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「人間には、悲しみから回復する力が備わっている」我が家のトイレには昔からちょっとした薄めの本を差して置ける 状差しのようなものが設えてある大きな本などは置けないけれど文庫本や小雑誌のようなものを数冊 家族が好き好きに置いている用足しの間に それこそ気が向けば好き好きに読んでいるようである先日 何気なく開いたPHP8月号(娘が置いたのだろう)のとあるページに目が止まったノンフィクション作家の柳田邦男さんが いい言葉、いい人生 のコーナーで特集されていた目に止まったのは冒頭の言葉二年前に妻を亡くしてから悲しみは時が解決してくれるとここでも書いてきた 時という薬に勝るものはないとけれども そうではなかったぺしゃんこになっていた自分の胸のどこかにもがきながらもそういう力が潜んでいたのだ自分のどんな力だったのか どこの器官がどう歯をくいしばったのか破裂しそうな思いの心臓の弁をどう調整したのかまったく自分ではわからないけれども そうやって世間の同じような人々と同様に少しずつ笑みを取り戻せてこれたのは何も無機質な時のおかげではなかった自分のがんばりもあったのだ今日はこの冒頭の言葉にはっとした自分を褒めてやろう PHP令和元年8月号 柳田邦男「人間、死んだら終わり」ではない より
2019.07.26
昔々のモノクロの刑事ドラマの取調室小さな机に容疑者と対峙する刑事の額には大粒の汗その後ろでは古い扇風機がブンブン音を立てて回っているおもむろに芦田伸介は扇子を広げそれをゆっくり扇ぎながら「で、どうなんだ?」独特のしわがれたような低い声で問うムッとする熱気が画面のこちらまで入ってくるような気がした扇は中国の団扇に対して平安時代初頭に日本で創案されたと手持ちの歳時記に今年の誕生日には娘らからこの扇子を贈られたああ 俺もこういうものを贈られる年になったかと少々 寂しい気持ちもあったけれどなかなかどうして 使えば使うほど便利なものだエアコンの効いた部屋でも暑い外から汗だくで入って来た時など室温になじむまでの扇子の風は心地よいかの芦田伸介きどりで煽っている自分がいる
2019.07.21
四や九を不吉な・・・ と言ったらバチがあたるかももう一度 子供に戻りたくなってきた 2019年7月1日 読売新聞朝刊より
2019.07.02
避難訓練 というよりも避難所に避難してきてからの訓練避難所訓練と言った方がいいかもしれない昨年の大阪北部地震(6/18)の教訓を踏まえて市全体で行なわれた第1回目の訓練小学校のグラウンドに避難してきた所から始まる体育館の避難所に入る優先順位や避難所での受付での対応市や各避難所に備蓄しているダンボールベッドや簡易間地切りの組み立て方避難所での過ごし方 ルール 衛生面での注意事項等々市の職員に帯同して地元の中学校の生徒約30人もボランティアとして参加してきびきびと準備や片づけをこなす姿は見ていて気持ちよかった何もないことを祈るばかりだけれどこの地球の歴史を見る限り何もないことの方がめずらしい
2019.06.18
阪神の原口選手サヨナラ打「野球の神様は見ているんだな」どこかの監督がふともらした言葉本当に神様がお膳立てをしたとしか思えないような場面スタンドには涙を浮かべてバンザイをするファンもたくさんいた誰も足を踏み入れたことのないような山奥で人知れず咲き 人知れず枯れ 人知れず散る美しい花もある人知れずコツコツと努力をしている人は世の中に数えきれないくらいいらっしゃるそれが報われるのはほんの一握りの人かもしれないでもこの国の人々は昔からいいことを言った「お天道様が見ている」どんな山奥にでもどんな地上に隠れた星にでも見上げれば広い空がある誰も見ていなくてもお天道様が見ているそれは いいことも 悪いことも すべておてんとさまが見てるぞっ!小さいころよく言われた
