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その1年後輩の彼女を初めて見たのは、月例開催の勉強会の場だった。就職して2年目でも、まだまだ新人気分の抜けない私だったが、当然1年たてば後輩ができる。この年は採用が少なく競争率が高かった為、今年の新人は精鋭ばっかりだとの話はすでに聞き及んでいた。そのうちの一人が彼女で、同じ所属ではなかったが、管轄地域が近く、研究会などで顔をあわせる機会は割とあった。 何て綺麗な子だろう!と、しばし見とれた。「華の嵐」の時代の若かりし高木美保さんと、「命の現場からの」看護婦主任役だった辻沢杏子さんを足して2で割ったようなタイプ。浅黒い肌、やや長身、スリムで伸びやかな体躯は、上記の美人女優さんよりずっとボーイッシュだ。髪はセミロングでつややかなストレート。化粧はほとんどしてるかしてないか程度。同期にも先輩たちにも美人はいたが、彼女には太刀打ちできない。こんなのを「掃き溜めに鶴」というのだろうか?好みは人により色々あろうが、まさに、私が理想とするタイプの美女だった。 私の就職した年までは、革新知事の余波が残っていて、保健婦の採用数は多く、各所属は増員の一途だった。だから、試験なんてあってないようなもの。保健婦学校を卒業していれば、簡単な面接だけで採用が決まった。が、1年後、事情はガラリとかわり、たった4人?え?40人の間違いでは?というくらいの差だった。私があと1年生まれるのが遅かったら、就職戦線で敗退していたであろう。ほぉぉ、秀才で超美人。天は二物も三物も与えるものかと、ひたすら感心した。 4年後、私は2つめの所属に転勤した。その翌年、あの彼女が異動してきたのだ。さらに、同じ行政区を担当することになった為、まさしく仕事のパートナー。長身ベアの誕生だった。とにかく、凄い!仕事がよくできる。1つ年上というだけで、彼女の有能さには到底及ばない私だった。てきぱきした行動、ハキハキした物言い、サッパリした性格、健康な身体、相変わらず目もくらむような美貌。私は、すっかり彼女のファンになり、とにかく、彼女が自慢で自慢で仕方なかった。 まだ彼女を紹介していない所属外の関係者に「とにかく、むっちゃくちゃキレイやから、びっくりしてお茶こぼさんようにね。」と忠告するのを忘れなかった。面接にきた患者さんたちが彼女に見とれるのが楽しみだった。 同性として、嫉妬などの感情がうまれることもあろうが、もう全てにおいてここまでレベル差があれば、そういう下世話な感情がわき起ころうはずもない。だが、彼女を悪く言ったり、あからさまに嫉妬の感情をぶつけてくる人もいた。私は、腹立たしかった。 何と表現すればいいのだろうか?んーーん、「リボンの騎士」の世界のようなおとぎ話の王国。そこには、優しくて美しいお姫様がいて、臣下も侍女も国民もみんなお姫様が自慢で大ファン。お姫様の一番身近でお世話する「ばあや」、そう、私は「ばあや」の気分だったのだ。 「うちの姫様は近隣のどの国のお姫様より優しくて利口で愛らしい。今度の舞踏会でも、うちの姫様が一番に決まってる。舞踏会までに、もっと姫様に磨きをかけねば!さて、おぐしの手入れをさせていただこう。」イソイソ。 「嫉妬するあの姫たちの、何と見苦しいことよ。ヒステリーでツンツンお高い年増王女なんか、うちの姫様の足元にも及ばないさ。ふんっ、身の程知らずだこと!」と、まぁ、こういった雰囲気を想像していただきたい。 現に仕事でも、私は、主に裏方に回った。彼女は私のおちゃらけによく付き合ってくれた。お笑いの波長も合った。勤務した3つの所属のうち、私は、この2つ目の職場が一番気に入っていた。駅から近く、更衣室が広く涼しい、有能なパートナーに恵まれ、私自身、意欲的になり面白いように仕事がはかどった。通勤路の飼い犬ちゃんたちで楽しんだのは最初の職場、仕事そのものが波に乗り楽しかったのは2つ目の職場。 さて、いよいよ彼女は結婚することになった。事情があって、結婚がノビノビになっていたのだが、三十路にはまだまだ余裕のあるその夏、やっとゴーサインが出た。職場からは上司が1人列席するだけで、残念ながら同僚たちは誰も直接彼女の花嫁姿を見ることはできなかった。やはり、事情が大勢の列席を邪魔した。出来上がってくる写真を見せてもらうのが楽しみだった。姫様のお輿入れを心待ちにするばあやの私。 結婚式まで数日残すのみとなったある日、彼女は(午前中、車移動で)出むいた先に忘れ物をしたとのことで、昼休みに取りに出かけた。そこは、かなり遠くて、私なら、ついでの時に車に便乗して連れていってもらうのだが、彼女は、スリムだが筋肉質のパワフル女性。坂道も遠距離もものともせず、自転車で出かけたのだ。帽子もかぶらず、半袖の制服のまま。夏の日差しがジリジリと容赦なく彼女に降り注いだのであろう。戻ってきた彼女を見て仰天した。腕も顔も赤くやけている。元々少し浅黒い腕は、ますます赤銅色に輝いていた。半袖の線クッキリで。 オーマイガーーーッッド、オーマイぶっーーーーだ、オーマイアッラーーーー!!! 私は切れた!初めて、他人に偉そうに物を言った。気弱な私は、年下相手でも子供相手でも、物心ついて依頼、明らかに冗談とわかる場合以外では、他人に偉そうな物言いなんかしたことがなかった。まして、年下でも尊敬する彼女に、身の程知らずな口がきけるはずもない。なのに、思いっきり叱った! 結婚式が近いというのに日焼けするなんて!全く何ちゅうことを。はやく冷やしなさいッ、ほら、顔も冷やして!その高い鼻のテッペン、皮でもむけたらどうするの? ばあやは情けなかった。美しい花嫁姿(の写真)を見るのをこんなに楽しみにしているのに、姫様ときたら、そんなことおかまいなしに・・・。ヨヨヨヨ(涙) 幸い、衣装の加減で、日焼けの腕は目立たず、顔も化粧で十分美しくカバーできていた。やれやれ、ばあやは寿命が縮まりましたよ。 その時の私の様子が、普段と違いすぎていたのがよほど衝撃的だったのか、彼女はそれから後も、たびたび笑い話としてこのことを話題にした。 そして、また転勤。居心地のよかったその職場をはなれ、結局、最後の勤務地となる保健所に異動した。そのころ、私は、パソコン通信に夢中だった。そして、2年後パソ婚が決まっての結婚退職。自慢の後輩とは、退職以来、一度も会っていない。年賀状交換のみ。三田村邦彦氏似の旦那様との間にできた女の子は、今はもうお年頃だろうか?母親に負けない美少女に育ってるに違いない。 数年前、かつての同僚に会った時、彼女の噂が出た。他の自治体に出向して帰ってきたら一足飛びに役付きになったと。先輩の多くもまだほとんどがヒラ。同期の元同僚たちなら、なおさら誰もついていない地位に、年功序列色の強いあの職場で・・・。それを聞いた時、14年前、彼女に仕える「ばあや」だった頃の気持ちが蘇ってきた。 「やっぱりうちの姫様が一番さ、ほーぉほっほっほ、ざまぁーみあそばせ!」。------------------------自慢の後輩が似てるという女優の「辻沢杏子」さんをご存じない方、こちらをご覧になってください。杏子さんをドラマで見ていると、一瞬あの後輩かと思うくらい、ちょっとした表情がソックリです。(^o^)http://homepage1.nifty.com/tsujisawakyoko/
2002.07.31
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7月27日の日記で書かせていただいた、昔の愛犬ルミの白い顔に見えた雑草のはえたあのマンホール。あれにまつわるもう一つの悲しいお話です。記憶が曖昧なところもあるので、部分的に違っているかもしれませんがお許し下さい。 10年以上前に起こった少女誘拐事件。被害者の少女は当時まだ小学生。算盤塾帰りの薄暗くなった道路で車に連れ込まれ、その姿を消しました。実家の近くの道路です。少女の通う小学校は私が卒業した所。算盤塾も、昔私が通っていた所だから、両方とも後輩です。そして、当時小学校のPTA会長をしていたのは、実家の2軒お隣のご主人。ご主人とはいえ、私にとっては、子供の頃から知ってる近所のお兄ちゃんです。PTAは、警察の捜査に協力を惜しまず、会長談話がたびたび新聞に出ていました。 あの時間帯は、とても危ないんですよね。真っ暗なら警戒して子供一人で歩かせるようなことはしませんが、黄昏時って視界の悪さを意識するほどじゃないけど、見通しがかなり悪くなります。35年前にも、算盤塾帰りの同級生が危ない目にあいました。幸い、大事にはいたりませんでした。親たちが、戦々恐々としたムードだったこと、今でもはっきり覚えてます。 怪しい車は数人が目撃してましたし、人通りもちらほらながらあったんです。でも、手がかりが全くつかめず、事件解決の日まで数年を要しました。警察の方たちは、懸命に捜査されて、来る日も来る日も聞き込みに回られてました。私は、昼間は仕事に行っていたので直接会ったことはないのですが、母は、何度も何度も刑事さんたちの訪問を受け、怪しい人物についての心あたりとか、色々尋ねられたそうです。 そして、そのたびに、必ず、あのマンホールをあけてみるんだそうです。もしや、遺体が隠されてるのでは?と。おかげで、雑草ははえなくなりました。