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星港からフランクフルトで乗り継いで合計24時間、カナリア諸島まで来た。ナイジェリア企業の運航するLNG船に乗っている。アフリカなんて今までスエズ以外関わることがなかったので本当に何にも知らなかったが、ナイジェリアって随分裕福な国なのな。先入観とか常識が覆るとかではなく、これは一体何ショックと呼べばいいのやら。大体西アフリカと聞いて認識するのは、ギニア湾に生息するかつてのソマリアより凶暴な海賊とか、年中寄付を要求している日本のよく分からない団体とか、声がでかいとか未開とかなんかいっつもどこかで紛争しているとか、ネガティブな事しかなかった。今回も20歳過ぎの高齢船だがお金をかけてよく手入れされている。乗組員のナイジェリア人はみなとても親切で、作業安全にえらく厳しくこまめにミーティングしている。食事も随分いいものを食ってやがる。マレー人との混乗だが一般的なよくある配乗なんだそうな。日本人が一人で乗ってきてジロジロ絡まれたら嫌だなあなどと思っていたが、日本への寄港実績も何度もあり、実に知らぬは自身のみであった。
2023.09.24
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ついに親知らずを抜歯した。思春期は不幸だった。折角の男前な顔が歯並びひとつで台無しになるという屈辱をして、鏡を見るたびにため息をついたものである。上も下も左前歯があさっての方角へ飛び出しており、下の前歯に至ってはアゴが細すぎたせいか三本しか生えてこず、いつしか冗談みたいな顔になった。何度も親に歯列矯正をさせて欲しいとお願いするたびそんなものにお金をかけたくないうちの母は、ちょっと歪んでいるのがかわいいのよなどとスッ惚けたことをぬかすので、しようがなく薬局で買った高いホワイトニング歯磨き粉 (効果は全くないどころか研磨剤で表面を傷めて余計着色しやすくなる) を使うことでせめて黄ばみだけでも取れないかと無駄な努力をして心の安定を保っていた。そして大学に入った頃、わ、汚い前歯、矯正したら? と言ったのも母である。そうして当時、矯正歯科で相談した折に初めて自分のレントゲン写真を見せられ、そこでようやく上下四本の智歯の存在を知った。色々都合が合わず結局歯列矯正を断念してから早二百年。一昨年の陸上勤務中に東京の歯医者へ健診に行った折、右下の親知らずが表面へ出現していることを知る。このしばらく、前歯が以前と比べてさらに飛び出してきたのと、妙に口臭が気になり出したのでどうしたものかと思ったら、まさに原因はコイツだったのだ。もっと早く、日本で保険治療しておけば良かったと思うがしかしこっちに来てしまったからには仕方ない。最近ようやく業務が安定して時間が取れるようになったので、そろそろ処置しようかとシンガポールの歯医者を調べたら、抜歯一本十数万円。アホか!シンガポールの医療は発達しているとか巷でぬかしてますが、費用や制度をみてごらんなさい、ただの医療後進国である。というわけで平日休みを取り、今年から家族で通っているジョホールはタマンセントーサの歯医者さんへ。結果的に薬とレントゲン費用込みで1400リンギット(四万円くらい)で済んだ。といっても日本で保険治療した場合の五倍か…。若い先生だが親切丁寧、診療中はいつもグーグル翻訳を駆使して子供らにも丁寧に説明してくれるし、カード払い可能、何より院内の清潔さがありがたい。直前の予約でもメッセンジャーでチャッチャとやってくれて、術後の経過も気にしてメッセンジャーで状況を聞いてくれる。これで多少歯並びが改善してくれぬものだろうか。抜く際にバラバラに割った歯の破片をもらって持って帰り、丁寧にアロンアルファで組み立てたのちじっくり眺める。こんなバカでかいものがまだ三本も埋まっているなんて。写真を撮って母へ送りました。
2023.07.07
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昨日スドン錨地から、きったないヘルメットかぶって下船して帰宅した折、パソコンを開くと人事部から「勤務一年おめでたう!」的な意味不明なメッセージカードが送られてきていた。なにがおめでたいねん。アホか!!と思うもしかしこの一年間、あっという間に辞めたり戻ったりしている人々を目近に見てきた。星港だけじゃないかもしれんけど、皆さん本当に簡単そうに会社をうつろうわけである。一度離れた人間を再雇用しない日本の会社とは環境が異なるのである。かといって会社が不安定なのかというと決してそういう事でもなく、よく分からないが皆さん長くて三年くらいでどんどんヨソへ移っていく様子だ。おかげさまで渡航してから一年が過ぎた。無事かどうかはともかく。業務としては、去年の十月頃からほとんどオフィスに行くことなく済んでいる。長期の乗船になると家族のことなど問題が多いが、シンガポールドック入渠だとありがたい。自宅からドックへ通えるという、長いこと期待していた環境を得られたのは大きい。転職した去年の四月、工務監督業務として前職とやっている事の隔たりがかなり大きく検船や証書、運航マターばかり気にしており、エンジントラブルの対応など誰もやってないし図面も誰も読めないし、そもそも予算が少なすぎて予備品一つまともに手配できず、船長機関長の愚痴を延々と毎晩毎晩メッセンジャーで聞いてあげるだけの、一言でいえば最悪だった。転職は大失敗だったと思ったわけである。半年後の十月、縁あって初めてのLNG船を引き継ぎ、ようやく小生の出番がきたと張り切っていたところ、やったことないから俺にやらせろという強引な人間がわらわら湧いてくるわ、自分の評価のために小生を弾こうとするわ、奇行をする人間が多く本当にうんざりさせられた。あれから更に半年。LNG船をさらに数隻受け継ぎ、無事にお商売へ投入している。はっきり言ってやろうか。自分の評価のためにゴリ押しで進めようが偉そうに吠えようが、図面の一つも読めない、乗ったこともない自分で触ったこともない、電気も分からない、そもそも何が無礼で何が失礼かも分からない、そんな連中が小生に勝てるわけがないのである。真面目にコツコツ進め、乗組員と一緒に床に座ってコカコーラを飲み、くそ暑いボイラーに潜り、プラントを安定化させ、ありがたがられ、そうやって気づけばたまたま四月になっていただけだ。なにがおめでたいねん。前職から倍以上になったお給料だけ、おめでたく頂戴しています。
2023.04.05
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正月から一週間有給を消化し、先週マレーへ工事に出かけ、来週からまたマレーへ出かけるというタイミングの、この金曜しかなかったので現地友人と新年会で大騒ぎした折、とうとうやってしまった。財布を落とした。普段現金を使う機会がほとんどないので財布はカバンに入れたままであったが、たまたま乗ったタクシーが現金支払いのみの車で、財布を出したその時に落としたらしい。帰宅したらカバンのチャックがパカーンとアホ口を開けており、死ぬかと思った。工事から帰ったそのままの荷物で、ジップロックに入れた他の現金やパスポートは無事だった。今年は本厄だったなそういえば。落とした財布の中身は、銀行のキャッシュカード、日本人会会員証、日本のアマゾンマスターカード、そしてEmployment Passである。なにより財布そのものがお父んの形見であり、これはショックだった。自宅のベッドに腰掛けて両手で顔面を覆い、わななく小生。どこに落としたか皆目検討もつかない。EP再発行は就業先の会社に実施してもらう必要があり、先立ってまず警察に紛失届けを出さねばならんというが、届けの提出はシンガポール警察のホームページにて簡単にできました。出力されたPDFを人事へ送付するが、土曜なので労務省への提出は来週月曜だろう。再発行手数料は100ドルやと。来週から出張やいうてるのに、どうにもなりましぇん。もうなんにも出来ない。紛失届をオンラインで提出してすぐ非通知で警察から電話があり、どこで無くしたかもう一回ようく思い出してみようと言われ、あーでもないこーでもない、とうだうだ考えるがもう既に絶望していた。土曜の午後、長男を習い事へ送り、バスで帰宅したおり知らない番号から着信が。電話は日本人会からで、なんと財布を拾ってくれた方が中身を確認して、わざわざ日本人会まで連絡してくれたという。結果的に落としたのは件のタクシーの中であり、運ちゃんが見つけて連絡してくれた。年明け一発目の奇跡である。中身よりなにより財布自体が無事に戻ってきたのは嬉しかった。その晩、仕事中なのにわざわざ自宅まで届けてくれたタクシー運ちゃんへ、再発行費用となるはずだった100ドルを封筒に入れてお礼をし、警察へ紛失届の取り下げ連絡をした。物を落とすとめんどくさい。もう持ち物全部に紐でも付けておこう。
2023.01.14
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あけましておめでとうございます。なんとか年末に香港からギリギリ帰星して、正月は自宅で家族と過ごすことができた。せっかくなんだからカウントダウンを観に行こうとなったが、マリーナベイはどうせ凄まじい人混みのため気が引けることこの上なし。どこか他で花火くらいやっとらんのか! と調べていくとなんと、ブーンレイで花火が上がるというじゃないか。なあんだちゃんとあるんじゃん。ブーンレイなら西海岸通りの自宅からバスでちょっと行った距離である。丸二ヶ月お酒を飲まなかったおかげで、帰宅して測ったら体重が七キロ落ちました。ビールって本当に身体に悪いんだな!今年は長女が小六の齢になるため、今後の進路をいろいろ決めないと。今年も豊の貝をどうぞよろしくお願いいたします。
2023.01.01
