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いわゆる 支那そば ユルイラーメン
メディアは「特徴のあるラーメン店」を特集する。テレビなどでも「うちのラーメンわかんない奴は来るな」的な、こだわりコワモテ太い二の腕腕組み斜め45度上から目線ラーメン店主などがテレビ的には収まりがイイのだろうか?関東で過ごした40年前後前にはまだ「サッポロラーメン」「博多とんこつラーメン」「喜多方縮れ麺」などはあまりみかけなくて、どの駅にも狭い間口の汚い暖簾の「支那そば風普通ラーメン」の店があった。ラーメン丼は美しくない器で、スープも八分位の量。四角く切った海苔・ナルト・シナチク、そしてチャーシューはオプションだったりのユルイ感じ。そんなラーメンで十分なんだが、近頃、すごく頑張りすぎた特徴を歌ったお店のチェーン展開が妙に暑苦しいのだった。「味はぱっとしないかも?」という前置きで、一軒お店を紹介してもらったのだが。


愛川欽也さん悲報
少し前「子供の頃テレビ何見てた」と65才位の男性と話していた。「ほとんど洋画の吹き替えだった」という。そこからアラン・ドロンの野沢那智さんの話しになった。「洋画の吹き替えは愛川欽也さんがたくさん出てたね」とも話していた。そして今朝悲報がテレビで流れた。


声優の仕事 日本の初期
愛川欽也さん悲報で声優をしらべる。戦中は映画はダメで、戦後は海外の映画に声を当てるようになる。トーキー時代の弁士たちが当初は活躍。アランドロンで有名な野沢那智さんは演劇で借金があり声優で当たったために抜けられない運命に突入。当時「今、ドロンがかけそばを食べている」などラジオ番組で実況されたとか。もちろんドロンは野沢那智さんのことで、実像と役柄がごっちゃになっていて面白い。0011ナポレオンソロで愛川欽也さんと野沢那智が並ぶ、40%の視聴率で野沢那智さんのオカマっぽい話し方も話題に。若山弦蔵さんは声変わりで声が低くなったことをコンプレックスに思い、克服の為に演劇の勉強をしたそうだ。後に007の声を担当、マダムキラーと呼ばれる声と評価された。子供の頃「アメリカの俳優って日本語うまいね」と母に話したことがある。まさかあとで日本人が声を吹き替えているということが白黒テレビようやくの時代にはわからなかった。この頃活躍していたのが愛川欽也さんだ。一本の映画の中にいくつもの役で声を担当することもあったようだ。


日本の声優 最近
洋画のアテレコ(後で日本語を当てたレコーディング)から始まった声優のお仕事もアニメというジャンルが日本で活発になって変わる。第二次声優ブームは「宇宙戦艦ヤマト」のヒット。この当たりからのちにサブカルと呼ばれるジャンルが独立して世界に動き出す。「新世紀エヴァンゲリヲン」からは、声優の存在はどんどん独立した立ち位置へと。「アニメージ」などは二冊ではさみ内緒で買う時代が続く。現在は、声優は普通に顔出しでサブカルのリーダーとも目される一面がある。個々の声優についてはあまり詳しくないので割愛。


ラジオ ひらめき
ラジオで「ひらめき」についてやっていた。その昔、人間がマンモスを追って日本にやって来た頃・・よりは少し最近、ぼくにも中学時代があった。勉強が嫌いな訳ではないが成績は悪かった。受験勉強中でも好きな本を読んでいた。宮城音弥さんの、心理学・天才は好きだったが、当時はあまり進んだジャンルではなかった。精神分析も、太った人はそううつ傾向・筋肉質はてんかん気質・痩せ型は精神分裂傾向とか、この程度の分類でも当時は驚いた。「天才」についても「自分は天才だろうか?」といいう根拠のない夢をみながら読んだ。消去法で、すっかり凡人以下なのがわかった。ところで、ラジオで「ひらめき」について語られていた。「ひらめき思考」という、カラフルな大形本を以前読んだ。「すごく考えて眠るとその間にひらめく」というような話が書かれていた。ラジオでは「何も考えていない時に活躍する脳の部分がある」ということが最近の実験で明らかになったのだとか。経験・快感など、単に休んだり、眠ったり、ぼんやりしたりというだけでなく、努力や積み上げや年齢も関係するから、寝ていれば良いというのでもない。何しろ過去の推論が証明された形らしい。


ラジオだけどビジュアル
ラジオで「きれいなゲストで良いですね」というコメントをDJが読んだ。ラジオは音媒体なのに何できれいなのかわかるの?と思う。ラジオと同時にネットで画像や動画が配信されていて、それを見ながらラジオを聞いて同時にツイッターなどでDJにメッセージを送るということらしい。過去には声とビジュアルが違いすぎていてとまどうということもあった。逆に「感じ悪い声」なのにラジオで有名は場合も。ネットで確認するとビジュアル系である。どっちが良いとか過去に回帰というのも難しい。今はそういう時代なのである。


電動一輪車
早朝のスーパーの駐車場は単に広くて車がまだ止まっていない。自販機の近くのベンチに老人が座って缶コーヒーを飲んでタバコを吸っていたり、お掃除の女性がゴミを集めていても誰も見向きもしない。だが、昨日は何かがおかしい。電動一輪車で一人の男性が傍若無人自由気儘好き勝手に広い駐車場を走りまわっていた。時には止まったり、前後に揺れたりもしている。「セグウエイ」というブランドかどうかはわからないが、そんな感じの乗り物だった。もしも、混雑したスーパーの駐車場で同じ動きをするセグウエイたちが走り回ったら。考えるのを辞めた。