母から「今日も刑事さん来たで。」と、報告を聞くたび、地道な捜査がいつか実をむすんでほしいと願うばかりでした。 少女の生存はすでに絶望視されてましたが、それでも、どこかで無事に育っているのではとの一縷の望みは、少女の身内でなくとも捨て切れません。 しかし、完全に絶望せざるを得ない日をついに迎えました。骨だけになって帰ってきた少女の同級生は、もう大学生か社会人になっていました。近所の会館でのお葬式には、大勢の方が詰めかけて、小学生のままの美少女の遺影に涙しました。 犯人が逮捕されたのは、残念ながら、あの懸命に聞き込みに回っておられた刑事さんたちの努力とは関係のない「別件」からでした。犯人の男は、西日本を移動しながら各地で女性を殺害してたのです。ホステスさんが殺害された事件の捜査で浮かんできた容疑者は、取り調べの途中に、あの少女殺害を自供したそうです。証拠も見つかり、事件は完全に解決しました。大人の女性ばかりを襲っていた犯人が、一体、どうしてあの少女を狙ったのか?犯人が手にかけた人たちの中で子供はあの少女だけだったと記憶してます。まさか、少女殺害に関してだけは、私の恐れる冤罪?いや、自供と一致した証拠もあがってるのなら、やはり、間違いないのでしょう。 あのマンホールを目にとめて、時々、いろんな想いにかられます。もちろん、一番気の毒なのは、無惨に殺害された少女。でも、直接少女を知らない私としたら、どうしても、お身内の方の心情に気持ちが傾いてしまうのです。ご両親は、美しく逞しく育っていく同級生たちを目の当たりにして、あの子も生きていれば・・・という想いに幾度となくかられたことでしょう。現在なら、子育てを頑張るママになってるような年代です。今でも、ご両親は、同年代の女性を見て、枯れたはずの涙をまた流すことがあるでしょう。 そして、刑事さんたちのこと。それこそ、靴底をすり減らすほど尽力した捜査は、犯人逮捕には結びつかなかったのです。でも、そんなことにガッカリしてる暇などなく、次々起こる犯罪の捜査に追われてることでしょう。サスペンスドラマの中の刑事とは違う、これが、現実というものか・・・と、ふと、柄にもなく無常観まじりのため息をついてしまいます。 刑事さんたちにたびたび開け閉めされ、雑草がはえなくなっていた頃の悲しい事件、雑草が白い花をつければ愛犬ルミのこと。あのマンホールは、私の心を過去に引き戻す力を秘めているようです。 愛犬ルミの話では脇役だったマンホール。そのマンホールをメインにすえた今日の日記。オムニバスのように、まだこの続きがあります。さて、続きは、今回登場の何がメインになるでしょうか?楽しいお話にするつもりです。そのうちにまた・・・。---------------------------------------------*追記 オムニバス第3弾は、後日、「怪しい来客?」という日記に登場しています。
2002.07.30
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最後に金魚すくいをしたのはいつのことだったろう?30歳を越えてからは、たぶん、一度もやっていないと思う。ということは15年ほど金魚すくいからはなれてるんだな。 昭和が40年代になった頃、私は「おとなしい子」が唯一の褒め言葉と受け取れる、内気で覇気のない、何もやらせてもとろい小学校3年生の少女だった。 家のすぐ近くの大きな神社は、夏祭りや正月三が日に限らず、普段から、たこ焼き屋の屋台や、夏場なら金魚すくい屋が出ていて、お小遣いはそこに消えていた。私は、金魚すくいにとても熱心だった。当時は、1回10円だっただろうか。 私は、いつしか、町内の子供たちの中で、むかうところ敵無しの金魚すくい名人になっていた。今風の言い方をすれば、「金魚すくいクイーン」といったところか?(どこが、今風?)この、何の役にも立たない特技は、わが子の不器用さを嘆く親の失笑をかっていた。もっと実用的なことで器用になればいいのにということだ。私自身もそれは自覚していた。 紙を破らないよう極力長持ちさせ、たとえ、破れて小さくなった紙でも慎重に根気よく・・・・。10円で何十分も楽しんだ。紙が破れるのは、金魚が暴れることと、水を真上にすくいあげて水の重みをまともにかけてしまうからダ。これをクリアすべく、金魚に「すくわれた」と自覚させないまま水ごと素早く移動させれば暴れる暇はないだろう。そして、水の重みがかかるのを最少限にすべく、金魚をすくいあげるやいなや、水だけを水槽に逃がす手首の返しワザを編み出した。 うだるような暑さの夏休みの午後、友だちと二人で金魚すくいに出かけた。ほどなく、金魚すくい屋のおじさんは、大きな麦わら帽子の下でコクンコクンと居眠りを始めた。 二人は、黒い金魚(デメキン)だけをすくおうと示し合わせ、せっせと黒い金魚を追った。炎天下も、うるさい蝉時雨も、少女たちの集中力を妨げることはなく、水槽から黒い金魚が絶滅するのに、さほど時間を要さなかった。友人もなかなかの凄腕で準クイーンといったところか?そんな二人にかかれば、なんの造作もないこと。 おじさんが目を覚まして水槽を見た時の反応は、今でもありありと思い出せる。一瞬、何が起こったのかわからなかったのだろう。見慣れた水槽が全く別物になっていたのだから、驚愕の一言に尽きる。大柄な黒い金魚のいなくなった水槽には、赤いスリムな金魚たちがのうのうと泳ぎ、私たちのすくった複数のボウルの中には、真っ黒のモノが蠢いている。あのコントラストは、まさに芸術的だった。 その夏、引っ込み思案だった少女は、ちょっと活発に、そして、明るくなった。 準クイーンだった友人とは、ときどき会うことがある。あのことは、いまだに大笑いの話題となる。彼女には、大学生の子供が二人いるが、男の子だからか、幼い頃も金魚すくいには興味がなかったらしい。私に、もし子供がいたら、親子一緒に水槽の縁にしゃがみこんだだろうか? 長い年月を越えて今、あの時の手首のスナップは私にしっかり生きている。お鍋の中にふつふつ浮かんでくるアクがターゲット。金魚すくいグリップに握りかえた玉じゃくしで、余計な水分はすくわず、アクだけうまく捨てる。真剣勝負のこの料理過程が、とても好きで、30数年後、やっと役に立つワザに昇格したのだ!と、満足げにほくそえむのであった。
2002.07.29
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我が家でハムスターを飼い始めたのは、10年ほど前からです。当時は、ハムスターだけを扱った飼育書はなくて、書店で懸命に探しても、動物全般の飼育書(こども用)や、小動物全般のものが少数あった程度。その中でのハムスターコーナーといえば、ほんのちょっぴりしかなくて、とても、お粗末な状況でした。 当時はまだインターネット導入以前で、メーリングリストなどでのハムスター情報もなく、試行錯誤で育児(?)にいそしんでました。だから、誤ったことも、知らずにやってしまっていて、後で青ざめたりなんかも。(^_^;) そのあたりのことは、「友人の同人誌~ハムスター日誌~」の中にも触れています。 それでも、徐々に徐々にハムスター愛好家が増えてきて、アニマル関係の雑誌もハムスターにページ数を多く割くようになってきました。また、小動物関係の雑誌が、いつの間にか創刊されてたりするので、いよいよ、書店探索の甲斐あるハムスター情報時代の到来です。 とにかく、書店に入ると、それらしき本や雑誌がないか、表紙にハムスター写真がないか、ハムスター特集はないか、目を皿にして、探す癖がついてしまってたのです。 そんなある日、雑誌がきちんと分類されずぐちゃぐちゃーと立てかけてあるような古めかしい書店に入った時の出来事。 犬や猫関係の雑誌、コンピュータ関係の雑誌、スポーツ関係のもあるある、お料理雑誌も混じってる、そんな書店の雑誌コーナーで、ほとんど無意識にハムスターを取り上げた雑誌を物色する私。 あっ、「ハム」***ちょっと下がった場所に「スタ」という文字が目に飛び込んできました。やったー!!!これには、どんな可愛いハムちゃん写真が載ってるのかな?目新しい情報はないかな?とワクワクして雑誌群の間から取り出してみたところ・・・。 残念でした。お料理の雑誌だったんです。まさか「ハムスター料理」が載ってたわけではありません。もうおわかりでしょう? 2行にまたがっていた「ハム」と「スタ」は、「ハムエッグ」「スタッフドトマト」というメニュー名だったわけです。喜びの絶頂から奈落の底へ・・・。ため息をついて、雑誌を元の場所につっこみました。 きちんと内容別に分類しといてよねぇ、書店のおじさん! だから、お店ガラーンとしてて、繁盛せーへんのとちゃうん? と、まー、八つ当たりのような心境で書店を出ました。 今は、どれを選べばいいのか迷うほどの飼育書氾濫時代。そして、インターネットにも情報満載。いい時代になったものですね。(^o^) その書店、いつの間にかなくなってました。つぶれたんダ。(^_^;) ハムスターのタタリでつぶれた・・・ってわけワケないですね。この不況下、代々続いてきたようなお商売も、よほど頑張らないと、存続は難しくなってるんでしょう。ハムスターの回し車の勤勉さを見習って、人間たちも、頑張ろうゼ!
