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https://alis.to/abhisheka/articles/aw5d1BPYJDV8
2019.11.17
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シャーマニックジャーニー 続き(2)光る玉を自分の中心にもち、光り輝いてください。ただし、光を放つと周囲がしんどいので、自分の身体から一センチぐらいのオーラを放つような感じでキープしてください。この、ただし書きの指示を聞いたとたん、もうすべて実現した気がしたが、太鼓の導きによるジャーニーはそのレッスンになった気がする。自分を光る身体であり、実は光であると感じることはよくあるが、その光を四方八方に思い切り放ってしまうと周囲には、せっかくふつうに?生きているのにうっとおしいかもしれない。 また自分を保護するという意味では実は光を放ちきってしまうとプロテクトは弱くなる。 すべてに放っているから、どこからでも侵入されてしまうのだ。だから特別な場合以外は、光は自分の身体から一センチぐらいのところまでで光の繭のようにして保った方がいい。ジャーニーの中でそうしていると、僕は自分の今日の参加者としての「あび」と書いたネームタッグを胸の真ん中、アナハタチャクラの当たりに貼っていることに気がついた。 そこはちょうど、パワーアニマルにもらった光る水晶玉のある場所であり、そこから放たれている光を、拡散を抑えて体から一センチに留まる光の繭になるように心がけた。するとかつてないほど自分のパワーを感じたし、自分がプロテクトされているのも感じた。 この光は必要に応じて特定のクリエイティブな方法で放射するものであり、いつも全部を全方向に放っておくようなものではないのだ。反省。(;゜ロ゜)しばらくそうしていると今度は、タッグを貼ってある位置=光る水晶玉としての真核の位置がもう少し下であるというムズムズとした感覚に襲われてきた。 それでネームタッグを少し下に張り直した。そこはマニプラチャクラの位置だった。この感覚は先ほどよりもさらに感情的なパワーがあり、しかもそれが全方向に放たれず、やはり体の周囲あたりで制御されている。 これを全部放ってしまうと、うっとおしいほど、感情を自由に表現している感じがちょっとエキセントリックになってしまう。 これがよくも悪くも僕の持っていた性向性ではある。 しかし、今はそれを最も適切に制御するレッスンをしており、その方が自分が感情的に侵入されてしまうことからも、自分をプロテクトできる。そういうことか・・・・とレッスンしていると、今度は光る水晶玉の位置はもっと下だという感覚に襲われてきた。 タッグを貼り直した。 これはスワディスターナチャクラの位置だった。しかし、今は性中枢としてのそれよりも、パワーチャクラとしての性質を強く感じる。 チャンピオンベルトのメダルの位置だ。パワーのチャージとプロテクトは完全だった。 太鼓の音に呼び戻された。結局、こんなジャーニーをしてくださいと言われた瞬間に舌下に薬を入れたとき、一瞬にして血流に乗った化学物質で味わいがすべてわかるように、瞬時に「理解」が起こる。 実際のジャーニーはそのレッスンを実感をもとにやってみている感じだった。
2019.09.16
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13分間の心肺停止で臨死体験をするよりも以前死を見つめるワークショップに出たことがあった。そのとき、どのような末期を迎えることになるかイメージするワークをした。新しいパートナーと一緒なのか、前の妻との間の二人の子どもと一緒なのか、すべてが一同にかいすることは可能なのか。すごく重い課題を突きつけられた気がした。しかし!臨死体験をしてから僕は、末期について、何も気にならなくなった。孤独死も全然怖くない。ただ痛いとかイヤだなあと思うけど、それは物理的痛みの話。心理的にはどんな死に方でも何の問題も感じない。逆に言うと生まれてから死ぬまですべての瞬間は末期の瞬間だと悟ったのだ。一度でも会った人とは会った。一度でも心開いて話した人とは話した。一度でもセックスした人はセックスした。一度でもほほえみ合った人とはほほえみ合った。それは、末期の瞬間にそうしたのと同じことなのだ。この感覚、伝わるかなあ?末期の瞬間だけが特別なのではない。生まれてから死ぬまですべての瞬間が宇宙で一度きりの末期の瞬間なので実際に死ぬときにどんな状況であれそれはなんでも同じことなのだ。この感覚、ふつうはわからないかなあ?僕は臨死体験以後、こう感じるようになって、完全に解放された。
2019.07.22
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この映画の概要はwikiで確認してください。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%81%9E%E8%A8%98%E8%80%85_(%E6%98%A0%E7%94%BB)東京新聞記者・望月衣塑子の同名ノンフィクションは飽くまでも「原案」であり、この映画は虚実皮膜のフィクションとして、この国のマスコミや官僚の現実を描くのに成功していると思った。そしてそれを誘導しているのは、政権であり、内閣府であるという真実を突いていると私は感じた。そのためか、wikiにもこのような記述がある。「映画の内容から反政府というイメージを持たれかねないにもかかわらず、この難しい役の出演を承諾した松坂桃李に対して、その決断を評価する声があがった[9]。映画公開日前後から公式サイトが断続的にサーバーダウンして閲覧が難しくなる状況が発生した。特定のIPアドレスからシステムを使用した集中的なアクセスを受けていると公式から説明があり、サイバー攻撃ではないかという疑いも持たれた。」もっとも、私自身に言わせれば、ここに勇気ある行為として描かれた新聞記者や官僚の告発や記事の発表、この映画に出ることを承諾した役者の決断などは、本来、民主主義国家で当たり前の職業行為であるべきである。そのことに「決断」などという言葉を使わなければならない時点で、表現や報道の自由が大きく損なわれた状態なのだと言わざるをえない。ましてや、政府主導の文書の改竄を指示され、自殺していった官僚の姿などには、この国がいかに深い闇に包まれているかのリアリティをひしひしと感じた。かなりの興行成績をあげているようだが、なんとなく、この映画に描かれたような現実を「さもありなん」と認識している人が、観にきていて、そういう問題意識を持たずに過ごしている人々が観にきていないような気がして仕方なかった。これはマスコミや官僚の問題であるばかりではなく、私たちひとりひとりの課題を描いた映画であることは、wikiにも引かれている、「万引き家族」でパルム・ドール賞を受賞した是枝監督の言葉が指摘していると思う。「これは、新聞記者という職業についての映画ではない。人が、この時代に、保身を超えて持つべき矜持についての映画だ」「客層は従来の中高年層に加え若い層が徐々に増えてきている」というのは、この国に残された希望の光のひとつである。
2019.07.18
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日本の投票用紙は世界でも日本だけの特殊な用紙で鉛筆もボールペンも消せるからできるだけ期日前投票をやめる。どうしてもの場合、期日前でも当日でも油性マジックペンで書いてスマホで撮しておけという情報が流れています。
2019.07.17
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とりま、れいわ新選組の政権放送のyoutubeを今まで選挙に行かなかった人に送ろう。君の言葉を添えて。もしいいと思ったら君も5人に送ってと書いておこう。https://www.youtube.com/watch?v=V9zvlpOE1TA
2019.07.14
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みんな知ってた!?投票権のあるみんなは今回の選挙、2枚目の比例代表の投票用紙にはだれもが山本太郎ってかけるって!!!(それはれいわ新選組への投票と同じです。)そして、このことを毎日5人がシェアし、 次の5人が更にシェアするということが10日続いたとしたら9765625人がこのこと知ることになるって!!!つまりこれをみてくれた人がシェアしてくれたり行動に移してくれたら10日後には1000万人以上にこのことを知ってもらうことも夢じゃないってことそうすればれいわ新選組の10名全員を国会に送り込むのも夢ではないってこと
2019.07.14
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https://www.youtube.com/watch?v=nNWi_E6rqxo
2019.07.10
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この星がダメでも、別の星でやり直す。諦めない。そのために、宇宙に刻みつけるように書くのが、作家の仕事。
2019.06.11
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明仁が護憲派、平和論者という発言は、客観的に間違い!拾い物(高井弘之さんwrote)私は、最近書いた拙著に、9条と天皇の関係について、次のように書きました。少し長いですが、参考までに、投稿いたします。【天皇と「平和主義」/③海外派兵体制に協力する明仁天皇】 「護憲派―平和主義者」と評価される明仁天皇は、憲法に完全に反する、戦後日本の自衛隊―日本軍の海外派兵に重要な貢献をし続けている。彼は「天皇の地位」に就いてから、昭和天皇のそれを継承して、自衛隊高級幹部が合同しての拝謁を受け続けていたが、自衛隊が海外派兵を始めてからは、その直後から、派兵されて帰国した自衛隊員に「接見」し、彼らに対する「ねぎらい」の言葉をかけている。 1992年、憲法違反であるとの反対意見からその成立が容易でなかった国連平和維持活動(PKO)に自衛隊を派遣するための法律が成立し、国際平和協力隊が発足した。その直後の1993年以降、天皇は何度も「接見」してその活動の報告を受け、「この任務が滞りなく行われたことは意義深いことでした」(2011年10月18日、ハイチ・ゴラン高原・スーダン等々に派遣されていた隊員124名の拝謁を受けたときの言葉)などとねぎらっている。 PKOだけではない。イラクやアフガニスタンへの明白な侵略戦争に参戦した自衛隊員に対しても、天皇は接見し、「ねぎらい」の言葉をかけている。以下は、2006年12月14日に、帰国した陸・海・空自衛隊員180人と「接見」したときの新聞記事である。「様々な階級の隊員が制服姿で整列する中、天皇陛下が『国際的な協力に参加し、力を尽くしてこられたことを誠にご苦労に思います』とねぎらった。両陛下は隊員らと歓談、一人ひとりに歩み寄っては『本当にご苦労さまでした』と声をかけていた」(『朝日新聞』2006年12月14日夕刊) 上のPKOやイラク・アフガニスタンへの派兵は、いずれも、完全な憲法違反であるそれを形式上「合法化」するための法律を、違憲だとする野党や多くの市民・国民が反対する中、与党が強行採決で「成立」させて行われたものである。「護憲派」と言われる明仁天皇は、上記のような形・経緯で成立させられた違憲の法律による違憲の派兵に対して、上のような「ねぎらい」、評価する行為を行い続けているのである。これは、自衛隊―日本軍の海外派兵とそこでの行為を「よくやった」と評価・賛美・激励する行為である。天皇自身が政府の違憲行為を評価していることを意味するこの行為は、政府の違憲行為に対する国民の反発を和らげ、さらに支持を広げるはたらきをするだろう。また、この天皇の行為は、海外派兵任務に対する自衛隊員の「士気」を高めるはたらきをする。天皇が、これら海外派兵任務を遂行した隊員を評価し、ねぎらう行為は、他の隊員たちの「やる気・やりがい」をも起こし、それは、「天皇陛下に褒めてもらえること」なのだと、「後に続く者たち」を生み出すはたらきもするだろう。これは、「天皇―国家」が行う侵略戦争遂行任務に命を捧げるという、「天皇―国家」への貢献行為を褒め称えること(顕彰・英霊化・天皇の参拝)によって「後に続く兵士」を生み出した、「兵士再生産装置」としての靖国の機能と同質のものだと言えるだろう。明仁天皇は、あるいは、彼を「継承する」新天皇は、果たして、安倍政権が違法な手続きで成立させた違憲の「戦争法」による海外派兵隊員に対し、上と違った対応をするだろうか。本書でここまで書いて来た天皇の「実態」を踏まえれば、それは、幻想というしかないだろう。(『民主主義にとって象徴天皇制とは何か―天皇制大讃美を目の前にして―』第四章「明仁天皇における「護憲」の実態―象徴天皇と憲法原理―」より抜粋)
2019.04.30
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今年は、うんざり元年! 中国語の「累哇」(Lei wa) の意味は、うんざり。 サザンの英語日本語掛詞顔負けの 中国語日本語掛詞! 令和と累哇をかけるなんて、すげえ才能じゃねえか。 勝手な指令(令)による秩序(和)なんてもううんざりだってよ。 聖徳太子からの変な伝統に終止符を!