2019.06.10
前の日で止めておきたき夏の朝 痛ましい悲惨な事件がまた起こった この前の記事でも書いたところなのに僕が通勤の朝の車のハンドルを握っていたころ遠くの地の 同じ夏の朝幼き悲鳴が次々と上がっている事件のニュースを見るテレビのリモコンの一時停止や戻しのボタンから目が離れないもう一度昨日に戻してもらいたい
2019.05.29
電車に乗るのと遊園地のメリーゴーランドに乗るのとでは同じ料金でもわけがちがう同じ料金なら片方はなるべく早く目的地に着いてほしいので乗る時間は短い方がいい片方はできるだけ長い時間乗って楽しみたい鉄道の世界に初めて急行というものが登場した時に乗る時間を短くして 料金が高くなるとはけしからんという抗議があったそうな今では笑い話になるような話でも当時の価値観では当たり前だったのかもしれない便利な世の中でスマホに鉄道のアプリなど入れておくと時刻表はもちろん 乗換案内も速さ 乗換回数 料金と優先するもの別に細かく表示してくれるそして電車が遅れていたりするとその運行状況をポップアップで知らせてくれるこのごろ気になることがある台風のシーズンでもないのにその運行状況の遅れがしきりにスマホの画面にあらわれる事故なら どこそこの踏切でとか詳細を報告するのに最近は単にどこそこの駅で「人身事故」と出るだけである何時何分ごろああ 自分はそのころ仕事場に着いてコーヒーでもいれながら仲間と談笑していた新聞で哀しい事故でもあるとその起こった時刻に目がゆくそのころ自分は何をしていただろうと思い返す自分がこんなことをしていたころ俯瞰する他の場所では慟哭の悲しみが起こっているどうにもできないことなれど時間をもどせるならと思わずにはおれない枯れるまでに散る命が多い ― 記事内容と写真は関係ありません ―
2019.05.20
休みの日はよく自転車で淀川に沿ってのサイクリングロードを走る遠くに見えるあの山は天王山麓にはサントリーウィスキーの山崎蒸溜所もあるあの山の向こうにはかつての京の都があった諸々の武将たちが上洛を目指した戦国時代ここらあたりで鎧の紐を締め直し 馬上から我のようにあの空を眺めたつわものがいたかもしれないちょっと ひと休憩しながらそんなことを考えたりしている 山は動かず川の水はとどまらず
2019.05.17
畑一面に咲くこの春の季語も俳句の上ではもう忘却のもの今 目の前にある花を歳時記はそれもちょっと時差ボケの昔ながらの歳時記は暗黙の了解のもと 決まり事で始末する季ちがい というらしい結社の長老が真っ先に指摘する鬼の首でも獲ったように
2019.05.11
赤信号で止まった車の窓から近くのマンションやアパートなどのベランダに小さな鯉のぼりでも見かけるとああ あそこには小さな男の子がいるんやなあって思うなんや 子供よりそこの若い親御さんに がんばれよと言いたくなるなんでやろ年取ったせいか人なみに
2019.05.05
世間が桜に目を奪われている間に梅はしたたかにその実を固く結んでいる自然の営みは粛々と緑の葉に隠れた所で実行される花の時代はみじかくてもう誰もふり向かなくなってからが勝負人知れず咲く人生にも似ている
2019.04.21
江戸の末期までは山桜が主流であったらしい明治になり東京で染井吉野が売り出されると新しい時代を象徴するかのようにそれまでの山桜にとってかわって染井吉野が国を挙げて全国的に植樹されていったらしい染井吉野は植えてから花咲くまでが早く 花つきが良い葉に先がけて花がいっせいに咲くので見栄えも良い桜の名所に足を運ぶのももちろん壮大で優雅であるけれど街のほんの小さな一角の桜の木が二本しかない 通称 三角公園にも同じように桜の花が満開だ木の下に設えてあるベンチには誰もいないひっきりなしに車が通る府道の脇の緑化法などの法律上 作らなければならなくて作られたような公園の桜の木の下のベンチに腰掛ける赤信号で停まった車のドライバーたちがこちらを見ている水平方向をみるとそんなことだから真上の方向に目をやる真上にはうれしそうにはしゃぐ桜の白い花が僕の方ばかりを見て咲いているような気がしたそういえば人間の世界にもそういった構図があるよなあ
