全59件 (59件中 1-50件目)
安倍首相の支持率が急落している。今回の安保法案は確かに戦争をするための法案だ。憲法違反だとも思う。しかし、安倍首相が積極的に国防や外交に目を向けた政治姿勢は評価に値すると私は思う。ニュースでは、何のために安倍首相がこの法案を出さなくてはいけないと思ったのかについては、報道も議論もされていないように思う。根本の問題についてはほとんど触れられていない。これまでの日本は資源もなく、経済だけの魅力のない小さな島国だった。しかし、今は違う。豊富な海洋の地下資源に恵まれた資源大国になろうとしている。中国は歴史が浅く(多くの王朝が滅び、また歴史は正しく国民に学ばれず資料も多くは台湾にある)、未成熟で欲深い国家に見える。言ったもの勝ち、取ったもの勝ち、だまされた方が悪い、だまして奪ってしまえばいい、強いものが弱いものを支配するのが当然、というように見える国にどのように対処するのか。中国は、ここは自分達の領土だと主張する、その後漁船が入ってくる、そしてその漁船の保護のため海軍が入ってくる。そのまま軍事的に支配し、施設を作り人が住んで自国領として既成事実化する。このようなやり方にどのように対処するか、武力によらない対案はないのか。植民地時代には多くの国家が滅ぼされ欧米に支配された。日本はなぜ植民地にならずにすんだのか。資源に乏しく魅力がなかったわけではないだろう。危機意識を持った先人たちはまず軍備を整え、その上で軍事力を背景にした外交があったからではないか。世界中の人々が一斉に欲望を捨て、平和を第一に考える、という意識に立てればいいのだが、残念ながらそれは無理な話だ。日本のように米国の庇護の下で平和を享受し国民全体が欲の少ない国と中国のように欲だらけの国の利害がぶつかったら、日本はほとんど全て取られてしまうだろう。それでもいいと皆が思っているのだろうか。サンゴも取られるだけ取られてしまった。ほとんど何もできなかったではないか。これからも全部取られてしまってもいいと?国連も世界の警察ではない。各国の国益に基づいた意見が集まって国連が動く。ロシアや中国への抑止はやはりNATOの軍事力以外には各国個別の経済制裁程度だろう。既に守りに入っていて、今急に資源大国になりつつあり、また太平洋への通り道にある邪魔な存在である日本が、今後中国に少しずつ削り取られるかも知れないと思うと気が滅入る。戦争には反対だ。今度の安保法案にも反対だ。しかし、では今中国にどう対応するのか。マスコミの文化人は戦争反対には声高に主張する。だが、中国と利害がぶつかったときの対応については今まで何ら有効な策を示していない。中国の国内事情や中国人の欲深さの解説をするに留まり、「平和のため日本がこのまま全部譲って見返りも求めないようにしましょう、平和が第一です」、というメッセージをそれとなく国民に発信しているようにも感じられる。今せっかく政治に関心が向いたのだから、マスコミは今後の中国の欲に対してどう対応すべきなのか、どんどん意見を報道して、国民意識を高めてほしい。今のままでは安倍首相が戦争したいために安保法案を出したかのような言われ方だ。戦争をすることが目的ではなく、この国を守るために今回の安保法案が必要だと彼は考えたと思う。反対するのならば、「この国を守るためにどうしたらいいか」を常に考えている、あるいは今後考えていきますという姿勢が必要だと思う。(そうでなければ、全て譲って構わないという覚悟があるというのだろうか。)「話し合いに応じず武力行使前提で向かってくる他国と利害がぶつかったときにどう対応するか」ということを、常にマスコミは国民に問いかけるべきだ。
2015年07月19日
コメント(0)
私の胸元に人差し指をあてて休んでいるこの女(ひと)は私のことをどうおもっているんだろうか。私はどうしたい?まあ、いいよ。しかし、その指に力を入れないでくれよ。
2009年03月17日
コメント(0)
今年は予想外が一つあったので、例年よりもいい感じ。ま、それからどうなるというわけではないけれど。実害のない程度なら好意を持たれるのは悪くない、か。
2008年02月14日
コメント(0)
さて「結婚してどうなるか、考えてみた。そしたら、結婚したくなくなった。」と言っていた、相手はいたけど悩んだ末に結婚しなかった女性とは少しゆっくり話ができた。話の中で彼女は言った。「だっていつ死ぬかわからないし。」実は、この言葉は私がいつも思っていることだ。そう「いつ死んでも悔いのないようにしておこう。」ところで、昔「銀河鉄道999」というマンガ、アニメが流行った。永遠の命を得た富裕層の機械人間たちがいて、永遠の時間の暇つぶしに生身の人間の(貧乏な)主人公の母を狩りで殺すところから物語は始まる。結局、その作品のテーマは「限りある時間だから一生懸命がんばって人間らしく良く生きよう」だった(と思う)。しかし今考えると、機械人間になって永遠の命を得た方が社会的に良く生きるのではないかと思う。現代は「命に限りがあるからなるべく楽しみたい」という自己中心的、享楽的、刹那的な考え方が根底にあり(もちろん私にもある)、そのためにいろんな凶悪な事件が起こってしまうのではと最近よく思う。さて、現代の医学でも機械人間になることはできないし永遠の命は手に入らない以上、みんな何らかの限られた時間(あるいは寿命)というものに追われてぶざまにあせり、悩んで、けつまづいて生きていく、私もその中の一人なんだな。いつか「銀河鉄道999」の主題に到達することがあるだろうか(いや、ない、な)。
2007年10月10日
コメント(0)
・最近、離婚した女性は言った。「ねえ、私どうなるんだろう。」私 「だいじょうぶでしょう。美人だし。でもまだ結婚したいの?」その人「そう、結婚したい。」私 「わからないなあ。」・悩んだ末、結婚しないという女性 「結婚してどうなるか、考えてみた。そしたら、結婚したくなくなった。」私 「そうだろうね。」・仕事をもち、彼氏がいて結婚したいと思ってる女性私 「結婚して、誰が子育てするか考えてるの?」彼女 「それはまだ考えてないです。」私 「でも考えないとね。今のうち考えておいたほうがいいんじゃない?」彼女「・・・・・(無言)」・離婚して数年たつ女性 「私、どう思う?」私 「え?きれいですよ。」その女性 「ふーん、どうかなー?」それぞれに私の結論はあったけど、あまりゆっくり話せる雰囲気ではなかったので話さなかった。話ができてたらどんな反応だったんだろうか。
2007年10月08日
コメント(0)
どうも私は一つのことにはまるとずっとそればかり、という傾向があるようだ。ある食べ物にはまると、しばらく(あるいはずっと)そればかり食べる。ある趣味にはまると空いている時間はずっとそればかりやっている、とか。別に悪いことではない、とは思う。しかし「熱中できるときにしなければ損」、というちょっと卑しい意識からなのだろうか?いつか時間がたったら好きという感情が(相手も自分も)消えてしまうかもしれないことがわかっているから、「好きなうちに思い切り好きでいよう」、ということなのか。・・・・・・・・・・・でもまあ、とにかく、熱中できる対象があるというだけでもいいことだ。恋愛では相手も熱中してくれてないとできないのだから、それはなおさら。
2007年10月05日
コメント(2)
私の朝は遅い。基本的に寝坊だ。遅刻ぎりぎりだ。残業が当たり前なので、朝しっかり行く気がしない(とか何とか言い訳)。勤務先は車で10分ほど。運転は曲を聴きながらだが、まあせいぜい2曲まで。コンポは古いシステムでmp3は使えない、当然HDDもないため、自作のCDを作るのだが・・・。んー、・・めんどうだ。自分に合う曲、聴きたい曲を最近探してないから、実際入れる曲がないから困る。ということで、朝の通勤でかかる曲はずっと同じ。BONNIE PINKの「So Wonderful」と「「A Perfect sky」。朝のさわやかさと、仕事始めの気合を入れるような感じで聴く。他にもCDにはキリンジとか東京事変などを入れているが、朝は結局この2曲に変えてしまう。かれこれ1年聴いててとてもいいんだけどねー。さて、そろそろCD作るかな?この感覚がかなり遅れてる気がするけど、さ。
2007年10月01日
コメント(0)
ふと気がつくとあっという間に歳をとっている。果たして今の自分はどうあるべきなのか?などと考える間もなく過ぎていた時間。しかし、日常はしっかりと自分を取り込んでいて、ぼーっとしているとどんどん流される。このままどこまで流されたい?これでいいのか?ほら、ぼやぼやするな。流されるのはもうウンザリなんだ。な、そうだろ?
