ひめちゃん ゆき とのお出かけ日記

2010/08/04
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カテゴリ: 上州 旅行


湯畑の駐車場は、込むので、草津バスターミナルまで送迎バスで行きました。

終日ナウリゾートから往復しています。

本来なら湯畑まで送迎してくれるのですが、お祭りのため通行止め。

バスターミナルから歩きます。

まず、テニスはもうやらないというので、時間がかなり余裕がありましたので、

バスターミナルの上にある、草津町温泉資料館によりました。

大人200円、割引券が、草津のフリーペーパーにはさんであります20円引き。

私は、草津はスキー場もある関係で、20回は来てるのですが、

初めて、入りました、

感想は、これで金とるんかい!って感じ。

しかも歴史的資料なんか無いと思うのに、写真撮影禁止。

展示物ばれるのが怖いんだな(笑)

30分ほど時間をつぶし、湯畑方面に向かいます。

バスターミナルから湯畑にただ行くのも億劫なので、

草津山光泉寺におまいりに。光泉寺?って方多いと思いますが、

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IMGP3117 posted by (C)EZ30

白旗の源泉、お祭りのメイン会場左上の赤い山門。

これは、見てますでしょう? でもあの石段登りたくないなーと思ったでしょ?

でもバスターミナルからなら、登らず、手水舎にいけます。

IMGP3088
IMGP3088 posted by (C)EZ30

手水舎横奥には、不動堂が正面に見えます。

時代がありそうですね。

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IMGP3090 posted by (C)EZ30

手水舎横の階段を少し登ると、本殿。

HPによると、

日本温泉三大薬師
行基建立の薬師堂は古くから日本三大温泉薬師の一つとして著名であった。
東の草津、西の有馬は吾が国の温泉の二大双璧で、
これに山中の湯、城崎の湯、道後の湯のいづれかが加わって日本温泉三大薬師と呼ばれた。

とあります。

草津、有馬、山中、道後はわかるのですが、城崎はわからない。

勉強しなおさなきゃ。

光泉寺は、白根明神の別当寺として正治二年(1200)に草津領主湯本氏が再建したと言い伝えられています。

創建は養老5年(721年)、薬師堂が行基が創建したと伝えられるそうですが、

定かではないでしょうね。

そこまでの古刹の匂いはしません。

ただ

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IMGP3093 posted by (C)EZ30

釈迦堂。姿がいいですねー。

HPによると、

元禄十六年八月、江戸の医師外嶋玄賀宗静の発願によって建立された。施主は草津村湯本弥五右衛門。
この本尊は奈良東大寺公慶上人の作。東大寺大仏修造に貢献のあった玄賀に、
上人が大仏内腹の骨木をもって二体の釈迦像をつくり、その一体を賜ったという。
玄賀は夢に藁屋二間四面の堂に安置せよとの仏の告をうけ、
十五年を経て光泉寺境内を理想の場として建立した。

ということです。

東大寺の大仏の、骨木使ってる釈迦像があったんです。

見逃したー。

これも勉強不足。修行するぞー。


IMGP3096
IMGP3096 posted by (C)EZ30

本殿横の湯浴み弁財天

養老年間行基菩薩はこの地にたち、眼下に光る泉を見出し、
それがただの泉でなく万病にきく温泉であることを喜び、薬師如来をまつり光泉寺を開く。
以来泉は人々の病をいやす慈悲の泉となり、今日の草津温泉の源となった。

この池はそれにちなみ「慈悲の泉」となづけられ、名湯草津温泉に浴し、
身も心も清浄になった喜びと感謝の姿をあらわす、湯浴み弁財天をおまつりした。
金光明最勝王経に弁天様は、音楽、弁論、財宝、知恵の徳を司り、
古くから庶民の信仰篤く、霊験いともあらたかです。

と、HPにあります。

こちらも姿がいいです。時代はあまり無いかもしれませんが。

御開帳は 毎年 五月七日八日 八月十六日 十月八日ということです。

IMGP3089
IMGP3089 posted by (C)EZ30

境内から、湯畑の風景。

お祭りのメインステージが無ければ、綺麗に見渡せます。

そして、石段をおり、湯畑方面に。

石段を降りると、今回メインステージになってしまい、上方に柵をされてしまいましたが、

IMGP3114
IMGP3114 posted by (C)EZ30

頼朝宮です。

この石宮は源頼朝を祀ったもので、天明年(1783)の建立である。
建久4年(1193)3月、源頼朝が浅間での狩りの折に草津を訪れ、
この湯に入浴したと伝えられ、草津山中に潜んでいた木曽義仲の残党細野氏を召し、
これを許して湯本の姓と三日月の家紋を与え、この地方の地頭としたという。
以来草津は江戸時代の初期に天領となるまで、湯本氏の領有下にあった。

と、草津観光協会のHPにあります。

白旗源泉のなかにお祭りしてます。「白旗」は、源氏の白旗だったんですねー。

先日、ブログ友達の 夢穂さんの ブログを読んでいて気がつきました。

白旗の湯は、何回も入っているし、鎌倉散策も好き。

何で頼朝宮まで確認していて、気がつかなかったんだろ?

白旗の湯の前に、二引きの白旗揚げといてよ。

そしたらすぐに飲み込めるのに(笑)

草津に通い始めて25年、なんかつき物が落ちたよう。

今回、頼朝宮も20年ぶりくらいで写真撮りました。

いい姿です。いつものようすで撮りたかったですが。

観客が注目する中、急いで写真撮影(笑)

頼朝ってきたら、徳川将軍家お汲み上げの木組みを紹介しないわけには行きませんね。

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IMGP3121 posted by (C)EZ30

湯畑の源泉の中に、この四角に組まれた木の枠(湯枠)が沈んでいます。

この木枠の中の湯を「御汲上の湯」と呼んでいます。

八代将軍吉宗や十代将軍家治らが、この湯枠の湯を樽詰めにして、

江戸城へ運ばせたらしい。

現在残る湯枠は、八代将軍吉宗が汲み上げた際のものと伝えられています。

鉄組みだと、強酸性で、すぐにさびてしまいますが、

木というのは、丈夫なものですねー。

続く。





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最終更新日  2010/08/04 10:27:29 AM
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