2019.04.14
この花を見るとまた一年が過ぎて自分も年をとったのだと教えられる生まれた時は誰もが白無垢だったのに年を経るごとにいろんな色に染まってゆくいくら漂白剤を使って反省しても懺悔しても後悔してももう二度と生まれたての白さには戻れない生きることの黄ばみはどんな洗剤でも洗い落とせない白木蓮は毎年 生まれたての何にも染まらない色をしてこともなげに幹の枝々に花開いて見せるそしてそれはほんの二、三日のうちにまざまざと人の老いを見せつけてみるみるうちにひとつ残らず散っていく地べたに散らばった無残な花びらたちを屍骸のように立ち尽くして眺めるのである毎年のことだもちろん花に罪はない
2019.04.09
どうもいかんどうもいかんよその咲き方どうしてそんなに首垂れて俯いたように下向きに咲くのだ昔はにぎにぎしかった家が今はただガランとするだけの一人暮らしの家に電灯の明かりを灯す母を思っていけない
2019.04.08
いらっしゃいませ~ おひとりさま? カウンターへどうぞ~!どうぞ~ の言葉が終わらぬうちにもう腰は半分カウンターに掛かっているいつもの居酒屋 いつもの席早い時間帯などには空いているテーブル席を勧めてくれるけれどひとりの時はやはりカウンターがいいそれに五十代の頃からか なぜかひとりで飲むのが好きになった若い頃はあきれるほどバカ騒ぎしていたのに忘年会などの宴会の二次会もやんわりと丁重にお断りして駅前の居酒屋のカウンターであらためてひとりだけの忘年会をする十年ほど前からの自分だけの習わしだ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― その頃に書いた記事歳忘れ酒は泪にくれてやり数々の宴も無事こなし 本当の自分だけの忘年会なり事納めほめてやりたしひとり酒昨年の今頃もこうやって ひとり 最後の忘年会をしたけれども今年は少し雰囲気が異なったカウンターの奥で騒ぐ人たちに去年ほどの活気がない特に今年はこの店でも送別会らしきものが目立った社会情勢とはいえ 淋しい年の暮れである二本のお銚子と一品の酒のあてで今年の自分に区切りをつけて外に出ると僕の前に勘定を済ませた四、五人の中年過ぎの男たちが店の前で握手を交わしていた「お世話になりました」「お元気で」互いが涙声になっている冬の夜風が中年男を泣かす寒い中に働く男たちのぬくもりをコートのポッケの拳に握りしめて家路につく去年の今頃は同じ店の前でどこかのグループがバンザイを叫んでいたっけ・・・ ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 時の経つのは早い時代は平成から令和へ何の変わりもないようで それでもどこか心がウキウキしてくる日本人は節目を愛する節目節目に物思いに耽ける物思いに耽けるにはおひとりさまがちょうどいい
2019.04.05
世の中にはイージーフライばかりひたすらに捕り続けている人がいるまわりから見れば楽そうに見えるなんでもなさそうに見える裏方という言い方があまり好きではない確かに 物事には表と裏がある光と影があるひまわりと月見草の話とは少しニュアンスが異なるけれど人知れず咲く花に思いを寄せて人知れず水を与え続けている人がいるファインプレーと言われるうちはまだ修業が足りないと言う誰も言わないけれど捕って当たり前のイージーフライをひとつも落とさずに捕り続けることがその人の人生のファインプレーなのだ観客の拍手がなくてもそれはまぎれもないその人の 歯を食いしばった花道だだから「イージーフライ」と言うのは本当はその人に対して失礼な言い方なのだだから気ままに生きる というのも本当はそんなに気楽でもないのだん ?