2019.04.02
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令和の本当の出典はアドルフ・ヒトラー(1932年)説。令和の出典を万葉集だといっても、その元になった帰田賦(中国)だといっても、熟語として連続してその漢字が出ているわけではない。令&和で熟語になっている出典はむしろ1932年のヒトラーの声明文の「law&order」だ。この動画でヨーコが読み上げるから聞いてね。https://www.youtube.com/watch?v=SJMxSlW-mYc
2019.04.01
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天皇人格者論のさらなる蔓延に危機感。 祀ろわぬ民だけが、民の名にふさわしい。 自分を排除される存在と自覚せず、一般市民と思い込んでいるものは、釜ヶ崎のジェントリフィケーションを支える側に回るだろう問題と通底する。 一般市民とは、国民なのであり、民ではない。 それを大政翼賛体制という。 だが、自分が排除される存在だという自覚は難しい。 そう自覚してこそ、限りなき働きと無媒介で繋がるのに。 それを二種深信という。 宇宙に書き遺すために残りの生涯を使うが、間に合わないだろう。 排除される存在としての自覚がないために、自分を一般市民と思いこみ、民を抑圧する国民となる。 自分自身を抑圧し、解放を延期しつづける。 なんという悲劇だろう。
2019.01.06
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野球の夢を見るのは珍しい。 何かとても大事な試合だった。負けるわけには行かなかった。 しかし、勝算は低いと言われていた。 最初にこっちの誰かが場外ホームランを打ったほかは、チームは振るわなかった。 ランナーは何回も出たが生還はなく、ボロ負けしていた。 大差で迎えた9回裏。僕は相手と議論しながら間違って6回空振りしてしまい、2アウトになった。 あとひとりで負ける。それは殆ど敵に支配される体制の完成を意味していた。 僕のせいで負ける。最後のバッターが座席に立ち2ストライクまで追い詰められた。 僕は誘われて「スタンド席に登って見とどけよう」と言われた。僕は身体障碍で登れないと言った。大丈夫、みんなで援助すると言われ、登っていった。 スタンド席から、あと一球で負ける瞬間を見届けようとしていると、空の彼方から何か飛んできた。 それを見てアナウンサーが「一回裏の場外ホームランが宇宙一周して帰ってきました!」と叫んだ。 僕は地球一周じゃないかと考えたが、本当に宇宙一周なのかもしれないとも思った。 その球はスタンド席に突き刺さり人々はどよめいた。 「宇宙一周ホームラン!今まで出たすべてのランナーが生還し、加点されます!」とアナウンサーが叫んだ。大逆転で僕らは勝った!
2018.12.25
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『絵はがきの大日本帝国』二松啓紀 読了。 旅行パンフにはよく「イメージ」という断り書きがある。絵葉書も常にイメージである。 この本では、絵葉書を題材に大日本帝国の拡大や繁栄、関東大震災や戦争のさなかにある様子を読み解いていく。 それはイメージと「史実」の皮膜を巡る旅である。 しかし、そもそも歴史とはある意味では常にイメージなのではなかろうか。 まだ学生の頃、カウンセラーに聞いた話だが、カウンセリングにより認識に変容が起こると、過去の同じ事実について本人の言うことが変わり、同じ出来事とは思えないほどに感じることがあるという。 それはイメージが変容したのだ。 ただし、絵葉書はそのとき同時代の人々が描きたかったイメージ、見たかったイメージ、検閲され変形を受けた場合のあるイメージだ。 「史実」についての文献的知識は参照しつつも、著者はひとまずそのイメージに寄り添い、そのことを通じて人々の描いたイメージとしての大日本帝国に迫っていく。 これは歴史の本なのか、心理の本なのか、はたまた絵葉書というメディアそのものが主人公なのか。 正直、私の歴史の知識の不足のため、初めて知った「文献的歴史」を含む読み物であった。 しかし、「私は歴史を勉強した」というのが眼目ではないだろう。私はどこまでも人々のイメージの中を旅したのだ。 絵葉書は行ったことのない旅先の様子を伝えるメディアとして、発達してきたものだ。この本では私たちは、タイムトラベルの旅先からその絵葉書を受け取ることができる。 一生にこれだけたくさんの絵葉書を旅先から送ってくれる人などいない。 ましてや、タイムトラベルの先から送ってもらえるとは、まことに稀有な体験と言えまいか。 しかし、私たちはそれがそのときそこにいた人が伝えようとしたイメージに過ぎないことを知っている。 この膨大な絵葉書を受け取って、そこから物を思い、調べごとに誘われ、今度は未来をイマジン(ジョン・レノン)するのは、今度は読者のターンであろう。
2018.11.26
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魂の螺旋ダンス全体を読むのは、専門畑が違う人には、一苦労なので、臨死体験についての部分だけ、noteで別売してます。電子しかなくて、すみません。興味ご関心があれば読んでいただければ幸いです。これは、魂の螺旋ダンス初版製本版発行以降の体験なので、初版製本版には掲載されていない部分です。 臨死体験の光景|長澤靖浩|note(ノート)https://note.mu/abhisheka/n/n13141cd03f4f
2018.11.24
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今ひとつに絞るとしたら、緊急事態条項阻止です。 https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/9c9f6d748a8ae2d23893300a5a3c3692
2018.11.21
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臨死体験の光景|長澤靖浩|note(ノート)https://note.mu/abhisheka/n/n13141cd03f4f
2018.11.21
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『魂の螺旋ダンス』改訂増補版より、臨死体験に関する部分をごく一部引用します。 電子しかなくて申し訳ないですが、今のところ、私が自身の臨死体験について最も精しく書いているのは、この本になります。 彼岸の光景~量子論より~ 少なくとも心肺停止の最初の一三分間、私は「死んでいた」。その間に私が(私なき私が)体験していた光景を後に想起し、「臨死体験」と呼んでいるゆえんである。 臨死体験の話は聞いたことがあったし、何冊かの本も読んできた。しかし、私の「死の体験」はそのどれにも殆ど類似していなかった。 自分の死体を上方から見下ろすといった体外離脱の体験もなかった。三途の川やトンネルのようなものを越えていくこともなかった。お花畑で先に亡くなった祖母や父に会うというようなこともなかった。 私の体験はそれらすべてをすっ飛ばして、いきなり覚醒が全宇宙に広がるといった体験であった。 ここでは仕方なく「覚醒」という言葉を使った。が、それは「私」という自覚の伴うものではなかった。 それは自他不二(じたふに=非二元的な)の覚醒であって、「私」という思いはなかった。 ただただどのような障りもなく澄み渡った覚醒が全時空に広がっていた。 それは全時空、全宇宙に沁み渡ったと表現することもできれば、ひとつの光になったと表現することもできる。 だが、言葉で表現する限り、どのように言い表しても、それは隠喩にすぎないという限界を伴う。 それは仏教における空(くう)の世界であったと言ってもいい。 だが、空という言葉さえ、まるでそのようなものが存在するかのように実体的に捉えてしまうのが、言葉を用いる人間の思考様式ではないだろうか。 いずれにせよ、「それ」は完全に解放された境涯であり、時間も空間も私もなく、すべては滅して、寂静であった。 自らの臨死体験を『プルーフ・オブ・ヘブン』という本に書き表した、アメリカの脳神経外科医にエベン・アレキザンダーがいる。彼は、蘇生の後、臨死体験中の自身のMRI画像などを精査し、このような結論に達した。 「私の脳の活動が停止していたときにこそ、私は臨死体験していた」 ここで重要なことは、人間の脳は意識を産み出すための物質的な根拠のようなものではなく、むしろ逆に広大無辺で融通無碍な覚醒を「私」という幻想に閉じ込めるための桎梏のようなものだという説のあることだ。 脳神経パターンというものが、「私」という幻想を産み出す。 そして私という幻想とともに、時間と空間という認識構造が現われる。それが「存在」の真相だ。 これは仏教の五蘊説に照応する。識と呼ばれる主体が、受想行という認識作用によって色という客体と相依相対的に同時に成立する。その五蘊説をベースにした上で、『般若心経』において、観自在菩薩はその五蘊(色受想行識)のすべてが実は空であると説いたとされている。 私たちは脳神経パターンに閉じ込められた認識構造の中に生きているのだ。 米国アリゾナ大学のスチュアート・ハメロフをはじめとする何人かの学者は「意識は脳内に量子レベルで貯蔵された情報」だと考えている。 関連して、数理物理学者のロジャー・ペンローズは、肉体が死に行く過程で、脳内のマイクロチューブル(微小管)が保持する量子情報が無限の宇宙に徐々に放出されていくと主張している。 ただし、この放出の過程の途中で蘇生した場合、量子情報はマイクロチューブルに回収され、意識を取り戻す。 この放出と回収がいわゆる臨死体験であるというのである。もし蘇生できなかった場合、放出された量子は永遠に無限の宇宙に留まる。 もっとも、私の視点では、この考え方も量子力学という学問の姿を借りた隠喩のひとつに過ぎない。 ・ 蝶を放つ~詩的イメージより~ 一方、詩的な世界においては、古今東西、「蝶」が死と再生のシンボルであった。先の脳外科医アレキザンダーの『プルーフ・オブ・ヘブン』でも、表紙には赤紫の蝶が描かれ、各章の章題の下には小さな蝶がくっきりと描かれている。 世界中で蝶が死と再生のシンボルであることの理由の一端は、蝶が完全変態の昆虫であることに拠るであろう。蛹の中で幼虫はいったん液体状になる。そして成虫原基を中心に新しく形態形成を行ってまったく形の違う成虫=蝶になる。このプロセスに古来多くの人々が死と再生の姿を投影してきたのである。 『死ぬ瞬間』で有名な死の受容研究の大家キューブラー・ロスは、ナチスのユダヤ人収容所の壁には、死を予感した子どもたちの残したたくさんの蝶の絵が描かれていたとその著で述べている。 病室に愛と笑いを持ち込み、医学の世界に革命を起こしたと言われる実在の医者を描いた映画『パッチ・アダムス』には次のようなシーンがある。パッチの恋人であった女性は、精神を患う男性の「すぐ来てほしい」という電話に応え、単独で彼の家を訪れる。そしてそこで殺されてしまうのである。 パッチの「人を信頼すること」という考え方に忠実だったがゆえに彼女が命を失ったことの責任を痛感したパッチは、飛び降り自殺を考える。そして、そのためにやって来た崖の上で一匹の蝶が舞っているのに気がつく。