2002.07.28
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幼稚園の頃から、家にはスピッツの女の子がいた。純粋のスピッツじゃなかったが、真っ白で優しい目をしたその子の名前はルミ。幼稚園や学校から帰ってくると、まず、ルミとじゃれてから家に入る。自宅横の古い物置小屋がルミの住まい。扉の下方には、鉄格子つきの小窓が四角くあけてあって、そこからルミの白い顔がちらちら見える。 自宅へ至る前の道は緩やかな坂道になっている。坂のてっぺんから見下ろすと、ルミの白い顔が小さく見え、それが嬉しくて、ランドセルをゆらして駆け帰った。親に叱られてベソをかいた時は、その小屋にこもってルミとたわむれることで随分慰められた。そしてゆるやかに時が流れた。 もう中学生になっていた私は、昔ほどルミと遊ばなくなった。でも、坂の上から見える白い顔だけはかわることなく私を暖かく迎えてくれていた。そんなルミは徐々に老いて病気がちになった。すっかり弱り、背中の毛がまだらに抜け落ちた。獣医さんにみてもらいできるだけの手は施してもらったが、結果は芳しくない。 そんな折、同居の祖母(母の実母)が身体を悪くし、入院することになった。母は、仕事と病院通いの為、忙しくなった。母子家庭の我が家では、母の肩に全てがかかっていた。そして、私は、高校受験をひかえていた。 ある日、学校から帰ると、ルミがいない。母は「ルミちゃん、死んだんよ。だいぶ弱ってたから・・・。」と言った。そんなに急に死んでしまうほど病状が悪かったと思ってなかった私は驚いたが、少しだけ涙して「ルミちゃん、もういないんかぁ。」と一言つぶやいただけだった。寿命だったんなら仕方ないと、寂しさをこらえるしかなかった。 ルミのいた小屋の数メートル手前にマンホールがある。そのマンホールの蓋の隙間に雑草がはえ白い花がついた。それが、坂の上から見ると、ちょうどその位置関係からルミの顔に見える。そのことを、母や退院してきた祖母に話した。「まるで、ルミちゃんがいているみたいに見えるんよ。おばあちゃんも見てみ。」と。「へぇ、そうか。ルミちゃんも長いこと病気で苦しんでかわいそうやったなー。」とかいう話の展開になるものと思っていた。が、祖母も母も、妙な顔をして「そんなこと言わんとき。」と私の言葉を遮り、翌日には雑草は抜かれていた。きっと、天国に行ったルミに未練たらしくするのが潔くないと諫めたんだなと理解し、もうそれっきりルミのことを口にしなくなった。そして、その後、我が家で犬を飼うことはなくなった。 あれから、30年。昔、白くて可愛いルミがいたことを時々思い出すことはあったが、特に母と話題にするようなこともなかった。 先日、実家で老母と昔話をしていた。祖母は22年前に故人となっている。あの時の祖母よりすっかり老いた母。その母の口から意外な事実があかされた。本当は、ルミは病死ではなかった。祖母の入院で、獣医さん通いも世話もできなくなるので、やむなく保健所につれていったというのだ。受験をひかえた私に負担をかけたくなかったというのも理由だった。 「病気で死んだて言うてたやん。」と驚いた。母は私がすでに知っていたと勘違いしていたようだ。病気でボロボロになった老犬を貰ってくれる人なんていない。野犬にするわけにもいかない。弱ったルミは餌をもとめられず、すぐに命を落としてしまうであろう。母と祖母とが悩みに悩んで出した結論だったらしい。私にはショックを与えてはいけないということで、そのことは告げられなかったのだ。 今になってわかった。あの時の二人の妙な反応の理由が。無邪気にルミを懐かしむ私に、罪悪感を隠しきれなかったのであろう。私にも、はやく忘れてほしいから、あの白い花の雑草を抜いてしまったんだろう。 30年も昔のこと、このトシになった私だから、その時、さして動揺はしなかった。ルミはかわいそうだったが、そのつらい選択をした祖母と母の気持ちを思うと「うん、それでよかったと思う。野犬にしたらもっとかわいそうだったもん。」と言うしかなかった。 もし、あの多感な少女の頃、真実を知っていたら、犬関係とは課が違うものの保健所に勤める仕事にはついていなかったかもしれない。すると、その後の運命も違ったものになっていたのかな?などとボンヤリ考えることで意識をずらした。 最後まで責任を持って飼うべきで、保健所につれていくなんて言語道断?いや、そうじゃない、あの選択はやむをえない、野犬にする方が罪深い?他に方法はなかったのか?今となっては、堂々巡りの自問自答。考えてみると、31歳違いの母と私だから、当時の母はちょうど今の私の年代だったのか・・・。私なら、どんな決断をするだろう? 考えるのはよそうと自分に言い聞かせるのだが、あかされた真実に心がチクリと痛むのは隠せない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 愛犬家の皆さん、イヤな話題で申し訳ありません。昨日の日記とはうってかわった暗い話題・・・。(^_^;) もちろん、ハナちゃんやジミーちゃんを可愛がっていた頃は知らなかった事実です。大切な命を守りきれなかった悔恨、当時、女たちだけで精一杯生計を立てていた親たちを責めることもできないもどかしさ、いろんな想いを、勇気を出して綴ってみました。この事実を知ったのはつい最近のことで、あれから、これまでにも増して、命の大切さについて考えるようになりました。 ワンちゃんは大好きだけど、このことを知ってしまった以上、飼える住居環境になったとしても、一生ワンちゃんを家族にするのは諦めようと思っています。そんなことが何の罪の償いにもならないこと、わかってはいるのですが・・・。
2002.07.27
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勤めていた頃、駅から職場までの道の両サイドに飼われてるワンちゃんたちに、毎朝、挨拶しながら歩くのが習慣でした。その通路以外でも、ワンちゃんのいるお家をチェックして地域詳細地図にマーク! 通勤路だけでも、5匹のワンちゃんと仲良しになり、飼い主さんたちともお友達になりました。 ある日、通勤途中、柴犬のハナちゃんの飼い主さんが「今、お産の真っ最中で、3匹うまれたばかり。見ていって下さい。」と、声をかけてくれたんです。まだ何匹かお腹に残っていて、ハナちゃんは必死に分娩中。生まれたてほやほやの赤ちゃんの何と可愛いこと!感激しまくって、その日、初めて遅刻しました。その後、仔犬たちともすぐ仲良しになったのは言うまでもありません。 ハナちゃんは、私がたまに有給休暇で休んでると、駅からゆるやかな坂道をのぼってくる通勤者の一群の中に私の姿がないのを気にして、一生懸命探すんだそうです。で、行き過ぎてしまった一行をしばらく見送った後、また駅の方向に身体の向きをかえて、もしや遅れてくるのかも?とばかりに、微動だせず見つめていたその後ろ頭が印象的だったと、同僚にを聞かされ、ますますハナちゃんに愛着を持ちました。 仕事は5年で転勤になるのですが、次の勤務地でもまたその次の勤務地でも、新しい職場の仲間の名前を覚えるより先に、ワンちゃんたちと懇意になっていた私です。 ハナちゃんとは、転勤してだいぶ経った頃、たまたま前の職場に出向いた折、4年ぶりくらいに再会しました。覚えててくれたようで、思いっきりじゃれつかれ、もう嬉しさの極致。 こんなワンちゃん好きの私だから、今はハムスターマニアでも、ワンちゃん自慢の皆さんのことをとても身近に感じているのです。-----------------------<追加> 1981年~1982年当時のワンちゃんたちの写真。ジミーちゃんの飼い主、酒屋さんの坊やは、ムムさんちのみみご君に似てました。みみごちゃん写真を見た時、懐かしい気分になったワケが、今、判明。古い言い方だけど、俗にいう「甘いマスク」の少年でした。(^o^)本人の許可、得ようがないので、坊やの写真をUPできないのが残念です。 当時22~23歳のろぼろは社会人1年生。緊張の日々にくたびれてコンタクトレンズをあまり入れてませんでした。牛乳瓶底メガネが笑えます。今ももちろん牛乳瓶底に磨きがかかり、顔のふちとメガネの中との落差は凄いです。
2002.07.26
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★目覚ましハムスター★ 朝が弱い私は、時々寝坊して夫に起こされるのですが、これが悲喜劇の元。というのは、ペットのハムスターを私の頭に乗せて起こすのが、夫の新手イタズラとなったからです。ハムちゃんは私の頭からゴソゴソ降りてきてこめかみから目尻あたりを、その細い爪で踏みしめながら通過します。 ひえーー、目尻にカラスの足跡いやハムスターの足跡ができちゃう!もう手遅れです。しっかりみみず腫れが刻みつけられた顔は、ひょうきんそのもの。洗面所で鏡を見ては吹き出してしまいます。 困ったもんだと思いつつも、可愛いハムちゃんのことだから、ヘラヘラするのみ。 目覚まし効果があるのは、小型のジャンガリアンやロボロフスキーじゃダメ。やっぱり、ずっしり重いゴールデンハムスターでなくっちゃね。しっかり目が覚めますよ。お試しあれ。★お掃除お助けハムスター★ もう何年も前のことです。電子レンジからお皿を取り出す際、手が滑ってチャーハンを床にぶちまけてしまいました。雑巾で大まかにつかみ取る作業を、やれやれと思いながら始めた時、夫がハムスターを連れて来て床にチョコンと置きました。 ハムちゃんにちょっとでも食べてもらうと掃除が早くすむだろうとのありがたーーい(^_^;)協力です。チャーハンには玉葱も少し刻みこんであったから、ダメーーと、食べ始めてるハムちゃんを掴みあげた私。火が通ってる玉葱なら少しはいいって説もあるけど、どうなんだろ?結局、ご飯3~4粒分くらいを、ハムちゃんに協力してもらいました。 そういう協力も面白いから嬉しいけど、ちゃんと手伝ってよね、旦那さま。ジロリ ぶちまけなかった方のチャーハンは夫のお腹におさまり、私は、別のものを食べる夕飯になってしまいました。トホホ 熱くなる食器を取り出す時は、くれぐれもご用心!☆☆生活にとても役立つハムスター、あなたのご家庭でもいかがですか?☆☆
