全544件 (544件中 1-50件目)

2021年10月9日南大菩薩の曲沢でキャンプを楽しみ、曲沢を遡行するという企画があった。6月以来のスバルの会企画。当初は曲沢入渓点から3,40分遡行した山の神周辺でキャンプをするということだった。皆は朝から東京を出ていたが、私は午後からになる。暗くなるとまずいので14時東京を出発。途中、メールで、キャンプサイトが入渓点の手前の林道周辺の沢沿いに変更になったと知る。それなら暗くなっても安心。16時ころ、曲沢林道終点の手前の、S車が駐車している場所につく。私は、以前、曲沢を遡行しているので、林道の様子はわかる。しかし、この先の路面が以前より荒れて、えぐれたりしていた。S車が手前で降りた理由が分かった。林道を少し歩いていくと、前回来たときは道脇に積んであった切り出したばかりの真新しかった木材が、黒ずんで積まれたままだった。数年でこう古びるのか。右下の沢沿いにキャンプにうってつけの河原があって、そこで焚火が燃えていた。5名のメンバーと合流。焚火を囲んでまったりとした時間を過ごした。夕食はベジェタリアン系が多く、野菜鍋だった。焚火に虫たちが寄ってきて、「飛んで火に入る秋の虫」だった。火というものを見るのが生まれて初めてなのだろう。連続集団自殺を見るのが嫌で虫を手で追い払っていたが、コオロギが来て、振り払う間もなく火に身投げをしてしまった。一瞬であおむけになったが、白い腹はなかなかこげなかった。少し雨が降った。タープで休む。10月10日5時起床する。まもなく、ホリホリさんが到着して、総勢7名となった。まったりと各自、朝食をとった。8:10、出発。タープは張ったままで行く。曇天。沢終いにはちょっと残念な空模様。8:15、曲沢に記憶通りの場所から入渓。早々にナメがある。昨夜キャンプ予定地だった山の神の手前に小滝があった。怖いよう場所ではないが、なんとなく夕方一人で来なくてよかったと思った。山の神に30分ほどでついて立ち休み。木立の葉が落ち始める頃で晩秋らしいわびしさがある。曇天のせいか・・・。9:25、二俣に着いた。体調のあまりよくないメンバーもいたせいか上まで詰めず、二俣までで引き返すことになっていた。私は右俣を登ったことがある。30分近くここでまったり時間を過ごした。Mリーダーとホリホリさんが左俣を一登りしてくると言って上流へ向かった。Mリーダーはザックを置いて、身軽に出発した。11:15、私たち5名は入渓点まで下りた。間もなく左俣に行った2名が戻ってきた。Mリーダーが手のひらをケガしていた。私は持っていた傷パワーパッドで処置をした。11時半ころ、キャンプサイトに戻り、12時頃に駐車していた場所を出発した。12時半ころ、車道に出たところ、景徳院前の駐車場で、おしゃべりをする。このグループの男性陣は会話を楽しむのが好きだ。駐車場わきに盛大に蜘蛛が巣を張っていた。蜘蛛の巣にいる蜘蛛はカメラのフォーカスがぴったり合う。一匹ずつそれぞれに色彩と模様がきれいと思った。道の駅甲斐大和でおそばを食べて、はやりのシャインマスカットなどをそれぞれにお土産に買って、13時半ころ解散した。中央道は事故渋滞があり、帰宅は17時半になってしまった。
2021.10.09
コメント(0)

2021年10月3日先週歩いた秩父札所を続けて歩く。26番円融寺から30番法雲寺。西武秩父駅からお花畑駅へ歩き、秩父鉄道で1駅の影森駅。先週たどり着いた影森駅が出発点。今日は先週と打って変わって、晴天で暑い位。メンツは少し変わったが今日も乙女ら6名となった。9時、影森駅から秩父方面へ町中の道を歩いて、最初の踏切を渡る。窓辺の猫が町の良いアクセント。今日は武甲山が正面に大きくそびえている。9:25、26番円融寺につく。本堂は工事中で青いシートがかぶされていた。本堂には恵心僧都の本尊聖観音や鳥山石燕作「景清牢破り」の寺宝の額もあったようなのだが。・・・。小さな仮設小屋でお参りするようにしつらえてあった。早々に出発し、山すそを西へ歩いて昭和電工の構内に入る。門守衛所で札所巡りと話して許可を得ていると、遅刻したあかねさんが追い付いてきた。琴平神社に私が立ち寄るといって石段を登り始めると、他の4名もならってピストンした。神社の境内に土俵があった。相撲大会でもするのかしら。琴平神社から石段を下り、右手の山道に入る。300段の石段は深い杉木立の中。石段も赤い帽子のお地蔵様も苔むしている。10:10、26番の奥の院岩井堂についた。岩井堂の左に琴平神社からの道があり、ピストンしないで、直接、歩いて来れたのだった。岩井堂は岩と緑に抱かれるように存在する、風格のあるお堂だった。時代から取り残されたように古色蒼然としてたたずんでいる。江戸中期の舞台づくりとの由。ここからの尾根道が琴平ハイキングコースで、ハイカーも歩いていた。山道というと、ルンルン元気になってしまう乙女たちなのだった。ガイドブックには岩が多く、ロープのある場所もと書いてあるが、登山道としては、たわいない道だ。高さ15mの護国観音で遠望を楽しむ。破風山が見えている。27番大渕寺への道は急な下りだった。11:10、大渕寺に着いた。観音堂は通称「月影堂」と呼ばれ昔は背後の山中にあったそうだ。回廊で月見団子など食べながら満月を眺めたいような感じ。樹間から護国観音を見上げられるポイントがあり、護国観音はこの寺に含まれるらしい。山裾にある広い敷地のお寺で、背後に山を背負う。よく手入れされた庭の中の静謐なたたずまい。庭師の方が感じがよかった。このような庭を造っている人は、このような澄んだ気持ちのよさを備えているものだと思う。線路沿いの道を進んでから線路を渡って車道に出ると、石灰岩の岩壁が屹立するところに出た。駐車場もあって、観光地の気配もある。11:50、28番橋立堂。お堂は高さ80mの岩壁の下に覆われるようにあった。本尊は秩父札所唯一の馬頭観音。そのせいか、檻の中の馬の木像が元気に見えた。県指定文化財の橋立鍾乳洞を見物する。武甲山が侵食されてできた延長130mの洞窟で、2/3は竪抗(たてこう)。石筍は弘法大師の後ろ姿とか下り龍など世名づけられている。身をよじるようにして登り抜ける場所もあって、なかなかアドベンチェラスであった。入るときに納経所でザックを置いていくように指示された意味が分かった。昔は鍾乳洞を奥の院とする修験道の寺だったそうだ。ここでちょうどランチタイムになる。境内に「JURIN's GEO」というカフェがあって、コーヒーとアイスクリームが売りらしい。心そそられるものがあったが、乙女らの趣向と腹具合は「土津園(はにつえん)」の甚兵衛蕎麦をチョイスした。手打ちそばは石清水で打っているとのこと。天井の高い、古民家のような作りの食堂は風情があった。お店のご主人が私たちを札所巡りをしていると見えてか、田楽をだしてくれた。お蕎麦は素朴なうまみがあった。ご主人と奥様(?)の雰囲気もよかった。13:10、蕎麦を堪能してから出発。車道を下っていくと浦山口の駅舎が小高い所にあった。道なりに左に進む。巡礼道は以前は右下にある浦山川を渡っていたようだが、今は通れないとされている。本当かしらん。左に橋立古道を分けていた。車道を気づかずに通り過ぎてしまって、気が付いて戻って橋立古道の小道を登った。コスモスが咲き乱れていた。浦山川にかかかる諸上橋は深い谷にかかり、左手に浦山ダムの堰堤がまじかに迫っていた。橋を渡って登って行くと左側に29番長泉院があった。本堂は大きく、江戸末期の建立という。中には北斎が書いた桜の奉額もあったようだ。庭の木々や花々が売りで、よみがえりの一本桜、つつじな、竹林、シャガ、紅葉など、四季折々に楽しめるそうだ。ベンチで一休みした。武州中川駅までは舗装された道が続き、なかなか長かった。蕎麦の花が盛りだった。武州中川駅は線わきにコスモスが咲き、田舎駅らしいのどかさがあふれていた。本来、さらに2駅先の白久まで歩くのが正式なルートだが、時間も押しているので秩父鉄道に乗って、スキップしてしまうことにした。のんびりと2駅、秩父鉄道の電車に揺られた。私のカメラのバッテリーはここで切れ、以後スマホで撮った。白久駅でおりて、30番法雲寺を目指して車道を登って行く。お遍路さんらしい2,3組の人々が下りてきた。コロナの緊急事態宣言が解除になったせいか。正面に熊倉山が高くそびえていた。谷津川本流の沢登りをした時の記憶がよみがえる。先の見通せない岩場でロープワークになったり、国土地理院地図に示された登山道がかけらもなかったり、車道に降り立ったと左へ歩いて行ったら逆方向で絶壁になっていたり、ハプニングの多い山だった。15:30、法雲寺着。浄土庭園と呼ばれる日本庭園の向こうの石段の奥に観音堂があり、整ったたたずまいだった。観音堂は江戸時代初期のもので、本尊の如意輪観音は楊貴妃を弔う観音像だそうだ。秩父で楊貴妃・・・。16時頃、白久に駅にもどった。プラットホームであせびが摘めた。出発時に比べると、山に雲がかかっていた。石灰岩を運んでいくのであろう貨物列車が連なっていた。16:27の電車で飯能まで乗っていくことができた。今日は5つの寺を回って、今までで一番少なかった。しかし、なかなかバリエーションのあるコースだった。31番以降、1日で1寺か2寺しか回れなくなり、4寺で3日を費やすことになる。
2021.10.03
コメント(0)

2021年9月26日4月に2回秩父札所巡りをした後、夏で中断していた。秋になったので再開することにした。コロナ禍でリスクの高い山行を避け、体力を維持するという面からも、このような時期、札所巡りは格好と思われる。再開第一弾は20番から25番まで、大野原からスタートし、影森まで歩く。4駅間を歩く長丁場だ。西武鉄道を8:51横瀬で降りて乗り換えると、8:57、秩父鉄道上り長瀞行に乗れて、大野原まで2駅、9:05に着いた。今日は私を含めて乙女ら6名が参加した。大野原駅を出発する。曇天で天気は今一。もう5ケ月前になるのだが、昨日歩いたばかりのように鮮明な記憶のある車道を南に歩いてから右折して坂を下った。下ってから左に行くと4月に立ち寄った最後の19番の龍石寺があるが、今日はスルーして寄らずにまっすぐ歩いく。立派な旧秩父橋で荒川を渡る。旧秩父橋は1931年竣工のきれいな三連アーチ橋で、現在は遊歩道になっている。左下の川の中にさらに1代前の橋の橋脚の残骸が見えた。国道299号に出て、道標に従って左折して脇道に入る。道の左下の樹間に方形のお堂の屋根が見下ろせた。9:40、石段を下っていくと20番の岩之上堂があった。龍石寺と同様に、名の通り岩の上に立っている。渡し船しかない時代に、川から見上げて岩の上にあることから名づけられたという。寺は深い緑と苔の中。敷地は広くはないが、歴史を思わせる雰囲気で、立派な観音堂があった。白河院の勅によってたてられたが応仁のころから廃れ、一時は本尊が岩の上に雨ざらしになっていた時代があったという。今にも振り出しそうな曇天の薄暗さが、お堂に趣を与えているようだった。堂内に子供の成長を祈願した猿子の瓔珞(ようらく)という見事な飾りが吊るされていた。石段を登って、車道戻りり、のどかな田舎道を歩く。道端で栗などを買う。県道にでて南へ歩いていく。県道に面して21番観音寺があった。お地蔵さまがたくさん並んでいた。ただ、道路に面した市街地にあるせいか、やや存在感にかけるというか、アピール感が少ない感じがした。隣に農産物販売所があり、物見がてら立ち寄った。狭い店は客で混雑しており、コロナのご時世とは思えなかった。私はお饅頭を買った。 県道を進むと右に馬頭尊があり、江戸巡礼古道長尾根道はここから右に入る。とりあえず22番の童子堂をめざして道路を直進する。この道は明治巡礼古道になる。童子堂が1910年に移転したので巡礼古道が2本になったという。10:40、地蔵尊で左折すると、童子堂があった。畑の中にあって、素朴で牧歌的な感じがする。茅葺の仁王門の童子仁王像が漫画的で笑いを誘う。天然痘の流行を鎮めて子供を救った観音様を祀ることから童子堂とよぶそうだ。私はズボンのお尻が裂けていることを指摘されびっくり。トイレでテーピングテープを使って修復した。気が付かなかった・・・。無念じゃ。仁王門の壁に動物の爪痕が刻まれている。猫にしては鋭く、ハクビシンか、アライグマか。境内の木の脇にベンチがあって、一休みした。気持ちの安らぐ空間だ。我らは旅人、このような場所もすぐ立ち去らねばならないことが残念に思われた。県道に戻って、江戸巡礼古道長尾根道の入り口には戻らず、対側の山に登って行く。江戸巡礼古道長尾根道のほうが人が歩かず、鬱蒼とした山道らしい。車道を2度横切って登ると、正面の石段の向こうに23番音楽寺があった。天気が良ければ市内を望む高台という。巡礼古道は本堂の裏から入ってくるようだった。梵鐘は秩父事件(1768年)で困民党が打ち鳴らして決起を告げたという。歌手など音楽家がヒット祈願に訪れるそうで、歌手のポスタ―がかかっていた。功徳の有りや無しや。11:30、ついに雨が降り出したので、本堂の屋根の下にあるベンチでランチにした。頃よく雨が上がり、出発。音楽寺を出て、まっすぐ降りて県道を南下すると簡単に24番へ行けるが、我らはすぐ右折して山道を行く。これが謎解きのようなルートの入り口だった。すぐ梅園というか、広々とした公園に出た。ここを下って行く。道標がなくよくわからない。うっかり通り過ぎそうな梅園の駐車場の中に、和子さんが、道標を発見した。山道があり、これが古道長尾根道だ。へえ、こんな登山道のような道があるのだと喜びつつ下っていく。貯水池を過ぎ、うっそうとした林に中を進む。沢を橋で渡ると、まもなく、12:30、民家があって、その庭先としかいえないような道をすり抜けていく。車道に出て、すぐまた登山道に入る。曼殊沙華が道端を彩り、心安らぐ。念仏坂といってもおびえるような登りではない。念仏坂を登り上げるとT字路に出た。右か左か、どちらなのか?迷ったが山感で左に進むと、ビンゴで、集落に道標を発見した。ここを右手に進む。よくわからないがまた車道を登り始めておかしいなあと思うと、24番の法泉寺の裏口があった。音楽寺から法泉寺の間は長かった。3.5km。13:20、法泉寺の裏口から境内に入る。寺墓が白山の神を勧請したのが始まりとのこと。観音堂は仁王門が組み込まれた珍しい造りとのこと。東屋でお饅頭を皆で食べた。ミレーさんはお土産に持ち帰った。1個なのだが。東屋の右に116段の石段があり、表口はここから登ってくる。我らは裏から入って楽ができたか。石段を下って、国道に出て右折する。ここからの道もなかなか複雑だった。15分ほど車道を登る。かっての料亭を思わせる作りの家があった。Y字路にでた。道路を左に進んでしばらく行き左折して登ると、ゆるやかに下っている。ここは江戸巡礼古道久那道というらしい。車道から秩父盆地を見渡せた。ガスに煙る山村風景はなかなか風情があった。雨後の、濡れた花々が鮮やかで、湿り気を帯びた空気が優しい。このあたりは、以前は巡礼道は宝林院の裏を通って沢を渡り巡礼坂を登るようについていたそうだが、沢の両岸の崩落が激しく通行できなくなって人里を歩くようになったそうだ。崩落した沢道を歩きたかった。うっかりすると通り過ぎそうな場所がまたあった。道路の右に支道が下っていて、五百沢を渡った。山裾の穏やかで平坦な人里を歩いていく。中学生が校庭で野球をしている。と、15:00、車道の先に25番久昌寺の門が見えた。これをゆるく登ると、左手の高台に観音堂があった。さらに上ると、右手に弁天池があり、その向こうに本堂があった。池端には、赤オレンジ色の曼珠沙華が土手に列をなして咲いていた。蓮の葉が池の水面を覆っている。花はとっくに盛りを過ぎているはずだが、2輪ほど気品高く咲いていた。これらが薄いガスの中に浮かぶ光景は幻想的で、あの世のようだった。久昌寺から影森駅までは長い平坦な車道を歩き。柳大橋を渡って山に登っていき、国道140号を越えてようやく16時に影森駅にたどり着いた。16:41の電車に乗って、飯能駅で乗り換えて帰宅した。久昌寺で蓮を撮ったのを最後に写真がない。蓮の花を撮ってから、今日撮る写真はすべて撮ってしまったと、気が抜けたような気分になったせいか、撮り飽きたということか。今日はスマホを忘れてログは取れず、複雑なルートだったので、ちょっと残念だった。まあ、雨模様が、古寺めぐりに風情を加えたことは確かだっただろう。
2021.09.26
コメント(1)

2021年9月5日週末は天気予報が悪いところが多かった。やや天候がよさそうで、近場で雨が降っても歩けそうなのが鎌倉アルプスで、そういうことになった。前回、湘南ガールのあかねさんに埼玉の小川まで遠路お越しいただいたので、今回はなるべく湘南方面という、リーダー伸吉氏のお取り計らいもあった。なお、鎌倉アルプスは鎌倉市街を囲む標高100mほどのハイキングコースで、最高峰と言われる大平山で標高は159m。今日歩く予定の天園(てんえん)コースは中世の修行僧が歩いた山道で史跡が多いという。私はてっきり犬のお散歩道系で、おしゃれなカフェなどでティーもなどと、夢見てしまうが、とんでもない思い違いと後で判明した。8:45に北鎌倉駅に着いた。自宅から2時間かかる。リーダー伸吉氏はいつもの山のつもりで1時間、間違えて早く来てしまっていたとのこと。メンバーはリーダー氏、あかねさん、三鈴さんに私の4名。県道21号線、別名鎌倉街道を少し右に歩くと円覚寺があり、小1時間、10時近くまで拝観した。臨済宗円覚寺派の大本山で鎌倉5山第2位という。元寇の殉死者を弔う寺だそうだ。自然に囲まれた6万平方mの広大な敷地に多くの建物が並んでいる。山(鎌倉アルプス)を背にしているので、奥へ向かって傾斜があり、歩くのにちょうど良い。仏殿には金澤翔子さんの書「仏心」が飾られていた。力強い書だ。金澤翔子さんのお父様のお墓が円覚寺にあるそうだ。奥に進むと妙香池がある。お茶ができる場所もあるようだった。百観音が立ち並ぶ庭はスケール感がすごい。居士林は牛込にあった柳生流の剣道場を移築したもので、座禅道場として使われているとのこと。建物が多すぎて、なにがなにやら。南側の道を戻ってくると石段があった。あったら登らざるを得ない。上は鐘楼があり、洪鐘という鐘は北条貞時が寄進したしたもので、鎌倉一大きいとのこと。弁天堂もあって、展望がよかった。寺の入り口の脇の木の幹でセミが脱皮していた。行く時からちょうど1時間立っていて、セミの形に変身していた。しばし生命の営みを眺める。鎌倉街道を少し南下し、民家の脇の小道を左折して坂道を登る。入り口だけ舗装されていた。民家の間の階段わきに小さな赤い社があった。少し上がると急な登山道になる。草深い・・・。これがハイキングコース?10:17、突きあたって三叉路に出る。ここを右折する。10:27、八国見山という山があるが、木立の中で展望はなく、ピーク感はない。昔、八国も見渡せるほど展望がよかったのだろうか。しばらく登山道を歩いてから、住宅地に出て、下っていく。しゃれた家もある。下りきって車道で左折すると三差路になっていた。なんとなく右に行きたくなるが、標識で左が天園ハイキングコースとのことで、左へ道路を上がっていく。住宅街をそれなりに楽しんで歩いて、11:10、天園ハイキングコースの入口にたどりつく。一登りすると、11:20、勝上献(しょうじょうけん、実際は献の上に「山かんむり」がつく)展望台についた。右に下ると建長寺。鎌倉市街と海が見えるというが、空模様が悪く、あまりクリアーではない。ここで一休み。そこから少し先に、11:36、これぞ史跡という岩山があった。十王岩だ。岩壁に冥界の判事の十王のうち閻魔様など三王が浮き堀にされている。上に登ると展望がよかった。11:44、右に覚園寺、左に長寺道の石標がある。さらにその先に少し小高い所があり、何かありそうなので登るとお地蔵様がいられた。覚園寺にゆかりの像らしかった。12時前後にお皿を重ねたような岩や、バウムクーヘンのような岩や、地層の美しいところがあった。地質好きにも応えられない場所なのでは。さらに地質的に面白そうなエリアを歩いてから、根の張った斜面を登っていく。12:27、大平山についた。これが山?白いビルがあり、駐車場もあった。病院と思ったが、何かの宗教組織の建物かもしれないとも思ったり、最終的にはゴルフ場のクラブハウスらしかったが、ちょっと貧相・・・。大平山から天園尾根をたどって、12:55、天園に着く。天園というような天国のような場所には思えないが。ここが横浜市内最高地点との表示があった。太平山なのでは・・・。ランチをしているハイカーグループがいた。ここから急な道を下る。右に獅子舞という谷に下る道を分けていた。獅子舞は紅葉の時期がよいらしい。このあたりは天園ハイキングコースだが人は少なく、一人にしか会わなかった。13:18、貝吹地蔵。新田軍に追われて山道を逃げる北条軍の残党を、この地蔵がホラ貝を吹いて逃亡を助けたという伝説がある。人助けをしたお地蔵さまだが、季節のせいか、草に半身が覆われている。13:27、横穴があった。やぐらと言われるお墓跡と思われる。そばに、瑞泉寺の裏山があり、奥津城やしろという鎌倉武士の眠るとされる墓があるらしく、墓の多いエリアなのだろう。まっすぐ進むと瑞泉寺の方へ下ってしまう。少し迷って、行き過ぎたが、戻って草深い小道を見つけ、これを左に入る。なんとか、住宅街に降りた。国道204号に出ると角においしそうな蕎麦屋があった。峰本というお店で実際おいしいお店と後できいた。この店には入らず、14:03、十二所(じゅうにそ)神社でランチを摂る。今日はこれでそろそろおしまいかと思ったら、もう一コースあったのだった。国道を横切って、民家の女性に尋ねたりしながら沢沿いの道に入る。梶原太刀洗水という湧き水があった。鎌倉5名水の一つで、梶原風時が血の付着した刀をここで洗い流したそうな。その先が分岐で、朝比奈切通しは左へ入る。すぐ三郎の滝という、思わず登りたくなる沢があった。朝比奈三郎が切通を一夜で完成させたという伝説がある。朝比奈切通しとは鎌倉への陸路の入り口で、鎌倉7口の一つ。なんせ鎌倉は鎌倉アルプスに囲まれているのだ。1241年に整備され、1969年に国の史跡に指定されたそうだ。岩が大きく切り取られて、遺跡のようにみえる。出口に通行止めの看板があった。私たちは右手に山道に入る。登って行くと、15:15、熊倉神社があった。これは登山道の右側にあり、地図では左に書かれ、間違えているようだった。神社は小さいがよく整備されている。浄明寺地区の氏神様として護持されてきたそうだ。さすが鎌倉という感じ。神社の後ろを左手に階段を登って行く。展望のある場所を通って、15:55、鉄塔の所に出た。右は「千光寺、六浦方面」、左は「三信住宅」とある。迷ったが、左へ下りた。ちょっと急な下りだった。これは右が正解だったのかもしれない。住宅街を歩いていき、玄関先を掃除していた女性に六浦駅までの道を聞く。丁寧に教えてくれた。猫がのんびり暮らしているようだった。住宅街は建物や車などを眺めながら抜ける。横浜横須賀道を越えて、やっと16時半ころ、六浦駅に着いた。しかし、駅周辺はコロナ禍でもあってか寂れた感じで、グルメのリーダーのお眼鏡にはかなわず、逗子まで電車で行くことになった。リーダー氏の嗅覚に基づき、逗子駅前のビルの5階の海鮮マルシェ太陽で夕食を摂った。長く歩いたこともあってか美味なり。わざわざ逗子まで来た甲斐があったと、満ち足りた気分になる。18:18の電車に乗って20時頃、自宅そばの駅に帰着した。自宅まではやはり2時間だった。雨に降られず良かった。まっ、ハイキング2回分を一度に歩いたので、登山という感じだった。歩行距離は円覚寺を入れないで12kmだった。入れると13km程度かと。
2021.09.05
コメント(2)

2021年8月29日今日は三ッ峠の北東面の大幡川四十八滝沢だ。別名、千段の滝沢と呼ばれ、中流から上は滝の連続で、それも登れる滝がほとんどで人気がある。また、冬季はアイスクライミングで知られている。入間市駅に集合すると効率がよいとのことで、6時前に集合した。北口に集合予定になっていたが、南口に変更になったりしていて、若干、出発までに時間を食った。リーダーは伸吉氏で、リリーさんが車を出してくれて、メンバーは3名。中央道を都留ICで降りて、7時半頃、宝鉱山跡についた。1年8カ月前2019年12月に北登山道を登ったので記憶にある。三ッ峠山北口登山道―宝鉱山跡からー | 山ボケ社へようこそ 山ボケ猫(野口いづみ)のブログ - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)広い駐車場があり、駐車した。バイクの若者が一人でぐるぐると回っていたがやがて降りて行った。バイク練習中だろうか。7:50、出発(標高703m)。天気予報では晴天のはずだったが、ガスというか、霧だ。1台、車が入ってきて、少し上の道路脇に駐車した。四十八滝沢の支流に入ってヤマメ釣りをするとのことだった。しばらく、荒れた林道を歩いて行く。車はとても通れない。途中二股になり、前回もちょっと迷ったが、ここは左へ行く。やがて登山道の入り口に着く。私は入間駅で腹痛を起こし、今日は沢は無理かと思っていたので、ゆっくり目に登る。10:20、初滝の脇に着いた(標高1200m)。山ノ神が祀られている小さな祠がある。霧は変わらず、真夏なのに肌寒さを感じる、昨日までの下界の酷暑が嘘のようだ。体調は何とかなりそう。ここで沢装備を身に着けて一休みする。岩にかかった梯子を登って、左へ岩を巻いて初滝の上に出る。三段ノ滝の2段目に登山道があって北登山道を登ったときはここを対岸に渡った。沢登ではここが入渓点になる。それから左の水流沿いに小滝を超える。それからまた左から小滝を登る。「東京起点沢登ルート100(宗像兵一)」には三段の滝を右から越えると書かれているが、右から越える滝はなかったような。10:30、20mの大滝がある。あれこれルートを考えるが、今日は水量が多く、中段で水流を左から右へ横断するところがむずかしそうだったので高巻くことにする。左のガレ沢を少し登って右へ、小尾根を越えて滝上に出た。結局今日まいたのはこの滝だけだった。小滝を越えていき、10:56、一休みする。一休み後、また、滝の連続。この滝も無名の小滝かしら。七福の滝は左から4mを登り、続いて6mを右から登る。2段15mは左を中段まで登ってからバンドを右にわたり、水流脇を登った。ややこしい構造の滝で、ルートの見極めが必要だった。リーダー氏のおかげで安全に登れる。しばらく小滝が連続するが、登れる滝ばかりで、特に難しい滝はない。ただ、ぬめる滝が多い。滝下に流木が堆積している滝もあった。12:30、白竜の滝。今日のメインイベント。地図上では■ブルーのマークで今日の行程の中間点くらい。下段の15mすだれ状の大ナメ滝は左の泥壁を登る。続いて2段15mは、下段はナメ滝で、上段は5m直滝。下はナメを水流沿いに右から登る。直滝はリーダーが本日唯一のロープを出してくれた。よじ登ったリーダーが上からカラビナのロープを「ハーフマストにして」と叫んだ。指示通りにしてリリーさんが先に、私が最後に登った。上は少しハング傾向にあるように思えた。この日唯一の会った男女のパーティーが後からロープ無しで登ってきたので驚いた。出会いの滝を通過し、二俣にでた。二人パーティーは二俣の手前で、なぜか左岸の藪の中に突入して無駄に苦戦していた。二俣の場所を勘違いしたのだろうか。ここで私のカメラのバッテリーがあがってしまい、以後スマホで撮った。二俣は左俣のガレ沢が本流に見えてしまい迷う所。しかし、右俣であろうとリーダー判断。14:00、倒木で封鎖されたような右俣に、倒木をくぐり抜けて入る。その先で木立の中のトイ状滝の水流の右脇を登る。それを過ぎると、14:30、水源の湧き水があったので、一休みした。この湧き水があるので、この沢は涸れないとのこと。二人パーティーは二俣でどちらに行こうか迷っているようだったが、私たちが湧き水を出発する時においついてきた。湧き水から木立を掴みながらルンゼをつめあげると、15:30、やっと登山道に出た(標高1743m)。三つ峠山の北、御巣鷹山の南だ。沢装備を解く。ここでも出発する頃に先ほどの2人パーティーが少し離れた登山道に登ってきた。さて、北東面の三ッ峠登山口に下ってしまう方が楽なはずだが、今日は車を置いてある北口登山道を下る。15:45、出発。16:05、思い出の道標のある分岐で、リーダーさんは今回もノートを手に取ってみて、なにやら書き込みをしていた。周囲はガスが濃い。さて、北登山道なのだが、2年前に登った時よりもくずれているというか、荒れているようで、下りにくかった。急で、外傾していたり、細くなっていた。リリーさんが二度と来たくないと言った。昔からこの登山道を愛用しているらしいリーダーは、以前と比べると悪くなっていると言っていた。初滝の上で沢を横断するころには黄昏が迫っていた。車道に出たときはとっぷりと暮れていて、ヘッデンに蚊がまとわりついてきて煩わしかった。宝鉱山跡のPAに着いたのは19:30だった。下山に3時間45分かかり、今回も宗像本の2時間の2倍近くかかった。リーダーさんの評は、「岩はもろいし、ぬめっているし、下部はガレ沢のひどい沢だが。ずっとつづく滝登りはやっぱり楽しい」。まあ、ガスの中の滝登りで陰気な印象になってしまったが、天気が良ければまた別の印象になったことだろう。GPSデータでみると標高1450mより下で登山道は沢沿になって、登りと下りのラインが重なって見えるが、いわゆる登山道沿いの沢という感じではなく、沢と登山道の間は急で標高差もそれなりにあった。
2021.08.29
コメント(0)

8月21日梅雨時のような天気と天気予報、それにコロナに翻弄されて思うにままならないお盆となってしまった。21日は曇りだが何とか持ちそうだったので、東武東上線小川町駅を出発点として、南下してからぐるっと東へ回って仙元山などを経て嵐山渓谷に出て武蔵嵐山駅まで約15㎞歩くというプランを伸吉リーダーが提案した。9:20 小川町駅→10:35~55仙元山→11:12青山城址→11:56大日山→12:20物見山→12:31庚申→12:38玉川温泉分岐→13:43~48小倉城址→13:56~14:00小倉日枝神社→14:19大福寺→14:30小倉日枝神社→14:38~44嵐山渓谷駐車場→14:54~15:00嵐山渓谷休憩舎→15:02塩沢冠水橋→15:24千寿堂北BS→レストランここから→17:07嵐山駅7:22、西武新宿線駅発。順調に所沢駅で乗り換えたが、東部東上線に乗り換えるのが久し振りで、本川越駅から川越市駅へ行くべきだったのに川越駅へ行ってしまい、こちらのほうが時間がかかり、電車を1本乗り損ねてしまった。それでも、待ち合わせ時間に3分遅れの9:03に小川町駅についた。ここで先着3名と合流する。駅前にしゃれたインフォメーションセンターがあり、ちょうど開けるところなので見学させてもらった。私が遅刻したのでここを見ることができたのだ。えっへん。この建物は旅館をリフォームしたものだそうで、なにやら風情があった。スタッフの女性がていねいにこれから向かうコースへの行き方について教えてくれた。時間があればあれこれ買い物もしたいところだった。駅前通りはシャッターが閉まっている店もあったが、古い商店街の趣を残し、由緒正しそう。格式高そうな店が散見された。万葉集にもゆかりのある土地らしく、万葉集の歌を記した石柱が並んでいて、文化的な趣があった。そのうちの一つ、額田の大君の「あかねさす~」の和歌は、本日メンバーのあかねさんの命名の由来となった歌だそうだ。伸吉Lが和菓子屋さんでなにやら買い込んでいた。駅前通りをまっすぐ、車道を横切って進み、横長の木造家屋に突き当り、ここを左折して国道に出て、橋を渡る。右手前方に山が見え、これから踏破する山並みと思われた。パティシエの店のところで左折して歩道を進んでから、路地へ右折。薄暗い林の中に道がある。脇に黄色の大岩。ここを沢沿いに進むらしいが、薄暗くてちょっと迷う道だった。犬の散歩に来ていたご夫婦に尋ねる。ここで良さそうだった。木立の中に入ると急に涼しくなってほっとした。10:35、仙元山299mについた。林に中で展望がきかず、山頂感がない。山頂の手間に展望の利く東屋があり、ここで休んだ。と、リーダー氏が大福を配った。先ほどの和菓子屋さんで買ったアイス大福で、頃合いよく、溶けかけていた。暑かったのでとてもありがたく頂戴した。仙元山を過ぎて、11:12、15分ほどで青山城跡についた。林の中で、これといった遺跡はなかった。11:56、大日山を通過。12:20、物見山を通過した。城址だったようだが・・・。12:30、石碑がやたら立っている場所を通過。石碑に「仙元大日神」とある。玉川温泉分岐を過ぎ、小倉城址の標識が出てくる。今日は城址を訪ねる旅である。13時過ぎ、小倉城址につく。木立の中でランチにする。と、ミレイさんのそばにどさっと木の枝が落ちてきてひやっとした。小倉城址は遺跡として大切に保存されているという感じで、看板などが多かった。小倉城址の先で東側の道路に下る。大福寺の石段を下りて車道に出る。車道をしばらく嵐山渓谷沿いに南下する。リーダーによるとここらへんで川を渡るトレースが記録されているらしい。しかし、川をのぞき込んでも水量があって、飛び石伝いにせよ渡れる場所がありそうにみえなかった。こんなところで腰までの渡渉をするなどということはできない相談だった。車道をUターンして戻った。車道歩きは暑かった。大福寺前を通り過ぎて嵐山渓谷の半島の根本にある駐車場についた。観光客が多かった。14:38、トイレ休憩。ここは岬の根元で、岬に行くと風光明媚と思われる。秋には観光客を集めるだろう。武蔵嵐山駅方向へ向かう。木立の中のハイキングコースに入れてほっとした。しばらく、川沿いの道を進む。また車道に出て、てくてく歩いていく。リーダーさんがサプライズで寄ってくれたのが、嵐山大妻中高校の前にあったレストラン「ここか」で、15:45着。定番のカレーに感心し、名物の巨大なメロンかき氷で仕上げた。ここはリーダーさんの昔の山仲間が実家を改造して始めたお店とのこと。お父さんが丹精をこめて作った和風庭園もほのぼのとした味わいがあった。17時過ぎの嵐山駅発の電車で帰京。18時半ころに駅に帰着した。15.2km歩いてよい運動になった。登りと下りはそれぞれ500m前後。しかし、私はカメラとスマホのバッテリー切れで「ここか」の写真が取れなかったのが残念だった。
2021.08.22
コメント(2)

2021年8月11日8月の第1週は天候が良かったが山へ行く都合はつけられなかった。第2週以降、お盆の夏休みなのに梅雨時のような前線が日本列島にかかり、秋雨模様となってしまった。ようやく晴れるのは10日と11日と判明。コロナの拡大を懸念し、なるべく近場に行くことにした。かねてから気になっていた富士山の北西に延びる長い登山道、精進口登山道を下ることにした。ちなみに長すぎて、上りに使う人は極めて稀らしい。五合目から精進口登山道を下るだけだともったいないかと、馬返しから登ることも考えたが時間的に無理で、結局、御庭・奥庭を回って下ることにした。2名を自車にピックアップして中央道を走る。出発が5時だったので、河口湖駅7時半には早すぎるので談合坂SAで20分ほどコーヒーを飲んでつぶす。それでも7時前に河口湖駅着。駐車場に車をとめる。7時半前に河口湖駅に2名が到着。5名で7:30の路線バスで富士山5合目に向かう。1560円也。8:35、五合目に到着(2304m)。下界と違って空気が冷涼にして、風さわやか。こんなにも気持ちがよいものか。天候が良く、南アルプスを初め、遠くの山々が良く見える。南アルプスは右から甲斐駒、鳳凰3山、北岳、間の岳、農鳥岳、塩見、荒川、赤石、聖など、一番左の2峰性の山は笊ケ岳ではとあかねさん。北アルプスは見えないが北には八ヶ岳、北東に奥秩父が見えた。一番高いのが金峰山。甲武信岳や雁坂峠は右すぎて見えなかった。背後には富士山が赤茶色の山肌を見せて、覆いかぶさらんばかりに裾を広げていた。さて、お庭はどこから入るのであろうか?売店脇に登山道があり、これがエントランスだった。8:50、出発。まず樹林の中の石畳の道を歩く。良く整備されている水平道だ。道は砂礫帯と樹林帯を縫って進む。砂礫帯では無木立の赤茶けた斜面に富士山がドデーと裾を広げている。樹林は根元からJの字状に曲がっている。これは、風雪の厳しさを示すのか、地面が動いていることを示すのか、どちらであろうか。白とピンクの花はオンタデらしい。1時間ほど進むと右へ車道へ降りる道を分けていた。まっすぐ進むとお中道で樹林を抜けて1時間ほどで大沢崩に至る由。我が隊はこからバス道路(2251m)へ下りて、10:05、横切って、奥庭に向かった。売店のおばさんが商魂たくましかった。コケモモジュースをふるまわれて、勧められるままにジャムを購入。1瓶1500円でいささか大きかったが購入。いささか重く、以後のお荷物になるが、お買い得だった。ごま油で炒めたキノコもおいしかったが時間切れ。コメツガやシラビソの針葉樹の森から入る。ぐるっと周回できて、途中展望台があった。最高点は2200m。先ほどより富士山に雲がかかってしまった。この辺はコケモモが多いという。10:45、奥庭を後に、3合目へ下る。きれいな苔むした針葉樹の林。精進登山道は五合目から直接下るもので、こちらはメインストリートではないせいか、整備不十分で倒木が多く、一部、道が不明瞭な所があったがたいしたことはない。珍しく急な下りを降りると広場に出た。11:45、三合目(1786m)だ。標識に「SYO 5」とある。五合目から直接下ってきた精進口登山道との合流点で、広場の一番遠いところに男性が一人休んでいた。ここでランチにする。ミサヨさんが素麺を小型ジャーポットの中に入れて持ってきたので人々の感嘆と称賛の的となった。ランチを終えて下って行くと、12:20、バス道路沿いになった。バス道路をトンネルでくぐった。ここで切り上げることもできるだろう。木漏れ陽の林の中の道を女性陣4人がにぎやかに楽しそうに話しながら歩いていた。私は暑くなってきたのでズボンの膝下をはずそうと先にすたすた降りていった。「SYO 8」の標識があった。まだ精進湖まで11㎞。12:50、車止めもあった。12:51、登山道脇に管理小屋のような建物があって、その前に何かの植物がビニール袋で覆われて、保護されているようだった。私が着くころに広場で休んでいた男性が出発していった。この方とはこの先で会わず、どこかに車を止めてあったのだろうか。私はここでズボンの膝下を外して半ズボンにした。なかなか4名が来ないようだったが、上から突然現れた、キノコ採りのようなおじさんに話しかけられていたということだった。下って行くと車道と交差していた。12:55、「SHO 9」2合目(1547m)。道路脇に車が置いてあって、2名の男性が乗るところだった。ここから五合目までピストンしてきたらしい。13:32、「SHO 10」。一合目の天神峠。14:05、「SHO 13」、長尾山の北を巻いて、林道とクロス(1252m)。まだ精進湖まで7.9km。いつ着くのやら。樹林の中を行く。14:50、そばに大室洞穴や富士風穴がある場所らしい。ガイドがヘルメットとをかぶった客を引率してくるようになった。私たちは寄り道する時間はなかった。15:00、車の往来が多い道路を横切った。風穴見物の客はここまで車で来るようだった。バスの時間を気にしてあかねさんが、ここから車道を右へ行くというプランを示したが、初志貫徹でまっすぐ進むことにする。牧歌的な林歩きを楽しむ。15:38、林道に出た。なにやらこのあたりから雰囲気が暗くなってくる。様々の形に堆積した穴だらけの黒い溶岩が、谷や山を作り、岩に厚く苔がかぶさっている。苔の岩は伏している生命の気配を漂わせ、異形の衆にも見え、もこもた立ち上がってきそうな気配さえ感じる。青木ヶ原樹海の核心的なエリアだ。歩道は通っていて、山よりは安全といえ、安心して歩けるはずだが、一人で暗くなってから歩くのは勘弁ねという感じ。16:13、樹海を抜けて、車道に出た。苔むした樹が首をもたげて皆を見送っているようだ。なんとなく哀愁を感じる。バスの時間は16:39なので、バス停に急いだ。16:20、すぐ精進湖に出た(909m)。バス停もあった。しかし、バスが来ない!バス会社に電話すると渋滞で遅れているということだった。結局、40分くらい遅れてきたし、河口湖駅までも渋滞した。あかねさんは予定していた17:30のバスに乗れなかった。スタッフに尋ねて、バスより電車が早いと聞いて富士急電車に乗って帰宅した。あかねさんが富士急に乗ってくださったおかげで、駅前駐車場の駐車料金が500円になった。残り4名は我が車で帰京することになった。しかし何と、車のキーが見つからない!青ざめて駅の遺失物係へ行ったら駐車場に落ちていたと届いていた。やれやれ。駅前のお店でほうとうを食べた。かぼちゃが少なかった。20時前に出発し、順調に走れて22時には帰宅できた。歩行距離はGPSの沿面距離21.3kmだった。歩数39517歩でこちらでは27.2kmになっていた。気になっていたルートが歩けて良かった。
2021.08.11
コメント(4)

