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朱蒙 登場人物【1】(歴史とドラマ)を見る多勿(タムル)軍 / 高句麗(コグリョ)【1】ヘモス(解慕漱)●ホ・ジュノ(井上倫宏)【歴史】ある日、天から白鳥に乗った羽衣を着た百人余の天人が、天空を駆ける五龍車につき従い、清らかな音色を響かせ、艶やかな雲の間から熊心山に降り立った。そこで十日余り過ごし、訖升骨(きっしょうこつ)城に降臨。五龍車に乗っていた天帝太子、ヘモスは鳥羽冠をかぶり、腰には龍光の剣を差していた。解慕漱はそこを都に定め、国名を北扶余(卒本扶余)とし王になったと言う神話がある。解夫婁が東扶余に移った後、解慕漱が扶余に現れ、扶余王となったとも言われている。クムワ王(金蛙)の父と言う説もある。【ドラマ】チュモンの実父。勇猛果敢な戦士。タムル軍を率いて多くの古朝鮮の流民を救い、圧倒的なカリスマ性から漢に抵抗する象徴的な存在となる。扶余の裏切りで漢に捉えられ両目を失い、逃げた所を漢との対立を恐れるヨミウルとプドゥクプルによって約20年にわたり幽閉される。両目を失っても逆に心眼が開き、その武芸は衰えずチュモンの師匠となる。チュモンが我が子だと気づくが、名乗らず武の師として成長を見守っていた。ユファと再会しお互いの愛を確かめるが、自身の存在が扶余を混乱させると考え、扶余から去る。その矢先テソ、ヨンポの襲撃に遭い体中を矢で撃たれ、テソの剣により息絶えた。ヒョッポ(陝父)●イム・デホ(広田みのる)【歴史】日本最初の国、多婆羅国(出雲王国)の始祖と言う記録がある。チュモンの怪力神話にも登場。チュモンと一緒にクムワの7人の王子に虐められたと残っている。チュモン20歳の時、出会い弟子となる。高句麗建国後、大輔(テボ)に任命。(テボ:高句麗の最高官職)ドラマではマリが大輔になったが、実際はヒョッポがリーダー的存在だった要素が強い。紀元前3年以降、チュモンの息子ユリが、王の仕事に専念しない事を注意し、ユリの怒りを買って左遷。不満を抱いたヒョッポは、日本地域の出雲へ逃げる。そして日本最初の国、多婆羅国(出雲王国)を建国したと言われている。【ドラマ】チュモンの忠実な部下で義兄弟。タムル軍の地官使者(チョガンサジャ)で、高句麗建国後は護衛大将。父も叔父もへモスに仕えたタムル軍の譜代重臣。護衛大将になったのは家柄重視されたもので、本人もそれを心の誇りとして強く自負している。力は強いが、やや肝が小さい。オイ、マリと同様、チュモンに出会い、行動を共にする中で成長していく。サヨンに好意を持ち、サヨンからも好意をもたれているが、1つの土地に王が2人立つことは無理と知り、別れを受け入れる。オイ(烏伊)●ヨ・ホミン(中尾一貴)【歴史】チュモンの怪力神話にも登場。チュモンと一緒にクムワの7人の王子に虐められたと残っている。チュモン20歳の時、出会い弟子となった。チュモン亡き後も、ユリ、ムヒュルと親子3代に渡り要職につき、マリと共に使えた。【ドラマ】チュモンの忠実な部下で義兄弟。高句麗建国後は大将軍(テジャングン)。マリ、ヒョッポと賭博や盗みを重ね、所謂「町のゴロツキ」であった。チュモンと出会い、行動を共にする。武に秀で熱くなりやすく、照れ屋。プヨンに恋心を抱くが、想いを伝えることはなかった。ムゴルと義兄弟となり二人で隠密行動をする事が多くなる。真相調べが得意。ユリの教育担当となり武芸を教える。マリ(摩離)●アン・ジョンフン(内田岳志)【歴史】チュモンの怪力神話にも登場。チュモンと一緒にクムワの7人の王子に虐められたと残っている。チュモン20歳の時、出会い弟子となった。チュモン亡き後も、ユリ、ムヒュルと親子3代に渡り要職につき、オイと共に使えた。【ドラマ】チュモンの忠実な部下で義兄弟。タムル軍右軍師(ウグンサ)で、高句麗建国後は大輔(テボ)。オイ、ヒョッポらと「町のゴロツキ」をしていたが、決してよしとしていなかった。人生に諦めを抱いていたところにチュモンと出会い、一念発起、以後チュモンと行動を共にする。知識豊富で暴走するオイとヒョッポの歯止め役。損得での判断が多く、早とちりや思い込み、情に流される事も少なくなかったが、チュモンと生きていく中で大きく成長する。ユリ(類利、瑠璃、琉璃)●アン・ヨンジュン(宮野真守) 幼年期:チョン・ユンソク(こおろぎさとみ)【歴史】チュモンの次男説もあり。(長男は閭達(ロタツ)。チュモン死後、閭達が王になり、閭達が死後如栗(ルリ、ユリ)が王になる。と『魏書』に明記。閭達欠落説がある。詳細は不明。)ユリが生まれた年、ピリュ10歳、オンジョ5歳。幼少時代から、父チュモンについてソヤから一切教えてもらえなかった。大きくなった時、ソヤから父の事を教えらう。それと同時に、『あるものを七角形の石の上の松の下に埋めた。