2002.07.25
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今日は、笑えるお話じゃなくてごめんなさい。(^o^) --------------------------- 私は、昔から、読書は推理小説一辺倒、テレビドラマだってサスペンス大好き。実話を元にした話や、監察医の手記的なものなら、現実との接点を感じるのですが、他は、創作と割り切り、気楽に楽しんでいました。 でも、最近、ふと、心配になるんです。フィクションなら、冤罪に熱心な弁護士や、有能な刑事・検事や探偵、好奇心いっぱいの登場人物が大活躍して真犯人を見つけ出しますが、現実の世界、そのような人、いるのぉ? もし、いたとしても、ドラマのように都合よくはいかないだろうし、そのような救世主と巡り会う機会が得られなかったらそれまで。 ごく平凡な日常生活を営む主婦の私や家族でも、事件に巻き込まれて疑われることがないとは限らない!で、ドラマのように助けてくれる人がいなかったら…。ゾゾゾゾゾ 作為的に陥れられることはなくても、今の世の中、何が起こっても不思議じゃないですもんね、被害者となって殺されちゃうのはもちろんイヤだけど、冤罪のまま服役して生きていくなんてイヤ過ぎる。この前も火曜サスペンスの再放送で、冤罪のまま服役し出所した女性の話を見ました。(霞夕子シリーズです。) あーー、こわいよぉぉ!と、おびえつつ、相変わらず、サスペンスにチャンネルを合わせてる私です。 ---------------------------- 警察関係者さん、ごめんなさい。別に、捜査能力を疑ってるんじゃなくて、推理小説とかドラマみたいなことが起こったらという、あくまでも架空のおびえです。(^_^;)
2002.07.24
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ハムスターたちへの溺愛合戦を毎日繰り広げているノーキッズ夫婦らしい画期的なお遊びを紹介します。 ご存じのように、ハムスターのかわいらしさの一つはあの頬袋。食べ物をどんどん詰め込んでコブラ顔になるさまは、迫力ですよね。 最近「頬袋ごっこ」という遊びを始めました。まず、夫が、平べったいお菓子(ビスケットやクラッカー)をそのまま頬張り、コブラになったところで、ホッペごしにこれを割ります。そう、私が思いっきり夫のホッペをつねるのです。薄いお菓子ならすぐパリンと割れますが、厚みのあるものはホッペが真っ赤になるまでつねってもびくともしません。 ふっふっふっふ、この時とばかりに…。夫も「痛い痛い!」と言いつつヘラヘラ笑ってるし、ほんとに、いい遊びでしょ。 私の番では、卑怯にも、すぐ割れそうな薄いお煎餅専門。ほほほほ。柔肌のハンディーよ。(^o^) え、私たち?はい、同い年夫婦の合計年齢90歳です。皆さんも、童心にかえって、この遊びに興じてみませんか?(どこが童心やぁ?:みんな) *お手本となるコブラ顔のハムスター(2代目ガン子)
2002.07.23
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ちょっと前まで、アロマテラピーに凝ってました。エッセンシャルオイルの小瓶たちから、気分に合った香りを選ぶのを楽しみにするってな、私にしてはガラにもない趣味?今日は、その頃の爆笑事件をば・・・。 すっきりしたウッディー調も好きですが、一番気に入ったのはオレンジから採られた「ネロリ」でした。精油の中でも高価なものですが、それだけの値うちは十分!甘い芳香は、癒し効果抜群に思えました。 ところが、夫はこの香りに難色を示します。「なんでぇ?柑橘系は好きって言うてたやん!」と詰め寄ると、「アゲハチョウの幼虫のにおいダ。」と。 私は大仰天!「何で虫のにおいを知ってるん?」と尋ねたところ、子供の頃、青虫をつっついて遊んだ時、幼虫が怒って角を出し、このにおいがしてきたとのこと。都会育ちで、いたって虫が苦手な私にとっては、まさに驚きの世界です。 爆笑爆笑、笑い過ぎて毎度のごとく腹筋が鍛えられました。お気に入りの香りが虫のニオイだなんて言われたものの、思いもよらぬ夫の持つ世界の面白さに、ネロリへの愛着は、より深まりました。 「青虫をいじめたりするから、バチが当たって、こんないい香り楽しめないんよ!」と夫をいじめたことを付け加えておきます。PS この「おちゃらけ大好き!」のURLをご覧下さい。 「http://plaza.rakuten.co.jp/」の後は・・・? そして、友人の愛犬、ハムスターを頭に乗っけたワンちゃんの名前も偶然***。(^o^)
2002.07.22
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21歳の頃、私は、保健婦学生だった。看護学校卒業後の進学で、1年で修了する。たった1年で、多岐にわたる公衆衛生の分野を学習せねばならないから、カリキュラムは殺人的だった。 普通の授業、保健所実習、学校実習(保健室の先生になる一級資格も取得できるんです)、グループでの共同研究、個人の卒論。試験試験試験、そして国家試験。今考えると、よぉ耐えられたもんだと感心。 ちょうど今のような7月半ば、気の遠くなるほど暑い教室で受けた授業は、眠気との戦いだったが、それでも、ちょっとした先生の冗談に笑い興じ、腹筋を痛め、体力のない私は乏しい体力をそんなことで消耗しては疲れ果てていた。とにかくカリキュラムが過激だったため夏休みは8月からしかない。暑い暑い暑い。 グループ研究は5~6人で一つのテーマに取り組む。私は、腎疾患の患者さんが受ける人工透析を研究するグループに属していた。7月下旬の暑さと絶え間ない課題とで、もうふらふら。そんな折、人工透析患者会の代表者に会うため、グループ員の一人Nさんと一緒にバスに乗って出かけることになった。 大人になってから車酔いすることは滅多になくなっていたが、連日の暑さと過労で、見事にバスに酔ってしまい、このままでは、吐いてしまう・・という危機に見舞われた。 あねご肌のNさんは心配していたわってくれるが、どういたわられても、バスに乗り続けてる限り、気分はよくならない。 私は、Nさんに頼んだ。「何か車酔いの気がまぎれるような面白い話をして!」と。気を紛らわせるのがこの場合一番の良策だと判断したわけだ。 お笑い芸人でもないきまじめなNさんは、いきなりそんなことを言われても困るだけ。でも、優しいNさんは、彼女なりに必死になって「おもろい話」をしてくれた。 ものすごく笑えるほど面白い話はなかったが、それなりに楽しい話ばかりで、かなり気分は回復し、無事に目的地に着くことができた。ありがとうNさん、ご恩は一生忘れません。 そして、患者会代表の方に色々お話を伺い、無事に帰宅の途についた。 が、帰り際に、私は見た!Nさんの目の下に、出かける前にはなかったはずの大きなクマがクッキリできているのを!21歳のうら若き乙女の目の下にクマ!? あああ、私のために必死になって「おもろい話」をしてくれた為、Nさんはすっかり疲れてしまったのだ。もう、申し訳なくて、以後、Nさんには頭があがらなかった。 その後も似たようなことはあった。お笑いネタ依存症の私と一緒にいる人は、みな、このような不幸に見舞われるのかもしれない。 おちゃらけに付き合ってくれないと不機嫌になる私のせいで、そういや、夫も最近目の下にクマが・・・。(^_^;) ここでろぼろと遊んでくださってる皆さん、危険だと思ったらどうぞ、遠慮なく避難してくださいね。(^o^)
2002.07.21
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ここのところ、長文でがんばりすぎたので、今日は、こんなのを載せてみることで「ろぼろの独り言」にかえることにします。 実家の文房具入れのカゴに残ってました。何年か前に、夫が、チラシの裏にササっと描いてくれた私の似顔絵です。チラシの表の印刷文字が透けてるので、汚れみたいに見えます。(^_^;) マンガちっくにデフォルメするとこんな感じなんだそうです。似てるのかなぁ? でも、私は気に入ってます。(^o^) さて、3泊した実家から、いよいよ帰宅。明日の日記は、自宅からカキコしまーす。
2002.07.20
