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あけましておめでとうございます。いつの間にか年を越してしまいました。いろいろ考えて今回で、こちらの日記はおわりにすることにしました。もうひとつ作っていた日記(右下にリンクを貼っています)のほうでこれから続けていきたいと思います。この日記を読んでくださった方たちに感謝しています。短い期間だったけど、どうもありがとうございました。
2004年01月13日
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寒い一日。マフラーの下にスカーフを巻くという完全防備で今日はでかけました。ほんと寒いの苦手・・・。明日はニット帽だ。帰りに寒いんだもの。外食つづきで食生活が偏ってきたので、肌が荒れてしまいました。すぐに顔に出てしまうのは困りものです。そこで、一年前に頼んだきりのファンケルの通販をつかってサプリをたのんでみました。それがちょうどおとといの夜中だったんですけどさっきお風呂から出てきたら、もう商品がとどいていて、サービスのよさに感心しきりでした。最近職場にもなれてきて、ときどき覇気がないというか素になってしまいます。うっかり気を抜くと、いつものぼーっとした頭になってしまって。もともとあまりないけど、声にも覇気がないです。社会人として、よくおこられないなあと今日ふと思いました。みんないいひとだな。。でも、甘えるな自分。まずはからだが資本だなあと思います。さっそくサプリを補給して今日は早めに寝ようっと。
2003年12月09日
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久しぶりの日記です。って台詞は毎回言ってますか。ほんとに最近書くことが思いつかないです。なにもなくなにごともなく平和な毎日です。便りのないのは元気な証拠です、みなさん。みなさんってだれだ。今日は家に帰って自転車をガレージから入れていると、どこかから「おかえり~」というまぬけな声が聞こえてきたので暗い庭を目を凝らして探してみると留学先から帰省した妹が庭でタバコを吸っているのでした。(そう、このあいだ二十歳になったんだよね。)南半球からやってきた彼女は冬だというのに日焼けして皮むけしていました。今夜はひさしぶりのにぎやかな晩酌でした。そろそろほろ酔い加減で寝支度します。
2003年12月08日
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名駅前のルミナリエ(と言っていいのか)を昨日見てきました。今年見たのは2回目だけど、じっくり立ち止まってみたのは昨日がはじめてでした。飛んで火に入る虫のように私は電飾の灯りが好きなので、この季節はわりと好きだったりします。昔はクリスマスなんて・・と言っていたけどもう照れずにカミングアウトできます。どちらかというと、機関車とかトンネルのネオンより光の階段や、風にゆれる樹の、無数の金色の光に心ときめきました。
2003年12月01日
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<ほんと言うとこの何日か日記を書くのはやめようかと考えていたんだけど、書いていなかった間にもカウンターがすこしずつ毎日動いていてなんかわからないけど切なかった。このページをのぞきにきてくれるひとが日本のどこかに毎24時間のあいだに何人かはいて、「今日は書いてないんだな」とか「今日はこんなこと書いてるな」とかなんでもいいから思い浮かべたりしてるのかな。また明日、何か書きます。明日からも一週間がんばりましょう。おやすみなさい。
2003年11月30日
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連休もあっというまにおわりです。なにしたかな。なにもしてないような。しかし、なにもしなくていいってすてき。最近日記がうかばれていない気がする。日記がというか、書いてるときの心境が。そんな今日、偶然あるひとの日記をよんでいたら、すごく毎日をいろんな出来事や自分の考え(気分、ではない)を真正面から深くほりさげているのでおどろいた。うーん私とは正反対。ぐちはいいつつ、のほほんと生きてるもんね。そのひとみたいにならなきゃとは思わないけどそんなふうに毎日を過ごしていくことはきっとすこしも退屈しないだろうな。自分と、社会や政治や経済やなにかがリンクしている。そのなかでちゃんと生きてる感じ。私は自分の話をするのが苦手。自慢ととられないか、卑屈と思われないか、そんなことを考えてしまうから。自分の長所やしあわせな話しをさらっとできたりそれを聞いた人にも「いい話」として自然に受け入れられるようなひとはすてきだなと思う。きっとそれが誇張やうそではないっていう自信とか真剣味みたいなものがあるからなので、そういうシンプルなスタイルの似合う人にはちかづきたいってすごく思う。そして、それを身に付けるには、年齢は関係ないんだ。
2003年11月24日
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ひとのしあわせは喜ばなくちゃね、つらいときは支えあおう、Love and peace!なんていってたのはだれのためなの。お口ばっかり。あなたとだれかの、じゃなくてあなたへの、周りのひとからの、なんじゃないの?しあわせな話をほしがりながらしあわせじゃない話にばっかり乗りたがるのはどうして?ひとを選り分けているように見えるのは気のせい?わからないよ。深まらないし。深くなっても。近くなったり遠くなったり深まったり浅くなったりどうしろっていうの。孤高のひとでいることはいい気分ですか。そんなことを独白しながら自己嫌悪する私も馬鹿なんだ。
2003年11月22日
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悪いことば(グチや文句)は口にしないほうがいいらしいです。風水的に。わかるような気もします。ただ、良いことばかり言っているのも疲れるかも。良いことしか言わない人も、私はあまり信頼できないです。自分のつらいときに話を持ち掛けづらいから。それから、自分のことを信頼してくれていない気もするから。ほんの少しの毒は良くも悪くもひととひとをつなげるよ。そういうこともあっていいじゃない。
2003年11月21日
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金曜は一日いそがしくてあっという間に過ぎました。やっと2週間目。だんだんペースはつかめてきたかな。昨日はみんながてんてこまいだったので、いやだった電話のベルにも、とっさに出られるようになったのは収穫でした。なんて言ってるようではまだまだ。アフターには1年ぶりに会う友達とご飯を食べにいきました。大須に候補を3つくらい考えて行ったのだけど、結局どれも近くにを構えている上に、捨てがたい魅力があったので、とくに近い2つの店をはしごすることにしました。ひとつは今時のお洒落なcafeでゆったりしたソファ掛けの店内は、女性を中心に満席でした。お茶もごはんも美味しかったしBGMやインテリアも素敵だったのだけどたばこのけむりが充満していたのが難。私も時々吸うから、店内禁煙にしてほしいとはいわないけれど空気清浄機をつけるとかしてほしいな。外にでたとき「空気がおいしい!」と思わず都会の空気を吸い込みました。(そんなに。)もうひとつはアメリカンな小さなバーですが、ご飯ものが豊富でカクテルもたくさん!私は大好きなキューバリバーを頼みました。お店のひとはあまり接客業のひとっぽくなくてなんだか好感度大でした。今度はこちらをメインに行ってみたいな。ところで「キューバリバー」のブレスはどこで継ぐべきですか。キューバ・リバー、それとも一気にキューバリバー?あいまいな発音は終わりにしたいのでだれか教えてください。それから飲み足りなかったので、伏見の安い飲み屋まで歩きました。(飲める友達はとても貴重。特に女の子!)おしゃれなカフェやバーのあとにはとても落ち着くオフィス街の居酒屋。さっき大須にいたような隣のフリーターグループが社会について、労働についてくだをまいていました。「金のために働けなんてさあ!」って怒る女の子にほかの子たちが「じゃあひとり立ちしてみろよ!」「甘いんだよ!」と言っていて。真剣なのはわかるけど、その口調が笑えてしょうがなかったです。終電ちかくなって、良い気分で歩いた納屋橋のあたりはもうクリスマスムードでした。名駅もイルミネーションが点灯したばかりでとてもきれいです。灯り好きにはたまらない季節がやってきました。