2021年7月23日8:05登山口ー9:07前山ー10:06~10:24前嵓下ー10:57前嵓(1536m)ー11:46前嵓を抜けるー13:49~14:13荒沢岳山頂(1969m)ー15:55前嵓の手前ー16:43前嵓の肩ー17:20前嵓下ー18:36前山ー19:15登山口新潟の荒沢岳は200名山に入っているが300名山には入っていないということで有名というか、特異な山だ。以前から行きたいと思っていたが機会がなく、今回、伸吉プランとして実現した。天候の読みが難しくというか、天候はよくても雷雨の懸念などがあり、直前に三ツ峠岩トレ案まで出る状況だったが、結果的にgoになった。日帰りなので朝が早い。3時前に起床して3時半過ぎに自宅を出た。早朝なので伸吉氏宅そばのコンビニに14分で着いた。すでにティーチャーも来ていた。24時間600円のPAに私の車を駐車して、チィーチャー車で出発した。私は前日にバタバタで睡眠時間不足だったのでウツラウツラしていた。と、騒ぎが起きて、リリーさんとミサヨさんと合流予定だった高坂のICを通過してしまったのだった。とりあえず嵐山SAで集合することにする。ミサヨさんは高坂でわざわざ登りのPAに駐車していた。それでも、まあ、意外と時間がかからないで3台が集合できた。本格的なリカバリーは帰路にするとして、スマートインターのある上里SAに向かう。上里SAでリリーさんとミサヨさんが車を置いて、ティーチャー車に乗る。私はまたウツラウツラして気が付くと、小出ICで関越を下りるところだった。しばらく国道352号を東へ進むとシルバーラインが左に分岐していた。シルバーラインの入り口辺りまで行くが、何らかの理由によって(私は半覚醒状態でよくわからない)、国道をまっすぐ進むことになる。道は細い山道となり、対向車とすれ違う時に緊張した。なお、帰路はシルバーラインを使ったが、こちらの方がはるかによく、普通に使われているようだった。奥只見ダムの工事の折に作られた道路だろう。7:40頃、荒沢岳登山口に着いた。すでに6,7台の車が駐車していて、キレイなトイレもあった。荒沢岳は手前の衛兵のような岩山の前嵓(まえくら)の奥にあるピークと思われた。手ごわそうな衛兵である。登山口にクマ注意の警告とともに、コースが上級者向けで前嵓で死亡事故があったことが記されていた。8:05、出発(760m)。アクシデントはあったが、計画書では7:30出発になっていたので、30分しか遅れていない。すぐ沢を渡る。取水タンクがある。ここがルート上、唯一の水場との由。森の中の樹林帯を小1時間、急登すると、9:07、前山(1091m)に着いた。樹林の中の、地味で目立たないピーク。その先で、男性が一人降りてきた。山頂まで行ったというので、異常に速い。相当早く出発したのか、トレラン並みの早足か。しばらくブナの原生林を緩く上ったり下ったりしながら次第に高度を上げる。10時近くになると前方に前嵓の険しい岩峰が見えてきた。北西に奥只見湖も見える。西に越後駒が立派だが、上部には雲がかかっている。10:06~10:24、前嵓下(最低鞍部)。一息、入れる。普通の登山道というか、安全圏はここまでだった。眼前の様相ががらっと変わって登山道が急に険阻になる。前嵓の登りに入ったのだ。長い鎖や鉄パイプのはしごが次から次へと出てくる。木の根も絡む。中年女性の二人連れが下りて来た。越後駒に登る予定だったが駐車場が満杯でこちらに来たが、自分たちが来るような所ではないと分かって下るとのことだった。鎖、梯子をよじ登り、狭く急な道を進む。ぐるっと左へ回りこむと、10:57、前嵓(1536m)(正確には手前の肩)に着いた。右上に立派な岩尾根がそびえているが、まさかこれをよじ登って頂稜を通過するわけでは・・・?ルートがよく分からないが、よく前方を見定めると、その岩壁を斜上している茶色の細帯がルートと思われた。まず、その基部に向けてスラブ状の岩を下る。ロープが設置されている。このあたりは岩から水がしみ出してくるのか湿っていて、高山植物がきれいだった。そこから岩壁をトラバースする。崖の直下まで行ってから、岩場をよじ登る。鎖天国とも言われ、鎖やロープが連続して登っている。足元が切れている、急な登りの一辺倒で、よく「天国」などと言ったものだ。10月にこの鎖は撤去されるので、それ以後は自分でザイルを出して上らなくてはならない。この崖で下ってくる2パーティーとすれ違った。男性の親子連れ(「子」は高校生。後で男性は越後3山を1日でスルーする健脚と判明)から、「これから登るのですか」と、驚かれたようだ。11:46、ようやくこれを抜けて一段落。ここが前嵓を巻き終わった場所になり、本によってはここを前嵓としている。前方に長い明瞭な尾根が主稜線へとせりあがっていた。ここからは尾根をたどる。右手の眼下には蛇子沢の谷がダイナミックに段状の滝をなし、段の下に釜を持っていた。左手も中荒沢という、立派な沢だ。奥只見ダムもよく見えてきた。12:26、ナンバー「7」を通過。尾根道とはいえ、なかなか急登で辛抱のしどころだ。私がばてて見えたのか、ミサヨさんが糖の塊をくれた。尾根は長く、一時は途中撤退説もでるほどだった。正気付いて、そうはならじと頑張ることにする。13:06、「8」のプレートがあった。13:16、ガスが薄くなって、主稜線の右手に荒沢岳の山頂と思われるピークが見えた。13:20、左からの主稜線に出る。一休み。ガスがなければ尾瀬方面まで見えるだろう。谷に雪渓が白く残っている。谷のスノウブリッジに苦労した利根川本谷を思い出す。手前のピークを細い岩道で巻く。偽ピークが多いと聞いていたので、だまされまいと思っていたせいか、一つ巻くと、あっさりと山頂に出た感じだった。13:49、荒沢岳山頂(1969m)。ミサヨさんからサプライズの冷えたミカンが配られた。兎岳から丹後山へ至る利根川源流の山々へ連なる尾根が長く見えた。途中に水場があって幕営するようだ。西には越後駒ヶ岳から中ノ岳に至る稜線が見える。さらに左奥には平ケ岳や燧ケ岳が見えるようそうだが、今日はそこまで遠望がなかった。記念写真を撮るがティーチャーは植物の写真撮影に熱中していたのか、個別写真がなかった。14:13、山頂を出発。あらっ、すぐ、岩場。こんな悪かったかしら。14:33、「9」、14:49、「8」を通過。主稜線を左折して尾根を下っていく。灌木の緑豊かな尾根だ。15:10、一休み。前嵓はまだ先だ。右手、東に奥只見湖が見えた。奥只見川をはさんで、対面に未丈ヶ岳と思われるキレイな三角錐のピークがあった。15:43、西の蛇子沢がよく見えるビューポイントがあった。15:55、前嵓の手前で休む。陽が傾いてきたのを感じる。いざ、前嵓の岩壁の下りになる。注意深く、一人ひとりゆっくり、鎖につかまったりしながら、降りていく。20分ほどで基部に着いた。基部のトラバースは地面が濡れていた。これも慎重に渡る。スラブ登りは順番待ちで時間がかかる。は後半はロープをつかんで登った。16:42、無事に前嵓の肩に着いた。ナンバー「5」のプレートがあった。振り返ってルートを見直す。前嵓を下る。長い鎖場やロープを下る。17:05、「4」の標識。17:20、前嵓下(の少し手前)で一息入れる。ここからはほぼ安全圏と言える。しかし先も長かった。18:36、前山通過。「1」の標識。登りで気になった大きなキノコの写真を撮る。登山届の下山予定時間に間に合わいそうもないので、あと30分ほどで下る旨、メールを入れた。19:15、PAに着いた。トイレで着替えをした。帰路はシルバーラインを通った。山岳地域をぶちぬいてこれだけ整備されたトンネルが続いていることが驚異だった。小出インターの手前にグルメリーダーが目を付けていた中華料理屋があった。東京と違って20時を過ぎていても食事が摂れて美味だった。さて、これから車回収がクイズのようだった。嵐山ICまで行ってから、料金所で下り車線にUターンさせていただき、上里SAまで戻って、リリーさんとミサヨさんはそれぞれの車に乗った。3台の車はスマートインターから出て、登り車線に入って帰路についた。帰宅は0時半だった。雨にも降られず、雷にも会わず、ラッキーだった。何とか日帰りでこなせたが、久しぶりにハードな山行でした。(GPSデータは伸吉リーダ作成)
2021.07.23
コメント(4)

2021年7月17日(駐車場からの富士山)下界な猛暑が予想されていた。前日ではあったがS石夫妻の丹沢の世附川のバラシマ沢と日陰沢のはしごプランに拾っていただくことにした。世附川には25本くらいの支流があり、バラシマ沢と日陰沢は「ウオーターウオーキング」という、私たちのバイブル化している本の、最新第3巻に紹介されている小沢。前日にPCナビタイムで「三国峠」で検索すると大月IC経由で山中湖ICで降りる2時間程度のルートが表示された。新潟群馬県境やら西上州やら、「三国峠」は多いが、これなら安心と思った。当日、出発時、車で「三国峠」で検索すると、中央道ではなく東名道を指示したし、時間も40分ほど長かった。もう走り出していたので画面をしっかり見ることが出来ず、昨日のナビタイムのコース通り、とりあえず調布ICで中央道に乗った。天気がよく、奥多摩の大岳などの山並みがよく見えた。石川SA周辺など、2,3ケ所で中程度の渋滞にあって、若干時間が押した。ナビは山中湖ICを過ぎて御殿場ICで降りるよう指示していた。富士山の東面を走るにおよんで、やっぱり変と思う。須走ICで降りて、北へ左折すると籠坂峠だった。落ち着いてナビを見て、指示しているのが「箱根の三国峠」だったことに気が付いた。近場に同名の場所があるものだ。籠坂峠は来たことがあり、土地勘があった。山中湖へ北上して、山中湖から約束した「三国峠」へ南下した。8:12、約束の時間より12分遅れて約束の「三国峠」に着いた。S石夫妻を待たせてしまった。今日は四付川のバラシマ沢と日陰沢をハシゴする予定だ。ここから、S石車に着いて行く。きた道を山中湖にもどって、すぐ、V字型にスイッチバックして農道のような道を進むとどんづまりが駐車場だった。笠取山につづいて、登山口の到達までが核心だった。富士山がキレイに見えていた(扉写真)。8:45、沢装備になって出発(998m)。8:58、切通峠(1050m)に着く。峠を越えて向こう側にジグザグ道を降りて進む。9:44、日陰沢入口を通り過ぎる。そのすぐ先で工事をしていた。9:51、バラシマ沢入口につく。9:55、入渓(750m)。遡行開始。夏の林道の照り返しの暑さから解放されて、たちまち沢の冷気に包まれて、生き返る思い。バシャバシャと流れにはいると、夏の沢の楽しさを感じる。とくにロープを出すようなところはなく、お助け紐も必要ではなかったが、それなりに岩をへつったりする場所があった。とくにロープを出すようなところはなく、お助け紐も必要ではなかったが、それなりに岩をへつったりする場所があった。10時半頃、一休みする。S石氏がウサギ奥様にハーケンの打ち方と抜き方のレッスンをした。ついでに私も練習させていただいた。さて、遡行を再開して間もなく、11:03、堰堤があった。右から巻いた。すぐ、11:13、本日のメインディッシュの10m滝があった。WWガイドブックの写真と異なって、水量が多かった。S石氏はウサギさんに滝のリードを体験させたかったようだが、取り付く基部で水流に押されて流されるとリスキーに思えた。私は巻こうと左岸の林道にあがった。結局、S石夫妻も諦めて林道に上がってきた。林道から滝を見下ろすと水勢が強く見えた。再び沢に降りて遡行を続ける。11:25、橋の下をくぐって進む。小滝を越えるが、この先はたいしたことがないということ。11:45、遡行を打ち切り、右岸の踏み跡をたどって林道に出た(890m)。左へ下って行き、11:58、先ほどくぐった橋を渡る。今度は左岸沿いになった林道を下って行く。12:15,10m滝が見えた、12:17、入渓点に戻った。下ってきたバラシマ沢沿いの林道は荒れていて、乗り物で入れるような道ではなく、実際、入り口に通行不能の標識が立っていた。このような林道がどういう目的で作られたのだろうか。バラシマ沢を渡る橋は昭和55年に作られたもので、この下流にはなかなか立派な滝がかかっていた。S石氏は初心者を連れてくることがあるそうで、グレードの品定めをしていたらしいが、本当の初心者には少し難しいかという結論になったようだ、私の同感。なお、ここは浅瀬のバス停まで13.3㎞、切通峠まで2.8㎞のポイント。林道を右折して切通峠方向へ戻り、12:25、日陰沢入口に着いた(780m)。すぐ堰堤があって、WWガイドブックには左から越すと書いてあったが、どうも怪しい。右から越そうかと思ったが、偵察に行っS石氏が、懸垂になってしまうと戻ってきた。結局、左は見た目ほど悪くなく、左から登ってあっさり向こう側に出た。小滝が続く。12:59、二俣になっていた。これを左に進む。ナメ滝が多く、きれい。小滝がそれなりに登場して楽しい。13:33、それからまた二股があった。ナメ滝に陽が注いで、流れがきらめいている。これも左股を進む。瀬はきれいだが、大きな倒木もやや多い沢だ。沢は伏流となり枯れる。14:05、三俣(四俣?)になっていた。地図と見比べて、右に入っていく。いずれにせよ、最後は急だ、泥交じりの斜面を木立につかまりながら登る。この沢は初心者を連れてこれるかなと思っていたが、この最後の詰めで、ちょっと厳しいかなと思いなおした。最後は右に巻いて尾根に乗った。木立の中を少し左へ進むと、14:24、右側に平野へ下りる分岐があった(1070m)。つまりドンピシャというか。さすがS石リーダー。1430、出発。平野へ下って行くと駐車場のそばのグランド脇に出た。ショートカットして、14:40、駐車場帰着。富士山に雲がかかっていた。コロナ禍で入浴をしないというS石夫妻とここで別れ、15:15、出発。青空の下を走る。今日はよい天気だなあ。山中湖畔に出ると開放感があった、振り返って、三国山の山塊を眺めた。山中湖脇からの対岸の展望も楽しむ。湖面に鳥が群れていた。山中湖から右へ進むと紅富士の湯という日帰り入浴施設があったので立ち寄った(16:00~40)。広々とした作りで感じがよかった。ここで買ったユズそうめんがおいしかった。若干の渋滞にあったが、談合坂でパンを買って一休みして、19:30には帰宅した。
2021.07.19
コメント(0)

2021年6月20日(一休坂から馬止へ中段林道をたどる)今回の山は笠取山。私は多分4回目になるが、三ノ瀬からは初めて。当初は唐松尾山も回る予定だった。梅雨時でもあって、1日ずらしての山行となり、2名が欠席マイナス、1名が参加プラスと、総勢6名となった。5:30、自宅にティーチャーにお迎えいただき、7:15、丹波の道の駅のめこいの湯に2台の車が集合した。登山口まで30分位だろうと出発してまもなく、大常木トンネルの先で青梅街道から一ノ瀬林道へと右折しようとしたら道路が通行止めで封鎖されていた。駐車を予約した三ノ瀬の民宿みはらしに電話して道路事情を尋ねようとしたが、電波状況が悪いようでつながらなかった。後で知るところでは2ケ所で崩落しており、2022年4月頃に再開通の見込みとの由。落合橋端の先で右折してさらに分岐を右折する。と、道が狭くなっていて、間もなく「私道」とのことで、プラスチックのチェーンでふさがれていた。チェーンは簡単に外せそうだったが、様相が違うので分岐まで戻る。左の道に入ると、こちがの方はしっかりした道路だった。やがて右に犬切峠へ行く分岐に出た。左の方がしっかりした道路で、作場平へ行くとのことでこちらのルートを取る。後で分かった所、三ノ瀬から犬切峠を通ってここへ来る方が作場平を経由するよりも近道で地元の方が使っているとのこと。作場平を通過し、本日の登山口の中島川橋口(1台車が駐車していた)を過ぎて下って行く。あまり下るので変なのではと言い始めたころ、8時半頃、三ノ瀬の集落に着いた。民宿みはらしの駐車場に停めさせていただく。おばあさんが一人で切り盛りしている民宿のようで、宿の名前通り見晴らしがよく、ピンクやコスモスなどの花の盛りの庭にはカカシが立っていた。昔懐かしい、のどかな雰囲気が漂っている。今日は唐松尾山を周回の予定だったが、朝の道迷いで時間を食ってしまい、ちょっと厳しい状況となる。9:10、民宿(1280m)を出発。車道を登っていく。25分ほど歩くと中島川橋の先に登山口(1350m)があった。クマ注意の表示とともに、先ほど私たちが戸惑った、通行止めのお知らせも掲示されていた。登山道を歩き始める。唐松林の緩い登り。0.8㎞歩いて、9:50、馬止(1470m)で一休み。馬止は十字路になっていて、左は中段林道を経て一休十文字、右は牛王院平へ続く巡視路。私たちは帰りは一休十文字からここへ戻ってきたのだった。ここから黒槐(えんじゅ)尾根を登る。このエリアは右は中島川、左は黒槐谷(ミズヒ沢)に囲まれている。まずは急な登りを登って行く。ティーチャーは森林インストラクターで植物に詳しい(生物に詳しい)。まめに植物の写真を撮り、講釈をしてくれる。講釈をすべて忘れてしまうのが私の特技だ。10:57、黒えんじゅ分岐点に着いて一休み。珍しく私が冷えたスモモを配った。なお、「エンジュ」は「中国北部を原産とする落葉性高木。薬木(種や花はルチンを含み止血や降圧作用がある)として使われてきたが、排気ガスに強く街路樹や庭木として広まった。枝に羽のように並んで葉を茂らせる。葉の表面は緑色、裏は緑白色で短毛が生え、フェルトのような触り心地をしている。」黒槐の尾根を乗り越す分岐点で右に奥秩父縦走の道(巻き道)を分ける(1695m)。私は大昔、歩いたと思う。黒槐尾根の西側(左側)をトラバースするように進む。しばらく縦走路を北上する。森の木や石に苔がつき、しっとりと落ち着いた日本庭園のようだ。シラべ尾根になり、11:45、水干神社分岐(1892m)があった。左へ行く巻き道は水干神社へ向かう「源流のみち」。私は3度くらい水干神社へ行っているのでパスして先に山頂を目指した。このあたりは針葉樹の天然林とのこと。スズタケの斜面を登って尾根に出る。ここを左へ行く。シャクナゲが多いが終わっている。意外と岩尾根。それに遠い気がした。12:10、2年ぶりの山頂(1953m、東峰)。今日はあまり展望がない。先にランチにする。ブヨとハチがうるさい。皆は20分くらいたってから到着。トレランの男性が来たので質問攻めにする。今日は天平(でんでいろ)尾根から来て、柳沢峠まで行くそうな。めまいがするような距離で人間業と思えないが、「走ると気持ちよいでしょう」と、こともなげに言う。私もそんなふうに山を駆け巡りたかった。高校時代はマラソン少女だったが、山を走るという発想はなかった。今日は朝のアクセスで時間を食ったので、唐松尾山を回るのはやめることにし、西峰へ向かう。13:00、東峰を出発。岩の間にベイビイ然とした赤い小さな蛇がいて、慌てふためいた様子で岩の間に逃げ込んだ。今日も蛇さん遭遇。ティーチャーのお見立てによると、「ジムグリの幼蛇で、ジムグリは丘陵や産地にいてネズミやモグラを食べるので、農林業には有益な生き物」とのことだった。西峰の方が展望がよく、開放感がある。山梨100名山はこちらになっているので、ここまで登ってきて、間違えて帰ってしまう人もいるだろう。トレランのメンバー3名もいた。私がスタッフ参加しているハセツネカップに10回以上完走しているという猛者もいた。柳沢峠へ向かって早々に下って行った。ティーチャーは六甲縦走に参加したこともありうらやましそうだった。「一人、ついていくそうで~す」と、走り去るトレランナーに叫んだが、もちろん、本気にしてもらえなかった。西峰から急な切り開きの道を下る。高原状の素敵な場所。小高い丘を登ると、「小さな分水嶺」で、記念写真。ここは3つの河川の分水嶺で、東側に降った雨は荒川になり、西側に降った雨は富士川となり、南側に降った雨は多摩川になるという。空が大きく、青く広がっている。ミサヨさんが「鳩が見える」と雲を指さした。白い雲の中に羽を広げたブルーの鳩がいた。遊歩道のような道を下って、13:57、笠取小屋(1802m)に着いた。ここからどうするか協議する。下りに3ルート考えられた。作業平に下る道が一番短いが車を取りに戻るのが大変だ。それにちょっと普通過ぎる。笠取小屋から下らずに高度を保って東へ巻いて行く道もあったが、登りがあるのでは懸念する声があった。結局、一休坂(十文字)まで下って、作業道の水平な巻き道(中段林道)を馬止まで歩き、登ってきた道を中島川橋まで下るルートを取ることになった。水干沢沿いの気持ちの良い道を下る。ピンクの花がキレイ。樹林の樹々を楽しむ。適宜、ティーチャーの樹木についての講釈が入る。私は自分が笊以下であることを自覚する。14:55、一休坂(十文字)について一休み。ここはミズナラの天然林とのこと。ここから左折して作業道の巻き道に入る。樹木も苔も青々と生きている。馬止まで3.6kmと長いが平たんではある(扉写真)。そして、樹木についてのティーチャーの講釈。私はまた落ちこぼれる。16:10、馬止に着いて一休み。行きで会った道標に挨拶。戻ってきたよ。16:35、中島川橋の脇に降りた。道路の崩落場所2ヶ所が示されている。17:00、車道を三ノ瀬の民宿みはらしまで戻った。民宿のおばさまが、夏野菜の天ぷらと沢庵とお茶などを出してくださった。まったりとした時間を過ごし、すべてたいらげてしまった。ごちそうさまでした!最近発刊された山田哲也氏の本「奥多摩 山、谷、峠、そして人」(山と渓谷社)に、この民宿みはらしについて記述されているそうだ。落合から来ていた方が犬切峠経由の道を使って帰るらしかった。私たちは迷うかもしれないので、今朝来た道で帰ることにした。17時半、解散とし、2台の車に分かれて帰った。森の緑に癒された山行だった。なお、この1週間後に、この山行に参加できなかった4名が、道迷いせずに三ノ瀬に着いて、笠取山から唐松尾山を周回した。20kmほど歩いたということだった。お疲れさまでした。
2021.06.21
コメント(1)

2021年6月13日5:40、車で自宅を出発。高速をひた走りして、1時間でZ道の駅。6名と合流し、自車はデポしてホリホリ車に移動。今日は私が初めて沢でタケノコ狩をする日だ。ほかの人々はタケノコ採りのベテラン。9時前、北関東の某所の駐車場に到着。沢の身支度をする。ここからV字型に左右に分岐する2つの沢がある。協議の結果、我ら5名は左のA沢へ、ベテラン2名はまだ行ったことがないという右のB沢へ向かう。9:30、出発。A沢に向かう。Y峠へのルートを示す木の道標が地面に置いてあった。この沢ルートが唯一、一般的にY峠へアプローチできる道とのこと。沢沿いを歩いて行く。渡渉をして、堰堤をいくつか越え、草の深い道を行く。沢に倒木が出てくる。早くも脇の藪を分けてに何やら探すメンバーも。やがて美しいナメ滝が出て来て、これがずっと続いていた。清冽な水流が沢床の岩盤を洗う。水流に磨かれた岩盤が、ありのままの模様を表す。模様は場所によって様々で、地球の地層を示す縞模様もある。水流に足が洗われると、清涼な冷たさが靴にしみこんできて気持ちがよい。いわゆる癒し系というか、デート沢ともうしましょうか。私は初心者然と見えたのか、香さんがタケノコはどのようなもので、どこを探して、どういうものを採ったらよいか教えてくれる。しかし、目ぼしいタケノコが見当たらない。ほかの方も同様だったようで、私が未熟なためばかりではなかったようだ。もう、採られてしまった後なのだろうか。ナメ滝の奥まで行って戻ってくる。一休みする。11:10、出発。今度はY峠を目指す。中間尾根に登るが、あまりよい道ではない。それでも危ういところにあるタケノコを採ろうと果敢にチャレンジする人も。まもなく男性一人とすれちがう。タケノコ狩りの方だろうか。上の方で、あまり身のないタケノコが道に捨てられていた。私は急にやる気が出てきて、Y峠までと躍起になる。タケノコも急に多くなったように思う。しかし、リーダーさんは下山集合予定の13時を順守する考えで、Y峠まで標高差で80mの手前で下山することになった。中間尾根を、登った時よりも手前で沢に降りる。上流はやや荒れている。下流で、ナメ滝の流れが足元を洗って、流れる感触を楽しむ。駐車場にB沢の2名は先に戻っていた。A沢の4名よりも収穫が多かった。さすがベテラン。タケノコ料理のアイディアやイメージも豊かなようだった。駐車場のトイレに行くと、駐車している車の下に蛇がいて、這い出してくるところだった。蛇は1m2,30 ㎝位で、青銀色のうろこに覆われて輝き、頭は細く小さく、それに続く胴の方が太かった。後で調べるとアオダイショウのようだった。帰りに蛇を見ると、車の通り路への方へ這い出てきそうだった。車にひかれては一大事だし、ひいたほうも気分が悪かろうと思った。しかし、話してわかる相手ではない・・・。私は飛びはねたり、地団駄を踏んだり、腕をぐるぐる回したり、鬼のような渋面を作って(効果は不明だが)、蛇を威嚇・恫喝・恐喝して行く手を阻んだ。後に戻ってくれれば沢があるのに・・・。蛇は変な人がいると不気味に思ったのか、排水溝の鉄の格子蓋から身をよじらせて中へ入っていった。ほっとする。私は最近、生き物がなんでもかわいく見え、蛇も例外ではない。横浜でアミメニシキヘビが脱走し、無事捕獲されたときは心底安堵したのだった。帰路、街道筋の風呂に入った。私は2、3回入浴したことがあるお風呂。浴槽は大きなものが一つあるだけの素朴な施設。陽が天井から射し込み、透き通るような水面がゆらゆらと揺れていた。お目当ての蕎麦屋Mは売り切れたところで、他は閉店していた。仕方なく、そばの土産物店併設のレストランのベランダで、それぞれに名物ハンバーグやおやきを食べた。笊のお豆腐を買ったらオカラを2袋おまけにつけてくれた。ホリホリ車にZ道の駅へ送っていただき、自車で帰った。私が持ち帰ったタケノコはあまり食べられる身がなく、煮物にして食べて終わった。天ぷらがおいしいとのことだったので、次回は試してみたい。
2021.06.13
コメント(0)

2021年5月29日南大菩薩の深入ダムの北側に、牛の根の奈良倉山方面に向かって北東に突き上げる沢が2本ある。左が深入沢、右が釜入沢だ。深入沢と釜入沢は地形図には名前が記載されていず、古い沢の本には紹介されていない。深入りダムの完成でアプローチしやすくなり、沢のニューフェースといえる。ともに葛野川支流で、釜入沢は1級、深入沢は2級にランク付けされている。深入沢は松姫峠と奈良倉山の中間にある1321m峰を水源とする。「東京起点沢登りルート120」(2010、山と渓谷社)には「最初から最後まで息のつけない遡行が続く」と書かれた急峻な沢。今回、ゴンリーダーにより深入沢が企画されたので仲間に入れていただくことにした。私にとって今年初の沢で、昨年、夏以来になる。ゴンリーダー企画は初めてで、ゴンさんには気を遣わせてしまったかもしれない。前夜22時、上野原でゴン車に拾っていただき、深入ダムに集合した。テントの外で就眠儀式後、テントで就寝した。今回のメンバーはゴンリーダー、S石夫妻(奥さんをうさぎさんという)、A上さん、アサミさん、私の6名だった。当日、5:40、起床。朝食を各自摂って、7:10に出発。振り返ると大峰と北尾根がよく見える(最終写真参考)。沢にかかる深入橋を渡り、脇の鉄パイプの梯子を下る。沢床まで100m近くある。たどり着くまでに、滑りやすい場所があるが、ロープを出すほどではなかった。沢は谷が深く、朝が早いので暗かった。7:30、遡行開始(標高555m )。7:33、歩き始めるとほんの数分で6m滝に出た。釜は深く壁はつるつるでとても登れそうもない。左の枝沢から巻いて、向こう側に降りる。短い距離だが懸垂で下降した。8時前に抜けて進む。うさぎさんとアサミさんは初沢登りとのことだが、頻繁にジムに行っており、ジム友達ということで、とても初心者と思えない足取りだった。そのあとを、A上さん、私、S石SLと続く。ナメ滝が多い。小滝も続く。私は巻けるところは巻いて高みの見物。8:17、10m滝に出る。「東京起点沢登り」には右壁を斜上すると書いてあり、右壁を登った。上部には青ロープが張られていた。8:48、一段落。陽が射してきて明るくなった。9:03、穏やかな渓相の場所もあると思う(ゴンさん撮影)。と、たちまち、9:06、下4m、上3mの2段滝(「3」と思われる)。釜をへつって、右のルンゼから登る。滝を越した下りも急で、慎重に降りた。左、9:27、水流の右側を進む。右9:37、ナメ滝で傾斜は緩いが少しぬめっていた。「4」だろうか?9:42、ロープを出して右壁を登る。幅広3m滝か。(ゴンさん撮影)9:48、5mほどの滝がある。9:57、釜をへつって、滝を登る(ゴンさん撮影)。このあたりから、「東京起点」のどの滝かよくわからなくなる。4m直滝か。9:58、続いてナメ滝の右壁を登る(左写真ゴンさん撮影)。登っている滝が「東京起点沢登り」の滝のどれに当たるか、よくわからなくなった。解説されている滝と写真を撮った滝が違うのかもしれない。9:58の滝は「4」か「5」かわからない。「4」、「5」とも、「右壁を登る」となっているが。10:02、ほっと一息だが、ナメの奥に連瀑が見える。10:04、シャワークライムしている滝は連瀑の手前の滝と思われる。前が「4」で、これは「5」かもしれない。10:10の滝は2段4mか。この後、一休み。しばらく穏やかな流れに沿って歩く。あまり滝が多すぎて、麻痺してしまったというか。写真が少なくなる。下の二俣を右に入る。11:02、3m程度の滝を登る。「7」の12m滝は巻いたと思う。「8」は15mと結構長く、水流の右側の草付きを登って滝口に出た(写真無し)。11:15、「東京起点沢登り」で「10」になっている「2段7m」と思われる。左壁を登る。下段は問題ないが、上段はぬめっていた。少し上で伏流になり、涸沢を登る。12:02、涸滝で最後のロープを出した。さて、どこから釜入沢中間尾根に取り付くか、上の二俣がよくわからなかった。最初の候補は見送った。12:13、二番目の候補地、標高1020m程度にある小滝が、「オーバーハングした滝」と思われたので、尾根に取り付いた。踏み跡がはっきりしない、落ち葉の堆積した厳しい急斜面。よじ登ると、左から踏み跡があって、そこからトラバースが出て来た(取りつき点はもっと先にあったのだろうか)。藪漕ぎがなくて良かった。このような詰めルートを沢の初心者の二人が難なくこなしていて、大したものと思った。1時間弱、標高差約140mの詰めの後、13時過ぎに中間尾根に出た。沢装備を解いて一休み。男性が二人、上から降りてきた。私たちを沢中で追い抜いて行った方だった。私たちより上まで沢を詰めたようだった。それだけ大変だっただろうが、その分、楽しんだといえるのかも。14時過ぎ、尾根通しに下って行くと、見晴らしのよさそうなところがあり、そこで先ほどの男性が2名休んでいた。左へ急斜面を降りる道が不鮮明だったが、下るとうまく下山ルートに乗った。最後に正面に大峰と北尾根がよく見えてうれしかった。14:40、道路に降りた。橋の上から深入沢を覗き込むと、沢床はやはり暗く、深かった。帰路、小菅の湯に寄った。食事をしないで解散した。ゴンさんが高尾駅まで送ってくれたが、京王高尾からの道が混んでいたので京王高尾で降ろしてもらうべきだったと反省された。「東京起点沢登り」には深入沢は「登れない滝は比較的容易に巻ける。」と書いてある。滝が多く、傾斜もあり、必ずしも容易というわけではなかったが、ロープを出したのは数ヶ所で、お助け紐の使用が多かった。また、釜でへつる場所が多く、勘を取り戻すのによかった。それなりに骨があって、シーズン始めのトレーニングに良い滝と思われた。しかし、滝に次ぐ滝で、上半分は「東京起点」でどの滝か、よくわからなくなってしまった。遡行図は12年前のもので、そう渓相が変わったとは思えないが。(GPSデータはA上さん作成)
2021.05.29
コメント(0)

2021年5月(高尾山山頂から丹沢・富士山方面を望む)京王高尾駅のそばにあるT看護専門学校のA野先生が、学生さんがせっかく高尾山の山麓に通学しているのだから在学中に高尾山に登ってほしいと思い立ち、不肖山ボケ猫に引率(ガイド)を依頼された。昨年はコロナで流れてしまったが、今年は実施との由。23名の学生さんはほとんどワクチンの予防接種を受けているそうだ。さすが医療系学校の生徒さん。私はまだだったのだが・・・。5月6日に学校に伺い、A野先生らと打ち合わせをする。今回の山行は学校のカリキュラムの一環とのことで、学生さんはハイキングで単位が稼げるらしい。いいなあ。その後、学生に登山の注意などの講義をする。高尾山に登ったことのある方は8名だった。従来の私の講義では、ある程度山の経験のある方が対象だったが、今回は全く山の経験のない方もいて、どういう話をしたらよいのか迷った。また、看護師さんなので、どの程度、医療の話を含ませるか把握しにくかった。反応は総じておとなしく、あまり質問も出なかった。実施日は20日(木)だったが、15日(土)にアシスタントに巻き込んださとみさんと高尾山に下見に行った。というのは、あまり普通の道を歩いたことがなく、記憶があいまいなところがあったから確認したかったのだ。高尾山口駅前広場は人が多かった。8:55にケーブル駅前を出発して、6号路を分ける。琵琶瀧に着く。当日のコースを想定して、そのプラン通りに歩く。琵琶滝から急な登山道を登る。ケーブル上駅の展望広場に出る。天気がよく、展望がよい。ここから1号路を歩く。初めて来た人にどう見えるだろうと思いながら歩く。浄心門があって、『霊気満山』という額がかかっていた。女坂と男坂の合流点に売店があった。右手に急角度に曲がると仁王門があった。石の茅の輪をくぐってどらを鳴らした。立派な本堂がある境内を通過する。急な階段を登る。と、また立派な本社の建物があった。奥の宮の脇を通って、遊歩道をたどると山頂へ到着。10:50、山頂(599m)に着いて、ランチをした。天候が良く、うっすらと富士山が見えた。オリンピックの五輪のモニュメントがあった。アルバイトっぽい中年の方が、なぜかプラカードをもって目を光らせていた。11:10頃出発し、6号路を下って、ケーブル下駅帰着は12:55だった。検証の結果、登りは琵琶滝コースから、下りは6号路で良いだろうということになった。さて本番は20日だが、天気予報はほとんど絶望的に雨だった。延期するかA先生に問い合わせると、カリキュラムの都合でずらすことはできないとのことで、実施することになった。まあ、雨でも歩けるコースではある。それに私は晴れ女といえる・・・。5月20日8:40に京王高尾山口駅前に集合。ケーブル駅前に移動して、ブリーフィング、準備体操などをして9:25に出発。準備体操で足がつった生徒さんがいて、先が思いやられた。学校のスタッフは3名で、1班と2班とケーブル班につく。それに男女のカメラマン・ウーマンが同行する。学校のカリキュラムだけある。カメラウーマンはジェスチャーで人を笑わせるのがうまく、プロ~と思った。一人遅刻で、あとからケーブルで追いかけてきてもらうことになる。幸い、曇天だが雨は降っていない。1班は私を先頭に出発。琵琶滝で1班と2班が集合して一休み。いよいよ、登山道の登りになる。こういう道を登らなければ登山と言えまいということで、わざわざチョイスしたルート。案の定、苦戦する生徒さんもいた。10:18、ケーブル上駅の展望台に着いて一休みするが、待てど暮らせど2班が登ってこない。心配になって途中まで下って様子を見に行くと、ようやく上がってくる姿が見えた。歩き始めてすぐ、遅くなって離れてしまった生徒さんがいたらしい。展望台に着いた時は、バテて見える方もいた。この季節にしては暑そうなズボンを履いていた。1班は足がそろっていたといえるのかな。10:45、展望台を出発。ここからはのんびり、遊歩道を歩いて行く。薬王院の境内で茅の輪をくぐってどらを突き、かりんとうなどの土産を買う。下見の15日は土曜日で快晴だったので人が多かったが、今日は平日で霧雨模様ということで、人影が少ない。上の本社では勤行をしている最中で、大勢の僧侶が声を合わせて誦経し、合間に太鼓の音が鳴り響き、なかなかの迫力だった。本社を巻いて左へ進み、女坂を歩いた。軽く上下しながら遊歩道を進むと、例の立派なトイレに出た。11:35、山頂。今日は残念ながら富士山は見えない。五輪のモニュメントの前で記念写真を撮る。皆、いい顔だ。三々五々、別れてランチになる。さとみアシスタントと相談して、疲れている人がいること、6号路は滑るかもしれないことから、1号路を下ることに予定変更した。下見に来ておいてよかったと思った。さとみさんはスマホをチェックして雨雲が13時頃に山頂に来ると伝えた。急遽、集合時間を10分ほど繰り上げた。集団行動に馴れていないのか、集合写真を撮るのに時間がかかり、あまり繰り上げ効果はなかった。12:28、出発。下りにストックを希望する方がいて、私のストックを貸した。ストックをもっと余分に持ってくるべきでした。30分ほど歩くと女坂と男坂の分岐で、売店があり、小休止した。数名の生徒さんが冷キュウリを買った。この周辺の、霧に煙る杉並木は幻想的だった。ここから108段の男坂を下った。ケーブル上駅に着くと、皆が嬉々として天狗焼きを買っていた。私もその列に加わった。皆も人の子だなあ、家族もいることで、お土産を買えたことが実に嬉しそうだった。”歩け歩け”と6号路を歩くより良かったのかも。ケーブル上駅から、1号路を下る。駆け下るとたいしたことはない道だが、ゆっくり歩くと長い道だった。14:00、ケーブ下駅に集合した。ケーブルで下って来た3班も合流した。男性の生徒さんが2名が、指名されていたかのように若干ぎこちなくお礼の挨拶をして解散した。さとみさんと駅そばのカフェ高尾で一服して打ち上げ反省会をした。昨年、この店で賞味しておいしかったアフォガードを再び楽しんでいると、本日のカメラマンの男女もみえた。私達より遅く入店して、早々に出ていかれた。やはりお仕事中ということか。帰りの車内で、参加者の荷物を分けた時の傘が私のザック内に残っているのを発見した。高尾駅で降りて、学校に届けた。この日は参加者は、自宅に直帰したようだった。翌日のA先生からの報告では、参加者は顔つきが普段と違って(?)生き生きとして、それぞれに達成感を感じたそうで、喜んでくださった。私も楽しかった。参加者が山の楽しさを知って、これから山に行ってくれるようになるとよいなあと思った。
2021.05.20
コメント(2)

2021年5月4日先日、権現山を登った折に背後に南大菩薩の楢の木尾根の大峰が神々しかった(そうだ)。今回、あかねさんの提案で、大峰に北尾根のバリエーションルート(一般登山道ではない)から登り、尾越山へ下ることになった。2014年5月10日(ほとんど同じ季節)に雁ヶ腹摺山から楢ノ木尾根を東へたどり、水無山から上和田へ下りたことがあるが、楢ノ木尾根の東半分は歩いていず、課題になっていた。前回の記録は下記。雁ケ腹摺山から楢の木尾根へ | 山ボケ社へようこそ 山ボケ猫(野口いづみ)のブログ - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)私は4時半に起き、5時半出発して中央線駅へ。大月駅7:06着の電車で駅に4名が集合した。タクシーにて深城ダムへ向かう。30分ほどで深城ダムそばの小金沢公園着。タクシー代6050円也。8:10に出発。駐車場裏の貯水槽の脇から大峰の北尾根に取り付く。ここは標高638mなので、大峰山頂1403mまで約765mの登り。尾根道で踏み跡はあるが、木立のないむき出しの急な登りで驚いた。防火帯なのだろう。一度転んだらどこまで落ちるか、アウトという感じ。あかねさんがマツタケに匂いがするという。私はよくわからなかったが、そばにマツタケがあったのだろうか?8:32、「深城ダム基準点(Ⅳ)」の石標がある。地図を出して確認。前方の木立が窓のように抜けている所が見えてくる。9:05、しばらく進むと展望が開けた。前方に尾根が屏風状に見え、南大菩薩の尾根などの説も出たが、遠くではなかったようだ。動物の糞があるが、クマにしてはボリュームが少ない。急な登りが続く。9時半近くになると傾斜が緩んで一段落。気持ちも和む。日差しが強く差してきたのか、新緑が輝いている。新緑の木立ちに囲まれたトンネル。木漏れ日が地面に文様を描く。しばらくは緩い尾根を進む。10時半くらいになると、防火帯でなくなり、踏み跡をたどるようになる。道標はないが石標はある。11時頃から、最後の大峰の登りになる。ヒーヒー言わされるが、ミサヨさんは軽い足取りで山頂に一番乗りしていた。わが身はコロナボケか。11:20、大峰の山頂に着いて、ランチタイム。古い権現様の洞があった。南側の展望がよく、山岳同定をする。西は木立が密で、イマイチか。12:15、出発。道標は「水無山」(方面)とある。ここからは一般登山道で、歩いたことがあるコースだが、あまり記憶になかった。以前は破線だったが、大月市が力を入れて登山道を整備したようで、今はハイキングコース並み。とはいえ、なかなかな下り。12:44~56、西沢の頭(1298m)。12:44、木立が途切れて、富士山が姿を現した。その左手にある山は杓子・鹿留と思われた。手前の台形の山は宮地山と思われ、奈良子集落も近かった。13:36~52、東沢の頭(水無山)(1138m)。山頂の少し手前で左に上和田への道を分ける。このあたりは尾根が広く、林の中。上和田へ下る道がわかりにくく、確認した。道標代わりか、スコップが立ててある。上和田への道は前回下り、結構急な下りだった。最後にちょっとだけ迷った。分岐の少し先が山頂。平らな林の中。ここから上和田に下る登山者が多いだろう。東へ道を進む。穏やかな上り下り。軽く上り、軽く下り、1139mのピークを過ぎてから進行方向が東からゆるやかに右に曲がり南下するようになる。振り返ると尾根が緩やかに右に湾曲しているのがわかる。14:20、尾越山(1099m)。なぜかここでだけ集合写真がある。道標の「尾越山ヒッチ」の「ヒッチ」の意味がわからない。木立の中であまり展望はない。地図と見比べて方向を定めて進む。南へ下っていくと、西に雁ヶ腹摺山と稜線上の小突起、姥子山が見えた。ミサヨさんは行ったばかりらしい。標高を下げてくると緑が濃くなってくる。木に咲いた白い花はアオダモと思われる。モクセイ科トネリコ属の落葉高木。原産地は日本と朝鮮半島など。暑さ寒さに強く、日本の気候が好きだそうだ。山中では10から15mになるが、剪定をすれば庭に植えてナチュラルな雰囲気を楽しめるとの由。4月から5月に花を咲かせる。まさにシーズンだ。広葉樹の濃い緑の葉が目においしい。15:10、立ち休みして植物談義。尾越山から七保の放送所まで意外と時間がかかった。16:22~36、七保NHK・TV中継放送所(672m)。木立の中だが平坦で広く、開けている。ここから道が分かりにくくなる。結構、急な尾根を下る。と、妙に広い道路のような道に出た。突如、笹藪が道を覆っている。2,30m、藪をわければ道に出られた。出た脇に下瀬戸配水池という貯水タンクのようなものがあった。やがて車道のような道を下っていくとお寺の境内に入った。17:15、金王寺着。一段下が国道139号(373m)。タクシーを呼ぶとスムーズに来た。17:40に大月駅に着いた。駅は猿橋の方が近いようだが。タクシー代は2760円、ミサヨさんは帰り、3人で駅そばで食事。ここは山梨・・・。22時に帰宅できた。今日のルートは難しいとか、危険な場所はない。若干、ルーファイに注意するところがあるが。ひたすら緑が目においしいコースだった。なお、この25日後に深入ダムから深入沢を遡行し、その下山時に対面の大峰北尾根がよくみえたので写真を載せます。右に一番急な小金沢公園からの登りは映っていないようですが、緩急をつけながら大峰へせりあがっていく長い北尾根の様子が見てとれます。
2021.05.04
コメント(2)

