っている小さい頃の記憶はその時の身体の大きさに合わすのか 周りが大きく広く見えたもんだあんなに広かった生まれ家が大人になると自分が大きくなった分だけ狭く小さく見える無限に広かった裏山もほんの小高い丘にすぎなかった大人になってから自分の子供をサーカスに連れて行ったことがあるでもその時はいやに動物の糞の匂いや獣の匂いが鼻をついて仕方がなかったそれでも自分の子供の輝く目を見ると自分もまた子供のあの頃に戻ったような気分になるあの時そばにいた我が父母の若かった頃の顔がおぼろげながら浮かんでくるような気がするのであるそういえば 長らくサーカスも見ていないなあそういえば このごろ夢も見なくなったなあ
2018.01.03
記憶とは哀しいものだどんなに新しい記憶であってもそれ自体に未来はない過ぎ去ったものの形だけが残る記憶とはひび割れた鏡のようなもので割れていても見ているだけならどうってことはないけれど手を伸ばせば思わず痛い思いをすることがある記憶とは哀れなものだ覚えていても 忘れ去られても切ないなんの記憶を追ってそのように空高くのぼるか冬雲雀
2017.12.30
全国的に真冬の寒さと新聞の天気予報近畿地区にも雪マーク豪雪地方の方々には申し訳ないけれど南国生まれの者にとって雪にはあこがれがある南国でも昔は雪がよく積もった布団から抜けたくない冷え込みの厳しい朝それでも外は雪だと言う母の一言で飛び起きた雨戸を開けるまっぶしい!庭一面の真っ白さはまるでお伽の国のような気がした弟とふたり犬のように庭を駆け回った思い出は老眼鏡をはずしても鮮やかに幼い頃の焦点にピントを合わせてくれる
2017.12.28
毎年大晦日になると母が台を広げて蕎麦を打つこねたそば粉を麺棒で伸ばすこれが始まるとああ 今年も終わりなんだなあと子供心に思ったものだ生地をたたみ包丁でたんたんたんたんと切る母の蕎麦はつなぎを使わないピュアな蕎麦ぶちぶち切れやすいけれど熱いつゆにそば粉100%の味が旨かった薬味にねぎと蜜柑の皮を細かく刻んで入れるテレビの紅白が終わると ゆく年くる年と共に家族みんなでこの蕎麦を食べて新年を迎えたみんなが揃っていたころの我が実家の年越し風景だった蕎麦は痩せた土地でもよく育つおよそ蕎麦ほど日本全国に広まりその国 その地方 その家独特のこだわりある作り方食べ方の豊富なものもないだろう信濃では月と仏とおらがそば 一茶この国には数えきれないほどのいろんな蕎麦があるけれどおらがそば に優るそばはないのであるあたいはあんたのそばがいいご勝手に・・・ 京都 嵐山 清修庵
2017.12.24
彼女を初めてドライブに誘った日スカイラインの見晴らしのいい小高い丘の草原にシートを敷いてランチした彼女の作ってきてくれた弁当には大食いの僕のために食べきれないくらいのおむすびが入っていたこれはかつお こっちは梅干し このノリ巻きは鮭 こんぶ 高菜姉妹の多い少食な家族を見てきた彼女はその食べっぷりに目を丸くして驚いたどこまでも続く青空の下家族連れやアベックのカップルが点々とあちこちで輪になって あるいは並んで高原の初夏の景色にとけ込んでいた僕たちの座った傍らに小さな赤い花が咲いていた花の名前に疎かった僕は花の名前に詳しい彼女にその花の名を訊いた「しらん」と答えた彼女の返事を僕はそれからしばらくの間彼女にも知らない花があるのだと勘違いしていたほんの短いやりとりだったのでその話はそれで終わり それが花の名前だったと気づいたのはそれから二年後だった二年後の初夏の日曜日僕たちはまた同じ場所でランチした今度は三人だったふたりの間に よちよち歩きの娘がいた横には 二年前と同じ赤い花が咲いていた赤い花が初めて「紫蘭」という名の花になった二年前の勘違いをふたりしてどこまでも続く青空に向かって大笑いしたいや 三人だったつられて 横の娘も笑っていた
2017.12.20