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実家の本棚にも、コミックスや推理小説がたくさん並んでいる。実家に滞在するたび、懐かしい作品を読み返すのが楽しみ。何しろ、実家建て替えの際、ぎりぎりまで迷って、結局処分しきれなかったものばかりだから、思い入れの深さは相当なもの。 今日も今日とて、何を読み返そうか本棚を物色中、ふと、1冊のアルバムに手が伸びてしまった。アルバムを開いた途端、あのどんちゃん騒ぎの狂乱の日のことが、まるで、昨日のことのように甦ってきた。 1991年5月5日。それは、パソコン通信の愛すべきおちゃらけ仲間たちが、NET婚が決まった私たちのために祝賀パーティーを開いてくれた日。数人の幹事さんたちが、時間と手間をたっぷりかけて企画してくれたパーティーには、地元関西のメンバーのみならず、東京など遠方からの参加者もいて、大いに盛り上がった。それぞれに芸を披露してくれたりビンゴゲームに興じたり、30余名からの祝福を、一身に受け、照れている暇もないほどの感激。 中でも感動的だったのは、幹事たちが、工夫をこらして、あるものを作って用意してくれたこと。 それは、かのロケット人間たちが頭から出しているツノ、いや、2本のアンテナであった。 ろぼろがマグマ大使夫人の名をもらって「モル」というハンドルを使用していた(今も使用している)ことは、数日前の日記に書かせてもらった。「マグマ大使」が大好きな私のために、こんなにも手間ひまかけて作ってくれたのか・・・。(うれし涙) そのマグマ大使夫妻扮装用のツノアンテナは、市販のカチューシャを加工して丁寧に作られていた。難しかったと思う。長いアンテナなので、不安定になるのを、何とか結わえ付けて立派に仕上がっていた。 それを二人は頭につけ、拍手うずまく中、入場した。くす玉が割られクラッカーが鳴り、マグマ夫妻の頭のツノにも紙テープが引っかかる。一斉にフラッシュがたかれ、もう、何が何だかわからない舞い上がりよう。 こんな変な宴会が5月5日に開かれるとの噂を、企画段階の内部告発(?)で知って、Y新聞の記者さんが取材に来ていた。記者さんもカメラマンさんも、想像をこえたランチキ騒ぎにただあきれはて、どうしたものかとうろたえているのが目の隅にうつっていた。「いろいろなゴールデンウィークの過ごし方」に関するコラムを担当しておられたのだ。 後になって記者さんに聞いたところ、企画進行の流れが早く、アッという間のどんちゃん騒ぎ。飲食が始まり酔いで座が乱れ、介入するタイミングを失ったとのこと。気の毒なことだ。「新聞報道なんか信用できん、記者なんか大嫌いっ!」と、からんだメンバーもいたとかいなかったとか?(^_^;) それでも、プロの仕事。マグマ大使夫妻に扮した私たちが入場するシーンの写真が添えられ、それなりにうまくまとめられた記事を目にしたのは翌朝だった。個人的なつきあい期間がほとんどなくいきなり婚約したのが3月下旬。親戚にも友人にもまだ知らせてなかった。が、その新聞記事で、一気に皆の知るところとなった。同じ職場の人にはすでに報告していたが、外部の仕事関係の人は「あれは**さんでしょ?」との問いあわせが殺到。もちろん、親戚にもばれた。Y新聞の購読者がこんなに多いことを実感したのは、あの時が最初で最後だった。 無事、パーティーが終了した後も幹事さんたちの仕事は終わらない。複数の人たちが撮った写真のフィルムをあずかって、写真集におさめるものを選別・検討するのだ。多忙な社会人男性たちが再々集まってはこの作業を進めてくれていた。写真それぞれに、おもしろいコメントも印字されている。こうして、できあがった写真集。パーティー参加者や、参加できなかったが見たいという人には、実費徴収で配られた。写真集に残る懐かしいメンバーの顔から、その声が聞こえてきそうだ。 久々に手にしたこのアルバムをめくりながら、もう11年も経ってしまったのか・・・。10月に挙げた結婚式も印象的ではあったが、この婚約パーティーのドガチャガした面白さには到底かなうまいと、しみじみ思い出にひたった。 今日は、このマグマ扮装の夫とろぼろの姿を、ここで公開しちゃう。当時34歳の二人のこの姿で、ぜひ、一緒に笑ってほしい。(^o^)これは写真集の最初の1枚。あえて、モノクロに加工ネ。(^_^;)
2002.07.19
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今日はかるーーく行ってみよーーっと。 昨日(7/17)は、朝からずっと、嬉しいことラッキーなことが続いた。ラッキーその1 前の晩、夫が夜遅くにビールを飲みながらポテトチップスをバリバリ。夫は何度目かのダイエット中。「何度目か」ということは、挫折しては気をとりなおしてまた始めるの繰り返しを示す言葉。今回はなかなかうまくいってるよう。壁にはりつけたグラフ用紙はほんの少しだが下向き傾向にある。 だから、食うなーーー!と止めた。が、あれは、食べ出すとやめるのが難しいことを、私もよく知っている。結局、夫はたくさん食べてしまった。 そして、朝の体重測定。案の定、せっかく減っていた体重がほとんど戻ってしまっている。そこで私は「ほらごらんなさい。夜中に食べるからよ。反省した?反省なさい!反省猿しなさい!」とまくしたてた。 すると夫は、即座に「反省猿」をした。あんなに素直な夫を見るのは珍しい。なかなかカワイイ奴よのぉ・・・とほくそえんだ。無責任にも、私は、数年前に流行ったあの「反省猿」のポーズをよく覚えてなかった。間髪入れず「反省猿」した夫は、あのCMの猿のポーズと寸分違わず、私は無事思い出すことができ、何てラッキーなんだろうと嬉しくなった。 おまけに、夫のダイエットにつきあっていた私は、すでに目標に達した。おぉ、Gパンがゆるい。ラッキーその2 大阪への移動で、乗り換えのタイミングがよく、3時間かかることもある里帰りの旅が、2時間半ですんだ。ラッキーチャチャチャ!ラッキーその3 半年ほど前から実家近くの美容院を、その安さに惹かれて利用している。安い割に、希望通りに仕上げてくれるので満足。予約制ではないので、覗いてみて待ち客が少ない時なら入っていた。今日は、待ち客ゼロ!ラッキー!しかも、ローテイションが、幸運にも、一番お気に入りの美容師さんだ。 その美容師さんの前のお客はすでに最後の仕上げにかかっていたので、5分も待たずに呼ばれた。それから2~3分後、お客が3人立て続けに入ってきた。おぉ、危なかった、あとちょっと遅かったら、この人たちの後になってたんだ。こりゃ、ラッキー天国やんか!ラッキーその4 夜も更け、老母の話し相手を終え、2階の実家自室に引きこもる。もちろん、インターネットだ!「おちゃらけ大好き!」の我がホムペを見、お気に入りに登録のみなさんのところを見て回る!な、なんと! れみさんホムペの「777」を私がゲットしたとのこと!栄光の「777」、ふっふっふ、もらったゼ。れみさん、ありがとぉぉ。ついこの間もルゥママさんに「9000」をいただいたばかり。(^o^) あああああ、ほんとに、昨日はいい日だった。今日は、友人とランチする。このラッキーの余韻で、きっと、楽しいひとときが過ごせるだろう。
2002.07.18
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あれは3年前の6月、駅前の開発工事で交番が移転になり、新しく可愛いデザインの交番がオープンしたばかりの頃だった。 昨日、ケイさんのホームページの日記で「可愛い交番」のことを書かれた箇所があるのに目を止めた。全国的に、交番建て替えの折には、可愛らしいソフトなデザインにしてるのだろうか?ケイさんは「可愛らしい交番に不似合いなガッシリしたお巡りさん」を目撃されたそうだ。 そう、あの時の私も、こんな遊園地のおとぎの国っぽい交番に、どんなお巡りさんがいるのか気になって仕方なかった。本屋に向かう途中、少し遠回りして交番を覗いてみようと思いたった。やや早足で交番に駆け寄り覗きこんだが誰もいない。大きな時計がかかっていたので、時刻を確認しようと目をこらしたその時、悲劇は起こった。交番の扉前にほんの少しだけ段差もといえないほどの段差があった。それにつまづいて、ペッターーンと、伸びたカエルのように転倒したのだ。あれほど地面との接触面積の広い見事な転び方もあるのか?と我ながら感心するほどだった。 勢いはついていなかったので、手や膝への衝撃はさほどでもない。しかし、いつも出かける際につけているウエストポーチが、接触面積の広い転び方ゆえ、もろに右腹部を強打したのだ。いや、お腹であればまだよかった。ちょうど、一番下の右側肋骨とお腹の隙間にめりこむような形のパンチだった。 激痛でしばらく息もできなかった。しかし、早く起きあがらねば、あまりにもみっともない。必死に痛みをこらえて起きあがった。掌は大丈夫だったが、肘は浅くすりむけていた。ページュのコットンパンツは、砂埃の筋で広範囲に汚れていた。手で払った程度では落ちない。洗いたてなのに・・・と悔しかったが、それどころではない。とにかく、肋骨が痛い。右腹に手を押し当て前のめりの姿勢のまま周囲を見渡した。この無様な姿を目撃した人はどれくらいいるんだろう? 梅雨の晴れ間の午後2時50分、駅前の交番、そこから360度見渡せる範囲には、何と、人の姿は全くみとめられなかったのだ。そういえば、駅まで徒歩2分のマンションからここに至る道でも、誰一人遭遇することはなかった。交番は奥に人がいるのであろうが、すぐ前の扉の内側は無人。 のびたカエルを演じた私を見た人間は誰もいなかったようだ。それは幸いなこと。しかし、電車発着時間の合間だったにせよ、ここまで静かでいいのか?ここは、一応、急行も止まる市の表玄関駅前だろうが!白日夢を見ているような気分だ。人の往来が途絶える偶然のスポットだったのか?松本清張氏の「点と線」のトリックで使われたあの奇跡のような時間の隙間を連想した。奇跡の時間スポットに、一人で転んで一人で起きあがり一人であたりを見回していたのか!?広々した駅前スペースは静まりかえっている。 本屋に行くのは諦め、マンションに戻った。コットンパンツを洗濯機に放り込み、足の負傷を確認。膝はやはり少しすりむけ腫れていた。明日には青々した痣がおめみえするだろう。 さて、どうしたものか。肋骨の検証にかかった。人差し指で肋骨をはじいてみても放散痛はない。骨折していたら、この程度の痛みではすまないだろう。呼吸のたび、ひどく痛むほどではないし、イテテと言いながらも身体を動かすことに支障はない。医者には行かず、自然治癒させることにしよう。それから10日間ほどは、寝ている姿勢から起きあがる時のみ悶絶したが、一旦起きてしまえば、しめたもの。そして、1ヶ月後には、再び、交番を覗きに行こうという気力が蘇った。 可愛いデザインの交番には、相変わらず、誰もいなかった。駅前には、人々が往来している。真夏の日差しのまばゆさが邪魔をして、あまり遠くまで見渡せない。まだわずかに痛む肋骨を手で押さえながら、あの不思議な空間に思いを馳せた。 3年後の今も、まだ、交番のお巡りさんを確認していない。