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めぐり合わせという言葉を感じずにはいられない。ひょんな成り行きで、前職の会社が運航していた蒸気船を引き継ぎ、機器調整のため久々に長期間乗船している。シンガポールから乗って西へ東へ。昔から何度となく通ったことのあるスエズ運河にて、とある地点に大きな橋がかかっており、勝手にスエズキャナルブリッジと呼んでいたがネットで見てみると、ムバーラク平和橋だとかアルサラーム大橋だとか、正式名称がよく分からない。地図で見てみりゃ橋の通る道路には40という数字が目立っており、これまた勝手にエジプト国道40号線だということにした。初めてここを通ったのがもう十年以上前。橋の真ん中に日本の国旗が貼られているという噂の真実を、ようやく目にすることができた。随分色あせているなあ。
2022.11.27
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ほんと長続きしないなあ、という事で二ヶ月ぶりの日記である。このペースだと年六回しか更新しなかったという結末が訪れるのだが、気が向かないのでどうしようもない。あっという間に過ぎた(という訳でもない)半年間。どうにか生活している。八月頃から、なんかあの会社に日本人エンジニアがいるらしいみたいな話がちょいちょい広まっていったらしく、色んな人がわざわざ挨拶に来てくれたし、毎度とてもお世話になっている現地業者さんたちとも久々に再会した。とても、ありがたい話である。助けてくれる人はいっぱいいますから! と豪語して出てきたものの、担当している船のジャンルもやり方も関わる方面も、あまりに今までと違いすぎて愕然としていたところだった。業務に関係ない部分でも、困った事があればなんでも言っとくれと皆さんおっしゃるので、はあ、まあ、ちゃんとやってきて良かったなと思いました。そんな六ヶ月目です。
2022.10.14
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ウェストコーストの自宅から歩いて三十分ほどだろうか、嫁様いきつけの卸売市場へ連れてこられた。むかし休みもなく毎週土日に、亡霊のように訪船していたコンテナターミナルの隣にあり、毎週ここで野菜を買っているそうな。ムスリムの頭巾かぶった娘さんばりに全身を覆って歩く嫁様。心地よい木漏れ日。土曜日は休日ですよ。
2022.08.06
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娘が発見した陸産種、カタツムリ。こっちに来てすぐ、銀行口座を作るべく記憶をたどってラッフルズプレイス駅前にあるDBS銀行に赴いた。以前の口座はすでに閉鎖してしまったので新規開設である。開店前から自動ドアの前に詰め寄り、警備のおっさんと謎の微笑を交わしながら待つことしばし。ようやくドアが開いて一歩入り、銀行口座を作りにきたと言うと、カウンターサービスはもうやってないなどと吐かすのである。どうりで誰も並んでないと思った!口座開設はオンラインでドウゾ、と紙切れを渡され結局ウェブサイトから身分証明などの写真をアップロードして、ようやくキャッシュカードが郵送されてきたのは実に一週間以上過ぎた後だった。 この間不動産屋のおばちゃんへ、これから借りることになったコンドの手付金を払わないといけなかったのだけど、銀行口座がとても間に合ってくれないので仕方なく現金で精算した。まあまあでかい金額ですよ。おばちゃんと二人で、スタバの裏手のくそ暑い駐車場の陰で札束を数えた。無事にキャッシュカードと暗証番号の書かれた郵便を受け取り、自分のアカウントにてようやくクレジットカードの申請も完了した。 この時まで買い物はずっと日本のクレカを使っていたので、円安の激しいきょうびドえらい損をした気がする。で、ようやく口座ができたので公共料金や学費の自動引き落とし登録を申請したところ、サインが登録されてないという理由でREJECT!されてしまった。そりゃそうだろ、口座開設はオンラインでやれっつったじゃん、サインなんか登録してねーよ。そう電話で問い合わせると、最寄りのカウンターサービスのある支店で登録してくれとのこと。ほんなら最初からオンライン申請なんかやらすなや! めんどくさ! 行きましたよわざわざ、サインの登録のために。日本のクレカといえば、昨年ずいぶん制度が様変わりしてしまったAmazonゴールドを使い続けているが、どうもちょいちょいオンライン決済で失敗することが多いのである。調べてみると、当時年会費を減額するために登録していたリボ払い設定のせいだそうで、店舗によっては決済が弾かれるんだそうな。速攻で解除してやりましたよ、なにがリボ払いやねんと。Amazonゴールドはいつの間にかただのマスターカードとなり、年会費やプライム特典も廃止されてしまっていた。嫁様の希望によりプライムビデオは残しておきたいということで、Amazonプライムに入り直し、外国でも視聴すべくVPNサービスに加入した。ハァ、出費アップである。しょうもない。
2022.06.25
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わしゃ外国にいてるんや!という無害な自己顕示欲を発散すべく乗船や出張のたびに色々、ちゃんと日記を書こうと写真も撮ったりしていたが疲れすぎて全然書けてなかった。去年末の隔離明けだから十一月の末か、一週間の隔離を終えて当然のごとくクアラルンプールの街へ繰り出した小生とインドのおっさんたちは、足の向くままペトロナスツインタワーへ歩いて向かった。なんか片方は日本でもう片方は韓国の建設会社が、とかなんとかネットでよく見るやつだがそういうのはどうでも良くて、日本では見ることのない様式のビルヂングはただただ圧巻でした。正面から写真を撮った後、小生はさっそくビールでもつまもうとコンビニに足を向けた。というのも隔離期間にあてがわれた宿はまさかの禁酒ホテルで体内のアルコールが枯渇していたからである。ルームサービスもなんか変なココナッツジュースとかいう全然おいしくないやつとか、7UPとかいう砂糖のかたまりみたいな飲み物しかなかったし。ところが、インドのおっさんたちはタワーへ入るなりイソイソと観覧チケットを買おうとしている。え、何してはるのん?という目を向ける小生に対し、当然あんたもや!と言わんばかりの視線を返すインドのおっさんたち。しゃーなし登りましたよ。俺はな、高所恐怖症なんだよ。よく分からなかったが、観覧用として公開されているタワーは片方だけで、そこのエレベータに乗ってすくむ足を押さえながら展望ルームまでご案内されてしまった。こ、こええ。もう一歩も動けない。耳と鼻が痛い。頭巾をかぶったムスリムの女学生とおぼしき集団が楽しそうに隣をズンズン歩いていく。ゆ、揺らすなや…。
2022.06.17
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いつだったか数年前、自宅マンションの玄関ドア施錠部分が、外から見たら鍵がかかっているかどうかが丸見えであり、かつバールのようなものでこじ開けられそうな程度の隙間があったため、管理人さんのすすめで施錠部分にガードプレートを取り付けた。その時購入したのが初めて利用する楽天市場からだったのだけど、届いた箱をみると宛名部分には蛙船長様という恥ずかしいハンドルネームが記載されており、ひっくり返りそうになった。この楽天ブログを使い始めた当時、個人情報なんか適当に入力していたので全然気付いてなかった。ていうか住所さえ合ってりゃ届くってことなのか?そんな感じで、そういえば小生はずっと楽天のサービスを利用していたんだなあと改めて気付かされたのが三月。渡航の準備にあたり、携帯電話を長らく使用していたマイネオから楽天モバイルへ乗り換えた。前回駐在の時は、携帯番号維持のためドゴモの契約を残しており、本当はドゴモのようなものへ一円も払いたくなかったが銀行やらなんやら内地に残してきたインフラのため嫌々毎月980円も払っていた。これがある日消費税が8%に上がって突然1,008円のご請求となり、かろうじて千円以下に抑えていたというところからの28円分のプライドがズタボロに傷つけられ、マジでキレそうだったのを覚えています。マイネオではデータ通信込みで毎月1300円くらいに抑えられており、同じく契約していた家族とパケットを融通できてとても便利で五年以上利用したが、データ通信だけ解約するという契約方法がなかったため、毎月0円とうたう楽天モバイルへ変更したわけである。この0円乞食が、とかいってなんか変なツイッター?とかインスタグラム?とかいうしょうもない盛り場で罵られてるんでしょ? あーやだやだ。こういう都合で契約してる人だっているわけですからね…。ところがどっこい。つい最近のある朝ニュースサイトを見てみらば、0円サービスはもう辞める!などと書かれているじゃありませんか。そりゃ詐欺だよー、と空を仰ぐがしかし実際海外ローミングで使うところ、国内で使用するのと同じ料金体系となっており、ドゴモみたいな海外一日暴利放題、高額請求し放題! ではない事が分かった。ていうかこれってかなり画期的じゃん。マイネオは海外ローミング不可でしたし。やっと日本の携帯もコレが出来るようになったのか。そんなわけで、今回は現地プライベートSIMの購入が不要になった。楽天モバイル、海外持参においては実にオススメである。
2022.05.27