2019.04.03
ウソをつくことは善か悪か病人にウソの病名を告げることは善か悪か高校の倫理の時間だったか「ソクラテスの弁明」というちょっとうすっぺらな哲学的な本を教材にした授業があった本の内容は全く覚えていないけれどこのウソの善悪だけ覚えているあれから約半世紀近く生きてきたウソをつく罪なら子供にサンタクロースの真似事をしたように父にも妻にもウソの病名を告げたように数えきれない大人になるごとに無垢なる赤ん坊のような純白それは植物の真っ白な花びらにさえ人はどこか無意識にその内なる罪に脅えているのかもしれない
2019.03.26
いよいよ春本番の気候立春からすれば やっとという感じか春が来て公園のベンチに腰掛ける人も多くなった笑う顔にも口にも目にも春が来て木の芽のようにほころび始める着る服にも春が来て上着の第一ボタンをはずしてゆく春が来て肩にかかる重装備の防寒着は花壇から抜け出たようなカラフルな装いに変わり人の心までうきうきと軽くする気がつけば長いとばかり思っていた夜が昼とおんなじ長さになっている春が来てまた枯れるまでの始まりだ
2019.03.23
特に願い事のなき者にとって神社の絵馬はそこにあるようでないもののひとつ受験や就職や出産など人生の曲がり角には祈りが付きまとうたとえ苦しい時の神頼みだとしても祈らずにはおれないときがある先の見えない不安やどうしても叶えたいことがあるとき災いを避けたいとき人は神に祈る昔は至る所に神様がいた神社の梅の花を見に来た帰り道本殿の横手からなにやら カラカラ と木の乾いた音がする一陣の風がたくさんの絵馬をいっせいに揺らしていた神様が猫バスに乗ってやってきたのかもしれない松の木のてっぺんの鴉が驚いたようにひと声鳴いて飛び去ったなんだかここに書かれた願い事みな叶いそうな気がしてきた
2019.03.15
土いろの器に盛られて飯は炊きたての温もりであまい吐息の湯気を立てかつて泪とともに食った飯粒のしょっぱさをいまも舌根に残す土いろの器に盛られて飯は縄文の記憶の水のせせらぎを器の底にきく 土いろの器に盛られて僕は父の精子の届く子宮の中のゆめを見る
2019.03.10
陽の当たる場所も曲がり角も人生の節々にあるそこを通る人々は後になってそのことに気付くことが多い目には見えなくてもああ あそこにはあったかい陽があたっていたのだとああ あそこが曲がり角だったのだと
2019.03.07
2月20に記事にした新聞のオンラインスマホで新聞を読めるアプリはあるけれどたいがい横書きのWEB用で どこかしら新聞を読んでいるという感じではなくて一種の情報を得ているだけのような気がするこの方が好きな人はそれでいいけれど新聞をそのままの形でスマホで見ることもできるこれがいい新聞をまるまるスマホで?小さすぎるんじゃないの?と思ったけれどそこはピンチインアウトやダブルタップで拡大縮小フリックで紙面をめくるはさみがなくても好きな記事やコラムはまとめてスクラップもできる読めなかった日があっても後でまとめて読める思っていたよりはなかなか GOOD!何よりも新聞を読んでいるという実感があるそこがいいそれと満員電車の中のように新聞を大きく広げたりページを繰ったりするときにまわりを気にしなくても済むもちろん休日の日にでもコタツの上に新聞を大きく広げてコーヒーでも飲みながらじっくり隅から隅まで目を通すというのもまた至福の一時ではあるけれど朝早く届いた新聞にまだ印刷の匂いが少し残っていたりすると新聞製作に毎日携わる人々や朝まだ暗いうちに配達してくれる人たちのアナログ的な手の温もりが感じられることももちろん好きなんだけれど
2019.03.02
いつかの写真俳句立春を境に冬の季語の花が見捨てられる言い方は失礼ながら春には春の花ばかり目にする俳句人何も春だけではなく他の立夏 立秋 立冬 後も同じどの植物にも春はある冬に花咲く石蕗も年中庭の隅っこに大きな葉を茂らせている梅も桜も春夏秋冬生きている誰にでも花咲く春はある
