Over The Moon.

Over The Moon.

【い】

【い】異人館で逢いましょう。



 ひらりひらりと。
 傘がまわる。
 その白さに目眩を覚える夏の午後。



 街を溶かさんばかりの勢いで立ち上る陽炎の中を、チャコと一緒にだらだら歩く。
 その行く手の両側にたたずみ続ける住宅街の白壁は、黒々としたアスファルトと見事なコントラストだ。
一通の狭い道だからという了見でそのど真ん中にいるが、もし前方から車が来たらよけなければならないだろう。
だがそんな気力もない。なぜならとにかく暑いからだ。
 この若干早い夏の到来に、チャコの舌は今日も出しっぱなしだ。
発汗作用のない犬だから仕方ないが、ぺらっぺらのその舌を噛み切りやしないのか心配になる。
 ・・・やはり家で伸びていたほうが賢明だったのかもしれない。クーラーは故障しているにしろ、まだ扇風機があった。
というかこんなまだ暑い時刻に散歩に出ることが愚かだった。夕方にすべきだったと気づいたのは、タバコ屋を過ぎた辺りである。暑さは人をだめにする。
 そうしている間にも、汗が毛根からにじみ出て俺のまつげにまで下りてきた。
 首にかけたスポーツタオルで顔をぬぐい、そのあと首周りと両腕もめぐらせる。露出したひざ下は放っておいた。もうかがむのも面倒くさい。
 俺はちらりと足元のチャコを見た。
 少し垂れ下がった耳の向こうにピンクの舌が見える。黒い鼻とその舌以外は、チャコの体はすべて真っ白だ。雑種だが色に関して混じりけはない。チャコが真っ黒じゃなくて良かったと思う。真っ黒だともっと暑いに違いない。
 目線を再び前にやると、住宅街の奥に少し開けた空間が見えてきた。
「・・・河原着いたら帰るかー」
いつもの散歩コースよりかなり近い折り返し地点だが、チャコが舌を出したまま反応しないので、俺はもう勝手に決定した。


 河原の木の下に立つと、下から吹き上げる風が幾分涼しさをはらんでいた。それでも。
「・・・あっつ」
Tシャツの襟元を持ってばふばふと風を送り込む。頭上では早くもネジを巻かれてしまった蝉が活動を開始している。
 河原には、というか川の中には、この炎天下釣りをしている人がいた。その大きな麦藁帽子を見て、そうか帽子をかぶってくるべきだったと今更気づく。ここに来るまでそれすら思いつかなかった辺り、いよいよ俺の脳細胞はとけかかっているらしい。そしてその釣り人以外の人影は見当たらなかった。もともと人のあまりいないポイントではあるが、今日はみんな家でじっとしているのだろう。
 いや、クーラーさえ壊れてなければ俺だって、家でじっとしていたに違いない。何も好き好んで炎天下を歩こうなどと思わなかっただろう。たった一年放置しただけで勝手に壊れたクーラーが悪い。
「・・・ちゃぁこ」
 俺はしゃがみこんでチャコの背をなでる。チャコはそれに順ずるようにしてその場にお座りをする。その間頭の位置は変わらず、舌の先の位置も変わらない。
「ひでぇよなホントになー。お前も分かるだろ、ああそうだ、俺らは悪くないんだこの暑さには」
俺は同情めいた声でチャコに話しかける。相変わらずチャコは何の反応も示さない。黒目で河原の風景をみつめている。
 と、チャコが突然腰を上げ、河原の草原を駆け下りていった。
「おい」
俺は立ち上がってチャコの行く先を目線で追う。自慢じゃないがチャコのしつけは完璧なので、散歩のときでもめったに紐でつながない。極力自由にさせてやるというのが俺の家族の方針である。
 だから勝手にどこかへ行っても特に心配はしないが、一応河原という水辺の傍なので、チャコから目を離すわけにはいかない。
 チャコはわだちを作りながら一気に下まで降りると、スピードダウンし、その場でにおいをかぐようにうろうろし始めた。そしてひょっと顔を上げると、軽快に右手のほうへと歩いていく。
 その先に目をやると、人がいた。さっきの釣り人以外にもう一人、この河原に人がいたのだ。
 緑と薄茶色の景色の中、突如出現した白い日傘。なんでさっき気づかなかったのかと思うくらい、その色はこの景色から浮いていた。それを言うならチャコだってそうだが、白い日傘をさした人物は足元までも下ろしたてのシャツのように真っ白だった。女だ。日傘をさしていることと、その下に見えるのがスカートの先であることから判断できる。
 好奇心旺盛なチャコは、その女のほうへ近づいていった。女がチャコのほうを見たのが、その傘の微妙な傾きで分かった。彼女は少しかがみ込んで、チャコの頭をなでる。その手もどうやら手袋加工によってそろいの白になっている模様だ。
 それはすごく絵になる景色だった。白い犬に白い女。ここが近所の河原とかじゃなく豪華な洋館の前とかなら、もう外国映画のワンシーンだ。
 ・・・というか、いつの間にこの近所にあんな世間ずれしたような格好の人が住むようになったのだろうか? 多少不審には思ったが、それは置いといて、チャコが人様に迷惑をかけるといけないから、俺は日陰から出てチャコのわだちのあとをたどっていった。
「チャコー」
 俺が名前を呼ぶと、チャコは首だけ振り向いて尻尾を振ってきた。でもその場は動かない。俺の声で女のほうも、パラソルの下から顔を出す。
 俺は下まで降りて、初めてまともにその女の顔を見た。
 彼女は日本人じゃなかった。
 髪の色は栗色というか、綺麗なエナメル線のようで、まっすぐに肩に落ちていた。鼻筋が異様に通っている上、瞳は青い。肌は象牙色。ふっくらよりしっかりといったイメージの頬だ。
 何人だ? ロシア? ヨーロッパ系? もしやアメリカ?
 外人を見るのは初めてじゃない。でも二人目だ。一人目は中学のALTの教師で、でっぷり太ったカナダ人である。まあそんなことはどうでもいい。
 問題なのは、俺の私生活において、同年代(に見える)の外国人女性と話すのが初めてだということだ。
「え・・・っと」
俺は彼女の数メートル手前で固まってしまった。なんだかまともに顔を見られないので、視線を彼女の足元にいるチャコばかりに落とす。彼女がまっすぐこちらを見ているのが分かる。
 ・・・何か言わないと。
 英語通じんのかな。
「え、えくすきゅーずみー・・・・。あー、えっと、」
 目線を上げ、引け腰になりながらも必死に頭をフル回転させる。授業で習った単語を探し出して、使えそうな文はないか考える。
「でぃすいず、まいどっぐ」
チャコを指す。でも後が続かない。
 少女はまっすぐ薄青い目で俺の顔を見ていた。
 指した格好のまま、再び固まる。暑さのせいか、いやに汗が額から流れ落ちる。
 これは私の犬ですが、迷惑はかけませんでしたか・・・迷惑・・・わかんねぇ。面倒、厄介、嫌い・・・いや、やめよう。もっと単純なことで・・・えーと。
 俺が必死に考えていると、彼女はふっと笑って肩をすくめてみせた。
 そして言った。
「この子、君の犬なの?」
 ・・・。
 日本語じゃん。