2003年11月15日
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落ち込んでるわけじゃないんだ。毎日のすぎるのが早くて、できなくて悔しいことや勉強になることやいくつかの楽しいこともあって、湯水のようにいろんな感情が流れてはうずまいてる感じがする。深夜型から早朝型へのきりかえはさすがにスムーズにはいかないものです。そろそろ気分は慣れてきたのでからだのほうがちょっと緩んできたみたい。丸くなったと友達に言われることが時々あって今日、仕事をしながらなんとなくそうなのかなあと思いました。いまの仕事場のひとたちはクセもあるけどいいひとばかりです。学生のころは長く人と関わることが苦手で、そのことを周りのせいにしてしまうところがあったんですが、でも本当は、どんなところでも私は恵まれていたんじゃないかなあと最近思うんです。それに気づけなかったころは、10の白よりも0.5の黒い一点を見過ごせなくてあちこち傷つけて回っていた気がする。そのくだらないプライドでいちばん傷ついていたのは自分だったのに。だめからはじまるんだ、と思えるようになってからとても気楽にいられるようになって。どうせくだらないなら、失敗をして照れ笑いをできるだめなひとのほうが、いまはいいなあと思います。そして許されるような。そんな強さのあるひとにいまは憧れます。
2003年11月13日
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今日はクリムト展の最終日だったので帰りに松坂屋南館の美術館にいってきました。ベートーベン・フリーズは圧巻でした。複製だったけれどいつかほんものを見てみたいです。クリムトの絵はなんとなく好きだと思っていてとくに女の人が芯の強そうな(ひとくせありそうな)描きかたをされているので、元気がほしいときにながめたくなります。展示全体は、正直にいってあまりぴんとこなかったです。けど、クリムトの生涯の恋人という女性の遺品やフォトが、コーナーを広く設けて展示されていてとてもおもしろかったです。その彼女は服飾デザインをしていたりもする自立した婦人のさきがけだったと書かれていました。どの衣装や小物もおどろくほど洗練されていて、そのそばには彼女自身がモデルになっている粋な写真も置かれていました。クリムト自身のものとして、机や画材入れや仕事着がありましたが、なかでもスケッチブックが印象的でした。手のひらサイズの、メモ帖なんです。びっくりしました。いまは亡いひとの、身に付けていたものが目の前にあるという体験は何だか感動的です。ところで、クリムトが建物の装飾画家だということを今日はじめて知りました。いわれてみれば、なんとなく納得?販売コーナーで葉書をみていたら風景画のものもあったんですが、人物画はどぎついけれどとてもやさしい風景を描くんだなあと思いました。すごく気に入ったので何枚か買って帰りました。
2003年11月11日
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ついに我が家もBBになりました。電話代を気にしなくていいのがこんなに快適なんて。しかもLANもつないだので、自分の部屋でネットができる!もう家族の目をきにしながらメールをうったりしなくてもいいのね・・・。いままでのネット生活がどんなに不自由だったか再認識しています。新しいことをはじめるとアクティブな気分になるので最近頻繁にあちこち出歩いています。仕事場のちかくに古書店街があることはしっていたので、このあいだはしごしていたらすごく好みの古本屋をみつけました。そこで「H」のソフィア・コッポラとカヒミのコラボの回と、ユリイカの松尾スズキ特集の回を買って帰りました。CDなんかも置いてあったり、映画の本も豊富だったのでできるものなら店ごと買い取りたい。週末の夜に友達とごはんを食べたあとものたりなかったので、お茶を飲みに行きました。郊外の山のふもとにある、別荘のようなお店で夜は11時まで開いているところがうれしい。アンティークな木のたたずまいと、ネオンの見えない暗闇にぽっと灯っている店のランプがなんともいえないあたたかさを醸していました。夜のしんしんとした空気と、川の音と木と珈琲の香りがすごく素敵でした。わたしは車がないのでひとりでいけないのが難点。お気に入りの場所がひとつふえるということは、何だかとてもしあわせです。
2003年11月10日
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新しい仕事がはじまりました。わたしを知るだれしもに心配されていた早起きの問題はいまのところクリアして通いつづけています。このあいだまでなら、この時間は宵の口だったけどいまはもう眠くてまぶたが・・・こういう感じ、健康的だなあ。しんどいけどそんな変化は、すこしたのしい。かも。今日は帰りに職場のちかくの友達とごはんを食べにいきました。ごはんを食べてから、そのあたりを案内してもらっていたらはいってみたくなるようなお店がたくさんありました。アジア系の内装のリラックスできそうなカウンターバーをみつけたので、こんなところにいつか一人でいってみたいと思いました。まだ、飲むところにひとりでは行けないなあ私は。ひとりでも飲めるのが大人の女だとかそうでもないとか話していたんですが、どうでしょう。もう限界。明日はバイトだし・・そろそろ寝ます。
2003年11月07日
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昨日は一日の映画サービスデーだったので仕事のあと、シネコンに映画を見に行きました。ごはんを食べてから三十分前にチケットを求めにいくと、お目当ての作品はもう満席になっていました。せっかく行ったのにもったいないよね、と言うことになりレイトショーの「キル・ビル」を見てきました。思いがけず見たので全く期待していなかったけどかなりおもしろかった。タランティーノってなんとなくまっとうなイメージ(巨匠っていう感じの)がしていたけど、遊び心満載変な作品でした。サムライ・西部・海賊・マフィア、いろんな闘いものの要素が堪能できて、アニメーションやライブもあり映像もスタイリッシュでした。それに、笑えるところも。チバさんはどうなんでしょう。コメディ要員なのでは。それに、あの飛行機・・・!今回はアジアテイスト。最近白土三平にはまっていたので実写にしたらこんな風かなあと思いました。サムライ映画の知識があったら、もっと楽しめるのかも。R15指定はおおげさじゃないの、なんて始まる前には言っていたんだけど、はったりじゃなかったみたい。でも、生身が斬られる痛さもちゃんと描いていると思います。いい夢をみられる気がしなかったもの。それから、復讐にシリアスな情感をほとんど込めていないところが私は好きでした。前のほうの席で、息をつめて見入っていたので気分が悪くなるくらい首のうしろが凝っていました。
