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久しぶりにHATAKEの話題と今日のラッキーな出来事を。。。 週末は畑に行っている私だが、昨日は研修で行けず、やっと今日は行く事ができた。 もうサツマイモの収穫で、早く次の玉ねぎの植え付け準備もしたかったので今日は全収穫となった。 昨日はほぼ三分の二ほど夫に収穫してもらい、今日は残りの三分の一を掘った。 しかし、うちのおいものおっきい事 なんじゃこりゃ~~ (でもこれおいしいんですよ) 今日は三分の一でこれ。。。 昨日のと合わせると大きいごみ袋に5杯分(←ゴミ袋かい) 焼き芋が・・・大学芋が・・・ふかしイモが・・・じゅるじゅる・・とよだれが。。。(^_^;) 畑の野菜たちは元気いっぱいで、白菜も巻き始めて。。。 大根と白菜は大きくなってきました もうすぐブロッコリーも花蕾ができたら食します・・・ 根っこには掘ったサツマイモの蔓を敷いてこれからの保温対策(無駄にはしません!) 掘った後はこうして・・・ カキガラ石灰を混ぜて・・・ また耕して、堆肥を、混ぜて・・・また耕して・・・(オットちゃん、ご苦労様です) ~私は石灰と、堆肥を蒔きました~(^_^;) そしてこのようにならして・・・・ 出来上がり~~ 1週間後、玉ねぎを植え付けです 今日は、帰りに近隣町のコスモス畑を見に。。。。 町の収穫祭があっていた。 わ~~!きれいなコスモス!まだ咲いている所があったんだ! このコスモス畑の近くであった珍しい光景も。。。 美味しそうな芋もちを、石うすでつくおじさんたちがいたのだ。 無料配布とかですごく並んでいる人、人、人。。。。 そしてその横で、何やらクイズがあっていたが・・・ 私「なになに?・・・コメの重量あてクイズ?ふ~ん} 夫「せっかくだから参加してみるか」 私「え~~?まあいいか・・・」 全部で4種類。。1番はいつも私が買っている10キロの重さだなあ・・・ん?いや重い そう言って夫はそこに投票した。 私は1番目のものをかつぐと5キロに近いなあ・・・ 「うん、まあ5.5キロくらいにしとくかなあ・・・」 そうやって、二人投票をして芋もちの無料配布に並んでいた。 「どうせ当たらないもんね・・・無料のものはもらって帰ろう」 そういって、開票を待ちながら芋もち配布にも待つ私達・・・(正確には夫に並んでもらった) 「ピタリ賞がでない時は一番値が近い人にあげます!」 おじさんの声にちょっと期待しながら発表を待つ。 1番・・・〇×△男さん! あ~~~夫ちゃんのだ。やっぱりはずれた~~~ 2番、〇川〇子さん3番・・・3人近差がいますからじゃんけんで・・・ え?複数ならじゃんけんなの? そうして4番二人、〇×〇子さん!〇〇△子さん! え~~~~! 私じゃん!! きゃ~~~! でも・・・あと一人いるならじゃんけんか・・・まあいいか。チャンスはある。でもじゃんけん弱いからなあ・・・ そうして、あと一人の人を待った・・・・・・待った・・・・・・・・待った・・・・待った。。。。 来ない!待てど暮らせど来ない!早く来てよ~~~。 と、そこへ係りの人が。。。 「ここにおられないとアウトです。もういいですよ、不戦勝でお持ち帰りください」 「え?・・・いいんですか?」(やった~~~~!)←心の声 そうして私は、芋もちを配布される順番もよそに、そそくさと持ち帰ったのだった。。 あとでもう一人の人が出てくるのを心配しながら、ささと帰っていきました。。。(こんなチャンスは二度とないから、もう私のもんだもんね!と思いながら。。。はは) それがこれ・・・ 美味しい新米の5,7キロでした ちょっと単純だけど、ラッキーで幸せな1日でした 明日も元気にではまた
2012年11月04日