2021年4月24日(三峰北峰からの富士山)今回、中央線上野原の北、山梨県東部にある権現山を歩くプランが出された。2012年12月1日、西の杉平から東の用竹へ横断したことがあった。あられの権現山(上野原市)東西横断 | 山ボケ社へようこそ 山ボケ猫(野口いづみ)のブログ - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)今回は南北縦断と思っていたが、行ってみたら、前回と同じコースの横断だった。7:20、猿橋駅に女子隊10名が結集した。3台のタクシーに分乗して杉平へ向かう。話好きなタクシー運転手さんによると、山中湖の方のキャンプ場や道の駅は密になっていて、「コロナ・バブル」状態とのことだった。駅から北に(多分)権現山から扇山に連なる南稜が見えていた。国道139号を葛野川沿いに入ると、青空を背景に今日たどる鋸尾根が見えた。良い天気だ。7:40、バス道路の杉平入口で降ろされた。タクシーならもっと入ってくれると思っていたが。7:45、出発。バス道路から右へ下る。葛野川をこしお橋で渡る。ここが本日の最低標高で約400m。道路を登っていくと、リーダーのSさんが違うような気がするといい、少し戻るが、やはり合っていたということで登っていく。9年前に来た時もこのあたりで迷って、地元の方に尋ねたのだった。ふと不安になる場所らしい。民家の花々が盛りだ。集落の間を通っていくと、前回、檻の中に激しく吠えたてる犬がいたが、今回も同じ場所で2,3頭の犬に激しく吠えられた。犬は代替わりしているだろうが、飼い主の飼育方針なのだろうか。人を見ると吠えるようにしつけられた犬がかわいそうな気がする。8:09、民家の角から山道に入っていく。前回はこの家の方と山頂でお会いした。振り返ると富士山!いよいよ登山道、なかなか急な登りが始まる。8:40、一汗かいたところで一息入れる。標高600mあたりで尾根にのり、進路を北東から北に方向を変える。9:10、標高820mで西からのコースを合わせ(国土地理院地図にはあるがエリアマップには記されていない)、一休みする。まだ淡い新緑がやさしい。春爛漫で花がきれいすぎる!「花がきれいすぎる」と文句を言われる花が気の毒だが、写真を撮るので時間がかってしまう。写真はフデリンドウとヒトリシズカ(らしい)。斜度が緩み、再びコースは北東に進む。1000mを過ぎると傾斜が緩くなった。10:19、1129mのピークの南側を過ぎると鋸尾根になる。遠方からも鋭い小ピークが並び、鋸歯状に見えるところだ。3,4個のピークを巻いたり、越したりして進む。写真はアオイスミレ(らしい)。若干の岩場を登って、10:50、三ッ森北峰(1241m)についた。前回はここまで2時間30分だったが今日は3時間20分。以前、来た時にあった謎の鏡がまだあった。ひびが入っていたが、前回はひびはなかった。前回は12月でみぞれ交じりの天候で展望がなく、リーダーさんが残念がっていた。今日は快晴で南の景色がすばらしい。南正面に富士山(扉写真)。その手前に道志や丹沢の山並み。景色を眺めて、山岳同定しているうちに時間がたってしまう。おまけにスミレなどの花がきれいでますます時間がたってしまう。私はくしゃみが出てしまい、時節柄、顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまったようで、しおらしく詫びを入れた。10分ほど休んで出発。樹の根が踏んづけて越え、岩を登る。11:40、尾名手峠(1220m)。同じ場所に駒宮方向を指し示す道標もある。駒宮は鋸尾根を南に並走する長尾根の出発点の集落。ここから麻生山を巻くようにして下るよと長尾根になるようだ。このあたりはツツジがきれいだ。北に奥多摩方面が見える。三頭山のようだ。10分ほどでちょっとしたピークがあり、詳細地図で「古山名標」と書かれている場所か。前回は古びた「麻生山」という道標があったが今回は見当たらなかったような気がする。11:56、さらに進むと麻生山(1267m)に着いた。新しい道標がある。自転車で登て来たグループが休んでいた。一人を除いて自転車は少し下にデポしてきたとのこと。自転車で登って来た人は異常だそうだ。12:36、岩の根元に小さな観音像が祀られていた。馬頭観音の石像で、昔は馬が通ったのかもしれない。12:45、オクノ沢ノ嶺(1252m)を通過。権現山の山頂エリアは遠くから見て平坦なので、ピークがあまりはっきりしないようだ。権現山の山頂が近づき、標高が高くなってくると木立の芽吹きが遅いようで、春まだ浅い感じがする。その分、陽が射し込んできている。13:20、権現山の少し手前に浅川峠経由で扇山に至るルートを分けていた。13:24、「和見峠・用竹」という道標があった。和見峠は権現山の先で分岐して南に下った所にある峠。13:40、やっと権現山山頂(1312m)に着いた。二等三角点がある。展望の良い所だ。南には富士山も輝いていた。北には尾名手尾根がゆったりと寝そべっており、その奥に笹尾根や雲取山らしい山が望めた。大菩薩も山塊をなし、北尾根のシルエットが美しい。かなり左に見えるのは茅ヶ岳か?13:55、山頂から急な尾根を下る。少し下った所に大ムレ権現の社屋があった。雨や雷雨などの折には良い避難場所になるだろう。14:06、大窪沢ノ頭(1245m)、14:15、鍋割沢ノ頭(1220m)と小さなピークが続く。14:24、和見分岐。和見分岐のあたりをスミレの丘というらしい。木の根元に「すみれの丘」という木札があった。そのすぐ先に雨降山の電波塔がみえた。スミレが多く、写真を撮りまくる。出来栄えは・・・。ほかの人はキレイにとれたのかしら・・・。14:44、雨降山(1177m)。山頂に数基の電波塔(観測塔)が立っていた。玄房尾根を左に分けている。この尾根も歩いてみたい。のんびり休んで、トイレなどを済ませる。15:10、寺の入山(1028m)。このあたりの林の新緑の美しさにほれぼれする。12月にはわからなかった良さ。二ックラ山(960m)、日本杉(909m)と、あまりピーク感のない山が続き、次第に高度を下げていく。日本杉を過ぎて、芦垣への集落の道を右に分けて、最後は急に高度を下げた。人里が近い雰囲気になってからが意外と長い。16:45、用竹(標高340m)。前回と違って道路がきれいに整備されていた。折よく予約してあったタクシーが到着。17:05、上野原駅着。17:35の電車で帰京した。9年前に歩いたコースだったが、季節と天候が違うと印象が全く違い、初めてのコースを歩いているようだった。記憶力が悪いせいもあるか。前回の記録を見ると、出発が8:55で、権現山が13:05、用竹着が15:50だった。つまり2時間ほど、早かったことになる。今回、展望がよく、花の鑑賞に時間がとられたせいか、人数が多いと時間がかかるのか。あるいは9年の間に体力が低下して足が遅くなったのだろうか?そうだとすると恐ろしい・・・。
2021.04.24
コメント(3)

2021年4月15日先週に引き続き平日に秩父札所に出かけることになった。というのは、予定されていた箱根の矢倉岳がコロナで急遽中止になり、平日だがフリーになったからだ。前日だが、矢倉岳女子残党に声をかけると5名が参加することになった。先週と同様、7:54、所沢駅発。先週は一人だったのでお気楽に成り行き任せ、何も調べないで現地に着いた。しかし、今日は気が付くと他にメンバーがいる!慌てて車内で時刻表やガイドブックを調べていると時間は早かった。9:00に西部秩父駅着。駅で顔合わせをする。A野さんとは今日が初めて。昨夜遅くお誘いに気が付いたというN村さんもいて、総勢7名になった。今日は札所10番大慈寺から行けるところまで。主に街中(まちなか)の寺巡りになる。大慈寺は駅から歩いて20分位だが、頃合い良い定峰峠行きバス便があり、バスで行くことにする。待つ間に駅前の観光センターに皆で入って資料を収集する。センターのスタッフの視線が冷たいように感じたが、外に出ると看板に「グループの方の入室は一人まで」と書いてあった。10番大慈寺(だいじじ)は田園の中の高台にあり、バス停からよく見えた。バス道路からまっすぐ歩いて行った。参道には江戸時代に寄贈された地蔵尊が鎮座していた。9:45、石段を登ると立派な白木づくりの山門があり、奥に本堂があった。禅刹で本堂は品が良く、整った感じで威風堂々、彫刻がきれい。ここにもおびんずる様がいられた。振り返ると正面に武甲山を望む。そこからバス道路沿いに小道を進んで299号に出て右折、坂を上った所に、10:15、11番常楽寺(じょうらくじ)があった。6代の山海上人が重病に冒された時に金剛神に救われたとの言い伝えがあり、病気平癒の寺として信仰されているとのこと。寺の前面、西面が開け、破風山や奥秩父方面の展望がよかった。寺の鑑賞よりも、山岳展望に熱中してしまう。まっ、山屋の性ですな。299号を横切って、コンビニでトイレ借用。千茶古という山小屋風カフェの脇を通って住宅街の小道に入る。今日は古民家カフェに寄りたいと思っていたが、ちょっと早すぎた。道なりに進む。右側に変わった木造一階建ての白い建物が見え、「ちちぶ銘仙館」と思われた。旧埼玉県秩父工業試験場の建物を利用したもので、昭和初期の建物との由。左は羊山公園の丘陵で、公園の裾沿いに歩むこと。約1.5㎞、10:55、12番野坂寺についた。山門は両側に花頭窓のある造りで、内部にはあずかり観音がいられ、怒り、病気、煩いを預かってくださるとのこと。十牛観音像なども納められ、仏像の寺とされる。季節ごとの花が見事な庭園があり、花の寺でもあるらしい。本堂の天井の絵が見事だった。思わず寺のお坊さんにお寺のパンフレットはないか尋ねたが、そのようなものはないと、すげなかった。ここには木像を治めているお堂もあった。見どころ満載のアーティスティックな寺だった。ここからいよいよ市街地に戻る。西武秩父駅前を通って、秩父鉄道お花畑駅の手前の踏切を渡る。駅からほど近い町の一角に13番慈眼寺があった。境内に入ると右側に土蔵造りの経蔵があった。「施無畏(せむい)(施すに畏れることなかれ)」の額がかかっていた。これは私が子どもの頃に家にかかっていた額の文字で、近所にお住まいだった柔道十段の佐村嘉一郎氏の揮毫によるものだったらしい。経蔵の中に六角形の輪廻塔があった。3回回すと一切経をすべて読んだ功徳を授かるそうだが、2回しか回さなかったような気がする。だめかしら・・・。本堂は小ぶりだが、彫刻が立派で迫力がある。ここは眼の病気にご利益がある寺で、メグスリノキがあった。納経所は売店のような入りやすい店構えで、思わず入ってしまう。店員はお坊さんではなく普通の女子で、メグスリノキのお茶がポットでサービスされていた。それぞれにメグスリノキのお茶や飴を買った。秩父札所のガイドブックや地図もおかれていて、私は「秩父札所道案内」という地図を買い求めた。駅を背にまっすぐ西へ歩いて行くと中村屋というお団子屋さんがあった。心惹かれるものがあって、中に入って皆でお団子を食べた。ダンゴの種類の希望を募ると私以外は味噌醤油だったので、私はあんこにした。素朴で美味。味噌を食べたHさんも味噌味は初めてだがおいしかったとのこと。ちょうど12時だったので頃合いも良かった。14番今宮坊に向かって歩いていると、その手前に12:10 、今宮神社があった。今宮神社の竜神さまと今宮坊の観音様をお参りするとご利益が倍増するとのこと。境内の竜神池には武甲山の伏流水が沸いているとの由。竜神木は樹齢1000年以上とされるそうだ。ほとんど同じ敷地内というほどそばに、12:20、14番今宮坊。明治初年の神仏分離令の交付前までは同じ敷地内に祀られていたという。今宮神社に多くの敷地をとられてしまったのか、今宮坊はこじんまりとした寺だった。1区画、北へ進んでから東へ直角に右折し、秩父鉄道方向へ歩いて行くとグランドがあった。12:35、ベンチもあるのでここでランチにする。私は今日は街中歩きなのでコンビニなどがゴロゴロあるだろうと思って、「お弁当は持参しなくて大丈夫」と口走ったが、コンビ二は見当たらなかったような気がする。私の弁を信じてお弁当を持っていない方も二人いたが、それぞれに分け合ったので空腹は満たせたようだった。14番今宮坊から16番の西光寺はそう離れていないのだが、なぜか15番の少林寺がぐっと東、西武鉄道の向こう側にある。古い秩父の商店街の風景を楽しみながら歩いた。ツタに覆われた喫茶店、右から文字の暖簾がかかる飲み屋さん、秩父名物の味噌漬けのお肉もお土産にしたいところだっが道中はまだ長いので断念した。秩父鉄道の踏切を渡って左に行くと、13:15、15番少林寺。禅寺で、今までの寺と趣が変わって白漆喰の蔵造りで、彫刻などもなく、簡素な感じだった。庭にはボタンの花がきれいに咲いていて、300株植栽されているそうだ。正門の下に秩父鉄道の、先ほど渡った踏切より北寄りの踏切があって、ここに来ればまっすぐ正門から入れたのだろう。16番西光寺へぐぐぐーと西へ、まさにUターンして戻らねばならない。すぐ秩父神社があった。神社前で地元の選挙が近いのか、選挙運動に巻き込まれ、あいまいな顔をして拍手などをしてしまう。13:30、秩父神社を参拝。秩父神社は第10台代崇神天皇(3世紀後半!)の頃、創建された古社とのこと。秩父の夜祭は武甲山の龍神と秩父神社の妙見菩薩が年に一度で会う祭りだそうだ。七夕みたいだなあ。本殿の東側に左甚五郎の作といわれる鎖でつながれた青い龍の彫刻があった。昔、少林寺のそばの天ヶ池に住んでいた龍が暴れるとこの彫刻の下に水たまりができていたので彫刻の龍を鎖でつなぎとめたところ、龍が現れなくなったという。13:54、郵便局の裏に16番西光寺。秩父の札所としては珍しく真言密教の寺(3つしかない)。札所は曹洞宗や臨済宗などの禅寺が多いそうだ。本堂の隣に回廊堂があった。長い廊下の壁が棚になっていて、棚に四国八十八ヶ所霊場の本尊を模した仏像が並んでいた。88体は多かった。四国八十八ヶ所札所と秩父札所の関係が示されていて興味深い。お寺なのに酒樽に屋根を載せたキノコ型のお堂があって、酒樽大黒が鎮座していた。夜祭の古びた山車の車輪もなぜか飾られていた。ベンチで少し休んだ。この辺りから市街地を抜け出す。しばらく交通量のある車道を歩いて、右折すると、14:30、17番定林寺(じょうりんじ)が牧歌的な風景の中に離れ島のようにしてあった。観音堂だけの小さな寺だが、梵鐘は県の有形文化財とのこと。巡礼中に我が子を捨てた女性が結願後にその子が戻ってきたことを感謝して寄進したという。皆、鐘をついて音色を楽しんだ。18番神門寺(ごうどじ)へは西武線の踏切を渡って、民家の間を行く。住民の方が嬉しそうに札所巡りかと尋ねた。国道140号から少し入った住宅街に、15:00、18番神門寺があった。国道から少し入っただけで静かな気配がただよい、穏やかなたたずまいがした。観音堂は秩父の名匠の藤田若狭作。蓮華堂には大日如来が祀られていた。踏切を渡り返して、左が崖というか、段差のある坂上の道路を北上して、中学校を過ぎてから坂東坂という坂を下る。坂の途中にしゃれたレストラン「ビッグ・アイランド」があり、帰りはここで休もうと決める。車道に出て右にしばらく進んで、左に入ると、台地になっていて、その上に19番龍石寺の本堂と観音堂が広場に立っていた。広場はなんと巨大な岩盤で、地面は石を積んだそうだが凸凹している。札所中最古の建築構造とのこと。展望がよく、お地蔵様が多かった。帰路、予定通りレストランのビッグアイランドに入る。ここはパンケーキとハンバーグが売りらしい。イチゴパフェを注文する人が多かった。私はパンケーキもおいしそうに思えて迷ったがイチゴパフェンした。甘すぎず、おいしかった。女性陣の1日のウオーキングのご褒美として、皆の満足感を満たしたのだった。さて、のんびりしすぎたというか、大野原駅まで意外と遠かったというか、坂道を速足で登って、最後は競歩状態で大野原駅に駆け込んだ。無事、予定した16:48の電車に乗り込めて、御花畑駅で乗り換えて、西武線で帰った。あまり上り下りのない市街地を、あっちに行ったりこっちに行ったりする経験は山屋の私達にはあまりないことだった。オリエンテーリングの要素もあって、なかなか楽しめたのだった。
2021.04.15
コメント(0)

2021年4月9日(札所2番 真福寺は無人寺だがよく整備され、ヤマザクラが満開だった)いつか四国八十八ケ所巡りをしたいと思っていたが、年月ばかりが過ぎ去ってしまい、なかなか実現できない。まず、四国は遠い。それに、まじめに歩いたら2ヶ月近くかかる。それで、思いついたのが秩父札所34ケ所巡り。これは近いし、規模が小さく1週間で歩ける。それと、コロナ禍で遠出や危険を伴う山行は避けた方がよさそうという点もプラスにカウントされた。偶然、平日の金曜日だがフリーになったので、前日、あわててガイドブックを買いに走った。朝はのんびりと7時過ぎに家を出て、西武線の窓口で特急券を購入。7:54、所沢発のレッドアロー号に乗った。窓一杯に広がる新緑を楽しんだ。9:00、西武秩父駅着。西武バスの営業所でバスの時刻表や札所巡りの資料をゲットした。9:27の和同黒谷行きバスで終点で降りず、帰路に取るコースにある瑞岩寺入り口で下車。車道を1番の四万部寺を目指して歩いて行く。10:05、瑞岩寺。札所ではない禅寺で、十三仏霊場とある。ツツジがきれいらしいが、まだ咲いていない。道端で作業中の女性に道を尋ねたら、その後、車で追いかけて来て、ご主人から教え方がまずいと注意されたのでと、また丁寧に教えてくれて、Uターンしていった。なんと親切な方だ。秩父の人はやさしいのかしら。二股を左にとって進むと、1番目の四萬部寺があった。四萬部寺(しまぶじ)はさすが札所の一番だけてあって風格のあるお寺だ。本堂の長押の上には右に地獄ノ図、左に涅槃ノ図が彫られている。堂内におびんづる様、別名なで仏様という像があった。おびんづる様はお釈迦様の弟子の一人、16羅漢の筆頭で神通力に秀でていたという。つるっとした頭をなでると病気が平癒するとか良いことがあるとのことだったので、頭をなでておいた。お寺の納経帳を買おうか迷ったがやめた。母が持っていたように思うので、かって、ここにも来たのだろう。正門からまっすぐ出て行ったら、どうも違う。庭の手入れをしていた女性に尋ねると、門を出て右へ行くのだった。少し戻って軌道修正。障害のある方々にすれ違う。散歩なのか、まっすぐそのまま歩いて行った。レンゲの花盛り。道しるべ石という石があるし、如意輪菩薩堂もある。生活の中に仏教がある。石仏も生活の中にある。集落内をまっすぐ進んで左折。両側が杉木立の車道を上がっていく。先ほど、すれちがった障害のある方々が下ってきた。私もまっすぐ行ってもこの辺りに出られたのだろう。『がんばって、札所2番まであと500m』の木札が白樺の幹に打ちつけられている。なお、後で気が付いたが、ガイドブックで「この辺りは人気がないので女性の一人歩きは注意」と書いてあった。確かに人気はなかったが、へえ、そうなんだと思った。多くの山道は「女性の一人歩きは注意」に該当してしまうが。上がり切ったところで車道が封鎖されている。2番札所は右折するらしい。駐車場の前を右に下っていた。寺はどこだろうと思いながら歩く。眼前が開けてのどかな秩父盆地の風景が眺められた。下りすぎてちょっとおかしいと思って戻ると、駐車場の奥に2番真福寺があった。11:40、真福寺。本堂は一段上がった所にあった。石段にしばらく腰をおろして、静寂にひたって、下の境内の満開のヤマザクラを眺めた。小ぶりな無人寺だがきれいに手入れされている。札所34番の中で一番最後に選出されたらしい。車道を下って行くとショートカットする登山道があり、嬉々として下った。ここらは標識には江戸巡礼古道と記されている。車道は大槻川沿いになり、人家の並ぶ集落に入った。きれいなトイレがあり、借用。光明寺は札所ではないが2番真福寺の納経所なので立ち寄った。境内は広々として空が大きく、開放感がある。蒼空に鯉のぼりが舞っている。正面には武甲山が鎮座。縁起によれば、「寺は南面し武甲山に対峙しているので山名を向嶽山という」そうである。3番常泉寺へ句かう途中、「泰山北斗」の看板があったのでとても驚いた。昨年10月に秩父槍ヶ岳に登った帰路、立ち寄ったレストランだったから。バス道路と橋を渡ると、12:40、3番常泉寺があった。季節になるとアジサイがきれいな寺らしい。銅葺の観音堂の軒下(向拝(ごはい))の龍の彫刻がなかなか凝っている。屋根の下にベンチとテーブルがあったので休んだ。常泉寺の泉の由来か、池があってカエルの置物があった。常泉寺のお坊さんが金昌寺に行く道を教えてくれた。バス道路を歩かず、裏道を歩いて行く。川沿いに新木鉱泉の旅館があったようだが気が付かなかった。一度立ち寄りたいと思っている宿だったが。ふるさと歩道橋という橋を渡って塀に沿って進むと、13:15、崖を背に4番金昌寺があった。朱塗りの仁王門に左右2mのわらじがかかっている。金昌寺は健脚を祈る寺とのこと。仁王様も大きく風格がある、境内に入ると、石段沿い、崖の斜面の草むらの中などに所狭しと石仏があり、その数1379体という。本堂には有名な子育て観音があった。下絵は喜多川歌麿が描いたという。縁側というか、半外置きのせいか、ちょっと傷んでいるように見えた。納経所の人は参拝者にうんざりしているような感じだった。女性二人組と前後する。サイクリングの女性もちょうど着いたところだった。寺から出て左へ民家の間の小道をたどる。バス道路より1本、東のやや細い車道にでる。正面に武甲山を見ながら南へまっすぐ歩いて行く。少し飽きてきたころ、右側、道路わきに、5番語歌堂があった。13:50着。無人の寺で、周囲に壁もなくあっさり往来自由。お堂は規模が小さく、高麗風の感じだ。少し戻って奥まったところに5番納経所の長興寺があった。門まで行った。先ほどの女性2人連れはここから帰るとのことだった。標識にちょこんと乗った野鳥の像がかわいい。さて、5番と6番の間は長い。歩いてきた道をさらに南へ進むとグランドに突き当たって、左へ車道を登っていく。先ほど、金昌寺で会ったサイクリ二ストの女性がにこやかに挨拶して追い越していった。登り切ったあたりは横瀬巡礼古道で、秩父盆地の眺めがよかった。北に破風山、南西に武甲山、二子山、武川岳、西に奥秩父方面。車道から右折して下り、その先に7番法長寺があったが、順番通りだと6番卜雲寺が先でなくてはならない。と、律儀に思い込んで、法長寺に寄らないで卜雲寺を目ざした。14:45、卜雲寺。寺は小高い場所にあり、展望がよかった。本尊は聖観音世音菩薩で、江戸時代に奉納された石像があった。寺のすぐ下に、一般住宅風のレストランがあって、おいしそうな香りが漂ってきた。一息入れるかと中に入ると、何かの会が終わったような感じで多くの人がいた。店のスタッフから、今日は終わったとすげなく断られた。15:00、7番の法長寺まで戻った。牛伏堂とも呼ばれ、伏していた牛の下から観音様が現れたという縁起を示す石像があった(写真をとりそこなった)。また、本堂は平賀源内の設計で、秩父札所の中で最大とのこと。武甲山もすっかり近くなって、採掘跡の線状が見える。広々とした境内でゆっくりしたいところだったが、時間がおしてきた感があり、早々に辞した。8番へ向かう分岐に戻って、右折して下って行く。15:10、あたり一面にイチゴの香りが漂っていたので気が付くと、トチオトメのビニールハウスが両側に立っていた。トチオトメって、栃木産ではなかったのかしら。橋を渡って、国道299号の道路をくぐって、さらに西部鉄道の陸橋の下をくぐる。開けたところでは武甲山が大きい。ここは武甲山の山麓の地だ。少しわかりにくい狭い道路を左手に登っていくと、15:30、8番西善寺があった。門の脇に「遊興の徒は入るな」と言った、厳しい注意書きがずらずら書いてあった。納経所に寄って納経帳に御朱印をいただかないような私のような者は不埒な存在で、入るなと書いてあるように思えた。こそこそと境内をうろついて、早々に出た。有名な樹齢600年のカエデはあったのか、見た記憶がない・・・。枝垂れ桜がきれいだった。線路の下をくぐってまっすぐ進むと299号にでてしまった。国道は歩きたくないと思った。ようやく、おばあさんをつかまえることが出来、明智寺の行き方を習う。国道に出る手前にあった三菱マテリアルの白い看板の前の道を左へ登って行って、線路を越えて右へ行くのだった。マテリアルの構内でも人に尋ねる。「土地の者ではないのでわからないが、ここは会社の敷地内で関係者しか通ってはいけない」といわれたような気がする。西武線の線路に架かる橋を渡ると明智寺の標識があった。線路沿いに右へ下る。夕方になって少し寒くなってきた。しばらく道なりに歩いて行くと二股になっていた。とりあえず上の道をとると、セメント工場の構内のようだった。太い2本の煙突があり、これは遠くからよく見えていた。煙突に三菱セメントと書かれている。三菱を自然破壊の権化とみなす考えもあるし、秩父の発展に寄与したとする考えもある・・・。守衛所があり、中から守衛さんがこちらを心配そうに見ていたので、守衛所の方へ歩いて行くと、門の外、左下の方に明智寺が見えた。16:20、9番明智寺にたどりつく。観音堂は六角形で如意輪観音を祀る。安産子育ての仏さまとのこと。もう店じまいしたかのように静かだった。西善寺ですれ違った青いシャツの男性がベンチに座っていた。横瀬駅までは近かった。16:42の電車で帰った。こうして憧れの秩父札所の第一歩を踏み出したのだった。しっかりした地図を持っていなかったこともあって、数か所で迷い、オリエンテーリングの味わいもあった。
2021.04.09
コメント(0)

2021年4月4日(登計セラピーロードから本仁田山を望む)2019年度と2020年度に入会したJAC東京多摩支部の新入会員の交歓ハイキングがあった。本来は2020年度の入会者が対象だが、昨年は緊急事態宣言発令下で、実施できなかったので、2期分の新入会員が対象になった。歩くのは奥多摩の愛宕山。京都にも愛宕山はあり、「愛宕山」は城山や白山などのように全国に多い山名か。今日の愛宕山は山のガイドブックには通常、紹介されていない。つまり、ハイキング以下というかプチ裏山という扱いか。10時に奥多摩駅に集合。新入会員の参加者は15名でスタッフは6名。駅の脇にある神社で山開きの神事が開始されたところだった。本来はこの神事に合わせて交歓ハイキング実施の予定だったが、コロナ禍で参加者は一部の方に限定されていた。私たちは神事に参加できないので、横目で眺めながら出発した。ビジターセンター前に来たら休館中とのことで驚いた。センターに置いていただこうと持ってきた冊子「山のマナーハンドブック」は、奥多摩BCに置いていくことにする。登計(とけ)園地(ふれあい広場)でサークルになって、挨拶や準備体操。皆マスクで、いささか緊張気味。自己紹介ではコロナで山に行けなかった人が結構いるようだった。今日は薄曇りというか、雲が多い。10:30、出発(357m)。20分ほど山道をたどる。と、有名な188段の石段が登場。結構な斜度だが、脱落する人も落下する人もなく、無事クリアーした。最後の急坂を登ると、10:50、愛宕山山頂(507m)に着いた。広場になっていて小さな五重塔があった。鐘もあったがあまり注目されていなかった。記念写真。そこから急な坂道を下る。ピンクのヤマツツジが盛りで美しい。皆、うれしそうに写真を撮っている。愛宕神社のお堂と鳥居を過ぎて、階段を下りていくと車道に出た。11:10、ここが登計広場。少し早いがランチを摂る。コロナ対策か、ばらける。小雨がぱらついた。着こんだり、傘をさすほどではないが、皆の気がせいたようだ。11:35、出発。車道を下って行くと、セラピーロード(登計トレイル)に入る。我が班は急角度にユーターンする場所に気づかず行き過ぎて戻った。ウッドチップが敷き詰められ、日本初の森林セラピー専用の遊歩道という。陽が差してきて、森林浴と木漏れ陽を楽しむ。ステーション3から1まで下って行く。星空浴(そういう言葉があるのだ!)用ベンチやヨガスペースなどもあった。12:00、奥多摩町を挟んで対面に本仁田山がきれいに見える場所があった(扉写真)。桃の花とツツジがきれい。(この写真は松田慎一郎氏撮影)12:10、奥多摩総合運動公園のグランド脇(381m)に出た。ヤマザクラが盛りだった。トイレ休憩。車道を歩いて行くと国道411号の奥多摩消防署の前に出た。右折して南氷川橋を渡って進むとJAC多摩支部の奥多摩BCがあった。前の班は国道に出る手前で河原に降りたようだった。BCのスタッフにご挨拶して氷川大橋の麓から多摩川の河原に降りた。12:45、全員、ここで集合、缶ビール片手にワンコイン懇親会をした。すっかり晴れて、川面を渡る風が気持ちよかった。久しぶりの仲間との交流を楽しむ人々の顔が輝いていた。13:20、解散。奥多摩駅2階のカフェでティータイム。おだやかで、なごやかな、期待以上の1日でした。コースとしては、早く下山したり、歩き足りないときにちょっと回っても良いかもしれない。
2021.04.04
コメント(2)

2021年4月1日能岳と八重山は前から名前は知っていたが、行く機会はなかった。今回、JAC95会でシュンランの季節に訪問する機会があった。高尾8:01の電車に乗った。車内に同行者がいないか探していると名前を呼ばれた。以前、職場が一緒だった女性Kさんだった。私より若いが、最近は岩などはしていないとのこと。亡くなったパートナーのお話など伺った。8:25に上野原で降りた。総勢15名が、遅刻や欠席者なく集合した。8:40のバスで終点の向風に行く。手前の新井バス停までの便が多く、向風行は平日の朝に一便だけあるらしい。向風でブリーフィング。新井から向風まで歩くと20分だが、今日は向風まで入れたので北側の尾根を巻いて能岳に登る北コースを取ることにする。15名中7名がJAC東京多摩支部だった。9:30、出発(282m)。北へ車道を緩く歩いて行く。車道の左側は要害山などのピーク。10分ほどで八重山ハイキングコース入口(283m)に着いて尾根に取り付く。標高で100mほど急坂を上ると、緩やかな登山道となり、10:00、桑原峠(455m)という場所に出た。東屋に眺望処の看板。方向を南に変えて、緩やかな尾根道を進む。シュンランが登場する。ほのかな色合いが上品な、あえかな感じがするランだ。沢山咲いていて、ありがたみがなくなるほど。写真に時間がかかる。10:25、能岳到着(543m)。今日の最高点だが、展望はなく、休まないで通過。50mほど下ると鞍部着。石仏があった。こから30mほど、緩やかに登る。11:24、八重山到着(530m)。東屋があって先客がいた。ここは南側の展望が良い、30分ほど休んでランチを摂った。日当たりのある場所は暑くなってしまい、女性陣が日陰で休んでいる所に移動した。八重山という名前は、「八重さん」がこの辺りの土地を寄贈したことに由来するらしい。シュンランが沢山咲いている斜面へ下りようとするが、封鎖されていたのか、皆が戻ってきた。五感の森遊歩道の急な尾根を下った。植物に説明札がついていた。あれこれ談義があり、楽しい。地元の人々が自然を大切にしている気持ちが伝わってくる。506mのピークに歌碑がある。鐘塔の先に展望台があった。展望がよい。すぐ後ろの小さな八重山のピーク。背後、西にある大きな平坦な山頂部を持つピークは権現と思われた。展望図も良くできていた。伝えようとする熱意が伝わってくる。南に富士山と道志、西に権現、北に笹尾根、東に陣馬。晴れていれば、房総まで見えるようだ。樅、栂、榧の識別法を書いた図が面白い。K出画伯が描いたスケッチを拝見する。シュンランはあえかな感じがうまく表現されている。景景色のどかな里山の雰囲気が漂っている。いつもながら、その早業に感心させられる。休みに何かを食べるよりは書いている。S野さんが一足先に帰った。女性陣のかしがましさに辟易したのだろうか。小1時間下る。最後まで植物札がまめにあって、楽しませてくれた。作ってくださった方に感謝。企画してくださったあかねリーダーにも感謝。かくして、穏やかな山で春の花山行を心置きなくエンジョイしたのだった。道路に出るところにトイレがあった。桜が満開の上野原中学校(327m)の脇を下って行く。若い女性が、旗を立ててクリームパンの行商をしていたので、一つ購入。太い通りに出るとすぐ左に大堀バス停(273m)があった。タイミングよく13:38のバスに乗って、上野原駅に向かった。駅のそばの相模川の河岸段丘にも満開の桜が連なっていた。14:00の電車で帰京した。あまりの速すぎる帰宅に家族が戸惑うかと、JRの駅を下車してからドトールコーヒーに入った。コーヒーを飲みながら、こっそりクリームパンを食べたのだった。
2021.04.01
コメント(2)

2021年3月27日(鹿俣山山頂からの武尊南面)前夜、深谷のメンバー宅に集合することになった。私は吹上での用事がたまたまあり、夕方に終わった。熊谷のスパにたどりつき、Zoom会議に出席できる場所をゲットして出席。さすがに浴衣では参加しなかったが。スパを21時過ぎに出て、籠原に22時前にたどり着いた。メンバー宅に集合して、居間で寝る。朝6時起床。そばのコンビニで朝食を摂る。某道の駅で私はM車に乗り換える。2台の車で出発。9:15、玉原スキーパーク着。9時半頃出発する(1245m)。10:10、リフトを乗り継いで300mほど稼ぎ、終点(1530m)で降りる。10:20、さて、シールを付けて鹿俣山へ、右手の尾根に取り付く。ほかにスノーシューの5,6人のグループがいたが足は遅かった。歩き出しは穏やかな雪の幅広い尾根道。頂上の手前は崖となり、12月末に来ると藪をこぎ、枝を掴んで登る場所。が、今回は雪で埋まっていて、比較的楽に通過できた。10:40、で、なんと20分、鹿俣山山頂(1637m)。素晴らしい天気。素晴らしい展望。武尊の南面(扉写真)がよく見える。5年、毎年2月に武尊山スキーを楽しんでいたが、今年は行けなかった。民宿のおじさんの、いつ書いているも、民話の切り絵の下絵(漫画)も書いてあげられなかった。武尊へ川俣スキー場から登る稜線ルートを目でたどる。少し先に歩いて行き、西側の展望を眺めた。木立に遮られ、あまりよくわからなかった。リーダー氏はあれこれわかっていたようだが。と書いていたら、なんと、さすがに山名を同定した写真をアルバムにいれていました。さすが!右から大津川山、小沢岳、木立から出て、巻機山、柄沢岳、大烏帽子山、朝日岳とがったピークの白毛門、武能岳、茂倉岳。さて、後沢を滑るという案があったが、沢が割れていそうという読みがあり、下らずにスキー場トップまで戻り、そこから尾根通しにブナ平に下ることにした。崖を慎重に下った後は、あっという間にスキー場トップを通り過ぎた。傾斜が緩んでくる。陽が燦燦とさす雪原のブナの原生林は蒼空に映えて美しかった。少し開けたところで、一息入れる。静寂境。夏は緑が深い森だろうか。さて、林を下って行く。そろそろ、沢を渡らねばならない。リーダーさんが渡れそうなところを探しに上流へ行ったが、私には下流に一ヶ所、行けそうに見える場所がみえたので、それを言った。そこは、危うげにスノーブリッジが残っていたので、13:25、ここを突破した。しかし、下に下って行くと苦労して渡った沢は、再びしっかり雪で埋まっていた。ここを渡れば何の苦労もなかったのだが。ひとしきり、15分ほど林の中を滑っていくと、13:40、管理事務所(?)のような建物があって、林道に出た。そこからは雪を拾って道端を進んだ。ほかのメンバーは次第にスキー板を脱いで担いでいた。私は根性で最後まで板を履いていたので、担いでいる人より遅くなった。前を歩いていた3名はどこかでおいしいルートを求めて上へあがって、苦労して林道に降りて戻ってきたようだった。14:10、スキーパークに戻りついた。鹿俣山の山頂部が白く輝いていた。14時半頃、スキーパークを出発し、川場温泉センターいこいの湯による。入浴料440円。アルカリ単純泉。入浴後、名物のミニ焼肉丼とラーメンのセットを摂る。美味で、これで880円とは信じがたいが、案の定、丼の多くを男性におすそ分けすることになった。川場田園プラザによって買い物。川上犬「でん」が犬小屋にいた。長野県川上村を原産とし、ニホンオオカミの血を受け継いでいる希少種という。まだ1歳くらいらしいが、欧風な気品のある精悍な顔、子供が撫でていたのを見て、私も檻の中に手を入れて首をもみしだいた。見ていた人たちから驚きのため息のような声が聞こえたようだった。よく慣れた、おとなしい、いい子だ。もっと長くそばにいたかったが、仲間にせかされてしぶしぶ立ち上がった。16:55、出発。帰路は一人を高崎で降ろして某道の駅に戻る。マイカーに乗り換えるが、関越道混雑のためにずっと下道を使い、帰宅は21時半だった。鹿俣山は毎シーズンのように山スキーに訪れているが、いつも12月末で雪が少なかった。今回、3月末に行き、雪が多いことに驚いた。雪が多いと藪を分けなく済み、登るのが楽で滑りが楽しかった。また、今回、初めてブナ林を滑ったが、新しい魅力を発見した気がする。これからは3月になるかな。なお、やっとの山スキーなのにシーズン最後になってしまったのはちょっと残念だった。(リーダー氏作成のGPSデータをしめします。1323mのピークまでほぼ行ったことが分かります。)
2021.03.27
コメント(0)

2021年3月20日霞丘陵は青梅のそばに位置し、目立つピークはない300m代の丘陵だ。今回、当初、榛名山を予定したが、天気予報が悪いので遠出はやめた。天気予報は雨から曇りになったので、近郊ハイキングとして霞丘陵に行くことになった。これはリーダー氏が日本山岳会の親子登山のサイトから見つけたコース。東青梅駅北口ロータリーに8過ぎに6名が集合。8:20に出発した。街中を縫って、最初に着いたのは青梅六万薬師堂。これから向かう光明寺に属する薬師堂で、1590年に悪疫が流行した時に建立されたという。建物は古びていず、再建されたものだろう。この時節、もっと売り出してもよさそうだが、ひっそりとたたずんでいた。8:40、道路を渡った所に、丘を背に光明寺。時折、小雨が降る。左脇の石段を登ると鳥居があって、師岡神社。1303年に創建された歴史のある神社で、光明寺創建のおりに守護として勧請されたという。シイの大木があり、市の天然記念物との由。道路沿いに左に進むと、9:10、吹上しょうぶ公園。6月には10万本のハナショウブ、秋にはヒガンバナが咲くというが、3月では花は咲いていない。池畔に桜が1本咲いている。谷戸地の雰囲気の残る公園で、木道や池などもあり、敷地が広いだけにちょっと寂しい。事務室にパンフレットが置かれ、スタッフは感じがよかった。昨年はコロナで、咲いたハナショウブを目当てに観光客が訪れることを懸念して、悲惨にも咲いたハナショウブが刈られてしまったのはここだったか・・・。9:30、宗泉寺。有名な樹齢200年のカヤがあったようだったが・・・。バス道路を進んで、左に入ると、9:55、塩船観音に到着。1300年の歴史がある古刹だ。近場でありながら、今まで来たことがなかったのが不思議。かねてから来たいと思っていた。古びた門をくぐる。本堂の中に入って、展示物を拝観した。小高い丘に立つ観音様のところまで歩いていく。観音像は15mの高さで、ツツジの庭を睥睨している。2万本のツツジが満開の時は見事だろう。天気が良ければ奥多摩や富士山が見えるらしい。この庭が舟底のようにくぼんでいるので塩船観音というのかと思ってしまう。実際は、「周囲の地形が小丘に囲まれて舟の形に似ており、仏が衆生を救おうとする大きな願いの舟である『弘誓の舟』になぞらえて、天平に時代(729~49年)に僧行基が名づけたと伝えられている」そうです。『塩』の意味が不明ですが。庭の底に降りて、売店でお団子を食べて一休み。さて進む先はとチェックしたら観音像の脇を通っていくのだった。で、登り返しす。鐘突堂があったが有料で、誰も鐘を突かなかった。11:10、観音像の脇から登山道に入る。尾根道を進むと展望の良い所に休憩所があったが、休んだばかりだったのでスルー。七國峠方面に進むと舗装道路に出た。舗装道路を急角度で左に曲がるとゲートがあった。11:30、ゲートを通って、その脇でランチした。少し天候がよくなってきた。そこから、幅広い桜並木の舗装道路が軽くうねりながら伸びていた。森林インストラクターのティーチャーから草木について講釈を受ける。突き当りに茶畑があって、その奥は某宗教集団の施設があるようだった。我らは右に進路を下って行くとゲートがあって、12:20、笹仁田峠(179m)に出た。ゲートは教団のエリアを示すと思われた。国道を渡って、右へ20mくらい進むと、七國峠方向を示す道標があって、うす暗い樹林の中に登山道が続いていた。ヒノキ林の中、丘を登っていくと、開けた広場に出た。車道も来ており、車が数台駐車していた。道端にこんもりと茂みがあって、これをわずかに登る。12:40、225.9mの三角点がある七國展望台。曇っていて展望は・・・?しばらく、尾根の車道を歩いて行く。すぐ、地味に七國峠があった。やがて、道幅が狭くなり、13:00、二俣の分岐があった。右は秋葉大権現へ行き、その先は飯能に至る。我らは岩蔵温泉は左へ。まもなく地味に七國山があったらしいが・・・。杉林の中を進み、横木を渡してある階段を下る。下りきると車道に出た。横切って沢を渡り、バス停への近道をとる。民家の裏庭のような小道をたどる。車道に出た。あまり広くない道路だが交通量が多い。14:00、岩倉温泉バス停に着いた。日帰り風呂のような施設のある温泉地ではなく、小さな宿が数件ある集落だった。ちょうど東青梅行のバスが来たので乗った。これは飯能から来た便で、ここは飯能と東青梅を結ぶ幹線道路。16時近く拝島駅に途中下車。駅の西側はリーダーの目にかなう店がなく、東側にあったインド料理店ビラシに入った。これがヒットで、リーダー氏はナンが美味と満足気で、なかなか美味であった。親子向けハイキングコースだが、古刹あり、並木道があり、杉木立の尾根歩きがあり、森林浴ありでバリエーションがあって楽しめた。それぞれの花の盛りに歩いたらもっと楽しめるだろう。最後の仕上げのインド料理店も再訪したい。
2021.03.20
コメント(0)

