ユッコのお取り寄せ喜怒哀楽

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2017年08月27日
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カテゴリ: 日常




先週の日曜、月曜日に滞りなく葬儀を終えました

父の希望で家族葬にしましたが、父の知人に連絡したらどうしても参列したいとおっしゃる方もいて、身内だけということもなかったわ

父の遺言で喪主は長男である弟を立てたけど、これがまたねぇ・・・(苦笑)

ま、覚悟はしてたけど私がほとんど取り仕切り、陰の喪主ぽかったわ~

葬儀社の人も見てわかったようで私に何でも伺いをたてるのよ

お香典も私が預かり、お礼状やらこれからの香典返し等もすべて私がやるわ

まあ、それでも各種手続きなどは住民票の関係で弟がやらないといけないものもあるので、頼めばやってくれるし次男の弟は良く手伝ってくれるので、姉弟仲良く助け合っている構図は出来てるかしらね( ̄▽ ̄;)ニャハ




えっと、父の詳しい病名のことをいつか話そうとして機会を逃してしまったんだけど、たぶん皆さん、察していたと思います


父の病名は癌で原発は食道

発覚した時にはすでに、他器官(リンパ、骨)に遠隔転移しているステージ4だったので手術は不可

最初に精密検査をした病院では父の治療をする設備がなかったので、他の病院を紹介してもらいました

化学療法での治療となるものの、なにぶん、79歳という高齢なので副作用に耐える体力が保てるかという問題があるので先生からは、治療はせずに痛みのコントロールだけをして余生を楽しむ選択もあると言われました

でも父は少しでも延命出来るならと化学療法での治療を選択しました

父は見た目、79歳と思えないくらい元気だったこともあり先生も特に止めなかったわ

すぐに入院して検査後すぐに抗がん剤治療が始まりました

父の場合、1週間入院して連続して薬を投与し、その後、退院してまた3週間後に入院して治療するという1ヵ月サイクルだったわ

心配していた副作用だけど、これがね便秘以外はほとんど出なくて吐き気もなかったの(ちなみに髪は抜けない薬なのよ)

ただ、入院中に左手の握力が段々となくなってきて、検査入院の時に脳にちょっと影があったこともありMRIを撮ったのよ

そうしたらやっぱり脳に転移していて左手の障害はそのせいだと言われたわ

この時の父の絶望感に満ちた嘆きは今も忘れられないの

でも、今の医学ってすごいのね

ガンマーナイフっていう特殊な放射線で治療出来るから大丈夫ですよと主治医の先生が父を落ち着かせてくれて(実際は使えるギリギリの大きさだったけど)今度はその設備がある病院に転院したわ

ここでも治療は順調でね、治療中に左手の握力も戻っていたわ

その後も1ヵ月に1度の割合で抗がん剤治療をして5月くらいまでは本当に順調だったし、以前と全く同じとまでは行かないけど普通に生活を送れてたのよ

ただね、ずっと首が痛いって言っていて頭痛もひどくなってきたので首の精密検査をしたら、頸椎に転移していてこのままほっておくと麻痺してしまうので急遽、放射線治療をすることになったのよ

と、同時にリンパや脳には効果があったけど骨には全く効果がなくてむしろ広がっているというので抗がん剤の種類を変えたの

今度は週に一度、1時間だけなので通いだったわ

放射線治療の効果があって首の痛みも頭痛も無くなったけど、このころからご飯を食べれなくなってどんどん痩せていったのよ

6月からはほぼ父に付きっきりで私の体力と精神も限界にきていたわ

ちょうどこのころに不正出血をして下腹部と腰に痛みがあったの

気になってはいたけど病院に行く暇なんてなかったわ

あ、そうそう、実はね次男の弟が父の具合が悪くなってから実家から会社に通ってくれてたので夜は安心して任せることが出来たのよ


6月の中旬に父が岡山に住んでる叔父を呼び出してね(お見舞いに来たいというのを断っていた)父の面倒をみてくれたおかげでようやく病院にいくことができたのよ

検査結果が出るまでは心配だったけど異常なしでした


7月の中旬に最後の入院をしたけど、その入院中に主治医の先生に呼ばれて、もう父には積極的な治療は出来ないこと、この夏を超せるかどうかという状況だと告げられました

もちろん、父にはそのことは言わず退院したあとは在宅医療を受けて体力が戻ってからまた抗がん剤治療を始めると最後まで信じていたと思うわ

辛くなるのであんまり最後の方は書きたくないけど、痛みが強くて薬も増やしたので在宅医療を開始した時は本当に大変だったわ

こんなに短期間に状態が悪くなるものだろうか?と戸惑うくらい日に日に悪化していったの

弟と私が対応できなくなるくらいきつい状況にもなって、このままだと療養病院にいれるしかないかもと思ったの

でも弟と話合い、出来れば入院はさせたくないと思って訪問看護師さんやヘルパーさんの助けを借りてなんとか最期は自宅で看取ることができました

ブログでも時々吐き出していたように、父にはいろいろひどいことを言われたけど、たまにだけど優しいことも言ってくれたりもしたのよ

自分でもびっくりしてるんだけど、こんなに淋しいとは思わなかったわ

6月に父の知人に電話をしてたらしく、その知人の方によると「娘が病院にずっと付き添ってくれるから心強いんだ、娘はいいぞ」と言ってたんですって

その割には心無い言葉を沢山投げつけられたし、ひどい態度も取ってたけどね


弟たちがダメダメ(次男は今回よく頑張ったけど)だったので、生前中、実家のことはいつも私にさせようとしたかららそのことで何度も父とは衝突したのよ

特に長男だからという理由だけで弟には甘々だったから私はいったい何なの?って憤慨することが多かったわ

本当はね、父が亡くなったら、もう実家のことなんて知らないって弟達に丸投げするつもりだったの

でもね、あれだけ家やお墓を長男に守って欲しいと願っていた父の想いを考えると、それも出来ないわ

母が亡くなった時も、亡くなる少し前に「弟達のことをお願いね」と言われたのよ

それの延長戦だわね~(笑)

長女の宿命で諦めるしかないわよね

落ち着いたら次男の弟にも話して(長男が父のことを何もしなかったから怒ってるけど)今後協力して長男のサポートをしていくわ

遅くなりましたが、父の訃報に際してお悔やみと私への慰めと励ましのお言葉をありがとうございました

なにぶん、忙しくて個々にお返事が出来ずお許しくださいませ


親戚の人達が口々に「本当によく頑張ったね」って言ってくれて、いつもなら「そんなことないよ」と言うけど、今回は素直に「うん、頑張った」と答えてます

正直を言えば、もっとこうしてあげればよかったとかもっと優しくしてあげればよかったと後悔ばかりです

でも、どんなにしてあげてたりしても必ず後悔はするだろうし、自分の出来る精いっぱいのことはやれたと思っています

きつかったけど、何とか頑張れたのはブログではき出したり出来たおかげです

ブログをやっていて本当に良かったし、父の病気がわかった時に止めなくて良かったわ


超絶忙しくても、法事とかで使うものを買わねばならないので来週からのスパセ (9月2日(土)19:00~7日(木)1:59) はがっつり参加予定です


長くなりましたが、落ち着きましたら通常のブログを再開する予定ですのでどうぞよろしくお願いしますm(_ _"m)ペコリ






















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最終更新日  2017年08月27日 07時27分26秒
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