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隣りのサイコさん
最近、自分のインナーワールドに入り込んでしまう若者(に限らないかもしれないけれど)が増えているらしい。携帯電話や電子メール、インターネットといった簡単で便利なコミュニケションツールが増え、外界とのアクセスが容易になっている一方で、自分の意志や思考を電子化しないことには相手に伝えることができない人たち、つまり人の体温や肉感を恐れる人たちが増えているというのだ。その結果、おたくと呼ばれる閉鎖的なコミューンを結成する人たちや、電波系と称される精神薄弱な文化人を生み出していると言うことらしい。これは、一見便利になった日常生活の暗部であり、多くの情報が繁茂していることの弊害であり、すなわち現代病であるということなのだ。たぶん、そういうことなんだと思う。
ま、実際にそうなのかもしれない。たしかに、自分がはまってしまったアニメキャラのグッズ集めに金をつぎ込み過ぎて餓死した輩がいる、なんて話をきいちゃったら、こりゃちょっとヤバイなって気にならないでもない。私の周りにも、そういった因子を持っている人は山ほどいるし、ひょっとしたら、自分もそんな病んでいる若者の一人なのかもしれないし。
しかーし!! そんなワールドワイドなお話や社会全体の未来のことは、社会学の教授や政府のお偉いさん方が考えればよいのである。そんなことより、今私が気になってしょうがないのは、そしてなんとかしてほしいのは、わが家の両隣のサイコさんなのである。
【第1章 左隣のサイコさん】
“片鱗”は、初の邂逅のときから十二分に感じとることができた。
私が今住んでいる本八幡のアパートに引っ越したのは、やく1年半前のことである。
「うるさいんで、静かにしてもらえません」
「あ、すんません」。
愛すべき隣人との初会話は、このようにしてきりだされた。
「お隣さんは、けっこう神経質な方のようだから、気をつけよう」。この時はとりあえず、世間の厳しさにふれ、反省一塩の私でした。ちなみにこの隣人さん、年の頃は20代前半から半ばといった感じの男性である。目つきがちょっとこわい。というか妖しい。
次に私と隣人さんがアクセスしたのは、それからさらに2週間ほどたってからのことである。夜中にテレビを見ていたら、突如お隣さんは咆哮を上げた。なに言ってんだか聞き取りにくいし、聞き取ろうと努力するのもいやだったけれど、どうやら「ウルセー」とか言ってるらしい。
うるさいか? 確かにテレビは付けているけれど、音量の目盛りは全体の1/8位しかいってないし、私には1人会話癖もない。でもまあ、もめごとは嫌だったので、音量を下げた。お隣さんの咆哮もおさまった。
そんなこんなから約1時間後、部屋の戸をノックする音がする。
なんだなんだ!! 包丁でも持ってやってきたのか!? かなりびびっていたので無視しようと勤めたのだが、扉を叩く手がおさまる気配がない。外からでも電気がついているのは見えるだろうから、起きていることはバレバレだ。
「おい、いいから帰れよ! 今何時だとおもってんだよ(午前3時でした)!」。しかし、まだノックの音はなりやまない。あきらめて、そして意を決して、おそるおそる、扉を15cm程開いてみる。予想に違わず、そこにいたのは隣人さんだった。しかし! その後彼がとった行動は、こちらの予想を大きく裏切るモノだったのだ。
「すみません、もうこんなことしませんから。ホント、すみません」
それだけ言い残すと、そそくさと帰ってしまった。
そのとき、なんだか私の心に、いや~なしこりのようなものが残った。恐怖、と言い換えることもできるかもしれない。相手の正体にモヤがかかっていることが原因で感じる恐れ。よくバラエティ番組なんかでやっている、ブラックボックスの中に手をつっこんで中身をさわる、アレだ。手をつっこんでる本人は、箱の中身が解らないので、それこそさわったのが豆腐だろうがコンニャクだどうが、こわがってキャーキャー騒ぎ立てる。アレに近い感じ。ただ一つだけはっきりしているのは、お隣さんはコンニャクや豆腐より確実にたちが悪いと言うことだ。
最も最近の、そして最も恐ろしい出会いは、約3カ月ほど前に起きた。
恒例となった、真夜中のノック(こうやって書くと、熱血野球マンガみたいだ)。最近なりをひそめていたと思ったのだが、また来やがったか!? できれば無視したい! あきらめて立ち去ってほしい! まるで台風が去るのを、家の中でブルブルと震えながらじっと待つ無力な子どものように、切に願いつつノックがなりやむのを私は待った。
「コン、コン」。ダメだ。台風さんはけっこう頑固者で、こちらの出方も見ずに去る気はないらしい。
しかたがない。三度意を決して、戸を開く。のぞいていたのは、すっかり見慣れてしまったお隣さんの青白い顔。
お隣さんの口がゆっくり開き、負のパワーを含みまくった声が、今発せられる。
「あの~、ボクの悪口とか言うの、やめてほしいんですけれど」。
・・・・・・・・・ハイ!?