積雪期の那須は1月2日に茶臼岳に登ったことがあるが、朝日岳は歩いていなかった。無雪期には2010年10月、茶臼岳、朝日岳、三本槍を縦走して北温泉に降り、3座縦走もむずかしいことではない。沢は5回位入ったと思うが。今回、コロナ禍だが地元の方との接触を避けて山行を行うことにした。4時過ぎに起床し、5時半に大泉の伸吉リーダーをピックアップ。山岳保険の話で盛り上がってしまい、うっかり東北道へ入りそこなって草加方面へ行ってしまって、いったん高速を降りて戻った。7時に佐野SAに着いた。15分位ロスしたか。ミサヨさん、N山さん、S水さんの3名と合流し、ミサヨさんの車に乗り換えて、那須塩原で高速を降りて那須大丸温泉へ向かった。9:05、身支度を整えて出発。トイレ脇の階段に取り付く。車道を数回横切って、9:40、ロープウエイ乗り場。10:13、鳥居が雪に埋まっており、雪の深さが分かる。谷の右岸添いの登山道を進む。登山者が多いことに驚かされる。那須のメインストリートというか、原宿というか。10:35、元気な若者の二人連れがいて、某大のボクシング部関係者らしい。写真を撮ってもらう。三本槍までと威勢がよかったが、朝日岳に来なかったようだった。ボクシングと登山ではかなり勝手が異なる。左に茶臼岳のザ火山という荒々しいドーム状の岩峰が迫る。谷を挟んで対岸には朝日岳へと登り上げる岩尾根と赤茶けた稜線がそびえている。蒼空に岩稜が映える。11:10、峰の茶屋着。強風で有名な峠で、雪がないというか、風で雪が吹き飛ばされていて地肌が出ている。今日はさほど強風ではなかったが。ここで、左へ茶臼岳(1915m)、右へ朝日岳(1896m)への道を分ける。まっすぐ下れば三斗温泉。西側の大分水嶺の稜線が初めて望め、ひときわ白く雪をまとっていた。多くの登山者が休んでいて、ほとんどの登山者が茶臼岳へ向かっている。15分ほど休む。峰の茶屋は営業していず、内部には雪が積もっていた。我らは茶臼岳と朝日岳に登る予定だったが、とりあえず先に朝日岳をめざすことにする。11:30、出発。剣ヶ峰(1799m)のトラバースは右側が切れていた。先ほど、峰の茶屋にいた小学生くらいの子供を連れた家族が戻ってきた。身の危険を感じたというようなことを口走っていた。ちょっと要注意だが、雪は柔らかく、滑落というような感じはしない。私は、装備表が「軽アイゼン」になっていたので、忠実に守って軽アイゼンだったが、それでしのいだ。前方に朝日岳の険しい山容がそびえている。赤茶けた岩場が多く、火星のようだと思った。その先、鎖場が続いた。左がやや切れていて慎重に歩く場面もあったが、特にロープを出すというほどのことはなかった。岩交じりの尾根を登って、12:35、三本槍との分岐の鞍部に出た。国境稜線がダイナミックなラインを描いていた。あそこも歩きたい。もの慣れた様子の写真家2人連れ写真を撮ってもらった。私は軽アイゼンだったので、朝日岳ヘの最後の登りで斜面が凍っていたらそこで待っていようと思っていたが、さほどのことはなかった。12:50、朝日岳山頂に着いた。風はあまりなく、寒さも感じなかった。展望が素晴らしく、存分に楽しんだ。茶臼岳の火口がよく見える。北の三本槍の先の尾根続きに、旭岳が鋭いピークを際立たせたいた。旭岳も登りたい。西には大峠、流石山、三倉山を連ねる大分水峰、飯豊、北には磐梯山、吾妻連峰、右、東には日光連山、高原山、燧ケ岳。西、遠方には越後のピークも望めた。東のバリエーションの痩せ尾根を登て来た男性もちょうど到着し、一躍ヒーローになっていた。この日、三本槍を目指した登山者やスキーヤーも多かったようだ。13:35、山頂を後にする。帰路は剣ヶ峰を登ろうと言い出す人もなく、再びトラバース。14:45、峰の茶屋に帰着し休憩。終日、素晴らしい天気だった。朝日岳で十分満足したし、時間もおしていたので、茶臼岳は行かないことにした。陽が傾いてきた。他に登山者は前後した1パーティーのみで、静寂境になっていた。16:00に駐車場脇のトイレに着いた。帰路は佐野でラーメンを食べて、2台の車に分かれた。佐野SAはホテルがあって、上下のSAの行き来が容易な造りになっている。下り道から上り道へすぐ戻れて、乗り換えに苦労しないので、集合にお勧めだ。
2021.03.07
コメント(2)

2021年2月青梅丘陵に行くことになった。ガイドブックではあまり扱われていず、ハイキング以下、散策程度と言う下馬評だったが、歩いてみたらハイキング以上の「登山」という評価だった。なお、SDカードの破損がし、写真は参加者に送ったものなどをかき集めました。8:30に青梅線の軍畑に集合。今日はリリーさんのワンコ、サブ君がサブリーダーとして参加する。青梅丘陵は青梅在住のサブ君の散歩コースだそうだ。おばさん連に囲まれて緊張しているのか、しっぽが下を向いている。プラットホームから、線路側の崖に二ホンカモシカが悠然と草をはむ姿が眺められた。N山さんと、お試し山行のT田さんが遅れるとのこと。本隊は先に行ってもらって、9:10にN山さんとT田さんの3人で後を追った。踏切を渡って、高水3山に登った時と同じ平溝川沿いの道路を登っていく。10分余りで平溝橋に着いて、左に高水3山へのルートを分けた。我らはさらに勾配がきつくなった車道を登ると榎峠に出た。ここから登山道に取り付く。結構急な杉木立の登りだ。時折、先行する本隊の声が風に乗って聞こえた。榎峠から40分ほどで雷電山の山頂に着き、10:10頃、先発隊に合流した。雷電山は標高494mで、本日の最高点。北側の展望が開けていた。その先、尾根道を進む。11時過ぎ、急な登りを上って辛垣山(からかいやま、457m)と城跡。城跡は戦国時代まで青梅周辺を治めた三田氏の居城だったとの由。地図読みにも時間をかけたというか、楽しんだ。南側は奥多摩ど真ん中と思いきや、意外と山岳同定は難しかった。左のごつごつした目立つ山塊は大岳、その右の尖ったピークは御岳、その右奥の三角錐は御前か。下り基調と思っていたが、予想以上にアップダウンがある。散策などと思っていたことがノー天気であることを思い知った。北側の前景が開けたところでランチにした。ランチ後に青梅草の見られる栗平集落も遠くなさそうで、立ち寄ろうという提案もあったが、次回のお楽しみとなった。最後は青梅鉄道公園まで行かず、勝手知ったるリリーさん船頭によって小さな祠の脇から梅岩寺に下山した。16時に青梅駅前着。4名と1頭が帰った。サブ君は飼い主のリリーさんと二人になって(?)ほっとしたのか、尻尾を立ててうれしそうな後ろ姿だった。1日、無理をしていたのだな。駅前の喫茶店「ココカラ」でお茶にする。店は昭和の雰囲気だった。孤軍奮闘しているウエイトレスの方がクレオパトラのようなアイメイクをしていたのが印象的だった。リリーさんご推奨のスパゲティーとクリームあんみつなどを食べる。コーヒーが丁寧に淹れられていて、とてもおいしかった。17時過ぎの電車で帰路に着いたのでした。
2021.02.27
コメント(0)

2021年2月11-12日渋谷区在住のY子さんに誘っていただいて、渋谷区の寮、アクティブ菅平をベースに2月11-12日、21日に遊んだ。Y子さんは寮を別荘のように使っている気配。10日の夜、Souさんの車で荻窪から2時間半で寮に着いた。11日は朝から雪が舞っていた。雪が上がった11時頃、宿を出発した。根子岳を目指したが、天候が悪く、登りの途中にある避難小屋でランチを摂って戻った。避難小屋の中はとても寒かった。スキーの私は30分弱でゲレンデトップに戻って、スノーシューやアイゼンのメンバーを待った。このころから天候がよくなって蒼空が見えたが、山頂部は厚い雲に覆われたままだった。メンバーが戻ってきてから、私は一人でゲレンデでスキーをして戻った。12日の朝、宿のロビーの窓から見える北アルプスの展望に驚愕して、しばし館内をカメラをもって走り回った。風呂場の浴槽からの景色がベストだった。この日はスキーー板と靴を乾燥室において、帰路、黒斑山(2414m)で遊ぶことになった。私はかなり以前、夏に黒斑山ハイキングをして、火口壁を下りてかっての火口の湯ノ平を歩いたことがある。高峰高原ホテルに駐車して11時頃出発(1973m)。表コースを登る。車坂山を登って下るが、アイゼンを持たないメンバーが苦戦していた。槍ガ鞘(2285m)に着くと、前面に浅間山が縞模様の山肌を見せてそびえていた(扉写真)。浅間山の雪景色を堪能してランチを摂った。前方のトーミの頭の登りの右側が湯ノ平へ切れて見えたので、黒斑山まで行かず、中コースを下ることにする。車坂峠へ戻り、駐車させてもらった高峰高原ホテルで入浴する。ロビーで同じく入浴に立ち寄った友人一行に遭遇した。ロビーに双眼鏡が設置されており、八ヶ岳がよく見え、ピークの同定に興じた。2021年2月21日快晴に恵まれて、9:10、宿(1537m)を出発。根子岳を目指す。雪原の向こうに根子岳のたおやかな山容が見える。雪面はスキー、スノーシュー、アイゼンなどで荒れていた。スキーヤーとスノーシューの登山者が半々だった。振り返ると菅平スキー場のゲレンデがよく見える。次第に空気が冷えて、透徹した感じになって、山頂が近いことを感じる。11:50、根子岳の山頂着(2207m)。山頂からは、さすがの展望。北の万座方面が白い。左に志賀の笠ヶ岳。山頂にいたガイドの方から白砂山が見えると教えてもらってうれしかった。遅れてついた2名とも合流して、山頂の祠の前で記念写真。12:30、山頂発。足裏に凍った雪面を感じて、ツツツーと滑り出していくときの軽やかな浮遊感は何とも言えずうれしかった。斜面はスノーシューなどの踏み跡でわだちが出来ていてすべりにくかった。13:07 、スキー場(1580m)に着いた。ほかの方はスノーシュー、アイゼンなので別行動をとり、私はゲレンデを滑り降りてカフェでコーヒーを飲んだ。わだちで上下に振動したせいか目が回るような気がした。ゲレンデはタローまで行って10本ほど滑った。根子岳の後に四阿山が重なって見えた。間の大明神沢も滑ってみたい。東には浅間がっちょっとだけ見えて、その右に湯ノ丸、烏帽子などのピークが並んでいた。ゲレンデスキーも堪能して帰京した。今シーズンは所属するスキークラブの山スキーはほとんど中止となり、やっと開催されるという八甲田は足切りにあって門前払い(実は嫌われているのかもしれない)、やっと初スキーが出来たことでした。やっぱり、山スキーは楽しい。
2021.02.21
コメント(0)

2021年2月6日(蛾ヶ岳山頂からの赤石岳(左)と荒川岳(右))蛾ヶ岳を「ひるがたけ」と読める人は少ないだろう。標高1279m、甲府の南16kmに位置する。御坂山塊の最西端の山で、四尾連湖(しびれこ)901mから登る。標高差で400 m弱登れば山頂。低山ながら好展望で、西に南アルプス、東に富士山を望む。あまりガイドブックなどで紹介されていないが、山梨100名山に数えられている。今回、身近で起こった遭難事故の現場である赤石岳を遠望して追悼したいという気持ちから、緊急事態宣言下ではあるが本企画となった。装備表で「重登山靴またはプラスチックブーツ(時代遅れな!)」とあり、真に受けて冬用の革靴をはき、簡易アイゼンを携行したが結果的に雪はほとんどゼロのハイキングだった。6:40、秋川駅に集合。リリーさんの車に伸吉リーダーさんたちと乗り込んだ。圏央道から中央道に入り、談合坂SAでミサヨ車と合流した。8:50、四尾連湖駐車場着。四尾連湖(しびれこ)脇のお店に駐車場代を払いに行き、トイレなども済ませて、9:08、湖出発。駐車場で準備体操などをして、9:20、駐車場出発(標高900m)。林道から80mほど進むと右に蛾ヶ岳登山口があり、登山道に取り付く。9:56、尾根に乗る。樹林の中で展望はなく、あまり尾根という感じはしない。大畠山(1117.6m)の表示があるが、本当の山頂は左、西に行ったところ。帰りに大畠山に寄るので、我らは右へ行く。そこからしばらくは冬の陽だまりハイクという風情。木立が登山道に影を落としている。うねる蛇の背のようなやせ尾根があるが、危険ということはない。蛾ヶ岳の西側の山腹を巻くように200mほど登っていくと西肩峠に出た。南西尾根の鞍部で、ここが山頂への最後の登りの取り付き点。六地蔵が祀られていた。かわいらしい。我らは左に急角度で左折する。100mほどの登りで、急だが短い。11:09、蛾ヶ岳山頂着。東正面に富士山がドーンと劇的に姿を見せた。西には南アルプスが真っ白に嶺々を連ねていた。白根3山は白く、手前の鳳凰3山は黒かった。その右奥遠くに御岳山が見える。北西には八ヶ岳が近い。八ヶ岳の左に、はるか北アルプスの峰々が白い。富士山の右側、南の山塊は毛無山、雨ヶ岳、竜ヶ岳の稜線。あの尾根を縦走するのも見果てぬ夢の一つ。赤石岳は左、西の方に一段と白く、ラクダの背を屹立させていた(扉写真)。それぞれが思いを胸に、しばし見入った。南アルプスを望みながらランチにした。西側山頂には少しだけ雪が残っていた。御坂主稜線もみえたが、全容は見えず、ピークを同定できなかった。食後、東を見ると、大平山、釈迦ヶ岳へ続く尾根道が続いている。あそこも歩きたい。蛾ヶ岳は有名な山ではないが、標高と行程の短さから考えると想像できないほど、展望が素晴らしい。なんとここで1位間45分、滞在してしまった。こんなに長時間、山頂に滞在したことがあっただろうか。しかし、見飽きることが全くなかったのは、展望のなせるわざだろう。12:55、山頂を後にする。落ち葉に足首まで埋まって山腹を下る。樹間に御坂が見える。13:45、ニセの大畠山着。13:52、尾根を少し進むと大畠山(117.6m)の山頂に着いた。鉄塔と木立のせいか、あまり展望はなかった。15分ほど休んだ。正規の登山道はここから戻るらしく、「行き止まり」の表示もあった。しかし、踏み跡もあるし、まっすぐ歩きたくなり、まあ、お楽しみのうちでまっすぐ進む。踏み跡は怪しくなり、藪の斜面を下る羽目になりながら、正規ルートに復帰した。14:34、四尾連峠(990m)。野澤一(日本のソローと言われる詩人、1904年生)の自然をたたえる歌を記した歌碑と、石仏があって、峠らしい雰囲気。右の市川本町へのルートの途中にある狼煙台を目指して林道のような道を下り始めるが、結構、遠そうと峠へ戻った。尾根を進んで995mのピークから左へ四尾連湖の方へ標高差で50mほど下る。湖の分岐を曲がらずにまっすぐ進むと、15:05、四尾連子安神社があった。石碑に神社の由来が書かれていたのか、「文化一十」と読める。熱心に文字を読もうとする人も。建物は古びて、拝殿と神楽殿は傾いていた。神楽は一時復活したが、2011年から開催されなくなったそうだ。再興して、観光の目玉にできないものか。拝殿に底を抜いた杓子がたくさん下げてあった。安産祈願との由。参道の石段下には鳥居が倒壊し、朽ちかけていた。この神社を有名にしているのはリョウメンヒノキ。これは1193年に源頼朝が鷹狩の折に子安神社で休憩し、檜の枝を箸にし、地面に挿したところ二本のさかさ檜になったと伝えられるもの。リョウメンヒノキとはある種の奇形で、葉裏のY字がみられず、表と裏が同じということらしい。幹周6.1m、樹高32m、樹齢400年で、山梨県下の檜では最巨木とのことで、山梨の名木100選。2本のヒノキの間は洞(うろ)になっていて、5人は入ることが出来た。四尾連湖に下った。湖は自然の山上湖で、周囲1.2km、最大水深13m。四尾連湖の神が「尾崎龍王」という龍神で、四つの尾の竜が住んでいる湖ということで「四尾連湖」となったという伝えや、志比礼湖、神秘麗湖とも書かれるようだ。入る川もなく、出る川もなく、湧水の湖らしい。湖面は周囲の山を静かに写している。湖水の蒼緑が神秘的で、静謐な気配が漂う。湖畔の売店にはいろいろな山のゆかりの展示物や写真が飾られていて、店の方の感じがよかった。ソフトクリームを食べたかったが、財布を車内に置いてきたことに気が付いた。こんな湖畔の宿でのんびり過ごすのも悪くなさそう。15:50、駐車場に戻った。16時、四尾連湖出発。今日は珍しく風呂による時間があった(写真右下)。17時、レストランNew Portで食事をする時間もあった。立ち寄る価値のあるお店でした。18時半、店を出て、ミサヨ車と別れ、我らは21時頃秋川駅で解散した。予想以上に盛沢山な一日でした。
2021.02.06
コメント(4)

2021年1月16日 新年早々だが、1月7日にコロナによる二度目の緊急事態宣言が発令されたので、伸吉プランの近場の狭山丘陵へ足慣らしハイキングとした。足取りが複雑なので、先に地図と行程を示します。リーダー作成です。西武狭山線の下山口駅に集合。8:44、出発。まずは荒幡富士を目指す。踏切を渡り、住宅街のY字路を左折、道なりに進んで雑木林の散歩道を歩いていくと荒幡富士があった。9:06に荒幡富士。標高119mだが、山の高さは12m。人工の富士山というのが面白い。広場には浅間神社があった。4つの神社にわかれていた周辺の人々の民心の統一を図るために、1899年に15年の歳月をかけて完成したそうで、富士塚ともいう。低い割りに展望が良い山頂だった。今日は富士山は見えず、うっすらと丹沢山塊と思われる山並みが見えた。光蔵寺脇から車道に出て、車道を登る。日本離れした豪邸の前などを通過して登っていくが、左折するところを直進してしまったようだ。住宅地の中をさまよう感じになった。左の車道の上の方が本来の道と思われ、藪をかき分けて上の道に出た。しかし、最後の一人のYさんが近所のおばさんにつかまって説教されて(?)、車道を下まで下る羽目になり、Yさんは正規ルートを登って追いかけてきた。この辺りの雑木林を鳩峰公園というらしい。10:18、鳩峰八幡神社があって、東屋で一休みした。森の中の静かな落ち着いた場所で20分ほど休んだ。車道を右折すると、10:44、仏眼寺という立派なお寺。六地蔵がマスクをしているのが面白い。住宅地を抜けると階段があって、八国山の登山口だった。尾根に出るとそこは、関八州が見渡せるという市民の憩いの場。犬連れの近所の人々の散歩コースのようで、人々と行きかう。左、東に行くと将軍塚があった。新田義貞が合戦の指揮をとり、その記念碑との由。三角点もあって、そちらに気がとられる。ここからUターンして、八国山のなだらかな尾根を西に進む。住宅地の真っただ中に、このような大きな雑木林の丘があることに驚く。雑木林を下って抜けると多摩湖駅にでた。西武遊園地駅まですぐだった。12:15、多摩湖のそばの芝生で、密にならないように散らばって、ランチを摂る。日が当たると暑いので、日陰に入る。私はイチゴを配る。13時過ぎに西武遊園地駅からレオライナーに乗って西武球場前駅へ向かう。当初はここを歩くという説もあったが、誰もそれを言い出さなかった。レオライナーは正規の電車ではないのか、広軌道というか、車幅が広い。明るく楽しい雰囲気で、山ボケ猫は心が躍ってしまうのだった。西武球場前駅で降りて住宅地の間を進み、若干迷いながら農地を北東に進むと、丘があって、「虫たちの森」にでた。左側の森にはいり、トトロの森の中を若干うろうろしながら、14:25、堀口天満宮にたどり着いた。天満宮を出て左に進み下って行くと、14:44、狭山湖北端の堰堤に出た。西に大きく展望が開け、山並みが望めた。雲間からオレンジ色を帯びた光線が湖面を照らしていた。こんな所から、大岳や鷹ノ巣山などの奥多摩の山々が一望されることに驚いた。しばし山岳同定に興じた。堰堤の南端まで歩いていき、車道を渡って下ると、15:35、山口観音があった。正面入り口こそ、弘法大師像があって和風だったが、境内に入ると極彩色の建物が並んでいた。この辺りは高麗との関係が深い場所もあってか、色彩的に空色が目立ち、日本の寺というよりは韓国の寺のように見えた。このように立派な寺があって、そのことを私が知らなかったことに驚いた。境内に住まう猫がいた。古刹に住むだけあって泰然としており、ネコナデ声には見向きもしなかった。ここで、別の駅を目指してまだ歩くという二人が分かれ、本隊は西武球場前駅へ向かった。西武球場駅前の丘にもう一つ狭山不動尊があった。新年初詣でしばしばTVで見る不動様と思った。閉店時間がせまっていたようで、あわただしく参拝した。意外と歩き甲斐があって、楽しめた。見どころ満載で、自分は西武線沿線に住みながら今までこういうエリアを訪れたことがなかったことも不思議に思えた。緊急事態宣言が解除されるまでは、このような足慣らしも良いなと思ったことでした。しかし、1月は山スキーの企画もすべて流れて、これだけになりました。
2021.01.16
コメント(3)

2020年12月19日(破風山山頂から南側に奥秩父の山々を望む)8:35皆野駅発ー9:04~9:19大渕登山口ー9:55~10前原山ー10:16~27前原岩稜ー10:34国神コース分岐ー11:17~28男体拝ー11:32山靴の道入口ー11:52~59猿岩ー休憩所9月に足のケガした2名の方が、そろそろ山歩きを再開することになった。リハビリハイキングとして、秩父の破風山が提案された。破風山は奥秩父の甲武信ヶ岳の西にもあり、2318mのピークで、「はふさん」と読む。それに対して今回目指した秩父盆地の北に位置する破風山は「はっぷさん」と読み、標高で627mの山。甘く見て当然だった。「破風(はふ)」とは屋根を横から見たときの三角形の構造のことで、山容が屋根の形に似ているから名づけられたという説と、「八峰」から名づけられたという説があるようだ。当日快晴。西武線はレッドアロー号と思っていたが、ビュー51号なる電車で、窓がやたら大きな車両だった。7:46、西武秩父駅着。8名が集合。リーダー氏が秩父鉄道の秩父駅に行っても何もないと言ったので、待合室で時間をつぶしてから御花畑駅に歩いていく。この道を歩くのは何年ぶりだろう?20年くらいたっているか。秩父駅は昔のままかわらず、昭和のたたずまいを残していた。立ち食いソバ屋があって、ダシのきいたそば汁の香りが温かさとともに漂っていた。おまけに味噌ポテトという看板も・・・。ここに早く来てそばかポテトを食べるのだったと、ほぞをかんだ。8:15の長瀞方面の電車に乗った。皆野駅(150m)で降りた。8:35、駅を出て右の路地から通りに出た。踏切を渡るときに南にきれいな三角錐の武甲山が見えた。皆野橋を渡って左へ車道を登っていく。道なりに右方向へ進むと、9:04、左に「大渕登山口」という、見落としようがないような看板があった。ふーん、破風山周辺を皆野アルプスと呼ぶらしい。今日登予定の前原尾根コースの入り口だ、ここで15分ほどかけて一休みして、身づくろいをする。上着を脱いで、登りの暑さに備える。9:20、出発。畑の中を進んでから、登山道に入る。急な坂を上るとやがて雑木林の尾根道になった。まもなく衣類調整で軽く休んだ。そのすぐ先、9:55、前原山(347m)着。4等三角点がある。立休みする。その先は展望の良い尾根道になった。10:16、前原岩稜に着いた。まあ、尾根のピーク。左手前方の稜線がこれからたどるコースか。うん、良い天気だ。10分余り休んで出発。すぐ、10:34、国神コース分岐を通過。樹木に興味深い点がみられる林なのか、森林インストラクターのティーチャーが立ち止まってはあれこれ説明してくれる。悲しいかな、浅学菲才の私は今回も右から左か。落ち葉の急な斜面やロープ付きの岩場もあって、意外とワイルド。恒例の地図読み実習も。11:17、男体拝。展望の開けたところで男体山が見えるとのことだが、まさか日光の(?)。11:32、山靴の道入口。私たちが登ってきた道が山靴の道だったということ。つまり、登ってきた者にとっては出口。道標がかわいい。平成8年4月に整備され登山道らしい。「急坂、岩場あり」の注意書きも。11:33、すぐ風戸(ふっと)入り口バス停を分ける。ここから「関東ふれあいの道」を歩く。前方に破風山らしいピークが見えるが、まだ結構あるみたい。冬枯れの木立に射す陽射しが、落ち葉の登山道に樹影を投じている。11:52、猿岩。猿の顔の横顔か。こっちの方が猿っぽいとか、いろいろな角度からそれぞれに写真を撮る。見せ場の多いコースだ。そこからモミジ平(紅葉の名所か)を通過し、ひと踏ん張りした。12:27、頂上の手前に休憩所があった。休憩所と言っても屋根と腰までの高さの外板が囲んでいるだけで冷え冷えとして寒い。山頂は寒いだろうとここでランチを摂るが、寒くてあまりのんびりできなかった。私は軽井沢のガトーショコラをカットして配った。保冷材にくるんできたが、その必要もなかったか。ここから山頂まで数分で着いた。12:36、破風山山頂(627m)。背後には城峰山が大きかった。ここには3等三角点がある。あれ、風はないし、陽はさんさんとさして温かい。こちらでランチにすべきだったか。折からの青空の下、600mそこそこの低山とは思えない展望が広がっている。正面は雲取山など、右の大きく落ち込んでいる辺りが雁坂峠でとがったピークは甲武信岳か。その右にまぎれようもなくギザギザの両神山も見えた。初冬の蒼天の下、みな、笑顔で記念写真。展望を楽しんで、13:00に山頂を後にした。西へ、急な下りを降りる。すぐ野巻からの道を合わせた。13:14、札立峠通過。ここで右に関東ふれあいの道、水潜寺への道を分けて、尾根を直進する。石碑があって、「富士浅間講」(?)と読める。岩の基部のやせた道を通過、13:33、如金棒。ニョッキリとも呼ばれる、こん棒のように立っている岩塔で霊験ある氏神様との由。その先の岩尾根は南側の展望がよい。一下りして、一登りすると、13:39、武蔵展望台。ここでも、ああだこうだと時間をつぶす。そこからまた一下りして、一登りすると、13:51、大前山だった。653mなので、破風山より30m近く高い。通り過ぎると、石像があって靡きになっていて那智大社のお札が置かれていた。ここは修験の山でもあるらしい。お札のことを、「ごみを置いていって」とブツブツいう人がいたが、違うのよね。その先に高さ12mくらいの岩場があって、慎重に一人ずつ降りた。私は右側に比較的楽そうに降りれる場所があったので、そこから降りた。急登を登ると、14:11、天狗山。やっと、今日の最後のピークだ。破風山を過ぎてから2つのピークを越えたことになる。札立峠から水潜寺に直接下る道の方が一般的で、秩父札所34寺の結願寺の水潜寺も見たかった。しかし、札立峠から天狗山への道はあまり歩かれていないのか、アップダウンがあってなかなか面白い感じで、今日の核心部と言えた。山頂から尾根を北側に降りて樹林の中を進むと林道に出て、14:36、大前集落についた。一休み。ユズがたわわになっていた。腐るか、鳥の餌になるくらいならと、悪いこと(良いこと?)をする人が約1名。ここで直角に方向を変える。女性登山者が3名、ここを直進していってしまい、戻ってきた。ユズに見惚れていて間違えたとのこと。札立峠以降であったのはこの3名だけだった。ここからずっと車道と思ったら、また、沢沿いの登山道に入り、なかなかしぶとい。リハビリハイキングと言ってだまして連れてきてしまったようで、若干、やましい。15:13、国道44号に出た(300m)。左に行く。華厳の滝のバス停があった。次のバスまで時間があったので華厳の滝を見に行った。かなり以前、城峰山に登ったときに華厳の滝を見たような。母と友人一家と一緒で、GWの新緑がみずみずしく、薄緑色の霧のようだった。滝を見物して戻って来ると30分近くたっていて、15:56の皆野駅前行き最終バスに乗るのにちょうどよいころ合いになっていた。バスで皆野駅まで行った。ウナギ屋さんのおいしそうな匂いが道路に漂っていた。皆野駅で電車を待っていると夜のとばりが下りてくる時間だった。プラットホームから夕焼けを背景にした山並みが眺められた。きれいな三角錐の武甲山、両神山ののこぎり状の山頂が影絵となって視認された。秩父駅に戻るととっぷりと暮れていた。3名は夕食を摂らずに帰った。5名はおいしそうなお店を探して駅周辺をさまよい、珍達ラーメンというお店に入った。深谷ネギが汁面を埋め尽くしていた。温泉で打ち上げをする2名と帰宅する3名に分かれて解散したのだった。ハイキングかと思ったが、なかなか歩き甲斐のある、見どころ満載のコースでした。なお、後日、秩父盆地から見えた破風山の写真です。東、右が破風山、西、左が天狗山と思われます。山容はやや台形で、屋根に見えますかね。手前に民家の破風がみごとに写っています・・・。
2020.12.19
コメント(2)

2020年12月12日(鍋割山山頂から丹沢主稜を望む)8:00 表丹沢県民の森発ー8:26小丸尾根登山口ー11:07稜線(鍋倉山稜)ー11:15小丸ー11:45~12:25鍋割山ー13:19後沢乗越ー15:03県民の森への林道との分岐―15:20大倉バス停丹沢の鍋割山は行きそびれていたので、今回、日本山岳会東京多摩支部の定例山行の鍋割山に参加することにした。鍋割山は大倉尾根の金冷しの頭から西へ派生する尾根にあるピークだ。7:20、渋沢駅に集合。総勢14名がタクシーに分乗して、表丹沢県民の森の林道奥のゲートまで入る。15分ほど、7:45着。駐車場の手前から林道の両側にタクシーが並んでいて運転手も驚いていた。いつも行っている山とは様相が違う。人気の山なんだなあ。高い木立の下で準備体操をする。曇っていて寒いくらい。8:00、2班に分かれて出発(507m)。四十八瀬川左岸の西山林道を歩いて緩やかに登っていくと30分ほどで二俣に着いた。勘七沢を仮設橋で渡る。間もなく右に小丸尾根を分けていた。8:26、一休みする。札が立っていて「こちらの登山道は遭難が多い道です。通行の際はご注意ください。」とある。一般登山道でしょう・・・。さて、いよいよ小丸尾根に取り付く。小丸尾根は以前、県立登山訓練所があり、訓練所尾根とも呼ばれていた。そうされているガイドブックもある。今は訓練所は大蔵の山岳スポーツセンターに移設された。小丸尾根は標高差で800mの登りで、やっと登山道になる。急に登山者が少なくなった。山麓では紅葉が残っている。曇天の下、風情があって、もの悲しいようにも見えた。9時過ぎ、傾斜が緩んで広くなった所で一休みした。そこから少し傾斜が緩んで、再び傾斜が出てきた。なぜ「遭難が多い」と書かれているかと言うと、踏み後が錯綜していて不用意な踏み跡に入ると苦労しますということか。9:40、「小丸まで1000m」の標識。この辺りから明瞭な尾根になった。出発時は雨が降りそうな雲行きだったが、次第に晴れて来て青空が見えるようになった。10時頃に休んだ。まばらになってきた灌木の間から稜線がまじかに見えるようになった。木立が灌木から草原になると、背後に展望が広がってきた。箱根の後に伊豆半島がみえる。前方には富士山も見えるが、山頂部はまだ雲に覆われている。A隊はすたすたと高度を上げているが、我がB隊では足が攣るメンバーがいて、ゆっくりペースになる。その分、楽ができる感じ。11:07、稜線に出た(1350m)。登山道はしっかりと広く、行きかう人も多い。丹沢のメインストリートに出たのだなあと思う。素晴らしい青空になってきた。右(右上写真)は大倉尾根に金冷ノ頭で合流し塔ヶ岳へ至り、左は鍋割山へ至る。面白いことに、本日の最高点はこの主脈との合流点で、鍋割山1272mへはここから高度を80m下げることになる。この稜線は鍋割山稜と名ばれ、なだらかなブナ林のプロムナードという風情。ブナの大木の自然林が気持ちを和ませた。左へ歩き始めて間もなく、11:15、小丸(1341m)という標識が道端にあった。山頂という自己主張が全然ないピークだ。前方に鍋割山が見えてきた。富士山も山頂部の雲がはれてきた。小丸を下って、ミズヒノ頭を越す。富士山に向かって歩いていく。11:45、鍋割山山頂着(1272m)。鍋割山荘で名物の鍋焼きうどんにありつけるかと思っていたが、長蛇の列でとても無理。鍋焼うどんをハフハフと吹きながら食べている登山者をチラチラ見て、広場の端で持参した弁当を広げる。以前、萱場だったという山頂は見晴らしがよい。展望を楽しむ。右手、東には丹沢主脈、丹沢山と蛭ヶ岳がダイナミックで立派。北、正面は丹沢の檜洞山など主脈(扉写真)。檜洞山の左奥の三角錐の山は大室山だろう。眼下は丹沢の山々。堂角沢はどこだろうと、地図と地形を見比べる。西に富士山とその右に南アルプスを望む。赤石岳と思われる山も視認された。富士山の左、南には愛鷹山、箱根、その背景には伊豆半島の山が重なり合う。さて、重い腰を上げて集合写真を撮る。12:25、出発。南へ、後沢乗越へ尾根を下る。尾根は下から第一の萱、第2の萱といわれ、山頂は第3の萱だったそうで、しばらくカヤトの尾根を下った。この辺りは寄(やどろぎ)の集落の人たちの萱の採草場だったそうだ。登山者が多く、すれ違いや追い越しに時間を食う。樹林帯になってしばらく下ると、13:19、後沢乗越についた。狭く痩せた尾根で、込み合う感じ。いろいろな登山者がどんどん通過していくが、栗ノ木洞方面に向かう登山者はいなかった。一息入れてから、我らも左へ下る。途中、10人以上の高齢者の集団とすれ違う。これからどこへ向かうのやら。13:49、ミズヒ沢出会いで仮設橋を渡る。橋の袂にペットボトルが積んである。鍋割山荘へのボランティアの歩荷用だった。ここから単調な林道になる。歩く、歩く。時折、モミジを楽しむ。14:09、小丸尾根分岐通過。14:11、勘七沢を渡る。14:19、県民の森への林道を右に急角度に分けて、左へ進む。大倉までまだ3.5㎞。最後の紅葉を楽しむ。残照を浴びて輝いている。やがて、左の登山道にはいる。雑木林の中を歩いていくと、畑や民家が出て来て、車道にでた。住宅街を歩いていく。15:20、やっと大倉バス停(290m)。登山客が次から次へとバス停に到着する。あわただしくサークルを作って挨拶した。トイレに行ったらバスの座席に座りそこなった。コーヒーも買いそこなって、15:30のバスで渋沢駅へ運搬された。16時から小1時間、駅前の居酒屋で3名で打ち上げた。今日のコースは帰路の林道歩きが長いのが欠点。後沢乗越で下らずに、西へ進んで栗ノ木洞、中山峠から寄(やどろぎ)へ下ると面白そう。寄のバスが大倉ほど多くないのが課題になるかもだが。 下のログを見てみるといかに林道歩きが長いかがわかります。林道歩きの好きな篤志家向けコースといえるかも。なお、帰路、スマホのバッテリーが上がってしまいログが取れていなかったので書き加えました。少し赤い線が書き加えた部分です。
2020.12.12
コメント(0)

2020年12月5日(コンサイス槍ヶ岳から見た和名倉山)秩父槍ヶ岳は両神山の南に位置し、秩父とはいえ、西上州の上野村に隣接する。110番通報すると長野県にかかってしまい、「秩父槍ヶ岳」と言わないと北アルプスの槍ヶ岳に間違えられるそうな。山容はやっぱりとんがった槍状ではある。登山コースは、①相原沢沿いから直登ルートの東尾根を登るコースは「文献登山ガイド埼玉県の山」(1993年発刊。今は2010年版がでている)ではさらっと書かれており、昔は一般登山道というか正規ルートだったのかもしれないが、今は「通行禁止表示」のある難路(2009年にすでに通行止だったらしい)で、2010年版では「下りには使わないように」と書かれているらしい、②中津川集落からのルートはもっとも楽らしい、③相原沢沿いを詰めて右へぐるっと登るルートの3つがある。今日は①から登って③へ降りるコースを取る。リーダー伸吉氏によれば、2週間前の西上州の山急山よりグレードが高いとのこと。朝、5:15、リーダーをピックアップして関越自動車道を花園ICで降りて国道140号をひた走り。6:40に西武秩父駅に到着し、西武線でやってきたミサヨさんと理恵子さんを迎えた。4人で中津川を目指した。滝沢ダム西端で140号と別れ右へ、中津峡へ峡谷をさかのぼった。相原橋の道路脇の駐車場に駐車する。数台は停まれるが他に車はいなかった。トイレがあったが鍵がかかっていて使えなかった。ヘルメット、ハーネス姿になろうとした。とっ、ぎゃっ、ハーネスがな、ない!ザックに最後に詰めなおしたときにこぼれてしまったか。新品で小型軽量化しており、存在感がいつもと違っていた。シュリンゲを使ってハーネスとした。8:30、出発(613m)。14℃。道路を渡って相原川の左岸沿いの道に入る。谷が深く暗い上に、登山道の足場は狭く沢底まで高さがあり、暗くなってからは歩きたくない道と思った。前方の崖上に小屋が見え、これが野鳥観察小屋だった。ざらざらと滑りやすい崖をよじ登ると、9:00、野鳥観察小屋に着いた(697m)。10.6℃。小屋と言うか、東屋でわびしい雰囲気。ここで身じまいを整える。さていよいよ、小屋脇から秩父槍ヶ岳に突き上げる直登ルートに取り付く。小屋脇の登山道入り口にはロープが張られ、「通行止」「この道は登山道ではない!遭難事故多発 ただちに引き返せ!!」との表示がおどろおどろしく、ロープに下がっていた。これをくぐって危険地帯に入る。なんだか偉く急な斜面で、踏み跡に落ち葉が積もり、あまり明瞭ではない。真下に沢が見え、ころがりおちないように注意しながら急な斜面を登りあげて行った。9:43、地図で現在地を確認をする。9:50、石標があった(842m)。文字は読めない。以前から歩かれている道か。肩と言われる場所?少し斜面が緩んでいるので一息入れた(857m)。陽が射してきて暖かくなった。12.4℃。分県ガイドでは秩父槍ヶ岳の展望台と書かれているが、見えた記憶がない。30年近い間に木が育って見えなくなったのかもしれない。分県ガイドに書かれたような藪道ではない。尾根に小さな岩場が出てくる。右を巻くことが多い。10:32、気が付けば左は切れ落ちた崖だ。10:47、尾根の真ん中に岩があった。時間の余裕もありそうなので、ロープを出して遊んでいくかということになる。リーダーがトライするが、ちょっと難しそうだし、無理するようなものでもないのでやめる。懸垂下降で下の巻き道に降りる。写真右が懸垂で下道に降りた斜面。その後も若干、ルーファイに苦労して、巻いたり、尾根をたどったりして登っていく。尾根に出ると左側に樹間から稜線が見えた。ピークがいくつか連なる。どれがコンサイス槍ヶ岳だろうか。12:00に大きな岩場に出た。その少し手前に右にトラバース道が見えたが、日陰で岩や木々が苔むして見えてあまりよくなさそうで、長そうだし、上に行くと苦労しそうに見えた。分県ガイドでは「木につかまりながら足と手の両方を使ってたどり着く」と書かれている。後でリーダーはこの道に気づかなかったとのこと。我らは岩場を行く。リーダー氏の出番というか、ロープを張ってくれた。結構長い岩場で、2,3ケ所でビレーをとった。私は最後に登ったが、時間が押していたので、急ぐあまり怪しげな残置ロープまで使ってしまい、リーダー氏が渋い顔をしていた。ビレーがないとちょっと危険な場所かもしれない。この岩場の通過に1時間を要した。その後も小さな岩場を越えた。最後は、山頂に出る手前のトラバースで、落ち葉の積もった急斜面だった。ここでもリーダー氏がロープを出しくれた。私は半分くらい、確保無しで上へ登った。途中でリーダー氏が落とした磁石を拾った。さすがに最後のトラバースはおとなしく順番を待って渡った。初冬の日差しが傾いてきたように思えた。13:43、秩父槍ヶ岳山頂(1341m)。別名タカトンゲ(意味不明)。ミサヨさんと理恵子さんが先着していた。少し手前で山頂に人の声が聞こえていたが、そのグループは反対側を下って行ったとのことで、中津川ルートのピストンと思われた。私たちが登ってきたルートの入り口にはロープがかかり、「通行止」の札がかかっていた。木立が茂ってあまり展望はないが、大きく見えるのは和名倉山と思われた。ロープをザックにしまったリーダー氏が到着。到着したてで気の毒だったが、下山路の相川沿いの道が暗くなるとやばいように思えて、早めに降りたほうがよいと進言した。14:05、出発する。南西に急な坂を下ってコルに降りる。その先は急なピークが二つ連なり、結構複雑。北側の山腹を巻くことになったが、崖、岩場などもあり。若干、ルーファイに時間を食った。急な落ち葉の登りを詰める。14:28、コンサイス槍ヶ岳の手前のピークには以前TVアンテナが立っており、アンテナピークと呼ばれていたそうだが、まったく痕跡がなかった。ここで中津川へ下る登山道を右(北)にわけていた。14:43、コンサイス槍ヶ岳(1430m)。変わった名前の山名ではある。「コンサイス」とは「偽物」という意味ではなく、「簡潔」という意味。私たちの辿った東尾根ではなく、相川沿や中津川ルートを取れば、それは簡潔かもしれないが。ちなみに秩父槍ヶ岳は1341mなので、こちらのほうが110mも高い。つまり、今日、目的とした山頂よりも付録の方が高いという、ちょっと変な感じ。ここは展望が良く、和名倉山が大きく見えた。主稜線を南にたどると白泰山へ至る。リーダー氏は十文字峠から白泰山へ抜けるルートを歩きたいそうだが、それは私がかなり前に1人で八ヶ岳を登った後、川上村に泊まって歩いた道だった。栃本に近くなってひどい雷雨にあって怖かったことを覚えている。「あの頃は元気だった」と言うと、ミサヨさんが、「今も元気」とナイスフォローをしてくれた。14:55、出発。南へ尾根を進んでから次のピークには登らず、標高1420m位で尾根を左へ、相川沢へ降りる。尾根を進んだ場合、次のピークが「野鳥の森歩道終点」らしい。そのまた先に1461mのピークがあり、本日の最高点になるらしいが、とても寄り道する余裕はない。15:11と15に「通行止め」の札がロープに下がっていたが、他にも散見された。こんなに登ったかと思うほど、九十九折りというか、ジグザグ道を下りに下る。しかし、山急山ほどひどい下りではなく、一般登山道だけある。ロープが張られている場所もあった。リーダー氏とミサヨさん速い。眼下に相川沢が見えてきた。16:34、野鳥観察小屋の下を巻いて沢沿の道に入った。暗くなっていたが、見えないというほどではなく、16:52、ヘッデンを使わないで、セーフで登山口に降りた。時間的に遅いので入浴はあきらめる。大滝の湯の道の駅で一息ついて、グルメ・リーダーが探し出した秩父の山田の住宅地にある中華料理店「泰山北斗」に行って夕食にありついた。ミサヨさんと理恵子さんを秩父駅のそばのホテルに送った。お二人は明日は元気にも日和田山で岩トレをするという。渋滞もなく順調にリーダーをお送りして、22時に帰宅したのだった。下記ログはリーダー氏が作成したものです。
2020.12.05
コメント(0)