2007年09月29日
コメント(2)
最近はようやく仕事が落ち着いてきて、のんびりできるようになった。一人で手っ取り早くくつろぐのなら、シャワーを浴びて、冷えたビールとニュースと新聞でOKだ。つまみはあるにこしたことはないが、私はなくてもさほど困らない。のんびり時間があれば読書なのだが、ここしばらく忙しすぎたので全く本を読んでなかった。「アイデンティティの喪失」、というとカッコつけすぎで、単に仕事だけの人間だったので自分が何を読みたいかわからない状況。しかし、はやりの本は何か億劫だし(時間のムダのようで)なあ。で、以前読んだが理解が不十分な気のする本を読もうかな。ということで、・・・・・、坂口安吾、だな(暗い)。さ、図書館に行こう。
2007年06月02日
コメント(2)
自分と少しいい関係にある、あるいはいい関係になりそうな相手が飲み会などで他の男と消えてしまったらどう対応するべきなのだろうか?電話番号は知っている、メアドも知っている、が。うーん。結局、長い目で見ると何もせずにおくのが正解なのか? 3/18の結論をみるとやっぱりそうなんだろう。
2007年05月19日
コメント(0)
さーて、GWになってやっと休みらしくなってきた。飲み会も一段落、新しい面々の顔も覚えてきて今年度はどうなることか。逆に不安定になっている人たちの情報もチラホラと聞こえてきた。飲み会に午前を過ぎても主婦が時間を気にしないでいるようだとやはりおかしいと感じる。後日他の人に聞くと、その人はやっぱり家庭がゴタゴタしているとのこと。なぜかそういう展開になる人って魅力のある女性が多いような気がするのだが。ま、危ない危ない。そうかと思うと、「実は私たち結婚することになったんです」という報告をしてきた二人(両方とも仕事でのみ知っている)もいた。その二人ならいい感じだ、と思った。もともと二人には全くいやみの感じられない素直な印象を受けていたから。やっぱり結婚って向き、不向きがあるのだろう。しかし二人とも結婚に向いている組み合わせは、今ではかなり少ないような。どうなのかな?それはさておき、今年は何をしようかな?(ふ、まだ決まっていない私の今年の目標)
2007年05月04日
コメント(2)
前回の日記で、うろ覚えだったナポレオンの言葉を調べているうちに気がついたことが1つ。ネットで調べると、格言集や金言などのHPに行き着くのだけれど山ほどの恋愛の言葉の雨あられ。最初は面白くてもすぐ満腹になってしまった。でも、一つ気になることが・・・。その愛の格言はほとんどが男が書いているものだということ。これは男は恋愛で自分が見えなくなったときでも何らかの分析や理由付けをしたがるからだろうか。それに対して女性の言葉は非常にシンプルだ。女性にとって恋愛は自然なことだからか。
2007年03月21日
コメント(3)
さて、これまでのことを思うに、私の場合「先に好きになってはいけない」。まあ、誘いをかける行為は単に距離を縮めるための方便なのでOKだとして。それは「好きになった」ということではないから。「先に好きになる」とほとんど同時に「先に相手を束縛したくなる」。まあ、そうなったらおしまいだなぁ、いつも。気をつけないといけない。「先に好きになる」 → 「束縛したくなる」 → 「メールの返事が来ないと苦しい」、「どこにいるのか気になる」などなど。→ 自滅うん、そう注意しよう。ナポレオンも言ったように。恋愛に対しては逃げるのが一番、だと。ん?しかし、これってどの段階で逃げるべきなんだろうか。調べるかな、明日にでも。
2007年03月18日
コメント(4)
私は年の初めにその年の目標を決めている。というより、自然にこうしたいという気持ちがあるのが普通だ。しかし、今年はいつまでたってもその「目標」が出てこない。かといって、ムリに目標を立てても途中でやめてしまうだろうとふんでいる今の自分。仕事は忙しいけれど、仕事は目標にしない(したくない)。仕事だらけになるから。ま、目標(というか欲)が出ないということは、今は何かに執着していないということか、それとも仕事に忙殺されているのか。どちらにしても気合が入らない。とりあえず3月いっぱいまで目標の設定を延ばして4月にしよう。そう、4月になったら新しいことがあるかもしれないよ、な。
2007年01月20日
コメント(2)
「誰でもいいんでしょ?」「誰でもよかったんでしょ?」一緒に飲んでいて結構盛り上がったりしたとき、またはつきあいはじめたりしたときに女性が放つこの一言。何気ない言葉だが、くらった男性は少し悩んでしまう。「何でそんなこと言うんだ?」、「ん、こいつ、もしかしてレベル低いかな?」とか「いや、ヤクザの彼氏がいるとかか?」など本気で考えたりして。私は相手をちゃんと選んで話をしているのだが、盛り上がっているときにそう言われると少し現実に引き戻される。「冷静になれ」って言ってるのかな?とかね。ま、確かにそこまで選り好みはしないけれど。まず見た目がすごく良くても、飲み会で近くに席移動しても私に話しかけられたくないと思ってるような相手には近づかないし、逆に見た目が生理的に受け付けない相手もパスしている(当たり前か)。私に好意的に話をしてくれる女性には自然に好意を持ってしまうんだから仕方ない。だからか?でも皆ある程度そうだと思うんですが。さて、いろいろ検討した結果、「誰でもいいんでしょ」 → 「もっと私を口説いて。」「誰でもよかったんでしょ」 → 「私がいいって言って。」と勝手に解釈することにした。でないと気分が盛り上がらないし・・・・。人生アクティブに行かなきゃ、ね。
2006年12月07日
コメント(10)
昔つきあっていた人が今の仕事をやめるとのことで、久しぶりにメールがあった。彼女はスタイルがよく美人系のタイプで仕事もまじめにこなすのだが、同性からは妬まれることも多かった。また彼女自身は自分が美人だという自覚があまりなく、そのためまじめに仕事をしていると「すましている」という印象を周囲に与えていることに気づいていなかった。今回の場合も同性との人間関係のトラブルがあり孤立してしまったらしい。自分の魅力を自覚して、同性と協調して目立たないようにしているか、逆にのし上がるしかなかったのか。話を聞くだけで、いいアドバイスはできなかった。彼女の場合を考えると、単純に「美人が得」とは言えないなあ。
2006年11月30日
コメント(8)
この間忙しさが限界にきてすっかりブログを怠けてしまいました(こればっかり)。まだボジョレ・ヌーボーも飲んでないしなあ。といいながらも、着々と週末の予定が埋まっていくのを見て「楽しみだー、だけどきつそうだな」と思う今日この頃です。この時期は新しい相手を見つけるにはもう遅いけれど、まあ飲むのは悪くないか。何か面白い噂話が聞けるかもしれないし(実はこればっかり)。この間久しぶりにビデオカメラを使う機会があって探していたら、前の彼女がちょっとだけ写ってるテープを見つけた(うおっ)。別れたとき彼女の関係のものは全部捨てたはずだったんだが、・・・・・・・。「ま、いいか。」ということで、この際見てみた。見た。見た。うーん、・・・・・。記憶ではもっとかわいいかなと思っていたんだけどなあ。やっぱり「魔法」にかかっていたのか。ま、つきあってた後半以降の時期の撮影だから彼女も化粧に手を抜いていた、というのを考慮しよう。それに見た目だけで選んだわけでもないし。しかし、ビデオや写真は後で客観的に見れるものだなあ。さて、このテープどうしようか。ま、実際は「かなりかわいい、というわけではなかった」ということを確認する(自分を納得させる)ために「やむをえず」とっておくことにするか。(いいのか、な?)