2003年11月02日
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ビデオを返しにいった帰りに、すこし足をのばして手芸品店に寄ってみた。なかなか進まない、親戚にあげるサシェづくりに自らはっぱをかけようと思って。。。はしっこにちいさな鈴をつけたらかわいい気がするのでちいさな鈴をさがしました。思ったよりいろんな種類があるんですね。金・銀・カラフルなシリーズ・丸いの・カウベルみたいなの・ジングルベルみたいなの。いろいろ。なやんだ末に銀色のまんまるのちいさなものを選びました。とりどりのボタンや、布や、毛糸に、ビーズに、リボン・・・手芸品店は女の子の宝島みたい。鈴のほかに、きれいな刺繍糸を2色買って帰りました。☆『デリカテッセン』アメリの原点・・・?おかしな世界。おかしな住人。でも、どこか絵本のなかみたいなキッチュな感じも。雰囲気は霧のロンドン。(ことばはフランス語だけど)廃墟の世界で孤立したある町のアパートが舞台。ジュネ監督とカニバリズムの関係・・・掲示板のメッセージは、ここにつながっていました、サイさん。ホラーというか日本昔話というかアメリというか喜劇というか。どれでもあったんだけれど私は笑いました。途中から部屋にはいってきた弟は「おっかしいんじゃないの」といっていました。確かに、そうともいえるよ。でも、どれでもいいというか、なんでもいいというか。とにかく大好き。☆「ラジオスターの悲劇」を借りました。昔、大好きだったひとがおしえてくれた曲だから聴いているとすこし切なくなるけど好きだから何回も聴きます。曲もいいけど、タイトルもいいなあ。
2003年10月31日
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本屋で松尾スズキさんの『ぬるーい地獄の歩き方』(文庫)を見つけたので買ってきた。いろんな”ぬるい地獄”の経験者へのインタビュー集。まだ途中だけど、進むにつれて目からウロコがおちるような、おどろきの一冊だと思います。なぜかというと、前書きで松尾スズキさんが書いているように、ガッツだ、スマートだ、そういう風なひとたちの話はたくさん世にでているけれど、ぱっとしない人たちの話をわざわざとりあげて聞く本はまれだからです。勝ち組のハウツーを学んだとしても決してセレブにはなれない自分に、より近い「負け組」の人たちの話をこそ、ほんとは聞いてみたくはありませんか。(といっても、「負け組」とはいえないような すてきなひとたちばかりなのですが)こういうぬるさを持っているひとの発言にふれると高きを望んでしんどくなるのはあまり得策ではないような気がしてくる。努力・根性、それはすてきなことだけどそうでない生き方だっていいじゃないかって。かなしいけれど、現実の生活では「ぬるま湯が好き」と言う気持ちはうかつに口にしてはいけない。大人として。だから、松尾スズキさんの本が平積みされていたり宮藤官九郎さんの脚本がテレビで切れ間なく見られるのはすごく素敵なことなんだと思う。そのほかにクウネルみたいな雑誌があったので買って帰りました。可愛いスイレンちゃんとしまおまほさんが呼んでいたので・・。それにしても、雑誌の「創刊号」って魅力的。
2003年10月29日
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風邪をひくといちばんに鼻にくるのでずっと鼻がつまりっぱなしです。身体はぴんぴんしてるのに、頭がちゃんと働かなくなるみたい。動物も鼻が大事な役割をしているものが多いようだし人間にとっても(私にとっても)だいじな機関なんだと実感しています。病院に行った帰りにブックオフで購入した『ぶっせん』(全6巻)を寝込んでるときに読んでいたら嗅覚で生きているみたいな少年がでてきました。これはなにかの縁?仏教専門学校といつわって経営再建をはかる貧乏な禅寺の愛と涙と笑いの学園ストーリーマンガです。『ファンシイ・ダンス』みたいなノリが好きだったのですごくツボでした。
2003年10月28日
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悠長なことをいっていたらやっぱり風邪をもらってしまって・・今週はだめだめでした。じっと寝ているとひまなので、ビデオの映画を見ていました。そのうちの何本か、☆をつけて勝手に評価します。「アメリ」☆☆☆☆おしゃれ雑誌によく紹介されていたのでおしゃれな(だけの)映画だと思っていたんだけどまちがっていました。ヘンな映画です。しらべたら監督自身がへんな人(?)なんですね。大好きです。「es」☆期待はずれでした。ショッキングな設定をしたらそれ以上に丁寧につくり込まなきゃいけないと思う。雑です。「デンジャラス・ビューティー」☆☆☆母が「レンタル屋のコメディ・コーナーで1位だった」といって借りてきたので見てみたらほんとに面白かった。ハリウッドのB級コメディって憎めないんですよね。サンドラ・ブロックの豚笑いを聞くだけでも価値ありでした。(すごく可愛い!)
2003年10月25日
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この週末は高校時代からの友達が帰ってきました。ちょうど土日は地元の秋祭りにも重なりました。土曜の夜、ひょんなことからわたしたちも前夜祭を見に行くことになったのですが、はじめて見た祭りの夜の神社は夜店のあかりと祭囃子と境内を練り歩く町衆の提灯行列でわくわくがとまらない賑わいでした。ヒートした友達はコンビニでインスタントカメラを手に入れ、神輿の番人・天狗(おじさんが扮装している)や祭りの世話役のひとたちと写真を撮り、可愛いおじいちゃんを見つけては撮り、私もおちていた提灯を手にして町衆のひとからもらった蝋燭を灯してふりまわし、大フィーバーの祭りの夜でした。お酒がはいっている町衆のひとたちはみんな陽気でした。まさに無礼講。祭りの醍醐味は、なんといっても夜だなあと思いました。夜、飲みながらその友達と話していたらフィーリングッド という言葉がしきりに浮かんできました。なににつけても、言葉で説明できることなんてちっぽけなことだしやってみていいな、みてみていいな、感じていいな、いっしょにいていいなと思えることが大事に思える。気がつけば夜はしんしんと更けていました。連日飲んだせいですこし胃は重くて毎日一生、こんなふうに過ぎていけばいいのにと思う祭りの夜でした。
2003年10月21日
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秋の夜長に時間をもてあましてしまう今日この頃。本を読んでいても気が散るときは手仕事をしようと思いはぎれをあつめてきてサシェを作るのにはまっています。以前、学祭で農学部の露店から買った大量のラベンダーポプリがたんすの中でかざばっていたので、いくつか匂い袋にしてみました。自分で言うのもなんだけど、これが案外いい具合に使えるんです。かばんやたんすや枕のなかに入れたり、手紙のなかにいれたりして。おばあちゃんのお土産にもひとつあげたらずっとエプロンのポッケの中にいれていてくれて動作にあわせてときどきふわーっといい香りが漂ってきました。どこから?どこから?なんてふたりで言っていたらおばあちゃんのポケットだったのでそんなシチュエーションもすごく気に入ってくれました。こんどはほかの親戚の女性たちと、友達にもあげるつもりにちくちく、ちくちくやっています。☆☆『VIVA!VAUGHAN』ちくちくやりながら聴いていたサラ・ヴォーンの歌うボサ・ノヴァのアルバム。これもまた秋の夜に似合う温度とテンションの素晴らしい一枚です。
2003年10月15日
