戦国・幕末夢日記
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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。やっと、皆様に第1回織田信長検定の詳細を、お知らせできる日が参りました。 期日は、平成22年3月21日(日) 集合時間は、午前9時50分までに、JR琵琶湖線「安土駅」駅前にある、安土城 郭資料館前に集合です。 当、歴史人物検定協が実施する織田信長検定は、他の検定とは、ちょっと違います。 ただ、知識を競うだけの検定ではなく、織田信長好き(歴史愛好家)な方の和を広げ、歴史に触れていただくことです。 ということで、「安土城郭資料館」→「安土城跡」→「安土城天主 信長の 館」→「滋賀県立安土城考古博物館」を散策する、織田信長歴史散策ツアーを開催し、皆様で歴史散策ツアーを楽しんで頂いた後に、検定を実施するというものです。しかも、この歴史ツアーに参加されますと、織田信長検定点数にプラスされるのです。この織田信長歴史散策ツアーの料金は、検定料金 5,000円に含まれています。 更に、織田信長歴史散策ツアーには、歴史ガイドさんによる案内付となっています。しっかり聞いていると、検定問題の解答が、歴史散策ツアーで暴露されてしまうかも(汗) ▼ 第1回織田信長検定の詳細はコチラhttp://1rekisi.com/nobunaga.htm 当協会である歴史人物検定協会の趣旨は、営利目的では無しに、下記を目的としています。・歴史愛好家の和を広げる ・歴史知識の向上を図る ・歴史を通じて社会貢献をする 参加頂ける方には、思いっきり楽しんで頂きたいと思っています。 そして、幕末には、こんな言葉が残っています。「面白き こともなき世を面白く すみなすものは 心なりけり」 ■これは、「面白くない世の中を、面白くするのは、自分の心がけ次第だ」という意味です。 この言葉は、幕末の志士である、高杉晋作の辞世句と言われています。 不平不満を言っていても仕方がありません。 自分で面白い世を、つくろうではありませんか。そこで、私の面白い世をつくる第一歩として考えたのが、歴史人物検定協会です 。 歴史が好き、戦国幕末三国志が好き、歴史観光が好き、歴史好きな方と話すのが好 き、これらを考えたとき、今回の企画、第1回織田信長検定に辿り着きました。 くしくも、第1回織田信長検定の開催日が、近江八幡市と安土町が合併する日となっているようです。 そんな日が開催日となったのも、何かの縁(信長に呼ばれたのかも)でしょう。安土町が最後の日となるかもしれない日を、参加者様と一緒に盛り上げたいと思っています。 信長ゆかりの地である安土町にて、織田信長歴史散策ツアーを楽しんだ後、信長検定にて信長知識の実力を試してください。 皆様とお話させて頂けるのを、お会いさせて頂けるのを楽しみにしています。▼ 第1回織田信長検定の詳細はコチラ http://1rekisi.com/nobunaga.htm今日の言葉 【高杉晋作】 「面白き こともなき世を面白く すみなすものは 心なりけり」 ■これは、「面白くない世の中を、面白くするのは、自分の心がけ次第だ」という意味です。 ■あなたは、不平不満を言ったり、他人のせいにしていませんか? ■何事も自分の心がけ次第だと思い行動しましょう。 高杉晋作(たかすぎ しんさく)は、長門国萩城下菊屋横丁(現・山口県萩市)に、長州藩士である高杉小忠太の長男として生まれます。 安政4年(1857年)に、吉田松陰が主宰していた松下村塾に入り、安政5年(1858 年) には藩命にて江戸へ遊学し、昌平坂学問所などで学びます。 文久3年(1863年)5月10日、幕府が朝廷から要請されて制定した攘夷期限が過ぎると、 長州藩は関門海峡において外国船砲撃を行いますが、逆に米仏の報復に逢い惨敗します。 高杉は下関の防衛を任せられ、6月には廻船問屋の白石正一郎邸において身分に 因らな い志願兵による奇兵隊を結成し、阿弥陀寺(赤間神宮の隣)を本拠としますが、 9月に は教法寺事件の責任を問われ総監を罷免されます。 文久4年12月15日夜半、伊藤俊輔(伊藤博文)率いる力士隊、石川小五郎率いる遊撃隊ら 長州藩諸隊を率いて功山寺で挙兵、後に奇兵隊ら諸隊も加わり、元治2年(1865 年)3月 には、俗論派の首魁椋梨藤太らを排斥して藩の実権を握ります。 慶応2年(1866年)1月21日(一説には1月22日)、土佐藩の坂本龍馬・中岡慎太郎・ 土方久元を仲介として、薩長同盟が京都薩摩藩邸で結ばれます。 同年6月の第二次長州征伐では、海軍総督として丙寅丸に乗り込み、周防大島沖 に停泊する幕府艦隊を夜襲してこれを退け、林半七率いる第二奇兵隊等と連絡して 周防大島を奪還したり、小倉方面の戦闘指揮では、軍艦で門司・田ノ浦の沿岸を砲撃し、その援護のもと、奇兵隊・報国隊を上陸させ、幕軍の砲台、火薬庫を 破壊し幕府軍を敗走させます。 その後、高杉晋作は、肺結核のため桜山で療養生活を余儀なくされ、慶応3年(1867年)5月17日、江戸幕府の終了を確信しながらも大政奉還を見ずに、この世を去ります。 享年、27歳。 なお、木戸孝允・大村益次郎らによって、現在の靖国神社に、東京招魂社時代の始めから吉田松陰・久坂玄瑞・坂本龍馬・中岡慎太郎たちと共に表彰・鎮魂され、祀 られています。 【今日の推奨】 ▼ 第1回織田信長検定の詳細はコチラ http://1rekisi.com/nobunaga.htm 今日も最期まで読んでくださって、ありがとうございますm(__)m
2010.01.07
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