蝶は、まるでパッチに何かを伝えようとでもするように、その指にまで止まる。この時にパッチは死さえも超えた世界に関する洞察を得て、その独自の医療活動を再開することを決意する。(私は後に、来日した実在のパッチアダムスの講演に参加したことがあるが、この部分が経験に基づくのか、映画的創作に過ぎないのかを質問することはできなかった。) 脳外科医アレキザンダーの『プルーフ・オブ・ヘブン』本文には臨死体験中のイメージとして、次のような叙述がある。 四方にも無数の蝶が舞い踊っていた。蝶は波のように群れをなし、ひらひらと下方の緑の中に消えては、また上空に舞い上がってきた。一羽で飛ぶ蝶はおらず、色彩と生命が綾なす流れがひとつになって舞い飛んでいた。 意識が無限の世界へと解放されていくプロセスをイメージで表現するとき、このようにしばしば蝶というシンボリックな存在が重要な役割を果たす。 量子情報が無限の宇宙に放出されていくといっても、蝶が私から解き放たれ、宇宙いっぱいに広がっていくといっても、その内実は同じであると私は考える。 と同時にどちらも一種の隠喩に過ぎないと急いで付け加えておかなければならない。 実話に基づくとされているハリウッド映画『天国からの贈り物』でも木の洞に落ちて臨死体験した少女が見た世界には無数の蝶が舞っている。それが、はっきりと映像世界で描かれていた。その果てに少女はひとつの大いなる光に出会い、溶けていく。 この臨死体験から蘇生した少女は、生まれつきの難病の奇跡的な治癒を経験する。その少女の母親は、その難病とそれにまつわる差別によって、神への信仰を失いかけていた。が、少女の臨死体験とその際の「光」との出会い、その後の治癒の経験によって、母親は神への信仰を取り戻す。映画はキリスト教の枠組で描かれたものとして仕上がっているが、臨死体験そのものの普遍性にはその枠を超えるものがある。 アレキザンダーは、遙かなる今ここともいうべきその場所で「すべての愛を包み込み、それを超えたところにある、清らかな目をした」女性に出会う。彼女は言葉を介さずにそよ風のようにメッセージを伝えてきたという。地上の言葉で言い換えればそれは 「あなたは永遠に深く愛されています」 「恐れるようなことは何もありません」 「あなたのすることには、ひとつも間違いはありません」 というメッセージであったという。このような言葉はそうとしか言い表しようのない真実なのだと言いたいのであろう。 いずれにしろ、そのようにイメージや言葉で臨死体験を再構成するのは、蘇生してからの脳の仕事である。そこにはそれぞれの宗教や文化、芸術や社会のバイアスがかかり、共通部分と個性が表われてくると言わねばならない。(まだまだ続く) 魂の螺旋ダンス 改訂増補版|長澤靖浩|note(ノート)https://note.mu/abhisheka/n/ndb7c61ea9bba
2018.11.20
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#.カルロス #外国人 広げるチャンス ええぞ、カルロス 多言語版|abhisheka|note(ノート)https://note.mu/abhisheka/m/m17d8d70f6eb5
2018.11.19
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はい。頼まれた原稿、草稿は一応、ラストまで打ちました。ここから推敲です。これは大変な問題です。完全に教育がバカにされていると思います。放射線副読本の配布から見えてくる教育の危機 長澤靖浩 「放射線副読本」再改訂版が中学校で配布されている。という連絡が元同僚からあった。「以前に初版が出たとき、君はその問題点を指摘して、職員会議で配布に反対していたよね。どこにどんな問題があるか、知りたいから教えてくれ」と言うのである。彼は仕事帰りにその冊子を私に届け「今度また問題点を聴きにくる」と言って置いていった。私は病気で「国語」の教員を早期退職した人間である。放射能についての専門家でも何でもない。だが、自分自身が枚方市の中学生のときに理科の先生から「プルトニウムの放射能の半減期は24000年です。そんなものを人間が管理できるわけはないってわかるでしょ」と聞いてから、ずっと「反原発」である。「うーん。じゃあ、なるべく調べとく」と答えた。現職教員は土日もクラブで突然学校に届いた「副読本」の問題点を調べるような時間などない。自分の役回りかという気もした。 結論からいうと、ネット検索したり、集会に出たりして、調べるほどに、予想外に大きな問題が芋づる式に見えてきた。現時点でわかってきたことをとりあえずまとめてみたい。 まず放射線副読本それ自体に嘘やトリックが含まれている。たとえば日本の水や食料の放射線の基準は世界でも最も厳しいという表がある。が、この表は日本の平時の基準と、諸外国の緊急時の基準を何の断りもなく、横並びに掲載し、日本の基準は厳しいと強弁するものである。図表にトリックを忍ばせ、それを元に教育することや学校という「権威ある機関」から配布することは、大変悪質なデマゴギーの伝播と言わなければならない。 また自然界にも放射性物質はあるとして、過剰に恐れることはないという結論に導こうとしている。が、本来なかったはずの不当な被曝が事故の加害責任として問題にされるべきだという視点がすっぽり抜け落ちている。 また自然界の放射性物質は非常に特殊なものだったり、あるいは比較的ありふれた放射性カリウムの場合は代謝や崩壊が早い。つまり自然界の放射性物質は現存する地球上の生物にとって生体濃縮が起こらず、殆ど問題にならないのである。そのような正確な知識を飛ばして、人工の放射性物質と自然界の放射性物質を同列に扱い、ありふれたものであり安全であるという「印象」へと操作しようとするのは悪質である。 このように「放射線副読本」には数多くの嘘やトリックが含まれている。挙げていけばきりがない。このことはそれだけでも大問題である。 しかし、副読本の背景を見るとき、その配布がどのように恐ろしい政治的意図に基づくものなのかが、見えてくる。実はそのことこそ、今回の「国家プロジェクト」の最も恐ろしい点なのである。以下、「国家戦略」の全体像を検討していこう。 「放射線副読本」作成の根元にあるのは、復興庁作成の文書「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」である。この文書は、原発事故の被害状況や対策を検討するというものではない。「今なお、風評被害や偏見・差別が残っている」「それを払拭するために放射線に対する『正しい知識』を周知しなければならない」という発想を出発点としている。この場合の「正しい知識」とは、放射線はそれほど恐れる必要がなく、事故は収束に向かっているという「虚偽」である。 そもそもの出発点において「被害」を「風評」と呼び換え、それを払拭するためには、「知ってもらう」「来てもらう」「食べてもらう」ことが必要であるという柱を立てている。 教育関係者として特筆するべきは、たとえば「知ってもらう」の項で放射線の「安全性」について「伝えるべき対象」として、①児童生徒および教育関係者②妊産婦並びに乳幼児及び児童生徒の保護者③広く国民一般とされている点である。いわば、「学校」が第一のターゲットとされている事が目を引く。 「来てもらう」に関しても、伝えるべき対象の①が教師、PTA関係者、旅行業者となっている。修学旅行や校外学習の旅行先とするよう、やはり「学校」が第一のターゲットとされていることがあからさまである。 そしてこの「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」に基づいて、関係行政機関における情報発信モデルとして作成されたものが、「放射線のホント」である。推定約5000部、行政機関等に配布されたものと思われる。この文書も必然的に被害の実態を正確に認識し対処しようというものではなく、「風評被害は復興の現状等の周知不足から来る」というところから出発している。 さらにこの「強化戦略」「放射線のホント」を踏まえて、具体的にわが国の隅々に「放射線の安全」「福島の復興」を宣伝しようとするものが「放射線副読本」なのである。これには、小学生版、中高校生版があり、2億円以上の予算をかけて、日本の殆どすべての小中高生に配布される計画である。 つまり、「放射線副読本」は初めから、学問教育上の要請から真実を求めて作成された、本来の意味での「教材」ではない。「教材」という形をとってはいるが、その実態は、国の「安全宣伝」「復興宣伝」という政治戦略に則った虚偽の宣伝媒体なのである。その際「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」「放射線のホント」「放射線副読本」は国の戦略として一体化しているものとして捉えることが重要である。しかもその国の戦略の最大のターゲットは児童生徒、教育関係者であり、「くみやすき(語源的には与し易い)対象」(コントロールしやすく利便性のある恐れるに足りぬ対象)として、意図的に狙い撃ちされていると言わねばならない。 今回の「放射線副読本」配布の問題の根源はそこにある。もし、これがそのまま通ってしまうようならば、「くみやすき対象」としての学校教育および教育関係者は、ますますきな臭くなっていく時代の流れにおいて、再び大きな犯罪の一端を担うことになるだろうと警告するのは、私の単なる杞憂とは、どうしても思えないのである。
2018.11.03
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復興庁が作成した 風評払拭リスクコミュニケーション強化戦略 は東電の 事故責任や 福島の ひいては東北関東の日本の被害状況について なんら触れず、話を風評被害や偏見差別が 残っているというところから始めている 読んでいると 3秒ごとに 腸が 煮えくり返る 検索すれば PDF で 誰でも読めます この強化戦略という文章をもとに作られた放射線のホント と言う 嘘だらけトリックだらけの 冊子が推定5000部 行政機関に配られた さらに 強化戦略において 第一 のターゲットに されている 児童生徒及び教育関係者に 放射線副読本が 2億数千万円の 予算をかけて 配布されようとしている 日本の小中高校生ほとんど全員に 配布されようとしている 嘘やトリックに基づく 被害の過小評価を教育の名のもとに全国で展開していいのか 全てを 風評被害と差別と偏見をなくす というところからの 発想で 行おうとしている 原子力に関する教育 は とてもおかしなものだ そもそも差別といえば 東京の電力を 福島 の 原子力発電所で 賄おうと言う システムそのものが差別ではなかったのか その根源を不問にして 全てを 風評 被害と 決めつけるところから出発するのは本末転倒だ 放射線副読本は 配布をやめるすでに配布したところでは回収する そして正しい放射線教育が行われるようにしなければいけない
2018.10.27
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私の作品「ええぞ、カルロス」英語版 ブラジルから転校してきたカルロスは日本語がわからない。クラスの子たちはブラジルの言葉がわからない。どうやって仲良くなればいいのか、とまどうクラスメートたち。そんな中、幼いときアメリカで同じような経験をしたことのあるアキラのとった行動は? 大阪市教育委員会はぁとはぁと絵本優秀作。https://note.mu/abhisheka/n/n25ab4f37bf1e