子どもの頃拾った子猫を 親に内緒で裏の空地に小屋を作って飼っていたことがある弟と二人 家からこっそり食事の残りを運んだまるで僕たちを親のように思いどこにでも僕らの後をついてきたそれがある日 ふっといなくなったどこを捜しても見つからなかったあの時の小さな胸の淋しさを思うなんでもない軽い日常も積み重ねると鉛のように重くなる重なる日々が重しとなって そのうちつけもんのようになんでもない日常からなんとも言えない味がにじみ出てくる出来の悪い曲がりくねった大根でもつけもんになるとかけがえのない大切なものに思えてくるから ふ・し・ぎ
2017.12.17
娘が小さかった頃おじいちゃんが まんぼうの風船を買ってくれたそれが何かの拍子に ひもが娘の手をはなれて大空に飛んでいってしまったことがある娘は泣きながらいつまでも空を見上げていたその泣き方が大声で泣く訳でもなし しくしくと泣く訳でもないただ 空を見上げて静かに涙を流していた今はもう娘も大きくなりおじいちゃんも他界してしまったけれどこの場所に立って大空を見上げるとあの時の娘の涙をいつも思い出す不思議な涙を
2017.12.13
けっして化粧した妻がこの花のようにきれいになったというわけではないのでありましてただ手鏡の裏に椿の柄があったというだけで・・・でも婚礼に呼ばれて化粧した妻がふり返ったとき少しハッとしたわけでつまりその あのう・・・ごちそうさま
2017.12.10
絵は音楽に負ける天声人語の出だしにある音楽に涙する人は多いけれど絵で泣いた話はめったに聞かないと何かが気になってずっと日記帳に挟んでいた小学校の低学年のころ父は家族を田舎に残し大阪に出稼ぎに出ていたその父から時々手紙が届いた母に言われて僕たち兄弟はおぼつかない字で父に返事の手紙を書いたある時クレヨンで描いた父の似顔絵をその手紙に同封したことがある父の日や母の日によく見かける幼児の描いた絵のようなものである正直 手紙に同封したそんな絵のことなどちっとも覚えてはいなかった父はカメラが好きだったでもそのほとんどは家族の写真だ風景写真というのはほとんどなかっただから父が亡くなって実家の物置から膨大なアルバムの写真が出てきたときには驚いたその一番古い黄ばんだアルバムの中からあの時描いて送った父の似顔絵が出てきた白黒の写真の並ぶ一ページにそれはきちんと丁寧にアルバムの台紙に納められていたまだ幼い僕たちを残して出稼ぎに出た父の気持ちが痛いほど身に沁みてきた絵に泣くこともある
2017.12.08
妻が初めて子供を産んだ年の夏その夏の初蝉の声を聞いた妻がなんだか胸にじ~んとくるものがあったと言ってくれたことがある僕は子供を産んだことがないので実感は湧かないけれどこの世に生を送り出すものたちには相通じるものがあるのだろう と思った妹か弟を乗せた乳母車を小さなお兄ちゃんがお母さんといっしょに公園の坂道をいっしょけんめいに押して通るかつて自分にもあった時代を目の前に懐かしく思い出させてどこかで蝉の声がする坂道の向こうの青い空と白い雲知らず知らずカメラを向けていたカメラの中に小さな幸せを切り取ったようでシャッターを押す指の先がほくほくとした
2017.12.06
人見知りする。初めてのことに緊張する。長男、長女に多いらしい。上の子が初めて小学校に一人で行くという朝(集団登校だけれど)、大きなランドセルの後ろ姿が、心細げでかわいそうだった。下の子の場合は、お姉ちゃんがいっしょにいるわけだから、そんなことはなかったけれど。小学校、中学校と僕は何度か転校した。初めての転校は、遠く九州の片田舎から大阪への転校だった。田舎なまりをよく笑われた。大阪に来てからも何度か転校した。転校した最初の日。言いしれぬ不安が子供心にもある。母親にもその気持ちが伝わったのだろう。息子のそういう不安を取り除くように母は、「山よりでかいシシは出ん、山よりでかいシシは出ん」と、よく口癖のように言ってくれた。母親にとっても初めての都会だった。生まれ育った土地を離れるのは、最初反対だったらしい。結局、二年ほど先に大阪に出稼ぎに出ていた父のもとで、家族全員が一緒に暮らすことになった。母も近くの小さな工場に、すぐに働きに出た。「山よりでかいシシは出ん、山よりでかいシシは出ん」と、母もまた自分自身にそうやって、言い聞かせてきたのだろう。山よりもでかいのは、母親の愛情だったのかもしれない。