 その少女はテレーゼ・田宮と名乗った。
「日本名は美菜なんだけど、平凡だから嫌いなの。使ってないの」
彼女は日本人とドイツ人のハーフで、最近ドイツからこっちに引っ越してきたんだそうだ。
「でも元々7歳まで日本にいたからね、どっちかっていうと日本語のほうがうまいのよ。父と話すときは日本語だし。ドイツ語も使うけど」
「え、ドイツ語話してみて」
「××××××」
巻き舌音と、息のこすれる音。
「わかんないでしょ」
んふふ、と彼女は得意げに笑った。
 土手の上にある木をはさんで、俺らは話していた。彼女はたとえ影にいても、白い日傘をさしたまま立っている。しゃがんで白いワンピースが汚れるのがいやなのだろう。だから俺も同じように立っていた。
「あたし母似だから、純ドイツ人に思われたりして日本人に避けられるのよね。君みたいにまず英語で話しかけられたり」
「あ、ごめん」
「いいえかまわないわ。避けられるよりずっといい」
 確かに、日本人じゃない顔から日本語がすらすら出てくるのは違和感があった。免疫のない俺にとっては奇妙にすら思える。日本人でない人の顔からは、日本語でない言葉もしくは片言の日本語が出てくるという先入観が俺の中にすえつけられてしまっているらしいのだ。まあ多少、彼女の話す日本語は何か特殊なニュアンスがこもっている気はするのだが。
「ねぇ、君何歳?」
 テレーゼが傘を両手で回しながらこちらを見た。
「16歳」
「うわぁお。年下じゃん」
その「年下」という響きに微妙な反発心が沸いて、俺は早口で付け足す。
「でも今年で17だから一応高2」
「私18よ。高3。先輩ね」
彼女はきゅっと口元を上げて笑った。ほりが深いせいか、その口元も動きがはっきりして見える。
「でもまだ高校は行ってないのよねー実は。だって中途半端でしょ?今の時期。春でもないし夏でもないし。流石に来週からは行くことになっちゃったけど」
「高校どこ?」
「浜浦?ってわかる?」
近場だ。だが俺の通う高校ではない。
「分かるけど。中の上くらいかな」
「何が?」
「ランクって言うか・・・頭の良さ」
 俺がそう言うと、彼女は吹き出した。
「頭の良さ?高校の?『高校』っていう人がいるみたいじゃない」
「そうだけど・・・」
何気なく言ったのだが、なんだか急に恥ずかしくなってきた。俺はただ浜浦に対する連想を言っただけなのに、彼女に馬鹿にされたような気がした。
「君はどこなの?」
「高鹿」
「そこ頭はいいの?」
やっぱり馬鹿にされているのかもしれない。面白くない。
「中の中ってとこ」
ぶすくれて答える。
 俺の通う高鹿高校は中の中だから、中の上である浜浦を目の敵にしているのだ。ランクは模試の結果と国立大学進学率、あとは単なる固定イメージで決まる。担任も高2になった途端、受験をうるさく言い始めた。浜浦の模試結果を引き合いに出して、これだけ差がつけられたんだぞと力説されたときもあった。頭もさほどでなければ部活もたいしたことのない、言ってみればぱっとしない高鹿のイメージをどこかで脱皮したいらしい。
 俺はすっかり汗で湿ったタオルを振り回し、風を送った。河原を見るともうへばったのか、チャコが舌を出してとぼとぼとさまよっている。
「あの犬真っ白ね」
 彼女は笑って、
「私のようだわ」
日傘をまわす。
「私白好きなの。ドイツでも白い家に住んでたから。外壁も白、カーテンも白、車も白。だから私も白。白は私の色なの。分かる?」
「そりゃ見れば」
 俺が言うと、彼女は大げさに口をあけ、ゆっくり首を横に振った。
「そうじゃなくって。“白”であることが私のポリシーだってこと。白はどんな色にでも混ざるけど、白を保つのは難しいでしょ。白は貴重だし、基調なの。どこにも混ざらない白、清潔で美しい白、私は白を身にまとうことで白くあることが出来るの。分かる?」