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九州から帰ってきました。あっという間の数日間でした。行き道だけは夜行バスで、十時に消灯したあとにももちろん眠れるはずもなく窓の外のちいさな町の灯かりをながめていました。ゴージャスなネオンとちがって、ほっとするようなさみしいような灯かりでした。眠ったような眠っていないような心地だったけど、夜行の雰囲気はとても楽しかったです。子供のころから、秋以外の季節には長い休暇をすごした福岡は、私にとって、とても愛着のある場所です。大学のときには自分の大学や他校の掲示板に、九州県人会の貼り紙をよく見かけました。九州出身の友達は、同郷の先輩や友人とも頻繁にやりとりをしていて、そのネットワークに驚かされたものですがじっさい九州の人は、あったかくて、縁や人情を大事にするひとたちだと思います。おばあちゃんの住む所は村社会なので、人間関係のむずかしい面もありますがきびしさは仁義のないことに対して向けられるのであって、懐にはいればこんなに居心地のいいところはないかもしれません。たくさんの親戚やなじみの友人だけでなく、そんな地域にまもられているからおばあちゃんが離れた土地で一人で暮らしていても、少しは安心できるんです。今年の夏に水害にあった嘉穂劇場も見に行ってきました。いまはさびれた炭鉱町なので、復旧支援をするだけのお金も町にはないのです。ただ、工事中にも関わらず遠方からおとずれる人もすくなくないようでした。経営者と思われる年配のおばさんが入り口に立って力のない声で「いくらでも構わないので、基金に協力してやってください」と呼びかけていたので、私たちも持っている小銭を基金箱にあげてきました。ストレートに気持ちをぶつけてくる人と接すると、めんどうをさけてドライでいるほうがいいなんて思ういつもの気取りがとても姑息に感じられます。ほんの数日の滞在のかえりぎわ、泣きそうなおじちゃんおばちゃんやいつまでも改札で手を振っているおばあちゃんを見ていたらずっと帰りたくないと思ってしまいました。このひとたちが私より先に、いなくなる日がくると思うと身をちぎられるような気持ちになります。たまたま帰省していた九州出身の友達にたまらなくなってメールをすると「九州はよかとこよ。またおいで」と返ってきて、また泣きそうになりました。
2003年10月14日
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今夜ではなく明日ですが九州の親戚のところに旅立ちます。一週間くらい日記はお休みします。夜行なので寝られるかな。。でもたのしみです。明太子と塩鯨がまっている!
2003年10月05日
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なくなった自転車が帰ってきました。後ろ暗いところがあったので撤去されたのだと思って撤去の告知状をまっていたのだけど、親切なかたがおきすてられていたのを見つけて知らせてくれたので盗まれてたんだとわかりました。ごめんね・・自転車。いいことがあったので親に言ったら今夜の食卓は急遽酒盛りになりました。特に父はなにかにつけてオーバーに喜んでくれます。私のことは娘だから当然かもしれないけどよそのひとのことでも同じに喜べるところは自分の身内のことだけど、何より尊敬しているんです。家族のことでも・・私にはなかなかできないかも。私より盛り上がる親につられて今夜はあのザ・ムービーを見ながらどんどん飲みました。外からは秋祭りのお囃子の稽古の音が聴こえてきました。いい秋です。たまには家族で晩酌もいいものです。
2003年10月04日
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まるで夢みたいな一日だった。夢なら覚めないで。夢だと云わないで!島田雅彦の短編集から「茶の間を旅して」を読んだ。茶の間がすべての原点と信じる男。自宅の、友達の、世界の茶の間を旅することにロマンを求めている。最後にいきつく茶の間では、旅する兄貴、あのひととの出会い。そのひとの口からこぼれることばにドラえもんの最終回おちを聞いたときのような気分になる。
2003年10月03日
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「Yum-Yum」日記は更新を止めることにしました。一部書き直してこちらに移してきたので、日にちの順番が入れ違ったりしているところもあります。あちらにも来てくださっていた方、すみません・・。短い期間でしたが、楽しみにしていると言っていただけてとても嬉かったです。ありがとうございました。まだ楽天のシステムに慣れないので、これからどうするかは正直迷っていますが、しばらくスローなテンポで更新していくつもりです。明日からもよろしくお願いします。
2003年09月29日
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最後の試験がおわったのでやっと開放感がわいてきました。寄り道をして空が藍色になったころ駅をおり、自転車でお気に入りの裏道を帰っていると、むっとする甘い香りが漂ってきました。熟した桃でも落ちてたのかと思いながらしばらく行くと、また同じ匂い。今度はやわらかに漂ったので金木犀の花の香りだと気づきました。
2003年09月28日
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明日でひとつの区切りがつくのに、とても集中力散漫になっています。6月までの働きはどこへ?正直な気持ちは、もう「とりあえず」という風になっているのでほかの選択肢が頭のすみでちらちらしています。「理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり 鑑賞することだ。凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聴くとはなしに 聴く。感じることもなく触れ、 味わうことなく食べ、体を意識せず 動く。香りに気づくことな く呼吸し、考えずに歩いている」とダ・ヴィンチは言ったらしい。それは、私のことですか。と思わず目を疑った本の一ページでした。
2003年09月27日
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しばらく日記をさぼってしまいました。でも、京都に行ってきたのと、さっきテレビでキョンキョンの顔をみたら、そのことは書かなくちゃと思い立ち今夜は書きます。京都で大学時代の友達と一日だけ会おうと約束したので何日も前からはりきっていました。でも、京都駅に着いてみても、一年ぶりに友達と再会してみても「ひさしぶり!」のことばは、すぐには浮かびませんでした。なじみの寺町で、ごく普通に待ち合わせて、なんにも特別なことはなく思えたから。行きたかった一乗寺を中心に、恵文社や京大・芸短近くの喫茶や町並みを歩きました。恵文社は、学生のときから行きたいと思いつつ、一度も行かなかったところのひとつ。どうしてこの距離をこえなかったんだろう?すごく居心地のいいところでした。変な本も沢山あって。それから、芸短の近くの喫茶で美味しい冷珈琲をのんでしばらくゆっくりしていました。心地のいいガムランの音楽。気に入ってしまってお店のひとにそのCDを見せてもらったんだけれど、タイトルを忘れてしまった・・。あーバカだ。たしか「ろうど・・」なんとか。アジアンな店の雰囲気に合っていてとてもよかった。独特のたたずまいが気になるのか、通りかかったひとたちがたびたび店の前に立ち止まっては中に入ろうかと逡巡していました。その店から京大の辺りまでの住宅街のなかを歩くと、ある大きな家の庭から、木の枝が伸びて、広くはない路地いっぱいにゆるやかな緑のアーチを作っていました。