2006年11月23日
コメント(2)
Maduさん、コメントありがとうございます。返事が長くて入りませんでしたので、ここに書きます。>私の周りの結婚された女性の方から「想われて結婚する方がラクだし、幸せ」という言葉を何度か聞いたことがあります。>ごもっとも・・・だと思うのですが、 うーん。結婚相手は恋愛の相手を選ぶのではなく、「ずっと一緒に生活する家族の一人としてどうか」という視点で選ぶということなのでしょう。ただしその幸せの前提条件はかなりあやふやなものの上に成り立っていると感じます。それは「結婚相手に選んだ相手が自分のことをずっと想い続ける」という仮定です。しかし、相手の愛情が冷めたとき自分の心の拠りどころをどこに持っていくのでしょうか。 自分が好きになった相手が自分を見捨てたのならまだ私は納得がいくのですが。相手が好きになって相手がずっと好きでいるからと言って自分がさほど好きでない相手と結婚して、もし相手の気持ちが変わったときは、・・・・。私には気持ちの整理をつけるのは困難でしょう。私は一人がつらくないので「一人でいるよりかはマシだったはず」では納得できないですね。 しかし、まず自分を想ってくれる相手を好きになるのは悪くないと思います。私もまず自分を認めてくれる相手を好きになりますから(プロフィールにも書いてますが)。ただ結婚するときは、相手をとても好きになったから結婚する、と言ってほしいなあと思います。「ラクだし」じゃちょっと。本音なのでしょうが、相手に失礼な印象がします。 あと気になるのは、恋愛の相手をどこに求めるのだろうか、ということですね。「想われて結婚する方が・・・・」と聞くと恋愛と結婚は別と言っているような感じがしますが、その人は恋愛はもう捨てたということなのでしょうか。次に書く内容かもしれませんが、結婚でお互いの気持ちを束縛する(あるいは諦めさせる)のはムリかなと思います。 >「どうしようもなく好き」という気持ち、ずっとこうしてそばにいたいという気持ち、相手も自分を必要だと思っていることが伝わってくる幸福感。>お互いにこういう風に想いあえる相手とずっと一緒にいられたら、それはすごく幸せだし素敵な事ですね。はい、そう思います、ホントに。でも難しい。私は残念ながらその気持ちは一生は続かないと思っています。しかし好きだと感じている瞬間の自分の気持ちは記憶として残せる。そしてずっと自分だけのものだ、と言えるでしょう。自分が感じた気持ち以外のものは基本的には所有できないな、と前回のことで思いました。(あ、まとまっている、か。自分の実際に感じた恋愛などの価値のある気持ちを重視する立場を、とりあえず「実感主義」としておきます。) >ただ、一生この人と一緒に生きていく。となると、やっぱり「好き」という感情だけでなく、色々考えちゃうかな。(これは女性だけなのかなぁ?)「一生この人と生きていく」という生き方を選ぶならば、最善をつくすことは大事だと思います。しかし、一生続く気持ち、難しいですね。
2006年10月07日
コメント(1)
(「つきあう」という言葉、あるいは「結婚」という形が、男女をお互いに束縛し合う(所有し合う)ためのものだ(あくまで私の考え、先入観です)ということをカミングアウトし、すっかり更新する気がなくなっていましたが・・・。まあ、今日はアルコールが回ったのでちょっと進めてしまいます。)前回までは、性の違いで惹かれ合い、相手を所有(束縛)したくて愛の形式をつくる。まあ、言わずもがな的な展開ですが、まず何より生きるためには必要な食料や水を手に入れなくてはならない。しかし、すぐ目の前に用意されているわけではなく、自分か誰かが用意しなければいけない。誰が?自分一人なら迷うことなく自分が働くしかない。しかし、結婚したら、男が働き女性は(うまくいけば)家事をする、というように仕事を分担できる。女性は結婚を考えたとき、「家で家事をして夫の帰りを待つ」という生活をまずイメージするだろう。自分の身近な既婚女性を見ても仕事がしたくて働いているよりも、1.夫の稼ぎだけでは収入が少ない2.家で家事だけしててもつまらない3.自分の自由になるお金が欲しいなどというようなことで働いているように見える(もちろん仕事したいからという人もいるけど。家事は分担で、ですか、うーん)。「だんなの給料だけじゃなかなか厳しいからねー」といいながらしっかり太ってる人もいるし。わたし的には納得いかないのですが。もしそういう病気(太ってしまう)ならしかたないけど。話はそれてしまいましたが、恋愛が性欲、対象に対する所有欲、そして更に将来の生活の分担、更にはその生活の永続保証としての結婚という社会的形式に至り、ついには性を感じさせない存在にお互いがなってしまう(後は家族によるつながりが残る)。現実はこうなのだろうけれど、あまりにさびしい結論だ。相手を好きだという気持ち、その気持ちの中に打算的なものをきっぱり排除したい。(いや、してほしい、が本音か。)つきつめれば性なのだろうけれど、確かに「好き」だと心が感じる、実感する。「どうしようもなく好き」という気持ち、ずっとこうしてそばにいたいという気持ち、相手も自分を必要だと思っていることが伝わってくる幸福感。それだけでいいと私は思う。自分がそういう気持ちになれるというだけで幸せだし、相手を大事な存在だと実感する。そう感じられるだけで私は十分だ。(しかし、そううまくはいかないなあ。それは、・・・・。更に続きます。しかしいつになるのかな。)
2006年10月06日
コメント(5)
(ちょっと休憩)以前(かなり前)、聴いていたZelda(日本の女性ロックバンドの先駆け、ゲームではない)の「FOOLISH GO-ER」という曲の歌詞♪毎晩私に電話をちょうだい、毎日私に手紙をちょうだい夜じゅう朝じゅう 一日中 寂しくて Ah Ah たまらないのよ♪もしもあたしの頭が いかれちゃったら 荷物を一晩でまとめあげ あなたに面倒みてもらうのよ あたしの面倒みてもらいたいのー Oh♪もしもあたしの頭がいかれちゃっても 生きるためにあなたと恋をするのよ特にサビのところ(太字)は歌詞もメロディーもつっぱしっていて、今でも思い出すとしばらくグルグル頭に回ってしまう。よく聴いてた頃は「んー、生きるために恋をするとはどういうことなんかなあ?」という感じだったけど、今聞くと、「あー、やっぱりそういう歌なんですか?やっぱ本音っすか?・・・・・・・」しかし、懐かしいので歌ってみた。今は古いマニアックな歌もカラオケで歌えるからすばらしい。
2006年09月14日
コメント(2)
(前回の続き)全てのモノは所有者がはっきりしている。では欲しい対象が異性である場合はどうなるか。この場合は相手がモノではないので(モノなら買えるけど)、一方的に所有することはできない。ではどうするか。ここで「つきあう」という言葉が必要になってくる。「所有するためには相手にも所有されなければならない」、言い換えると「所有される代わりに相手を所有する」という関係をお互いの意志で選択する、という言葉だと言える。しかし、これはあくまで「常識」とか「社会的な規範」とかいうレベルの不安定な関係であり、拘束力がさほどない。片一方が「もう私は所有したくなくなったからあなたも私を所有できないのよ」と言われてしまえばそれまでである。そこで更に社会的(法的)な拘束力を持つ関係が「結婚」といえるだろう。こうなるとはっきり契約なのだけれど。「私をずっと所有したいならずっと所有される?」え?マジ結局そういうこと?「所有」という観点で見るとそうなってしまうのか。何とも、ね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ということで、何とも色気のない展開でいまいち新鮮味に欠けるとは思いますが、ま、パーツですから。次は男女の気持ちの違いに視点を移して進めてみます。では。
2006年09月13日
コメント(0)
(前回の記事のコメントで大きく振りかぶってしまい、日記が滞ってしまいました。忘れられるのも寂しいので、荒削りですがパーツを書き出していきます。後で、まとめるつもりですので、とりあえずどうぞ。) 究極のところ、男女が惹かれあう根源は性のためであるのは間違いない。では対象を特定の個人に限定するのはなぜか?いや、そうではないことは皆わかっているはず。いくら美味しくても毎回同じメニューではきつい。必ず飽きがくる。この感覚は男女に差はない。しかし、この前後の心理がかなり違うのだろう。この前の段階とは対象を特定の個人に限定するところ。「二人だけ」という関係にするのは、男女ともお互いに束縛することに意義があると考えるからだ。所有欲は誰にでもある。自分のものと他人のものを区別することは幼児の頃に身につくこと。そして自分のものは他人に使わせない権利があり、自分が好きなときに使える。また欲しいものがあっても他人のものならば我慢しなければならないということも小さいうちから知らされる。全てのモノは所有者がはっきりしている。では欲しい対象が異性である場合はどうなるのかというと、~~~~~~~~~~~~~即物的ですみません。今日はとりあえずここまでで。(続きます)
2006年09月11日
コメント(2)