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長崎県人なら誰でも聞いたことがある歌だ。 というより、絶対と言っていいほど、子供から大人まで確実に・・歌える! 子供の頃はなぜか意味もよくわからずに言葉遊びで歌っていた。 段々意味がわかってきて、ああ、そういう意味なのか。。。と納得するのだ。 今、車のCMで一躍日本に広まったが、不思議にも感じなかったが あるサイトで仲里依紗さんが歌っているのを見て「初めて知った。不思議な呪文のような歌だ」とあって、「そうなんだ~」と驚いた。 でんでらりゅうば でてくるばってん(出ようとして出られるなら 出ていくけれども)でんでらでんけん でーてこんけん(出ようとしても出られないから 出て行かないからね。)こんこられんけん こられられんけん こーんこん(行こうとしても行けないから、行く事はできないから 行かない。 行かない。) なんのこっちゃ。。という様な一見なんでもない歌なのだけど、 母が言うには、昔はどこも子供が、子守をしていた時代。。。(“おしん”を知っている人はわかると思うが。。。。ちょっと古い。。。) “遊ぶ”というのは、そういう子供たちが、遊びに行けないために歌でかえしていたのでは・・・と。 あくまで「私の母説」だが・・・・ なるほど、そうか。。。。と変に納得してしまった。 長崎ではそちらに行く事を「そっちに来る」と言う。 だから、「行くからね」は「来るからね」になるのだ。 CMでも「とっとっと?」「とっとっとよ」と言うように短い単語で通用する言葉もある。 津軽弁とかにも「く?」「け!」で通じる日本で一番短い会話と言うのを以前聞いた事があるが。(確か「食べる?」「食べる!」だったような・・・・) とっとっと=「撮っているの?」 とっとっと=「撮っているのよ」という感じ。 他にも「すーすーすー!」という言葉もある。この方言ネタは以前も書いたが「、足回りがスースー風が吹いて寒いです」と言う意味。 色んな言葉が地元にはあるものだ。 だけど、文化の一つだから大事にしたいと思う。 わかりにくい言葉だけど好きだなっていう方言ありますか。。。。 この「でんでらりゅうば」もその一つです。 明日は早、週末・・・・ 年度末で色々と非常に忙しい毎日ですが、そろそろB型インフルエンザも流行ってきそうですからお気をつけて。。。(予防法はこちら) 少しずつ、春の足音が。。。 ぼけの花も蕾が。。。。 では、また
2012年03月02日
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子どもの頃、どこの地域にも“怖いおばちゃん”“おっかないおじちゃん”がいた。 そのおばちゃん達、登校時には「列を乱さず行かないと車にはねられるよ!」とか 誰かが泣いていたら「誰に泣かされたの?おばちゃんに言ってごらん」とか ちょっと悪さでもしようものなら怖い真顔で怒ってきた・・・・ 真剣に子供を叱っていた。。 そうして、かかわりを持ってくれたおかげで どこどこのなになにちゃん、誰々さんちのまるまるちゃん。。。なんて 割と地域がらみでみんなでみんなが守られていたような気がする。 高齢者にもそうだった。 地域で助け合っていた。携帯電話どころか、電話もなく 病人が出れば、若いものが病院へ連れていってくれたり 「この頃あそこのおばあさんは見かけないけど、病気でもしてるんじゃないの・・」 などと、お互いの安否確認もしていた。 今で言えば、おせっかいな事も、ある意味、常識のようなものがあったのだ。 大分の国東市では、毎朝黄色い旗を道路から見える位置に立てる「黄色い旗運動」が数年前から行われている。 これは、必ず朝立てて夕方にしまう事で、その家の安否確認になるのだという。 もともと延岡市北川町で玄関先にしていた事をとりいれたらしいが、 独居老人の孤独死問題が言われた頃、全国でもよびかけられたとの事だった。 しかし、この旗が反対に悪徳商法の目につきやすくターゲットになるとの事であまり行われていないらしい。 しかし、国東市ではこういった被害はほとんどおきていないと言うことだった。 