2019.02.23
一般に 枯れる というのはそのものが天寿を全うしたときにいう植物なら一年や二年で全うするものもいれば樹齢何百年という大木もいる人や動物でいう衰弱死ってとこか思わぬ出来事で それこそ命のろうそくが途中で消え去ってしまうことを枯れる とは言わない人の枯れるまでの時間というものはつらい喜びも 歓びも 悦びも 慶びも 確かにあるけれどあれこれと心配事の方が多い人生だ己の死後のことまで心配する生き物だ昔から 人間は考える葦 だという時にその「考えること」が忌まわしくなるときがある考えることは心配することだどこにあるか分からない心を一生懸命配ることだ植物のように 何も考えたくないときがある菩提寺の坊主はいつもあるがまま だ あるがまま だ と唱えるけれどそれはただの葦になれない考える葦だからやっかい極まりない生前の樹木希林さんの著作本が今人気らしい「死ぬときぐらい好きにさせてよ」と
2019.02.18
寒い外から帰って熱燗は最初の一口にあるそれも口の方からお猪口にお迎えに行く酒が飲めるのも才能のうちだと勝手に都合よく自讃する古くよりある酒と女と博打身を滅ぼすものには魅惑があるほどほどがいい
2019.02.15
春は変化の季節自然界も人間の社会も変化には選択と決断が付きまとうどれもが良い結果になるとは限らないだから迷う大いに迷えばいい蛇の道は曲がりくねっている
2019.02.09
伊丹十三監督の映画「タンポポ」を久しぶりに観たもう三十数年前の映画で山崎努や宮本信子 渡辺謙 役所広司 みな若いこの映画のメインストーリーはラーメンであるけれど所々にまったく関係のないストーリーが展開する今までの場面から通りすがりの人の方へカメラが移る全体は食でつながっているひとつの手法らしいある中国料理店で刑事が老練のスリ男を逮捕する店を出て夜の道を連行する所へ前の方からサラリーマン風の男(井川比佐志)が血相を変えて走って来る刑事らを突き飛ばす勢いで走り去っていく何事かと思うカメラは今度はその何事かと思う男の方を追いかける男は線路沿いのアパートの我が家へ息を切らして駆け込む家の中には三人の子供たちと医者と看護婦そしてその前の蒲団に横たわる危篤の妻(三田和代)男は妻を抱き起こし 死ぬな と叫ぶ何か考えろ 何かしろ そうだ 飯を作れ!死神を追い払うように言う妻はゆっくり立ち上がり ヨロヨロと台所に向かう具を刻みチャーハンを作る最後の力をふりしぼり中華鍋を振る妻はできあがったチャーハンを鍋ごとみんなの前に置くみんな茶碗にチャーハンをそそぎ食べる男も一生懸命に口にかき込むうまい うまいと言いながらみんながおいしそうに食べるのをほんの一瞬うれしそうに眺めるのがこの写真の画面この直後 妻は倒れて息を引き取る男は泣き叫ぶ子供らにかあちゃんが作った最後のごはんだあったかいうちに食え!と悲しみをひたすらに口にかき込みながら言う最後のチャーハン伊丹十三監督は食を通じて悲しみを喉の奥に紡いで見せた 写真 映画「タンポポ」より
2019.02.08
大きな駅の一角にある 喫煙室まあ 久しぶりに電車に乗るといろんなものにお目にかかれる今どき 珍しくはないのだけれど乗換駅の階段の途中の奥にある一室狭い空間に入れ替わり立ち替わり喫煙者が出入りする時代の流れとはいえしばらく見ていて なんだか気の毒にもなる自分も結婚して子供ができるまでは吸っていたので気持ちはよくわかる最初の子供が生まれたときの産科の先生に煙草が乳児に与える影響をこっぴどく説教され貴方の大事な子供の命を縮めることになるかもしれない 煙草それでもお父さん 貴方は吸いますか?子供のいない所で吸ったら? 外で吸ったら? ベランダで吸ったら?換気扇の下では?往生際悪く いろいろと食い下がったけれど結局時間のかかった難産の末に無事とりあげてくれた先生の真剣な忠告に従った以来 禁煙年数は娘の年齢と同じになっている