恋愛はあまり分析しない方がいいのかもしれない。アミエルという人の「日記」には、恋愛の美しさや奇跡的な印象を保ちたいなら到底理解できないものと思い込むべき、というようなことが書いてある。その点から言うと、このブログではかなり分析をしすぎた感じがする。「恋愛感情と執着心、個人の自由な考え方とパートナーに求める道義、個人の価値観と社会的責任、恋愛とsex、社会的な男女の役割の違い、などなどこれらの問題を1回きっちりとまとめてみるのもおもしろそうです。」と、以前コメントに書いたにもかかわらず、これ以上はやりすぎかなと思っている今日この頃。お互いに「好きで好きでしょうがない」という相手といた時間を人生の中でどれだけ多くまた充実して過ごせたかが最も重要なことだ。やっぱりこれが結論になりそうだ。 PSただし、そのような恋愛の気持ちが永遠に続くわけではないことから、当然ながら結婚など社会的な規範にはなじまない。しかしその前に、今自分がそのような状況になく、また以前の記憶も薄れていくのが残念なことだ。
2006年08月20日
コメント(8)
車の中にかなりCD(-R)が溜まってきたので、まとめて持ち帰ってみた。最近は椎名林檎と東京事変の私のベストCD(自作)ばっかり聴いていたので、以前作ったCD-Rに何の曲が入っているかわからない。とりあえず聞いてみる。スガシカオ、キュリオ、クレイジーケンバンド、キリンジ、ミスチル、、。その中でザ・コレクターズの「世界を止めて」という曲を見つけた。この曲はあまり知られてないグループの曲だけど、とてもメロディーがよく唄もうまくて、で当然歌詞もいいと思って、当時聴いてたようだ。ストレートに恋愛を歌っている、と。しかし今じっくり聞くと、、、、、違った。ちょっと一番の歌詞を見てみる、と、神様 時間止めて このままキスさせてそっと口づけかわして 折れるほど抱き締めて何度でも君に触れて いつまでも夢を見て秘密にあふれてく この恋に 二人おぼれく誰も知らない 誰も知らない鼻でキスして笑って ツメでほほそっとなでて白い胸顔をうずめて いつまでも君を見てどうにもならないよ この恋が 君をさらってくだからひととき ほんのひとときそうさ ひととき ほんの少し神様 時間止めてこのままキスさせて ずっと ずっと神様 世界止めて明日を遠くして ずっと ずっとすごく素直に「すごく好き」なのが伝わるんだけど・・・・・、「秘密」の恋愛の歌だった。パッと聴くとわからないけれど、「秘密にあふれてく」、「誰も知らない」と歌っている。「秘密」だからそこまで時間が惜しくて時間を止めたい、と。(今考えるとその頃は「秘密」が実感できてなくて、実際のところメロディーとボーカルの良さのために歌詞をじっくり聴いてなかった。)かなり前のことだが、大学生のころかなり年上の人と会っていた。彼女は仕事が忙しく、それでも週に1~2回ほどは会っていた。彼女が「太陽が昇らないようにしてきて」と言っていたなあ(ちょっとヤバイ?)。そのときは自分はその彼女にそこまでの実感はわかなかったけれど。その後かなり経ってから、別の相手にその気持ちを実感することになったのだけど。(「で?だから?」と言われると、それまでだけど、ははは。)
2006年08月12日
コメント(4)
執着心は「相手が他の異性に目を向けている」ということを(自分が)認識したときに起こる。正しくは、「執着心は他人に取られるかも知れないと認識しなければ存在しない。」だけど。相手が自分以外に目が向いているはずがない、と思っている人はその相手に執着心を持たない。例えば、魅力的な男性や美女をゲットした人は常に誰かに取られないかと気になる、つまり「誰か」(いるかどうかは別にして)を意識して執着心を持つ。そして魅力的な男性や美女はいつも相手から心配されるという窮屈な状態になるか、すぐ婚約とか結婚という話になるのかもしれない。しかし、結婚した後はどうか。例え美女でも結婚して子供が小さければ他の男と会う可能性はまずない。となると、今度はだんなの方が有利な立場になり、だんなは安心し美女のほうがだんなに執着し始めるのか(どうだろう)。さて、これを応用するならどうするか。相手が自分に対して執着心を持つようにさせるには、相手が自分に対して執着心を持つようにさせる = 自分が他の異性に目が行く(かもしれない)と相手に思わせるということになるのか。ああ、これは必要条件であって十分条件ではないか(懐かしい数学用語)。つまり執着心を持たせるには、他の異性に目が行くかもと思わせる必要があるけれど必ずしも相手が執着心を持つわけではないから。この結論はいつか役に立つかなあ?ま、まずは相手を見つけないとなあ。しかし、私は自分がされて嫌なことは他人にしない主義なのでやっぱりできないか、ハハハ。 PS:また逆に次のことも言える。「相手に執着されたくなければ、他の異性には目もくれないというようにふるまうこと」
2006年07月12日
コメント(8)
難問の「いつまでも愛されつづけるには」ですが、もう一つ答えがありました。「自分だけをいつまでも愛してくれるような相手を選んで、それから好きになる。」です。
2006年06月27日
コメント(7)
さて遅くなりましたが、riikoさんの質問、「いつまでも愛されつづけるには?」について。でもやっぱり難しい問題ですね。まず「いつまでも愛されつづけよう」と思ったら、自分の魅力を磨き、更に高めておこうと常に気を配っていなければならないでしょう。パートナーが他に相手を見つけようと思わないように魅力的であり続ける。気が遠くなりそうですが、・・・・。また魅力とは外見だけでなくて、他の人にない自分の才能や知識、英語が話せるとか料理がうまいとか、その他いろいろあるでしょうね。まずは、自分が相手のために魅力的な存在であり続けようとするかどうか、でしょうか。ところで、「釣った魚に餌はやらない」ということは多いのではないでしょうか。(実際、この「餌」がモノや金ではなく、「好き」という気持ちだとしたらさびしいですね。)そこで「釣ったけれど、完全に釣れたわけではなく注意しないと逃げられてしまう」というように相手に思わせて気持ちを引き止めるというのはどうでしょうか。もちろんそのためには前述の「自分の魅力を高めて」おかなければいけない(あっさりふられる)のですが。具体的には、相手と深い仲になったけれど、他に異性の友達などからの誘いがあるとか、飲み会には一応行くけれど、相手が大事だからやましいことはしないから、といって週に1、2回くらい出かける、というような状況を常に演出するというのはどうでしょうか。こうやって気を引いていれば、うまくやれば5年は持つかなぁ。私は「好きで好きでしょうがない」という状況が5年続くだけでも「永遠」と同じくらい奇跡的だと思うので。それに「自分の全てを丸ごと好きでいてほしい」という人は自分を常に魅力的な存在に保つ「努力」はしない、か(私もそのクチですが・・・・・)。
2006年06月26日
コメント(2)
「いつまでも可愛い女の定義」とのことですが、、、、、。ま、私なりに少しずつ書いてみます。 まだつき合っていない相手に可愛い女と思われるには、とりあえず外見ですね(顔だけじゃなく全体での印象、服装、声とかも)。まずは男性に「女」と思われなければならない。美人でなくていいのです。「ちょっとかわいい」とか「何かいい感じ」程度で。5段階で3.5以上(甘いか?)。その上で、相手に興味があることを自分から示す。と、これだけですね。具体的にどうするか?飲み会とかなら自分から何回か話しかければいいでしょう。男性は許容範囲以上なら話を盛り上げ始めるでしょうし、話をきりあげようとされたら許容範囲以下だったということです。でも次に行けばいいことです。また仕事場なら笑顔で対応したり、ちょっとしたムダ話を持ちかけたりとか。女性の場合、男性に選ばれて(アプローチされて)付き合い始めるパターンが多いでしょう。しかし、それではその場に他にきれいな女性がいる場合には一向にその男性から話かけられない。男もできれば一番見た目がいい女性がいいとは思っている。でも実際はそこまで基準は高くなくて、「ダメなら他の許容範囲(3.5以上)でも全然悪くないんだけど、他と話をすると「一番」から嫌われるかもしれない」、と思ってなかなか身動きができない。ここで自分の許容範囲以上の女性から話しかけるとかの好意を示されたら、あっさりカップル成立(甘い?)。ではいつまでも可愛い女性になるには?ルックスである一定以上のレベルを保つ、そしてさりげなく男性に自分から好意を示す(あるいはそんなフリをして手玉に取る?)、と。today3さんには言うまでもないことでしたね。 ん、つきあってからも可愛い女を続けるはどうするか?うーんそれはまたいつか(下ネタもからみますから、はは)。
2006年06月08日
コメント(10)

さーて今日は終了。あとはのんびりだ。といっても夜一人で飲み歩くのは性に合わないのでホテルで休んでるけどね。ホテルもいいけど夜景もまたいいんだなあ。一人ではホントにもったいない。
2006年05月14日
コメント(10)
13日から3日間ほど東京に出張してきます。職場でのストレスから一時離れてゆっくり勉強できるかなといったところ。羽田空港か新宿駅付近で売っているおすすめのおみやげって何かないでしょうか。
2006年05月12日
コメント(11)