それはこの旗運動を行うようになって近所に対して“関心”を持つようになり、警戒心も高まったとの事だった。 この運動が「一人暮らしの老人を守る」事だけでなく「地域内コミュニケーションを高める」事だという。 全ての住民に“自分達の地域は自分達の手で守る”という意識を浸透させる事を目的にしているのだという。 素晴らしいなあ こういう事が全国的に進んでいけばいいなと思う。 隣人でありながら顔も名前も知らないと言うマンション生活。。。。 「おしょうゆがきれちゃった・・お隣にかりてこよう・・」などと恥ずかしくて言えない現代。。 何か、気楽だが希薄なつきあい・・・ 田舎ではまだまだ近所つきあいはあるにしても、やはり昔ほどではない。 以前も近所のおじさんが入院されているのも知らなかった。 見直していく事が大事だ。 いきなり近所づきあいをするのも変かもしれない。 でも、挨拶からでもいいと思う。 コミュニケーション不足の現代社会・・・黄色い旗運動のようなものが国全体で取り組まれれば、解決していく糸口にならないだろうか。。。。 さあ、明日は月曜日。(今日は畑の画像加工が間に合わず) 元気に頑張りましょう 今日の画像・・・・ 10月から咲いているゼラニュームまだまだ咲いてます。。 また、明日
2011年11月27日
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小さい頃は、どこの家にも軒先に見た風景だった。 母親が自宅の渋柿の皮を剥き、棕櫚(シュロ)の葉を割いて柿の枝にひっかけて 軒先につるしたものだ。 冬は、そうして干し柿をおやつにして食べたり、正月の餅の横においたりした。 特別珍しい事でもなく、一般家庭のごく当たり前な どこにでもある風景だった。 いつの頃からだろう・・・・ あまり目にする事もなく、飽食の時代にそういったものを 食べたいと思う気持ちがあまりなくなり 子供達に伝える事もなくなっていった。 今では、田舎ですら、洋風化した家にミスマッチというか 干し柿をつるすような軒がなくなったせいなのか してある所をみると珍しいなあ・・・とさえ思う。 我が家にはおかげで歳をとってきた母がいるため、そういった昔ながらの ちょっとした伝統を教えてくれる。 とはいうものの、ほとんど面倒な手間のかかる事は自分でチャッッチャとやってしまい 私が知る由もないくらい、やってのける。 気が付くと、我が家には久しぶりに吊るし柿の風景を目にする事ができた。 これが、我が家の干し柿 実はこの柿、先日の畑の近くの柿の木から採ってきた。 秋の空いっぱいに天高くのびた柿の木。 そのままでは甘くないけど・・・ 20数個採って、家に持ち帰り母が皮を剥いた。。 全部剥いたら、シュロの葉で、柿の実についた小枝にかけて 沸騰したお湯にさっとくぐらせて(表面を殺菌するらしい) そしてこんな風に軒のところへ。。。。 玄関の横だけど、テラスの所に並べていた。 実に美味しそうだけど、まだまだ・・・・ この柿はだんだん、しわがでてきて徐々に甘みがでてくる。 そして、しわがでたタイミングで母はこの柿を揉むのだ。。 この揉むタイミングが長年の勘だとか・・・ じっくりあまく。。。あまく。。。願いをこめて・・・ 渋が抜けた頃がわかると、母は言う。 今年も、柿もみがすんで、食べられる日が早くきますように。。。(←食べる専門か) 母から教えてもらった色んな事を少しずつ自分のものにしていこう。 そして、伝えられる事は子供達へ伝えていこう。。。 今日も雨の一日だったけど・・・ 明日も元気に。 また、明日
2011年11月05日