2002.07.17
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私の住む地域では、子供のころ、最も暑い時期でもせいぜい最高気温は33度くらいだった。9月半ばには過ごしやすい秋が来た。4月の桜シーズンでもまだ冷え込むことが多かった。でもでも、どんどん、夏の訪れは早くなり3月上旬でさえ暑い日がある。そして、11月になってもまだ暑い。 昨年の11月、信号待ちで自転車を止めていると、降り注ぐ太陽光線がジリジリと痛いほどだった。うんざりした。11月っちゅうからもう晩秋やで!と汗ばみながらため息をついた。これでは、1年の半分以上が夏?真夏に連日猛暑なのは仕方ない。だらだらといつまでも暑いのがこたえる。 物心ついた頃から、夏は苦手だった。暑い時期だけ夏眠していられたらどんなにいいだろうと、考えていた。 こんな気候になってきて思い起こすのは、いつも、大昔に見た「マグマ大使」のこと。地球侵略の野望に燃えたゴア様は次々に怪獣を送り込む。単に暴れて破戒活動するだけでなく、いろいろな武器を持っている。怪獣がひと吠えすると音波は全て吸い取られ世界中から音が消滅、大混乱!という話があった。宇宙のカビが見る見る人間を骨だけに溶かしてしまう話もあった。 そして、溶岩を操って、猛暑をもたらす怪獣もいた。夏が終わらないのだ。若き日の岡田真澄氏演じるまもる君のパパが、10月になっても半袖のアロハシャツのようなものを着ていたシーンが印象に残っている。いつまでこの暑さが続くのかと、江木俊夫氏扮するまもる少年も眉間にしわをよせていた。 この特撮ドラマでは、マグマ大使一家の働きで、怪獣は退治され、無事に夏は終わった。 ツクリゴトやからよさそうなもんやけど、実際こんなことあったら、かなんわ。10月まで暑いやなんて、たまらんで・・・・と、幾度もの再放送観賞でこの回を見るたびに感じていた。 しかし、あれから30年後、現実のものとなってきている。 誰が怪獣を送り込んだ?誰も送り込んでいない?文明の功罪?鬼籍に入って久しい原作者の手塚治虫先生に尋ねるわけにもいかない。 とにかく、誰も、マグマ一家を呼び出す笛を持っていない。
2002.07.16
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最近では、皇室の愛子さまご誕生の前日だった。いよいよ出産が近いということで、宮内庁病院に移られると臨時ニュースが入り、放送中の番組は中断したあの夜のこと。報道陣がつめかけ、車で移動中の皇太子さまご夫妻のお姿が、どの局からも一斉に流れた。 雅子さまは、車の窓をわざわざ開け、にこやかなお顔で報道陣のカメラに応じておられた。車が通過するわずか数秒のそのシーンが繰り返し繰り返し流れた。 ふと、私はあることに気づき、そのシーンのたびに身をよじって笑った。ちょうど、その夜は夫が出張で不在だった。まさしく、真夜中に一人で呼吸困難になるほど笑い狂っていたのだ。 雅子さまの前の座席にいらしたSPさん(ボディーガードさん)が、私の呼吸を止めようとしていたのだ。 その男性は、眉は8時20分、そして、優しげなやや下がり気味の目。口元も柔らかな風情で口角が上がっていて、そりゃー、柔和で穏やかな、まさしく癒し系。最初は、ほぉぉ、皇室のイメージからして、いかにも警護してます!と言わんばかりのいかつい感じのSPさんは使わないんだな、きっと、柔和な容貌の人が採用されるんだろう・・・そういえば、ご成婚パレードの時も比較的癒し系顔のSPさんだったと、勝手に感心する程度だった。 しかし、しかしだ!その男性は柔和なお顔に不釣り合いなほど、黒目だけは油断なくゆっくり右から左、左から右へと動いていた。顔はまっすぐ前を向いたまま、見事に目だけが油断なくリズミカルに左右を見渡していた。こわくなるほど冷徹な輝きを秘めている。好々爺のような笑みをたたえた優しげなお顔、下がり気味の穏和な目元の中に、あの黒目の動き、命がけの職務を全うせんとするその真摯なまなざしは、あまりにもギャップが大きい。私の笑い袋はものの見事にはじけてしまった。あれが、強面(こわもて)のSPさんだったなら何とも感じなかっただろう。 TVがついてる限り、とめどなくそのシーンは繰り返される。見ないようにしようとしても、雅子さまがアップになるたび、SPさんも大写しになる。素敵な雅子さまを見たくて、どうしてもTVが消せない。(^_^;) 真剣に職務についておられるSPさんには失礼だとわかっていても、あまりにも私の笑いのツボをとらえてしまったのだから、許してほしい。窓をあけて報道陣サービスをしてくださった雅子さまとともに、SPさんにも十分な敬意を表している。 笑いは、意外性の産物だ!と聞いたことがある。ガクッとなるあの感じ。まさしくその意外性の効果を、あの夜の息たえだえ爆笑の中で感じた。 無事に元気な赤ちゃん誕生の背景には、医療スタッフ以外にも、大勢の人たちの努力尽力があったことを、ひしひしと感じ、その労をねぎらいたいと、改めて思う。 ------------------------------- こんな失礼なこと書いて、捕まらないかなぁ?何せ恐れ多くも皇室に関係あることだから。もし、危ないよ!と思われた方、私書箱に連絡下さい。すぐ削除します。(^_^;)
2002.07.15
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双子の子供さんに関係ある方がこのホムペ開設以来、二人いらっしゃいました。ちぇりーちびさんの姪ごさんと、薔薇色の日々さんの坊やたち。それで、以前から気になっていたある疑問がまたもや頭をもたげてきました。 しょーもない疑問かもしれませんが、私は、こういうたぐいのこと、どこまでアバウトでいいものなのか、いや、厳密なものなのかが判断できないのです。(^o^) その疑問というのは・・・。 双子以上の多胎の自然分娩の場合、最初の赤ちゃんが生まれてから次の赤ちゃんが外界に出てくるまで、数分かかると思うんですが、それがちょうど日の変わり目(夜中の0時)をはさんでいた場合、誕生日は違ってくるんでしょうか?これが4月1日と2日の変わり目だったら、学年も違ってくるのでは?と考えたら、気になって気になって・・・。(^_^;) もしかしたら、最初の赤ちゃんか最後の赤ちゃんが出てきた時点で全員それにあわせるのかも?そういうことに対するきちんとした取り決め(法的な)はあるのでしょうか? こんな疑問もつなんて、愚問かなぁ? 産婦人科・小児科のお医者さんにかかってる妊婦さんか乳幼児をお持ちの方、もし、こんな愚問をお医者様や看護師さんたちに質問する勇気があれば、ぜひ、尋ねてみてください。そして、ろぼろに教えてください。(^_^;) 現役保健婦(今は、保健師)時代に、多胎のお子さんの母子手帳を、ちゃんとチェックしとけばよかったと、引退して11年も経ってから後悔してます。(^o^)
2002.07.14
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リビングのエアコンが故障した。11年前、結婚の際、夫の上司から貰い受けた年代物のエアコンで、今なら当たり前のリモコンがついていない。パワーがあり、広くても結構よく冷えていた。 すぐにでも、修理もしくは買い換えを検討すべきだろうが、隣接した部屋(寝室)のエアコンから流れてくる冷気で当分過ごそうということになった。 去年まではこの逆だった。寝室のエアコンはほとんど使用せず、間の襖を開けたままにしてリビングからのおこぼれ冷気を寝室にもらっていた。理由は、ハムスター。 リビングにはハムたちのケージを積み重ねているコーナーがある。ハムたちは、結構、暑さ寒さに弱い。夜中、ハムたちだけで人間はいなくなるリビングのエアコンは熱心に作動を続け、隣の部屋では、物足りない冷気で人間たちが耐えていた。両方作動させると電気代がコワイから・・・。 しかし、威力のやや弱い寝室エアコンからの冷気で、これからますます暑くなるのに、リビングのハムたちは大丈夫だろうか? 故障エアコン対策は、ハムたち中心で考えることになりそうだ。