2020年11月29日(大円地集落からの久慈男体山。左稜線の健脚コースを登った)奥久慈の2日目は奥久慈の名峰とうたわれる男体山から南の高取岩まで周回するプランだった。茨城県は平地と思われているが、1/3が山地で山が多い。しかし、一般的なガイドブックで紹介されているのは男体山から北へ、月居山の縦走だけ。8:00 大円地ー9:30~50 久慈男体山ー10:13 大円地越ー11:40~12:00 小ピークー12:05 入道岩ー12:19 高取岩ー13:24 大円地上小川のキャンプサイトを6時半に出発、水郡線の線路を渡って国道118号線へ出て、そばのファミマのイートインで朝食を摂る。ファミマを出て15分ほどで大円地(だいえんじ)集落の手前の道路沿いのPAに到着。数台の車が停まっていた。テントを干して、7:50、出発(205m)。当初、うっかり、下山してくる方の道に登って行ってしまい、車まで戻って、8:00、再出発。少し先に10台ほど車が駐車している駐車場があって、トイレもあった。大円地の集落を通る。北正面に久慈男体山が、朝日を浴びて荒々しく岩壁をそびえさせていた(扉写真)。しばらく進むと一般ルートと健脚ルートに分かれていた。リーダー氏は迷いなく左の健脚コースに踏み込む。岩壁の基部に着くと紅葉が見事。山の斜面や岩壁を染める紅葉の美しさは日本庭園張りの美しさで、見惚れてしまう。さて、本格的な登りに取り付く。8:36、早々に岩場がある。8:40、ツルペタの岩場があり、鎖もあってよじ登る。8:43、ツルペタ岩場を乗り越すと、左に小さな岩峰のピークがあり、由美子さんとリーダー氏がよじ登っていた。空がでかくてきれいだ。ここで一休みした。日光、那須が遠望された。右手に尾根を登っていくと、岩場と鎖場の連続で、ガンガン高度を稼ぐ感じ。うっかり初心者や子連れのパーティーが来てしまったら難儀をするだろう。右に奇岩が見える。下から洞窟が見える場所あたりか。洞窟の上に白い像が見え、この洞窟も修験の場所だったかと思われた。月居山からの道を左から合わせて間もなく、9:30、奥久慈男体山の山頂(654m)着。山頂には男体神社の奥社が祀られ、洞があった。山頂周辺は岩盤になっていて、巨岩が男体山のご神体とのこと。多くの登山者がいて、月居山へ縦走する方が多いと思われた。ここは開放感のある展望の良いところで一等三角点があり、「茨城百景」という。南西に久慈の山々と山麓の集落が近景をなし、正面(西)に日光、右は高原山、北に那須。南には太平洋が輝き、双耳峰の筑波山も見えた。9:50、山頂を後にし、東へ向かう。いかにも奥久慈らしい急な下りを下りる。晩秋の日差しがさんさんとふりそぐ尾根になる。冬枯れの木立ちが青空に映える。公園というか、プロムナード風の道が続く。ケヤキの森になり、10:13 、大円地越(470m)につく。ここで、直接大円地へ下る道を右に分ける。下ればおだやかな半日ハイクというところ。我らは急角度で南に方向を変え、さらにまっすぐ進む。昨日同様、奥久慈岩稜とも言われれるアップダウンのある道が続き、インターバル・トレーニングの様相。なお、奥久慈の岩は大小の岩石を練り込んだような火山砕屑岩で、俗称、集塊岩と呼ばれるそうだ。振り返ると男体山の岩壁がそびえている。10時半を過ぎてから紅葉の美しい所を通り、歩をとめる。モミジ谷と呼ばれる谷だろうか。久慈男体山が意外と近く、岩壁がすっくと頭をあげていた。10:56、「小草越」の標識。11:06、小草越通過。アップダウンの繰り返し、繰り返し。時折、紅葉。登る、下る、登る、下る・・・。振り返ると男体山の岩壁。なかなかこれと言った場所に着かない。しびれを切らして、ちょっとしたピークで、11:40~12:00にランチを摂る。日光、高原山、那須連山がくっきり。眼下に大円地の集落が良く見える。ぽこぽこと大小の丘が、植生によって緑や褐色さまざまに、赤を交えて重なり合うさまがかわいい。そこから下って岩場を登るとなんなく岩のピークがあり、そこが高取岩かと喜んで写真撮影する。なかなか高度感のある、展望の良い所だ。しかし、隣にもっと勇壮な岩山がある・・・?地図を子細に検討する。我々がいるのは入道岩という手前の場所で、高取岩はその先だったのだ。ゲッ、まだ登るの・・・。気を取り直して高取岩に向かう。一旦高度を下げて鞍部で大円地へ下る道を右に分け、上りかえす。私はカメラのバッテリーが上がってしまい交換したついでにザックをデポしていく。鎖の設置されている岩場を登り越し、少し登ると、12:19、高取岩(460m)に出た。山頂は岩場がすっぱり切れ落ちた絶壁上にあった。ピークというより台地という感じか。高度感もあって、展望もよい。すぐそこに私たちが当初、高取岩と間違えた入道岩が突き出してそびえ、背後に男体山が見えた。さて、岩場を下って、鞍部へ戻り、そこから大円地を目指して左へ下る。これが意外と急で、岩場を縫って下る難路だった。ロープのある場所が多かった。今日の核心というか。集落に出ると、民家の庭先に数匹の猫がいた。13:24、大円地の方へ下って車にたどり着いた。ここから車で奥久慈パノラマ林道を南下し、リーダーご推奨のつつじケ丘公園へ行く。左は久慈男体山から右は篭岩まで一望できるビュースポットだった。岩壁が屏風のように連なり、改めて岩山であることを知らされる。多分、高い岩場が高取岩と思われたがよくわからない。さて、最後は山方温泉(常陸大宮市)の三太の湯に入浴。やはりこの隊でも最終日下山後には入浴するらしい。三太とは南の国から来た気のやさしい巨人で、開墾や悪い龍退治をしてくれたという伝説がある。ここはアルカリ単純泉で「美人の湯」。露天風呂もあって設備が良いだけあって入館料は1000円と若干高いが、食事が500円引きになるのでコスパは良い。私が食べた温タマ海鮮丼はおいしかった。なお、三太の湯HPによると、この後のコロナによる緊急事態宣言下では一都三県からの客の自粛、つまり来ないでくださいと案内されている。帰路も常磐道は渋滞なく、順調に帰京した。天候に恵まれて、良いことづくめの山行だった。奥久慈は低山ハイクと思いきや、絶壁沿いの岩交じりの道のアップダウンの繰り返しで、なかなか手強い。モミジが美しく、絶壁もみごたえがあり、バリエーションに富んでいる。奥久慈は低いからといって甘く見れない、素晴らしい山域。「山、高きが故に貴からず」という言葉がピッタリと思う。このような山域に連れて行ってくださったリーダー氏に感謝。
2020.11.29
コメント(0)

2020年11月28日~29日奥久慈(おくくじ)のプランがありました。奥久慈?それってどこ?行ったことがないエリアで、エリアマップでもカバーされていない。袋田の滝?聞いたことはあるがおぼろ。緯度は矢板とほぼ同じでその東に位置し、茨木県北部、福島に近い海のそば。ガイドブックでは「常陸の山」とか「水郡線沿線の山」として、久慈男体山が申し訳程度に紹介されている。「東京付近の山」(実業之日本社)では300コースが紹介されているが、ラストが八溝山、久慈男体山がビリから2番目で、なんとなく山としての世間的な位置づけがうかがわれる。場所のイメージがつかめないままで、とりあえずヤマレコで引いた記録などをダウンロードした。初日は袋田の滝から生瀬富士(おいせふじ)に登って、月居山(つきおれやま)へ登り返して袋田の滝に戻るという周遊コース。9:45 滝本町営第1PA(袋田の滝手前)発ー10:35~11:00 生瀬富士(420m)ー11:23 立神山ー12:35 袋田の滝上流の渡渉点ー13:30~13:50 月居山ー14:22生瀬の滝ー15:05 滝本町営第1PA朝7時に市川駅集合、リーダーT車にて5人で出発。常磐道を北上し那珂ICで降りる。国道118号を北上し、大子(だいご)町まで約1時間。東京を通らないし、常磐道はすいているので短時間でアクセスできる感じ。9:20に袋田の滝手前の滝本町営第1PAについて、9:45に出発(105m)。蒼天、すさまじい秋晴れ。国道を横切って、路地を通って生瀬(おいせ)富士登山口に着く。杉林の中、しばらく沢沿いの平坦な登山道を進んでから急な尾根に取り付く。例年はこのあたりは紅葉に染まるらしいが、今年は最盛期は2週間ほど前だったようで、冬枯れのわびしい光景。尾根の中段で、登山道整備に来ている方々と会う。「草刈り機が重そうですね」とホリホリさんが言うと、「重ので置いていこうとかな」と笑いを取る。山頂手前に岩場があり、お楽しみ程度。10:35、鎖場を登るとぽっと生瀬富士(420m)の山頂に出た。古びた三角点があったが、古びていて何等か読めない。西にはすでに白い日光や那須が見えた。リーダー氏がスタスタと山頂を通り過ぎて、北東の山頂の裏に回った。そこには細く長い岩場が岬のように突出して延びていた。これから進む登山道ではないが、寄り道。いささか高度感を感じながら突端まで行った。突端は御崎の先端に立っている感じで、天空に飛び出したような解放感。爽快、爽快。「生瀬ジャンダルム」と呼ばれている場所らしい。360度の大展望をみながら一息入れた。山頂に戻って、11:00、さていよいよ縦走路にはいる。すぐロープがあって、これにすがって降りる。この後も、急な細かいアップダウンがあるし、岩場もあって、これはプチ妙義。リーダーに言わせると「インータバル・トレーニング」のようで、このコースの「真骨頂」とのこと。11:23、展望の良い場所に出た。立神山(402m)だ。11:53、小生瀬と言う分岐を通過した。ところどころで遅めの紅葉が目を楽しませてくれる。秋晴れの陽光を浴びて紅葉が輝く。12:04、袋田の滝を眼下に望むビューポイントに着いた。ここは北側が絶壁になっていて(写真撮影に熱中するとやばそう)、真下に袋田の滝が望めた。豪壮な立派な滝のはずだが、はるか下の谷底に白条となって流れる3段の川のように見えた。一休み。↑マムシがいるという叢。マムシが見えますか?先着していたおじさん3人組の一人が草むらを指して「マムシがいる」といって、気持ち悪そうに早々に去っていった。私はいくら目を凝らしてもマムシがわからなかった。ここからやっと下り基調になって、ぐんぐん高度を落とした。降り立ったところは袋田の滝の上流だった。幅広い浅瀬になっている。川面は鏡面のようで、ひたすら静かだ。木立に囲まれた池のようにも見える。絶壁の脇の道をたどってきた身にはこの平安さがうれしい。袋田の滝という豪壮な激流れが繰り広げられている少し上流に、このような静謐な場所があると想像できるだろうか。少し深そうなところには板の橋がかかっていて、ほとんど足をぬらさないで左岸へ渡れた。7年前は橋がなく、危うい渡渉をしたこともあったという。川岸に別荘のような建物があって、一泊1万円で借りれるようだ。月夜の晩に懇親会をしたり、盃を手に静かに川瀬の上に浮かぶ満月を眺めるという趣向もよさそうだ。別荘の脇まで車道があった。それを横切ると月居山の登りになった。雑木林の中のまっとうなハイキングコース。やがて袋田の滝からの自然観察路を合わせる。整備された石段を登ってそろそろ山頂かと思ったら、そこは前山で、そこからまたググッっと階段を下っていた。右側に月居観音堂があり、お参りして、鐘撞き堂で鐘を突いた。鐘の音の余韻が長く深く、ちょっと物悲しく、うっそうとした杉林の中に消えていく様に耳を凝らした。鞍部の広い道を横切って、再び斜面に取り付いて登り上げる。13:30、やっと月居山の山頂(404m)。ひろびろとした公園のようだ。石碑が袋田氏の居城だった月居城の跡地であることを伝えている。ここは紅葉の名所で、紅葉は終わりかかっているようだったが、最盛期を知らない私にはとても素晴らしい紅葉に見えた。地元の人は、桜の木の下で宴会をするように、紅葉の下に集うらしい。ここから奥久慈男体山まで4,5時間で縦走できるようだ。さて、帰路は、リーダーにどうしたいか尋ねられた。私はやっぱり袋田の滝のそばまで行きたいと答えたが、まさか別荘のそば近くまで延々と戻るとは・・・。お堂のところまで下って、登り返し、自然観察路合流点まで下り返してから、ようやく登ってきた道と分かれて、左へ自然観察路を下って行った。お疲れさまというか。途中、生瀬の滝展望所に寄った。遊歩道の行き止まりの展望所から、木立の間に生瀬の滝を見ることができた。生瀬の滝は袋田の隊の上流200mにあり、落差15m。これだけしかなければ大層な滝に見えるが、横綱級の袋田の滝のそばにあっては影が薄くなる。観光写真と見比べると水量は少ない。例の別荘のすぐ下流のようだ。すぐ、木立の間に袋田の滝の上部がみえてきた。最上段か。繊細な白い細い糸を幾条も岩に垂らしたようだ。そうめんと言ってしまえばそれまでだが。最後は急な鉄製の階段になっていた。この階段を設置するのも大ごとだっただろう。階段を下りきると観光地だった。右へ行くと観光スポット。吊り橋を対岸に渡ってトンネルをくぐると袋田の滝が正面だった。多分、下の3段が見えていると思われた。袋田の滝は日本三大瀑布の一つで、幅73m、落差120mで4段になっているとのこと。西行が、秋に来て、「この滝は四季に一度ずつ来なければ本当の良さを味わえない」と言って、春、夏、冬にも訪れたので四度(よたび)の滝とも言われるとの由。交通の不便な時代には大変な旅だっただろう。4段なので四度の滝という説もあるらしい。「山紅葉よこたてにして山姫の錦織なす袋田の滝」(西行法師)。冬は凍結し、アイスクライミングができたようだが最近は暖冬で凍らないそうだ。早くも斜めに差している晩秋の日差しが右岸の絶壁を黄色に照らしている。あそこから私たちはこの谷底の滝をのぞきこんだのだろう。入場料を払って洞窟の中を上ると、4段の全容が見えるスポットに行けるようだ。Tリーダー他、行ったことがあるのか、興味を示さず、私はちょっと見に行きたい気がしたが、いかにも観光するのもちょっと抵抗感があって、行かなかった。ぶらぶらと駐車場へ向かう。土産物店が立ち並ぶ道は私好みの風情があった。今晩の宿として車が確信犯的にたどり着いたのは上小川キャンプ場だった。リ―ダ―氏は以前泊まったことがあるそうで、他を探すのが面倒くさかったらしい。ログハウスは昨年の集中豪雨で流されてしまい、ようやくプレオープンしたところで、テント泊のみとのこと。プレオープン割引きで一人1500円。テントを張ってから、とりあえず夕食に店を探しに国道に戻るが、やっと見つけたのは不二乃ラーメンだけだった。ここでラーメンを食べて夕食とする。味噌ラーメンはスープにコクがあって、おいしかった。大子町には温泉があるようで、私は風呂に行くことを提唱したが、なぜか賛同者はいなかった。このグループはそういうタチかしら。テントに戻って、ぐだぐだと時間を過ごした。テント場の真上を水郡(すいぐん)線の線路が横切っていて、頭上をディーゼルカーが轟音を響かせながら通過していった(この車両は配色が派手でかわいらしい)。最初は冗談か悪夢かと思うほどの騒音に驚いた。それでもまあ、山手線並みに頻繁に通るわけではなく、盛りだくさんだった日を早々に〆てぐっすりと寝たのでした。
2020.11.28
コメント(2)

2020年11月22日(五輪岩から見た山急山)最初、伸吉リーダーから「山急山」が提案されたとき、てっきり妙義の『谷急山』の書き間違えかと思った。調べてみると254号線を挟んで対面にある1000mに満たない992mの山と分かった。『西上州の山』にも「上信越自動車道の上にそびえる孤高の岩峰」として紹介されている。5時に自宅を出て、5時半にリーダーをピックアップ、6:10に高坂SAにてミサヨさんと理恵子さんと合流。私の車に全員乗って、松井田妙義ICでおりる。国道18号を西進したが、車のガソリンが少なかったので、不安に思い給油することにした。ナビで探すと、最も近いGSとして高速道路内の横川SAのガソリンスタンドを指示されたので、バカ正直にたどってみたが、やはり高速道の中だった。結局、国道18号沿いの釜飯の荻野屋に戻って、敷地内のGSで8時の開店まで20分ほど待つことになってしまった。8時きっかりにオープンしたので、ガソリンを満タンにして、登山口を目指す。40分ほどロスさせてしまって申し訳ないことだ。国道18号を再び西進する。前方に恩賀高岩の雄岩と雌岩が立派にそびえていた。新井集落から右の林道に入る。登っていくと、林道に紐が渡してある場所があり、そばに1台、駐車していた。紐は軽く外せたので、我らは奥まで進むことにする。鉄塔の下で林道が終わり、道路脇の木立の中に2,3台駐車できるスペースがあった。ほかに駐車している車はなかった。ココに駐車し、8:50、出発(610m)。登山道の入り口がわかりにくく、鉄塔の右脇から斜面に取り付こうとするが、どうも違うような気がする。少し林道を巻いて下ると、鉄塔の左側斜面に階段が付いていたので、ここから再出発する。それにしても急な直登の上に、落ち葉が積もっている。「なんて登りだ」と毒づきながら、標高をガンスカ稼いだ。標高746mでやっと傾斜が緩み、一息入れる。そこからやせ尾根を登る。前方に五輪岩が見える。カエルを思わせる大岩もあった。9:36、五輪岩の基部に出た。ここから左へ、トラバースするように五輪岩を巻いて進む。足場が狭い。五輪岩と山急山の間の鞍部に出る所もなかなか急だった。設置されたロープも使って登る。最後は斜面を右へトラバースして尾根に出た。急に明るく、陽が注いでいる。そこから右へ進み、最後はやせ尾根をたどると、10:20、五輪岩(930m)の突端に出た。素晴らしい天気、すばらしい展望!谷急山が正面だった。左奥には妙義の丁須の頭が見えた。その右奥には先日たどった諏訪山からまじかにみえていた長野と群馬の県境稜線の長い尾根や荒船山が見えた。これから目指す山急山は、軍艦のように岩壁に上にそびえていた(扉写真)。五輪岩の東面はクライミングの対象になるようだが、岩はもろそうだ。20分ほど、展望を楽しんで鞍部まで戻って、尾根をそのまま進む。山急山の登りに入る手前で、11:00頃、一休み入れた。私が「ひどい登りだった」というと、リーダー氏は「下りも似たようなものだ」といったので、若干、ギョッとした。しかし、それは後で大当たりだったと判明した。山急山への登りも、まだまだ、なかなかだった。岩の間の狭路を設置されたロープを使って登るが、岩にはばまれて、先行者の動きが良く見えない。通過したところで男女とすれ違ったが、この方たちとは最後に林道に出たところで再会した。下に駐車していた車の方と分かった。最後の山頂部への上りに取り付く手前、左に山頂部の巻き道があった。まっすぐ進んで、岩場を乗越して、その後は左から巻いて、11:34、山急山の山頂(992m)に出た。ここもやせ尾根上のピークで、展望が良いが五輪山よりは木立が茂っている。三角点もある。天気がよく、しばし憩う。大きなザックを背負った男性がいた。この休みにこの周辺を歩くのだろうか。横川駅の周辺を歩いていたようで、車を使っていないようだ。西に長野と群馬の県境尾根根が近づき、その向こうに浅間が見える。東に榛名と思われる山塊が見えた。12:00、さて、下り始める。すぐ岩場があって懸垂下降をした。左側に巻き道があって、ロープを出さないでも済みそうだったが、まあ、トレーニングというか、お楽しみのうち。それから、左に大岩を巻く。右側は切れっぽくて、あまり良い道ではない。しばらく進んでから、これは、山頂の岩場の巻き道と気が付いて、下山道に戻った。それはそれなりに楽しめたのだが。さらに、要注意な下りが続いてロープを出した。13:13、登山道脇に登攀意欲をそそる岩があった。で、遊んでいくことにした。リーダー氏が登って万歳をして、ミサヨさんが続いて万歳をした。私が最後に登った。ほう、絶景だ。隣にも遊べそうな岩があったが、これは割愛し、13:40頃、出発した。それなりに注意が必要な下りが続く。振り返ると山急山の南面が見える。尾根を進むと、14:03、卒然とトンガリ帽子のようなピークが登山道の中央をドデーンとふさいでいた。登りの踏み後はあるが、急で、危険に見えた。リーダー氏は左の岸壁からよじ登るルートを探るが、うーん、ちょっと・・・。尾根の左右の斜面は緩やかな源頭部のような窪地状で、降りれそうにも見えたが、報告は手元になく危険だろう。ふと、リーダー氏がトンガリ帽子の左に細々とした巻き道を発見した。赤テープ持たれている。これもよい道ではないが、何とかたどることができた。14:30、振り返ると、トンガリ帽子に登ってしまうと下りもやばそうだった。下りでもう一か所ロープを出した。急だが広い、落ち葉の積もった斜面を木立などを手掛かりに下った。途中で左の尾根に入って、またまた急な落ち葉の道を下った。振り返ると五輪岩のピークがあおぎ見えた。平坦な林に入ったときはほっとした。公園のような平坦な林に幹がネジネジに巻かれた木立があちこちに見られた。ネジネジは寄生樹だろうか。童話の世界のようだ。「ネジネジの森」と名付ける。15:14、林道に出た(615m)。リーダーが上に車を取りに行ってくれた。ありがたい!林道の上から男女が下りてきた。すれ違った男女だった。「下りの岩場で遊びましたか」と聞かれた。彼らは隣にあった別の岩でも遊んだそうだ。帰路は国道18号が混んでいたので脇道に入った。リーダー氏がドライブをしたかったのか、妙義山の国民宿舎の方へ向かい、道の駅で買い物をして、それから妙義山の山すそにそって疾駆して妙義神社に出た。20年位前にここに降りてきた記憶がリアルによみがえった。すでに暗くなりかかり、妙義の紅葉は見えなかった。黄昏迫る妙義を左からぐるっと回って、下仁田に出た。17時半ころ、駅そばの中華一番に行ったが満席で断られた。以前来たときは老夫婦がしていたが、今回は若者が一人で切り盛りしていた。代替わりしたか。それで、いつものようにコロンビアに行った。リーダー氏は今年5回目、私は3回目だった。前回から1ケ月、たっていない。で、いつものように豚すき焼き¥1300を食べた。素晴らしいコスパで、いつものようにおいしかった。こうして日帰りにしては盛沢山な山を、グルメのリーダー氏はさらに、一層、盛ってくれたのだった。下仁田ICから関越に乗った。高坂SAでミサヨさんと理恵子さんとお別れした。22時には帰宅した。山急山は標高は1000mに満たないが、初めから終わりまで気の抜けない「急」な山で、小粒だがピリッと辛い山椒のような山と思った。
2020.11.22
コメント(2)

2020年11月15日7:50戸沢出合出発ー8:15 F1 ー8:40 F4ー9:00 大岩で休憩ー9:18 F5ー9:53 F6ー 11:00 F9ーー 11:35 F10-12:45大倉尾根ー12:55~ 13:25花立ー13:37天神尾根分岐ー14:35戸沢出合帰着11月14日に銀座山の会の懇親会が丹沢大倉の滝沢園で予定された。コロナ3波という事態ではあったが27名が集まった。懇親会場は窓を開け放ってガンガンに換気をして行われた。Sドクターの確率論でいうと、目下、東京でコロナの感染しているものは7000人に一人で、仮にこれを700人に一人としても感染率は4.5%という、ちょっとわからない計算で安全性(?)を示した。奥さんの勧告に従って欠席した者も一人いた。結果は2週間経過後もコロナ発症者はゼロだった。換気は感染予防の重要なファクターだろう。料理は男性陣が活躍し、ローストビーフときりたんぽ鍋は絶品だった。会場の様子は遠隔地に移転した会員などがZoomで参加するハイブリッド形式で行われた。昔のスライドの映写で、Zoom参加のYさんが突然、号泣して驚いた。サプライズで4月に電撃婚を公表したホリホリ夫妻を祝福するイベントも行われた。入会2年でマドンナをさらったホリホリ氏に非難が集中した。Y科さんの牧師ははまり役だった。Y科さんは坊主の役をしたこともあるそうだ。ケーキがかわいらしかった。入刀されたケーキが私の前に置かれたのが運の尽きだった。スポンジケーキがおいしく、我ながら恥ずかしいほど、ばくばく食べてしまった。ホリホリ夫妻、ごめんなさい。15日に塔ノ岳集中の予定だったが、塔ノ岳から花立に変更された。集中には17名が参加し、コースは4班にわかれた。ノーマルルートの天神尾根、政次郎尾根、それに岩の「沖の源次郎」と沢の「源次郎沢」。私は源次郎沢にエントリーし、5名が参加した。リーダー氏、ホリホリさん、グッチは遡行した経験があるとのこと。7時に滝沢園を車で出発。7時半に戸沢出合着。河原の駐車場は満杯になったところで、管理のおじさんが、少し登った所にある小屋前の場所に500円で駐車許可といったのでそこに駐車した。それぞれに入渓準備。政次郎尾根班が先発していく。さて、沢は寒いのか?暑くなるのか?私はいつもの沢シャツの上に薄いフリースを着た。T野リーダーはジャケット、ホリホリさんはシャツの上にネオプレンの半袖、S木さんは酒が残っているとのことで、ダウンを着たまま。アルコールの血管拡張作用が残っているのか?私はリーダーさんに尋ねる。「濡れますかねえ?」リーダーさん答える。「ツメまでじゃない」。“ツメ”?足の爪までしか濡れない?いやいや、沢の“詰め”までは濡れる?7:50、源次郎隊も出発(595m)。林道の少し先にPAスペースがあり車が数台、中止していた。ここまで来れば無料で済んだか。書策新道から入るはずだったが、登山道を歩ていくと『天神尾根入口』の標識が出てきて、来過ぎたみたい。リーダーは、通り過ぎた沢を、これが源次郎沢だからこれを上がってけばいいという。対岸の尾根に踏み後もあり、左岸に渡って登って行った。8:10、河原に降りて入渓。水は少ないのでほっとするが、沢らしさには欠ける。8:15、4mの滝、F1があった(左写真)。源次郎沢では滝にナンバリングがしてあり、事故時に場所を特定しやすくなっているが、リーダーによれば、古い本のナンバーとはずれているそうで、表示されたナンバーを伝えることが必要との由。「東京起点沢登ルート120(2010年発刊)」ではナンバーはF8まで合っていた。F1の壁を流れの左側から上がった。8:25、F2は多段8mで、小滝の連続。若干シャワーを浴びたように思う。F3は4mトイ状で、先行3名はロープを右側から上ったが、私は左から巻いた。そう楽な巻きではないと思った。8:40、F4の滝はイナヅマ型の流れで、トップのグッチさんが左岸を四つん這いになって登ったが時間がかかりそうなのと、頑張るほどの滝に見えず、右岸から巻いた。ホリホリさんが付き合ってくれた。落ち葉の中に岩場が埋まっているという感じに見えた。巻き道は土の斜面でトラバース部は足場が緩い感じで、必ずしも良くなかった。9:00、左岸から細い支沢が入っていて、大岩があるところで一休みした。リーダー氏が大岩もあるから『二俣』かといったが、ホリホリさんは二俣はまだ先という。話が食い違うようで確認すると、目印となる大岩は上にしっかりあり、ホリホリさんの20年前の『東京周辺の沢』が正しかった。リーダー氏は30年前の資料だった。私は2009年の11年前の遡行図だったので、最も新しかった。陽が射してきて暖かくなり、S木さんがダウンを脱いだ。二俣を右へ進む。水量は3:2で左俣の方が多いが面白くないらしい。沢筋は狭くなり、水量も減った。9:18、F5の大滝。3段12m。美しい滝だ。S木さんは右岸のリッジから登った。細い木の枝で2ヵ所ビレイを取っていたので、厳しそうと思った。落ち口も左から岩が付き出ていた。ホリホリさんが私に「どうします?左から巻きましょうか?」と尋ねた。私は、うっかりすると滝を登らないで終わってしまうかも、それに巻きルートも必ずしも良くはないと思って、「1本くらい上がらないと」と答えた。私はラストで登る。下部で足が上がりにくい場所があった。ビレイのカラビナを外すのに若干手間取った。上部は少しハングしていて、右へ回る。落ち口の岩のところで、S木さんがサポートにお迎えしてくれた。ロープのおかげで安心して通過。リーダー氏はフィックス点で私を確保し、S木さんをグッチが確保していた。9:53、F6。ちょっとくずれたような壁で、リーダー氏が「今度はグッチやってみる?」。グッチが右岸に取り付くが、手掛かりを探すのに苦労している。残置ハーケンがいくつかありビレイに使う。岩が少しもろいようだ。上方でも手掛かりに迷っていた。リーダー氏、私と続く。残置ハーケンを使ったりして上がりきる。ホリホリさんにいわせると、私は「『解除―!』と太くしっかりした声を発した」との由である。ほっとして声が大きくなったか。リーダー氏は、「グッチよく難しい所上ったねぇ。源次郎は30年前に来たことがあったけどこんなだったかなぁ。1級上となってるけどあなどれないねぇ」といった。F7からは涸れ滝になる。F7は下部に岩小屋があって、ホリホリさんは上の巨岩にザックが当たって上がりにくかったので私のために補助シュリンゲを用意してくれていたそうだが、「なんと猫のように身をひねりすんなりと上がってしまった」との由。猫歩きは私の理想だが。F8の滝はただの段差のようだった。皆は真ん中を登ったが、私は右を登ったら、落ち口に抜けるトラバースの1mくらいがやばそうで、リーダー氏にロープを出してもらう羽目になってしまった。11:00、谷が右に折れ曲がった所にF9があった。5m4mの二段で、上部がチムニーになっている。楽しめるかな。リーダーがロープを引いて上がる。グッチが「T野さん早いよねぇ~」と感心。チムニーの下部は階段状に足場があって上りやすく、少し奴登りもできたが、天井のような岩を右へ抜けるあたりでそれなりに工夫が必要だった。なお、「沢登ルート120」ではF8になっている。さて、11:35、F10、8mのCS垂直壁。「沢登りルート120」ではF9。あら、これは本格的な岩登りじゃ!「ここ上がるの?」と声も。左に斜めに立った直方体の岩があり、一見、上りやすそうに見える。「東京周辺の沢」(2000年)では左壁を越えるとあるが、「沢登りルート120」(2010年)では左壁で事故があったので右壁を上がるようにと記されている。リーダーがザックを残置して右壁に空身で取り付いたので、本気ぶりが分かる。リーダー氏は真っすぐ上がってから右へ移動し、上のバンドに上がった。バンド沿いに一段降りて落ち口へと向かい見事抜けた。ロープは30mいっぱいに使った。この時点で12時に近く、花立集合時間になっていた。時間を節約するために私が二番手となり、先行することにした。リーダー氏のザックを先にあげるのかと思ったが、S木さんが自分のザックにリーダー氏のザックを詰め込んでしまった。昨夜のローストビーフのシェフだったので、食材を入れるために大きなザックを持ってきたのだろう。私はとりつきで左に行き過ぎて迷っていると、S木さんから右へ行ったほうがよいと教えてくれた。右側から登ると、意外と手がかり、足がかりあった。バンドにあがってから左へ移動するが、ここで一段下がるのが味噌だった。下がるのはちょっと勇気がいる。ホリホリさんのお世辞によると、私は「ここでもゆっくりと確実な上りを見せた。」ということになっている。私は抜けてから、リーダーさんに、「危ない所があったら待っています」と言って先行した。まもなく、3番手のホリホリさんが追い付いてきた。次のF10滝は涸れ滝だし、どこが滝だったのかよくわからないうちに通過した。谷は傾斜が結構あり、なかなか長い詰めだ。二俣になっていて、右が本流かもしれなかったが、左へ進む方が歩きやすそうだったので左へ進んだ。大倉尾根に早く出た方が楽だろうとも思った。いい加減、本隊の後続3名が追い付いてきそうだが、振り返っても姿かたちが見えず、エール声にも返事がなかった。踏み後は次第にはっきりした道になった。最後は左に巻くように進むと、12:45、登山道に出た。私は花立は右と思ったが、ホリホリさんは左ではないかと言った。登山者に尋ねると右だった。ホリホリさんはそこで後続を待つと言った。とりあえず、集合時間を大幅にオーバーでしているので伝令が必要であろうと、私は階段の登山道を登ることにした。と、上の、階段が切れたところで人が下をのぞきこみ、「あれっ、野口さんじゃない!」という意外そうな声が聞こえた。ミホさんだ。突然元気になって、花立まで急いだ。12:55頃、到着(1312m)。もちろん天神尾根、政次郎尾根、沖の源次郎沢隊は到着して待ちくたびれていた。天神尾根隊は10時半頃着いたとのこと。私は自分が伝令であると言って、情況を説明し、沢装備を解いた。そうこうしているうちに、13:10頃、花立の小屋の上からリーダー氏とグッチが現れ、最後にS木さんが小屋の前へ上がって来た。二俣で右に進んだのだろう。グッチさんが、滝の突破に33分かかったと言っていた。私よりはるかにまっとうなクライマーだが。花立山荘を背景に全員集合の記念写真を撮って、13:25頃、下山開始。大倉尾根を下りていき、13:37、分岐(1128m)で左の天神尾根に入るとひどく急な下り。軽快にショートカットして降りる者がいたが、私はストックを使って下る。これが一般道なんかなあと思う。14:35、戸沢山荘帰着。それぞれの車で帰路についた。11月半ばでも沢を楽しめるものだ。源次郎沢は初心者向けの代表的な沢と言われ、登れる滝が多く楽しめた。しかし、今回のリーダー氏のようにしっかりリードできるメンバーの存在は必要。リーダーさんありがとうございました。リーダー氏は源次郎沢は37年ぶりとのこと。感想は「記憶ははるか彼方に遠ざかり初見の沢と一緒。全く苦労した記憶がない1級の沢なのでサクッと登って花立の集中時刻の12:00には楽勝で到着できると思っていた。ところが、源次郎沢は37年前と比べて大人に成長していて私の体力・技術が落ちていて・・・思った以上に登りごたえのある沢でした。37年前に本当にここを全部直登したのだろうか。もしかしたら大きな滝は巻いていたのかもしれません」ということでした。
2020.11.15
コメント(0)

2020年11月3日6:40 深仙小屋ー7:12太古の辻(1451m)ー石楠花岳(1472m)ー8:27 天狗山(1537m)ー8:55 奥守岳(1490m)ー9:12 嫁越峠(1359m)ー9:25~40 天狗の稽古場(1441m)ー9:55地蔵岳(1464m)ー10:17 般若岳(1329m)ー10:34 滝川辻(1319m)ー10:38 涅槃岳の手前のコル(ビクタワ)(乾光門?)ー11:37 涅槃岳(1376m)ー12:10 証誠無漏岳(1301m)ー12:45 阿須迦利岳ー13:05~13:15 持経ノ宿ー14:15~30ゲートー15:30~17:00 タクシーー=熊野市銭湯=熊野市駅いよいよ大峰奥崖駈道最終日。夜間、風雨が激しく嵐状態だった。朝になっても霧が濃く、風が強かった。前鬼に降りた方が良いのではと頭をかすめる。天気予報的には改善するはずというわけで前鬼というチョイスはありえず、6:40、深仙小屋を出発する。私の毛糸の手袋は指先が2本、穴が開いていたが、M上リーダ-が外の木に引っ掛かっていたというワークマンの手袋を持ってきたので頂戴した。大峰を甘く見て、毛糸の帽子を持っていず、頬が寒そうなのでタオルをスカーフ状に巻くと温かくなった。キノコ狩りのおばさんスタイルだが。由美子さんは毛糸の帽子はもちろん、日除け帽も2つ持ってきていたので、私とは心掛けが違う。太古の辻までに大日岳(1588m)を越える。ピークは踏まず、右から巻く。巻きに入ると、大岩があり、これを横切る上道と下を通る迂回路があった。リーダーは下道に行ったが、狭く、怪しげ。上道を行った玉さんが、「こっちでは~」と上から声をかける。先行した2名はそのまま下道を行ったが、私は少し戻って、小さく大岩を迂回して上道に這い上がった。結局、先で上道と下道は合流していた。7:12、太古の辻(1451m)に出る。5年前はここを左(東)へ下って前鬼におりた。ちなみに前鬼の小仲坊はコロナ禍で休業中とのこと。さて、私は初めて南奥駆へ踏み込む。緩やかに登ったところが蘇莫(そばくさ)岳(1560m)だったらしいが気づかずに通過。石楠花岳(1472m)の登りで次第に晴れてきた。石楠花岳を越えると陽が差してきた。風も弱くなってくる。前方のピークにかかっていた雲が流れていく様が風情がある。ピークは大きくはないが、いくつも重なり、つらなっている。笹原の尾根道が続く。北奥駆にない牧歌的な雰囲気だが、石楠花岳、天狗山と続き、アップダウンが多い。8:27、天狗山(1537m)。ブナ林の中で立ち休み。「大峯の良さは南奥駆にある」という方がいる。北奥駈はアルペン的なところがあって、奥駈を象徴するとする考えもあるようだが、南のこの穏やかに広い尾根が、右に左に軽くうねりながらピークを連ねていく様も、これこそ奥駈と思わせる魅力がある。8:55、奥守岳(1490m)。この辺りは尾根が広く、開放感がある。深仙宿から3.1km、持経ノ宿まで6.4km。9:12、嫁越峠(1341m)。女人禁制の時代に女性は大峯の道筋を歩けなかったが、嫁ぐ女性はここだけは越すことができたという。また、昔は前鬼からここに登ってくる巻き道があったらしい。間もなく、9:25、天狗の稽古場(1441m)という広々とした草原のピークにでて、ここでのんびり20分近く休憩する。頭の上、一杯に青空が広がっている。後生大事に持ってきた、洞川温泉で買った最後の柿の葉ずし2個を食べた。9:55、地蔵岳(1464m)。子守岳ともいうらしい。靡26とある。前方に大きなピークがあるが、あれを越すのか。証誠無漏岳(しょうじょうむろう、1301m)、お経のような名前だが、だろうか。すすきがきれいな尾根を行く。のどかだ。山行の終わりが近づいてくる感じがする。このまま熊野神社まで続行できそうだったなあと、下るのを残念に思う。10:17、般若岳(1329m)(靡25)はピークのすぐ下を通る。10:34、滝川辻(1319m)。エリアマップにはないが、西へカリヤス尾根から滝川に降りれるようだ。どの程度の道かわからないが。涅槃岳が近づいてきた。10:38、涅槃岳の手前のコル、ビクタワ(ヒクタワ)で一休みする。古びた道標に涅槃岳まで30分とある。日当たりのよい所で、のんびりする。M上さんは、「あとは平ら」と言ったように思うが、さっぱり平らにならない。そばに乾光門(けんこうもん)という標識があったが、エリアマップでは乾光門は涅槃岳の先、証誠無漏岳の手前になっている。誤りと思ったが、エリアマップが正しいようだ。実際は証誠無漏岳が乾光門で本来は「乾坤(けんこん)門」(靡23)ということらしい。急な登りを詰めて、11:37、涅槃岳(1376m)(靡24)。南奥駈は際立つピークはないのだが、直登系。この下りで熊野市のタクシーの予約を入れた。持経宿から歩いて1時間ほどのゲートに来てもらうことにする。時間の読みは難しい所だったが、待ち合わせ時間を14:15にし、場所を詳しく説明したが受け手は女性で、運転手ではなかったそうだ。涅槃岳から証誠無漏岳(しょうじょうむろうだけ)にかかると、ついにエリアマップの地図が裏側に移動する。12:10、証誠無漏岳(1301m)。木立が登山道に陰影を投じている。植生が低山化してきている。鎖場の下りがある。トサカ尾とも呼ばれる岩場らしい。もうおしまいで持経ノ宿が出てくるのではと思った。きっと阿須迦利岳(あすかりだけ、1251m)はちょっとしたピークで、どうということなく通り過ぎたのだろうと希望的、楽観的に思っている。と、なんと、最後のダメ押しと言うか、立派な1座がおあしましたのだった。甘くはなかった・・・。これも、なかなかの急登。12:45、阿須迦利岳通過。結構、下りも急で、ようやく、13:05、持経ノ宿(じきょうのやど、1057m)(靡22)についた。小屋脇に1台、車が駐車していて、男女がいた。小屋の整備に来られているようだった。男性がトイレの座シートを張ると言って座シートもをっていた。室内の女性と話すと、自分は三重から、男性は奈良から来たそうだ。皆は予約したタクシーの時間を気にして、少しだけ口にしてから、13:15、そうそうに持経ノ宿を後にし、白谷池郷林道を下る。私もあわてて後を追う。平らな固い路面の林道では、例の股関節痛がでてきて落ちこぼれる。ふてくされて、こんな素敵な所なんだから、そんなに急いで下らなくてもよいじゃないなどと思ってしまう。大きな落石があって、車で間を無傷で通るのはテクが必要と思う場所もあった。14:15、ゲートのところで皆が休んでいた。私も荷物を下ろして、GPSを切った。しかし、予約したタクシーが来る気配はなく、体が冷えてきた。歩くと下までここから2時間近くかかるが、歩いたほうが早いのではということで、14:30頃、歩き始めた。今度は先行グループで歩いた。話しながら歩くると楽だ。と、15:30頃、半分くらいまで来たところで下から2台のタクシーが上がってきた。白谷トンネルか、どこかに間違えて行ってしまったようだった。地獄に仏、ヤレヤレと乗り込む。国道425号に入るあたりで、時間的にギリギリで下北山村きなりの湯(最近は立派な入浴施設が不便な所にもあることに驚かされる)にはいれるとのことだったが、2台のタクシーの間の行き違いから通り過ぎて、熊野市の駅近の銭湯に乗り付けることになった。タクシー代は2台で30000円だった。みはま湯は素朴で感じが良く、人心地が付いた。駅まで歩いて5,6分だった。期待が外れて熊野駅には駅弁などは売っていず、コンビニに行ってくるには時間がギリギリであきらめた。17:50の特急南紀ビューに乗車、自由席で6人が向かい合わせで座ることができた。にぎやかに、行動食の残りやら肴をまわして、打ち上げたのだった。今日はいくつのピークを越えたのだろう。記念写真を撮ったのは太古の辻だけだった。念願の奥駈の北2/3が歩けた。11月後半の連休で残りを歩く予定だったが、コロナ禍で東京から新宮までの夜行バスが運休中と判明。日程的に無理ということで、来年に持ち越しとなった。GPSデータはゲートまでだが、平面距離13.52km、沿面距離14.06km、最高点1541m(実際は天狗山1537mか)、最低点744m(ゲート)、累積標高上り1007m、下り1758m。
2020.11.03
コメント(0)