2018.08.07
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『魂の螺旋ダンス』改訂増補版 noteで発売。初版より36000字加筆。初版はアマゾンのプレミア中古で四〇〇〇円から一二〇〇〇円だから、このnoteがお得。https://note.mu/abhisheka/n/ndb7c61ea9bba
2018.08.04
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A working class hero John Lennon 奴隷階級の英雄 長澤靖浩訳https://note.mu/abhisheka/n/nfe8de0853c1d
2018.07.31
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今日は、ジョンレノンのLOVEのあび(私)訳をUPしました。これ以上ないほどにシンプルなこの詩をどう訳したか、見てくださいね。https://note.mu/abhisheka/n/n71375eb942d4
2018.07.28
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『魂の螺旋ダンス』改訂増補版 加筆の章をnoteの初めての有料記事(400円)としてUPしました。(35896文字)目次・ギリシア哲学における超越性原理の萌芽・悔い改め(メタノイア)の真意について・親鸞に聖徳太子信仰はあったか・マルクスによる自己疎外からの解放論・朝家のための念仏とは・臨死体験を語る・心肺停止・彼岸の光景・蝶を放つ・浄土と臨死体験・空なる世界と業の中にある世界https://note.mu/abhisheka/n/n3fee1b5f2eed
2018.07.27
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ええぞ、カルロス 日本語版 noteで多言語版をマガジン化 第一弾https://note.mu/abhisheka/n/n1c1aa71cb606
2018.07.26
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おお。そんな秘密が隠されていたのか。目からウロコのあびの深読み。https://note.mu/abhisheka/n/n9f71887b3d28
2018.07.25
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今日はnoteに詩をシェアしました。https://note.mu/abhisheka/n/na725f638e75d
2018.07.24
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note 今日はこれをUP(無料公開)しました。これも友人には既に読んだ人が多いかと思いますが、まだの方はぜひ読んでみてください。いいなと思っていただけた方は、noteの当該ページの♡をぽちっとお願いします。選評より柴門ふみ(漫画家)「私はこれが全部の中で一番おもしろかったです。」林真理子(作家)「男の人がこういうことを言うのって、本当に時代だなと思って、目からウロコが落ちたみたい。」柴門ふみ「男の人がここまで弱さを書いちゃったというのは、逆に強いんじゃないかな。」林真理子「もう男であるということにとらわれてないのね。すごく新しい男の人だと思いました。」https://note.mu/abhisheka/n/n21ee8ae88428ちなみにこのnoteの表紙は二十三歳のあびの水着姿だよ。さて、左右どちらがあびでしょうか?
2018.07.23
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初めてnoteを使ってみました「無数の見知らぬ手 ~車椅子旅行で知った韓国人の心~」韓日作文コンクール入選作https://note.mu/abhisheka/n/n249d2b2c3a55
2018.07.22
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・朝家のための念仏とは 建長八年、親鸞八四歳の頃に性信に送った消息の中に「朝家の御ため、国民のために、念仏まふしあはせたまひさふらはば、めでたくさふらふべし」がある。この文言は戦時教学において、徹底的に悪用された。 朝廷を中心とした国家の安穏のために念仏をするべしという教えが巨大な真宗教団によって広められた。 折りしも、東西両本願寺を代表する学僧たちは、あろうことか、阿弥陀仏と天皇を重ね合わせて見る思想を開陳しはじめた。著名な学僧の殆ど悉くがである。このような戦時の学僧たちの発言は、明らかに親鸞の残した著作や言葉から逸脱している。 キリスト教の世界では、灯台社の明石順三などが天皇の神的権威を否定し、殺人を罪として兵役を拒否するなどの活動が見られた。明石を含む灯台社のメンバーは治安維持法などによって大量に検挙された。 戦後、明石らは釈放された。 が、本来同一の信仰団体であってしかるべき戦後の「ものみの塔」は、明石らの歩んだ道と切断され、新たにアメリカから流入したものである。訪問布教や最近では駅前での冊子配布などでよく知られる現在の「ものみの塔」の信者(エホヴァの証人)には、驚いたことに明石らの歩んだ道について知らない人も多い。 ところが、良くも悪くも様々な側面でキリスト教と相似形を成してきたはずの真宗教団ではそのような抵抗運動すら起こらなかった。 治安維持法下の大日本帝国における抵抗は命がけであることは理解できる。問題は、戦後なお、真宗教団を代表する学僧たちは、戦時の発言についての総括や反省を経ないまま、教団の中枢や宗門大学の教授の地位に止まり続けた点の方が大きいかもしれない。 その曖昧な連続性と、戦後の平和憲法の下での教団の左翼化とは不思議な共存を成してきた。一方では、戦時教学批判は、曲がりなりにも進められてきた。ところが、時代の変化と共に社会全体の右傾化が進み、今また教団の果たす役割が、どちらに振り子を振るのかは予断を許さない状況になっている。 そんな中、戦時教学に徹底して利用された親鸞自身の言葉「朝家の御ため、国民のために、念仏まふしあはせたまひさふらはば、めでたくさふらふべし」について、その真意を改めて明確にしておくことは重要と考える。 この点について、私が最も示唆に富むと考えているのは、古田武彦の『わたしひとりの親鸞』の中、古田が過去の思想家の言説を分析してきた上で、「わたしの理解」という章を設けて開陳している考察である。 この文言の含まれる消息(手紙)を親鸞が性信に送ったちょうど同じ頃、親鸞は『正像末和讃』において、念仏弾圧の激しさを心底嘆いている。 「五濁の時機いたりては 道俗ともにあらそひて 念仏信ずる人を見て 疑謗破滅さかりなり」 「五つの濁りの時代となると、僧侶もそうでない世間の人々も互いに争い、 念仏の教えを信じる人を見ては疑い謗り、 盛んに討ち滅ぼそうとする」 ここで「道=僧侶」も「俗=そうでない世間の人々」もと呼ばれているのは、どのような人々であろうか。 このことを裏付ける別の消息として、古田は次の文言を挙げている。 「ただひがふたる世のひとびとをいのり、弥陀の御ちかひにいれとおぼしめしあはば、仏の御恩を報じまひらせたまふになりさふらふべし」 「ひがふたる」の「ひが」は「僻み」の「ひが」である。「ひがふたる世の人々」とは「素直になれず、ひがんで、間違ったものを頼みにしている世間の人々」というほどの意味になろう。人は、自らの弱さや小ささを認めず、そこに素直に立ちきることができないことが多い。勢力の強いもの、世の中で支配的な力を行使しているもの、そのような存在を頼りがいに思い、長いものに巻かれていく。 何もイエスや親鸞やマルクスを持ってくるまでもなく、社会というものは本来、弱者に優しく、近隣の他国とは共存共栄しようとする治世の下にあるのが望ましい。その知見は人類が、様々な先住民社会の事例や、超越性宗教の預言(正確な社会分析に基づく提言)などに基づいて発達させてきた「人権思想」の賜物である。 しかし、「ひがふたる世のひとびと」はしばしば、そこに立ちきることを拒否して強がる。本来、共に歩む仲間であるはずの弱者に対しては厳しく、逆に自分を抑圧、弾圧、搾取してくる大きな権力に取り入ろうとする。 親鸞の時代でいえば、奈良の興福寺などの巨大寺院、朝廷や幕府などの権威、そのようなものの側につき、それらと一緒になって、差別されている弱者の集団である念仏者集団を弾圧する。 この消息で親鸞は、「素直になれず、ひがんで、間違ったものを頼みにしている世間の人々」にもまた祈りを捧げ、彼らもまたすべてを救い摂め取ろうとする本願に入れという思いで念仏を続けてきたのが、法然以来の念仏集団であることを想起している。 そもそも、そのように僻み、誤ったものを頼りにしている者たちをも、皆、だれひとり見捨てず、救おうとしているのが、阿弥陀の限りなき働きである。そうであることを思えば、その恩にひたすら報恩し、念仏することになろうと言うのである。 当時、朝家=朝廷は、興福寺などの旧仏教のそそのかしもあり、激しく念仏を弾圧していた。と共に、そのような権力者たちに追随していた世の人々も「すべてを摂めとろうとする阿弥陀の限りなき働き」にゆだねることなく、誤った権威に付き従うことで安穏を得ようとしていた。 それはますますあらゆる人々を窮地に追い込んでいく道なのだが、それに気づかず、目に見える大きな力を持ったものに取り入ろうとし続けたのである。しかし、そのように生きあえぐすべての人々を救済しようとするのが、阿弥陀=限りなき働きではないかと親鸞は言う。 現代社会の例でいえば、世界を支配する軍事力を持った大国。その大国に取り入りながら、自国を支配している政権。その圧倒的な力をもった政権に取り入る役人や、世の人々。自らはむしろ弱者であるのに、仲間と手をつなごうとせず、強い勢力に取り入ってますます自らを窮地に追いやる人々。彼らはまた、集団としての自国が「強い、素晴らしい、美しい」という思いに一体化することで、弱いひとりの人間として生きあえぐ自分を見つめることを回避し続ける。 そのような者もまた阿弥陀の限りなき働きは救済しようとしていることを思えば、感謝の念仏が自ずとあふれてくるばかりではないかというのである。 話を戻そう。 「朝家の御ため国民のため、念仏まふしあはせたまひさふらはば、めでたくさふらふべし」と親鸞が消息に書いたとき、いかに朝家や国民が念仏を差別排斥していたか。そのことを考え合わせなければならない。 つまり、ここで国民と呼ばれている存在は、念仏集団にとっては裏切り者とでも言えるような「ひがふたる世のひとびと」であると古田は解釈している。 すると、この言葉もまた、イエスの「敵を愛し、迫害するもののために祈れ」という言葉に似てくる。自分たちを抑圧するものの「ために」こそ、念仏もうしあわせようではないかというのである。 自然に思い出されるエピソードのひとつは、自らの政策を批判してくる民に向かって、「このような人々に負けるわけにはいかない」と指さした政治家と、「そんなあなたも救われてほしい」と返した政治家の例である。