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いつもありがとうございます。ツイてる抗加齢(アンチエイジング)実践家てるです。毎日毎日、多くの素的なことがあり、感謝しています。敗戦から積み重ねられた「戦後の嘘」を知ることは、私達日本人にとってとても大切なことだと思います。日本人としての自信と誇り、そして愛国心を取り戻したいものです。沖縄戦集団自決をめぐる高校日本史教科書の記述に関しての新聞各紙の報道は、産経新聞以外は事実をすり替えて「強制」を「関与」と報道していますが、ウソをさらに積み重ねるのでしょうか。同じ言葉で言い換えているところにも大きな力を感じます。新聞とは言えない大手新聞は新聞としての自覚がないのかも知れない。一般に知られている「南京大虐殺」は事実ではないので記事を残します。関連ブログ日本人としてこれだけは知っておきたいことコラボレーション先の統合医療ライフ・クリラック*******************************************************************▼南京の真相を語った90歳代勇士たち≪中国の展示館12倍に拡大≫改装工事が進められていた中国の「南京大虐殺記念館」が、南京陥落70年に当たる12月13日、新装公開された。今年の1月、来日した中国社会科学院の研究者が、大虐殺「30万」は「政治的な数字」であり、学術的なものではなかったと発言したことなどから、一部に「30万」を引っ込めるのではないかとの観測もあったが、そうはならなかった。反対に展示床面積は12倍、写真は6倍に増えた。資料面でも本腰を入れて収集し、未来永劫(えいごう)日本を糾弾する材料にする中国側の決意に、いささかのゆるみもないことが明らかになった。私は最近、機会があるごとに、「5つの数字で学ぶ南京事件入門」という即席の授業をしている。その授業で課す最初の問題は、「中国共産党の指導者毛沢東は、その生涯で何回、南京事件について日本を非難したか」というものである。答は「0」回。すなわち、ただの1回も毛はこの件で日本を非難したことがなかった。反対に、南京攻略戦の半年後、延安で行った「持久戦論」の講義のなかで、「日本は包囲は多いが殲滅(せんめつ)は少ない」といって、日本の戦争下手を批判したほどだ。次に「20万」という数字。これは、南京陥落時の市民の数である。ところが、1週間後も20万、2週間後も20万という具合に、人口は一向に減っていない。逆に1カ月後には、25万に増えているのである。「30万」虐殺されたのなら無人の廃虚になっていなければならない。≪住民の略奪はあり得ない≫こうした論点を含む公開質問状を、4月に来日した温家宝首相に提出した。もちろん返答はない。公開質問状を出したのは「南京事件の真実を検証する会」(加瀬英明会長)という有志13人からなる会である。この会が主催して、去る12月6日、東京の九段会館で「南京陥落70年国民の集い 参戦勇士の語る『南京事件』の真実」という集会を開いた。旧日本軍の将兵として南京の地を踏んだ人たちによるナマの証言を聞こうという企画である。ほとんどが90歳代の高齢の方々が全国各地から5人、上京してくださった。以下、印象的な証言のいくつかを紹介する。国民党軍は安全区の中立性を侵し、トラック50台分の武器を隠匿し、軍服を脱いだ兵士が安全区の中に大量に潜伏していた。これらの敗残兵を掃討しなければ戦争は終わらない。証言者の喜多留治氏は金沢第7連隊の一員としてこの掃討作戦に参加した。事前に連隊長から受けた注意事項は次のようなものだった。(1)外国権益への留意(2)住民に対する配慮(3)放火失火の厳重注意(4)将校指揮の部隊でのみ実施(5)無用の他の部隊の進入禁止(6)捕虜は1カ所に収容し食糧は師団に請求せよ。掃討は命令どおり将校指揮のもとに行われ、個人が団体行動を逸脱し住民を略奪することなどあり得なかった。この一部始終を見ていたはずの外国人から全く非難の声が上がらなかったのも当然であると納得できた。≪目からウロコ落ちる思い≫南京進撃中の日本軍は速度が速く、補給が追いつかなかった。そこでやむなく食糧を現地調達に頼らざるを得なかった。敦賀歩兵第18旅団の斎藤敏胤氏は、軍の指令に基づき徴発も秩序正しく行ったと言う。軍の指令は次のようなものだった。(1)徴発は司令部の目撃できる範囲で行え(2)住民のいる所では3分の1以内の徴発にとどめよ(3)住民のいないところでは鍵を壊して家屋内に入ってはいけない(4)徴発した物の明細書を残し、あとで住民の請求に応じて宣撫(せんぶ)班が代金の支払いができるようにせよ(5)帰隊後伝票と現物の照合を受けよ。斎藤氏は記憶に基づき日本語と中国語のペアになった伝票の書式を手書きで書いて示した。この部隊は、以上の指令を厳格に守ったのである。