飛鳥京香/SF小説工房(山田企画事務所)

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聖水紀1990/6/9(4)


 シマはようやく目ざめた。鳥はシマと、意識を失っていたベラの体をどこかに運んだよ
うだ。シマは飛行中に疲労で寝てしまったようだ。しかし、いまだに信じられなかった。
自分はあのフガンとかいう聖水騎士団の男に聖水をかけられた、が消滅しなかった。おま
けに単なる歌姫だと思っていたベラが、海水を鳥に変化させた。自分はその鳥に乗ったの
だ。脅えが今ごろ、シマの体を震わせていた。それにしてもここは。雨音が急にシマの耳
に飛び込んで来る。シマは何かの建物の一階にいた。バラック状の簡素な建物で、シマの
目前にドアがあった。窓からは激しい雨足が見えている。ドアを開けてズブヌレの男が入
ってきた。男の顔はレインパーカのフードのせいではっきり見えない。不安がシマの体を
震えさせた。不安は人を多弁にする。
「あなたはどなたですか。それにここは」
「我々はレインツリーだ」その男はフードをあげながら、言った。シマが思ったより若い
男だった。
 レインツリー、対『聖水』組織。聖水紀以前の地球社会に復帰さることを目的とする組
織だった。おまけに、呪術者集団。
「安心しろ、シマ、我々は味方だ」
「ここは、どこなんですか。それにベラは大丈夫なのでしょうか」「レインツリーの基地
のひとつだ。ここは多雨地域。聖水騎士団もなかなかちかずけまい。ベラのことは、直接
本人から聞け」
 建物に今度は小さな人間が入ってくる。フードをはずす。元気なおなじみの顔があった。
「シマ、大丈夫だった」ベラの第1声だった。
「君こそ、大丈夫なのか。たしか聖水を体に浴びたはずだ」わずかに、安堵感がシマの体
に広がっていく。
「わずかよ。それにこのレインツリーの基地で手当してもらったの。私の体は特別製なの
」傍らの男を見てベラはしゃべった。最後の言葉に意味があるかのように。
「シマにはもうしゃべったの、ロイド」
 ロイドと呼ばれた男は首を振る。
「いや、まだだ。君の口からいってもらったほうがいいと思ってね」 ベラはすこしの間、
考えていたようだが、やがて決心したようにシマの目をみつめながらしゃべった。
「シマ、あなたはシマではない」
 シマはとまどう。悪い冗談かとも思った。が、ベラの表情は、船の上の歌姫の冗長なベ
ラのそれとは別物だった。
「どういう事なのかな。君は私を探っていたのか。疑っていたのか。だから、船の上の君
は演技だったのか」シマはわけののわからない怒りで、自分がつき動かされているのを感
じた。ベラは顔を赤らめて絶句する。ロイドがその場を救おうとした。
「それはベラから答えにくいだろう。私が船にいる君を発見し、確認のためにベラを歌姫
として潜入させたのだ」
 シマは考える。この私がシマでないとすれば、一体私はだれなのだ。ベラは私が誰だか
わかっていて私に質問をしていたという。このレインツリーの人間は、本来の私が何者な
のか知っているわけか。シマは怖かった。自分が誰か聞くことが。シマの心はちじに乱れ、
叫んでいた。
「頼む。教えてくれ。私は誰なのだ」
「本当に知らないようだな」男は静かに言った。「君はウェーゲナー・タンツ宇宙連邦軍
大佐だ。聖水が地球防衛圏を突破するのに手をかした男だ。君のために地球は聖水に汚染
されたのだ」ロイドの目には憎しみの炎が燃えている。
 ロイドの言葉はシマの心に深々とつき刺さる。俺がウェーゲナー・タンツだと。地球最
大の裏切り者。急に過去の記憶が戻ってきて、タンツの心と胸を一杯にした。犯罪者。震
えがタンツの体を襲った。たっていられない。両手両ひざをついた。タンツの体は小刻み
にふるえる。汗が体じゅうから吹き出る。
 ロイドがひざまずき、タンツに被いかぶさるように、タンツの顔をのぞきこむ。「タン
ツ宇宙連邦軍大佐。君に教えて欲しい。宇宙連邦軍の秘密要塞の位置を。君しか生き残っ
ていない。宇宙連邦軍で、君しかね」タンツの脳裏には、連邦軍の潰滅シーンが想起され
た。
「ねえ、タンツ、お願い。教えて。覚えているはずよ。宇宙要塞ウェガの位置と要塞侵入
のパスワードを」
「宇宙要塞ウェガが我々の切り札なんだ」タンツは無言で震え続ける。
「だめよ。ロイド、タンツは堅く自分の殻に閉じこもっている。病院でも、自分がタンツ
だと、結局最後まで認めなかったというわ。今でもショック状態よ。我々の機械で治療し
ましょう」
「ベラ、時間が惜しい気がする。こんな奴に時間を与えるのがねえ」 あたりが急に騒が
しくなった。ロイドは建物から飛び出る。男が走ってくる。
「どうした、何があったのだ」「大変です、チーフ」息を切らせてその男は叫ぶ。雨がそ
の男の顔といわず、頭といわず激しく降り注ぐ。
「騎士団員です、騎士団員がここに」
「なぜ、基地の位置がわかったのだ」ロイドの手の中で男は崩れる。「聖水がかかってい
たのか」ロイドの方へ、雨足のけぶる中、また誰かがちかずいてくる。「誰だ。ハーマン
か」ロイドは仲間の名前を呼ぶ。
「残念ながら、ハーマンではありません」やさしい声がかえってくる。
「誰だ、きさま」ロイドはいぶかって相手をみようとした。雨脚の中、ぬっと新手の男が
登場する。大音声で名乗りをあげる。
「初めて、お目にかかります。小生は聖水騎士団員、レオン=フガン。以後、お見知りお
きをください。歌姫ベラ、さらにこぎ人シマをいただきにまいりました。おとなしく渡し
ていただきましょう。もし、だめとあらば、この私の聖水剣の舞いをご覧にいれましょう