後者の政治家が念仏者であるという話は聞いた覚えは特にない。が、ここで大切なのはそのスピリットであって、実のところ、私自身、念仏そのものに絶対の価値を置こうとしているわけでは全くない。 「朝家の御ため国民のため、念仏まふしあはせたまひさふらはば、めでたくさふらふべし」という言葉に対する「朝廷や国民のために鎮護国家の祈りとして念仏しなさい」という戦時教学の解釈は曲解であることは今や明白であろう。 当時の朝廷や誤った権威を頼みにしていた国民が、念仏者を激しく差別・弾圧していたという側面を考え合わせるとき、それは「私たちを弾圧してくるあなた方もまた限りなき働きの中にある仲間として、私たちは念仏する」という意味となる。 歎異抄の後書きに示されているように、当時の念仏集団は多くの死刑や遠流の刑に処されている。そんな中、この文言は、「私たちを差別・弾圧し、死罪にしたり、遠流にしたりする朝廷や、それに追随する人々もまた阿弥陀の限りなき働きによって救済されるであろうことをありがたいことだと念仏しよう」と言うのである。 以上、私は注意深く言葉を選んで書いてきたが、私の焦点を改めて説明しておこう。確かに、戦時教学の極端な曲解は、戦後、古田武彦を初めとする幾人かの念仏者によって、正されてきた。この箇所を自らを迫害するものへの祈りととらえ、その心の懐の深いことへの感慨が語られてきた。しかし、ここでもうひとつ考え合わせておかなければいけないことがある。それは、親鸞の思想では、念仏の功徳は回向できないことである。 つまり「朝家の御ため国民のため、念仏まふしあはせたまひさふらふ」としても、少なくとも親鸞の思想においては、その念仏の功徳が朝家や国民に回向されるわけではないのである。法然においては、この念仏はより「祈り」に近いものであり、功徳を回向しようという心もあったかもしれない。そして親鸞は法然の遺志を継ぐ形でこのように述べているのであるから、言葉遣いも朝家の「御ため」国民の「ため」と、まるで念仏するのは、功徳がそれらの対象に回向されるようにする「ため」のように聞こえる言い回しになっているかもしれない。 しかし、親鸞の思想では、功徳を回向できるのは、阿弥陀(=宇宙の限りなき働きと私は訳しておきたい)だけである。その限りなき働きは、一切衆生に行き渡り、止まることを知らない。 つまりここに「朝家の御ため国民のため」と言っても、親鸞の思想においては、その念仏の功徳を回向するためと解釈することはできない。念仏を誹謗するそのような人々もまた救済の対象であることを思えば、その限りなき働きの願いの深さに感涙、報恩し、念仏せざるを得ないという意味になる。彼らに助かってくれと私たちが念仏することで彼らが助かるのではない。彼らもまた助けると誓っている「阿弥陀の限りなき働き」を念い、歓喜と報恩にあふれて、ますます念仏することは祝福に満ちているというのである。 今述べたのは私自身が留意したいと思った点であるが、消息の文言を素直に読むとき、親鸞は彼らの救済を願っての念仏を勧めていると読むのが素直であるかもしれない。それは法然の表現に引きずられた部分がそのように読めるのではないかと考えるのであるが、どうであろうか。 「念仏の功徳は回向できない」とする重要な思想と「ための」念仏ということの矛盾については引き続き課題としたい。 あと、一点。「朝家の御ため国民のため」と表現したとき、この「御ため」の「御」はなぜ国民と区別して朝家にだけ付す必要があったのであろうか。この消息の親鸞の真筆は伝わらないため、後世の加筆である可能性もある。が、仮にこれが親鸞の言葉遣いそのものであるとするなら、このたったの一字が私の「親鸞は無差別の人である」という信頼感に黒々とした汚点を残すと告白しておく。 一九八七年、浄土真宗大谷派は、日本の仏教各派の中では初めて侵略戦争への加担に対する自己批判を公表した。 ここでは自分にとって有縁の浄土真宗大谷派を中心に、日本における絶対性宗教の戦争責任を考えた。他の宗教団体等にほとんど触れなかったのは、他には責任がないと考えるからではない。くり返すが目的は断罪ではなく、事実、構造、過程を明らかにし、未来について考えることである。
2018.07.21
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・ マルクスによる自己疎外からの解放論 マルクス主義は二十世紀の世界を席巻した。もちろん、それには高い理想が掲げられており、また王政や他国の侵略からの解放など積極的側面がないでもなかった。しかし、その実際の姿においては専制的な国家による全体主義に陥った。平等を重んじるあまりの粛正や、文化的抑圧、大量の虐殺などの深い傷跡を残した。 しかし、若きマルクスが目指したものはそのようなものではなかった。およそあらゆる超越性宗教が歩んだ道と同様に、その最初期に言明された思想は、瞬間瞬間更新される覚醒による超越性と深い根源的解放の世界を謳いあげるものだった。後に、その当人の思想が固着を起こしたり、後継者が教条的なものに変質してしまうという点も、他の思想と共通している。 ではマルクスが本来、表現しようとしたマルクス主義とはいったいどのようなものだったのか。そのことをピンポイントではっきりさせておこうとするとき、主著であるとされる『資本論』よりも、若き日に書かれた『経済学・哲学草稿』がその思想の一番根底のところを鮮明に表現しているということができる。今しばらくこの書によって、マルクスの思想の根源に思いを馳せてみよう。 驚いたことにマルクスはその最初から、共産主義が物質的な配分の均分を目指すだけでは不十分で無意味であることや、専横的な国家による政治的なものである限り、その目指すべき姿ではないことを喝破していた。共産主義を大きく三段階に分類し、その各段階の特徴を叙述し、飽くまでもその最終段階が真の「自己疎外からの解放」であることを早くから表現していたのである。 共産主義(1) マルクスの思想の根底として重要なのは私有財産という(他の生き物にない)人間特有の観念の批判にある。人間は、私有財産という観念にとらえられ、そのことを通じて自然や自己自身から(もっと言うなら今ここに満ちあふれる限りなき働きから)自己疎外されていると考えていたのである。共産主義とは、その私有財産という観念を止揚し、今ここにおいて全面的に自己解放されることでなければならなかった。 しかし、共産主義の最初の段階では人間の意識の自己変革がそこまで及ぶことはない。そうではなく、ただ「労働者の仕事は止揚されないで万人の上に拡大される。」つまり、労働者の在り方が変わり、自己疎外から解放されるのではなく、全員を資本主義下の労働者と同じ存在にすることによって、「平等」を実現するに留まってしまうのである。 それは「私有財産として万人に占有されないあらゆるものを否定しようとする」。ある意味、私有財産という観念に強く囚われたままである。その為。、私有財産を共有財産にしようとするが、対象の物質的「占有」という性質は変わっていない。結果、そのような物質的な次元に留まらない人間の諸能力については「暴力的なやり方で才能等を無視しようとする」。これが、文化大革命などにおいて、典型的に生じたことである。 またマルクスは、そのような共有財産に対する態度が極めて物質的な「占有」しか意味しないことは、男性の女性に対する態度に典型的に見られるとする。「結婚に対して女性共有」「人間の人格性をいたるところで否定する」「妬みや均分化を完成したものに過ぎない」ことが、結婚を女性共有に変えるという考え方の中に顕著に露呈しているというのである。 いずれにしろ対象のすべてを物質的にだけ見て均分化するだけなのが、この共産主義(1)である。 ルドルフ・シュタイナーの社会有機三層論は、法的平等、文化的自由、経済的友愛を説くことでマルクスに対抗したと言われることがある。その場合、マルクスが三領域のすべてに平等を当てはめようとしたとする誤解が前提にある。しかし、すべてを物としてしか見ずに、それを均分化することは、なんら私有財産の超克でも、自己疎外からの解放でもないことを指摘し、「粗野な共産主義」を批判していたのは、マルクス自身なのである。 このことを忘却し、マルクスが「粗野な共産主義」を提唱していたに過ぎないと考えることは、その後の専制的な国家共産主義、現在の共産主義への漠然とした嫌悪感の深い原因となっている。 共産主義(2) その次の段階の共産主義についてマルクスはa、bに分けて次のように叙述している。「a 民主的にせよ専制的にせよ、まだ政治的性質を持っている共産主義」「b 国家の止揚をともなうが、しかし同時にまだ不完全で、まだ相変わらず私有財産すなわち人間の疎外に影響されている本質をもっている共産主義」 現実の世界には、(2)のaまでしかしかも民主的でなく専制的なものまでしか登場したことはない。理念的には、インターナショナルな共産主義bは目指されてはいたが、現実的にはaしかなかった。しかも、マルクスの考えでは、共産主義は、国家を止揚するだけでは全く不十分である。 マルクスは共産主義を、(人間だけが持つ)私有財産の観念からの解放=人間の自己疎外からの解放であると考えていた。 ここで注意しておかなければならない点は、私有財産からの解放という言葉は、多くの人にまるで共産主義(1)の妬み(ルサンチマン)や均分化の完成のようにしか聞こえないかもしれないことだ。これが共産主義が誤解されたまま嫌われる理由となっている。 しかし、他の生き物にはない私有財産の観念がどのようにして人間にだけ生じたのかは、極めて精神的な問題としてとらえることが可能である。「自由な意識活動が、人間の類的生活である」とマルクスは言う。それと対置して「動物はその生命活動から自分を区別しない。動物とは生命活動なのである」と言う。人間だけが生命活動を対象化するため、自由な意識活動を持っている。しかし、そのゆえにこそ、人間だけが生命活動を今ここにおいてただただ踊るような在り方から逸脱することができるようになった。今ここを未来に投影された目的(典型的には財産の占有と保持)の手段と見なすことが可能となった。目的と手段が分離したとき、人は、限りなき働きのままの世界から疎外される。今ここを、限りなき働きのままに、あるがままに踊る境涯を見失うのである。聖書ではそれを「失楽園」という隠喩で表現している。仏教で業と言うのも、キリスト教で現在というのも、最奥の一点では、「意識化による今ここからの自己疎外」をもたらすという意味において、同じである。 共産主義(2)は、私有財産と自己疎外のこの関係について意識しているが、未だその再還帰を果たしていない状態である。真の問題の在処についてなにがしかの直感を有しているのだが、実際には「占有」の観念からは逃れられず、もがき模索しながらも、絶えず共産主義(1)に再落下してしまう。共産主義(3) マルクスが真の共産主義と考えた「自己疎外からの解放」とは、ではいったいどういったものであろうか。マルクスは、「私有財産はわれわれをひどく愚かにし、対象が直接に占有されるときにはじめて、対象はわれわれのものであるというようになっている」と言う。「それゆえ、私有財産の止揚は、すべての人間的な感覚や特性の完全な解放である」。ここには「占有の均分化」あるいは「占有の共有財産化」が、私有財産の止揚であるとするような「誤解された共産主義」とは全く異なる見地が示されている。 マルクスは言う。 