動かないかと思っていたカメラ
3500円ほどの中古カメラ。フィルムを入れるとシャッターが切れない。「へんなの」と思った。買ったのと別なカメラ屋さんに「修理した砲が良いかな?」と、相談に乗ってもらう。「オートになっている時に光が足りないとシャッターが切れないかも?」という。家でフィルムを入れてやってみた。オート以外の所でシャッターを押すと「切れた。押せましたよ」と歓喜歓声狂喜乱舞なのでありました。「捨てなくて良かった」と、胸を撫で下ろした。


Macならウイルス大丈夫なんじゃ?
家にオフラインで保存状態の「emac」は、ウイルスが怖いから、ネットにつながったパソコンからフロッピー・USBなどの受け渡しはしない。iphoneもつないだことはない。でも「マックならウイルス大丈夫なんじゃ?」説をもっと詳しい人から聞いた。壊れるかもしれないがやってみようか?


ママチャリ ゴム草履 半ズボン
昨日は一日の長雨。今日は打って変わって春のような日。半ズボンにママチャリにゴム草履のいつもの春から秋までのお決まりのスタイルで出かけた。少し風が寒いかも?でも何とかしのげる程度。良い季節の始まり。


7秒のシャッターチャンス
浜松と豊橋の間に住んでいるから、道を渡る新幹線の高架を横切る車両を見ることがある。試しに目測で時間を数えてみたら「7秒」だった。撮り鉄の人々はこのわずかな時間に休日を裂いて綿密なスケジュールを組んで遠方から写真を撮りに来る。新居駅と弁天島温泉駅の間の跨線橋は新幹線と在来線が平行していて、両サイドには自動車の道があり、さらにその両脇には浜名湖がある。金網を切り裂き、しがみつき命がけで7秒を待つのである。


ドローン こんな使い方もあったのか?
ドローンに放射性物質が積まれて首相官邸に落ちた物が発見された。もう自分で購入できる金額になっている。ノーベルのダイナマイトは掘削をより容易にとの発明だったが、より多く戦争に使われることになった。ドローンも最初は、高いビルに物を運んだり高い場所や人間が行けない所の撮影や農薬散布の手助けにと作られたのだろうが。こんな使われ方もできる。さらに法律が厳しく見直され窮屈な使用となりそうだ。


電池が切れて動かないカメラ
最近「オート」に絞りを設定のまま暗い所で撮るとシャッターが降りないというやっかいな中古カメラの使い方を教えてもらった。このカメラは1972年頃の物で、電池を入れなくても稼働するところ。最近買ったフィルムカメラがなぜか動かなかった。電池がないとカメラレンズのカバーが開かず、自動でレンズも飛び出さない。電池を入れ替えたら動いた。今の電池偏重社会の縮図を見る思いだ。


バス停 バス早め出発に取り残された
アリーナから、走ったり歩いたりして浜松駅まで行った。アリーナのバス停を1分早くバスが出たためだ。それを二分前に手押し横断歩道から指をくわえて見ていたのだ。あまりにくやしくて植松町まで走って行ったが、足が痛くて疲れきってバスを待つことにした。すると今度は今度は次のバスがいつまで経っても来ないではないか。疲れ果てていたのだが、結局歩いて駅浜松駅まで行った。


パックマン 選挙カー
テレビゲームは任天堂の初期で終了。現在のゲーム機はまったくわからない。「パックマン」という迷路みたいな画面をパクパクと何か食べたり、逃げたりするゲームがあった。段々早くなると捕まるのだ。
明日は市会議員選挙。立候補者の一人が落選する。選挙カーが細かく市街地・住宅地に入り、最初は出くわさないように考えて走っているのだが、段々出くわすようになると相手候補にエールを送るコメントを互いに残しながらすれ違う。刀を持っていたら「カキン」という刃の交わる音がしそうな距離だ。
この様をもしドローンが見たら、まさにパックマンの画面のようだろう。


メンコ ベッタン
公園に母親たちが遠巻きに見る中「ダルマサンガコロンダ」という声が聞こえた。小さな子どもたちが、大人の誰かに教わったのだろうか?母親たちは子供の頃にそんな遊びをしただろうか?そうか。祖父母が孫の面倒を見るから教わったのだろうか?
そんな祖父母がほぼ、ぼくの同年代。
大阪では「ぼうさんがへをこいた」「ほんとうにくさかった」というのもあり、ようするに10を数える替りの言葉呪文なのである。
子供の頃には大阪では「ベッタン」というのがあった。共通語では「メンコ」というらしいが、まだ大阪から出たことがなかったから、関西関東バイリンガルではなかったのだ。
粗悪な厚紙の表面に毒々しい極彩色でキャラクターの絵が印刷されていて、妙に競争心を燃やして集めたものだが、今はどこ?
横尾忠則氏のイラストの極彩色はそんな印象を思い出す。
西洋の洗練されたイラストに染まろうとしても心の根源にこの「メンコ・ベッタン極彩色イラスト」が刷り込まれていて、なかなか抜け出せない。でもまあ日本人なんだし、それも良いかも?





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最終更新日  2015年04月27日 08時45分54秒
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