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船員を辞めたはずが見事に現在エーゲ海を漂っている。地中海でもこの辺りまで来たのはおそらく初めてだ。もちろん仕事である!多島海と言われるのか、まあ瀬戸内海と変わらんがしかし点在する島々を眺めていると、実家の猫に会いたいなあと思い出す。----毎月エクセルで付けている家計簿を嫁さんと二人でにらみながら以前、渡航後の初期費用の計算をしていた。子供ら二人はえげれす語などしゃべれず、特にインターの保育園に通わせてオンライン英会話も長らく続けさせたはずの長女(小四)は今やアルファベットすら書けない始末なので、日本人小学校に通わせる算段で調べていくが、日本人会にたっかい入会金払ったり寄附金を納めたりとなかなか豪気な設定の価格表が別サイトをも跨いであちらこちらに分散しており、同じとこに分かりやすくまとめて載せとけよ!と怒りながらマウスをカチカチ操作することとなった。 初期費用たかあい、ありえねええい愕然としながらその金額をながめる。小学生二人分で初期費用ざっと150万円で、ちなみに三ヶ月分の授業料と日本人会入会金を含めた数字である。そうか、アレが全額自腹になるのか…。過去には確か日本人幼稚園のWaitingに申し込むため会社負担の制度に甘んじて入会し、金額など気にもしていなかった日本人会費用だが、そうかコレが全額自腹になるのか…。ちなみに日本人幼稚園のWaitingは申し込んでから連絡が来るまで丸一年くらいかかり、結局それより先に見つけたインターに通わせていたが、長女よ…。子供は勝手には育たぬと教えてくれた。あと、結果的にバス通学は不要になったが、送られてきた支払い表を見らば初期登録費用だけで約十万円…。バス代毎月ニ万、二人で四万!アホか!もちろん慈善事業じゃないのは分かるけれども。駐在員ならこれも会社負担になったんだろうか。徒歩圏内で家が見つかって本当に良かった。それからさて、家のこと。世話をしてくれた担当さんが本当に親切なおばちゃんでラッキーだったってことなんだろうなあ。Teamy propertiesという不動産会社である。入居後も、不具合があった際の確認などオーナーのじいさんと一緒に顔を出してくれている。Property Guruで家探しする中で他にも親切な不動産屋さんはたくさんいたが、逆にPropnexとかいう会社が担当しているものは、良さげな物件だとしても極力避けていた。というのも連絡しても反応がないか、あっても一言返信、もしくはいきなりAgent feeの提示をし始め、了承するなら手伝ってやるよ!と言ってくる率高し。不動産屋でもいろいろ商売のスタンスがあるんだろう。さて、家の初期費用は二年リースとして契約したため敷金として二ヶ月分の家賃と、初月の家賃先払いが要求され、全部でざっと100万円ちょい。他には印紙代として300ドルちょい発生した。Agent feeは、 んなもんあるワケないやろ!と笑われてしまったが、聞けばよっぽと家賃が低い物件だと仲介料が最低額を下回ったりして儲けが出ないため、そういう場合はAgent feeとして費用を加算するケースがあるんだと。四月末からの入居だったが日割り精算はナシにしてくれたので、初月は五月。次回の家賃支払いは六月末となる。忘れないようにしないと。結局家と学校だけで250万円、その他渡航から入居までの安ホテル代(もちろん自己負担!)など入れると軽く300万飛んでいった…。頑張って取り戻さねば。とにもかくにも悔やんだのは、過去に作っていたDBS銀行口座を閉じてしまっていたことである。前回帰国してから後、口座維持手数料を取られないよう千ドルだけ置いたままほったらかしにしていたが、数年後にたまたま上陸してATMに行った際カードの期限が切れてて引き出せなかったり、トークンがぶっ壊れて使えなくなったり、昔の事務所に送られてきたダイレクトメールがわざわざ東京本社まで転送されて自宅に届いたりと、うっとうしいことだらけだったので仕方なしに閉鎖したが、本当に残しておけば良かったと今回しみじみ思った。細かい不満はあるけれども、結婚12年目にして初めて嫁さんの作ってくれた弁当を持って仕事に行く、という新鮮な体験ができ、小生としてはこれで良かったと思っているところである。
2022.05.24
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船乗りをやめて良かったこと。いまだ会った事のない有名上司や謎の部下との乗り合わせにドキドキしなくてよくなった。毎度のごとく前任者に散々荒らされたパソコンのフォルダーを整頓する必要がなくなった (小生は超絶A型です) 。あと組合費を天引きされなくてよくなった。船乗りをやめて後悔していること。いっぺんくらい機関長で乗って周囲を気分で振り回してみたかった。神戸元町アリマで大金払って制服に四本目の線を入れたかった。家族の事に関しては結果、お互いにどっちでもなんでもよかったみたいである。なぜなら転職してシンガポールに住み始めて一ヶ月経った現在、小生トルコに長期出張中だからである。--------なにやら家族DPの申請にあたっては12歳以下の子供の場合事前に麻疹風疹などの一般予防接種証明をHPBへ申請し、承認を取得しないとそもそもDPは申請すらできないというのである。前回駐在の時はそんなのなかったので全然気にしてもいなかったが、NIR (national immunisation register) という2019年から始まった制度だそうな。手順は前の日記で書いた通りだが、どうもこれの承認がおりるのに一ヶ月くらいかかるらしいとの情報を掴んだ嫁様が大騒ぎして、諸々の書類を用意して申請完了したのが既に一月末だった。なぜならこの時まだEPが降りておらず、EPがないと申請できないと思い込んでいたからである。このNIR自体はEPナシでもとりあえず申請できることを知り、もっと早くやっておけばと心底後悔することになった。その後、たびたびHPBポータルにログインして承認ステータスを確認するも、"Submitted (出したった!)" のままなーんの変化もないのである。これが実に一ヶ月続いた。勤め先にも正式に転職のことを伝え、引き継ぎもあらかた終わりあと二週間で業務から引き上げようという段階でもまだSubmittedのまま変わらんのであるからして、さすがに焦ってきた、申請から丸一ヶ月が経った二月末、ステータスは Pendingに変わっていた。"Pending (保留中)"、何それ!? なんそれ!?不備があるなら言うてつかや! HPBのお客様センターへ電話するも、very busyやさけえ後でかけてや、の自動音声のみ。その日から連日鬼コールを開始し、翌々日くらいにようやく窓口と電話が繋がったのである。 ハローサー どなんなっとんねん コビッドで遅れとるさけえ勘弁してや 勘弁できるか! わし来月そっち行くねんぞ とりあえず申請したお子さんの名前と申請番号教えてつかよここで大問題が起きた。今さらながら小生英語が下手すぎて、名前を伝えても長ったらしい申請番号を伝えても、全然相手に伝わらんのである。そして、航海士でも通信士でもないのでアルファベットの伝え方にも慣れてなかった。 テュー! (2!) スリー? とう! (2!) トウ、オッケーラー、ネクスト スリー! (3!) トュー? ちゃう! ツルィー!! (3!!)これがずっと続く。 エー! (A!) アメリカ? イエス、アメリカ! ほんでG! J? G! ジャーマンのG! ほんでS! イスラエル? ああもう、Sはどこや! S、S、スリランカ!今思えばシンガポールでSで良かったじゃないか。このやり取りを、メールアドレスの伝達も含めて延々30分くらい続けた最後に言われたのが、5営業日以内に頑張って返信します、との回答だった。こんなんだからHPBは電話が繋がりにくいのかもしれない。名前のアルファベットなどは事前に伝え方を準備しておくのと、せめて自分のメールアドレスは、電話口で伝えられるくらいもっと簡易にしておけば良かったと思った。この翌日からもほぼ連日電話をかけ、はよなんとかならんかと伝えるも、今やってるからもうちょい待ってくれ、5営業日はかかる、との回答を電話をかけるたびに言われるので、こりゃもう電話しない方がいいのかとも思った。結果、NIRの承認がおりたのでポータルから証書をダウンロードしてくださいの旨のメールが入ってきたのは申請から実に八週間が経過した頃だった。申請内容にも特に不備はなかったようである。この間一体何度電話したことか。あんまりプッシュするとヘソ曲げる方達なので、自分の窮状を合理的に伝えるしかない。早速ログインしてステータスを見ると、やっと "Approved" に変わっていた。これが渡航予定日の十日前である。で、証書をダウンロードしようとリンクをクリックするも、リンクが無効になってて全く反応しない。ぬあああああくそシンガポール!なんやねんお前ら!!でまたHPBに鬼電である。結果から述べるとシステム不具合でリンクが有効にならないんだそうで、DP申請においてはこのNIRの申請番号で通るから、証書を添付しなくてもそのまま進めて大丈夫とのことだった。子供らのDPはその後すぐ降りたが、渡航予定日をとっくに過ぎていた。ちなみにEP/DP申請の際、過去に取得していた場合はそれらの番号 (NRIC) の申告を要求される。なぜなら一度発行された同じEP/DP番号にて再度発行されるからであり、申請の際にこれらの番号が分からないと承認までさらに時間がかかることになるのである。んなもん覚えとるわけないやろがい、何百年前や思とんねん、おのれシンガポール!過去のメールをひっくり返すも、ここで超絶A型の性格が祟り余計なメールはなーんにも残ってない。愕然としていたが、超絶A型の性格が幸いし、綺麗にスキャンコピーを取っていた当時の給与明細にEP番号が残っていた。嫁は当時の通院明細がメールに残っており、偶然にもそこにDP番号が載っていた。長女のは、当時通っていたインターの保育園の領収書が残っており、そこに記載されていた。問題は当時生まれたばかりの長男の分で、こればっかりはどこをひっくり返しても出てこず、結果的に当時のパスポートコピーを提出することで数日長めに時間はかかったが、無事にDPを取得することができた。色々あったが、四月からは入国時の隔離がナシになるという非常に大きな変化があり、結果四月に入ってからの入国とあいなったわけである。とりあえず結果オーライ。