京都第16師団の輜重(しちょう)獣医少尉・稲垣清氏は、中山門手前の上麒麟門で、軍服姿の800人の捕虜を監視した。インタビュアーの役目の私は、後方部隊の輜重隊に捕虜を委ねるのは大丈夫ですかと思わず尋ねた。稲垣氏は、輜重兵に収容所の警備を任せること自体、捕虜は逃げてもよいということだと苦笑した。実際、夜間の監視を少し手薄にしたら半数が翌朝逃げていたという。稲垣氏の所属はあの悪名高い中島今朝吾師団長の指揮下である。「捕虜ハセヌ方針」とはこれであったかと目からウロコが落ちる思いだった。5人の勇士が舞台の正面に並んだ時、拍手が鳴りやまなかった。「軍紀弛緩(しかん)・悪逆非道の日本軍」のイメージを根底から覆す貴重な証言の数々だった。(出典:産経新聞)
2007/12/29
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いつもありがとうございます。ツイてる抗加齢(アンチエイジング)実践家てるです。毎日毎日、多くの素的なことがあり、感謝しています。この記事のようなことはよく遭遇します。私ならうどん屋は、食べないで出てきてしまうと思います。(笑)KYともいわれていますが、阿吽の呼吸は死語になるのかも知れませんね。戦後のアメリカの復讐が見事に大成功している証だと思います。コラボレーション先の統合医療ライフ・クリラック*******************************************************************新聞によると、最近の学生たちの勉強の能力評価が、世界比較では順位が落ちてきたそうだ。読解力の低下が目立つという。 そんなことニュースで教えてくれなくたって、一歩外に出ると痛感する日々だ。あるラインがあって急に言葉や文章が理解できなくなったワケではない。大人の社会人からそれは既に始まっている。 新幹線でお菓子や弁当を載せたワゴンが来た。いつも車内のワゴンでチーズナッツの小袋が売られているのだが、私はそれを数個ほしかった。 「ナッツのお菓子はありますか?」と聞くと、「はい」と言って売り子はピーナッツのみ入っている大ぶりの袋を差し出した。 「他にナッツの入ったお菓子はありませんか?」と聞くと、残念そうに「ありません。これだけです」と言った。 一応、念のため聞いてみた。「チーズとナッツの小袋のお菓子はないんですね?」 すると売り子は普通に答えた。「ございますよ」そして袋を私に取って見せた。 すでにここで私は軽い頭痛がしているが、まだ耐えられる。「それいくつありますか?」と袋を見て聞くと、売り子は「さあ」と首を傾げた。「いくつあるか今、見れば分かるんじゃないんですか?」とワゴンを指差して言うと、売り子は困った顔をして答えた。 「ナッツが何粒入っているかは、袋の中を数えたことがないので分かりません」私は聞き方を変えた。「ナッツの数ではなく、袋の数です。今、このワゴンに、何袋の、チーズの入ったナッツ菓子が、乗っていますか?」「4つです」「じゃ、2つください」「はい」 私はまるで、外国人にも理解できるよう、日本語を聞き取りやすく発声するようにして喋った。もし“読解力”とやらがあれば、会話はもっと端的に簡略化できただろう。 やがて、若い女性の車掌が乗車券のチェックに来た。「乗車券・特急券を拝見いたします」と一人ひとり全員に毎回同じ言葉を発するので、私は、隣の座席の人がチケットを渡すと同時に、私もチケットを車掌に向かって突き出し、前のめりになって車掌の目を見続けた。つまり、「わかっています。はい、これがチケット。いちいち言わなくてももう差し出しています」ということを姿勢と視線で主張したわけだ。 しかし、車掌は私の目を見て言った。「乗車券・特急券を拝見いたします」私は、「そやから、出しているやろ!」と叫びたくなるのを飲み込んだ。 もし、この車掌に“読解力”とやらがあれば、自分の喋る言葉が、チケットを差し出してほしい相手に向けて、それを促すために発する言葉であることを理解できただろう。 京都で新幹線を降りて、うどん屋に入った。女性店員に「天ぷらうどんください」と言った。店員は、「うどんと、そばとありますが・・・」と言うので、もう一度言った。「天ぷら“うどん”ください」店員は答えた。「では、うどんのほうでよろしいんですね?」私はもう一度言った。「ですから、天ぷら“うどん”ください」「確認いたします・・・」「しなくていいから、天ぷらうどんください」しかし店員は確認した。「天ぷらをうどんのほうで。おひとつでよろしいですね」私は言い方を変えた。「天ぷらうどんを、うどんのほうで。私は一人ですから、ひとつください」「わかりました」うどん屋で、「天ぷらうどん」とひとこと言えば、うどんが出てくる時代は終わった。 “読解力”というが、読んで理解する力というより、まず言葉自体がきちんと届かない。表情も、姿勢も、あらゆるメッセージツールが届かない。