「世界に対する人間的諸関係のどれもみな、すなわち、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、感ずる、思惟する、直観する、感じとる、意欲する、活動する、愛すること、要するに人間の個性のすべての諸器官は、(中略)対象に対するそれらの態度において、(対象をわがものとする)獲得なのである。」 感覚と対象が出会い感応していることそのものが真の対象の獲得であり、占有という観念は自己疎外を生んで人間に対して、常に今ここを単なる手段とし続ける自己疎外を生み続けるだけだというのである。 少し具体的に考えてみよう。苦労をして汗まみれになって登ってきた山頂から遙か下界に広がる広大な光景を眺めているとき、我々の感覚器官である目は、その光景との関係において、深い感動に満たされている。私たちはその目の前に広がる土地を全部買い占め、専有物とし、登記所に登記する必要があるだろうか。むしろそのように考えることが、今ここにおける対象の獲得を疎外してしまうのではないか。 その時、一陣の風が吹いてきたとしよう。心地よい涼しさに首筋が洗われ、皮膚という感覚器官が喜悦する。その時、その風を占有する必要があるだろうか。そもそも、その風を占有することなどいったい可能であろうか。 マルクスの『経済学・哲学草稿』を初めて読んだばかりの二十代の私は、学生時代に一緒に暮らしていた女性と別離を余儀なくなれ、失意のどん底にいた。そんな中、ネパールを旅していた折りだった。頭の上にその頭の何倍もの大きさの鳥かごを載せ、たくさんの鳥たちを籠の中に入れて運んでいる少女が丘を降りてきた。私とすれ違う狭間、少女は満面の笑顔で私に微笑み、白い歯がこぼれた。その瞬間に私の全感覚器官は彼女の微笑、彼女の存在を獲得していた。私は追いかけて「僕のガールフレンドになってください」と申し込む必要があっただろうか。その瞬間の微笑との融合は、一緒に暮らしていた彼女との無数の交わりよりも純粋で永遠であった。なぜなら、あれら無数の交わりの際、私は彼女を占有し、いつまでもこれがつづくべきだという観念によって、「今ここ」を取り逃していたからなのだ。 これがあのページにマルクスが「世界に対する人間的諸関係のどれもみな、すなわち、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、感ずる、思惟する、直観する、感じとる、意欲する、活動する、愛すること、要するに人間の個性のすべての諸器官は、(中略)対象に対するそれらの態度において、(対象をわがものとする)獲得なのである。」と書いていたことなのだと私は忽然と悟った。見ると青空には雲がゆっくりと流れ、空には鳥が旋回した。木々の梢は微風に揺れ、そこでも鳥が囀っていた。この今ここにおいて、私は限りなき働きとひとつであった。そしてそれは毎瞬無限に展開し、万華鏡のように踊りつづけていた。 マルクスは、「この状態を破壊し資本や権力が占有の無限増殖のために労働者を手段に貶めること」を批判する。また、労働者自身が同じ価値観の中で占有の均分化を要求することについて、プロセスとしては十二分に認めているが、それが共産主義の根源的な姿であると考えているわけではない。
2018.07.14
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つづき。マルクスの『経済学哲学草稿』は、共産主義を三段階に分けている。「 」は本文より。他はあびが補っている。今回は(2)(2)「a 民主的にせよ専制的にせよ、まだ政治的性質を持っている共産主義」「b 国家の止揚をともなうが、しかし同時にまだ不完全で、まだ相変わらず私有財産すなわち人間の疎外に影響されている本質をもっている共産主義」マルクスが私有財産とは人間の自己疎外のひとつの形であると考えていたこと、そこからの解放が共産主義であると考えていたことがわかる。では私有財産=自己疎外からの解放とは何か。それがわかるのが、共産主義(3)である。現実の世界には、(2)のaまでしかしかも民主的でなく専制的なものまでしか登場したことはない。理念的には、インターナショナルな共産主義bは目指されてはいたが、現実的にはaしかなかった。しかも、国家を止揚するだけでは不十分。「私有財産=自己疎外」から解放されないと共産主義(3)にならない。私有財産からの解放とは言葉の上では、多くの人にまるで共産主義(1)の妬み(ルサンチマン)や均分化の完成のようにしか聞こえないかもしれない。これが共産主義が誤解されたまま嫌われる理由だ。しかし、それは自己疎外からの解放を意味してたのだと聞くとどうだろう?何か響きが変わってこないか。若きマルクスがその哲学の根底においた自己疎外からの解放とは何だろう。それは共産主義(3)で明らかになる。しかし、私は今日はこれで寝る。(てか、めちゃ早起きだったのだが、もう一度寝る。)君は共産主義(3)が聞きたいか。どうしようかなあ。そのことも書いてしまってから、『魂の螺旋ダンス』Kindleのマルクスの章の草稿を書くか。それはネタバレさせずに、Kindle発行するか、考えとくわーーーーー。(^0^)
2018.07.11
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マルクスの『経済学哲学草稿』は、共産主義を三段階に分けている。「 」は本文より。他はあびが補っている。(1)「労働者の仕事は止揚されないで万人の上に拡大される。」労働者の在り方が変わるのではなく、全員を資本主義下の労働者と同じ存在にするだけだ。「私有財産として万人に占有されないあらゆるものを否定しようとする」すべてを物質的に見て、私有財産を共有財産にしようとするが、その物質的「占有」という性質は変わっていない。そのため「暴力的なやり方で才能等を無視しようとする」まさにこれぞ、文化大革命ではないか!「結婚に対して女性共有」「人間の人格性をいたるところで否定する」「妬みや均分化を完成したものに過ぎない」すべてを物質的にだけ見て均分化するだけで、自己疎外からの解放とは言えないことは、特に男性の女性に対する関係を見たときに露呈する。ルドルフ・シュタイナーの社会有機三層論は、法的平等、文化的自由、経済的友愛を説くことでマルクスに対抗したと言われることがある。その場合、マルクスが三領域のすべてに平等を当てはめようとしたとする誤解が前提にある。しかし、すべてを物としてしか見ずに、それを均分化することは、なんら私有財産の超克でも、自己疎外からの解放でもないことを指摘し、「粗野な共産主義」を批判していたのは、マルクス自身である。まあ、余計なことまで言うてしまうと、もー、ほんま、人の書いた本、ちゃんと読んでる?ちゃんと読んでないやつが殆どだったところからその後の共産主義の歴史があるんじゃないの?そしてその反動があるんじゃないの?(現在のその反動、共産主義の嫌われぶり最悪ーーー)ちゃんと書いてあるんだから、ちゃんと読めよな。余計なことを申しました。(しかも古代のイザヤ書にも書いてあったんやから、世話ないわ。)
2018.07.11
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民営化というものが、根本的にわからないんだけど、税金で作ったインフラを民間に払い下げるとき、国民全員が株主にならないとおかしくない?税金泥棒やん。しかも、下水道工事のとき、自宅から公共下水管までの工事は自己負担だったから、これは、お金を払ってもらわないと、売らないよ。皆が超高値でないと売らないといえば、民間水道局はスタートできないと思う。
2018.07.10
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麻原が既に処刑された今語る、オウムサリン事件より前に、なんと公立高校の授業中に、あびが生徒に勝手にシャクティパットした件。(^0^)2014年7月9日 の書込み再掲 あれはまだオウム真理教事件以前だったから、授業で瞑想を教えようと、誰も文句を言わなかった。(1990年頃の話です。) 僕は、インド人の女性グル、愛称グルマイ、名前をスワミチッドヴィラサーナンダという人からシャクティパットを受けて、いつもクンダリニーがビンビンに上がっていたから、たまにやってみますかーてんで、クラスの皆で「オームナマーシヴァヤ」のマントラを唱えて、そのときグルマイから僕を通して皆にシャクティパットしちゃったのです。 そしたら、あとでKちゃんというグルマイの幼い頃に容貌がそっくりの女の子が前に来て「先生。両手からびりびりってエネルギーが上がって、胸が熱くなりました」って言いにきた。 「じゃ、今度、万博記念公園にグルマイがインドから来るから、一緒に行く?」と聞くと「行く」と言うので一緒に行きました。 てか、Kちゃんとは本番の日に一緒だったんだけど、その前日、瞑想プログラム本番前の宣伝のための無料デイに、「たけしの元気が出るテレビ」のダンス甲子園で人気者だったいまきた加藤と一緒にグルマイに会いに遊びに行ったのです。 そしたらもう千里の駅でコンビニの中でフアンに見つかってしまって、「あっ、いまきた加藤や!」って大騒ぎになり、加藤は鶏歩きの吉本ギャグを一発かまして皆が笑っている隙に「逃げろー」ってビートルズの「ア・ハードデイズナイト」みたいに、フアンから逃げて走って、有名人の気分を味わって楽しかった。 その日、加藤が言ったことでおもしろかったのは、「あびちゃん。あの人(グルマイ)、なに? あの人、すごい。あ、あ、風が来る。あの人から風が来て、私椅子に押し付けられて動けない」って。僕はそれを質量をもった光のように感じていたけど、加藤にとっては知っている言葉で近い言葉が「風」やったんやね。 そして本番。Kちゃんも来て、クンダリニーが上がって幼少期からの心の傷がたくさん癒されたようだった。で、二日間のプログラムが終わって、グルマイの前にひとりずつ出ていって挨拶するダルシャンというのがあって、僕はそのとき、グルマイに「たくさんの人を招待したあなたに」と言われてショールを一枚もらった。で、Kちゃんはと言うと後で聞くと グルマイが「あなたは私を知らないかもしれないけど、私はあなたを待っていた」とKちゃんに言ったって。(通訳付き)。ふーん。だから、あのとき、授業中にびりびり来てわざわざ僕にそれを言いに来たのか。 僕は家に帰って、「はい。おみやげ」と言って、ショールを妻の肩にかけた。すると、妻は驚いて「なに、これっ!」って。シュワーシュワーとペパーミントのようなエネルギーが体中を包んだんだって。 不思議なもんやね。 にもかかわらず、拙著「魂の螺旋ダンス」でシャクティパットについて僕が一番言いたかったことは、これは特別な現象ではないこと。宇宙の普遍的なエネルギーの流れに自覚的になるというだけのことであって、グルを崇拝する必要はないこと。グルの言説はそれとは別に批判的に検討するべきだし、事実グルマイの言説はカルマの名のもとにカーストを肯定する危険性を孕んでいることなどなどです。
2018.07.09
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増水で溜め池から溢れでた水溜まりは、起伏によって孤立し、池の本体から切り離された。それを知らずに水すましは涼しい顔で滑っている。梅雨は上がり彼らは水溜まりが干上がるまでの命なのだ。いや、その前に狭くなった水面の、大混雑時代もあるだろう。知らぬが仏ですいすいと行く。残酷な太陽は容赦なく照りつける。学校帰りの空き地で、小学生の僕は毎年それを眺め、人もまた同じと愚考していた。私の四門出遊である。