さて、私の失恋についての問題は整理されたので、このブログも一旦休止としようかと思います。まあ、また書きたくなったら書こうかと思っていますが。それからメッセージはいつでも受け付けていますのでよろしく。実はもともとこのブログを始めたのは、ふられた直後のMisya119さんのブログにコメントしているうちにコメントが長くて入りきらなくなったことがきっかけでした。ブログを開始して、Misya119さんの日記内容に対して答えが出るように、自分なりの考えを書いていきました。その後、Misya119さんはブログを閉めてしまったので、いわゆる「ペースメーカー」がなくなり迷走してしまいましたが。(Misya119さんのブログでの受け答えをフリーページにまとめました。Misya119さん、御許可ありがとうございます。)http://plaza.rakuten.co.jp/wincof/6000とにかくこうしてブログを続けることで自分の考えが整理されたのは有意義なことでした。Misya119さんをはじめ、常連の皆さん、書き込みをしていただいた方々ありがとうございます。(誰かはわからなくてもいろんな人の考えが聞けるのは新鮮でよかったです。)あと、文がまとまらなかったものをここに残しておきます。また気が乗ったときに書く材料になるかもしれないので。(自分を信じることができるか?)相手の気持ちを信じることは難しい。では自分の気持ちはどうだろうか。今の自分の気持ちはもちろんわかる、信じることもできる。しかし、将来の自分は?1年後もその相手のことを一番大事だと思っているなんて言えるのか?他に誰かもっと素敵な人がいるかもしれない。その人から好意を寄せられていても、拒否できるのか?もし、「狂気の恋愛」状態が続いていれば、どんなに素敵な人がいてもだいじょうぶだろう。しかし、1年後にどうなっているかなんてわからない。もし、どっちかが「狂気の状態」で片一方が醒めていればどっちにしろ修羅場だろうなあ。(愛情 vs 新しい恋愛 の続き)この問題は、その人の価値観によるので結論は出ないかと思われました。同じ人でも立場が違えば考え方も違ってくるかもしれません。私の場合は前回書いた通りで、「新しい恋愛には愛情は勝てない」です。まあ、反社会的な結論なので真っ向から言い切るのは抵抗がなくはないのですが。 ではまたー。
2006年04月13日
コメント(12)
恋愛から始まり愛情に変わり、落ち着いてくる。その経過で、結婚し、家庭ができ、出産、子育て、と社会的な環境も変わる。しかし、ここに大きな問題がある。愛情が生まれたからといって、両者とも(心から)恋愛を放棄できたわけではないということだ。ここでどう考えるかは人それぞれだが、これまでカテゴリー「男女の恋愛感の違い」で書いてきた通り、男性と女性では置かれている状況がかなり違う。 男の場合は恋愛は恋愛、結婚は強いていえば社会的なけじめ、だが結婚してなくても仕事がバリバリできていればさして問題ないないだろう。必ずしも結婚しなければいけないという考え方は男にはない。「年貢の納め時」なんて表現は女性には失礼だと思うが、やはり男の本音だ。しかし女性はそうはいかない。結婚、出産、子育ては、最も常識的な幸せのプラン。また権利でもある。それも「期間限定」の。自分がその期間内にその権利を行使しなければいけない、損であるとの強迫観念、あるいは世間一般の考えの中にさらされてきたのだから。※実際のところ男から見れば恋愛相手としては、女性の魅力は女性が思っているよりももっと長い期間その対象であり続けられる。30代なら問題ないし、40代でも魅力的な女性は十分恋愛対象として男性は見える。(しかし結婚、出産、子育てに入ると、とたんに女性をアピールしようという意識が低下し、魅力も失いがちになるような。それでも十分恋愛対象にはなりうるのだが。) さて、結婚後(あるいは独身で二人の気持ちが恋愛から愛情に変わったとき)に新しい恋愛(もちろんとても好きになってしまうような)があらわれたらどうするのか?まず、独身同士の関係の中に新しい恋愛が入り込んできたらどうするか。愛情をとる(今までの相手を大事にする)か、新しい恋愛(そのとき一番好きな相手)をとるか。さてどうするのだろう。・・・・・・・・・・・私なら新しい恋愛をとってしまいそうだ。しかし新しい恋愛をとるなら、その人は結婚に向かないと思う。もし、(今までの相手を大事に思い)愛情をとって、(今一番好きな)新しい恋愛の相手をふる、というならその人は結婚に向いているのではないだろうか。 社会的な面で結婚した場合(ある意味一般的?)、「結婚は、「大人の分別」であり、「けじめ」であり、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 だから何なのだろうか?結婚という制度が、女性が出産、子育てをする上で社会的に望ましい形態であることは事実である。経済的に安定していなければ女性は安心して出産できない。その社会的な点で大いに結婚の存在意義はある。だから、男は結婚するときにはその意義を強く認識する必要がある。家庭を守る、子供を育てるのに十分な仕事を持つという意識を。逆に、女性は家事、育児に責任を持つ、というように(もちろん役割分担がその逆もありだろう)。しかし、それはあくまで社会的な意義においてである。心まで縛ることはできないのだから。(もし、法律で浮気禁止などと出たら現代の民主国家とは到底呼べないだろう。かなり味気ない社会になるに違いない。数々の小説は発禁処分となってしまう。)結婚とは、恋愛の延長上にこっそりと置かれた、社会(法)の介入をわざわざ自ら受けようとさせる形態とも言える。それはともかく、社会的には制約できても心を制約することはできない。社会的な義務を果たしていれば(家庭を守り、経済的に安定させていれば)、そもそもの社会的なあり方として結婚は合格であろう。しかし、新しい恋愛にはどう対処せよ、との明確な答えはない。ただ心は誰にも束縛できない。後は二人の話し合いによる「契約」次第か。もし、純粋に恋愛のために結婚した場合はどうか。これは最初から話が違ってくる。新しい恋愛がどちらかに起こったらどうするかは考えていなかったのか?片一方にたまたま早く新しい恋愛が現れたというだけなのに、残された方は相手に慰謝料を請求するのだろうか。いや、恋愛で結婚したのなら、新しい恋愛が現れて、今までの恋愛が壊れたのならさっさと別れるべきではないだろうか。しかし結婚していると、その社会的な規範を盾にして、新しく現れた相手及び自分の相手を法的に攻撃することができる。もしその力を行使しようという人物は、他に付き合っている人がいる異性には自分は恋愛感情を持たないのだろうか。持ってはいけないと思っているのだろうか。結婚してなければいいのだろうか?結婚していてもしていなくても好きという感情に違いがあるのか?好きなものは好きなはずだ。お互いが好きなら誰がその気持ちを邪魔できるというのか。やはり恋愛は恋愛としてのみ存在してほしい。私の中ではやはり恋愛と結婚はつながらない。結婚して、恋愛を、心を、社会的に束縛する?ムリだ。結婚するから好きなのかということも気になる。結婚のための相手と恋愛の相手(好きな人)というのは別なのか。結婚しないのなら別れると言ってふられるのは私のパターンだったが、なら結婚するという男なら好きなのか?と言いたかった。それは好きじゃなくて結婚相手として選ぶだけじゃないか、と。さほど好きじゃない相手と一緒にいてそれで幸せなのか?と。ふー、(元)彼女は結婚したのかな?こうやって書き出すとやっぱり私は変わっていないなあ。走り出すと文脈がメチャメチャだ。ま、これでは元彼女になら、またふられることは確実だ。それでも一応結論は出しておかないと、また混乱する。「結婚は出産、育児の元となる家庭を安定させるのによい社会的形態である。しかし社会的に恋愛を束縛するものとして機能させることには無理がある。結婚しても心は縛れないから。」「結婚は社会的な契約と認識した上で行なうものであり上記のこと(家庭の安定)は当然として、そこから先はお互いでよく話し合ってそれぞれの納得できる形で契約すべきだろう。」 (今日は荒削りですが出してます。また書き直すかもしれません。このテーマのときは毎回のことですが・・・・・・・)(つづく)
2006年04月06日
コメント(8)
私は以前つきあっていた彼女(直近とは別)にかなりたくさんのウソをつかれたことがあった。その相手はたくさんウソをついてウソを積み重ねていくちに壮大な架空の世界を作り出してしまい、そのウソがあまりに大きすぎてしっかり騙されていた。まあそういう場合、ついてる方もつきたくてついてるわけではなく、見せたくない現実を隠したくてやむなくというのが多いのだろうけれど。そのときに思ったのが今日の「ガラスの器」。で、今日はカテゴリーの「信じるということ」で結論できていない、「信用をなくした相手を信じるか」についてです。大好きな相手への信頼を「ガラスの器」にたとえてみる。心の中に持っている、脆いが高価できれいな器。そしてその相手への恋愛感情はそこに満たす「水」。水を入れて眺め、そのきれいな器を所有している幸福感を得ている、と。しかし、信頼すればするほど硬くなるが衝撃には脆くなる。一度小さなウソで傷をつけられるといくら拭いてもなかなか傷はとれなくなる。何とかしようと拭いてるうちにますます細かい傷がつく。また「疑う」ということは傷がついてないかと確認するようなもので、調べているうちに細かい傷をつけたりうっかり落としてしまうかもしれない。確認はしたいが壊しては何にもならない。そのうちに、ウソで傷ついた「ガラスの器」はだんだん最初の美しさはなくなって、曇ったサエない器になってしまう。また一旦ひびでも入れば、そのひびはその後小さな刺激でもどんどん大きくなり、最後には水を入れることはできなくなる。ひびの入った器をどうするか。こまめに水をつぎたすか、いっそのこと器を代えるかは、その持ち主の判断だろう。また、その器の材質は持ち主の気持ち次第。あまりきれいではなくても、プラスチックの容器なら丈夫だ。水も漏れないから実用にはなる。まあ、でも持っていてもさほどありがたみ(幸福感)はない。プラスチックの容器ならさがす手間を惜しまなければ似たような形で新しいものが安く手に入るだろうし。ガラスの器をなるべくきれいなままにしておきたければ、自分ができることとしては確認しようとしていじったりせずなるべくそのままにしておくことか。もし傷ついてしまったけれど器を捨てたくないなら、気持ちを変えて材質を丈夫なものにするしかない。それに魅力があるかどうかも持ち主の気の持ちようだろう。 ところで、そのウソをついていた彼女とはどうなったかというと、確認作業を繰り返して傷を増やしたり確認作業に疲れて、すっかり魅力のないものにしてしまい、結局1年もしないうちに別れたなぁ。(うーん、このたとえは少しムリだったか。)