「きさま。ひとりでここへ」
「そうです。失礼にあたらねばよろしいのですが」
「いい度胸だ。が、どうしてここが、」
「職業上の秘密ですといいたいところです。まあ、サービスしましょう。聖水が彼女にか
かったのですよ。その聖水がこの場所を教えてくれたのです」
「あの少量の聖水が」
「そうです。ああ、それについでに申しあげておきましょう。その聖水は私が先刻、あな
たがたの研究所からいただきました。私に所有権はありますものですからね」
「聖水を返してもらおう」
「わからない人だなあ。私たちに所有権はあるといったでしょう。それより、ベラとシマ
を渡してください。あなたがたレインツリーを滅ぼすのは時間の問題なのですよ」フガン
はあたまりまえのように言う。
「フガンとやら、我々が簡単にベラとシマを返すとおもったか。この基地で、きさまから
聖水を奪い取ってくれる」
「お手並み拝見しましょう」フガンはニヤリと笑う。聖水剣を引き抜いていた。建物から
ベラが飛びだしてきた。
「ロイド、無謀よ。彼は聖水剣をもっているのよ」フガンはベラを見付けてニコリと笑う。
「これはレディ、またお目にかかりましたね。聖水騎士団レオン=フガン。聖水の命によ
り、あなたを貰い受けにまいりました。すぐさま、聖水のみもとに」フガンはベラの方に、
優雅な仕草で手をさしだしていた。「笑わせてくれるわね。フガン」ベラはフガンの手を
打ちすえる。「私のお願いを受け取っていただけない。寂しい限りです。わかりました。
それでは力ずくで、あなたをさらつていきましょう」
「フガン、いい度胸だ、まわりを見ろ」ロイドが叫んでいた。フガンのまわりをレインツ
リーのメンバーがとりかんでいた。
「これは、これは怖そうなおにいさんがたですねえ」「フガン、へらず口をたたくのもこ
れまでだ。我々の包囲陣、やぶれるか」
「何ですか」フガンは聖水剣をむけた。が、聖水が彼らにとどかない。
「ここれは」どうしたことだ。
「フガン、我々が何故、このような多雨地帯にいるのか、わかるか」「ははあ。そうなの
ですか」
「きさまの想像どうりだ」水にたいしては水を使う。地球の水がレインツリーの呪術師の
念力により一種のバリアーとなっている。分がわるいとフガンは判断する。臨機応変の処
置だった。フガンは一瞬飛び上がり、ベラの真後ろに着地した。
「さてさて、レインツリーの皆さん、今日はこれで幕にしておきましょう。変に手だしを
なさると、このお嬢さんが傷つきますよ。これでも私は諦めのいいほうなのです」
「皆、構わないで、このフガンをやっつけてよ」
「レディ、そう騒がれてはこまります。あなたは諦めの悪い方ですね」フガンはベラに当
て身をあて、気を失わせる。
「フガン、きさま」ロイドの顔は激怒の色。
「皆さん、お静かに、彼女が目をさまします」フガンはベラを担ぎあげ、走り去る。上空
から飛翔機が降りて来る。「ちょうど、いい時間です」
「では皆さん、またお目にかかりましょう。あ、それから、シマによろしく」飛翔機は飛
び上がっていった。 








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