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日曜日は長崎の街へ行ったが、出島ワーフで食事をした後、「みらい長崎ココウォーク」へ行った。 ここは、バスターミナル併設の複合商業施設。地下1階、地上8階立てでたくさんのファッション、グルメ、などの施設はもちろん、シネマボックスがある。 その5階には、長崎文化をちょっと垣間見る空間があったりする。(食事やファッションも見るのは好きだけど、こういうのが好きなんだな) 長崎ぶらぶら街道 明治時代の面影をちょっと再現。 中がちょっと暗かったものであまりはっきりじゃないが・・・ 壁づたいにこんな屋根瓦の風景が・・・ 駄菓子やさんの店の入り口にはこんな灯篭様の電気も・・・ 出口に置かれた“登竜門” 中国の故事「後漢書李鷹殿(りようでん)」から由来している。 この由来もしかり、ちょっと中国文化も匂うなあ。。。この門は「困難ではあるがそこを通れば立身出世がかなう関門のこと」だが、みんなここを通っていた。 (ちなみに私はあとで気づいてくぐり忘れた。。。) 中国文化もある長崎にはこんなおまつりもあって、楽しみたい人は行ってほしいです。 そして、記念撮影(あまり、これといった画像がないので失礼しました) 坂本龍馬の顔に夫が。。。ちょっと隠して・・・(頭は龍馬さん。。) 最後は娘が大好きなアイスを・・・ サーティワンのアイスクリーム みんなで、食べました そんなこんなで終わった日曜日であった。。。 さあ、明日も元気に また、明日
2011年11月01日
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昨日は雨の一日だったが、なかなか“雨の長崎”も風情があっていいものだと思った。 私は市内ではないので、沢山の名所さえも全部知っているとは言えないが、 だいたいの有名箇所は何かの時には出かけてきたと思う。 長崎は、鎖国の時の唯一の開国場所だっただけに、異国情緒にあふれている。 そんな町が好きだ。 で、昨日は用事があって行ったので、久しぶりに(市内ならいつも行きたい!) 出島ワーフへ行った。 出島ワーフは長崎港に面した2400平米の敷地にある商業施設が並んだ場所。 こんな風に飲食店が立ち並ぶ。 稲佐山や海の景観を楽しむ事ができるのだ。 こんな看板も・・・・ この看板の見えるそばには、こんな船も・・・・ 帆船だ。。。(帆が張ってないけど・・) 素敵な町、長崎。。 自分の町を愛する事って大切だと思う。 今日は短いけど、またつづきます・・・・。 明日も元気に また、明日
2011年10月31日
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秋のスペシャル番組で紹介された話だが、ある92歳の男性が絵日記を56年間書き続けているという話だった。 そのノートの紹介があったが、どれも絵が上手なのだ まるで、サザエさんの昔の原画を見ているような絵だった。 この絵がまた内容がとっても温かく、見ている人を和ませるような、ほのぼのとした絵と文。 昭和33年から描き始めたこのノート。 その数なんと2275冊 自宅倉庫にダンボールがぎっしりと詰まっていた。 ある時は、水道が初めて家について、お母さんが嬉しそうにコックをひねっている昭和35年と記載された絵や、 初めてテレビを見た風景。どこの子供もくぎづけによそのうちのテレビをみている姿の描写。 50年前の青森のねぶたまつりであったり その時、その時の心に記された記憶の思い出であったり 反省であったり、社会の様子だったり 実に絵と文がうまくできているのだった。 何故大人が絵日記を?と思うが、この男性の言ったことがとてもほのぼのしていた。 「実は、うちのせがれが3歳の時にいたづらばっかりしていて、言ってもわからないんで、絵日記を書いて見せたら少し反省するんじゃないかと思ったのが始まり。。。」 そう、親心なのだった。。。 そして、描くうちにその楽しさと習慣で続けてきたのだと言う。 「今は頭の体操で描いてます」と男性は言っていた。 この放送があって、ある出版社がこの本を出版したそうだ。 そのオファーから出版にいたるまでも絵日記にしるしてあった。 実に素敵な事だと思う。 毎日の事を振り返る事が少なく、日々過ぎていく中で 日記を書き、自分の今日の1日を振り返り、あった出来事をしたためていく。。。 