そんな住みよさそうなところなのに、パトカーが巡回していたり治安のほうはすこし問題ありげ。でも、もし京都にもどるならこの辺りに住みたいと思った。すごく。夕方ちかく京大にもどると、西部講堂では乾いた太鼓の音が聴こえてきました。腰みのをつけた人たちがなにかの作業をしているようす。キャンパスは最新の設備にどんどん改築がすすんでいて驚いたけど吉田寮はあいかわらずのぼろっちさ。なんとなくほっとしました。夕暮れ、寮の近くを通ると、寮生が夕餉のしたくをはじめる素朴な音がきこえてきました。野球部やテニスサークルの練習風景、そこここから聴こえる楽器の音、生活の音、地味なかっこうの人や奇抜な格好のひと、いろいろな人が行き交って、昼から夜へとキャンパスが動き出していた。黄昏時からのざわめくキャンパスや学生街の雰囲気はほんとに好きです。その空気のなかにいるだけで数年という時間がリセットされたような気がして、すこし頭の中が混乱した。なんにも変わってない。校舎が変わっても、私たちが変わっても。それから木屋町のほうにもどって、一杯ひっかけたわけですが京都はふしぎな町です。いつきてもすんなりなじめる。なつかしいだけじゃなくて新しい刺激ももらえるし。猫並みに物忘れの激しい私は、地元に戻るとその一瞬間のなつかしさをわすれてしまうけれど、京都にきてすごしている時間にはここに「帰ってきた」と感じているんです。12歳で出会ってから、ずっと恋していた町です。いつかまた戻りたい。今回の帰り道、いままで来年こそはとあせってきたけど急がなくてもいいような気がしてきました。何年先かには、またここにいるでしょう。きっとね。
2003年09月24日
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今週は忙しかった。今日は家に帰ってから、ひさしぶりに部屋のそうじをしました。いちど始めると徹底的にやりたくなるので、今日は本や戸棚のなかの整理までしてみました。戸棚や引き出しのなかをすみずみまであけてみたらなつかしいものがたくさん出てきました。小学生のとき太秦映画村で買った金色小判や、旅行のお土産にもらったイヤゲものたちやトランプや携帯用のオセロや用途のわからない複数の鍵などなど・・。ものや食べ物を捨てられないのです。思い出や、それにつくったひとのことが思い浮かんできて。とくに手作りのおみやげ物はおじいちゃんおばあちゃんの顔が浮かんできて絶対にすてられない。それらの大事なコレクションは、お菓子のはいっていた缶の中にいい香りのサシェといっしょに入れてあげました。☆☆「ARCHIVES DE LA MUSIQUE TURQUE1」 音源は20世紀初頭。音はすこしちいさい。 かすれ気味の音に耳をすませて聴く。MILLADOIRO「As Fadas de Estrano Nome 2」 掃除機の音に負けない楽器はバグパイプだった! いろんな楽器の幸せなセッション。
2003年09月19日
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疲れによく効くと聞いて、数ヶ月前からクエン酸を飲みはじめました。レモンとグレープフルーツと梅干を足したくらいすっぱいので、蜂蜜をいれた水にとかして一日2回飲んでいるんです。ほんとに最近疲れにくくなりました。のまない日とくらべたら疲労感がちがうので、そのおかげなんじゃないかなと思います。毎年暑い季節には夜しか動きたくなかったけれど(夏は大好きだけど)、今年は昼間だってどこまでもいけそうです。今日も帰りは駅まで30分くらい散歩して帰りました。にわかにスポーツのような秋を体験している昨日今日です。明日も歩こう。
2003年09月17日
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連休あけの今日は、市の郊外で、秋採用の就職の面接がありました。市内とはいえ、その町に行ったのは生まれてはじめてでした。無人の駅におりると、ホームわきには秋の草花がゆれていて、心地いい静けさが漂っていました。駅をでて道をきいた方が、たまたま同じ方向にいくというので、20分ほどの道のりをいっしょに歩いて行くことになりました。「徒歩20分くらい」と聞いたときはゲンナリしたんだけれど、近道をおしえてもらいながら川に沿った歩道や、森をぬけて行く道々はむしろ散策している気分で楽しかったです。お昼前には面接を終え、こんどはひとりで散策しながら駅まで戻りました。かえりの電車をまつホームには、地べたに座っておにぎり(ランチ?)を食べているおばあちゃんと私のふたりきりです。まぢかにみえる青い山や、線路のむこうののどかな家々をながめていたら、すずしい風がざあっとふいてきました。セミの声はまだどこかから聞こえていたし歩いた汗も流れていたけれど、ホームにはもう、秋の気配が濃くなっているようでした。
2003年09月16日
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日本の随筆をあつめたシリーズを読んでいます。一巻ずつにテーマがあり、いま私の読んでいるのは「化粧」の巻です。昔の女の人は、家の中のだれより早く起きて素顔を見られないうちに化粧をするのがたしなみだったという話がありました。私も化粧をしたからといってすごく顔がかわるわけではないんだけど、その数十分の手間が気持ちをひきしめてくれる気がします。中学生のとき、学校に障害をもった女性を招いて講演会を聞いたことがあります。汚いとか醜いとか言われ続けたというそのひとの 「私がもし他人に不快感をあたえてしまうなら、 見た目だけでもいつも清潔にしていようと心がけています。」ということばが心に残っています。薄くても濃くても化粧をするのは自分のためと他人への関心の両方の意味がある気がします。「化粧なんてどうでもいいじゃない」という人は女性の中にもいるけど、ばかばかしい、というニュアンスで言っているのを聞くのは気持ちのいいものではありません。化粧してる姿をおおっぴらに見せるのと、あなたに会うときもまったく化粧する気もない、といってしまうのとそんなに違わないような気がします。外見だけじゃないけど外見も大事です。気持ちが出るから。おばあちゃんになっても、お出かけするときには化粧台にむかう女のひとになりたいなあ。
2003年09月15日
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夜、虫の音が聴こえるようになりました。過去の日記(ライコス)で何回か書いたけれど、うちの庭は母の趣味で草や花がぼうぼうに植わっていて。いちおう規則みたいなものはあって、整然としすぎていないところが私は割りと気に入っています。その庭の木や草の陰に、季節季節の生き物が集まってくる。虫のコロコロいう声がきこえると、昼間はまだまだ暑いけれど、ちゃんと秋は来ているんだなあと気づきます。このあたりは、いまは開発も進みつつあるけれど、私がちいさかったころは鎮守の森を抱え、近くの小川でザリガニがつれるようなところでした。母のちいさかったころは、この家は萱葺き屋根だったそうです。こんな秋の近い夜になると、二階の部屋のまどをあけて風をいれた。布団にはいって眠りにつくまで、父や母に絵本をよんでもらう短い時間。テレビもつけずにきいていた物語りの声と、夜九時に公民館からながれる「遠き山に日はおちて」。遠くの声とこだまする、飼っていた犬の遠吠え。起きはじめたふくろうの声。いまはもう、どれも聞こえなくなってしまった。ほんの十年そこそこの昔のことです。夜の季節をしらせてくれるのは、いまもかわらない虫の羽音。それから、私のつける深夜ラジオの声。
2003年09月13日