2018.07.05
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澄みわたる電子ノイズか蝉時雨 倍音の読経とコラボの蝉時雨 目に見えぬ星から届く蝉時雨
2018.07.05
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日焼け妻水着の跡に惚れ直す
2018.07.04
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寝ても起きても、頭はずっと夢を見ている。限りなき働きは、ずっと覚醒している。
2018.07.04
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シャボン玉二人を映して弾け飛ぶ
2018.07.04
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青空も雲も木立も蝉時雨
2018.07.04
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無数の見知らぬ手 (釜山車椅子単独行 2016年) 長澤靖浩薄闇で露出の長い写真の少しずつぶれていく手が脳裡に踊るお隣の国を車椅子で行く私のために行く先々でほんの少しの間ドアを押さえていてくれたたくさんの手急な坂を押して登ってくれた男子学生の筋肉質の腕ホームと車両の間に挟まった前輪を引っ張り出してくれたおばさんのマニキュアの指工事の手を休め急坂を降りる私の車椅子のハンドルを握ってくれた人夫の毛むくじゃらの胸もとチュウイセヨと日本語で言われたように聞こえたのは本当に韓国語だったのかただトイレを借りるために入ったPC房(バン)でスマホの翻訳ソフトを使って必死でコミュニケーションする少女画面には「ご利用されますか」という日本語が出たファージャンシル OK?ネー と笑顔話が通じるとトイレに歩いていく私の片手をそっと握って誘導してくれた柔らかい手路上で突然転倒した車椅子を息を合わせて一緒に起こしてくれたあのときの手は何本だったのだろうか顔の見えない手が周囲から密林の枝のように伸びてきて車椅子は起き上がり額の血は紙ナプキンで拭かれ頭部保護帽を再びかぶせられた私ケンチャナヨと覚え立ての韓国語を無意識に口走って再び動きはじめる強く打ちつけた頭で考えてもしばらく見当識が戻らないそうだここは地球の上アジアの東私は今ひとりで韓国を旅していて今日は地下鉄で海岸に遊びに来た大丈夫泊まっているホテルのある駅は覚えている地下鉄のバリアフリーは進んでいてそれでも何かあったときはいつも誰かが駆け寄って助けてくれるこの国で私は人々の無数の見知らぬ手に守られている・・・・・帰国後もう殆どすべての顔を忘れてしまったただ行く先々で私を助けてくれた無数の見知らぬ手が今なお幻の千手観音のように脳裡に踊り続けている
2018.07.04
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倶胝竪指蜻蛉止まりて空青し
2018.07.03
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あと、『魂の螺旋ダンス』に、ギリシア哲学のこと、マルクスのこと、臨死体験と生死を超えた覚醒のことを書き加えたいと考えている。ギリシア哲学について書いてみた。(直接的には社会的課題に関係のない部分に見えるが、超越性原理の確立は、広くは、地上の権威の相対化に繋がっていく。)・ギリシア哲学における超越性原理の萌芽 人類史の中、先駆的な哲学者は世界各地に現れ、それぞれ超越性宗教の萌芽ともいうべき思想を開陳した。ここではギリシア哲学の例を概観しよう。 ミ レトス学派の自然哲学を、神話から自然科学の過渡期とする見方は「近代科学主義」で世界を席巻した欧米による偏った見解かもしれない。あるいは自然科学に量子力学なども含めた一種哲学的な存在論まで含めて考える時、それは正鵠を得ていると言うべきかもしれない。 いずれにしろ、彼らは万物の根源(アルケー)の探求を神話的偶像的なものから解放したことは確かである。 以下、地域や時代、学派についてやや横断的になるが、ギリシア哲学における超越性原理の探求という視点から、彼らの探求や言及を整理してみたい。 タレスは万物の根源は「水」だと考えた。これは一見、幼稚な考えのように見える。しかし、象徴的な次元で考える時、彼が「水」と言ったのは、現在でいう「エネルギー」ということができる。遙か時代を下り、アインシュタインが、エネルギーは質量×光速の二乗であるという式を打ち立てたのと同じ発想を持っていたと考えられないことはないのである。ヘラクレイトスは万物の根源を「火」であると考えた。一瞬一瞬、千変万化する炎の性質は、水よりもさらにエネルギーのダンスを彷彿とさせる。現在の科学哲学でも、瞑想や臨死などによる神秘体験でも、万物の本質を「光」とすることがある。それにとても近い洞察が根にあるとは言えないであろうか。 その後の様々な超越性宗教でも、「水」は洗礼(ユダヤ・キリスト教系)や灌頂(仏教・密教系)の際のエネルギー伝授の象徴として用いられ続けた。また「火」もクンダリニー伝授の秘儀(ヒンドゥー・ヨーガ系)において、エネルギーの性質を喩えるものであり続けた。万物の根源(アルケー)が「水」であるという表明も「火」であるという表明も、具象物に託しながらも「存在はエネルギーのダンスである」という思想なのではないかと言っておきたいのである。 ヘラクレイトスの言葉としては「万物は流転する」という宣明も有名である。例証として彼は「人は同じ川に二度と足を踏み入れることはできない」と言ったともされる。あなたの知っているいずれかの川を思い起こしてほしい。その川の名前はあなたが子どもの頃も今も同じかもしれない。だが、そこに流れる水は一瞬一瞬変化していて、同じではない。川の例は少し思いを巡らせばわかるが、実はすべての存在は一瞬も止まらず変化しており、二度と同じ瞬間はない。「無常」という仏教の旗印も同じことを言い表している。 だが、東洋人としての私の目から見ると、ヘラクレイトスには西欧的な限界の刻印がある。「人は同じ川に二度と足を踏みいれることはできない」と言うとき、「人」という主体の側の変化が見落とされているのだ。「人」もまた「川」と同じく一瞬一瞬変化している暴流のごとき存在である。その点ではたとえば日本文学の中で鴨長明の有名な『方丈記』の冒頭を読むだけで、彼我の違いは鮮明であろう。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」 アナクシマンドロスはもっと端的に、万物の根源は観察不可能で限定できないもの=アベイロンと名付けた。伝統的な四大元素(地水火風)は、現実的に此岸の世界に存在する具体物である。そのどれをも、たとえシンボルとしても、アルケーの位置に持って来なかったのである。それらの「奥に」それらとは別に「超越性的根源」があると考えたのである。抽象化された理念としての超越性原理を哲学したという点でさらに一歩進んだとも言える。あるいは、シンボリックで詩的な表現からは遠ざかってしまったと言えなくもない。だが万物の根源としての「エネルギー」という概念を抽象的に打ち出した嚆矢とも言える。 ところがそれを受けたはずのアナクシメネスは、万物の根源は「プネウマ」(空気、気息)であるとした。プネウマを空気と訳すと再び具象物をアルケーと定義したと見なすことになる。気息という訳は秀逸である。生命エネルギー、中国でいう気という側面を持つからである。アナクシメネスの考えでは、プネウマは濃縮に従ってあらゆる要素に変化しうる。最も薄くなると熱くなって火となり、濃くなるにつれて冷たくなって水になる。更に濃くなると地になる。アナクシマンドロスのアベイロンから見ると、具象への後退と見ることもできなくはないが、絶妙のバランスで超越性と存在性の原理を表現しようと考えることも可能である。 プネウマは後にキリスト教では聖霊の意味で用いられるようになる。また、現在の英語のスピリットの原語である。 彼らのようなアルケーの探求とはやや角度が異なるが、ピュタゴラスは世界を数学原理で成立していると考えた。
2018.07.01
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念仏は、何も引き寄せることも、回向することもできない。 呪術から最も遠い。 ただ感応道交する。 不二の世界に目覚める。 限りなき働きのままに。
2018.07.01
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・悔い改め(メタノイア)の真意について 大阪市西成区の日雇い労働者の街、(通称)釜ヶ崎に三畳一間で暮らしているキリスト者に本田哲郎がいる。彼はその地でふるさとの家というコミュニティを運営しており、地域の貧しくよるべのない人たちのために活動している。それはもはやキリスト教という宗教の布教のためではない。ジーザス自身が本来志向していた精神性を宗教の枠組を越えて伝え広めていると言えるだろう。 私は「キリスト教はなぜ国家権力に弱いのか」という講演会で初めてこの本田哲郎の話を聴いた。聖書は、翻訳されるたびに時の権力者によって都合よく改竄されてきた。そのため神の権威に従うことが、世俗的な国王の権威に従うことと同一視されるようになっていった。そのプロセスをギリシア語やヘブライ語の原意に沿って説き明かす明快な講演だった。 その後、西成区釜ヶ崎をしばしば訪問するようになった私は、この地でジーザスの教えを実践するということは、宗教の本質に根ざすことだと実感するに至った。浄土三部経のひとつである阿弥陀経では、この教えが説かれたのは祇樹給孤独園(いわゆる祇園精舎)であるとされている。 私は『浄土真宗の法事が十倍楽しくなる本』の中で、「ここはギダ太子の所有する園林です。ギッコドクという、孤独な人々に炊き出しの活動をしていた人が、お釈迦様に寄進した土地です」と訳した。祇園精舎という言葉から多くの日本人は京都の祇園神社を思い出すかもしれない。しかし、本質的に観たときには、むしろ釜ヶ崎という貧しく家族もいない人々が日々の労働を求めて集まっている寄せ場こそ、仏陀が無条件の救済の教えを説いた場所であったとするのが、ふさわしいだろう。この経典の序分(仏陀がこれを説いた時、場所、聴いていた人々などを述べる部分)には、数多くの聴衆の名前が挙がっている。その最後にそれらの仏弟子や菩薩が大衆と倶に聴いていたのだと結んでいる。私はその大衆倶を「これらすべてのものたちが、ふだんから祇園精舎での炊き出しなどに集まっている貧しく孤独でよるべのない多くの人々と一緒にこの説法を聴いたのです」と訳した。 ジーザスの教えもまたまず最初にそのような人々のために説かれたものである。本田哲郎は、前章で私が検討した「悔い改め」の語義について、ギリシア語である「メタノイア」に遡って次のように考察している。(『聖書を発見する』より) 「メタノイアとは、まさにその視座を移すということ。そこには、宗教もイデオロギーも哲学も関係がない。あなたがふだんものを見て判断するその視座を移して、そこからあらためて見直し、判断しなさい、という意味です。」 