全4件 (4件中 1-4件目)
1
昨日は結婚10周年だったはず。旦那は何も言わず忘れている様子。だから私も自分からは言わなかった。今朝はドシャ振りだったので、旦那が娘を迎えに来て学校へ送ってくれた。けど、結婚記念日の事は、はやり何も言わない。まぁ~別居中ですから、そんなの忘れて当然だろうな今の状態ならば「離婚」の二文字の方が近いかもね。今日は父が抗がん剤の日だった。仕事が長引き遅くなった。玄関に入るなり、母と旦那にキッチンへ呼ばれた主治医に、「もうこれ以上、抗がん剤を投与しても意味がありません。好きな物を食べて好きな事をして、家族との最後の思い出をつくって下さいね。」と言われたそうだ。父は、死の宣告に撃沈何度も言われてきた事だけど、抗がん剤を続けられるうちは微かながら希望があったわけで。でも、生きる気力がなくなった時は、早いそうですよ。死が。娘の為にも希望を持ち続けて欲しい。ここのところ、体力的にも精神的にも辛そうだった父を見て、上司にお願いした事があった。「万が一、危篤になった場合や、もしもの時は、早退や休暇を取るかもしれませんので、どうか宜しくお願い致します。」と。その直後、社内に響き渡るような罵声で、「テメーの親だか子だかが死のうと、会社はやってんだよ 1週間前以上の休暇申請か、感染症の診断書が出たとき以外は休ませねーからな 芸能人をみろよ!親が死んでも舞台に立ってるだろーが」あまりの勢いに、言葉が出ませんでしたよ。こんな会社にいたら、どんどん幸が薄くなる。不幸まっしぐら中。と言うわけで、私は、先週から退職の方向へ考えを改めました。仕事には責任がありますから、サービス残業はしますが、3時間以内と心に決めている。それと、私の家族が不幸になったのは、私のせいだと思う。会社の邪悪な「気」を持ち帰っているからね。旦那と母が、以前の私は明るかったと言う。自分でも分かる。確かに変わったよ。少し元気を取り戻したら、退職しよう失業保険もらって、その間にパート探そうかな。世の中、そんなに甘くないけど。退職して離婚したら、無職で母子家庭になっちゃうのか。何だか、娘が可哀想だな。父も心配で死にきれないだろうな。なんて親不孝なんだろう。私って。○○勇 ○島○○ 山○○○ 神○○○ ○田○お願いだから、私の前から消えてくれ。
2012.02.24
コメント(4)
娘との約束で、昨日は 「おばあちゃんのハンバーグ」 を作ることになりました ですが、私が実家に帰宅した時には、娘と母でこね終わっており、ハートの形になっていました ソースも作られており、付け合せの 「にんじんグラッセ」 も良い感じに煮えている~ 「インゲン」 も丁度良い感じに茹で上がり~ 後はハンバーグを焼くだけ~ と思ったら、 母が私に 「粉ふきいもは、あなたが作ってみたら?」 と 粉ふきいも??? 何だっけ なんでも、私が小学生の時に家庭科の授業で、ハンバーグの付け合せに その「粉ふきいも」 を作ったらしく、お菓子以外の料理を初めて作った私は、毎日のように 「粉ふきいも」 を作ったのだそうだ 全く覚えていない 材料は、「じゃがいも」 じゃがいもと聞いて、ゾッとした 皮を剥けない。。。 それを察したのか母が皮を剥いてくれた 作り方は、とても簡単であっという間に 「粉ふきいも」 完成。 小学生当時の私が作るのにハマッた 「粉ふきいも」 何となく分かる気がした ところで当時は、じゃがいもの皮を剥けたのだろうか やはり、母が剥いていたらしいです。 私が粉ふきいもを母と作っている最中、娘は 「オリジナルレシピノート」 に書き込んでいた。 見せてもらうと、和洋中、色々書かれていた う~ん、私よりは料理上手になってくれる事でしょう そうそう、私が大好きな 「にんじんグラッセ」 のレシピも書かれておりました。後でこっそり作ってみようかな 母のハンバーグは、両面を強火でサッと焼いてから、オーブンで加熱、それからオリジナルソースと一緒に煮込む。というのが普段の作り方なのだが、娘がせっかくハート型にしたので、その形を生かす為、今回は煮込みませんでした。 何れにせよ、とても美味しかったです。 今日は何を作るのだろうか~ 帰宅するのが楽しみです 画像を載せたいのですが、載せ方が分からない 楽天フォト、いつの間にか消えていました。