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きのうの話ですが、夜七時から怖い番組がやっていました。私が一番はやく帰ってきて、たまたまその日はほかの家族はみんな外ですませてくるというのでひとりでごはんを作って食べながら、見始めてしまったんです。「ありえないよ、やらせだよ」と笑いながら見ていたのだけど、だんだんすこしだけ開いた、庭に面したカーテンのすきまが妙に気になってきた。スタジオでは、「なんか音がする。ライトが動いてる。怖い話をするときちゃうんだよね。」なんて山田邦子が余計なことをいってる。昔、中学校の先輩が、怖い番組をみていたら家のガラスが鳴るんだと言っていた。高校生のとき、みんなで怖い話をしていたらその中のひとりがほんとにくるよーと怖がっていた。電波はあぶないって、昔ラジオのお盆の特集でいっていた。いろんなことを日々わすれて大事なことを思い出せないのに、いらないときに余分なことばっかり思い出すんだ。もう私にはどうしても、すぐそこにあるカーテンのすきまをうめることができない。どこかで、コツコツ、という音がきこえた気がして、猛烈に7時からの30分を後悔しました。たまらなくてTVチャンピオンに変えてしまいました。あんなにTVチャンピオンを必死に見たことはないと思う。すごく楽しんで見尽くそうと思いました。ほんの5分くらいのあいだの気持ちの変化でした。音の正体は、バンドの練習からかえってきた弟が器材を家の前において、私が閉めてしまった鍵をあけようとしていたものでした。弟の顔をみたら何だかほっとして「びっくりした。こんなわけで」と説明したら、「ばっかじゃないの」とにべもなくいわれました。
2003年09月12日
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珈琲依存症になってしまった。勉強中はいつも飲んでいたから、いつのまにかなくてはならない存在になってしまいました。家のなかにいるときは、いつもなにかの飲み物を手元においているんだけれど昨日たまたま珈琲をきらしていたらなんだかふつうのお茶ではものたりなくなってしまった。寝る前に飲んだりして余計寝づらくなるしにきびも出来そうなんだけど。我が家では最近「珈琲+黒糖」がはやっています。いま家にあるのは「西表黒糖」という”きび”から作られた黒糖。はじめは、海草がはいっているのかな?と思ったのですがふつうの黒糖とちがって、独特の風味があります。色味もみどりっぽい。 身体にもよさそうです。コーヒーは「珈琲」と書くとそれっぽくていい。豆の香り、木目のテーブル、降り注ぐうすい日差し。いい音楽と湯気のむこうに、親しいあのひと。そんな感じ。それから珈琲のでてくる歌、喫茶店の歌。なんか好きです。
2003年09月11日
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坂本教授のお父さんは有名な編集者だったと知ってびっくりしました。(20へぇくらい)写真をみて、顔がそっくりなのにもまたびっくり。教授の顔に、太い黒ぶち眼鏡をそっとのせた感じ。私は新聞の夕刊をよむのがすきなんですが今日の某紙の夕刊をごらんになった方は知っていると思います。「自分の読みたいものをつくる」文士と議論になってとっくみあいの喧嘩をしたり、というエピソード。いい話だ、と思ったんだけどそういう編集者が伝説といわれるのはじっさいにはそんなひとは少ないのかな。出版の世界のしくみはよくわかりませんが、こびない頑固さが好ましいと思う本や雑誌が、書棚のすみっこに置いやられたり、廃刊に追い込まれたりしてさみしい気持ちになることがあります。でも、本屋にいけば毎月、毎日、おもしろい本や雑誌がつぎつぎに出ていて、あたらしい知識や興奮をおくってくれる。数をおくりだす方向にいっている、とその紙面には書かれていたけれど、もしそうなのだとしたら数あるなかの黄金の種を、だいじに、頑固に育ててくれる”編集の人”がいてくれたらいいなと思う。
2003年09月10日
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「火星と月のランデブー」だって。なやましい表現ですね。ちっとも知らなかったんだけど、友達からのメールのおかげで見ることができました。空をのぞく穴のカードをくれた友達。最近すてきなタイミングで空を見上げさせてくれます。ちょうどそのときは、月の1センチくらい(ここからみて、ね。)のところに接近していて、どこかの絵やシンボルマークにもできそうな構図でした。流星群や彗星とかそういった天体のイベントにはいままで見放されっぱなしだったけど、今日はよかった。 わすれないよ。☆
2003年09月09日
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友達の家のお墓は山のなかにあるらしい。わたしの母方の本家の墓は畑のなかにあり、父(マスオさん)の実家のお墓は最近まで共同納骨堂でした。この家のお墓は近所の墓地にあります。友達の山のお墓にはめったに行けないので、いつも草ぼうぼうになっているそうです。そんなお墓をみて育ったためか友達は死んでもお墓はいらないよね、と言っていました。気持ちがあるなら、お仏壇のまえで手を合わせてくれればいいそうです。うちの母もつねづね「骨は海に還してくれ」と言っています。還るも何も内陸で生まれ育った彼女だけど、その気持ちはわかる気もします。なんとなく。死んだあとのことを考えるには私もまだ早いけれど、お葬式に何人のひとがきてくれるのか、だれが泣いてくれるのか、どれくらいの時間がたてば私は忘れられるのか、なんてことを眠れない夜に漠然と考えることがあります。私もいつか死んだら、いっそ散骨してほしいと思う。海と山に3分の1ずつ。のこりの3分の1は家族があつまるよりどころになるように、家の仏壇の中か庭先にでも埋めておいてもらいたい。今夜の世界遺産「パレンケ」のお墓を見ていたら、そんなことを思いました。
2003年09月08日
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『inreed』を立ち読んでいたら、カヒミの記事が載っていました。カヒミさんのおすすめのものやライフスタイルがのっていたんだけれど、このひとのおすすめするものは、意外なほどリーズナブルなものだったり、”微妙”にちかいものだったりする。知り合いの10歳くらい年上の男の人は以前、「おしゃれを気取っててどこがいいかわからない」と言っていました。ほかにもおしゃれっぽい雰囲気(フランス住まいとか)や声できらいなひとも少なくないようですが・・・。どこかの雑誌のなかでカヒミさんのことを「いい意味でまったく人の目を気にしないひと」と言う人がいましたが、私もそうなんじゃないかなあと勝手に思っています。おしゃれとか気取ってるっていうのは意外。好きにしている結果、そうも取られるのかもしれない。ことばにしにくい感覚みたいなものを掬いだすのもすごくうまくて、自分(私)の中の感覚にもリンクすることをすっと言ってくれたとき、自分にとっての代弁者というか指針を示してくれるひとのように感じます。だからつぎに(いまは)なにをみているのか気になるし、同じように気にしているひとも少なくないんじゃないかなあと。”時代”っていうものがあるなら、そういうものを自然にわたって生きつづけられる稀有なアーチストのひとりだと思います。(ファンの欲目?)なにより美しいし。
2003年09月07日