2006年04月01日
コメント(10)
さて、このブログのまとめにとりかかろう。1. 当初の目的である「失恋からの脱出、整理」 → 決着すみ。元彼女はしっかり消えた、絶対消えた(はず)。(たまに元彼女と同じ車を見て思い出すけど。これがよく走ってるんだよなー。)2. 今後の恋愛方針(話、硬いなぁ) :好きになった相手に応じて、お互いに納得できるスタンスを選ぶ。 A. お互いに束縛しない、けれど他に好きな人ができたら別れる。(こっそり疑う) → 短期燃焼コース B. お互いを理解できるよう話し合って問題解決。充分話しても解決できないときは別れる。(基本的には疑わない) → 通常コース ×お互いに束縛 → これはボツ ◎束縛しなくても安心な性格の相手を選ぶ → もちろん「魅力的な」だが。でもムリ、見つけるのは大変。少しは期待しつつ。3. 結婚については、 ・束縛の道具として用いることは×。 ・結婚及びその後の人生についての考えが同じ2人が結婚を選択するなら問題なしだが、片一方がムリに考えを曲げる、あるいは曲げさせるようなら×。残りは、4. 信用をなくした相手を信じるか これは次回「ガラスの器」で書こう。5. 最後に 「愛情 vs 新しい恋愛」。では今日はこの辺で、おやすみー。
2006年03月30日
コメント(6)
前回(3/15の日記)までで、しっかりつきあうなら「話し合いでお互いの理解を求めていく」という結論(スタンスの2)だった。しかし、話し合いで相手の理解が得られない場合はダメ、と。 二人の恋愛に対する根本的なスタンスが全く違う場合どうしたらいいか? つまり、一人は独占欲が強いが、もう一人はお互い束縛しない関係がいいとか、片一方は将来結婚したいと考えてるのに、もう一人は結婚はずっとしたくない、など。 そういう根本的な考え方が違うのであれば、どちらかが折れるか、結局は別れるしかないのだろう。(それは社会的通念とか常識に必ずしも従わなければならないという問題ではないのだから、「つきあうのは一人だけであるべき」とか「適齢期のうちに結婚しなければいけない」というようなことは二人には基本的には関係ないし、またそれを振りかざして相手に迫るようなものでもないから。) お互いに好きな状態でも、執着心の度合いに違いがあるはずで、別れたくないと強く思ってるほうが折れる(その恋愛における弱者、と言える)。力関係がほぼ拮抗していればお互いに意見の一致を見ようと努力するだろうが、どちらかがベタぼれ状態なら惚れているほうが我慢する、と。 将来、相手が「自分の考えに理解してくれるかもしれない」と期待して。 しかしそうならなければ、折れているほうは不満足な状態に自分を置いているため、いつかは我慢できなくなって条件の改善を求めてくるだろう。「私のことを好きなら少しは理解してくれ、」と。 しかし、その時には別れることも当然覚悟しなければいけないだろう。 根本的な恋愛の考え方の違いが(つきあいを続けていっても)変わらなければ、(早いか遅いかの違いはあっても、)結局は別れる、と。 そしてその別れの時期を決めるのは折れていた方であり、折れていた方が我慢できなくなったとき別れることになるけれど、折れて我慢していたほうに責任があるのではなくお互いの考え方の違いのため、ということだ。 しかし、今までは折れていたのに、急に「もういやだ、わかってくれないなら別れる」と言ったら、今度は相手がびっくりして、「今までどおりでいいじゃん。何で別れるってなるの?わからないよ。他に誰か相手いるの?」とかなって、相手がストーカーにならないか心配、って場合もあるかもしれない。 まあ、考え方に違いがあるとわかったら、すぐ別れるか、ちょっと折れてしばらく様子をみるか、はそのときに考えることにすればいいかな。 (しかし将来結婚を考えている女性の場合は、「相手の恋愛の考え方をよく把握してからつきあい始めないと」困りそうだ。でもなかなかできないだろうなあ。)
2006年03月26日
コメント(11)
以前、にょ2006さんに勧められたSURFACEの「君の声で 君のすべてで」を聴いた。それは彼女に会いたくてしかたない、不安な男の気持ちをそのままさらけ出したような曲だった。私の気持ちは一気にその曲にはまってしまった。しかし、不思議なことにもう彼女の顔は浮かんでこない。「好きで好きでしかたない」という気持ちは戻ってくるのだが、対象はなくなっている。で、その当時聞いていた曲を聴きなおしてみた。やっぱりすごくひたるというか、自分の気持ちが戻ってくる。しかし気持ちは曲とともにすぐに戻ってくるのに、彼女の顔はちっとも出てこない。ムリに顔を思い出しても、もはやその気持ちには合わない。もうしっかり「魔法」は切れているようで(あるいはムリに消した)、自分の気持ちだけが残っているようだ。自分で消しておきながら、どこかさびしいなあ。
2006年03月21日
コメント(16)
「でもな、きみが夜遅くまでどっかの店で飲んでても全然心配しないような相手だったら、絶対そいつはきみのことをたいして好きなわけじゃない!そんな相手はきみのことを大事に思ってないはずだ。じゃあな!」という捨てゼリフを吐いた記憶がある。(私は何回か捨て台詞を吐いてます。)それは、例のメール連打の日(フリーページを御参照ください)の後、何日かして朝早くいきなり会いに行ったときだ。マンションの前でドアすら開けてくれなかったが(今思うと当たり前、・・・)。これと同じことを何度言ったかわからない。それだけ好きだから言っていたのにさ。話し合いの末にやっととりつけた門限1時の約束にしても、待ってるほうからすればもうかなりの「拷問」だ。飲んでる時にこっちから連絡すれば嫌がるだろうから我慢していたが。彼女は、「だいじょうぶよー。寄ってくる男ったってさ、たまにちょっと話に来るけど適当に相手してるだけだし、よく知ってる店だからー・・・。」別れる前ぐらいの時には、「妄想で話しないでよ。絶対そんなことない!」(は、これはどうせダメだったね。)ま、やっぱり相手が悪かったと思うしかない。話をしても全然わかってくれないのではどうしようもない。逆に、「こんな相手なら仕方なかった」と早めにあきらめをつけるべきだったなあ。あーあ(だった)。
2006年03月18日
コメント(4)
これにけりをつけておこう。「疑う」ということは事実を確認しようとすること。だが、疑う対象が相手の心の場合は確認はできない。(ただし、明らかな証拠が見つかるかもしれないが。)だから疑いが残るが、その結果束縛したいと思ったり、証拠(明らかな背信行為)を捜し求めることになる。しかし、それは「悪い結果」を自分から求める行為となってしまう。その後の展開は、a. 束縛したり疑うことで、相手にうっとうしがられ嫌われて別れる。b. 証拠を見つけて、別れる。結局は、別れる方向に進む行為である、と言える。だから、どのようなときに疑ったらいいか、となると、→ 別れたい時(相手が原因で別れるようにしたいとき、あるいは相手から別れ話を切り出すようにしたいとき)もし別れたくないけれど疑いが消えないならどうするか。はっきりしていることは、相手に自分が疑っているということが伝わると、2人の関係ははっきり悪くなるということ。だから、 → 相手に伝わらないようにこっそりと疑うのがいいのではないか(全くこりないな、あはは)。というように、私は対処しようかなー(そのときこのブログが見られるとまずいけど)。
2006年03月17日
コメント(8)
今度恋愛が始まったとして、(私は疑い深いので)疑いたくなったらどうしたらいいか。(ま、こまごまやっている間にさっさとつきあい始めれば、とつっこまれそうですが。)前回の日記では、スタンスとして、1.お互いに束縛しないし気にしない。(最終的に自分にもどってくるかどうか)というような、ある意味オトナのつきあいしかないのかなあ、と書いた。しかし、これではつきあっている意味がないじゃないか、で終わりました(中途半端に)。今回の日記は、他のスタンスはないものかというもの。この間に浮かんだ案は以下の3つ。2.お互いに相手を疑わないような関係を目指す。 → よく話し合い、お互いに信頼できるような関係作りを目指す。 ※理想的なのですが、もしこのように相手が考えてくれない場合(そんなこと必要ないとか、好きだったら信用しろよ、という立場で対応されたら)ダメ。3.お互いに思いっきり束縛する。 → 好き同士ならOKなはずだが・・・。 ※束縛したい度合いがちがいすぎると負担感が大きいほうがキツくなる。4.疑う余地もないくらい性格がよい相手を選ぶ。 → これなら全く問題ありません。 ※しかし、魅力的な人物で性格の良い人物などなかなかいないのが現実。目指すべきは、スタンス2かな、と思うのですが・・・・。あと「信用をなくした相手を信じますか?」ということも残っているし。他の案もまた検討しながら明日以降へ。→(信じるということ(4)に続く)