2019.02.05
のちのおもひに 立原道造夢はいつもかへつて行った 山の麓のさびしい村に水引草に風が立ち草ひばりのうたひやまないしづまりかへつた午さがりの林道をうららかに青い空には陽がてり 火山は眠ってゐた―そして私は見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光をだれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた・・・・・・夢は そのさきには もうゆかないなにもかも 忘れ果てようとおもひ忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらうそして それは戸をあけて 寂寥のなかに星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
2019.02.01
悲しみは どこから やってきて 悲しみは どこへ 行くんだろう いくら考えても わからないから 僕は悲しみを 抱きしめようと 決めた 長渕剛 「ひとつ」より家の近くを流れる小さな川川の水はどこからやってきてどこへ行くのか知っているのだろうかやり場のない悲しみほど哀しいものはない辛くても 耐え難くても川の流れのように少しは押し流してくれるものがないと悲しみに押しつぶされそうになる「時」というものも少しは川の代わりをしてくれるけれどその悲しみが深ければ深いほど時の流れはそこに澱んでしまう川の水のようにただひたすらに押し流してくれればいいけれどいくら考えてもわからないから僕は悲しみを抱きしめようと決めた悲しむ心を愛おしむいい詞だ ひとつ 長渕剛 2011年紅白より
2019.01.29
京都 十年の都 長岡京十年ひと昔という長いこの国の歴史の長さを思へばたった十年奈良の平城京からこの地に都が遷されて(784年)さらに京都の平安京へ遷都(794年)されるまでの僅か十年の都その砂粒のような歴史跡を散策すれば今我がここにゐることさへ奇跡に思へてくる いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな平安中期の伊勢大輔でさへいにしへの と詠んでいるくらいだから 兵どもの夢の跡地に繁茂する夏草のようになんの変哲もないこの大地の下に短い生涯の市井の臣たちの夢の跡を見る
2019.01.26
俺はなんのために生れてきたのだろう塒に帰る烏や雀たちもそんなことを思うことがあるのだろうか枯れ朽ちるまで一か所に立ち続ける大木も己の存在意義を問うことってあるのだろうか与えられた天寿を全うして大きな精密機械の小さな歯車のギーギーと音をたてる擦り切れた悲しみに時々 喜びの油を差しながらひたすらに回り続けることが幸せであるかのように錯覚して気がつけば歯もいくつか欠けているなんにも考えたくないときがある感動も驚きもいらない脳みそも心もいらない足の裏で踏みつぶされる単細胞のようにあっさりと生まれてきた役割を全うしたいときがあるその自分の役割でさえ 数学の試験問題のように簡単に解が出るわけではない生きるものたちが恋しゅうてならぬ冬暮光
2019.01.25
川の水は流れているから川であって流れていなければ単なる大きな水たまりに過ぎない有難いことに地球の位置エネルギーは高い所から低い所に流す分にはなんの見返りも要求しないニュートンが万有引力の法則を発見する前から林檎の実はすでに大地に種を蒔く方法を知っていたその昔三十石舟で賑わった淀川の水の流れは今も高い所から低い所に流れる川の最終地にはたいがい海があるドラマはさよならで始まり海に終わることが多いさよならは大河の一滴冬の川
2019.01.23