簡単なようでとても真似できない。 現代社会の時間に追われる日々の私達には、とっても新鮮な事で、大切な事だと感じた。 56年の間には、順風満帆だけでなく紆余曲折 、いろんな事があっただろう。 それを全部絵日記として自分の歴史の一部にしてきたのだ。 とても素晴らしく、なんて素敵な歳のとり方だろう・・・・ 今、いつも時間に追われている私に、何かヒントになった気がした。 継続ってすごいなあ。。。。 まさに力だ。 さあ、明日からまた週初め。元気にいこう 今日の画像・・・・ カリフォルニアローズ。。インパチェンスの種類です。とげはなくミニばらのよう・・ これも、きれいかわいい。。 ほんもののバラは。。。。ちょっと映りが悪いけど、優雅な気品を漂わせ。。。 我が家に今一輪咲いています。 明日も元気に また、明日
2011年10月16日
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秘密のケンミンショーはとても人気がある番組だが、 その面白さは、同じ日本人なのに、県がちがうだけで 自分が今まで当たり前だと思っていた事が、県独特だったりする その意外性を面白く描写しているからだと思う。 また、実際、県出身のタレントがコメントをすると、 その県の特殊性がより面白くなるのだ。 長崎の事で以前、意外だった事がある。 実は、私達の地方では、靴下に穴があくと 「あ、じゃがいも!」と言う。 このことが県独特だったという事に驚いた。 ちょうど、穴の開いた感じが、畑からじゃがいもが出てきた感じに似ている所以だそうだ。 「あ、じゃがいも!」 普通に言っていたのだ 他にも、長崎では「皿うどん」と言うと、細いパリパリ麺が普通なのだが、 長崎でも、県北ではちゃんぽんのような太い麺がでてくる。 だから、長崎では皿うどんを注文すると、太めんか細めんか聞かれる。 以前、関西にいた頃パリパリ麺は“皿うどん”ではなく“固焼きそば”だったと思う。 所変われば・・・である。 郷土ならではの事がいっぱいだが、言われてみないとわからない事も沢山あって 実におもしろい(←ガリレオか) 郷土のよさを知って、愛着をもっていく事って大事な事だ。 自分のお国自慢ありますか? 郷土ならでは・・・意外にも自分だけ当たり前と思っていたりするから・・・ さあ、明日も元気に お国自慢ではないが、まだ時期じゃないけど、手作りリースです。おとどし作って部屋に飾っております。 千日こう、かわいいね(今まで、千日草と思ってました) また、明日
2011年08月24日
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昔からある歌だが、ほんとうにそう思う。 友人て、いつの時もいいものだと思う。 自分にとって“親友”と呼べる人がいるか・・・・ 小さい頃、「私達、親友よね」 そう言って女子同志でつるんで歩く子達がいた。 私も、親友と呼び合っていた子がいた。 なんでも話せて、なにより自分の事を理解してくれて・・・・ そう思っていたけど、学校を卒業してお互い離れ離れになって だんだん疎遠になって、いつの日か“親友”と呼び合う事もなくなっていった。 だけど、看護学校時代にもそんな子がいて、仕事を始めてからも、そんな子ができて お互い親友とは言わないけど 支えあう友達だと思っている。 友達ってそういうものだと思う。 一緒にいてもいなくてもお互いを理解しあい、相手を思いやる。 そんな友達が一人でなくてもいいのだ。 親友が一人でなくても、自分が真の友だと思えればいいんだと思う。 今日、入院患者の家族が面会にきた。 「あのう・・・○○の家族のものですが・・・あ!」 「あ!、B男君!久しぶり!」 数日前、ICUに入ってきたAさんの苗字に聞き覚えがあったが、 高校時代のB男君の父だったとは・・・ 私達は男女数人でいつも、わいわい、ガヤガヤとさわぎあう楽しい仲間だった。 