仙台市泉区在住の健康オタクの気まぐれ日記

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カテゴリ: 医療問題
仙台市泉区のインプラント治療の ながさわ歯科医院 の長澤です。いつも有り難うございます。皆様の健康に役立つ情報をお届けできたらと思っています 



アメリカ医療の光と影  第195回

アウトブレイク(10)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)
(2922号よりつづく)
 前回のあらすじ:20世紀前半,米国で最も恐れられた感染症ポリオを克服すべく,ワクチン開発用に多額の研究資金を提供したのは民間慈善団体「マーチ・オブ・ダイムズ」だった。

 ハーバード大学のジョン・エンダースが,ポリオワクチン開発の「突破口」となる研究を成功させたのは1948年のことだった。組織培養を利用するとポリオウイルスの増殖・継代が容易となることを示したのであるが,彼の研究はウイルス学そのものを大きく飛躍させただけでなく,ウイルスの大量「生産」に道を開くことでワクチン実用化を大きく前進させた(註)。

生ワクチンか不活化ワクチンか

 当時,ポリオワクチン研究の主流はアルバート・セイビンらによる弱毒生ワクチンの開発であり,ジョーナス・ソークがめざした不活化ワクチン開発は「異端視」されていた。しかし,生ワクチンの開発にはサルへの投与試験で弱毒(低病原性)であることを確認しなければならず,実用化までに著しく時間がかかることは避け得なかった。一方,ソークにとって,エンダースの組織培養法確立は,不活化ワクチン実用化に向けての最大の技術的難関克服を意味した。

 マーチ・オブ・ダイムズはワクチン研究の最大のスポンサーであっただけに,実質的に研究の方向性を決める権限を有していた。理事長のバシル・オコーナーにとって,長年莫大な研究資金をつぎ込んできたにもかかわらず生ワクチン派の高名な研究者たちから「開発には時間がかかるから我慢が必要」と説かれ続けてきただけに,ソークの不活化ワクチン早期実現の「売り込み」は新鮮に響いた。しかも,1951年の船旅で知己を深めて以来,ソークとの間には親密な友情が育まれていたこともあり,その研究を全面的に支援するようになるまでに時間はかからなかった。

 かくして,1952年6月,ソークの不活化ワクチンが初めて人体に投与されることとなった。被験者は障害児施設に入所する16歳の少年だったが,ポリオ感染歴のある元患者を対象とすることで初めての臨床試験を行ったのだった。

 1953年1月,ソークはマーチ・オブ・ダイムズの予防接種委員会で「161人を対象に不活化ワクチンを投与したところ,血清抗体価の上昇が認められた」ことを報告した。ワクチンとしての有用性を示唆する結果だったが,さらに大がかりな臨床試験を実施するかどうかについて,予防接種委員会の委員たちの意見は分かれた。セイビンら生ワクチン派の研究者たちが,「不活化が完全である保証はどこにもない。もしウイルスが生き残っていた場合,被接種者にポリオが発症するのだからこれほど『恐ろしい』ワクチンはない」と,その安全性に疑義を呈して猛反対したのである(猛反対の背景にはオコーナーがソークを「えこひいき」しているとするやっかみもあったと言われている)。

「国民的熱気」の下 で始まった大規模臨床試験

 一方,ワクチンの早期実用化を悲願とするオコーナーは,予防接種委員会とは別に臨床試験反対派を排除した「ワクチン助言委員会」を組織,そのお墨付きを得ることで,大規模臨床試験実施を決めてしまった。セイビンは不活化ワクチンの安全性が確認されていないことをあらためて指摘,試験延期を強硬に主張したが,オコーナーは聞く耳を持たなかった。

 聞く耳を持たなかったのはオコーナーだけではなかった。当時の米国でポリオに対する恐怖感がいかに強かったかは前回も述べた通りだが,ポリオの恐怖にとりつかれた親たちが臨床試験の早期実施を熱烈に支持,「どうぞ私たちの子どもにワクチンを打って,効くか効かないか試してください」とこぞって志願したのである。

 1954年4月,不活化ワクチンの有効性を検定するために,史上最大規模の二重盲検試験が始められた。臨床試験は「国民的熱気」の下で行われることとなり,注射の痛みをこらえて治験に参加した児童にはごほうびとして「ポリオ・パイオニア」と書かれたバッジを胸に付けるなど,「お祭り騒ぎ」の様相さえ呈したのだった。最終的に被験者となった児童は180万人に上った。

 米国民が待ちに待った試験結果が発表されたのは1955年4月12日のことだった(奇しくもフランクリン・ルーズベルト没後10年目の命日だった)。会場となったミシガン大学には報道陣が詰めかけ,発表は全米にラジオ中継された。それだけでなく,ある製薬会社がスポンサーとなって全米の映画館に中継するイベントを主催,医師5万4000人を招待したのだった。

 主任研究者のトーマス・フランシスが「80-90%の感染防止効果を認めた」とする報告書を読み上げた途端,全米が喜びに沸き立った。全米各地で教会の鐘が鳴らされ,学校では児童の歓声がこだましたのである。ソークは一夜にして「国民的英雄」となったのだが,セイビンが警告した通りの 「恐ろしい」事態がすぐに起こること になるなど,誰も夢にも思っていなかったのだった。

(この項つづく)

註:この成果を認められて,エンダースは,1954年,共同研究者二人とともにノーベル生理学・医学賞を授与された。





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Last updated  2011年04月16日 13時55分02秒
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