2022.05.04
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どうにかこうにかコンドに入ることができた。入居前日の晩、職場からそのままバスで現地まで出向き、不動産屋のおばちゃんと、そして初めて顔を合わせるオーナーと挨拶をして鍵を受け取った。オーナーは飄々としたじいさんで、新調したカーペットや家具を一つ一つ大仰に説明してくれながら、 めっちゃ掃除ん金かけたんやで! 気持ちようつこてやという目線の向こうで食卓、テレビ台、その他机類などに、要は絶対キズ付けてくれるなやと言わんばかりに執拗にかけられたカバーをアピールしていた。嫁が見たら、なんやこのダサいのは!と絶対言いそうだし実際そう言って入居直後に早速ひっぺがしていた。ウチも自宅マンションを賃貸に出しているので気持ちは痛いほど分かるのである。貸し出す前、自宅押入れや倉庫の棚に綺麗に敷いたままにしてきたボール紙は、管理会社のおばちゃんによって速攻処分されたとの連絡を頂戴してため息をついた。-----まずはEPの事である。年末、冬の大工事のためジョホールへ出張中だったが、転職先の人事担当者へ三月末から入社したいことを伝えたのもこの12月中旬だった。とにかく子供らが新学期初日にバチっと学校へ通えるようにしたくて、三ヶ月もあれば余裕で準備できるだろうと見込んでの上だ。帰国後の残務処理を二ヶ月で終わらせて最後の一ヶ月は貯まりに貯まった有給消化とし、それまで年単位でまともに一緒に過ごせてなかった嫁子供と地元観光でもできればなってな具合である。本当はもしこの時の出張がシンガポールだったら直接会って改めて面接なりしてもらうつもりでいたのが不可能になったので、ネットでダウンロードしたフリーフォームの履歴書を書いて送っただけで終わった。帰国後、二週間の隔離中に必要書類を揃えて申請書を提出した。大学の英文卒業証明は、ちょうど出張の折マレーシアビザ申請のために取得してたので良かった。コロナの予防接種証明ももちろん取得済み。家族DP申請のための英文婚姻証明と出生証明は、前回駐在の際は現地大使館で発行してもらったが、今回は一発目から家族と一緒に動く算段なので日本国内で用意する必要があり、戸籍謄本を取得後、ネットで見つけたカットベル国際法務事務所なるところに発行を依頼した。現地大使館で発行してもらった証明書は、婚姻証明と子供の出生証明がそれぞれ別の紙で一枚ずつ分かりやすく発行されたのに対し、法務事務所に聞くところ戸籍謄本を丸ごと英訳して承認印を押すだけなので、発行される書類は1セットのみだという。1セットて何やねん分からん!これと同んなじように作ってつか! と過去の証明書をスキャンしてメールで送るも、今ひとつ的を得た回答がもらえない。結果的に、"戸籍謄本丸ごと英訳1セット" で事足りたのであるが、原本郵送前にちゃんとPDFでも送ってくれたのがすごく助かった。費用は3万円くらい。その他、嫁がネットで調べて見つけてきたNIR (12歳以下の子供の予防接種証明) の申請をせにゃならんらしい!時間がかかるらしい! というので、言われるがままHPB(保健省)のホームページでアカウント登録をし、嫁様が近所のクリニックで書いてもらった接種証明フォームと母子手帳のスキャンをとって、HPBのホームページから申請を行った。結果的にこれが、後の旅程を左右する重大な一歩だったのである。こればっかりは、ちゃんと積極的に調べてくれた嫁様に感謝申し上げたい。さて、この時実際まだ決心がついておらず、EPさえ降りれば会社に転職のことを伝えるつもりでおり、もしその際にこちらの希望をのんでもらえれば二つの会社を天秤にかけてじっくり悩むつもりで偉そうに構えていたのが、なかなか連絡が来ない。確か外人を雇用する場合は、同じ業務内容の同じ雇用条件にて二週間だか募集をかけなければならないと知ってはいたが、もうこの時点で二週間のロスである。もっと早く動いてればよかったなぁと後悔していた一月末、やっとEPが無事に降りたとの知らせを受けた矢先、衝撃的な知らせを受けた。ウチの東京事務所がこの年、シンガポールに移転することが正式に決まったというのである。めちゃくちゃ悩みました。結婚する時は全く悩まなかったので多分、人生で一番悩んだ期間かも知れない。会社とも面談をしてもらい、本当に悩んだがやはり子供のことを考えると、どうせ行くなら少なくとも子供が卒業するまで長期間行きたい。駐在員で行くならたった二年、長くて三年。そして何より、本人が行ってから一定期間経たないと家族を呼べないという謎の内規、それも会社の雰囲気次第という謎ルール。どうしてもこの部分で折り合いが付かなかった。EP取得後に発行されるIPAレターの有効期間は半年なので、どうせなら期限いっぱい悩めばいいとも思ったが、もしかしたら陸金解任→何もなかったかのように海上復帰でまた船に乗る、てのがもう嫌気がさしていたのと、学期途中での転校はもうさせたくなかったのでようやく決心が付いた次第である。晴れてEPが降りたので、早々に家族DP申請を始めた。そしてNIRという大問題が待っていた。つづく。
2022.04.28
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はてさて、シンガポール入国から十日ちょい経過した。慣れた我が国的な感覚といえ新しい職場、新しいシステム、新しい面々。船と一緒で最初の三ヶ月くらいはどうせしんどい。まだしばらくホテル生活のため、嫁子供に不便をかけているのが申し訳ないけれど一緒に連れてこれた意味は互いに大きいはずだと勝手に思っている。はい。到着後、ホテルに荷物を置いたその足で、事前に予約していたアパート二軒のviewingへ向かう。ちなみに今回、航空券の取得以外は全て自己手配だった。到着後の宿の予約からイミグレの書類から何から何まで、会社がやってくれたのはEPと航空券だけだ。EPはもとい、DP申請にあたっては地獄のような思いをしたNIR (12才以下の子供の予防接種証明申請、丸2ヶ月かかった) のせいで何回もHPB (保健省) に電話しまくったこともしかり、おどれら全員いつまでかかっとんねん、と全部自分であっちこっち連絡しながらブチキレまくっていた。家探しはProperty Guruという不動産アプリを使って、二ヶ月くらい前からとにかく手当たり次第にviewing予約をしていた。子供は現地の日本人学校に通わせる算段なので通学バスルートの確認も家探しには重要であるが、日本人学校のwebsiteだかに通学バスのピックアップポイントの詳細が載せてあったのでそれも参考にした。さて、当初はHDBというコンドよりお安めのアパートメントをメインに捜していたが、初めて体験して分かった事はHDBは非常に競争率が高く、入国日が確定していない状態で外国からいろいろ手続きをするのは極めてハードルが高いということだ。Property Guru上で気になった物件があれば、Whatsappですぐagentへ連絡するがこのとき、名前 / 職業 / 就労ビザの種類 / 何人で住むのか、小さい子供はいるか(年齢も) / 希望入居日/ 何年リースの予定か、を畳み掛けるように送信する。送信したうち三割くらいは無反応・無返信のままだったし、ひどいagentだと家賃どうこうの話以前に手前のagent feeを要求してくるやつもいた。家主によっては子供NGな場合もあり、その時点でagentからの返信が途絶えることもあった。なんと失礼なことか、説明くらいしろよって思う。そして一番うざかったのは一言「taken」と返信してくるやつである。この物件はもう他の人に取られてしまいました、の意味である。ほんならサイトから消しとけよ!そんなこんなでようやくClementiのHDB一軒、家主とのオンライン面接までこぎつけたのが三月である。事前に伝えておいた家族情報や勤め先の詳細、諸々の希望を伝え、とにかく子供の学校が近いからなんとかここを貸して欲しいことをアピールした。ちなみに同時に申し込んでいたのは十組ほどで、agentが親切なことに内緒で送ってくれたリストを見ると、家族よりも労働仲間、従兄弟同士、先生と生徒、などなど謎過ぎる組み合わせがほとんどで、言ってしまえば怪しさ満点だったので絶対ウチが選ばれるだろうと勝手に見込んでいたが結果は落選。理由は、こちらが提示していた日付より早く入りたいグループがいて、かつ既にシンガポールに滞在していることだった。元々、渡航前には家を決めて到着後にそのまま入居するつもりでいたのが失敗し、出発の前々日になってから慌ててホテルを予約した次第である。結果的に、日本人学校近くのコンドに決まりました。ここなら徒歩通学できるのでバス代も浮いた。入居は四月末となるので、それまでホテル暮らしだ。すぐ近くに唯一の日系の高校、ワセシブあり・・・。夢は大きく持たんとな。
2022.04.14
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さて、小生は船乗りを辞めて、この日記帳の表に貼ってある写真の国へ再び戻ることとなりました。今度こそは家族も一緒に、ただちに、である。この四月からシンガポールは隔離ナシになったので渡航日を予定より少し遅らせ、今日の深夜便で出発することとした。この話を頂戴してから早十ヶ月、いろいろ悩みまくったが、この日記を始めた頃から長らく勤めていた会社をやめ、転職という結論となりました。無事にイミグレも通り過ぎ、今は搭乗を待ってるところ。着いたらやる事が山ほどある。自宅もまだ決まってない。ああ、ヤバイ。でもまあ、うまくいく自信はあります。落ち着いたら、EP/DPの取得から家のことからシンガポール生活まで、いろいろ書き綴っていこうと思っています。数年前の駐在の時みたいに嫌な思いばっかりして帰ることにならないよう、文句ばっかり言わないよう、人生を楽しもうと思います。