りんごをかじると・・・とここまで言っただけでピンとくる人はちょっと年配の方かなア赤いりんごに・・・とここまで聞いただけで郷愁に浸れる人はもっと大先輩南国生まれの子供のころはりんごには憧れがあった家の裏の山に行けば栗やみかんや梨バナナ桃グミ柿枇杷あけび・・・たいがいのものはあったけれどりんごの木はどの山を探しまわってもみつからなかった空のりんご箱をもらってくるたびにそのかすかなりんごの残り香に北の国を思った北の国には憧れがあった
2019.01.16
何気なくかけられた言葉に人は救われる思いをする時があるよかれと思って口にした言葉が相手の心を傷つけることもあるそんな言葉の魅力と刃に一喜一憂しながらも長らく生を営んで老いを背負うころになるとどこかに 心の醒めた自分が棲み始めるこの世の終わりのようだった青春の傷跡もいつしか懐かしんで笑えるものになる そう 願いたい
2019.01.13
回線の不具合だろうか電話の母の声が妙に遠い返事も少し遅れてやって来るまるであの月に住む母と電話しているような気さえするそれでも「さむうなってきたで みなかぜひかんようにの」こちらが言おうとしたことをいつも先に言われてしまう本当に月に住んでいたとしてもやっぱり 親子は親子 なんだなあははははは
2019.01.09
初詣のあの人波が嘘のように静まり返った境内にはときおり鳩が降りてきていつもの日常を啄んでいる神様は何処にいるのだと尋ねたら鳩は胸を大きく膨らませて前後に揺り動かせて歩いた鳩は 手があれば自分の胸を指差したかったのかもしれない ー京都府長岡天満宮ー
2019.01.08
南国に降る雪を歯磨きをしながら見ていた山の湧き水を孟宗竹を継ぎ足して家の大きな水がめに注いでいるかけ流しで水は途切れることなくちょろちょろと時計の秒針のようにいつも耳に響いていた昔牛小屋のあったそこは屋根があるだけの吹きさらしで料理場になったり藁をたたいたり農具を直したり俺たちの遊び場になったりしていたそこで僕は左手をズボンのポケットに突っ込み肩を縮めて歯を磨いていた後ろの奥に五右衛門風呂があり独特の鉄の匂いがしてうすく積もった雪の白さとどこかミスマッチしてそれがまた本で読んだおとぎの国のようで起きたばかりの頭の中まで真っ白で十歳になったばかりのいがぐり頭の少年がそこに突っ立っていた秒針のように湧き水の音はするけれど時は完全に止まっていた
2018.12.31
ひっそりとした社の東門には暗闇に映える真っ白の新しき紙垂が下がっている年季の入った蛍光灯の明かりにうすぼんやりと照らされてその純白は来るべき大晦日の夜を予感させる普段は人気のない境内にもうすぐ信じられないような人の波が押し寄せる今なら神様も願い事を聞いてくれそうな気がするこっそり拝んできた 夜の拝殿
2018.12.28
クリスマスが近づくと電飾の飾りつけの家々が多くなるこれもひとえに発光ダイオード(LED)の発明によるところが大きい中学生の頃真空管のラジオを作っていたもう時代は半導体のトランジスタラジオが主流の時でそれでもまだ真空管のファンも多かったちょうど今の時代の白熱電球とLEDによく似ているそのうち白熱電球は真空管のように消滅していく運命なのだろうけれど真空管には真空管の良さがあった真空管のアンプからは半導体の石にはない奥ゆきとやわらかい重厚味のある音がした石が光を放つどこかで聞いたことがあるそう 火打石だいやいや そんな遠い原始の時代の話ではないまだついこの前の江戸時代には一般では火打石が使われていただからみんな夜の闇のイルミネーションに憧れ石の光にどこか郷愁を感じるのかもしれないこじつけだけど
2018.12.24
