徒然

徒然

2012.04.19
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ライト兄弟はご存知だと思います。

飛行機の発明者で世界初の飛行機パイロットですね。
自転車屋をしながら兄弟で研究を続け、1903年に飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功した偉人ですね。(まだ飛行機ができて100年くらいなんですね…)

彼ら以前300年、多くの研究者や飛行愛好家たちは「人力で飛ぼう」としました。

そして、何人もの人々が実験により命を落としました。
ある人は、こうもりの格好でビルの30階から飛び降りたり。
大きな傘をもって飛び降りたり。
大きな団扇をもって、飛ぼうとしたり。

そして、ことごとく失敗しました。
実に300年も人類の空への憧れは大自然の前に圧倒されてきました。

数々の自然科学の研究や技術改善の軌跡を学んだライト兄弟が最後に悟ったのは、

「人知を捨て、人力への過信を去り、ただ自然の法則に合わせる」

ということでした。


初飛行に成功した兄弟にある人が

「おい、よく空を征服したな」

と祝福の言葉をかけられました。

すると、兄弟は

「冗談じゃない。我々が空に合わせて変わったんだ」と言いました。

自然の中には「大気」や「風」という現象があり、ただ人間がそれに合わせさえすればいつでも飛べたのに、そんな単純な事実も「腕力や走力で飛べる」と思っているうちは、見えなかったということです。



仕事でも何でもそうだと思いますが、

「自分のやりたいこと」に相手を合わせさせるのではなく「相手の望み」を察して自分の長所や性格を表現する。

これが重要ではないでしょうか?

ただそれだけの単純なことが、知識を詰め込むほど頭が鈍くなり、できにくくなる場合があります。

仕事のスタイルはこうだ
仕事がこうあるべきだ
就活はこうあるべきだ
社会はこういうもんだ

世の中「自分なり」とか「自分らしく」という価値観ももてはやされています。

それも一面の真理はあるのでしょうが、人はすぐに慢心して目の前のことさえも見えなくなるものです。
そして、自分の思うことに固執していきます。

また、何か問題が存在すると、それらは全て「不足」によるものだと無意識のうちに決め付けてしまうことがよくあります。

「集中力が足りない」
「時間が足りない」
「思いが足りない」
「行動が足りない」

などなど。

私は、それは不足ではなくエゴや虚飾の鎧が重すぎて潰されているだけではないかとこの頃思います。

就活がうまくいかない人ほど勉強していたりします。
仕事がうまくいかない人ほど知識があったりします。

全員がそうではないですが、そういう人の中には

認められたい
よく扱われたい
他人より良く評価されたい
他人から良く見られたい

といった自分中心の発想に囚われすぎて、自分を見失っている人がいます。


以前、このブログでご紹介した『春宵十話』という本の中に、道元禅師の言葉があります。
出光佐三さん、松下幸之助さん、稲盛和夫さんなどの日本を代表する偉大な創業者は、禅の言葉を大事にしています。

その中のひとつに

「自己をすすめて万法を修証するを迷いとす。万法すすみて自己を修証するは悟りなり」

「学ぶとは、自己を習ふなり」

という有名な言葉が出てきます。


この頃、多くの人と話すようになって
人が新たな達成を得る時は

「何かを身に付けた時」ではなく「元々あったものに気付く時」

ではないかと思います。

達成や悟りはいつも期待を下回って素朴なものです。
大きな感動や偉大な達成は、いつも

「やればできる」
「練習の成果」
「お客様のおかげ」
「みんなに感謝したい」

など、シンプルな言葉で表現されます。

現実には皆こういう言葉を使いますが、心からそう思えない限りは、そう思えるようになるまで、何度も何度も現実から波状攻撃のような教育を食らうのではないかと思います。

実際、私も食らいまくってますしね。

そして、傲慢で利己的な執着を捨て去った時、そこに元からいた素朴な「自分」の姿に気付き、

「なぁんだ、自分ってこういう人間だったのか」

と気づくのかなと、若輩者ながら思っています。

どこで何をしようが、結局は「あるべき自分」や「元からそうだった自分」に立ち戻る行為を続けていて、それを受け入れられるかどうかが重要なのではないかと思います。


私は、人が人を変える、

個人が社会を作り変えるなどといった発想は慢心なのではないかと思います。できるのはただ、

「本来あるべき自分」
「そうありたい自分」

に気付かせるささやかなきっかけ作りに過ぎません。

どれだけ「私には無理なんです」と言おうと、 経験的に未熟であろうと、才能や可能性が「ない」とは思えません。

「ある」と信じるからこそ、あれこれ手を尽くして、お手伝いしていこうと思っています。

そして、何かの目的や目標が達成された時は

「自分で考え始めただけだよ」とか「自分を思い出しただけだよ」と言おうと心がけています。

少なくとも、「変える」のような他律的な思い上がりで接することだけは避けようと思っています。

自分が手を尽くして変えるのではなく、自発的に変わる手助けをする引き立て役に徹することです。

なにせ、「学ぶとは、自己を習ふなり」ですから。


大それたことや珍しいこと、無茶なことやテクニカルなことをしなくても、今ここに「あるべき自分」になれる全ての材料は揃っているのではないでしょうか。

もし本当に何か知識やスキルに欠けがあるのであれば、エゴや虚飾の鎧を脱がねば見えてきません。

大きいことをやるのが自分らしさではなく、小さいことをどれだけ大きく優しい気持ちで受け止められるかが自分らしさです。

ですから、

何かを伝えるときは

経験を語るのではなく、経験で自分を語ることです。

何かを提供するときは

自分がしたいことではなく、社会の誰かが望んでいて、自分がせずにはいられないこと

であるべきです。


営業でも同じです。

商品を売るのではなく、商品であなたが、考えて、保有している価値を売る

自分が売りたいモノではなく、相手が望むコトを売る

ということであるべきです。


小さいことにも大きく感謝でき、自分を全面的に受け入れたら、一歩前に進めます。あなたが劣っているわけではないです、劣っていると思う自分がいるだけではないでしょうか?

まず鎧を脱ぎましょうね。

動くには重過ぎませんか?

そうしたら、自分の本当の欠けや姿が見えてくるのではないでしょうか?





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最終更新日  2012.04.19 23:08:44
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