2022.04.01
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あけましておめでとうございます。隔離明けの日、歩いて三歩の東多摩川神社へ初詣にいったあと、関西の自宅へ久々に帰りました。縁起の良い打出天神社にて初詣ツーを行い、誰もいない自宅で天照様のお札を新しいものに交換し、年明けの大掃除を行い、三ヶ日の最後の日、ようやく帰ってきた嫁と子供らを迎えて僕の年は明けました。さて、自慢でもなんでもないんですが、自宅のローンが終わった!! やったぞー!28年ローンを組んで早6年と半年。鬼の繰上げ返済に徹し、無理やり終わらせた。仕事始めの今朝、冬休みの息子を連れて銀行まで手続きのために行ってきた。このローン完済も、今年から始まる計画の枠組みの一つである。さてさて。自宅から歩いてわずか5分、夙川駅へ至る道中にグリーンプレイスというちょっとしたショッピング広場が完成していた。朝からぶらりモーニングに行ってきました。今年も豊の貝をどうぞよろしくお願いいたします。
2022.01.05
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ようやく隔離も終わりである。家に帰るまでが運動会、隔離が明けるまでが大工事ってな。はい。ちょうど帰国する日あたりから強烈な雨が降り始め、数日後には洪水被害が出たというニュースを見て、この期間お世話になったいろんな人たちの事を思いながら心配していた。マレーは雨季、ニッポンは冬である。20℃以上の気温差の上、大した上着も持参していなかったのでインドのおいさんと二人で震えながら、成田から帰宅した。先月末、オミクロン株の発生により今後しばらくの新規入国停止という通知を受けて、ぼくらは実に小躍りした。なぜなら帰りたくなかったからである。ジョホールのホテルラウンジでは顔を見せれば自動的にビールが出てくるシステムを構築し、休日こそ取れなかったものの快適な休息を満喫できていたのであるが、残念ながら帰りのフライトチケットを取得しとるやつは四の五の言わんとさっさと帰って来いや!とのことであった。居住者カードを持っているインドのおいさんも、再入国ということで問題なく一緒に帰国した。成田での手続きは相変わらず、複数の窓口で携帯番号とメールアドレスをバカみたいに何回も何回も書かされ、一つ二つ前のregulationが書かれたペーパーを重ねて手渡され、どれが最新のルールやねんと。飛行機を降りてすぐの案内板や矢印が全てマジックで手書きであり、失笑でした。マレーからの帰国は、指定施設での隔離の対象外。しかしながら成田からは勿論電車は使えないので、帰国者向けのタクシーハイヤーが必須なので事前に予約してもらおうと会社に電話したのだけど、最近は予約しなくても当日窓口に行けば乗れる、とか言われて、予約なしで行ってみたら見事に満車、タクシー会社によっては3日前までの予約でしか受け付けてないと言われる始末。本当に、この会社は最初から最後までなんにもサポートしてくれなかった。結局、偶然一台だけ残っていたレンタカーを申し込んで、インドのおいさんと乗って帰った。はじめての東京での車の運転、はじめての首都高。まさか近所の中原街道を自分で車で走る日がくるとは思ってなかったので良い経験になりました。成田で受け取ったペーパーには、ワクチン接種者は10日目に自主的にPCRを受けて陰性なら隔離は終わり、とか書かれていたのだけど、残念ながら今はオミクロン対策により一律14日間となっている。よくやくそれも明日で終わりだ。来年は文字通り変革の年になります。この前の夏の大工事中にちょっとした出来事があり、いろいろ、進んでます。たった一度の人生、やらない後悔はしないようにと、夢枕で親父殿がぬかしておりました。では、よいお年を。
2021.12.31
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今回もどうにか無事に完工しました。初マレーであろうがなかろうが、忙しすぎて日記書いてる余裕なかった。連日の工事手配しかり、人間を一人動かす労力、日付をまたぐ報告書の送付、こっちの状況を想像もしないで休日をとったことにしないといけない会社の制度、こっちの状況を想像もしないで逆ギレする嫁。疲労困憊である。もうしばらくはよか。よかよ。よかよか。ゆっくり休ませてくれい。去年以来シンガポールのスーパーでは見かける事のなくなってしまったBOHの紅茶が、ここジョホールにはたくさん!Teh Tarikを久々に爆買いしました。マレーの人たちはみんな穏やかで親切だ。本当にいい国である。さあて、次やいづこ。青空の下、南へ向かう本船様へ手をふりました。
2021.12.18
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滞在先のすぐ近くでは、毎週日曜に道路を歩行者天国にして夜市が開かれている様子である。一見して一体何を売っているのかよく分からないものがたくさんだ。どこもかしこも猥猥雑雑としていて、ゆっくり眺めて歩いているだけでボーっとできる。そんな中に熱帯魚の露店があり、貝殻がゴソッと積まれていた。昔よくおとんと貝殻に絵の具で奇天烈な色を塗って遊んでいたなぁ。隣のバットに並べられた巻貝がゴソリと動いたので、良く見てみると全部ヤドカリだった。なんちゅー露店や。
2021.11.21
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今回は一週間の隔離である。ワクチン未接種者の場合は十日などなど、諸条件で変わるらしい。当然そのあたりも渡航手続きの中で全部自分で情報集めて調べたんですけど、誰もやってくれないから自分で片手間で調べて手続きとかしたんですけど、今やもうどうでもよすぎて既に忘れた。喉元過ごして怒りを忘れないとですね。ホテルの隔離メシはWhatsappメッセージによる注文制で、内容はかなり充実しているが前日の夕方17時までに三食注文しておかなければ、当日になって催促しても全く持ってきてくれない。シャケにビリアニ、ミーゴレンなどなど。空港からそのまま連行されてどこにいるのかも一々気にしていなかったが、カーテンをあけるとペトロナスツインタワーの片割れが見えていた。
2021.11.12
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成田は随分混雑していた、ように見えた。 出発の前日ぼちぼち準備しようかと立ちいでて、さていつものホットプレートサイズのスーツケースを開けた、だけ。 そのまま疲れて飲んで寝てしまった。この夏から今に至るまで急激に活動欲がなくなり、仕事に追われ続けているのもあってとにかく眠いのである。朝早くに出社したって結局早く帰れる訳ではない上に気分転換しないと寝られないので、ただその翌日の体力を削るだけという、早起きになんのメリットも感じられなくなってしまった。 八月からずっと気分が沈んでいる。やることが多過ぎるのと会社の人が誰も手伝ってくれないのとで、出社の日は朝から夕方帰るまでずっと大きな独り言を遠慮なく口にしているのを自覚している。 ビザがなかなか下りないというか、年明けまでもうずっと大使館の予約が埋まっているといわれて絶望していたが、いろいろ自分で都合をつけて出発の前々日の夕方にようやく、パスポートがビザ付きで帰ってきた。結局全部自分でやった。なんか知らんけど人の分まで。本当にバカバカしい。悩み悩んで神経すり減らして吠えまくった二ヶ月。会社にいる人間はだーれも何一つ手伝ってくれなかった。 初マレーシアでいつものエンジニアがみんなコロナで来れないってんで、現地の新しい業者さん捜したりヤードと費用打ち合わせしたり、ホテル取ったり車手配したりと、通例なら名前書いて終わってたものを全部一から洗って人の渡航の世話までして日本橋から大嫌いな渋谷まで走り回り、ただでさえ本業でくそ忙しいのに見事にだーれも手伝ってくれなかった。 なんなんだこの会社は。そいや随分昔の日記で、ブリーフィングで出社したので挨拶にきたら誰も目も合わせず気付かないフリをしているのでキレそうになったって書いた気がするんですけど、ありゃあ本当に興味も持ってもらえなかったんだなぁ。 夕方発の便だったので、朝適当に起き出し、荷物をまとめ始めたらものの三十分で片付いてしまった。そしてそろそろ電車の時刻でも調べよかと思ってネットを見て、ひっくり返りそうになった。 成田エクスプレス運休しとるやないかい! ヤバい、と最寄りの田園調布から武蔵小杉経由で成田行きを調べるが、途中乗り換えだらけでめんどくさいことこの上なし。時間もかかる、という訳で昼前に早々に家を出た。 飛行機は久々にというか十年ぶりのビジネスクラスであった。以前メリケン乗船のためサンフランシスコに向かう際、座席がダブルブッキングされていたためにビジネス席を充てがわれて以来である。さてさて。 日付の変わる頃の変な時間にクアラルンプールに着き、入国手続きを経て隔離ホテルに着いたのが午前3時半。今回隔離は七日間である。 隔離メシに期待などしていない。 ただ南京虫さえ出なければそれでいい。
2021.11.08
