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2019.01.03
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『幕末維新のリアル』上田純子・公益財団法人・僧月性顕彰会 吉川弘文館

 この本は、 2017 年 4 月から 11 月にかけて全 7 回の連続講演会として開催された柳井ひとづくりアカデミー 2017 「いま蘇る幕末維新」の講演録です、と「はじめに」には記してあります。柳井とは、山口県柳井市。この本を読み始めて、自分の過去の事がくっきりと甦るような体験がありました。それは、以下の漢詩です。

 「男児志を立てて郷関を出ず」「人間到る処青山あり」「学若し成る無くんば復還らず」。

 この漢詩は、私が中学生の時、卒業生の答辞の中に引用したものでした。家にあった漢詩の本をぱらぱらめくっていてこの詩に出会い、拝借したのでしょう。卒業式に出席していた祖父 ( 元小学校校長 ) が、知り合いから褒められたらしく、家に帰ってからもご機嫌であったことを思い出します。

 閑話休題。

 私にとって興味深かった章を二つ紹介します。

 まず、第四章「洋上はるか彼方のニッポンへ」 < 欧米列強は何を目ざし、どう動いたのか > 後藤敦史。

 執筆者の問題意識は、「外圧・討幕・近代化」物語からの脱却 (p110) 、にあります。当時の世界情勢と国力から考えれば、日本を開国させる尖兵はイギリスであってもよかったのに、なぜアメリカなのか ?

イギリスは南下を図るロシアを押えるためにオスマン帝国、フランスと組んでクリミア戦争を戦っています。「クリミアの天使」ナイチンゲールで有名な戦争ですが、イギリスは 1854 年に参戦しています。また、イギリスにとっての重要地点はあくまで中国市場であり、日本の優先度は低かったということになります。中国では 1851 年に「太平天国の乱」が勃発し、イギリスとしてもその「乱」の推移について無関心ではいられませんでした。また「インド大反乱」 ( 「セポイの乱」とも ) が 1857 年に勃発しています。

 一方、アメリカはどうか ? 当時のアメリカは北太平洋地域での捕鯨を盛んに行っており、日本近海で鯨が多く獲れることを発見しますが、その代償として難破、漂流、そして日本へ漂着という例も多くなります。イギリスの捕鯨船員たちが薩摩藩領であるトカラ列島の宝島に上陸し、島民たちと交戦状態になる事件まで起きています。

1849 年 ( 嘉永 2) に、プレブル号という軍艦が長崎に来航していますが、これは、日本に漂着したラゴダ号という捕鯨船の乗組員を受け取るための来航でした。ラゴダ号の乗組員たちは「踏み絵」を強制されており、その事を「残酷な措置」としてプレブル号艦長に報告、このことから、「捕鯨船員保護のためにも日本との国交樹立が必要」 (p126) という声がアメリカ国内で影響力を強めていきます。 1726 年に出版されたジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』にも、踏み絵の話が出てきますが、かなり早い時期から鎖国体制下の日本では「踏み絵」というキリスト教徒にとっては「残酷な措置」が行われていたことはしられていたようです。

1851 年にアメリカ海軍は東インド艦隊司令長官のジョン・オーリックに対日外交を命じ、「条約締結に関する権限」も付与します。「東インド艦隊というのは、 1835 年以来、中国近海に常駐し、東アジア海域におけるアメリカ人の生命や財産を守ることを主要な任務としていた艦隊」 (p127) なのですが、オーリックは駐ブラジル公使と金銭トラブルを起こして解任され、その後任になったのが、ペリーです。ペリーは 57 歳、アメリカ海軍の名門の一族に生まれ、功名心に燃えていた彼は東インド艦隊の通常任務 ( アメリカ人の生命、財産を守る事 ) よりも対日外交を優先させるということを海軍に認めさせ、実際に 1853 年 11 月に中国在留の商人たちから保護要請が出た ( 太平天国関連 ) にも拘わらず、それを無視して 1854 年 2 月に日本に来航、 1854 年 3 月 31 日 ( 嘉永 7 年 3 月 3 日 ) に日米和親条約を締結するのです。

 この影響を受けたのが、北太平洋測量艦隊です。アメリカはこの艦隊を「外交政策として、蒸気船航路となりうる航路全体を調査する」 (p133) ために 1853 年 6 月に派遣したのですが、ペリーが無視した中国在留のアメリカ人たちの要請を果たすために測量事業を中止せざるを得なかったのです。

 ロシアは、クリミア戦争のために余儀なくされた英仏艦隊との遭遇を避けつつプチャーチンは「来航しては去っていく」 (p137) 行動をくり返し、 1 年半かけて「日露和親条約」を締結します。

 さて、イギリスはというと、 1854 年の 9 月にイギリス海軍の中国艦隊司令長官のジェームズ・スターリングがクリミア戦争に対して中立を約束させ、国際法に基づく軍艦の寄港許可を求めるために長崎に来航したのですが、幕府側が「条約締結の要請であろう」と誤解して 1854 年 9 月に「日英和親条約」を締結してしまいます。権限がないにもかかわらず条約を締結したスターリングに対しては、香港総督のボウリングが強く批判していますが、あと戻りは出来ません。

 一方で、 1855 年 5 月に来航したフランスの艦隊司令官のモーラベルは、イギリスと同様クリミア戦争に関する問題で交渉を行うのですが、外交権限がないことを理由として「和親条約」を締結していません。

 アメリカでは、 1861 年に勃発した南北戦争 (65 年まで続き、 62 万人の死者を出した ) のために対日交渉はいったん停滞しますが、 1890 年代、南北戦争後の国内再建と軌を一にして太平洋への進出が本格化します。

 他、第 5 章の「「尊王」とは何か」 < 国学の誕生から帝国憲法まで > からは、本居宣長と「国学」への関心を掻きたてられたのですが、ここでいったん終わりといたします。

 幕末という大激動期、いかに多くの要素が絡まりあったか、偶然が重なりあったか、「分りやすい」説では零れ落ちてしまうものがいかに多い事かを痛感させられた一冊でした。 2018 年の 12 月 31 日に読み終えた本でした。






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Last updated  2019.01.03 16:33:02 コメントを書く


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Comments

まろ0301@ Re[1]:ファクトチェックはやめます(01/11) maki5417さんへ  ただ、不法移民が居な…
maki5417 @ Re:ファクトチェックはやめます(01/11) 米国は、古い移民が新しい移民を搾取して…
まろ0301@ Re[1]:ハンナ・アーレント(01/08) maki5417さんへ  「倫理」は、本来は、…
maki5417 @ Re:ハンナ・アーレント(01/08) 「受験の倫理」とはおさらばだ。 今は倫…
まろ0301@ Re[1]:1月20日(01/06) maki5417さんへ  上下両院で、トランプ…

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