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うーん・・なんだかよくわからない・・わからないことがおおすぎるよ。お国にはとても理不尽なシステムがある、らしい。私たちが何年も目指してきたのはなんだったんだろう。調子がいいときにだれかをきずつけるひともいればなおさら気遣えるひともいる。かっこつけの気遣いには余計に傷つくけど自然にあったかい言葉をえらべるひとはすごい。きっとわたしは傷つけるほうの人間で、えらそうなことをいうくせに、その言葉は自分のためにえらんでいる気がする。昨日と今日、目の覚めるくらいあったかい友達の気持ちにふれた。まだ知り合ってまもないけれど、おしえてもらったことはたくさんあって、あまり人のことを信じられない私にもこころのきれいなひとってほんとにいるんだなあと思わせてくれた。こんなひとと友達でいられて、ほんとによかったよ。そして、自分自身のことを省みなければいけないと感じた。
2003年09月06日
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あいち国際女性映画祭のシンポジウムにいってきました。河瀬直美さんや宮崎信恵さん、海外の女性監督もまじえての講演会。私はすこし遅れてはいったものの、前のほうの席があいていたので、ちょうど河瀬さんに近いところに座ることができました。私の意識が低いのかもしれないけれど、あまり「女性映画」という括り方には共感できなかったので、実際の作り手のひとたちはどういう風に感じて話をするのか興味がありました。でも話をきいていたら、創っている人たちは思ったより冷めているんだなあと感じました。韓国のモ・ジウン監督や日本の宮崎監督を中心に、 「女性としての利点もたしかにあるけれども、そういったことを意識して映画をつ くったことはなかったし、これからも女性という枠組みをこえて、いち作家として 映画作りをしたい」と、いう話が盛んに言われていました。最後の質問タイムに 「『“国際女性映画祭”の“女性”をもうそろそろ省いてもいい時期にきているん じゃないか』(という意見があったので)、なんてまだ言わないでほしい」と、初回から関わっているスタッフの女性が発言していました。私は映画をみるときに、女性のつくった映画だからといって特別視したくないし、「女性だから」という部分にこだわるのは「作品をみてほしい」という女性監督たちのスタンスと矛盾しているような気がしました。でも、いいお話がきけたんだけれど、司会進行がおぼつかなかった。もうすこし聞きたい意見が空中分解してしまったり、発言者も戸惑うシーンが何度も。それに質問の時間がほとんどなくなったのはすごく残念です。(ふたり限定、のうちのひとりはスタッフだし。ひどいよ。)河瀬さんは途中からあきらかに怒っていて(あきれてたのかも)、最後のあいさつが終わる前に席をたってしまう・・・。ボランティアの方たちの頑張りがあちこちで感じられていただけに、なんか、いたたまれない最後でした。
2003年09月05日
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今日、電車の中で百閒の対談や座談をあつめた『百閒座談』を読んでいたのですが、笑えてしまって困りました。危ない。こんなにまじめにいいこと?を言っているのに醸す雰囲気が笑えるなんて、並みの人間には真似できないと思います。もちろん計算もされていると思うけど、笑えるんだからやっぱりすごい。おまんじゅうに向かって「敬礼!」という百閒先生、自分のマントのすそを踏んでこけてしまう百閒先生、猫がいなくなって泣いてしまう百閒先生。大好きです。
2003年09月04日
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ライコスからきました。ライコスではzolazolaという名前で「ジオラマ・ラジオ・ホール」という日記を書いていました。過去の日記の移行は10月から・・なのかな?よくわからないまま、更新してみました。こちらはしばらくぼちぼち更新になると思いますが、移行前の最近の日記は、もうひとつのマイぷれす日記にかいています。リンクをつけてあるので、よかったらそちらもごらんください。最後になりましたが、ライコスからのおつきあいの方も、はじめましての方も、どうぞよろしくお願いします。
2003年09月03日
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ビデオラックの整理をしてたら、なつかしいビデオがでてきました。私は気に入ったものはしつこくしつこく何回も見たくなるんですが、この「ソリトンsideB」も、何回みたか分からないくらい好きな番組のひとつです。ちょうど高校生だった95,6年ころにやっていたので、もう7,8年前になりますか。土曜日の深夜。一番多感なころにこういう番組と出会えてよかったなあ。と思います。sideAもあったっけ?Bのほうが印象に残ってますが。たまきさんに恋をしたのもここからでしたし、映画や音楽や文学というおもしろい世界を知ったのもこの辺りからだったので、とっても私の人生には大きな存在感のある番組です。私たちと同年代以上のひとのなかには、そういう人もおおいのじゃないかな。「ソリトン見てた」っていうと、話しの弾むことも何回かありました。かなしいかな、ビデオにとったのはほんの数回分で、見逃した回もたしかたくさんあったはずなので、ぜひ再放送してほしいです。以前どこかのサイトで再放送を訴えるための署名をしていたので、もちろん私も一票貢献させていただきました。でも、それももう、何年もまえのこと。いつかアーカイブスとかでまとめてやってくれないかな。偶然ですが、今日バイト先でいっしょになったひとが誰かに似てるなあと気になっていたのですが、ソリトンのビデオをみていたら塚本晋也監督だ!と気づきました。
2003年09月02日
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さよならライコスの日。こんにちは楽天。昔の日記は10月にアップされるらしい。ちゃんと手続きしたのにwhy?☆☆自分に合うものとか居心地のいい場所をちゃんと選べるのも大事な才能だと思う。もちろん努力して、合わせたり身に付けたりすることはいいことなんだけど、なんだか私はいつも、あえて苦手なほうやほんとは嫌なことも出来る顔をしてやろうとする。そして挫折する。そういうのは「要領が悪い」というんじゃないかしら。気づいてしまった。
2003年09月01日
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動物園にいってきました。うちの辺りでは遠足といえば保育園から中学校くらいまでの定番コースになっているところです。私も子供のときはうんざりするくらい行ったものです。10年ぶりくらいに来てみたら、思い出よりもずっと広い敷地でした。動物園に植物園に遊園地・・・それぞれがすごく広いんです。ボートに乗れる池もあったし。まだ小さかったころの記憶とくらべると、ベンチや檻はこんなに小さかったっけ?と思ったけれど、全部を歩いてまわるには、丸一日たっぷりかかりそうでした。子供のころ家族やクラスメイトと写った写真の背景があちこちにあって、そのときどきの記憶がフラッシュバックのようによみがえってきました。その思い出のなかで、一番強烈だったのは、爬虫類館です。実はここに一番来たかった・・。同い年の友達と私の記憶では、たしか入り口すぐのところにあったはず。それがなくなっていて、つぶれたのかなあと思ったら、奥のゆったりした敷地にグレードアップ移転されていました。なんと目玉のコアラ館以上のにぎわい。私たちが入る直前に蛇にさわれる企画がおわったようで、さわれなかった人たちが残念がっていました。意外な人気。 蛇はともかく私のお目当てのクロコダイルはやっぱりかっこよかったです。ほかに楽しみにしていたのは虎とライオンと象。でも、虎は狭い室内でおちつきなく歩き回っていました。あつい日だったから、いらいらしていたのかな。ライオンもだらけていたし。ほかの動物たちも、逃げ場は狭い部屋以外になく、気の毒に見えました。動物園は、見るほうには動物たちに会えるたのしい場所だけれど・・・。せめていいものを食べさせてもらえるように、たまには来てあげたい。でもそれは欺瞞?植物園もゆっくり回りたかったけれど、昼過ぎに入園したので、途中であきらめました。園を出て、近くの店で働いている友達の顔を見たあと、すこし先の学生街の「西原珈琲」に、珈琲を飲みにいきました。豆の味がちゃんとしていて、素人感覚にも美味しいとわかる珈琲でした。自家製ケーキも評判のようなので、次の機会にぜひ。とても雰囲気もよかったので、たっぷり3時間ねばって帰ってきました。