2002.07.13
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タレント、俳優、歌手、などの芸能人の中で「ゴロウ」といえば誰を一番に思い浮かべる? と、夫に問いかけてみました。同い年夫婦なので、育ってきた時代の文化背景は共通のはず。カラオケに行くと夫が好んで歌うのはあのゴロウさんだから、きっと・・・。 予想は的中。やはり、夫にとっての「ゴロウ」は歌手の野口五郎氏でした。(「私鉄沿線」好きぃぃ!「カックラキン」の刑事もよかった!) でも、私は、野口氏は2番目なんです。最初に浮かぶのは、漫才の「コメディーNo.1」前田五郎氏!はぁぁ、土曜バチョン(ラジオ大阪)の印象が強すぎたせいでしょう。(^_^;) で、若い人ならたぶんスマップの稲垣氏なんだろうね・・・と、その考えは、夫と私、一致してました。 じゃ、「シロウ」なら?と、これから夫に質問してみます。予想は、伊東家の食卓のお父さんかな?私は、岸部氏です。(^o^)
2002.07.12
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関西だけの放送だったと思うのですが、17~18年くらい前、笑福亭鶴瓶さんの番組を毎週楽しみに見てました。ご覧になってた方もきっといらっしゃるでしょうね。 いろんなコーナーがあり、どれもおもしろかったのですが、中でも最高だったのは「テレビにらめっこ」。スタジオの見学者というか参加者は、鶴瓶さんの読む視聴者からのお笑いネタのハガキに、どこまで笑わずに抵抗できるか・・・って内容で、笑ったら退場になります。 指摘マンがいて、あの人が笑った!と指摘し、退場の時は筋肉むきむきのマッチョマンが出てきて連れ去ります。うば車の刑がやたら恥ずかしくて退場者はジタバタ抵抗します。 そういうルールそのものも笑えたんですが、とにかく私がおかしかったのは、シーンとしずまりかえり照明を落としたスタジオ内で、わざと押し殺したような声の鶴瓶さんが「うつむかない、ちゃんと前をみる」と注意したり、「笑ったらマケ」とか言う最初のシーンでした。もう、そのコーナーが始まると、ハガキを読まれる前から身をよじって笑っていました。 毎回、私なら、最初に退場になるワ・・・と思ったものです。 「**県**市、だれそれさんからのはがき」の後のやや長めの間(ま)も、やたら笑いを誘発してくれました。ハガキの内容は何一つ覚えてないのですが、あの雰囲気は・・・。あ、いかん、今も思い出したら、笑いがぁぁぁ・・、ひーーーー、苦しいよぉ! あーー、明日も腹筋が痛むことでしょう。ちなみに、放送当時、私はすでに三十路ちょっと前だったと思います。スタジオ見学者は10代の女の子が多かったような。(^_^;) とにかく、笑いたくなったら、「とつガバ」を思い出す!これは気分が滅入った時の即効性ある特効薬なんです。
2002.07.11
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「モル」というハンドルネームは、15年前、パソコン通信を始めた頃、即座に決めました。化学っぽさで男性的イメージがあるのか、よく男性と間違われました。私より年下が圧倒的に多いNETでは、ムリもありません。アニメ版じゃなく実写だった方の「マグマ大使」を知ってる人なんて、やっぱり同年代じゃないと・・・。だから、同年代の方は、割と最初から女だと思ってくれてました。はい、マグマ大使夫人の名前が「モル」なんですよ。 当時は独身だったのに「夫人」の名前を貰ったワケですが、考えてみれば「エースをねらえ!」の竜崎麗香さんのニックネームは、連載開始当時高校2年で「お蝶夫人」ですから、完全に負けてます。(^o^) 小学校6年生の時の本放送は見なかったのですが、中学から高校時代は、再放送がしょっちゅうあって、そのたびに熱心に見ていた「マグマ大使」。もう、完全に虜になってました。家庭用ビデオが普及するには、まだ7~8年待たねばならなかった時代、修学旅行に行きたくなくて落ち込んだものです。もちろん、再放送が見られないから・・・。(^_^;) それほど熱心だったのに、肝心の「モル」役の女優さんのことなんか、ちっとも知らずにいて、パソ通仲間から教えてもらったことが・・・。あ、教えてもらったのに、ほら、やっぱりもう忘れてるわ、女優さんの名前。 ですが、今でも、登場した怪獣の名前は、全部ソラで言えます。ラストはもちろん、ゴアさまが怪獣化したゴアゴンゴンで、武器は絶対零度でした。(^o^)
2002.07.10
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楽天市場のお店、数軒からよくお買い物してます。共同購入で安く買えるのが気にいっているのです。最初、楽天に登録する時、のちのちホームページをオープンするなんてこと予想もしてなかったので、適当に決めてしまったんです。 パソコン通信を始めてすぐから15年間使ってきたハンドルネームは、「モル」です。楽天登録では、すでに同名の登録者がいるのであえなく沈没。「モルモル」でもダメだったので、諦めてしまいました。ハムスターの名前を次々に入力したのですが、ダメ。すでに、登録者がいらっしゃいます。「メイ又はめい」「あ~る又はあーる又はアール」「タロ」もだめ。 じゃ、ハムスターの種類ならどうだ!ニックネームに使えそうなのは、「ロボロフスキー」からとった「ろぼろ」くらいしか思いつかず、かなり変わっていたおかげで、すんなり楽天さんに受け入れてもらえました。 モルが使えなかったのは残念ですが、今となっては、「ろぼろ」ってボーイッシュで、ちょっと茶目っ気があるので、気に入ってます、「ろぼろふ」だと、何か堅苦しいし、「ろぼ」だと、たぶん既登録者があったでしょう。中間をとってよかたぁぁ。(^o^)
2002.07.09
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おとうさん=おとっつぁん、おとうおかあさん=おっかさん、おっかぁ 時代劇などで使われる父母のくだけた呼び方ですが、小さな「つ」でつまる場所や語尾が違うのがおもしろいと思いませんか?やはり「おっとさん、おっとぅ」じゃ変だし「おかっつぁん、おかぁ」でも前者は舌を噛みそう。促音便と関係あるのかしら? そういえば、醤油を丁寧に「お」付けで言う時、「おしょうゆ」とも言いますが、関西弁だと、どういうワケか「おしょゆぅ」になります。「ゆ」にアクセントね。(^o^) あーー、言葉っておもしろいですわ
2002.07.08
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荷物が重いと、体力のない私はすごく消耗しちゃうので、実家から自宅に向けて宅配便でかさばるものや重いものを送りつけることが多いです。今回、リュックにつめて運んだMOドライブやいろんなソフトも、自宅に戻るのは宅配便。 自宅から実家の片道は座席にありつける可能性大だから、少々重くても耐えられるのですが、帰りはダメ。行きはよいよい帰りはコワイ・・・ですね。それに大阪滞在中は、いろんな予定がギッシリで、疲れまくってるのも原因。 うふふ、それに、宅配便頼みだと、実家からあれやこれや貰っていけるから嬉しい!おまけに、宅配便料金は実家母の財布から出ちゃいます。(^_^;) さてと、実家の自室を片づけて、帰り支度だーい。早く帰って、ハムちゃんたちに会いたい!4日会わなかったら寂しいよん。え、夫ちゃまには会わなくても平気ってか?だって、夫ちゃまならメールとかで連絡つくけど、ハムちゃんは電話もメールも無理ですもの。ホホホ。 では、明日の日記は、自宅パソコンから・・・。
2002.07.07
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こんな暑い時期にカイロの話題で申し訳ないのですが、かねてより気になっていたことがあるので、ここで、また質問しちゃいます。 中曽根氏が首相だった頃のこと。寒い時期、中曽根(当時)総理が側近を引き連れてぞろぞろ歩いてた時、総理の体から何かポトリと落ちた。何とそれは、携帯カイロ(ホカロンとかホッカイロとかの名で売られている使いきりカイロ)だった。大まじめな顔をした政治家さんたちの一群の中で起こった出来事かと思うと、笑えて笑えて、その時の腹筋損傷は重傷だったものです。 何でその話を知ったのか(TVで誰かが行ってたのか、ラジオで聞いたのか?)覚えてないのですが、私の好きなタイプのお笑いネタだったため大爆笑し、母にも話し、母もゲラゲラ笑い、それ以来我が家では、あのタイプのカイロのことを「ナカソネさん」と言うようになったんです。あ、我が家といっても、母とまだ独身だった私の2人家族ですが。 あれからかなりの年数が流れてますが、今も寒い季節は「ちょっと、ナカソネさん、買ぉて(こぉて)きて!」と冷え性の母に頼まれることが多く、その都度、また、うひゃうひゃと笑ってしまいます。 でも、あれは、本当の話だったんでしょうか?誰かお笑いタレントさんが言った冗談を真に受けていただけなのかも?と、気になって仕方ありません。 どなたか、このエピソードのこと、ご存じありませんか? あの頃は、まだ、モミモミしたりフリフリして刺激を与えてから体にあててましたねぇ。それから、今でこそ粘着テープ付きが当たり前ですが、確か、あの当時はテープがついてなくて、はさんでいて落とすことが多かったと思います。だから、私は、事実だったと思いたいです。(^o^)