そしてあらゆる会話が過剰にマニュアル化されている。マニュアル化したからメッセージが遮断されたのか、メッセージが届かないからマニュアル化を必要としたのか、どっちが先か分からないが、それらは現在、相乗効果となって加速しているように見える。 しかし嘆いていたところで仕方がない。こっちがそれに対応できるようになるしかない。丁寧に正確に長くくどく、来日したばかりの外国人に喋るように話すのだ。 家に帰ると電球が切れていて部屋が暗かった。出かける時に、お掃除サービスの担当者に頼んだ。「電球が切れて部屋が暗いから、切れた電球を替えておいてください」 家に戻ると、置手紙があった。「家中の電球すべてを替えました。点いている電球も念のために替えておきました」全部新しくなった電球でまぶしすぎる部屋にたたずみながら思った。 「切れた電球“のみ”を替えてください。点いている電球は替えなくていいです」と言わなかった、私が、悪い・・・・。くどいようだが、対応するしかない。 (出典:日経ビジネス オンライン)
2007/12/28
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いつもありがとうございます。ツイてる抗加齢(アンチエイジング)実践家てるです。今日の1通目インフルエンザ流行始まる 過去20年で最も早い国力を弱めるには教育を崩壊させればできますので、戦後のアメリカの復讐が成功していることだと思っています。手先になっている教育関係者の猛省を促したい。福田内閣では教育改革も頓挫しているようで、お先真っ暗というところでしょうか。コラボレーション先の統合医療ライフ・クリラック*******************************************************************経済協力開発機構(OECD)が4日に結果を公表した生徒の国際学習到達度調査(PISA)で、日本は再び順位を下げた。渡海紀三朗文部科学相も「ゆとり教育」の失敗を挙げた。学習への意欲、関心とも最低レベルで現行学習指導要領で重視されている「生きる力」も育っていないことが浮き彫りに。調査を実施したOECDのアンヘル・グリア事務総長は、日本は応用や活用に必要な能力を育てるよう示唆する。いずれにしても早急な対策が求められている。■授業時間回復をなぜ、日本の学力は下げ止まらないのか。渡海文科相は授業時間、学習内容削減を進めた現行の学習指導要領に課題があったと言及しているが、東京理科大の沢田利夫教授(日本数学教育学会名誉会長)も「調査のたびに落ちていくのは、ゆとり教育で授業時間が減った影響であることが明らかだ。期間が長引くほどさらに低下するだろう」と、指摘する。現行の指導要領の年間授業時間は小学校6年生で945時間、中学3年生で980時間。最も多かった時期は小6(昭和36~54年度)で1085時間、中3(47~55年度)は1155時間あった。算数は当時週6時間だったが、現在は約4時間、数学も4時間から3時間に減っている。日本より授業時間が少ないフィンランドが前回に続き、最高位を獲得しているとはいえ、現状では授業時間の回復しか打つ手がないのが現状だ。■方法、内容も大切理科教育に詳しい東大の兵藤俊夫教授は「授業時間不足で応用も学んでいなかった。活用力を上げるには、教員が社会や生活上の疑問を提示するなど授業方法を改善しないといけない」とみる。また、前々回調査(00年)の高1は、小1から理科を学んでいたが、前回の高1から小学1、2年は生活科になったことを指摘。「科学的な思考を習得するには理科を小1から学ぶべきだ」としている。平成23年度から施行される指導要領では、中学の選択科目が事実上廃止されるほか、数学で2次方程式の解の公式が復活する。小学校では台形の面積の公式が5年に復活、確率の一部が中学から6年へ移るなど、学習内容が増える。早稲田大の中島博名誉教授は、「大切なのは子供がじっくり答えを導き出す時間的な余裕をつくってあげることだ」として、内容の増加を疑問視する。■生きる力伸びず同時に行われたアンケートで、生徒の科学への意欲や関心、興味は参加国中最低レベルで、前回および現行指導要領で大きなテーマだった「生きる力」の具体的指標が高まっていないことが明らかになった。今回の調査で、日本は記述や論述の問題で白紙回答が他国と比較しても多く、答えを導き出した過程を自らの言葉で説明できない生徒が多かった。これまでの「丸暗記」型では「生きる力」は得られず、4日に都内で記者会見したグリア事務総長も「単に知識の記憶だけなら、多くの国の労働市場から消えつつある種類の仕事にしか適さない人材育成となっている」と苦言を呈した。(出典:産経新聞)
2007/12/05
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