いつだったか朝からケツまくってくる奴のこと書いたけど今 車のあおり運転が注目されている悲しい事件も起きているハンドルは人の性格を変えるのかあるいは潜めていた性格を炙り出すのか普通に走っていてうしろを付いてくる車の間隔は人によって異なる妙に離れる者もいれば何もいやがらせではなく 前の車に引っ付いていないと気のすまない奴もいる先へ先へと急ぐ奴 しょっちゅう車線変更する奴そうかと思えば 法定速度を守りどんな時も急がないマイペースな人車の運転を見ているとその人の性格がよく反映されて面白い人と人との間隔もお互いの親密さによって不愉快に思う距離ストレスを感じる最低限の距離があるらしいでも車間距離と違って 寒い冬の霧には人の心はほんのちょっぴりその距離が縮まるような気がする近づくとフェイドインで現れる 君もっと近づいてみたくなる
2018.12.20
公園の階段を登る足元に落葉を見つけると無意識のうちに上を見上げているたいがいの葉っぱは落ちているけれどまだ枝先に残っている枯葉もある葉の落ちる瞬間は枝が手を離すのか 葉っぱの方が手を離すのか地球の引力と 葉っぱの重みと 風の力とその他に 何かさよならの合図があるのだろうか
2018.12.14
母親のいなくなった家でふたりの娘たちもがんばっている今日はひと足早い家の大掃除やりかけの片づけに娘らがコーヒータイム手袋もそのままに一息入れる無口な父親に娘らのかしましき笑い声どれほど救われてきたことか
2018.12.09
記録的な という言葉は夏の猛暑や冬の酷寒に使ったりするけれどここ数日 記録的な「ぬくさ」であるらしいいろいろと栽培農家の方々などには影響があるかもしれないけれど一般人にはありがたい気もするところが この週末には急転直下真冬の寒さになるらしい温暖化による気候変動に限らず何か大自然が人類にもの申したがっているような気がしてならないたとえば トンボをキリストの形にして
2018.12.05
はだかぎのたおれてひとのかたちなり枯木に花を咲かすのはやさしい正直じいさんで隣の欲張りじいさんには花は咲かなかった世の中の大半は 人の形をした欲張りじじいなのに・・・
2018.11.29
図体の大きい強面の男が両手を口に当ててこれまたかわいらしいくしゃみをするそうかと思うといかにもひ弱そうな男が所かまわずバカでかいくしゃみをするくしゃみには本性が表れるような気がするくしゃみをするとこころが飛び出すという国もあるらしい
2018.11.26
いいかげんなことを言うな白菜が笑うわけがないでも そう思ったんだからしょうがない 人様も自然界から笑われていることは多々ある
2018.11.22
プラスチック製ストローの廃止が特に海外系で叫ばれているもちろん環境保護の観点からだ昔から大概のものはいずれは土に還ったそれが近代になり特に石油精製から産まれるものは便利でコスト安で耐久性にも優れているだから土に還るのにも相当の年月がかかる代替の紙製ストローにもコスト高 耐久性 品質 その他いくつかの問題があるらしい昔から腐りやすいものをいかにして腐りにくくするか人は知恵と技術を磨いてきたのに今になっていかに腐りやすくするか だって皮肉なものだ陳腐な皮肉ほど腐りやすいけれど・・・
2018.11.19
カツン カツン といつもの甲高い靴音で隣の娘さんが仕事から帰って来たのがわかる靴音にもクセがある仕事場でも近づく上司の靴音やいつも書類を運ぶ女性の小走り気味の音引きずるような歩き方の友人の足音自分の靴音はどんなだろう春の足音とは言うけれど冬にも足音があるのかなあるとすれば今日の自分のような足どりの重い音かもしれないなあ!
2018.11.16
通りすがりの山里にふと車を止めてみる思い出したようにしか車が通らない寒村の道車のエンジンを切るとまったく音がしない鳥の声も聞こえない冬の里山畑道を登ってきた農夫が軽く会釈して通る年を越すころには雪一色となるすれ違ふ農夫の会釈冬の里
2018.11.13
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