2020年11月2日6:50 弥山小屋発ー7:27八経ヶ岳(1915m)ー7:48明星ケ岳(1894m)ー8:49五鈷峰(1694m)ー9:43舟ノ垰(たわ)ー10:25~11:30 楊枝宿ー仏生ケ岳(1895m)分岐ー 13:03鳥の水ー13:23孔雀岳(1779m)ー14:00 両部分け(キレット)ー15:00 釈迦ケ岳(1800m)ー15:40深仙宿前も弥山小屋から前鬼までの日は天候が悪く、雨のために出発を遅らせた。今回も天気予報が悪く、昼前後から雨が予想されていた。5時に起床して6時に朝食をとる。宿泊者は他に10名程度だが、皆、下山し、深仙小屋方面に南下するパーティーはいなかった。昨夜、到着した修験者のいでたちの男性がいたが、この方も南には来なかった。6:40 、小屋の外に出ると親子のシカが草を食んでいて、あまり人を恐れない様子だった。6:50に弥山小屋出発(1883m)。雨は降っていないが曇天の重い空だった。皆、ゴアの上着を着る。八経ヶ岳へ樹林の中を下っていく。リーダーさんが、こんなに下ったかなと言って地図を出すほど標高を下げてから八経ヶ岳へ上り返した。7:27、八経ケ岳(1915m)。靡51。弥山と同様にシラビソの枯れ木だらけで、空模様と相まって荒涼とした感じがする。山名は役行者が法華経八巻を埋納したことに由来するという。勿体ないことを。今回も山頂は霧の中だ。昨日も、大普賢岳の方からこちらを眺めると山頂部分は雲のカーテンが下りていた。M上さんがここはいつもこんな天気だという。7:49、明星ヶ岳(1894m、別名弥山辻?)通過。禅師の森(1767m)と続くが、前回と同様、禅師の森はよくわからなかった。やや高齢の男性とすれ違った。登山者ではなく、地元の方と言う感じだった。「仏生ケ岳まで行きますか?道が悪いので気を付けて」と言った。しかし、仏生ケ岳までの道はその後の道と比べれば楽なものだった。また、この後、持経の宿まで、人と会わなかった。折り重なっているであろう大峯の山並みはうっすらと下の方がうかがえる程度だった。前方に見えてきたピークは釈迦ヶ岳だろうか。8:35前後、一休み。8:49、五鈷峰(1694m)の岩場の下りも順調に通過。前回は、この先で休んでいるときにNHK取材に遭遇し、スタッフやガイドが知り合いだったが、天候が悪かったせいか我らの登場シーンは放映されなかった。それがどの場所だったか、よくわからなかった。総じて、5年前の奥駈は5月でふさふさと苔むす鬱蒼たる緑の森だった。しかし、今回は木立が落葉し、立ち枯れや倒木も多く、あっけらかんとした乾いた尾根道が多かった。季節によって随分と印象が違うものと驚かされる。異なった季節に歩けて2つの景色が見れて良かったことだった。9:30、東の空の雲があがって、大台ケ原の方(?)が見えた。9:43、(多分)舟の垰の靡46があった。9:56、楊枝宿まで0.7kmの標識があったが、弥山まで4.6km、釈迦ヶ岳5.0kmで、まだ釈迦ヶ岳までの方が長い。一山超えて楊枝(ようじ)の森(1693m)があった。10:11、標識が、楊枝宿まで0.3km、弥山まで5.0km、釈迦ヶ岳4.3kmに逆転した。さらに一山越えると樹間にやっと楊子(ようじ)の宿がみえた。10:25、楊枝宿着。小屋から少し下ったところに水場があったが水を汲むのに時間がかかり、休憩と合わせて約1時間を滞在することになった。今日の行程は時間的には短く、気は楽だ。なお、楊子の宿は奥駈の中で唯一、回向する場所で、峯中の生き物は亡くなるとここに帰ってきて霊が鎮まるとされる。木立の中で霊的な感じもする。熊野古道の大雲取越えにも同様な場所があった。出発するころに小雨が降ってきてしまい、ゴアのズボンを履いた。この先は奥駈道の中の難路とされる。12:25、仏生ケ岳(1805m)への分岐があった。仏生ケ岳は八経ケ岳に次いで高く、ここからピストンすることになる。私は5年前に登っており、山頂は樹林の中の地味なピークなので、スキップすることを提唱してその通りになった。12:56、釈迦ヶ岳まで2.6kmとのこと。13:03、鳥の水という水場があり、細々と水が滴っていた。のどを潤す。5年前にこの先で北上してくる登山者に、この水が枯れていないか尋ねられた。渇水期に諮れるらしい。水があるのとないのでは死活問題のこともあり、流れていたと聞いてほっとしたようだった。13:23、孔雀岳(1779m)は山頂近くまで登ってから巻いた。14:00、両部分けの岩場に出る。ここはキレットで、避けた岩の間に降りて、左へ進む。両部分けとは曼陀羅の金剛界と胎蔵界に境と言う意味で、ここまでが金剛界、この先が胎蔵界の峰になるそうだ。おかしなことに、両部分けと仏生ケ岳分岐はもっと北にあるように記憶していた。前方に岸壁が薄い壁状にそびえている。椽(てん)の鼻だ。これを左から巻く。その先に小さなピークがあり、空鉢岳という道標が立っていた。左側に尖った岩峰が2,3ピークうっすらと見え、一郎岩、二郎岩、三郎岩と思われた。急な笹の斜面にとりついて尾根にでると、左に立派な岩峰があった。前回はここで一息いれたのだった。後で考えるとここで休むのはリーゾナブルと思われた、というのはその先が長かったからだ。しかし、天候は悪化傾向にあり、先行3人は先を急いで行ってしまった。後の二人とも少し離れたようで、私は一人で先を急いだ。ガスっていて、先の見通しがきかない。スケールの大きなピークに出たので釈迦ケ岳かと思うがはずれ。岩場が多いが雨に濡れていて慎重に通過。これでもか、これでもかと、ガスの中にご立派な岩峰現れる。杖捨てという場所があり、この先、登るのに手が必要という意味なのかもしれない。馬の背は4,5mと短いがやせ尾根だった。ようやく、15:00に釈迦ケ岳(1800m)(靡40)についた。大きなお釈迦様に再会。強力岡田雅行氏が大正13年に一人で担ぎ上げたブロンズ像だ。前回と同様に真っ白で展望がない。雨風が強く、寒い!先行した3名は写真も撮らずに下ったのか、いなかった。カメラのバッテリーを交換して、後続のM上さんたちを待った。着いたので写真をと私が言ったが、昌代さんは、それどころではないというようにさっさと下って行ってしまった。M上さんが写真を撮ってくれた。それから、とっとこ笹原の南側の斜面を下る。油断していて、右の古田の森の方に入りかかり、後のM上さんから「左」の声がかかる。左へ進むと水場があって幕営ができるようだ。途中、都津門(靡39)があった。岩場があったらしいが、危険になり今は岩場を巡る胎内潜りは行われていないという。眼下の広々とした鞍部に深仙小屋が見えた時はほっとした。修験者が泊まって通夜をする灌頂堂(靡38)の前を通って深仙小屋に着く(1500m)。先着していた由美子さんとユカさんは水を汲んできてくれた。香積水は枯れていたようで、雨水を汲んだとのこと。小屋は5年前に覗いた時よりも居住性がアップしているようだった。3面の壁に沿った板敷は幅広くなり、ゆっくり休めそうだ。板敷の上には銀マットが敷かれていた。シュラフ1個と毛布が2,3枚あったので、私は1枚を使わせてもらった。小屋の中央に囲炉裏というか、焚火ができるようになっていたが、煙が出るので焚かなかった。後で室内が点灯されたので、ソーラーの室内灯が3,4個、壁に設置されているのに気が付いた。全身が濡れていて寒かった。女性陣はM上さんに後ろを向くように言って、それぞれに着替えた。私は寝袋に入って、着替えたが、上半身は着替えなかった。靴下はホテルで捨ててこようかと思った薄手のものだったが、濡れた靴下と代えるととてもあたたかかった。どんな薄いものでも、乾いたものに代えると楽になったので、何でも持ってくるべきだと思った。各自、食事をとった。私は弥山小屋の朝ごはんが食べきれなかったのでジプロックに入れてあったものにふりかけなどかけて食べた。赤飯のアルファ―米に、明日のためにを注いだ。20時頃には眠った。なお、この日のGPSデータが見つかりませぬ。発見するか、メンバーからいただけましたらアップします。
2020.11.02
コメント(0)

(12:10頃、大普賢岳と小普賢岳を振り返って)2020年11月1日7:50 和佐又キャンプ場(1150m)発ー8:50朝日窟ー8:55 笙ノ窟ー9:36小普賢岳分岐ー10:35~55大普賢岳ー11:06 水太覗(みずふとのぞき)ー12:05 稚児泊(ちごどまり)ー12:35 七曜岳(1584m)ー13:43 行者還岳の北コルー14:08 行者還小屋ー15:35 一の垰ー16:04 出合ー16:28 弁天の森ー17:03 聖宝ノ宿跡ー18:10 弥山小屋(1883m)奥駈道2日目は大峰山脈東の和佐又キャンプ場から大普賢岳に登り、行者還などを南下し、弥山に至る行程で、今回の行程の中で一番のロングコースだ。朝6時前に洞川温泉一丸旅館に2台のタクシーが迎えに来た。洞川温泉には1台しかタクシーがいず、1台は吉野から出張してきたという。大峰山脈の下の和佐又トンネルを通るが、トンネルは工事中で、待ち時間は8分!大峰山脈の東側に出て、和佐又キャンプ場まで登ってもらう。2時間近くかかり、タクシー代は2台で30470円だった。吉野からの出張費5000円を含むようだ。7:50、和佐又キャンプ場(1150m)を出発する。今日もよい天気だ。尾根に出て、軽く一休み。8:50、朝日窟を通る。大きく張り出した岩の下の洞窟で、靡(なび)と思われる。続いて8:55、笙ノ窟(1450m)を通る。靡62。笙ノ窟は内部面積が70平方メートルと規模が大きい。大峰山系に窟が多いが、その代表とされる。941年に道賢師が籠り中に息絶えたが、他界遍歴し菅原道真に会い、蘇生後、朝廷に醍醐天皇の託を奏上したという。平成元年に大峯千日回峰行者の柳沢真悟師が100日の窟籠りをしている。立札に、「笙ノ岩谷にこもりて 寂莫の苔の岩戸のしずけきに涙の雨の降らぬ日ぞ 日武道賢上人」とある。洞窟近くに来た小鳥にも飛び去らないでと思うほど寂しいものらしい。笙ノ窟を過ぎるとハシゴが出てきた。9:36、小普賢岳分岐に出た。左折して小普賢岳に登り始めるが、途中でこれは脇道と気が付いて分岐まで戻る。私はラストをのんびり歩いてていたのであまり登らなくて済んだ。小普賢岳はまぎらわしいことに2つあう。一つは大普賢岳の北の主稜線上にあり、もう一つが主稜線に出る手前の南側にあって、これに登りかかったのだ。本登山道である稜線は分岐からどっと下った先にあり、大普賢岳は左にそびえたつピークだったのだ。あれに登るの・・・。登りに差し掛かると、ハシゴの連続だった。これが一般道?ハシゴが本格的に始まる足元に花束がそなえられていた・・・。遭難?むべなるかなと思ってしまう。関西の登山道はこんななんの?10:31、稜線に出た。10:35、ここを左に進むと大普賢岳の山頂(1780m)だった。先着メンバーが休んでいた。細長い山頂で、靡63があった。晴れていると思ったが、八経ヶ岳の山頂部は厚い雲がかかっていて、はれそうもなかった。15分ほど休んで、10:55、出発。11:06.水太覗(みずふとのぞき)という場所があった。谷あいに陽が差して優しい紅葉風景が楽しめた。なお、山頂から稚児泊までの間に「サツマコロビ」という急な下りや、「屏風の横駈」という岩壁のトラバースがあると書かれている本(『熊野、修験の道を往く』)があるが、特に私の記憶にはない。11:28、東に大台ケ原の展望がある場所にでた。11:45、木立の中で一休み。11:53、標高が下がってきて、小普賢岳のピークが高く見えてきた。紅葉も盛りのゾーン。12:05、稚児泊(ちごどまり)靡60は日本庭園のようだった。12:10から展望の良いところが続いた。大普賢岳から小普賢岳へ下る山稜が望め、大台ヶ原の台形がくっきりと見えた。12:32、七曜岳の手前にちょっとした岩場や木橋が架けられているの所があった。テープなどを気にしながら進むと、12:35、七曜岳(1584m)山頂(靡59)。展望が今いちなせいか、存在感のあまりない場所だった。先を急ぐと紅葉の盛りの林に入った。東に大台ケ原を前景にした紅葉の林を、午後の太陽が照らし出し、舞台装置か映画のスチール写真のようだった。で、あまりによい場所だったので、13:00頃、陽のさすゆるやかな登りの斜面で一息入れた。13:34、遭難慰霊碑があった。13:43、行者還(ぎょうじゃがえり)岳の北のコルに出た。元気な3人は登ってくると空身で登り始めた。私はM上さんらと3人で左へ巻き道を先を急ぐことにした。小普賢岳のとんがり頭が見えたが、小さくなった。最初、下りすぎて、おかしいということで登り返した。山腹を巻いていく道は意外と長く、ここも紅葉が登山道を彩って、風情があった。途中、水場があった。「行者雫水」というらしい。14:08、行者還小屋についた。とても立派でしっかりした大きい小屋なので驚いた。開けた尾根上で展望がよい。折があったら泊まりたいような小屋だ。五番関で下った女性陣が、大普賢岳に登らずに、ここに上がってくるルートもあるようだ。私は足が遅いからと、一人で先行することにした。尾根の林の中の登山道で、池塘もあった。素晴らしい林が続く気持ちの良い道で、ぶっ飛ばしていたか。1時間程度歩いたかもしれないが、後続の声が聞こえてこず、不安になる。電話をしようとザックを下ろしていると3名が追い付いてきた。しばらく待つと2名も到着し、6名が集結した。ガスが出てきて展望がなくなる。15:35、一の垰。「一の多和」とも言い、「たわ」は窪んで低くなった鞍部を指す。避難小屋跡があったらしいが、気が付かなかった。もう痕跡もなかったのか。「上北山中学校バス停」という場違いな(?)道標があった。ここで、方法を南から西へ、90度、急角度に曲がる。その先は、また、元気な3名が先行した。出合までが長かったこと。一休み入れる。16:04、出合。行者還トンネルの脇から登ってくる道が奥駈道に合流する場所で、私は5年前にここから入った。自分が1日目に歩いた道はほんのさわりで、他の女性3名はスゴイ行程を歩いてきたのだということが分かった。16:28、弁天の森(1600m)。16:40、「弁天の森450m、聖宝の宿跡550m」の標識があった。16:45、雨が降ってきて、ゴアを着た。17:03、聖宝ノ宿跡。像は理源大師とのことだが、聖宝のことらしい。像に触れると雨が降るという。像の前を通る前から小雨が降っていた。ここを「講婆世宿(こうばせのしゅく)」ともいうらしく、靡55。ここから弥山の登りが始まる。胸突き八丁、または聖宝八丁と呼ばれ、難所とされているようだ。登りに差し掛かかってしばらくすると暗くなった。粘ったが、ヘッデンを出した。登りはなかなかしぶとかった。大普賢岳と、今日歩いてきた尾根が一望できる場所があったはずなので楽しみにしていた。しかし、すでにまっ暗で、それがどこだったのかも分からなかった。とりあえず参考までに2015年5月に撮った写真をお見せします。大普賢岳からたどってきた尾根の様子が分かります。18:10、弥山小屋に着いた(1883m)。弁天の森から300m近い登りだった。先行した3人は少し前についていたらしい。部屋は、左右に2段ベッドがあり、前回泊まった部屋と同じだった。左の下段には5,6人のパーティーがいて、もう休もうとしていた。弥山往復か、明日は下山するらしい。彼らは布団で休んでいたが、我らのスペースには布団はなかった。私たちは、「コロナ禍なのでシュラフを持ってくるように」との指示でシュラフを持参していたが、宿泊費は同額だったらしい。ちょっとバナナ。すぐ食堂へ夕食をとりに行った。台所でスタッフの男性が一人で夕食の準備をしていた。5年前の方とは違うが、宿泊客に無関心な様子は以前の方と同様だった。夕食はカレーだった。修験者のいでたちをした男性が私たちより後から小屋に着き、ふつうの服に着替えて食堂に来た。スタッフと男性と馴れた様子で会話をしていた。修験者はやや丸顔、きりっとした太く濃い上がり眉をしていて、まさに修験者の顔をしていた。スタッフは、「奥さんが明日、迎えに来る」と言っていた。19:30に食堂を消灯するとのことで、部屋に戻った。20時過ぎに寝た。なお、M上リーダーは山上ケ岳を含む尾根通しに歩いたこともあるが、洞川に下って和佐又から登り返す女性ルートの方が大変だとのことだった。GPSデータによると平面距離14.43km、沿面距離15.19km、累積登り標高1942m、下り標高1258mm。最低点hは和佐又(1258m)、最高点は弥山小屋(1883m)で大普賢岳山頂より高い。
2020.11.01
コメント(0)

2020年10月31日9:15吉野金峰神社ー西行庵ー9:50宝塔院跡ー10:51心見茶谷跡ー11:55四寸岩山(1256m)ー12:09足摺宿ー12:58百丁茶屋(1070m)ー14:25~5大天井ヶ岳(1439m)ー15:30~42女人結界門(1211m)ー15:55五番関トンネル脇公園(1090m)ー17:00洞川(どろかわ)温泉手前(宿の車にピックアップ)大峰奥駆道は6年前に行者還トンネルの西口脇から出合に登って前鬼に下山したきりになっていた。今回、G山の会のM上さんが北半分、持経ノ宿まで歩くプランを立ててくださったので参加することにした。M上さんは奥駈道を幾度か歩いていて、詳しいらしい。前日、橿原神宮前駅に夜8時半着。駅のコンビニで明日の朝食と行動食を買って、ダイワホテルに入る。ホテルはGO TO キャンペーンで安くなっていたので、大浴場があるということに誘われて奮発したもの。部屋は妙に広かったが、アメニティーなどにサービス精神が街と比べると今一だったかな。当日、6時起床。7時頃、橿原神宮前駅に行く。コンビニでM上リーダーさんを発見。1000円のクーポン券を供出した。7時20分頃、吉野線のホームで由美子さんと昌代さんに会う。今日は男性1名、女性4名で、全員、女人結界で洞川(どろかわ)温泉に下る予定。M上さんは今まで尾根通しに山上ケ岳を通ってきたので、女性陣にお付き合いして洞川温泉に下るのは初めてらしい。エリアマップを見たときは、距離が長く見えたので、これは25000の1の地図かと思うほどだった。でもやっぱり、5万分の1だった・・・。M上さんは、「平たんな部分が多いので、距離は長くても大したことはない」という。吉野行きの電車に乗って終点吉野駅へ行く。8:24、小1時間で吉野着。駅前の赤い寸胴の郵便ポストが昔懐かしくポップだ。予約してあったタクシーに乗り、金峰神社まで行く。9:00、奥の千本口で降りる。タクシー代3430円也。金峰神社にお参り。9:15、出発。世界遺産の道標に導かれて、杉林の中の参道を行く。と、あれっ、9:30、西行庵に出た?!木立に囲まれた広場で、東屋もあって気持ちの良い所だが、ここは世界遺産。目指す奥駈道ではない。巻き道を使って軌道修正した。おいしい湧き水の奥千本苔清水があって、のどを潤した。良い天気で青空が広がる。陽だまりの尾根道を進む。9:50、宝塔院跡。10:04、登山道に入って青根ヶ峰(858m)のピークを巻いて車道の南側を並走したり、車道を歩いたりする。今日の前半は、登山道は車道を縫って進むことになる。10:27、黒滝村の村界?「福喜講」の石碑。841mのピークの先にリフト乗り場(業務用?)があって、10:38、その少し先から登山道に取り付いた。10:51、「心見茶谷跡」を通過。なにもナシ。尾根道で次第に高度を上げ、11:55頃、四寸岩山(1256m)のピークの脇を通ったはずで、道標もあったらしいが、誰も気が付かなかった。紅葉を交えた.黄葉の木立の葉が陽を浴びて美しい。小さいピークを3,4ピーク越えたり、巻いたりして1130mで車道に再び出る。場合によってはこの辺までタクシーで入れそうだ。登山道に再び入って間もなく、12:09、「足摺宿」という建物があり、脇に靡(なび)があった。修験者の施設と思われた。エリアマップでは「足摺小屋跡」になっているので、建て替えられたのだろう。それからまた車道を歩く。ここまで車で来たと思われる車が駐車していた。「九十丁 金峯山寺蔵王堂から10.4km、根本大塔まで45.3km」という掲示がある。「コロナ禍のため長期にわたり閉鎖します」という掲示もあった。大峯のことかとギョッとしたが、百丁茶屋のことだったようだ。12:58、登山道に入って間もなく、百丁茶屋(1070m)があったが、あいていなかった。エリアマップでは「百丁茶屋跡」「二蔵宿小屋」と記されている。広場になっていて、男女が幕営の準備をしていた。車で来られた方だろうか。さてここから大天井ヶ岳(1439m)の登りになる。巻き道と山頂突破のルートがあり、巻き道の方が時間は短いようだが、M上さんによれば、「大天井ヶ岳はたいした山ではない」という。ということで、登ることにする。13:10、出発。うっかり巻き道に入りかかり、軌道修正して尾根にとりつく。今日は登りのない平坦な道が多かったので、これくらいにのスパイスがあってもよかろうという感じ。370m程の登りだったが、急ではなく楽だった。尾根に出て右に少し行くと、14:25、大天井ヶ岳山頂(1439m)に着く。展望があって、なかなか良い山頂。単独の女性が登ってきた。軽荷で、百丁茶屋からのピストンとのこと。百丁茶屋で幕営するそうだ。他に男女のパーティーいることに、なぜか安心した。14:50、山頂を後にする。晩秋の傾きかけた陽を受けて木立が輝いていた。登りの北斜面より、下りの南斜面の方が木立がうっそうとしていた。西斜面に道が錯綜しているように見えるところもあり、地図で確認した。15:30、女人結界の門前(1211m)に出た。はあ、こんなものが現実にあるのだなあ。「ここは聖地である」と記してある。実際は、「であるからして不浄な女性は入ってはいけない」とうこと。「マスコミで女人禁制が解かれるという報道がされたことがあるが誤りである」という記載もある。女性陣が口々に抗議の声をあげる。このような場所が世界遺産に指定されていることがおかしいなどなど。実際は、修験教団は2001年の役行者1300年遠忌を期して、女性信者もいることから女人禁制を解こうとしたらしい。しかし、大峯山寺、地区、講の反対で解禁に至らず、今は足踏み状態とのこと。いずれにせよ、15:42、今回はここから洞川(どろかわ)温泉に下る。急な登山道を100m余り下ると、15:55、東屋のある小公園(1090m)があり、五番関トンネルの脇の車道に出た。車も停まっている。ここまで車で来られるのだ。ここから宿まで2時間ほどかかるらしいが、タクシーを呼ぶ気配はなく、M上さんは歩き始め、先行して行った。元気である。イヤイヤ歩き始めた道だったが、谷間から山麓に続く車道の紅葉は、一層傾いた夕陽を浴びて輝いていた。1日の山行のご褒美のようだった。16:54、母公堂というお寺を通過する。派手な採色で中国の寺を思わせる。大峯山で修行をしていた役行者を案じた母、渡都岐(とつき)が洞川の蛇ケ谷まで会いに来たが、谷を渡ろうとすると大蛇に阻まれて、渡れなかった。役行者は母を心配して庵を建て母に住んでもらうことにし、母公堂と名付けたのが始まりという。また、母が後を追わないようにと「女人入山禁止の結界門」を建てたという。これが「女人禁制」の始まりで「女性差別的」な解釈でなく、役行者の母を思う心の現れとする考えもあるようだ。しかし、1300年余が経過し、修験の道は登山道へと整備され、今の女性は大峰山縦走に身の安全を案じていただかなければならないほど軟弱ではなくなったのだが・・・。1時間余り、行程の2/3くらい歩いたところ(892m)で、バンがやってきた。我らをピックアップする宿の車だった。運転手は、「まだ登山口にいると思った」と言っていたので、小公園で電話をすればよかったのだろうか。そこへ、温泉から歩いてきた、明日から同行する玉ちゃんとユカさんも乗った。これでM上さんのハーレム度は3/4から5/6に上がった。宿に戻る道すがらM上さんもピックアップした。黄昏が迫る温泉街に入っていく。昔ながらというか、昭和的というか、温泉街の情緒のある街並みで、いうなれば「つげよしはる」の世界。すっかり満足し、上機嫌になる。最近は、女性は大峯山脈の東の柏木に降りることの方が一般的らしい(2008年のエリアマップにはルートがない。どこにあるのだろうか)が、この洞川温泉に泊れるのなら、西に降りる価値があると思う。通りに面した宿はややお高いらしく、M上さんは少し奥まった一丸旅館を予約してくれた。2食付きで7000円弱也(割引済み)。宿に荷物を置いて街に出て、クーポン券6000円分で何か買うということになった。ふと、陀羅尼助を並べた店の棚に柿の葉ずしを発見した。素晴らしい行動食になる!柿の葉ずし18個入り2800円を2箱と、クッキー400円を買うとちょうど6000円になった。店のおばさんは柿の葉ずしを作っている店に電話し、届くのを待つ間、しょうが糖を店の奥でご馳走してくれた。体が温まった。宿に戻って、入浴。浴室はタイル張りで湯船は広く、温泉でよく温まる。宴会ではアユの塩焼きなどもついて、美味。2階の4部屋をぶちぬいた広い部屋に戻って、21時前にはあっけなくバタンキューしたのだった。GPS資料によると平面距離15.77km、沿面距離16.46km、最高点1441m、最低点706m、累積登り標高1720m、下り1536mmだった。標高図の左のピークは四寸岩山1236m、右のピークは大天井ヶ岳1439m。
2020.10.31
コメント(2)

(上武国境稜線方面)2020年10月24日8:30 PA出発ー8:42 社務所(登山口)発ー9:32 小倉山(おぐらやま)北尾根ー10:12 小倉山の南のコルー10:52 八海山のお堂ー11:13 湯ノ沢の頭(1240m)ー12:17 弘法避難小屋ー12:56~13:10三笠山(下ヤツウチグラ)ー13:32~13:55諏訪山(ヤツウチグラ)(1549m)ー14:25~14:50 三笠山ー15:23 弘法小屋ー16:07 湯ノ沢の頭ー16:21 八海山のお堂ー17:10 下から2つ目のお堂(ヘッドランプ装着)ー17:30 社務所諏訪山は西上州の西端に位置する。300名山ではあるが、おとずれる人の少ない静寂な山という。今回、どこにしようかと、経ヶ岳の名前も挙がったが、この時期、遠いし、行程も長い。日帰りではきびしいのではと迷った末に思いついたのが諏訪山だった。5時半に伸吉氏をピックアップして運転をお任せ、下仁田ICで高速を降りてジオパーク下仁田道の駅でトイレ休憩、南下して湯ノ沢トンネルを通過、299号を左折して上野村へ入る。神流川沿いに東へ向かいトンネルを3つ越えて、すぐ左折したところにある宿であかねさんをピックアップ。やたら日当たりのよい宿で、おじさんに挨拶した。トンネルズをもどって3つ目の楢原トンネルを通過してすぐ、左手、諏訪山楢原登山口のある林道に入る(581m)。宿のおじさんは登山口まで入れるだろうと言っていたとの由。ペレット工場前を通過。ちなみに我が家では最近ペレットを猫トイレ砂に導入してから猫のぜんそくが改善した。工場までは道路がよかった。どん詰まりの社務所と集会所と三笠山普寛堂のある登山口まで入れた。しかし、2台の車が中途半端にスペースを占拠していたので、2,300m戻ったところにある別のスペースに駐車した。すでにここにも1台駐車していた。私たちは4台目になる。8:30 、PA出発。社務所まで歩いて戻ってトイレ休憩する。行者小屋(弘法小屋?)からの岩場で滑落事故があった旨、掲示されていた。8:42、出発(858m)。お堂の左脇から入る。諏訪山は修験道の山で、予定の楢原ルートは登拝ルート。堰堤を右から越えて、沢沿いに山道に入る。谷あいで日照時間が短いのか周囲は湿潤な感じで、苔むしている。沢に滝がかかっているのが見えた。登山道は幅が狭く、おまけにやや外傾している。8:56、最初のお堂があったが、道から少し外れていたのでスキップ。ここからも別の小滝が見えた。9:08、さらに10分ほどで次のお堂があり、一休みした。お堂の中を拝見すると掃除が行き届いていて清潔な感じがした。道中の無事を祈る。ここから尾根に取り付き、やがて右に巻くように登り、9:32、小倉山(おぐらやま)の北尾根に出た。木立に陽が降り注いで気持ちが良い。3番目のお堂の大江権現堂があった。急角度に左に曲がり、小倉山の北尾根を南へ進む。9:48、靡(なび)が見られ、御札が重なっていた。いまだに修験者が歩いているのだろう。10時前、小倉山の登りにさし掛かる。帰路は登る気がないだろうと登りかけるが、道がクリアーでないので、東側の巻き道に戻った。しかし、この道も落ち葉に覆われているうえに、幅が狭く、やや外傾していて、決して良い道ではなかった。10:12、15分ほどで小倉山の南のコルに出た。小倉山から下ってくる道と合流。諏訪山まで「4008m」(?)とある。登山道は尾根の右側、西側を巻くようになった。このあたりはアップダウンが少なく歩きやすかった。男性登山者とすれ違ったので山頂まで行ったのか尋ねると、「足がガクガクで「八海山」のお堂で戻ってきた」という。後で分かったことは、男性は八海山のお堂で戻って正解だったと思われる。というのは、本格的な登山道はこのお堂を過ぎてから始まっていたからだ。10:28、大岩があって基部に「五武尊十一面観音菩薩」(?)という石標があった。この先、南側の展望が開け、ようやく諏訪山の山頂と思われるものが見えた。稜線の左右端に2つの岩峰をそびえている(あかねさんが撮った写真をアップします)。御坂の鬼ケ岳を一角獣、西上州の鹿岳を般若の角とすると、諏訪山は「節分で鬼は外」と言われて逃げ出す、間の抜けた鬼の角のようだ。10:52、八海山のお堂に着いた。入口の上に「八海山提頭羅吨神王」、脇に「天台宗修験道御嶽山法流」という白い札が打ち付けてある。意味がよくわからない分、ありがた味がある。諏訪山とのことで諏訪神社系かと思ったが、御嶽神社系だろうか。相当古びた道標に「諏訪山2834m」と記されているようだ。なお、「日本山岳会編 日本300名山」の本文ではここが三笠山遥拝所とされているが、同書の地図、エリアマップ、「大人の遠足 日本300名山」の地図ではこの南250mほどの尾根上が三笠山遥拝所と記されている。「西上州の山」では遥拝所の記載がない。しかし、道標もなかったので、どこが遥拝所だったのか、よくわからない。このお堂脇からアルミのハシゴが急降下しており、1275mピークの岩壁の基部を降りる。心配になるほど標高を下げた。尾根道を15分ほど進んで登り返すと、11:13、湯ノ沢の頭(1240m)についた。少し尾根を右に行ってピークを踏む。「諏訪山2826m」の古びた道標。ここから西へ浜平口への道を分けている。当初は、宿のおじさんは車を浜平登山口へ回してくれるといっていたようだが、荒れていて、最近、女性登山者の遭難騒ぎがあったとので、楢原ピストンにするのが無難とのことだった。この先、登山道は主に西側の山腹を巻き、樹木の中で展望はあまりなかった。修験者の歩いた道なので、なるべくアップダウンを避けるようについているのかもしれない。湯ノ沢の頭から1時間ほど進むと、12:17、1365mピークのそばのトタン屋根の避難小屋、弘法小屋(1333m)についた。床はなく、まさに廃屋という感じだった。そばの道標も古びて数字が判読不能だが「諏訪山1078m」か。12:30、急に展望が開けている場所があった。東側の尾根は上武国境稜線で南、右は三国山に至る。三角錐のピークは天丸山か。その左奥に見えるギザギザのピークは両神山だ。埼玉の山が近いなあ。弘法小屋の背後の尾根に取り付くとロープやはしごが出てくる。短いハシゴの下で男女が逡巡しているようだったので先に登させてもらった。男性が「ハシゴがしっかりとまっていない」と言っていたが、この程度でびびるようでは、この先は行かない方が良いのではと思われた。実際、来なかったようだった。しばらく進むと前方にドーム状の大岩峰がそびえていた。まさに修験の山のピークにふさわしいオンオ姿と思われたが、私は何か怪しいと思った。案の定、このピークは諏訪山の手前のピークというか、台形の北端のピークの三笠山だった。御岳座主大権現の石碑のある小岩峰を右から巻くと、三笠山の急登になる。12:56、10分ほで、三笠山(下ヤツウチグラ)の山頂に飛び出した。晩秋の秋空に360度の大展望が広がっていた。のんびりしたい場所なのだが、時間が押している。尾根の先に見えるピークを目指さねばならない。13:10 、三笠山を出発。出がけにあかねさんが、「ここで引き返した方がよいのではないかしら」と言った。私はここまでやり直すなんてまっぴらだったし、今日は最後はヘッデンになってもそれだけのことだと思った。で、先を急ぐことにした。ピークの直下に5mほどの岩壁の下降があった。高度感があって、一般道か?とおもってしまうが、クラックに手掛かりが多いし、ロープもある。見たほどの騒ぎではなく下れた。20分ほど尾根を進むと諏訪山本峰のピークにとりかかった。13:32、諏訪山(上ヤツウチグラ)山頂(1549m)に着いた。木立に覆われて展望はないが、一休みしてのんびり過ごす。追い抜いて行ったペア―が先着していて、先発して戻っていった。13:55、20分ほど休んで、私たちも下山を始める。登って来たルートと少し違ってその右側を下り、祠があった。踏み跡が錯綜しているようだ。三笠山山頂直下の岩場を乗り越す。傾いてきた午後の陽を浴びて紅葉が美しい。青空に紅葉が映える。14:25、紅葉のトンネルを通って再び三笠山(下ヤツウチグラ)山頂に着いた。秋の蒼天の下、存分に展望が開けていた。ほとんど展望のない1日だっただけに喜びが大きい。山岳同定に花を咲かせる。甲武信岳が諏訪山の脇に少し見えるようだ。浅間山には山頂部に雲がかかってしまった。御荷鉾方面、浅間隠、鼻曲山も見えるような。西は長大な上信尾根が北へ稜線を延ばし、その尾根から数条のから支尾根をこちらに伸ばしていた。主尾根の傾いた大きなピークは御座山とおもわれた。その左奥のピークはひときわ高い三角錐の蟻ヶ峰で、その下に御巣鷹山があった。日航機墜落現場になった山だが35年が経過し、現場は木立が茂って同定することはできなかった。一般登山道から現場が望める場所としては、近い方ではないだろうか。なお、宿のおじさんは消防隊員として遺体の搬出などに協力したそうだ。また、日航機の後を2台の米軍ヘリが追尾していたのを見たという。墜落直後の日本政府の発表では日航機が行方不明ということで数時間が経過した。ロンとヤスの間で何かあったのか。謎が明かされる日はあるだろうか。14:50、山頂を後にする。さて下りは速いぞ。黄昏が迫っているので急ぐ。15:23、弘法小屋をぶっとばす。16:07、湯ノ沢の頭を通過。16:21、八海山のお堂で休もうなどと言っていたのは忘れたかの如く通り過ぎる。16:24、林間から山頂部の鬼の角が見えた。見納めをする。小倉山の手前のコルからの巻き道の入り方に少し迷うが道をたどることができ、北側に出て、大江権現堂に至る。スピードが付きすぎていて直進しそうになるが、あかねさんの指摘で右に急角度に曲がって山腹を下る。日暮れと下山の追いかけっこの様相。17:10、ついに下から2つ目の尾根上のお堂でヘッドランプを出して一息入れた。山腹を巻いて沢筋に降り、堰堤を右に行きかけて左に軌道修正。17:30、社務所脇に降りた。あかねさんが希望していた新町行のバスの時刻17:15には間に合わず、下仁田駅を目指す。湯ノ沢トンネルを北上する。長年、町長を務めた方の尽力でこのトンネルが開かれ、下仁田との交流が容易になたっという。ジオパーク下仁田道の駅も闇の中だった。18:40下仁田駅に到着しあかねさんを下ろし、お別れする。さて、我らは車で出発と思ったが、あかねさんの行く末に一抹の不安を覚えたリーダーに促されて切符売り場に行ったら、なんと電車は動いていず、再開の見通しも曖昧のようだった。あかねさんをピックアップした。駅そばの、リーダー御推薦の中華一番はすでにLOが終了しており、隣のコロムビアで定番の豚すき焼き鍋を賞味。美味なうえに1300円とはすばらしいコスパ。関越を下仁田ICで乗って、藤岡で降りて20:40頃、新町駅にあかねさんを送った。今度はしっかりJR電車が動いていることを確認して、関越道に戻った。あかねさんがげゲットした宿の群馬県1000円クーポン券はコロムビアとコンビニで使えず、上里ICが埼玉だったので、残念ながら利用できなかった。諏訪山は決して地味ではない、奥深く、味わい深い山と思った。GPSデータは平面距離11.06km、沿面距離12.38km、最高点の標高1547m、最低点の標高485m、累積上り標高1551m(アーチファクトあり、測定値より100mマイナスした)、 下り1548m(測定値より100mマイナスした)
2020.10.24
コメント(2)

2020年10月18日御坂の東端、高座山(たかざすやま)・杓子山(しゃくしやま)・鹿留山(ししどめやま)は、富士急の駅のそばで、行きやすく、何度か企画したような気がする。かなり以前、1月に高座山に登りかけたが、雪が深くやめたことがあり、山頂まで行く機会がなく、それきりになっていた。今回、まだ行っていない山で、比較的近場で軽めな山ということで、高座山・杓子山・鹿留山を思いついた。結果は意外と充実した山行ということになった。前日まで土砂降りの雨で、日曜日に晴れるという天気予報が信じられなかった。おまけに22時頃の電話で、19時頃に「天候が悪いのでやめませんか」という提案をしてきた伸吉リーダが仕事の都合でドタキャン。参加者は乙女ばかり6名となる。先週の本社ヶ丸の参加者は私を含めて3名だった。当日、朝起きてみると意外や晴れている。意気揚々と出発する。しかし、高尾に着く手前でまた空が薄暗くなったりして怪しく、一抹の不安を感じる。7:24高尾発の電車は河口湖まで直通だ。飛び乗った瞬間、数名の高齢グループに挨拶され反射的に挨拶を返すが・・・?「人違いよ」とか、ひそひそ話している。車内に富さんを見つける。先頭を歩いてくれるよう依頼する。しかしほかの4名は乗っていなかった。大月駅で4名が乗ってきて総勢6名になり安心する。今日の富士急車両はガスパーなどのイラストがなく、つまらない。8:57、下吉田駅で下車。見事な快晴だ!駅前に6人乗りのタクシーが停まっていた。富士急ハイヤー河口湖駅店には6人乗り車が1台(?)あり、6人になったことからコスパを配慮し配車を依頼したのだった。駅からの道路で富士山が見えた。青空を背景に落ち着き払って映えていた。ちょっと笠雲がかかっているようだが。私たちが感動して騒いでいると、運転手は「見慣れた風景です」と、地元民のそっけない声。コンビニに寄って、旧鎌倉往還を走る。高座山から杓子山に至ると思われる稜線が望めた。鳥伊地トンネルを向こう側に抜けてから取って返して峠へ登る。鳥伊地峠の北側はタクシーが通ってこれる道ではないらしい。9:20頃、鳥伊地峠(1029m)に着いた。やはりタクシーここまでで、この先の登山口までは無理とのこと。タクシー代は3440円。準備体操などして9:35、出発。10分ほど林道を歩くと、左に不動湯への道を分けていた。そのすぐ先で林道は終わり、9:50、左の登山道に入る。樹林の中をしばらく進むと右側、10:04、南側がカヤトの原で展望が開け、富士山がドーンと姿を現した(1116m)。GPSをセットしていなかったことに気づいてセットした。写真を撮って、皆の後を追う。前方に高座山が見えた。道端には様々な花が咲いている。しかし、まあ、この登りはまっすぐ直登、ツルペタの泥の斜面だった。虎ロープがあるが、ヒーヒー騒ぐメンバーも。10:40、高座山(1304m)。富士山は見事だが、すこし雲がかかってきた。10分ほど休んで出発。急な下り。大権主(おおざす)峠まで、意外と長い。前方に杓子山が見える。高齢者7,8人のグループを追い越す。「私たちより2世代若いわねえ」、「若い方もいて」などと声をかけられる。2世代というのはちょっと疑問かな・・・。「若い」と言われたのはだあれ?この方々とはこの後お会いせず、不動湯の方へ下ったのかもしれない。そちらに下れば楽なハイキングコースだ。11:50、大権主峠着。近くにハンググライダーの離陸場があるらしい。不動湯へ下る道を左に分ける。この先、杓子山までは急な登りだが意外と早かった。山中湖が樹間からよく見える。12:40、杓子山着(1598m)。山梨百名山で、有名な「天空の鐘」という鐘があある。南側に雲が出て来て、富士山にもかなり雲がかかってしまった。「富士山が見えなくなってしまうのでは」と心配する声があったので、私は、「今日はずっと見えている」と断定する。はったりというよりか、見えていてほしい一心だったのだ。手前の三ッ峠はもちろん、御坂の山並みが一望され、節刀ヶ岳と思われる山が東へ長い平坦な尾根を伸ばしていた。御坂山塊の後方、左、南にかけて南アルプスも見えている。25分休憩してランチにする。さて、ここから東へ、鹿留山への縦走路をたどる。杓子山ピストンをする登山者が多いのか、この縦走をする者はあまりいないようで、意外とマイナーなルートなのかもしれない。富士山が先ほどより雲が少なくなってよく見えてきた。いくつか目のピークの子の神で右に下っていく登山道があったが、道標を見落としたので、その時は下山道かどうかわからなかった。13:53、鹿留山山頂(1632m)の道標が出てきたとき、いささか唐突な感じがあった。山頂は樹林の中で展望はない。三等三角点がある。本日の最高峰なのだがいささか地味。東は地図上はルートがなく、見に行った。紅葉が美しいブナ林だが、急な下りになっているようだった。「鹿留」は鹿も下らないという意味かもしれない。いささか大袈裟だが。和子さんがぶなの大木に抱きついていた。大木からパワーをもらうということで、和子さんはしばしばやっている。さて、西へUターンする。ピークを登り返して、子の神のピークで左へ分岐する道を立ノ塚(たちんづか)峠へと南へ下る。紅葉がきれい。左手に大きくドーム状の御正体山が見えていた。18年前に御正体山から右に山伏峠に降りるコルまで下って、さらに石割山まで歩いた。コルから石割山への道はあまり歩かれていないようだが、シャクナゲが多く、シーズンに歩くと素晴らしいだろうと思った。結構急な岩交じりの尾根道で、ロープのある所もある。スピードは大幅ダウンする。しかし、まあ、先日の雪頭ヶ岳から根場に下る下山路の上部よりはやさしい。男性が一人追い越していった。紅葉、その間から山中湖と御正体山、岩壁、そしてクマの糞・・・。200mほど下った1432mのピークで一段落してほっとした。穏やかな樹林の中の道となる。15:38、立ノ塚峠(1233m)で最後の休みを取る。「熊出没注意」の看板。傾いた石仏・・・。トリカブト。標識は、北が鹿留山、杓子山、南が二十曲峠、西が内野。パンを食べて腹ごしらえをしている人も。10分ほど休んで、出発。ここからは良い道。ほどなく林道に出て、出発して30分しないうちに幅広の車道となった。両側の背の高い杉林の間に開いた空間を富士山が埋めていた。距離はあっても舗装道路を下っていくのは楽だった。杉林を抜けると残照がすすきを金色に染め、富士山がさえぎられることのないままに両裾を伸ばしていた。頭上には晩秋の高い空にすだれ状の白い雲が弧を描いている(扉写真)。西の空に沈もうとする夕陽の光線は照らし出す光景を刻々を変え、眺めて歩いていると飽きることがなかった。私たちから見ると尋常ならざる光景なのだが、ここに住んでいる人々にとっては普通の光景なのだろうか。古い墓などのある集落を縫って内野バス停を目指す。16:45頃、バス停(940m)に着いた。17時過ぎに🚌便があるはずだったがないので、左に角を曲がった方のバス停に行くと、🚌便があったので、こちらに並んだ。先ほど追い越していった男性がいた。待っている間に急速に暗くなった。向かいのスーパーでアイス最中を買って一かけらずつ分けた。バスはほぼ予定通りに来た。忍野八海のそばを通ったが真っ暗で営業はとっくに終了していた様子。ソフトクリームはまたの機会。バスは意外とかかり、18:40頃に富士山駅に着いた。すぐ急行があるようだが、皆のチョイスは地下で吉田うどんを食べてから普通電車で帰ることだった。ビールやワインで打ち上げる者も多かった。18:26の電車で帰路についた。これは9月22日に節刀ヶ岳からの帰路に乗った便だった。GPSデータは、GPSを入れるまでの距離を800m、登り標高差を87mで換算すると、平面距離10.6km、沿面距離11.0km、累積登り標高981m、下り標高1076m、出発点鳥伊地峠1029m、高座山1304m、杓子山1598m、鹿留山1632m(最高点)、立ノ塚峠1233m、内野940m(最低点)だった。
2020.10.18
コメント(0)

