漫望のなんでもかんでも

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まろ0301

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2005.12.25
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 ジョットとその仲間たちは、サンマルコ寺を廻ってセルヴィ寺に出た。ここで例の通り壁画を見物する。聖母とヨゼフの画をここかしこから眺めているうちに連中の一人がジョットに言った。

 「ねえ、ジョット。一体全体、なぜヨセフはいつもこんなに憂鬱そうに描かれているのだろうか。」

 するとジョットは答えた。
 「あたりまえじゃないか。彼は花嫁のお腹がふくれているのを見ながら、誰のせいだかわからないんだからさ。」

 一同は互いに顔を見合わせて、ジョットは画の大先生であるばかりでなく、七芸に通じた先生だと太鼓判をおした。
 たいがいのひとは肉眼または心眼を持ってみるというよりポカンと口をあけて眺めて通るだけである。だから生きている限り誰でも、自分より沢山知っている人々と付き合えば、不断に勉強させられるので、過ちがなくてすむものだ。

『ルネッサンス巷談集』フランコ・サケッティ 杉浦明平訳 岩波文庫  


 クリスマスに相応しいお話ではないでしょうか?キリスト教の原理主義者の人たちからはブーイングが来そうなこのお話、1400年ころにサケッティによってまとめられたそうです。

 何にもしていないのに子どもができたみたい・・という言い訳は、これ以降は使えなくなったのではと推察いたします。




 クリスマスはキリスト教文化圏の人々にとって最大最高の祭りの一つである。救世主キリストの誕生を祝うミサである。この日が12月25日になったのは、325年、ニーカイア宗教会議で、神・キリスト・聖霊の三位一体説が決定したのちである。

 それ以前には1月6日を「大いなる新年」としてキリストの誕生を祝っていた時代がある。ローマの太陽暦にもとづいて1月1日を天地創造の始まりとすれば、人間の創造は6日目に当たるからである。

 当時の旧い暦では、冬至の日は12月25日ころであった。キリストの誕生を祝う日をいつにするか、教会は長い間模索していたが、「世の光」(ルクス・ムンディ)としてのキリスト神を祝う日は、この新しい太陽の誕生を祝う冬至の日がもっとも相応しいと考えられたのである。

 1月6日は、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受け、宗教的自覚の誕生を遂げた日(公顕節 エピファニア)として祝うようになったのである。

     『ヨーロッパ歳時記』植田重雄 岩波新書 黄245 p46~47






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Last updated  2005.12.25 00:09:37
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Comments

まろ0301@ Re[1]:ファクトチェックはやめます(01/11) maki5417さんへ  ただ、不法移民が居な…
maki5417 @ Re:ファクトチェックはやめます(01/11) 米国は、古い移民が新しい移民を搾取して…
まろ0301@ Re[1]:ハンナ・アーレント(01/08) maki5417さんへ  「倫理」は、本来は、…
maki5417 @ Re:ハンナ・アーレント(01/08) 「受験の倫理」とはおさらばだ。 今は倫…
まろ0301@ Re[1]:1月20日(01/06) maki5417さんへ  上下両院で、トランプ…

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