昔は今のような携帯電話もなく、連絡を取り合うのはお互いの家の電話。 だから、家のものも“どこの誰さん、どこの誰君”と親もなんとなく知っていた。 交友関係はほぼ把握されていた。 だから、女友達と男友達と一緒につるんで遊んでいたので皆で仲がよかった。 (悪い事はしていないのです。映画をみたり、ゲームセンターに行ったり、クリスマス会をしたり) たまに、恋愛関係になった友人もいたが、自然と仲間から離れていった。 B男君は高校卒業後、苦学生で福祉関係の専門学校へアルバイトをしながら進学した。 お互い、きつい学生時代で励ましあっていた。 高校の頃はよくけなしあったりしていたが、いい友達だった。 私の父が亡くなった時もすぐに駆けつけてくれた。 私は好きな人がいたので、全く恋愛感情はなく、B男君もちゃんと彼女がいた。 数人の男女グループの一人だったけど、 男子の中では一番仲がよかったかもしれない。 お互い結婚して奥さんも知っているし、 うちの夫や母も知っている。 男女間の友情は成立しないとよく言うけれど、 私達は数人の友人といつも一緒で二人きりになることはほとんどなかったので 成立したのかもしれない。 しかし、今でも、会えばあの頃にすぐ戻れるのだ。 そう思うと、男女でも友情は成立するのかな・・・・と思う。 お互いがルールを守れば大事な友達関係は変わらないと思う。 懐かしい風景がすぐによみがえり、お父さんの病状を話すよりも お互いの家庭の事に話は置き換えられていた。 いつまでもたえることなく 友達でいよう 支えあう友人 私の人生の中で大切なものの一つ。 自分探しは、友人との出会いだと思う。 友達から学ぶのだ。 これからも大切にしていきたい。よろしく さあ、明日は週最後の仕事の日。 元気に頑張ろう 話題になった「まりもっこり」 いまやいろんなパターンの人形やストラップが・・・ 北海道はどこまでも、まっすぐな道が多いのです。気持ちいい また、明日
2011年08月18日
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日本って小さい国だけど、あちこちの方言があって実に面白いと思う。私は以前、関西で働いていた事があるが、関西弁の中でも通じない事がある。私は最初「ほかす」と言う意味がわからなかった。「これ、ほかして!」と言われてその意味がわからず、「へ?」と思った。状況からすれば「捨てる・廃棄する」ってすぐにわかるが、その時は本気で先輩ナースに聞けず、もじもじ・・・といった感じだった。また、しばらくして「これ、なおしておいて!」と私が同僚に言った時だった。同僚は怪訝そうな顔で「どこが悪いの?」「え?どこも悪くないよ。だから、なおしてて」「だから、どこをなおすねん!」「」私達の住む長崎は“しまう”事を「なおす」と言う。同僚はしまうではなく、どこかを“修理”すると思ったらしい。方言っておもしろい。意味がわからないだけに、色々コミニュケーションも興味から広がる。田舎だからって臆する事はないのだ。私達の、一番短い、それでいて文面がちゃんと成立する言葉がこれ!「スースースー」わかるかなあ・・・「あ~~~!今日は、すーすーすー」「うん、すーすーすーね」これに良く似たやつで、「とっとっと?」「うん、とっとっと」すーすーすーとっとっと2つ解った人には、ご褒美を・・・(冗談です^^)簡単な言葉だけど、解説が長くなってしまうので。回答はまた明日・・
2011年04月21日
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今日はランタンフェスタに行った。とっても人が多くてびっくり。色んなランタンがたくさん飾ってあって私の好きな「三國志」を表したものも…たくさん写真もとったが明日アップする事にしよう!
2011年02月11日
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