2020年10月11日9:00天下茶屋発(1497m)→9:24御坂峠→9:49 4ノ岳→10:00 5ノ岳→10:13 6ノ岳→10:16 八丁峠→10:22 7ヶ岳→10:46 女坂峠分岐→11:20~40 清八山(1593m)→11:46 清八峠→12:25~57 本社ヶ丸(1631m)→13:47~14:00 鉄塔(ふれあいの里分岐)→14:25 角研山(つのとぎやま、1375m)→14:54 宝越え→15:45~55 鶴ヶ鳥屋山(つるがとやさん、1374m)→17:40 丸田沢→18:00国道→(タクシー)→18:20 大月駅中央線南側沿線の山として鶴ケ鳥屋山(つるがとやさん)にまだ行ったことがなかった。今回、天下茶屋から本社ヶ丸と鶴ヶ鳥屋山へ縦走することにした。距離は少し長いが、まあ、なんとかなるだろう。台風14号があっさり東へ抜けてくれれば台風一過の快晴も期待できたかもしれないが、もたもたした上に南海上へU字を描いたりしてくれたおかげで天気予報も迷走した感があった。午前は雨が残るかもしれないと読み込んだ上で、予定通り実施することにした。大月駅に8:21着。前の電車で2名が到着していて、8名が集合した。男性はリーダー伸吉氏のみで、7名が女性。美女ぞろいでリーダーは果報者じゃ(?)。タクシー2台に分乗して天下茶屋に行く。コロナの影響か、バス運行はなかった。約30分で着き、タクシー代は1台5010円だった。今日はなんせ女性が7名でにぎやか。天下茶屋に着くと、さっそく、「あっちのタクシーの方が重かったのにタクシー代は同じね」などと声高に口うるさい。天下茶屋は営業中とのことだが、時間的にまだ開店していなかった。富士山は予想通り雲の中。看板の富士山で我慢しよう。9:00、登山道に入る(1497m)とすぐ太宰治の有名な「富士山には月見草が似合ふ」という文学碑がある。文字がかなり薄くなっている。女性陣がここでも、「月見草なんて似合わないわよねえ」と、かしがましい。「ホウトウが似合う」と言う声もあり、山ボケ猫も「ソフトクリームが似合う」と。太宰治も地下で閉口したことだろう。ああだこうだと言いながら出発すると、後にやや高齢な8人くらいのグループが上がってきた。彼らは御坂峠から左へ、西の御坂山の方へ向かった。普通はあっちに行くわな。9:24、我らは御坂峠から右折、東へ向かう。雨上がりの木立はしっとりと美しい。どんぐりの実やキノコも多い。雲の切れ間から河口湖か。山なれた地元の方のような男性が下ってきて、この辺でよくニホンカモシカがみられるとのことだったが、私たちは遭遇できなかった。小さなピークが続く。9:49に「4ノ岳」と書かれた標識が幹に打ってあった。数字をピーク名にするのは、西湖の北の十二ケ岳の真似か、個人の趣味か。10:00、「5ノ岳」で地図読みをする。10:13、「6ノ岳」。「八丁山」で「八ヶ山になるのでは」などと推測する。しかし、10:16、八丁峠に着いてしまった。鉄塔があり、地図読みをする。清八林道に降りる見廻り道があった。10:22、7ヶ岳、10:30で八ッヶ岳になった。どちらかが八丁山だったのかもしれない。黄色い毛虫さんが枯枝を乗り越えていた。こんなのが、昔、赤坂の某有名ラーメン店のラーメンの汁の底に沈んでいたことがあった。シイタケのスライスかと、しげしげと観察してしまった。いろんなラーメンを食べてきたものだ。10:46、左に女坂峠分岐。女坂峠へは藪が繁茂する悪路のようだが、以前、尾根フェチと呼ばれる姉さんと歩いた大沢山が女坂峠の先にある。御坂にはトリカブトが多いような気がする。白いキノコは例の超やばいやつか。メタリックパープルに輝くコガネムシのうつくしいこと。11:20、清八山(1593m)へ着く。ここで約20分休んでランチにする。男性がいて、写真を撮ってもらった(扉写真)。霧が立ち込めて、紅葉がにじみ、良い雰囲気。私は出発時にザックの表が濡れていたので変だと思ったら、車内で食べようとむき出しで放り込んであったバナナがつぶれていた。あわてて飲み下してしまう。11:46、清八峠で笹子からの道を合わせる。4名のトレランナーとすれ違う。本社ケ丸まで岩が多いという。今日の登山で会ったのはこの4名が最後で、合計6名だった。天気予報が悪かったので、人気の本社ヶ丸にも人がいなかったのだろう。やっぱ、岩場が出てくるが、まっ、お楽しみ程度。いくつか岩場を越える。霧に濡れた岩とブナの葉が美しい。20年近く前に笹子から登った時にも、ここ通ったと思うが記憶にない。あれはとてつもなく天気の良い5月のことだった。印象が違って当然だろう。12:25、本社ヶ丸(1631m)に着いた。次第に青空がのぞくようになった。しかし、秀麗富獄12景に数えられる山頂から南側の富士山は見えない。前回は山頂で料理好きな松本さんが天ぷらを揚げてくれて、おいしかった。でもこんなに狭かったかなあ。一休みして、12:57、稜線を鶴ヶ鳥屋山を目指す。10分ほどで、尾根を下り始める。あかねさんが「からかさ岩」に下る道と気が付き、正気に戻ってルートに戻った。天気が良くなると、気が緩むかな。樹間から前方の稜線にいくつかのピークが連なり、最後に鶴ヶ鳥屋山と思われるピークが見えた。鶴ヶ鳥屋山は1374mと、本社ヶ丸より300m低いので、あまり威圧感はなかった。13:47、鉄塔があり、西群馬幹線222号送電鉄塔とのことで、群馬の方まで続いているのかしら。ここから右側、南側へ「宝の山ふれあいの里」へ下る道を分ける。頭上に青空が広がり、中央線の走る谷を挟んで対側の北側の雲も取れてきた。でも雲が上がりきらず、全容把握ができない。立派な山が見えたので滝子山かと思ってしまうが、リーダー判定では滝子山はもっと東だろうとのことだった。白茶けた斜面を見せれている高いピークは大谷ヶ丸と思うが。14:25、角研山(つのとぎやま、1375m)で左に笹子に降りる道を分ける。前回はここを下ったと思う。14:47、ルートを右に少しそれたので戻った場所があった。15:52、索道跡のような廃棄物があった。宝鉱山の痕跡だろうか。14:54、宝越えでさらに左に下山路を分ける。ブナの林の中のアップダウンがいやらしいほど続く。今度は色鮮やかに青い毛虫さん。なかなかアップダウンの繰り返しは終わらず、鶴ヶ鳥屋山は本社ヶ丸ほど一般的ではない理由がよくわかるような感じだった。本社ヶ丸よりグレードが高いと思う。15:45、鶴ヶ鳥屋山(つるがとやさん、1374m)にやっと着いた。木立の中で展望はなく、本社ヶ丸より山深い感じがする。セルフタイマーで撮るためのカメラのセッティングに苦労する。自分の写真は合成して後で入れようと、そのスペースを空けて撮ったが(どこかわかりますね)、山ボケ猫の写った写真は撮れていなかった。残念でした。時間がおしていて夕やみが迫る。また霧が出てきた。タクシー会社に電話して、近ヶ板橋(712号)に17:40に迎えに来てもらうことにした(後で時間を18時に変更した)。出発してしばらくすると、16時過ぎ、標高1170mあたりで、幅広い急な尾根に踏み跡が錯綜していて、メインな道がはっきりしない。これは間違えて下ったときのパターンと思い、先行していた下の方のメンバ―の名前を呼んだ。返事はあった。さよりさんがGPSで間違えた尾根を下り始めていたことを確認した。下に声をかけ、20mほど登り返し、正常なルートにもどりなおした。後でリーダーによると、Webの報告でもここでログが下っていたそうで、間違えやすい場所なのだろう。16:55、林道に降りる。林道を斜めに右へ横切って、山道を道標に従って下る。北東へ下る破線の道との分岐はわからなかったが、南東へ下る尾根に入った。977m地点も通り過ぎ、杉林に入るころに暗くなり、ヘッデンを付けた。17:40、丸田沢を渡渉するときは真っ暗だった。幸い沢は浅く、これを渡ると、道標があって林道が左へ、丸田沢沿いに下っていた。タクシーは入ってこないレベルの道。18:00、大幡初狩線道路(712号線)(563m)に出た。暗闇の世界から幹線道路に出ると、行きかう車が多く、車のライトがまぶしかった。タクシーが2台近寄ってきた。当初は初狩までの予定だったが、大月までに変更してもらった。18:20頃、大月駅に着。タクシー代は5550円。タクシーが使えて楽だったし、暗い712号線を歩くとしたら危険だっただろう。タクシーに限るなあと。大月駅で2名が直帰し、6名で「うづき」という、グルメのリーダーがWeb でチェックした駅そばのお店に行って打ち上げた。サラダ、海老ダンゴ揚げ、チョリソー、鳥唐揚げ、ラーメンなど(日頃の生活レベルがうかがえるかな)、美味で安い。また行きたい。20:17大月発の電車で帰宅の途についたのだった。歩行平面距離は11.3 km、累積登り標高は1063m、下りは1900mほどだった。距離は大したことがなかったが、時間がかかり、しっかり歩いた感じがするのはアップダウンが多かったせいかもしれない。、
2020.10.12
コメント(5)

2020年9月22日8月1日に御坂の王岳から鬼ケ岳を周回した折に鬼ヶ岳の山頂から節刀ケ岳(せっちょうがたけ)がまじかに見えた。こちらに悠然と稜線を伸ばしている姿をみて、登りたいと思った。大石峠は昨年秋、天下茶屋から来て、南の大石に下っているので、今回は北のすずらんの里入り口から登ることにした。9月の4連休は昨年も天候が悪かった。今年も前半はパッとしなかったが、最終日は晴れそうだ。前日の声かけになったが、御坂に行かないかと山ボケ塾塾生に声をかけると2名が行けるとのことで、3名で行くことにした。大月から乗った富士急電車は、車体にガスパーとリサが描かれ、目を楽しませてくれた。かわいいイラストは人の心を和ませる。おまけに富士山がよく見える場所で徐行運転してくれた。くっきり浮かぶ富士山の写真を撮る。サービス精神を感じる。8:21、河口湖駅着。8:30、タクシーですずらんの里入り口へ向かう。途中、河口湖畔の、富士山の展望の良い所に停めてもらって、富士山の展望を楽しんだ。大石峠入口は若彦トンネルを抜けてすぐだったが、運転手は大石峠入口を知らず、通り過ぎてしまったので戻ってもらった。8:57、下車。寂れたところかと思っていたが、意外と車の往来の多い国道だった。9:00、出発(970m)。しばらくは林道を行く。荒れた林道で、一時はタクシーに行ける所まで入ってもらおうと思っていたが、頼まなくてよかったし、頼んでも断られただろう。路面にどんぐりがイガをつけたまま沢山落ちていた。動物の良い餌になるだろう。1000mで大石川を左に渡り、すぐ右に急角度に曲がる。9:30、軽ワゴンが1台停まっており、作業用と思われた。他に登山者はいず、あまり歩かれていない雰囲気がした。9:45、大石峠の道標があり、その先、10:05、水場分岐で一休み。登山道らしくなる。1200m位から真面目な登りになる。山腹を巻くように標高をあげていくと、エミコさんが足底がつったという。一息入れると、すぐなおったようだった。まもなく前方が明るくなって、10:50、突然、前方が開け、富士山が真正面に見えた。大石峠だ。視界いっぱいに両裾を広げていたが、少しもやがかかっているようだった。右に十二ヶ岳のピークの連なりがデコボコと見えた。気持ちの良い草原で休憩する。バナナとユベシなど、少し食べ過ぎた。笠をかぶった女性の二人連れが南から登ってきて、先行して行った。10分ほど休んで、私たちも右手、節刀ヶ岳へ尾根をたどり始める。金堀山の登りは少し急だった。ふと、生あくびが出て、冷や汗をかくような感じがした。左足は太腿が、右足は下腿がつるような感じもした。1年半前に経験した機能性低血糖の症状に似ているように思えた。甘いクルミユベシのせいか。経験的に早めに休むに限ると、金堀山の山頂と思われた(実際はその前のピークか?)ので一息入れた。しかし、歩き始めると、あらっ、右足がつってしまった。ゴムベルトを出して左太ももと右下腿を巻いた。ベルトが効いたのか、その後は足はつらずに、歩けた。しかし、若干時間を食ってしまった。塾生は、尾瀬に行って10日しかたっていないので、「大きい山をやった後だから体が楽ねえ」などと話していて、私の荷物を少し持ってくれた。塾長が情けない・・・。この日はエミコさんは絶好調のようだった。男女のペアーが追い抜いて行った。カイフウロのほか、今回もキノコが多かった。大石峠から節刀ヶ岳へは金堀山を含めて4つのピークがあり、アップダウンが多かった。やっと節刀ヶ岳の東に長く伸びた尾根に取り付く。節刀ケ岳は遠目にもこの尾根が長く平らに伸びて見え、特徴的だ。12:15、東の展望があり、三つ峠、河口湖などが望めた。12:50、100mほど標高をあげた1710mあたりで、金山との間の尾根に突き上げる。そこから右へ戻るように岩場交じりの道を登ると山頂のようなところに出た。ここが山頂かと一時は思ったが、岩の後にまだ道があって、20m位進むと山頂の標識があった。手前で戻らずによかったと胸をなでおろした。13:00、ここが山頂だったのだ(1736m)。やはり、山頂はこうでなくては(扉写真)。途中で追い抜いて行ったペアーが休んでいた。富士山は霞んできていたが、河口湖はもちろん、山中湖まで見えた。男性に写真を頼むと、「僕は入らなくてよいですか?」と笑いを取った。地元の方だそうで、私たちが東京からと聞くと、それだけでセレブ扱いした。彼らは金山と鬼ケ岳の間の鞍部から大石ペンション村へ下るそうだ。大石へ下る道は迷うことはなく、下口に立派な標識もあるといってスマホの写真を見せてくれた。私は2年前に十二ヶ岳から登って鬼ヶ岳へ向かった折にその標識を見た覚えがあった。やや時間が押しているのと、遠くで雷が鳴って、空模様が怪しい感じになってきていたので、早めに降りた方がよいかとも思えた。十二ケ岳から下っても早いが、十二ケ岳の手前にある崖が塾生には心配だった。大石ペンション村へ下山してもよいかと思った。ミナコさんが鬼ケ岳の角を見たかったと残念そうだった。塾生に余力はありそうだ。ペアーはそこから下ると言って、先に降りて行った。13:20、私たちも出発する。東からの登山道が尾根に合流するところで女性の二人連れとすれ違う。御坂にはトリカブトが多いようだ。トリカブトは株ごとに紫の濃さが異なる。金山(1686m)までは緩やかな下りで、すぐだった。金山で十二ケ岳から来たと思われる男性が一人いて、今日、遭遇した登山者は7名だった。さて、最低点(1625m)で大石へ下る道が左にあるはずだったが、山頂で地元の男性から見せてもらった立派な道標がみつからない。あの写真を見ていなければ、この道かと思われる登山道があることはあったが、確証はなかった。もう少し上に登るとあるのかと鬼ケ岳へ少し登るが、それらしい道はもうなかった。戻るのも面倒くさくなって鬼ケ岳に標高差約100mを登ることにする。最後はちょっとした岩場が数か所にあり、ロープなどもあるがたいしたことはない。塾生がすこしびびっているようだったが。修行が足らん。14:30、50日ぶりの鬼ケ岳山頂(1738m)。節刀ヶ岳を振り返っては満足感に浸り、前方に王岳をながめては満足感に浸る。足元に西湖沿いの大石あたりがみえる。鬼の角で写真撮影などして15分ほどで根場への下山を開始する。梯子を下って、15:00、雪頭ヶ岳(1715m)へ至る。雪頭ケ岳は富士山をはじめとする展望が良いことで有名。しかし、私は3度目だがここから富士山が見えたことがない。その先は、塾生は急な下りをまだ怖がるのか、ゆっくりペースになる。私は3回目の道だが、塾生の目で改めて眺めると、こんなに難渋する道だったのかと、あらためて思った。大石峠から節刀ケ岳まできてからピストンして戻るという報告もあったが、車デポの都合と、この下りを降りたくないということも理由にあるのかもしれない。16:00、ブナの林で10分休む。私は「最後の1時間は事故が多いので注意して」といった。ここでカメラのバッテリー切れで以降、写真はない。しばらくたつと問題の少ない、ゆるい登山道になった。16:50、と、一番後ろを歩いていたミナコさんが滑って足首をくじいてしまった。テーピングする。歩けそうなので、ゆっくり下って行った。林道に出る寸前、登山道の右側に50日前にあった鹿(らしい)の骨格標本のような白い骨があったが、今回はかなり骨がばらけ、肋骨12対の整合性は失われていた。頭蓋骨は行方不明で、骨盤は登山道の左に転がっていた。野生動物が食い散らかすのだろうか。17:20、林道に出たので、タクシー会社に電話した。17:45、根場でバス道路(906m)に出た。トイレに入っていると民宿の方へ行ってしまったタクシーが戻ってきた。道路はすいていて、河口湖駅発18:16の電車に乗ることができた。余談ながら私は大石峠から節刀ケ岳を越えて金山まで歩いたので、御坂の主稜線が天下茶屋から王岳までつながったのだった。歩行距離9.3km、累積登り1215m、下り1279mでした。
2020.09.22
コメント(0)

2020年9月12日6:50 山の鼻出発→7:43 牛首→8:20 竜宮→9:15 見晴→11:15~35沼尻→12:45~13:10 三平下→13:30三平峠→14:33一の瀬=(シャトルバス)=大清水=15:50(路線バス)=戸倉=(マイカー)=沼田駅経由帰京起床時には本降りの雨だった。こりゃあ駄目だわ、鳩待峠へ戻るか・・・とベッドの中で考える。6:00、朝食。今日は対面で食事。テーブルがやや広くとってあり、距離感がある。朝食はていねいに料理された感じで美味。出発するころには雨がすっかり上がっていたのでラッキー。予定通り尾瀬ヶ原を横断して、尾瀬沼経由一ノ瀬へ下るのだ。6:50、至仏山荘出発(1400m)。まずは出発時に山荘前で使用前のメンバーの写真。至仏山荘の隣は山の鼻山荘、端は尾瀬ロッジ。国民宿舎尾瀬ロッジは今季の営業をしていない。旅行社のツアーはほとんど催行されていないようで、個人客ばかりで静か。というか、この時期は花は終わり、紅葉には早く、中途半端で人が少ないのかもしれない。今回、金・土曜にしたのは、混雑を避けるためだったが、その必要はなかったのかも。ミズバショウの季節でもないことを残念がるので、「八甲田に行けばゲロがでるほどミズバショウが見える」と言って、メンバーの興趣をそぎ、ひんしゅくを買う。山ボケ猫は、「屁でもない」などといって物議をかもしたこともある。至仏山はほぼ山頂に少し雲がかかっている。朝の雨上がりの尾瀬ヶ原湿原の空気を肺の底まで満たして、木道を歩いていく。私は尾瀬ヶ原をこのようにまっとうに横断するのは初めてかもしれない。広い。頭の上は空だけ。1400mの高所にこんな広くて平らな湿原があろうことか。この広さをどう表現していいのだろう。カナダのワプタ氷原を山スキーで横断したときを思いだす。こんな開けたところにも熊鈴があった。木道をのしのし歩くクマの姿を想像する。草が黄を帯び、秋を思わせる。黄色い葉の浮かぶ大小の池塘に、周辺の山、木立が映っている。草は浮島だろうか。上ノ大堀川を渡ると上田代から中田代になる。7:43 牛首分岐。山の鼻と竜宮まで、それぞれ2.2kmで、中間点。ここで左にヨッピ吊橋への道を左へ分ける。ヨッピ吊橋は旅行社のツアーの定番らしいが、私は見たことがないような気がする。つがいのカモが池塘で泳いでいた。池塘に青い空も映っていて、色のグラディーションが絵のようだ(扉写真)。ゆっくり写真を撮りたいような場所。8時過、遠くにダケカンバが白い幹を際立たせて立ち並んでいた。いわゆる尾瀬の貴婦人とも言われている木立か。8:05、下の大堀川。ミズバショウの原生地とある。8:18、竜宮現象出口(湧出点)。濁った水路のようだ。825、竜宮十字路。8:30、竜宮小屋(1401m)は今季はコロナ禍で休業。沼尻川にかかる橋を渡ると群馬県から福島県、つまり、関東地方から東北地方に入る。ここから下田代になる。正面に見晴の小屋群が近くなってくる。燧ケ岳は厚い雲の下だ。ちなみに同じ尾瀬の山だが燧ケ岳は東北の山、至仏山は関東の山として扱われている。9:10、見晴(1415m)でトイレ休憩。ここから段小屋坂を行く。白砂峠まで260m登りになる。段小屋坂はいわゆる観光ツアーに含まれない地味なルートで、尾瀬ヶ原と打って変わった奥深い森の中の道。すぐ、左に燧ケ岳への見晴新道を分ける。ゆるやかに登ってから、沼尻川沿いに燧ケ岳の南裾をトラバースするような道になる。イヨドマリ沢とダンゴヤ沢を渡る。樹林は落葉樹から針葉樹に変わっている。日本庭園のような苔むした石だらけの登りもある。7,80m登ったが、なかなか白砂峠につかないので休むことにした。10:20、白砂峠の手前の大木の下で休憩。以前、母と友人一家の6人で見晴新道から燧ケ岳に登って、この道を見晴まで戻ったが、ほとんど記憶にない。母が「もう歩けない」と突然言ったのでいささかあわてたが、その後も特にばてた様子なく歩いてくれて、無事、全員で見晴の小屋に戻れた。母は人を驚かせるところがあった。このあたりだったのだろうか。ここから20分ほどで白砂峠(1678m)だったが、その寸前で白いほわほわしたお尻が見えた。シカだ!悠然と草をはみ、我らニンゲンを気にするそぶりがなかった。落ち着き払った態度に圧倒される思いで、「失礼します」という感じでお尻の脇を通過させていただきました。シカのすぐ脇に、10:50、白砂峠の道標があった。樹林の中で展望はなく、存在感のない地味な場所。こちたから来たご夫婦の登山者に、私が「白砂峠はまだですか」と尋ねた時に、「えっ、何?そんな場所、知らない」みたいな感じだった理由がわかる。このいささか地味な道標を見落としたのだろう。11:00、濡れたゴロゴロした石だらけの道を下ると、白砂湿原についた。小ぶりだが、静謐でええ感じ。まだこんな素敵な場所があったことがうれしかった。11:15 沼尻(1660m)についた。前面に平らな湖面が広がっている。尾瀬沼だ。休憩所のトイレはコロナ禍で封鎖されている。尾瀬沼を眺めながら20分ほど休んでランチした。燧ケ岳は相変わらず2,3合目から上は厚い雲の中だった。沼尻の写真が1枚しか撮っていなかった(?)。尾瀬沼の南岸道をたどる。河を渡って群馬県に戻る。沼から少し離れて、小沼湿原を渡り少し登ると尾瀬沼が見えるようになる。意外と小さなアップダウがある。尾瀬沼湖畔に出ると、沼に葦が生えている。風情があるが、次第に空が暗くなっているようで、沼の光景もわびしく映る。12:20、富士見峠への分岐。「皿伏山への道は倒木が多く迷いやすいので熟達者以外は行かないように」という注意書きがあった。沼尻からの時間はほぼエリアマップ通り。尾瀬沼とは最初は離れたが、その後、あまり離れず、しばらく湖畔べりの登山道だった。12:45、尾瀬沼ロッジ(三平下)についた。一息入れる。ここのトイレは使えた。小雨が降ってきたがすぐやんだ。あかねさんが15:10の大清水発の高速バスに乗るのでお別れして、先に降りてもらった。小屋の周囲に登山者が散見され、人里に近づいたように感じた。見晴からは登山者が少ないルートだったと言える。尾瀬沼湖畔に降りて、しばし、重い雲の中の燧ケ岳と尾瀬沼の景色を眺めた。13:10 三平下出発。20分ほど、針葉樹林の暗い林を一登りして13:30、三平峠(1744m)についた。樹林の中で展望はない。ここから木道や石畳の道を下る。前方が開けて展望の良い所もあるようだが、遠望はなかった。ブナ林の中をひた下る。14:13、岩清水に着いた。湧水でのどを潤して休憩。右側にきれいな沢が現れて、14:30、林道にでた。14:33、三平橋を渡り、一ノ瀬(1400m)についた。尾瀬ヶ原とほぼ同じ標高。大清水までシャトルバスが30分おきに出ていた!14:30の便が行ってしまったばかりなので、ブラブラ下り始めるとバスが上がってきた。すっかり気分が変わってしまい、乗せてくれるかと尋ねるとOKだったので、乗り込んで、そのまま一ノ瀬にUターンした。15:00、シャトルバス出発。10分弱で大清水についた。700円。15:10発の高速バスがまだ止まっていた。塾生が駆けだして、あかねさんを呼んだ。あかねさんがバスから転がり下りてきて、塾生にバスで帰らないか誘った。残念ながら誰も乗らなかったが、皆で盛大に見送った。私たちの乗る路線バスは15:50だったので、バス停前の売店で時間つぶしをした。横浜のKさんが、宿代が安く済んだとのことで、東京在住の3人にコーヒーをご馳走してくれた。尾瀬の立体模型があったので、今回たどったコースや、以前歩いた尾瀬沼→奥鬼怒→大清水の大分水嶺のコースや、GWに山スキーで往復した平ケ岳のコースなどをなぞった。15:50の路線バスで戸倉まで行った。640円だった。皆をバス停で待たせて、私だけ駐車場に車を取りに行った。ついでに着替えたりしていると、Kさんが遅いと心配してやってきた。16時半過ぎ、戸倉バス停出発。途中、道の駅と野菜などを売っているお店で買い物をした。Kさんは沼田から高崎に出て湘南ライナーで横浜へ帰るとのことで沼田駅に送った。最後は手に汗を握りながら18時数分前についたが、18:01の電車に乗れたとのことだった。マイカー組3名は赤城高原SAのイタリアンでサラダ、ピザ、パスタの夕餉をとった。この夏はコロナで外食もままならなかったので、レジャー気分になれたと皆で喜んだ。渋滞はたいしたことなく、21時半には西武線小川駅に塾生2名を下ろして、山ボケ猫は22時前に帰着したのだった。2日間で30kmほど歩いた。Kさんは自分の新記録と喜んだ。2日目の地図を示します。1から6のポイントの地名を当てて下さい。1日目より少し難しいかも。(答)1山の鼻、2見晴、3白砂峠、4沼尻、5三平峠、6一ノ瀬
2020.09.12
コメント(5)

2020年9月11日9:30鳩待峠発→10:50原見岩→11:15オヤマ沢田代→12:15小至仏山→13:20至仏山→16:40鳩待峠→18:00山ノ鼻天気予報は当初は全く希望が持てず、普通の人ならキャンセルする状況だった。天気図も北に前線と低気圧があり、絶望的だったが、なぜか木曜のヤマテンでは、土曜に尾瀬がお勧めのエリアになっていた。至仏山荘をキャンセルするのも気が重かった。ということで、予定通り尾瀬に行くことにした。メンバーは山ボケ猫、あかねさん、多摩支部登山教室6期修了生(というか、山ボケ塾の塾生)3名の5名、つまり、女子会というか、乙女5人となった。私は30年前に母と、小学生二人を含む友人の家族の6人連れで、鳩待峠からアヤメ平に登り、見晴で一泊、翌日、燧ケ岳に登って尾瀬沼経由で見晴に戻り、3日目は裏燧を歩いて御池に行き、船などを乗り継いで浦佐へ帰った。それ以後の尾瀬は山スキーと沢登り、大分水嶺歩きで、あまり一般登山道を歩いていない。今回、久しぶりの一般登山道歩きになる。朝5:50、我が家のそばの私鉄駅に集合して、マイカーのルークスで予定通り出発する。軽なのだが、ターボでパワーはある。大泉ICから関越に乗り、快調に飛ばして赤城高原で一服、沼田からの一般道38㎞も渋滞なく、8:30に戸倉に着いた。すぐ乗り合いタクシー(1000円)に乗れて、鳩待峠へ向かった。私は車内でバナナや野菜ジュースを摂る。登山靴に履き替えるのを忘れて、運転用の靴のままだったことに気が付いたが、まあ、たいしたことではない。9:05、鳩待峠バス停着。鳩待峠は少し登った所にあった。夜行バスで着いていたあかねさんと合流。あかねさんは私たちが予想より早く着いたのであせっていた。鳩待山荘に着替えなどの荷物の一部を預けた。1つの袋に詰め込めなかったが、小屋の女性は1個分の200円しかとらなかった。100人以上の中学生の集団が到着してぎょっとしたが、至仏山には来なかった。天気予報とは裏腹な良い天気で、頭上に青空がのぞいていた。至仏山も山容が見える。9:30、出発(1591m)。至仏山への入り口は山の鼻へ下る登山道の左脇にあった。登山届のボックスに届を入れる。樹林の中のプロムナード風な登山道を歩く。10:20、木立の下で一休み。あかねさんから早いといわれる。気がせいているかな。やがて木道の階段を登るようになる。トリカブトが多い。樹林を抜けると頭上に青空が広がり、木立の間から燧ケ岳が見える。さらに上ると、10:50、トカゲ岩(原見岩)という平らな大岩があり、尾瀬沼が見渡せた。多くの池塘が白く光っていた。そのむこうに青い燧ケ岳が存在感を示している。そこで三脚をつけたカメラで動画を撮っている方がいた。1分ごとに雲の動きを撮影しているそうだ。我らも使用前の元気な姿を撮ってもらう。前方に左に小至仏、右に至仏山が見える。樹林の中の木道を行く。オヤマ沢(1980m)で二本目をとる。水場だが、湧き水ではなく、飲用には適していないと表示があった。1140、オヤマ沢田代は空が大きく、広々とした、気持ちの湿原だった。そのすぐ先に、11:45、笠ヶ岳へ行く分岐があった。笠ヶ岳も行きたい山。それを過ぎると右手に尾瀬ヶ原と燧ケ岳が見え、11:55、岩場が登場した。ここから岩場が多くなる。蛇紋岩のすべりやすい岩で、緊張したり、苦労したりするメンバーもいる。まっ、修行というか経験が足らんのですよ。蛇紋岩は磨くと濃緑でつやつやした光沢がある美しい石になる。このころから時折雲に展望が隠されるようになった。12:20 、小至仏山(2162m)についた。ここから下る。そしてまた登る。そろそろ山頂かと思うが、向こうに出たら、また下りで、ガスの中に岩の壁がみえた時は正直、ぎょっとする。しかし、この壁をクライミングするわけではなく、右に普通の登山道があって、これを登る。13:20、やっと至仏山(2228m)についた。南東、雲の下に少し展望がある。私にとっては三度目の至仏山山頂。最初の時は山の鼻に下った。今回も直接下れたら楽なのだが、山の鼻ルートは植生保護のために下山路に使うことは禁止されている。ランチをとって、30分ほどで下山開始。疲れた様子の塾生の荷物の一部を小分けして持った。で、来た道を鳩待峠まで戻ることになる。小至仏山の登りが意外とある感じがした。15:18、笠ケ岳分岐を通過。15:25、オヤマ沢田代の木道で塾生が足首を軽くねん挫したようだったので、テーピングした。ふつうに歩けるようだった。15:33、オヤマ沢(1980m)。樹間から小至山から山頂へ至る稜線が望めた。15:53、原見岩(トカゲ岩)。トカゲの背を思わせる感じもある。こんなに下だったのか。行きではまだ元気だったわけだ。やはり展望が良い所。南東に見えるとがった山は燕巣山だろうか。樹林帯になってから雨が降ってきた。しかし頭上に青空が見えるし、ここからはプロムナード風な道なので、ザックカバーして、ストックを一本にして、傘で歩いた。16:25、鳩待峠まで1kmの標識。16:40、鳩待峠についた。鳩待山荘で預けた荷持つを受け取って、小屋の方に、「ここに泊まりたいのですが至仏山荘に予約を入れてあるので」と言って、電話ができるかと尋ねると、小屋の方が電話をしてくださった。鳩山荘のスタッフは親切で、とても感じが良い。17:00、鳩待峠を出発し、山の鼻に向かう。意外と深い森の中の約200mの下りで、黄昏が迫ってくる。途中すれ違ったおじさんからクマの目撃情報を聞かされる。ビジターセンターそばには親子の熊がふつうい住みついているとか。しっかり熊の鈴を鳴らしながら歩く。樹上にもクマがいるそうだ。熊ベルも数か所で設置されていた。今日の日没時間は17:40。暗くなるとクマも出てくるのではと思い、ピッチを上げて速足にしたが、皆ついてきた。クマ効果か。18:00、山の鼻の至仏山荘着。2食付きで8000円。隣の山の鼻ロッジは、「至仏山に登るなら9時までに鳩待峠を出発し、16時までに小屋に来ること」と言われたのであきらめて、至仏山荘に変えたのだった。東京以外在住の2名はGo To トラベルで安くなったようだ。2階の2段ベッドの6人部屋に通された。とりあえず夕食をいただく。対面にならず、窓の方を向いて一列になって食べる。鍋もついていておいしかった。夕食後、お風呂に入れた。温まると体の疲れがとれる感じがした。ガランは3つあり、シャンプーがあった。ここで使える素材だろうか。部屋でストレッチなどして、21時過ぎに就寝した。GPSデータを示します。右に、縦軸に標高差、横軸に時間をプロットしたグラフを示します。番号1から6まではどこの場所でしょう。やさしいですね。(答)1と5鳩待峠、2と4小至仏山、3至仏山、6山の鼻。
2020.09.11
コメント(2)

2020年8月29日熊倉沢は五日市周辺の沢としては定番で、多くのガイドブックに「初心者向け」とか、「シーズン始めの足慣らしに」などと、紹介されている。しかし、右俣右沢については手強いとも書かれている。今回、7月に雨で流れた熊倉沢右俣右沢に、ようやく行くことになった。早朝、我が家のそばの私鉄駅でティーチャー車にピックアップしてもらった。6:20、五日市駅でリリー車と合流し、2台5名で檜原道街道を西へ進む。熊倉沢からの下山口を確認してから少し戻る。上川乗のバス停に戻って、バス停奥の駐車スペースにリリー車をデポ。ティーチャー車に5人が乗りこむ。南鄕バス停から集落を通り、矢澤林道に入る。伸吉リーダーの入念な下調べがあって、迷うことなく、くらかけ橋経由で、熊倉川沿いの林道の「通行禁止」としてクローズされているポイントまで行くことができた。7:30、到着。「通行禁止」の看板の脇に数台置けるスペースがあったので、駐車する。すでに2台、駐車していた。7:48、出発(392m)。左下の川はきれいな沢で、左に矢澤をわける分岐がある。すぐ橋があって「立ち入り禁止」の札がロープに下がっていた。落合橋を渡らず、7:52、右の熊倉沢沿いの登山道(熊倉林道)をたどる。一部、崩落している部分がある。この林道も以前は車で走れたことがあるのかもしれないが、今やとても無理。大崩落の後は踏み跡状態になった。8:25、ここであろうというポイント(516m)に到着。確認して、身づくろいと腹ごしらえをする。8:45、入渓する。9:10、分岐(575m)があった。水量比1:1で、右俣を右沢と左沢に分ける二俣と思われた。右沢へ進む。すぐ陸軍滝があった。3段18m。なぜ陸軍滝というのかよくわからないが、落ちっぷりに実直な一途さを感じる滝ではある。大将ではなく、一兵卒でもなく、その間か。山下清みたいに迷う。滝の直下の釜に虹がかかっていた(扉写真)。ティーチャーは滝の左壁をみて、登れそうだと言ってたが、リーダーは巻くことに決定。ティーチャーが滝の左側の踏み跡を登り、そこも行けそうに見えた。しかし、私がコピーしてきた遡行図では、二俣まで戻って、左沢から間の尾根を乗っこすように書かれていて、リーダーがこれに従った。2009年の記録には書かれていた木橋は予想通り、跡かたもなかった。この巻き道は一部踏み跡が残っていたが、とっくの昔にすたれたルートか、ずるずるしていて、よくなく、ロープを出してもらうことになった。なんとか、陸軍滝の上に出たが、時間を食った。ここは滝の左脇を素直に登ったほうがよかったかもしれない。出たところに2:1の水量比で沢が入っており、トヤド沢と思われた。階段状の小滝を越えていく。木漏れ陽が射す。10:45、炭焼き釜(跡?)があった。11:00、難しいと書かれている5mチョックストーン(CS、両岸の間に挟まっている岩)に到着。しかし、ここで巻いては女がすたる。ティーチャーが水流の左側から突破して、ロープを出してくれた。リーダー、ミサヨさん、リリーさんに続いて、山ボケ猫は最後に登る。左壁に残置されているロープに体重をかけると、ストーン脇の水流の中に手掛かりがあり、若干のシャワーを浴びながらスムーズに登れた。11:45、3mスダレ状の滝、5mトイ状滝と続いた。この滝は多分ガイドブックに「10mのナメ滝は傾斜が緩く」楽勝ですみたいに書かれているが、後半のトイ状滝は傾斜がやや強く、高度感があったのでロープを出してもらった。小さい滝だったが、落ち口に立つと高度感があった。水量が少なくなったことを実感する。12:10、分岐になっていて、右に最後の10mナメ滝がかかっていた。この滝は階段状で手掛かりも足掛かりも多いのだが、高度感があり、ぬめりもありそうで、ロープを出してもらった。水流の左から登り、右に進む。中で右から左にトラバースして、落ち口を突破、クリアー。浅間峠まで登らないで楽をしようと、最後の(?)二岐を右に行き、浅間峠の右のコルを目指す。最後は疎林の中を進むと、13:10、苦労しないで浅間峠の右のコル(790m)にでた。今日の標高差は400m。お見事!20分ほど休んで、13:35、右へ登山道を下山。13:50、お堂があった。一般登山道を緩やかに下ること45分、14:20、車道に出た。登りがない!倉掛沢+乗越沢で地獄の下山を経験した身にはなんという極楽のような下りであったことであろうか。キツネにつままれたようだった。上川乗りバス停上の駐車場まで車道を歩いていく。駐車場には井戸があって、冷たい水を飲むことができた。ティーチャーとリリーさんが車の回収に行く間、のんびり、飲んだり食べたりして時間を過ごした。さて、帰路のお風呂と食事に凝るというか、アイディアを出す伸吉リーダーのテイストに従うと、なんと、檜原街道を奥へ、西へ進むという奇策が指示された。数馬の手前から山腹を不安になるほど登っていくと浅間坂(せんげん荘)という風呂兼蕎麦屋があった。気のよさそうなおば様たちが働いていた。注文を受けてから蕎麦をこねてゆでるそうで、入浴前にオーダーを聞かれた。風情のある離れの風呂で入浴する。湯舟はヒノキ造りで手作りだそうだ。正面の笹尾根の光景に既視感があった。風呂の奥は宿泊棟になっていて民宿も経営しているそうだ。風呂からあがって木庵でおそばをいただいた。こんにゃくの刺身、フキノトウ、タケノコなど、注文していない副菜を次から次へと出してくださった。お蕎麦はボリュームのある太麺で、食べきれずにおすそ分けする羽目に。浅間坂の歴史は、2013年に旧館と母屋などを焼失してしまったが再興し、2017年からは宿泊を再スタートさせたのだそう。やはり私が訪れたことのあるお店だ!それは10年以上前だった。古民家の古い建物だったのだ。17時頃、退出した。敷地の湧水を汲んでお土産にする。五日市までの渋滞に驚いた。自宅そばの私鉄駅で降ろしていただいたのは20時に近かった。なお、以前訪ねた折の記録は下記サイトです。2007年シンナソー沢登りの後でした。https://plaza.rakuten.co.jp/yamabokesya/diary/200706170000/熊倉沢右俣右沢は短い沢だが、登りを楽しめる立派な滝がよくまあと思うほど、次から次へと迎えてくれ、極楽下山だった。最後は風情あるお風呂とお蕎麦屋の浅間荘を再訪できて、おいしいとこどりをした1日となったのだった。GPSの地図は、山ボケ猫の山旅ロガーが陸軍滝からコルまでの間が取れていなかったので、リーダーがとった地図です。CS滝の位置があいまいです。
2020.08.29
コメント(4)