2006年03月15日
コメント(7)
私は相手を疑うこともやむを得ないと思っている、一方で恋愛を賛美しているのに。さて、今度恋愛が始まるとしたら、どうしたらいいのだろうか。実はこの前ふられた彼女とつきあっているときもこういう約束があった。お互いに他につきあうような人ができたら(例え一回だけでも)隠さないですっきり別れよう、と。え、じゃ何でそんなにゴタゴタしたのかって?それは彼女が私にわからないように他の男とつきあっているかもしれないと疑ったから。全く意味ナシ、だった。じゃどーすんだ。うーん。こんなスタンスではどうだろうか。1.自分も相手もニュートラル、束縛しないかわりに束縛されない。 → お互いにいろんな人とつきあうのも制限しないし気にしない。 (しかーし、これで最初から2人がOKなら苦労しないよー。)でもこれしかないのかも。2.以下が思いつかない。私が相手を信じられないから。(信じればいいじゃーん、とつっこまれそうだ。それができないのは執着してるからなんだよ。あんまり好きじゃなければ、どうでもいいと思うような相手なら執着なんかしないよー。それだけ好きなんだから、思っちゃうんだからしかたないじゃないかー、だろうなあ。) ← 全く進歩ナシ。あーあ、自分が想っている気持ちと同じだけ相手が自分を想ってくれればいいのになあ。また夜にゆっくり考えよう(まだ残業中)。今、実際にこれで悩んでいたら後回しにできないことだろうけどなあ(一応仕事中だがいいのか?サービス残業だからいいのだ)。(続く)
2006年03月13日
コメント(10)
彼女のことを信じていたらどのような結果になったのだろうか。想像をしたことがない。私は疑い深い人間なので信じるなんて想像もしない。しかし、せっかくブログを立ち上げたので一度想像してみよう。彼女は飲みに行くのが好きで、カラオケも好きで朝5時まで飲んで歌っていても別におかしいとは感じない女性だった。私ともそういう状況で深い仲になったのだから、ある意味飲むとガードが甘くなるのは否定できない。まして付き合い始めのとき彼女には彼氏がいて、更に結婚の予定も出ていたのだから。当然、私は彼女が飲みに行くのは心配だった。こまめに連絡をすることと門限1時までを約束させていた。そして、これを続けさせたのが、彼女が離れていった原因だったわけだが。ここで彼女を信じて(全く疑うことをせず彼女にさぐりすらしないで)いたら、どうだったであろうか。彼女が私を裏切らずおとなしく家に帰っていたのだろうか。いずれは彼女はまた新しい男を見つけるにちがいない、と私は思った。だから信じることはしなかった。もし信じて裏切られたらどうするかの答えに、「その程度の相手だと思えばよい」とか、「残念だけど私のことを大事に思えなかったんだからあきらめるしかない」とか、という答えしかなかったら、発覚が遅れればすごく長い間裏切られることになるではないか。それだったら結果は同じだ。疑って、束縛して、嫌なら別れよう、私のことが好きなら早く帰ってくることに何の躊躇がいる?と、したほうがムダな時間を使わなくていいじゃないか(と、瞬時に判断したはず)。結局、別れてしまったが、私にはこの結果が最初からわかっていたと思う。かなりジタバタし、かなり尾を引いたのが、大きな計算外だったけど。
2006年03月10日
コメント(11)
何とか理由をつけて自分を納得させていたことを前回は書いたけれど、他に別の方法が二つあった。残りのうちの一つは、「彼女、あまりかわいくないじゃん」と自分に思わせること。(バカバカしいと言われそうですが。)ふられた後感情的になり、ほとんどの彼女の写真を削除したが、マイドキュメントのフォルダに彼女からの写メがちょっと残っていた。そのうちかわいいのはさっさと削除して、ちょっと失敗して写ってるものだけ残しておいた。そして彼女に連絡をとりたくなったりしたら、その「失敗」写真を見るのだ。「おいおい、こんなのにまだ未練があるのか?」と。 彼女に最初に会った時は「ちょっとかわいい」程度だったけど、だんだん相手が自分に好意を持ってくれているとわかってきて、かなりかわいく見えてきた。 そして、つきあいはじめたら「好き」、「オレも大好きだよ」となり、ますます好き好き相乗効果で、すごくかわいくみえるようになった。ホントに「恋は盲目」状態だった。 なので、今もその「失敗」写メはあるけど、客観的に見ればたいしてかわいくない。でも「成功」写メがあったら今見てもかわいいんだろうなあ。でも見ないに限る。
2006年03月09日
コメント(8)
彼女にふられたことを確認した後、とにかく自分を納得させないといけなかった。ストーカーはあまりにミジメだ(自分をふった相手を追いかける、なんてね)。 たぶん今ならブログに山のようにたまっていた気持ちを吐き出したり、またそれについて他の人からのコメントがあったりしてもっと早く落ち着いていたと思う(ホントについ最近までひきずってたから)。 しかし、その時は自分一人で何とか自分を押さえ込まないといけなかった。とにかく自分を納得させるような言葉をひねり出しては書いていった。以下が、そのとき自分を納得させるために使っていた文章の一部(原文のまま)。「結局は、お互いに好きで好きでたまらない、会うのにそれ以外の理由なんか要らないっていう相手を見つけられたなら、それだけでラッキーで幸せなことなんだ。その幸せがいつまで続くかはわからないけれど、それでも出会えただけでも幸運なんだ。少なくともちっともそう思えない相手と会っているよりかはずっといい。人間の心なんてもろい、うつろいやすいものだ。ずっと続くなんて期待すると必ず痛い目にあう。ダメになったときはしかたないよ、あきらめよう。もう土俵から降りてしまった相手をムリに引きずり上げても、もう前のような幸福感は得られないよ。お互いに好きで好きでたまらない、という条件にはもうあてはまらないんだから。相手が盛り上がらなければ結局自分の独り善がりな関係でしかなくて。ま、それじゃダメだよな。」今見るとちょっと(いや、かなり)恥ずかしいが、・・・・。あと他に2つの行動をとることで、何とかストーカーになるのは思いとどまった。(あと2つはまたの機会に、かな?)
2006年03月06日
コメント(10)
この前の記事で、私は、男女間で友達が成立するのは「両者ともに相手を恋愛対象に見ていないとき」に限る、と思う。と、書いてしまい、喧喧諤諤になってしまいました。しかしふっと身の回りを見てみると、接する女性はみなそれなりに魅力があり、ストライクゾーンの人も少しはいることに気がつきました。で、何とも不平等ですが、話し相手が異性としての魅力があればあるほど一緒に話すのが楽しいと思うのは仕方がないことなんでしょうね。これは男女に限らずに。当たり前と言えばそれまでですが。ということで、少し緩めた文を付け加えてみることにしました。男女間で友情が成立するのは「両者ともに相手を恋愛対象に見ていないとき」に限る。 ただし真に友情とは呼べなくても、ある程度の恋愛感情の存在は男女の共同での業務の遂行や問題解決を円滑にする。といった具合で。何か中途半端な結論ですが、これで御容赦を。(しかし、何か硬い話になってしまった。反省しております。)
2006年03月04日
コメント(16)
「大事なお友達でいたい。」これが彼女の最後の言葉だった。彼女が本気で言ったのか、とりあえず私を落ち着かせるために言ったのかはわからない。そのときの私の気持ちは当然、「この経過で友達はないだろう」だった。彼女にふられ、最初は連絡を待っていたけれど結局我慢できなくなりやっとメールしたら、彼女はさっさと新しい彼氏を見つけていた(というより、その前からもう次は決まっていた?)わけだから。「いつでもメールしていいよ。」とか「嫌いじゃないし、たまに連絡くれたりするのは嬉しいよ。」とか、「前みたくはできないだけよ。大事なお友達でいたい。」ってことだったけどね。私としてはバカバカしくて、というより屈辱的というか。更に、彼女はそうメールしておきながらも、その後こちらからのメールにはちっとも反応してくれなかったわけだから(もはや友人以下)、一応何かのときの「キープ」(暇なときの食事とか酒の相手)として残して置くという感じだったのだろうか。(メール連打はさすがにしなかったが、もう脈ナシと覚悟ができていたからなあ。)あまりにみじめな扱われ方だと思ったので、私はそれ以降「歯を食いしばってでも」メールしなかった。そんな「友達」なんて○○くらえだ!(ふ、全く。)PS. ところで、男女間で友達が成立するのは「両者ともに相手を恋愛対象に見ていないとき」に限ると思いますが、どうでしょうか。どちらかが相手を恋愛対象としてとらえているなら真に友達とは言えないと思うんだけどなあ。
2006年03月03日
コメント(16)
気になる言葉が一つある。金のために結婚するものは悪い人間であり、恋のために結婚するのは愚かな人間である。(サミュエル ジョンソン)この人はイギリスの詩人・批評家だそうで、詳しくは知らないが。初めてこの言葉を知ったとき、「うーん、なるほど」とは思ったが、「じゃどうしたらいいんだろう」と思った。(サミュエル ジョンソン自身は結婚自体に否定的な見方をしていたのか?)文の前半は当然だが、後半は恋の情熱が長く続かないことからだろうか。では何のために結婚するのがよい、と?以前は(今も、か)この言葉を越える考え方を発見できず、あまり結婚に積極的な意味を持てなかった。このブログを続けて「この言葉を越える考えが出たらなあ」と思う今日この頃。