それを見つければこそがわが子だと言いなさい』と言われた事を知る。そこでユリは探し回り、ある朝家の柱の礎石の間に音がする事に気が付いた。それを頼りに探すと、礎石が七角形で、柱の下から剣のかけらを発見。それを持ち、B.C.19年夏4月、屋智・句鄒・都祖、母親らとプヨから逃亡。父であるチュモンに差し出した。王の剣の一部と合わせると、剣は血を流して接着し、一振りの剣になった。王はこれに満足しユリを太子とした。しかし、会えたのもつかの間、わずか5ヵ月後に父チュモン崩御。その後、王となるが徐々に王としての勤めが疎かになる。それを注意したヒョッポを左遷してしまう。ユリの妃はソンヤンの娘松氏。しかし紀元前17年冬10月、王妃松氏が死去。その後2人の側室、鶻川国出身の禾姫と前漢出身の雉姫を迎えるが、ユリの寵愛を争い仲が悪かった。住まいを別にしたり色々手を焼いたが、ユリが猟に行っている間に大きな喧嘩をし、雉姫が家出。ユリが迎えに行くが、雉姫は帰って来なかった。その際、雉姫を偲んで歌った歌は有名である。西暦1年春正月、皇太子の都切が逝去。西暦14年春正月、ユリの三男無恤(ムヒュル)を皇太子とした。西暦37年夏4月、王子の1人が船着場で溺死。西暦37年冬10月、瑠璃明王(ユリ)が豆谷離宮にて崩御。遺体は豆谷の東原に埋葬。その後ユリの息子ムヒュルが王となり、プヨを滅ぼす。【ドラマ】チュモンとイェ・ソヤの子。後の高句麗第二代王、瑠璃明王。ソルランに4歳にして毒を盛られるなど過酷な人質時代を過ごし、母と祖母ユファと扶余を脱出、長い流浪の末、チュモンの元へ。誠実さと聡明さと逞しさを兼ね備えた王子として成長。年齢より早熟な王子で、王である父にすら説教をするなど頑固な一面もあった。イェ・ソヤ(禮氏)●ソン・ジヒョ(城之内早苗)【歴史】姓は不明。チュモンが東扶余から逃亡する際、すでに結婚していた。しかし妊娠中で共に逃げる事ができなかった。のちにプヨで息子ユリを出産。ユリが大きくなるとチュモンが父である事を打ち明けた話は有名である。【ドラマ】ハンベク国族長の娘。扶余第三王子としてのチュモンの第一王子妃で、ユリの母。チュモンが漢に敗れた際に命を救う。ハンベク族でクーデターが起こり、チュモンに保護される。その後、チュモンと結婚し、ユリを授かる。婚儀をテソが利用したため、まわりの眼には政略結婚と見られた。チュモンがタムル軍を組織した後は扶余の人質となり、ユファと脱出するもヨンポに見つかりまたもや人質となる。その後脱出に成功するが、長い流浪生活に。チュモンとの再会を希望に平民として生きるが体は重い病に。再会後、変わらぬチュモンの深い愛により奇跡的全快、ソソノの計らいにより高句麗第一王妃に。ピリュ(沸流)●イ・ジェソク(疋田高志) 幼少期:ユン・ジョンウォン【歴史】高句麗にいた間、チュモンは自分の子供のようにかわいがった。ユリが高句麗に来て王に慣れない事を知り、弟や母、10人の家臣や多くの百姓を連れて南下。漢江(ハンガン)付近に着いた時、弟はそこに国を作る。しかし、ピリュは家臣のいう事を聞かず、百姓を別けて海の方に向かい彌鄒忽(ミツホル)(仁川)に国を作った。彌鄒忽は湿気が多く、水捌けが悪く、水は塩分を含み、安心して暮らせなかった。それに引き換え、弟の国は大きくなっていく。結局多額のお金をかけ国造りに失敗し、ピリュは自害した。【ドラマ】ソソノとウテの長男、誕生時は卒本。ユリとは何かと縁があり物語終盤でユリの義兄となるが快く思っていなかったが、ユリに2度命救われたことを思い出し後にわかりあう。ソソノ達と共に新天地へ向かう。オンジョ(温祚)●キム・ソク(村上想太)【歴史】百済の始祖。日本の神武天皇と同一人物という説もある。ユリが高句麗に来て王に慣れない事を知り、兄や母、その他10人の家臣を連れて南下。漢江(ハンガン)付近で兄と別れ、烏干・馬黎ら10人の家臣や母、多くの百姓と共に建国。10人の家臣が力を尽くしたので、国名を十済(シッチェ)とした。兄の亡き後、兄の国も吸収し、徐々に国を大きくしていった。最初に建国した時の10倍の大きさになった事から国名を百済と改名。【ドラマ】ソソノとウテの次男、誕生時は卒本。物語終盤でユリの義弟。しかしピリュ同様、ユリの存在を聴かず育ったため、快く思っていなかったが真相を知り、わかりあう。最終話でソソノ達と共に新天地へ向かう。史実では高句麗を後にし百済を建国し初代王となる朱蒙 登場人物【3】(歴史とドラマ)を見る
2010.06.07
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●善徳女王 あらすじ動画● ●相関図●
2010.06.17
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