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陸金になって間もなく二年半。 この赴任前、最後に乗ったLNG船がなかば新人教育船になっており、部下後輩諸兄がいっぱいいて面白かった。 飲み会の席ではやんややんやと酒を注がれ、昔の楽しかった自慢話(主に各国各港で見たいと美しき女性たちの噺)をしてポケーっと気持ちよくなれるといった、小生自身が若手と呼ばれていた時期に心底嫌悪していた状況へさりげなく身を置いてみたりした。星港ドックにて夜遅くまで試運転に立ち会ってもらったあと、イソイソとカジノに出かける後ろ姿たちを見送り、朝クマをも作らず機関室をあぶなげなくウロウロ付いて回る様には感動さえ覚えたものである。 全ての港で乗組員の上陸禁止措置が取られて久しい。 新型コロナのせいだけではない、よく分からない連中の勝手に決めた新型ルールも併せて、すっかりそんな姿も見かけることはなくなってしまったのが残念だ。 お金のためなんかじゃないよね。 いろんなものを観て聴いて、体験したかっただけである。 はあ、これが最後の仕事になりますように。
2021.10.26
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ニッポンに帰るとセミが鳴いていた。 七月。 多分、こういうのが好きなんだなあと自分でも思った。 やってることは10年、変わらず。 と言えど、まあ毎度同じ景色を見てサヨナラするわけだ。 駐在時代に買って長らく、それこそ七年使ったリュックがついに修理不可能となった。 ジュロンイーストのモールで購入し、どこへ行くにも一緒。出雲も高尾山も大菩薩もタイムズスクエアも銅座もビンツルでも、大事に大事に、裁縫道具も使って治して長く使用していたものの、遂に限界がきた。 シンガポールで出会ったリュックなんだから、この国で別れるのがいいと思った。 季節は夏。
2021.07.16
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全く余裕がなかった。そう、日記書いてる場合じゃなかった。 最後の最後まで本当に、想像もつかないようなトラブルに何度も見舞われまくり、耐え凌いだ二ヶ月半、ようやく完工し気が付けば季節は夏。 ようやくボイラーに火が入った次の日の夜半。 夕闇の向こう、知らぬ間に広がった満天の星空の下、本船様を見送りました。 今回の仕事も終わり。
2021.07.06
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あれから早一ヶ月。 本当にいろんな出来事があり、絶望的な状況に陥っていたが、まあ、なんとか持ち直して工事は比較的順調に進んでいる。 先日、こっちに来て二回目の滞在延長申請をしたらなぜか八月までのApprovalが出され、それに応じて手数料を40ドルも取られてしまった。これ幸いと、東京オリンピックが終わるまでこっちに居てやろうと思っている。 生野菜の珍しいこの国で、Cold storageのサラダバープラスワンチキン (S $6!) が世の救いである。 静かに燃え盛る青き炎! 10メガ蒸気の爆圧! 1万7千馬力の12段カーチスタービン! 火花散らす減速ギア! 唸るプロペラ! そして飛び交うラジオの電波に乗せて、走り回るスパナたち。 スチームパンクに囲まれて僕は今年も幸せです。 辞めずに続けた結果、このたび機関長へ昇進いたしました。
2021.06.18
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いろいろ面白い出来事がある毎日である。ちゃんと無事に完工させてササーっと帰りたいのだけど、終わりが見えなくなってしまった。今のビザだと最大90日間なので、最悪いっぺん出国するなりなんなり、そのうちなんとかなるだろう程度に考えていたけれども、この国の状況的に不可能になってしまった。必ず毎週、指定のクリニックでPCRテストを受けている。これは義務であり、市民ならタダだがビジターは有料である。(当然会社に請求する!)スーパーへ買い出しに参る。ナッツのこういう陳列がなんだか好きである。いつもお土産に買っていた大好きなマレーシア産の紅茶はやはり今回も、どこのスーパーへ行ってもたったの一袋も置いていない。さてさて。新規入国の停止に加え、市中で2件のクラスター発生により本日からセミロックダウンである。まあたホテルで隔離メシだよ。
2021.05.16
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か、かーええ……。 うめえ……Laksa! そら、お土産くらい捜しますやろ、仕事でも。
2021.05.09
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あれから早14日。 途中あったゴールデンウィークと最後のスワブテストをやり過ごし、そしてついに得る。 外出権! は、ともかく次のホテルへ移動した。 照明が明るくてありがたい。前のSHN部屋は妙に暗くて、その中で仕事していたので視力がまた下がってしまった気がする。 窓から見えるのはタイの大使館だろうか。
2021.05.07
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隔離部屋もあとほんの数日。間もなく工事も開始ですぞというところにきて、入国の条件がさらにさらに厳しくなっているようだ。 なんでも、今月からは星港政府の指定する製薬会社のワクチンをフルで受けた人しかダメ、ですとか、新規入国のSHNはこれから三週間(21日間)にするとか、細かい条件は様々であるが、いろいろ水際対策を強化しまくっているようだ。 昼時、いつも飯がくる時間より早くチャイムが鳴ったのでドアを開けると、椅子の上に何やら小さな黒い箱が置かれていた。 あ、今日わし、誕生日やんけ……。 あと500年くらい生きたいなぁ。 ホテルさんありがとう。
2021.05.05
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隔離メシにあたって熱出して腹壊してから丸四日。それはもう結構きつめであり、腸の具合がいまだ落ち着かんのである。かばんに正露丸でもしのばせていればよかった。ふざけよってからに、いよいよ奇妙奇天烈なメニューのオンパレードである。白身魚とか辛そうなやつは怖くて食べられん。 二枚目のなんかおいおい米と煮込みうどんかよ!とひっくり返りそうになったが、うどんではなくイカでした。一枚目のは白身魚なので食べられなんだ。仕方ないのでオレオだけバリボリバリボリ。ちょうど去年のゴールデンウィークも似たような外出自粛生活だったので問題ないと思っていたが、あたりメシのせいで早く外へ出たくて仕方なくなってきた。一日何回もトイレにかけこむ状態のうえ、この国にはウォッシュレットがないし、トイレットペーパーホルダーに至っては便器に対してあらぬ方向に設置されており、とにかくおれのウデはそっちには曲がんねーんだよ。なにもかもサイアクだ。 くそ腹痛いくそがああー!うーん!ピロピロピロピロ(着信音) 誰じゃボケェー!携帯に知らん番号から電話がかかってきた。星港では去年あたりからDBS銀行の名を騙った振り込め詐欺が横行しており、例え登録したばかりの携帯番号だったとしてもなりふり構わずバンバンかかってくるのである。 ハローサー、保健省ですわ 誰だ! 保健省やて。SMS送りましたやろまた偽DBSかと思ったら、保健省のオバハンから隔離明けのPCRテストに関する連絡だった。明後日このホテル内のどこかでやるのでパスポート持って待機しとけやとのこと。そう言えば先立ってショートメッセージが来ていたなあ。 健康状態問題あらへんね? あったらPCR受けられんからちゃんと申告してつかさいよ へえ、問題ありまへんお前らの用意させたメシ食って大当たりしたやんけ!とでも伝えてやりたかったが、そうするとこの後非常にめんどくさいやり取りが待ち構えているに違いないので黙っておいた。まあ、発熱も一晩だけだったし。 そしたらサー、この電話のあと、あんさんのWhatsappへビデオコールするから部屋の中見せてつかさいよ なんとな!抜き打ちの所在確認である。勝手にSHN部屋を抜け出してウロウロしてないか、ビデオコールで確認するのである。ちなみに万が一ここで違反が認められた場合、要するにホテルにいると言いながら外でウロウロしていた場合、確か2万S$の罰金に拘留、さらに外人なら72時間以内の強制退去に加えて再入国の禁止といった、全くもってシャレにならん処罰が与えられるのである。 ほんなら電話切ってかけ直すからすぐ取ってや ちょ、ちょっと待ってつかずっと便所に座ったままだったので、慌てて支度しながら、かかってきたビデオコールを取る。二、三、質問をされながら部屋の中を見せることしばらく、ほんならまた明後日、と言って電話は切れた。日本もこれくらいやればいいんじゃない? 出来ないんだろうなあ。
2021.05.04
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あれから早一週間が過ぎた。今よりもっと先に予定された大工事の準備も始まったりして、地味ながら忙殺されている。あいも変わらず同じ容器と同じ組み合わせで出される隔離メシはさらにパターンが縮小され、感覚的に毎食同じ物を食べている感じだ。 そして二、三日前に昼食で出された白身魚を食したところで事件は勃発する。数時間後に腹が痛くなって下し、おまけに38℃まで急激な発熱に至った。いや食べていてなんとなくドブくさいというか、川底くさい気はしていたものの、こんなもんだろうと油断したのがいけなかった。幸いながら一晩寝たら熱は下がったものの、腹具合は今日もまだイマイチであるし、全身に発熱後の気だるさがまだ残っていてひどい。ところで隔離メシは、見たところ仕出し屋さんじゃなくてホテルのビュッフェを取り分けただけのようだ。去年末のと違って比較的野菜が含まれている方なので、文句を伝えたところでこれ以上のものは出てこないだろう。解放まであと一週間。ぼくにもつばさが欲しいなあ!