2017.12.02
高校生の夏と冬百貨店の中元や歳暮の配達のアルバイトをやった自転車の後ろの大きなカゴに荷物を載せて地図を片手に走ったいろんな家があった いろんな人もいたある日の夕暮れ近くどうしても最後の一軒が分からなかった住所と地図を何度照らし合わせてもその家が見当たらないもうあきらめて詰所に帰ろうかと思ったとき二人組の警官に職務質問された暮れかけの空の下 自転車を押しながらあっちこっちウロウロする男が不審に思えたのだろうどこの学校? 身分証明書は?といろいろ高飛車に訊かれたけれど事情を話すと 警官はいっしょにその家を探してくれた結局 住所が1丁目と2丁目の間違いであることが分かってその家に着いた頃にはもう日が暮れていた家から出てきたおばあちゃんはいっしょにいる警官の姿に驚いたが警官はやっとこの家を見つけてきたことをおばあちゃんに笑いながら説明したおばあちゃんはハンコを持ってきた手で僕の冷えた手をさすりながら「そうか そうか」と言ったなぜか目がうるんでいたそして帰り際 大福餅を一個僕の手に包んでくれたしわだらけのおばあちゃんの手はあたたかかったあの時のおばあちゃんの手は今の母の手によく似ている
2017.11.27
妻に時々買い物を頼まれるいっしょに行くときは車で行くけれど一人の時は自転車で出かけるこの頃また妻の体調が悪い見るからに女物のがまぐちの財布とチラシを持ってスーパーに行く不景気のご時世我が家の財務大臣も子供の進学もあり あれこれとやりくりに四苦八苦していた電気やガスの種火もこまめに消さないと口うるさい家族の携帯やスマホも無駄な使用はないか毎月の請求書で厳しくチェックされる今年は春の卒業旅行も夏の小旅行も取りやめになったそして今年ももうあと二か月それなりに不安のあった十か月それでもその間屈託のない子供らの笑い声は絶えなかったレジーの前で開けるがまぐちには買物する分のお金しか入っていない経済観念のない僕が渡されたメモ書き以外の余分な物をついつい買うからだ日差しの暖かい十月最後の日曜日家に帰ると布団の干された二階の窓から子供らの笑う声がする金には換えられないものがある
2017.11.23
振袖の丈より長し千歳飴 石塚友二着物姿の小さな子供が千歳飴を引きずるように持っている風景が目に浮かぶ微笑ましい 好きな句であるその昔 我が家の上の娘の初めての七五三きれいなベベを着て神社に出かける時までは機嫌がよかったのだが草履を履いて外を歩きだすと妙にぐずりだした普段 履き慣れていないからいやがっているのだろうと初めは妻も がまんしなさい しんぼうしなさいと言っていたそれでも歩きにくそうにする 駄々をこねるしまいには妻も怒りだしたので僕は娘をだっこした晴れの日に娘は結局家に帰るまで つらそうな顔をしていた家に帰って玄関で娘の草履を脱がせて 妻は絶句した右足の草履の緒が 娘の足の親指と人差し指の間ではなく人差し指と中指の間に入っていた気付けずにすまないことをした「ごめんね ごめんね」妻は泣きながら娘を抱きしめた
2017.11.18
田畑に蓮華の花咲く頃は少しあったかくなり日も永くなる寒い冬でも昔の子供は鼻水を垂らしながら外で遊んだ拭いた鼻水で長袖の袖はカパカパになり鼻の下には鼻水の筋が通っていたそんな子供たちのことだ春になり蓮華の花咲く頃になると待っていたようにもう日暮れいっぱいまで外で遊んだそのうち夕餉の支度の煙の上がる家々から白い割烹着を着た母親が遠くから子供たちの名を呼ぶひとり減り ふたり減り日が暮れるころになると蓮華畑には誰もいなくなる畑に残る蓮華と子供たちのポケットや手に握られていった蓮華それらは上がり框や五右衛門風呂の横などに忘れられていることが多かったけれど子供たちにとって蓮華は 光り輝く宝石のようなものだった首飾りや冠飾りにして遊んだ遠くで母が呼ぶ走って帰る貧乏だったけどシアワセだったんだなああの頃
2017.11.13