「よく、ボクのまねとかしながら、ボクのこと笑ってるじゃないですか。そういうの、やめて欲しいんです」。
やめて欲しいのは、こっちの方じゃい!! 何だかもう、立ち眩みというか目眩というか、何が正義で何が悪なんだか解らなくなってきた。150キロのストレートを予測してキリキリにバットを引き絞って待っていたところに、90キロのスローカーブを投げ込まれて手も足も出ない、そんな感じか。ちっとも上手い例えじゃないけれど、とにかくそれくらい混乱してしまったのだ。思わず相手の目をのぞき込むが、そこからは「ちょっと妖しいことを言って、相手を恐がらせてやれ!」みたいなおチャメ心を読みとることはできない。
先方は本気である。というか本物である。
このままじゃまずい! なんとかして心の堤防を高く築かないと、こっちまでダークサイドにひきこまれてしまう!! まるで塩が引いていくようにファイドアウトしていこうとする私の戦意に鞭を入れ、無理矢理に駆り立てる。
「そんなことしてる訳ないじゃないですか。だいたい、ものまねができるほどにアナタのこと、よく知りませんよ。滅多に会うこともないじゃないですか」。
予想に反してアグレッシブなこちらの出方に困惑したのか、先方は少々ひるんだ。
「そうですか...。とにかく、まあ、うん、じゃあ、こっちの勘違いかもしんないから。すいません」。そう言い残すと、私の部屋と壁一枚隔てた自分の部屋に、サイコさんは帰っていった。
その後、サイコさんとはほとんど会っていない。まだ生きているんだろうか...。
【第2章 右隣のサイコさん】
左隣の人に比べ、右隣の人は実に物静かで穏和なひとだった。廊下でたまにすれ違った時には「あ、こんばんわ」なんてあいさつも交わす、ごくごく普通のおっさんだった。だから私は、部屋で座ってテレビを見てる時なんかでも、左半身は異常に緊張していたのだが、こと右半身に関しては、いたってリラックスできたのだ。3ヶ月前までは。
ナイス・ミドル(ってわけでもなかったが)な隣人さんが引っ越してしまい、かわりに20前後の学生(彼の母親曰く)さんがやってきた。
ファーストインプレッションは、「絶対、汗っかきだな、コイツ」だった。
彼がやってきてからというもの、私の右隣は活気づいた。夜中に大声で電話をしたり、世を徹しての友人との語らいなどは若さ故の行為であり、以前のおっさんからは感じることのできなかったエネルギーである。まだまだ未熟な若者に属する私は、成熟から得られる平穏よりも、ややはた迷惑な活気のほうに好感を覚える。少なくても、周囲のちょっとした音や視線にピリピリと神経をとがらせる左隣さんよりはなんぼもましだ、そう思っていた。2ヶ月半ほど前までは。
ある日私が家に帰ると、右隣から歌声が聞こえてきた。スピーカーから漏れ聞こえる音ではない。あれはまさしく肉声だ。それも馬鹿でっかい。しかもエンドレス!
彼は、世を徹して歌い続けた。ラルク・アン・シェルの歌だ。かなり声を作っている。顔も作っているに違いない。ひょっとしたら、マイクスタンドパフォーマンスをかましているかもしれない。
「ん、ミュージシャン?」。私は思った。きっと明日から全国ツアーに出るのだろう。だからあんなに熱心なんだ。6畳一間のアパートに住む駆け出しミュージシャンが、真夜中にもかかわらずアカペラでレッスンに励む。ハートフルな話ではないか。
しかし、窓の外が白みはじめ、雀の鳴き声が朝の訪れを告げるころ、雲行きが少々変わってきた(そんな時間までつきあっているとはなんて暇な奴、と思われる読者もいるかもしれないが、眠れなかったのだ、単純に)。ミュージシャンの声はまだ聞こえる。しかし、歌ではない。声のトーンは抑揚たっぷりなのだが、明らかに音楽のそれではない。
「そんなもん気にせずに、早く寝ろ」と、私の常識は告げるが、下世話な好奇心がそれを許さない。
そのとき、私が聞いてしまった隣人さんの言葉を明確に書き記すと、以下のようになる。
「ようやく、お前と決着をつけるときが来たな。覚悟しやがれ! グフッ! お前、なかなかやるな! だが、まだまだだ!! とーうっ!!
(以下省略)」…………………。 いや、ホントだって。
またもや、かなり声を作っている。顔も作っているに違いない。ひょっとしたら、舞台パフォーマンスをかましているかもしれない。きっと、すっごく汗かいてるんだろな。
そうなのだ。私は、お隣さんに対する認識を改めなくてはならないのだ。
彼はミュージシャンではなく、ミュージカルスターだったのだ。
【最後に】
犯罪に巻き込まれて亡くなった人、または犯罪の当事者などのご近所さんは、ワイドショーのリポーターなどに「あの人は、どんな人でした?」なんて聞かれたりする。
その、マイクを向けられれたご近所さんがおばさんだったりした場合は「いや~、あんなことする人には見えなかったのにね~」なんてお約束なコメントの一つも残すのだろうが、若い人の場合だと「いや、よくわかんないッス。あんまり話したこともないし、何してる人かも知らないッスから」なんて言ったりする。それを聞いたコメンテーターやら社会学者やらは、「最近の若者は、近所つき合いの意識が希薄ですね。その事実が、これらの悲劇を生み出すのです」なんてことを、眉間にしわをよせて話したりするものだ。
そんなワイドショーのしくみからすると、私が何か世間の注目を集めるようなことをやらかした際にはあの2人が私についてコメントをするのだと考えるにつけ、絶対に事件や事故は起こせないと思う、私だった。
<※これら一連の事件の後、ついに意を決したわたしはおっとり刀でサイコの巣
を抜け出す。現在は安住の地を見つけ、そこで平穏な日々を送っています>
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