2021.05.01
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隔離メシ、パート2。 もう既にメニューが重複しており、夜はほぼほぼ同じパスタを食べている。 朝はアレなので、わざわざ日記に残すほどでもないだろう。 スコールの明けた窓の向こうに、前に住んでいたコンドが見えていてちょっと懐かしかった。
2021.04.26
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隔離メシ。 朝は比較的絶望感漂う感じだ。 たとえ元愛媛もんでもそなんみかんばっかり好きちゃうぞ。
2021.04.24
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勝手知ったる我が国へ帰りますよ程度の感覚なのだけど、前回と違って今回は到着後から丸14日間の隔離が予め確定している。朝早く成田空港に到着した。我ながら相変わらずコンパクトだなあ。滞在予定は約二ヶ月である。中略!さっさとチャンギに到着した。前回から大して日が経ってないからか指紋も取られず、短期滞在ビザだけチラ見され、またもや空港出口のPCR特設テントへ向かう。例によって長い綿棒を両の鼻へブスリ、ブスリ。今回は口を開けて喉の奥も掻き回された。ちなみに内地出国前PCRテストで陰性証明を取らないといけなかったのだけど、星港政府はスワブテストしか認めておらず、小生が毎度受けている9千円くらいの唾液テストでは陰性証明として認められない、との事だったので、会社近辺でスワブをやっているクリニックを捜して3万円くらい金を払い(当然会社に請求する) 、証明書を携行していったのに、イミグレはおろか隔離ホテルに着くまで誰にも見向きもされなかった。そうして連れて行かれたSHN部屋(隔離施設)であるが、なんのことはない、オーチャード通り西端のホテル群の一つだった。さあ、このドアを閉めるとまた罰ゲーム開始である。今回は豪遊しないように気を付けないと。隔離メシ一日目。
2021.04.22
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梅花の候、はとうに過ぎたか。 東京陸金の日々は変わりません。 長男が就学し、入学式に行ってきた。Covid19で規模縮小と云え、長女の時はくそ暑いブルネイ沖にいて出席できなかったので、少なからずちゃんと開催してくれた小学校に感謝したい。 さて、未だに身近周辺で感染した人が一人もおらず一体誰がどこでどうやって感染して広げてニュースのネタを作っているのか一年経っても、本当にまだ分からない。 この狭い世田谷の単身アパートも飽きた。近くに消防署があり、前の道路が救急車の通り道になっている上すぐそばには十字路と信号機があるため昼夜問わず気違いみたいなマイクパフォーマンスが繰り返されるし、夜中何回も起こされる。オートロックもないので玄関の郵便受けにゴミをバンバン突っ込まれるし突っ込みたくなる。 今週からまたしばらく星港に滞在するので、日記として残しておこう。 前回みたいなビジネストラックルールが停止されてしまったので、今回は政府指定ホテルで完全14日間隔離らしい。 現地の友人に聞くと市中感染は変わらずほとんどゼロとのこと。オリンピック終わるまで居たいなあと思った。
2021.04.18
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滞在最終日。スワブテストの結果が出たのでクリニックまで取りに来いやとのご連絡ありて、スコールの止んでむしむしする昼過ぎにまたホテルからトボトボ歩いて向かった。要するに、電話口では教えてもらえなかったが結果は陰性という意味だ。万が一陽性だった場合、歩いて取りに行くどころか物々しい黒塗りのバンと保健所の護送車みたいなのがホテル前にずらずらとやって来て、有無を云う間もなくどこかへ連行されたのであろう。それが、最初に滞在していたホテルで最後にみた光景だったから知っている。無事に出航した本船様を見送り、ホテルをチェックアウトして空港に向かいました。改めて感じたのはまあ一ヶ月くらいの滞在でちょうどいいかな、ということである。相変わらず物価は高いし、生野菜が出てこないし、暑いし。 出国までの間、がらがらのラウンジで一人寂しくクリスマスケーキを頂戴したりテレビ電話で子供らと話したりするうち、時間が来たのでゲートへ向かう。一応、成田チャンギ間は今月から毎日一本飛ばしているけれども、チャンギ発は今のところ深夜便しかないのである。東京は感染者が増加しているので、そのうちまた減便されるんだろうか。さてさて、行きと同じくがらがらの機内で飲み上げて爆睡するといつの間にやら、成田に到着していた。今回はビジネストラックというルールに則って出入国の準備をしていたわけですが、結果的に日本帰国時はなんだか有耶無耶な感じでした。先月の準備段階では、まあ外務省HPの通りなんですけど、 ・星港出国前にスワブテスト(PCR)を受けて陰性証明書をハードコピーで提出する。 ・ビジネストラック利用者であることを証明するカバーレターを現地大使館で取得する。 ・帰国時に成田で抗体検査を受ける。 ・帰国後の行動計画書と警約書をハードコピーで提出する。 ・ラインをインストールして、厚労省のアンケートに14日間答える。 ・接触確認アプリをインストールしておく。などなど。外務省の人はプリンターなんかその辺の道端にでも転がってるとか思ってるんでしょうけど、向こうで印刷物を準備するのはなかなか面倒くさいのである。ともかく、これらを満たせば、つまり帰国後の14日間をどこかで隔離されることなく、公共交通機関の使用禁止だけで済むという風に認識していた。がしかし、入国後に要求されたのは、 ・厚労省の質問票サイトにアクセスし、最後に出てくるQRコードを空港で提出する。 これは星港出国前に実施したのだけど、スマホ用サイトがバグってて先に進まないので仕方なくPCを立ち上げて実施した。 ・成田着後、この質問票サイトと似たようなものを紙で手渡され、QRコードと一緒に提出した。 わざわざ紙も要求する目的が分からない。 すると以下のような青い紙を渡されるので、これをイミグレで提出する。 ・スワブテストの陰性証明は誰も提出を要求せず。 ・行動計画書と警約書は誰も提出を要求せず。 ・大使館のカバーレターは誰も提出を要求せず。 ・成田での検査はなし。 ・ラインやら接触なんちゃらアプリは誰も確認を要求せず。 ・「現地滞在30日間以内」 をオーバーしたが、何も要求されず。ビジネストラックっていったい何やったんや……。日本めっちゃ寒いやんけ。事前に予約していた帰国者用タクシーにておうちまで帰りました。おしまい
2020.12.25
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帰国前72時間以内にスワブテストを受けよということで、ホテルからとぼとぼ歩き、予約していた病院に行ってきた。グレニーグルスは確か前に来た覚えがあるぞ。さて、スワブテスト用に設置されたテントへ案内され、パスポートを提示して待つ事十数分。防護服の姐さんがやってきて、ティッシュを数枚手渡されたあと、先月空港でやったのと同じ30センチくらいの綿棒を取り出して小生の鼻に突っ込んだ。すでに空港で経験したため感覚的に分かっていたが、今回は想像をはるかに超えていた。喉の奥の奥までグボオっと突っ込まれ、グリグリと数回かきまわすように動かされること数秒。痛みでにじむ涙。すぐに血の味が口の中へ広がった。そしてもちろん反対の鼻もやる。結果は明日、直接取りに来いやという説明を受けながら検体容器を見やると、思いっきり血で真っ赤に染まっていた。明日帰るからもうテンション下がっちゃってるわよ。
2020.12.23
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今朝、ヤードへ移動してそのまま本船へ乗り込んだ。昨日で一通りの工事も終わり、あとは試運転の立会いである。舷側から垂れ下がっていた大量のケーブルも無くなり、ごちゃごちゃしていた甲板上もスッキリした。ちょうど昼時にヤードを離れ、国境の河をスイスイ泳ぐように進む事しばらく、あっという間にアンカレッジへ。さて、今年の仕事も終わり。夕闇の向こう、手を振って本船様を見送りました。明日は朝一でクリニックへ移動し、帰国前スワブテストである。この帰国前スワブ自体、日本へ帰国後のビジネストラック要件を満たすためだけに予定していたので、そもそものビジネストラック要件である「滞在期間30日以内」を既にオーバーしてしまった現状、受ける意味もない気がする。大体市中感染ずっとゼロですし。ちなみに同じく内地から来てもらっていた業者さんは、帰国地の成田空港で当初予定されていたはずのPCR検査も何にもなかったとのことである。ところでこういうルール確認や質問が多々あるわけですが、外務省や厚労省に訊いても一つも解決しません。だから小生は質問しない。自己管理くらいできますので。
2020.12.22
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朝一番でホテルを移動した。こりゃ良いね。前より部屋が明るくて、何より窓が開けられる。帰りを楽しみにして仕事に向かい、昼飯を食べて残務の処理を考えながらイライラしていたところ、突然の電話がかかってきた次第である。まあ、その、ホテルの手続きが上手くいってなかったらしい。感染者 (といってもSHN部屋ですよ) の出たホテルから移動してきたなんて聞いてない!という訳で、仕事帰りの着の身着のまま、また別のホテルへ移動することとなった。もう、てんやわんや。わざわざ、業務用通路のエレベータから追い出され、まるで感染者扱いである。勘弁しておくれよ。俺はなあ、飲み屋で女遊びなんかしてないし、貯金だってあるんだよ。