2020年8月13日宗像兵一氏が2020年7月に新しい沢登の本「沢登ルート100」を出版した。P.200に南アルプス釜無川水系の尾白川の支流鞍掛沢から乗越沢をつめ上げるコースが紹介されている。伸吉リーダーがそれを初心者向けでおいしそうに見えたらしく、遡行を提案した。白い花崗岩花の沢床と釜にエメラルドグリーンの水をたたえた美渓。乗らないわけにはいかない。伸吉リーダーは、先日の群馬トレイルを都合でドタキャンになったリリーさんを気の毒がったので、直前だったがお誘いし、参加することになった。メンバーはティチャーを含めて4名。私はハードだった群馬県境トレイルから中2日置いての沢になった。当日、5:00AM、私鉄駅でティーチャー車に拾ってもらう。中央道を西へひた走りし、6:25、双葉SAでりリリーさんと合流。双葉SAは登りと下りのSAが歩いて移動できる。リリー車を双葉において、1台に4名が乗る。須玉ICで降りて甲斐駒ヶ岳の北麓の立石登山口へ向かう。7時過ぎ、駐車場(1129m)着。すでに10台くらいの車が駐車していて、ハイキングの若い男女でにぎわっていた。日向山(ひなたやま)へ向かうハイカーと思われた。7:40、PA出発。尾白川林道を尾白川沿いに入渓点まで歩く。以前は奥まで車で入れた時代もあったらしいが、今は崩落などがあり、車で進んだとしてもかなり手前までだろう。8:30、錦滝着。右手に見事な30mほどの錦滝がかかっている。日向山から山頂を経由してここに降りてくる登山道があり、2010年の「東京周辺の山」などで紹介されているが、滑落死亡事故があり、現在は封鎖されている。尾白川はこの辺りでは200m以上、下にあり、不動滝などを有するが、この下流域は上級者向けらしい。さらに林道を進み、トンネルを3個通ると林道が終わった。尾白川の入渓点は、林道のどん詰まりから急な崖を下りなければならなかった。フィックスロープロープを使いながら50mほど降り、ようやく入渓。身づくろいをして9:43、出発(1325m)。広々とした明るい渓谷で、沢のスラブ床の花崗岩の白さと、エメラルドグリーンの水の対比が鮮やかだ。入渓して間もなく、小滝で、リリーさんの後についていて、待ってる間に下の水たまりに滑り落ちて、ポケットに水が入ってしまった。その結果、不用意にポケットに入れてあったキャノンのデジカメが作動しなくなった。今日はいつも使っているオリンパスのタフの充電がうまくいかず、防水機能のないデジカメを持ってきていたのだ。よりによってこういう時に濡れるとは。というわけでこれより以前の写真は再現できなかった。これ以後はスマホで撮るが、バッテリ不足で日向山の最後のログがとれないことになった。10:35、夫婦滝(扉写真)。釣り人が二人、釜のヘリでのんびりと釣りを楽しんでいた。一人男性が下って来た。林道終点に靴をデポしてあった人と思われた。右岸の巻き道を使う。水量が多い。11:00、尾白川本谷を左に分ける(1366m)。12:20、2段滝とそれに続く一枚岩の滝も巻いた。右側から巻いた。5mのナメ滝の後、ガイドブックの遡行図では左に鞍掛沢を分けるように書いてあるが、これは間違えで、鞍掛沢が乗越沢を分けるのはハング滝の上だった。12:45、二条滝の後、ハング滝があった。近づいてみて、とても無理。左岸のスラブを歩いて越えた。12:57、広い河原に出た。左岸に真横から10mほどの滝がかかっている。谷から流れてきているというよりはルンゼから流れ落ちているように見えたし、乗越沢にしては小さいように思えた。宗像本を見ると、遡行図には乗越沢の入り口に滝マークがあるが説明文がない。分岐であれば当然、滝の言及があるはずなので、分岐はもっと先かと10分近く進んだ。しかし、左岸に谷はなく、単調なゴーロがあるのみ。リーダーさんが主張していたようにルンゼ状に見える滝が乗越沢のエントランスと思われたので戻った。ガイドブックは「鞍掛沢」の記入位置が間違えており、乗越沢を分けてまっすぐ流れているのが鞍掛沢。3日前に、山岳会の仲間2名が、同じルートを遡行している。彼らは乗越沢分岐で一泊しているが、砂地があって焚火を炊いたと報告しているが、砂地に最近の焚火のあとがあった。左岸の支流、乗越沢に取り付く。滝は段になっていて、中断で右から左にわたった。この滝について全くコメントがないのはガイドブックとしては手落ちと思われる。登ってみれば、谷をなしていた。しかし、谷は狭まって小ぶりになり、水量は激減し、傾斜はきつくなった。エメラルドグリーンの釜や淵をもう見ることはなかった。ひたすら結構な傾斜の沢をひたすらえんやこらつめる。14:00、スラブ状の舐め滝20mはぬめっとしていた。左岸から登る。写真は14:10に撮ったものです。最後は8mナメ滝。なんだか随分と滝がありました。ちょっとしたトイ状滝など、高度感のある所ではお助け紐やロープを出していただくところもありました。14:45、源流の雰囲気がしてくる。ヤマジノホトトギスか。この沢はアザミが多く、うっかりつかむと痛い目にあった。尾根に取り付くと道ははっきりしていて、ヤブ漕ぎはしなくて済んだ。笹原の登山道を巻き加減に登っていくと、16:00、鞍掛山と駒岩の鞍部(1930m)に出た。木立の間から向こう側が見える。右の写真は登てっきた笹原。ティーチャーは10分ほど早く到着していたらしい。16時ならセーフだなと思う。コルの右手は鞍掛山の登りだが、悪そうな道でもあり、誰も行こうとしなかった。沢装束を解いて、身づくろいをして、適当に口に放り込む。出がけに帽子をかぶったリリーさんが、「皆さん、ヘルメットをしていますね」と言った。ティーチャーは、「持つと荷物になるから」といった。私は、「リリ―さんだけ滑落するかもしれない」というと、リリーさんもメットをかぶった。私は用事を済ませて後を追うと、下りの巻き道のような道に入りかかり、変と思って、戻って登りなおして追いついた。まもなく16:45、駒岩(2029m)につく。「駒岩分岐」の標識が木の幹に打ち付けてあったし、立派な標識もあった。左に行くと大岩山で、ここは八丁尾根。右へ日向山を目指す。ここから400m下る。一般登山道かと思ったが、あまり歩かれていないというか、よい道に思えなかった。南東に鳳凰3山が立派に見え、その左肩に富士山がのぞいていた。北には雨乞岳と思われる山塊が近かった。下ってから、大岩というらしい岩山(1622m)を越えてまた下る。白い日向山の登りが木立の間に見えて、下るのがもったいなかった。下りがゆるんだ何でもない所で、私の前を歩いていたリリーさんがかかとを滑らせて登山道から落ちたが、自力で這い上がってきて問題なかった。少し先の平らな所で一休み入れた。私は、コルでの自分の何気ない言葉を思い出して、妙なことは言わない方がよいなあと思った。日向山の手前のコルに出ると、正面に白い斜面が壁のように眼前を覆っていた。登山道は踏まれていて登りやすかった。19:00、登りきると左の木立の中に日向山の三角点があった(1660m)。山頂は砂浜のように白く、天上のビーチと呼ばれるだけある。ビーチの左は弧をなして崖になっており、岩尾根が立っていた。燕岳を思わせる光景だ。正面に八ヶ岳が見えた。南東に先ほどの鳳凰3山と富士山が茜色に染まって、沈んでいくところだった。ビーチ沿いに右へ進むと山頂の標識があった。夕日に照らされて、残照のビーチは黄金色に輝いていた。これで一安心と一休みして、飲んだり食ったりしたが、安心しすぎたといえるのかもしれない。さて、下山というときに真っ暗になっていて下山口がわからない!しばらく、右往左往して、なんとか下山口を背後に発見した。19:30、真っ暗闇の中をヘッデンを付けて下って行った。疲れた身には長い下りだった。21時に駐車場についた。1台駐車していた。宗像本には下山は2時間と書いてあるが、私たちは4時半かかった。トレランでもなければ2時間は無理と思う。風呂も夕食も考えず、須玉インターのそばのコンビニで食料を買いこんで高速に乗った。双葉SAで一息入れた。伸吉リーダーから提案されていた1日置いての大菩薩の小金沢はティーチャーが辞退し、私ももちろん同様だった。リリーさんとここで別れた。リリーさんは一人で眠かっただろう。本日の行動時間は13時間半で、遡行時間と、アプローチと下山に使った時間がほぼ同じだった。私は、「騙されて2日行程を1日で歩かされた」と触れ回った。伸吉リーダーは、「騙したのは宗像でしょ」と、しれっと言った。山ボケ猫のログはスマホのバッテリー不足で20:04で切れて、残り1時間が取れていなかった。20:04までのデータでは平面距離11.94km、沿面距離12.93km、登り1673m、下り1360m距離はプラス3km、下り累積標高はプラス300mと思われる。下記のログの最初の2km(1280m)での下りは錦滝からの下り、2番目の下りが入渓点、一番高いピークは駒岩(2029m)で右端のピークが日向山。7:40PA立石登山口出発ー8:30錦滝ー9:43入渓ー10:35夫婦滝-11:00尾白川本谷分岐ー12:57乗越沢分岐ー16:00~25鞍掛山のコルー16:45駒岩ー19:00日向山ー21:00PA立石登山口帰着
2020.08.13
コメント(2)

2020年8月10日(中ノ間山からの苗場山(右奥)と佐武流山(左ピーク)。南側のこの角度からの写真は珍しいと思う)4:30ムジナ平避難小屋発ー5:10大黒ノ頭ー5:40上ノ倉山ー6:25忠次郎山ー7:04ハイロの井戸ー7:28赤沢山ー8:28上ノ間山(休)ー10:28~50白砂山ー11:46猟師ノ頭ー12:16八間山分岐ー12:23堂岩山ー12:46水場入口(休)ー14:16地蔵峠ー15:00野反湖1時ころから目が覚めていたように思う。3時20分頃起床した。遅出の予定の東進隊のさよりさんと茂美さんも起きて、きびきびとお湯を沸かして準備をしてくれた。私はにゅう麺にお湯を注いで食べた。4:20頃、外に出て準備体操を5名全員でした。4:30、西進隊出発。頭上にはほぼ満ちた月。頭上に雲はなく、素晴らしい天気になった。大黒ノ頭の登りに取り付く。背後の東の空は茜色に染まり、急速に明るくなっていった。5:05、大黒ノ頭の手前で陽が登った。世界はあっという間に創生の時を迎え、明るみに照らし出されていった。これから進む大黒ノ頭の先の上ノ倉山に至る尾根も、朝日を受けてやわらかく浮かび上がった。5:10、大黒ノ頭。この隊としては珍しく標準タイムより短い時間で登れた。アヒージョ効果だろうか。眼下に小さく避難小屋が見えた。一休みする。大国ノ頭を出発して間もなく、10:30、右手後方に苗場山が見えた。上ノ倉山まではほんの一登りだった。5:40、上ノ倉山通過(2108m)。忠次郎山に向かう。木立の深いところもあったが、概して展望の利く気持ちの良い尾根。6:25、忠次郎山(2084m)。太い幹に道標が打ち付けてあった。木立の中で展望はない。白砂山方面から、ここまでは狩り払いが済んでいるのか、歩きやすくなった。左側に山並みが、遠くまで重なり合って見えた。右前方に赤城山がピークを連ねていた。左、入道の頭のようなピークは皇海山のように思えたが、あかねさんは日光白根では言った。武尊が一塊に空に浮いていた。左は谷川連山だった。7:04、「ハイロの井戸」と名付けられた水たまりがあった。ドブではなく、水が湧いているのだろうか。水がきれいなら水場になるのだが。7:28、赤沢山(1982m)。展望がある尾根のようなところで、一休みする。残っていたフランスパンをかき集めた3片にカーマンベールチーズの余りをぺーストして分けた。予想以上に美味なり。正面に上ノ間山(かみのあいやま)が大きく見えてきた。中ノ間山の右には5個のピークがリズミカルに連なり、一番右のピークが一番高く、白砂山と思われた。左から2つ目にピークに人が立っているように見え、哲彦さんがあれは白砂山かと言ったが、人にしては大きすぎる。これは枯れ木の群れのようだった。上ノ間山への登りはなかなか長い。振り返れば、歩いてきた道のりも長くなっていた。大きなピークは忠次郎山か。8:28、上ノ間山山頂着(2034m)。休んで白砂山へ向けて態勢を整える。北西、右手にはクジラの背の苗場山が近い。さらにその左に、佐武流山が立派だ(扉写真)。苗場山から佐武流山へ縦走することはできるようだが、佐武流山から白砂山の間は密藪に覆われ、一般的には通行は難しいという。苗場山から白砂山まで歩こうと、提案していた仲間がいた。しげしげと白砂山から佐武流山へ向かう尾根にルートを探ってしまう。佐武流山の手前のピークの登り斜面が赤むけていて、そこが険しそうに見えた。南には八ヶ岳、赤城、奥秩父などが見える。しかし、東は先ほどより霞がかかって、あまりよく見えなくなっていた。ここから4つピークを越えて、5つ目のピークの白砂山山頂へ進むことになる。中ノ間山の下りは穏やかなものだった。前方に白く大きな山容が望め、草津白根山と思われた。2つのピークの手前に立ち枯れた木立があった。どこか愛嬌があるオオカミが襲ってきそうに見えたり、ソッポを向いた竜がいたり。2つ目のピークの山頂部はやはり立ち枯れて骨のように白い幹を見せる木が多かった。ピークs(複数)はそれなりに屹立し、道は巻くという発想がなかった。つまり、棒登りして、棒下り。「県境稜線トレイル」というネーミングにこだわっているのか、忠実に稜線をたどらせるという方針なのだろうか。折から日差しが強くなってきた。登りも下りも滑りそう。さよりさんが「二つ大変な登りと下りがある」と言っていたが、一つはこのあたりか。左の大きな尾根が猟師の尾根と思われた。白砂川本流が猟師沢に合流する少し手前に「猟師の悪場」と言われている場所がある。両岸が切り立った岩壁のゴルジュで、流れが怒涛となって白濁して渦巻いている。遡行の記録もあまりない場所らしい。10年前に私たちは「猟師の悪場」の手前で右岸に取り付いて猟師の尾根を乗っ越し、反対側の猟師の沢に降りて白砂川本流との合流点に下って戻ったのだった。最後の白砂山のピークへの登りは今までの4つのピークに比べれば普通というか、おとなしいものだった。10:28、白砂山山頂着(2140m)。群馬県、長野県、新潟県の3県の県境に位置する。意外と狭いピークだった。三等三角点がある。遠望はあまりよくみえなくなっていたが、浅間が煙を吐いているのが薄く見えた。東に尾根が伸び、その先にこんもりと山が見える。まさか、あそこまで行くわけないよなと自分を慰めるが、後から考えるとこれが堂岩山で、ほぼこのピークを越えて下ったのだった。数名の登山者がいた。中年の女性の単独の方もいた。南・北アルプスと比べて女性の単独はまれで、この方だけだった。20分ほど休んで出発。山頂からの下りはお花畑のようで目を楽しませてくれた。しかし、岩交じりで急なうえに狭い。折から登ってくる人が多い時間帯で時間を食った。ここからは一般道なのだなあと思う。紫の、私が以前から気にしている宇宙ステーションのような形の花もあった。マメ科の植物らしい。ほぼ下りきって振り返ると、白砂山の下りはあれを下ったの?と思うような道だった。この下りは、さよりさんが、「二か所、大変な下りがある」といった場所の一つに間違えないだろう。少し平らになった所に金沢レリーフという標識があった。しかし、レリーフは見当たらず、失われたものと思われた。それからまたピークを越え、これが猟師の頭かと思ったが、その先にさらに本チャンの登りがあって、このてっぺんにたどりつくとそこが「猟師の頭」(猟師ノ沢ノ頭)(2042m)だった。11:46着。この時に東進隊に送ったメールがうまく送信できて、進行状況を知らせることができた。思ったほど遅れてはいない。それししても暑い!早々に山頂を辞す。そこから堂岩山の登りになる。12:16、登りのかなリ上に八間山分岐があった。白砂山に登ってから八間山に回る人がいるだろうか。振り返ると先ほどまで晴れていた白砂山方面に雲が下りてきていた。その先、堂岩山のピーク(2051m)までは近かったが、山頂は木立の中ではっきりしないピーク(12:23)だった。中年男性が一人いた(後で水場で転んだ方か)。山頂に登ってから右へ、巻くように下る。その先も実に長かった、というか、長く感じた。”白砂山さえ登ってしまえば、あとは下って行くだけで楽勝か”と思っていたが、これが間違った考えと思い知らされた。後で検討するとコースタイム的には白砂山で約3/5だった。途中で山馴れた方が後ろについてきて、あおられるように早くなった。「Nさん(さよりさん)のお友達ですか」と言われて驚いた。ガイドのTさんだった。ていねいな事前情報をくださった方だ。道の整備か、何かの仕事をして戻るところだったようだ。しばらく話ながら歩いたが、やがて先行されていった。12:46、水場入り口があった。東進隊から、「水場はすぐなので寄るとよいです」というメールが入っていた。哲彦さんは、”そんなことはない”と言わんばかりで、いやそうだったが、とりあえず水場に下って行った。これは「すぐ」という代物ではなかった。水場で順番を待っていると、水場から上がりかけておじさんが私にドスンと落ちてきて、あかねさんの方に転がった。この時の衝撃で、あかねさん愛用の黒い傘が壊れてしまったことに、後で気が付いたそうだ。登山道に戻って一息入れる。このあたりが野反湖展望台?見えなかったように思うが・・・。14:16、地蔵峠。あかねさんが、「どこにも地蔵峠の文字の入った標識がない」といったが、私は以前ここから切明温泉に下ったことがあるので、場所に記憶があった。また、切明温泉に下りたいなあ。気が付かない人が多いと思うが、少し奥まったところにお地蔵様がいられたので、降りてきた単独女性をさそってお参りに行った。実際はお地蔵さまではなく薬師如来。前回は赤い前掛けをされていて、もっと立派に見えたが、年を取ってしまったように思えた。14:30、北沢取水分岐通過。14:42、「C-51 」標識。道が広くなって、里が近い感じがする。14:44、坂を下りきるとハンノキ沢にでた。水が左(南)から右(北)へ流れており、あれっと思った。野反湖から流れてきているのかと思ったが、私たちは分水嶺の北側にいて、ハンノ木沢は野反湖から北に流れる千沢注いでいたのだ。木橋を渡って進むと登りになっていた。流れが下ってきていたので、上りになるのは当然だが、ちょっとした登りがこたえることだった。私のカメラのバッテリーがあがってしまい、最後の野反湖を背景にした写真はあかねさんに撮ってもらった。15:00、野反湖着(1520m)。PAに群馬県のスタッフが2名いて、記念のタオルの群馬ちゃんのハンカチをくれた。群馬ちゃんは今やクマモンを追い上げる人気のご当地キャラクター。今日、ムジナ平避難小屋に泊まって、ここに着いたのは私たちだけだったので、喜んでいるようだった。私が「素晴らしい小屋だった。箒とちり取りがあるとよいですね」というと、「明日、行くスタッフがいるのでそうします」と言っていた。あかねさんが、今日は2年前にトレイル視察のヘリが落ちた日ですねというと、承知しているというように悼む表情を見せた。15:30 、茂美さんのハスラーに乗り込んで出発。野反湖から長野原草津口駅の国道まで28kmもあった。野反湖を出発して間もなく、ゲリラ豪雨のような雨にあい、哲彦さんは慎重に運転した。長野原草津口駅まで南下してから、東へ小野上温泉に向かうはずだったが、私の携帯のバッテリー切れでメールが見れず、小野子温泉と入力を間違えたせいもあってかナビがいささか迷走した。17時、小野上温泉さちの湯着。玄関で派手なアクションで喜ぶ女性が2名いた。私は茂美さんの車で帰京する予定だったが、彼女たちは13時頃についたとのことで、先に帰っていただいた。私たちは入浴後、食堂で食事をとった。電車の乗り継ぎが悪そうだったので、結局、哲彦さんにおねだりして高崎駅まで送っていもらうことにした。20時前に高崎駅にたどり着いた。哲彦さんは帰路、さすがにどこかで仮眠して、なんとかその日のうちに大町に戻ったということだった。歩いた距離は2日間で20km程度なのだが、アップダウンがあって、いやはやお疲れさまでしたという感じになりました。記録も長くなってしまいました。読まれた方も飽きたかもしれません。お疲れさまでした。村松氏作成の2日間のログを下記に示します。1日目と2日目の水場の位置がよくわかります。1日目 平面距離7.6km、沿面距離7.8km、登り1051m、下り302m2日目 13.3km、 13.7km、 1089m、 1468m合計 20.9km、 21.5km、 2140m、 1770m山ボケ猫のデータは次のようです。水場の往復でGPSを置いて行っていますので、記録に含まれませんが、累積標高差は山ボケ猫のエータの方で多く出ています。GPSでも若干の差は出るものです。1日目 平面距離6.93km、沿面距離7.29km、登り1070m、下り354m2日目 12.61km、 13.12km、 1155m、 1530m合計 19.54km、 20.5km、 2255m、 1880m2日目のログは次のようです。
2020.08.10
コメント(4)

(12:00、樹林帯を抜けて笹原を行く)6:30三坂スキー場跡地(三坂峠登山口)発ー8:15三坂峠ー11:32 1766峰(休)ー11:50笹平ー12:23水場入口(休)ー13:12ムジナ平避難小屋着一昨年2018年に群馬と新潟県境の白砂山と三坂峠を結ぶ稜線約10㎞がトレイルとして整備された。これに、以前から登山道のあった、西は四阿山の南の鳥居峠から野反湖を経て白砂山までと、東は三坂峠から谷川連山に至る登山道を合わせて、「ぐんま県境稜線トレイル100㎞」として売り出されたというか、宣伝されるようになった。白砂山は私は以前から登りたい山だったので、トレイルを歩きたいと思っていた。今回、日本山岳会東京多摩支部の女性3名が野反湖から白砂山を越えて東進するとのことで、混ぜてほしいと申し込んだ。そのうち、西進して、途中のムジナ平避難小屋で車のキーを交換する交差縦走にするのが良いかと思いなおした。西進隊として声をかけると、あかねさんと哲彦さんが参加してくれることになった。東進隊は1名がドタキャンし、2名となった。 8月9日の天候に不安があったが実施することになる。私たち西進隊は初日は三国峠からムジナ平までを一時は考えていたが、10時間近い行程。2日目がハードな本チャンで疲れを残したくなかったことと、天候に不安があるので、三坂峠から入ることにする。これで行動時間は半分くらいになる。2020年8月9日朝、5時前に起床し、5時半前から食堂で食事をとった。哲彦さんは準備が早く、早々に外に出て行ってしまう。朝食は豪華で食べきれないほどだった。納豆とプリンが食べきれず、さすがにこの私が残していくことにした。6時前、苗場ロッジ丘を出発し、353号のどんづまり、三坂峠登山口へ南下する。登山口は旧三国スキー場の跡地だが、今はただ草ぼうぼうで面影もない。6:15、駐車場着(標高1149m)。1台停まっていた。小型ザックの単独男性が出発するところで、稲包山の日帰り登山と思われた。準備体操後、6:30、出発するが、空模様があやしげ。やがてぽつぽつきたので、雨具を羽織ることになる。上着を着ると暑いだろうと、哲彦さんが上着を羽織るという裏技を披露したのでまねる。雨足がひどくなる。しばらくは湯ノ沢沿いの道。7:30、標高1280mほどで渡渉して、やがて尾根に取り付く。8:15、三坂峠(1482m)に着く。東へ、ムジナ平方向の登山道は狩りばらいが済んでいず、登山道を草が覆っていた。私たち、西進隊はムジナ平の避難小屋まで4,5時間で着くが、長丁場の東進隊の行動が気になる。これから風でも吹いてきたら、稜線なのでやばいのではないかと思う。東進隊は戻った方がよいかと思う旨、メールした。電波状況が悪く、メールはすぐには飛ばず、電波の状況次第で瞬間的に飛ぶ場所があるようだが安定しない。しばらくたって返事が来て、とりあえず進むようだ。「白砂山で天候次第で判断して下さい」と送った。私たちは群馬県境トレイルに踏み込み、西へ歩を進める。トレイルの南側はずっと群馬県だが、北側は白砂山までは新潟県、白砂山から先は長野県になる。所々で笹が深いし、荒れている所もあった。まあ、並みだが。9:25と9:58に「C-9」、「C-10」という、場所を示す標識があった。三坂峠を出て間もなく、単独男性に会う。あまりトレイルランナー風ではなかったが、4時に出発したそうで、野反湖からここまで4時間くらいで来ている!今日は黒障子までを目指すそうだ!その後に会った単独男性は野反湖を2時に出発し平標までを目指すとのことで、これは理解の範囲内。他に会った完全トレラン風の男性2名と女性1名の3人グループは三国峠までとのことだった。私は2日前まではお腹の調子が悪かったので、調子が今一で、ゆっくり歩いた。徐々に高度を上げていく。雨はひどくならず、幸い風もない。遠望のあるときに、あれが白砂山かなどと思う立派な山影もあったが、翌日、考えてみると上ノ間岳だったと思われた。11:32、1766m峰。初めて立派な道標があった。「三坂峠まで3.8km、白砂山まで8.1km」とある。右手は湯ノ沢だが、その尾根向こうは10年前に赤湯温泉から遡行したセバト沢右俣のある大きな谷で、左は下降した白砂川。ここは大分水嶺。今回は以前の南北トレースにクロスして東西に歩くことになる。1766m峰を過ぎると傾斜は緩む。クロスした時の大分水嶺の気配に似てきたなと思う。一時は12時頃にムジナ平避難小屋につくかと思ったが、意外と時間を食う。11:50、「C-15」の標識。樹林帯を抜けて、笹原の尾根を行く。晴れていれば展望があって、気持ちの良い所だろう。ミヤマアキノキリンソウが咲き乱れていた。12:23、やっと水場入口(1870m)につく。1890mピークの手前。ここから20分手前、東へ戻った所がセバトノ頭だったらしい。どこが頭だったのやら、標識がなくて気が付かなかった。ザックを置いて水くみに下った。そこはまさにセバト沢右俣をのっこして白砂川に降りた時に目にした水場のように思えた。白砂川の最初の一滴。水場入口が大分水嶺とのクロス地点だったか。記録によれば、「セバトノ頭の右肩にでた」とあるので、一致する。よく、ここを通れたものと、今更ながら匙リーダーの嗅覚に感心する。水場入口からムジナ平避難小屋(1895m)までは意外と長く、20分ほどかかった。13:12に到着。天井の高い縦長のカマボコ型の金属製のドーム状の小屋。背景に大国の頭の尖ったピーク。一昨年完成したそうで、きれい。HPに定員11名とある。ロープを張って、濡れたものを干した。のんべんだらりと過ごすが、あかねさんは床の拭き掃除をしてくれた。男性の単独の方がみえて、奥の一角を使っていただく。男性は明日は大国の頭まで行って三坂峠へ下るようだ。車を置いてきているのだろう。西進隊から遅くなるというメールが届いたが、16時前に外で声がしたので飛び出した。元気そうにさよりさんと茂美さんが到着!お互いに無事到着を喜ぶ。顔を見れたこともうれしい。二人は一息入れるでもなく、夕食の準備に突入。タフだ。それでも、途中で水を一部、捨ててきたということで、道中のハードさがうかがわれる。私たち西進退は、東進隊よりも若干コースタイムが長いのだが。とりあえず忘れないうちにと、車のキーの交換をして、駐車場場の情報を哲彦さんと茂美さんが伝え合う。今晩のメニューはアヒージョ。おしゃれである。オリーブオイルに海産物ではなく、昨日、野反湖キャンプ場で買ったというブロックベーコンを大量に使ってくれた。哲彦さんが本格的なフライパンを提供。あかねさんがオリーブオイルとカーマンベールチーズを提供。私は(軽い!)フランスパンを持ってきたが好評。東進隊からはキュウリやキノコが供された。重かっただろう。もう食べられないというほど食べたころ、さよりさんがペンネをゆでてくれた。残念ながらこれは他のメンバーの胃袋におさまった。さよりさんが、ありがたく、「明日は自分たちは下るだけなので余分なものは持ってあげます」と申しえてくれたので、お言葉に甘えて私はシュラフを、哲彦さんはフライパンをお願いした。8時過ぎに就寝。23時近く、外に人の気配がするのでトイレがてら出てみると単独の男性がいた。小屋に入いれるかどうか、迷惑にならないか、迷っているようだった。積雪期に2階から入るときに使う中2階というか踊場のような「個室」を発見してもぐりこんで7人目の宿泊者になった。ほとんど物音を立てず、お主やるなというか、馴れている気配がした。名のあるウルトラトレイルランナーだろうか。本日の平面距離6.93km(+水場往復)、沿面距離7.29km(+水場往復)、累積標高登り1070m(+水場往復)、下り354m(+水場往復)
2020.08.09
コメント(3)

2020年8月8日10:55 登山口出発(527m)ー(岩原スキー場南斜面)-前山ー13:13~55 飯士山山頂(1111m)―(リッジーリフト終点ー南斜面)ー15:25登山口帰着(527m)9日から群馬県境トレイルを歩くことになったが、前日に時間の余裕があるので、越後湯沢から飯士山(いいじさん)に登ることにした。この山は小さいし、標高も1111mと、大したことはない。しかし、対面の石打や湯沢高原スキー場から見ると、すっくと立ちあがった三角錐で、ほれぼれする山容。以前、阿寺山から戻ってくるときに、南にとがった立派な山が見え、あれは何だということになり、谷川の大源太かなどと説が出たものの、近づいてみたら、なんだ飯士山だったかということもある。なお、案内文によれば、「飯士山は新潟県・越後湯沢を代表する名峰で、その秀麗な姿は周囲からもよく目立ち、地元では「上田富士」とも呼ばれる。特に山の西側は峻険で、美しさが際立っている。一方で南東斜面は緩やかで、岩原スキー場が広がっている。登山には岩原スキー場から登るのが一般的。山頂から西側に伸びる鋸尾根(通称「神弁コース」)は峻険なやせ尾根の急坂で、過去に死亡事故も発生している。近年は整備も十分ではなく、藪化が進んでいる。」とのこと。10時に越後湯沢駅に集合した。メンバーはあかねさん、哲彦さんと山ボケ猫の3名。曇天で空模様があやしい。なるべく短時間で往復できるコースということで、岩原スキー場へ向かった。少し迷ったものの、結局、ベースのスキーハウスから左へ坂道を登っていった車道終点(529m)にたどりついた。ここが出発点。数台の車が停まっていたが、周辺の宿泊施設関係者などの車だったのかも。スキー場のゲレンデの中州にあたり、スキーシーズンにはランチをするレストランエリア。10:55、出発。リフト終点から2,300mも登ればよいのかと甘く見ていたが、当然、リフトは動いていない。まじめにチェックして600mほど登るとわかった。特徴的な三角錐の飯士山山頂が見える。意外と遠いのかな。前山の雲がはれてくると、こいつがなかなか立派に立ちはだかっている。ゲレンデの中を歩いていく。草が生えているし、道標はなく、ルートがわかりにくい。藪に突っ込んでしまい、藪こぎする羽目になる。藪を抜けてゲレンデのリフトの鉄柱のところにやっと出たら、首に巻いてあったスカーフがなくなっていた。11:45、リフト支柱の下で一休みする(717m)。湯沢の町と周辺の山が見えるが、山はガスがかかっていてはっきりしない。振り返って背後を見上げると、山頂まで結構ありそうだなあ。今度は外さず登山道を進む。樹林の中に入るところに初めて道標があった。岩交じりの急な登りになる。前山の登りにかかったのだ。ロープのある所もある。登りは結構、続きます。こんなはずでは・・・。それでもなんとか、飯士山のピークが低く、近くなってきた。ようやく一つピーク、前山を越えた。ところで、余談ながらあかねさんが傘をさしていますが、この時は雨が降っていたわけではありません。彼女はフルートの先生で、手や顔は商売道具で、真っ黒に日焼けしたり、シミだらけになっていては商売にさしさわるということかと思います。傘だけではなく、日焼け対策ばっちりです。肉体労働者である山ボケ猫とは違うところです。そして、遠目にも予想された前山の下りを降りて、50mほど登り返すと、13:06、ゲレンデトップから伸びてきているリッジに突き上げた。さあ、最後の登りを頑張ろう。すべりやすい岩尾根を注意深く登ると、最後は割合あっけなく山頂についた。13:13、飯士山山頂(1111m)。1111mとは面白い標高で、クイズ番組の問題になりそう。大展望と言いたいところだが、遠望はない。三等三角点がある。写真ではいささかばて気味に写っていますが、曇天で、湿度もある中、完全に甘くみていた結果です。急ぐ道中ではないので、ゆっくり休む。眼下にはやたらスキー場のゲレンデが見えるのだが、遠景は方向盤から想像するのみ。越後三山、谷川の山々、それに明日から歩く群馬トレイル、白砂山までみえるらしい。残念。13:55、下山開始。まもなく右に登ってきた登山道を分け、リフト終点までリッジ、やせ尾根を下る。このリッジは私がスキーで来た時に、あわよくば山頂に行けるのでないかと、リフト終点からしげしげと観察したことがある。リフト終点から山頂はすぐそば、一挙手一投足、20分程度に見えたが、雪庇が右側に張り出していた。アイゼンやピッケルなしに一人で踏み込めるエリアではないと、断念したことがある。歩いてみて、分岐してすぐ、ロープの岩場などもあり、無謀なことをしないでよかったと思った。14:13、リフト終点の手前で、右に下る登山道が分かれており、下ることもできたようだ。しかし、登りで藪につっこんでいたので慎重になる。草が生い茂っていたし、空模様もますますあやしくなったので、安全策を取って広い道をまっすぐ進むことにした。リフト終点を通り過ぎたあたりで雨が降ってきたので、ゴアの上下を着た。しばらく行ってから右に曲がって林道を下る。ユリがむせるように咲いていた。雨は間もなく止んだ。リフト中継点から右へ少し登り返して西の方向に進路を変える。林道を右へ進んで谷を越すと、登りで藪を漕いで出てきた南斜面に出た。スカーフを落としたのはあの藪だろうと思ったが、藪をかき分ける気になれなかった。15:25、登山口帰着(527m)。登山中、誰とも会わない、静かな山だった。本日の宿は温泉ではないので、何度か立ち寄ったことのある東口の銭湯の江神温泉に入る。昭和ムードで、駐車場はあるし、400円と安い。入浴後、まだ17時前なので希望のお店一二三は開いていず、駅そばの越後屋という店で夕食を済ませた。苗場ロッジ丘は国道353号沿いにあり、18時過ぎに着いた。苗場スキー場を見渡す斜面に立ち、素泊まり3000円也。冬季スキーシーズン用の宿らしく、館内はシンカ~ンとしていた。中国系の訛りのある人懐っこそうな女将が、今日は客は私たちだけと言っていたが、飛び入りか、後で他に女性登山客2名と、ペアー客もあったようだった(良かった・・・)。年の離れた感じのご主人も登場。当初は朝食は700円の弁当にしてもらって部屋で食べていく予定だったが、5時半に朝食を準備してくれるとのことで、1100円を払って朝食をしっかりとっていくことにした。21時頃就寝。GPSによると、飯士山のデータは平面距離6.64km、沿面距離6.9km、累積標高登り733m、下り733m。
2020.08.08
コメント(3)

2020年8月1日(鬼が岳から歩いてきた西を望む。正面のピークは王岳。)梅雨のままに8月に突入してしまった。事前の天気予報では降水確率は50%とあったりして、空模様に不安があったが、前日の天気予報では降水確率は0%になった!これでGoだ!急に決まった御坂の王岳だったが、どうせなら、以前、あかねさんと東から縦走した鬼ケ岳まで東進して稜線をつなぎたいと思った。6時過に自宅を車で出発する。夜半、土砂降りの雨が降っていたが起床時には晴れていた。中央高速はスカスカで渋滞はほとんどなかった。空模様は北の奥多摩方面から晴れてきていたが、南の富士山、御坂方面だけは雲が残っているようだった。7:40に河口湖駅着。皆は8:21の電車で来るので、それまで食べ足したり、メールをしていた。予定どおり、8:21の電車でリリーさん、あかねさん、S矢さんが到着。8:30に出発する。河口湖駅前は通常のこの季節の混雑ぶりと打って変わって閑散としており、経済的なダメージが心配になる。20分で西湖西の根場(ねんば)についた。バス停向かいの道路沿いの駐車場に駐車する。9:00、出発(903m)。集落の中を歩いていく。富士山は雲の中だ。いやしの里の方へ行き過ぎて方向修正する。売店の前を通るがまだオープンしていない。やがて西入沢に沿った林道となる。木立の中に入ると涼しい。9:30、滝が道に注いでいる所があった。10:00、林道が終わった所で一休み(1110m)。高齢の夫婦と単独の男性が休まず進んでいった。この先山頂までの標高差は513m。リリーさんがトップに立って、勢いよく登り始め、勢いで進んでいくと、夫婦が休んでいた。山頂手前では笹が生い茂っており、倒れた笹を踏みつけてのトラバースとなり、歩きにくい。一般ハイキングコースとしてはグレードが高い。あれよあれよという間に王岳の山頂についてしまった。11:25、山頂(1623m)。15分ほど休む。山頂には二等三角点があり、山梨100名山でもあるらしい。晴れていれば富士山が素晴らしいだろうが、今日はすそ野がすこし分かる程度。数名の登山者が休んでいたが西へ下るものが多かった。遅れてついた夫婦者もピストンの予定だったらしいが、私たちの話を聞いて鍵掛峠に降りることにしたようだ。11:40、出発。王岳からの下りでシモツケソウやカイフウロが見られた。シモツケソウのピンクが鮮やか。12:20、木立が切れて、右側(南側)に根場の集落と西湖、その向こうに足和田山から紅葉台の尾根が望めた。しかし、この先が意外と長かった。鬼ケ岳までエリアマップで2時間と思っていたが、20分を見落として2時間20分だった。稜線はアップダウンが多い。雑木林の尾根、キノコ、動物(熊?)の黒い糞、ヒメシャラの木(?)、植物に詳しいリリーさんの解説もあった。なかなか鍵掛峠に出ない。13:02、左(北側)に芦川へ下る道を分けるとすぐコルに出たので一休みした。もう、鍵掛峠の分岐があってよいはずだが・・・。先ほどのご夫婦が休んでいて、行程が長いことをぼやいていた。出発すると、13:18、実はそのすぐ上が「鍵掛峠山」という所だった。「峠」はコルではなくてピーク?・・・。夫婦はそこから下山したと思われ、掻き消えていた。鍵掛峠で天候の様子を見て下るか、鬼ケ岳に進むか決めることにしていたが、天候的には下る理由はなく、Goだった。鍵掛峠を過ぎると王ケ岳から下ってくる登山者数組とすれ違うようになった。王岳周辺にいた登山者より経験を積んでいる方々に見えた。私たちのように鍵掛峠から王ケ岳を目指す者は他にいないようだった。13:25、古びたロ-プの下がった岩場があった。先ほどまでかなり遠くにピークがみえていて、あれが鬼ケ岳としたらあそこまで行くのかと思うと信じられないように思えたが、13:45、それが近づいてきた。しかし、まだひと踏ん張りだ。コルから鬼ヶ岳山頂まで標高差で240mほどの登りだが、1594峰から30mほどの下りがあった。しつっこいことだ。で、14:20、鬼ケ岳山頂(1738m)にやっとこ着いた。二度目の山頂。独特の角状に突き出た岩の形がが面白い。東は十二ケ岳(1683m)、金山(1686m)と節刀ケ岳(1736m)などがみえた。節刀ケ岳はなかなか立派なピークだが、ここは節刀ケ岳より2m高いのだ。鬼ケ岳の独特の角のような岩を背に記念写真を撮る。下山しようとすると、西の方もなかなかの眺めだ(扉写真)。王岳と、王岳からたどってきた稜線が眺められた。この程度の標高の山とは思えない立派な山岳的な稜線だ。時間がかかったわけだ。王岳とは「王」というだけあって、御坂の中の際立つピークと言える。王岳の左肩に見えるのは、アプリを使うと「毛無山」と出てしまったが、方向が違う。三方分山ということになった。本栖湖のむこうに竜ヶ岳、雨ヶ岳、毛無山があるはずだが、竜ヶ岳の裾しか見えなかった。昨年4月、竜ヶ岳で、エリアマップと御坂の山並みを照らし合わせて眺めたが、結構遠かった。そんな、こんなで興じるうちに時間がたって、出発は14:55になってしまった。雪頭ケ岳までやせ尾根を行く。梯子をおりる。十二ヶ岳が良く見える。15:13、雪頭ケ岳に出る。尾根上のちょっとしたピークだが晴れていれば富士山を始め、展望の素晴らしい所だろう。二度目の山頂だが、いつも曇っていて残念だ。眼下に西湖。左に河口湖。樹林に中の急な下りになる。ロープのある場所もあった(たいしたことはない)。1年9ケ月前に来た時と同じ、15:45、ブナの森で一休みする。やがてスギ林の中をひたすら下る。あかねさんは17:30、河口湖駅前藤沢行のバスに乗車を希望していたが厳しいか。登山路を抜ける少し前に動物の骨格標本のような物体が道端にあった。本物にしてはきれいすぎて標本のように見えるが、こんなところに標本を放置する人がいるとは思えず、やはり本物だろう。沢を渡ると根場民宿村の案内が出てくる。17:06、根場についた。17:30のバスは諦めてしまい、のんびりしてしまうが、急げば17:30のバスに間に合ったかもしれない。17:35に河口湖駅に着いた。あかねさんは18:00の横浜行きのバスに乗ることになった。S矢さんも自宅そばに行くバスで帰宅するとのこと。河口湖駅前から運転が得意なリリーさんが中央道の日野バス停まで運転をしてくれた。リリーさんはそばのモノレール駅まで歩くそうだ。八王子から事故渋滞があったが、私は20:05には帰宅できた。心配された雨にはほとんど降られず、一時ぱらついた程度だった。コロナ禍だが、山にはまあまあの人がいた。王岳から鬼ケ岳周回はコロナボケした体には若干ハードなアップダウンの多いコースだった。事前予測よりは本格的なコースで満足したことだった。周回できてエスケープルートもあり、素晴らしい、ゴールデンコースと思う。gpsデータでは平面距離10.18km、沿面距離10・75km、累積標高登り1259m、下り1250m。
2020.08.01
コメント(2)

2020年7月26日予定されていた沢登りは雨で中止になった。雨ばかりでいやになる。山の虫がおさまらない、往生際の悪い残党3名が、午後から高尾へ行くことになった。13時に高尾駅に着いたときは雨で、温泉に行こうかなどとやけくそ気味で話した後、高尾599で一息入れることにした。ここは持ち込み物を飲食でき、明るくてきれい、居心地がよい。それぞれに、ゆで卵やパウンドケーキや漬物などを出し合ってランチをする。しばらく休んでいると、小雨になり、下山してくる登山者の姿も見えるので、14時頃、まあ、琵琶滝まで行こうと出発。傘をさして歩き始める。14:20、琵琶滝着。雨で修行滝の水量が多い。真琴さんは空手の黒帯で、20年間ほど、元旦に蛇滝で滝行をしているそうだ。ここまで来ると、流れでケーブル山頂駅を目指し、登山道を登っていくことになる。14:30、高尾病院から直接登ってくる分岐に着く。14:53、ケーブル山頂駅着。茶店は閉まっていた。雨に煙る展望を眺める。3人とも、とくに599mの山頂に行こうという気はなかった。少し先にサル園があった。入口にお姉さんがキヌという3歳の猿といて、あれこれ話してくれる。キヌは日光さる軍団から出張してきているそうだ(出稼ぎ?)。甘く育てると人を襲ったりすることになるので、しっかりしつけないといけないそうだ。15時からショーをしているという。私はいつもこの前を通るときに気になっていて、一度、中を見たいと思っていた。入園料は1000円。コロナ禍の折、お金も落としてあげたい気がしてくるし、こんな時でないと、見物する機会はないかもしれなと思い、「入ろう!」というと、二人も(いやな顔を見せず?)つきあってくれた。実は私は動物ウオッチングが大好きなのだ。中に入ると観客は親子連ればかりで、これは子供向けのショーなのだと初めて気が付いた(当たり前だったのだが)。キヌより少し大きな、スカートをはいた5歳のサルが芸をしていた。彼(彼女?)も日光サル軍団から来ていて、明日帰るとのこと。サルは自転車に乗ったり、2台のスロープの間を飛んで逆立ちして降りたりした。怪しげな算数もお披露目した。背の高い竹馬歩きが最も習得が難しかったそうだ。観客が感心したり、歓声を上げることが彼らの励み、生きる喜びになる(らしい)。30分ほどでショーは終わり、左の岩山を見に行った。岩山にサルが群れを成していた。スタッフの若い女性が中に立って、あれこれ説明してくれた。サルは81頭で、高尾土着ではなく、20年ほど前に島根でゲットされたサルたちの子孫とのこと。サルの寿命は約25年で、今のボスは5代目。25歳位で今は静かに過ごしていることが多いという。生まれたての赤ちゃんを腹に抱えた母猿や、やんちゃ盛りの子供たち、いじめられっ子が追いつめられていたりする。動物園と違って観客が餌を放りこめるのが良い。サルによって性格がちがうようで、お姉さんにべたべたまとわりついたり、髪の毛を引っ張る子もいた。16時頃、サル園を後にする。雨がほぼあがり、というか、今日は降ったりやんだり。ケーブル駅下の広場から大きな虹が見えた(扉写真)。そこそこに登山者がいる。ビアホールのある丘を左から巻く。丘の斜面にユリが咲き誇っていた。ケーブルの山頂駅があり、観光客がそこそこいた。いつも右から巻いていたので、初めてのエリアで物珍しくきょろきょろしてしまう。土産物屋まであり、チーズタルトを買う。北海道、フランス、デンマークのチーズをブレンドしたそうで、まろやかな味がして美味だった。車道のような1号路を降りていくと展望の良い所にでた。樹間からまだ虹が見えた。市街地、八王子のまっすぐな並木道が見える。ここを左折して北東の登山道に入る。人に会わず、あまり歩かれていないルートのようだった。17時前に住宅地に下山。雨上がりの清涼な空気に触れて、来てよかったねえと言い合った。住宅地に入ると「ろくざん亭」という古い建物を使った和風レストランがあった。オープンしていなかったが、こんな店に食べに来るのも悪くなさそう。国道を駅方向へ歩いていくと喫茶店があったが、17時を数分過ぎていたら断られた。真琴さんが古き良き高尾が失われたとぶつぶつ言っていた。駅そばにしゃれた喫茶店TAKAO CAFEE(昨年2019年オープン)があり、こちらは入れた。メニューにアフォガートとあり、これはアイスクリームにエスプレッソをかけたもの。750円で、風呂代に匹敵するが、私は「老い先短いから」と、オーダーした。リリーさんが「まだまだ」といってくれる。アイスクリームの甘さとエスプレッソの苦みがマッチしていて、満足。次の機会にもまた飲みたい。充足した気分になって、風呂などは頭の中から消し飛んで、帰宅したのでした。こんなふうに雨の休日を過ごすのも悪くないなと思ったことでした。
2020.07.26
コメント(0)
全544件 (544件中 1-50件目)
![]()