2006年03月01日
コメント(10)
(この言葉が好きな人、すみません。今日はさっと読み飛ばしてください。) 私は以前につきあった女性に非常に手の込んだウソをつかれていたことがあった。手の込んだというか、その都度ウソで塗り固めたため何がなんだかわからないというか、ここに書くとそれだけで疲れるくらい。もしメモをとっていれば矛盾したところはすぐわかったと思うけれど、やっぱりその時は「好き」だから相手の言葉を本当だと思いたかったのだろう。で、そのウソがばれたとき、運転している私の横で泣いている彼女がみるみる別の知らない人物に変わっていくような気がしてとても怖かったのを覚えている。(何をされるかわからないというような感じで。) そのときから私は非常に疑り深い人間になった(人のせいにするのは好きではないけれど)。また「信じる」という言葉を言うのが苦手になった。(だってウソだから。) つまり私の「信じる」ということは、 たとえ「そうじゃないかもしれない」と思ったとしても、無理に自分に「いや絶対そうなんだ。」と思い込ませることだ。 と、いうことになった。そのくらいでないと「信じる」と言わない、あるいは「信じて」といわれた時、「絶対私は疑わないんだな」と自分に念を押すように。 その後は「信じる」という言葉が出るたびにこう言い換えるので、自分の事柄を相手に言う時に使うことはまずなくなったし、他人が使っているときには注意するようになった。 これも「永遠の愛」と同様(昨日のコメントで、にょ2006さんの言われたような)、「美しいけれど怖い」言葉じゃないでしょうか?(それとも私だけかなぁ。)
2006年02月28日
コメント(10)
恋人同士はお互い相手に「永遠の愛」を期待する、あるいは約束させることは当然のことかもしれません。しかし同時にその危険性までわかっているでしょうか。2/20にコメントしていただいたMIU(Mickey_Minnie)さんの言葉から、特定の男女が長く付き合っていく時には「恋愛」が冷めてきても「愛情」に移行していく、と。その移行時期が結婚後の期間だと私は思いました。しかし恋愛が冷めるのが結婚前や、あるいはまるっきり結婚を考えていない場合は別れることになる。もし冷めていないほうが永遠の愛を思っていたらどうなるだろうか。納得いかないし苦しいから、関係を続けようとストーカー化するかもしれない。相手や相手の新しいパートナーに危害を加えようとするかもしれない。どうですか。怖くないですか。私は恋愛感情はいつかは冷めてくるものとわかっていながらも、かなり苦しい思いをして、何とか自分をセーブすることで彼女に危害を加えようと思わずにすみました。しかし上記のように、恋人のどちらかが永遠の愛を信じている(あるいは誓わせている)彼あるいは彼女より早く冷めてしまった場合、(まだ永遠の愛を約束だととらえている)ふられてしまう相手から危害を加えられる可能性が常にある。特に男性がふられた場合は彼女に暴力をふるおうとする可能性はより大きいでしょう。ちなみに、私をふった彼女はいつもそのパターンだったので必ず暴力沙汰になっていたようです。私と付き合い始めたときも彼氏がいましたから、そのとき私は元彼から危害を加えられそうになりました。なかなか同時に熱が冷めるというわけにはいかないのが難しいですねー。
2006年02月26日
コメント(8)
ふられた日のこと。私は彼女の心が離れていくのが嫌で、かなりまめにメールしていた。ふられる前の日(金曜)、彼女は仕事仲間と飲み会に行っていた。彼女は飲むのが好きで、また歌うのも好きなのでほっておくと帰りが3時、4時になってしまう。私はその時間になれば周りの男たちはどのように思うかはわかっている。「遅くまでいる=誘われてもいいわよサイン」と受け取られてもしかたない、と。彼女は「私はそんなつもりないんだからいいじゃん。だいじょうぶよ。」と言う。しかし、それでも私は門限1時を提案し、彼女もしぶしぶOKしていた。しかしその日はいつまでたってもメールは来なくて、「一緒に飲んでいたという女友達が酔って吐いたため自宅まで送って遅くなったためメールできなかった」、とのことだった。次の日は土曜で昼、半ドンの仕事が終わると私はすぐにメールした。しかし、全然反応はない。「昨日他の男と泊まってのんびりしているかもしれない。」カーッと血が昇った私はWebメールの送信ボタンを思いっきり連打した。Webメールは送信前に例えば10回連打すると10通連続して同じメールが送られつづける。さすがに反応があった。私「すぐそっちにいっていい?」彼女「え、今から友達のところに行くから。」私は「ちょっとでいいから行くよ。」と言うが早いがすぐに職場から飛び出した。もちろん現場を確認するためだ。その間20分ほどで、微妙な時間なのだが。着いてチャイムを鳴らすが反応は鈍い。やっとドアが開いたが、何とドアにガードがかかっている(くわっ、何じゃいこりゃー)。いままでガードがかかっていたことはなかった。私「何これ?」彼女「何しに来たの?今から出るんだから時間ないよ。」私「とにかく開けてくれよ。何なのこれ?」しぶしぶ開けた彼女を押しのけ中に入ったが、当然誰もいない。もしかしたらどこかに隠れていたかもしれないが、私はしっかり血が昇っていて冷静な判断はできなかった。彼女「もう帰ってよ。今から出かけるって言ったでしょ。それに、アレ何?あのメールのせいで友達と連絡とれないんだから。」さっき私が連打したメールの着信音が延々と響いていた。頭に来ていたのでかなり連打したのだ。彼女の目は敵意と憎悪に満ちていた。今までそんな目をつきあっていた相手から向けられたことはなかった。私は何か捨て台詞を吐いて出たと思うが、何を言ったか覚えていない。後で知ったがメールは延々夜まで鳴っていたとのこと。結局、その日失恋が決定した。ま、ふられるよなあ、あははは(やはり無様としかいいようがない)。Webメールの送信ボタン連打は効果はあるが・・・、しないほうがいい。(そういうこと?)
2006年02月25日
コメント(5)
今回は結婚したがらない男性の心理を書こうと思います。 前回(2/20の日記)は、私がふられた原因である、女性の幸福なプラン、結婚について書きました。予想よりも冷静で勉強になる御意見を頂いてホントにありがとうございます。まず結婚したいという男はどんなタイプなのか? 1. 子供好き、家庭好き →(幸せな家庭に育ったのでしょう) 2. 端的にいうと、もてない男、だから今の彼女と別れたら他に女性と付き合えない。 3. 彼女がすごく魅力的なので束縛したい。 今つきあっている彼女がかなり魅力的で、(自分の実力からいっても)彼女以上の女性とつきあうことは不可能、と思うくらいベタ惚れ状態。 近くにいた人に聞いてみました。何で結婚したのか?既婚男性1:ずっといっしょにいたかったから、かな?私 :そのとき家庭とか子供とか考えてました?既婚男性1:いやー。それは後で出てきたことで。未婚女性に聞いてみた。「結婚したいときってこの人と家庭を持つ、子供を育てることを考えて結婚したいの?」未婚女性1:当然ですよ。当たり前じゃないですか。私 :「既婚男性1」はずっといっしょにいたかったからってことだけど未婚女性1:それなら結婚しなくてもいいんじゃないですか?もうしっかりずれている。では結婚したがらない男性の心理は、 1. 恋愛の目的は恋愛のみ。(この女性と今一緒にいてとても幸せなんだ。この時間を大事にしたいんだーという気持ち) 親、子供、家庭、社会的地位及び束縛などは二人の恋愛とは最初から関連づけていない。 2. 結婚に特別期待することがない。 特に子供が好きなわけではない、女性に困っているわけではない 自分の時間を束縛されたくない、親の仲が悪く結婚に悪い印象、などなど 3. 永遠に一人だけしか愛さないなんてことは絶対できないだろう。つまり「結婚したがらない」ではなく、「結婚の必要性を感じない」が正しいのでは?また積極的に結婚したがらないという人物は結婚は自分の恋愛を縛り付けること、避けるべきことと感じるはず。この場合は残念ながら待ってもなかなか進まないだろうし、結婚しても浮気するのではないだろうか。男に限らず、家庭生活よりも恋愛の充実や自分の生活を重視するならそのように考えるのではないだろうか。結論としては、男は恋愛に始まりそれ以上はあまり求めていない。だから、結婚をする理由は、「恋愛相手が離れていって欲しくなくて「束縛」するために結婚する。」ということだと思う。また一方で、恋愛相手に困らない男の場合は一人の女性を束縛しなくてもいくらでも相手をつかまえられる。だから一向に結婚という話にならない。結婚に大きなメリットを感じる(子供好きとか家庭的とか)男でない限り、女性に不自由しない男は結婚したいとは思わないのではないか。あるいは、この人しかいないとか、「好きで好きでたまらない自分でもどうしようもないくらい好きだ」と思うような相手でなければ。(そういう相手と付き合えたら、それだけでもしあわせ、あるいはラッキーだと思うけど。)「男と女のどっちが賢いかって?女に決まってるよ。女は男と結婚するのに男は女と結婚するんだから。(ショーペンハウエル)」「男にとって結婚は権利を半分にして義務を2倍にする(ショーペンハウエル)」御意見、御感想お待ちしております。(あくまで私個人の考えであって、他の男性がそうだとは断言できません。しかし全然違うかなぁ?)
2006年02月24日
コメント(12)
全59件 (59件中 1-50件目)

![]()