2020.12.21
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来てから間もなく一ヶ月。毎朝毎晩、決まった時間にラウンジで一人、食事を摂るのでもうとっくに顔も注文も覚えられてしまった。朝はコーヒーとオレンジジュース、サラダとヨーグルトにワッフル。夜はビール、ビール、ビール、と各種プレート。いつの間にやら日本語で挨拶をされるようになり(そういうの要らない)、頼んでもないビールを連続で何杯も持ってきてくれて(まあまあうれしい)、お腹いっぱいや云うてるのに追加プレートを次から次へ(勘弁してくれ)、ラウンジスタッフ総出で毎日毎晩おもてなししてくれるのである。しかし別れは唐突にってな。せめてお礼とサヨナラくらいちゃんと言いたかった。新規入国者用のSHN部屋で感染者が出たそうで急遽、明日別のホテルへ移動することとなった。せっかく、注文しなくてもビールが出てくる体制を構築できたのに残念でならない!大変お世話になりました。また来ます。
2020.12.19
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九月頃からカウンセリングに通っていた。カウンセリングとか云われると、自分でも引いちゃうのだけど、自分の心の問題をちゃんと自分で見返して、整理整頓する方法を教えてもらうだけである。今またもう、個人的な問題に直面している。なんというか、担当している船の船員とあんまり性が合わないのである。自分の英語が下手とかそれだけの問題ではない。あんまり極端に怒りばかりをぶつけられると、昔あったドック中の嫌な思い出が掘り返されて仕事中とっても苦痛なんだよ。ちょっと、工事が遅れているせいだ。極めて柔軟に受け入れているつもりでも、ピリピリしているように見られているのかもしれない。余裕がないのは良くないね。滞在の延長申請したら、あっさりと来年二月まで承認されたのでビックリ。なにがビジネストラックやねん。星港の市中感染は連日ゼロです。東京とかもうマジで帰りたくないんですけど。え、二月まで居てもいいの?
2020.12.17
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ずっと昔から気になっていたのであるが、朝早くからニワトリのように甲高い声で鳴く鳥がいる。かといってニワトリみたいな鳴き声ではなく、ポーワウ! とでも表現すべき甲高くて、同じ鳴き声がしかしどんどんトーンが高くなりつつ続いていく感じだ。説明の下手!ありゃ一体なんなんだ。さて、工期が遅れまくっていて当初の予定通りには帰れなさそうだ。一応ビジネストラックは30日間なのだけど、延長申請ができるのかどうか。今試している。写真は通称ジュロンのエビ釣り。去年の春以来だからもう一年半以上振りでした。
2020.12.16
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見事に忙殺されている。朝から晩まで休みなく歩き回り、この陸勤で太り散らしたお腹がいい感じにへこんできた、気がする、だけ。あんなにブラックだったウチの会社が何をトチ狂ったか休みを取れ取れうるさく、大人しく従わないと会社が処罰されるというので、 仕方なく午後半休にしてやった。ヤードのあんちゃん達が毎日毎日朝から晩まで、開放整備試験に立ち会ってくれやとやけくそで電話してくるので、船と陸の工場を何度もひたすら、貸与された小汚い自転車で往復している。インドのおっさんに言うといちゃもん付けられて仕事が進まんから、適当にオーケーを出すジャッピーな小生が人気者である。さて、この国では取らせてもくれなかった土曜のしかも半休なので、ホテル向かいからトボトボ歩き、Tang plazaは一階レストランの和牛バーガーを食べにきた。店員さんに聞くと五年前のと同じレストランだというので、通常二年でバンバン店舗が入れ替わるこの国のレストランにしては、なかなか長く続いていると思った。娘様も大好きで二人で何度も食べに来た懐かしい和牛バーガー。うまうまたいらげているとら目の前で土砂降りのスコールがやってきた。
2020.12.12
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あれから早15日、ヤードで朝から晩まで、ほんと親様が見たら泣くんじゃないのってくらい汗だくの臭くて汚いボロ雑巾みたいにくちゃくちゃになって動き回り、途中あったよく分からない会社指示の強制休日取得 (ホテル自室で仕事メール対応と図面確認を朝7時半から夜20時頃まで) をやり過ごし、そしてついに得る。外出権。いつものラウンジでいつもの様に、おタイガー様をいただいたあと、ちょっと外に出てみた。はっきり言って外の景色なんかどうでもいい。目指すはスーパルマルケットである。ぐっはー、きたきた。ビンツルで腐るほど買ったアホになるチョコレート。タイガルビアルのブラックとかホワイトとか何それ何それー!くっはー! I don care bout Jappee something。卵で揚げたポテチと魚の皮。これ一袋1500円くらいするねんで。けどウマイ!かはー。シャバや。娑婆ダバ。小生、爆買い。遠慮なく爆買い。Cold strageだとBOHの紅茶が見つからなかったのでFair priceスーパーマーケットを探さないと……。
2020.12.07
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遠くの空を見やると、真っ黒な曇り空が大挙してやってくる。激しい稲光とそして暴風。久々のスコールでした。キリンたちも大慌て。
2020.12.03
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陽の登るか登らぬかの辺りで起き出して、最上階のラウンジで朝飯をつついている。 この丸一年間夜八時就寝の朝四時起き生活を続けて、週末は早朝発の山登りをしていたので、思いっきり生活リズムを狂わされている。 そういえば東京陸勤も気を良く在宅ワークしていたのに、9月頃から何をトチ狂ったのかいつのまにか六割出勤とかいう意味不明な残念な感じになっちゃって、家でできる仕事をわざわざ会社へ顔を見せるためだけに週三日も無駄に出社し、オマケに出社日は早寝早起きでも在宅ワーク日は9時5時しか就業時間を認めないというアホ丸出しの勤務体系を強要されている。 あの街で観るビル街の夜景と、この小さな国で観る同じ景色のなんと違うことよ。 どうでもいいんだけど。 毎月給料の半分のンン十万ペリカを税金と保険と年金と組合費でピンハネされる生活を、今度まだまだ数十年、続けないといけないんだろうか。 金持ちになりたいのに、絶望しかないよ。サラリーマン。九月から年金もしれっとねあげしてるし。
2020.12.02
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国境の向こうを見やると、どこかしら懐かしいような景色が見えるのである。つい数年前まではアブラヤシのジャングルだったそうな。ホンマかいな。長男が生まれる前に、家族三人で旅行したジョホールバルです。高層ビルが立ち並んでいて、なんだか景気が良さそう。
2020.12.01
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早く隔離期間が明けてくれないものか。 一応、14日間は仕事先との往復のみ許可されている状況だ。これじゃあスーパーはおろか、近場のコンビニすら行けやしない。 最上階のラウンジで毎晩20時過ぎまでお酒飲み放題なので、それに甘んじている。 本日お船様がドックインし、明日から色々工事が始まる段階である。 早く終わらないかなあ。 シンガポールは一昨日、ショッピングモールで久々にクラスターが起きたか、普段は一日当たりゼロか数人のところ、10数人感染でニュースになっていた。
2020.11.29
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相変わらず一日中曇り空の土曜日でした。 明日から秋の大工事本番で、今日はオフである。ここに住んでいた当時、土日といえば毎週お船様がやってくるので、うちのワンマン社長のノリに合わせて仕方なく休日を潰し、パシルパンジャンのターミナルに出向いては、エンジンに潜ってドロドロに汚れた汚いツナギのままMRTに乗って、お家に帰っていたので初めて休んだ土曜日かもしれません。外出はできないけど。代休なんてものは一度も無かったし、そして気が付けばいつも広州で、中国のあんちゃんやフィリピンインドのおっさんたちとギリギリの状態で一緒に現場を走り回っていたものである。 オペレータセクションの別会社に出向していたよく分からない連中は、土日といえばマリンスポーツやゴルフ、酒、観光など存分に駐在を楽しんでいた上、よく分からない組合のチンピラみたいな連中が大名行列を組んで日本から遊びにやってくるとき、飯や酒の手配など全部こちらに押し付けて知らん顔していたので、あれをきっかけに小生は航海士連中を信用できないようになってしまった。 当時を思い出すと文句しか出てこない。
2020.11.28
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