ではいったいどこに視座を移すというのであろうか。この点について本田はさらにこの言葉をヘブライ語に遡り、次のように述べている。 「メタノイアに対応するヘブライ語は、ニッハムということばです。その意味は何かと言えば、to have compassion with、つまり痛み、苦しみを共感・共有するということです」 「つまり、メタノイアとは、人の痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りに、共感・共有できるところに視座・視点を移すことだと分かります。人の痛みの分かるところに、視座・視点を移し、そこから見直してみると、実際にやってみれば分かるのですが、そのときはじめて、見えなかったところが見えてきます。何を悔い、何を改めなければならなかったのかが見えてくるのです。」 このように見てくると、 ローマの人々への手紙に「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威は全て神によって立てられたものなのです。」とあるのを、本田が語源を遡りつつ「すぐれた権威に従うべきです」と訳した意味も自ずと浮かび上がってくる。 「すぐれた権威」とは、「上に立つ権威」とは全く逆に「低みに立つ」「小さくされた者の傍らに立つ」という意味を帯びる。「小さくされた」とは本田独特の言葉づかいである。自己責任において、弱い、小さいというのではなく、社会構造の中で低みに追いやられ、その訴えを聞いてもらえず、関係性の中で「小さくされている」人々の状態を示唆している。 たとえば障碍者という切り口ひとつとっても、医学的モデルとしての「障碍者」がそこに初めから「小さい者」として存在するのではない。社会構造と関係性の中に障碍を実感せざるをえない状態に追い込まれている=「小さくされた」という社会的モデルの見方を貫徹しているのである。そのような「低みに立つ」「小さくされた者」に共感をもってその傍らに立つことに由来する権威こそ、神の権威である。 ところが、「上に立つ権威に従うべき」という訳をし、それを「神のあり方の本質」から切り離して用いることは、経済や軍事において権力を持つものたちに「自分たちの権威に従え」と聖書にもあると利用され続けてきた。ことに国家権力やローマ法王を頂点とする教会の権威に利用されてきたことは歴史の事実である。 究極的には、最も痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りに苛まれている人々、その人たちと共にあることこそが、実は神と共にあるということなのだと本田は言う。彼がカトリックの世界では司祭という大変高い地位にありながら、釜ヶ崎という「痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りに苛まれている人々」の町に拠点を据えて活動しているその人生を観るとき、大きな説得力を持ってくる言葉である。 この悔い改めについての本田説にはキリスト者内部からの反論もある。しかし、私は先に述べた「あるがままに観ることによる自我の崩壊と満ち渡る限りなき光」という意味での「悔い改め」と、「人の痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りに、共感・共有できるところに視座・視点を移すこと」という意味における「悔い改め」は、矛盾するものではなく、ひとつのものだと感じる。親鸞の「悪人正機」という思想もそのふたつが一枚のものであることをよく表していると感じる。 ところで現代の腐敗した葬式仏教は、そのような本質的な部分での活動では成立しない別のものに変質してしまっている。事実、本田哲郎が活動の拠点としている釜ヶ崎という地域からは、親鸞の教えを継いでいるはずの浄土真宗の寺院はむしろ転出してしまった。貧しくよるべのない人々には、葬式を営み、法事を続ける家族というものがいない。そのような場所では、葬式仏教は経済的に成り立たないのは、理屈としては理解できる。葬式仏教はこのような例の中でもその存在意義を根本から問われていると言わなければならないだろう。
2018.07.01
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飽くまでも草稿。推敲が必要と思いますが、ご意見募ります。 ・朝家のための念仏とは 建長八年、親鸞八四歳の頃に性信に送った消息の中「朝家の御ため、国民のために、念仏まふしあはせたまひさふらはば、めでたくさふらふべし」という文言は戦時教学において、徹底的に悪用された。 朝廷を中心とした国家の安穏のために念仏をするべしという教えが巨大な真宗教団によって広められた。 折しも、東西両本願寺を代表する学僧たちは、あろうことか、阿弥陀仏と天皇を重層視する思想を開陳しはじめた。殆ど悉くの著名な学僧がである。 キリスト教の世界では、灯台社の明石順三などが天皇の神的権威を否定し、殺人を罪として兵役を拒否するなどの活動が見られた。明石を含む灯台社のメンバーは治安維持法などによって大量に検挙された。 戦後、明石らは釈放された。 が、本来同一の信仰団体であってしかるべき戦後のものみの塔は、明石らの歩んだ道と切断され、新たにアメリカから流入したものである。驚いたことに、訪問布教や最近では駅前での冊子配布などでよくしられる現在のものみの塔の信者には、明石らの歩んだ歴史について知らない者も多い。 ところが、よくも悪くもいろいろな側面でキリスト教と相似形を成してきたはずの真宗教団ではそのような抵抗運動すら起こらなかった。 治安維持法下の大日本帝国における抵抗は命がけであることは理解できる。問題は、戦後なお、真宗教団を代表する学僧たちは、戦時の発言についての総括や反省を経ないまま、教団の中枢や宗門大学の教授の地位に止まり続けた点の方が大きいかもしれない。 その曖昧な連続性と、戦後の平和憲法の下での教団の左翼化とは不思議な共存を成してきた。そして時代の変化と共に、今また教団の果たす役割が、どちらに振り子を振るのかは予断を許さない状況になっている。 このような戦時の学僧たちの発言は、明らかに親鸞の残した著作や言葉から逸脱している。 が、その昔、当の親鸞の残した言葉「朝家の御ため、国民のために、念仏まふしあはせたまひさふらはば、めでたくさふらふべし」については、どう考えればいいのだろうか。 この点について、私が最も示唆に富むと考えているのは、古田武彦の『わたしひとりの親鸞』の中、古田が過去の思想家の言説を分析してきた上で、「わたしの理解」という章を設けて開陳している考察である。 この文言の含まれる消息を親鸞が性信に送ったちょうど同じ頃、親鸞は「正像末和讃」において、念仏弾圧の激しさを心底嘆いている。 「五濁の時機いたりては 道俗ともにあらそひて 念仏信ずる人を見て 疑謗破滅さかりなり」 「天災や戦争の絶えない時代、思想が乱れ正義が弾圧され邪悪な考えがはびこる時代、人々が欲に駆られ自分のことだけを考えている時代、人間の心も体も劣化している時代、生命がないがしろにされ寿命が短くなっている時代。そんな五つの濁りの時代となると、僧侶もそうでない世間の人々も互いに争い、 念仏の教えを信じる人を見ては疑い謗り、 盛んに討ち滅ぼそうとする」 ここで道俗=僧侶もそうでない世間の人々もと呼ばれているのは、どのような人々であろうか。 このことを裏付ける別の消息として、古田はもうひとつ次の文言を挙げている。 「ただひがふたる世のひとびとをいのり、弥陀の御ちかひにいれとおぼしめしあはば、仏の御恩を報じまひらせたまふになりさふらふべし」 「ひがふたる」の「ひが」は「僻事」の「ひが」である。「ひがふたる世の人々」とは「誤ったことを頼みにしている世間の人々」である。そのような誤った道を歩む世の人々こそ、すべてを救い摂め取ろうとする本願に入れと(阿弥陀が)思われている。おぼしめすは尊敬語であるから、おぼしめしたのは、阿弥陀であろう。そのようなものを救おうとしているものこそ、阿弥陀の限りなき働きであるからこそ、その恩に報恩することになると言っているのである。 当時、朝家=朝廷は、興福寺などの旧仏教のそそのかしもあり、激しく念仏を弾圧していた。と共に、そのような権力者たちに追随していた世の人々も「本来頼むべきすべてを摂めとろうとする阿弥陀の限りなき働き」にゆだねることなく、誤った権威に付き従うことで安穏を得ようとしていた。それはますますあらゆる人々を窮地に追い込んでいく道なのだが、それに気づかず、目に見える大きな力を持ったものと共にいようとするのである。しかし、そのように生きあえぐすべての人々を救済しようとするのが、阿弥陀=限りなき働きではないか。 「朝家の御ため国民のため、念仏まふしあはせたまひさふらはば、めでたくさふらふべし」と親鸞が消息に書いたとき、いかに朝家や国民が念仏を差別排斥していたか。そのことを考え合わせなければならない。すると、この言葉は、イエスの「敵を愛し、迫害するもののために祈れ」という言葉に似てくる。自分たちを抑圧するものの「ために」こそ、念仏もうしあわせようではないかというのである。 「朝廷や国民のために鎮護国家の祈りとして念仏しなさい」という戦時教学の解釈は、当時の朝廷や誤った権威を頼みにしている国民が念仏者を激しく差別・弾圧していたという側面を無視した曲解であることは明白であろう。逆にここは「私たちを差別・弾圧し、死罪にしたり、遠流にしたりする朝廷や、それに追随する人々もまた阿弥陀の限りなき働きによって救済されるであろうことをありがたいことだと念仏しよう」と言うのである。 以上、私は注意深く言葉を選んで書いてきたが、私の焦点を改めて説明しておこう。確かに、戦時教学の極端な曲解は、戦後、古田武彦を初めとする幾人かの念仏者によって、正されてきた。この箇所を自らを迫害するものへの祈りととらえ、その心の懐の深いことへの感慨が語られてきた。しかし、ここでもうひとつ考え合わせておかなければいけないことがある。それは、親鸞の思想では、念仏の功徳は回向できないことである。 つまり「朝家の御ため国民のため、念仏まふしあはせたまひさふらふ」としても、その念仏の功徳が朝家や国民に回向されるわけではないのである。法然においては、この念仏はより「祈り」に近いものであり、功徳を回向しようという心もあったかもしれない。そして親鸞は法然の遺志を継ぐ形でこのように述べているのであるから、言葉遣いも朝家の「御ため」国民の「ため」と、まるで念仏するのは、功徳がそれらの対象に回向されるようにする「ため」のように聞こえるかもしれない。 しかし、親鸞の思想では、功徳を回向できるのは、阿弥陀(=宇宙の限りなき働きと私は訳しておきたい)だけである。その限りなき働きは、一切衆生に行き渡り、止まることを知らない。 つまりここに「朝家の御ため国民のため」と言っても、親鸞の思想においては、その念仏の功徳を回向するためと解釈することはできない。念仏を誹謗するそのような人々もまた救済の対象であることを思えば、その限りなき働きの願いの深さに感涙、報恩し、念仏せざるを得ないという意味になる。彼らに助かってくれと私たちが念仏することで彼らが助かるのではない。彼らもまた助けると誓っている「阿弥陀の限りなき働き」を念い、歓喜と報恩にあふれて、ますます念仏することは祝福に満ちているというのである。
2018.07.01
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