2012.02.17
コメント(2)
一昨日も昨日も、とても寒かったです そこで、娘とクリームシチューを作ることにしました 小1の娘は、何でも自分でしたがります 私は野菜の皮むきが苦手で、苦手というより下手なのです特に 「じゃがいも」 は、時間が掛かってしまいますまして私は左利きなので、左利き用の包丁でないと、とんでもない事になる。先日、自分の包丁を実家に置き忘れてきてしまった なので、昨日は娘の子供用の包丁を使わせてもらったのですが、全然上手に皮がむけない。あまりにも時間が掛かるので、娘にピューラーを使うよう勧められちゃいました。。。でも、これまた下手なのですよ。ピューラー使いが 娘は私の隣で、「鶏肉」 「にんじん」 「マッシュルーム」 「ブロッコリー」 などを次々切って用意してくれています。あまりにも私が 「じゃがいもの皮むき」 に時間が掛かっているので、娘はその間、にんじんをハートや星など型抜きしていました そして、水泳用のゴーグルをして、「玉ねぎ」 も切ってくれました 私、、、自分が情けない。 40歳にもなって、じゃがいもの皮むきすら出来ないのかーーー さてさて、それでは、早速作りましょうか。 娘が、炒め~灰汁取り~味付けまでやってくれた。 何処で覚えたのか 「おばあちゃん」 うちの母は、私が子供の頃は、お料理中はキッチンに入れてくれませんでした。 火傷でもしたら危ないからと思ったらしい。 ですが、あまりにも私が何も出来ない女房・母親になってしまったので、娘には将来の為に教えているのだとか。 娘が作ってくれた 「クリームシチュー」 は、やはり私の母親の味になっていました。 とても美味しかった 母からではなく、娘から母の味を教えてもらう私。 切ないような嬉しいような微妙な感じがしました。 今夜も、私に、「おばあちゃんのハンバーグ」 を教えてくれるらしい。
2012.02.16
コメント(4)
うちの父の話になりますが、一番最初の癌摘出手術を受けてから7年。我が娘が誕生して1週間後の事でした。術後は放射線治療・抗がん剤投与をしましたが転移を繰返し、これ以上は手術を出来ないところまできて、それでも抗がん剤投与は続けてきました。ハッキリ言って、大学病院のモルモット。効果がなくなれば、まだデータが極めて少ない更に強い「抗がん剤」、何度も何度も繰返してきました。12月からの新しい「抗がん剤」は相当辛いものらしく、物も口に出来なくなり、少しばかりの流動食も嘔吐し、最近では起き上がるのも精一杯な程に衰弱しきっています。医師によく言われるのですが、普通ならば起き上がる事すら出来なくなっているはず。もうとっくにあの世いきになっていたはずらしい。実際は分かりませんが、へたに抗がん剤などの治療を受けなく自然にお任せした方が安らかに召されるそうです。ギリギリまで抗がん剤投与していた人ほど苦しんで苦しんで亡くなるそうだ。68才の父がここまでして生きたい理由は、「孫の成長をみたい」ただ一つ。これまでも、お誕生日をはじめ、三歳の七五三・幼稚園入園式・五歳の七五三・卒園式・小学校入学・七歳の七五三等、そのつど目標をたてて頑張っていたのです。先月、七歳の誕生日をむかえ、、、父の次の目標は娘が二年生になる事。難しいかもしれません。本人も昨日今日は死期を悟ったかのように、寝たままノートに筆をとっています。何を書いているのかは分かりません。以前は痺れて感覚があまりなかった指先や足は、今では何かを持ったり歩いたりするだけで皮膚が裂けて血塗れになります。それでも必死に書き続けています。死期が近付いているのだろうか。父親は衰弱した自分を私に見られたくないそうです。よたよた歩く姿も母以外の家族に絶対に見られたくない。お風呂もトイレも私達がいない時に済ませているのです。ですから、ここ数日はどう対応していいのか、正直本当に難しくて。年末、「君達夫婦が不安定の状態だから孫が心配で、死んでも死にきれないよ」と父に言われました。掠れた声が耳からはなれない。 今、父に何をしてあげられるか、真剣に考えなくては。
2012.02.09
コメント(4)
全4件 (4件中 1-4件目)
1