「・・・まあ」
 俺は理解したけれど、余計に彼女が理解しがたくなって、生返事をした。
 まいった。やはり彼女・テレーゼ・田宮は只者ではないらしい。出会いがしらに自分のポリシーをさらけ出すような人物は少なくとも俺の周りにはいない。外国人はみんなそうなのだろうか。初対面の人にはポリシーを話すことが大事なのだろうか。このままいくと「君のポリシーは?」とでもたずねてきそうだ。
 俺のポリシー。
 汗が流れる。顔をぬぐう。
 何だろう。
「・・・それにしても暑いわね」
 テレーゼ・田宮はふうと息をついた。
「日本はこんなに暑かったかしら? いい天気だから外出たけど・・・やっぱり家の中でじっとしてるに限るわね・・・」
そう言って俺のほうをぼんやり見たが、何か思いついたのか、急にその透明な青目を前に突き出して口元に笑みをたたえた。そして手袋をはめた手をこちらに突き出して振る。
「あ、ねえ、ねえね、」
「え?」
「今からうちに来ない?」
「――え?」
 言ってから、思わずゆがめてしまった顔を元に戻す。だが彼女は気にも留めず自分の考えを述べてきた。
「今丁度誰もいなくて暇なの。あの犬と一緒に来ない?ここ暑いしうちの中で話しましょ。この辺にまだ知り合いいないから私。ね? どうせ暇でしょ」
「え、いや――」
 どうやら彼女はさっさと自分で計画を立ててしまう性格らしい。俺が暇であると決め込んで、一気に押し通すつもりのようだ。まあ実際、暇ではあるが。
 けれど問題は――
 俺が女の子の家に遊びに行く、という図式である。
 なんか嫌だ。嫌ではないが――でもなんか嫌だ。
「えと・・・」
 俺がどう返事したものか逡巡していると、彼女はふふっと笑って日陰から出た。
「ま、今度でもいいわ。とりあえず私は帰るから。でも君面白いからいつか絶対来てね。父も母も喜ぶわ」
 またさっさと決めていく。父も母も、って、どうやら家族ぐるみでもてなしてくれるつもりらしい。普通ないんじゃないだろうか。
「じゃあね。また会いましょう」
「あ、じゃあ――」
 太陽を受けて、彼女は一層まぶしい白をまとって笑った。白手袋でひらりと振って、きびすを返す。
 足元で草が揺れる音がしたかと思うと、チャコが近くに来ていた。そうして舌を出したまま、テレーゼ・田宮が去っていく方向を見つめる。
 俺も彼女の後姿を見た。パラソルの下から長い髪がのぞいている。
今の俺は、ずいぶんまぬけな姿をしているに違いない。
犬と一緒に、呆けたように、異国から来た少女のお見送りだ。
「・・・何なんだろうな、チャコ」
 俺はつぶやいた。
 足元でチャコが、ひたすら息を吐き続けているのが聞こえる。
 上の葉が揺れて、ゆるやかなTシャツに冷気が滑り込んできた。首にかけたタオルをシャツの下に突っ込んで汗をぬぐい、そのまま顔と手を一回りする。
「・・・俺たちも帰るか」
 チャコを見た。白い犬は俺に目もくれず、小刻みな吐息の途中で唾を飲んだ。
 俺は首にタオルをかけなおす。
 もう一度向こうへ目をやったが、既に少女は陽炎の向こうに消えた後だった。




+・・+・・+・・+・・+・・+




ジャンルとしてはBoy Meets Girl。
でも ただそれだけの話です (おい)。
そこから何かの展開があるわけではない・・・
少なくともこの時点では。

夏っぽい感じを出そうと頑張ったんですが微妙ですねー。
そしてやっぱり犬を飼ってないと犬の描写は難しいです。
・・・もうすぐ夏が来るなぁ(6月現在の思い)。



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