2002.07.06
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くたびれ果てて大阪の実家についたのはすっかり夕方になってからでした。実家パソコンの不具合をみてくれる電機屋のおじさんは、すぐに来てくだいました。さー、それからが大変! 結局、私のノートパソコンは、リカバリーされる運命にあったのです。つまり、工場出荷時状態、買いたての状態にまでもどし、すべての設定をやりなおすことになったワケです。大事なデータだけMOに写し、リカバリーソフトを動かしました。延々とファイルを読み込むこと約2時間。電機屋おじさんは、その間、一旦帰って夕食をすまし、私からの「おわりましたー」の電話で再びかけつけてくださいました。 まっさらの時の画面ってこんなんだったっけ?壁紙とか適当にかえてるうちに元々のはすっかり忘れてたんですよねぇ。周辺機器のデバイスドライバだのソフトインストールだの、インターネットにつなぐための設定だの、通りいっぺんでは進んでいきません。あちこちにトラブルが待ちかまえていて、悪戦苦闘!午後11時になってやっとつながりました。おじさん、夜おそくまでありとう! あとは、前のように使い勝手のいい環境に戻すべく、あちこちいじってたら、何と、急に、インターネットに入れない!という惨事に!「パスワード、ちゃんと確認しぃやぁ」ってな大阪弁ではないですが、エラーメッセージがつめたく表示されます。さっきまでと同じなんだから、IDもPWもあってるよぉぉん! 空が白々とあけてくる頃、何が悪かったのかよかったのか原因がわからないけど、設定をやりなおしていたら、またつながるようになりました。でも、何だか、とても不安定な動きでドキドキしちゃいます。 実家用パソコンを新しく買って、月に数日の滞在のためには贅沢だけど、フレッツISDNにもして、TAってなもの、理屈のわからないままとりつけて、2年前のあの当時は、初めて梱包解きから自力でやったんです。いつも、誰かに任せてたから、セットアップからするのは初めてでした。一度はやれたことなのに、こんなに手こずるなんて、う゛ーん、やっぱり、パソコンは難しいよぉぉん。TVコマーシャルのガッツ石松お父さんのいらだちがよくわかります。 2時間睡眠に耐えられるほど若くないろぼろは、これから、お昼寝させていただきます。どなたはんも、おやすみなさいませ。
2002.07.05
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月曜日に戻ってきたばかりなのに、また、片道3時間の旅をして大阪に行きます。 実家パソコンの調子がおかしいので、近所の電機屋さんにみてもらうためです。街の電機屋さんとはいえ、そこのご主人は個人的にパソコンマニア。仕事としてではなく、個人的にお願いするという形になります。 ということで、もし、実家パソコンが回復しなかったら、ここに来れなくなります。このHP、まだ1週間過ぎたばかりだけど、毎日、日記を書いてたのに、とぎれてしまうことになったら悔しいなー。(^_^;) 一昨年から昨年にかけて、実家の母が入院したため、自宅と実家の二重生活になりました。週を半分に分けて3~4日ずつ行ったり来たりで、ほんとあの時はくたびれました。親一人子一人の身の上、この先、老母の具合によっては、実家中心の生活になるかもしれません。 まー、あまり先のことは考えず、あるがままの生活に身をゆだねていこうと思ってます。生まれ育った賑やかな都会・実家のある大阪も大好きだけど、自宅のある静かな田舎町も、気に入ってますから。(^o^) さて、出かける支度をしなくっちすゃ。夫ちゃまの夕飯は電子レンジであたためればいいものを用意済み!ハムスターのエサの野菜も切ったし、あとは、身支度と片づけだな。 じゃ、今度は実家のパソコンから・・・。(たのむ、なおってくれ!)
2002.07.04
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30歳代後半以上の人なら、もしかして覚えてるかも?と期待しつつ、古いコマーシャルのことを、たびたび、尋ねてみます。 何を宣伝するCMだったのか?どころか、「あ、そういうのあったあった!」と同意してくれる人とも、まだ遭遇しません。 もし、覚えてる人がいらしたら教えてくださーーい。 20年~25年前だったと思います。50歳代だと思う素朴なおじさんがモノを指さして「ええなぁ、これ」と言うんです。指さしておじさんに羨ましがられる対象は色々バージョンがあって、新しいものが出るのが楽しみでした。私が覚えてるのは、道にとめられてるバイクに向かって指さしてるのと、女性に向かって指さしてるのです。 この人は、タレントさんじゃなく素人のおじさんで、当時、結構話題になり、「ええなぁおじさん」と呼ばれ、バラエティ番組などにゲスト出演されてました。一過性とはいえ、人気者でした。が、ノバおばさんと違って、別のCMに出たり、そのままタレント活動を続けたようなことはありませんでした。(ノバのおばさんも、今となっては、ちょっと昔?) 懐かしい昔の映画やドラマを紹介して、今は大御所になられた俳優さんの若々しい映像を見せてくれたりする「あの人は今」みたいな特番でも、懐かしCMコーナーに登場したことはないと思います。 何を宣伝してたのかわかる方、「あったあった、そういわれてみたらそういうのあったネ」と言う方、いらっしゃいましたら、ご一報下さいませ。別に知ってどうってことないんですが、思い出せないと何となくイライラしちゃうってことあるでしょ?(^o^) それから、こういうことを調べられるサイトをご存じの方、ぜひ、お教え下さい。
2002.07.03
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実は、私、最近まで吹き出物が絶えずに、ほとほと困ってました。若い頃は全くのニキビ知らず。28歳くらから下顎や鼻の周囲や額にボツボツ出るようになり、ひどくなった時には皮膚科にかかったり、いいというコスメを試したり、いろんな手段をこうじてきました。 社会人になって、お化粧をするようになったせいなのか、内臓やホルモンのせいなのか、精神的ストレスも関係あるのか、とにかく吹き出物は出続けました。結婚してお気楽専業主婦になってからも、よくなるどころか悪化傾向にありました。アダルトにきびってなもんじゃなくて、もはや、中高年にきびです。 肌理は細かい方で一見乾燥タイプ。吹き出物の出るような肌じゃないのに・・・と美容部員さんに首をかしげられることしきり。肌の細胞をとって顕微鏡で見てくれる肌診断では、水分は赤ちゃんなみに多く、脂分はかなり少ないという結果でした。これで何故ブツが出るのよぉぉ????痕が残らないタイプなのは不幸中の幸いでしたが。 そのうちトシをとって枯れてくれば治るだろう・・・と、諦めの心境になり、洗顔後に化粧水をはたくのすら面倒になって、やめてしまいました。洗い晒しの洗いっぱなしです。すると、今年になってかなり改善してきたんです。ほほぉ、四十路も折り返り点まで来たから、いよいよ枯れてきたんだな・・と喜んでいたのですが、おかしなことに、若い頃よりずっと脂っぽいんです。今も洗いっぱなしで何もつけず、たまにお化粧する時は、そのままパウダーをはたいてます。でも、全然、つっぱったり荒れたりしません。 20代の頃より脂性肌になった上で、吹き出物が改善。不思議です。今もまだ、1~2個、ちびこい吹き出物がお目見えすることはありますが、以前と比べたらカワイイもの。基礎化粧品代がほとんどゼロになって、何て経済的なの!(^o^) 「人間、諦めがかんじん」「諦めることも立派な対策」「何もしないことが一番効果的なこともある」と、まぁ、そういう教訓を得た次第です。さて、今度は、年齢的にシワとかシミとかが襲いかかってくるのかな?でも、もう、何もしないぞぉぉぉ!
2002.07.02
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大阪の実家から兵庫県自宅に戻る途中、大阪の中心地「梅田」を徘徊しました。阪急グランドビルの30階にある紀伊國屋書店のコミックス専門店で、なかなか見つからなかったコミックスが、いとも簡単に入手できました。さすがぁぁ!あーー、大きな本屋さんに不自由しない大阪に出戻りたいなぁ。(^_^;) 昔はよく大型のマンガ専門書店によく足を運んだものです。学生時代はお小遣いの範囲内ですが、社会人になってからは、万円単位の大人買いができて、あの頃は、ほんと、幸せでした。コミックス蔵書数が中学生から社会人になるまで9年くらいかけて細々とためた量を、社会人になってからは1年で上回り、後は増える一方。 結婚前に大半を処分しましたが、今になってどうしてもまた読みたいものは復刻コミックスなどで再購入してしまいます。勿体ないなー。 専業主婦のお小遣いは、こうしてまたマンガに投入されるのです。(^o^)
2002.07.01
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