2003年08月31日
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おとといから車で、京都一泊旅行に行ってきました。京都といっても、めざす美山町は福井との県境にちかいところです。愛知県からは、北陸道を通って小浜からはいるとほんの3時間くらいで福井に入りました。1日目はあいにくの空模様でしたが、とちゅう日本海をながめ、周山街道にはいると、古い萱葺きの家々は雨にそぼ濡れてしっとりした風情が感じられました。立ち寄った萱葺きの集落では、山裾の家並みに圧倒されました。近くまでいくと、さすがに萱葺き屋根はすごい迫力です。あとから宿の人にその話をすると、いまは萱を各家でストックすることがむずかしいので、葺き替えは業者に依頼するんだけれど、その費用は一千万円近くかかるとおっしゃっていました。萱のうえにトタンをかぶせてしまう家が増えているのはそのためだそうです。萱をむきだしにしている家では軒先の一角からしずくがたれて、なんともいえない風情がありました。それで写真をとろうと思ったのだけど、目でみる風景の迫力がファインダー越しにみるとつまらなくなってしまって。きっと写真よりも、絵になる景色なんだと思います。旅行者らしいおじさんが、雨上がりの道端で色鉛筆をはしらせていました。それから、数メートル先の土砂降りの雨が、晴れているこちら側に近づいてくるという現象にあいました。雨が頭上を通り過ぎ、傘を持っていなかったらずぶぬれになるところ!ところで今回お世話になった宿は、いまのご主人で15代目という旧家で、昔は薬屋さんだったとか。(宿の目玉は、袋いっぱいに薬草をつめてお湯にうかべた「薬湯」) 年代ものの大きなお宅を家族経営されているので完璧に手入れが行き届いているとは言えなかったけれど、川魚や山菜の料理がすごく美味しかったし、おかみさんや宿のひとたちも素朴なひとがらで田舎の親戚の家にいるように落ち着けました。翌日の2日目は晴れたので、以前から行きたかった京北町の常照光寺にたちよりました。常照光寺は、山深いところにひっそりと建つ、天皇家のお寺です。由緒正しいお寺なのに、その日見かけたのは御住職だけ。客も私たちだけでした。玄関先にはマスコミ取材やモデル撮影禁止という硬派な張り紙。そのせいか門前の檀家町も含めてまことに閑寂としていました。鳥の声が澄んで聞こえる、ひなびた風情が素晴らしかったです。ひがな一日ぼーっとしたらいいだろうなあ。帰りに、階段に散ったもみじの葉をひろっておみやげにしました。そのあと京都市内で友達と合流して、鞍馬・花脊にもいってきました。さすがにこのあたりは京都に近いだけあって、せまい山道をひっきりなしに車が行き交っていました。そのせいか、空気がおいしくない。おいしいところをずっと走ってきたので、余計に感じました。とちゅう、鞍馬の山のなかにやせた猫が一匹いたのですが、雰囲気からみて最近捨てられた猫のようでした。ひどいことする人間がいる。ハイキングのおじさんがお弁当をあげていたので、そういう人たちのおかげでなんとか生きてるんでしょうけど・・。さいごに、すこし時間があったので、上加茂の河原におりて、缶コーヒーをのみながらしばらく話していました。夏の鴨川は最高です。8月の終わりを京都でしめくくれてよかった。
2003年08月28日
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きのうは友達に誘われて、愛知県の山あいの村に行ってきました。そこにはちいさなログハウスのハーブ記念館と、涼しい渓谷があるんです。山の中なので、迷いに迷ってやっとついたのは閉館30分前でした。館の下に流れる渓流から水をひきあげて水車や噴水にも利用しており、夕日に水車の水しぶきがキラキラ反射していました。館はすぐに終わってしまったけれど、そのまま帰るのがもったいなかったので渓流のほとりまでおりて、どうどうと流れる水に足をつけてみました。まだ昼間の暑い空気がのこっていたので、水の冷たさが足にしみました。その渓流の上には芝の公園があって、川からあがったこどもたちが楽しそうに遊んでいました。すごく楽しそうに走り回ったり、転げまわったりしていたので、声をかけてデジカメで写真をとらせてもらうと、反対に「ありがとう」とお礼を言われてしまいました。なんてしつけのいいお子さんたち!それから人けがなくなるまで、友達と夕日をみながらぼーっとして、話をしていました。普段は沈黙が気になるほうなんだけれど、ゆっくりした景色をみていたら自然と言葉がとぎれていました。帰りの車の中、山はブルーに染まり、近づく街の灯かりがうるんで見えました。私は一日のなかで、この時間の景色がいちばん好きです。友達も同じことを言ったので類は友をよぶなあと思いました。楽しい夏の日。ずっと夏ならいいのにね。
2003年08月26日
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東京の友達を訪ねたときのこと、どこへ行きたかったのか思い出せないけれど、やたら坂の多いところをひとりで歩いていました。地図を見ながらとぼとぼ歩いて、道が塀につきあたったので左に曲がろうと顔を上げると、この坂道が目の前にありました。勾配の急な、車が一台やっと通るくらいの狭い坂道。ちょうど、道の両側から木が枝をのばして、緑のアーチをつくっているようでした。とても疲れていたけれど、しばらく立ち止まって見上げてしまった。夏の夕暮れ、路上には夕飯どきのいい匂いがしていて、熱気のこもった風が葉っぱをざあっと揺らしていました。「大都会東京」は想像したようなビルジャングルではなくて、下町へ下町へ歩いてみると、むしろ“民衆くさい”匂いがしていました。江戸から東京に、脈々とつづく暮らしがあって、その歴史のうえに建っている都市。ここに根付くひとたちの気持ちがすこしわかったような気がしました。
2003年08月21日
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大学生活は京都ですごしていました。授業をぬけだしたときや、すごく退屈して爆発しそうで、かつお金のないときには昼間から自転車をこいで鴨川に駆けつけました。夜になると缶のお酒をチビチビやりながら友達と話し込んだり、夏には花火を楽しんだり。とりわけお気に入りの場所は、カミのほうでした。友達・恋人・夫婦・親子でいってもいいし、もちろんひとりでいってもいい。私はどっちかというと一人でぼーっとするのが好きでした。だれかが楽器を練習する音が、ちょうどいい賑やかさで落ち着くんです。一応かっこつけに本やカメラを持って出かけました。そんなある日に、パチリとやった一枚。しろつめくさの上で、よりそうふたり。私はどっちかというと猫派だけど(でも犬も好き。)、犬でなくてはこうはいかないよね。(猫はひとりで写るほうがさまになるから・・)愛を見ました。とくにお年寄りと犬のカップルを見ると泣きそうになります。春のことですが。鴨川っていうと、なぜか夏に思い出します。
2003年08月18日
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