父が野良仕事に行く時は、竹で編んだ背負籠を背中にかついで出かけた。いつも僕たち兄弟は父の後ろをついて行った。細い山道の途中に見晴らしのいい小高い丘があり、父はそこで煙草を一服した。山道は子供にはきつく、時々父は小さい弟をその背負籠に入れて山を登った。少し弟が羨ましかった。父の腰に揺れる、煙草入れとキセルについて歩いた。竹笹の生い茂った細い小道を登り切ると、畑に出た。畑の草むしりが僕たちの仕事だった。子供のことで、はかどらない仕事だったけど、父は何も言わなかった。夏の畑は暑かった。帰りには、父の背中の背負籠は、畑の収穫物やら牛の餌の草やらでいっぱいだった。僕たちの夏の楽しみは、この帰りの道々、父がクワガタやかぶと虫を捕ってくれることだった。山道の脇の樹液のいっぱい付いた木に、たくさんの虫たちが寄ってきていた。父が木の根元を蹴ると、驚いたクワガタが落ちてくる。カサ、カサッという音で何匹落ちたかがわかる。弟と落ちた所に行って捕まえる。帰りは、また来た時と同じ、山道の途中の小高い丘の上で休憩する。背負籠を降ろした父の背中に汗の跡が残る。キセルの煙草の煙が父の鼻の穴から吹き出てくる。僕たちは麦わら帽子の中の虫を交代でのぞきながら、はやく家に帰りたかった。
2017.11.11
もう、30年か40年前だったか、冷蔵庫 電気なければ ただの箱というCMのキャッチコピーがあった。30年か40年後の今だって、それに何の変化もない、というよりも、それ以上に、この社会全体がそういう状況に陥っている。家の冷蔵庫が壊れた。もう25年使ってきた代物だ。当日、電気屋に買いに行き、翌日届けられた。妻は朝から長年使いこんできた冷蔵庫を、隅々まできれいに磨き上げた。子供が生まれる前に我家にやって来た冷蔵庫。トラックに載せられて去って行く後ろ姿を、見えなくなるまで見送っていた。新しい冷蔵庫は、いくら省エネだエコだといっても、電気をまったく使わないわけではない。電気がなければ、やはり、タダの箱なのだ。俺も冷蔵庫に負けないくらい、脇目もふらずに働いてきた。でも、俺はまだ 妻に言わせりゃ タダの人なのかもしれない。
2017.11.10
親戚などへの挨拶回りも兼ねて妻を初めて自分の生まれ故郷に連れて行った夏田舎言葉のまったくわからない妻は多少 緊張していた挨拶回りも何軒目かの母方の親類の家の座敷に二人並んで座っていた前にはコップにサイダーが出されて家人が何か話しかけながらずっと団扇を扇いでいる暑いからこちらに風を送ってくれているわけではない田舎のこととて 蠅がひっきりなしにそこら中を飛び回っているのでそれを追い払うために団扇を使っていた僕は10歳の時に田舎を出たけれど田舎の言葉はまだたいがいのことは理解できた妻には向こうも気を遣ってなるべく標準語で話そうとしてくれるけれどもそれでもアクセントやら 所々に出てくる方言が分からないらしく時々 キョトンとしながらも愛想笑いを浮かべて一生懸命に話を合わそうとしていた都会の女性だということでどこの家でも気を遣い遠慮して どこか距離を置いているのがよくわかった笑顔もよそゆきの顔だったそんな中何もないけれどと出されたサイダーのコップを妻が手に取り飲もうとした瞬間一匹の蠅が彼女のコップに飛び込んだ家人が 「あっ!」と小さく叫んだのは蠅がコップに飛び込んだからではない妻は蠅をよけてそのままコップのサイダーを飲んだ家人は謝りながらあわててコップを替えてきた正直 僕も驚いたそんな話が村中に伝わるのは早い不思議なことに そんなことがあってから田舎の人たちの彼女に対する態度が変わったぎごちない標準語で話しかけることはせず田舎弁丸出しで妻に話しかけるそのかわり手ぶり 口ぶり 表情ぶり(?)でよそゆきの顔ではなく親しみを込めて話しかける妻もその方が相手の言うことがよくわかるらしかった彼女の顔からすっかり緊張が解けていた数日滞在した田舎からの帰りの車の中で来てよかったと妻はつぶやいた僕は彼女に感謝した
2017.11.09
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